2018年12月31日

人生は二度なし(このことを若い時はわからない)


人生は二度なし(このことを若い時はわからない)


人生二度なしという厳粛な事実を若い時はわからない、青春もたちまちすぎるしたちまち老いる、なんだこれで人生が終わりなのかというとき老人になって愕然とするのである
ええ、たったこれだけだったのかというショックである
それほど人生は短いものだったのである
こういうことは別に優れた人とか哲学者とか宗教家だけではない
普通のありふれた平凡な人もわかるのである
老人になれば否が応でも現実でもって示される

そしてつくづく誰でももし人生が二回あったらなもう一回人生がやり直させたらなと切実に思うのである
ちょっとベトナム人の若い女性がいた、ベトナム人にも美人がいるんだなと思った
財布を落としてそれを知らせたのはベトナム人の若い女性だったのである
そしたらちょっとしたきっかけでもしかしたら仲良くなり結婚していたかもしれない
ちょっとしたきっかけでそうなるたこともありえたなと思った
しかしもう老人になったらありえない、ただ死に向かっているだけなのである
ただ若い人はこれから人生を生きるのだとつくづく思う
でも老人にはもう人生は終わったものなのである
終ったものとして回想しているだけなのである

そして人間はやり直しできない、あの時若い時こうすれば良かったと後悔してもできない若い時選んだことがそのまま人生の最後までつづくということがある
例えば道が二つに分かれたとしていて右を行ったらもう引き返して左に行くことはできないのである、それか人生なのである
だからその分かれ道で誤った方向に行くとそのまま人生の最後までその誤った方向から引き返せないとなる、それも今になると怖いことだと思う
人生はやり直せるというのは甘い考えなのである
そんな時間が人間には与えられていないのである

一回きりの人生しか人間には与えられていない

これは本当に最後になるとショックなことだったと
だからなぜ若い時が大事なのか?
それは方向を決めてしまうからである
その方向が若い時に決まってしまうから怖いことだったのである
ただ若い時そのことを自覚している人はほとんどいない
どっちに行こうがそれほど気にしていないし真剣に考えない
右に行こうが左に行こうが時間はたっぷりあると思っているのだ
人生回り道もあるしそんなことどうでもいいことだとしか思わないのである

「若き時神を覚えよ」というときもそうである
若い時しか本当の求道はできない、すると若い時でその方向が決まってしまうから若い時は人生を決するとまでなってしまうのである
人間はもう30代でもう決まるとまで言える
あとはつけたしであり余得ともなるのである
30からは時間が倍速で早く過ぎるのである
そしてあっというまに60、70となり老いるのである

そして死ぬとどうなるののか、死ぬとどんな人でもすぐに忘れ去られるのである
どんなに有名でも忘れられるのが早いのである
すでに仕事もしない退職した人は社会で用がなくなった人は生きながら忘れられる
それで家族の一人が認知症になったけどそれも無常だった
役所をやめてから役割が家でもなくなり何か生きながら無用の人となっていた
その時社会からもすでに忘れられていたのである
知る人も極わずかであり若い知らない人が増えてその人たちは知らないとなっていたのである
だから退職した人はそうなりやすい、社会で無用のものとなり生きながら忘れられるのである、そして死んだらもうただ忘却されるだけである
そのスピードが早いのである、だから無常迅速と言うのである

ただ現代は長生きになったからその分何か仕事をする残すにはいい、60くらいで死ぬのは早すぎるからである、何か仕事に追われているうちでも終わってしまうからである
長ければやはり何か平凡な人でも仕事をして残すことはできるとなるし才能がたいしてなくても何か積み重ねたもので才能が開花することがあるからだ
才能は第一いくら恵まれていても開発する時間が必要だからである

いづれにしろ自分の人生も終わりに近づいていると思う
旅するにしても何か気力がないから行けない、今は確かに介護が終わって行けるのだから行く気がしない、何か疲れるとなるからだ
だから旅にしてもいつかできなくなる、終わるということである
こんなに旅したのに依然として旅しない所がずいぶんあったし見ていなかったなとつくづく思う、それだけ人間の与えられた時間が短いからそうなっていたのだ
人生は光陰矢の如しであり最後は人生あっというまに終わるとなってしまうのである

今年も終わるが大晦日だけどこのことを若い人は肝に命じるべきだけどどうしてもそう思えないのである、そして老人になって愕然とするのである
そして二度と人生はやり直しできない、二回の人生はないのである
もし若い時でも30代以降でもこうした自覚があればもっと充実した人生になっていた
それはみんな誰でも思っているのだ、とにかく人間は無駄に費やす時間が多すぎるのである
でも何でも雑学でも経験したことは最後に活きてくる、活かせるのである
だから不思議なのは今一番私自身がいろいろなことがわかり活かしている
それを今インタ−ネットのホームページでプログで発表しているのである

ふりむけばすべての足跡が意味あるものとして示される・・・

今NHKの紅白歌合戦での歌詞を見た、福山雅治とかの歌手である
こう最後にこうなる、それは特別な人生だけではない、普通の平凡な人生でもそうなのである
その意味がはっきりと平凡な人でも知らしめられるのである
だから何か過去に悪いことした人も決してそれが心の中で消えることはないてのである
それが最後にまざまざと示される、そして後悔して苦しむ
それも怖いことなのである、ただそう自覚している人はいないからこそ若い時は放埓でもかまわないとなっているのだ
それが青春の特権だとかなってしまうのである

ということで今年も終わり来年もこうしてプログを書き続けます

良いお年を・・・

原発事故で問われた責任問題 (住民の意志も問うことなくただ政府の命令に従ったことの是非)


原発事故で問われた責任問題

(住民の意志も問うことなくただ政府の命令に従ったことの是非)

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住民の意志が全く無視され住民はばらばらになった


原発事故をふりかえると今になり様々な責任が問われる、どうしてこんな大事故とな大惨事になったのはなぜなのか?
その責任は誰にあるのか?それが問われる
東電の幹部が裁判で有罪になった、でも責任がないとして法廷で争いつづける
誰も責任を認める人はいないのである

これは何か戦争と似ている、300百万人が死んでも誰も責任はとっていない、誰に責任があるのかもわからない、日本は責任をとらない社会だという
戦争の時私の姉は突然赤紙一枚で招集されて従軍看護婦としてシンガポールに行き地獄の苦しみを受けた、青春時代でありその4年間は長いから死ぬ直前までそのことを語り死んだ、認知症になってもその戦争のことが忘れられなかったからである
そして母親と突然分かれて四年後に帰った時は母は死んでいたのである
それは突然に政府からの命令で有無を言わさずそうさせられたのである
そういうことは戦争の時みんなそうだった
抵抗もできない、何もわからずに政府の権力で強制されて地獄にほうりこまれたのであるこれも残酷だったなとつくづく思う、それはみんな国民がそうだったのである

では国民がみんな戦争に合意していたかというとそうでもなかったが納得して戦争に自ら参加したともいえない、今でも国民も賛成したとされるがみんな赤紙一枚で戦地に行かされて地獄にほうりこまれたのである
原発事故で起きたことでも原発は政府の強権で強制されたと同じである
前の佐藤栄佐久知事は政府の命令に逆らうことはできなかったと言っているからである

つまり原発は県とか自治体とか越えた強力な権力の力が働いていたからである
それを拒否することは地元でも許されないともなっていた
なぜなら地元では金のことしか考えなかった、金になればいいとしていたから地元で反対したり住めなくさえなっている
金になるんだから反対するなとなりその圧力が強いから反対できないようになっていた
そして原発関係で働いていた人は多かった、浪江から小高になると近いから余計に距離に比例して働いている人が多かった、原町でも飯館村でも原発で働いていたのである
それだけの経済的恩恵が原発にあったから地元でも拒否できなかったのである

だから責任を問うと地元の人たちにも自治体にもあった、戦争でも国民にあったとなると同じなのである
でもなぜ住民でも自治体でもただ一方的に政府の命令に従うだけで良かったのかという反省がある、それはなぜか?
戦争なら300白万人死んだとか原発事故では故郷に住めなくなったという被害が大きすぎたからである
政府の権力の命令に唯々諾々として従うだけになると必ずその責任は住民が国民がとらされる、政府では官僚でも議員でも命令する人は責任をとらないからである
権力をもつものに命まであづけるということは一大事である、でも有無を言わさず命令に従わさせられる、そして命令した人は責任をとらないのである
責任をとらされるのは命をあずけた人たちであり国民なのである
もしそこに国民が納得して国民の意志で戦争したというならいいが突然赤紙一枚で戦地に地獄にほうりこまれたのである

原発事故でも突然避難命令されて30キロ以内は住めなくなされたのである
それは政府の命令だったのである、でも住民側の意志は無視された
住民側にすればいろいろ問うこともありどうしたらいいのかと住民で話し合ったりもっと検討することがあったが緊急事態でありただ命令に従うだけだったのである
そして避難しても5年以上とか長くなりすぎたのである
小高などは放射線量も低いから早く帰すべきだった、長くいた結果補償金をもらいギャンブルとかに興じて復興する気も働く気もなくなったし若い世代は流出して外で生活基盤を築き帰らなくなったのである

避難するにしても二年くらいにして町や村の復興をみんなで協議して考えるべきだったかがそこで一番みんな考えたことは自分の家族のことであ個々人のことでありあとは補償金をもらうことにしかてなったのである
そうしていち早く他で家を建てた人がいた、その人は土地が安い時で賢い人だったと言う人がいた、もし補償金がもらえないとしたらこんなことにはならなかった
もらうの当然だとしても自治体の全体の復興のために使うとかなっていればこうはならなかったかもしれない、その時すでに大家族でもばらばらになり町や村でもばらばらになってしまったのである

結局これも結果論だからをとともいえない、自分自身さえそうである
今になってふりかえってそう言えるだけだとなる
ただ自分自身は何か最初からおかしいなとそれは科学知識がないにしても思った
別にすぐに避難するような状態ではなかった
原爆が落とされたのとは違っていた、確かに爆発したとき20マイクロシーベルに二三日はこの辺でもなったが海側はすぐに急激に低くなったのである
飯館村とか福島市の方が長く一か月くらい放射線量が高かったのである
そういうことは科学的知識がなくてもわかることであった

一ミリシーベルと越えたらチェノブエリでも避難させて住めなくなさせたからそうすべきだったという科学者の意見もある
それより町や村を維持することの方が大事だったのである
つまり今すぐに死ぬとかではない、先のことでありそれも放射線に関してはわからないから住民で決めることなのである
でも変なのは住民が今になって帰るのも帰らないのも住民の意志だとしているのである
そんなことを住民の意志で決めることだとしているのも変なのである
その前に住民の意志として決めなければならないのは町や村をどうするかということだったのである、個々人のことではない、そういうときはやはり市民や町民や村民の意志で決めることだったのである
ただそうなると責任は住民がとることになる、科学者の言うように何かガンになったり被害があるかもしれないからだ、その責任は政府にも科学者にもない、住民が決めたことだから住民がとれとはなる、でもそうしてもやはり町や村を維持することが住み続けることがいいとして決めることもあったのである

ただそれだけのものが絆自体が現代の市町村にはなかったともいえる、十津川部落のように一致団結して北海道に移住したような絆がなくなっていた、絆はかえって外部の人とはあったのである、それも広域社会とグローバル化でそうなっていた
地元に根ざして農業や林業や漁業でも生活していない、それは一割にも満たないものだった
だから絆でも物でも外部から入ってくるからそうなっていた、そして仮設に住んだ人はどう思っていたかというと
私たちはここで金を使って消費して助けているんだよ言っていた
全くその土地の人たちに関して何の関心もない、むしろ補償金をもらって喜んでいたのである

これは避難者を責めるというよりそういう金が第一の広域グローバル社会化した矛盾だったのである
だからグローバル化となると世界と絆があるとなっているけど意外と内部でも絆はないからもろい社会だともなる
簡単に市町村でも崩壊する、何かあったら金さえ持って逃げればいいとなるからだ
そしてどこにも金さえあれば豊かな生活ができるとなるからだ
江戸時代だったらもう外に逃れることはできない社会だからその場で苦しくても死ぬほかないからである
そういう社会がいいのかどうかも問われたのである
だからこそグローバル社会に対して批判する人がいる、それに私も同調するのである

結果論となるが自治体は崩壊したともなる、それを取り戻すことができなくなった
若い人たち別に生活基盤を築いた帰らないのである
残されたのはその親や祖父母でありその人たちは南相馬市だったら小高でも負担を強いられる、それで一時は介護士がいないとかで老人ホームがあっても立派な建物があっても開けなかったのである
そうなったのは最初の時の方向が間違っていたからだともなる
結局人生でもそうだが緊急の時があり方向を間違うともう元にもどれないということである、若い時判断が誤ると一生方向を間違えてもどれないのである
カルト教団に入っていたらそのまま誤った方向に進んでその方向を変えられないのであるだから緊急事態に対処することでも誤ったら誤った方向に行きもどれなくなるということである
そして後でいろいろ反省してもどうにもならなくなっているのである

posted by 老鶯 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年12月30日

冬深む(年終わる)


冬深む(年終わる

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近江高島市の家形石棺



我が家を継ぎて一人や冬深む

姉語る柱に寄りて冬深む

集めたる蔵書を読むや冬深む

冬深む村に一つの石重し

この石の位置の変わらず冬深む

ふるさとに死者を思うや冬深む

根は深く大地に張りて冬深む

ものみなの静まる時に雪のふる

事もなく今年終わりぬ山眠る

寂けさややがて雪ふり年暮れぬ 
                                          

石造り家型古墳の重々し北風唸りここに生く人



家型石棺重々しかも
ここに生きにし家族なれ
ここにいつまでもあれと
その石棺の重しかな
家族は離れがたくも
ここにあらむと石棺に収まる
落葉を踏みて我がたずね
ここに冬は深まりぬ




今年も終わりになった、家族がみんな死んで一人家に残されたのが自分である
やはりまだ継続して家族でも家でも行きてく、生きるというとき活きることなのである
何かしら活かされることなのである、家でもやがて跡継ぐものがいなくなれば活きることがなくなる、廃墟となるのである

姉は良く柱のことを言っていた、それは近くの橲原(じさばら)の木を同級生の人が木こりをしていて提供してもらって家を建てたといつも自慢していたのである
だからその柱によると何かそれが姉のようにもなる
実際に家族はその家という建物に住んでも柱となって支えたとなる
だから家とはやはり人がいて人がいなくなっても以前として人を思っている
そこに家の重みがある、だから家がそういう思いでとかがつまったものだから老人は愛着があり離れられないとなるのだ
それず避難区域に帰ったのは老人が多いのである

それで近江の琵琶湖畔の高島町の家型古墳はその人間の家を象徴していたのである
どっしりと重みがありここに家族が生きていたという証になる
人間はやはり家族があって人間として生きていたともなる
家族の紐帯が一番強いからである
その他は現代では特に金の関係でしかなくなったからである

ずっと言っていることだが変わらないということに深さを意味を追求する
それがやはり人間として自然だともなる、確かに旅ばかりしていた自分はそういうことはなかったが今になると変わらないものが貴重に見える
変わらないものがある時それで心も安定する
それだけこの辺は変わりすぎたからである
もう老人は変化に弱い、認知症になったらもう今まであるものしか理解できない
それで認知症は謎なのだけどこれは老人一般の心性でありそれが極端化した病気だともなる

老人の心性は過去に生きる、どうしても新しい人とか新しいことになじめないのである
今まであったものを深めることに向いているのである
だから新しい知識でも技術でも新しく起こることに適応できないのである
今まで付き合っている人ならいいが新しく付き合うことがむずかしくなる
だから離婚とかするのは時間の相当な損失ではないか?
他人が親しくなるのは相当に時間がかかる、だから長く一緒にいてまた別れてまた親しくなるというのは時間のロスが大きいとなる、時間が貴重なことが老人になるとわかるからである
時間はもうとりもどせないからである


とにかく今年も終わった、今年をふりかえると何も苦しみがない事もない一年だった
そういう年は介護してからなくなっていた、絶えず何かで煩わされて苦しんでいたからである
ただ家族がいたときは30年間は平穏な日々だったことも不思議である
こういう恵まれた生を送れた人もまれかもしれない、それは特殊な家庭環境でそうなったのである、普通はありえないことである
ただその楽したこと恵まれたことがカルマとなり塗炭の苦しみとなったのである

楽することも実はカルマになっていたのである、人間は楽では終わらない
様々な災難が起きたのもそのためである、なぜなら人間は何かしらみんな苦しんでいるからそうなる、楽することを許されないのである
だからどんな人でもどこかで苦しみが与えられるのである
そして楽している人は苦しみを知らない世間のことを知らないから余計に苦しむのであるそれでお嬢さんで育った姉妹が土地持ちだったのに餓死したのもそのためである
世間のことを知らずに苦しむこともなかったからそうなったのである

俳句でも短歌でもなぜ私が十句と十首で出しているのか?
それはこれは短いから一句一首となるとそれだけでは鑑賞しにくいからである
だから十句とか一連のものとして読めばそれが詩のようになっているし現実にそこから詩にもしているのである
インタ−ネットだと自由に表現できるからいい、他では雑誌でも何でも何かの会に入ってもできないのである
ただ反応はないから淋しいとはなる、やはり同好のものが切磋琢磨するということも必要だからである

でも何か私がしていることは一人で雑誌を作っている、編集者になって雑誌を作っているだから多様なことを書いている、雑誌も多様なことを書いている
それとにている、ただ一人でしているということが違っているのである
書くことはいくらでもある、評論でも創作でもいくらでもある
それができるのがインタ−ネットだったのである
インタ−ネットはどうしても情報の発信者になりやすいのである
それは簡単にできるからである、今思っていることを経験したことを即座に発表できることが強みなのである





家作り部屋作り手作りが必ず必要 (整理は自分でしかできない)


家作り部屋作り手作りが必ず必要

(整理は自分でしかできない)


年末だから整理に苦しんでいる

●料理するものの整理

●本の整理

●着るものの整理

●道具類の整理

●金銭の整理

●パソコンのログの整理

●家の中のものの配置を変える

一人で家のことを全部やることは本当に大変だと介護から今度は一人暮らしになっても思った
でもこういうものは家族がいればいいが人にまかせられないものだった
なぜなら自分の使い勝手のいいようにしないと不便になるからだ
そこにどうしても自分なりの工夫が必要になる
本棚でもある程度手作りするほかない、パソコンの脇に柱と柱の間に棚を作るとそこで本をすぐにとれるからいいとかなる
それはその人とその人なりの工夫が必要になるから手作りになるのである
いくら買えるとしてもその人によって使い勝手は違ってくるからだ
それは本人しかわからないことだからである

本の整理には一番苦しんでいる、本は厚いし重いがさばることが問題なのである
でも本には内容のあるものが多いから本を読むことはインタ−ネットで調べるのとは違ったものになる、何かそこから深い意味をくみとれるのである
ただ本を読むということは拾い読みでも読む力があるとその人なりに解釈して読めるのである
いくら本があっても本があるというだけで積ん読で終わることが多いからである

人間は整理しないと脳の働きも悪くなる、家というのは知的仕事をする仕事場になっているとき使い勝手をいいようにしないと頭も混乱するのである
ただ本の整理は分類はなかなかしにくい、それは本が厚いので一冊を読むことが負担になるからだ
でも学問は本はできるだけ多く読む、多読しないとそれなりの独自の見解は出せないのである、つまりビッグデーターが必要なのである
だから速読が必要になる、さーと目を通してその趣旨を理解するのである
ただそれでも独自のその人なりの解釈をしないと身につかないのである

インタ−ネットでも10年くらいはホームページで時事問題の深層とか書いてきた
それがログとして残っているからそこからまた発展できるから何かその時々のことは記録していた方がいいとなる
何でもいいから感想を書いておくと後で読み返すときまた新たに付け加えることができるこんなこと考えていたのかとこんな詩を作っていたのかと新鮮にもなる
つまり人間は常に自分のことすら忘れるのである
だからなんでもとにかく記録しておけというのは正解である
写真でもなんでもいいから記録して後でふりかえり思考を深めてゆくのである

とにかくこれだけのことを一人でする、整理すること自体が大きな仕事になっている
今まで書いたものを整理するのもかなりの時間がかかる
自分自身書いてきたものでも記録したものでも何かそんなことあったの書いていたのとかなっているからだ
まず料理は料理するもの材料をそろえるだけでめんどうである
料理と文章を書くのはにている、いろいろな材料がありそれをうまく料理することだからである、それは過去に経験したことを書いたり記録したものをまた利用する
料理でもそうした前に作ったことを覚えていて料理を作る
でも料理でも新しいものを作るのは容易ではない、そんなに人間がいろいろなことができないのである

年の瀬や切りなく整理に追わるかな

ともかく今年も後一日だ、コンビニで雑煮を買ってきた、雑煮もめんどうで作れない
なにか正月料理も容易できない、千円のお節料理でも買うかとなる
一人で何でもやることには限界がある、そんな時間が持てないのである


偽情報でイラク戦争に (情報は権力によって操作される、原発も同じだった)


偽情報でイラク戦争に

(情報は権力によって操作される、原発も同じだった)

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  • 報道特集TBS


イラク戦争は何だったのかと今ふりかえる、そしたら報道特集で大量殺戮の化学兵器は実際はなかった、でも一人の詐欺師のイラク人の情報を信じてそれで戦争になったと分析している
一人の人間に詐欺師の情報を信じて戦争になり多大の犠牲を出した
そこには何の正当性もない、ただ権力によってごり押しされた戦争だった
強いものが力でもって制圧したとっちめたというだけである
その時私は人道的立場から戦争に反対した、それをホームページに書いたが別に反応はない、読む人は少ないからである、ここ三年くらい津波原発事故がありアクセスが増えたのである、それまでアクセスは相当に少ないから誰も目にとめないというだけだった

あの戦争は9・11のアメリカのテロがありその犠牲が大きかったのでスケープゴートを求めてイラクが別にアルカイダとかテロとは関係なかったがどうしてもその怒りがおさまらずイラクにそき怒りが向けられたのである
別に大量殺戮の化学兵器はなかったのである
それも一人の詐欺師の言ったことくらいで後は何の証拠もなかったのである

ではなぜ戦争が起こされたのか?

9・11のテロの怒りがイラクに向かった  

もともとイラクをアメリカはたたきたかった

イラクがアメリカを攻撃するので憎かった

そのために戦争する理由が必要であり大量殺戮の化学兵器を製造しているとこじつけて戦争を起こしたのである
その確かな証拠は何もなかったのである
情報はこうして権力あるものによって操作されそれが真実かどうかもわからなくてもいいのである

まずイラクをたたけ!

イラクが憎い!

それがあって戦争するための情報を探していたとなる、だから偽情報でもいい、フェイクニュースでもいいのである
それは感情が先にありその感情をあおる、国民は冷静になっていないからだ
テロの無惨な惨劇で理性を失っていたからである
だから人間は感情的になることが危険なのである
テレビとか映像は生々しいから感情的になり怒りとか憎しみとかをあおるメデアである
例えば犯罪でもテレビに出ただけでそれで罰せられると同じである
裁判で決まらないのにテレビで疑いの段階でもあいつは悪い奴だという印象を与えてそれが消せなくなるのである
それで油まみれの海鳥をアメリカの放送局が映し出してそれが世界の人達が見て怒りになった、その映像効果は抜群だったのである
だからテレビとか映像のインパクトは大きい、今でもそうである
マスコミが裁判官のようなっているのである
それは大勢の人が見るからそうなる、その影響が大きいのである
インタ−ネットで放送しても見る人が少なければ影響も少ないのである

これと同じようなことが佐藤 栄佐久知事が賄賂とかで逮捕されたことにもあった
福島原発でプルサーマルの危険性を指摘して情報公開を東電に求めたが拒否された
それで一時原発は危険だと停止されたのである
それに政府とか東電が怒り「佐藤 栄佐久」憎しとなった
それに検察も加担したともされる
原発には強力な権力がかかわり反対できないのである
アメリカの圧力もあり反対できない、それは沖縄の基地問題とかでも同じである
別に佐藤 栄佐久知事は原発に反対だったわけではない、ただ安全性を追求して情報公開を求めたができなかったのである
それが正しいとしても政府とか東電は感情的になり佐藤 栄佐久憎しとなって情報でもでっちあげて賄賂問題で逮捕したともなる

その虚実は詳しくわからないにしろここにも同じ構図がある
権力をもてばそれが暴力でも法律でも曲げて行使できるから危険になる
権力は歴史でもそうである、歴史が勝者の歴史だというときもそうである
勝者が正義であり敗者は悪者とされるのである
日本が戦争に負けて悪者にされることでもそうである
アメリカはこのように力をもっているから権力を暴力として軍事力で行使できる
そこにアメリカの危険性があった
だから中国が台頭して困ることもあるがアメリカが抜きんでて世界を牛耳ることも危険なのである、中国も問題にしてもアメリカの横暴を抑制するものとはなる
それでイランが今イラクと同じような状態にあるという

でもイランをイラクのように簡単に攻撃できない
世界情勢が変わっているからだ、中国が台頭しているからそれが抑制力となるからだ
世界でも一党独裁に一国独裁になることは権力が力があるものが支配するとなり正義はそこになくなるからである
そこにアメリカの国是とする民主主義を追求しているそのこと自体を否定することになる何の証拠もないのにただ力でももって戦争して殺戮して決めるとなるからだ
ただ力が正義となるだけだからである

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posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年12月29日

駅と高速のSAの違い (駅は会い別れる公共の場)


駅と高速のSAの違い

(駅は会い別れる公共の場
                            

今日も見ゆ保線の人や年暮れぬ

三人ほど帰省を待ちぬ年末の駅や我もともに待ちにけるかな


今日は年末だから三人ほど帰省の人をまっている人がいた
一人は浮田であり離れていても歩いてきた?
車で来たのではない、それでタクシーで帰るために呼んだ
携帯ももっていない、でも待っている時間に来なかった
それでタクシーにのって家に帰った

帰省の人は今頃だったらある、それで自分も一緒になり待っていたとなる
前にもそうして迎えに来たり送ったする人がいて一緒に見送ったりもした
それが無人駅だとしやすいのである、なぜなら駅員がいないから出入りが自由だからである
ヨ−ロッパの鉄道はみんなホームに自由に出入りできる
自転車も載せる車両があり直接ホームにでてそのつま載せることができる
あれができたら自転車で遠くに行くのも楽である
折りたたんだり袋に入れることもないからである
それが日本でできないのが残念なのである

ここで高速のSAと駅の違いに気づいた
高速のSAは人を出迎えたり送ったりしない
なぜなのか?
車だと直接家まで行ってしまうからである
出会いと別れは家にある、車はこうして閉ざされた他者を排除するものにもなる

なぜなら駅だと一緒に見送ったり出迎えたりできるが車は家に直接行くことができるからそういうことがないということに気づいた
この差も大きい、駅というのはそれだけ人間の出会いとか別れを公共的な場で演出していたのである

ただ私は駅をそんなふうに見ていなかった
機能的なものとして見ていただけである
でも何か家族が死んで待っている人もいなくなった、それで今度は自分自身が迎えたり見送ったりしているともなる
でも別にそういう人もいないのである

ともかく駅が鉄道がなぜ車と違うのか?それは鉄道は長い歴史のなかで人間の出会いとか別れとかまた何か人間的なものが情でもしみこんでいるからである
それが車との大きな違いだったのである
だから鉄道がなくなるということはそうして人間の出会いや別れなど情がしみこんだ場がなくなるから淋しいとなる
どうしてもバスとか車とかにはそういうものを感じないからである

今日も保線の人たちがきていた、毎日のように見かける、それが仕事なのである
駅にかかわったというのも何か不思議である
それはただ無人駅になったから偶然にそうなったのである
そして毎日寄るにしても30分いればいい方である
だから後は自分の創作とかプログとか本を読むとかできるのである
もう一時間だと長くなる
なぜなら家事に時間をとられるからである、全部自分一人でしているからである
だから暇なく何かをしているのが強いられているのが自分である
これだけの仕事をこなすのは大変なのことである
それも介護をしなくていいからやれたとなる


民主主義が機能しなかった (津波原発事故をふりかえる)


民主主義が機能しなかった

(津波原発事故をふりかえる)

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この図のように民主主義とは情報を開示する、提示する
それをとにかく原発でもわからないなりにしてもらう
最初から安全ありきで安全神話を押し付けさせられたら
そこにはもう住民の意志がないのだから否定しているのだから
民主主義はない、民が主になることはないのである
それは独裁政治なのである

その情報によって住民が決めるとなれば民主主義である
でもそうなると住民に責任がある
責任は必ずこの世の中人間は必ずとらされるのである
もし本人がとらされなくても誰かがその責任を負わされる
それはカルマとにているのだ、他人のカルマの責任をとらされている人が普通にいるからだ

今回の原発事故は政府や東電が官僚や科学者が強固な「安全神話」作って責任は住民がとらされたのである、住民がもし情報開示されて住民の意志が反映されれば今度は住民の責任になる
それは戦争でも同じである、独裁政治のように一方的に政府の権力で強権で戦争するとなるとその責任は誰にあるのか?
住民には情報は開示されていない、日本は神の国だから勝利するとかを理由にしている
それは安全神話と同じなのである、絶対に事故は起こらない、絶対に神の国だから勝利するとなってしまうからである
そこにもう住民の意志もなにもない、神の意志があったとなってしまう

だから情報開示と話し合いとか討論とか選挙とかで住民の意志を決めるのが民主主義である、それがすべて正しいとかにはならない、その手続きが大事なのである
手続きを踏んで決める、独裁政治にはもう手続きも何もない、独裁者によって決められるとなるからだ

ただ肝心なのは住民も民衆も理解していないのはそうして決められたことは住民の意志とされ責任は住民にあり為政者にはないともなる、議員もあなた達が選んだ人だから投票した人たちの責任だとなる
ともかく情報開示と議論とかそうした手順があり住民が決めるのが民主主義である
でもその結果責任は住民にある、為政者にはない
でも今回の原発事故ではその手続きでも議論もなされない住民の意志もないものとして作られた、なぜなら政府の強権で実行されたからである
そして情報は「安全神話」を形成したからそれで何も言うなとなっていたのである
だからこそ住民には責任はないとなる
ただ民主主義で言論の自由はあるのだからそれを怠ったとは言えるのである

原発では情報を提供することもなかった、マスコミもしていない、巨額の宣伝費がマスコミにばらまかれたからである、マスコミも情報を伝達する役目があったのだが全くしていなかった、ただ宣伝費をもらっていればいいとなっていたのである
情報開示しないとなぜそれが民主主義ではないのか?
それは判断しようがないからである、いくら原発のことはわからないにしてもそういう判断材料すら提供されないとしたらどうにもならないからである

それで銀行でも同じだった、投資信託についての説明がたりないのである
私はプロですから証券取引所に勤めていましたからまかせてくださいと言って勝手に株が上がっていたのにリートの方に回して損したのである
それは任せた方が悪いというのもある、でもその人はプロでありまかせてくださいというからまかしたのである
医者だってプロなのだからやはりまかせる、命をあずけるとなる
なんでもわからないし時間をさせないからまかせたのである
でもそれが間違っていたのである
地銀などは証券でも投資信託でも何もわからない、素人と何にもかわらないのである
かえって危険だったのは分散投資していれば良かったのにそれを言っていたのに自ら守らなかった、それはノルマを課せられているから自分の成績を上げるために株が回復して上がっていたのにリートに回したのである
基本的な投資のルールを自ら守らなかったのである

これも別に情報を提示して説明してそれで客に判断させれば客に責任がある
それがプロですから全部まかせてくださいと言っていたからまかせたのである
「私たちは投資のプロではありません、投資のことを説明しますからそれで納得したら投資してください」と言えば納得する
その責任は判断するのは客自身になる、でも損しても責任はその時客にある

ともかく原発事故で政府主導は強権的であり独裁と変わりなかったのである
そのために甚大な被害を受けた、その後の処理でもずたずたにされたのである
それはますで住民の意向とかも聞かない、住民との意思疎通ができていない
そこに住んでいる人の意向と違ったものをブルドザーで一方的に飯館村の田んぼを荒らして土を硬くして回復させなくした
だから津波や原発事故では民主主義がなかった、そもそも民主主義がもともとなかったからこうなったともなる
住民側でも責任が課せられている、一番被害を受けるのはそこに住んでいる当事者だという自覚がたりなかったのである
それはその後の事故後の避難などでもそうだったのである
いく30キロでも区切られても何か南相馬市だったら対策があっていいのだがなかった
そしてずるずると5年以上も仮設暮らしになり復興手きなくさせたのである

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失敗した原発事故後の政策と処理 (飯館村に移り住んだ田中俊一氏の指摘)


失敗した原発事故後の政策と処理

(飯館村に移り住んだ田中俊一氏の指摘)

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文芸春秋に2018−4月号で意見を述べていた

●早期に避難解除すべきだった

●除染は表土をはぐのではなく下の土を入れ替えるべきだった

●放射性物質は各自治体が管理処分場を作るべき

主な意見はこういうものだった、早期に避難解除すべきだったというのは別に飯館村でも双葉とか大熊を除いてはそうだった
避難生活が5年以上になった結果若い人たちは他で生活するようになり仕事も他で持ち子供の学校にも入り別な暮らしになってしまった
他の土地で生活基盤をもつようになったら帰れなくなったのである
そして大家族で住んでいた人たちもみんなばらばらになったのである

そもそも小高などは海岸部は放射線量が低かったから避難させる必要はなかったのである0・5マイクロシーベルとであり浪江すら海岸部は街中でもそんなものだった
でも双葉に入ると7マイクロになっていたのである
つまり明確にブルームとなって雲のような塊りとなって飯館村の方に流れたからである
でも浪江でも全部を避難させるとかさらに長く避難させたことが失敗だった
30キロで強引に区切ってそこに生活しているものを全く無視して避難させたのである

除染に何兆円もかける必要もなかった、田中氏は放射性物質は各自治体で処理すべきだというとき運ぶと金がかかるからその金が外部のものに使われからだという
そのことは原発事故周辺ではゼネコンだとか暴力団関係者が来たとか地元の復興のために役たたなかったのである

表土は下の土と入れ替えるべきだったというのもわかる
飯館村に行けばわかる、田畑の表土はけずられ無惨な状態になった、荒廃したものとなった

放射性物質が付着した土をとりのぞくために、田んぼの表土を無闇にはぎとってしまったのです、土建業者に頼ってブルドザーではぎとったため重機が踏んだ土は硬くなってしまい水田として再生するのは容易でくなったのです

まさにその土地のことを良く考慮しないで検討しないでブルドザーで表土をはぎとる
津波の被害地では高台を作って住民を住まわせようとしても住む人がなく街が成り立たない復興できないというのも同じなのである
強引にその土地のことを人たちを考慮しないでブルドザーを入れて一方的に工事をする
それが権力をもつものの怖さである、早く復興するというのも必要だがこれだけの災害だと簡単にはいかない、時間がかけてやるということも必要だったのである
だからすぐには原爆のように被害がないのだから中核メンバーでも放射線の被害が少ない老人でも残るべきだったとなる、それを全員を避難させたり強引なやり方で自治体ずたずたにされたのである

そして多額の補償金を出したがかえってそれでそこに住んでいる人たちが分断されたのである、30キロで区切った結果原町でも深野(ふこうの)では牛を飼っている人が不満を盛んに言っていた、30キロで区切られるとそこで補償金の差が格段に違ったものとなるからだ
ただ一時飯館村で放射性物質を入れたフレコンバッグが雨で流れだした
するとその放射性物質が南相馬市にも流れてくる
土地はつながっているから飯館村だけの問題ではないからここは疑問である

このことはずっと私自身も書いてきた、避難させなくていい人たちを避難させた
避難解除を早くすべきだったのにしなかった
その間に避難者はギャンブルとかに興じて働く気もなくなり遊び人と化してもう補償金で暮らすことしか考えなくなった、特に老人はそうなった
早く避難解除して帰らせて復興のために働くべきだったのである

そして避難生活が仮設生活が長くなりそれが心まで荒廃させたのである
町を復興させるより補償金をもらうことしかなくなったのである
もし2年くらいで解除されていればまた違っていたのである
なぜなら農業は三年していないともうできなくなる、体が動かなくなると二人の経験者が同じことを言っていたからである、だからせいぜい二年が限度だったのである
それが5年以上になったもう復興できなくさせたのである
政府の失策が町でも村でも崩壊させたのである
それは原発そのものがそうだったのが事故処理でもそうだったのである

例えば被爆するとうときものすごく怖いものとして爆発したとき感じた
原子爆弾のように感じたからその時の判断が誤ったのである
被爆といってもすぐに広島のように人が焼けただれて死ぬようなことはなかったのである
確かに爆発したとき20マイクロと高かった、それも浜通りでは双葉大熊以外では0・2とか0・5くらいまでしかならなかったのである
それでも年に一ミリシーベルを主張して避難すべきだという学者がいた
それもわかるにしても現実生活がありそれを一挙に崩壊させることが間違っていたのである 

確かにその影響が10年後とか20年後とかさらに長く放射能の影響がある、ガンにもなるとかいうのはわかる、それでもそれは先のことだから科学者にもわからないことなのである町や村を崩壊させたらもともこうもない、だからまず町でも村でも維持するために残る人たちがいて良かった
例えば老人は放射能とあまり関係ないから避難しないで町や村を維持すべく働くべきだったともなる、現実に飯館村の人が老人には関係ない今までのように山菜まで食べていたのである、一律にみんな避難させたことが失敗だったのである

ともかくこの辺は津波もあったが原発事故が重なり家族もばらばらになったとか補償金では心が分断されたとかもう若い人は避難区域だったところには帰ってこないとか自治体をずたずたにされたのである
そしてその後の政府の復興政策もずさんであり良く検討もしないで成された
緊急性があり30キロで区切り全員避難させた、それも大失敗だったのである
それは政府だけではない、自治体自体もそうだったのである
何の手も打たない、ただ30キロで区切られて政府の言いなりになるだけだったのである
ただここでは政府と自治体の意志疎通ができていなかったことが問題になった
なぜなら桜井市長が左寄りの運動家で自民党に政権が変わった時意思疎通ができないとかなりうまく対処できなかったとも言われる
結局個人的にも日ごろの意思疎通がうまくいっていないと緊急の時対処できないのである
そのことを一番示していたのが事故の時吉田所長と東京の東電幹部がテレビ会議をしても意思疎通できなくなっていた、吉田所長は現場の監督であるから自分の意見を言ったが東京に住んでいる人たちと意思疎通できなくなっていたのである
いくら通信が発達しても離れているとそうなりやすいのである
だから原発は東京に作るべきというのは正論だったのである

そこなら近いし安全を監視する都民がいて東電の本社で四六時中監視できるからである
それができなかったのは一千万の都民が反対するからである
安全神話を作るくらいだからそれだけ安全なら都民を説得して原発を作るべきだったのである、それできないなら福島までもってきて作るべきではなかった
だからこれは都民の問題でもあった、福島に都民が電気の必要のためにおしつけたとなるからだ

そのために原発周辺はずたずたにされたのである
それは津波の被害地域でも政府の復興政策は失敗したと指摘する人もいる
何かそこの住民と密接に話し合わないで一方に決めたのである
そこに住んでいる人たちの言い分を良く聞かないで復興事業を開始した
でも土地を整備して嵩上げてしても人が住まないということにもなったのである
そこに住んでいる住民の意志は無視されていた、十分な話し合いもなく政府が強権的に政策を実行したためである
そして自治体側ても政府のなすままであり何か有効な対策をたてることもできなかったのである
ただ緊急の時はえてして付け焼刃のようなことをする、じっくり互いに話し合い検討できないからである、だからこそ政府は実行力があり権力があるのだからその上に立つ人により下も影響されて甚大な被害になるのである

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2018年12月28日

外食産業がチェーン店もは時代のニーズに合わなくなった (手作り感や人間味が求められているー時代で変わる商売)


外食産業がチェーン店もは時代のニーズに合わなくなった

(手作り感や人間味が求められているー時代で変わる商売)

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単純に言えば、家族でやってる3ちゃん企業は固定費や人件費がかからんのです。
店員が10人いたら、売り上げがあろうとなかろうと10人分の人件費は払わなくてはなりません。
大企業では本社などのスタッフ部門の給料も売り上げから捻出する必要がありますが、3ちゃん企業はもちろん本社は自宅なので、会社としてもオペレーションコストは不要です。

田舎の小さな店は、地縁血縁の固定客がいますので、細く長い経営が成り立っています。
大型チェーン店は一見の客が多いので、よほど味やサービスが良くないと長続きしません。


食事はめんどうだから外食するのが一人暮らしだといい、でもそれがチェーン店でもファミレスでも何か定量化されて決まりきっていて飽きる
それで毎回カレーでも違ったものを出している小さな店が繁盛しているのもわかる
しかしこうなると出す方も大変になる、決まったものを出している方が楽だからである
手間もかからない、機械的に作ればいいとなる
何かチェーン店は流れ作業のようにして食事を出している感じになる
客も流れ作業のように処理している、相手にするのは個々人ではない
数であり一人一人のニーズには答えられないからそっけないともなる

だからかえってこじんまりとした飲み屋とか食堂でも見直される
要するにそこにはチェーン店にはない魅力がかえってあるとなる
どうしても料理は定番化してくるから飽きる
そして何か変なのは自分は田楽が好きなのだがそういうものは出していない
あと鍋物を出していない、そういうのは自分で手間で作るほかない
どうしても料理を楽しみたっかたら手作りになるのだ

今何かあらゆるものが時代の変わり目に来ている
それは外食産業だけではない、マスを相手にしたもの大衆を相手にした定量化したものに飽きている、同じものを大量に供給することも時代的には合わなくなっている

そもそも情報産業すらそうなっている
みんなテレビの芸能人のばか騒ぎにはうんざりしている
テレビ自体が視聴率をとるために大衆を相手にしてそういう番組作りになったがそれも限界にきている、だからもう若い人は見ないのである
新聞だって見ないのである、キーワードで何でも調べるという時それはその人のそれぞれのニーズから調べているのである

新しい自転車を買ったらその備品を買うのが意外と多かった、ベルを新しくとりつけたとかサドルの痛くならないを買ったとかいろいろあった
それはアマゾンでぴったりしたものがあった、ただベルは一つは千円で買うの失敗した
それは今回買ったもののようにブザーのように音が大きく出なかったからである
それはキーワードを間違えたからそうなったのである
どういうキーワードを入れるかがいい買い物をすることになる
それからその人にあった情報もキーワードから導かれるからキーワード検索はインタ−ネットに向いている
テレビは一方的におしつけるメデアだからである

現代は何でも大組織になり経済が動く政治でも動く、だから大衆をマスを相手にしてきたマスコミ二ケーションだった、宗教さえそうだった
数を集めることが第一でありその人がどんな人かなど全く考えない
要するに一票になりそれで勢力をもって社会に影響するためにある
悟りだとか何か求道などとは関係ない世界である
ただ大衆相手に数を増やすことが第一でありそれで社会に影響力を権力を誇示するだけなのである

何か時代が変わる時がある、その変わり目に来ている
大衆相手マスを相手にするのは終わった、大量規格品の生産も物が豊富なのだから飽きられる、みんな同じだとしたら価値がないのである
そういうマスを大衆相手のものは終わってゆく
だから外食をするにも何かそこに一人一人に気を配ってくれるものを望んでいる
それでかえって小さな飲み屋がつぶれないでやっていけるというのも逆説である
それよりそういう小さなものでも見直されるものがあったとなる 

ファミレスとかチェーン店は高度成長時代とかその後の時代にあったものだった
家族で贅沢する場であり晴れの場を演出するものだった、それあ安価でできたということで全国に普及したのである
それも時代のニーズにあっていたのである
でも今はまたニーズが変わったのである、高齢化社会とかまたシングルが多いとかニーズが変わった、このニーズにあわなければ商売も成り立たないのである
ただそのニーズに合わせるにしても毎日カレーのメニューを変えることは容易ではない
でも時代のニーズに答えないと適応しないと商売もできなくなる
つまり社会も同じままに進行しない、必ず変化があり変化を望むのである

これからの時代は小さなもの、個人個人の好みに合わせるとか何か今までとは違った価値観が生まれる、すでにインタ−ネットなどではそうなっている
それは大衆相手ではないからである
だからマスを相手にしているマスコミとかはもう終焉に向かっている
それぞれの要望がありそれを基に情報も検索して探しているからである

これからの時代は逆に東京一極集中はなくなってゆく
地方に人は分散してローカルなものの中でそれぞれに合った生き方をする
つまり大量生産マスを相手にした社会は終わりになる
それは文化の時代にもなく、大量規格生産では文化ではないからである
ただ自分の場合は料理は手間がかかりすぎるからしたくない
簡単にすませたいのである、それで外食に行くからこんなことを考えるようになったのである

posted by 老鶯 at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

「おしん」の再放送を見る (明治大正戦前戦後十年の庶民の生活は江戸時代の継続だった)


「おしん」の再放送を見る

(明治大正戦前戦後十年の庶民の生活は江戸時代の継続だった)

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学校に子守りして行ったが学校で学べなかった
奉公先で字を正式に覚えたのである



「おしん」の再放送を見た、これも古なった

『おしん』は、1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで放送されていた日本のNHK連続テレビ小説第31作。

これは34年前である、その時の俳優も若かったなとつくづく見る、その一人はもう70代で死んでいる、30代だと若いなと見る、女性は20代である
このドラマほど人気になったものはない、外国でも放送されるようになった

おしんは山形県の最上川沿いを舞台にしている、山形県は雪が深い、それがわかるのは仙台から面白山のトンネルを春にぬけるといつも雪が残っていることである
山形県と宮城県の境はここでは明確なのである
トンネルを抜けると雪国だったとなる、山形県は最上川がありそれが道となり酒田に通じている、そして酒田から大阪とに北前船で米が運ばれた道でありベニバナが運ばれた道である、それで山形市内には市が開かれた日にちの地名が多い
それだけベニバナなどが主に売られた市がたち最上川経由で運ばれたからだとなる
三日七日十日市とかあり常に市が開かれていたのである、それだけ取引が盛んだったということである

このくおしんを見てなつかしいなと見たのはこのドラマの内容が心に訴えるものがあったそれは私の父親が明治生まれであり双葉の新山で酒屋の丁稚奉公に出ていたからである
そして暖簾分けして今の土地に住んだのである
そして私もその跡を継いで住んでいるからである
丁稚奉公とは明治以降でも江戸時代と同じく普通にあった、子供の時から丁稚奉公に出された、松下幸之助すらそうだったのである
そこが学びの修行の場だったのである、学校でもあったのだ

それでなぜ私の父親が良く筆で字を書いたのかということを疑問に思っていた
どこで字を覚えたのかと疑問だった、それがおしんのドラマを見てわかった
おしんも字がわからなかった、それで奉公先で子守りさせられて学校にも行った
子守りしながら学校に通っていて嫌われた
それで学校には行かなくなったが何か字を教える人がいたり字を読むものがあり読んだりして字を覚えた、その後は奉公先で字を教えられた
そのことで子守りさせられた大正生まれの女性が子守りして学校に行けなかったと聞いたでも小説を読んで覚えたということを聞いたのでそういうことだったのかとこのドラマをまた見てわかった
丁稚奉公の先は教育の場だったのである、私の父親も丁稚奉公先で字を覚えたのである

つまり明治に代わっても庶民の生活は変わらなかった、丁稚奉公とは江戸時代からあったからである、そして明治になっても庶民の生活そのものはさほど変わらなかった
竈で米をたき炭を使い水は東京でも江戸水を使っていた、水道がなかったのである
私の世代は子供の頃、同じ生活をしていから実感がある
ただこのドラマを見て感じたのは死んだ父親や母親のことを家族をふりかえるようで懐かしく思ったのである

過去をふりかえるとき祖父母までは話に聞いても生々しいのである
でも江戸時代になると遠くなるから実感がなくなる
でもこのおしんのドラマでも東京に出たおしんが大正時代でも脚気になっていた
白米を食べられたのはいいのだが脚気になった、それは江戸患いと言われたものでありこれも明治から大正へと継続されていたのである
江戸時代の継続が明治大正戦前戦後の十年間くらいまで普通にあったのだ
ということは庶民レベルだと江戸時代と変わらない生活をしていたのである
違ったのは確かに学校ができたことだがそれでもみんな大正時代まで学校にも通いなかったのである、それは貧乏のためにそうなっていたのである


髪結いでもそうである、日本髪に師匠についておしんが働いたが、洋風の髪型に変わった時期である、そういう変化があったが日本髪はまだ基本としてあった
それからその頃米が経済の基本としてありおしんは米五俵ひきかえに奉公に出されたのである、それは江戸時代と同じなのである、米が貨幣だったのである
そのことを母が製糸工場の女工だったので米十俵とか賃金の代わりにもらって親に喜ばれたとか聞いた、その頃も米が貨幣代わりだったのである
小作と地主の話もこれは生々しいものとして残っている
そのことが当時の最大の農民の問題だったのである、格差の問題でありそれは地主と小作と明確に分かれていたからわかりやすかったのである
現代も格差社会になったという時複雑で何が格差を作り出しているのかわかりにくいのである

いづれにしろ親の人生は生々しいものとして子供に伝えられる、それで祖父母から聞いた話が郷土史になると書いてきた、それは生々しいものだからである
ただ戦争とかなると日常から離れているからわかりにくくなるのである
普通の生活ならわかるが戦争はとても経験した人でないとわからないのである
この辺では津波とか原発事故のことは延々と語られる、それは一時代が終わった時冷静に回想されるのである
その時起きた渦中にいると何か冷静に回想できないのである、あとでこうだったのかとわかる、それは歴史でもそうでありこうして親のことから昔を回想して歴史をふりかえる
こういうことはやはり老人に向いている
何か経験したことを実感しとて語れるからである、そのことで現代を見ると違ったものとして見えるのである

とにかく戦前戦後大正明治の生活はみんなおしんだったのである、そういう過酷な生活、貧乏が日本人の普通の生活だったのである、私の母親もそういう生活だった、女工で十年、東京に女中で働くとか同じような生活だったのである
それでおしんの再放送を見て実感した、昔のことが映像から生々しくふりかえることだできたとなるからだ
posted by 老鶯 at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2018年12月27日

漁業権が外国企業に売られる? (地元の漁業権は原発事故を起こした東電に売られていた)


漁業権が外国企業に売られる?

(地元の漁業権は原発事故を起こした東電に売られていた)

政府は6日、漁業権を地元の漁協や漁業者に優先的に割り当てる規定を廃止する水産改革関連法案を閣議決定した。養殖業への新規参入促進が狙いで、約70年ぶりの漁業制度の抜本的見直しとなる。臨時国会での成立を目指す。公布から2年以内に施行する。

 漁業法を改正し、漁業を営む権利である漁業権を都道府県が付与する際の優先順位の規定を廃止する。既存の漁業者が漁場を有効に利用している場合には優先的な扱いを続ける。
 公共の資産である海が売られる。新自由主義政策で漁業権が投資商品になり、大手外国企業も参入して買い占められ、魚の自給率が低下していく(堤未果『日本が売られる』) 

 <漁業権開放>漁村の資源管理が混乱 生活基盤が崩壊する 「お友達」便宜供与の実態(日刊ゲンダイ)
  
そもそも漁業権は法律的にどうなっているのかわからない、都道府県のもの自治体のものとしてあったのか?
不思議なのはこの辺では原発事故でわかったことは漁業権が東電に売られていたことである
そもでわからないことは東電で事故を起こしても漁業権を売ったとしたらそれを放射性物質で汚染されても文句言えるのだろうか?

漁業法を改正し、漁業を営む権利である漁業権を都道府県が付与する際の優先順位の規定を廃止する。既存の漁業者が漁場を有効に利用している場合には優先的な扱いを続ける

漁業権を都道府県が付与する

そうなのか?すると漁業権を付与するのは県にあったのか?

県→漁業権付与→東電に漁業権を売る→多額の補償金をもらう      

海が汚染されたことで東電と交渉→さらに補償金を増やしてもらえる

これも前から指摘してきたけど矛盾しているとなる
漁業権を与えたり売ったりできることが本来できるものかと疑問を呈している人がいた
それは釣りで楽しむ人だった、そういう人は漁業権がないから漁業組合に金をはらって釣りさせてもらっているからである
それで不満で言っていたのである

原発事故が起きるまで漁業も苦しいなと見ていたが実際はそうではなかった
原発事故前からも原発御殿が建っていたので関係ない人はうらやましがっていたのである原発は漁業組合の許可がないと建てられない、もして反対したら建てられないのである
でも東電に漁業権を売ったのである

既存の漁業者が漁場を有効に利用している場合には優先的な扱いを続ける

漁業権はそもそも東電に売るために与えられていない、とすると県でも自治体でも漁業権を売ることは許可されないはずである
県と自治体のものでありこの趣旨にそって保有できる権利なのである

漁業権を売ることは法律違反だった?

漁業組合でも県でも自治体でもそれを許可したことは法律違反だった?

このことを問題にしている人はほとんどないのも不思議である
なぜこれを言うかというと原発事故事故の被害が大きいからそうなった
誰に責任があるのかとも問われた
その裁判も行われて幹部が有罪にされたからである

そして今また漁業権が自由に外国人にも売買されるというのは何なのだろうか?

それは怖いことではないか?外国人に漁業権が売買されればどうなるのか?
原発でも建て安くなるという、なぜならそれを取得して売れば多額の補償金がもらえるからである
これも怖いことだなと思った,それに対して文句言うこともできない、権利を売り渡すのだからそうなる            

そもそも県とか自治体がなぜ東電に漁業権を売り渡したとき許可したのだろうか?

その辺の事情とか法律も明確化されていないのである

海は誰のものなのか?

土地は誰のものなのか?

これは私的に所有できるものなのだろうか?それは大きな疑問なのである
それは江戸時代にはなかったことであり山でも入会権があり共同所有で管理していたからである
明治になって過度に私的所有が認められて山は無数に分割されて公共的な安全工事も簡単にできなくなった、分割されているからいちいち所有者の許可が必要になったからである
海すら原発事故後に自分の前の海には権利があるとして主張したりした人がいた
避難区域では道も私道として自分のものだと主張して補償金を実際にもらった人がいた
それから猪苗代湖の湖畔の土地も所有者がいてバンガローなどを建てていた
そして自分が自転車で誤った侵入したら怒られたのである
なぜ湖の岸とか海でもプライベートビーチにできるものなのか?
その弊害が明治以降どこでも起きたのである、私的権利を主張してそれを認めすぎたのである

プライベートとは奪うという語源がありまさにそうなったのである、土地でも海でも山でも私的権利を主張されて公共的なものとしてあったのが所有されたものか私的に奪われて分割されたのである
第一海とか土地でも山でも分割できないものとしてある
だから私的所有になじまないのである、それは漁業者が海で生活しているのだから所有する権利があるというのはわかる、しかしそれは東電に売るものとしての権利ではなかったのである
だからどうして県とか自治体とかで許可したのか?
それとももともと漁業権者のもの組合のものだったのだろうか?
この辺の法律的なことがわからない
日本の資産が水でも水道でも民営化して外国企業にも売られるというのも危機であるというのもそうである
こういうことに意外と関心がない、水道も実際は運営するのに金がかかり政府では外国でもまかせてしまおうとしている
水でも公共的要素が大きなものでありそれでこれは日本の危機だとして指摘した本を出した人がいるのも理解できる






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琵琶湖周辺の秋の短歌十首 (近江は地理が琵琶湖中心でわかりやすい)


琵琶湖周辺の秋の短歌十首  

(近江は地理が琵琶湖中心でわかりやすい) 

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高島の家形古墳

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さざなみの志賀の都も一時や消えてはかなき秋のくれかな

天皇も二つに分かれ争いぬくりかえしたる歴史の跡かな

争そいば誰か泣きにし人のあり争いやまぬカルマなりしも

堅田なる浮御堂かな松に寄り鴎群れ飛ぶ秋のくれかも

芦枯れて真野の岸辺や寺古りて誰か眠らむ鴎飛びさる

高島や家型古墳この地にそ根付き離れじ秋のくれかな

多賀大社古りにしものや我がたずぬ近江の秋や神々も古る

多賀大社伊勢より古しももうでしや月の光りて夜もけにけり

塩津にそ一時止まる電車かな枯木の駅に家のともしも

天皇の跡を守ると銀杏散る四足門に閉ざす村かな

閉ざされし村にありしと囲炉裏古り何を語らひ冬籠るかも


近江がいいのは琵琶湖があるためである、琵琶湖を中心にして地理もわかりやすいのである
まず山に囲まれたところは方角がわかりにくいのだ、一番わかりにくかったのはあいづである、ここは山々が重なり方角がわからない、なぜ東山温泉ときそこがなぜ東になっているのかわからないのである
それは京都でもそうである、京都はさらにわかりにくい、大都市だし山に囲まれていてわかりにくいのである、琵琶湖は近江は地理がわかりやすい
観光でも琵琶湖を周遊すればいいとなるからだ

ただ私は菅浦とか長浜方面には行っていない、そこが欠けている
でも近江は何回か行っている、春にも秋にも夏にも行っている
近江はやはり自然が豊かでありその中に遺跡などがあるからいいのである
多賀大社は伊勢より古いのである
そんな所までつくづく行っていたなとふりかえる

最初は30代のころ関西と東北を行き来していたのである
それで桜前線の短歌の連作のように桜を関西で見て京都で見てまた帰りみちのくで桜を見るとか桜前線をたどって見ていた、遂には稚内でも桜が6月に咲いたのを見た
それだけ旅していた結局30代以後は度に費やされたとなる
最初は鉄道の旅であり全国ほとんど隈なくのった、次に40代になり自転車旅行だった
次に50代で海外旅行でありそうなことしているうち60になって終わったとなる
こんなふうにして生きられたのも自分の家庭環境でそうなった
別に旅していてもとがめられることもない、かえってすすめられていたのである
今ならニートなど働かない人が普通にいるが団塊の世代ではまれだったからである

旅をりかえるとインタ−ネットができたことは便利である、必ず写真付きでどこでも紹介しているからである、菅浦に行っていなくても写真で紹介していた
それは晩秋であり四足門に銀杏が散っていたのを見て短歌にした

高島の家形古墳はどっしりとして貫禄がある、そこにも私は行ったがこの古墳は見なかった、何か見るべきものを見ないことが一人旅ではあるのが問題である
ここに訪れたのは私の住んでいる地区に真野の草原(かやはら)の万葉の歌が残っていて真野という地区に前方後円墳かありそこに金銅双魚佩が発掘された
これは一大発見だった、東北ではこうしたものが発見されていないからである
だから万葉の真野の草原(かやはら)という歌との関係がとりざたされたのである
なんらか奈良の大和王権によっていち早くここが拠点となった場所だったのである

なんかNHKの放送で菅浦のことを放送していた、そこに囲炉裏があり冬籠りにはいい場所だと見た、あそこは周りを山に閉ざされていて海に面している秘境なのである
でも天皇が一時住んだとか京都に近いから歴史が古いのである
多賀大社でも伊勢より古いのである    


著作権について

囲炉裏の写真はNHKの白洲が愛した近江とかの番組からとった、これも著作権違反になるのか?
何かインタ−ネット時代の著作権というのはわからない、どうしても引用がリンクとかでも多くなる
写真でもそうなのである、だからいちいち許可とるとなるめんどうだろう
創作的には一部利用していいのかともなる、でも一回だけ著作権で文句を言われたが言われないとそのまま使うことになる別に営利目的ではない、広告も出していないから収入はゼロなのだからかまわないのかその辺がわからないのである



2018年12月26日

日本の地理の基本 (関ケ原を境として東西に分かれる―琵琶湖の地理)


日本の地理の基本

(関ケ原を境として東西に分かれる―琵琶湖の地理)

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関が原で東(あづま)と西に分かれる、これは気候的にもそうである
関ケ原は寒く春でもいつも雪が残っていた、でも関ケ原から近江に出ると春らしくなる
関が原を越えて近江に出ると気候的にも景色も違ってくる
そこは地理的境界線でもあったがまた歴史的境界線でもあった
つまり地理的境界線と歴史的境界線は一致していることがある
ローマ帝国はライン河ではばまれてゲルマン人の世界でありそこは地理的境界線でありまた歴史的境界線となった
そして今でもドイツ人はローマ帝国内に入らないことで文化的後進性があるというとき劣等感をもっているというときそうなのかと思う
ライン河をはさんで明確に気候的にも歴史的にも差が明確なのである

日本でも東はあづまであり明確に関が原が境界線なのである
東は関が原から東であり西と別れる、東はあづまであり歴史的にも違った世界である
日本のはじまりは縄文人が多く住んだ東(あづま)にあった
それが渡来人とかがおしよせて弥生時代がはじまり西が中心になったのである
だから壬申の乱でも

(わが大王の)きこしめす 背面(そともの国)の 真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和射見が原の 行宮かりみやに 天降りいまして 天の下治めたまひ 食おす国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御軍士みいくさを 召したまひて ちはやぶる 人を和やはせと 奉まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任よさしたまへば 大御身に 太刀取り佩はかし 大御手に 弓取り持たし 御軍士みいくさを 率あどもひたまひ 

背面(そともの国)とは後ろの背面の国となるのが東(あづま)である
ただそれは西から見た時そうなったのである
不破山が関ケ原に関がありそこを境として東西が分かれ国も分かれて戦ったとなる
その歴史は家康の関ケ原の戦いへと継続されていたのである
秀吉は西を勢力下にしたが家康は東だったからである
信長は名古屋であり近江に近く京都に近い位置にった、その地の利で天下をとったともなる、地の利が働いたのである、武田信玄には地の利がなかったのである  

ただ吾妻とはまさに我が妻であり東国の人が吾が愛しい妻を置いてきたからその方向が恋しいとして吾妻になったという、ヤマトタケルでもオトタチバナヒメを亡くした場所でそれが恋しとなり吾妻はやとなったとここで指摘している
これは方向感覚から生まれたものではない、人間が生き別れになるとかの人間の関係から生まれたものであり方向感覚からではない
それだけ吾妻という言葉は方向感覚で小野妹子が外国に国を示すのとは違っていて生々しいものだともなる、庶民感覚から生まれた言葉だともなる

ともかく歴史と地理は一体である、地歴である、だから地理が基本としてわからないと歴史もわからない、その地理には気候も関係しているそれぞれの土地に風土がある
今日テレビで天気予報で後に三日で寒気が来て雪がふると報道していた
その地図を見たら雪になる所は越前から関ケ原に伸びていた
なるほどあそこが雪になる、それから鳥取とか島根も雪になる
雪になる地域はあの辺なのである

それで不思議だったのは琵琶湖の湖西にいて関ケ原の方から太陽が昇ったときだった
方向感覚がわからなくなりここが西となっていたのは東から見て西になるからである
その後ろは比良の山である、西となるとき太陽が沈む方向だから淋しい感じになるのだ
ただ山からも日本では太陽が昇るから方向がわかりにくくなるのだ
私の住んでいる所は大平洋から陽が昇り山に沈むからそういう感覚でいると常に旅して山国に入ると違和感がある

地理が明確に境界線として意識するのはむずかしい、江戸時代は関所がありそれで境界線を意識させられたが今は境界線はなくなった
ただ地理的に宮城県と山形県は面白山がありそのトンネルが長くそれをぬけると山寺であり山形県になる、そこは春でも雪が残っているから関ケ原とにている
平坦な地だと境界線は意識しにくいのである
風土とというとき気候も違う、陽が昇る沈む方向もそうだが風も感じることが風土を知ることになる、この風は旅しても感じることができなかった
風はそこに長く住んでいないとわからない、太平洋から春になると東風が吹いてくる
北風と交互に吹いてくる、それで不運だったのは原発が爆発したのは3月11日でありその時東風が吹いて飯館村や福島市まで吹いて放射性物質を運んで汚染されたのである
でも海岸側は北風が吹くから海に放射性物質が流れて放射線量は低かったのである
ここでも風が影響して不運な結果になったのである

ともかく東西の関係は世界地理でも基本にある、東がオリエントになり西はヨ−ロッパになる、陽の沈む方向が西であり昇る方向が東である
西洋文明と東洋文明に分かれるのが基本にある、ただアジアは東なのだがイスラエルも東にありアジアなのである、だからここが混同しやすいのである
「日出ずる処の天子、書を、日没する処の天子にいたす」という小野妹子が遣隋使として言ったというとき隋の天子が怒ったというのも陽の沈む方向はさびれた感じになるからである
ヨ−ロッパでも西でありもともと後進国だった、イスラムの世界が先進国だった
でもやがてヨ−ロッパが先進国となる

明石城春の夕日に染まりつつ難波に暇なく船の行き来す

明石城に岡山県の方に陽が沈んでゆくのも不思議だったがふりかえると西の方向でありそれが鳥取とか島根の方向になり日本海になる、そこも雪がふると警告していた
そして韓国では日本海を東海といういう時、陽が昇る方向だからそうなった
日本だと陽が沈む方向になる、だから日本の大使が韓国の天子に遣隋使と同じように
「日出ずる処の天子、書を、日没する処の天子にいたす」と言ったら失礼になるのである
とにかく地理をしるというときその地理と歴史が一体化している
それで岐阜県があるとすると長野県の隣である、でも長野県は関東寄りだとしている
愛知県と岐阜県は東(あづま)でも西よりになり方言でも関西弁的なものが入ってきているともなるかもしれない。
ただ明確に岐阜県と長野県の境界線がわからないのである、つま明治以降の県単位での地理の把握だけでははわからない、江戸時代からの藩ごとの歴史を知る必要もある
それがベースになっているからである

いづれにしろ琵琶湖の湖西というときそこは何か淋しい感じになっていた、そこは大阪や京都に近いのだが淋しい感じになる、そして琵琶湖でも雪がふる地域は日本海に越前とかに近い方向である、その辺はあまり人も訪ねない秘境ともなっている
ただそこには行ったことがない、ただ家の作りも越前地方と似たものとなり文化が違ってくる、相馬藩と三春藩では家の作りが違っていたという時もそうである
江戸時代は藩ごとに生活していたから文化も違っていたのである

比良の山やまかぜ寒きからさきの鳰(にほ)の水うみ月ぞこほれる 実朝

何かこれは鎌倉時代だったら本当に淋しく月せ凍れるとなっていた
今はそれほどにはならない、繁華な水商売の地域もありそういう時代とは違っていても
何か湖西は淋しい感じになるのである
現代の感覚では淋しいという感覚が消失する、どこも騒がしいとなるからだ
鎌倉時代を想像したらそれこそ淋しい場所などいくらでもあった
ただ近江となると京都に近いのだからやはりそこが東北などとは違っていたのである

天皇(すめらぎ)の跡を守ると鳰(にほ)の湖(うみ)波し静かに冬の日暮れぬ

琵琶湖が鳰(にほ)の湖(うみ)とするとき感じが違ってくるのも不思議である
鳰(にほ)とはカイツブリであり渡り鳥だから冬の季語になるのか?
菅浦はそういう隠れ里ととしてある場所にふさわしいとなる
ただここには行っていないから想像だけになるからそういう俳句でも短歌でもいいものにはならないのである
ただここは湖西ではない、陽は湖面に反射して比良の山の方に沈むのである
それが何とも言えぬ美をかもしだす場だとなるとイメージするのである

2018年12月25日

生協はやめたースーパーでほとんど売っているものだった (鹿島区には弁当屋がないので困る)


 生協はやめたースーパーでほとんど売っているものだった

 (鹿島区には弁当屋がないので困る)

生協は配達される度に200円プラスになる、そしてたいかいスーパーで売っていた
ニラの餃子のようなものを売っていたしナンもカレー付きで売っていた
スーパーを良く見ていないからわからなかった、そういうことが本当に多いのだ
どこに何があるから種類が多すぎてわからないのである
いがい生協で配達されるものはスーパーで売っていたのである
ただ時々郷土料理とか売っていないものは出していた
菓子類はスーパーとかに売ってないものが多かった
それは贅沢品だったのである、自分は菓子は食べない、その代わり果物を食べているからだ、糖分をとりすぎるから菓子は買わない
すると買うものを選ぶのが苦労になる、何も買わないと悪いような気もするからだ
でも配達料は200円は来るたびにとられている

それよりオカズになるように写真に出していたのは料理したものでありその素材だけ売っている、すると料理が手間になるのである
そこがパンフレットの写真を見て違っていたのである
試しにやってみてはということでやってみた
とにかく料理には一番困っている、簡単なことでも自分には簡単ではない
いろいろ料理はそろえるものが多くてめんどうなのである
料理に凝ったら他のことはできなくなる

結局生協では弁当を一週間に一回配達するがそれが良かったのかと思う
それはそのまま料理しないで食べることができるからだ
それは一週間ごとに違っているからだ
400円くらいだから安いご飯の量が少ないから足す必要がある
でも一応オカズは変わるからスーパーで売っていないものだからいいとふりかえり思ったでも一週間に一回ではたりないしそれだけにつづけるのも金がかかる

ただそれで弁当の配達をしているのをインタ−ネットで見たことがあり聞いてみたがそれをしているのは相馬市までだった、南相馬市には弁当の配達を定期的にしている所はなかったのである
それから今になって気づいた、鹿島区には弁当屋がないのである
前はあつみ屋があった、そこでは震災以後仮設で食堂を出していて何か野菜とかけんちん汁のようなものを出していた、だからいいいと思っていたがそれも三年前とかにやめた
ラーメンが主なはる食堂もやめて小高に移った、そこではご飯ものを出していた
カレーがうまかった

テレビで外食産業がつぶれているという、それでカレーでも毎日変わったものを出している所がはやっているというのもわかる
外食は飽きるのである、同じものだから飽きるのである
それでぜいたくになっているからつづかないとなる
でも毎日変わったものを出すということは作る方が苦労になる
それも大変だなと思う
スーパーの弁当は本当に同じものがほとんどでありこれも飽きるのである

原町辺りだと新しい海鮮どんぶり屋が500円で売っているのができたり何かいろいろ外食するのには便利である
鹿島区は弁当屋すらなくなっていたのである
それは需要がないからどうにもならないのである
相馬市まで宮城県の弁当屋が配達しているのはそこまで需要があるということでしいてる需要がないことには商売も成りたたないのである

ただ一軒残った自転車屋はそれなりに需要がまだあり成り立っている
それも需要がなくなればやめる、商売にならないからやめるとなり不便になる
そうなると町では不便になるがみんな車をもっているから原町で修理してもらうとはなるここは都市部の原町が近いからそっちは便利になるが隣の鹿島区は便利にならない
それは需要がないからである、そして別に車をもっている人は原町まで行けばいいとなるから今は人口の集中する都市の周辺は不便になってくるのである

弁当屋でもあってほしいと思ってもそもそも需要がなければ誰もやらない、損してまではやらないのである、でも何か必要なものがありそれがないと困る人はいる
それは自由競争の時代では考慮されない、需要のあるところに便利なものはできてその周辺部は不便になる、それは車社会であり広域社会だからそうなっているのである
地域でも人が集まる場所と集まらない場所があり差が生まれる
便利な所はより便利になり不便な所はより不便になる広域社会の矛盾があるのだ


タグ:生協 弁当屋

冬深む(マウンテンバイクで近くを走る)


冬深む(マウンテンバイクで近くを走る)

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これは木守柿とは言えない、冬に木守柿とは二三個残っている柿である
この社は橲原の子安神社である

誰が守る社一つに木守柿

でこぼこの悪路を進み冬の草

悪しき道北風唸り押し進む

立目石ここに標しと冬深む

変わらざれ地に契りや冬深む

一羽見ゆ枯木林に四十雀

深野なるユッサに休む冬の暮

餌ねらう隙なき姿ノスリかな


玄関に風の唸りて舞い上がり木の葉の散るや向かいの人死ぬ


今日はマウンテンバイクで橲原(じさばら)から大原から深野(フコウノ)を回り帰ってきた
今度買ったヤマハのYPJ=XRで行動範囲が広がった、悪路でも行けるし舗装道路でもすいすい行ける、マウンテンバイクだから悪路に強い、悪路を走るとまた見えないものが見えたりする、橲原の田んぼの真ん中に立ったらあそこは森だったということがはっきりわかるただ今田んぼは荒地になっている

立目石は目印の石となる、何かこうして変わらないものに惹かれるようになった
動かいなということ変わらないということが価値がある
それはあまりにも一身上でも周りでも変わりすぎたからである
この石は変わらずにここにあるなというだけで何か安心するとなる

認知症の人は変わることに弱い、どこがどうだかも地理的にもわからなくなる
人でも今まで長くいた人は認識できる、わかるがずっと会っていないと自分の子供ですらわからなくなるのである
それは人間は去る者は日々に疎しになってしまうからである

向かいの知っている人も突然死んだ、それも驚きだった
玄関に風がうなり木の葉が舞い上がり散る、まさにそんな感じてまた一つの命が消えたのである

契る(ちぎる)というとき人と人ではなくその土地と契るということがある
人間は土地があって自然があって人間だということもある
人間の存在は自然とかその土地とかから離れてあたえないのである
そうでなければ人間の存在のアイディンティティは喪失してしまうのである


2018年12月23日

グローバル広域市場経済だけでは成り立たない社会 (一軒だけの自転車屋に無料で中古の自転車を提供する訳)


 グローバル広域市場経済だけでは成り立たない社会

 (一軒だけの自転車屋に無料で中古の自転車を提供する訳)


 グローバル広域の経済の矛盾は意外と身近にあったことに気づいた
そもそもブロッコリー畑が近くにあった、ではそのブロッコリーを必ずしも地元で買って食べているとは限らない、なぜなら外国産のものメキシコ産のものでも入ってくる
アスパラガスなどでもそうである
すると価格が安い方を買ったりしている、地元だからそれを買わねばならないと強制はされないからなんでもそうなる、この辺は米は放射性物質の汚染で飼料米になったから食べる米とはなっていない
でも今までも地元産の米をみんな食べているわけではないのである
外国産は食べないにしても全国の米が入ってきていいものを各自自由に選んで食べている日本全国が市場化しているからである、そこじ自由競争している

でも私の町には地区には自転車屋一軒しかない、それもなくなると自転車屋が一軒もなくなる
その自転車屋についていろいろクレームをつける人がいる
それでわざわざ隣の街まで行って自転車を修理したりしている人がいる
確かにそういう面があるにしてもも一軒だけになった自転車屋がなくなると困るなと思う奇妙なのはそこで駅前の活性化とか話していた、それは自転車屋が駅前にあるからそうなった
駅前の活性化というけど一軒の自転車屋がなくなったちさらにさびれる
現実駅前に空き家があり廃墟化していたりとさびれている
どうしても駅中心の街作りにはならなくなったからである

それでその自転車屋には中古になった自転車を無料でくれた、それは結構いい値段で売れた、まるもうけとなっていたからだ
今回もヤマハの電動自転車のロードを使いなかったので処分しようとした
それは25万とかしていいものであるが原町にもっていったら4万もしない
安いなとなり売るの躊躇している、そしてもう一台12万で買った電動自転車がある
これは普通に今でも使えるいいものである
それも売ったら一万もしないかもしれない、そうなるとそんな値段で売っても自分の住んでいる町に自転車屋があった方がいいとなる
なくなったら不便になり自分が困るからである

そういうことは他でも普通にこれだけ広域社会になればある
仙台から来たのがユニットバスを100万で作ってもらったのは本当に安かったのだ
工事するだけで相当な手間だったからである
それでガス屋に聞いたら200万かかるという、これを地元の知り合いの人に頼んだら軽く300万以上になる、そもそもそれできる人ではなかったからだ
現実にその知り合いの人を通じて修理を頼んだらその大工さんは修理できていなかったからである
でも仙台の人に仕事を頼んだら地元で仕事している人は困るとなるのである
ただこの辺で何百軒も家を建った感じだがその仕事をしたのは外部の人がほとんである
大きな会社の人たちが請け負って建てたのである
それだけの大量の家を建てることなど人もいないからできなかったのである

ただ地元を活性化するというときそうした広域経済の市場化がすべていいとはならない
常磐高速とかができて仙台からも仕事に来るようになった仙台ではまた復興工事の仕事はなくなったからそうなったのである
そういうふうに広域化市場化経済グロ−バル経済ですべて従うということが地域にとってさらに地域の地域にとっていいものかとなるとそうはならない
南相馬市では人口が多い原町は前から良かったが補償金でも恵まれたが鹿島区は少なくて不満だった
それで自転車屋が一軒だけになりそれがなくなるとさらに駅前でもここに住むことが不便になると思った

そんなこと今はただ物は高く売ればいいし安く買えればいいとかなって考えない
でも奇妙だが自転車の人と駅前の活性化のことを話し合ったりしていたのが自分でもあったとに気づいた
そもそもそうなるとその自転車屋を維持するにはもうけてもらった方がいいとなる
一つの電動自転車は売っても一万にならないからだ
でもそれを買う人がいる、するとまるもうけになるからだ
その自転車屋は無料でしか引き受けない、そんなに余裕がないとも見ているからだ
だからすべて市場原理だけではこの社会は公正なようでそうではないと思った
通信販売でもそうである、イオンとかでもそうである
その収入は必ずしも地元に分配されない、中央の会社に東京に吸い上げられることが多いのである、そして地方は疲弊して衰退している、シャッター通りになったのである

ただそうはいってもまたそうした広域市場経済をすべて否定するわけにはいかない
地域には地方にはどうしても売っていないものがある
通販でしか買えないものがある、本などは全くそうなった、田舎にいても本ならボタン一つで古本でもなんでも手に入るから便利なのである
そこで知識が広げることができる、これだけは便利だと思った
古本などは東京の古本屋街までいかないと買えないものがいちらでもあったからである

ただすべてが市場化原理に従うことはできないのである
確かに地域で市を開いているがそこでは競争が働かないからスーパーよな相当に高くなるものがある、ただトマトが一個500円とかで売っていたと聞いた
それは特別のトマトであり買う人は買っているとなる、でも普通はそんな高いものは買わないのである
要するに地域だけになると物でも高くなるしいいものが提供されるとは限らないのであるそこに競争原理が働かないからである
でもその地域で地域の地域で暮らすということは市場原理だけでは成り立たないことがある、それがかえってその場所に暮らすには不便にしてしまうのである
だから今度も金にはならないが一軒だけの自転車屋に無料で中古品を提供することに決めたのである

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損しているようで得しているともなる、住んでいる町が不便になったら自分自身が困るからである
もしかしたらこういうことが血の通った経済になるのかもしれない
グロ−バル経済で株で投資しても何かそれが血の通ったものとはならない
金がどういうふうに活きるのかわからないからである
ただもうけたら使い方で血の通ったものとなることは言える


Venice's coat of arms


Venice's coat of arms


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2018年12月22日

グローバル社会広域社会の弊害 (地方の衰退の大きな原因になっている―津波や原発事故の原因にも)


 グローバル社会広域社会の弊害

 (地方の衰退の大きな原因になっている―津波や原発事故の原因にも)


 グロ−バル社会になるとそれが地方とか田舎とは関係ないとかみているが実際は地方の方が影響が大きすぎたのである
まずモノが自由に世界から入ってきてどうなったのか?
地方はそれで衰退した、なぜなら木材を例にすれば外材でまかなうようになったとき日本は森林が多いがただ無用のものとなりそれで山で暮らす人の仕事も収入もなくなった
木材は大きな資源であり家を建てるにも木材でありエネルギーも炭だから木材なしではありえない社会だった
それが実は戦争の原因になっていたのだ、入会権の争いが木材を争うことが戦国時代にまでなったという説がある
この辺では飯館村でも木材をめぐる争いがあり丸森は木材資源が豊富だから米沢藩と伊達藩と相馬藩の三つ巴の争いがあったことは有名である
それだけ木材は今の石油のように重要な資源だったからそうなった
でもグロ−バル社会になると木材は外材になりエネルギーは石油になるとなれば地元の資源は活かせないのである
その影響はあまりにも大きかったのである

食料にしてもそうである、あらゆるものが外国から国内からもいくらで入ってくる
そうすると地元でとれるものに関心もなくなる
食料は地元からとれるのではない、米だっていくらでも全国でとれる
するとスーパーに行けば別に地元のものを食べない、うまい米を買ってしまうのである
そこで起きることは何なのか?
地元でも地方でも田舎でも意外と農業とか第一次産業に無関心になる
もし外部から食料でも何でも入ってこないとなると地元のものでまかなうとなると例え農業にたずさわらない、農民でなくても関心をもつ、なぜなら日々の食料が自分の住んでいる所で供給されなかったから死んでしまうからである
戦前まではそうした自給自足的生活が基本にあった
だからこそ自然の恵みに感謝していたのである
そういう祭りさえ消失したのは別に地元で食料が得られなくても外国からでも全国からいくらでも食料は入ってくるというなかで実際に日々生活しているからである

ではそこで起きたことは何なのか?
東京とかでは地方とか田舎は非効率的であり無駄だとかになる、地方交付税は東京に住んでいる人が払っている、そんな地方や田舎はいらない、特に限界集落などはインフラに金がかかるだけであり潰すべきであるとなる
食料は外国からいくらでたも入ってくるとなっているからそうなる
現実に日本では一番食料の自給率が世界で低いのである
日本で大事なのはトヨタのような車を世界に売ることでありそうして外貨を稼げばいくらでも世界から食料でも買えるとなっている
だから地方とか田舎は経済的に無駄だとなってしまうのである

そしてそうなると何が大事なのか?
金だとなる、金があれば外部からいくらでも世界から物も買えるとなるからだ
つまり外部に頼る時金が重要なものとなってくる
江戸時代辺りだとまだ地元で生産されるもので暮らしているから金はそれほど大事にはならない、土地をもって食料を生産していれば食べてはいけるとはなるからだ
グロ−バル経済になると金が異常なほど重要になる、外部から世界から入ってくるものを得るのには金になるからだ
その金を産みだすのはなにかとなると日本では工業製品とか車とかなりそれが国家を支えるものだとなる、江戸時代は米経済だから米が一番重要なものだった
米を中心に経済が回っていたがグロ−バル経済では世界に売れる物を作ることが食料でも得ることになる

何かこういうことはグロ−バル経済は意識しないがその中にどんな辺鄙な地域でもその中に組み込まれて生活しているのである
そしてグロ−バル経済の影響をもっとも受けたのは地方であり田舎だったのである
地方とか田舎の価値が極端に低下したのである
その弊害は原発事故にも現れたのである
なぜなら漁業組合がなぜ東電に漁業権を売り渡したのか?
それは漁業でも農業でも林業でもグロ−バル化で衰退して跡継ぎもいないと金にならないということで衰退した
すると原発で金になるのがいい、補償金でももらえるのがいいとなったのである
現実に漁業組合とか船主では原発事故前も豊富な補償金をもらい原発御殿が建っていたとかうらやましがられていたし事故後も立派な邸宅を建てていたのである
つまり補償金でこれからも困ることがないからである

ここに象徴されているようにグロ−バル経済では金が異常なほど重要になる
そのためには原発のリスクなど考えなくなっていたし地方に暮らす人でも漁業とか農業とか林業とか第一次産業を軽んじる、第一それに従事する人は一割にもみたないからであるするとどうなるのか?地方でも田舎でも自然との関係でも希薄化する
それで一匹の魚を軽んじた結果として津波をが起きたということが伝説に残っている
その土地の実りとか自然に感謝しないのである
むしろ原発とか今なら今度はソーラーパネルとかそうした科学技術こそ富をもたらすものだとなってしまう、自然ではない科学技術こそ恵みをもたらすとなると神の如くなるのが科学技術者である、その人たちは実際に現代の神官になっている
神様のごとくなっている、今一番尊敬されているのが医者であることでもわかる
でも科学技術者でも一挙に原発事故でその権威を地位を失ったのである

私は何か景観というのも異常に気にしている、ただ田舎でも景観からしか見ていない
そこで食料をとれるとか見ていなかった、だから自分自身も実は田舎の農業とか林業とか漁業でも無関心だったのである、そういう景観を作っていたのは実際に米を作るとか野菜を作るとか魚をとるとかの暮らしがあて景観もあったのである
だから極端なのは八沢浦が津波で入り江なにったときそこで死んだ人がいるのにその景観を見て喜んでいたのでしかられたというのも当然だったのである
つまり自分自身が本当に八沢浦で米を作っていたのにそこに価値を置いていなかったのである
だからあそこが入り江だったらどれほど美しかったろうといつもイメージしていたのである
それが現実になった時ほど驚いたことはないから奇跡だと見た
そこで実際に米を作っていることなど無関心だった、米などいくらでもどこでもとれるし入ってくるという感覚になっているし地元の米を食べる訳ではないからである
もし地元でとれる米でしか生活できないとなれば違っていたのである
それは自分自身の生死にもかかわってくるからである
自分にとっては地元でとれる米より景観の方を大事にして見ていたのである
だからソーラーパネルなどは景観を壊すから嫌だと見ているのである

いづれにしろ田舎に地方に住んでいても意外とその土地のことについて無関心になっているのが現実なのである
まずいくらでも食料が世界からでも入ってくるとなると地元で苦労してとれたものに感謝もしない、それを作る農民でも軽んじることになる
日本全国で見ても一番大事なのは車でも外国に売れることになり外貨を稼ぎ食料を外国から買うということになるからだ、ただそれは今までは電機製品が外国に売れていたときはできる、外国に売るものがなくなってくると日本は苦しくなり現実になっているのであるそして日本は貧困化している、でもこういうグロ−バル化社会というのは本来の生活からすればありえない異常なことでもあった
だからこそ津波とか原発事故でも起きた原因にもなっていた
それはあまりにれ科学技術とかグロ−バル化経済に傾きすぎた結果だったのである

何か変なんだけど

津波跡ブロッコリー畑や冬の暮

今日を見ゆ田舎に冬菜暮らしかな

こんな俳句を作るとき、津波の跡にもブロッコリーを作っている、自分も毎日食べているここで作っていたのかとなるのが一応田舎である
でもまたこのブロッコリーでも外国産のものを安いから買っていいるときがある
それがまた現代なのである、、メキシコ産のとかあるからだ
そんなに遠くから入ってくるのでも今は不思議で何でもない、普通である
でもそれだけ地元とというのも直接的につながらないものとなる
地元のことを軽んじることになる、盛んに絆のことを言われたがその絆も外部との絆が意識されたが内部では補償金で金でももめて争い絆がなくなったことでも同じである
内部での絆はかえって金で分断されたのもグロ−バル広域社会が影響していたのである
いい面もあるが外部からの協力を得られることもあったが内部ではそうした絆すらなくなっていたのである、それはそういう日常グロ−バル広域社会に生きていたからそれがそういう結果を必然的に産んだとなっていたのである


2018年12月21日

撮り鉄、乗り鉄、描き鉄・・・・ 〈思い出の駅の物語)


撮り鉄、乗り鉄、描き鉄・・・・

〈思い出の駅の物語)

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NHKのおはよう福島で放送していたのは描き鉄であった
駅の絵を鉛筆で描いていた、女川駅とか新地駅は津波で流されたが新しくなる前の駅を描いていた
鹿島駅でもよく撮り鉄がくる、そこでなんで行き先の案内板を写真に撮ってゆくのか?
これを東京からわざわざ撮りにきた人が今日いた
若い人である、前にもこの案内板は撮りに来た人がいた
そして駅舎とこの鹿島駅という表示を取ってゆく
これはと撮り鉄では人気なのである
相当に古いものだかららしい。

それでNHKのおはよう福島で描き鉄の鉄道の駅とかの展覧会を地下道でしていた
駅には確かにいろいろな思い入れがある人がいる

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だからこれはわかる、私自身は撮り鉄ではない、乗り鉄である、乗るのを楽しむ
それで日本の路線は私鉄をのぞいてほとんど乗ったのである
鉄道は絵になる、風景になる、自然とマッチするのが自転車と同じように魅力があるのである、それより鉄道は歴史が古いから何か駅でもそこには人間の情がしみこんでいるのである

それぞれの物語があるというとき駅で良くあうのは東京から実家に帰省する人である

「もう私の父親は92歳ですよ、もういつ死ぬかわかりません、私は高校出て東京に憧れて出たんです」
「自分も東京に憧れて出た口です、ただ大学で遊んだだけだから集団就職とはあまりにも違ったものでした、中卒の集団就職の人たちは苦労しましたから・・・・」

この女性の世代は高校出た人である、だから60代になるのだろう
団塊の世代は中卒が三分の一いたのである
高卒までこの土地にいた人ととは良くあう、集団就職で中卒で東京に行ったという人とは意外と会っていないのである
その時は東京に憧れるというとき女性でもそうであり東京は特別な憧れの都会だったのである、だから田舎を脱出して東京に行きたいというという人が多かったのである

田舎なる駅舎の寒し一時を話して別る東京にさる女(ひと)

良く駅ではぽつんと待っている人がいる、駅は誰いなくて淋しいわとか地元の女性が一人待っていた、そうやはり感じていたのである
駅は出会いと別れの場所でありそれは歴史が明治から始まっているから古いのである
だから何か人間の情が駅にはしみこんでいるのだ

そして不思議に駅で別れてあの人は東京に去った、その去る余韻があり東京でどういう暮らしをしているのかなとも想像する、去ってもその人のことを思うのである
別にその女性にはじめてあった人であってもそうなのである

カルマは公正に配分される (原発事故も同じだった)




自分がいろいろと苦しみ意識したのは意識させられたのはカルマでるある
そもそもカルマといっても苦しみがないと意識されないのである
カルマは苦しみとなったとき意識される
それが原発事故と関係があるのか?
やっぱりここにあった
何かカルマが公正に配分されたことである

双葉と大熊とか原発で一番恩恵を得た地域は一番被害があった、住めなくなった
その隣の浪江町も悲惨であり人が帰らないし崩壊した感じになる
その隣の小高は浪江よりましでもやはり帰ったのはほとんど老人であり被害が大きかったつまり原発があった場所から距離に比例して被害の大小があった

そして小高は東北電力で原発を建てる工事をはじめようとしていたとき事故が起きた
それを知っている人は意外に少なかった、私自身も知らなかった
小高に原発できたら原町でも相馬市でも30キロ以内になるから危機感をもってもいいはずだが知らない人が多かったのである
その危機感を伝えるものもマスコミでもいなかったのである
ただ原発を作るかどうかは小高町だったら小高町だけで決められるという恐ろしさを自覚した      

例えば極端になると双葉と大熊の土地の所有者が東電にその土地を売りあとは漁業組合から漁業権を買えばできたのである
現実にそうなっていた、そして県の許可が得れば作れたというからあまりにも誰も原発に恐怖感もなにももっていなかったのである
小高の腕のいい大工さんでも小高は景気が良くなるよ、原発が建つからなと喜んでいたのである、その人も全く利益のことしか考えていない、これはみんなこの辺の人はそうだったのである

そして県庁のある福島市など30キロからはずっとはずれているから関係ないと思っていた自分も30キロからはずれているから遠いから関係ないと思っていたのである
でも福島市はこの辺より放射線量が高かったのである、郡山市とか白河市まで影響したのである、これもカルマだったなとつくづく思う
県庁で知事が勝手に双葉大熊の土地所有者から土地を買い原発の許可を与えたということである、その責任は重く結果的にカルマがそこにも重く配分されたのである
そして補償金はもらえないから余計にそうだったとなる
ただ飯館村は例外でありとばっちりを受けた
事故とか事件があると必ず関係ない人でもとばっちりを受けるからだ
だからカルマは一人の人間だけにとどまらない、周りにとばっちりがゆく、それで回りも苦しむのである
ただその分補償金は高くもらえたからそれでかえって喜んでいる人たちもいた
被害がカルマの苦しみがあったが今回は30キロ内は補償金もらえたということでカルマが軽くされた
でも南相馬市などは30キロで区切られてその心は分断されて復興しにくくなったのである

カルマは家族でも必ず配分される、一人にとどまらない、誰かが借金で苦しむ、病気で苦しむ、何かで苦しむと家族全員が苦しむ、一人にとどまらないのである
親戚でもそのカルマが回ってくるから怖いのである
それは苦しみとなって現れないと意識されないのである
でも原発事故でカルマは公正に配分されたともみる
ただ今回は補償金がありそれでそまカルマは軽くされたことは確かである
でもこれから原発のリスクがこれだけ大きいことを知った、それを知っていて原発を誘致するとなくとそれだけの覚悟が必要になる、補償金はもうこんなには払えないとなる
それであまりにも原発の安全にコストがかかりすぎると外国への輸出は日本では中止したのである

ともかく家族の介護で苦しんだ自分のことを書いた、これも自分一人が良くされたから
カルマが自分一人にのしかかり自分一人が四苦八苦して援助されることもなかった
それもまたカルマだった、双葉大熊はそれだけのカルマを作っていたからまたそこはもう住めなくなったともなる
カルマは公正に配分されるともなった、だから何らか苦しみとなった時人はカルマを自覚する、でも苦しみがないと自覚しないのである
でもいつか必ずカルマは現れる、なぜこんなに苦しむのだろうという時やはりその人のカルマが現れたためである、それは必ずいつか現れる、おそらく人類の罪もいづれカルマとなって現れというとき滅びるというときもそうなのだろう
カルマが積もり積もって最後に滅びるほかなくなるということである

posted by 老鶯 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年12月20日

2018年まで自分自身に起きたことをふりかえる? (2019年以降は経済の悪化で日本が乱れるー でも自分にとってはいい年になる?)


2018年まで自分自身に起きたことをふりかえる?

(2019年以降は経済の悪化で日本が乱れるー
でも自分にとってはいい年になる?)


そもそも自分自身に起きたことそして回りで起きたことは何なのだろうとふりかえる

●津波(大自然災害)
●原発事故(大科学技術災害)
●介護(認知症に親二人の介護)
●自らの病気(入院二回に手術一回
●盗難の災難
●借金している人から責めら脅迫される
●投資信託の失敗(地銀の勧誘のため)

このことをプログで10年間書き続けてきた、なせこんなことが自分に起きたのかとか本当に思う、それは自分だけではない、周りでも起きたことである
ただそれに自分の一身上の問題があり悪いことが二重に三重にも重なったのである
本当に自分の病気は辛かった、身体障害者のようになり一人だから助ける者もいない
金銭的には余裕があったがその金をねらってきただけである
親戚でも別に親戚とも言えないから事業に失敗した人だから自分の家ががたがたになったとき金を得るために脅迫してきたのである
借金した人の怖いのはモラルを失うということである
自分自身のことで精一杯であり相手のことなど考えられないのである

自分に起きたこことはまさに津波の惨状とにていた、そういう信じられない地獄が現実化した、それは津波の結果ではない、人間がすでに金、金、金でモラルを失っていた
みんな金を求めるだけで野獣と化していたのである
それで相手が弱者になると金や財産を奪うことしか考えない
それが自分の病気のときに介護の時に家ががたがたになったとき財産を奪うと金を要求する好機となる、それはまさに弱った動物が最初に餌食になるのとにていたのである
弱肉強食の世界を身をもって体験したのである

そして小高の人たち仮設に大勢入ったけどもそれも異様なことだった
その人たちは突然おしかけたけどそして外部からかわいそうだとして毎日のようにボランティアが炊き出しとかいろいろ援助しにきた
しかし自分も塗炭の苦しみにあったが誰も同情しない、ただその弱ったことをいいことに責められるだけだったのである
そしてその原発避難者は何をしていたかというと毎日パチンコでありギャンブルに興じていたのである
家に来た親戚の人は借金してパチンコ屋で働いていたのも異常である
自分は苦しんでいてもそっちの方でで金を得るために奴隷のように働いていたのである

何かこれはなんなのだったと思う、まさにこれは自分だけではないもう末世が来た、世の終わりが来たのかとも本当に思った
ただ南相馬市は補償金で分断された、小高の人たちはこんなことういうと怒る
俺たちはかわいそうなのだ、なぜ鹿島の人は金のことばかり言うのかとなる
それは当然であり鹿島の人は情もなにもないのか?
そうして南相馬市は心が一致しないから復興もしにくいとなったのである
それは原町区ともうまくいかないとなったのである
それも元を正せば金の問題だったとなる
ただこれは自分のカルマだった、何か自分が楽しすぎた結果としてこんな悲惨なことになったのである、だから周りの責任ではなく自分自身のカルマだったのである
カルマはいづれ必ず苦しみとなって現れるのである
だから他者を自分は恨まない、それぞれのカルマが苦しみとなって現れるのである

2019年がどうなるのか?それは明るい面は見えてこない、すでに物価があがっている消費税もあがる、すると年金暮らしの老人は苦しくなる、老後破産とか下流老人が問題になったけどそれはますます深刻化してゆく
なぜ知っている人が青森の施設に移されるのかとなれば青森では女性の職がない介護関係で職にありつくためだという、前から青森は出稼ぎの県だったからである
今度は人手不足がどこでも深刻化している、この影響も大きい
この辺では施設で空き部屋が多いというしかし働く人がいないのである
介護士が不足している、それは福島県全体でそうなのである
建物があってもそこで働く人が確保できないのである

日本はこれから経済的に窮迫化してゆく、それが余裕ある人には関係ないように見えても関係してくくる、それは自分自身が証明している
金のない窮迫した人間は襲ってくるということである、だから金持ちは日本に住めなくなる、海外の余裕ある金持ち住むのにいい場所に移住した方がいいとまでなる
自分は金持ちでもない、その暮らしは普通であり贅沢などしていない
もともと自分は旅行しても贅沢な旅など一度もしたことがないのである
海外旅行でも50歳でバックパッカーだったからである

いづれにしろ2019年以降は経済が悪化する、株も下がる、アベノミックスなど見せかけであり日本の経済は悪化している、それがさらに高齢化とか団塊の世代の2025年問題、75歳以上になると病気と介護が増えてくるからそれが全国民の負担になってくる
つまり福祉や医療費が膨大になってくるのだ
なぜ知っている人は仙台に行きまた東京の病院にいて1週間もいて金がまたなくなった要求される、その人は薬も飲んでいる、そんなに金を使っていたらどうなるのか?
それを自分に要求されてももう払えないのである
医療費、福祉の費用はもう国でも負担しきれなくなるのだ

するともう介護は在宅でやれとか税金ではやれないから家族でなんとかしろとなり今や家族全員で何か地域でもみんなで共同してやれとかなる
まず医者にかかると病院と施設は設備から人件費から金をかけすぎているからだ
もうそんなこと成り立たなくなる
愛が慈悲がというだそれは余裕があるときそういえるのである
そしてそれに甘えすぎるのである、ただ俺は苦しいんだから弱者なのだから保護すべきしかない、弱者は要求するだけでありそれに答えないとお前には情がないのか冷たいとされる、そういう社会も問題なのである

平均寿命でも余命から計算すると90歳が平均になるという、つまり60歳生きたら90歳まで生きるとなる、それだけ年金はもう払えない、だから年金も減らされる
実質的に物価が上がり消費税もあがるからかなり目減りするのである
するとぎりぎりで生活する老人が増えてくる、もう手厚い福祉はできない
生活保護でも減らされる、家族で助け合いとなる、また地域とか老人同士で助け合いとかなる、自分はそうさせられている、なぜなら家族もなく一人だから援助しなければならない人が必要だとなりそうなった

2019年以後は明るいものが見えない、オリンピックも一時的なものでありかえってその後は日本は衰退の一途をたどるとされている、それよりオリッピックなどするべきなではなかった、オリッピックをしたかっのは電通とかそれで利益をえる人たちだけだともいうのもわかる、オリッピックには今はなんの意義も見いだせないからである
そのオリッピックでもうけるのは電通だとかマスコミだとかそれで利権にあづえる人ただけだともされる、第一国民の総意でオリッピックは招致されたのではない
高度成長で日本がオリッピック開いた時とはあまりにも時代が違っているからだ

ともかく悪いことしか見えてこないが奇妙だが自分にはとってはいい方向に向かっている介護でも終わり余裕ができた病気でも快復したからまた前のように活動できる
それでヤマハの新しいマウンテンバイクは技術的に進歩したものでこれならまた遠くへ行けると思った、これによって行動範囲が広がる
それは自分にとって大きいし大きな喜びをもたらしたのである
それはバイクであり自走する感じになるから前のアシスト自転車とは次元の違うものだったからである
それで自分にとって来年は明るい年になる
だから日本全体とかなると暗いことしかみえないのだが自分にとってはそうはならない

そして自分は亥(いのしし)年でありまた猪突猛進してゆくにふさわしいともなる
つまり自分にとって10年は凶運でりどうにもならない10年間だったのである
それで相当に消耗してしまった、だから旅する気力もなくなっていたのである
でも新しい自転車も買って来年は年であるが最後の活動ができると思った
だから自分にとっては来年は明るい年である
ただ日本全体とか世界を見ると不穏なものがありいいとはならない
それが個人的にも影響してくるから明るいものにならないのである
いくら自分がいいとして回りが借金だらけとか窮迫していると実際に自分が襲われたように安閑とはしていられないからである
そういうことで日本には明るい未来が見えないのである
ただ自分にとっては最後の力をふりしぼって活動する年にはなる

posted by 老鶯 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

冬の森の鳥(詩) (自然と調和する時美しい―自転車も調和する)


冬の森の鳥(詩)

(自然と調和する時美しい―自転車も調和する)

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a bird is peaching out keenly in the cold air

the running byecicle against north winds


鳴きひびく森鎮まりて冬の鳥

寒鳥の鳴くや走りて風唸る

寒き駅帰省の人や分かれけり


ヤマハのypj-xcは優れものである、それがなぜなのか?
バイクに近いということである、前のアシストはバイクにはならない
なにかやはり自転車であり自転車の領域をぬけだしていない
それでなにか30万とか新しいものを出してもづとろこしいという感じになる
今度のドライブユニットがエンジン部分が前のとはかなり違って新しものである
新しい技術になり快適にすすむ、なにか自転車をこぐというより自走している感じになるのだ

それで今日も原町に北風が強く吹いて唸っていたがそれでも馬力がありすいすい進むから行けた、今までだとなかなかこうはすいすい進まない
だからこれはバイクに近い、車体も大きいから何かバイクに乗った感じになる
ただ自分はバイクはにはのれない、ここで俳句とか作るとなるとやはり自然を感じないとできないからである
風を感じたり景色を感じるにはバイクだと早すぎるのである
とても景色を見て走れないのである

車だとまた季節感がなくなる、車の中はいつも心地よい空間であり寒いともは感じなくなる、風を感じないから季節感もなくなる
車を乗っていないから私はわからないにしても何か風をさえぎり季節を感じなくさせるのである

今度の自転車は今までのとは違う、倍速になり軽いし安定感が大きいからある
これなら遠くへも行けると思った、北風を受けても走れる
すると行動範囲が広がる、道が悪い所でも行けるから自分にとってはいい
それで道の悪い所に入り森があった
そこで一羽の鳥が鳴いていて感じるものがあり詩にした



鳴きひびく森鎮まりて冬の鳥


冬の森の鳥

誰もいない
何も聞こえない
・・・・と思ったら
静まる森に
一羽冬の鳥が鳴く
その声が森にしみいるように
ひびきてまた森は静まる
その声は森の奥深くまでひびく
そして森はまた静まってゆく
沈黙の中に音がひびく
そしてまた沈黙する
それは騒音ではない
森と調和した神の奏でる音楽である
ここに雑音を出すな
その災いの口を閉じよ!
その声は森にしみいる
自然と調和したときなべて美しい
それは絵であり音楽となる
神はそこに妙なる楽を奏でる


これは近くの土をとって道が悪い所を上ったら森があり鳥が鳴いていたので作った
俳句や短歌から自分の場合は詩に発展する
自然と調和するときそれは絵であり音楽なのである
人間社会は自然と調和しないからいくら都会でも繁栄したとしても醜い限りになるのだ
東京などがどうして人間の成果となるのだろうか?
いくらそこで経済だけを指標としているだけである
ただそこで技術開発する人がいて今回のように優れた自転車を作ればそれは田舎でも反映される、技術の恩恵に自分でも欲することができたとはなる



本の読み方 (本は長すぎるから抜粋して読むー自分の課題を解決するために読む))


本の読み方

(本は長すぎるから抜粋して読むー自分の課題を解決するために読む))


ブログを例に見ていきたいのですが、引用してきた文章がメインで、自分の文章がほとんどないという場合、もはや「引用」とはいえないと評価されてもやむをえないですよね。ちゃんと自分のコンテンツをより分かり易くするためとか、自分の意見を補足するために「引用」は使いましょうということです

これは著作権のルールだけど別に本を読むときもそうなのである
本を読むということは自分の文脈で読む、自分自身のテーマがあり課題がありそのために本を利用するという時本を読んだことになる
相手の心を読むというときもそうである、私は本をずいぶん買って読んだと思っていたがそうではなかった、確かに赤線とかで大事な所に線を引いているのだが読んでいるのだがそれを忘れていた、ええ、こんな文を読んでいたのとなる
本を読んだということは自分なりに解釈して自分なりのテーマがありそれで自分なりの見解を出すために読むのである

そしたて本の問題は長すぎることである、一冊の本でも厚い、内容があると厚くなる
すると全部を把握することはむずかしくなる
厚い本は読みにくいし全体を理解することがむずかしくなる
若い内はただ自分なりに読んでいるのではない、いくら内容があっても読めないのであるだから読んだと思っていても読んでいなかったのである
今なら本の要旨を読むことができる、これはだいたいこういうことを言っているのだとさーと読んでかる、そして重要な部分を抜粋して引用して自分なりの論を展開できるのである

そして本の問題は長いことなのである、長い本は長い本をはよみこなすことが容易ではない、一冊の本を読みこなすことが時間的にも労力的にも負担になるのである
だから本として書くということは容易ではない、まとめることが容易ではない
なぜこんなに自分自身がインタ−ネットとかプログで書けたかというとその日その日のことを書いているからである
今日の分を書くから書ける、でもこれが本にしようとするとめんどうになるのである
インタ−ネットだともともと長い文は嫌われていた
レスポンスが主な会話形式だからそうなった、そしてもともと中味のあることを会話してはいない、パソコン通信の時は相手に通じているかどうかもわからないからまず通じたかどうか確かめることが優先されたからそうなった

でも次にインタ−ネットだといくらでも書ける時代になった、でも長すぎる文は嫌われるそれで意外と学者が出しているpdfの小論文は役にたつ、自分のテーマを追求するとき役に立つ、それはやはり専門家が書いているからである
そしてプログだとそれなりの長さで書けるから内容の濃いものも出せるのである
それも日々書くということでそれも積もり積もって膨大な量となるのである
でもそれを本にしようとするとめんどうになる
ただ本は内容が濃いものが多いから参考になる、でも自ら本にしようとすると長いからめんどうになるのである

そして自分の不利だったのはそもそも自分の追求している本が手に入らなかったことだった、地理と歴史に興味がある時、海と陸をテーマにした本があった、それをテーマにした本が結構でているから有名なの一冊高いけど今回は買った
例えば世界史でもなぜヨ−ロッパが興隆したのか世界の覇権国になったのか?
こういうテーマをもつ、すると古代ではペルシャがギリシャに負けたのは海での戦いで船での戦いで敗れた、ペルシャ帝国は陸の帝国だった
そしてロシアも陸の帝国であり常に海に出る港を求めていた
それが黒海でありそこでクリミヤが大事となり今でもヨ−ロッパ勢と争っている
シリアでもそこが地中海の港であり海に出るところでそこを手放したくないということでシリアの内戦とかisisとの戦いにもかかわってアメリカとも争うとなる

ヨ−ロッパが覇権国になったのはポルトガルでもスペインでもイギリスでも海に出たからである、フランスとドイツは陸の帝国だった、中国も陸の帝国でありだからこそ東シナ海を制覇して港を軍事基地を建設する
それでアメリカと対決するようになる、海を制覇しないと覇権国にはなれないからであるそれは歴史が語っているのである
こういうテーマをもち興味があるからその方面の本を読もうとする
するとその時本を読んだことになるのである                                        

明確な目的意識がありそうなると本は血肉となる、ただなんとなくだらだら読んでいても読んだとはならなかったのである
そして無駄な本を読みすぎたということもある、熱心に読むべき本を読んでいなかった
本というのはいつの時代でも量が多かったのである

いづれにしろ本を整理するだけで多すぎるからめんどうになる、本はがさばるから困る
二階に書斎があり置いたが家が傾くとまでなっていた
本はそれだけ重いのである、書棚から本が落ちて死んだ人も外国でいたとかある
確かに地震で重い本が落ちてあたったらそうなる
本の問題はがさばり重いことなのである、インタ−ネットのように電子化するといくらでも貯蔵できる
ただ本には本の良さがある、読みやすいとか記憶に残るとかはある
インタ−ネットは調べるのにはいいのである

ともかく本だけではない、自分の物を自分のオリジナルをもたないと本をも読めない
それは絵画でもそうである、鑑賞はできるにしても自分で絵を描けるのと描けないのでは雲泥の差が生まれる、それで自分で抽象画をパソコンのソフトで作った時自分で感動したことでもわかる、全く絵を描けないのに描けたという感動である
これが絵と言えるかどうかはわからないにしてもそうだった
それは音楽でも楽器を一つでも演奏できるのとできないのではまた音楽に親しむことで雲泥の差が生まれる、一時電子楽器で試してみてそれも感動したことでもわかる
全く自分は音痴であり音楽に興味があるとしても聞くだけだったからである

だから本でもこれと同じなのである、ただ何か読む方で積極的に働きかけてそこから自分なりの論を展開してゆくために読むとき活きてくるのである
そうてないと何ら読んだことにならなかったのである


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2018年12月19日

冬椿(津波の後の家の跡の祠) (年末で整理に追われるが整理できない)


冬椿(津波の後の家の跡の祠)

(年末で整理に追われるが整理できない)

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冬椿木立囲みて祠かな

冬の森静まり亡き冬の鳥

大石に冬日さし家の落ち着きぬ

年の暮様々な整理に追わるかな


朝静か庭に一二枚木の葉散る石の黙して下の部屋かな

津波跡祠残りて家の跡木立囲みて冬のめぐりぬ

津波跡住む人なしも椿咲く枯野の中の家の跡かな


枯野に木立が残り祠があり椿が咲いていた
ここに家があったということをなお示している
津波も8年になろうとすると何か残っているものも少なくなる
ここだげは依然として残っている
それもなんとかここに家があったということを示している

大石に冬の日がさすとき家も落ち着くとはなる
庭がいい大きな石がある家はやはり落ち着く
石もいつも見ている石とたまにみる石とは違う
石と人間は一体化してくる

家事でもやることが多い、家事に凝ったらそれだけで時間がとられる、特に料理にこったらそれだけで時間がとられる、それも無駄ではないが料理は時間がかかりすぎる
人間はそんなにいろいろなことに頭がまわらない
料理するとなるとその料理の材料をそろえるだけで大変になる
そうすると他のことができなくなるのだ
今は家事は全部自分一人でしている、すると家事だけで時間がかなりとられる
ただ外食はこの辺ではあきる、決まりきっているからあきる
それでテレビで毎日献立の違うカレーをだしているとか料理が毎日違うものを出す
それなら飽きないので繁盛している、でも出す方になるとさらに手間と苦労になる

本の整理にも苦労している、本は読む気力がないとなっていたが何か参考にするためにかえって前より買っている、そしてまた本がたまって困るとなる
本が古本でも安いから買う、高いのほとんど買わない、でも本というのは読んだのだが読んでいない、本を読みこなせていないのである
本を読むということは対話でありあくまでも自分自身のものをもっていてそれで思想なり創作を深めてゆくものだった
ただ一方的に読んでいても何も身についていなかったのである
だから本を読むということは相当な実力がないと読めない
今は本を評価できる、だから評論に向いていると思った
つまり本が何を語るのか作家が何を語りたいのか要旨をつかめるからである

とにかく物をもちすぎるとこれも困る、整理するものが多すぎる
着るものでもそうだし本でもそうだし道具類でもそうだしいろいろありすぎるとどこに何があるかもわからなくなる
そしてインタ−ネットのホームページも整理できない、プログも整理したいのだができない
意外とここがめんどうだと思った、膨大な量になっているから整理自体が大きな仕事になってしまったのである
でも何かインタ−ネットだと何かでウィルスとか何か突然の故障で消えるということで不安になる
だから本にして整理したいのだがこれもまたさらちにむずかしくなっている
本当に死ぬまで整理が仕事にもなる

いろいなことをしていることでそうなる、そもそも家事を一人でするにもそこから整理なのである
まず買うものが多すぎるからだ、生協に入ったらさらに買うものがふえて整理ができなくなる
それであったものを忘れ腐れせることが良くあるのだ
わかったことは冷蔵庫でも食料でも種類が多いから常に見ている必要があるのだ
それができないから忘れて腐らせたり利用しないままになっていたりする
それは他のことでもいつも目をとめて使っているものは忘れない
でも人間一人でやることには限度があるなと思った

2018年12月18日

中国の覇権は海の征服と通信の世界 (それは七つの海を支配したイギリスでも電信が大きな力となっていた)


中国の覇権は海の征服と通信の世界

(それは七つの海を支配したイギリスでも電信が大きな力となっていた)

イギリス史家ヘッドリクは,電信を「見えざる武器」だといった。あまり歴史の表面には現れな
いが,おそらく電信こそ,イギリスが覇権をにぎることができた最大の武器であった

1857年に初の電信に成功し,19世紀末には,イギリスの電信ネットワークは,オランダ,ドイツ,
オーストリア,サンクトペテルブルクにまで及んだ。さらに1866年には,大西洋を横断する海底通
信ケーブルが敷設された。


どうして世界の覇権を握れるのか?
意外と注目されていないのが電信である、だからこの時代からすでに電信は大きな力はなっていたのだ
世界の歴史をみれば空間を征服するとなると距離を征服するとなると物理的に距離を縮めるほかない、その労力は甚大なものになる
最初は馬とかで距離を縮める、それでアジアの平原の民が馬で距離を縮めることで空間の征服に成功する、それがジンギスカンのモンゴル帝国であった
馬によって空間をせばめ距離を縮める、そういうことは人間は有史以来してきた
空間を征服することは大航海時代で頂点に達した
その時新しい世界史がはじまり新たな次元の世界が生まれた、陸は馬だが海は帆船だった陸は始皇帝の兵馬俑軍団のように騎馬隊なのである
馬によって空間を征服して距離を縮める、それで日本ですら騎馬民族征服説が話題になったのである、モンゴル帝国は騎馬民族の日本の征服を目指したが海にはばまれて失敗した
なぜ通信とかが大事になるのか?それは情報をいかにいち早く伝えるかが戦争でも生死を分けることに勝敗を決することになるからだ

では情報をどうして伝えるのか?
江戸時代をみればわかる、飛脚であり江戸から大阪まで走りつづけてようやく手紙が書類が届くからである、距離を縮めることがいかに生死を分けるか、経済的利益を得るかが決まるからである
それで北前船ではいち早く大阪の情報が伝わっておおもうけしたということがっあった
北前船は物だけではない、情報を伝えていたのである 

sakatakitamae.jpg



情報というのは常に人間生活にとって大事なのもであった

エウクレス(Eukles)なる兵士が完全武装のままマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命したというこれをもとに第1回近代オリンピックでは、アテナイ-マラトン間の走行競技が行われた。

それは飛脚ともにていた
信長は明智光秀に討たれたときも秀吉が奇跡の中国大返しでもそうである

家康が畿内にいる間に何が起こってもおかしくないことを事前に察知していて、もし何かが起これば、その情報をできるだけ早く伝える指令を出していたのではないだろうか

情報を伝えることはそれだけ大事だからそうなったのである
ローマ帝国でもすべての道はローマに通じるというときもそうである
その道とは物資を流通させるだけでない情報を流通させるものでもあった
それで距離を縮めること空間を征服することが大帝国を作ることになる
でもローマから首都から離れると地方では必ず反乱を起こす、地方は遠くなり中央の意志が伝えにくくなり地方を独自に支配しようとする軍人がローマでも現れたし最近見た「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム〜」でもエジプトに派遣されたて軍の司令官が支配者となり独自にその国の王のようになりそれを密告されて中央政権からつぶされたのである
その軍司令官は自分の貨幣まで発行していたのである
こういうことはローマ帝国でもあった
日本でも満州国の軍人が中央の言うことを聞かないで勝手に戦争に突入したとかあり中央から歯止めがきかなくなり中国に深入りして大敗北になったということが言われる

イギリス南西部のサマセットで2010年に発見されたローマ時代の硬貨およそ5万枚の一部。 

その中にはカラウシウスが鋳造させたとみられる800枚近い硬貨も含まれている。カラウシウスは海賊掃討を任されたローマの艦隊司令官だったが、紀元286年に反乱を起こしブリタニア皇帝を僭称した。7年にわたりこの地を支配したが、自軍内の反乱で暗殺された

これはオスマン帝国でもあったからこういうことが起こりやすいということである

中国がなぜ今世界の覇権国となりアメリカと対立するようにくなったのか?
それは陸の帝国から海の帝国へまた電信の世界、今では無線の世界でITを通じて世界の覇権国になることを目論むからアメリカの覇権と対立するようになった
海を制するものは世界を制するということで南シナに港を軍事施設を作りアメリカと対立したことでわかる、海と通信の世界で覇権を握ることで対立する
それは日本とアメリカの戦争も海を支配することで太平洋戦争が起きたこととにている
だからつくづく歴史は繰り返すとなる、イギリスのしたことを中国は今度はするようになったのである 
雌雄を決するのは海と通信の世界だということがやはり世界史でもそうだったとなるからだ


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原発事故が起きた原因 (グローバル経済が深く関係していたー田舎でも農業などに無関心だった)


原発事故が起きた原因

(グローバル経済が深く関係していたー田舎でも農業などに無関心だった)

原発事故がなぜ起きたかというと私自身がしきりに農業が大事とか農業もしていないのに語った
ところが農業でも林業でも漁業でもグローバルの影響が大きかった
江戸時代は完全な自給自足社会である
村という狭い範囲でほとんど自給する生活である
エネルギーは炭であり家建てるにも近くの森の木を利用して屋根は茅葺だから萱を材料としていた、外から遠くからまして外国から運んでくることなどなかった
それはできなかったのである
グロ−バル経済になったのは輸送力が飛行機でもなんでも格段に進歩したからである
文明の発展は輸送力と比例するのである

文明とか大きなこととは関係ないようでも関係している
輸送力がますと地元で生産されるものに無関心になる
もし自給自足の村のような社会が基本としてあれば身近なものに一番関心をもつ
それは生活にじかにひびくからである、食べ物でも身近なものでまにあわせいたら
もしそれがとれないとすると別に農業していなとしても遠くから運ばれないのだから
危機になるしそういうことを学者でなくても肌で感じていたのである

それで最近私自身も気づいた、例えばどこの田舎でも今は農業とか林業とか漁業でも関心が薄いのである、それはなぜなきるか?
食料でも木材でも他の物資でも常に外部から外国からでも入ってくるからである
それでむしろ中東の石油の値段とか常に気にすることになる
他でも外国のことをこれだけ気にする時代はないのである
外国という時何か文化的なものとかではなく直接の生活にかかわことなのである
石油がなかったらもうおしまいだとなるのもそうである
もし炭で生活していたらそうはならないからである
中東で何があろうと関係ないとなっていたのである

それは国内の生活でもそうである、別に地元で米をとれなくても他でとれるからまかなえる、今は外国でも米を生産しているから輸入できるとかなる
そうなるとどうなるのか?地元の農業とか第一次産業に無関心になるのだ
農業している人は別だがその周りの人も関心がないのである
私の場合、農業をいつも生産の観点ではなく自然に調和したものとして景観として見ているきるである、田んぼでも自然のように見ていて俳句とか短歌とかを作っているのであるそれで極端化したのは八沢浦が津波で元の美しい入り江にもどったということを写真で紹介したとき反応があった
地元の人はそこで死んだ人などがいておしかりを受けた、それも当然だったのである

なぜそういうことが起きたのか?
つまり農業をただ景観とか美的なものとかからしか見ていない
そこから食料が米でも調達されるとして見ていなかったのである
なぜなら今でもそうだろう、米などいくらでも入ってくる
それもうまい米がいくらでも外から遠くから入ってくるから必ずしも地元の米を食べる必要もないからだ、現実にそういう人が多いのである
田舎に住んでも農業に関心がないという人が多いのである
農業のことを知らないのである、これが地元でとれたもので生活している時代なら命にかかわるから無関心ではいられないのである

例えば前は栃窪でとれた米は水がきれいだからうまいとか言って知り合いがいて買っていた、でも今はスーパーでいろいろなうまい米があるから買っている
この辺では原発事故以後は飼料米として売っているだけである
これが原発事故と何の関係があるのか?
それは依然としてこの辺で米がとれなくても外から買えばいいとか汚染されても食料でも買えばいいとかなる、でももし自給自足の生活をしていたらこうはならなかった
もし外部から米でも買うことができないから死ぬほかないからである
そういう生活と今のグロ−バル経済の社会とはあまりにも違っていたのである
田舎でもそれは確かにまわりは田んぼでもその田んぼに関心が薄れていたのである

ところが農業は自然と密接に関係していた、その最も関係していたのが水が汚染されたことである、水は別に農業しなくても日々必要なものだから誰でも困ったのである
また一時この辺では放射能汚染で石油でも入らなくなり車が利用できなくなったとか窮地に追い込まれたのもそうである、それが外部に頼る経済だからそうなっていたのである
田舎に住んでいても農業とか林業とか漁業に関心ある人はそれに直接たずさわる人たちはあっても他ない
そして直接たずさわる人たちも農業でも漁業でも林業でもグロ−バル化して広域化経済になりやめたいとかなり後継者がいないとかなり関心がない、重要なものとして見ていないのである、第一次産業にたずさわるのは一割もいなとかなっている
農業でも田舎でもいない、90パーセントは会社員なのである
だから漁業より原発で補償金をもらった方がいいとなっていたのである

そういう時代に原発事故が起きたのである、それは大きな文明とかグロ−バル社会か影響していたのである、その結果として原発事故が起きたともなる
なぜなら地元で生活する物資でもほとんど外部頼り遠くから運ばれるという時当然そうなる、石油がなければ農業すらできない、ハウスで栽培して石油を使っているからである
つまり石油文明であり石油なしでは社会が成り立たないとなればそうなる
その延長として電気も同じなのである、だからこそ原発が大事だとなる
グロ−バル経済と広域社会の矛盾が原発事故にも現れていたのである
そうした文明を見直すことも必要になったのである
ただそれはそういう社会になっていてそれが当たり前になっているとき本当にむずかしいなぜなら炭で生活する時代にはもどれないからである
でもなぜ原発事故が起きたのかということを考えるとあまりにも足元のことに無関心になっていた、させられていたとなる

原発が地元にどういう影響をもたらすか真剣に考えない、もし自給自足の生活をしていたらもし放射能に汚染されたらもうここでは食料も調達できなくなり住めなくなるとなれば真剣に考えたのである、それが田舎に住んでいても無関心になっていたさせられていたのである、原発事故はそういうことを気づかさせた
それは実は農業だけではないグロ−バル経済は様々なことで田舎でも影響しているし全般に影響している、都会だったら過疎地とか田舎など必要ないとなる
別に食料は外国から買えばいいとなるからだ、そういう社会だからそういう考えになる
だから地方は重んじられなくなったのである、最大の価値は車とか工業製品になったのである
それがやがて都会にもはねかえってゆく、原発事故では実際は東京まで放射能で汚染されたし遠くでも栃木県などの方が放射線量が高いということもあったし東京の飲み水も上流のダムが汚染されたからである


posted by 老鶯 at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2018年12月17日

abstract mountain


abstract mountain

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higher and higher mountains

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evening forest

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最高級品のe-bike-ヤマハのYPJ-XC (バイクのように自走する、次元の違った走りだ!)


最高級品のe-bike-ヤマハのYPJ-XC

(バイクのように自走する、次元の違った走りだ!)

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これは38万では高いと思った、ちょうど外国旅行で節約したドルが25万とか残っていたので交換して買った
何しろ外国旅行ではまともな食事をしなかった、ヨ−ロッパではできない
レストランは特別な所だし大衆食堂のような所は地元の人でないと利用できない
日本で安い食事をどこでもできるから楽だろう、水道の水だって飲めるから無料になる

ホテルでもユースホステルとか年配の人も普通に利用している、ヨ−ロッパには安いホテルが多い、その辺は楽であった
そういうことで思った以上金を使わなかった、中国には二回行ったがそこも安かった
でも今なら都市部だと日本と変わりなくなっているという
変われば変わるものである

これを買うことを決断したのはエンジン部分がヨ−ロッパで早い時期からブームになったものであり優れものなのである
それは今までの電気のエンジン部分となるドライブユニットがこれまでのアシストとは違う格段上の性能をもっている

それは乗ってみてはっきりわかった、自転車自体はタイヤが27・5インチで大きいのだが全体に一回り大きいのだが軽く感じるのである
それで電気をオフにしても走れるものである
軽く走ることが今までのとは違う、今までのアシストはまだこのドライブユニットではないから軽く走らないのである、まず軽く走り今までの二倍速になる

これはバイクに近い

何か自走している感じになる、つまりバイクに乗っている感じになる
確かにペダルを踏むのだがその踏むのも軽いから自走している感じになる
これは今までのと次元が違う、本当に自転車というよりバイクなのである
そしてバッテリーもスタンダードでも140キロとか行くしそれでも軽いのである
だから予備のバッテリー必要ないのである、バッテリーを切れても十分に継続して走れるのも強みである
だからこれは本当は長距離に向いていた、残念なのは荷台がない、スタンドすらつけられない、マウンテンバイクだからそうなっている

これに乗ったら体力もなくなり長距離は無理だなと最近感じていたがこれなら長距離も行けると思った
体が意外と疲れないのである、ロードは体を曲げるから疲れるし使いないものだった
それを売ろうとしたら3万にくらいしかならないから何にもならなかった
これは乗っていて楽なのである
なぜなら自走している感じになるからである
だからバイクに乗っている感じになる、20キロは軽くでる、制限されて24キロになるがそれで常時20キロが出ると早い、坂でもすいすい上る

この自転車は機動力がある、人間の身体能力拡張した感じになる
これならまた遠くに行けるなと実感した
今までのロードでも疲れるし長距離は行けないと思っていたからだ
これは意外と軽く走るから疲れないのである

これによって身体能力が回復した

弱ったからだが体力が回復した感じになった、機械によって人間の弱った能力が体力でも回復することは感動的だとなる
つまり老化にはこうした機械でもできると身体能力を補充して増幅できるとういことである
だから老人は消費できないと書いてきたけど使いこなせないと書いてきたけど
老人でもこうしたものは体力を回復さけるものだと知った
そうすれば老人でも消費するのである
そもそもヨ−ロッパではこのe-bikeは体力のない老人用に開発されたのである
これは別に道の悪い悪路を行くものではない、普通の道路でも力を発揮している
もちろん悪路にもタイヤが太いしhighより馬力がでるエクストラでも走れる
だからマウンテンバイクといっても老人に適さないものではない

とにかく新しい技術が開発されるとその影響が大きい
これをヨ−ロッパでも売り出して競争している、できる技術改良したから売りこむことができる
それなりに軽い走りだと思っていても一段上のものができるその走りが重いと感じてしまうのである
今まで出た新品でもそうである、その差はドライブユニットの差だったのである
ここが最新式のものになると全然違った走りになるのである
でもそれをあ装着したのは日本ではこのヤマハだけだと思う
だからこれは高いがそれだけの価値あるものだった


タグ:YPJ-XC

2018年12月16日

吉野の短歌連作十首 (短歌も俳句も写生が基本、実地にその場を踏まないと実感できない)

     
吉野の短歌連作十首

(短歌も俳句も写生が基本、実地にその場を踏まないと実感できない)

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 (吉野の花)

春に来て冬に来たりぬ吉野山あわれ深まる籠る人かな

散りやまぬ花の尽きぬや吉野山一陣の風花さらに散る

山に陽のかがよい今盛り花に染まりぬ吉野山かな

吉野山は花に染まりぬその色やまただずねてそ色を深めぬ

吉野山下りてあわれ枯木かな夕月いでて我が去りにけり

(西行庵)

吉野山何を残さむ落葉踏み山の間に月西行庵かな

西行庵残せるもののなきにしを山の間に月我が見て去りぬ

奥山の紅葉の下に細径や清水の湧きぬ泉に通ふ

清水飲み人の通ふや赤々と紅葉し奥の山の庵かな

(吉野宮)

修験者の吉野の古りぬもの寂びて山々深く秋の峰かな

吉野にそ都のありと秋深む流れとどろき天皇(すめらぎ)ましぬ

天皇を神と崇めぬその昔たぎつ流れや巌のそそりぬ

吉野川流れて遠く我が旅路行方も知らになりゆくならむ

冬深む光巌天皇そのみ跡たずぬ人ありその人も死ぬ

我が町に南朝の裔(すえ)只野なる姓をとどめて祭り司る 


●まず地理を知れ、実地にその場を踏め実感しろ

俳句が写生としたのは子規だった、でも短歌も写生が基本だとしたのもそうである
それはなぜなのか?
例えば一度も実際に見たことがないとかその場に立たないとかなるとどうしてもイメージの世界になる
するとそこに実際とは違うものをイメージするのである
地理のことを常に書いてきたけどそれは地理がわからないと歴史でもなんでも政治のことでも理解できないからである

外国でも一度その場を踏んだものはいくら学者でもその土地を国を知るとなる
だから今は庶民でも若者でも外国に普通に行ったり暮らしているから外国に詳しくなっているのだ、それは時代でそうなっているのである
だから外国をリアルに知っている人が多いのである
本を読んで知っているのではないから外国に行っていない住んでいない学者より知っているともなるのだ                                                  

私の場合は最初は奈良とか京都とか吉野にも回っていた、だから吉野にも二回か三回行っている、ところがそれが30年前とか40年前とかになっている
するとどうなるのか?
プログでばホームページでも書いてきたようにいかに思い出して書くかとなる
でもそれだけ年数がたつと記憶に残らなくなる、思い出せなくなる
それでわからなくなったのは確かに吉野山に行った記憶がある
それも自転車で行った記憶がある、でもどういう経路で自転車で行ったのかわからない
ただ確かに自転車で急な山道を登ったことは確かなのである
その記憶が明確ではなくなったのである

ただふりかえると私は本当に旅をしていたと思う
関西でも一か月くらいふらついて回っていたような気もする
ではなぜ今その旅をふりかえり短歌とか俳句にできるのか?
それはやはり実際にその場を踏んで見ているということである
それで記憶に残りふりかえり短歌を作る
それは全くその場を踏まないでイメージしているのとは違っているのだ
そのことで俳句でも短歌でも写生だというときその場を踏み実写する
イメージの世界で作らないから俳句でも短歌でも訴えるものがでてくる
                                            
●生駒山にも自分は登っていた

記憶が定かでないにしろ一回でもその場を踏んだことの意味はふりかえると大きかったのである

妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ吾《あ》が来る
  〜作者未詳(遣新羅使) 『万葉集』 巻15-3590  
  
  雲ふかきみ山のあらしさえさえて生駒の嶽に霰ふるらし(実朝)
  
 600メートルというと高い山ではないがやはり鎌倉時代とかなると今の世界とはまるで違っている、
家でビルで埋め尽くされるような大阪ではない、広い田野が広がっていたのだ、そこで600メートルでも高い山なのである
 この辺で一番高い山は鹿狼山(がろう)山だが400メートルくらいしかない
それでも阿武隈山脈には高い山がないから目立つ、目印になる
そして登山すると結構高いとなる、上れば太平洋が一望できる
そこで実際に生駒山でも上ってみると実感する
私はケーブルでも一回生駒山に上ったからこの実朝の歌が実感できるのである
霰ふるらしとなっているから実際は実朝生駒山に上っていない、でも生駒山を実際に見ている、ただのイメージで作った短歌ではないのである
                            
●西行庵にも行ったがその場を踏まないと実感できない

西行庵を訪ねたときも不思議だった、
こんなところに人が住めるのか暮らしていけるのか?
どうして食料を調達したのか山の奥で人家もないとしたらそうなる
ただ清水は近くに湧いていたから水は飲めるし使いるが食料をどうしたのかとか
人との交わりがっあたのかとみるとそこは修験者が修行する場であり
そういう人たちがいて交流があり食料も調達できたとなる
ただそこに西行が実際住んだかどうかは疑問であり証拠はないのである
西行が吉野に修験者と交じり修行したことは確かなのである
吉野の周辺では600メートルから1500メートル級の山がある、
1500あれば相当に高いが600メートル級だとそんなに高くはないとなる
ただそれでも鹿狼山りは高いのである
この辺のものたりさは高い山がないから何か気持ちがひきしまらないのである
山が平凡すぎるのである

関西でいいのは自然も歴史と一体化していることである
そこには日本の国造りがはじまったところであり早い時期から歴史の最前線であり舞台となっていたのである、
その歴史はだから古い、そもそも相馬地方だと歴史的人物が明確なのは鎌倉時代以降だからである
関西になるとその前からありそれだけ古さが違っている
そして歴史が刻まれたものとして自然も見るから一層味わい深いものになる
カナダの山よりペルーの山が違っていて美しかったというときカナダにはそうした歴史がないからである、
アメリカにもない、すると自然でも見え方が違ってくるのである
歴史があるところは人間と自然が一体化するのである  

●光巌天皇に注目した死亡した都築詠一氏

それから南北朝の時代では光巌天皇のことが注目された
それは都築詠一氏が光巌天皇に光をあてたことで私自身も注目したのである
でも残念なことにその都築詠一氏も死んだのである
インタ−ネットだけで知る人であり本も出していない、だから知らない人が多い
でも文学に造詣が深かった、評論家だった
極端な右であったが戦争賛美論者でもあったが文学に造詣が深いので感心して毎日プログを読んでいたのである

冬深む光巌天皇そのみ跡たずぬ人ありその人も死ぬ

本当に死んだということは重いことになる、なかなか光巌天皇を注目してその跡をたずねて行く人はまれである、ただ最後にその人に思い入れがあり訪ねてその後に死んだのである、光巌天皇と一緒に眠りたいとまでなっていた人なのかともふりかえる

吉野の魅力は人間の歴史と自然が織りなすものがありそれでそれがただの山ではないものになり魅了するのであり語られ続けるのである
この辺の霊山も南朝ゆかりの山でありそれはただの山ではないから違っているのである

ともかく吉野は色々に語られる場所である、この辺と歴史的に通じているのは後醍醐天皇が南朝を開いた場所でありその南朝と縁が深いのが福島県の霊山である
ここに霊山城があり東北の南朝の城となったからである、それは10年くらいだったが炎上して滅びた、その時逃れたのが今の南相馬市の鹿島区の先祖ともなっているからであるそれで只野氏のことを書いたけどその人も霊山から逃れた人だったのである
そして鹿島区には本当に只野という姓が集中しているのだ、50人くらいいるのだ
その只野氏は郡山の多田野村から霊山に来たものである、先祖は多田野村にある
鹿島区の真野の日吉神社には落ち延びて来た時の衣装をまとって踊る祭リか残されているそれで吉野の南朝とここも歴史的つながりを感じるのである

●万葉集の吉野宮の天皇の歌

俳句や短歌は実写が基本である、だから地理を知らなければ地形でも知らなければ歴史でも文学でも何でもわからないのである、実感できないからである
実感が大事だという時、どこでも何でも同じなのである
農業していない人が農業のことを語れないし、他でも実際に経験していないことを語れないし聞いてもわからないことがある
そこで相手に話を合わせられないのである、だから外から来た人でもその土地の地理を知っていないと話を合わせられないのである、地理とか気候がわからないからである

吉野町から川を上ると宮滝があり菜摘とかありそこが吉野宮となっていたこともどうしなのだろうとなるが古代の感覚は違っていた、自然に畏れを感じていてそれが天皇と一体化していたのである 

山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せすかも 柿本朝臣人麻呂


天皇(すめらぎ)を神と崇めぬその昔たぎつ流れや巌のそそりぬ(自作)

湯原王、芳野にて作る歌一首

 吉野なる 夏実(菜摘)の河の 川淀に 鴨そ鳴くなる 山陰にして

この歌でもそうである、ただたぎつ流れとかどこにでもある、川淀に、山蔭というときあそこの場を踏んでないと実感しにくい、こんなに山間なのかとなるからだ
影になりすい場所なのである、川淀とかは淀むというときこれも自然のことではない、人間の心が淀んでいる何か悩み苦しんでいるとかとみる
そういう背景をから自然をみる、人間の心情が自然に反映されるからそこにただ自然だけではない人間をみるということにもなる
それを実感するにもまずはその場を踏むことなのである

夕明かり葛城山の遠きよりさせる吉野の花のもとかな(与謝野晶子)

葛城山から陽がさしていたのか?これも地理がわからないと理解できないのである

大峰や吉野の奥の花の果 曽良

この句は吉野の大きさ懐深さを句にした名句である、吉野は山が重なり深いからである

●半生を旅に彷徨いつづけていた自分

それにしてもふりかえると自分ほどあちらこちら旅して彷徨っていたなとなる
外国までそうだったのである、ただ外国は50過ぎてだから遅かった
そこでパリの東駅で安宿を探していたから日本の旅のつづきだったのである 
こうして旅できたのは家を守る家族がいたからだった
自由に旅させてくれた家族がいたからだった、その家族もみんな死んだとき痛切にそのことを感じたのである、まずこんなふうに生きられるということはなかなかない
今はただニートとか普通にいる、団塊の世代は貧乏から始まったからあらゆるものに欲望が深かった、会社の企業戦士になったのもやはりそれだけ貧乏から脱して豊かになりたいということがそうさせたともなる

でもその時みんな企業戦士になる必要はなかったかのである
みんなサラリーマンになる必要もなかったのである
ただ自分のような社会からはずれた人は極々まれであった
それが今になるとAIで仕事が職業がなくなるからみんなアーティストになる
そんなことを言っているのはなんなのだとなる
これまで日本人はただ働くことだけだったからである
それを否定できるのか?それも時代だとなる
時代が変わると価値観も変わるからである、自分のように旅ばかりしていたらそんな人は社会にとって認めない、
それが逆になっているのが信じられないとまたなるのである







2018年12月15日

JR仙台病院で癌検査に行く人 (この辺は仙台の病院に行く人が多い)


JR仙台病院で癌検査に行く人

(この辺は仙台の病院に行く人が多い)


JRの仙台の病院に癌検査に行くという、これはJRの専用ではない、一般の人も利用できる、農協ともにている、鹿島の厚生病院は農協の出資でできた
デイサービスの施設でもそうである、農協の組合員は優遇されることがある
農協では介護事業と葬儀事業をしている

仙台の病院に行く人は多いなと最近思った、知り合いの人は糖尿病があり白内障の手術をした、めんどうだから仙台の病院で手術をしてもらうことになった
それだけいい医者がいるということなのだろう

知っている女性は腰が悪いと仙台に行きまたその医者の案内で東京に行った
いい写真がとれる機械があるとかで行った
そして二回目は何か腰を楽にするものをつけるためにそれを取りにまた行った
その人は金がないのでまた自分が援助を強いられた

ともかく仙台に行く人は多い、病気はこの辺では困る、いい医者がそんなにいない
だからむずかしい病気になると福島の医大でありあとは仙台になるのだ
仙台からも医者が診にきているからだ
癌などはめんどうだからそうなる、設備も必要だからである

脳の詳細な写真をとれる機械は福島市と郡山に二台しかないとされる
この辺で認知症の脳の写真をとったが何もわからないものだった

でも三万とられた!

それは写真をとっても何もわからないのに金をとるために写真をとっただけである
一割負担だとすると写真をとるだけで30万するからである
その収入が大きい、こうして医療費用は膨大な無駄がある
最近無駄な薬を出さないと政府でも抑制しているのも当然だとなる
それが税金としてはねかえってきて国民の負担となるからだ
でも病院とか医師は機械に金がかかるとなればどうしても金をとらねばやっていけないから無駄でも金をとることをする
そして実際に新しいいいき機械がないと患者も来ないとか大きな都市では競争も激しいからである

その女性とは結構いろいろ話した、別にはじめてあった人である
畑のことを話したので興味をもった、それを書いた
駅は意外とナマの情報を得られる所だと思った
人間はまず自分の住んでいる場所について街でも身近なことを知らないのである
何するにしてもまず知ることなのである
相手のことでも相手を知らなければ理解しえないからである

ただそういう相手をしるとか市町村のことを知るというのは結構むずかしいのである
近くだからわかるようでわからない、人の動向も住んでいる土地のことがわかならいのである、その知らないことからいろいろな問題が起きてくる
その最たるものが津波や原発事故だったのである

もっと土地のことを知っていれば津波でもある程度さけられて被害が少なくななった可能性があった、原発事故でも地元の人がもっと知る努力をしていればこうはならなかった
ただ原発の場合は立ち入ることも聞くこともできないから知らされないのだからどうにもならなかったのである
現代複雑な社会であり知ることが知識が膨大であり多すぎるから処理しきれないのであるそして迷路に陥ってゆく、小さな一万の町に住んでいてもその土地のことでも人のことでもいろいろとわからないのである

そして知らないことが致命的なものとなる
それが津波であれ原発事故であれ甚大な被害に通じるから知らないことが怖いのである