2018年06月08日

夏の桜井古墳(俳句短歌)


夏の桜井古墳(俳句短歌)

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古墳の上しきり飛び交ふ夏燕

夏の日や川海近く古墳かな

夏燕モスバーガーに休みけり

高平(タカヒラ)や桜井古墳に夏の月


我が立ちぬ桜井古墳大なりき燕飛び交いつつじ赤しも

草深く蛍袋の咲きにけり桜井古墳の夕暮れにけり

一軒の農家の古く広しかな庭に畑や夏の日暮れぬ


桜井古墳は東北で4番目に大きい,

東北最大の前方後円墳は宮城県名取市の「雷神山古墳」全長168m。次いで会津坂下町の「亀ヶ森古墳」全長127m。3番目がいわき市の玉山古墳」全長114m。同じく若松市の「会津大塚山古墳」全長114mが続く。

名取の古墳でも海側だしいわき市でも海側である。海側に桜井古墳もある
遠見塚古墳も海側である。
一方で会津はもともと国(くに)として知られていた
万葉集時代にすでに国という認識があった,だからあれだけ大きな古墳もある
その歴史は明治維新の城の落城までつづいていた

不思議なのはなぜ中通りには大きな古墳がないのか?

中通りの方が開けた地方だと見えるからだ,ただ古代に浜通りと会津が開けていた
それに何か訳があるのだろう,ヤマトタケルが海沿いに船で制服したという伝説があるからそれもかかわっているのだろう

桜井古墳の上に立つとそこからは海も見えたろうしまた新田川あり川の側だから立地的に納得する
高平(タカヒラ)というのもヒラが傾斜地という意味だと金沢の山側が傾斜地になっているからそこからなづけられた開けた平坦な土地として最初にこの辺で田んぼとかになったのかもれない
泉かんが跡もあるしそこは原町の歴史地区だったとなる

ともかくあの一軒の農家は広い,風も海側から吹いてくるから涼しいとなる
自分の場合はいつも高平は通って原町市街に入るから関心をもったのである。
あの五輪塔もあって関心をもったのである。

今は螢袋が咲いていた,これは梅雨の時期に咲く花である。

あそこは散歩するにはいい場所である,やはり人間は一番適地を選んで発展したとなる
だからその場を踏むとその土地の歴史が実感としてわかる
それは資料とか本だけ読んではわからないのである。





















下北高平の広い土地の家が壊されていた (その人にその辺のことを聞いてみた-7代目であった)


下北高平の広い土地の家が壊されていた

(その人にその辺のことを聞いてみた-7代目であった)

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高平の五輪塔
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ここは藤の花がきれいな家

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この家が壊された 端にその壊された木材が積まれている

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こういう地形から名付けられた地名なのか?



今日いつも通る原町の下高平の広い庭に藤棚がある家が壊されてのに驚いた
なんだろとう思い見たら誰か木を切ってかたづけている
そこは畑になっていてその家の土地だったのである。
それで聞いてみるとシロアリにやられて新しく家を建てるという
壊した家自体は古くない,20年とか言っていた

それでそこの家の人に聞いてみた,前にもその人とは会ったことがある

「新田川のそばに古い墓地があるんですよ,立派な大きな五輪塔があるんです
この辺は西殿といって浜の方の人に聞いたら西殿をニシドンと言っていました
この辺ではニシドンと言っていますか?」
「にしどの,ああにしどん」

何かこう言ったからやはりこの辺で西殿をニシドンといっていたのである。

「この家は古いですか」
「7代目だよ」
「じゃ江戸時代からつづいている」
「この辺の農家はあそこの家で4町でありこっちは7町とかだよ」
「広いな,やっぱりここは古い所なんだ」

近くに金沢の所に墓地がありそこに越中からなどの移民の墓誌がある
でもあそこの墓地はもともとあそこになかった,移動したという
移民の人も高平に入ってきた

「草履をぬいだ話を聞きました」
「それはいつですか」
「戦前のことだったな」
「それでは江戸時代ではない」

何か戦前でも土地を求めて古い農家で働いた人がいたのだろう

「この辺で槍をもっている人がいたよ,そこは古いよ」
「名前は」
「脇本だよ」
「その人は野馬追いに出ていますか」
「・・・・・」

それから村八分のことを語った

「それからこの辺で村八分にされた人知っているよ」
「どうしてされたの」
「その人は変り者で土橋を渡るとき誤って転げて死んだよ」

村八分など聞いたことがないが何かそういうことは村にあった
そういう話は日本の村には良くあったのかもしれない
ともかく狭い土地でいつも暮らしているから何かうまくいかないと出て行くわけにもいかないからそうなったのである

こんな話になったがその家は7代とするとそれなりに古い,確実に江戸時代にさかのぼる
とにかく蔵がありその脇も広い畑なのだから古い土地持ちの農家だったのである。
海からの風通しもいいし気持ちいい場所なのである。
あそこはいつも通っていたからあの家はずっと気になっていたのである。

そもそも高平(たかひら)の地名の由来は何なのか?
タカタイラともありタイラとヒラは違う,ヒラは傾斜地を意味しているという
ヒラはアイヌ語説になればアイヌ語由来なのか?
北海道には高平の姓が一番多い
ヒラタイというときヒラは傾斜地でありタイは平地になる
ヒラタイとういうのは一体として使われた言葉なのである。
日本には山が多いから傾斜地が多いからそういう地形が多いのである。
それで野とは傾斜地の意味だったのである。
すると高平とは傾斜地がありタイラな地形になる
傾斜地とする金沢辺りから傾斜地になっているからそこから地形として名付けられた

なぜそうなったのか?

それはまず原始時代から自然をみるとそこも湿地帯だから高い所からその地形を見て名付けられた、どうしても傾斜地とすると金沢の方の高台の方から見た地形なのかとなる
高平地区はとにかく桜井古墳も近くにあり泉かんが跡もあり古い地域なのである。
原町の歴史地区なのである。
それが具体的にわかりやすいのはあの五輪塔なのである。
あれは南北朝時代のものであり相馬氏が入り西殿となづけられた
あの辺ではニシドンと言っていたのである。

前にもあの辺りだと新田川の橋を渡ったところにも古い家があった
六号線かあってもあそこはもともと農家があった田んぼと畑だったのである。
そこで古い馬頭観音が畑にあったのでそのの由来を聞いた
そしたら火事があって馬が焼けたということで供養したのだと聞いた
あそこの家は升形の紋が蔵にあり古い家である
ただ脇本という姓の人は野馬追いには出ていない
そこがどうして古い家なのかは不明である。

つまり高平一帯で三軒から自分は直接話を聞いたのである。
するとバズルのようにその地域の歴史を編むようにつなぎあわせることができる
ただそれもこの辺では鎌倉時代から南北朝頃からでありその前は歴史的に残っていても何か具体性に欠けるのである。

いづれにしろ郷土史はこうして直接その土地の人に聞かないと具体的にイメージできないのである。
そうして聞く機会がなかなかない,たまたま家が壊されていたので驚いて聞いてみたからできたのである。

posted by 天華 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

逃れられないカルマ (和歌山ドン・ファン事件もそうなのか?)


逃れられないカルマ

(和歌山ドン・ファン事件もそうなのか?)


この人自体が普通から見たら異常である。でも資本主義の世の中ではとにかく金があれば認められもてはやされる,金の力が露骨に現れる社会である。
江戸時代なら金ではなく身分でありその身分にふさわしいふるまいをしなければならなかった
今は身分など関係ない,金をもっていなかったら身分も地位もなにもない
何の力もないのである。だからどんな悪辣な人でも金さえもっていれば人はよってくる
でもそれはあくまでも金によってくのでありその人がどういう人格などとかそんなこと関係ないのである。
だから今の社会は「金の切れ目は縁の切れ目」ということがどこでも現れる
昔からそういうことがあったとしてもそれがあまりにも露骨になりすぎたのである。

とにかく自分もそうだったが60以降はカルマが具体的に苦しみとなって現れる
若いときの不品行とか別に犯罪として罰せられなくても人間はなにかしら後ろめたいことをしている,それで心の中で責められるのである。
ただ心の中で責められるならいいが具体的に苦しみとなって現れるのがカルマなのである60以降は人生の総決算のようなことが起こるし死ぬときもそうである。

だからこの人の死にざまはそのカルマの総決算として死だったのかとなる
溺愛していた愛犬も殺害されたのか苦しんで死んだ,そしてすぐに自分も殺害されたのか死んだ,なぜ犬まで殺されたのか?
カルマはその回りにいる人に及ぶからである。だから一番かわいがった犬もそのカルマを受けたとなる,そんなことがあるのかというがカルマは親戚と深く関係して影響するから怖いのである
結婚して相手の家のことなど関係しないと思っても結婚すれば相手の家のカルマを受けることになる
ただそのカルマはすぐに現れない,それが60以降とかでも現れるから怖いのである。
そのカルマが身に降りかかったときはじめてその怖さを知るのである。

自分もそういう目にあってきたことを書いてきた,これとにたことを経験してきたからである。
この人は金があっても金の亡者であり女性を物ののように扱う人だった
だから誰からも本当は愛されていない,信頼されていない,愛しているのは犬だけだったとなる
そして金目当てなのかどうか殺害されたともなる
こういう会社に勤める人の気持ちはとをなのか?
そんな人が社長になっている人の気持ちはどうなのかと思う
社長を見習いとなるとなるとそんな社長についていけるのかとなる

ただこの人だけではないカルマはみんなもっている,もたない人はないのである。
では良く通り魔殺人とかいろいろあるけどそれもカルマなのか?
犯罪にあうのもカルマなのか?それはただの偶然ではないか?
強盗に入って殺されるとかあるけどそれもカルマなのかとなる
多分にカルマはそこにある,金があるということでもカルマとなるからだ
カルマは多様なのである。人間が複雑なようにカルマの種類は多様であり計れないくらいある,だから犯罪にあうのもカルマだということはある

ただ例外はある,人間は苦しむのはカルマがかかわっていることが多いのだ
障害者をもってなぜ苦しんでいるのか?
それは前世で誰かを苦しめていた虐待していたためだとかなる
そうでも考えないとどうしてそんなに障害者の子供や病気で障害者となった人を障害世話しなればならなくなったのか?
それはおそらく前世で虐待していたためではないか?
自分が弱者化したとき責めてきたのはそういう前世の宿縁だったのか?
それが一応親戚だからその苦しみを自分も受けることになったともなる

ただこうしてカルマだと考えるとき自業自得だとなり相手を呪ったり恨んだりしない
自分がこうなったのはあいつのせいだとか恨み呪いつづける人がいる
でももしこれも自分のカルマだとすればその人は自分のカルマを自覚しているから自分のせいだとなるから他者を恨んだりしないのである。
でもそれに納得いかない人は今度は他者を責めるのである
ただ殺人までになるとそれはカルマなのかどうかわからない
それは相当に重いカルマとなるから軽々には判断できない
ただこの人の場合そうしたカルマを積んできて最後に総決算としてカルマが具体化して苦しみとなって悲惨なの結果となった
それは自分もにたようなことを経験しているから他者のことは言えない
殺されかかったということでは同じだったのである。
それは金にまつわりそうなった,金はそれだけ今の社会では怖いものでありもめごとの大半は金にまつわるものだからである。

自分の家族の一人は悲惨な死に方をした,それもカルマだったのか?
それも良くわからないにしろ一部は多分そういうことがあった
ただ善行もあり家のために尽くしたのだからすべてがカルマだったとも思えないのであるでもなぜ頭がいいとか最後まで優秀だと言って死んだ
実際は馬鹿になっていたのであるからこれもをと考えていいのか?
何か奢りがあってそういう無惨な死に方になったのだろうか?
カルマは死にざまに現れるのだろうか?
ただ人間は死ぬときはみんな苦しみ悲惨なのだからわからない
カルマは法則のようにあるとしても数式のようには現せないからである。

いづれにしろ今回の事件はわかりやすい,カルマがわかりやすい,誰が見てもあんな死に方するのが当然だとか見ているかもしれない,金の亡者であり金で女性をもてあそびそして死んだのだからまず女性の肉体を愛しても人として見ていないからである。
そういう人がもてはやされるのも金をもっているからなのだ
出版社も金儲けのために自伝を出させたり金が目的でみんな寄ってきているからだ
人間はやはり金があると金を目的でしか寄ってこなくなり金でもめるのが定番である。
金というのは怖いものでありそれで殺されるのが普通にある
今の世の中は特に金をもうければい得ればいいしかない社会となっているからその典型的パターンとしてこの事件が起きたと誰でもわかりりやすいから見ている


















posted by 天華 at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層