2018年10月31日

(秋から冬へ−初時雨)桜井古墳による

  
(秋から冬へ−初時雨)桜井古墳による
                                                  

森の中常行く道や残る虫

我が齢一年老いぬ初時雨

新築の庭の石濡らし初時雨

墓守りや烏とまりて木守神


新築の家建ち並び幾年や秋の日のさしてここになじみぬ

無人駅待つ人あれや秋の薔薇我が見につつくれにけるかな

ゆるやかに雲の流れて我がよりぬ桜井古墳に秋の蝶とぶ  

みちのくの桜井古墳大なりきここを登りて秋となるかな

みちのくの大なる古墳いくつかな海を望みて秋となるかも

耳澄まし桜井古墳に残る虫その音を聞きつ我が帰るかな


季節の変化がおかしい、秋となったがすぐに冬になった、なぜなら今日ははっきりと時雨になった、時雨らしい時雨だったからだ、初時雨になる、時雨は冬の季語である
明日は11月なのだから冬に入ったのである
ただこれまで結構あたたかいから秋という感じになっていた

家でも新しい家が多いけどなじむには時間がかるとなる、農家などはそうして江戸時代から定着しているとかあるから土地になじんでいる
この辺で他の土地から浪江とか小高とか他から移り住んでいる人が増えた
ただ誰が住んでいるかはわからない、もともとここに住んでいた人もいても何か他から来た人たちである、立派な家を建てたのは船主だとういことは原町でもそうだしここでもそうだというのはわかった
その他はわからない、ただこの土地の者でないものかなり住むようになったことは確かである
それで双葉か大熊なのかコンビニ強盗に入ったとか聞いたがそれが本当だとするとやはりそうして原発避難区域から入ってきている人がかなりいる
その人のニュースがあっても後はわからない

無人駅では駅では人が待っている、鉄道だと待つという時間が何か人間的なのである
高速だと待つという感覚がないからである、だから鉄道は車とは相当に違ったものとしてありつづけたのである、そこで出会い別れを演出した歴史ともなっているのだ
だから利便性だけで廃線にしたくないという地元の気持ちはわかる
でもどうにもならない、そんなことでとても残せないからだ

桜井古墳は大きい、こんな大きいものをこの辺で原町で作ったということはこの辺の経済力というか力を示している、桜井古墳は海側にあり海を望んで川も望んでいたとなる
海を望む古墳はあってもみちのくではない、ただ亘理の雷神塚古墳とかでも実際は古墳が作られたときかなり海が入り込んでいたから海側にあった古墳となる
でも今でも海が近く感じられるのはみちのくでは桜井古墳くらいかもしれない、
あそこは散歩の場所としてもいいからたちよる

ともかく初時雨だったけど最近腰をういためた、神経がぴりぴりして痛みがとれなかった一層白髪にもなった、それで体が弱ることが恐怖なのである
自転車に乗れなくなったらもう死んだようになる、それで車の免許を返納した80歳の人が失敗したというときまさに足がなくなることは極端に生活に支障をきたすからである
まず原町まで買い物に自転車で行けなくなったら不便になる
原町は8キロもない所にあるからそれで助かっているのだ

秋から冬なのだけどどうしてまだ秋であり冬という感覚にならなかった
でも明らかに時雨であり冬に入っているのである
ただ秋時雨とはかもあるから季節的には変だなと思うが今日は北風も吹いたし寒かった
やはり冬になっているのである
今家に帰ったら北風が吹いて唸っている、やはり冬になっている

2018年10月30日

我が父の残せしもの (家や土地には歴史が必ずある−老人は語り部になる)


我が父の残せしもの
(家や土地には歴史が必ずある−老人は語り部になる)

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昭和35年となるけどこれを書いてすぐに死んだのである
何か残したいから書いたとなる

我が父の残せしもの

我が父の葛尾村から出て
双葉の新山の酒屋に
丁稚奉公する
その後暖簾分けしてここに住む
良く縁側で煙管を吸いくつろぐ
楽しみは味噌を焼いたもので
酒の肴にして飲む
高度成長時代の贅沢を知らずして死ぬ
最後に言いしことは
サシミを食えるようになったのに食いたくねえ
病気になりで伏してそういい死ぬ
姉のバナナを仙台に行き買うも
物なき時にあえなく死にぬ
我が跡を継ぎてその苦労を偲ぶ
この土地は街にて悪しき土地なりしも
父の苦労して買いしもの
そこに我は住みえしなり
父死して半世紀ははや過ぎぬ
しかし今になりて父を思いぬ
我がここに住めるは父ありし故なりと・・・・

人間の一生をふりかえればどんな一庶民でも何かを残している
それは自分のことだけではない、必ず親がいるから親の一生も受け継いでいるのである
父のことはあまりにも前のことだから思うことがなかった
ただ自分の家族が全部死んだとき意識するようになったのも不思議である
何か人間はかならず老人になると死ぬ頃になるとこうして自分のことならず家のことでも昔をふりかえるものだと思った
もし家族がもっと早く死んで後継いでいたらもっと早く思っていたかもしれない

自分の家の歴史をふりかえると父が買った土地は低い場所にあり悪い土地だった
低いから洪水が二回あり浸水した、それも床上浸水であり小学校の時の台風では屋根の下まで水につかり家が流されたと思った
その後も堤防の決壊があり床上浸水があった
その後河川改修して川が広くなって水害はなくなったのである
その土地にも歴史がありそこがどういう場所か知るべきだとなる

どうもふりかえると父がなぜ字を覚えたのか?
それは酒屋の丁稚奉公して覚えたのかもしれない、丁稚で帳簿など扱うから教えられたとなる、そういう教育機関としても丁稚があったからだ
どうしても葛尾村のような山で明治になってから教える所があったとは思えないからだ
明治生まれとなると字が書けない人がまだいたのである
母は尋常小学校をでて字は書けていた、つまり大正生まれになるとたいがい尋常小学校をでているから字を読めたし書けた、明治生まれだと字を読めないとか書けないとかの人がいた、大正生まれでもまともに学校に行かない人もいた
子守りして小説を読んで覚えたとうか言う人もいる
日本では江戸時代になると寺小屋でみんな字を習ったり覚えたと限らない、そういう人は恵まれていた人なのである

こうして二代くらいでも家には歴史がある、するとその歴史を偲ぶことにより今生きることがどういうことなのかその意味を知る
この辺でも原発事故で避難した人が多いし若い世代は流出して帰らない
それはまだ家でも歴史がありそれがどういうものか認識しないからかもしれない
第一何代も江戸時代からつづく家系がこの辺には普通にある
先祖の土地は売らないというのはその土地の価値を知っているからである
私自身も今住んでいる土地がどうして得られたのか?
そのことをふりかえって父が苦労して買って手に入れたものだということを今になって意識したのである
それは結局家族が全部死んだからそう意識するようになったのである

先祖代々の田を売るなととなり田分け(たわけ)という言葉が生まれた、それは農業が主なときは土地が一番大事だからである、だから田を売るものは田分け(たわけ)となったのである、ともかくこうして歴史は個々人の家にもありそれを知ることでも歴史の重みを知ることになる、人間は歴史的存在なのである
人間はとても何でも一代では作れないようになっている
代々作られてきたものが歴史なのである
先祖を無視して歴史を無視して今の人間もあり得ないという自覚をもつべきなのである
でもこの辺ではそういうことが土地でも放射能に汚染されて捨てられたのである
そのことの意味は後でふりかえり失敗したとかなるかもしれない、その価値あるものを捨てたことを後悔するかもしれない、歴史がそこでは断たれたということが実は大きな損失だったとか自覚させられるかもしれない、何か歴史というのは時間がかなりたたないと認識できない、50年以上とか過ぎて父のことを回顧しているのもそうである
人間は何が大事なのものかその時々懸命に生きていてもわからないのである
ただふりかえると明瞭に見えてくるものがあるのだ、それは時間がたつことによって見えやすくなるのである、一生でもふりかえればあの時はこうだったのかとかわかりやすくなる、あんなことをしなければよかったとかあうすれば良かったとかみんな後悔しているはそのためなのであ

ともかく現実に今は私の家族で残っているのは自分一人なのである
だから自分一人が墓守りになっているのである
あとは誰も守る者がいないのである
そして過去を語り歴史を語るのが自分の勤めでありみんな老人になると語り部になるのである、つまり郷土史とは一人一人の家でもそうだが先祖や自分の一生を語ることなのである
歴史的価値というとき金で計れないものがある、自分の家はもう金銭的には何の価値もない、他でも空き家が膨大に増える
するとそれも金銭的には価値がない、でもそこに思い出とか歴史がありその価値は子供が受け継げば活きてくる
それを自覚するのはその家の子孫だとなるからだ、子孫がいなくなればその歴史の価値をなくなる
だから歴史的価値は必ずしも金銭的なものに換算されたりできない、でも価値あるものだとなる
つまり精神的価値あるものとしての歴史がある、ただ金銭的に換算されるものだけを見るが精神的価値を受け継ぐことも歴史である
だから遺産相続でもめるのはただ金銭的価値だけを見るからである
でも本当の継承者は精神的価値を受け継ぐ人だともなる、それが見逃されているのである
先祖でもその精神的価値が伝えられるなら喜ぶとなるが金銭的なものだけに換算されると生きている時から嫌だとなる
一方でもし残したものが金銭的なものとして換算されるものだけだったらまたそれは金銭に換算されて終わりだとなる
子孫に美田を残さずというとき精神的価値なら残してもいいとはなる
でもそれが半世紀以上過ぎて私が自覚したようになかなか自覚しにくいのである
そこに歴史の価値を知るむずかしさがあったのである

とにかく人が死ぬとどうなるのか?
これにはいろいろ言うけど死んだら灰になるし骨も残らない、すると人間が死ぬと何なるのか何が残るのか?
それは骨でも灰でもない、その人の物語だとなってしまう、だからこそhistory-storyなのである
人間は死ねば個々人であれ家であれ国でも物語として残されるのが歴史である
死んでも歴史の中で人は生きてゆく、だから歴史上の人物になれば死んでも歴史の中で生きてゆく
大方はただ孫くらいまでは語られるがもうわからなくなる
名前くらいは何とか系譜の中に残ったりするがその人となりも不明となる
ただ郷土史というとき明らかに個々人でもそうだが一軒一軒が歴史である
何かかにその家に伝えるものがある、それが郷土史の基本にある
だから一つの家の歴史が失われることは損失ともなる、それが原発事故の避難区域で起きたのである
歴史の継続が断たれる、限界集落などでも廃墟と化した村がある
そこにはお参りもしない社が残されているのである

墓守りや烏とまりて木守神

墓という物体に本当は故人があるわけではない、実際は故人は物語として残る
なぜなら墓だって永遠ではない、もう跡継ぎがいないとか維持できない
そしたらその物体を守り維持できないのである、残るのはその人の物語であり歴史として残るとなる
posted by 老鶯 at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

ひきこもりは異常なのか? (異常と正常とは何なのか?文明人はほとんど異常である?)


ひきこもりは異常なのか?

(異常と正常とは何なのか?文明人はほとんど異常である?)


私自身がひきこもりだった、社会不適応者として遂に人生も終わり死ぬとなる
ふりかえれば異常だったともつくづく思う
何かひきこもりとか一旦社会から外れた人は社会の常識がわからないということがある
簡単なことすらわからないままになってしまうことがある
だから社会人として勤めた方がいいとなる

ただでは異常と正常とは何なのか?
たいがい会社勤め?で適応できないものは今は病気にされて排除される
何かしらの病名をつけるのである、この人は病気なのだとして社会で認定して接することになる
それで深層ニュースでもその関係の人が出てきて話する
医療関係者がいろいろ言うということでもわかる

では社会人として勤めている人がすべて正常なのか?
これもわからないのだ、社会に過度に適応している人はかえって異常なのかもしれない
そうして文明そのもの批判するアウトサイダー生まれた
その対比で文明人が過度に今の社会に適応した人は異常だとなる
本当の人間だったら適応できないのが普通だからである
まず全人間として生きるとしたらかえって特別優秀な天才などはもう社会人にはなれない結局社会人として文明人として生きることは無数のパーツとしてしか生きられないのである、そこですでに文明人は異常化しているのである

それは大きな見方としてあるが本当にではひきこもりはまた違ったものでも異常なのかということはわからない
公務員として勤めて夫婦であり子供も成人している人がいた
その人は異常人格者だった、まず人への同情心がない、それは自分の家系とかの問題があるにしろ異常人格者になっていた
それでも世間から見たら極々普通の模範的な人として見られていたのである
何らそこには異常性は見られない、模範的な社会人なのである
でもその人自身も夫婦も異常な夫婦だと見た

何か変だなという人が社会で成功している人にも普通にいるだろう
事業に失敗した人でもそうである、その人は社会的に認められていた人だったからであるでもその人も人のことなど考えない思いやりもないただ成功していることを世間に見せてやるとかしかない異常人格者だったともなる
でも現実に世間ではそう見てないなのである、ただ多額の借金をかかえこんでいることを知ればまた違ったものになるかもしれない。
一応小さな会社でもは社長のような立場になっているからである

例えばこの文明社会に過度に適応して成功している人間、ほめたたえられている人間がもしかしたら異常人格者かもしれない、良くサイコパスとかいるがそういう人が普通にいるのかもしれない、むしろそういう異常人格にでもならないと今の社会では成功しないかもしれないのだ、ナチスとかいたけどなぜそんな信じられないことが社会を席巻したのか?ナチスは何者だったのか?それが一国を導き多数の人を死にいたらしめたのである
異常人格者に導かれてそうなったとするとそれは文明そのものが異常だったとピカートとかの思想家が指摘したのである

何が異常なのか正常なのか?例えば科学者で優秀でもフランケンシュタインのようになる人もいるだろう、科学でも機械マニアとかいてそういう人は社会適応性が欠けている
人付き合いが苦手でもものすごく機械に通じている優秀な人もいるのである
そういう人も育てることが日本では必要だと科学者も言ったりする
でもそういう人も社会的に適応できない異常者にもなる

正直自分も人生を生きて異常だったと思う
根本的に人付き合いができないということでそうなったともなる
ひきこもりの問題はそういう何かアウトサイダーとかの問題ではない、一般化した問題である、それを可能にしたのは豊かな時代であり別に金を稼がなくても生活できるからそうなったのである、それはそういう時代が生んだものなのである
ひきこもりとか異常になるのは「小人閑居して不善を成す」とか必ずなる
つまり社会生活を勤め人として生きられる人はある意味でロボットとして生きられる人だともなる、一方で社会からはずれて生きる人も特別優秀で天才のようて人でないと必ずこうなる、なにかおかしな方向に行ってしまうことがある
もしひきこもりで不善を成さない人がいたらその人は本当に珍しい人だとなる
それは聖人とか天才とか中国だと君主だとかまれにみる人だとなる
別に自分はそういう人ではない、かえって落ちこぼれであり才能もない普通の人間だった

そういうことがあるから普通は社会に適応して真面目に生きろとなる
でも経済的豊かになれば別に食べていければ会社勤めをしなくてもいいからそうなる人が増えるのである、とても貧乏な時代ならできないからだ
とするとそうして余裕を与えられる社会だからそういう人たちがいても寛容であっていいともなるが現実は親の介護になったり死んだり親がいなくなると塗炭の苦しみにあう
それを私はプログで書いてきた

奇妙なことはそこで自分を苦しめたのは社会的には正常そのものの人たちだったのであるその人たちは本当に犯罪者であったり異常人格者だったのである
そのために自分は苦しめられた、恐怖におとしいれられたのである
だからそもそも何が異常なのか正常なのか?それがわからないのだ
一つの大きな目安としてはその人の人格がどうなっているのかである
例えは社長になっているような人でも非情な人がサイコパスのような人がいるとしたら
その人は異常であり異常であっても社会に認められているとなるのだ
そういうことは社会で結構あると思う
一体社会に適応している人たちがそんなにほめたたえられるものなのか?
会社でももうけのためには人の命など考えない人たちが普通にいるしブラック会社などいくらでもいる、原発事故を起こした人たちも社会では地位ある最も優秀とされた人たちなのである、その人たちは社会的地位から何から社会の模範のような人たちだったのであるそういう人たちも異常化していたのではないか?
「安全神話」を形成していたことは異常ではなかったか?

つまり世間を見れば異常が支配者となり異常人格者が指導者になり社会を席巻することは過去にもあり現代文明の複雑怪奇な社会では普通になる
ではその人たちは異常だとか社会から責められることはない、ただ優秀な人たちだとして認められるだけなのである
そういう根本的な問題がある、別にひきこもりがいいとはならない、それも異常である
でもこの社会で何が異常なのか正常なのかわからないのである

デイトレダ―とかパソコンの画面を一日見ている株でもうけている人は成功者なのである銀行でも投資信託をうりつける人はノルマをかせぎ優秀だとなる
何かそうして社会自体が犯罪を犯すようなことをしていても金をかせげば社会は認める
つまり金を稼ぐ人は異常でも何でもない、この社会にとって最高の成功者なのである
それで世界の富を何パーセントかの人が独占している
これも容認されているし異常である、でもそうした異常は正常だとなるのである
資本主義社会では別にどれだけ金を稼げるかによって価値が決まる
人格など問わないのである、それも異常だとならないか?
つまりこの世自体が異常なのである、何が異常か正常なのか区別はできない
だから社会を異常者が指導者になり席巻することにもなる

だから文明人そのものを批判するアウトサイダーが生まれた、文明そのものを断罪したのである、文明は異常だからこそ断罪したのである,非人間的だから断罪したのである
文明そのものがいかに非人間的で危険で異常なのか?
今回の原発事故でも現れた、戦争でもそうである
文明が起こす戦争であり文明そのものに起因する戦争なのである
石油をめぐって戦争になるならそれは石油文明が起こす戦争である
別に石油がなくても生きることはできるからである 
原発は原子力文明になるから起きた事故なのである
戦争のことをいろいろ言うけど本質的には文明による戦争でありそれは異常な文明だからそうなる
資本主義でも株式社会でも異常である、それは一握りの人間に富が独占される仕組みである、それは異常者を指導者として容認する仕組みだともなるのである

ひきこもりを擁護しているわけではないが社会そのものが異常と正常が区別できない
この社会でもっとも模範となる正常な人間が異常だということもありうるのだ
正直東京のような大都会で生きられる人間は異常ではないか?
本来大自然の中で人間の正常な精神とかアイディンティティが養成される
つまり東京のようにな所に生きられる人間はすでに異常なのではないか?
何をアイディンティティでとして生きるのかとなるからだ
すると文明人はほとど以上てありアウトサイダーが正常だともなるのである

ただ正直そういうことはあってもひきこもりは親が介護になったり死ぬと過酷なものになる、誰も助けるものはいない、その時世間は非情であり責めてくる
そのことはプログで書いてきた、一身にその苦しみを背負うことになる
その時社会の非情さをいやというほど実際に知る
それはすでに冷静に見れば予期できることなのである,共倒れにもなり悲惨な事態になった人もでているからだ、だからひきこもりとアウトサイダーは違ったものとしても何かにている面がある、それで関心をもつということはあったからここで書いたのである

2018年10月29日

高齢化社会の価値観 (高度成長時代の価値観は終わる―節約の時代に)

高齢化社会の価値観

(高度成長時代の価値観は終わる―節約の時代に)

●デフレは解消しない

飲食店以外でも、ファミリーマートやナチュラルローソンなどコンビニのイートインは、お昼は満席です。

東京の場合は、東京駅(八重洲側)も含め、新宿・渋谷・池袋など大きな駅の周辺は、デフレ系のお店であふれています。お昼の時間帯は、マックや松屋、富士そばなどは満員。行列ができていることもしばしばです


金を使わないのではなくそもそもないのだから使いようがないのである
それだけ日本が貧困化している、低所得者が増えたのである
消費を減らすほかないのである
消費税が10パーセントになったらますます消費は冷え込む
そして消費が増えないのは老人も数パーセントの人だけが余裕があるが後はない
もう破産状態の人がいる、年金も少ないから食べてゆくのがぎりぎりだとかなっている
そして頼る人もいないのである、娘息子でもこのように苦しいからである
老人はまた物が欲しくないとかなり金ある人も消費しないとなるがそれは極わずかでありあとはぎりぎりなのである

これからの時代はだからミニマム生活とか縮小化社会にあった思想とか哲学とかが必要になる、消費者は王様だとか終わりである

●節約の時代にもどる

貧困化する社会にどう対処するのか

●新しい物をなるべく買わない
●今あるものを大事に使う
●金だけではない協力(シェア)しあう経済 

貧乏には貧乏なりの生活を工夫するとなる、そうしなければ生活できなくなる
ただ人間は一旦豊かな生活を覚えるとそのレベルを落とせなくなる
かえってそのことが辛くなる、だから金持ちでも零落すると悲惨なのである
もし貧乏だったらもともと貧乏だからそういうことはない
そういう生活でも満足する他ないとして生活していた
戦前とか江戸時代はみんなそうだったのである
ご飯と味噌汁とか梅干しとか漬物くらいで生活していた
紡績工場で糸取りして働いていた母の昼食がそうだった、それで長時間労働だった
本当に栄養失調になるようて食事で良くそれだけ働けたなと不思議に思う
江戸時代でもオカズがないからご飯を一杯食べていた
ご飯がエネルギー源だったのである、土方弁当などでもそういうことがあった

今は食べ物でも低所得者でもその頃と比べると豊かなのである
だから贅沢になれすぎてそうなったのである
そういう生活を貧乏になると見直すことが強いられる
つまり過去の生活を知って今の生活を見直すという歴史を知ることが必要なのである
便利な時は江戸時代だったらあらゆるものを大事にしたリサイクル社会である
糞尿でも肥料するするとか紙一枚でも無駄にしない、油一滴でも無駄にしない  

ロウソクに火をつけたときに垂れた蝋(ロウ)を捨てるのはもったいないということで、使い終わったロウを集めて、固め直し、再利用し、ロウソクとして販売するという「蝋燭の流れ買い」という仕事が江戸時代にはおこなわれていました。

それだけ物は貴重だったのである

●生活態度を変える

これからは必然的にこうして生活態度を改めないともう生活できなくなっている
それは何か高齢化社会に適合しているのも不思議である
老人になるといろいろ消費できなくなる、新しい機械を買っても利用できないとかなる
それで老人は金を使わないから経済が停滞するというのもわかる
でも新しいものを次々に買うという経済が貧乏化すると成り立たなくなるのだ
次々に新しいものを買う金がない、そうなると今まであるものや物でもすぐに捨てるのではなく長く大事に修理しても使うとなる
そういう生活の態度を変えることが必要になる
それは社会にとって悪いことではない、あまりにも物を粗末にしてきたし消費が浪費になっていたのである
高度成長時代は日本にとっては特別な時代であり異常な時代でもありそれがつづけることは無理だったのである
だから貧困化は正常化にもなる、そうでなくて経済成長しなければ貧乏は解決しないとういのもわかる、でもそれができないとしたらどうするのか?
生活する態度を変えないかぎりもう生活できないとなっているのだ

何かいい方法があればまた別である、株とか投資信託でももうけられる人は極一握りてことがわかった、それよりもう普通の人は大多数は節約するほかなくなる
それしか方法がないからこそ昼食500円以下とかもうそれ以下の300円とかでデフレが改善できないのである
そうしてければ増えた低所得層は生活できないのである
消費を増やせとか言ってもできない、そもそも収入が増えない、減ってもいるとなるとそうするほかないからだ

いい面だと貧乏な人でも米をくれとか隣の人が来たりして助け合うとういことが生まれ来るかもしれない、互いに協力しあうとういことができてくるかもしれない
それは貧乏な時代にはかえってあったし江戸時代で長屋とかではそうだった
互いに都合しあうということが生まれてくるかもしれない、シェア経済とかはそういう時代にあったものいかもしれない、何でも金を使う消費するという経済が続けられなくなってくるからだ、収入が増えてくれば節約する他ないからだ
ただそうはいってもその切り替えがむずかしい、生活のレベルを下げることはむずかしいそこには見栄もあるからしにくいけど切羽詰まったら見栄とかも言っていられなくなる
ただただただ頭を下げて金を要求できる人間とかは生きていけるともなる
そういう人を知っているからそういう人は人に何度も頭を下げて頼むことができるからだでも金持ちの家に生まれたような人はできない、自分もできない
そこで金もないのに依然として見栄をはるがそれも成り立たなくなる

そして怖いのはそうした高いレベルのままの生活をしたいがために借金をしてまでそうしたり見栄のためにそうする人が怖い
そうして借金を要求された経験があるからだ
その人は自分が成功したと見せたいから借金してまで贅沢をしていたのである、そういうことが回りに影響する
みんな余りにも立派な家が欲しいいい車が欲しい、もっともっと贅沢したいとなり原発が誘致されたのもそうである
その欲望には歯止めがないからである
そんな人のために私は恐怖に陥れられた
金のためにそうして脅迫され殺されるようなことにもなる
例えばギャンブルで遊びたい金が欲しいとして襲われたりするのと同じである、それは日々食べるものがないとかではない
ただ遊びたいとか自分は成功者だと見せたいとかのためにそうしている、そのために他者が犠牲になるのが怖いのである

●江戸時代に学ぶ

確かにこうなるとますます物は売れなくなり不景気になるということもある
でも収入が増えないのだからそんなことを庶民は言っていられないのだ
消費税10パーセントになったら余計にそうなる
それに対抗するには節約しかなくなるのである、それからいい方向に行くとしたら
グローバル経済が崩壊してゆく、その兆候は世界で現れている
自国が大事であり他国に頼る経済は衰退する、自国でまず食料でもなんでも例えば木材でも日本では豊富なのだから外国から買うより自国でまかなうとなる

自国の産物を資源を極力活かす江戸時代のような生活にもどるとなる
同じではないにしてもそうした生活をしないかぎりもう日本はそもそも生活できないとなる、それは理屈ではなくそういうふうに強いられているのである
第一アメリカでも日本車に関税をかけてくれば車も売れなくなる
そうなると外国の外材でも買えなくなったりする、他にも外国の資源でも買えない
石油でもそんなに買えなくなる、石油でも高くなるからである
アメリカで車の関税を高くすれば車を売ってドルを得ることもできなくなるからである
石油はドルの決済になっているからである

何か高齢化社会は悪い面ばかり言われるが老人の特徴は消費しないことである
あまりものはいらなくなる、消費できなくなる、そして何かいろいろなものがいらなくなる、節約生活が向いているのである
老人にとって必要なのは物の豊かさではなく精神の豊かさが大事になる
過去に経験したものが宝となり新たに経験することがしにくくなる
だから過去を回想したりすることが得意であり新たに経験することが苦手になる
それは高齢化社会に精神的な状態となるときこれからの貧乏社会には向いているともなるただそうなると日本の活力は停滞するともなり世界に遅れをとるというのもわかる

反面そうしたことがすべて悪く働くとはならないかもしれない
高度成長時代の価値観は普通てはなかったのである、特殊でありそういう社会はもうこない、むしろ江戸時代のような節約型の社会が人間にとって正常な社会だとなる
だからそこでかえって社会が正常化してゆくということもある
だから高齢化社会は悪い面だけが強調されるが反面そうした社会風潮は社会を落ち着いたものにしたりモラル的にも今までの消費一辺倒の無駄な浪費社会を是正することになる
それはモラル的にも相当に影響してくる、それが全部悪いとはならないのである

そしていくらでも今は物が入ってくる、外国からでも入ってくる
それが高度成長前の貧乏とは違う、バナナすら売っていない時代があった
バナナはここで売っていず家族が病気になった時仙台から買ってきたのである
つまりバナナせ贅沢品だったのである、今は果物でもバナナは一番安いのである
果物ではバナナとかリンゴでもこの辺でも梨は安い、すると安いもので間に合わせようとなる、貧乏になればそうなるのである

●高齢化社会の価値観が社会の価値観になる

これからは必然的にこうして生活態度を改めないともう生活できなくなっている
それは何か高齢化社会に適合しているのも不思議である
老人になるといろいろ消費できなくなる、新しい機械を買っても利用できないとかなる
それで老人は金を使わないから経済が停滞するというのもわかる
でも新しいものを次々に買うという経済が貧乏化すると成り立たなくなるのだ
次々に新しいものを買う金がない、そうなると今まであるものや物でもすぐに捨てるのではなく長く大事に修理しても使うとなる
そういう生活の態度を変えることが必要になる
それは社会にとって悪いことではない、あまりにも物を粗末にしてきたし消費が浪費になっていたのである
高度成長時代は日本にとっては特別な時代であり異常な時代でもありそれがつづけることは無理だったのである
だから貧困化は正常化にもなる、そうでなくて経済成長しなければ貧乏は解決しないとういのもわかる、でもそれができないとしたらどうするのか?
生活する態度を変えないかぎりもう生活できないとなっているのだ

何かいい方法があればまた別である、株とか投資信託でももうけられる人は極一握りてことがわかった、それよりもう普通の人は大多数は節約するほかなくなる
それしか方法がないからこそ昼食500円以下とかもうそれ以下の300円とかでデフレが改善できないのである
そうしなければ増えた低所得層は生活できないのである
消費を増やせとか言ってもできない、そもそも収入が増えない、減ってもいるとなると
そうするほかないからだ

確かにこうなるとますます物は売れなくなり不景気になるということもある
でも収入が増えないのだからそんなことを庶民は言っていられないのだ
消費税10パーセントになったら余計にそうなる
それに対抗するには節約しかなくなるのである、それからいい方向に行くとしたら
グローバル経済が崩壊してゆく、その兆候は世界で現れている
自国が大事であり他国に頼る経済は衰退する、自国でまず食料でもなんでも例えば木材でも日本では豊富なのだから外国から買うより自国でまかなうとなる
自国の産物を資源を極力活かす江戸時代のような生活にもどるとなる
同じではないにしてもそうした生活をしないかぎりもう日本はそもそも生活できないとなる、それは理屈ではなくそういうふうに強いられているのである

第一アメリカでも日本車に関税をかけてくれば車も売れなくなる
そうなると外国の外材でも買えなくなったりする、他にも外国の資源でも買えない
石油でもそんなに買えなくなる、石油でも高くなるからである
アメリカで車の関税を高くすれば車を売ってドルを得ることもできなくなるからである
石油はドルの決済になっているからである

●高齢化社会は金で計れない精神的価値を求める時代

何か高齢化社会は悪い面ばかり言われるが老人の特徴は消費しないことである
あまりものはいらなくなる、消費できなくなる、そして何かいろいろなものがいらなくなる、節約生活が向いているのである
老人にとって必要なのは物の豊かさではなく精神の豊かさが大事になる
過去に経験したものが宝となり新たに経験することがしにくくなる
だから過去を回想したりすることが得意であり新たに経験することが苦手になる
それは高齢化社会に精神的な状態となるときこれからの貧乏社会には向いているともなるただそうなると日本の活力は停滞するともなり世界に遅れをとるというのもわかる
反面そうしたことがすべて悪く働くとはならないかもしれない
高度成長時代の価値観は普通てはなかったのである、特殊でありそういう社会はもうこない、むしろ江戸時代のような節約型の社会が人間にとって正常な社会だとなる
だからそこでかえって社会が正常化してゆくということもある
だから高齢化社会は悪い面だけが強調されるが反面そうした社会風潮は社会を落ち着いたものにしたりモラル的にも今までの消費一辺倒の無駄な浪費社会を是正することになる
それはモラル的にも相当に影響してくる、それが全部悪いとはならないのである

これまでは欲は物に集中していた、家電が欲しい、車が欲しい、マイホームが欲しいとかなっていた
でもこれからはそうした物ではない、金では計れない価値が価値を帯びてくる、老人の価値観は変わる
金が必ずしもそんなに価値があるとはならない
何か精神的なものが価値を帯びてくる、老人が過去を回想するというとき過去に経験したことが価値となる
それは物ではないのだ、老人はみんな何かしら過去を語り語り部となり哲学的にも庶民でもなるのである
そしてもともと精神的な価値は見えにくく金になりにくいものだった、そもそも宗教とか哲学とかは心の豊かさは金では計れないものだったからである
その計れないものに価値がでてくる、それはその人の経験とかから生まれてくる価値である

だから農業している女性は冬は土も眠り栄養を貯えるとか何も肥料もやらなくてもいいとか言うのもそうである
冬はふゆ(ふえる)だったのである、その言葉は農民の経験から生まれたものだったのである
農業をしないものはそのことを実感としてわかりにくいからだ
つまりその女性は農業のことを知っているということで価値がある、ただそれで金を要求されるのは問題にしても経験でそういうことを知っているということは価値になる
だから価値にはいろいろある、金だけで計れる価値も基本的にあるとしてもこれからはそれだけではない、金で計れない価値が価値になる、それは高齢化社会ではそうなりやすいのだ
老人が求めるのもは物とかの物欲ではなく精神的なものを求めるからである
時代的にも高度成長時代は終わり精神的なものを求める
宗教とか哲学とか芸術とか何か精神的なものもを求める時代になる、宗教も実際はカルトであり物欲御利益宗教だったがそれも変わる、本来の内面的精神的価値を求める時代になる

江戸時代は停滞した時代のようでも何かを貯えていた
冬にかえって栄養を維持している土のように貯え増やすものがあった、そうでなければとても明治維新などできない
歴史は連続しているから江戸時代に蓄えたものが明治に華開いたともなる、江戸時代に日本の基礎が作られていたからこそ明治維新ができたともなるのである
これからの時代は春とか夏ではなく秋とか冬がふさわしい時代となる、それもまた実りの季節であり蓄える季節となる
そういう時代の循環があるともなる、だから一概にすべてが悪い方向にいくとはかぎらないのである
ただなんらか今までの生活や態度や考え方、価値観とか思想を変えなければならない、高度成長の価値観の延長では成り立たない
銀行だってもう金余りで投資する先がないとなって資本主義の危機だともされる
時代的に資本主義でも変革を強いられているのである






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Pyramids in space (abstract painting)

Pyramids in space (abstract painting)

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2018年10月28日

知事の権限は原発に対してどれほどあったのか?(今日は知事選挙だけど) (どうして原発が作られたのかその経緯がわからない)


知事の権限は原発に対してどれほどあったのか?(今日は知事選挙だけど)

(どうして原発が作られたのかその経緯がわからない)

知事は県内の行政についてはトップですから、行政についてはいろいろな事を独断で決定できます。今から10年ほど前に青木都知事が都市博を独断で中止したのは記憶に新しいと思います。長野県知事だった田中康夫氏もやはり知事の権限でいろいろな事業を中止させています。

福島県の浜通りの原発がどうして作られたのか?
その経緯がわからないのである、原発を建てる土地と知事の許可があってできたということもどこかで書いてあった
そんな簡単に原発が作れたのか?
その土地は渡部恒三の土地だったとも言われる、それもわからないにしてもそんな簡単に原発が作られたのかということの驚きになる
知事にはそんな権限があったのかともなる
原発停止では新潟県の知事に停止する権限があるとか騒いでいるがそれもはっきりしないのである
原発には国がかかわっているから国で決めるものなのかとなる
最も強い権限は国がもっているからである
また行政でも地域でも権限をもっているのである
人間の社会は必ずどこかで権力が働きその権力によって動く
だからどうしても原発は国の権力が働いていたから反対することは容易ではなかった
今でもなぜ原発がやめられないのだろうとなるからだ

原発が作られた経過はずいぶん前にさかのぼるからその時運動したり決めた人は死んでいる、だから今の人には責任がないともなる
ただ積極的に誘致することにして住民も賛成していたから住民も責任があるともなる
渡部恒三はあからさまに原発を食い物にしていたのである
福島県のドンとも言われて政治力があり原発を推進した
その息子は東電に入ったりアメリカのGEに就職したりしていたのである
福島県の報道機関にも力をもっていたのである

福島県知事佐藤栄佐久は原発を廃炉にすべく手続きを行い徐々に機械を停止させようとしていた。
原子炉の寿命を延ばし能力を上げるプルサーマル計画も許可しない方針で、一時期には完全に停止させています。

民主党佐藤雄平という人物はナニモノなのか?
でちょっと調べてみたんですが、渡部恒三の甥なんですね。
つまり叔父さんが誘致した原子炉を自分の代で廃炉にしたくなかった、というかなり個人的な理由でプルサーマル計画を受け入れた可能性がある。

佐藤栄佐久知事がなぜ失脚したのか?それは渡部恒三の政治力だったのか?
甥が次の知事になったことでそれがわかる、この辺の経過は具体的な事実となっているからわかりやすいのである

しきりにニュースでも佐藤栄佐久知事がプルサーマルではしつこく追及していた
それはテレビでも放送していたから目立っていたのである
それが突然佐藤栄佐久氏が知事選挙で敗れて渡部恒三の指示通りに動く甥が知事になったのである、そして原発は金になるから私物化されたともなる
原発は今回の補償金騒ぎでもわかるように莫大な金のなる木だったのである

原発は一地域の問題ではない、それは県とも深くかかわり国ともかかわりアメリカともかかわるものであった、だからどういう経過で作られたのかそれがわからないのである
民主的手続きが成された決まったともならない、議会の承認があったとかもわからない
現実に新潟県でも知事に中止する権限があるとしてもできないことでもわかる

マスコミだって国の権力で動かされるから真実は隠される、福島県の雑誌でも新聞でもテレビでも真実は報道されないし追求されないのである
権力によってとめられるからである、第一原発に関してはマスコミに大手の新聞社でも莫大な宣伝費が流れていた、だからそうした大手の新聞社が東電に中国に接待されていたとき事故が起きたのである
公明党なども原発推進であり潮とか第三文明とかの創価系統の雑誌とかでも宣伝していたつまり宣伝費をもらていたのである、そこでの仕事は宣伝費をいかにもらうかなのである宣伝費がもらえないと成り立たないのである
インタ−ネットなら別に無料だからそんなおおがかりなものが必要ないからやれる
でも新聞でも雑誌でもそれには費用がかかるからあるゆるマスコミが報道機関が原発推進になっていたのである
今の社会は金で動く社会だからそうなる、福島民報は出資が県で半分出していて後は聖教新聞をすっている、そういう新聞社がどうして公平な報道ができるのか?
だからほとんど福島県の報道機関は官僚の言うなりであり政府の言いなりになっていた

だから新潟県の巻町では原発を協議して作らなかった、このことがどうしてできたのか奇跡的にさえ思うのである、なぜなら他ではこれだけの障害がありとても国までかかわっているのだからできないからだ、そさなのに作らなかったのである
新潟日報とかも応援したともあるからマスコミでもそうして原発に反対する新聞社もあったことはあった、それはただ例外的だったのである

いづれにしろ知事選挙であるがこれはもう対抗馬がないから内堀知事が再選される
他はどういう人かもわからない、内堀知事は評判がいい、するともう選挙する前に決まっているともなる、でも知事というのは意外と大きな権限をもっている、政策を決める権限をもっている、だから本当は関心をもつべきなのである、それは原発事故でつくづくそう思い知らされたからである、無関心なことで原発事故が起きたからである
ただ今回は投票するにしても対抗馬がないしもう決まっているとなると何か関心がなく投票にも行きたくないとなる、何か民主主義とかいってももうそれも機能しなくなっている面もある、選挙する前から決まっているとかなり一票ではどうにもならないとかなる

シルバー民主主義にもなり若者は選挙に行かないことも理解できる
老人の票がこれだけ多いのだから若者が選挙に行っても変わらないからである
だから民主主義でも無力感があり何か抵抗できないとなる
ただ知事というのが原発でわかったように大きな権限がありもし佐藤栄佐久知事がしていたら中止もありえたとすると誰がなるかは結構重要なのである
でも今回はもう決まっているとなると投票する気もないとなる
政策の相違などもわからなっかたし良く検討する時間もなくわからなかった
やはり何か選挙期間だけでなくその前から関心をもって見ていないと選挙のときだけでは後は関心がないと政治もわからないのである

posted by 老鶯 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年10月27日

駅で三人くらい車の運転やめた老人に出会った (その人は車の運転やめたことを後悔)


駅で三人くらい車の運転やめた老人に出会った

(その人は車の運転やめたことを後悔)

死ぬまで運転を続けていても、1000人に1人程度、逆にいうと一生死亡事故を起こさないドライバーが1000人中999人ということになる。

75歳以上の免許の自主返納件数は29年11月末時点で約23万2千件となり、28年(16万2千件)の1.4倍に増加。

駅で三人くらい車の運転をやめた人に出会った
今日もその人はまず駅前の自転車屋によった,自転車を直すためだった
次に駅に来たのは車の運転をやめたので駅がどうなっているのか見に来たのかもしれない車の運転をしている人は電車の乗り方も知らない人が結構多いからだ
そしてその人は80才であり

車の運転をやめて失敗だった

と後悔している

75歳以上での運転をやめさせるのは政府の方針である
でもそうなると今まで運転していた人は不便になる
自分はもともと車がないのでそのことがわからないが今の社会は車社会なのである
だから車のことを知らない人は社会のことを知らないとまでなる
実際自分自身がそうだった、車がないために肝心なことを知らないことがあったからだ

そして75歳以上でも特別事故が多いというわけではないのである
そこに政府が無理やり免許とりあげる強行な政策がある
それが問題なのである

ただこういうことで高齢化社会になると車に乗らない人が増えてくる
するとやむなく鉄道を利用する人も増えることがある
ただ鉄道の最大の問題は駅からの足がない
だから高校生は自転車で駅まで来たり親が車で送り迎えしているのである

車の免許の自主返納した人が23万人いるのは多い、ではその人たちの足はをとなるのかとなる、鉄道だけでまにあうのかとなるとならない
鉄道は駅からの足がないから不便なのである

駅でみていて不便だったのはスーツケースとか荷物を運ぶのが苦労なのである
重い物を階段を上りもちあげて運ぶのが苦労なのである
それで老人は前もって荷物を宅急便で送っていた
ただ相馬市にはエレベーターが気づかなかったがあった、新地も震災以後新しくなりエレベーターができたから鹿島駅より小さいのに便利になったのである

無人駅の鹿島駅はいろいろ直したけど一番の問題はエレベーターがないことであることに気づいた、でもこれは費用がかかりすぎるからできない
でもこういう面でも改良しないと鉄道は利用しにくいのである

道路と鉄道の予算を比較してみると2001年には道路予算は11兆8000億円に対して鉄道は1500億円で全体の1・3パ―セントにもならない
鉄道予算の半分は新幹線、残りの半分が地下鉄やモノレールなど都市交通の整備
地方鉄道の予算はさらに少ない
地方鉄道に関してはここ何十年の間、ほとんど投資が行われていなかったため
過去に蓄積したストックを細々と使ってきたのが実情です

どうする?鉄道の未来(鉄道まちづくり会編)

鉄道はそいうことなのだろう、新幹線でも道路に比べると格段に使う費用が違っている
また鉄道には地方交付税も使われていない、鉄道は公共的なものだから採算だけでは計れないというのがこの本で述べている
つまり公共的なものだから利益だけでは計られないとしている

鹿島駅でも外観は明治の時に作られたときから変わっていないのである
その変わっていないことで撮り鉄が鉄道マニアが写真をとりにきている
だいいち明治から変わらない建物だということが鉄道に投資されていないことだったのである
最近やっとドアを直したりして改善した、無人駅化してもそれなりに改善した
しかし問題はエレベータ―が設置されないことが最大の問題である
でもそこに投資するにはJRだげでは無理である
自治体がかかわる必要がでてくる
ただそのためにはもっと利用者が増えて市民でも要望があれば考えることになる

駅で気づいたことは駅には実際は広場のような機能があり外部との交流の場であり玄関にもなっていた、駅の印象が大事になることに気づいた
常磐線では名取の空港に行く人が意外と多い、来る人も多い
それは名取から空港に直接行ける路線ができたからである
もう一つはいわき市と常磐線が復興して結ばれればまた乗客が増える
つまり交通はこのように結ばれないと利用価値がなくなくなるのだ
だから名取の空港と鉄道で結ばれたことは利便性が生まれ鉄道を利用する人が増えるとなる

この本でも高齢化社会になり鉄道が見直されると述べている
それは駅で実感した、その一つが75歳以上の人が免許を返納して鉄道に関心をもち利用するようになる、高齢化社会には鉄道の価値は高まるとなる
それで公共的なものとして投資が必要になる、それはJRだけではできないことなのである

「人口減」でも限界集落を見捨ててはいけない (山の幸はなくなり海側だけが電力でも原発でも富をもたらした)


「人口減」でも限界集落を見捨ててはいけない

(山の幸はなくなり海側だけが電力でも原発でも富をもたらした)

「海の幸と山の幸」

この言葉が示すように、昔の日本では、自然からの富は海からと同様、山からもやってきました。ところが、現代では海からの富は盛んにやってくるものの、山から富が社会へやってくることはあまりなくなってしまいました。

あしひきの山行きしかば山人われに得しめし山つとぞ此れ
(万葉集 巻20 4293 元正太上天皇)

つと【苞/苞苴】
《「包(つつ)む」と同語源》1 わらなどを束ねて、その中に食品を包んだも

つととはお土産である、つつむという意味もある、何かを大事にして包みさしあげるとかになる、つとから勤める、務めるとかが派生している
日本語で勤める(つとめる)とは普通に使う、でもその意味は何なのか?
つとめるとは相手に大事なものを与えることだともなる

ここの東洋経済に投稿された文で山の幸と海の幸で現代は山の幸、山から与えられるものが極端に減少したというのがわかる
木材とか燃料の薪とか炭もない時代である、石油の時代になり必要なくなった
木材は外材が安いとかなって山から与えられるもの山つとが極端に減少したのである
なぜなら山の木材で争いがあった、その入会権の争いで村同士が争ったことで戦国時代になったとも言われる、それは木材が今の石油のように重要な資源だったからである
相馬市の玉野村では丸森の木材資源をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が三つ巴の争いがあったことは有名である、それだけ木材資源が重要だったからである
つまり日本は海に囲まれていても山が多い、だから大和(やまと)だともなっていたのである、奈良は山に囲まれていたのである

その山の幸が現代では無用化した、日本ではそもそも山と海は密接に結びついていた
海から塩や魚が運ばれて山からは木材資源となるもの薪とか炭が運ばれた
それでどこにも塩の道がある、相馬藩では松川浦から鹿島の栃窪を通り飯館村に塩の道がある、それはどこでもある、長野県の塩の道は有名であり牛が日本海から塩を運んでいたその道は長いのである、塩は世界でも貴重でありローマ兵の給料がサラリーというときそれは塩だったのである
ただまた山の幸であり木材も重要だった、燃料になるからそれは世界でも同じである

山が今でも平地と結ばれているのは水を通じてである、水は山から流れてくる
山が貯水池のようになり常に水が流れて平地に流れて田んぼに流れて水を供給する
それでそれで端山、羽山、葉山信仰が生まれた、それは水を供給するということで
山に先祖がいるということで信仰になった、その先祖は春には田植えの時期には山から下りてくるというのはそういう日本の山と平地をむすびつける自然信仰なのである
それは田んぼがあれば今活きている、でも田んぼなくなれば消失する

この記事で問題にしているのは確かに海の方には現代ではこの辺では産業が生まれる
海側に福島県の浜通りでは火力発電所や原発が作られた、電源地帯として浜通りがあったのである、今では火力発電所は相馬藩内だと原町と新地にあり二つもある
そこで一か所の火力発電所には2000人が働いているとか言われる
そこは重要な雇用の場ともなっている、それから最近松川浦の港がガスを取り入れる基地となった、そこからガスが東北地方に供給される、それで新地などはそのガスの基地ができて経済的にいいとなった、それは震災以後そうなったのである

確かに海側は発展して山側は取り残されたとなる、飯館村でも牛の村として辛うじて維持していたとなる、その収入は福島県でも最低だったのである
浜通りは原発もあり景気がいいということがあったのだ、原発の効果は経済的に大きかったのである、だから船主などは補償金で原発事故前も原発御殿が建ったとかうらやましがられていた、原発長者になっていたのである
昔は山の木材資源をもっている人が長者になっていた、山が資源となっていたのである
それで飯館村の大倉の女性が私は相馬女学校に通っていたのですよと言っていた
鹿島の親戚の家から通っていたという、戦前の女学校となるとこれは相当な金持ちしかなれなかったのである、女学校出たというだけでステータスになっていた
一目置かれてのである、それ相当な金持ちしかなれない,資産家しかなれない、大倉では山持ちだったからそれだけの資産となり女学校に入れたとなる

今度は逆に原発事故では大被害に飯館村などではあった、でも逆に補償金が一億円と入るとかなるとそれで村は二分された、住む人と村を出る人に分断されたのである
南相馬市でも小高と鹿島は補償金で分断された
飯館村はそもそも原発とは関係ない所だった、でも風の影響で放射性物質が大量に流れた今でも飯館村は高いから素人でも住めないとみる、だから荒れ果ててしまったのである
そもそも限界集落というと山村に多いだろう、海側には現代になっても電力とか産業が起きていた、山側には起きない、それでこの記事では小規模の水力発電を作るということを書いている

何か日本は戦後は山は無視され利用されず無用化して取り残された
山から与えられるものがなくなった、それは国土のアンバランスを生んだのである
それは結局グローバル経済の結果なのである、外材が安いとか石油文明と化したときそうなったのである、グロ−バル経済はそうした国土が自然の微妙な生態系のバランスの上に成り立っているのを無視するのである
それが実は国土のアンバランスを作り出して全国的に山村は過疎化するとか限界集落化するとかなる、一方で海側は原発事故のようなことが起きてくる
日本の国土全体をみればアンバランスとなり歪みとなりそれが日本全体に影響してくる
だから人間はそもそもその国土の生態系を無視してありえないのである
その生態系を原発事故で汚染されて住めなくなった
まず故郷に住めなくなるということは最大の被害だったのである、石にかじりついても故郷でも長く住んだ所に住めるということが人間の生活の前提だからである

この日本国土のアンバランスをどう解消するのか?
小規模発電とか言うのはそのためである、つまりグロ−バル経済というのは日本の地域の生活をも破壊したということを知るべきである
世界貿易とか必要でありいいものだとはすべてはならない、基本となるその国の国土環境が破壊されたらどうなるのか?
限界集落のようになり人は住めなくなりそこは消滅するのである
すると全体のバランスがとれなくなり国土が荒廃するのである
そういう大きな視野をもって国造りしないと日本自体が崩壊してゆく、一時的には確かに貿易で豊かになっても基本となるものが失われたとき人は住めなくなる
住めなくなるとそこは荒地化して荒廃してしまう
それが都会に影響ないようでも影響してくる、国土とか自然は全体のことだからである
だから放射能汚染でも東京に影響したし水を供給する川にも影響した
東京も汚染されたのである、原発は日本国土にとって自然にとってどう影響するのか?
それを深く考えない利益とかアメリカの軍事的圧力だけで作られたのである
日本国土とかなると自然が長い目で見なければなわからないように長期的視野が必要になる、木が育つのに50年かかるとかなる、そういう長期的視野より目先の利益優先になり原発事故が起こしたともなる

posted by 老鶯 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年10月26日

飯館村の大倉で小高の人と話する (その人も親を介護していた−帰ったのは実際は二割だという)


飯館村の大倉で小高の人と話する

(その人も親を介護していた−帰ったのは実際は二割だという)

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鹿島のSAのレストランでご飯は鹿島であり麺は小高になっている
ここでは協力している
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大倉のダムの公園ではごみを持ち帰りましょうと書いてあったが
ゴミが捨ててあった
やはりどこでも管理する人がいないと荒れる
大倉でも人がほとんど住んでいないと管理する人がいないから荒れたままになる
無人駅でもそういうことが起きる
ただ鹿島の場合は原町駅の人が常に回っているから違っている
でも無人駅でもそうだがこうして人が住まないということは荒れるのである
ここは南相馬市の管轄ではない、飯館村なのである
飯館村では広いし全体を管理することがむずかしくなる、そこに人が住んでいないことが問題なのである
住んで入れば汚いとかなり自主的に掃除する人もでてくるからである


その人はいろいろしゃべる人である、親を介護していて疲れたといういつも一緒にいるのもお互い嫌だから息抜きに来たという、その人は車をもっている
鹿島駅に来た人も厚生病院に親を入院させているので通っていた
でも車がないから通うが不便になる、まず小高だと車がないと生活できないように思う
店だってコンビニが一つくらいしか今はないからだ
それで帰ってきた人は三割というが二割だという、何が水増ししているという
そういうものなのかとも思った

とにかく老人が残されていて親の介護でありやがては介護している人が介護されるようになる、それで小高で一番困っているのは施設はあっても建物はあっても介護士が集まらないとかで開けないとなる、なぜなら若い人が流出したからである
もう若い世代がいれば施設で働くことがありえるからだ
それから小高病院も建物があっても開けないとかある、その後水道管の修理に7億円かかるとかいっていたがどうなったのか?
鹿島の厚生病院に通っている人も小高のそうした病院がないとか医者がいないとかの事情による

何でも農業を会社組織にして外部の若い人を入れてしているという、20人くらいでしているという、そういう人たちには13万支給しているという、それではたりないから原町区で働いていて農業もしているという、トラクターかなにかで一生懸命働いているというまず小高を見たら田んぼは草ぼうぼうで荒地になっている
それがほとんど全部なのである、第一農業をしているのは60歳以上とかの人たちでありそれは全国的にそうである、耕作放棄地が問題になる
この辺で畑で野菜を作っている女性は腰が悪いとかで他にも悪く常に病院に通っているのである、もう病人でありやっとしている、金がかかるのは医療費なのである
整形で整体でうまい人がいるからとそこで保険がきかないと金がかかる
しかし金がないのでどうするのか?自分のところに要求するとなるから困る

そして前の畑で野菜作っていた人は透析していたが脳梗塞になったという
隣の畑に来ていた人は娘に車に乗せられてきて這って農作業していたのである
でも遂に力尽きて草ぼうぼうになり荒地と化してしまった
こういうふうに跡継ぎがいないから老人が病気になったり弱ったりするともう畑も維持できないのである、そうして全国的に耕作放棄地が増えてくる

小高ではそうした耕作放棄地はソーラーパネルになる、ただ土地を持っていてもしょうがないから収入になるのはソーラーパネルだとなる
小高はもう田んぼでも荒れ放題でありでは何に利用するのかとなればソーラーパネルしかない、すでに工事は始まっている、でも景観は悪くなる、ソーラーパネル工場みたくなるそれもどうにもならない、土地を活かせないのだからそうなる
そして農業ではいくらでも今は外から入ってくる、すると買った方がいいとなるのだ
でも地元で食料も供給できないとどうなるのか、何か仕事がないことには住めない
小高のドリンク剤の会社は百人くらい勤めていたとか会社があったがなくなった
すると若い人の勤め先がないとして帰ってこないのである
他で子供も移り住んだ所になじみ親が仕事をもって家まで建てて定着したら帰ってこない親の部屋まで用意したから住んでくれというのもありがたいが親はなじんだ小高の新しく建てた住宅に夫婦で住んでいる
そして子供は帰ってくるというが帰っては来ないのである

だから何かおかしいと思う、親を捨てて自分たちだけは補償金もらって他に家を建てて親を故郷に残す捨てるとまではいかなくてもそれと同じような状態にしている
それなら親を世話するのは介護するのは地元の人たちだとなるとそのための金は払ってもらいたとかなる
現実介護したり世話するのは残った人たちだからである
そもそも補償金はただそうして外に移るために使われたのであり復興するためではなかったのである
確かに鹿島と小高は補償金でもめた、でも小高内にも問題があった
それは飯館村でも補償金で残る人と出ていく人で分断された
いづれにしろ人が住まないとなれば町でも村でも維持できるのかとなる

この問題はここだけではない、全国的に過疎地の限界集落で起きている
もう人が住まないと村は維持できないとなり外国人に住んでもらうということを決断した村もある、それで切羽詰まっている問題なのである
とにかくまず人が住んでもらわないことには村自体が維持できない消滅してしまうという危機なのである
ただ一方で都会の人たちは東京などでは田舎志向が強くなっている
田舎に住みたいという人が多くその機会がない人がいる
だから今回のようになんとかして住んでくれという要望があれば住みやすいのである
待遇も良くなるからである、それで13万を支給して農業に従事させて住まわせる試みが南相馬市ではしたのである
別に働く場は原町にもありそこで勤めて農業もしているのである

いろいろロボットとかドローンの工場ができるのはいいとして基本的に農業が復活しないと復興とはいえないともみる
農業の時代ではないにしても田舎は田畑があって田舎だと私はみる、それはただ田畑だけではない、米とか野菜をとるというだけではない、それはやはり千年とかつづいた自然との共生の人の営みだからである
だからその営みに生業(なりわい)に価値がある、ただ食料をとるだけではない、私の見方は米は日本の文化なのである
食料というだけではない文化なのである、畑でもそうである
田舎から田畑をとったら何が残るのか?それはまさに文化の喪失だから空虚に感じるのである
そこに水の循環とかあり自然の中で営みが続けられてきたことは文化なのである

つまりculrureはまさにcultivate(耕す)からきている、農業は文化なのである
だから農業が失われると何なるのか?ソーラーパネルになったりして景観も失われる
文化が喪失するのである、ソーラパネルもすべては否定できないにしろそうして工場地帯のようになったとき田舎ではなくなる
文化の喪失だからそこで生きる価値はなくなる、人間は単に食べるだけではない、文化を生きるのである
そのことでグローバル経済を批判する人がいたが同調する
グローバル経済は地域の文化を破壊したからである、文化の基はその土地を耕すことかさ発している
それが失われるときそこに文化は喪失する、工場地帯のようになり景観も失われるのである
原発事故はそうして千年とかつづいた文化も破壊したのである
歴史でも先祖とのつながりを断たれたり家族でも分断されたり補償金では村や市でも分断されたのである

ともかく自分もそうだったが介護する人が多いと思う、ということは介護される人も多い
介護社会になっている、これもこの辺では極端なものとなる
小高とかでは避難区域になったところでは帰るのは老人がほとんどでありその不安を言うのもわかる
親を介護して今度は自分の番になる、介護される方になる、するとそこに若い世代はいないのである
いくら故郷に住みたくてもそこで介護ができるのかとなる
肝心の子供世代は流出しているからだ、だから嫌でも親のところにひきとってもらうほかなくなる
現実そうっないる人が結構いるようである、この前駅にきたのは子供が親をひきとった横浜の人だったりとそういう人も多いからである
まず介護社会となるとそれは国全体に影響する、国力の低下になる、だから小高でもそうだがそういう限界集落が維持できなくなる
全国的に耕作放棄地が増えてくる、この辺ではそうした問題を先取りして極端化した場所なのである

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看護師が減ったことが大きな問題である

posted by 老鶯 at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

神の庭の花(詩) (詩のフログは中止しているか多数作っている)

神の庭の花(詩)

(詩のフログは中止しているか多数作っている)

神の庭の花

花が一つ
それではさみしかろう
花には花がそえられる
赤い花に黄色い花に
青い花に白い花
花には花がそえられる
天使はその庭であそぶ
あきることなくあそぶ
神の庭であそぶ
昨日と今日の庭は違って見える
庭はいつも同じではない
神の業は尽きることがない
常に変化であり
新たなものを作り出す
それは常に調和の世界
花々は光の中に映える
花には花がそえられる
今日も神の庭で天使は遊ぶ

God's garden flowers

One flower
That would be lonely just that
Flowers are bloomed in flowers
to make accompany
On a red flower to a yellow flower
White flowers on blue flowers
Flowers are bloomed in ones
An angel plays in that garden
Play innocently
Play in the garden of God
Yesterday and today's garden look different
The garden is not always the same
The work of God never runs out
It is always changing
Produce new things
It is always a world of harmony
Flowers shine in the sunny light
Flowers are bloomed in flowers
Today the angel plays again in God's garden

詩でも単純なものがいいとなる、むずかしくなるといいとはならない
詩の部をプログで別に作ったがそこは中止している
今日の一句一首と相馬郷土史研究は同じものである
でもそこに二回同じものを毎日アップすると手間になる
それで三つになるとできないとなる
プログは結構手間なのはまず書く内容でありこれが私の場合は長くなるから時間がかかる
詩は相当数作っているが発表していない
それをまとめるのにも相当時間がかかる
ただ草稿のようなものを直すこともしている
いづれにしろ詩のプログは中止しているが実際は詩は相当数作っている、発表しないだけである

グーグルの翻訳は優れている、詩となると翻訳するのはむずかしいが基本的にはできている
それでA!から学ぶということが起きている
本当は英語の先生に訳してもらいたいのだがそれはできない
そういう人がいたとしても知り合えないからできない
すると常に翻訳できるAIが便利になるのだ

簡単に優れた人がいたとしてもそういう人とは接することができない
それはどこでもそうなのである、もし機械がAIが身近にいて指導してくれれば楽だとなるのだ
翻訳というのも膨大なビッグデーターから解析する
それで最近ポケトークを買った
まだ試していないがこれはクラウドで通信できるからコンピュターの頭脳と結ばれているから精巧なものとして通訳できるとなっている
その頭脳とはビッグデーターを駆使するコンピュターなのである
posted by 老鶯 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 花の詩

2018年10月25日

戊辰戦争白河口の戦い (東北列藩の敗北)


戊辰戦争白河口の戦い

(東北列藩の敗北)

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火縄銃とか弓で東北列藩は戦っている、その武器の差が大きく負けたとなる


「明治の精神」とは何か。私に言わせれば、薩長中心政府の野蛮な国権主義と対外拡張主義による「大日本主義」のことである。


そもそもなぜ薩摩長州軍が江戸無血開城したのに東北まで進軍してきたのか?
その必要がなかったのである、雌雄は決していたからである
そして東北列藩では穏便に治めるように嘆願していた
会津にもそれを言っていたのである
おそらく会津藩が京都で新選組と一緒になり討幕派の志士を殺害したとかを恨みに思っていた、何か血に飢えていたとか血気を抑えることができず暴挙になった
別にすでに東北列藩は降伏するとしていたからである

明治維新はクーデーター説が普及している、テロをしたのは薩摩長州であり幕臣はしていない、吉田松陰がテロリストだったというのもそうである
最初は薩摩長州で政権奪取を狙ったものである、ただのクーデーターであり武力による政権交代をねらっていたのである
ただその後の結果として廃藩置県とか別な方向に進んだのである
それは予期されたことではなかった、だから士族を残す西南戦争になったのである

明治維新を美化するのは阿部首相が長州出身であり長州出身者が首相になるということが多かった、それは明治のつづきであり影響していたのである
戦争になると怨念のようなものが生まれてくる、仲間が殺されたとなり会津を憎んだ、
そして血気にはやる青年たちを止めることができなかったのかもしれない
江戸で無血開城したのだから東北でもそれができるはずだったからである

ただ会津は東北列藩が薩摩長州に穏便にすますよう願いを出してくれと頼んだがしなかった、ここにも譲れないもはのがあり東北全体に影響した
結局薩摩長州軍が700人に対して東北列藩が2500人でも旧式でありまとまりもなく敗れた、絵では火縄銃とか弓だ戦っている、薩摩長州軍は外国と通じて新式の兵器で戦ったから負けたとなる、また戦いに慣れていないから負けたともなる
やはり戦争は経験していないと実践していないと強くなれないのである

それにしても江戸の無血開城のようにこの戦いはする必要がないものだったのである
それは薩摩長州にも非があったが会津とにも非があった
どうしても譲れないものがあり負けるとわかるような戦いでもあえてしたともなる
武器の差が大きかったからである、また士気も薩摩長州軍の方が高かった
この戦いは無駄な面があった、そして白河では一般の人も死んでいる
巻き込まれて死んでいる、それで遊女シゲは会津藩士に殺された
薩摩長州藩士の慰み者になったと殺されたのである
これも非情なことであった、そんなこと遊女には関係ないからである
他にも庶民もまきぞえになり殺された、流れ弾にあたって死んだとか敵に通じているのかとかで殺された
そういうことは戦争で常にある、戦争でなくても夫婦喧嘩でも離婚でも親戚みんなが巻き込まれるのである
暴力団抗争でも流れ弾にあたって死んだりするのである
つまり庶民は戦争で必ず犠牲になるのである

白河の妓楼坂田屋の志げは、長州藩士で奥羽鎮撫総督下参謀・世良修蔵にひいきにされていました。奥羽列藩同盟軍から命を狙われていた世良は、白河にとどまることは危険と察し、慶応4年閏4月18日に白河を脱出しました。(その後、4月20日に福島で斬首)
時は、明治2年。戊辰戦争の敗北を逆恨みした会津藩士が志げを殺害。その会津藩士は坂田屋の用心棒に殺害されて、その仇を討たれたと伝えられています。

東軍が大敗北を喫した 5 月 1 日の夕刻、農民大竹繁三郎は野に放した馬を迎えに行く途中、東軍の間者と間違われ殺害されました。西軍はこれを陳謝し、慰撫するために官軍待遇として墓碑を建立し

庶民もこの戦争の犠牲になった、ただ薩摩長州の戦死者も供養されて碑がたてられているそれは日本特有のものである、それを見た中国人はありえないと感心している
中国人は墓を暴いても敵を罰するからである

「顧みるに昔日もまた今日のごとく国民誰か朝廷に弓引く者あらんや。戊辰戦役は政権の移動のみ。勝てば官軍、負くれば賊軍の俗謡あり。その真相をかたるものなり」

こういうことだったのか?結局何か戦争では無駄な血が流される、太平洋戦争で3百万人も死んだけどそれも無駄な血が多かったとなるとやりきれないとなる
だからとにかく江戸の無血開城は称賛するべきものだとなる、無駄な血が流されなかったからである、まず世界を見てもいかに戦争で無駄な血が流されているかみればわかるからである
相馬藩は官軍に降伏して仙台藩と丸森で戦った、丸森の木の大砲の砲台がある
それだけ武器で遅れていた、それは薩摩長州はいち早くイギリス軍とかとも戦いそのヨ−ロッパの実力を肌で知っていたからである
そして武器も輸入できていた、その差があって東北列藩はあえなく敗れたのである

伊達藩鴉組 斉理屋敷に展示の「木製大砲と陶磁弾」

2018年10月24日

認知症がアイコンタクトで劇的に改善 (NHK試してガッテン−私も最初にそうして落ち着かせた)


認知症がアイコンタクトで劇的に改善

(NHK試してガッテン−私も最初にそうして落ち着かせた)

私の姉の場合は最初に暴力になった、その前に同じものを何度も買い物していたし金を払うことができなくなっていたので近くの店屋で気づいていたのである
でも家では気づかなかった
気づいたのはなにか知らなけど激しい暴力になった
親戚の人が来た時歪んだ顔になっていた、それで病気に気づいた
意外と認知症は軽い内は気づきにくいのである

それからせん妄になり幻覚を見るようになった
何か人が来ているとか言ってそれが誰なのかと何度もしつこくたずねる
それはかなりひどいせん妄だったのである
だから何になっかのか最初とまどった、どう対処していいかもわからなかった
それでインタ−ネットで調べたら

目を見て落ち着かせろ!

そう書いてあったのでそうした、そして落ち着かせるためにお茶などを出して飲ませたのである
私は相手と視線を合わせて見て落ち着かせたのである
でも精神錯乱になっのかと怖かった、暴れたりもしたから怖かった
それで三人家族だったが一人は相手を見ることができなくなった
目を見ることができなくなった、怖くてできなかったのである
そうなったらもう一緒にいられない、相手が暴力になるからだ
性格的に姉は大の男も恐れない、大の男が怖がっていたのである
そういう人だから暴力になったりてしたら自分でも最初は怖かった
ものすごく気の強い性格の女性だったからである

ただ私は60年間も一緒に生活していたし自分は特に特別に世話になったから介護することは無理することなく自然な状態でなった
ただ最初は何になったのかわからず怖かった
精神錯乱になったのかと怖かったのである
でもそれから一人で家で介護するようになってなれてきて認知症という病気を理解するようになった、それで安心して落ち着いてきて症状が安定して騒ぐこともなくなった

認知症は誰か一番親しい人が愛する人がつききりになり世話しないと症状が安定しない
だから相当な愛情がないとできないともなる、ただ症状はみんな違っている
姉の場合は死ぬ直前まで意思疎通ができていた、ただ意識不明になって一か月間は死んだと同じだった、もう植物人間となり何の反応もなくなったからである

認知症の人の視界が狭くなっているというのはそうなのか?
ただそれだけではない、目を合わせて落ち着かせることが大事なのことは確かである
それを最初にしたから良かった
結局人間は突然に起きることに対処できないのである
津波でもそうだし何かの事件とか病気でも突然になると対処できないのである
今回のNHKの認知症対策で目を見るということは本当に大事である
目からは信頼とか愛情とかの眼に見えない光が放たれているかもしれない
何か嘘ついたりやましいことがあると目をまともに見れないことがあるし
何かその人となりが目に現れることもある、目がおかしくなっているかもしれない
だから人間にとって目は大事なのである

いづれにしろ認知症の介護している人は必ずうつ病になる
精神を病んでいる人の介護している時必ず介護する人もおかしくなるのである
正常なものが失われるのである
なぜなら正常でない人と常時一緒にいれば当然そうなってくるのである
自分自身は実際は介護することでも嫌だった、強いられてしかたなくしていたともなる
ただ自分の場合は特殊な家庭の事情で介護をするのも無理があったにしろ一番世話になったから何か自然と介護に努力したのである、恩返しのために自然とそうなったのである
でも普通は認知症の介護はそんなに手厚くできない

どんなに親しい愛情があっても嫌になるからである
私の場合は二年間であり短いからできたともなる、これがさらに長引いたらもうもたなくなっていた、なぜならもう一人も介護状態にすぐになったからである
二人の介護になることと自分が病気になったことでももうどうにもならなくなっていた
でもなんとか恩返ししてのりきったのである
でももうぎりぎりの限界だったのである
なぜなら自分も手術したり入院して病気になって介護していたからである
その時助けるものはいない、ただ責められるだけだったのである
介護は誰か一人に負わされるのである、みんなしたくないからそうなる
それは兄弟がいてもそうなりやすいのである

姉の場合は自分が留守にしていたとき不安になり近くの人のところに行っていた
そのことはあとでわかった、その人だけは親切な正直で本当に今時めずらしい人だったのである、NHKのテレビでも放送していたが少しの間でもいなくなると認知症の人は不安になる、それは捨てられたのではないかということで不安になるのである
だからもうどこにも出れない、いつも一緒にいるほかなくなる
そこでそうしていると丁度精神病院の中に一緒にいつもいて病棟から出れないという感覚になるのである、息ぬきもできないのである、それでうつ病になる
それはオウムとかカルト教団とかに仲間といつもいるような状態とにているのだ
閉鎖された空間でそこだけの世界にとじこもる、すると洗脳されて異常が異常だと気づかなくなるのである

家族の介護は病院で医者とか看護師とか介護士が介護するのと違うのは四六時中常に一緒にいなければならない、それで精神が消耗するのである
自分の場合それでも二年間だった、でもうつ病になった
だから認知症の介護はつらいと思う、NHKに出てきた人は私の姉より症状が重い人がいたから介護するのはもう自由時間もない、完全に縛れるのである
そしていつ終わるのかわからないのが辛いのである
実際十年とかもあるし自分の場合は二人で約十年だった、それで精神が消耗してしまったのである

ただ特殊な家族であり世話になったということがあり懸命に介護した
男だからうまくできなかったがそういう気持ちはあったからである
だから気持ちがない愛情がない人が認知症の介護することは至難だとなる
そんなにみんな聖人でもないし一人にの人間にそんなに付き切りにもなれない
それは施設でもそういうことはできない、でも親しくなった人がつづけて介護するのが認知症では症状を落ち着かせる効果がある
でも現実的にはそこまでしていたらとてももたないだろう

介護の負担は認知症でもそうだし普通の介護でも負担が重すぎることがある
ただ私の場合は特殊な事情で気持ちはあったのでなんとかできたとはなる
でもそういう気持ちをもつことができない施設とかではそんな手厚い介護は無理だとなるそして十年とか長い場合があるとその間は何もできない、その負担をも大きすぎるのである
ただ私の場合は介護して恩返しできて良かったと思う、だから遺影に手を合わせて供養できるとなる
介護のむずかしいのはそれは死後も影響してくることなのである
恨んで死んだりしたら何か手を合わせて供養できなくなる
お前は冷たい奴だったなとか死者に診られるからだ
そういう人を知っている、娘を恨んで死んでいったのである
その娘は信じられない非情な人になっていた

でも母親は介護されることもなくあっけなく死んだのである
もし介護状態になったら地獄だったとなる、そういう状態になっている人を知っている
その娘の実の親がそうっないたのである、認知症になっていたからである
実の親でも事情があって親とも思っていない、ただ金があるから施設に入れておくだけなのである
だから人間は本当に最後にならないとその真実もわからない
最後は親でも悲惨な状態になる人がいる、子から捨てられるのである
青森の施設にここからやられた人などはそうかもしれない、老後には最後には人間は恐怖にもなる、もうこれだけ老人になると姥捨て山に捨てるというのもしかたがないという時代にもなるからだ、中国では数が多いからすでに親をめんどうみれないと捨てる
そして自殺している人が増えていることでもわかる
一人っ子政策で親をめんどうみる人もいない、そして施設にすら入れない国でもめんどうみないとなれば死ぬほかないとなっているのだ、日本でも特養などは順番待ちでいつは入れるかわからないのである
高齢化社会の暗黒面である、認知症になる人が8百万人とういのも本当に悪夢である


世界中のどこも、経験したことがない社会「認知症800万人時代」この国に何が起きるのか 
65歳以上の4人にひとり、80歳以上は2人にひとり  

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明治維新は薩摩長州のクーデーターだった? (歴史の評価のむずかしさ)


明治維新は薩摩長州のクーデーターだった?

(歴史の評価のむずかしさ)

 明治維新が何なのかわかりにくのはなぜなのか?また歴史がわかりにくのはなぜなのか?
 もう直接話を聞いたりすることができない、すると何が事実なのか事実でないのかもわからないから司馬遼太郎の小説でもNHKのドラマでも事実だと見ている人が多いのである
それは相当に美化されたものであり事実ではない、でもその事実を知るのはめんどうになるから学者ではないから庶民はしないし他の人もめんどうだからしない
ただ娯楽として見ているのが面白いとなるだけである

事実としての歴史を知るのは直接親とか祖父母とかから聞いたとき生々しいものとして知る、だから郷土史でもおじいちゃんとかおばあちゃんから聞いた話からはじまると書いたそれが一番昔を知ることでありまた歴史を知ることになる
だから家族がみんな死んでつくづくそのことを思う

父親は明治生まれで葛尾村から出て双葉の新山で酒屋の丁稚奉公になった
母親は原町紡績で糸取りしていてあとで東京で女中になった
次に姉は従軍看護婦になってシンガポール、マレーシアのジョホールバルで4年間従軍看護婦で辛酸をなめた、それで死ぬ寸前までそのことを語って死んだ
次は兄は集団就職であとは交通事故で死んだ
このことはまさに自分が歴史として背負うものになった
これもまさに明治からの日本の歴史だったのである
こういうのはわかりやすいし身近だし別に明治維新が何だったとか考える必要もない
重い事実なのである、そうして苦労して生きたということが重い歴史の事実となっていたのである

では明治維新とは何なのか?
なぜこうして国レベルの歴史になると理解しにくいのか?
直接話を聞くこともできない、するとまず何のためだったのか?
そのことが問題になる、人間はまず何か行動を起こすのに理由がある、動機がある
その動機が何だったのか?それが問題になる
私の父親が酒屋の丁稚になったのは山では暮らせないから貧乏だからそうなった
母が糸取りになったものその頃絹織物が国の産業となっていた貧乏な時代だったからである、兄が集団就職になったのも貧乏な時代だからそうなった
つまり動機は貧乏だから苦しくてもそういうところで働くほかないからであった
それはわかりやすいし今でもそういうことがあるから理解できるのである
それでみんな国民が貧しい時代は豊かになりたいということで働くとなる
ただ姉の場合は急に一枚の赤紙が来て戦争に招集されたのである
その時なぜ戦争に行くのかも考える余裕もなく戦争に行かされたのである
その動機もなにもない、ただ強制されたのである
だから戦争とかなるとまたなぜしなければならなかったのか理解しにくくなる
それは明治維新とか国レベルの歴史となると理解しにくくなる

それで一体どうしてまず徳川幕府を薩摩と長州の侍が倒そうとしたのか?
それは単なるクーデーターであり別にその後に起きたこととは関係していない
四民平等とか廃藩置県とかは望んでいなかったのである
だからこそ西郷が西南戦争になり士族を残すために戦ったことでもわかる
目的は幕府を倒し政権をとる戦いであった、大義名分はなかったからクーデーターだったとなる、ただその後の展開で思わぬ方向に行ったのである
侍がなくすということを目的にしていなかったのである
その動機は徳川幕府を倒してその代わりになるということが目的だったからクーデーター論が生まれる

何か革命のビジョンとかがあったわけでもないとなる 
その指導的役割を果たしたの侍でも下級武士でありその時そういう恵まれていない人たちは何か時代が変わるという時上昇志向が起こり徳川幕府を倒すことで役職にありつくとか何か人間の欲を刺激されて参加したとかにもなる
それは戦国時代のような権力闘争だったともなる
最初はそうでも予期せぬものに展開した、それが評価されるようになったのである
第一侍だったものが侍を否定することがありえない、そういう革命はありえない
既得権者が既得権を否定することはありえないからだ
結果的にはやはり明治維新後は薩摩と長州閥が政権をとり主要な役についたことで腐敗したことでもわかる、薩摩長州による政権奪取だったとなる
そうなると革命ではなかったというのもわかる

ただその後に予期せぬ展開となりそれが革命として評価されたとなる
殿様とか侍がなくなったからである、四民平等になったからである
ただではそれで農民とか庶民の生活が劇的に変わったかというとならない
かえって農民は地租とか金銭で払うようになり確実に計算されてごまかせないとかで苦しむようになった、何ら庶民の生活は変わらなかったのである
ただ産業革命が起きて工業化して紡績工場とかが作られ情勢の働く場所とかはできた
鉄道も普及したとかあり庶民の生活が変わった
それは西欧化したことで変わった、それが庶民の生活を変えさせたとは言える
ただ政権は徳川から薩摩長州に移ったというだけであり政治的な支配は変わらない侍が支配していたともなる
それで実際の行政では幕臣がになったというときもそうである
実際に行政をになうものがいないからそうなったのである

薩摩長州連合とはただクーデーター連合でありそこに坂本竜馬がかかわったとしてもそれほど評価できるものなのか?そうなってしまうのである
徳川政権に変わり薩摩長州が政権をとるというだけのことである
長州は徳川幕府に恨みがありそこで恨みも晴らすとかなるとそれは革命ではない
ただ侍の藩同士の戦国時代の争いとにたものにもなる
ただ結果として予期せぬ方向に展開してそれが革命として評価されたとなる
昨夜のテレビ放送ではそういう説明でありそういう評価が今は起きていることは確かである、何か異常に明治維新が革命としてもてはやされた時代は終わった
高邁な理想をかかげた革命のように見させるものがあったが実は政権をとるだけのクーデーターにすぎなかった,とてもそうした革命のビジョンなどもてなかった

そして対外的にはアジア侵略思想が吉田松陰によって唱えられ朝鮮半島への進出が画策されたのも明治維新であった、それが後の太平洋戦争にもつながっていたのである
要するにトインビー流に言えば西欧文明の応戦があり日本はその挑戦を受けて改革したとなる、その後もロシアとかアメリカとの戦争があり世界史の舞台に登場したのである
そして敗戦となり焼野原となり高度成長時代をへて復興したとなる
それからまた経済の衰退と国の縮小時代になってきたとなる
明治維新から150年過ぎたけどこれから変革の時代だといっても明治維新や戦争の敗戦とかのような劇的なことは起こらないように思う
縮小化する日本とか衰退する日本とか内向する日本とかなる

おそらく日本はまた江戸時代のようなものに回帰する、海外の文明を文化をとりいれたあとに平安時代のような国風文化が起きたような時代に変わる
世界的にもITとかの普及は情報の変革であり物を供給したり消費したりするのとは違った精神革命になる
戦後の焼け野原になったときは何もなくなった
その時から物質的には窮乏していたから豊かになることが目的となった
とにかく三種の神器であるテレビとか洗濯機とか掃除機が異常に欲しいという時代であり
またマイホームとかも車が欲しいとかみんな企業戦士となり懸命に働いた時代でありその見返りもあった時代である
でも一応それが満たされると今度は精神面の充実を目指す時代となる
ただ今のカルト宗教は実は創価でもそうだが高度成長と同じように物欲を世俗の欲を御利益として認めて増えたから戦後に会員も増大した
それは戦後の物欲の時代にマッチしたカルト宗教だったのである
でも本来の宗教は内面的な心の問題として追求するから哲学とかとも深くかかわる
芸術とも深くかかわる、それで国風文化になるのである
豊かになれば物欲から精神的充実した世界を探求するようになる
それがIT時代とマッチするのである、だから変革といっても明治維新や敗戦の時のような劇的なものにはならない、静かな革命にもなる

いづれにしろ明治維新は何だったのか?その答えも一つではない
ただ今までのような明治維新の英雄の過度な礼賛はなくなるしそうなっている
それは外国の圧力で成されたものであり薩摩長州が革命のビジョンなどもっていない
ただ政権奪取を狙ったものでありそれが評価できるのか?
外交でも世界戦略でもアジア侵略の根は明治維新にあった、それが後の太平洋戦争の敗北に通じていたのである、ただ太平洋戦争となると姉が従軍看護婦でシンガポールとかで辛酸をなめたからまた一方的に否定するとはならない
その苦労を無為にできないのである、それは私的なものになるがまた公的なものとしての歴史にもなるからだ
国レベルの歴史となると理解がむずかしい、未だにまた太平洋戦争が何だったのか?
なぜ戦争になったのかそれも日本人が明確にしていない
その責任も明確にしていない、それは原発事故ともにている

それは政府と官僚と御用学者とマスコミとかが「安全神話」を作りそれが一挙に崩壊したそれは敗戦ともにている、日本は神国だから負けないという思想ともにていたからである天皇は神だから負けないとして戦争になったからである
その犠牲が3百万人の死だったからである
そして人間は必ず戦争でも起こしたらその責任は必ずとらされる
上の人がとらなくても下の人がとらされる、その責任から逃れることができないのである戦国時代は侍だけが互いに争い責任をとっていたが今度は国民全体が戦争に巻き込まれて責任をとらされたのである
posted by 老鶯 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2018年10月23日

人間が最後に問われるのは人生の意味である (歴史でも問われているのは意味である)


人間が最後に問われるのは人生の意味である

(歴史でも問われているのは意味である)


オウムとは何だったのか?
それを考える時怖いのは優秀な青年が無意味に死んだということではないか?
最後は死刑になったときそれが厳しい過酷な現実として示されたのである
その死に直面したとき本気でその生を問うたが遅かったとなる
つまりそれは災いをもたらした他者を勝手な宗教の曲解で殺したことである
だから何であれ人を殺したものは殺されてもしかたがないとなる
その理由がなんであれそうなる

人間はともかく動物のように食べなければ生きていけない、パンなしでは生きていけないでもパンのみでは生きることができないのが人間でもある
そこにジレンマが生まれ葛藤が生まれる
日々の生活はただ食べることに動物のように追われる、利益優先になりそのためにはいちいち意味を考えていたらできない、まずは利益だとなる

でも恐ろしいのは人間が最後に問われるのは求めるのは生きる意味であり生きた意味だとなる、だからこそ一体戦争で三百万人死んだけど今問われているのはその意味なのであるそんなものを無意味だったとなればその生も死も無意味となる
それこそ空恐ろしいことになる、意味がないことのために3百万に死んだのかとなるからだ

カルト教団の怖さは何か複雑な社会で優秀な青年が意味を求めてカルトに入ったりしている、自分もそうだった、でもそこは何か意味を与えるように見える
複雑な社会でそうしたカルト教団に入るのはやはり意味を求めていたからである
つまりオウムに入った青年は純粋だったということを直接接していた記者など言っているからである
それは自分も創価に入っていたから理解できる、何か意味あるものとして錯覚するのである、そういうふうに仕組まれているのだ、だからこそカルトなのである
現実は社会で利益優先にしているのと同じなのである
ただそこに何か巧妙に宗教を利用して一票を得て権力を手中にするのが目的なのだが王仏冥合とか中世時代の思想をもってくる、それで理論的に正当化しようとする

だから矛盾してくる、一票とることが成仏することであり入れなければ罰があたると恐怖におとしこむ手法である、平和の時代は武力で政権を奪取できないから票をとることで政治権力を得ることに奔走する、そこに宗教がかかわると矛盾しているけどそうなる
現実に民主主義の投票でもアフガニスタンでは30人くらいが投票のために殺されているのである、投票という行為で政治を変えるということが本当はむずかしいものなのである中国では民主主義がないからその政治は暗黒なのである
一党独裁であり反対者は闇にほうむられる、サウジアラビアでも批判した記者が暗殺された、それはまた宗教がかかわると怖くなる
オウムのように宗教で正当化されポアされるのである
それでヨ−ロッパではカトリックの政治支配があり政教分離になった
戦後も天皇が現人神(あらひとかみ)となり国家が国家神道となり宗教と一体となったから政教分離になった

いづれにしろ人間は歴史となったとき問われるのは意味である
一体カルト教団がどんな意味があったのか?
それが歴史的に問われる、人生個々人でもそうである
最後に問われるのは意味なのである
だからこそその前から実は意味を求めて人生を生きることが大事だとなる
でも現実社会は利益をもとめるのが最優先なのである、利益が上がればいいとなり是認される、実際銀行などでも何をするところなのか?
それが良くわからない、ただ投資信託を売りつけ手数料をとればいいとなり営業の銀行員はノルマを果たせばほめられていいとなるだけである
でも本来の銀行業にはやはり地域に貢献して意味を求めるものがあった
でも利益優先になるときそれは無視されるのである

意味を求める時それはあらゆる分野にある、ジャーナリズムにもあるしいろいろな職業にもある、ただすべてが利益優先になる、そこで歪められる

でも人間最後に問われるのは意味である

もしオウムのように有為な青年が意味なく死んだとなることを思えばわかる
また戦争で有為な将来有望な青年が死んだというときそれが無意味だったとなればその3百万人の死は何なのだったとなる
それは空恐ろしいことになる、人間はそんな簡単に無意味に死んでいいのかとなるからだただ何が意味があるのかとなるとそれは具体的な利益のように見えない
いくらいくらもうかったとか、議員になれたとか地位を得たとか具体的な御利益とはならない、だから庶民は多数はただ利益になるからと御利益で宗教団体に入る
それは何でもいいとなる、それであれだけの数となり今度はその数が権力となり社会に圧力をかけて利益を得ようとするのである

ただ最後に問われるのは歴史で問われるのは意味である、意義である

例えばナチスに何の意味があったのか?ファシズムに何の意味があったのか?
そういうことがオウムであれ戦争の死者であれまたこれからも問われる
明治維新だっていろいろに問われるている、見直されているのもそのためである
明治維新が礼賛されるだけの時代は終わったのである
そういうふうに歴史が常に見直されるのは意味を問うようになるからである
人間は誰でも哲学的存在なのである
意味がない生や死こそ本当は恐ろしいものなのである
そして意味とか価値は時代によって新しく作られてもゆく
例えばこの辺では津波や原発事故で荒廃した、でもここで復興することがあればそれは新たな価値と意味を創造したことになり後世の人たちに評価される
そして先祖が良かったから今の自分たちがあるとか感謝するようになるのである
でも実際は若い人は流出して故郷を捨てたのである
それはまた先祖が悪かったともなるのである、原発など誘致した先祖が悪かったとなるのである

人間の最後になると何か見えてくるものがある

人間が最後に問われるのは意味である

最後から本当は人生を生きなければならなかった、しかしそうはいかなかったとみんな反省しているのだが遅かったとなるのが人生なのである

2018年10月22日

柿のエッセイ(柿は日本で一番親しい果物−死んだ家族を思う)

                      
 柿のエッセイ(柿は日本で一番親しい果物−死んだ家族を思う)

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天高く馬肥ゆる秋草競馬

地に根付く変わらぬものや柿と松

ふるさとに墓を守るや柿なりぬ 

誰か住む小松に菊や小家かな

秋の蝶紋見せとまりSAによる


姉と母面影浮かび悲しかな故郷に住み秋となるかな

我が父は丁稚を勤め暖簾分けここに住みしも跡継ぎ住みぬ

我が母は大正生まれ柿好む貧しくを生き百歳に死す


原町の雲雀が原で草競馬があった、でも終わっていた
表彰式をしていた、この辺では野馬追いがあるからそうした催し物がある
馬というととき競馬だけどあれは馬が活きていない
馬は本当は草原のようなところで羊を追ったり走ったりしているとき活きている
だから草競馬などはギャンブルでもないしいいと思った
今は馬に親しむということがない、競馬だけになったから馬をみんな知らないのである

里ふりて柿の木もたぬ家もなし     芭蕉
                     
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規  


柿というのは何か質実なもの堅実なもを示していないか、ちょっと他の果物とは変わっている。昔の道を歩む、そこに柿がなっている、この柿と昔の道は良くあうのだ。果物というと外国産の果物はバナナでも食うだけであり日本にはなっていない、これは変なことなのだ。日本の土地に根付いたとき日本でとれるようになったときそれは食うだけでない文化となる。柿は寒冷地向きなのだろうか、橘というと南国をイメ-ジして万葉集にも盛んに歌われた。柿はなかった。柿の栽培はあとであった。日本では外来種の方が珍重された。梅も中国からきたものだしその梅が盛んに歌われた。日本人は植物からして外来種を外国のものを唐ものを尊ぶ文化があった。柿はその中でも食うものとして干し柿にもなったから食料として貴重なものだった。ミカンなどは食えるようになったのは江戸時代であり柿は最も早くから日本にあった。柿はどこの家にもあった。おそらく垣根とはこの垣は柿だったのだ。柿が植えてあるから垣根であったのかもしれない、それで大垣というのが漢字から石垣でもある城に由来しているのかと思ったらこれは「大柿」だったのだ

江戸後期から明治の初期にかけて生き(1805-1877)、備中松山藩に仕えた儒者・山田方谷(やまだ ほうこく)の手になる七言絶句の紹介です。
それも、「柿」を詠った漢詩のご紹介です。

○山村四時雑詠(冬)   山田 方谷
秋獲功終久息鎌  秋獲(しゅうかく)の功(こう)終(お)わりて久(ひさ)しく鎌(かま)を息(やす)む
更収園柿上茅檐  更(さら)に園(その)の柿(かき)を収(おさ)めて茅檐(ぼうえん)に上(のぼ)す
山邨冨貴初冬節  山邨(さんそん)の冨貴(ふうき) 初冬(しょとう)の節(せつ)
戸々斉垂赤玉簾  戸々(ここ) 斉(ひと)しく垂(た)るる 赤玉(せきぎょく)の簾(れん) 

柿というのはこういう風景として江戸時代からあった、柿はどこでもみかける、果物だとなかなか見かけない、この辺ではリンゴもないしミカンもない、ただ梨だけは豊富だからある、梨は安いのである
柿の不思議は柿というのに何か精神性を感じるのである
バナナとかミカンとか何かいろいろ果物があっても精神性を感じることはない、でも柿は別であり精神性を感じる
栗とかは果物には見えない、柿は明らかに果物であり実になっている
それから干し柿にもしているから冬の見慣れた景色になっている
柿はこれだけなっているのだから柿は日本の風景にとけこんでいた、そして柿はみんな食べていた
果物は贅沢でありなかなか食べられていが柿は食べていたのである

だから何か柿というとき見慣れたものであり確かに前の家の自分の庭にも柿の木があった
その庭は今の庭より広かった、そこに柿の木があった、渋柿だった、つまり街の中でも柿の木はあり柿の木は多かったのである
だから柿は日本の原産のようにも思える、でも中国が原産である、それでもKAKIとして外国津に伝わっているのはそれだけ日本には柿が多いということである 

私の家族はみんて死んだ、何かそれで父は早い時期に中学の時死んだので父のことは思うことがあまりなかった
それが家族がみんな死んだとき父を思うようになったのも不思議である
父は葛尾村から双葉の新山の酒屋に丁稚奉公した、そこで勤めて暖簾分けしてここに住んだのである
それは戦前の話である、戦後はまた違っていた、小さな子供相手の駄菓子屋みたいものを初めて店になり高度成長時代となり繁盛したその時は物がないから物を置けば売れたのである、それは中小の工場でもそうであり東京では人手不足になり集団就職で中卒が補ったのである

人間は親の影響が大きいのかもしれない、親が丁稚奉公したとか母が尋常小学校で原町紡績で糸取りしていたとか、あとは東京に女中になったとか、姉は従軍看護婦になり戦争で苦しんだとか兄は不幸にも集団就職してあとに交通事故で死んだとかそれぞれが戦前の歴史であり戦後の歴史になったのである
自分がここにあるのは親がいてその親の跡を継いでいるのである
だから歴史というと国の歴史とか大きなものがあるのだが実際身近かに感じるのは家の歴史なのである、それが二代でも歴史になるからだ
父親も母親も姉も兄も苦労したなとかなりそれを感じて生きることが歴史なのである
人間の生は一代で終わらない、必ず後の代にも影響する
それでカルマも受け継がれるとなるのである、カルマにもいいカルマと悪いカルマがある
この辺では放射性物質、プルトニウムの毒が二万年消えないとかのカルマを積んだのである

先人がどのように生きたかはその子孫に相当に影響するのである
もしそれを思ったら子孫のためにもいいかげんには生きられないともなる
そしてそういうふうに親のことでもかえって死んでから意識するようになる、父はこういう人だったなとか母は姉は兄はとかなる
だから死者というのは死んでからかえって意識されてふりかえることになる
つまり人間はそうして代々親から子へと何かを伝えて生きてきたのである
だから歴史の継承は大事になるのである、親がまともに生きていればその子もまともになるということは家系のことで言われることは納得する、ただ常に例外は人間社会にはある、親がいい人でまともな人でも子がだめな人もいるし親がだめでも子が立派になる人もいる、ただ一般的には親がまともに生きていれば子もまともになるというのが普通である

なんか家族がみんな死んでから、家族のことを思う、死者はどこにいるのか?
やはり故郷にいるのかもしれない、故郷をなつかしく思い死者はいるのかもしれない、ふるさとに面影として浮かぶのかもしれない
それは何か理屈ではなく感じるものがある 
いづれにしろ柿と松はあっている、それは変わらないものの象徴なのである
堅実であり質素な感じになる、精神性をもつ、そしてこの辺はあまりにも変わりすぎたのである
そのショックが未だに続いている、結局今や自分は墓守りなのか?
それには柿があっているのである                 
                           

タグ: 柿の俳句

抽象画(ヒマラヤ) Abstract picture (Himalaya)


抽象画(ヒマラヤ)

Abstract picture (Himalaya)

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from autumn to winter




抽象画がいくらでもできるぎはなぜか?

元になる絵がインタ−ネットでいくらでもあるからだ

ただそれを変化させれば何か抽象画になってくる 

今回は中国のサイトの抽象画を変化させた

中国というと広いからそこには才能がある人がいる

やはり中国の歴史的なものが表現されるともなる

まず抽象画が無限の変化である

一つ作ったらまたそこから変化させて抽象画ができる 

だから無限に抽象画ができるとなる


Why can you have as many abstract pictures as you can?

Because there are as many original pictures on the Internet

Just changing it will become an abstract picture

This time I changed the abstract picture of Chinese site

There is a person who has talent there because it is wider than China

As a matter of course, historical things in China will be expressed

The abstract picture is an infinite change first

If you make one, you can change it from there to create an abstract picture

So it will be possible to create abstract images indefinitely

2018年10月21日

「文系学部廃止の衝撃」吉田俊哉を読む (大学とは学問とは何なのか)


「文系学部廃止の衝撃」吉田俊哉を読む

(大学とは学問とは何なのか)

大学とは何なのか?戦前はエリート養成の大学であり何か大学とは何かとか悩む必要がなかった、そこでは自ずとエリートとして見られているし自覚が芽生えた
そして寮歌などう歌いエリートとしての青春を謳歌したのである

 デカンショデカンショで半年暮らす アヨイヨイ 

 あとの半年ねて暮らす ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ

こんな生活が大学ではできた、今でも文系は勉強しない,何か勉強することが大学では嫌われていたというのも不思議である
大学でとまどうのはまず授業に出なくてもいいということだった
高校だと毎日嫌でも授業に出るから勉強嫌いになった、勉強するのは自主的にするのではないただ試験だとか受験のためである、何か興味のためでもなかった
せめて興味のためだったら良かったそういう余裕もないのである
だから何か高校までは自主的に考えて何かを追求することがなかった

そもそも学問のはじまりは二つある、学ぶとはまねることである、暗記することでもあるこの二つが高校までは中心になる、そしてあとは試験のためであり受験勉強なのである
だから純粋に学ぶということがない、でももともと学問は問うということがはじまりである、なぜか?この疑問から始まっている
そこに学問のはじまりがありその疑問を解決するために学問があり学ぶのである
だからギリシャからはじまった西洋の学問は文明は最初は理系とか文系とかの区別はない哲学であった、世界の成り立ちを物質でもなんでも探求する哲学になる
そこから今の原子論がうまれた、自然を構成する分割できないもの原子がアトムから自然は成り立っているとかなる
それを哲学的に考察して科学へと発展していったのである

ともかく人間は何するにしても疑問がとめどもなく無数にある、作物を育てるのにも種をまいても良く育たないということが普通にある、するどなぜなのか?
その疑問が必ず生じてくる、それは肥料だとか水の問題とかある、果物が育つのはかえって福島ならそこは扇状地で砂礫であり水はけがいいから桃がうまいものができたとかなるその土壌に適した作物が必ずありそれがブランド品になる
自然のどういう作用で果物でも野菜でもとれるのかわかる
その土地とか風土と密接に関係しているのである
それは学問として発達すれば農学となり化学とも関係してくる
それは理系だと今はなる、理系はどちらかというと実学なのである

ピタゴラスの定理だとどうしても屋根を作るために必要なものとして解かねばならない難問だった、それが解かれたことにより屋根を作るのが容易になったのである
ギリシャにはそうして学問の発祥の地としてあった
実用としてその謎を解くということが学問のはじまりである
それは理系だと今ではなる、ただ不思議なのは建築に興味がある、では建築でもただ機能的に現代的な高層ビルを建てる技術はある、それだけ発展した技術はある

でもそこにピラミッドやギリシャの神殿やゴシックの大聖堂やモスクでも何か精神性を感じるのかというと感じない、だからシュペングラーが数から分析して高度な数学として文明の建築を見た、その精神性を付与するとなると何かそこには文系の眼が必要になる
そもそせ宗教的建造物はそうした精神性がないとしたらただ摩天楼のように高いだけなら意味がない、そこは祈りの空間として意味をもてっいるからである
ただ大きいというだけただ高いというだけの建築には意味がない、精神性がない、ナチスの時にやたら大きな建物が建てられたという時精神性がないからそうなった
ただ大きいだけでは意味がない、その建築が作られるのにも人間の精神性が付与されてはじめて魂を入れたとなる

そもそも学問のはじまりは深刻な疑問に答えることだった
そして最も深刻な疑問はなぜ人間が死ぬのか?
このことが一番の疑問でありそれに答えるものとして宗教も生まれる
なぜ病気になるのかということでもそれに答えていたのは宗教である
結局加持祈祷するほかないから小さな地区でも村でも必ず山伏が法印がいたのである
しかし本当は人間の最大の問題は人間が死ぬということである
その最大の問いに答えるもでなければ宗教もありえない、その答えを出したのはキリストだけだったとなる、永遠の命は人間に宿る、人間は死ない御霊が与えられている
それが信仰の基になったのである

だから大学はもともと修道院とか寺が学問の場であり求道心がある人たちが集まった場所である、大学は中世では神学と法学と医学しかない、法学となると最古の法典としてハムラビ法典がありローマ法がある、西洋の学問が法から成り立つというとき聖書でも信仰は神との契約だというときその契約は法律用語である
日本人に法になじみにくいが仏教でも寺は求道の場であり修行の場だから同じたったのである

そもそも寺子屋があったとしてそこで実業を教えていた、読み書きそろばんを教えていた
それは寺というのがもともと修行の場であり宗教施設である
そこから派生して実業の寺小屋が生まれた
ヨ−ロッパでも修道院が修行の場でありまた様々な実業の場としてもあった、パン作りとか葡萄酒を作るとか菓子作りもして有名な修道院もあった、日本では沢庵和尚となれば沢庵を発明したからである

そもそも大学とは何なのか?
これがわからなくなった、起源をたどれば宗教から派生したものとしてもろもろの学問があり元は神学が主な教科だった
だから大学というのは医学があるとしたらそれは実業としてあった、でも神学となると実業ではない
大学が現代では実業を身につけるものとしてある時それは理系になる、工学系とかでは機械を作るとけであり農学系だと農業技術を学ぶ所であり医学系だと化学とかなる
それが理系であり理系は社会に役にたつとなり文系はいらないとなる、でも大学とかはもともと宗教から派生したものだから実業とは違うものだった
もし大学は実業だけの場だったら職人のように訓練すればいい場所となる、その職につくための訓練をする場だとなる
大学というとき大きく学ぶだからそうした特定された専門の技術を習得する場だけではない、人間として人格を作るとかある
そうなると幅広い教養とか文学などでも学ぶ、そういう場所が大学だったとなる

実際に大学というと仏教でもキリスト教でも宗教系が多いのでもわかる、大学は依然として宗教から派生したものとしての名残を残しているのである
大学とは何か?それは「人間を作る場所」だともなる
何か専門の実業だけではない人間として広く学ぶ場であり人格を作る場所である、だからそこに遊戯も必要でありスポーツも必要であり様々なクラブも必要でありそこで幅広い人間を養成することである、だから大学は人生とか社会全般のことを考える場所でもある、専門技術を習得するだけではない、そのために自由時間が与えられている
ただ自分の場合はカルト教団に入ったから奇妙だけどそこは宗教として求道の場所だったが全く違っていたのである

いづれにしろ大学と高校はあまりにも違いすぎるのである
自由時間がふんだんに与えられているがそれにとまどうのであるそれで変な方向に行く人もでてくる
大学が遊戯の場だというとき本当に遊びの場となってしまう人もいる、毎日麻雀していたり何か怠惰になり遊びほうける場所にもなる、そういう時間を浪費する場にもなる
それで大学は特に文系はそうなるから無駄だとされる
理系は専門技術の習得があり就職もしやすいが文系は社会に出ても何らそうした技術を習得していないから役にたたないとなるのだ
そして不思議なのは大学で遊ぶことを覚えるとまともな職業人になりにくくなる
授業にも出ない、時間にはルーズになる、毎日時間通りに会社に行き勤めるということがしにくくなる
でも実際は団塊の世代でも学生運動した人たちもみんな就職して企業戦士になったのである
自分のようにアウトローとかになった人は本当にまれである
今ならニートとか普通にいるがその時はいない、そんな人いないから誰も話題にもしなかったのである
だから自分にはそのことが理解できないのである

今のようにニートとかもっといても良かったと思う、そんなにみんなが猛烈な企業戦士とかになる必要がなかったと思う
大学で自由な遊びを覚えた人がみんなそうなることが理解できなかったのである
ただそこには時代があり就職もみんなできたしそういう時代だったとなる
そうして正規のルートからはずれた人は本当にまれだった、みんなその時は正社員になれて会社に入れば安泰だとなっていたからである、でもほとんどの人は企業戦士になる必要はなかったと今では思う
そもそも大学は職業人だけではない何か自由人を作る場所でもあったからだ
だからみんな猛烈な企業戦士になったということはもしかしたら大学の趣旨に反するものだったともなる
もっと自由人を出す所が大学だったともなるからだ

2018年10月20日

南相馬市の原町の泉官衙跡から発見された木簡の嶋□をたどる (宮城県小田郡嶋田郷なのか?)


南相馬市の原町の泉官衙跡から発見された木簡の嶋□をたどる

(宮城県小田郡嶋田郷なのか?)

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大崎平野の江合川のラインの南岸が前方後円墳の北限と考えていいです。
つまり古墳時代半ばの5世紀までにヤマト王権の影響力が及んだ範囲は、江合川までといえるのです。



 オモテ面には貢進者である「嶋□郷□□里」(地名)の「□□白人」(人名)という名が記されており、裏面には、ほとんど判読できないが、進上された物品の種類や量が記されていたものと思われる。

ここにも確かに郡衙があった。ではこの嶋□郷 □□白人とは何を意味しているのか、□□里は久慈郡に真野里あったように草原というのも真野郷草原里だったかもしれない、里は文献にのらなくてもかなりあったのだ。それが地名として残っているかもしれない、原町に郷としてなくても大田とあればここでは大田里になったのかもしれない、久慈郡に真野郷があり真野里があった。同じ郡内にあったとすると真野という広がりが各地にあったのか不明である。

神護景雲三年
十一月二十五日 陸奥国牡鹿郡の俘囚、少初位上・勲七等の大伴部押人が次のように言上した。
 伝え聞くところによりますと、押人らの先祖はもと紀伊国名草郡片岡里の人ということです。昔、先祖の大伴部直が蝦夷征伐の時、陸奥国小田郡嶋田村に至り、住みつきました。その後、子孫は蝦夷の捕虜となり、数代を経て俘囚とされました。幸い尊い朝廷が天下を治められるめぐり合わせとなり、優れた武威が辺境を制圧しているのを頼みとして、あの蝦夷の地を抜け出てから、すでに久しく天皇の徳化のもとにある民となっています。そこで俘囚の名を除き、調庸を納める公民になることを申請します、と。
これを許可した。

この人は遠田郡の人である。遠田郡の隣の登米郡に行方郷があったからこれは明らかに相馬の行方郡の人が移動したのだ。黄金がとれたのは遠田郡の小田である。その小田に嶋田村があったということは泉廃寺跡の嶋□郷は嶋田かもしれない、その他遠田郡には真野公遠田郡で真野公営山47人が賜姓された。こう考えると嶋□郷は嶋田郷であり□□白人は高麗白人かもしれない、高麗福信という人がいたからだ。つまり製鉄や黄金をとる人々が渡来人中心にして移動してきたのだ。



嶋田神社−神八井耳命(奈良)

神武天皇の子の神八井耳命について、意冨臣・道奥石城国造等の祖と記されており、石城国造は皇別で多臣の一族という系譜を持つことになります。

神武天皇−神八井耳命の系統に嶋田神社がありそれが陸奥の真野郷に関係していた
嶋田郷とするとここから出ているからである
多(おお)氏は渡来人とされ神武天皇の系譜にあり大和朝廷の統一の大きな力となった

日本国統一大和王権の成立前には日本には国がない、すると渡来人でも自由に入ってきたそれが後に蝦夷(えみし)となって大和王権に対立するようになった
ともかく蝦夷というのは異民族という感覚になる、大和王権が成立した奈良辺りには規制の勢力が存在して渡来人は入りにくかった
でも蝦夷の地域は入りやすかったとかなるし移民として開墾に従事させられたということがある、もともと日本の原住民は縄文人でありそれに異民族の渡来人が入りその渡来人でも日本で二分化したのである

東(あづま)の国の陸奥(みちのく)の小田なる山に 
    金ありと奏(まう)し賜へれ御心を明らめ賜ひ 
    
すめろきの御代栄えむと東(あづま)なる陸奥山に金(くがね)花咲く 

  天平感宝元年五月の十二日、越中国の守の館にて、 
  大伴宿禰家持がよめる。
  
小田郡は後に遠田郡となる、その遠田郡に真野公遠田郡で真野公営山47人が賜姓されたその小田郡に嶋田郷があること、そして石巻に真野公と記された木簡が発見されたこと
北上川をさかのぼり登米(とよま)に奈女(なめ)が行方(なめかた)郷があったことなど産鉄族の真野氏の移動があった、真野氏も渡来人だとされている
製鉄関係では渡来人が技術者であり深くかかわっていたからである
そして前方後円墳の北限が今の小牛田の京銭塚古墳だとするときその辺は大和王権に組み入れられた、それは史書に記されているから歴史としても中央で把握していたのである

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この大伴家持が陸奥に実際に来たのかどうかは不明である
ただ笠女郎(かさのいらつめ)は家持に恋して慕っていた

陸奥(みちのく)の真野の草原(かやはら)遠けども面影にして見ゆといふものを
(笠女郎)

ではこれが一体どこなのか?それを考察してきた
南相馬市の鹿島区には真野郷という古代郷名がある、でも石巻の真野には真野という地名があっても古代の郷名としては記されていない,とはいか真野公という木簡が発見されたし萱原という地名もある、江戸時代から石巻の真野の萱原がその場所とされていたのである、それには何か根拠があってそうなっていた
南相馬市の鹿島区の真野は最近になって発掘があり金銅双魚佩などが発見されてここが真野の草原だということが言われるようになった
ただそれは確定されたものではない、鉄道だと石巻線で涌谷がありそこから砂金がでた
天平という字も発見された、桃生郡からは貞観という碑が残っている
多賀城が陸奥への蝦夷の平定の最前線基地としてあった

ただ間違いないことは草原−萱原はカヤハラは萱が茂っている場ではない、地名なのである,第一日本の古代はその頃は一面がどこでも萱原の景色でありそんなもの珍しくもないのである、だからわざわざ萱が茂っている所だと面影に見ることはないのである
ただ慕う人を真野の草原という遠い地に行っても面影に見えますよということである
それは大伴家持のことなのである

そもそも笠女郎の笠は渡来人であり沙弥満誓の娘なのである
ともかく古代史では大和王権統一の過程には渡来人が深くかかわっていたのである
大和王権ではそうした渡来人を陸奥に移動させた入植させたのである
それは製鉄の技術者であったからだ、湧谷の小田で砂金がとれたというときもその砂金をとる技術をもっていたのは渡来人だったからである

奈良の都で聖武天皇が大仏建立を進めていた時のこと、鋳造は終わったが表面に鍍金する黄金が不足して、その完成がおぼつかなくなり、天皇が日夜悩んでいた天平二十一年、陸奥守であった百済王敬福が陸奥国小田郡で、我が国で初めて産出された黄金九百両を献上した。天皇は大いに喜び、敬福を従五位上から一躍七階級昇進させて従三位に任じ、宮内卿とし河内守を兼ねさせ、河内国交野郡内にも広大な土地を与えた。現在枚方市域にある百済寺跡や百済王神社は、こうして交野に営まれた百済王家の居館群の跡をとどめるものである。

百済の王家の出に連なる者だがその前は伽耶国があり伽耶は百済に併合された
伽耶からはツノガノアラシトが日本に入ってきた、これは伝説的人物だがその足跡は津軽まで記していた、なぜならツノガノアラシトのツノガとは敦賀(つるが)とか津軽はなまったものである、そして相馬藩内に荒氏が多いというときその系統のものなのである
伽耶(かや)の系統はあとで消されて歴史から消された、それでその系統の神社が祭られていたがそれも不明になった
相馬市の松川浦の津波からも残った津神社はつのみつ神社も渡来系の産鉄族のツノガノアラシト系統だったのである、ただそれは不明にされてその出自が隠されたのである

ただ真野の草原がどこかというと小牛田とか湧谷の小田とか桃生郡とか石巻の真野の萱原とかは大和王権に服した地域でありだから真野の草原は石巻だと遠いとなるがそこが湧谷とか桃生郡とか小牛田の京銭塚古墳とか前方後円墳の北限となっていることでもその線が丁度大和王権に服した地域ということで史書にも記されているから遠いとあるがありえないことではない、ただ多賀城の更に北になりそんなに遠くではありえないとういのもわかる 
距離からするとどうしても南相馬市の真野郷の草原なのかとなるがここには地名がないのでそれで確定しないのである

責任をとらされる人が一番真剣になる (責任をとらない人は信用できない)


責任をとらされる人が一番真剣になる

(責任をとらない人は信用できない)


原発は安全ですよ、百パーセント安全です

では事故になったら責任とりますか?

誰もとらない

地元の人は責任をとらされる



投資信託はもうかりますか?

もうかります

責任はとりますか?

とりません、手数料だけはもらいます

責任は頼んだ人がとるんです


結局人間は責任がつきまとっている、生まれたときから何か責任を果たすためにカルマを果たすために生まれて来たのかともなる
責任をとらないものは無責任になる、だからこそ百パーセント安全だというが事故になったからと誰も責任はとらない、そして地元の人が責任をとらされた
故郷に住めなくなった、では地元の人に責任がないのか?
それはあるにしろないにしろ誰かが責任をとらされるのである

責任を取らされる人が最も真剣になるべき

責任をとらない人は真剣にはならない、どうせ事故を起きても責任をとる必要はない
東電では社員が月給が減ったわけでもない、みんな税金で補償金を払っている
痛みもないのである、そして責任を負わされたのは地元の人だったのである
だから責任を負わされる人こそ真剣に対処する必要があった

百パーセント事故はないですよといくら政府とか官僚とかマスコミとかが学者が言ってもその人たちは責任はとらない、罰せられることもないからである
地元の人たちは故郷に住めないという罰を与えられた、責任をとらされたからである

銀行の投資信託でもそうである、その仕組みはわかりにくいから理解できない
それを銀行がすすめる、銀行は信用できると思いまかせる
でも損したからと責任は一切とらない
とらされるのは頼んだ人なのである
そうしたら一番真剣になるべきは頼んだ方なのである
銀行は別に損することは絶対ない、責任はとらないからだ
そもそも株とか投資信託でも銀行は知らないのにすすめている
でも銀行が知らないとか関係なく頼んだ人は責任はとらされる
そしたら株でも投資信託でも頼んだ人が責任をとる
損してもあなたの責任ですよとなる
だから知らないですまされない、知らないのならやるなとなっていたのである

原発だってそうである、政府とか官僚とか御用学者とかマスコミが安全神話を作った
でも事故になったからと誰も責任はとらない
責任をとらないからこそ100パーセント安全ですよとか安全神話を作ったのである
もし事故になったら死刑になりますよとなったら誰もかかわらないだろう
もう真剣に命がけでやるから安全にも万全を期するとなる
そうしたとしても人間のやることにミスがあるから百パーセント安全だということはありえないのである
万一が必ずあるからだ、何が起きるかわからないのが人間社会だからである

ただ事故が起きてからはもう地元の人はそれを知ったのだから今度は確実に事故が起きても補償はされない、福島の原発事故の被害を知ったからである
こういうふうになるけど作ってもいいですかとなっているからだ
リスクを覚悟で地元に作らせたとなり補償はないとなる

いづれにしろいくら政府でも官僚でも学者でも技術者でもマスコミでも安全だと言っても責任はとらないということがわかった
戦争でも同じ構図だった、国民に戦争をさせたのはそうした指導する人たちだった
でも国民は戦争に熱狂していたというときまた国民にも責任があったし
現実に3百万人の国民が死んで責任をとらされたとなる
それを承知で戦争に国民が参加したのかとなるが必ず責任はとらされる

だから民主主義社会ではそうして国民が主権者なら情報でも開示させて納得させる
説明責任があり秘密主義になってはならないのである
原発のことはわからないといっても説明はされるべきなのである
何かあっても秘密のベールに原発はおおわれていて御用学者が安全を言う
素人は何も言うなという、でもその人たちが責任を負うならいい
責任をとらないとしたら地元の人が戦争では国民が責任を負うことになるから知らないですまされないのである
それは投資信託でも同じだった、知らないではすまされなかったのである

知らないならやるな

こうもなっていたのである、そして知らないですまされなくなる、責任は必ずとらされたとなるのである
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2018年10月19日

原発事故と地銀がすすめる投資信託はにていた (リスクを言わない、説明もしない、実際はわかっていないのにすすめる)


原発事故と地銀がすすめる投資信託はにていた

(リスクを言わない、説明もしない、実際はわかっていないのにすすめる

科学者はメルトダウンしたことを知っていた→でも嘘ついた

銀行は投資信託をがもうからないことを知っている→でもすすめる

それはなんのためなのか?

利益が出るからである、御用学者でも利益が得られるからである

知っていて嘘をつく、それは利益がえられるからである
それは科学者や技術者の良心に関係している

武田邦彦氏がyoutubeでそういっている

何が犯罪になるかというと知っていて意図的にそれが悪いとしてもすすめる
もし知らないでしていたら犯罪にならない
盗むにしてもこれを盗むということを意図して意識していれば犯罪になる

でも意図せずして盗むことがあるのか?

それはむずかしいのだけどある人がコンビニでいろいろ苦しみ悩んでいるとき週刊誌をみていてうっかりパンをポケットに入れてしまったのである
その人は全く意識していない、第一その時その人が多額の金を盗られたのである
だからパン一つくらいならどうでもいいと思うがもし意図して盗めば犯罪になる
でも外から見てその人は確実に盗んだとしかみえないのである
それでもその人には盗む意志は全くなかったのである、意識も意図もしないでいろいろ苦しみ悩んでいてそれで週刊誌を読んでいて注意がそっちに向いて意識せずにポケットに入れていたのである、それは防犯カメラに映っていたのである

だから意図しない意識しない犯罪がある,それは殺人だってあるかもしれない、思わず意識せずに事故のように起きる犯罪もある、だからつくづく人間の問題は犯罪でも複雑なのである、知的障碍者とか精神障碍者が犯罪を犯しても罪にならないのはそのためである
罪の意識ももてないからそうなる

では科学者はどうかとなると科学者は素人より科学について知っている、知っていて嘘をつく、原子力とか核になると素人はわかりにくいからそこで嘘をつく、でも科学者は知っていて嘘つくから犯罪になる
私はそんなことを知りませんよ、そうならまた原子力の専門家として失格だともなるからだ、そんな人がなぜ原子力を扱っているのだと責められることになる
知らないならそんな危険なものを扱うなとなるからだ

銀行でも銀行員が説明もしないで株がリーマショックの時買ったのを元にもどしたとき投資信託に回した、説明しないで投資信託に回した
その時私は営業の人はプロですからまかせてくださいと言ったからまかせたのである
でも実際は投資信託を売り手数料を確実にとるためにそっちに回したのである

投資信託を売れば確実に利益になる、投資信託は損することが多いがそれを言わない
それで今はやりのを買わせる、その時はもうもうからないのである
今株が上がっているとき売る理由がない、説明もしない
そのことで説明責任が問われて実際に裁判にもなったのである
医療でも一応説明責任が必要なのである、だから手術の時などしている

原発でも同じである、安全、安全といい私たちはプロですからまかせてください
絶対百パーセント事故は起こりませんと言ってリスクのことは一切言わない
それは銀行より悪質だとなる、なぜなら銀行では一応リスクのことはあいまいだが言うからである、また素人でもある程度わからないにしろ株はリスクはともなうことは知っている、でも私の場合はいろいろ他にすることがあり調べられないから銀行にまかせたのである
人間は何でも知りえようがないしできないからプロにまかせる
ところがそのプロは一切責任はとらないのである
それは原発関係者でも銀行でも同じである、銀行は確実に手数料はとりますがあとはリスクがあっても一切責任は頼んだ人がとるのである

百パーセント安全ですよ、ではそれで責任をとりますかとなる
今回の原発訴訟でも誰もとらない、百パーセント安全だということの責任をとらない
責任をもって百パーセント安全だと言ったじゃないですか?
その責任はどうするのですか?そうならリスクはありますと最初から言えば良かったのである、そのリスクを納得してもらい利益を供与しますからは言えばよかったのである
だから事故になっても何の備えもなく一番危険な山側に避難させたのである

要するに地銀の支店長も株のことはわからないと言っていた
ではなぜ知らないことをすすめるのか?
一方で営業の銀行員は私は金融のプロですからまかせてくださいと言わせているのか?
地銀で営業している人はそう言っている
その人たち原発関係者と同じ共犯なのである

だから原発は核のことは本当は科学者も全部はわかっていないからリスクがある
それを安全だとしか言わない、知っていて今度はメルトダウンしてもしないとか事故後も科学者は嘘をついている
もし事故が起きたら責任はどうするのですか?
死刑になりますよとかなれば軽々しくは原発を作れなくなるのである
最初からそれだけの覚悟が必要になるからである
そもそも今回のように幹部でも誰も責任をとらないからまた原発をはじめることになる
死刑になるら科学者でも自分はかかわりたくないとなるからだ

オウムの事件で何の理由をつけても人を殺したらあなたたちも殺されますよという覚悟で人を殺すならいい、でもそういう覚悟がないのに何かその時の調子で安易に人を殺した
そして死刑になったのである、死刑という責任を負ったときその重大さを重い責任を自覚したのである、責任が自覚されないからこそそういうことをしたともなり死刑になってはじめて自分たちのしたことの重大さを意識して反省したとなる

原発はこれだけ被害があったのに誰も責任をとらないからまた同じように原発を再開するそれは責任をとらないからである、もし誰か責任をとらされて死刑になったら誰も科学者でもかかわりたくないと断るようになる
東電でも社員でも一切責任はとらないし損したことはないのである
みんな税金の負担で賠償していて東電は何の痛みもないとなるからだ

いづれにしろ科学者でも知らないことをすべきではないとなる、また地元の人でも知らないことを安易に利益になるからと原発を積極的に誘致したのは責任があったとなる

知らないことはやるな!

それは科学者でもそうだし株でも投資信託でもそうだったともなる
知らないことがやる奴は悪い責任があるとなる
投資信託など仕組みが複雑でわからないからだ
それでだまされやすい商品なのである、だからこそ銀行側でもすすめているのである
相手が客が知らないということですすめる商売は今の世の中複雑だから多いのである
株は経験のないわからない人はやるなというのもわかる
そこで痛い目にあっても自己責任にされるからである 



posted by 老鶯 at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年10月18日

登米市(とめ)の登米(とよま)まで製鉄集団の真野氏が移動した (奈女加多(行方)が移動している)


登米市(とめ)の登米(とよま)まで製鉄集団の真野氏が移動した

(奈女加多(行方)が移動している)
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石巻市で発見された真野公の木簡

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古代の行方郡衙の場所は新田川の河口付近、現在の南相馬市原町区泉にある泉廃寺跡と推定されています。また和名類聚抄には「奈女加多(なめかた)郡」とあり、

奈女とあるのは奈女加多(なめかた)郡のことである、ここから真野氏が来たと記してあったとなる

鹿嶋御児神社 石巻市真野
8世紀後半から 9世紀前半にかけ、ヤマト朝廷と蝦夷との間で、桃生城への蝦夷の襲撃を皮切りに38年間の動乱が発生 しました。
ヤマト朝廷が東国蝦夷の地での支配地域を拡大 図る過程で、常陸国・鹿島神宮の末社が政治的な動きを果たしたと言われています。(石巻の歴史 第1巻上)

その末社のひとつが祭神・建御雷神の「鹿島御児神社」でした。 
建御雷神は大国主に国譲りを迫った神です。(古事記) 

古代の石巻地方の中心地は真野である!!

牡鹿郡の中心はどこなのか。石巻市真野が政治的中心地であった可能性が大である。(石巻の歴史 第1巻)。
石巻市田道町遺跡からは延暦11年(792)の年紀を持つ「真野公」と墨書された出挙木簡が発見されているが

承平元年(931)の『和名類聚抄』(わめいるいじゅしょう)に「登米郡は、登米・行方の二郷あり、登米は止与米・行方は奈女加多と訓む」とあります。登米(とよま)郡には2つの郷があって、さらに郷も複数の村で構成されていました。村を里(り)とも呼んでいました。

 止与米や奈女加多は古代中国・漢の時代に文字を輸入したので漢字と言いますが、その文字を日本独自で使い方を考案し、仮名として「止」を「と」、「与」を「よ」、「米」を「ま」と読むようになり、さらにこれを崩して崩して、今の仮名文字が出来たと言われます。この止与米の文字を仮名文字の元字「母字」(ぼじ)と言います。



茨城県の常陸(ひたち)に行方があり福島県の南相馬市の鹿島町に古代の真野郷があり
鹿島御子神社がある
もともと石巻は「みちのくの真野の草原(かやはら)」とされていた
なぜならそこに萱原という地名もあるからだ
それが根拠がないものではない、木簡で真野公と記されたのが発見されたしそれから
奈女(なめ)という字も木簡に記されているがこれは 

「登米郡は、登米・行方の二郷あり、登米は止与米・行方は奈女加多と訓む」

奈女加多であり行方(なめかた)なのである

これは真野氏一団が北上川をさかのぼり移動した、製鉄集団であった
真野氏は渡来人説があり技術集団であり鉄を求めて北上川をさかのぼっていったともなる
いづれにしろ仙台まで行って登米市に行こうとしたがそこで聞いたら登米(とめ)と登米(とよま)があり同じ字でありまぎらわしいと思った
登米(とよま)が古くそこに二万石の伊達氏の城があった
そこに北上川があり米を石巻まで江戸時代に運んでいた
登米(とよま)までのバスは出ている、乗る人がいた、登米市の市役所までは一時間起きにでているが登米(とよま)まではそんなに出ていないから行きずらいのである
ここで混乱して結局今回は行かなかった、次に行ってみよう。




秋の夜(仙台まで電車で行く)


秋の夜(仙台まで電車で行く)


ふるさとの墓を守るや柿なりぬ

秋晴れや金華山見え電車行く

東口通りの広く秋の風

新書のページをめくり秋となる

待ち合わせ電車のとまり秋の夜

単線や秋の夜長の待ち合わせ

虫の音や新地にとまる昔かな

月光る切符を入れて無人駅

我が家に帰るもあわれ残る虫


墓を守のが勤めだということもある、誰か知らない人が花をいけたりなぜか大きな梨が置いてありそれが烏に食われていた、誰かが梨をあげたのか?
まず死んでからでもそうして何か上げる人は死んだ人を思っているということである
人間は死ぬともう何の義理もなくなるから関係しないからである
だから何か死んでから墓でも花をさしたり何か供え物をする人は死んだ人を思っているいる人でありありがたいとなる

今日は約半年ぶりで仙台に行った、新地駅から金華山が見えた、秋晴れで見えた
ただ金華山があそこに見えると意識していなと小さいから見えない
新地駅からは晴れたら金華山が見えると意識しているから実際に見えたのである

仙台の東口とかを歩いた、通りはあそこは広い、秋の風がそよぐ
今日は本当は登米の方に行こうとしたが何かめんどうなので行けなかった
電車で行けないのところはめんどうになる、だから電車で行けない所は行っていないところがある、それで自転車でその行けない所に行ったがやはり自転車でも行けない所がある本当は北上川を見たかったのだができなかった
あそこは車でないと行きにくい場所だったのである
だから仙台で駅前をぶらついて買い物して終わりだった

仙台というと新しい本にふれて読むのが新鮮に感じた、しかし今は本は書店で買わない
本というのはその数が膨大なのである、大きな書店でも置いてない本が膨大なのである
古本でも膨大である、だからこんなに本があったということに今になると驚いている
それで本を前より買っている、古本だと安いからである
自分の関心があるのを集めるのにもいい、そういう点では恵まれている時代である
だから書店でも本は売れないことがわかる、あるところは本の売り場極端に縮小していた
丸善が前のように多いが必ずしも書店で必要なものは探せない
郷土史などはインタ−ネットの方が詳しいのである
だから本だけに頼る時代は終わった,書店には一部しか置いてないことがわかたからだ
そして必ずしも目立つものがいいものではない、前はそうして宣伝して売れたが今は必ずしも本は売れない
ネットでの情報もあり本とか雑誌に頼る時代は終わったのである

帰りは4回くらい待ち合わせがあった、前はそんなになかった、どうも6時から7時ころで通勤の人が帰るからなのか4階は多いと思った、単線だからそうなる
鹿島駅についたら月が光っていた
切符は買って切符入れに入れた、やはりごまかすということは良心にはじる
ただ真面目な人が多いと思った、無人駅でもごまかす人はほとんどいない
日本人はそういう点では真面目である

家に帰っても待つ人はいない、なにか家がなくなっているのではないかと不安になる
それは津波以後村ごとなくなったりしたからである
家族もみんな死んだから何か人でも家でもなくなるのではないかという不安がある
旅はずっとしていないけどなにかその気力もなくなったのだけど
また旅したいなとは思う、登米などは行っていないし北上川を見たいということもあるからだ、本当は北上川は自転車で川に沿って走ればいい、そうすれば旅になる
ただそれだけの気力がなくなった、だからいつまでも旅もできるものではなかったのである

それにしても新地駅でいつも遅い時間に帰り3分待ちあわせでとまった
その時ホームに出て歩いた、すると虫が鳴いていた
それが記憶していたが今はそれが7年半も過ぎると昔になったなと思う
あの時は海の方に家並みがあった、海側に近かった
今は海側は真っ暗になっている、もう十年も過ぎたら昔になる
ただ記憶だけになるのである


2018年10月17日

昔の消防の話 (消防車がない苦労−火事は恐れられていた)


昔の消防の話

(消防車がない苦労−火事は恐れられていた)

川の土手で休んでいる老人と話した、海老の人で津波の被害は高台にありまねがれた
その人は昔は一軒一軒火の用心と回って歩いたという
良く時代劇で火の用心と江戸の町を歩いている
江戸で一番怖かったのは火事である、でもその時水をかけて消すということはない
ただ延焼をおさえるために家を壊すことであり後はいち早く逃げることが命を救うことである

なぜそうなるのか?それはまず今のように消防車がない、火事は早くいかなければ燃え広がり消せなくなる、いかに早く行くかが問題になる
でも消防車がないのだからリヤカーのようなものに手押しポンプをのせて運ぶ



車がない時代なんでも運ぶこと自体が容易ではない,この辺だとなんとか原町とか相馬氏はリヤカーで梨を運んで売ったという人の話を聞いた
これは信じられないが屋形の人が鰻売りに川俣まで天秤棒をかついで行ったという
鰻は高く売れた、川俣は絹織物で有名だから金がある人がいたからだとなる
それにしてもそれは江戸時代でありイメージもできない、なぜなら八木沢峠は今でも車で超えるにしても難所だからである、今はトンネルができて楽にはなった
ともかく車がない時代はいかに運ぶことに苦労していたかわかる
簡単には運べないとなるとどうするのか? 

近くであるもので生活する他ないとなっていたのだ、自給自足とかになる
ただ炭とかは山の村から運ぶことが必要だったのである
その時馬車が使われていた、馬車だとかなりのものが運べるからである
でも消防のことを考えると今の救急車のように一刻も早く行かないと間に合わない
燃え広がったいて何の役にもたたないとなるのだ

半鐘の打ち鳴らし方を変えて、様々な情報を知らせたのである。
 半鐘の音は公的な信号であるから、その鳴らし方は恣意的ではなく、周知のパターンが定められていた。

 その人もこのことを言っていた、その半鐘で聞き分けていたという
この半鐘は今でもある、小さな部落ごとに今でも残っている
子供の時近くの神社にもあった、でもそういう半鐘はスピーカーのようにはいかない
部落ごとの地区でしか役たたない、そんなに遠くまでひびかないからである

ただその人の話では狭い地域でも火事が恐れられていた
それで毎日欠かさず火の用心に歩いていた、それも一軒一軒回っていて火の用心をよびかけていた、海老でも町となっていたからそこはばらばらに離れてある農家とは違っていた 
とにかく今簡単にできていることが昔は簡単にできない、第一車がないのだから火事だことかけつけるのにも時間がかかる、すると家自体が燃え広がりもう消せないとなる
それは北海道の雄冬とかでも赤ん坊が病気で背負っていくうちに死んでいたとか
飯館村でも病院に行くうちに死んだとかある
つまりその時救急車がないから緊急の場合、死ぬということが江戸時代から普通にあった電話一本で救急車が来るということがいかに恵まれているか昔のことを知らないとそのありがたみがわからないのである、そういうことはいろいろある

いづれにしろ火事は一番田舎でも恐れられていたのである
どこの町でも大火事の歴史があり火事は恐れられていた
地震、雷、火事、親父・・・となるのが日本である
地震には津波もあり恐れられていた

ともかく毎日一軒一軒火の用心と回って歩くのは手間であるがそうしたのは火事が怖いからである、海老でも家が連なっているから一か所火事になると延焼するから怖いのであるそれは一軒だけでくいとめられない、それだけの消防の備えがない、車もないからであるだから今はそういう点ではいかに恵まれているかわからないのである

不思議なのは新聞は配られていたがそれは一日後になる、では速報するには何で知らせたのか?
それはラジオだったとなる、動画は映像は映画館で写していたが蒸気機関車で運んだとすると東京からだと八時間以上かかる
だから二日くらい遅れてニュースが放送される、ただニュースだけを放送するのではない、映画の劇を見る時その前にニュースを写していたのである、その時動画というのは映画館でしか見れなかったのである
速報するのは今だと早い緊急時でも早い、そうであっても津波では遅れた、それは逃げろと放送しても間に合わない
それで逃げ遅れて死んだ人が多い、テレビで逃げろといってもすぐに逃げられるとはならない

だから警告されても津波であれ洪水であれ必ず逃げないで死ぬ人がでてくる
そういうのは日ごろから心がけなのだろう
だから部落で一軒一軒回って火の用心を訴えていれば用心するとなる
だからそういう人的な安全管理も必要だとなるが今はみんな忙しいからできない、それで危機管理ができないともなる
つまり手間でも一軒一軒火の用心と回ることが安全のためにも必要だったとなる
そういうことで防災意識を高めるからである、ただ便利な道具ができたからといって必ずしもそれで防災意識が高まるとは限らない、津波でもそうだったからである



タグ:昔の消防
posted by 老鶯 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

南相馬市の病院から青森の施設に移される人 (姥捨て山へやられるのか?)


南相馬市の病院から青森の施設に移される人

(姥捨て山へやられるのか?)


その人は南相馬市の病院に入っていた,知的障害者の息子がいてその人が病院に通って
頼まれたものを買って届けていた
その障害者は外見はどこが悪いのかわからない、仕事もしている
でも不思議なのは父親のことを思っている、だから病院に通っている
その父親は別に子供が3人とかいる、でも世話しない
離婚した妻が障害者の母親は常に通って息子をみている
かわいそうだと言っている、その父親は何か離婚されたり子供も世話しないとなると
問題があった

ではなぜ青森の施設に移されるのか?

これはこの辺でめんどうみる施設がない、満員だとは聞いた、それでいわき市とか中通りの施設に入った人は知っている
例えば小高では立派な施設があっても入れない、介護士とかが集まらない
若い人は流出したからである、病院でも看護師がたりないとか苦労している
それでいつまでも病院に置くわけにいかず青森が空いているからと移された

しかしそこには知っている人すらいない、いたとしても青森までは簡単に行けない
最初聞いた時青森は遠いなもう行けないな日本の果てだなとか思った
ただ新幹線があるら二時間で今は行けるとは思った
でもそこで金がかかるからなかなか行けない、そもそも金で苦労しているのだから
行けない、一瞬前の感覚だと流刑地にでも行かされるのかとも思った
青森となるとそれだけ遠いという感覚があったからだ

ともかくなぜ青森なのか?

それは南相馬市だと特に施設が空いていない、特養などは特にあいていない
だから青森であいているからと施設関係者や市の方で相談してそうなった
これはここだけの問題ではない、例えば東京は深刻である
それで東京のある区では伊豆の方に要介護者を移すとかしている
東京ではまかなえない、東京はそうした介護される老人は増える、その数が多いからである、だからこれはここだけの問題ではない
青森だとそもそもそこは職がなく出稼ぎ者が多い地域である

すると介護でも仕事になるとして引き受けるようになったのかもしれない
それにしても青森は一瞬遠すぎると思った
だってそこはなじみがない場であり知り合いとかもいない場である
ただ今の社会は広域化しているからこういうことにもなる
でもそんなに遠くに行くということは何か最後は姥捨て山にやられるのかという心境になるかもしれない,身寄りがないとなるとそうされやすい
ただその人は子供も何人かいるからそういう人でもない
障害者がいて世話できないとかなりそんな遠くに行き死ぬほかないとなるのかもしれないともかく最後になると労力も金もかかる
病院にいつまでも置けない、特養には入れないとなるとそんな遠くで世話されて死ぬほかないとなるのが現実だとなる

posted by 老鶯 at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療−老人問題

abstract river


abstract river

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River flowing to space


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抽象画は一つのものからいくつにも変化するのが特徴である
これも一つの者から変化したものなのである
それで大量生産になるからいくらでもできるとなる
ただ創造的作業というより機械的作業なのである   


Abstract painting is characterized by changing from one thing to several
This also changed from one thing
So it will be mass production so you can do as much as you want
It's just mechanical work rather than creative work

2018年10月16日

仙台の長町から街道を徒歩でゆく老人の一団が来る


仙台の長町から街道を徒歩でゆく老人の一団が来る

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真野の一石坂を上る長町の歩く会の老人



朝に駅に行ったら老人が十人とかおりてきた
どこからきたのかと聞いたら仙台の長町からだった
街道を徒歩でゆくそうである
他に街道を歩いている、相馬市の日立木の松並木の街道は歩いている
個人的に歩く人は時々みかける、やはり歩くと実感できるものがある

その一団は街の中を通り自分の家の近くの神社まで見にきた
何か結構詳しく事前に調べている
一石坂をのぼり日吉神社によった、原町まで歩いて原町駅に行き小高に行き浪江まで行くという、結構な道のりだけど歩くことが目的でもある
本当に歩いてみないと実感しないことがある
私自身がこれだけ旅ししても歩く旅はしていない、それが問題だとなるが疲れるから嫌なのである

長町というと歴史があり何か紹介したものをインタ−ネットで読んでいたことがある
長町は今は急速に変わった、高いマンション開発地に立っていたのには驚いた
良く長町から広瀬川を通り仙台に行っていた、でも最近は仙台に行かない
もう今年は半年以上行っていない、ほとんど近間しか行かない
それは介護になってから遠出しなくなったのである

ただ長町でも東北の歴史とか関係しているかしら興味がある
最近インタ−ネットでは郷土史関係の情報が濃密にある
本だけだとなかなか郷土史はわからない、でもインタ−ネットだと調べたりして地元の人が書いている、それで郷土史でもつながりができる
一地域の歴史でも他の土地とつながりがあるからそれで関連させることができる

宮城県仙台市太白区――舞台(ぶたい)―― 記事をクリップする

 坂上田村麻呂の祖先である東漢(やまとのあや)氏は、後漢霊帝の末裔を自称しておりました。彼らは何故か漢高祖帝に血脈を繋げようとするわけですが、その実は高句麗系渡来人と考えられております。私の持論では、アテルイらいわゆる蝦夷(えみし)も高句麗系騎馬民族と限りなく密接な関係であり、それ故に田村麻呂の蝦夷鎮圧もすんなり成功したものと考えております。それらを踏まえて「武帝」とは彼らを指し示す

 こういうことが書いてある、これも今まで渡来人のことでこの辺のこと真野の草原のことを探求ししてきたがどうしても蝦夷とは蝦夷(エミシ)は渡来人と関係しているのである

いづれにしろ今日は秋晴れとはいかないが晴れていて歩くのにはいい天気だった
ちょっとはガイドした、やはり地元のガイドが必要になることはある
ただちょっとだけ話しただけである
ただあの人たちはかなり街道沿いを調べて歩いている
自分のすぐ近くの神社まで来るとは思わなかった、あういう趣味はいいと思う
歩くことは健康的だし知的にもなるし文化的でもあるからいいのである

老人の街道歩む柿なりぬ




原発訴訟−津波は東電で想定されていたが隠していた (極端な秘密隠蔽が大事故になった−マスコミも知っていて知らせなかった)


原発訴訟−津波は東電で想定されていたが隠していた

(極端な秘密隠蔽が大事故になった−マスコミも知っていて知らせなかった)


保安院は06年にも想定以上の津波対応を求めたが東電は具体的な対応をせず、08年になって初めてシミュレーションを実施。最大15・7メートルの津波が第1原発を襲う可能性があると想定したが、それに見合った対応は見送られた

【スクープ速報!】「想定外の巨大津波」は実は想定の範囲内だった!震災から5年、東電が「巨大津波」を予測できていた「新証拠」を福島原発告訴団・代理人の海渡雄一弁護士が岩上安身のインタビューで証言!

「何度も司法記者クラブで話したが、新聞は記事にしなかった」衝撃の事実をIWJで公開!!

数百億円の費用がかかると。さらに、防潮堤を建てると地元住民の反発により、原子炉をストップさせなくてはならない可能性があると。つまり、高い防潮堤ができれば、津波が来れば原発も危険なのだと住民が感じるからというのが理由です。だからこの問題はこの問題は『いったん』先送りして、何年も先に土木学会で調査してもらうということにしました。



お隣の女川原発はすでに貞観タイプを想定して報告書を原子力安全・保安院に提出ずみだった。女川と同じ貞観タイプの波源を想定すると、福島第一は4m盤の非常用ポンプが運転不能になることもわかっていた。



原発の問題は過度に秘密主義になっていたことである

「想定外の巨大津波」は実は想定の範囲内だった!震災から5年、東電が「巨大津波」を予測できていた「新証拠」を福島原発告訴団・代理人の海渡雄一弁護士が岩上安身のインタビューで証言!

「何度も司法記者クラブで話したが、新聞は記事にしなかった」衝撃の事実をIWJで公開!!


何度も話したが記事にしなかったというのは重大な報道の意図的な隠蔽だったのである
だからマスコミは信じられないとなったのである、今回の原発事故でもあらゆるマスコミが「安全神話」に組みするものであり
危険は報道されない、それは多額の800億円とかの宣伝費が電機連合とかから流れていたからである
それだけの金が電気連合にあったとなる、それで原発を推進させたのである

新聞は記事にしなかった、福島県の福島民報と民友でも報道しない
なぜなら民報は福島県の出資が50パーセントであり官報と同じである
原子力村と一体化した仲間だったからである
だから報道すらしない、その報道されないことで関心がもたされないのである
つまり報道されないことに重要なものがある
記者クラブで話しても報道されなかったのである
福島民報でも民友でも記者クラブにかかわっているから知っていたとなるからだ

問題は原発というのは過度に秘密主義になるのは何か危険を言うととめられるとか住民が騒ぐとかで何も知らされない、そして事故になったとき避難訓練もしないから浪江の人たちは一番危険な山側の津島に逃げたのである
住民は何も知らなかったのである、それで東電の社員が海側に逃げた方がいいと教えられて住民が海側に戻ったのである

東電社員は危険を知っていた!!!!!

東電社員は科学者集団であり優秀だなとつくづく思った
第一この辺で津波が起こるなど聞いたこともない、津波は来ないとこの辺で確信にもなっていた、貞観津波は800年だから千年以上前だとするともう来ないという感覚になる
でも東電ではそれを想定していたから優秀だと思う
女川原発はもともと最近でも三陸で津波があったとかあり危険を感じていたから違っていた、福島原発は津波は来ないとみんな思っていたのである

この問題の核心は何か?原発の過度な秘密主義が事故になった
別に公開してもいいのだが地元のマスコミですら報道しない、報道管制がしかれていた
それは戦争と同じである、一切不利な情報は出さないのである
勝ったという情報しか出さないのである

なぜこれが今になって重大なことだったか?
それは危険も恐れずに公表していれば

この辺にも15メートルもの津波が来るのか?

これを知っただけでも津波への警戒が生れていた

するとそういう警戒があれば津波だというとき時間的余裕が40分ほど地震が起きてからあったかち頭にそのことが入っていると避難して助かった人もいるかもしれない
まず津波は来ないという確信までになっているから避難しなかった人も多いのである
もしこれが公表されて注意されていたら東電にいろいろあっても感謝されたとなる
やっぱり東電は優秀な科学者集団だとなっていたかもしれない
つまりあまりにも過度な秘密主義になっていた
それは常に原発は危険だということを言うことはタブーとなる
科学者はいろいろ危険を知っていても言わせない、御用学者を使って言わせない
少しでも危険を言うと地元でも不信感になり原発がとめられるからである
それで知っていても報道機関は地元でも報道しなかったのである
ここにマスコミの責任もあったのである
なぜならマスコミと東電は一体であり宣伝費をもらっていたからである

原発がそもそせ危険なことは東電でも科学者でも最初から認識していた
だからこそ東京に作ればいいのだが離れた福島なら安全だということで作った
そこからして原発は危険だからそうなったのである
そしてわずかでも危険を言うことはタブーになり「安全神話」が保安院とか東電とかマスコミとかが一体となり作られたのである

原発は近くにあっても一般人は立ち入ることもできない、厚い秘密のベールにつつまれていたのである、そこにも専門家がいて何も知らされないのである
それは専門家時代でイリエチが指摘したことである

お前ら原子力のことが核のことがわかるのか?
お前らは医学のことがわかるのか?
お前らに法律のことがわかるのか?

こうして専門家に牛耳られる、そして結果的に何か事故が起きても医療ミスが起きても専門家集団は権力をもっているから明らかにされたり罪にされることはなかなかないのである     

何か重大なことが知らないうちに進展している!   

そもそも政治でも関心をもたないと重大なことがそこで決められあとで知ってもどうすることもできない
その関心をもたせることがマスコミ、報道機関の役目なのだけど実際はその役目を果たしていない
重大な事実すら知らされないのである                                                      

はじめから危険なものは作るべきではなかったともなる
日本では地震が多いし津波だって起きるから外国とは条件が違うからである
その危険を言って納得されないなら作るべきではなかったのである
現実に全然原発でも地元の人でも何もわからないかというとそうでもなかった 
新潟県の巻町では住民投票で反対が決まり作らせなかった

結果は投票率88.29%、投票総数 20,503票、原発計画反対が12,478票(61.22%)、賛成が7,904票(38.78%)でした。そしてその後も、2003年12月に東北電力が「計画断念」の声明を出して、30年以上に渡る長い議論に終止符が打たれました 

ただここで問題なのは原発は一地域の問題ではない、広範囲なものになるからもっと広い範囲で是非を決めるべきものだったのである30キロ内とかだけではない現実にこの辺は福島市まで影響したし福島県全体の問題に波及したからである
住民投票となると福島県全部を巻き込むものとしてする必要すらあったのである
現実に避難者は福島県全体に避難したしまた周りの県にも避難したからである

いづれにしろ原発の極端な秘密主義が今回の事故をまねいたのである
別に科学技術でも危険はある、完全な安全などないのである、だから交通事故は一定程度死者もありそれを容認して車社会になっている、鉄道だって完全な安全はない、どんなにししても事故がおきないとは言えないしそのことはみんな承知しているのである
飛行機でもそうである、そのことで事故があれば責めはするがある程度容認範囲にある
ただ原発だけはそうはいかなっかた、ちょっとでも安全ではないと言えなかった
そのことが大事故につながっていたのである、だから最初から政府でも東電もでも科学者もそのことを知っていたのである
でも「安全神話」を作り必死に秘密を守り知らせなかったのである、それが大事故になりとりかえしのつかないものになったのである。

私もインタ−ネットで原発事故の六年前に相馬市の奥まで津波が来たというボーリング調査があった、それは貞観津波のものだった、それをホームページで報告していた
だから確実に貞観津波はこの辺でも大きな被害があった
ただその時はこの辺は人があまり住んでいないから人的被害はあまりなかった、慶長津波の被害は大きかったが記録には何も残っていない
ただ700人溺れ死んだと相馬藩政記に記されていただけなのである
その時この津波があるとすると双葉とかの原発にも津波が来ると私が発想する、イメージできればかなり違っていた
なぜか原発に無関心だったのである、30キロ離れているから関係ないと思っていたのである、原発事故は広範囲に影響する
それが今回の事故でわかったのである

この期待を持って発掘を試みたところ、厚さ数pの砂の層が仙台平野の広範囲にわたって分布 している事実が明らかにされました。様々な地球科学的分析により、砂は津波によって運ばれ堆積 したと結論されました。地層に含まれる木片の放射性炭素年代は、砂層の堆積年代が貞観の時代を 示唆しています。す同様の砂層が相馬市でも発見され、津波堆積層の広がりから正史の記録に誇張 はないと判断され、津波は仙台平野を水浸しにしたのは事実のようです。

貞観津波の数値的復元に成功しました。 これにより、仙台平野の海岸で最大で9mに達する到達波が、7・8分間隔で繰り返し襲来したと推定されました。

相馬市の海岸には更に規模の大きな津波が襲来したようです。将来予測は、科学の最大目的の1つです




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2018年10月15日

家から歴史を認識する (人間の根源的なアイディンティティは歴史は家にあった)


家から歴史を認識する

(人間の根源的なアイディンティティは歴史は家にあった)


家というのはみんな誰でも一番身近である、歴史を認識するとしてもそれは広く大きいし認識するにしても無数にある、だからどうして歴史を認識するのかとなる
一番根源的な存在の認識とか確認は家族の中にあるし歴史という時簡単に考えれば
それは親があって子供がありと世代がつづくことである
親が死ぬと祖父でもいいが死ぬとやはりそれは歴史的存在となる
人間は死んでもすべて消えるというわけではない

人間は歴史的存在として継続される

その歴史的存在として一番身近に継続されるものが親であり祖父だとなる
ただその上になるとなかなか普通では認識しにくくなる
最近私の家族がみんな死んだとき死んだ家族をかえって意識することがある
父親はもう死んでから半世紀とか長いから忘れている
でも父親の存在は大きく簡単には消えない、歴史的実在として力強く残っている不思議がある
そもそも自分の家の創始者は祖父でもない、祖父は何もわからない名前だけである
ただ名前の一字が共通している
これは代々名前の一字が共通していることで先祖をたどる
相馬氏だと胤(たね)が必ず名前に入っているからである

他でも代々つづいた家系では名前の一字が共通している
ただ私の家の先祖は父まででありその上がたどれないのである
それだけの家系と言えばそれまでだがそれでも父は明治生まれであり葛尾村(かつろう)村から双葉の新山で酒屋の丁稚になったことはわかる
ただそうした話を直接聞いたことがない、中学の時死んだからである
それが残念だったと今ではなる

酒屋をして暖簾分けをしてこの地に住むようになった
この暖簾分けというのは当時の社会ではかなり重要なことだった
江戸時代からそれははじまっている、今の会社なら暖簾分けして独立することはない
みんな月給とりであり会社をやめると退職金をもらってあとは年金で暮らすとなる
それが戦前でもまず会社員になっている人、サラリーマンは少なかった
江戸時代の商家というのがつづいていたということがある
するとそうして勤めるとは奉公になるがそこで一人前になるには暖簾分けして別に商店を開きそこで生活することである、番頭とかになっても暖簾分けされないと一人前にはならない、そういうシステムの中で生きていたのである

確かなことは父親がこの家の創業者であることを家族がみんな死んでから認識するようになった、父親の役割が大きかったと認識した
父親の存在はそれだけ大きいものなのである
それも不思議だが具体的な血肉を分けた歴史認識だとなる
聖書でもわかるように常に家系を意識していたのである
聖書はまさに神の系統を記した書なのである
その系統から神の子が生まれると予言されて実際にキリストが生まれたのである
歴史とはまさに神の系統の家の歴史だったのである
その系統の歴史の中から神の子が生まれると予言されていたのである

歴史とは何かというときいろいろあっても家系が先祖をたどるのが歴史の基本だとなる
なんらかで日本の歴史でも神というときその先祖のことなのである
天皇が日本の歴史となり皇統の歴史である、天皇の歴代天皇は祖となり神となっているのが日本の歴史である、皇国史観となる、

要するに先祖でも死んでから半世紀とか一世紀とかたつともうその生々しい存在はなくなり神となるのが歴史である
家族でも死んで十年でも二十年でもまだ生々しい生前のことが浮かぶが半世紀とか一世紀も死んでからたつとなるとそれはもう生々しい人間としての感覚もなくなって神となってしまうのである

ただそうであっても人間は死んでも消えない、歴史的存在としては生き続けるのである
その子がいてまた孫がいてやはり家族の中で歴史的存在として生きつづける
動物は一代で終わりであるが人間の特徴は歴史的存在として長く生き続けるのである
遅きに失したが家族が全部死んでそうした認識が芽生えたとなる
親がいて創始者が創業者がいてこの家が成り立っていてその後継いだとなる
それももう自分も老人であるから遅かったのだがそういう意識を認識をもったのである
人間の生は確かにはかない、みんな死ぬ、でも人間は家族でも歴史的存在としては百年とかそれ以上悠に生き続けるのである
だから家族として家系としてではなく人間で大事なのは中国では青史に残ってこそ生の意味があったとなる
そういう長期的な視野が中国では育った、中国は歴史の国だからである
現代は中国に学ばなくってその辺がわからなくなったとういことはある

述懷<ョ山陽>  

十有 三春秋
逝く者は 已に水の如し
天地 始終無く
人生 生死有り
安んぞ 古人に類するを得て
千載 青史に列せん  


人間の存在は青史に残ることにこそ生きる意義があるというのが中国的死生観である
そうでなければ人間の存在はあまりにもはかないとなるからだ
そういうふうに歴史的存在としての人間を認識して生きる、長期的展望の下で生きる
目の前の利にばかり追われて一生を終えるなということになる
その長期的展望とは国家自体でもいえる、現代は忙しくただ目の前の利に追われているだけだとなる
中国から学ぶのはこの歴史感覚である、そこから様々な教訓がそこから生まれた
人間でもだから50年後とか100年後に残る仕事ができるかなのである

現代はただ情報環境が発達しているからただ今目立つことにエネルギ―をそそぐがそうしたものはうたかたのように消えてない、もし50年後に100年後でも残るものなら青史に名を残すとなる
ただ別に一般庶民でも歴史はあり歴史的存在として家系に残り続ける
ただ現代はそうして家というものの紐帯が薄れている、核家族とかなったのもそうである、会社社会工業社会になったとき家というより会社員となり工員となり核家族化したのである
そのアイディンティティが・・・・会社に勤めていますということでわかる、それが名の知れた会社ならその人は一目置かれるとなるからだ、昔は家がアイディンティティの基だったのである、武家では特にそうだった 
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つまり自己のアイディンティティでの認識は先祖をたどる歴史的認識だったのである、こういうアイディンティティは古今東西変わりない人間的存在意識の確認なのである
先祖がどうだとか家系がどうだとか言うのは古いともなるが何かかえって現代では様々なアイディンティティでが喪失して無数の砂粒のようになっている、何か自己のアイディンティティでを確認できなくなる、それで自分のルーツを探る人が増えてくる面もある
何か自分のプログでも家系を姓名からたどる人がいるからである
野馬追いの旗印もそうした家のアイディンティティなのだがそれが不明になった、なぜあんなに旗印が多様なのかたどりえようがなくなったのである、ただここで名乗ったようにこうして先祖をたどるものとして旗印があった印なのである
もう一つは大和国の住人とある時その住んでいる地域がアイディンティティになる、それも江戸時代までは強かった
どこに住んでいるかでその人を見るのである、今はその住んでいる場所よりどこの会社とかに所属していることがアイディンティティでになる、だから故郷でも愛着がなくなって原発事故で避難者は若い世代は流出したともなる
老人は故郷に愛着があり帰ったというのもわかる

ともかく天皇でもそうだがそうして親から子へ孫へと一つの系統として歴史を認識することはわかりやすいとなる
それが父系になるということは東西で同じであり父親の重みが自ずと認識されたためである
別に女性差別ではなく世界中でそうなっているからである、母系はあったが廃れたのである


2018年10月14日

秋に思う昔(庭と昔の道と蔵の家−原町の道の駅より)


秋に思う昔(庭と昔の道と蔵の家−原町の道の駅より

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柿なりて昔の道や蔵の家

街中の畑に野菜作りつつ蔵ある家や秋となるかな


道の駅でなぜ庭を無料で提供しているのか?
これは結構高いものになる、百万以上はするだろう
坪庭というものか、これだけでも庭であり憩いとなる
石でも高いしそれなりの値段となる
宣伝のために無料提供しているのか?
ただ工事費とかがかかるからそれで人頼むと金がかかる
もしかしたら工事費用はもらいますよということなのか?
何かわからない

ここから見えた蔵は前に紹介されて入ったことがある
この道は昔の道なのである
写真では見えないが柿の木がありなっている
街中なのに畑がある家がある、この辺は昔は家がない、畑であり田んぼであり農家しかなかった、ただそれを知る者は相当に年とっている80以上かもしれない
でも六号線ができたのは20代くらいのときだったことを覚えている
それからこの辺は変わったのである
こういうふうに変わり歳月がたつと前の状態がわからなくなるのである
それは鹿島でもそうなった、住宅地が広がったが前は畑であり田んぼだったのである

秋となるとやはりしんみりとして昔を思うのである
ここの畑には馬頭観世音がありそれは火事があって家が燃えて馬も死んだから供養したと伝えられているという、それも家の歴史である
あそこはいつも通るから気になっていたのである
いつも通る場所は自ずと気になる、南相馬市でも広いからあまり行かない場所は気にしないのである

ともかく家の前に畑があるというのは恵まれているなと思う
いつも前に食料が供給されるというのが何か心強いと見えるのである
食料不足なってもまにあわせるとか見るのである
そして前に畑があると働き安いのである、だから前畑というのが地名化して姓にもなる
それは農家の暮らしからそうなった
ただ原町は都会である、でも回りは田んぼだから田舎なのである

過剰化社会から縮小社会やミニマム生活へ変わる (無駄な消費が多すぎた社会)

  
過剰化社会から縮小社会やミニマム生活へ変わる

(無駄な消費が多すぎた社会)


●過剰消費社会

●過剰医療社会
                
●過剰教育社会

●過剰情報化社会


縮小社会というのは悪いことばかりではない、それは現代資本主義が限界にきて生まれてくる正常化の方向転換なのかもしれない、あらゆる物が増えすぎて、買うものが増えすぎた、いらないものまで買わされる、過剰化に悩んでいるのが現代人でもある
最近ミニマム生活とか捨てることが推奨されるのも無駄なものを買いすぎる、ためこむからそうなる、古いものは修理ししてまた使うとかはない、常に新しいものを買うことになるから物も増える、それでリサイクルとかシェア経済が言われるようになる
何か欲望資本主義には常に物を買わせる仕組みがある
宣伝されればそれが欲しくなるとかなりいらないものでも買うとなる
ジュース類などでも多すぎる、ジュース類は実際は栄養分はほとんどなくかえって人工甘味料とかが必ず入っていて体に良くないのである

かえって運動したあと飲んでも疲れるというのもそうである
本当の栄養分はほとんど入っていないのである、甘いだけでかえって疲れるとなる
それで老子の言う無味を味わう、水が一番いいとなる皮肉があるのだ
人間の栄養を考える時基本的なものはいいものをとる、でもその他に現代は無駄なものをとりすぎるのである、それがかえって体に悪影響しているから太るとなる
やせ形タイプの自分でもなかなかやせられない、太るのはそれだけ栄養を知らずにとっているからである、そういう環境にあるからそうなる
過剰消費社会は会社の利益をまた過剰に追求するためになった、江戸時代のような村社会ではそういうことはありえないからだ

大企業とか会社とかは社会に害悪を及ぼすものとしてもある
まず利益をあげる売るということを第一にする、本当の需要がないのに需要を無理に作り出す、宣伝で作りだすのである
いらないものまで売りつける、それは銀行でも同じである、,投資信託など売りつけるようになる、それは銀行だけが確実にもうかるものだからそうなる
そういうことは保険とかでもいろいろ現代社会にある
そして皮肉なことにその人が本当に困ったことで必要なものは手に入らないということがあるのだ、消費というのは消すということであり無駄なことが多いことは確かなのであるそして現代社会はあらゆることで消費社会になる
病気でも本当に病気はあるし治療も必要である

でも過剰治療が問題になる

「病でつながる社会」(「病縁"化社会」
と必ずしも同義ではない)とそれから生み出された病にしか安住できない人々
について論じている。その

その弱者をいたわる「看護人」だらけ
の「世界が巨大な病院になる」とゲーテの言葉を引用して述べている。そして,
敢えて,「公認された『病人』的な位置がとても心地よいために『弱者』をやめ
られなくなってしまう人たちが現実に出ている。(中略)『弱者』帝国主義とで
も呼ぶべき困った状況が出現する」(前掲書:136)と忠告を発している。その
結果,先述したように病で他人や社会としかつながれないで,病にしかアイデ
ンティティを見いだせない病人をつくり出していると批判している。

過剰治療が日本では保険制度もあって作り出される、生活保護者は無料になるから医療費が無駄になるから医者でも病院でも過剰医療になる
その負担がまた国民に税金としてのしかかるのである
そして国がつぶれるとまでなる、過剰医療のために延命治療とかでもそうだが莫大な金が使われる、もちろんなかなか延命治療が悪いとはならないことは自分自身の家族の介護で経験しているからむずかしい問題である
ただ二年半で死んだから長いとは言えなかった、病院には半年いて死んだ
だからいちがいに悪いとはならないが一般的問題としては過剰医療が多いのである
検査でもそうである、やたらと検査する、無駄な検査が多いのである

認知症になりMRIをとったがそれなど何もわからない、わからないというよりその機械はそもそも脳の精密な写真が撮れないものだったのである
福島県にとれる病院は二つしかない、その機械は極端に高価なものだからである
それでも認知症は写真撮ったからわかるものでもない直らないのである
そうして3万とられたが一割負担とかするともしかしたら写真とるだけで30万かかったかもしれない、知っている人は東京まで行って写真をとり20万かかったといっていたからだ、脳の写真となるとそれだけ高いものになる
でもそんな写真をとることもないのに30万かかったとしたらその負担は国民にはねかえってくるのだが医者とか病院は利益をあげればいいとしかなっていないのである
そういう医療でも多すぎるのである

老人だと町の医院とか病院が社交の場とかもいわれる、病気のことで連帯感を持つということにもなる社会である
またそれしかつながりをもてない社会だというのも不健康な社会だとなる
その他では普通の社会では激烈な競争社会だがそういう場では社会は病人として扱い親切になるからいいともなる
医者が話相手にもなってくれるとかなる、孤立した老人にはいいともなる
ともかく病気だとか障害者でもなると国から援助されるようになるからいいとなる
逆に弱者をよそおい脅迫するまでにもなる社会である

一旦弱者と認定されると権利になる、この辺の原発事故でもそうである
原発事故避難者などは特にそうである、もう永遠に補償しろとまでなっている
もう何も自助努力もしなくなる、そうした特権を得ることになる
そういう人を批判することはタブーになる、お前はかわいそうな弱者を批判するのかとなりタブーになる、現実は毎日原発避難者はパチンコとかギャンブルで遊んでたいのであるいづれれにしろ何かうまくいかなければ原発事故のせいだとなる
それがまた通るから余計にそうなり自助努力はしないしもうあきらめて他で住むとなった沖縄とか韓国だと必ず日本の戦争のためにこうなったといって賠償金を要求してくるのと同じである、そして個々人の弱者は助けたりしない、それで自分は途端の苦しみであってもただ責められるだけだったのである
お前はなぜ原発避難者をかわいそうな避難者を責めるのだと批判されこたけど自分自身が苦しんでいたけど誰も助けないただ責められるだけだからそうなったともなる

過剰という時いろいろな過剰がある、教育というのも過剰がある、膨大な知識が過剰に幼い時からでもおしつけられる、そうなるとやはり消化不良になり自主的学習動機が失われる、受験とかでもそうである、そしてそういう受験戦争にかちぬいた人たちが指導者になって問題が起きるというのもわかる
あまりにも知の面を重視してそうなった
過剰というとき今は情報社会であり情報でもそうである、これはいい面と悪い面がある
あまりにも多い情報は消化しきれなくなる
何が重要なのか重要でいなのかニュースでもわからなくなるのである
ただマスコミだけの情報の一方通行は悪いものだった
情報が多いということは多角的に検討できるということである 

だから最近はアマゾンでいくらでも古本でも安く買えるからまた本が増大したのである
こういうことが早い時期にできたら田舎では知識で劣ることはなかった
本を買うこと自体仙台まで行かねばならないしそもそも仙台でも売ってない本が多すぎたのである、それだけ今になると本というのは多いものだと思った
だから読むべき本も読まないで終わったとなったのである
だから情報が多いということは悪いことではない、多角的に物事を見れるからである
ただそれも限度がある、もうとても処理できない情報の氾濫になってしまったからだ
ただこういうことが若い時からあれば相当に有利だったのである

例えば動画があるが動画をビデオにとるとその情報量が写真の百倍にもなる
膨大な情報量になる、それがテレビとかで編集するが実は百倍のテレビに写さないものが残されている、それも情報なのだがはぶかれる、つまり人間が摂取する情報には限りがある、百倍あるとしたら8時間でも見ていなければなくなるからだ
だから最近動画をとって出そうとしたがあきらめた、その作業も手間だからである
写真だったら一場面でいいからだ、いいものを印象になった一場面を出すからだ
ただその写真でデジタルになると実は百枚とって一枚選ぶとなる
情報でモ選別作業が必要になる、その選別作業でもむずかいしのである
情報を処理しきれないというのが現代にもなる、その膨大な情報の中で重要な貴重な情報が見逃されることもある、これも問題だと思った

だから過剰化社会になると無駄なゴミ情報に追われるということもある
これはテレビ六局時代にあった、それは情報の独占時代だったからである
でもこれだけ情報が増えると膨大な情報のゴミが生まれても整理できない
それがゴミなのかどうかも判定できないから簡単には言えない
でも検索でも膨大な情報の前にゴミの中から宝石を探すような状態になる
ただ膨大なゴミをかきわけるとかになる、情報の過剰化社会だとそうなる
でもそれをゴミとか簡単には判定できない、でも肝心の宝石となる情報も埋もれるということはありうる、それは大衆化したということでもある
インタ−ネットでも少数の時代があり今ではスマホでも参加して大衆化したのである
大衆化するとどうしても何でも低俗化する
低俗な情報がインタ−ネットをしめる、それで視聴率でもとる
それはテレビと同じだとなる、でもyoutubeでも百万は見ていないからいかにテレビがみんなが見ることで力をもったかわかるのである

とにかく縮小化社会とかミニマム社会とは過剰化社会からの変換として必然的にそうなってゆくのかもしれない、何かあまりにも過剰化してそれが税の負担の増大になる
もうそれに耐えられない、国自体がつぶれるとまでなる
それは過剰な医療とか過剰な無駄は許されなくなる、そんな余裕はもうないのである
だから縮小化社会とかミニマム生活とかが言われるのはそうした反動があり必然的に生まれたともなるのだ
なんでも増大すればいいという社会は終わりを告げたとなるからだ  

大量生産・消費時代の「足りない、欲しい」の意識を捨てることで、

余計なものを削ぎ落とし、コンパクトに生きるミニマムライフが大切です

こんなことが盛んに言われる時代になったのである











posted by 老鶯 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題