2018年07月31日

雲の峰(俳句十句)


雲の峰(俳句十句)

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大いなる空の広きや雲の峰

みるみるに高くなりにき雲の峰

燕飛び見ぬ間に高く雲の峰

真昼間や日射しの強く雲の峰

形変えみるみる高き雲の峰

畑仕事太りし婦(おんな)にカンナかな

新たなる宅地またふえ雲の峰

今日もまた同じ木陰に休むかな

カンナ咲き夏の雲湧く白さかな

暑き日を吸い込み一日雲の峰

雲の峰二つ割れて山を成す                            


この道の行く人知りぬここに立つ木の影濃くも後に人なし


今日は暑いけどからっとしている、ここは32度くらいかもしれない、そのくらいだと耐えられる、晴れ渡り雲の峯がぐんぐんと高くなる
それが気持ちがいい、夏らしいなとつくづく思う
名都を楽しむには34度とか35度になったらもう無理である
熱中症になる、日本は季節の変化がありそれで俳句ができた
夏は夏らしいとなる

太った女性はどこにあっているのか?それは畑にいるときあっている
根っからの農民なのである、生まれも育ちもそうだからである
人間は何かそこにふさわしいとなる場がある
自然の中で人間も映えるから農民や漁師や林業でもそういうところで働く人は自然とかかわり自然と一体となる、ただハウスとかなるとそれは別なものになる
働いている人が見えないからである

でももうハウスでなければ農業は成り立たない、それは不自然に見えても今はそうしないと成り立たない、でもトマトでも露地ものがうまかったということはある
それはたっぷりと自然の光を吸ったからだともなる
現実としてはもう畑といってもそれを維持することの苦労を聞けばもうやりたくないともなる、いろいろと金がかかる、それをこっちで支払うのも苦しいとなる
趣味の畑は金にならない、かえって金がかかる

それでもその女性は畑にいる時カンナのように映えている,そこにふさわしいとなる
それは生まれつきであり育ちもそうであり体つきでも農民だという感じなのである
人間はやはりその人にふさわしいものがありその時その人は生きる価値があるともなる
ただ正直それは外から見ている時そうなるのである。
現実に農業するものは違う、だからなぜ原発事故のあと耕作放棄地が増えたのか?
誰も耕さないのか?それは手間であり金にもならないとなり高齢化して放棄したのである
雲の峯は変化する、雲の峰を見ていると気持ちがいい、そこに自由な力も感じる
自然の雄大さを感じる、この辺には高い山がないから本当に山のように見る
駅前通りにも映えたが降りる人が一人とか少なかった
野馬追いが終わり閑散としている、駅前通りはにぎわっていたが今はどこもにぎわいがないのがさみしい、ただ駅からおりてこの雲の峰を見ればきもちいいとなる

小高の不思議は人が通るのがまれである、車も他よりずっと少ない、すると江戸時代のような雰囲気になっていた、車がないと江戸時代に還る
人が一人道を歩く、その人を道は記憶している、そして木の影が濃く道をおおいその後を一日行く人もないともなる
車がなければ江戸時代は戦前でもそういう風景だったのである
江戸時代にもどりたかったら小高とか浪江でそれをある程度経験できるともなる
夜だって暗くなり江戸時代にもどったようになるからだ
江戸時代を体験するとかの観光さえありうる、そんなことを言うとまたしかられる不謹慎だとなるが「江戸時代にもどった町」とかで人が来るかもしれない
ただそうはいってもやはり駅前通りが活気がないように自然でも街でも活気があるとき自然が映えるとういことがある、都会では自然がないから逆に人の活気だけになるからつまらないともなるのだ
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外国の理解は言葉だけではできない (言葉の前に地理とか天候を知るにはその地を踏まないとわからない)

  
外国の理解は言葉だけではできない

(言葉の前に地理とか天候を知るにはその地を踏まないとわからない)


 駅であったフランス人は小学校の先生である、まだ若い
いろいろ文化的なことでも知りたくて日本に来ている
それは先生だからである
日本についての好奇心と探求心がある、だから二回目であり日本語でもしゃべれる
かたことにしてもしゃべれる、まず外国では言葉はまるで自分はわからなかった
ただ英語は習っている、単語でも聞き覚えがあり通じたのである。

だから事前に習わないと言葉は簡単なものでも覚えられない
中国語は発音がわからなくて皆目わからなかったが漢字がわかったので助かった
フランス人は漢字はむずかしいときうそうだろう、見慣れていないからである
漢字は何か謎の絵に見えるだろう、韓国のハングルもそうだった
アルプスベットは見慣れているからわかりやすいのである

フランス語でもは英語と実際は発音でも相当違っている,だからその発音で音の理解ができないので通じないのである。
むしろ文字だったらかえってイメージできるともなる
日本人は外国語でも音ではなく文字から理解している
ところが会話となると音が大事になる、音を聞き取ることが大事になるのだ

言葉とは最初は文字ではない、音なのである、文字は音より高等なものであり文明化して生まれたのである。だからマヤ文明とかインカ文明とかには文字がないのである。
でも高度な文明があった、しかし文字がなかった、日本でも漢字が入るまで文字がなかったが言葉はあった、大和言葉はあった
言葉のない民族はないのである。
アイヌ語は音として残っている、蝦夷の言葉も音として残っている
それで北海道ではアイヌ語を文字化するのに漢字を当てたからおかしなものになった

それは日本語の地名を漢字化したときと同じだった、日本の地名はもともと音で表現されていたのである。それは漢字化した結果そこに誤解が生まれるようになった
漢字を見て意味を感じるからである、でも漢字の意味ともともと音だった意味とは違うのである。
ただ日本語の大和語は音として今日継続している、だから日本人の精神と文化は日本語として継続しているのである。
言葉というとき音の音韻の多様性に注目していない、日本語だと母音が主であり子音は少ない、英語は子音が豊富である、だから日本人は英語の発音が下手なのである
そういう音を聞きなれていないからである、言葉は慣れであありいつも聞いているとその言葉を音から理解する、赤ちゃんは字から理解しているのではない、母親の音から理解している、だからこそ母国語というのである,それはどこの国でも同じなのである。

言葉のグローバル化というとき本当は音からはグローバル化は相当にむずかしい
世界の音としての言葉は理解しにくいのである
でもアルプスベットでも文字ならかえって理解しやすいのである。
ただ漢字になるとヨ−ロッパ人とか他でも理解しにくい,それはエジプトの神聖文字のように謎めいて見えるのである
ここの障害は相当に大きいのである、漢字の表記だと理解しにくいのである
ただ東南アジアでもインドでも文字もなにか謎めいて理解しにくかった
だから文字が必ずしも理解しやすいともならないのだ
日本は英語を文字から読むこととして理解した、会話することもないから音を通じてではなく文字を読み翻訳することで英語を学んだのである

いづれにしろ外国の文化に通じるには言葉が障壁になる、フランスに行っても城があってもその由来などわかりにくい、歴史はわかりにくかった
それは言葉が通じないからである。説明を聞いてもわからないからだ
ただ英語で表記されていればわかるともなる
ともかくグロ−バル化してこれだけ外国人が観光でも来るととうしてコミ二ケーションするのかとなる、それは言葉なら英語しかないのである。
英語なら本当は中学英語を完全にマスターししていれば最低限は通じるのである
観光旅行ならまにあうのである

ともかくこれだけグロ−バル化することは言葉でみんな苦労する
それで共通語になるものが必要になる、それは英語しかないのである
ただ英語だけを共通語とすると他の国や日本でも損なのである。
なぜなら英語を身につけるには日本人はヨ−ロッパ人より何倍の努力が必要になるからだ英語と日本語の共通性がない、英語はヨ−ロッパでは共通性があるからだ
だから英語を理解するししゃべることも比較的に楽にできるのである。
日本は英語で大きなハンデキャッフを負っているのである

ただ日本というのは確かに観光面とかで会話できない、しかし別に英語であれドイツ語であれ翻訳して自家薬籠中の物にしている
それでヨ−ロッパの文明であれ文化であれ取り入れている、だから別に技術にしてもあらゆる用語でも日本語に訳せるのである、日本語で理解できるのである。
観光とかでは確かに不自由があっても高度な文化文明の移入しているのである
アイヌ語とかのようなものだったらまず技術的なものは翻訳できない、日本は漢字を取り入れることでヨ−ロッパの文明文化を理解した
そして漢字を通じて今度は中国に西欧の文化文明を翻訳して中国に与えたのである
だから日本人が発明した漢字を中国はとりいれているのである。
だから漢字は広範囲に多様に表現できる言葉である
ただ漢字の一字一字に意味があるとしてそれは中国の文化なのである
でも日本人は中国人の解釈ではない日本独自の漢字の理解と応用をしたのである
それがヨ−ロッパ文明を取り入れるとき漢字を新しい意味あるものとして造語したのである。

だから観光で言葉がわからないというときと文明と文化とか大きなもので言葉がわからないことの意味は違っている
もしヨ−ロッパの文化でも文明でも入ってきてそれを理解できないとなれば大問題になるそれにあてはまる言葉がないともなればもう外国の文化でも文明でも技術でも理解できなくなる、技術用語も医療でも他でもあるからだ
とてもアイヌ語のようだったら理解不可能になるからだ
だから日本人は英語ができなくても外国語ができなくてもいいというとき別に高度な分野では理解して文明でも文化でも技術でも取り入れることに成功しているからである。

観光でちょとした言葉がわからないのとこうして大きな分野での言葉の問題とは分けて考えるべきなのだろ、観光で言葉がわからない通じない問題と違ったものとして言葉を考えるべきだからである
別に翻訳してもわかるとしたら翻訳を読めばいいしグーグルでも翻訳して理解すればいいとなるからだ
ただ外国人が直接日本に来るということはまたそうしたて文明文化のレベルとは違った問題として考えるべきだとなる
実際はそのことで日本人は大きく困ることはない、でももしヨ−ロッパの文化文明を翻訳できなかったらあらそる分野で日本はヨ−ロッパに学ぶこともできなかったのである
だから人と人が直接交流するのはせ違ったものとして言葉を考えるべきだとなる

そもそも言葉の前に理解するものがある、日本でも日本の風景でも気候でも知らなければ言葉も理解できない、日本の文学で俳句とか短歌を理解するとしたらまず日本の四季を知らなければ理解できないのである。
それはまず言葉ではない実感の世界なのである。日本に少なくとも一年間住んでみないと日本の四季がかわらない、すると俳句も短歌も理解できないのである。
その小学校の先生は曲水の宴のことを聞いていた
何を言っているかわからなかったがそこで短歌を即興で書くことを言っていた
それがすぐわかったのは説明の写真をもっていて自分に見せたからである
写真だと言葉でわからないものが即座にわかることがある
言葉からイメージするのはかなりの高度なの作業なのである

自分が今回そのフランス人にあって英語で説明ができなかったのは短い時間だったからである,駅で待っている時間しかなかったからである
そこで理解しあうことはできない、でももし長かったらまた会ったりしたら説明もできたそもそも外国を理解するには言葉だけではない、そこに一週間でもいればまた一か月でもいれば理解が深まるのだ
何かを理解することは常に時間がかかる、また人間と人間が信頼関係を築くのにも時間がかかる、だから家族しか信用できないというとき家族は長い時間子供の時から一緒に暮らしているから信頼する、それは時間で作られたものなのである

要するに外国でもある国を理解するにはそこにいる時間とか学ぶ時間で決まるのである
あらゆる国に詳しくなれないがある国を知るために時間を費やせばそれに比例してその国を理解することになる、でもあらゆる国を理解することは不可能だとなる
まず地理とか天候とかはその国に行って長い間住んでいないとわからないからだ
日本の気候は変化が激しい、台風がきて驚いたり地震もある、そういう経験があって理解が深まる、だから外国の本をいくら読んでも理解できないのである。
ただ似た歴史があると理解しやすい、ヨ−ロッパには城が多いし騎士がいるから侍とにているということで説明したのである

いづれにしろ英語という言葉の前に俳句とか短歌でも理解することはその国の深い理解が必要である、それより例えば俳句でも短歌でも作っていない人と日本でもいるし日本の文化を知らないものがいくら英語ができても説明もできないのである
それは英語力だけではどうにもならないのである。他の科学的なことでもなんでもそうである、まず学問でも日本で深く理解していないものは英語ができても説明しようがないのである。
ただ数学とか科学的なことは世界共通性があり理解しやすいだろう
でも文科系とか文学とかなると本当に理解するのはむずかしい、その国の歴史とも深くかかわっているからだ、そもそも日本人すら理解していないのである。

東北にいたら奈良と大阪と京都とか神戸の違いがほからない、神戸は須磨でありそこは砂浜と漁師の貧しい家があるだけである、塩焼きしていた浜である
でもそこでも現代になるとそうした面影はなくなる、近代化した港にもなればもう須磨として知られた古典でも理解できないのである。
ともかく日本すら理解することがむずかしい、それで英語ができるとしてもそもそもそうした日本の歴史とか文化を理解しないものが伝えようがないのである
外国人が能に興味あるとしてそれを説明できるのか、そもそも日本人自体が能について知る人がどれくらいいるのかともなるからだ

今回駅であった人は日本には二回目であり日本語もわずかだがしゃべれていたし学ぼうとしていた、だからこれから日本通になるのかもしれない、言葉はマンツーマンでないと覚えられないというのはそうだろう
それは母国語が母親との会話のなかで覚えるのとにている
ただそういう機会が日本では特殊な立場の人しか持ちえないのである。
だから英語を学べ時間は無駄だともなる、使う機会がないからである。
ただグ―グル翻訳ではたりないから英語の基本を知っていればいいとはなる
それは学校英語であり実際の会話英語ではないのである。
でも文学とか宗教とか何か歴史とか深いものを知ろうとするとなると外国人でも少ないだろう、これだけ外国旅行が当たり前になるともうそういう人は少数派になっている
それは日本人が円高のとき豊かな時に東南アジアであれヨ−ロッパであれおしよせたのとにているのだ、知識人とかだけが行ったのではないからである

正直外国は歴史でも文化でもわからなかった、ただ地理的に平坦て地が多く長い大きな川があるとかが印象に残った,それでいかに外国人がヨ−ロッパでも他の国でも世界的に川とアイディンティティ化しているかわかる
詩でも川をテーマにしているのが多いこともわかる、それだけ川と人間は血肉のように一体化している歴史があるからそうなる、だから川について考察を深める作業をしている
まず川を知らなければ外国は知りえないのである。
そういう地理的なもの天候はその地でしか知りえない実感できないのである。
それは日本内でも同じなのである。だから世界の理解の基本は言葉の前に地理だともなるのである。

人の生が終わる
様々のことを成さんとして
成しえず終わる
人の生は短い
学ぶべきものは無限
人はただその住む
一地域すら知らずに果てる
無数の人の生があり
それも知りえない
一つの生が終わる
その成すべきことはわずか
ただ無限の知らざる世界が残る

英語だけでも覚えるのは時間がかかる、するともっと他のことに時間を費やしていた方がいいという反省にもなる
それほどまでに勉強しても社会では使わないとなればそうである、外国に旅行に行くときくらいしか使わないとすれば貴重な時間の無駄だとなるのである。それより日本について深く知ることに費やした方がいい、それは英語を覚えることではないからである
第一日本の古典がいろいろあるけどどれだけ読んで理解しているのか?つまり他に理解することが山ほどあるからだ
結局そうなると英語に時間を費やすよりそっちの方に時間を費やした方が実り多いとなる
人間はいかに時間を無駄にするのか、無駄にさせられるのかそれを最後に反省する
英語だけにこんなに時間を費やして何か実りが特別あったのかとなる
英語をいくら流暢に話せてもそもそも日本のことを知らなかったら何の役にも立たないからである。

2018年07月30日

外国人旅行者の増加も日本のカルマ (日本人が日本の旅行を楽しめなくなっていいのか?)


外国人旅行者の増加も日本のカルマ

(日本人が日本の旅行を楽しめなくなっていいのか?)

人口激減時代。短期的に労働者不足、中期的に消費者減少、長期的に日本民族日本人は少数派に転落する

─観光立国。訪日外国人観光客の迷惑行為に耐える日本。中国人観光客の非常識にしてモラル無きマナー違反。


これもひどい、もうこうなると観光公害であり京都ではもう限界になっている
もう外国人は来てくれるなともなる、制限も必要になる
日本人が日本をゆっくり旅行できない、外国人がおしよせてホテルもとれない
中国人が大声をだして情緒も壊される、こうなると京都に行っても京都を楽しめないとなる

でもこれもカルマである、日本人は円高のとき一ドル80円とかのときがあり中国でも東南アジアでも同じようなことをしていたのである。
ヨ−ロッパでもどこでも日本人がおしよせていたのである。
その時日本人は顰蹙(ひんしゅく)をかったのである。
そして女性でも信じられない値段で買って遊んでいたのである。
日本人はその時金にものいわせてしたいことをしていたのである

それが今度は逆に外国人に同じことをされている、特に最近東南アジア関係が裕福になっている、タイなどは物価も日本並みに高く物価が日本が安いとして遊びに来ている
中国では上海でも北京でも日本より物価が高いのである
それだけいつのまにか様変わりしたのである
10年一昔というけどグロ−バル社会は世界的な変化が激しい、そして世界中がその変化にさらされる、つまり為替の変動でも日本が物価が安いとなれば観光客が押し寄せるのである
日本人が一時一ドル80円の時代があったき海外旅行ブームになったからである

グロ−バル化とは人も移動しやすいから世界中で観光でも移動する、アジアは近いから余計に移動しやすい、日本人は円高のとき高度成長がまだつづき経済大国のとき金にものいわせて海外に団体でもおしよせていたのである
グロ−バル社会とはこうして世界中で株のように変動するのである
日本人が外国を観光している時、日本人が金持ちだとうらやましがられていたのである。その逆の現象がカルマとして起きているのである。

要するに日本人が電気製品を売ったりして稼げなくなった、貧乏国になると観光で稼ぐほかないとかなる、カジノでもそうである
日本で売るものがなくなるときグロ−バル社会で生き抜くために観光立国になる
それはギリシャがそうだしエジプトでもそうだしネパ―ルがそうだしそこで外貨は観光で稼ぐほかないのである、何も売るものがないからである。
グロ−バル社会では何か売るものがないときたちまち貧乏国になり観光立国とかいうようになる、日本がグロ−バル社会の競争で遅れをとりそうなったのである。

カルマと個人単位でも国単位でもめぐってくる、日本人が外国でどういうことをしていたかのか?今の中国人であれ同じようなことをしていたともなる
爆買いだってしていた、だからカルマとなって返ってくる
日本人が東南アジアの貧乏国で何をしていたか?女性を安く買って遊んだりしていた
それと同じことが今大阪の一地域で行われている
日本人がサービスを提供しているのである
観光立国とは日本人が貧乏化したことでありグロ−バル競争に遅れをとり負けた結果なのである
カジノを誘致するのもとても日本が品位ある国として経済的に保てなくなっているからである、それで恥も外聞もなくなり外国の奴隷にもすすんでなる
観光立国というと何かきれいごととに見えるが実際は外国人にサービスする召使になるとういことにもなる 

確かに世界との交流が生まれて国際化して理解を深め合うということはある
でもそれも限度がある、どこに行っても外国人だらけでありサービスは外国人が優先であり日本人は金がないから後回しだとなるのも本末転倒なのである
それもこれも日本人のカルマだとつくづく思う
東南アジアで日本人の観光客がいかにのさばっていたか?金にものいわせていたか?
それがカルマとなり逆の現象が起きているのだ
日本人は金でさんざん俺たちの国で威張り遊んでいたな、今度はサービスしけもらうぜ、せいぜい頭を下げてサービスしろよ、貧乏になればそうなるんだともなる

別に外国人が来ることはいい面はある、フランス人の小学校の先生は日本の文化に興味がありきている、日本の文化を学びたいのである。
そういう人もいるしみんなが悪いとはならない、中国人は評判が悪いのはその数が多いからである。
要するに日本人が除外されて外国人優先になるのはグロ−バル化社会では観光でも起きてくる、観光で生活している地域ではどうしても外国人頼りになる
日本人が貧乏になれば金を使う外国人の方がいいとなるのがグロ−バル社会なのである

旅に費やした自分だが旅と観光は違ってる、旅は道をどこまでも気ままに行く、コースが定まっていない、そして旅は豪華なホテルでグルメするとか保養するのとは違う
かえって木賃宿とかにとまっても風情がある、ホテルには風情を感じない
団体客用でありそれは社員旅行とか受け入れて増えたのである
今の時代旅人は存在しない、ただ車であれバイクであれホテルでグルメだとか保養することが目的であり旅人はいないい、わずかに歩く人とか自転車で旅する人は旅人らしいとなるでも本物の旅人はいないし現代では存在しにくいのである

交通があまりにも便利なったせいもある、歩いて旅していても電車を利用したりして旅のまねごとをしているという感じになるのである
だから旅というのは旅人になれないし何か浅薄なものとしてしてしか旅ができない
だから逆に交通が発達して便利になりすぎて本当の旅ができなくなったというのも逆説だなと思う、旅人になるには必ずしも金があるなしではなく貧乏でも旅ができる
かえって貧乏の方が旅らしい旅だともなるからすべては金で得られないのである 

いづれにしろ田舎の方にも外国人が増える、すでに観光地では増えている
ただ外国人慣れしていない人も多いのが田舎である
言葉の問題がありそうなる、だから国際化は悪いことではないのだが限度がある
限度を越えたとき観光公害になり日本文化の破壊までなる
それは移民問題とも通じているのである。

破壊される京都−観光立国、インバウンド、民泊、土地買収[桜H30/7/20]


posted by 天華 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

震災より7年過ぎた小高の不思議(短歌十首) (故郷は古里で古きを守る場なのか?)


震災より7年過ぎた小高の不思議(短歌十首)

(故郷は古里で古きを守る場なのか?)

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帰る人あり→帰る人ふゆ


街道の道幅狭く黒々と杉木立見え曲がりゆくかな

街道をまた旅人の行くなれや夏の日さえぎる森の暗しも

大きなる岩やこの家に人のなくいつ帰りなむ声もなきしも

街道に蝉の声ひびき行く人のありて活きなむ道にしあるかな

街道をまた旅せむや夏の日に浜風涼し進み行くかな

街中に根付き古りにき蝉の声ひびき小高に帰る人ふゆ

街中に根付き古りにし木のあれや蝉の声聞き人も聞くかな

帰り来て小高の人の安らぐや我が土地家と芙蓉の咲きぬ

夏草に田畑の埋もれ烏二羽黒々として離れざるかな

道の辻馬頭観世音の碑の残り夏の日さしてめぐり帰りぬ

農家一軒帰りてこの道行く人のまれにしあわれ芙蓉咲くかな


なんか小高に三年ぶりに浜街道を行き不思議だった、なぜそう思ったのか?
それはまずまだ小高には車でも行く人が増えたにしろ少ない、すると浜街道でも江戸時代にもどったような気分になるのだ
車がもし走らないと前も感じたが江戸時代に戻るのである
それであれこんなにこの道は細かったのか、黒い杉木立が道を隠していたのかと改めて見た、前はこんなふうに見ていない、浜街道沿いに人が住んでいないことも影響していた

双葉とか大熊辺りはもともと夜の森(よのもり)とあるが相馬藩主が余の森とした
自分の森だとした、そこは森が鬱蒼と覆っていたのである。
大野とか広野とかも野が広がっていたのである。
何か原発事故以後人が住まなくなった結果、元の原始状態にもどったようになった
それは津波の後でもそれを感じた、一時海岸地帯は湿地帯になり沼がいくつもできたからだ、八沢浦は本当に海になった時ほど驚いたことはない

小高は確かに住む人が増えたけどやはり街中は森閑としている
それで古い木が街中に根付いている、それから寺に古い五輪塔があったりる
すると故郷とは何なのか?古里でもあり実は古いものがあり古いものが継続して守る場所なのかとなる、故郷はまた故ある場所である
古いものがあるというとき墓地でも墓でもそうである
故郷とは新しい場所ではない、前々から人が代々住んだ古い場所なのである

だから街中に古い木があるなとつくづく見た、そしてそこに蝉の声がひびいていたのである,故郷とは古いものが意識される場所なのか?人が帰ったときまずその古いものを見るもちろん次々に新しいものも生まれるが古いものがある所が故郷なのかとなる

まずこうした感じは本当は小高の人とか浪江の人とかまた仮設などに移り住んだ人が一番実感していることである、その経験は普通は経験しがたいことだったからである
だから仮設に5年とか今や7年も住んだらどんな気持ちになるのだろうとなる
それはそうした経験をしないものしかわからないのである
故郷の家に土地に帰って安心しているのか不便と感じているのかわからない

いづれにしろ浜街道をまた旅したくなった、あんなところだったのかというのも忘れていた、人間は忘れやすいのである、まず車の通らない道というのは本当に不思議である
それは江戸時代にもどることなのである。
だから車の影響がどれだけ大きいかそれでわかる、なぜならいろいろあるが車がなかったら江戸時代にもどった気分になることでもわかる
その時自然は元の原始状態のように見えるのである
浜街道でも旅人となると普通ではないがやはり旅人でも通るとき活きてくる
道すら原発事故以後この辺は死んでいたのである
ただそのことで原始の状態に戻ったということはある、それが何とも不思議なのである

烏二羽が茫々とした夏草の原の牧の柵のような所にとまっていた
それもこの烏はもともと故郷を離れずいた、その黒々とした烏が故郷の住人のようにすら思えた、黒いということが何かあっていたのである。黒装束の通夜に出るような人に見えた、何か烏でも避難区域では違って見えたのである

道の辻の馬頭観世音でもそうである、この碑でも人が通らないと死んだものになる
人が住まなければ古いものも本当に死んだものとなる、人が通うことで活きているのである、そもそもがそういう道は常に人が通っていたからだ
それが人が通わないとどうなるのか、道すら死んでゆくとなる
鳩原では二三軒人が住んでいた、だから違っていたが夏草に埋もれていたのである。

次は今度は浜街道を浪江の方まで行ってみよう、浪江は小高より人が住んでいない
だから小高より廃墟のような感じる、小高は住む人が増えたから浪江とは違っていた
でも何か依然として普通の街ではない不思議を感じたのである。

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小高には前より人が帰っていた
(馬頭観世音の碑)


2018年07月29日

原町の雲雀が原へ(野馬追い短歌十首) (黒い顔のイスラム系のモハメッドの姓の人が出ていた)


原町の雲雀が原へ(野馬追い短歌十首)

(黒い顔のイスラム系のモハメッドの姓の人が出ていた)

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イスラム系の騎馬武者





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ナマズの旗印は面白い




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北郷の旗印
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只野氏の旗印
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雨しとと舗道をぬらし大将の母衣(ほろ)の赤くも進み来たりぬ(鹿島−北郷)


鬼百合の朝日さし映ゆ野馬追いの騎馬武者そろい雲雀が原へ

夏日さし旗ゆらめきて野馬追いの行進続く雲雀が原へ

大声の時にあげにつ野馬追いの一年に一度晴れ姿かな

旗印そろい三つや同族の頼もしきかな行進続く

原町の昔の街道練り歩く騎馬500頭の勢揃いかな

原町の昔の街道松古りぬ騎馬武者の兜誇らしきかな

朝日さし兜光りぬ手綱とり馬も誇らし昔思いぬ

小高郷神社の旗は黄色かな雲雀が原へ入りゆくかな

北郷の旗印一つ我が見つけ雲雀が原へ武勲あれかし

総大将の後につづきぬ奥方の紫の旗ついてゆくかな

野馬追いにモハメッドの姓黒き貌国際化する時の変わりて

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原町の野馬追いの行列を見に行った、すでにはじまっていた、今年の野馬追のニュースはなにか?
モハメッドというイスラム系の黒い顔の人が出ていたのである。
これはめずらしいと思った、確かに前にも外人で出ていた人がいた
今回はイスラム系の人なのである。イスラム系というと東南アジアにも多い
中東ではないだろう、なぜ出ていたのか?
東南アジア系の人が野馬追いに出る家の女性と結婚したのだろうか?。

中村神社の神輿をかついでいるのは東京電力の会社員だった、これも原発事故で被害を与えたのであえてそうしているのか?会社員が担いでいることは聞いたが東京電力だとは思わなかった

野馬追いはやはり旗が何を示しているのか?それをある程度わからないと深く見れないかもしれない、基本的に小高郷と中の郷(原町)と北郷(鹿島)と宇多郷(中村)が一体となり雲雀が原に合流している入ることは知らねばならない
標葉郷(しめは)浪江も参加するが基本的にはこの四つの郷が一体となり原町の旧街道を行進する、その時相馬藩の歴史が再現されて一体化するのである
小高からも出るということは原発事故で避難区域からも出たとなると復興のための野馬追いがつづいているとなる、野馬追いは相馬藩を再現する一体化する祭りだからである。

野馬追いも国際化することはさけられないだろう、外国人は日本の侍に憧れる、それを目の当たりにするから魅力を感じるだろう
侍の国でも日本ではこうして侍の時代をリアルに再現する祭りがないのも不思議である
例えば会津藩などは30万石とか大きいのにそういう祭りが残っていないのも不思議なのである。会津武士道の日新館の車が必ずきている、でも武士道は会津に残っているが相馬藩ではそうした藩校などはなかった
でもなぜ野馬追いがこれだけの規模で残っているのか?。
それが相馬藩の特殊性なのかもしれない、代々殿様が変わらずつづいたのもめずらしい
必ず代替わりを他ではしているからである。殿様が継続して変わらずつづいたことが野馬追いを残したともなる

野馬追いの見方として旗印だが三つそろったりするのは同一の一族であり村も同じだろう北郷(鹿島)では副大将の紫の母衣9ほろ)の武者がいる、これも特徴である
小高の神社の旗は黄色だとか見分けることも必要である
そして総大将の後ろに紫の旗がありこれは奥方の旗なのである。奥方も旗印をもって総大将についていたのである。奥方も城では力をもっていたのである。

原町の雲雀が原に行く道は昔の街道である、その絵も残っている、宿場町だった
木戸があり許可なしでは通れなかった、いい松があったがそれほど古いものではないだろう、ただ通りに松があるだけで違うなと思った
ただ家だけがあると景観としてものたりないものとなるからだ
並木道として松があるのがふさわしいとなる、松がもっともふさわしいのである

いづれにしろ国際化して外国人が大勢来る時代になると英語で説明することが必要になるそれを自分でもグーグルの翻訳で試みてみよう、あの翻訳は本当に優れている
外国人でスマホがあればある程度は基本的なものは通訳できるかもしれない
どうししても単語が出てこないからだ、日本では話す機会もないから最近英語で通じにくくなった、でも絵や写真を通じてだとわかりやすいのである。
それをスマホとかですると通じるとなる、まず言葉だけでは今は通じにくいのである。
言葉だけで説明することはわかりにくいのである
ただそこで問題なのは説明の仕方だとなる、外国人にわかりやすい注意をひくものとしないと通じない、外国人に日本をどう紹介するのかということにもなってくる
ただ説明する時ヨ−ロッパだと城が多いからにているから説明しやすいとなる
東南アジアとかなると説明しにくいのである。 

今回は雲雀が原で旗とりは見なかった、行列で盛り上がるのは雲雀が原に入る時である
だからあそこで写真をとるのがいい、曇っていたりちょっと雨がふったり台風が来て変わりやすい天気だったが晴れあがったから写真をとるにはいい天気になった
やはり野馬追いは暑くて晴れて夏の雲が湧きあがるときあっているのである。
ただ雨の時でも風情はある、雨しととふり大将が行進してくるのも良かった

2018年07月28日

駅でフランス人と話する (野馬追いなども国際化が迫られる)


駅でフランス人と話する

(野馬追いなども国際化が迫られる)

駅にフランス人が来ていた、日本に三週間いるというし二回目だという
小学校の先生だった、何か日本のことを知りたい熱意が感じられた
それは先生だから知的好奇心があったからだとなる
日本語も少ししゃべれていた、英語で話しした、英語といっても自分の英語は会話まではいかない、でもなんとか通じるというだけである

その人はフランス人でも知識階級だと普通英語はしゃべれるのである
何かその人は平泉のことも知っていた、いろいろ日本のことを知りたくて来ていたのである
何かわからなかったが平泉でししている「曲水の宴」のことを言っていた
つまり杯がながれてくるとき短歌を即興で作る、そのことを言っていた
俳句のことを言ったら短歌のことだったが短歌を知らなかったのである。
説明書を出してその絵を見たらわかったのである。
それだけこの人は日本の文化と歴史に興味をもっている
前にも韓国へわたる船でフランス人とあった
その人は退職した人で日本の祭りを見て歩いていたという、それも何か月もである
民宿を泊まり歩いていたというから驚いた
今になるとインバウンドで外国人が増大した、前はフランス人の女の人が原発事故が起きたことで一人で来ていた、フランス人とは結構会っているなとふりかえる

それで思ったことはやがて田舎に外国人が増えてくる、すでに増えている場所がある
辺鄙火て温泉に外国人が集まっているとか放送していた
都会だけではない、日本の田舎に興味を感じる人がでてくる
また祭りでもそうである、つまり観光は国際化してくる、すでに国際化しているのだが
田舎になるとまだ波及していない、ただ野馬追いなどはそうした日本を知りたい人にはいいとなる

説明するのにフランスでは城が多いとか侍はナイト(騎士)だとか言った
ヨ−ロッパには城が多いから日本と共通性があるのだ
ただ東京は城がないからつまらないとなる、自分が外人と話せるようになったのは英語ができるからではない、外国に旅行してから外人慣れしたのである
外人と別に言葉ができなくても多少でもわかりをえるということを経験から知ったからである、言葉の前に相手も人間であるということで外人に慣れる必要があったのだ
今でも外人に田舎の人を嫌がる怖がるのは慣れていないからなのである
それでアルプスの白馬町の民宿の年配の女性が外人でだきあって別れを惜しんでいた
それだけ外人が増えたからである、日本人は貧乏になり来ないとなると外人を相手にするほかない、それが嫌でもそうするほかなくなったのである。
そうなると言葉すら覚えるのである。人間は食べていかねばならないとなると必死になるから言葉以前にそういう態度が身についたとなる

野馬追いにも国際化が必要になる、そのフランス人は漢字がむずかしいと言っていた
確かに漢字は苦手だとなる、中国では日本人は漢字が読めるから有利だった
ただ外国人は漢字が読めないから困る、それで英語の表示が必要だとなる
野馬追いでも国際化が迫られる、英語で説明する、アナウンスも必要になる
まだそれだけ外国人が増えていないがこれからは外国人を集める必要もある
外国人はかえって日本のことに異常に興味を持つ人がいるからだ
つまらない日常のことでも興味をもつのである
かえ、こんなことを面白いのかということで興味をもつ
ただ今は都会中心であり東京−大阪間がメインであり後は田舎にはまだ来ない
でも都会にあきたら日本の田舎にくる、でも田舎では外人慣れしていない
そのことからが言葉の前に問題なのである。

今日は駅で案内することが多かった、普通は今はほとんどない、外人が来たことも案内することになった、ボランティアのガイドだがそれもオリッピックで必要になる
東京とか大阪や京都になったら今や外国人だらけである
それがかかって今度は日本の情緒を壊すとまでなるし日本人が旅行しても宿がとれないとかなる、それも問題である。自分が旅行した時はそういうことがなかったからである
ただ京都では修学旅行生が売るうるさかった、今は外国人がこれだけ多いともうそんなところではなくなった、日本人が日本を旅行しにくくなったのである。
東北辺りはまだそういうことがないがいづれはなるかもしれない、都会はあきて田舎の方に移るかもしれない、そのフランス人は長野にも行っていた
東京に来ても田舎を回って歩いていたともなる、どうしてもまず東京に来てそこから日本全国に行くからである

国際化の時代は大学でもそうだが英語がコミ二ケーションの言葉として重要になってくる銀行でも国際化するから英語でやりとりできないと外国にも仕事が広がるから今の上司は外国が経験ないということで若い人からうとんじられるし重要な仕事がまかせられないとかなりはずされているというのもわかる
庶民レベルでもそれだけ国際化してしまっているからである
田舎にいると仕事でも外国と関係しないとわからないが実際はインタ−ネットとかも普及してグロ−バル化しているし国際化は否応なく迫られる
それがどうのこうのといっても現実なのだからもうどうにもならないともなる

駅前の自動販売機は一番売れている、店もないし駅で休むことが多いからそうなるのである、そのフランス人も飲もうとしたが青森のリンゴジュースをすすめた
フランスとかヨ−ロッパではみんな葡萄でありワインであるが果物はあまり生産できないらしい、リンゴジュースはめずらしかったのかもしれない、自動販売機だって外人にはめずらしいのであり食べ物でもそうである
別に知的文化的なことだけではない、食べ物は一番わかりやすいものだからである
ただ今はいくらでも外国から食べ物は入ってくる、自国でとれなくても外国から入ってくるからヨ−ロッパでも食べ物は豊かなのである。
確かにイギリスなど寒いから果物はとれない、でも外国からいくらでも入ってくるのである。

そのフランス人は宿は仙台にとってあり明日は雲雀が原の旗とりを見にまたくる
やはり宿をとるのは地元ではむずかしいから仙台になった
仙台でも今は外人でホテルがこんでいるかもしれない、その小学校の先生はサマーバーケーションで来ていたのである。
ホテルでもこむと日本人の旅行者は困るのである
日本はただ貧乏になるとカジノとか観光とかをすすめるほかなくなる
おちぶれるとそうなるのである。外国人を相手にするほかなくなる
それで長野県の白馬の民宿のおばさんが外人と抱き合って別れを惜しんでいたのである。それが現代を象徴していたのである、一部では観光地は外人だらけだとなってくる
それで温泉とか人気になり雪のない国から東南アジアでも今は裕福になってくるのである日本人でも外国に一時ブームになったように異常に興味を好奇心をもつことがあるからだだから人間が外国に異常に憧れることがある、それが日本で旅行が解禁されたからそうなったのである。

野馬追いは前は暴力団が参加して活気があった? (伝達式を金沢から見に来る人がいた−鹿島(北郷)での儀式)


野馬追いは前は暴力団が参加して活気があった?

(伝達式を金沢から見に来る人がいた−鹿島(北郷)での儀式)

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これは街内から出ていた只野氏だった
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横手での行進
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これは菊池氏なのか?
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北郷の旗とり(杉の旗は只野氏、あとは御家とあるのは小高の人が
鹿島に移ってきてでているとかある、宇多郷の人も出ている)

 副大将は、他の郷にはなく、
唯一北郷に与えられた役付であることから、
謁見の際の口上や作法のやりとりは、
他の郷には見ることの出来ないものです

駅で地元の人が「伝達式」のことをしきりに言っていた
北郷と宇多郷が大将を迎えて合流する儀式はする
でもそれは12時頃であり11時頃に連絡かかりが伝える儀式がある
それが古いもの古式にのっとりするもので歴史的に伝えられたもので言葉も違っているという、その後に北郷と宇多郷が合流するそれは12時以降である
普通見ているのは合流する場である
その前の方が重要な歴史を伝えるものだという、金沢の人は野馬追いのことを調べて来たとなる、鹿島に来るのは少ない、ただフランス人が二人きていた

その人が言うには野馬追いはもともと暴力団が参加して活気があったという
暴力団だから荒っぽいから喧嘩もするし行列で意気盛んになったという
そんなことがあったのか?
確かに何十年前になるのか野馬追いは熱気があった、地元の人でも食い入るように見ていた時代があった、今はただ行列するだけでおとなしいからつまらないという
そういうこともあった、野馬追いは馬が暴れたりして危険な面があった
それには暴力団がかかわっていたのである
暴力団のとりしまりがきつくなり排除されておとなしくなった

暴力団というとき昔は子供の頃は近くに親分がいたのである。
その親分が死んだとき周りの人は参列者が多いので驚いた
その親分は立派といえば変だが大物の親分だったのである
暴力団は親分子分の関係が厳しいから親分が野馬追いに出て子分が補佐する
だからかえって野馬追いには向いていたのだ

そもそも侍とは武闘から戦争から生まれた人たちだか荒っぽい人たちが多かったのである時代劇で盗賊団が村を支配したりすることがあるがそういうことと似た面もあった
武力で村を支配するのだから似ているのである
だから暴力団がヤクザが支配者だったということもありうる
ただそれが後に洗練されて侍となり支配するものとなった

野馬追いは活気がなくなったというときそれはずっと前から言われてきたことである
野馬追いは歴史の保存だから勝手に出れない、野馬追いに出れるのは由緒ある侍の出でないと出れない、その家には旗とか甲冑が伝えられていて認可されているのである。
スコットランドのタートン模様ともにている、勝手に旗を作って出れないのである。
でもそうした歴史と伝統の保存を残して工夫はできる、その後ろに自由参加で踊りでもなんでもさせてやる、それがないので地元の人すらつまらないとなるし盛り上がらないのであるそのことはもう何度もみんな言っていることだが変わらないのである。
何かそうしたことをしたいとしても上の人が許さないとして変わらないと言っている

ともかく野馬追いに来る人は写真を撮る人が多い、地元の人でも自分でも写真がうまくとれない、それは野馬追い行列でも過ぎるのが意外と早いからである
毎年見ていても過ぎるのが早いからうまくとれないのである
動いているものでありそれが早く過ぎるからうまくとれないのである
野馬追いはどうしても絵になるからいい写真をとりたいのだがうまくいかないのである




posted by 天華 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

蝉の声(小高まで行く-前より人は結構帰っている)


蝉の声(小高まで行く-前より人は結構帰っている)



小高へ
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鳩原へ

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煙が立っている
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日新館は必ず野馬追いに来る

フォルダのスライドショーで見ると大きく見えます


浜街道木立の繁く蝉の声

鬼百合や小高よりも野馬追に

この道や車もまれに芙蓉かな

峠越えかなたに望む夏の山   

夏草や罵頭観世音に羽倉へと

ひまわりや畑広々と耕やしぬ


大岩の据えて家あり人住まぬ帰るを待ちてここを動かず
                                                  
街中に根づきて古りぬ樹のありぬ帰りて住める人も少なし

街中に五輪塔古り守る寺蝉鳴く声の真昼ひびきぬ

帰り来ぬわずかの家に蝉の声真昼ひびきぬ小高の街かな

人住むもわずかや小高の街通り真昼静かに蝉の声ひびく

煙たち住む人あれや夏草に田畑のうもれ久しくなりぬ

この家に人帰らざり夏草の高く伸びにつ久しくなりぬ

羽倉へと碑に記されて分かれ道夏の日遠くめぐりゆくかな
          

涼しいから小高まで行ってきた、小高では確かに住む人が増えた
街中でも医者でも二軒開業するとか店もいくつか開いている
でもそれで商売になるのかとなる
通りに高齢の女性がいたのでたずねると私は鹿島に住んでいるんですがここに立っていても知っている人と会わないですよ、郵便局に来るのはここに住んでいる人ではないです
郵便局に用事があり外から来ているんですよと言っていた
車の往来も前よりは増えているけど外部から入ってきている、ここに住んでいる人たちではない、それでも三年ぶりくらいに来たから増えていると実感した

それでも何かこういう街は不思議である、人がいないから一段と淋しく感じる
ただ蝉の声がしんとした街にひびいていたのである
街中だと騒々しいところがあるからそんなに蝉の声がひびかない
でも蝉の声がひびいている、前もそうだったがこういう世界は江戸時代なのである
江戸時代を知りたかったら車がないとそういうことだけで江戸時代はこんなふうだったのだと実感する、だから車の影響がいかに多いかわかるのである

浄園寺の中に古い五輪塔がある、これはいつの時代のものなのか?
あの墓を守っているのか?あそこは寺という感じがない
普通の家の庭にただ墓があるだけに見えた
それから古い樹があり街中にも古いものがあり今やそれを帰った人たちが守るのかとなる
鳩原の方に行ったら牧場があり煙が立っていた、人が住んでいるのだとほっとした
前は草ぼうぼうだが蝶々が十羽くらい盛んに舞っていた、その前の家は草にうもれて帰らない、もうあの家には住まないとみた
でも広い庭の農家でも帰っている人がいる
だから前とは違って人の営みがあるのだと見た、ただ道路にしても車はたまに通るだけである、車が通らないということは江戸時代に帰ることなのである
芙蓉がそこに咲いていて花が映えるのである
ただ放射性廃棄物になっているところが広いからあれをかたづけないと元にもどらない
この辺でもまだそういう場所がある

それから碑があり羽倉へとか記してあった、そこから原町の方へ馬事公苑の方へ行くと
広々とした畑をトラクターで耕す人がいた、その相違も大きいと思った 

とにかく今日はかなり走ったけど涼しいから疲れなかった
こんなに疲れないのも不思議である、筋肉も疲れていない、これなら結構長距離行けるなとも思った、このロードではないきで疲れないのかもしれなしい、ロードは早くても疲れる、前かがみになるから疲れる、やはり年になれば楽な自転車がいいと思った

2018年07月27日

野馬追いの旗は分類できない (どこの家から村から出るのかわからないから)


野馬追いの旗は分類できない

(どこの家から村から出るのかわからないから)


鹿島(北郷の旗)
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鹿島村


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屋形村


原町(中の郷の旗)

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小高郷の旗

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鳩原村

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鬼百合や小高よりも野馬追いに
                                                        
いきりたつ馬4頭や日の強くさして肌光り野馬追い迫る

いづこより野馬追いの旗ひるがえる雲雀が原に会しけるかな

今日は涼しいので小高まで行った,どこの家に旗がたつのか見たいと思ったができなかった、なぜなら野馬追いは500騎出るとしても相馬藩内で人口でも所帯数でも多い
500騎は500所帯なのである。
1000所帯の1パ―セントが10所帯である、一万の一パ―セントが百所帯である
すると5万所帯で500所帯となる時、一パ―セントなのである。
だからそれだけた野馬追いに出る家は少ないのである
何か野馬追いに出る家が多いように見えるが実際は野馬追に出る家を探すこと自体むずかしいとなる

そして野馬追いの旗は種類が多いし数が多いし分類できない
家に立つ旗でも他の村の旗が混じっている、だからわかりにくい、何本か立っていてせ他の村の旗の場合もある、原町では「八」の旗は大内村にもあったからどこの村なのかわからなくなる、津波や原発事故で家自体が移動していてまたわかりにくくなった
小高の人の旗が鹿島に家を建ててそこに旗が立っていたからである

いづれにしろ野馬追いは行列の前に家に旗がたったときからはじまっている
でもその家を見て歩くことはできない、広いしできない、みんな旗を立てているわげでもないからだ
とにかく野馬追いの旗はどこの家から村から出るのかわかりにくい、神旗争奪戦が終わって帰り馬を追って行けばわかる、でもみんなそれぞれ違った方向に行くのだからわからなくなる

鹿島では街中に三軒くらい立った、わかりやすいのは只野氏は霊山から南北朝の争いで逃れた武士の末裔である、只野氏は郡山の多田野村が由来であり杉の紋が旗印である
あとは菊の紋は天皇に由来するから南北朝時代のものである
それはわかりやすいのである。後は本当にわかりにくいのである。

小高の鳩原村には牧場があり馬が四頭いた、白い馬もいた、神馬なのかもしれない。
鳩原村には何軒かで人が住んでいた、前よりは人が住んでいる、もう三年くらい行っていなかった、今日は涼しいので行くことができた

野馬追いは旗祭りなのだけどその旗の由来がわからない、どこの家から出てくるのか?
どこの村から出てくるのがわからない、広いしわからない、それも一年に一回だからほんの一部しかわからない、それが問題なのである。
posted by 天華 at 19:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

頼む人によって損したり得したりする (頼んだ大工は修理しても直っていなかった)

頼む人によって損したり得したりする

(頼んだ大工は修理しても直っていなかった)

雨漏りして大工に頼んだ、その大工を紹介した女性がいた
結果はどうなったか?
あとから何度も金をとられた、請求された
ちょっとした仕事でも金がかかった
高い所だから危険だからと金を請求した
そんなふうに後から後から金を請求されるのも困る
普通は見積もりを出して引き受けるのが普通である
ただ今回はそうしたまとまった仕事ではない、一部を直すものである
それで頼む人がいなくて頼んだ
結果はこの前雨になり同じようにだらだら雨もりして水浸しになった
何にも直っていなかったのである

するとそれで金を払ったのが損だったとなる
その大工は直すことができなかったのである
また交渉もできない、ただ金をとるだけだったともなる
そうなったら半分くらいこちらでもらいたいともなる
実際に直っていないのだから仕事はできていないからである

そして頼んだ女性にも問題があった、そういう人を頼んだからである
頼む人でも中継ぎになると連帯保証にもなる、その中継ぎになって頼んだ人にも責任がある、なぜそんな人を紹介したのだともなるからだ
大工にも相当に腕の差があるのかもしれない
とにかく人に仕事を頼むときその頼む人によって損したり得したりする

事業は人なり」と言われるが、これは全くその通りである。どんな経営でも適切な人を得てはじめて発展していくものである。いかに立派な歴史、伝統を持つ企業でも、その伝統を正しく受けついでいく人を得なければ、だんだんに衰微していってしまう。経営の組織とか手法とかももちろん大切であるが、それを生かすのはやはり人である。

いくら会社でも人が仕事するのだから人による、AIとか機械はあくまでも人間の補助にしかならないだろう、それを利用するのも活かすのも人だからである。

庭作りした小高の大工さんは一人親方もできるから優秀だった、まず話がうまいし交渉もできる
大工の腕もいい、そういう人はめずらしい、職人気質でとりつきにくい人もいるからだ
ただ小高と鹿島がうまくいかなくなりつきあわなくなった
近くの一軒だけの自転車屋の人も交渉がうまい、そして他で買ったものでも差別なく修理してくれる
原町の自転車屋はとそういうことが全くなくな断った
これも人である、だから人によって医者でもそうだが何でも損したり得したりする
ただ田舎だと選ぶことができないのである。
都会だとすでに原町辺りだと何でも選べるからいいのである。
選べないということはその人がどうのこうのとか文句も言えなくなるのである。

銀行でも自分は投資のことがわからないから銀行員に頼んだ、まかせた
そんなに時間をさけないからである。
つまり投資のプロだと思い頼んだのである。
ところが銀行や銀行員は投資は素人並みだったのである
何もわからないにしろ投資なら株なら安い時に売り高い時に売ればいいとなる
それから基本は分散投資していればいいのである。
それを株が上がっていたのに投資信託に回したのは手数料がとれるということで回した
それで損した、それは銀行では今稼ぐことに苦労しているから投資信託を売りつける
投資信託は銀行にとってはいいものなのである。絶対に損することがなく手数料がとれるからである
これも銀行という組織であれ個人であれ頼んだのが失敗だった
銀行員はノルマが課せられているからとにかく銀行にとってもうかるものをすすめるからである

人間は何か頼むときその人にも組織にもよる、それで損したり得したりする
ただ人でも銀行でも選定がむずかしい、信用して雇った人も泥棒だったとかなる
家に入る人は本当に危険である、それも結局頼んだ人が悪いからである。
不用心に頼んだからである。
おそらく会社運営でもまずそうして社長一人ではできない、社長を支える信頼できる人材を集めなければならない、頼まねばならないのだ
その頼む人が悪いとうまくいかずに倒産したりする

自分の場合なんでも頼んだ人が悪いからあらゆることで損したのである。
病気で介護の時もそうである、そこに来たのは悪い人ばかりだったから損して苦しんだのである。
だから頼む人がどう選ぶか会社でもどう選ぶかが大事である
ただ田舎では銀行でも数少ないし選びようがないのだ
東京辺りだと大手の銀行とか証券会社があり頼める、聞くこともできるだろう
それがないから選びようがないからそうなる
医者でも町でも三軒くらいしかない、ただ原町には眼科医でも三軒くらいある
だから原町だと医者を選べるのである。それび評判のいいところは繁盛している
でも糖尿病で白内障の手術した人は仙台の医者にかかった
糖尿病で手術できるのは仙台にしかないというからだ
難しい病気になるとここではお手上げになる、それが田舎の一番の問題なのである。

posted by 天華 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年07月26日

山の抽象画(abstract mountains)


山の抽象画(abstract mountains)

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mysterious flower
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High speed rotating gear

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雲の峯とは雷雲のことである、俳句の夏の季語である
この写真の雲がそうである、雲が湧きあがり高くなってゆく
その勢いが夏らしいとなる
私は俳句を作り短歌を作っている、それは日本の伝統的文学である

日本の気候は変化が激しい、今年は異常に暑く二三日後には台風が来る
何か日本の気候はここ十年変化が激しい、津波もこの辺を襲ったり天変地異が起きている私は原発事故が起きた30キロ地点に住んでいる

Cloud peak like a mountain is a summer season word of haiku which is thunder cloud
Clouds in this photo are so, clouds spring up and it gets higher
That momentum seems to be summer
I am creating a haiku and creating a tanka, it is a traditional Japanese literature

Japan's climate is changing rapidly, this year it is abnormally hot and a typhoon will come in a couple of days
Something's climate in Japan has been changing drastically for the last ten years, the tsunami striking this neighborhood and a natural disaster happening

I live in the 30 kilometer area where nuclear accident happened

2018年07月25日

冬の知床、斜里岳の短歌十首 (北海道は冬を知って本当にわかる−万葉の時代に帰る場所でもある)


冬の知床、斜里岳の短歌十首

(北海道は冬を知って本当にわかる−万葉の時代に帰る場所でもある)


知床の雪にそ脚を踏み入れて蝦夷鹿の鳴く声ひびきけり

知床に蝦夷鹿鳴きてその奥に消えしも足跡雪に残れり

知床に雪深く積もり誰か入る月影さして獣の足跡

流氷の知床によりそそりたつ巌やここは日本の果てかも

夕日さし雪おおいにけり斜里岳の今も穢れず神し思ほゆ

斜里岳の雪の衣をまといつつ聖なるものや国の果てかも

斜里岳に至純の心純白の雪のおおいて汚点(しみ)もなきかも

流氷のよりし斜里の町その宿にクマゲラの木を叩く音かな

あかつきや白鳥の鳴く声ひびき凍りし沼に北の果てかも    

オホーツクに流氷閉ざし厳しきやかなたロシアの凍えけるかも


北海道は十回くらい行った、それも一か月とか長いのである。
それだけ旅行していたのは恵まれたからである。
家を留守にしても家族がいて安心だった、今確かに旅に行けるけど家を留守にするので行けないということがある、これもやはり自分のカルマだった
あんたはそれだけ旅したのだからもういいだろうということになる

なぜこれほど北海道に魅かれたのだろう、それは北海道は本州とは違う、自然の状態がそのまま残っている、原生環境が残っているためだったろう
苫小牧に降りるとそこから何か空気まで違っているのである
最初は電車の旅だったがものたりなくなり自転車の旅になった
最初は自転車で旅できると思っていなかったのである。
そう考えたのが失敗だった、人間は何かできることでも自分はできないなと思う
自転車旅行は40代からはじめたができたし海外旅行は50代からはじめたけどできた
ただ海外旅行では悔いが残った、早くからしていればもっとできたしヒマラヤなどにも何回か行けた、自然を見る点では失敗した

また海外留学でもできないことはなかった、それは30代でもすればよかった
ただその時海外旅行は高くついていたので無理だと思っていた
海外旅行は40歳の頃からしやすくなっていたのである。
つくづく人間はやれることをやらないと後で後悔する
特に若い時はそうである、経験を積むことが大事だからである
ただそういうことをすることに恵まれている人は少ない
親でも金持ちだとそういうことができる
留学するとなると相当な金持ちしかあの時はできないと思った
でもしている人はいたのである
ただ旅ばかりに明け暮れて終わった自分は普通の人生ではなかった
今でもそうしている人がいるがそれで後で後悔する
何か人生にとってたりないものが生まれて苦労する
旅だけが人生というのではもう普通の勤め人にはなれない、社会からはずれたアウトサイダーになるからである

これもその時代によるのである、今なら留学するのが普通になっているからだ
この時代の差が大きいのである。まだまだ団塊の世代で留学した人は特別恵まれた人だったからである、北海道に開拓に入ったいわき市の猪狩満直なども詩人だったが力尽きて病気になり若くして死んだからである
それも過酷な時代故だったのである。時代でどうにもならないことがあるのだ
それから比べると自分は時代的にも親でもずっと恵まれていたのである。
なぜ北海道に魅了されるのか?それは本州にはない原生環境があるからだとなる

アイヌが住んでいてそこを常にカムイなるものとして神居として意識していたことでもわかる、その感覚は日本の古代からあったが現代ではあまりにもその環境が失われてしまった、富士山は神なる山だがその前景がもうまるで違っている
大都会であり家が密集しているし富士山が映えないのである。
知床とか斜里岳とかあるところは何もないから自然がそのまま原初のままに映えている
だからそこに神々しいものを感じた、その現実に見たものが心に残っていたのである
北海道は冬を知ってこそその真実を知る,それはほかでも四季があり四季を知ってその土地のことがわかるのである 

秋の雑歌(ざふか)

崗本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製歌(おほみうた)一首

夕されば小倉(をぐら)の山に鳴く鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寝(いね)にけらしも

大和(やまと)へに君が立つ日の近づけば野に立つ鹿(しか)も響(とよ)みてそ鳴く

これは鹿と人間と自然が一体となった歌である
岡本宮がある天皇が住んでいる場所の近くでも広い深い自然が背後に広がっていたのである。
いつも裏山で聞こえる鹿の声が今日は鳴かないというときいつも鹿の声を聴いているからである、すると聞こえないということで自然の奥深さを感じて一体化しているのである
鹿というのは大きな自然の中に生きている、鳴かないことで深い自然の沈黙を感じたのである。
現代ではもうこういう感覚はありえない、都会の騒音とビルの谷間に生きていたら聞こえるのは車の騒音だけでありごちゃごちゃした都会のネオンとか雑踏とかむんむんとした人の熱気しかないのである

まず万葉集時代なら日本全国でも数百万しか住んでいないのである。
ということは自然に覆われていた世界なのである。岡本宮とあったとしてもそこには一軒の宮が建っていただけだとなる
これは妻を呼ぶ声にたとえられるがただそれだけではなく深い自然の中に鳴く鹿がいつも鳴いているのに鳴いていないということでかえって自然の奥深さとか沈黙を表現したのである、この歌は秋の歌だから余計深みを自然の寂寥も感じるのである
人を送る時鹿が鳴いているというのもいかに自然と人間が鹿と人間が一体化していたかわかる
鹿も人間となり見送っていたのである

この時代はまず自然と人間は一体でありだからこそ万葉集ができた
それを深く理解できないのはもう現代ではそういう環境がありえないからである
まず現代では宗教でもなんでも都会から生まれてくる、自然から生まれないのである
だからすべてが政治であり経済であり科学であり工業であり商売しかないのである
宗教が神道でもそういうものではない、現生の自然の中から生まれたのである
そこで万葉集が神道の起源になる、「真直」なるまなおなるものとして自然を見て接した心がある、それが北海道ではなお感じるから北海道は日本にとって最後の神秘的な領域として貴重なのである、そこはまだ本州のように開発されていないからである

ともかく蝦夷鹿がいるということで普通に見れるということで貴重である
知床でも冬に見たのはその鳴き声でも聞いたのは貴重だった
雪に埋もれた知床に踏み入ったのは貴重な経験であり今になると思い出すのである。
斜里岳は荘厳であり神なるものを感じたのである、それは冬に一層そう見えたのである。これはその時その場でしか感じえないものである。
それが心に残っていたということである。オホーツクとか知床は日本の果てだから特別な地域だともなる、そこからロシアに通じている
アムール川に通じている、そこでアムール川を見たのも貴重だった
だがそこでは大変な失敗をしていた、ロシアは一人旅はしにくい場である

今は暑い盛りだけどこれで涼しくなるということもあるのか?冬の北海道は魅力的である
ただ相当に寒い、その時は比較的暖かいから助かったのである。自分は体が弱いから暑さ寒さに弱いから助かったのである

posted by 天華 at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)

2018年07月24日

異常な暑さは地球温暖化なのか? (武田邦彦氏の意見も納得する)


異常な暑さは地球温暖化なのか?

(武田邦彦氏の意見も納得する)

この辺は35度とかになっていない,6、7年前になったような気がする
毎年はつづいていないのである。
ただ子供の時からこんな暑さを経験していない
40代の人も経験していないという,ここ十年が異常なのである
でも毎年ではないのである。
テレビではヒートアイランドで二度地球温暖化で一度上がっているという
日本はアスハルトの道路がしきつめられている、ここでも暑かったとき
アスハルトの舗装道路から家の中に熱気が入ってきた
アスハルトの熱気が影響している、都会だとそれが倍加される

ただ福島県の浜通りはもともと海からの風が吹いてくるから涼しいのである
福島市から来た人が駅にきて風が涼しいという、駅には海からの風が吹いてくる
でも暑い時はそれでも駅も暑かった
やはり舗装道路が相当に影響している、ヒートアイランド現象が田舎でも舗装道路にはある、ただ福島市は盆地であり蒸し風呂のようになるのは前からである

今夜の深層ニュースでは地球温暖化のことを言っていた、その対策が必要なことを言っていた、でも武田邦彦氏は地球温暖化はないという
世界の都市でもすべてが暑い訳ではないからだ
自分は科学が苦手だし科学的には何も言えない
ただなぜこの地球温暖化で疑問をもったのかというとマスコミでも一方的である
みんな地球温暖化を言う、民報でも言うしNHKは指導的立場で言っているからまず地球温暖化に反対する人は呼ばないのである。
するとみんな地球温暖化のせいだと科学も知らない人は思ってしまうのである。
それを作り出しているのは政府とマスコミと御用学者だともなってしまう

それは原発と同じ仕組みなのである、「安全神話」を作られたのは政府と御用学者とマスコミだったからである。
それに異論を唱える人は異端者になったのである。
原発を東京に作るべきだという主張は今になると正論だった
その時原発に反対する者はテレビにもマスコミにも出れない、本は出していたがそれは片隅に追いやられて異端の本として置かれていた
そしてそれがSFの世界のように架空のものとして見られていたのである

日本人はまず議論を嫌う、デベートなどもしないし苦手である
同調圧力が強い、しきりに武田氏もみんなが同調することをマスコミも放送する
みんなが地球温暖化を言えばそれに同調する
そしてそれが世論ともなりそれに疑問をもったり反対できないようにする
それは原発と同じでありそれが大事故につながっていたのである。

日本ではみんなで赤信号わたれば怖くないのである。
でも民主主義は少数派でも反対意見でもともかく議論してその意見を聞くという過程をへることが民主主義のルールなのである。
でもそれは守られない、みんな同じことで言いそれが世論となりそれに逆らうことはできなくなる
だから地球温暖化ではありませんよということを言わせないことが問題なのである

私は科学的なことはわからない、だから地球温暖化もあるかもしれない、でもその反対意見も必ずありそれも聞くべきなのが民主主義だとなる
それがマスコミでは全くないということが問題なのである。
それは「安全神話」を作り上げた時と同じでありそれが変わっていない

一人の科学者が地球温暖化はないというときそれにも耳を傾けるべきなのである。
私は科学のことはわからないにしても科学でも必ず見方が違うことがある
それは科学でも一つの答えにならないからそうなる
地球のことを科学者がすべて知っているわけではないからそうなる
すべては解明されていないからそうなるのである。

日本人は反対意見を聞かない、同調するものだけが集まりそれで世論を形成する
正反合とかでアウフヘーベンするとかの論理がない
正があるとしても反がある、この反が否定される、そして表には出てこない
この世のことは科学的なことでも正があり反がある
それを止揚するのが弁証論だとなる、それは民主主義の基本としてもある

だから科学者でも双方の意見を見解を言わせて視聴者に判断させる
その材料を提供するのでありマスコミがまず地球温暖化ありでそれに同調するものだけを呼ぶのは不公平であり民主主義のルールに反するのである。
ただ自分でもそうだがマスコミに反論する人はインタ−ネットにいくらでもいる
ただ目立たないだけでありインタ−ネットでは言論の自由がありマスコミも批判の対象になるのである。
マスコミが主導することが正しいということはない、あくまでもその材料を提供するにとどまるべきなのである。
マスコミも今や絶えず批判の的になる時代でありもはや世論を作る時代は終わったのである。

おそらくあと数十年後とか百年後かもしれないが日本列島が44度とかになるとかはあくまでも予想なのである。その根拠もないのである。
むしろ寒くなるということもあるしこの暑さがつづく保証もないしまたこの暑さは地球温暖化のためという科学的根拠も解明されていないのである。
つまり科学的に証明できないことなのである。
だから科学的に解明されもので不安をあおることはするべきではない
そういう点で武田氏の論点とか警鐘はマスコミを鵜呑みにしないということで役に立つ
それはやはり科学者だということが科学者の良心がありまた文系の知識もあるからそういうことができるとなる
現代ではまず科学的知識がない者は論議もできないようなものとなっているからだ
だから私はただ科学的なことではなく、民主主義は正反合の弁証法的なものとして機能する、それがないとただ一方的になり判断を誤り原発事故の「安全神話」がまた形成されて大事故になったり誤った認識でそれが社会に大きな影響を及ぼすから危険なのである。

posted by 天華 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

高齢化社会で目が悪い人が増える (老眼鏡や補聴器は高齢化で確実に売れる商品)


高齢化社会で目が悪い人が増える

(老眼鏡や補聴器は高齢化で確実に売れる商品)


家に来る人は目が悪い、まだ70前でもそである、前に知った人は緑内障だった
今度来た生協の人も60以上であり注文することで聞いたが目が悪く教えることがすぐにできなかった、明るい所でないと見えないと言った
80の人は白内障の手術をする
生協の人は相馬市から来ていて営業に来た人も老人だった
ここでも老人社会になったということがわかる
60代で目が悪い人が多いとなと思った

自分は近視で眼鏡をかけているけど毎日パソコンしているけど目が悪くなっていないのは不思議である、パソコンは目に相当に悪いからである
スマホなども字が小さいから目に相当悪い、若い人でも悪い、何かスマホは視野狭窄になるような気がする、パソコンは画面が広いから字見るのでも違っている

今日注文したのはサングラスで透明のものである、それが2000円で頼まれたのである女性用と男性用を頼まれたのである。
畑で仕事するから日ざしを受けるから必要なのである
今年は暑いからこうした暑さ対策のものが売れるだろう
自分は6リットル入るタンクをアマゾンで注文した,冷凍機能もあるらしい
氷をいれておくとか麦茶を作るにはいいらしい
何しろ水道の水は使えないのでペットボトルを使うからめんどうになる

この辺は35度とかにはなっていないからなんとかしのげる
暑いとか寒いとかこれは住む場所に影響する
浜通りは暑からず寒からずでいいのである。気候だけは推奨できる場所である
一山越えたら福島市になると蒸し風呂である、そんな所に住みたくないのである
体力的に弱い人は気候を選ぶことが大事である
老人になって移住するにも夏の暑さとか冬の寒さを考慮しない失敗するだろう

このように高齢化社会は目が悪くなる人が増える、するとそこで消費が生まれる
眼科医とかが繁盛するようになる
眼鏡類でも老眼関係が売れるとかなる
まず老人は消費力がなくなる、自分も登山しようかとかザックを買ったが行けないので損した、自転車で遠くに行くために電動自転車の長距離用を買いたいと思ったが体力的にも家の関係でも留守にできないとかで行けない
つまり今までしていたことができなくなる
そしてつくづく今のはやりのものでも買うことがむずかしいなと思った
それが何なのかわからなくなり使いこなせないのである
パソコンしていてもスマホはまた別で使いこなせない
それで老人は不利になるのである
今回の西日本の洪水でも死んだ人は7割以上は60歳以上とかだった
津波で死んだ人たちも老人が多かった、何か機敏に老人は反応できないからである

視力が弱まることで周囲の状況が見えづらくなり、適切な判断ができなくなることです。また、反射神経も衰えるので、素早い反応ができずに慌てたことが原因で、ブレーキとアクセルを踏み間違うというケースも増えてしまうのです

高齢化社会で売れるものは何なのか?
老眼の眼鏡とかは売れる、,確実に目が悪くなる人が増えるからである
前にも5万で家族に買ったがそれは使いないで終わった
それは耳が悪くなるからと補聴器を買ったがこれもうまく合わないのである
これは高いから気をつけるべきである、高いのでも10万とかするものでも合わないものが多いからである
ただこういうものは高齢化で需要がありどうしても金がかかるとしても買わざるを得ないから売れるのである   

生協は冷凍のオカズだから何かオカズを用意できないときレンジでちんだから便利であるまずオカズを用意するのがめんどうなのである
ただたいがいスーパーに売られているものでだぶる、値段も安くない
でも冷凍食品は料理するのに簡単だからそこに利便性がある
電気も生協で売るようになった、いろいろな電源を利用するから安くなるという
ただ一年で2000円安いだけでは変えるのもめんどうだとなる
その後のサービスも心配であるが修理とかはみんな東北電力でするというからどうなっているのかわからない、生協は配達にくるからそれも相馬市の人だから何か頼めるということがあるかもしれない、やはり家に来る人は意外と一人暮らしでは頼もしく感じる
そこが家に来る人が銀行でも回って歩くと違ったものになり信頼したりする
でもそれを銀行では利用して投資信託をうりつけたのである。
だから必ずしも家に直接来る人が信頼はできない
ただ生協などは注文したものを配達するだけでありいつでもやめることができる

銀行なども信頼関係が大事である、でも投資信託などを売りつけるということで信頼できなくなった、そうなると直接来てもこの人は信用できないとか銀行でも信頼できなくなるのである。
もしかしたら生協は配達する者営業する者も老人だから老人関係に特化するものを売れば売れるかもしれないとなる、老人にサービスするものが売れる時代だともなる
老人が貧乏だとしても需要があるから売れるとなる
どうししても必要なものは買うことがあるからだ

2018年07月23日

世の中表と裏がある (カジノも容認されるし組織団体の悪徳がまかりとおる)

世の中表と裏がある

(カジノも容認されるし組織団体の悪徳がまかりとおる)

カルト教団というとき創価とかなれば信者5百万いるんだから社会で信用されているというより怖いともなる、宗教を看板にしているのだから信心深いいい人がいるのかと見る
他でもエホバの信者だといい人の集まりだとかいう
それは宗教を看板にしているからそうなる
でもそこに集まっている人たちがどういう人なのか?
そしてその目的は何なのだろうとなる
創価の場合は利権団体であり議員とかになるために入るというか利用する人たちもいる
だからカジノとかに賛成なのは議員とか上の人たちに金が回るからなのかもしれない、

なぜ宗教団体なのにカジノに賛成したのか?
実際は会員でも反対している人たちが多いのにそうなったのか?
公明党の国土交通大臣が許可したというのも不可解だとなる
そこには利権がからんでそうなったのだろうとも見る
原発でもそういうことがあったからだ
博打というとき別に昔から寺で博打が開かれていた
そこで寺銭として寺が受け取っていたというのも信じられないとなる
寺とはそうしてまで金を得る場だったのかとなる

一応表の顔は宗教なのだが裏の顔は利権を権力を追求する団体であることが多い
そもそも組織とか団体はそれだけですでに権力を追求しているのである。
日蓮とか予言者がいたとしてもそういう人はもともと一人だからである
そんなに組織集団で威嚇するようなものではなかったからである。
組織化集団化したときすでにそこは権力を志向する団体になっている
だから政治化するのである、創価の場合はあからさまにしている
政教一致の団体だから政教分離に違反しているが放置されているのは自民党が利用するにのにいいからである

こうしてこの世の中わからないのはそうした偽善的組織団体が堂々と社会を支配するまでになることである。
それは宗教団体だけではない、あらゆる組織団体がそうして権力をもち権力をふるい搾取する団体ともなる、ただ会社でも組織団体でもその悪は明確に見えないのである。
だから闇になっているだけなのである。裏の顔は隠されている
農協でも肥料でも農薬でも農家に高く売りつけるのである
でも農協も権力をもっているから農家は従わざるを得ないのである。

銀行でも硬い真面目な人たちが働く場所だと思っていた、証券会社とは違うものとして見ていた、それも変わってしまった
収益が得られないことで自分たちが確実にもうける手数料がとれる投資信託をうりつけるしかし投資信託のことなど地銀では知らない、素人なのである。
ただはやりのものをすすめるだけである、あとは手数料をとればいいとしかない
そして銀行は前はサラ金と消費者金融ともかかわっていた、金を出していたのである。
だから表の顔は真面目な硬いものとして見ていても裏ではそういうことをしていた

銀行はあこがきな金貸し、農協は過酷な小作を搾取する地主、宗教団体は宗教を商売にする悪徳僧,国がギャンブルの胴元....とかなる、ただ表の顔は善人であり善人面しているのである
だからなぜそういうことがこの世にまかりとおっているのか?
そんな社会で世の中でいいのかと疑問になる
みんな真面目に働いているのが社会ではないか?
ただ別にそうして真面目に働いている人はいる、いろんな現場で働いている
その人たちは別にそうした悪はないのである、真面目な人たちなのである
ただ組織化団体化したときそれらが権力をもち悪として作用する

なぜそうなるのか?それは組織化集団化すると権力化するからである
すると社会に対して自分たちの利益でも利権でも要求しやすくなるからである。
それは国でもそうである、国は最大の権力をもっている
するとカジノでも実はアメリカの実業家が日本人から金をまきあげるためにトランプ大統領に働きかけて法案を通したとなる
アメリカや中国という国が最大の権力なのだからそれに逆らうことはできない
すると悪はその国にあるともなる、ただその国を動かしているのが大金持ちでありアメリカ人が全部日本にカジノを作りたい訳ではないのである

この辺でわからないのはなぜ次から次と大東建託のアパ‐トが建つのか?
20ケ所くらい建っているのである
原発事故で避難した人たちが入るからだとみていたがそれにしても数は多い、まだ建て続けているのである、その数に驚くのである

大東建託は儲かりすぎて利益ありすぎて お金を使わなければいけないのです。 2012年度の決算の話ですよ。
儲かりすぎると節税対策としてお金を全部使わなければいけません。これが大変なんです。決算という締めでただのそれだけのためにです。
大東建託は、将来に向けての計画性は全くありません

こんな事情があるのか会社のために人が入らなくても建て続けているとなるのか?
その営業にノルマがあり増やしている、銀行でも投資信託のノルマがあり売りつける
何かそうした会社にとがめることもない、金融庁では銀行に投資信託でも説明責任をもてとか通達はしたが実際は何もしない
そんなのは買う方の自己責任だとなる、知らないものが買うから悪いのだとなるだけである、でも銀行は真面目な人がする仕事だと思っていたから頼むことになった
まず素人は投資のことは知識が膨大でわからない、そしてそんなに時間をさけないからプロに頼んでいるのである。でもそうなると相手は何も知らないとカモにされるだけだったとなる

この世は利益と利権で動いている、権利とはrightだけで正しさでは動いていないのである。その結果何が起きてくるのか?
原発事故とかとりかえしのつかないものとなって大被害になり故郷にも住めなくなる
カジノでもそこには確かに経済的効果があったとしても韓国でも他でもその市は荒廃してしまう、でもそうなってからでは遅い、もうそこは回復不可能になる
原発事故でもそうなったように放射能汚染で回復不可能となったからである
だから安易に利益と利権ばかり追求してゆくと取り返しのつかないことになる
ただ飯館村でも馬券売り場とか鹿島でも競輪のサテライトがある
反対したものもいたが結局作られたのである。
それで原発避難民が入り浸りになっていたのである。

ただ国レベルでカジノを招請して作るとなると国自体が博打場になるのか?
日本はそれだけ経済でも停滞しておちぶれてそうなったのかとなる
日本には日本の良さがあったがそれも失われる
貧しくても心清らかに生きている人たちが江戸代にはいたがそれも失われた
ただ利益と利権と金をもとめるガツガツした人たちしかいなくなった
すでに日本自体が荒廃している、だからそうしたものも容易に入りこんでくる
それが支配者層の利益となり利権となり下層の人たちはギャンブル依存症になり金をまきあげられるともなる
何か会社でも権力をもつとこうして金をまきあげるものとなる
官僚は税金で金をまきあげるし自分も金を巻き上げられるだけだったとなる
ただ自分の場合は家族が公務員でありそれで得したから巻き上げられたのか、カルマだったのかともなる

事業仕分けで枝野さんの「公営ギャンブルの天下り利権はつぶす」という頼もしいお言葉を聞いたと思ったら、週刊文春で若林亜紀さんが「小沢が理事長になってる競走馬育成協会もちゃんとつぶせよ」とつっこまれ...

利権を得ているものは利権をつぶすとしてもつぶせないからこの腐敗の根は深いのである

カジノ利権を警察が狙う、天下り先激減で

警察も利権の場となりやすい、一番の実質的権力をもっているのが警察であり検察官僚だからである。
パチンコ屋が天下りする場だったからである。

おそらく貧しくも清く正しく生きようとしている、カルト宗教団体に入ってもそうであるオウムに入った理系の優秀な青年は純粋だったというときもそうである
別に農協であれ銀行であれそういう場に入り悪をなして働くとは考えていないのである
でも上からの命令で強いられるのである
ただではそうした組織団体がすべの悪の根源なのか?
そうともいえない、この辺で個々人を見たらまずあくことなく欲望が限りなく求めていたのである、借金してい家を建てる、高級の車をもつ、様々な欲望を求めるから原発でも何でも金になるらならいいしかないのである。
だからカジノでも金になればいいとしかそこでみんなも考えないのである。
下々になると掃除の仕事ができるとか食堂で働けるとかいう
そういう人は原発でも金になればいいしか考えないのである
だから金をばらまけばいいと上の人たちは考えて御しやすいとなるのである。

貧しくも清く正しくなどは死語になった、現実問題として電気や水道やガスでも石油でも金がかかる、それでしょっちゅう電気を止められたとか、水道を止められたかと訴える
人がいる、そういう人たちは原発でもカジノだろうが金になればいいしかなくなるのである、現代では貧しく清く正しくは成り立たない
確実に最低限電気や水道代は払わざるをえないからである、清貧が成り立たないのである節約するにしても基本的な部分は節約できない、通信代も節約できないからである
すると今年金が10万以下というのが半分以上もいるということは驚きである
それでやっていけるのかとなる、もうぎりぎりなのである
日本はやはり貧乏国になったからギリシャのように観光でもうけるとか後はカジノとかになってしまった、江戸時代に戻ることはできないからである
ただ日本の国の在り方を今や根本的に見直す時がきている
それは教育でもそうでありあらゆる分野で組織機構でも錆びついて腐敗してしまった
やはり明治維新から百五十年も過ぎたのだからまた大きな改革の時期にが来たのである
こういう時に原発事故が起きたり天変地異が起きたりするのである。


タグ:カジノ

鹿島駅で三か所の工事 (電気関係で金がかかる)


鹿島駅で三か所の工事

(電気関係で金がかかる)

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今日は三か所で工事する、電気関係が二か所であり一か所は新しくでき設備の小屋であり車が三台来て荷物を運んできた
もう一か所も電気関係であり電気工事である
それから市の方で自転車置き場を直すためにまた見に来ていた

まず鉄道は設備に金がかかる、保守点検に金かかる、その中で電気系統が金がかかる
それでローカル線は乗客が少ないからやっていけなくなる
デーゼル機関車なら電気系統はない、北海道はそうなっている
でも廃止になるのは保守点検が手間であり金がかかる

なぜ復興するにも道路はいち早く復興したが鉄道は6年とか時間がかかっている
津波で駅が流されたりしたし鉄道を高架橋にしたり大工事になった
それで400億円もかかったのである。
それはJRで出した、常磐線は原町から仙台は通勤圏であり廃止になるような路線ではなかったからである

鉄道はどっちかというと中距離とか長距離に向いている
仙台に行くとかに向いている、近くだと車を利用した方が便利なのである
なぜなら駅からの足がない、自転車置き場に自転車を置くとかしないと帰れない
それから隣の市に買い物に行くにもイオンとか離れているから足がない
病院に行くにも足がないのである。タクシーだと高くなるから使えないのである。

ただ震災以後常磐線が復興したとき三倍に収入が増えたというのは工事関係者がきて仙台まで利用する人が増えたからだろう、乗客数は増えない、地元では一定しているし増えないからである。
ただ車のない老人は利用している、後は通学の高校生だとなる

鉄道には市でも金をかけている、トイレも市営だし自転車置き場も市営なのである。
そこで新しくするとまた予算がかかるのである。
鉄道はこうして設備でも保守点検でも金がかかる
今日は鉄道路線でも踏切の方でも仕事する人がいた
15,6人仕事に来ていたのである

2018年07月22日

雲の峰(灼熱の中の俳句)


雲の峰(灼熱の中の俳句)

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真日さして夏野の広し蝶の舞ふ

蝉一つ落ちて死にしや呆気なし

鬼百合や野馬追い近し旗かかぐ

夕日さし湧きあがる夏の雲見上ぐ

雲の峰崩れてさしぬ夕日かな

裏の森山鳩隠れ合歓眠る


今日も暑かった、外の熱気が異常である、こういうときはクーラーである
でもクーラーの部屋に長くいることは体に悪い
やはり暑くても外に出て汗をかくのいい、体温調節になる
この辺でも外で40度くらいになっている場合がある
ただ家の中だと30度くらいである
暑い場所が家に帰るとクーラーの部屋に入るので気持ちいいとなる

暑くてもやはり活動しないと暑さに負ける
昨日は雲の峰が夕べ湧きあがり夕日がさしていた
雲は絶えず変化する、それで写真をとった
夏野というときこの辺は田んぼが草原化している所が結構まだある
日本では夏野というけど田んぼが多かったり広々とした夏野の景色があまりない
だから草原化して自然にもどった景色も不思議であり今もつづいているのである
ただ一面に草原化しているのはいいが畑の回りが草ぼうぼうになっているのが困るのである。
田んぼが草原化したところは地区の人が草刈していたから草原になっている

野馬追いが近く玄関など旗がたつのは野馬追いに出る家である
そこから野馬追いを見るといい、どこの村から出たかわかるからである
野馬追いは旗が家にたつときから始まっているのである。
この時、鬼百合などが咲くのがあっている

蝉が一つ道に落ちていた、人間は死ぬと本当に呆気ない、認知症になった姉はおしゃべりだから死ぬまでしゃべりつづけたが死んだら呆気ないなとつくづく思った
他でも人間は生きている時は何かその存在が大きく気になる
でも一旦死ぬと呆気ない、死ぬまでワーワー騒いでも蝉のように鳴いても死ぬとパッタリと鳴きやむ、こんな呆気ないのかと信じられないとなる

裏の森に山鳩が隠れた、そして合歓が咲いて眠りにつく、今は平和である
自分も介護や看取りや家族との死別で消耗した
この消耗は体力だけでなはい、精神的に相当に消耗する
でも最近なんとか回復してきたのかもしれない、熱中症にもなったがなんとか運動もできているからだ、やはり汗をかかないと体温調節できない、運動は夏でもした方がいいのである、一日三会は回は外に買い物でも散歩でも行く

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原町−鹿島−相馬市
の特徴を花から見る

 


 


タグ:雲の峰

組織化団体化の利権追及が社会を歪める (民主主義が機能しない訳)


組織化団体化の利権追及が社会を歪める

(民主主義が機能しない訳)

日本ほどシロアリにたかられた国はない!米国、官僚、企業、政治家政党(共産党を除く)国民の税金にたかっている! マスメディアもシロアリである!政治がダメなので、その結果、日本ほどシロアリにたかられた国はない。そのため国民は、日本史を知らないのみならず、シロアリ天国の日本の現実を知らないのである!兵頭正俊氏…

巨大な農協が、小さい農家から利益を搾取

農家は小さいが農協は巨大だ。取り扱う農作物は十兆円を超え、貯金も六十兆円以上だ。こんな巨大企業に独占を許していたら、弱い立場の農家は搾取され放題になる。
・農家が農協から購入する農薬や肥料などの資材はかなり高額で、例えば、全農を通じて国内メーカーから購入する肥料の価格は、同じメーカーが輸出する肥料の価格の三倍もする。

農協とはそもそも、農地解放と言いながら地主達が特権を継承する場として、作られました。しかし本質は、農家=小作という存在であり、農家の儲けの上前をはね取る搾取対象であるという意識が残存しています。

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大成建設と創価は密接な関係がある
創価大学の就職枠があり利権化している



この利権のことを追求したら限りないだろう、民主主義がなぜうまく機能しないのか?
それは一票というのは何の力もないからだ、それが組織化団体化すると力を持ち利権となる、社会は利益の追求だというとき利権の追求なのである。
利益の追求と利権の追求の相違は利益は公正なものとして利益を得る
農民が汗水たらして米でも野菜でも果物でも作る,それを売るとして利益をあげるのは別に悪いことではない、利益をあげることがみんな悪いとしたら社会自体が成り立たなくなる

ただ混同しやすいのは利益と利権が違っていることである。具体的に小さな畑で野菜を作りそれを地域の販売店で売ろうとしたら農協がかかわり高い肥料とか薬を買わされるという、第一その畑は趣味のものであり売るほどのものはとれない、結局赤字となりその分を自分が払わされているのである。
ただ荒地にしておくよりはいいとして払っている、農協を通じて売るほどのものは全くとれていないのだからそのために金をはらうことはそもそもできないのだ
自分でとれたものを食べるとか周りにあげるとかするくらいである

利権というときあらゆる団体組織が利権団体なのである。
団体組織でも会社もそうだからまず利益をあげねばならない、それは悪いことではない
ただそこに利権がかかわると社会がゆがめられる、ところが団体組織化することは権力化することなのである。権力をもてば利権化する、一個人が商売しても利権にはならない
そして現代社会はみんな会社員だとするとそこは利権化する体質を備えている

それは原発事故で追求してきたけどそこには現代の大きな組織権力がかかわっていたのである。東電は莫大な利益をあげる会社であった
すると官僚でも政治家でもマスコミでもその利益にあずかろうとする
例えば東電だけではない組合も利権団体なのである。
電事連があるとしたらそれも利権団体でありマスコミに800億円もの宣伝費を払っていたのである。それだけの払う金があるからできた、そうなるとマスコミでも東電を原発を批判したりできないから強固な「安全神話」が作られたのである。
それはそうした組織団体が利権をもっているからである。
マスコミは報道するという権力もあっていて第3の権力と言われていた
電波利権をもっていた、テレビの報道は六局でしかできないとなっていたからである

原発では漁業者のことを漁業権の悪用として追求してきたがここも利権団体になっていた漁業権は東電に売り渡すために与えられていない、資源の保護とかがあり東電に売り渡す権利などなかったのである。
でもそこも組織団体化すると誰も逆らうことはできなくなる、暴力団のようになる
実際原発事故前でも多額の補償金をもらっていたが知る人はその近くに住んでいる人たちだった、原発御殿が建っていたとうらやましがっていたのである。
でもそれを知ることすら地元でもできなかった、報道されないからである。
原発に関しては報道管制がしかれていたからできなかったのである。
もし一個人がプログで批判しても原発事故前だったら怖いことになったと思う
そこは利権化した団体でありもし批判したら攻撃される、暴力があったかもしれない、
だからそれを近くで知っていても何も言えないとなっていた
そういうことは今の社会でありふれているし常態化している
だからマスコミではそのことで気を使い何も言えなくなる、差別だとか常に障害者でも団体があり同和利権とかもありそういう団体は暴力団のように怖い存在なのである。

利権と利益は違う、利権は公正な競争の原理が働かない、官僚は権力をもっているから東京医科大学でも予算を配分してやり子供を裏口入学させるとかある
官僚とか公務員でも検察でも警察でも組織団体でありそこは強力なた権力をもつからである。原発で東電で明らかにされたことが海上保安庁から検察から警察から官僚から天下りしていた、それが利権構造を作り原発事故に結びついたともなる
そういう権力組織団体が「安全神話」を作ったからである。マスコミもそうである

それは今の社会のあらゆる面にある、医療でも医師会の団体は強力な力を持つ、自民党はその組織に頭が上がらないとかなる、医師会も利権化して報酬でも引き上げようとする
そして薬剤関係も会社も医師会とかとかかわり利権化する
そして必要のない飲ませたり医療もゆがめられる,その金も膨大なものとなりそれが国民に跳ね返ってくる、税金として払わされるのである。

利権というとき公明新聞にゼネコンの宣伝がのる、するとそれは公明新聞の収入になる
それで社員を養うことができる、カルト宗教団体は巨大な利権組織なのである。
だからこそその活動は一票を確保することでありそれ意外なにもない
信仰としてもそれは御利益利権追及のため毎日祈っているのである
宗教というときそれが組織化団体化したときヨ−ロッパの歴史でもカトリックが巨大な利権化したしいかに仏教でも日本でも利権化したか?
仏教というのは強大な利権団体だった、僧坊は城でもあり僧兵もいたからである
だからこそ信長がその利権団体を潰すために戦争になったのである

この世とはそもそもそうした利権化の歴史だったともなる、利益追求でもそれが利権の追求となる、それが政治闘争ともなる
ではなぜ利権が悪いのか?
それが社会を根本的にゆがめてしまうからである。
それが具体的に原発事故で明らかになったのである。
漁業組合の利権−官僚の利権−マスコミの利権とかが一体となり事故につながりとりかえしのつかないものとなってしまったからである
そもそも明治維新以降は会社組織が生まれそれは利権団体化する

例えば地域でも農協は身近であるが利権団体化するし漁業組合もそうだったし銀行もそうである、銀行も利権団体だというとき資本主義社会では銀行は大きな役割があり利権化する、国債を国から買って利子をもらっていたがその利子がもらえなくなり苦しくなり今度は投資信託を売りつける,これは全く銀行では手数料が確実に入るから損しない商売なのである。それで自分も損した、銀行も利権化しているから国債を買って国から利子をもらっていたというとき利権化しているからである。その利権を失って投資信託とかもともと銀行ではしない商売をするようになった

とにかくこの利権を正すことは本当にむずかしい、ただその利権を正さないとまた甚大な被害が国民が負わされるのである、利権で動くことは本来の正当な活動とは違うからである、利権によって正当な活動がはばまれるのである
それが社会に甚大な損害をもたらすから怖いのである。ただそれに歯止めをかけることは今回の原発事故のように困難を極めるのである。
検察とか官僚が利権にかかわるとそもそも利権を正すことはもうできない
原発には検察と国がかかわっていたからできないとなっていたのである。

いづれにしろ利権化するとうまい汁が吸いる、天下りで何もしないでも高額な収入を得る利権を得るには組織化して団体化することである、それが大きければ大きいほどいいのである。すくと政治でも官僚でも会社でも動くとなるのである。
ただ権利はrightてあり正しいから与えられる、漁業権でも資源の保護とかのために与えられるのだから権利が悪いとはならない、権利を反対にすれば利権になるから共通性がある、権利は利権となりやすいのである。
誰でも利益を得たいだから権利を得たい利権を得たいとなる、ただこれらが混同されるのである、正しい利益は否定できないし権利も必要だが利権は違うのである
それが一体化しやすいのである

報道する権利は今まではマスコミしかなかった、でもそれがインタ−ネットで万人に与えられたことは権利をrightを得たということである、ただ力が弱いから利権にはならない
もしマスコミのように力を得れば利権化する、例えばこうしてプログで報道したとき何万人から何十万にとか読むようになれば力を得るがそれは一握りの人しかインタ−ネットではいないのである。
そうなると大衆化して本来の役割を果たせないともなる
報道するにも権力がないとできないということはある、第一官僚でも警察でも情報を得るには権力がない限りできない、重要な情報を得ることはできないからである。
そしたら追求もできないとなるからだ
NHKは巨大な権力組織集団である、だから影響力も大きい、それで利権にもなるから月給も高いとなる、第一視聴料を強制的にとる権利をもっているから利権団体だからである。そういう権利が与えられたのは利権のためではない、国民に公正な報道してもらいたいからである、でもそれをしていないから視聴料を強制的にとるのはやめろとなる


2018年07月21日

養う(やしなう)という言葉の意味 (原発であれ今は会社や科学技術が養っている)


養う(やしなう)という言葉の意味

(原発であれ今は会社や科学技術が養っている)

養う(やしなう)とは社(やしろ)のやしからきている、養うとは狭い社を範囲にして養うということが生まれたのかもしれない
日本人の世界観は村が起源になっている、だから狭い範囲で生きてきたからそうなった
働くという言葉も端を楽にするということは家族単位から生まれた言葉なのである
なぜ養うということを問題にしたかというと村で暮らすときその周りのものを活かしていくほかにそこに住むことはできない、人間は村でありそこで住むことがまず優先されたのである、そこに住むためにいろいろと苦労してきたのである。

そこに住むためにはその土地にある資源をすべて活用しない限り生きていけない
だからその土地にあるものなら何でも利用することになる
肥料がないから糞尿を利用するとかもそうである、それは江戸時代なら江戸でもそうだったのである、あらゆるものを捨てないで利用していた、そこでもったないという言葉が日本から生まれたのである。

海でも平地でも森でも山でもそこにとれるものを何でも利用する、すると人間はどういう感覚になるのか?
その土地に住みその土地のもので生きるとなれば海で魚がとれれば海に感謝する、山で木材をとり炭を作れば山に感謝する、平地で米がとれれば感謝する、神にそうした恵みがあることを感謝する、つまりその土地に養われていたからこそ社(やしろ)中心の生活となり養う(やしなう)になったのである。養われるという感覚になったのである。

そういうふうにして生きていた時どうしてもそこに今の感覚とは相当に違っている
つまり今をそうした時代と比較すると今は何に養われているのか?
その時の感覚では魚がとれれば貝でもとれれば海に感謝していた、平地でコメがとれれば米がとれて生きられるとなり米がとれてその土地で生きる養われるという感覚になっていた、山でとれるものでもそうである。すると山に感謝していたのである。

それが現代になるとどうなったのか?
グロ−バル化経済になるとどうなったのか?
みんな田舎であれ金に養われているという感覚になる
日々の生活は買う生活なのである。自分自身も一人で家事をするとき毎日何を買うかが問題なのである。その種類が多いからわからないのである。
何を買うかを知ることが日々の糧を得ることである、糧(かて)という感じでも米の量となっているが米と密接に結びついていた

そして買うということは金が必要になる、今はみんな金に養われているという感覚になるそれだけグロ−バル化して世界の商品が入ってくるからである。
その土地のもので生活している人は田舎でもわずかなのである。
膨大な商品を買う生活なのである。そのためには金が必要だとなる
そこで金の比重が増大化してゆく、みんな金が一番大事なものであり金に養われているという感覚になる
本当は米なしでは生活できないとなるのだがその前に金なしでは生活できないとなっているのが現代なのである
ただそういう感覚は現代になってから極端化したのである

村の社に祈る時それはその土地のもので養われるから祈っていたのである。
今はそう思っている人は田舎でも農家でもいない
例えば漁民でも本当は海に養われているとなっていた
でも魚は取るだけでは生活できないとなり東電に漁業権を売り渡した
養うのは海ではなく東電という大企業なのである
他でも農家は農業だけではやっていけないから田舎でもみんな会社員になっている
すると会社に養われているのであり村の社とは関係ないのである。

田舎でも何が生活の糧になっているのかとみると農業ではない、土木建築関係の会社に雇われるものも多い、すると田舎で養われるものはそうした会社であり農業ではないとなるそこが現金収入を得る場だからそうなる
田舎でもやはり収入がないと現金を得ないと生きていけないからそうなる

自分自身の一身上の利害を度外視してもし村長とか町長とか市長の立場で考えると
この市町村をどうしてここに人を住むようにできるか?
何をもって養うことができるのか?
それを考えると農業では金にならないから土木建築関係で金を得る、そのためには仕事が必要である、それで国に公共事業の費用をだしてもらい道路などを作りすぎたのが現実なのである。それは金にならないと田舎でも生きていけないからである。

ただ人間はこうして自然から離れ自然に感謝しなくなった、また自然も畏れなくなった
人間を養うのは石油であり電気であり科学技術だと思うようになった
そうなると東電に感謝しろとかなったり科学技術を産みだす科学者が神官となったのである。原発はまさにそうだった、それは石油で動いているのではない
科学技術の力で動いていたからである。
だからその原発が神のごときものとして崇拝するまでになる
そして「安全神話」は作られた、科学者でも技術者でも神のごとくに崇拝されていたからである、医者が今神様のように崇拝されているのともにている
科学技術が養うというときそこには自然はない、海にも山にも人は感謝しないのである。山に木材があっても外材で無用化されて炭にもならずただ無駄なものとしてあるとなる
その時人は山にも感謝しないし羽山信仰なども過去のものであり祈ったりしない

しかしその時何が起きたのか?
原発事故が起きてそうした海のものや大地のもの山のものがみんな汚染されたのである
そして住めなくなったのである。住むということを第一にしていたのが人間である
その住むことができないということはそもそもその土地のもので養われているという社会でなくなっていたからである。
だからこそその土地に愛着することもなくなる、みんな別に農民でもないからである
だから浪江の人は二本松に工場を移転してその人も移住したとなる
つまりその人も会社に養われていたのであり別に故郷のものでその土地のもので生きていたわけではないからそうなった
養っていたのは会社なのである。

そうした社会には実は危険なものがひそんでいた、一旦科学技術の粋を集めた原発でも事故をおこせば壊滅的被害になりその土地にも生きていけなくなることであった
まず住むことを第一にして人はその土地のものを活かして生きる
それがなくなりただ科学技術こそ神となり原発ともなるとき危険があった
人間はもはや原発に養われ電気に養われているとなったからである。
その事故はプルトニウムが二万年消えないとかになってしまったのである。

ただ人間はその土地で生きるということは何か養うものがないかぎり生きていけない
もし市町村の長になればそれをどうするかと強いられる
そこで金がなければ養えない、金を稼がなければ養えないとなる
それは膨大なものを外部から仕入れて買う生活だからそうなっているのである。
そうなればどうしても金を稼ぐことが強いられるからである。
農民でも実際は今は買う生活である。だからみんな金を求める生活となる
糧が米なら米の量によって養われる人数でも決まるとなる
でも米ではない、金があることによって養われるというときその金をいかにして稼ぐのかということが問題になるのである。

ただ養うとは何か日本語として英語とかにはない意味がある
言葉はその国の民族の歴史から生まれているから意味がある
養うとはいい日本語だと思う、養うとは人を養うということとかその土地で養われるとかもともとは社を中心とした村社会から生まれた言葉である
だから養うというとき食料だけではない、その土地で養われることは美的にもそうであるその土地の景観でもそうであり自然に養われるということがある
その時その土地の自然を通じて心も養われるのである。
自分の場合は食料よりそうした自然とか文化的なものに養われるということになった
でも現実問題としてはその土地で養われて住みつき生きることこそ第一でありそれがなくして養われることはありえないのである。

ただ金に養われるということそれで安心なのか?それで住めるのか?
そういう不安はあるだろう、物価が倍になれば金の価値は半減するし金の価値は一定ではない、紙くずにすらなる
だからその土地に住み養われるということは本当は金だけでは不安なのである
それを証明したのか原発事故で現金収入を得ていたのが一挙破壊されてしまったからである。科学技術は金を産みだすがそれも一挙に事故で崩壊したようにそうした科学技術の産物は一時的なものとして消失する危険があるのだ

だから何に養われるのか?それを問い考えることになった、それを追求してきた
でも時代を逆戻りして炭で暮らすわけにはいかいない、その方策は何なのだろうとなる
ただ養うというとき昔だったら一応村という単位で考えていた
今は会社とか工場とか東電のような大企業でありそこで現実に多くの人が働いて金をもらっているのだから養っているのはそうした会社だとなる
だから戦前から江戸時代のように海から魚をとれたり貝をとったりし米を収穫したり山の材木を利用したりして生きている感覚がないから自然に感謝したりしないのである
でも事故が起きたりするとその頼ったものが一挙に崩壊して住めなくなったのである。
タグ:養うの意味
posted by 天華 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年07月20日

なぜ人は移住するのか? (深野の佐藤氏を例にして歴史的に考察)


なぜ人は移住するのか?

(深野の佐藤氏を例にして歴史的に考察)

大阪府高槻市樫田杉生の旧和田村(かつては京都府 明治初期まであった地名)から、都の戦乱を嫌い、富山県礪波市上和田に移住し、江戸時代の真宗移民で相馬藩領内に移住して代を繋いでいます。母は、白石片倉家10代景貞の末裔です。
(深野の佐藤氏のコメントより)

●言葉の伝播から

江戸時代の文献に「織田信長が京都へ来てから、京の言葉遣いに名古屋のことばが多く混じるようになった」という記述があり、これを記した松永貞徳(まつながていとく)は、自身が幼い頃とその後では京都の人の言葉遣いは変わり、尾張の方言が京ことばに多く混じったと伝えています。

晩のあいさつを
「オバンデス」(京ことば)、「オバンニナッタナシ」(山形方言)、水に浸して水分を吸収させる
ことは京ことばも山形方言も「ウルカス」など、行為や食や衣に関する 46 の言葉を掲載してい
る(山形県・河北町 1996:60-61)。

前述の「おみ漬け」は、近江商人が考案した漬物「おうみ漬け」から転訛して「おみ漬け」に
なったと言われる2

海と山が醸成するアジアの文化
file:///C:/Users/yuichi/Downloads/k-kenkyuzyonenpou15_3-9.pdf

琉球方言は古い時代の日本語をもとにしているものが多く、たとえば「いらっしゃいませ」の意味の「メンソーレ」は、「参(まえ)り候(そうら)え」が変化した言葉だといわれている。
 また、琉球方言の中には、たとえば沖縄本島などで使う「あけづ」(=とんぼ)のように、本土ですでに使われなくなった言葉(死語)も多くのこっています。本土方言と沖縄方言は、別の様にも見えるが、よく比べて見ると、もとは同じ言葉だったことがわかります。

 
 言葉の伝播がなぜ起きるのか?それは人が移動したり移住したりするからである
言葉自体が勝手に移動しない、言葉も文化も人が移動しているから遠くの国でも同じような言葉となって共通性が生じる
なぜ青森県とか沖縄にでも古い日本語、京言葉が残ったりするのはなぜなのか?
それはかえって京言葉がそうした辺境の地に化石のように維持されて残されたのである

なぜ深野がふこうのなのかというときこのフコウノとはもともと大阪の言葉で大阪弁だったのだろう、それが全国に広まったのは大阪出身の人が深野の佐藤氏のように移住したからだとなる、深野とあるとき普通はフコウノとは言わないからである。
言葉は名古屋弁が京都に入ってきたのは信長が京都に入り影響したのである。
言葉から方言から歴史を見るのもは身近だから面白い
いつも言っているが仙台弁の語尾のだっちゃというのは相馬藩からすれば変わっている
相馬藩内ではんだとかなるからだ
でも丸森は伊達藩と相馬藩が入り混じった所である。
その金山城は伊達藩と相馬藩が交互に支配した城だったのである。
その城の麓に住んでいる人が相馬総合病院で同じ病室だったけどんだちゃと言っていた
これは相馬藩のんだ+だっちゃが結合したものだったのである。
おそらく相馬藩の人が城に住んだからその麓でもその影響が残ったとなる
今はなかなか方言は聞けないが国の訛り(なまり)は消えないのである。

●政治的戦乱とかのための移住

人間の歴史をふりかえると移住の歴史である、なぜ人は移住するのか?

●新しい生活の場を求める
●戦乱などから逃れる
●飢饉などの影響
●職を求めて移住する

一般的には経済的理由が多い、新しい生活の場を求めるというとき農業中心の時代では
開墾開拓のために近辺に土地を開墾して農業をする、その移動は狭い範囲になるから移住とも言えない、生活圏の拡大である
そして意外なのは戦乱とかから逃れることのために移住するということが多い
それで全国に落武者伝説が残る
鹿島の只野氏は古い家柄であり南北朝時代に霊山が炎上して逃れてきた武士の末裔なのである。その歴史は明確にたどれる、それで野馬追いに杉の紋様の旗印として出ているからわかりやすいのである、日吉神社のお浜下りの祭りではおつづら馬という荷物を運ぶ先導役を代々受け継いでいるから古い家柄なのである。

深野の佐藤氏でも大阪が戦乱にありそれを嫌って富山に逃れてきたというとき何かそういうことがあり移住した
これは今は世界的に起きている難民の問題なのである。政治的難民は歴史で常にあった
それは強いられてそうなったのである。
人間は住み慣れたところに住むのが普通である、そこを離れたくないのが普通のなのである、でもやむをえず政治的混乱とか戦乱になり逃れる、それが世界的規模で起きているのが現代なのである。飢饉などもそうである
なぜ戦後満州に移住したのか?それは広大な土地を求めて移住した
その時は農業が生活の主体であったから土地を求めて移住した、満州の寒い土地で米作りをしようとしたのである。
その結果として満州という土地にこだわって太平洋戦争と発展した
アメリカとかの権益で争うことになったからである
                                              
政治的難民の場合は強いられて移住したのである、その場所に住みたいといっても住めないから逃れ移住する、だから貧乏だからと経済的理由で移民を受け入れるより優先されるなぜなら命にかかわるからである

●征服のための集団的移住

歴史を見れば常に戦争とかがありその時集団的に軍隊が移動する、するとそこで征服した地に移住する、支配者となり移住する、それは民族の移動ともなる
民族の移動が戦争にもなっているからだ
モンゴルは広大な世界を一時支配した、するとそのモンゴルの末裔が今もチベットとか山岳民族に残っていたりするのはそのためである
そこで混血する、ベトナム戦争で韓国人がベトナム人の女性を強姦して混血させたとか問題になる、ただ混血は人種でも民族でも常に移動して移住するから世界で起きている

蝦夷というときこれも混血した人たちだった、最初は縄文人がいたとして外来の人が渡来してきた混血したのである。
蝦夷にはだから朝鮮系の人たちが鉄を作る技術者が早い時期から入ってきていて地元の原住民の縄文人と混血したのである。伽耶(かや)はいち早く入ってきた
その伽耶とはそこから天皇が移動してきたとかある、伽耶の謎はそこは今度はインドの商業の民が移住して作られてタミール語を話すドラビダ族がいてそれが日本語の起源だといういう説もでる
伽耶は謎であり何か特殊なのである。そこは大和民族が支配していたともいわれる
前方後円墳が発見されたが実は大和からの伝播だったという説もある

征服のための移住というとき相馬氏がそうである、ある意味でモンゴルのように騎馬軍団が移住して相馬野馬追いにつながっているともなる
相馬氏がこの地域を征服して支配したから相馬市となっているからだ
相馬藩はまさに相馬氏の移住によって作られたものだからである。
相馬野馬追いの旗印は相馬氏一族に由来しているからである
ただ南北朝時代の只野氏の旗印もあるからそれだけではないが大方はそうである

ただ相馬氏が一族が一団として移住したのは征服のためでありもともと支配していた千葉県とかの相馬領内では家臣団を養えないからまだ未開の地がある移住したとなる
移住と征服はセットになっていることがある
人間の歴史は移住の歴史であり混血の歴史である。
この混血することによって人間の種は強固になった
混血すると美人が多いとかかえって優秀な人間が素質的に生まれとかなる
黒人と結婚した女性が世界陸上で活躍するのもそうである。日本人にはない先天的遺伝的特質が備わったためだとなる
つまり異質なもののとの混血は文化でも豊かにする
ヨ−ロッパの歴史はそうした人間でも文化でも混血した混合した結合した結果なのであるそれでルネサンスが生まれたのである。イスラム文化も結合して生まれたのである。
人間の歴史は混血の歴史でありそれがないと世界的に見たら停滞するともなる
ただルネサンスとかはあくまでも文化の混血であり人間そのものが今のように移住したとはならないのである。そこが今の移民とは違っているのである。
人を取り入れる経済的難民を取り入れることの問題がここにあるから歴史から学べともなる

●経済的理由で移住するのが一般的

何も戦乱がなくても経済的理由で移住するのが一般的である
貧しい国からさ豊かな国に移住するのは人間として普通だからである
今の移民はたいがいそうである、政治的難民より経済的難民が圧倒的に多いのである
ただわからないのはなぜ富山県であれ越中であれ困窮していた飢饉で三分の一も減った相馬藩に移住した人がいたのか?
そんなところに普通は移住しないだろう、でも当時は土地を得られるとういことで移住した、,農民にとって土地が一番大事だからそうなった
満州に移住したのも広大な土地が得られるということで移住した

移住するというときやはり経済的困窮が理由になる、出稼ぎが江戸時代でもあるのは働く場所がないからそうなる、江戸時代ではないが自分の父親が葛尾村から双葉の新山に酒屋に丁稚奉公に出たのは山で暮らしていけないからである。
これも強いられてそうなったのである。本当は葛尾(かつろう)村で暮らしたかったのである
そして出稼ぎというときなぜ双葉や大熊で原発を誘致したかというと出稼ぎをしたくない故郷で生活したいということで原発を誘致したのである。
仕事がないからうそなった、それが裏目に出たのである
人間はその土地に住みたいし移動したくない、移住もしたくないのが普通なのである。

高度成長時代になり東京が人手不足になり金の卵として中卒で集団就職する人たちがクラスな三分の一いたというときもそうである
田舎に仕事がないから移動したのである、本当は東京には行きたくなかったとなる
移住するとかなると強いられたからするのであり積極的にする人は少ない
自分の場合は田舎から離れたいという願望があり東京の大学に入った
それは仕事を求めてではない、だからこれはまた違った動機だったのである。

いづれにしろ移住するというとき強いられて移住するのが多い、この辺でも原発事故で移住したのは強いられたからである。故郷にいたくてもいられなくなったからである。
その住めなくなるということは最大の被害だったのである。
そして補償金が手厚かったから余計にそうなったのである。
もし補償金が少なければ放射能被害があるにしろ生活するために故郷にとどまったかもしれない、皮肉な結果として補償金が手厚かったから外に流出したのである
もし補償金がわずかだったらそううい決断は簡単にできないと思うからである
それでいち早く外に家を建てた人も多いからである
子供が名取に家を建てて親の部屋まで作っているからそこで暮らしてほしいと親に言っているが親は小高にとどまっているとかなる
それは故郷に愛着があるからそうなっているのである

posted by 天華 at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

コメントの返信は遅れることがあります


コメントの返信は遅れることがあります

コメントの返信はは三日の後とか一週間後とか二週間後とか一か月後とかになることがあります

なぜかというと自分のプログにはほとんどコメントがないので見ていないのです
私はプログを書くことに専念しています
それでコメントを見ていないことがあるのです

だから遅くなっても返信はあるのでプログを見ていてください

今回の深野の人のコメントは興味深いものでした
ただこれも三日後とかなったので遅れました

一週間後くらいまで余裕をみて返信がありますので見ていてください
これからは一週間を目安にして返信はしたいと思いますのでよろしくお願いします

2018年07月19日

すべてがグローバル経済に巻き込まれる (麦が輸入されて癌になる、サンマがとれなくなる)


 すべてがグローバル経済に巻き込まれる

 (麦が輸入されて癌になる、サンマがとれなくなる)

gendai7-19.jpg
日刊現代−7月19日号

小さな畑がある、そこでとれたものを近くの農協がかかわる販売店で売ろうとする
すると農協から肥料とか薬を買えと強制され金をとられるという
売るほどのものがとれないのに農薬代とか肥料代とか種代で金がなくなる
その金をまた自分に要求されるのは困る
趣味でやる畑は自分でとさたものを食べるかとか回りの人にくれるとかでいい
とてもそれを売るとなるとハードルが急に高くなる
そこでは全国の競争にさらされグロ−バル経済もかかわってくる
野菜でもアスパラガスなどでもメキシコからと入ってきたからである

農業は全国的にも世界的にも競争にさらされている、すると昔のような自給自足のような農業は成り立たない、米だって全国規模になりブライド米として売れないと成り立たないトマトでもまず種類が多いし安くなっていた、それだけ全国的にもトマトを栽培している農家が多いからである。トマトはそれだけ売れればもうかるからそうなる

現代文明とはグロ−バル経済だというとき輸送文明なのである。輸送力が格段に発展した社会である。それで外国からも食料でも野菜でも入ってくる社会である
だから田舎でトラック運転手が意外と多いというときそうして東京とかに運ぶ輸送を担っているからである、そしてトラック運転手な過酷な労働が問題になる
一分でも遅れないように輸送を強いられているのである。
市場のせりにまにあうためとか九州からでも東京の市場に運ぶのである

それで今日の日刊現代の記事に興味をもった、麦を運ぶのに薬を使っている、船で運ぶにしても時間がかかるから腐敗しないように薬を使う、それが癌の原因になるという
つまりそれだけ食料となると運ぶということで問題が起きる
それだけ遠くから食料などを運ぶことは無理がある、でもその無理を克服して技術力があるからそうするようになった,それでもそうした問題が起きているのである。

基本的に人間の社会は日本だったら戦前まで地産地消だった
その土地でとれたもので生活していた、第一そんなに遠くに運ぶ技術がなかったからだ
冷凍して魚を運ぶとか新鮮なものを運ぶとなると容易ではないしコストがかかるからだ
だから東京なら江戸前であり新鮮な魚は江戸の前の海でとれたものなのである。
江戸前とはまさに百万都市の江戸でも新鮮な魚が食べられた象徴した言葉だったのであるこの辺でも新鮮な魚が食べられていた、港がありそれが豊かさだった
漁師の人は二三日過ぎたら魚を食べないとなっていたのだ、魚は新鮮さが勝負なのである江戸というとき東京をイメージするが江戸前は今はない、全国から食料は運ばれて一千万人の胃袋を満たしているのである。だからそのエネルギーは膨大なものとなる
そのために運ぶためにトラック運転手が苦しみ一分争って運んでいるのである。
だから東京一極集中は異常な世界なのである。
福島に原発を作ったのも東京にエネルギーを供給するためだったのである
別に原発は東京に作れたのである。その方が効率的だったのである。

江戸だったら練馬大根でも回りが農家であり野菜も近くから供給されていた
ただ米だけは地方から特に東北の伊達藩では江戸の米の三分の一を運んでいたという
江戸ではいつも白米を食べれるということで贅沢だとなっていたが脚気になった
でも麦飯と粟飯でも五穀を食べていた人はならなかったのである。
それで脚気は江戸患いとなっていた、江戸に生活して白米を食べているとなった病気だったのである。
これもやはり本来なら白米だけを食べない、雑穀を食べる、食べ物でも一つの種類だけに特化して食べることは危険だとなる
なぜそうなったのか?
それは船で米を輸送する技術が生まれたためにそうなったのである。

グローバル経済というとき世界的株式市場のことのように思い関係ないともみる
でも現実はまず食料からしてグロ−バル化しているし巻き込まれている
石油があがればトマトを作るハウスでも石油を使うから値段を上げるとかなる
農業も石油と関係しているし電気とも関係しているようになった
食料自体が工業製品のようにもなるし農機具を使うので機械化もする
そして常に世界的競争にもさらされているのである

例えば漁業でもサンマが今年はとれないから一匹400円とか500円とかもっと高くなるといかいうときどうしてそうなるのか?
その原因は不明でも台湾や中国の大型船が日本の排他的領海より外で大量にとるためだともしている、これまでは中国ではサンマは食べる習慣がなかったが日本で食べるようになりそれまねて食べるようになった、サンマは旬で食べるのがいいのだが中国などではそうした文化はなくまだ成長しないうちからとって食べるという
つまりサンマを食べる習慣は文化はなかったが最近日本をまねて食べるようになったのである。
そうすると中国の人口は多いから魚だって獲りつくされる恐怖がある
それも結局グロ−バル経済の結果なのである

地産地消の経済が言われるけどもともと自給自足の経済であり地元でとれたものは地元で食べてそんな遠くから来たものは入ってこなかったのである。
自分の家でも店をしていたとき野菜は近隣の農家から買って売っていたのである。
遠くから来るものは少なかったのである。
卵でも農家から売って買っていた,子供の時卵を買いに行かされたからである。
その時自転車でありその自転車もいい自転車ではなかった、だから必ず糠に入れた卵が割れていたのである。
野菜でも姉が自転車で運んでいた、大きな箱を後ろの荷台につけて野菜を朝に運んでいたのである。それは相当に大きいから持ち上げるのに運ぶにも力がないとできない
でも姉は力持ちだからできたのである。車などないからそうなった
梨農家では相馬まで前の中村までリヤカーで運んだという、後はまだ馬車の時代であり運ぶに苦労したのである。

輸送する技術が生まれたときグロ−バル経済が成り立つ、でもその時地産地消のその土地にねづいた文化は失われる,世界の株式市場をいつも四六時中気にしている投資家と同じになる、漁業にしても小規模な漁業は中国や台湾の大型船にかなわないとなる
すると小さな港で地元を地盤にして生活も破壊される
それで漁業でも小規模ではやっていけないとか跡継ぎがいないとかで東電に漁業権を売り渡して補償金で暮らした方がいいとなり現実になったのである。

サンマがとれないというとき高くなると庶民の魚ではなくなり庶民の魚文化も食文化も失われる、つまりグロ−バル化は文化を破壊するのである。
文化というとき食料とか料理も文化だからである。
原発事故でその農業でも漁業でも林業でも一番放射能で汚染された
そうし人が住めなくなった、一番影響したのがそうした自然を基に生活していたものだったのである。
そこでは誰も跡継ぎがないとか金にならないとかでやる気がなくなっていたところに原発事故で壊滅的な被害になったのである

グロ−バル経済は食文化も破壊するとき深刻なものになる
なぜなら本来は日本人は肉と牛肉は本来食べていない。穀物中心の食文化だった
だから日本人は腸が長いのである、牛のように胃袋が四つもあるというとき穀物を消化するためにそうなる、それで不思議なのは欧米人は肉を消化する酵素が日本人より出るというときこれもその食文化は長い間に文化として定着して体まで適合するように作られていたのである。

逆に今日本人の食文化はサシミでもサンマでもスシなも世界に普及した
日本人の食文化は料理は体にいいから長寿なのだとして世界でも普及したのである
これも食のグロ−バル化として起きている
肉食文化より魚と野菜と米中心の食文化が体にいいとなった
実際に癌とかアルツハイマーの原因はわからないにしても食文化が変わるとわからない病気が増えることはありうるのである、やはり食が健康の基だからそうなる

いづれにしろ移民問題にしろ食でもなんでもグロ−バル化した世界がもたらした問題である。そのグロ−バル化に組み入れられて巻き込まれているからそこから離れられない
グロ−バル化からは離れてありえなくなったのである。
グローバル化やエネルギー問題の深刻さはこの辺のように住めなくなることなのである
これほど深刻なことはない、人間はまずその土地に住むことを目的として生きるからである、その土地に住むためにどうするのかということからはじまる
その土地に住めないことはもうすべてが終わりなのである。
現実に街すら廃墟となり放置されて人は住まなくなったからである。
そうしたことは電気は必要だとかいろいろ理由を言ってももうその理由も成り立たない
それで大熊辺りでは蝋燭で家族一緒に生活できた方がいいとか極端なものになったのである。住めないということほど深刻なことはなかったのである。

グロ−バリズムの終焉(経済学的文明から地理的文明へ)
関廣野、藤沢雄一郎著

これは自分が追求してきたものと重なる、地域に根ざして土に生きてきた人だから自分より説得力がある、農業を実践してきたからである
この著者も原発に疑問を抱いて前から原発に反対して運動していたのである。
ただ左翼関係かもしれないが原発に関しては別に右左はないのである

この本では著者は住むことを一番大事にしている、住めための経済学である
貿易とかにも疑問をもっているし銀行でも支配者のためにあり金持ちのためにある金融支配のものだと批判している,確かに銀行は何しているかわからないのである
株とか投資信託でもうけるとなるともう証券会社であり地銀の役割はになっていないからだ

ただこれだけグロ−バル化とか資本主義とかが世界を支配するときそれを否定して生きることは不可能に近いともなる、エネルギーにしても炭を使って木炭で車を動かすとなると百年前にもどるのかとなるからだ、ただこの本は自分の思想と一致するので深く検討する必要がある

posted by 天華 at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

山の立体性の追求 (幾何学的に分解できる山)( geometrically Mountains)

山の立体性の追求

(幾何学的に分解できる山)

abstract pictures about solid body

( geometrically Mountains)

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隠された山−hidden mountains

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twined stones in the sea

●立体の追求

●色の追求

●流動性の追求(水とか風)

絵画は基本的に立体の追記稀有とと色の追求と流動性の追求がある
立体というとき山がその象徴でありそれを分解すると立体的な幾何学的な構築物として分解できる、ピラミッドのように山を現せる
分解すると山は幾何学的な立体なのである

山とはまた精神的に意志である、強い強固な意志を示している,それは山頂を形成する
立体的であることは建築的なのである。
山は一つの強固な自然の建築物であり建築なのである

私は写真を変形して作ったりしているが建築物を作っているような気分になる
自然は人間から見るとき幾何学的構成として見れると思った
いづれにしろ絵画はこの三つの作用でできていることは確かである


● Pursuit of solid body

● pursuit of color

● Pursuit of liquidity (water and wind)

Paintings basically have rare additions to solids and pursuit of color and pursuit of liquidity
When a solid is called a mountain is its symbol and when it breaks down it can be broken down as a three-dimensional geometric construct, it can show a mountain like a pyramid
When decomposing the mountain is a geometric solid

Mountains are also mentally willing to show strong strong will,
 it forms a summit
Three-dimensional is architectural.
The mountain is a strong natural building and architecture
I am deforming photos and making it but it makes me feel 
like building a building
I thought nature could be seen as a geometric composition 
when viewed from humans
It is certain that paintings are made of these three actions in any case

2018年07月18日

原町−鹿島−相馬市の特徴を花から見る


原町−鹿島−相馬市の特徴を花から見る

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誰か訪ふ城跡に咲く藤の花夕べとなるや相馬市を去る

草深し霧のかかりて藪甘草群れ咲きにつつ鹿島の暮れぬ

ひまわりの鉄路に沿いて咲きにけり原町駅にぎわう時かな

外から来たら相馬市とか鹿島と原町の区別はわからない,ほかでもそうである
何に違いがあるのかわからない、ただ仙台とか盛岡とか比べるとわかる
でもその途中の市とか町の区別はわからない,平泉町とかは金色堂とかでわかりやすい
特徴がはっきりしているからわかりふすい,ではほかの都市でも町に何か違っているのかというとわかりにくい,その土地のことは長く住まないとわからないのである

相馬市は城跡の神社に藤の花がいつも咲いている、だから相馬市の花としてふさわしいとなる、県の花とか市の花とかあるけどこれもまたなかなかふさわしいのかどうかわからない、鹿島は車輪梅が南限の地として有名だった
この辺ではいたるところに車輪梅が咲いている

でも鹿島となるといつも真野側の岸辺を歩いているが草深いのである
草を刈らないから木も茂っている、本当はあのように草木が茂ると洪水になりやすいとある、でも自然景観から見ると自然があっていいなと自分は見る
自分はいつも景観から土地を見ている、でも実生活かけ離れることがある
八沢浦が津波で元に戻ったというときもそうだった、そこで人が死んでいても江戸時代の浦にもどったことに驚嘆した、景観がもどったことに驚嘆したのである

相馬市は

いささかに 思ひて来しを多古の浦に 咲ける藤見て 一夜経ぬべし(万葉集/久米広縄(くめのひろなわ)

この歌がふさわしいのかなとなる、いささかに藤の花が咲くと見に来たが実際に見たらもっと美しく一夜その花を見て忘れられないものとなったとか解釈できる
こういうことがある、いくら外国でもイメージしてもできない、実際に行ってみて本当にわかることがある、ただ一方で幻滅することもある
ただ実際に見た方の驚きが多いのである、とてもいちら想像力を働かせても神の創造になるものは人間の力を越える、だからこそ津波で八沢浦が元の入り江にもどったことに驚嘆したのである

原町市は同じ相馬藩内でも違っている、原ノ町機関区として物資の輸送の基点となったからである、それで城のある相馬市より明治以降は発展したのである。
だから駅前通りがあり発展した、相馬市には駅前通りはなかった
城を中心にして作られた街だからである

深草というとき京都に深草という地名があり深草少将とかの姓の人もいる
深草はまさに草深い土地だから名付けられた、ただ今になればそうした地も繁華となり昔の面影がなくなる
江戸などはもう全くない、時代劇が面白いのはストリーもあるがその景観なのである

舟がし水路をゆっくりと行く、その岸辺に菖蒲が咲いている、そこに江戸時代のゆったりとした時間感覚を感じる

舟の行く岸に菖蒲や江戸の町

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江戸は水路がありベネチアのようになっていたのである。
この辺でも小高でも浪江でも風景も違う、新地などは山が迫っているし海も近いから地勢が違っていると感じる、でも浪江は二つの川があり高瀬川の急流があるから景観的には特徴があった、山水画のような岩もあったからだ
大堀焼の窯元のあるところから高瀬川に通じていたのである。
あそこはだからいい場所だった、それも避難区域となり失われた
ただ別にその景観がなくなったわけではない、川は依然として同じようにあるが人が住まなくなったのである。

相馬藩内にはその他飯館村は特別だった、高原の村であり森に囲まれていた秘境ともなっていたのである。そこにも人が住まなくなった、あそこで田んぼの土が削られたりして
いるから無惨だったのである。

相馬市は藤の花であり鹿島は藪甘草があっているかもしれない、原町はひまわりである。現実に線路沿いに大きなひまわりが咲いていたのを見たことがあるからだ
原町には買い物で一週間に一回は行っているし相馬市は遠いがそれでも一か月に一回くらいは行っているだろう、だから自分は鹿島を基点にして相馬藩内を見ている
人間は住んでいる場所がなんであれ中心となり基点となり世界を見るのである
だから世界でも自然でもみんな住む場所によって違って見えるのである。
それは相馬藩内という狭い場所でも実際は多様であり見方が違ってくるのである。
地形的には山下から亘理までは変化を感じないのである。

蝉(相馬市に行く)


蝉(相馬市に行く)

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相馬市の道の駅

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相馬市の空き家
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相馬市の道の駅に来て青田風

松に蝉街道行くや一里かな

ミンミンの森にひびくや古き里
                      
(相馬市)

街中の川に鷺の餌あさる

幽霊も空き家に出るや暑しかな

石一つ葉影に休み障りなし

石一つ夏蝋梅の葉陰にあり

故郷に夕日の没るや合歓の花  

夕日没り里の平和に合歓に月

蛙鳴く声のひびきて夏の闇


相馬市の店に新しき茶碗買うその色よきや我が手にとりぬ


久しぶりに自転車で相馬市に行った、暑かったけどここはなんとかまだ外出できる
三時ころだから暑かったこと暑かった
相馬市の道の駅は青田の中にある、それが特徴である
原町とかは街中にある,それが対象的である
青田の中にあれば自然の中にある、でも店もないから不便だとなる、レストランもないから不便だとなる、その両方をかな備えるのはどこでもむずかしいのだ

松に蝉というとき松蝉のことではない、松蝉という種類がある、これは春とか初夏に鳴ぎだす種類だという、蝉はなきはじめている
松に蝉というとき何か落ち着いて松にとまって鳴いているという感じになる
蝉の声でも街道を歩いて聞いた時ならしみいるものがある
ミンミンも甲高くひびいている、ミンミンの声には子供の時を思い出す
無邪気に大声出して遊んでいたときを思い出す、そこには家族がいて安らぐ場所があった家族は子供の時からはじまり子供の時一緒に生活していないと家族とはなりにくいと思う故郷とは子供時代を過ごした場所ともなるからだ

日立木を過ぎて相馬市に入ると川の中で鷺が餌をあさっている、街中を流れている川が宇多川である、ただこの川は大きな川でないからあまり水量がない
でも何か相馬市にはふさわしい、相馬市は何か城下町で静かで落ち着いているからだ
そこの畠山茶店とかでコーヒーカップを買った
この色が気に入ったからだ、紫でありそこに土色がある、この淡い紫が気に入ったのである、これは女性向きだろう、何か地味な女性向きである
母は地味な女性だったからそれに重ねて思い出したりする
何か死んでから母を思うのも不思議である、生きている時は思っていなかった
今になると自分のためにしてくれる人は一人もいなくなったことで余計にそうなった

相馬市の街中に空家があった、庭も広い、平家の一軒屋だが庭は広い、誰が住んだのだろうと思う、空家が多くなっている、ノウゼンカズラが咲いていたがそこも空家だった
人間が住まないとそこに花が咲いても活きてこないのである。
花まで死んでしまうのである、それが避難区域になった小高とか浪江に行くとわかる
空き家だらけであり死の街と化しているからだ、空き家となるとその周りにも影響する
そこが幽霊の住処のようになる

帰ると夕日が山に没してゆく、合歓の花が咲いている、電車がすぎてゆく
そこで写真をとった
田舎の夜は静かであり夏の闇がおおう、蛙の声だけがひびく,都会だと人人人であり嫌なのである

ただ正直田舎の人間関係はめんどうである、地元の人すらうんざりしている
どこでも知っている人に会うから買い物をしない人もいる、頼んでいるのである。
ス−パ−でも人に会うからである
いづれにしろ人間関係がうまくいかないのは結婚して三人に一人が離婚していることでもわかる、石一つ庭の夏蝋梅の葉陰にあり涼しいとなる、そこに障りがない
でも人間関係には必ず障り(さわり)がある

穏やかな雲間に雷雨が潜むように

今日私に媚びるものが明日には私を傷つける

ほとんど重量とてないとるにたらぬ原子から

世界は最後の審判を受ける
(ハンス、カロッサ)

今日私に媚びるものが明日には私を傷つける

人間はこうして必ず傷つくし傷つけあう、今は穏やかな雲間でもそこに雷雨が雷がひそんでいるともなる、長年一緒に暮らした夫婦でも穏やかな日々が続いても破綻する、要するに人間に永続した平和が人間関係でもないのである。この詩はこの辺の状態にあっていたのである

このプログとかはつれづれままに書くのが向いている、気軽に書ける
それが即座にアップされることが強みである
一日くらい遅れになっても今の気分が反映して読まれることが理想なのである。
全国でも今月が出ていたとしたら他でも出ているからである。
ただ天候は暑さなどでも違ってくるから地域差がある、でも今の時間をリアルタイムに共有することがインタ−ネットの強みでありそれでSNSとかラインとか対話型のコミ二ケーションが普及したのである、それは今の時間を共有することができたからである。
だから本当はすぐに返答するのがいいのでありしないと今を共有できないのである
ただ自分はプログでは返答していない、プログが書くことが先決であり自分の場合長いからそこに集中して対話できないのである
一日長文でもこの頃二回アップしているからである
これだけ書くと書くことに集中するから返答の方はおろそかになってしまうのである。
タグ:街道

2018年07月17日

追い詰められた人間は一番怖い (モラルもなにもなくなる)


追い詰められた人間は一番怖い

(モラルもなにもなくなる)

今日の時代劇である人が子供と旅していて子供が病気になりその時助けられた
金が一両とか与えられて医者に見せられた
その人は名前も言わず去った、助けられた人は名前を言った
これだけだと美談だった

ところがその助けた人がヤクザであり捕らえられて牢屋に入りあと数日とかで獄門打ち首になる予定だった、そして運悪いとなるがその牢番がそのヤクザが助けた人だったのである、そのヤクザは顔を覚えていたし名前も覚えていた
その助けたことを言い牢番に難題をふきかける
それもその牢番に娘がいて仲間に娘を誘拐してとらえて人質にして牢屋から出すことを要求したのである。

こういうことを自分も経験した、これはドラマにしろそれとにたことが今の社会でもある人間社会ではあるのだ、ドラマもそれが江戸時代ならもう現代とは関係ないとなるが人間のやることは同じことをカルマを繰り返すから遠い昔でも理解できるのである

まず借金した人は追い詰められている、なんとか返すことが迫られ金がないからなんでもするともなる、借金している人はすでに犯罪予備軍である
借金することにより追い詰められる、すると金を工面するために何でもすることになる
江戸時代だと娘を女郎として売られたりする、借金のかたにされる

追い詰められた人間は本当に怖い、善悪もなにもなくなる、なぜわずかの金で殺されるのか?その人は明日食べるものがないとすると追い詰められていればそうなる
それはもう善悪の問題ではないのだ、生きるか死ぬかの問題だからである
事件はそうして追い詰められた人が犯すことが多いのである

自分が介護になり病気になったとき来たのがこういうふうに追い詰められた人たちだったのである。だから人を助けることなどできない、余裕も何もないのだ
事業に失敗して借金していたとか何か家族で問題を起こして金がなくて困っていたとか住む場所に苦労していたとかある

そんな人たちが来た時、自分が病気で弱っている、介護で苦しんでいる、そうなるとチャンスとなる、お前を助けてやるから金を出せとあからさまに言わないまでそうなったし犯罪にもあった、こうして家ががたがたになっている所だと弱者化した家は相手の要求をのまざるをえなくなるからだ
それで最初はそうではなかったと思ったが自分を意のままのようにしようとしたのであるそれは自分の金を意のままにしようとした
あからさまに金を全面に出して要求してきたのである
だから病院に入院したときその人を呼ばなかった
ただ結果的には家は荒らされて大金を失った、家の番をしていたのが泥棒だったのである
なにかこういうことがある、三人の不幸な母親のことを書いたが娘は実の母親でも5歳までしか一緒にいないし娘は母親だなと思っていない
なぜならその後に育ての親となって長く住んでいた母親すら病気になっても放置していたそして「ひどい娘だわ」と自分のところに言ってすぐ死んだのである
そういう娘が実の母親を施設に入れたのは金のためである。
その実の母親は金持ちの家に後妻に入ったからである。
それでずっと楽してきたが夫が死んだとかなり一人になって娘を頼ってきたのである
その娘は母親とか思っていない何の情もない、非情な人間と化していた
その実の母親は認知症になっていたのも悲劇である

それは自分も同じだった、自分も泥棒に頼っていたのである。
それも自分のカルマだったのだろう、この時代劇のドラマでも偶然に善意の人に助けられた、その人は名前も言わず消えた
それだけなら美談である、でも相手がヤクザだったのである。
それで最後に本性を現してとんでもないむごい目にあったのである。
しょせんヤクザとかは人は助けられない、一見情あるようでもそうではない
そのことで後でひどいめにあったからである

人間は本当に情とか愛とかいうけどそんなものがあるのかともなる
何か得られれば何かを得る、そうして計算して毎日暮らしてるからだ
無償というのはこの世にありえないのである。
事業に失敗した人は自分のために軽い荷物を一つももちたくなかった
それが態度でわかった、ただ金に困っているからその弱みにつけこんで金が欲しいというだけになっていた、その人も何日かで死刑に獄門打ち首になるのとは違うが追い詰められているからそういうふうにしか人を見なくなったのである。

その人は若い人はいい人だったという、その時は事業に失敗していないし追い詰められてもいない、会社では有能な人間として認められていたのである。月給も高かったのであるただ事業に失敗して借金で追い詰められて人間が悪魔のように変貌してしまったのであるこうして追い詰められた人間に偶然でも出会うということは怖いことである。
人間は追い詰められるとモラルを失う、今食べるものがなければ偶然あった人でも殺すとなる、善悪は関係なくなるのである。
だから追い詰められた人間は一番怖いのである。生きるためにはなんでもするからだ
何日かで獄門打ち首になるとすればもう善悪を言っていられない、俺はこれだけ悪いことしたのだからそれも当然だなどと思わないからである。
生きるためにはその時何でもする、善悪は関係なくなるのである

だから人間は別に金に困らないとか何もなければその人はいい人なのである。善人なのである。でも何かによって金でも追い詰められたら悪魔に変貌する
だから人間をそういう立場にさせられたり自らなると最も危険になるのだ
善悪と関係なく恐るべき犯罪でも平気ですることになる、そういう事件が時代に変わらず人間には起きている、

福島県会津美里町の民家で2012年7月、夫婦が殺害されキャッシュカードなどが奪われた事件で、強盗殺人などの罪に問われた無職高橋(旧姓横倉)明彦被告(46)の裁判員裁判の判決が14日、福島地裁郡山支部であり、有賀貞博裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。検察側は論告で、 119番の録音記録などをもとに、高橋被告が、被害者を刺して
キャッシュカードの暗証番号を聞き出し、震える声で「お願い」と繰り返した幸代さんを殺害した。

この悲惨な事件もこの犯罪を犯した人がなぜそうなったのか?
やはりわからないが追い詰められていた、金に困っていた、その犠牲になったのが夫妻だった、震える声で「お願い」と繰り返し言ったのに無惨に殺されたのである。
追い詰められた人間は善悪はない、ただ今自分が生き延びるためにそうしている
ただわからないのは非情化するというとき必ずしも金だけではない、育ての親をなぜあれほど非情にしたのか?すでに成人した子供も二人もいるのにそんなことができるのか?
事情があったとこはわかるがそこまで非情になれるものなのか?

その女性は金には困ったことがない、金には恵まれていたのである。
だから必ずしも金だけで人は非情になるとはならない
ただ一般的に追い詰められた人間は善悪もなくなり怖い、そして人はヤクザのように一見情があり良いことをししているようでもそういうことはできない
悪人は悪人であり善いことはできないのではないか?
だからドラマにしろその恩を受けたことで後で恐ろしい目にあったというのも現実の人間社会であることなのだ、つくづくこの世を生きることは恐ろしいことだと自分の経験で知った 

ここで恐ろしいものは実の母親が認知症になったが金があっても頼る人がいなくなっていたことなのである。それで自分のように泥棒に頼ったりすることになる
でもこれは老人になると普通に起こりやすいのである。
なぜなら金しか目的がなくなるときいくら金があっても金のことがわからなくなる
すると頼るとしても親戚でも実の子供でも金しか見なくなるからもしれないからだ
弁護士などの後見人に頼んでもその弁護士がその金を着服したり容易にできるからだ
現実にそれで逮捕された弁護士もいる

老人は金を持っていても最後は弱者化する、認知症になる人も多いからだ
つまりそうして弱者化したとき人間の恐ろしい本性が現れる
老人はそうしてもう頼る者がなく遂にはそうした金だけを狙う目的とする人に頼る
だから金だけもっていても安心はできない
いづれにしろこの世が人間がこういうものとして変わらないものであるときこの世に救いも何もない、この世に何か期待しても無駄である。
人間の本性は悪であり恐ろしいものをもっているからだ
この世から去る意外に安心はないのである。この世は火宅の世であり災いの世であり平和は永遠にない、だからこそこの世が神によっていつか滅ぼされるのである。

科学技術が発展してこの世が変わるというのも嘘である、現実にインタ−ネットで10人女性が殺されたとか犯罪の温床にもなる
原発事故だって犯罪的要素があり起きたともなるからだ
科学技術で社会が変わる世の中は変わると言ってもそもそも人間の本性は悪であり変わらないとしたらどうして社会が変わるのか?だから共産主義でも2百万にカンボジアで殺戮があっとたなるのである。
根本的に人間の本性が悪でありそれが変わらないからか科学技術でも変わらないのである
宇宙に進出しても宇宙で戦争するのが映画でなくても現実だからである。

雲の峰とカンナ(原町へ行く)


雲の峰とカンナ(原町へ行く)

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坂越えて原町に湧く雲の峰  

二手にそ湧きあがりけり雲の峰

雲の峰競い二つやはや崩る

朝の畠陽ざしの強くカンナかな

赤と黄のカンナの映えぬ畑かな  

畑にそ汗だくだくやカンナかな

のうぜんの今日も赤々と道に散る


昨日は坂を越えて原町に行く、本当に暑いからぐったりする
でも俳句とか詩とか自然にふれるとき家にこもっていたばかりでは書けないし描けない
つまり俳句も写生であり絵でも写生が基本だからである

そして不思議なのはここ十年は旅していないけど近くでも自然はあり変化があるなと思った、だから写真にとる風景は季節ごとに変わっている
昨日は坂を越えて原町に行ったら夏の雲が湧き雲の峰となっていた
それで写真を撮り俳句を作った


「若鮎(わかあゆ)の二手になりて上りけり」正岡子規

ここで二手ということが頭にあった、それで二手にした、今年はこうして夏の雲が湧いても雷が鳴ったり雨が降らない、この辺は乾燥している
雲の峰は崩れやすい

雲の峰いくつ崩れて月の山(芭蕉)

山頂や富士より高く雲の峯

富士山の山頂で雲の峰を見た、富士山でも一回しか上っていないのは残念だった
富士山は良く見ていない、また見たいと思っているがなかなか行けない
家が留守にするのが今度は不安になり行けない、何か自分は自由に旅も介護十年してから行けなくなった、これもカルマなのだろう、それだけ旅したから旅ができなくなったということにもなる

畑にカンナが咲いている、これは明るい大らかな花である
畑はするには暑い日ざしでも草取りをすなければならない、だから汗だくだくであり趣味の畠でも苦しいとなる、その畑で野菜を作る女性は太っていて体力はある
ただ畑のマイナス面がありそれを延々き聞かされると嫌になる
意外と田舎だと畑でも回りの人のことが異常に気になる
そこでなにやかにやと悪口を言ったりうまくいかいな、うまくいく人があるがうまくいかない人も多いのである、田舎は人間関係がめんどうなのである
だから都会から田舎に来る人はそれが嫌でうまくいかない人がかなりいると思う

その女性は根っからの農民気質をもっている、それはもともと純粋な農家の出だからである、納豆まで作っていた農家の出だからその血を受け継いでいるとなる
体も頑丈なのである、ただ病気もしていてしょっちゅう医者にもかかっているのである
いづれにしろ毎日草取りが仕事なのである

ここはまだ32度くらいだからいい35度とかなると限界である
福島県の浜通りのいい点はそんなに暑くなったり寒くなったりしない
でも阿武隈高原を越えると福島市に入ると暑いし冬は寒いのである
だからあんなところに住みたくない,体力がないから気候的にはここがいいのである
阿武隈高原の坂を自転車で帰ってくるとき海の方が涼しい風が吹いてきたときはほっとした、自転車はこうして風を感じるから自然を感じるからいいのである
ただ風に自転車は弱い、でも電動自転車は坂と風とかに強いからいい
電動自転車でまた遠くへ行きたいとなるが体力的に苦しいから行けない
でも近間でも季節の変化があるからこうして写真をとり俳句や短歌を作ったりしている

2018年07月16日

すべてが金で得られるのか? (最後に鏡に映せないような醜い姿になった恐ろしさ)


すべてが金で得られるのか?

(最後に鏡に映せないような醜い姿になった恐ろしさ)

ダークネス

●真善美を見る目は金では買えない

このサイトで資本主義とは何か?金だということを言っていることはわかる、きれいごとではなく金によってあらゆる価値が図られ決められる、その人がどんな人かとか関係ない、金をもっていればその人は資本主義社会では優遇される
だから一億円持っいる人は投資していれば配当金があり永遠に働かないで暮らせるとなるだから資本を金をもつことが資本主義では一番大事なことであり
きれいごと言っても金なしでは何も得られないとなる
それはそれで筋が通っているからとやくか言うことはない

例えば芸術にしたって金で計られる、どんないい絵を描いたとしても市場に出して売れなければ価値がないとなる、現実に一億円の値段の絵と数万の値段の絵があるとしたら一億円の絵が価値があるとなるからだ
ただ絵の場合は新人などではその絵の価値がわからないから最初は安い値段で買える
あとでそれが馬鹿高くなったりする
でも最初はその絵の価値がわからないのである。
その価値がわかる人ならその絵を買って損はないのである。

ところがここで問題になるのは絵を見る絵の価値を芸術の価値を見分ける人はまれなのである。芸術は創造する人がいるがまた鑑賞する人もいる
その鑑賞する目をもつことが至難なのである
その価値を見分ける鑑賞する目がないとそもそも鑑賞すらできないのである。
ただ投機的に絵を買う人がいる、それはその絵の価値が決まってからそうしている
ではその絵が画家でもわからないことがある,ゴッホの絵は生前は一つも売れていない
その時その絵を見分ける人がいたら億万長者になっていたのである。
安くその時買えたからである、でも誰も買わなかったのである
つまりその価値を見分けることがむずかしいからそうなったのである
芸術というのはそれだけ鑑賞することがむずかしいからそうなる
他の商品だと食品だとかうまいとかうまくないとかわかりやすいから市場化しやすいのである、たいがい高いものはうまいし品質がいいのである
他の商品でも高いものはたいがいいいものであり値段通りになっていることが多いのである

でも芸術に関してはすべて金で買えるとはならない、芸術は鑑賞すること自体むずかしいのである、確かに家にピアノがあれば自ら演奏していれば音楽を鑑賞する力がつく
でもそもそも一つの楽器を習得するには時間がかかる
ピアノがないなら今なら電子楽器があり買える、でもそれを習得できる人とできない人もいるし時間がかかるのである。
だから才能がなくても何か一つの楽器でも時間をかけて覚えれば音楽を深く知ることができる、鑑賞もできる、でもそれには時間が必要になるのだ
その時間はみんな平等に与えられている、金があるからと多くの時間は与えられていないのである。だから時間では平等なのである。
時間も買えるということは確かにある、大金持ちだったら家事を頼めば自由な時間をもてて何かに没頭できるということはある
だから時間は金で買えるということはあるにしてもその時間でも何倍にも増えるとうことはないのである。時間はみんな同じ時間しか与えられていない、多少増減はあってもそうである

だから人生は才能というより何に時間を費やしたかで決まるのである。
それが人生だったとなるのだ、会社勤めするにしても職業でも経験するのは転職したとしてもいくつか限られている、経験することは限られているのである
それは時間がないからなのである。もし無限の時間が与えられていればいろいろなことを経験できるからである。
いくら金があっても金持ちの家でなんでもしていいからは言われてもその人が何か特別な人になるのかというとそうでもないのである一億円で何もしないで暮らせることは本当だとしてもではその時間を何に使うかでその人生も決まる、毎日ギャンブルして暮らせるしゲームしていてもいいし何もしなくてもいいでも時間は確実に過ぎてゆく、それが意外と早いのである
金がなくても社会で会社でも就職して何かスキルを身につけたり会社で働いて社会のことがわかるということもある
でもいくら金があっても何もしなくてもいいとしてもそこで時間を有効に使わない限り何も得られないのである。

確か金があれば留学できたりとか特別な経験を積むことはできる、すると語学も覚えるようになったり国際感覚が身についたりする
学歴も金で買えるとかもなるのは金持ち階級なら本当だろう
でもそうできたとしても本当に何かを身につくということはまた別である
医師の免許をとれて社会で地位があり収入もいい安定した生活を送れるということはある
それで最初から格差社会では階級社会であり資本がある、金がある家に生まれれば将来が約束されたのだとなる

でも人間はみんな医者になることが人生ではない,それも向き不向きがありいくら金になる社会的に評価されるとしても向いていない人がなればその人生は誤ったとなるかもしれない、その人なりの人生を生きればよかったとかなる
それは意外と老人になってからみんな悔やんでいるのである。
老人で過去を人生を悔やまない人は一人もいない
なぜなら人間は意外と何もできない、あれをやりたいとか何かになりたいと希望をもっていてもたいがい何もできずに終わっているのである。
それは人間の時間があまりにも限られているからである。
なんだこれだげで終わりかとなるのである、そのことにみんな愕然としているのである

それは金持ちでも何もしなくて生きることができた人でも同じなのである。
金はもっていたけどその金を活かすこともできなかった
ただ無駄に時間を過ごして何も得られなかった、これなら働いていた方が良かったとかなる、何も経験しないから何も身につかなかったとなるのである
だから金があっても時間を有効に使わないものは何も残らないのである。
まず金があっても芸術に関してはまた学問でも雑学でもそれを習得するには時間がかかり簡単に身につかないのである。
芸術だと絶えず見る目を育てる必要がある、それにはまた時間がかかるのである
別に今はインタ−ネット上にいくらでも写真とか絵が出ているから学べる
でも見る目を育てるには時間がかかるのである 

●モラルを失うことの怖さ

そして人間は金があってもモラル的に堕落するとこの世にある自然でも真善美が見えなくなる、金があるからと放蕩する人もいるがそういう人は何もこの世にある善きものを探求したりできなくなる、見えなくなるのだ
この世の悪に染まってもそうである
だからカルト教団みたいなの所に入っていてもそうである
銀行でも今や何かブラックになっていた、この世は宗教を看板にしていれば崇高なものを求めるているのかと思えば全くそうではないただ数を集めて権力をとり利権を得るためだとなる
拝めばそうした利権が得られるからとすすめている、それは世俗と同じなのである。

だからそういうところに勤めていれば自ずとこの世の汚れに染まってくる
そしてこの世にある自然でも良きものが見えなくなる恐怖があるのだ
ただこのことはあまり考慮しないのである。
月給が高くなればいい、金になればいいとしか考えないのである。
銀行などはそうして地方でも真面目な働き場だと思っていたがそうではなくなっていた
カルト教団もそうだがそういう会社もブラックになっていたのかとなる

そうなるとそんな会社をやめて別なことを追求すればいいともなる
でも金がないからできないのが資本主義だということにもなる
ブラック会社であれ金を得なければ生きていけないからである。
一億円たまれば遺産でもあればそんな会社に勤める必要がないとなるからだ
ただ別にすべてがブラック会社ではない、社会がそもそもそんなブラック会社ばかりだったら成り立つのか?   

今は人手不足になり働く人がいなければ会社もつぶれる、そんなブラック会社には働く人がいなくなる、現実に銀行をやめる人が多いというとき何か疑問を感じたこもある
こんな仕事していいのかと疑問になる人もいてやめる
そうしてブラック会社は消えてゆく、それは社会がモラルなしでは成り立たないからである。不正して人をだましてもうけて栄えるようなことは神も許さないからである。
一時的にはいいとしても世界でもそういうことはありえないのである。
戦争で他国を蹂躙して金持ちになる国は栄えないだろう
アメリカにしてもそういうことがあっても発明したりいろいろと先進技術をせ世界に普及したから金持ち国家となったのであり戦争に強いからとそれだけで世界をリードできないのである。

人間は確かに金は必要だし金の力は大きいから否定はできない、でもそれだけですべてが決まるのか?
モラルに反して金儲けする会社が生き残れるのか? 社会的に認められて繁盛するのか?
そして自分は常に感じてきた、この世の自然でもそうしてモラルに反したことをしていると善きものが見えなくなる、これは本当はかなり怖いことである。
そのことを真剣に考えている人は意外と少ない、ただ金があればいいしか考えない
つまり人間は悪魔に魂を容易に売り渡す存在なのかもしれない
金を得ればいいとして魂を悪魔に売り渡す、ちょっと嘘ついてもいいではないか
そんな固いこと言うなよとかなり容易に魂を売り渡す、そうするとこの世の自然でも良いものが目に見えなくなる、それは濁った水であり花でもなんでも美しいものが映せなくなるのである。

● 真澄鏡(まそかがみ) の意味

なぜ日本では鏡が三種の神器なのか?

真澄鏡(まそかがみ) は「見る・照る・研ぐ・懸く・清き・向ふ・面・影」などにかかる。

『池水に 左の目を洗ひ 日霊に祈り 右の目を洗ひ 月に祈り イシコリトメが マス鏡 鋳造り 進む』4文

鏡は何かを写すというとき実は姿だけではない、心も写すから畏れたとなる
悪しき心も写すからそれで畏れた、鏡は姿だけではない心を写すから畏れたのである
左の眼を洗い右の眼を洗いそして太陽に月に祈るという信仰は自然信仰である
太陽でも月でも清いものであるからだ

あさか山かげさへ見ゆる山の井の浅くは人をおもふものかは

 とよみて、木に書きつけて、庵に来て死にけり。

 とあるが、文中あさか山の歌は早く万葉集巻十六に出るもので、説話はこれにヒントを得て面白く構成されたものであろう。筋は京都の某大納言の娘で世に優れた美女が、男のためかどわかされて陸奥国|安積山《あさかやま》に棲んでいて鏡を持たない儘に過していたが、或る日男の留守中の佗しいままに、山の井の水鏡に姿を写し余りにも変り果てて恐ろしげな己の容姿を歎き恥ぢて、男の帰りも待たないで死んで行くというのである

 この物語はまさにそれを示している、井戸の水も鏡の代わりになっていた
その井戸水に姿を映す、そしたらその姿があまりも恐ろしいものとなっていた
それでショックで死んだとなる
こういう恐れを自分は常に感じてきたのである。何か悪徳に染まりこの世でも自然でも良きものが心に映らなくなることである。
そこで悪魔に魂を売ってもそうなったときその姿まで変わりショックで死んでしまうともなる、それほど恐ろしものとして鏡でも山の井でも神聖視されていたのである。

金の力は資本主義社会では本当に大きいから金がすべてだとなる
それもわかるがだからといって金のために魂まで売っていいのか?
その時自分の姿を心を鏡に山の井に写すことができなくなる、その醜い姿を見てショックで死んでしまうとなる
確かに金でなんでも買えるとしてそうしてたら自分の姿が鏡に山の井に写せないものとなっていたとなる、その罰の方が怖いのではないか?

その罰は確実にある、そんなことを言ったらこの世を生きることすらできないともいう
でもまたどっちが怖いことなのかと人生をふりかえれば真善美が見えなくなる
鏡にも山の井にも写せない姿になる、それが怖いとなる
ただこれは金だけで起きてはいない、別に金だけではない、人間は金があっても金と関係なく変わり果てることには驚く、現実に悪魔のように普通になってしまうのをみんな見ているだろう、自分でもそのことを常に恐れていたし今でもそうである
ただこの世が汚れているというときそれに染まって感じてなくなる
若いときは感じてもやがて感じなくなる、世の中はそんなものだよとなり世渡りする
でも最後にその姿を見れないような恐ろしげな姿になっているとしたら怖いことである
天国だ地獄だというけど地獄とはこのように真善美とかが見えなくなることなのである。
地獄とはそういう場所なのである。それはすでにこの世で始まっている、それが天国まで継続している
この世と天国でも地獄でも断絶しない、継続している

●この世の富は一時的で永続性がない

だからこの世でいくら金持ちになったとしてもこの世で善きものが真善美が見えなくなっていたらその人は地獄に行く
ただカルト教団とかに入っていたとしても教会に入ったとしてもそれは外面的なものであり真実はわからない
ただ目安として何か真善美が創造されるのならそこにはいいものがあるとなる   
そういう外面は宗教となっても中味は教祖でも悪魔の場合が普通にあるからだ
一人の教祖を異常に崇めいてるのはその教祖がサタンの場合がある,偶像にもなる
その教祖のコピ−でありその大量生産だからである
ただ数ばかりであったり数で誇示してもそこから真善美が生まれないとしたらその団体には価値がない
それでルネサンスがあれほどの美を創造したということに驚嘆する
やはりそこには下地となるのもがあり生まれた、なぜなら現代文明からもう生まれないからである。
そういう下地が時代的に喪失したからもう生まれないのである
ただ個々人的には生まれるが全体としての真善美は生まれないのである。

 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むこともなくまた盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
(マタイによる福音書六章19節021節)

この世にいくら宝を積んでも最後は虚しくなる、いくら金があっても老人になると使うことすらできない,病気になって健康を失えば金があっても特等室でも寝たきりで天井を見ているだけになってしまう
そしてこの世に生きる時間が短すぎることである、王様であっても生きるときが短いのである
栄華の時は短いのである。だから豪華な宮殿に住んでいても宮殿は残りそこに住んでいた人は死んでしまうから宮殿が建物の方が寿命が長いのである。この世の栄華はたちまにち消えてしまう、煙のように消えてしまう、人間も死んだら煙のように消えてしまう
人間の作りだした栄華には永続性がないのである。文明でもみんなジャングルに埋もれたり砂に埋もれたりしている
海に沈んだという文明都市もあるらしいとかなる
つまり人間の作り出した富には永続性がないことは致命的なのである
力も富も権力でも女性の美でも永続性がない、たちまち色あせて衰退して見る影もなくなる
人間はいくら力を権力を誇示しても一時的なものにすぎないのである。
地上の富は永続性がない、人間は建築物より寿命が短いがその建築物でも錆びついたりしてやがては朽ちてゆく
ピラミッドは永続性を維持しようとして時間に抵抗したものだという見方もできる
それだけ長い時間でも残っているからだ、人間はせいぜい百年生きてもみんな地上から消えているからである。

2018年07月15日

三人の不幸な母親 (因果応報は必ずある、カルマは最後に苦しみとなって現れる)


三人の不幸な母親

(因果応報は必ずある、カルマは最後に苦しみとなって現れる)

その女性の親は三人いた、5歳までは実の親が育てていた、ただ姑とうまくいかず5歳で家を出た、娘は姑に育てられた、その原因はあまりにも気の強い姑にあったが嫁にもあった、なにか新興宗教にこっていたらしい
その実の親は金持ちの家の後妻になった、何不自由なく暮らしていたのである。

次に姑に育てられていたが新たな嫁が来たがその嫁も姑とはうまくいかず別に暮らすことになっいた、姑ととは別な家で暮らすことになった
だから姑には問題があった、とても一緒に暮らせるような女性ではなかった
その女性自体が後妻に入っていたのである。

そしてその時自分の母親はその後妻に入った継母に育てられたのである。
そのことで聞いた話でひどいなと思ったのは
「継母が弁当を作ったのだがそれを残した、そしたら俺の作ったものは食べれないのか」とその弁当を投げたという、これはひどいなと思った
継母ということがあり何かそういうことが他でもあるだろう
ともかく母の実家は問題の家だったのである。

その後三人目の母親に娘は育てられた、ただその娘はかわいがられたし金には困らない
だから不幸の生い立ちの人はいるからそんなに不幸なのかということもある
両親が死んで施設にあずけられたとかあるからだ
今度はなぜか三人目の母親とはうまくいっていたようだが何かと干渉するので反抗するようになった、自分の家ではあまりその三人目の母親とはうまくいかずつきあっていなかった、ただ娘はうまくいっていると思っていたのである。
別に継母でもない、かえってかわいがりすぎてて問題になった
でも自分の母親のようにひどい継母の仕打ちなどしされていないのである

その後どうなったのか?
最初に5歳まで育てた実の母親は病気になり娘を頼ってきたのである。
それまで長い間会っていないかったのである
でも夫が死んだりして一人になり頼るものがなくて娘に頼ってきた
しかしその時その娘は異常人格者になっていた
自分の家にきて自分の母親に弱って寝ていたのだが
「おばちゃんは金あるんだから金でめんをとみてもらへ」
と言って血相変えて去って行った、その後は会っていない
あんな人間になったことに驚いて声も出なかった

その娘は三番目の一番かわいがられた母親にも病気なったとき何もしない
放置していた、そして自分の家に自分に電話で言ってきた
「ひどい娘だわ」と言って白血病ですぐに死んだのである。
すぐに死んだから良かった、それが介護になったらどうなったのか?
とても介護などできる娘ではないからだ
それが救いだったのである

関係がうまくいっていなかった自分の家でもあるが最後に自分に言った言葉は忘れられないとなる、娘は葬式をちょっとして何か孝行したようなことを言っていたという
全然違う、ある意味で呪いの言葉を残して死んだのである。
いろいろあっても一番世話してくれた母親だったのだからそれが理解できないのだ
まずその娘は異常人格になっていた、血も涙もない人間のようになっていたのか?
長い間会っていなかったから人間は変わるものだと思った
悪魔のようになってしまったとも見た

そして最初の5歳で別れた実の親はアルツハイマーになった、娘は何もしない、金をもっているので金だけに関心がある、後妻に入った家にも息子がいて金で争っているらしい
この娘は実の娘だと母親がたよっているけどそんな感情は微塵もないのだ
現実に最も長く一緒にいてかわいがられた親が病気になっても何もしない、捨てていたからである
そんな娘に頼る実の親も不幸であり怖いと思った、実の親だと自分は思っていても相手そんな感情など微塵もない,ただ金になるから施設に入れているだけなのである。

そして自分の母親の継母だった人は施設に長く入っていたが目が見えなくなって妄想してしいた、性格があまりにも気が強くて回りとうまくいかなかったらしい
そして目が見えなくなり自分の母親を頼ってきたのである。
自分の母親は子供の時そうしてひどいめにあったしその後もいろいろとあまりにも気が強い人だからひどいめにあった
でも自分の母親は親だということで施設に見に行っていたのである。
そして最後に「悪かったな」と言って死んだ、何か反省してそう言ったのだろう
その骨は大学病院で解剖されて自分の家にもってこられて母の実家の墓に収まった
何か自分の母親の実家はいろいろな問題がある家だったのである。
父親が警察署長であっても事業に手を出して失敗して一家離散のようになったり問題があった

人間は結局因果応報でありカルマから逃れられない、必ずそうしたカルマが行為の報いを受けるのである。カルマが苦しみとなって現れる
三人の母親を不幸にしたのは何なのか?
最後の後妻の母親のことはわからない、その娘のことがどうしても理解できない
いくらいろいろあってもそこまでなっていることがわからない
それは娘自体の人格異常でありそうなった原因が最後の母親にだけあるとは思えないのである。

人間は結局カルマから逃れられない、因果応報は必ずある
それが必ず苦しみとなって現れる,そしてカルマを積まないものは一人もいない
何かしらカルマを積みそれが苦しみとなって現れるのである。
その現れるのも死ぬ間際になってとかになる
そうしてカルマを積んだ人がほとんどなのだから人間の死の様相はいいものとならない
断末魔の死が多いのである。
それはカルト教団に入っていても同じある、決してそのカルマはカルト教団に入っても解消はしない、むしろカルマをまた悪い方に積んだいるのである。
自分の母親はいろいろと苦労したけどいつも眠るように死にたいと言っていた
それだけはかなえられた,百歳でそのように死んだからである
でもほとんどの人の死はいいものではない、断末魔の死なのである。

2018年07月14日

土地のカルマを知れ (呉市は70年前に2000人が死んでいた!)

土地のカルマを知れ

(呉市は70年前に2000人が死んでいた!)

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過去の主な土砂災害一覧表

No.発生年月要因主な被災地被害概要

大正15年9月集中豪雨広島市山本川(祇園町死者24名),温品川(温品町,死者4名),畑賀川(瀬野川町,死者69名)他
昭和20年9月枕崎台風呉市,大野町死者行方不明者2,012名
昭和26年10月ルース台風大竹市,佐伯郡死者行方不明者166名
昭和42年7月豪雨呉市死者行方不明者159名
昭和47年7月豪雨三次市死者行方不明者39名
昭和63年6月豪雨加計町死者行方不明者15名
平成5年7月台風5号戸河内町,筒賀村家屋全壊1戸他
平成11年6月豪雨広島市,呉市死者行方不明者32名
平成13年3月平成13年芸予地震呉市死者1名,家屋全壊58戸他

呉市はまわりが山で囲まれていたから土砂崩れが起きやすい場所だった、そういう土地のカルマを宿命的にもっていた
驚いたのは昭和20年に台風で2000名も死んでいたことである
そして同じように災害で被害があった、災害はカルマとして繰り返されたことである
カルマはくりかえされることである
人間に業(カルマ)があり同じようなことが繰り返されて苦しむ

カルマは苦しみとなって現れた時に意識する

カルマは何もなければ意識されないのである、ただ苦しみがあるとこれは何なのだろうとして意識して考える、何もなければカルマを意識しようがないのである
カルマには大きな災害もそうだが個々人でも家族でもいろいろなカルマがあるからそれがわからないのである

この辺では相馬地方では津波が来ないとみんな思っていた
津波の経験した人は誰もいないし記録にもなかった、伝説があっても注目した人はほとんどいない、ただ記録として生波で700人溺死として相馬藩で記録していた
ただ二行だけでありソ被害の状況も何も記されていないから本当に津波があったのかどうかいくら調べてもわからなかった、言い伝えも何も残っていないからだ
でもカルマは確実に苦しみとなって現れる
その時カルマを意識する、ただ400年前の津波で人々700人溺死したとしてもそのことについて何もわからない、やはり今回の津波のように苦しみ死んだ人たちがいたとなる
呉市の場合は昭和20年だからそれを経験した人たちも生きている
そんな昔のことではなかったのである。2000人も死んだことを簡単に忘れることはないだろう、呉市は山に囲まれているから土砂崩れがあれば大被害になっていたのである。そういう土地のカルマを背負っていたのである。

自分の家も伊勢湾台風で被害が大きかった、土地が一番低い所にあったからだ
その後も川が堤防が決壊して被害があった
二回水害にあっている、それは土地が低いという土地のカルマであり宿命だったのであるただ河川改修してからは洪水は起きなくなっていたのである。
ただ津波が川を上ってきたときは堤防から水があふれていたのである。
それは500メートルくらい下だったから危なかったのである。

やはり今回でも倉敷の真備町では河川改修始めるところだったが遅くなり大被害になった
ともかくカルマはわからないことがある、何もなければ意識されないのである。
ただ苦しみとなったとき意識する、土地のカルマがありそこに同じような災害が忘れたころに起きてくる、津波とかなるとその間隔が長いから全く意識しないようになっていた
でも400年でも1000年でも大きな地震が津波が起きるように日本では土地のカルマで起きる、だから呉市で70年前に2000人死んでいたことでそういうカルマのある土地であり同じような災害が起きても不思議ではないと思った
posted by 天華 at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層