2019年02月28日

禍福は糾える縄の如し 万事塞翁が馬 (人間は未来が予測できない―不幸が幸福になり幸福が不幸になる)


禍福は糾える縄の如し 万事塞翁が馬

(人間は未来が予測できない―不幸が幸福になり幸福が不幸になる)


鹿児島の硫黄島に漁獲量の豊富な地区とそう多くない地区があって、漁獲量の多い地区がかえって過疎化した
その地区子供の教育に金をかけることができるので、子供は進学のために島をでて、都会で就職して帰ってこなくなった
一方教育に金をかけることができなかった地区は子供が漁業を継いで過疎化に歯止がかかった (文化の時代の経済学入門)

これは何を示唆ししているのか?
漁獲量が多い地区は金が入った、だから子供の教育に金をかけることができた
それは悪いことではない、いいことだったのである
それが島という狭い土地を離れさせる原因になったのである
どうしても島に住みたくないとなったのである
それは教育を受けさせた結果だとなった、ここには島の事情があるから一般的に適用はできないだろう

でもこれは何を意味しているのか?
人間は良かれと思ったことでもそれが必ずいい結果を生むとは限らないことである
人間の幸福はまた計れないことである、だから江戸時代と今の時代と比べて江戸時代の人が不幸だったとはならない、幸不幸は計れないからである
そういう時代を生きることはまたその時代を生きない限りわからないのである

人間はこれが幸福につながると思ってもそれが不幸なになったり不幸と思っていたことが幸福につながったりする
何かたりないものがあると思ってもそのたりないことが幸福につながることもある
日本がは資源がないから教育に力を入れて先進国になったとかそれぞれの国でもすべてを満たされた国はないからである
郷土料理は金をかけたものではない、その土地でとれたものを工夫して利用したものでありそれは金かけた材料で作るものではない、だからこそそれが今になると貴重なものになっている

原発事故でもわかったようにそれはこの土地にとっていいものだったのである
それは富をもたらしたのである、そのいいものが事故になり住むことすらできなくなっただから未来は予測できないものとしてある
それがいいことだと思っても悪いことに転化する
それは社会にとってもそうであり個々人でもはそうである
硫黄島の場合はそこに何ら悪いと思えるものを予測しえないものでもそうだったのである子供にいい教育をさせることにどこも悪いとはならない
それですら思わぬ結果になったのである、それは未来を予測する能力が人間にないからだとなる

そういうことは人生でも組織でも団体でも国家レベルでもある
いいと思うことが悪い結果を生み悪いと思うことがいいことを生む
戦争に負けて300百万人も死んだことは最悪だった
でも不思議なのことは戦争の結果として日本は高度成長を遂げたのである
それは既得権益者が一掃されて新しい国造りができたからだともされる
そしてその時なぜ食料もないのにベビーブームになり団塊の世代が生まれた
その人たちが労働力となり日本は経済成長を遂げたのである
これも予測し得ないことだったのである
つまり人間には個人でも社会でも予測し得ないものがあり思わぬ結果になる
そういう運命を握っているのは誰なのか?それは神なのかもしれないとなる
それでfortuneとは運命でありまた財産にもなっている
富も財も努力が必要でも運の力も大きいということである
でもその運がまたどういうふうに作用して幸福をもたらすのか不幸をもたらすのかもわからないのである

個々人でも技術関係で理系で優秀な人がいてもそれが経営者になったときまるで実際は違った分野であり失敗したという人も多い、あることで優秀でも人間すべてに優秀ではないからだ、だから優秀だと言っても一部のことであり神のように万能にはならないのである万能でないからこそ人間は原発事故であれなんであれ必ず躓く失敗する運命にある
また成功してもまたそれが永続したりもしない、成功したために失敗につながることもある
つまり人間の未来は予測できない、未来を握っているのは神にもなるからだ

だから硫黄島のことなど本当にそうである、どこも悪いことではないのにいい結果をその土地の者には家族にでももたらさなかったのである
そういうことはこの世にいろいろあるからこの諺が生まれたのである
だから悪いと思える所にいいことがあり見出す努力すればある
いいと思うところも原発事故のように悪い結果をうむのである
だから人間の未来は予測できない、だから悪いことがあったとしてもいいことに通じるということもあるのだからそういう志向が大事になる
そしていいことと思ったことでも悪いことに通じるということを知るべきだとなる
そこに謙虚さが必要だとなる、いいと思うことは才能でも奢りになりそれが失敗に通じているのが常だからである、それは一つの法則のようなものなのである
だから別にむずかしい学問でないにしろ庶民の間で諺が残された
それが今日でも生きているのは人間個々人でも社会でもそもそも人間は変わらないからである

人生が終わりになっている、老人に聞いてみるといい

意外な結果に終わったな  こんなはずじゃなかった

こうなっているのである、いくら努力したとしてもそれがいい結果になるとは限らないし思わぬ幸運も不運もあるからである
これこそ未来は予測できないからこうなっているのである
人間個々人でも人生でも思うようにはならないのである、それはたとえどんなに恵まれていたとても最後はわからないからだ
必ず思わぬことが起こりみまわれてそうなっているのである



posted by 老鶯 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年02月27日

経済原理だけのグロール経済社会の限界 (環境保全とか景観の視点と価値観の転換の時代ー文化経済学へ


経済原理だけのグロール経済社会の限界

(環境保全とか景観の視点と価値観の転換の時代ー文化経済学へ)

●戦後経済の見直し作業

原発事故は様々な現代社会の矛盾を具体的なものとしてつきつけたのである
それを追求してきた、大きな時代の変革の時にこういうことが起きてくる
それは明治維新とか戦争に敗北したとかで起きてきた
そういう時代に突入しているのが現代である、それは世界的な現象でもある
この世界に適応されたのは経済原理だけである
要するにグロ−バルに金で価値を計る社会である
あらゆる価値を金で計算する、それは国境を越えてもそうである
そこで国すら越えてグローバルな多国籍企業が世界を牛耳る時代になった
そこにあるのは経済原理しかない、金ですべての価値を計るのである

そこで問題が起きる、巨大企業が進出して環境も破壊される
それはこの辺の原発事故でも起きた、自然環境が放射性物質で汚染されて住めなくなった未だに松川浦で潮干狩りができない、それは観光の打撃となっている
アサリが汚染されたからだ
でもそういうことがなぜ起きたのか?そのことを延々とプログで追求してきた
それは現代社会のグローバル経済の矛盾でもあった

そこには一つの価値観しかない、経済原理だけなのである
国家だとGDPが増えればいいとか個人レベルだと金になればいいとかしかない
数量的価値観と金ですべてを計る価値観である
そこで原発を作った国家でも東電でもそれにかかわる人たちも地元民も金さえやれば納得する、それよりそうして地方を活性化させるためる地元民が積極的に誘致させたのだとまでなる、頼まれて原発を作ってやったのだとなっていたのである

でもあらゆるもの経済原理で金で価値は計れないのである、つまり人間の価値はあまりにも多様だからである
私はワインなど飲まない、飲まないということはそれに価値を置いていないということである、でも金持ちでなくても日本でもワインを飲む習慣が生まれている
ある人にとってそれは価値がないがそれを楽しめる人は価値があるとなる
  
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この表はわかりやすい、価値観が対象的にしているからである
赤丸で囲んだ価値への転換なのである、これは自分も特にそうだがそういう社会状況になったからみんながそういう価値観を求めれば自ずとそうなってゆく、もちろん金だけの価値観を克服することは容易ではない
ただ変革の時代にはそういうことも総体的に起きてくる

 ホスピタリティとか気遣うと情とか場所の価値とか倫理主体とか計算不能の価値観である、つまりすべてを金で計算できない価値の社会なのである
等価交換ではない、不等価交換である、実際時と場合により価値は変わる、価値は多様だから一定しないのである、だから時給いくらとかで労働力を計算するのは非人間的なのである、つまり現代から奴隷がなくなったようで巧妙に資本の論理で奴隷労働化されているのである、それで今仕事をしたくないというときそこに生きがいを見いだせないからである
お前の労働は時給いくらだ、それがすべての価値観となっているからである

●価値は多様であり一定ではない

例えば旅行でも豪華な列車で金持ちでも多額な金を払って一回限りの旅をする
また高級バスで何十万を払い超贅沢な旅をすることが話題になる
私は旅ばかりしたけどそういう旅をうらやましいとも思わない、ワインを飲めなくてもそれで不幸だともなんとも思わない
旅だとむしろ歩くなり自転車なりの時間をかけた旅の方が旅という経験をしているからだそんな豪華な旅はもう旅でも何でもないのである
確かに金のある老人の楽しみだとはなるがそれが旅とは言えないのである
つまり旅を経験していないのである

あらゆる価値はいくら金を出しても手に入れることはできない
例えば読書などがそうである、高い本でもいくら買えるとしてもそれを鑑賞することは相当な知的レベルを要求されるしそれを自分のものとして読むことは容易ではない
ただ私はやっとこの年になって鑑賞できるようになったことでもわかる
だから自分なりに本を読んでその解説ができる
するとその時こそ本当に読書しているとなっているからだ     
若い人はこれはできない、経験とかがものいうからである
また老人のように精神的に成熟しないからである

とにかくあらゆるものを金で手に入れることはできない、老人になるともう体力もないから登山もできないとか無理なことができなくなる、それはいくら金をだしても体力がもどらないのだからできないのである
若者だったら金がなくても別に野宿しても旅はできる
だから野宿して旅ししている人と豪華な贅沢三昧の旅をしている老人をとどっちが旅をしているかとなると若者の方だとなってしまうのである
それは老人がいくら金を積んでもそういう旅ができないからである

経済原理だけで金だけすべてを計る社会はもう限界にきた、貧乏な時代は豊かになりたいというのはわかる、でもそれもある程度満たされると人は価値観が変わるのである
それは今や社会全体に及んでいる
金でなんでも手に入れることはできないということがわかりつつある
老人ならそのことを何もむずかしい本を読まなくても経験から知っているのである

●農業漁業林業は生態系維持環境保全としての価値がある

だから価値というのは様々でありすべてを金だけで経済原理だけで計ることは人間を不幸にする、それがこの辺が原発事故で起きたことなのである
農業とか漁業でも林業でも第一次産業は金にならないとして誰も跡を継がないとかもう放置されるような状態になったときとうなったのか?
原発でも金になればいいとなった、結果として水すら飲めないとか空気すら吸いないとまでなって住めなくなった、これほど最悪なことはなかったのである
土も利用できないから田畑も利用できないとかなる、すると地元で食べるものすら得られないとなったからだ

価値観の転換として農業というのをただ食料生産の面から見るという視点より環境保護のために必要だということも価値観の変換である
環境保全の役割を農業はになっいていた、それは水の利用とか自然と密接につながりそうなっていた、それが自然環境の保全の役割を果たしていてその結果として農村の景観が作られていたのである
そういう景観と自然環境でも農業をただ経済原則だけからみたら金にならないとしてみんな誰もやらない、放置される、そして耕作放棄地が全国に膨大に増えて景観も破壊されるのである
そこには今度はソーラーパネルだらけになったり風力発電の風車が森の中や山にもできるそして景観は破壊されるのである
それはそもそも第一次産業を金にならないという経済原理からしか見ていないからある
でも実際生活するにはそうなるからやっていられないというのはわかる
でもみんながそうではない、経済原理だけからしか見ない価値観を変換させればまた違ってくる

東京のようなビルの谷間で人口が異常に集中して暮らすのが人間の生活なのかという疑問も都会から起きている
つまり景観とか環境保全があって人間は幸福に暮らせるという意識が高まると価値観が変わるとみんな金だけではない、経済原理だけではない価値観の変化が起きるとやはり社会は変わるのである
食料を生産するだけではない、環境保全、持続可能な自然との共生とか景観の保全とかが価値となる生活である、そこに意味があるのだとなれば金だけでは計られないものとしてそこに金を回すとういことも起きてくる 
そんなことではまともな暮らしができないというときそれはまた価値観の転換が必要なのである、それで家族一緒で故郷に住めるなら蝋燭でもいい言う人がいたときそれは極端でもそうなるのである   

●恵みはめぐるであり生態系の維持があって恵みがある

グロ−バル経済は多国籍企業が世界を経済原理で動かして支配するシステムなのである
そこにもともとある自然も無視するしそうして生活していた住民も無視する
それは原発事故で起きたのである
もちろんもともと住んでいた住民もまた今の社会の価値観に染まっているからそうなったそういう矛盾がこの辺では生まれた
元の貧乏な生活にもどれというのかとかそこにはまたいろいろな問題がある
ただ人間の価値を経済原理だけで金だけ計る時代は終わり新たなまた古くからあるものの価値観を見出すべき時代になっているのだ

恵みとは巡る、めぐることなのである、ロールすることなのである
水のように山から平地へと田んぼへと水は巡り恵みを与えるのである
それが自然との共生の生活でありその中で自然環境は保全されまた景観も維持できるのである
そういう恵みの思想が工業とか巨大企業にはないのである
何か自然から富を資源でも収奪する他国からでも収奪するというのが現代のグロ−バル経済である
それで自然は破壊されて極端になったのがこの辺だったのである
だからどうしても価値観の転換が望まれている
経済原理の金中心の経済を止めることなのである
何でも買うそして捨てるという生活なども見直す時代である
そういう傾向はシェア経済などで生まれてきている、大量生産大量消費の時代は終わったのである
そうなると確かに不景気とかになるがそれも時代だからやむをえないのである
そうなったならなったで人間は適応して生きてゆくほかないということである

●経済は意味と価値を求める時代になる

原発事故では現代の矛盾が噴出したのである、それはとりもなおさず現代社会を見直すものとなった
例えば松川浦の人が漁もできなくなった、放射性物質の汚染でできなくなった
その時「俺はここになんのためにいるのか」と自問していた

「漁もしない、俺はここになんのためにいるのか?」
「あなたたちは多額の補償金を原発事故前からももらっていたから別にいいんじゃない」「それはそうだけどでもなんのために生きているのかもわからないよ」
「今も十二分に補償金を特別もらっているだからいいんじゃない、みんなうらやましがっているよ」
「そう言われてもな」
「そもそもさ、漁業権を東電に売ったことがおかしいんだよ、その漁業権はそもそも資源保護とか環境保護のために与えられたんだよ、それは必ずしも漁業者のものじゃなかたんだよ、みんなのものだったんだよ、ただ資源保護のためにみんなから委託されたものなんだよ」
「そういうむずかしいことはわかんねえな」
「あなたたちは特権を与えられていたんだよ、その特権には責任が課せられていたんだよそういう自覚が必要だったんだよ」
「かといって漁業で暮らすことはできない、いろいろと金がかかるし魚もとれなくなっているからな」
「でも漁業権を東電に売ってどうなったのか、金だけはもらい何の意味も価値もない者になったんじゃないか」

原発事故は漁業関係者に一番矛盾が現れたのである
事故前も原発御殿が建っていたとかその後は軽く一千万以上の庭を作っているとか一番恵まれていたからである、ただ津波の被害にあったから家族でも死んでいるからその点は犠牲が大きかったとなる
それで近くでも漁業に関係しない人もいるから罰があたったとか言う人もいたのである
そこまで言うとはやはり周りの人はそういう恵まれた人に相当不満があったということである

そして松川浦では現実にアサリ採りが潮干狩りができないから観光でも大きな打撃だったのである、資源保護のために漁業権が与えられていたのにその資源保護の務めをしなかったとなる

とにかくここに象徴的に補償金で別に生活には困らない、補償金は継続的に東電や国から入ってくる、でもその存在意義と生きる意味とか価値は地域で失ったのである
ただ現代のグロ−バル経済はこの生きる意味とか価値とか意義とか倫理的なものは追求していないのである、むしろそうしたものを省略化して成り立つのがグロ−バル経済なのである
世界をそうして人間的属性としてあるものを省く、ただそこで経済原理、金だけで計るようにしたのがグロ−バル経済だからである
それで失敗したのは移民となると外国人を入れるとなると相手は人間だから物のように金で計ることはできない、様々な問題が生まれ福祉や共同体にどうして受け入れるかとかが問題になり失敗したとなる
人間はモノの用地扱えないからそうなったのである 

漁業が跡継ぎがいないとかいうけど漁獲高が多い所でかえって跡継ぎがいなくなった
教育に金をかけて子供を育てたが東京に就職したとか漁業を継がない
でも漁獲高が低くく子供の教育に金をかけなかった所は子供が漁業の跡を継いで残ったというのも皮肉である  
これも何か現代の矛盾した社会を示唆ししている、跡継ぎがいないというとき農業でもそうだし山村でもそうである、それは人間の生きる意味とか価値を経済原理だけで計っているからである、金になればいいとう価値観しかないからである

●万人の万人に対する戦い、モラルなき社会は地獄に生きることだ

ただ確かに先立つものは金だというときその矛盾は大きい
そんなものは理想論であり現実はそうはならない厳しいから適応できないともなる
でも明らかに現代の社会の行き詰まりというか荒廃はゆきつくところまで来ている
倫理もないモラルなき金だけが突出してふりまわされている社会である
それが自分自身の体験で嫌というほど経験した
もう金のために保険金殺人のように殺される一歩手前まで来ていたのである

金でめんどうみてもらへ

金をよこせ

金をください

これしかなかった、自分苦しい時にも相手は金しかみていなかったのである
それは芥川龍之介の羅生門の世界である、人間は生きていても死体でありその死体に身につけている髪の毛でも金属類でも金になる者が価値になる世界となっている、もうグロ−バル経済では人間的なものが省略されし見えないからそうっないるのだ
物がありそれに債権化された金しか価値観がない世界である

それほど金の亡者となり人を人とも見なくなっている社会である
それは何であれ生活をレベルを落としたくないということもある
今までいい生活していたのにそれを落とすことがむずかしいからである
でもそうだからといって他者から金を奪い殺してもいいとまでなることの怖さである
だから情なき経済原理だけの社会が極端化すれば万人が万人の戦いなっているのである

「万人の万人に対する戦い」とは国家や法律のない自然状態を表現した、ホッブズの言葉である。『リヴァイアサン』で語られており、自然状態におかれた人間は、すべての人が各々、自己保存の権利を無制限に追求して自由にふるまう。その結果、相互に敵対的な立場を取り、暴力的な混乱状態が発生してしまう。このホッブズの利己主義的な人間観は、「人間は人間に対して狼」とも表現されている

まさに現代のグロ−バル経済は世界的にそうなっている、そして極端な格差社会になっている、モラルなき社会と化しているのである、まさにこうなると地獄に生きているのである、そして生きる意味とか価値とかは無視されて金だけを追及する
それで何か原発事故でもそうした社会の中で起きた極端なものでありそれが具体的な現象として現れたともなるのである
posted by 老鶯 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年02月26日

松川浦の春の俳句と短歌(写真)

松川浦の春の俳句と短歌(写真)


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残雪の蔵王が見える

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百間橋

川添の森の塩釜神社

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和田の浦
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船越観音の錨堂の錆びた錨

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新しい喫茶店
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ホシカレイ

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磯部の高台から夕べ見えた蔵王

すべてクリック拡大できれいに見える



蝋梅や蔵ある家に映えにけり

春の日や百間橋を渡りけり

広々と海の開けて東風吹く

巌に松根を張り望む春の山 

椿咲き船越観音にもうでけり

錨堂いわれを語り落椿

新しき喫茶店より望む春の山

のどけきや魚を待ちぬ釣りの人

春の日や星カレイを釣りあげぬ

船無事に帰るや山に春陽没る


釣人に平和もどりぬ松川浦沖行く船に鴎飛ぶかな

津波にも残れる松に春日さす沖行く船の二三艘見ゆ

大平洋東風(こち)吹きわたり残雪の蔵王望みぬ山形思ふ

川添の森の社を守れるは狛犬二頭春は来たれど

長々と春の夕映え松川浦平和もどりぬ我が帰るかな

夕影に蔵王の姿磯部より大きく見えて春の日暮れぬ


宇多川の河口から残雪の蔵王が見えた、そこから百間橋を渡り川添の森に入る
そこに塩釜神社の社があった、なぜこんな森の中にあるのか海岸沿いにもある
宇多川にそってあるから川沿いの森となった
これを見たらこの短歌がぴったりだった

松の風夜晝ひびきぬ
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に 石川啄木


夕風の光も清き川添のもりて涼しき秋の初風

もりて・・とは森のという字なのか?光がもれるからなのか?
ここに森がなかったら変である 

松川浦は和田の方から見ると違って見える、あそこは奥になっているから意外と津波で松は枯れていない、第一そっくり松が残っている
津波はともかく地形の影響が大きいのである、前に山があるのも影響したのだろう
ここまで来て津波の勢いが弱まったのだろう
ただ塩水を被るとたいがい松は枯れているが枯れていないのである

船越観音とか錨堂は松川浦で海らしいもので見ていた方がいいとなる
貝殻地蔵などもそうである

この新しい喫茶店と軽い着るもの売る店はできて二年くらいらしい
最初貨物車両とか利用した簡単なものだと見ていたが中に入ると鉄で作った立派なものである、だからこれは結構金がかかっている
ただ問題はコーヒー飲むにしても座る場が5つつくらいしかない
ゆっくり休めない、でも立地はいいのである
春の山も見えたし前が浦になっている、ただ今は潮が引いている時期で水が少なく干上がっていた
380円のコーヒーだけど立地がいいし休む場がないのでそこで休んだ
今は喫茶店だけではコーヒーとか飲み物だけではやっていけない
だから喫茶店専門の店は旅をしてもなくなっているのである
それで軽い着るものを置く方が広いのである
でもちょっと休憩するにはいい場所だと思った

それから埠頭では魚を釣る人をみかけた、ホシカレイを釣ったところだった
これは高級魚でありなかなかとれないものだった
鰈の種類も多いのである、そこで魚の話を聞いて面白かった
親潮の魚はうまい、黒潮の魚はそれほどでもないとなる、カツオなどは黒潮だということはわかる、サンマは親潮であり一時水温の関係でサンマの群れがよってこないとか騒いでいた
とにかく海の世界は広いということである、黒潮は与那国島から流れ出して日本に流れるあの辺ではトビウオが飛んでいた、海の世界はやはり沖縄とか南である
私は日本全国をほとんど行っているし特に最初は船旅をした
東京から一週間かけて貨物船のようなもので行ったことがあった
今は出ていないだろう、そういうふうに旅は時間がかかる、だから金があるだけでもできないのである、まず船旅は時間がかかるからである
ただ船旅は体力的には楽だから世界一周でも高齢の人でもしているのである

ともかくのどかな光景がもどったとはなる、ただ潮干狩りができていないのは観光的には打撃である、また海岸の松がすべて消失したことも景観的には殺伐としたものを感じる
それでも春の夕映えを浦に写ししていて写真を撮る人が何人かいた

それから磯部の高台を回ると蔵王が大きく見えた、宇多川の河口からも見えた
磯部からやはり一番大きく見えるのである
雲一つないからはっきり見えたのである、蔵王は雲がかかると見えないからだ

写真を連続的に見れば臨場感がでてくる、今の時代は写真が欠かせないのである










2019年02月25日

松川浦は海の文化を育む地域 (春の日に釣人と魚の話)


松川浦は海の文化を育む地域

(春の日に釣人と魚の話)

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船越観音でも津波が襲い辛うじて社殿は残った
ぎりぎりだったのである

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ホシカレイ



親潮(おやしお、Oyashio Current)は、別名千島海流(ちしまかいりゅう、Kuril Current)とも呼ばれ、千島列島に沿って南下して日本の東岸を通過する海流です。栄養塩が豊富で、「魚類を育てる親となる潮」という意味で付けられました。北海道、東北地方に良い漁港が多いのはこのためなのですね!その濃度は黒潮の5〜10倍あり、春になると植物プランクトンが大発生し、緑や茶色がかった色になります

 松皮鰈、松川鰈。由来・語源 

■ 多くの文献に本種の表側(有眼側)の鱗がかたくザラザラしているのを松の幹の表面のようであるからと記載される。
■ 田中茂穂の『魚』(1940年、創元社刊行)に「まつかわ」は茨城県、福島県の呼び名であるが一説に『茨城県鹿島郡夏海村松川(今のどこに当たるのか?)で多くとれたためについた」と記述されている。
■ 福島県松川浦にちなむ。

アブラガレイ ガヤマガレイ カワガレイ カンタカ キビラメ キマツカワ サンクワウ シロマツカワ タカガレイ タカノハガレイ タカハガレイ タンタカ ニシキガレイ バカハダ ハトガレイ マツカワ ムギガレイ ヤマブシ ヤマブシガレイ 


マツカワカレイに並ぶ高級魚のホシカレイ。
身がしまっていて味が濃い白身です。
刺身で提供します。
  
カレイには種類が多く、日本近海だけでもメイタガレイ、アカカレイ、石ガレイ、ババガレイ(ナメタガレイ)、ヤナギムシガレイ(ササガレイ)など40種以上もあります。また、北海道から九州まで広く分布しているため、地方によって呼び名も味も旬もいろいろあります

城下鰈(しろしたかれい)

その美味は古来より知られており、江戸時代には武士しか食べることができなかった[注 1]。また、日出藩では端午の節句の全員登城の際に城下かれいの料理が出され、そのために4月頃から一般には禁漁にされたともいう[6]。城下かれいは、将軍への献上品とされて珍重されていた。通常は、参勤交代の際に干物が献上されていたが、閏年には端午の節句に間に合うよう、生きた城下かれいをいけすを備えた船や早馬を用いて江戸まで運んだといわれる
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松川浦史実伝承編

古今和歌集の「世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる」という歌だという

お堂の左手には鹿島神社があり、左奥には錨(いかり)堂というお堂。宮城県岩沼市の千年希望の丘の側でも鹿島神社にお参りしましたが、東北には鹿島神社が多いようです。常陸国一宮・鹿島神宮は天平勝宝元年(749)に万巻上人が神宮寺を建て(「筥根山縁起」)、鹿島大明神の本地仏は十一面観音菩薩とされています(「神道集」)。
 錨堂には、大きな錨が奉納されていました。南北朝時代の南朝の忠臣・肥後の菊池氏の一族が海路、当地に落ち延び、守り仏を本尊として祀ったのが船越聖観音堂だそうです。その末裔「備中四家」は、明治の初めまで船による交易を行っていたとのことで

「夕顔観音」も、そのルーツは下総にあることが分かりました。千葉一族の祖・平良文は夕顔の花を好み、良文の遺言により夕顔の実を割ると、中から出現したのが夕顔観音さまであったそうです。その後、千葉常胤の父・常重が夢告を受け、夕顔観音菩薩を本尊として樹林寺(千葉県香取市)を建てました。慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦の功績によって下総多胡藩から信濃高遠藩に移った保科正光(正室は真田昌幸の娘)は、樹林寺の夕顔観音さまを写したお像を本尊として高遠にも樹林寺を建てましたが、そのお像は、十一面千手観音菩薩です。相馬の鵜の尾岬に流れ着いたという夕顔観音さまも、下総の夕顔観音菩薩を勧請したものなのでしょう


松川浦の貝殻地蔵



海岸の埠頭で魚釣りしていた人がいた、ちょうどホシカレイを釣り上げたところだった
岩沼から来た人たちがそこにいた、これは高級魚である、カレイの種類は多い、日本がだけでも40種類あるとかなる、魚そもそも種類が多いのである
マツカワカレイのことを言うひとがいた
その人はこの近くに住んでいて三日に一度きて釣りをしているとか言っていた
マツカワカレイの名前は松川浦と関係あるのかと思ったがそうではないらしい
有力なのは松皮なのか?
ただ土地の名がつくものとして城下鰈(シロシタカレイ)の話は面白い、城の下でそこだけでとれるカレイであった、侍しか食べれなかったということである
庶民との区別がない日本にしてはこういうこともあったのかと思った
それだけにその魚と貴重だった
この辺では石鰈は年越し魚として有名である、大晦日に食べる魚でもある
不断は値段が高いので食べられないからである
それはやはり冬にあった魚であり身がしまっているのである
その魚すら放射能物質の汚染で食べられなくなったのは本当に残念だった

でも不思議なのはそうした大きな打撃でもノリを作っていてもとれなくなっても
アサリ採りの潮干狩りができなくなっても多額の補償金が船主中心にもらいから生活には困らない、かえって潤っているということもある
それは原発前から相馬双葉漁業組合では漁業権を東電に売ったから金持ちだったのであるだから新しく立派な家を建てたのはそうしした人たちだった
この辺で磯部などは壊滅したから建てた人がいるし原町にもいた
その庭は本当に一千万以上級の庭だから驚く、ほれぼれとする庭なのである
それだけの金が入ったとなる

これも矛盾である、そして魚もとらない漁師がどうしてここに住んでいるのだと自問自答した姿はまさに哲学しているともなる
何が存在意義なのかわからなくなったからである
ただ生活費は補償金として特別支給されているのだから困らないけど魚とらないとしたら漁師ではない、では何になるのか、東電の特別供与社員のようになっていたのであるそれ地域にとっては必要ないものだった
それが原発事故で明らかになったのでその不満が大きいのである
松川浦でもそういう不満を言う人がいたのである、なぜなら港に住んでいても漁業にたずさわる人が全部ではないからだ
だから未だに潮干狩りができないことは本当に観光にとって痛手なのである


石鰈は一匹二千円とかした、それが小高の女の人が前に行商して売りに来ていたのである
この魚を前に姉が生きているとき戦友だった会津の人に送ったら喜んでいた
それは会津ではこうして新鮮な魚が食べられないからである
その代りに見知らず柿が送られてきたのである
その人が原発事故で避難区域になり仮設に住むようになった
その仮設に住んだ人が苦しんでいるかとなるその人にとっては魚の行商しているよりは補償金をもらって仮設に暮らしている方が良かったのである
だから何か苦しいということは見えない、金をもらって喜んでいたのである
そういう人は少なからずいたのである、そこが外から来る人には誤解するとなる
今でも原発避難者にはそういうことがある
津波の被害者はまた違っている、第一家族が死んだりしているからである
もちろん漁業関係者でも津波の被害にあった人が多いからそういう点では同じである
ただ津波にあっても生活では全く困らないのである
例えば宮城県とか岩手県の津波の被害の大きい地域ではそうしした原発補償金はもらえないからである、ただ女川などはもともと同じように漁業者には東北電力から補償金をもらっていただろう、でも東電の補償金は桁外れだった
第一やはり農業と同じで漁業は後継者がいなくなっていた、だから衰退産業であったから農業と同じく原発頼りになっていたのである

漁業はまた農業とも関係していた
この前あった他から来て何か郷土史に神社に異常に興味をもつ人がいた
その人は塩釜市に松川浦でアラを売りに車で運んでいたのである
おそらく肥料にするためだろう、まず肥料はあらゆるものがなる
刀作りでその鉄くずまで肥料にしていたのをテレビで見た、鉄分になるからいいというのである、貝殻でも肥料になるというより酸性をうすめる、アルカリ性にするからいいとなって実際に知っている人がそれを畑にまいた
そうして肥料代でも一年に数万円もかかる、それを私が支払っている
しかし収穫はほとんどないのである、ネズミに食われた盗まれた、天候悪いとかなりほとんどとれないのである、でもそこにカンナが咲いた時大きな花で映えたからいいなと見ていただけである 

漁師のことはなかなかわかりにくい、二三日前の魚を漁師は食べないというときもそうである、それだけ新鮮なものがうまいからである、そういうものを食べられるのはまさに漁師だけだとなる、他にもいろいろあるがわからない
まず松川浦は外から移住してきた人たちが先祖である
それは漁業だと余計そうなりやすい、漁の技術でも西の方が優れていたからである
それで錨堂であれそうした由来が記してる、ただ平地でもこの辺は第一相馬氏が移住して作られた藩だったことでもわかる、当然千葉氏なども同族だから関係しているのである
松川浦は海の文化をもった地域である
それはやはり松川浦が漁港に適していたからである
そうした入江になっている所が福島県でも仙台までないのである
亘理の荒浜はなっているが他にない、でももともと八沢浦は入江でありそれが津波で再現されたときは驚いた、あそこも大きな船が過去に入ってきていた港の機能があったのである

いづれにしろ海の文化として松川浦はありそこを探求する必要がある
それは魅力的だとなる、まず阿武隈高原を越えたら山国であり海の文化はないからである福島県は会津の山と海の文化がある地域として今もある
それをいかに活かすかとなる、だから原発事故の被害は津波の被害より実際は致命的だったのである
8年すぎても未だに潮干狩りとかができないことでもわかる、こんなに影響するということを誰も真剣に考えなかったのである
ただ松川浦は漁業だけではない、貨物の出し入れとか火力発電所があり石炭も船で入れているし最近はガス事業が大規模に行われている
ガスタンクが作られたしそれで新地の方までその関係の仕事の人がやってくる、そこが働き口ともなる、発電所は雇う人数が千人とか多いからである
だから津波の後でもそうした関係の仕事が増えて復興にはなっているのである

それでNHKのテレビで松川浦の女性のことを放映していた
漁に出た夫のことを心配して安全を祈る、それは海では必ずある、海がしけると遭難がある、海は危険な場所だからである、それで安全を祈るというのは文化ともなる
それは切実だからである

それで俳句にしたのが山の方に春の太陽が沈んでゆく

船無事に帰るや山に春陽没る

こういうことが海の暮らし漁師にはある、ただ海の暮らしとか文化というのもわかりにくいのだ、魚の種類からしてし多すぎるからである
ただ海の文化として松川浦を探求して知ることが不可欠である
津波が400年前にあったとしてもそのことが研究もなにもされていなかったのである
それで私がホームページで松川浦のボーリング調査したことを報告した
かなり奥まで津波が来た砂が発見されたのである、それは貞観津波の(800年代)のものだった、慶長津波のものではなかったのだ
ただなぜ諏訪神社に津波で流された舟がとまったとかの伝説があるのか?
それは小泉川を津波がさかのぼって船を運んだからだとなる
川をまず津波はさかのぼるからだ
それで本当に自分の家は川の側であり川を津波がさかのぼった街の中心部までさかのぼったので恐怖だった、土手からあふれたところもあった
それでそういう伝説が残っても不思議ではなかったのである
いづれにしろこの津波の話は尽きないとなる
ただ8年過ぎて冷静に振り返るようになったのが違っているだけである

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遠くにガスタンク見える
火力発電所も見える、ここは広大な地域なのである

次は俳句短歌の部で語る松川浦の春です




posted by 老鶯 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2019年02月24日

松川浦の津波はどうだったか? (地形は自ら歩む、自転車で地形を感じる、地図では土地の高低などがわからない)


松川浦の津波はどうだったか?

(地形は自ら歩む、自転車で地形を感じる、地図では土地の高低などがわからない)

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青い線は津波前からあった

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川口神社 鳥居と石碑は流された
でもここは高いから神社は残った
なぜこんなに高い所に作ったのかとなる
それで神社は津波からまねがれたのが多い


この線よりは下だった、もともと青い線は津波の前からあった
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この松が枯れずになぜ残っているのか?
ここまで津波が上がらなかったのか?
塩水をかぶれば枯れているはずだが?

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相馬共同火力発電所がある方でも小泉川の方におしよせた
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この神社の石段まで津波が来たが社のある所には来ていない
だから石段を上り避難すれば助かった
ただここは別に津波の神社ではない
津神社はみんな津波とは関係なかった
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墓地で津波がさえぎられたという不思議

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おそらく今日聞いた墓地の所で両側から津波が来た
そういうふうに一方方向でない、地形により津波は変化する
ある所で渦巻いたというから空恐ろしいものだった

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○の所が墓地である
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この墓地で津波がとまったというのも不思議である
そんな効果が墓石にあったのかとなる


松川浦のホテルが津波に襲われた映像は衝撃的だった
松川大橋の下を津波がおしよせた
今日行ってみると川口神社は高い所にあったが鳥居とか石碑が流された
そこに立つとホテルが見えた、そこは低い場所だった
坂道になっていた
これも不思議なのだがなぜ川口神社もあんなに高い岩の上にあったのか?
あそこまでは津波がとても届かなかった
低い場所には津波が襲い被害が大きかったのだ
ホテルに青い線があったがあれは津波の前にもあった
youtubeの動画の映像に映っていた
あの線よりは下だったのだろう

津神社(つのみつ)でもそこの神社がある所までは津波は来なかった
でも石段までは来ていたのである
道を津波が上っていったのである
ただ津神社の境内に入れば助かった

それからぐるとまわって船越行く所に墓地がありそこで偶然そこに住んでいる人に聞いた

「あの墓地の所で津波が止まったんです」
「ええ、あの墓地で止まったんですか」
「ええ、向こう側は被害があったんです」
「あの墓地でね、そんなことがあったんだ」
「そして右側からも尾浜の方から津波が来たんです
それから原釜の方からも津波が来たんです
両側かから来たんです、それは恐ろしものでした」
「両側から来たんですか、それは恐ろしいですね」
「避難所に逃げたのですがその途中で津波に襲われた人がいるんです」
「そういう人もいたようです、逃げるにも津波は早いからぎりぎりだったった」

津波は逃げる途中で確かにさらわれて死んだ人も多い、車でもそうだった、逃げきれなかったのである、それは車が渋滞とかなって逃げ切れなかったのである
一刻を争う時車は障害物にもなったのである
あの墓地の近くの船越観音も高い場所にあり津波から残ったのか
錨堂などがあった、とにかく原釜の被害が大きかった

ただ相馬共同火力発電所は海に近くそれなりに津波も襲ってきたのだから被害が大きくても良かったがそれほどでないとも聞いた
原町の火力発電所は海に面して突き出た所にありもろに津波に襲われて被害が大きかったそこで私は原町の火力発電所から煙が出たのを見た
火事になったのである、原町火力発電所の被害は甚大だったのである

 当時、発電所には社員やPRセンターを訪れた家族ら約1100人がいた。全員が1号機のタービン室に避難したが、津波で建屋1階が浸水し丸1日孤立したという。
 貯炭棟といった施設や変圧器などの電子機器は全て水浸し。石炭を運ぶベルトコンベヤーは壊れ、揚炭機2機は大きく傾いた。その南側には石炭船が座礁している。

ここもは被害は大きかったが原町火力よりは早く復旧したのである、原町火力は被害がやはりこちらより大きいから復旧が遅れた
いづれにしろ津波から8年になるがだんだん忘れるということがある、他からも忘れられるということがある
ただ今になると冷静に見れるので再検討した
それにしてもあんなに海に近いのに原釜の松が枯れていない不思議がある
原釜の家の被害は甚大であり壊滅状態だった、今は高台になったいる
それから大きなタンクはガスタンクでありここが供給基地となり今も大きな工事をしている
ここはだからもともと人数として多く働く場だったがガス関係でまた働く場が増えたとなる

今回松川浦全体を回りわかったことは

地理は地形は歩くか自転車かで踏査しないとわからない、地図を見てもわからない
土地の高低が地図を見てもわからない

これをつくづく感じた、人間の五感に優るものはない、地形を地勢を知るには自らの足で歩み感じるほかないのである
今回の新しい電動自転車は役にたつ、機動力があるからだ、すいすい坂でも行けるからである
すると地形もわかりやすくなるのである

そして錯覚したのが松川浦では結構高台に家があり松川浦が全滅のようにテレビでは見えたがそうでもなかった
低い場所の被害が大きかったのだ
テレビはやはり錯覚をもたらす、実際に知るにはその現場を自ら歩み五感で知ることである
テレビの画面からだけでは錯覚を生むのである
とても立体的な地理をテレビの画面からだけでは知りえないからである
のである
これはどこでも津波の教訓だったのである

低い場所は津波には弱かったのである
だから低地に家を建てるのは海に面していたら危険だったのである
ただ高台は不便だから低地に家を建てるようになったのである
もともとは最初は高台に人は住んでいたのである
そのために古い神社はたいだい高台にある
その高台に人家もあったとなる
posted by 老鶯 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

私の父は双葉の新山の酒屋で丁稚で働いていた (その記念の皿を割ったー終活は大きな負担だ)


私の父は双葉の新山の酒屋で丁稚で働いていた

(その記念の皿を割ったー終活は大きな負担だ)

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これは今の双葉郡の新山だけで元は長塚町だった

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歴史という時、相馬藩の歴史とかまた大きくは国の歴史がある
人間が一番興味があるのは自分が育った家の歴史なのである
だから自分のルーツに興味をもつ人が多いのはそのためである
それで郷土史は祖父母からおじいちゃんやおばあちゃんから聞く話からはじまると書いたおじいちゃんとかおばあちゃんはどうしてもその家の語り部になるからだ
何か必ず伝えるものがあるからだ
そこにはただ負の歴史がある、語りたくないものがあるのですべてを語りたくないし
隠したいものがあるしプライバシーにもふれるから他人の家のことをとやかく語りにくい面があるのだ
それで一軒一軒の家が郷土史として歴史なのだけどわからないのである

ただ家族がみんな死んで自分の家に残ったのは自分一人である
すると私自身に課せられたものがある、それを残す作業をしている
終活というとき物の整理になるが実際はそれだけではない
親や祖父母の残したものは物が残ったとしても精神的なもの、モノでは語られないものが多いからである、つまりモノがあったとしてもそのモノにまとわりついたストリーが思い出があるから簡単に捨てられないのである
モノとは単なる物ではない、その残されたモノにはこれまで生きた思い出がしみついているからだ、親が死んだときだからそういうものを整理するとき捨てていいかどうか悩むのがわかる

そういう自分だってもういつ死ぬかわからない、それで自分自身の終活もある
それが重なるのが高齢化社会なのである
まず家の物を整理する作業が大変なのである、だから放っておくとゴミ屋敷になることがわかる、何か整理することが相当なエネルギーを必要とすることがわかったからだ
それで毎日整理しているのだけど整理できないのである
それは知的作業としても今まで書いたものを詩などが膨大にあっても整理できないのである
そして家事をするにもしやすいように整理整頓しているがこれもまた苦労なのである
毎日家事をすることや整理の仕事や料理でもしないなるとそうしたことに追われている
そしてつくづく人間はいろいろなことに頭が回らないということである
それで冷蔵庫でも良く見ていないと同じものを買っていた
認知症になるとそういうことが多いが度々開けて見ていなと何があるかわからなくなっているのだ

この皿を割ったのはそこにあったことを忘れていた、棚にあったがそこから落ちた
それで割ったのだがその時はじめてこの文字を書いてあることに気づいた
磐城国新山」とあった、磐城国というとき磐城大田とか原町の隣の駅にあるように
磐城国にこの辺はなっていたのだ、それは明治以降そうだった
それで葛尾村(かつろう)にも磐城落合とか地名が残っているのだ
そして浪江とかは今でもいわきナンバーなのである、つまり磐城国を受け継いでいるのである
ここで私の父親は葛尾村からこの酒屋で丁稚奉公に出て働いた、そして暖簾分けして鹿島の地に移ったのである
それは聞いていたのだがあまり意識しなかったが家族がみんな死んだ結果意識するようになった
今でも大きな酒屋が双葉には残っている、富沢酒造店であり煙突も高いので営業していたのである
その辺の近くに私の父親が勤めた酒屋があった、でもそれは倒産してなくなったのであるそれは戦前のことであった、そして父の娘である姉はそこに銀行があったとか言っていたその当時おそらく銀行はどこにもない、めずらしいものだったのである

とにかくこうして残されたものが物語ーストリーがある、それが歴史である
モノがあったとしてもそこには必ず物語がつきまとっている
そういうものが一軒一軒の家に残されている、そして蔵のある家などで何か探していると偶然に遠い過去のことが資料として出てきたりする、それが貴重な郷土史になったりするのである

いづれにしろこの終活は時間がかかる、それは物を整理するというだけではない、そこには物語とか精神的なものが付随しているからである
それを受け継ぐことをどうするのか?
それは国家的なものでもそうである、戦争で300百万人死んだという時もそうである
一体そうした死者をどうするのか?どう扱うのかとが大問題になっているからだ
それは70年過ぎても解決しないからである
後世のものがそうした歴史の負の遺産であれプラスの遺産であれ引き継ぐことになるからだ、それで姉が従軍看護婦として四年間シンガポールの隣のジョホールバルで地獄の苦しみを受けて生還した
そのことを死ぬ直前まで語って死んだ、認知症になってもそのことが一番印象的だったから忘れなかったのである

それで失敗したのが認知症になっても島根県の戦友がいてその人からもらった手作りのバッグを肌身離さずもっていたのである、そして連絡が絶えてしまった
その時死んだことを連絡すればいいと今になって思った
すでに死んで8年もすぎた、今になって気づいたのである
なぜなら認知症になったことでふりまわされ次に母の介護とか津波原発事故とかで何か余裕をもってふりかえることもできなくなっていたからだ

ただインタ−ネットのプログとかこうした個人的なものを書き残すには向いている
そうでないと公にされないから普通は個々人の家の歴史はわからない
伝えられないのである、またプライバシーがあるから伝えにくい面がある
でも歴史として郷土史として残す価値はある
つまりどうしてその家が郷土で成り立ちまた繁栄したりしたのかという物語がわかるからだ、何か繁栄するにはそれなりの理由があるからである
もちろん母の実家は父が警察署長になったとしてもその後機織り工場経営で失敗して一家離散になったとかそこには残される歴史でも負の部分が多いし親戚ともめたので今は私は墓参りもしない、そういうふうにいくら家の歴史でも負の部分が大きいと語りたくないとなってしまうのである
ただこの負の部分が必ず家にはある、だからあまり一軒一軒の家でもその家のことは語りたくないとなる、だからあるその土地の家が語られるときやはりその土地で何かしら貢献した家だとなる

posted by 老鶯 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2019年02月23日

ビッグデーターの加工で無限に作れる抽象画 Abstract painting that can be created infinitely by processing big data

ビッグデーターの加工で無限に作れる抽象画

Abstract painting that can be created infinitely by processing big data

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perple planet
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Fantasy waterfall

インタ−ネット上でも雑誌でも動画でもその映像がビッグデーターになっているから
それを変化させる、加工して抽象画が無限にできる
創作しているのは自分ではない、ビッグデーターであり他人のものだとなる
それで絵の才能が全くない私がこうして絵を描いたような気分になっているのである


Because the video is big data on the Internet, magazines, and movies
Change it, you can process it and have infinite abstract painting
Creating is not yourself, it is big data and it comes to others
That is why I am feeling like drawing a picture like this with no talent for painting
タグ:big data

紅梅(萱浜ー泉ー金沢を回る)

  
紅梅(萱浜ー泉ー金沢を回る)



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萱浜の新しい墓地

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春北風(はるきた)に向かいて走る新自転車

海近く桜井古墳に東風(こち)吹きぬ

山鳩の飛ぶや回りぬ故郷を

萱浜に墓地のみ残り雲雀鳴く

春日さしのっそり見つむ牛の顔

紅梅や泉の跡に観音像   
             
春の日や砂に遊ばむ沖に船


昨日一昨日は春北風(はるきた)だった、春の光があかるいが春北風(はるきた)がふきつけた、でもやはり春である、それで自転車で走るのも軽快である
今度の自転車は軽快に走るから気持ちがいい

桜井古墳は海に近いから一時東風(こち)が吹いた、今頃になると東風が吹くようになるそのために原発事故で爆発したとき放射性物質をふくんだ雲のブルームが飯館から福島市に流れて大被害になったのである、どうしても東風が吹くとそれを思い出すのである

萱浜には墓地しか残っていない、それもみんな新しい墓であり
前のように江戸時代の墓が残っていない、墓誌にも江戸時代のものがない
だから昔を偲ぶものがなくなったのも淋しい
やはり墓も歴史の記念のようになるから古いものが残っていれば価値がある
墓でもそうだが神社でも古いと価値があるとなるからだ

泉の酒が湧いたという泉長者の井戸の跡から11面観音像のある辺りはこの辺では古い文化の歴史地帯だともなる、そこに紅梅が咲いていたのはあっていた
あそこも高台にあるということは古い場所は津波からまねがれた
何か古い場所には意味がある、萱浜はもともとここも湿地帯だったからである

金沢からは沖に船が見えた、砂浜があり子供でも遊べば活きてくる、あそこは前にさえぎるものがないため津波がもろに襲い被害が大きくなった
火力発電所は壊れないにしろ被害が大きかったのである
前に全くさえぎるものがなかったためである

とにかく春である、遠出するにはいい季節となった

2019年02月22日

老人に売れるもの (ヤマハのYPJーXC近くの同級生も買った これは自転車のハーレーダビットソン)


老人に売れるもの

(ヤマハのYPJーXC近くの同級生も買った
これは自転車のハーレーダビットソン)


今日土手の道であった同級生が自分と同じYPJーXCに乗っていたのに驚いた
それを私は川子のパークゴルフ場で見せてこれはいいと強く推奨したのである
そして実際に同級生を乗っていいかと聞いたので乗らせたのである
その時やはりこれはいいと実感したから買ったのだろう
これは本当に高いものだからである

でも自転車にはいろいろ乗ってきた、電動自転車にも乗ったがこれは別格だと感動した
だから強くすすめたのである、そしたら同級生はすぐ買ったのである
二週間前くらいにすすめたのに早いなと思った
第一一万くらいの人口の町で自転車屋は一軒しかなくなったからである
そこでこの高い電動自転車が二台売れるというのは珍しいとなる

自分自身もこの自転車がどういうものか不安だったのである
やはり乗ってみないとわからないことがあるのが自転車なのである
乗り心地がみんな違っているからだ
車でもそうなように自転車も乗ってみないとわからないのである
ただ試乗できるところは田舎にはない
仙台では専門店があり売っていたが後が困るので買えない
でも知っている人は仙台の自転車屋を見ていたのである

老人に何が売れるのか?

これはそのヒントがある、これは高い買い物だったがそれだけの価値があった
それはエンジン部分が格段に進歩したものだったからだ
それでこれは今までのと明らかに違うということをすぐに感じて感動した

つまり次元が違う自転車の進歩を感じた!

その同級生は脳梗塞で死線をさまよった、だから一時げっそりやせたのである
今でも見た感じでもそう見える、でも体でも脳にも損傷がなかったのである
それで運動のために自転車に乗っていた、自転車にはマウンテンバイクとかで乗っていたことがあるがもっぱら車だったのである 

ここに老人に売れるもののヒントがあった
体力が衰える、それでも運動したい、そういうコンセプトでヨ−ロッパでは体力がない老人のために開発されたのがEーBIKEだったのである
だからスピード制限がないから30キロ以上でもバイクのように乗っていた
つまり老人用に開発された自転車だったのである

それで武田邦彦氏も言っているが老人のために作られ売っているものがない
だから老人は金があってもただ貯金しているだけであるというのもわかる
本当にそうだと思う、例えはスマホとかは老人に合わないのである
画面が小さすぎるのが問題なのである、それだと老人は疲れるからである
そういう小さい画面で操作するのは疲れるのである

それでキンドルを買ったが使わなくなった、なぜか?
パソコンの広い画面で読んだ方が楽だし頭に入るからである
キンドルも画面がスマホのように小さいから老人には向いていなかったのである
ただ別にパソコンで読めるからこれなら電子図書館みたいになり便利であった

つまり老人用に開発された商品がほとんどないのである
みんな若者向きなのである、それで老人は貯金する他なくなる
例えば投資だってはじめてするのだから老人には不利でありただ銀行にだまされるようになる、自ら判断できないからである
いいカモになるだけだったのである
これも老人用に金融商品が開発されていない、ただ地銀ですら老人をカモにするだけだとなる
だから高齢化社会と盛んに言ってもそれに社会が適応していないのである

だから体力がなくてもIT機器でも老人向きのものを開発すべきだとなるがしていない
ただ売れるもののヒントとしてこのYPJ-XCがあったなと感動した
今何か物を買ってもこれくらい感動するものはない
それがあったということでやはりこれだけは推奨できると思いすすめた結果同級生の病気になった人も買ったのである

もう一人知っている人もなぜ自転車にのるようになったかというとトラックの運転手だったが足を悪くしてアクセルが踏めないとかなり自転車に乗るようになった
足が悪くても自転車には乗れるのである
そして車に乗っている人とは自分は話しないというよりできないが自転車で会うと話するのである、なんか仲間だと感じるのである、自転車を通じて仲間になれるとなる
ただ車中心だったときはなれない、車持っている人は車に乗れない人は馬鹿にしているとか一段低くみる傾向があるからだ、そのトラック運転手が言っていたからである

このYPJーXCはハーレーダビットソンだ

同級生もそう感じた、自分も感じた、ハンドル部分が長いし乗った感じそうなる
何か気持ちよくとばすことができるという感じなのである
安定感もあるしスピードも出るし軽く走れるからである  

とにかく高齢化社会といってもそれに適応した社会になっていないのである
みんな売れるもの作りたいとしてもそうなっていないのである
それを真面目に真剣に企業側で売る側で提供していないとなる
若い者が少ない少子高齢化でもそれに適応した商品開発もしていないのである
それで金を持っている老人がいたとしてもただ貯金している他なくなっているのである



神社が津波の被害からまねがれたのはなぜ (古いものは何か理由があってその場に作られ人が住んだから)


神社が津波の被害からまねがれたのはなぜ

(古いものは何か理由があってその場に作られ人が住んだから)




福島県南相馬市小高区浦尻前田 綿津見神社

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泉官衙遺跡
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ここも丘によって津波がさえぎられ被害が少なかった

原町区下高平鎌倉時代中世遺跡群
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桜井古墳の手前までも津波が来ていた     
古墳も古いから高台にあるのが多い                  

南相馬市鹿島区烏崎八竜神社

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磯部(寄木神社)
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相馬市松川浦津神社(つのみや)  
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津神社から下に原釜がありそこに家が密集して被害を大きくした
そこはやはりもともとは新しく住んだ人たちだとなる                            


津波で不思議だったのは古い場所が神社が建っている所が高台にあり被害をまねがれた
小高の綿津見神社からたどるとそうである
その前に沼があったがあれは津波でできたものかと思ったら津波の前にあったのだ
それも不思議である
どうして沼ができたのだろうとインタ−ネットで報告していたサイトがあった
するとあそこに慶長津波とかで海の水が押し寄せて沼ができたのか?
あそこに水がたまりようがないからである、これは謎である
ただあの綿津見神社も辛うじて津波から残った

それから原町区の泉官衙遺跡も丘の裏側にありそこで津波が弱められて大きな被害にはならなかった
この地形の影響が本当に津波では大きかったのである
津波の勢いが弱まるとそれほど被害がない、松島でも勢いが島が障害物になってそがれて水は徐々に上がったが強烈に押し寄せることはなかった
そもそも津波は物凄い水の塊りとなって圧力があまりにも強大となりそれが大被害をもたらしたのである
だから水の勢いを弱くするとそれほどの被害にならなかったのである
だから地形が影響してそうなった

そして古い場所とかにある神社とか寺と石碑とか見るとそこには津波は来ていないのである、その位置を図で示したように近くまで来ても津波の被害はなかったのである
ただ烏崎とか海老とか磯部はなぜ家が密集していたのか?
それは漁業する港があり便利だからそこに集まったのである
それは三陸とか他でもそうである、明治以降の三陸津波の後でも便利だからとまた元の低地の港に集まって生活していたことでもわかる
烏崎も海老も磯部ももともと港があったからそうなった、そこは慶長津波の400年前からあった、海老は最も古くエヒであり蝦夷が住んだ地域だから本当に古い場所だったのである、そこは高台だったから住んだ
その下の右田は低地であり江戸時代に開拓して住んだから新しいのである
海老村には弥生時代の住居跡があることでもわかる

ではなぜ400年前の慶長津波の記録が残っていないのか?

それは大きな謎だった
ただ八沢浦が入江になり海だったときその奥の柚木(ゆぬき)には津波の伝説が残っていた、

神社の場所が津波の届くぎりぎりの標高にあったことです。標高線と神社の位置を重ねてみると、南相馬市原町区では標高10メートル、相馬市では標高5メートル近くに神社が立地していることがわかりました。また、そのような規則的な配置は古い神社に多く見られて、明治以降に新築・移転されたような新しい神社には見られませんでした。結果として、新しい神社には流されたものが多かったのです。

これを証明しているのが烏崎の八竜神社である、本当に社殿すれすれまで津波が来たが残った、その下は全滅になった
そして平地の津神社は八竜神社の分社であり住む地域が広がってそこに分社したのであるもともとは高台にある八竜神社が元なのである
そこは津波からすれすれと残ったのは奇跡的だった
ただ海老村は一番古い村でも全滅した、それは高台にあり安全だと思われていた地域である

てんとう念仏」と通称で呼ばれている場所がある。
 水田から民家の脇を通って、丘に登っていく。その道が上の写真。 
 <津波が来たときにこの山に登り、念仏に唱えて津波が収まるように祈った>ということから、この地が「てんとう念仏」と言われるようになったという。 

 もうひとつは、すぐ近くにある「急ぎ坂」と呼ばれる坂。 
 <大きな津波が来て急いで駆け足で坂道を登った>というこ

この地域は八沢浦の奥である、もともと八沢浦は海であり入江になっていた
だから人は住んでいなかったのである、明治以降に開拓された場所だからである
それで当然被害があったのは津波が押し寄せたのは人が住んでいる柚木だったとなる
そこに伝説が残されたのは地理をみればわかる

ではなぜ烏崎とか海老とか磯部に津波の伝承が残されなかったのか?

それはいろいろ調べてもわからない、資料が記録が何も残っていないからである
ただその津波が来たとき相馬藩では戦国時代であり争いがあり戦さがありその方の記録は事細かに相馬藩政史に残されている
でも津波の記録は生波(いくなみ)で700人溺死としか記されていないのである
それで伝承があるのかと調べてみてもこの柚木に残っているだけなのである
あとは小泉川を上った所の諏訪神社に舟が流れてきて木に止まったとかいう伝説があるその諏訪神社は相馬市内の奥なのである
それは慶長津波なのか、800年代の貞観津波なのかわからない、相馬市の松川浦から奥でボーリング調査して発見されたもの砂は貞観津波のものだった
慶長津波だとするとやはり柚木村しか残っていないとなるのだ

だから記録が残らないのは磯部村とか海老村とか烏崎村とか他でも全滅して伝える人がいなくなり残らなかったのか?
津波の恐ろしさは村ごとなにもなくなることなのである
草戸千軒とかでせ川の洪水ですべて町ごと消失して今になり何か遺物が発見されている
そういうことが他でもあり、古代のエジプトの遺跡でもそういうことがある
街ごと全体が失われて何も残らないということが歴史上あるからだ

ともかく古いものは何か理由があってその場に建物でも建てられているのである
たいがい高い所に神社があるというときもともと日本は低地は湿地帯で住みにくい場所だった
それで葦原瑞穂の国ともなっている、そうした湿地帯を開拓して田んぼにしたからである
下駄は湿地帯を開拓するために作られたものだったからである
だから川子でも低地はもともと海であり塩崎まで海であり今回の津波で船着まで津波が来たことには驚いたのである
そこには船が奈良時代から平安時代に来ていたからである
この船がどこから来たのかは不明にしても船が行き来していたことは確かなのである
川子でもは八竜神社は高台にあるからだ

そして六号線の海側に津波の被害がほとんどあった
それで六号線は元の浜街道にそって作られたので古い道だったからそこまでは津波が来なかったとなる
それでなぜ山元町があれほどの被害になったのか?
それは六号線の海側に住宅地が広げたからである、あそこは仙台の通勤圏ともなっていたからである
それで有名な元野球選手も住んでいて被害にあったとかなる
つまり何か新しい場所はその土地の成り立ちとか歴史を無視して宅地造成するから被害にあうのである
地震でももともと沼だったような地盤の悪い所に家を建てるから被害にあうのである
だからどこでもその土地の古い場所は安全であり新し場所は何か悪い土地であり危険もあるとなっていたのである

いづれにしろ津波原発事故から8年過ぎてもその傷痕は癒えない、それだけ甚大な被害だったのである、それは戦争の被害とにていたのである
そういうものは簡単に忘れることができないのである


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2019年02月21日

津波は地形による影響が甚大だった (前にさえぎるものがあると被害はすくなかった)


津波は地形による影響が甚大だった

(前にさえぎるものがあると被害はすくなかった)

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枯れた一葉松

萱浜には墓地だけが残った、それも墓は新しくしたものだけだった
古い墓はない、ここには江戸時代の墓もあった

それから遠くの高台の老人施設まで被害があり老人が死んだのも前にさえぎるものがないから
津波の勢いが弱まらなかったからである

南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」は東日本大震災で津波に襲われ、
36人が死亡、1人が行方不明になった。

鹿島区八沢浦の場合
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前に丘があり津波は弱められた

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金沢と北泉の被害が凄まじかった
それは前にさえぎるものがないからまともに津波が襲ったからである
坂でも勢いよく駆け上るように津波が押し寄せたのである

全部クリック拡大して見てください


今日はあたたかいので萱浜から北泉から金沢を回った
一葉松は枯れたので市の方で新しく苗を植えたとかさし木したのか植樹祭をしたという
それでもそこにあのような立派な松になるには百年かかるとかなる
だからそんな松を見るのはもうなかなかできないし先の先である
そうなるとあの松がなくなることは惜しかったなと改めて思う

その近くで松の木を切って仕事している人がいたので聞いた

「ここは被害があったのですか?ここまで津波が来たのですか、床上まで来ましたか」
「床下まで来たよ」
「それは良かったですね、被害が少なくて」
「あの新田川の河口の丘があり被害が少なかったんだよ」
「あの丘ですか、なるほどあれで津波がさえぎられて弱まった」
「でもここから向こう側新田川沿いでは被害が大きかった」
「あそこでは6人くらい死んで家は全部流されたよ」
「それは私も知っています、そこに住んでいた人から連絡ありましたから」

床上か床下かと聞いたのは私の家の近くでも海から3キロ離れても床上になり意外と被害が大きかったからだ、床上になるとどろをかぶるからそのあとかたづけが大変になったからだ、水害でも床上と床下では相当な差があるのだ

とにかく津波の被害が大きくなったのは前になにもない、さえぎるものがない場所で壊滅的な被害があった
それを象徴していたのが石巻なのである
海岸に家が密集していた、そこを通った時なんでこんなに家があるんだと見ていた
それは実際は本当に怖いことだった、津波の恰好の餌食になる場として提供されていたのである
それは相馬市の原釜(はらがま)とかでもそうである
海に接してそこは海水浴場になっているけど家が低い場所に密集していたのである
もしその後ろ津神社(つのみつ)神社の高台の所あれば助かった
そこまで津波が来なかったからだ
低い場所の所は津波で根こそぎやられたのである

まず津波を考慮しないで住宅地を広げすぎたのである、それを今からふりかえると恐ろしいことだったのである、津波に対する警戒心がまるでなかったのである
それは仙台でも同じであり住宅地が海岸沿いに拡大していた
そこに地震が起きて津波が来るとか警告したらその学者に業者が怒ったとかある
売れくなくなる、地価が下がるからそう言ったのである

津波には地形を考慮せよ、その差で被害が大きく変わる

八沢浦でもそうだった、すぐ前が海なのだが丘が前にありその家では裏が山になっているからそんな近くでも津波を見て裏山に逃げて助かったのである

本当に津波は地形によってその被害が大きく左右される

でもそのことを考慮した街作りとかしていなかった、だから海岸沿いに密集して建てた家は根こそぎ津波の被害で村ごと消滅したのである
それも本当に恐ろしいことだった
ただ今になるとなぜ津波に対する警戒心がなくなっていたのか?
それは人間は400年に一度とか来る津波には備えられなかった
みんな忘れていた、それで忘れたころに大災害が来たのである
人間の弱点は経験しないことは理解できない、また何事忘れやすいのである
人間はすぐに死んだりすると忘れられるように次々に起こることで大きなことでも忘れてしまうのである
だから記録して伝えることが大事になるのだけどそれが文書とかになるとなかなかリアルに感じないのである、伝承があったとしてもそれもまた語り継ぐとなるとなかなかできない、だから津波は来ないという固定観念が形成されたのである

いづれにしろ津波は地形を地勢を見ることである
その地形の差で被害の強弱が生まれた、新地の火力発電所は原町の火力発電所のように海に突き出ていないから引っ込んだ所にあったというだけで被害が大きくなかったのであるだからちょっとした地形の差が大きかった

そして不思議なのは八沢浦でも旭化成とかの工場が海岸に接してあったが丘の上にあった原町の新田川の河口でもそうである、丘の上に工場のようなものがあった
結果として被害がなかった、でもなぜそんな所に建てたのか?
そこは田んぼではなく地価が安かったからだろう
田んぼの所は工場にしにくいからである、それで逆に助かったともなる

ともかく日本は災害が多い、土砂崩れとかも多い、山国だからそうなる
そういう地形を見ることは本当に大事である
だからその地形の危険な所に地名から判断するということもある
それより今なら地図でも地形を見ることができるからそこで危険な場所を判断する
ただそうなるとどこも危険があるのが日本だから家を建てる所がなくなるとまでなる
ただ明らかなことはなぜ神社が被害がすくなかったのか?
それは神社は古いから高台にあったからである
古い家はだから津波の被害にあわないことが多かったのである
相馬市の松川浦の原釜とか平地に家が密集したのは新しいのである
ただ鹿島区の海老とか烏崎は古い、だから何らか400年前の慶長津波の被害があったかもしれないが記録に残されていなかったのである

津波から8年になるのがまだ津波の傷痕は消えない、それだけ被害が大きすぎたのである
それが癒されないのである、ただこの津波の被害の教訓を忘れてはいけない
地形が良く知って住むべきだったということである
そして津波を防ぐ効果的な方法は海の前に台地を作ることだったのである
するとそこを波が越えたとしても津波の勢いが弱まるから被害が少なくなるのである
それだけ津波で心すべきことだったのである  

 八沢浦と磯部の地形と神社 (津波との関係は・・・)

posted by 老鶯 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

固定観念と思い込みと先入観に陥りやすいのはなぜ?


固定観念と思い込みと先入観に陥りやすいのはなぜ?

リンゴは赤い

リンゴは赤いというのは頭に変えられないものとしてインプットされている
でも赤くない青いリンゴでも黄色のリンゴでも実際はある
でもリンゴは赤いということを頭の中で変えられない
それはななぜか?

それは経験でそうなったのである、絶えず赤いリンゴ食べてきた結果そうなった
たまたま青いリンゴとか黄色のリンゴでも食べた見たとしてもその確率は非常に低いからそれが固定観念を作り出すのである

それならば「固定観念」など無くしてしまえば、もっと自由な発想でいられる、と思いますよね?ところが、年齢とともに積み上がり、さらには無くせないのが「固定観念」の難しいところです。なぜなら、それは今までの経験や教育によって積み上げられて作られているからです。

老人の場合は今まで経験したことから判断することが多い、だから頑固になる融通性がなくなる、それはどうしても人間は経験したことが判断の基になっているからである
それはささいなことでもそうである

自分自身が気づいたことは駅から大阪に仙台の空港から飛行機で行ける
それなら時間もかからないし運賃も安くなる
それは駅でそういう人にあったから知っていた                

ところが自分自身の経験では一回も飛行機で大阪に行っていない

電車でしか行っていないから飛行機で行けば簡単に行けるということを聞いて知っていても大阪は遠いななかなか行けないなと思い込んでいたのである
要するに人間の自分が経験したことを基にして判断している
結果的に経験といってもあらゆることを経験できない、社会のほんの一部しか人は経験できない、また知識でもほんの一部しか身につかないから固定観念をもちそれを破ることができないのである

それはあらゆるところに起きる、最近地銀に投資をまかせた、地銀は信用できると思っていたからだ、しかし地銀は証券とか投資のこと株でも投資信託のことは全くの素人だったのである、でも地銀は信用できるという経験からそう思ったのである
現実におばあちゃんが地銀を信用して投資信託を買わされて一千万損ししても依然として地銀を信用していたのである
老人になるとそうして銀行とか地銀でも直接顔合わせて信用できるものとして長年経験しているからそうなったのである

老人は今まで経験したことで判断する、津波でもこの辺ではそうした経験をしている人はない、400年前に大きな津波が来たということは誰も知らなかった
すると老人は津波は来ないという固定観念があり逃げずに死んだ人が多いのである
経験から判断するからそうなるのである
すると経験しないことには対応できないのである

ところが人間の一生は短い、400年単位とかで起きることになるとそれを経験した人がいない、だから対処できなくなる
そして人はそれぞれの経験で判断するけどそれも限られているから新しい事態が起きたら対処できないのである

ただ仙台から沖縄には飛行機で行った、それは沖縄は電車で行ける場所でないから飛行機で行こうとなっていたのである                                              

だから今の時代に大阪に飛行機で一回でも行く体験していたらこうはならなかった

仙台空港までは直通の電車が出ているからだ、それは士っていたけど大阪まで一回も飛行機で行っていないということが未だに大阪には簡単には行けないと思い込んでいたのである

いづれにしろこの固定観念とか先入観とか思い込みはささいなことでも常にある
それで失敗しているのである、これは老人には多いにしろみんなに起きていることである成功体験からぬけられずに失敗したとかいろいろこの固定観念とか先入観で失敗する
それはもう人間の宿命である
そして常に時代は変わる、それも技術でも急速に変わりそれに追いつけない、体験できない、経験しないからわからなくなる

科学の歴史でも技術の歴史でもこうした固定観念を打ち破る歴史だった、コペルニクス展開とかもそうである、地球が動いているということはありえないことだった
飛行機で空を飛べることはありえないことだったが実現した
人間は固定観念にとらわれると失敗する
信長でも最初は奇襲で勝ったがその後はその戦法をとらなかった
常に臨機応変に対処したのである、成功体験にとらわれなかったのである

でも実際に固定観念とか先入観を打ち破ることは本当にむずかしい
単純なことでもそうである
この辺だと太陽が海から山に沈むのだからそればかり毎日見ていたらそれが固定観念になる、でも山から太陽が昇り海に沈むのも日本海だとか普通にあるし山から昇り山に沈むことも普通にある、でもその感覚が理解できないのは地理でもそこに長年住んでいると固定観念化しているからである
だから旅するとその変化が新鮮な体験となるのである
まず方向が例えば飯館とか山に囲まれているとわからなくなるのである
近くでもそうなのである、それで地理を理解することが一番むずかしいのである
それはそうした旅して実際に体験しないとわからないからである
地図を見てもわからないのである

地理の固定観念というときまず日本からしか日本は地理を見ない、でも大陸側から日本を見れば違ったものになる、そういう視点で地図を作った本もある
それは視点を変えると世界は違ったものに見えるからである
地理もだから固定観念化してそれで世界を見誤るのである
なぜなら世界地図を見ただけでは地理はわからないからである
実際に路査すればわかるが世界となると広いからそれができないかち人間の視野は現代でもこれだけ情報社会になっても狭いから判断を誤る

テレビの画面から地理はかわならいし世界もわからない、その映像も誤解が多いのであるそれはその地理の一部分しかパーツしか写さないからである
その周りの状況とか全部を映すことはできないからである
それでイラク戦争の時油まみれの海鳥だけを映していたが周りの状況は写されずそれがイラクが悪いとなったのである
テレビとは映像で誤解を与えるものなのである、映像だと真実だと見るからである
でもそれも幻想だとしているのもわかる
真実は何か事実はなにかもテレビの小さい四角の画面からは判断できないのである
でも映像のインパクトが大きいから映像によって固定観念化されるのである

いづれにしろ人間にとってこの固定観念とか思い込みとか先入観はささいなことでも常にあり判断を間違うのである、それが人間の弱点なのである
だからAIでもかえって人間より判断で間違えないという時、それは膨大な情報を処理しているからなのだ、人間はほんの一部しか情報を得ることができないし理解できないからである、するとその判断が誤るとなるのである
だから固定観念から先入観から思い込みから脱することが大きな問題になる
特に老人はこれまでの人生で経験したことで判断する
それが時代に乗り遅れ判断を誤るのである
時代が急速に変わる時はどうしても追いつけなくなくなるのである

2019年02月20日

春寒し(風流は寒きものなり)


春寒し(風流は寒きものなり)


我が一人大き家に住み春寒し

ふるさとに貧しき女春寒し

春寒したずねて帰る女あわれ

食器洗う男やもめや春寒し 

我が家の長き争いやみにしもなどか淋しき春寒しかな 


(風流は寒きものなり)ー斎藤緑雨  

これも逆説である、今日は曇っていて雨はふらないがふりそうであり春寒しにぴったりの天候である
何か最近天候不順で温暖化とか騒ぎ天気が変則的になっている
今日は季節的には雨水だとか春寒しにあっている
この寒さはまた冬の凍るような寒さとは違ったものである
何か日本人はそうして微妙な季節の変化に対して敏感でありセンスがある
おそらく百姓だってまだ春だけど寒いなということが季語になったのである

それで(風流寒きものなり)ー斎藤緑雨 という言葉が生まれた、ただこの寒さは秋でも寒いし冬の寒さでもある、まず江戸時代でも明治以降でも戦前でも戦後でも十年くらいは炭だったから寒いとなる、私の家は最初はトタン屋根で雨漏りする家だった
風も隙間風びゅうびゅう入ってくる、今の家の弱点は古い家だから隙間風が入るのが弱点である

ただ寒いということにも風流を感じるのは人間だからである、日本人は季節の移り変わりで共感する、それが文化となる、あいさつも天候のことだからである
この文学と俳句でも短歌でもなにか効用があるとしたら春寒いとか自分の場合一人でありそれが何かかえって風流になる、一人だと感じることが多くなるからだ
大家族でにぎやかだと淋しいとかも寒いとすらなくなるかもしれない
人のぬくもりであたたかく感じるからである

ともかく家族が死んでからんとした大きな家に一人いるのも寒々とすることがある
一人暮らしの老人が増えているけどこれも問題である
ただなぜ一人暮らしになるのか?人間は夫婦でも親子でもみんなうまくいかない
何かもめるのである、それで家に来る見守りの女性は息子と別々に暮らすようになった
だからこそこんなに一人暮らしが増えている、一人暮らしは経済的ではない
電気水道でも一人だと何人かで暮らすと同じようにかかるからである
でも現代はそういうところが贅沢なのである

私の家族は特殊で長い間60年も一緒にいて争っていた、最後死ぬときも一人が認知症になり悲劇的結末になった、60年も一緒にいれば争わなくてもいいと思うがこれも女性の業なのである、人間は一人の男をめぐり争うのが業なのである
「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム」これを毎日見ている
このように延々と女の争いが戦いが繰り広げられる
そこに権力もからんでいるが女性は王の寵愛を受ければ権力も同時に手に入るからそうなる、これも何か寒々とする
あれば作り話である、でもそれが全く創作したものかというとそうではない、現実にそういうこととにたことがあり作られたのである

貧しい人がいたとしてそれに同情するのもまた自ら困ることになる
なぜならその女性は今度は病気で入院したとかなりそうなるとこちらが世話役なのかとなってしまう、現実に今はただ金を無心に来るだけであり何もしない
全部家事は自分一人でするほかない

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される

船の棹は、川底を棒で突いて、舟を進めていきます。棹を強く突けば突くだけ、
早く進む事が出来る。
元々、(情という)流れがある所に、更に情でもって棹を突けば、どうしようもなく
流れてしまって、舟がコントロールできない状態になってしまう、

こういう意味だった、貧乏な人がいる、それに同情するのはいいがそうなるとそれもきりがなくなるのである
そうしていくらでも金でも要求される、もう本当にコントロールできなくなる
どこかで非情にならざるをえなくなるのだ、この世には貧乏な人でも山ほどいるし病気の人も山ほどいるし障害者もそうである
とするとそういう人に同情するのはいい、かわらなければいい、直接かかわるとまた違ってくる
金でもなんでも与えることになり自らの生活も脅かされるようになるからだ
それで情に流されることも危険なのである、誰でも同情することは悪いことではないしそうあるべきだがそれも切りなくなるから困るのである
手伝いとして働くのではない自分自身が手伝いにもなってしまっているからだ

ともかく文学とかの効用は貧乏でもあるというときかえって貧乏とか寒いとかの方が風流があるというときそれは何か人間には足りないものが必ずありそれを補うものとしてある宗教にもそういう面がある
人間はどんなに裕福でもまた便利でもそれで満たされるとはならない
かえってあばら家にも月が出て美しいとなる、自然の美は貧富とは必ずしも関係ないのである、自然の美は無償であり無料なのである
金持ちの家に太陽が照り月が輝くとかならない、あばら家にも同じように太陽の光はさすし月も星も輝くからである
そういう点で人間は平等だともなる、自然によって人間は飾られている
それは再三言っているけど東京のような一番繁栄した場所に美がない、それは自然がないからであうる、江戸時代ならあったが今の東京にはそれがないからである

いづれにしろ季節の変化を書くのは俳句とか短歌が向いている
日々変化しているからである、だからこのプログはそうして表現するには向いているのだ俳句とか短歌でも普通は雑誌でも月間だからその日その日の感想を書くことはできないからだ
ただ逆に読む方になるとなかなかいろいろあって調べるのもめんどうだとかなる
ただyoutubeでも個人のメデアになったことが大きな変化だったのである
だから限りなく表現できるのである、制限されないからである
即座に書いてすぐに読むことができるからだ
それで私は膨大なものを書いてきたのである






新幹線春の俳句


新幹線春の俳句

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みちのくへ春風切って新幹線

春光にたちまち過ぎる新幹線

みちのくの芽吹きや早し新幹線

タンポポや一挙に遠くへ新幹線
                           
I go away by Shinkasen
at a stretch in the distance
dandelions bloom

北上の春の流れや新幹線

春の灯や街はいづこやはや過ぎぬ

みちのくの春の山々新幹線   

新幹線おりてローカル残る雪


新幹線に乗るとか景色を見るとかは新しい体験である
技術の進歩は新しい体験をもたらす
今回買った電動自転車でもそうだった
これだけは自分にとって本当にいいものだった
まず走りが全然違うのである、だからこれなら体力がなくても遠くに行けると思った
それで原町までも楽に行けるようになった
自転車にいろいろのったけどこれは別格だったのだ

新幹線で青森から弘前まで行った、それは二三年前のことである
だから記憶としては鮮明であるだいたい30年前とかまでに普通なっているからだ
そうなると思い出すとしても鮮明にはならないからだ

ともかく新幹線は早い、景色もゆっくり見ていられない
でも新幹線の体験はやはり異次元の体験なのである
一挙に遠くへ行ってしまう、そこでタンポポが咲いていたなとかわずかに見えた

それから新青森から弘前の方にローカル線に乗り換えた、その時は暑いくらいの気候だった、それでも青森の山に入ると雪が残っていたのである
そこから山を分け入り弘前についたのである

新幹線は飛行機よりはいい、まだ外の景色も見れる、これがリニアになったら外の景色すら見えずただ飛行機のように移動するだけだとなる
飛行機というのはつまらない、景色が見れないからである

ただ最近気づいた、仙台空港から大阪に行くのは飛行機の方がいい
電車で直通で今は行けるからだ、ただ大阪京都は外人が多いから行きたくない
泊まるホテルを確保するにも大変だからである
正直今は旅をしたくない、それでも今度買った自転車では春になったので遠くへ行ってみたいとなる

タグ:新幹線俳句

2019年02月19日

悪質な駅のトイレの落書き (これは夜にしていると犯人は知るのはむずかしい)


悪質な駅のトイレの落書き

(これは夜にしていると犯人は知るのはむずかしい)

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駅のトイレにこれだけの落書きをしていた、これはひどい、悪質である
このトイレはJRが管理しているのではない
市で運営してるトイレなのである
それで毎日障害者施設のあさがおの人が来て掃除している
ぴかぴかに磨いているのである
その金は市から出ている

これは別に無人駅だから落書きされたともならない
なぜなら他でもコンビニとかでも夜に落書きされているというからだ
ただ空家とかはされやい、無人駅でもあまり人の出入りがないとされやすい
でもこれは無人駅だからというのではない
夜に落書きされたらわからないからだ

ただ無人駅でもカメラ4台があり監視しているがトイレにはない
駅だけにあるとなると誰かはわからない
この苦情は市の方にゆき、また警察に連絡するとかなるかもしれない
ただ毎朝あさがおの人が掃除しているからこれも掃除して落とすことになる
その時なんらか市の方の係に連絡することになるかもしれない
これは悪質である
別にこれは空家だとか関係ない、コンビニでも夜にされているとういからどうにもならないとなる


「BSP CLOTHING」というYoutuberは、オーストラリアを拠点に活動するグラフィティアーティストだ。

Facebookには衣料品ブランドと紹介されているが、これまでにオーストラリア、タイ、ドイツ、フランスなど様々な場所で落書きを行っている模様

落書きは、他人が見ていない時間や場所で行われる卑劣な行為です。犯人である当人たちは面白半分でも、落書きをされた側の個人の住宅や店舗にとっては深刻な被害です。消すために多額の費用や時間を要する場合もあることから、すぐには対応できない状況もあります。落書きは、人に不快感を与えたり、まちの美観を損ねるだけでなく大きな犯罪へとつながる危険性も潜んでいます。

【参考】刑法 第261条(器物損壊等)→3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料
【参考】軽犯罪法第1条第33号→拘留又は科料

落書きは結構罪が重いのかもしれない、実際に悪質であり後の処理にも手間になる
それより公共の場でされると目立つから困る、通りでもそうである
でも世界でも全国でも落書きは多い、

ただここでMEMORY 20の意味がなになのか?
20歳のことなのか?
これは外国人なのか?、その辺は謎である、外国人も多くなり落書きしているというからだ、外国人の落書きは大胆なのである

これは無人駅だからといって起きた事件でもないが何か人がいないとこういうことをされやすいのである

秋田、青森両県のJRの無人駅8駅で25日以降、駅名標などに落書きされているのが相次いで見つかり、JR東日本秋田支社からの被害届を受けた両県警が建造物損壊の疑いで捜査を始めた。

 落書きされていたのは、羽越線の折渡(秋田県由利本荘市)、奥羽線の前山(同県北秋田市)、糠沢(同)、下川沿(同県大館市)、五能線の艫作(へなし、青森県深浦町)、追良瀬(同)、驫木(とどろき、同)、陸奥柳田(同)の各駅。いずれも駅員は常駐していない。

こうなりやすいことが無人駅にはある、つまり管理している人がいないからだ
勝手にホームにも入れるしそれでJRの人が点検に来ていたとき勝手に入るなと言われたけど普通は管理する人がいないのだから自由に出入りできるのである
だから無人駅人が管理しない家でも土地でも荒らされてもどうにもならないのである

2019年02月18日

万葉集の真野の草原(かやはら)の歌を自らの短歌を創作して再考察 (やはり真野の草原は地名説とするのが有力)


万葉集の真野の草原(かやはら)の歌を自らの短歌を創作して再考察 

(やはり真野の草原は地名説とするのが有力)

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ここには古い石碑もあるがこれは寺があったときのものである
大同のものは残っていない、ただ言い伝えだけが残されたのである



古(いにしえ)に船の来たりて船着きや春満月の照らしけるかな

市庭と古の人や商いぬ春満月の海よりいでぬ 


今日は春満月がでていた、昨日はまだ厳しい寒さだっからなごんだ
そして原町からの帰りに六号線を通るが今回の津波でそこは本当に海になった
実際に烏浜の港から六号線に船が流れてきたのにも驚いた
そして塩崎には船着と市庭という地名がある
その船着の前まで本当に津波が来て海になっていたのである
実際に古代にはそこまで海が入りこんでいて船が来ていたのである
それで大内には曾賀船(田)という地名があり船がさかのぼるということでつけられた地名とされる、海だったがそこは田になって地名が残った
それはまるで地名の化石地名である
大内から頻繁に船が来るのを見たからそういう名前をつけた
それを立証するのか?
800年代の御堂が大内にあった、そんな古い御堂があるのか?それも発見だった

薬師堂 寺域にあり、平地堂方二間、縁日7月8日、伝えに曰く、大同二丁亥年創建、
本尊聖徳太子製作仏胎

大同二年(丁亥)807−808となるとそんなに古いものなのか?
それは訪ねてみたが本当に古い感じになる、寺の領域にあったが寺はなくなっていた
土地の人が薬師堂として祭っていた


坂上田村麻呂の蝦夷征伐の時代でもあることに注目し、両者が混ざりあっているのではないかと言う(遠野物語24話)。

 大同とは大和朝廷が東北を侵攻した時期全体をいうのではないかともいわれている。
東北地方に田村麻呂創建と伝えられる寺社が多いのは、「化外の地」東北を経営するために政治的な意図によって歴史が作りかえられたのだろうか。


坂上田村麻呂の建立とされる寺社や奉納したとされる寺社伝説はゆかりの深い東北の岩手県、宮城県、福島県を中心に残されている。また彼が通過したと考えられる茨城県、長野県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県にも残されている。しかし、田村麻呂が直接行ったとは考えられない山形県、秋田県、青森県さらに西日本の和歌山県や岡山県にも伝説が残る。特に多くの伝説が残されているのは福島県田村地方であり、生誕伝説から地名伝説そして寺社伝説に至るまで約80種類(うち30種類は寺社伝説)を数える。次に多いのが宮城県で約40種類(うち25種類は寺社伝説)の伝説が残されている。


三春は田村市である、坂上田村麻呂に由来している、そこから真野の地は遠くはないのである、大同年間に坂上田村麻呂の活躍があり伝説化したのである

いづれにしろ

陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを (笠女郎)

この歌は真野の草原(かやはら)とするとき誤解が大きくなる
萱(かや)が茂っている真野となればそれは秋から冬に季節が限定されるのである
もし地名なら私が歌にしたように四季に歌われる場所となる
春でも夏でもいいのである、だから何か草原(かやはら)で限定するとおかしくなる
船着とか市庭という場は船が着いて商いがあったにぎやかな場だったのである
するとそういう場にただ萱原が茂っている場所とするのはそぐわないのである

もう一つの石巻説になるとこれは遠いのである、まさに辺境そのものである
そんな所に萱原という地名があるにしてもそこがなぜ笠女郎が歌ったのだろうかとなる

●真野の草原を萱原とする説

●真野の草原を地名とする説

この二つに分ける時大きな差が生まれるのである
これを私が単価したように地名なら港だとすると船は春にも入ってくるから満月の時にも船は来ていたとかなりイメージすると何かそこが栄えていた遠い昔が偲ばれるのである
でも草原をただ萱原が茂っている原野のようにイメージすると春とは無関係になるからだ
これは笠女郎が大伴家持を慕って歌ったものである
どんな遠い所に行っても私はあなたのことはわすれませんよということである
そしてみちのくの真野の草原は地名であり遠い場所として奈良の都の人たちに知られていたとなる
それは春にもふさわしい場だとなるのである
でも草原が萱原としてしかイメージしないとそれは何か春とは無縁な淋しい場になるからだ
だからこれをどちらにするかは大きな問題なのである

いづれにしろ大内にこれだけ古い堂があるということは一つの証明である、大同年間に坂上田村麻呂がかかわりこの辺にも来て御堂が祭られた、もしかしたら蝦夷を撃ったため原住民を殺したためにそれを慰霊するために祭ったのかもしれない
そういうのも東北に多いからだ、その最たるものが奈良の大仏だったのである
大和王権が日本国を征服して一つの国としたときあの大きな大仏が作られた、鎮護国家の仏として作られたからだ
それは地方でもみちのくでも建てられたとなる
海老村ははエヒであり蝦夷のことであったからだ

とにかく地名は本当に化石のように古い、船着の手前まで津波が来たということでそれを証明したのである
市庭はそれより奥にある、そうした位置関係もやはりそこに市が開かれたという現実を証明している
あまりにも海に近いのでは危険にもなるからだ
当時は防波堤など作れないからである、そこは船が着く場所でありそこから離れて市が開かれた
それにしても入江がこれだけ奥まで入っていたことに驚くし津波で現実化したことにも驚いた
その時この辺は本当に美しい入江となっていたし塩崎(しおのさき)というのもまさに海に面していたからである
ただ真野の草原を笠女郎が歌ったのは750年とかの説がありそうなると大内の薬師堂は800年になるから新しいともなる
ただここが入江だったのは平安時代辺りまでだろう、だから750年にも真野の草原があり地名として知られていたのかとなる
するとそれより前にも知られていたとなる
浪江の棚塩から出たのはツノガノアラシト系統であり一番古い

津(ツノ) 神社


(宇多郷) 尾浜3 原釜1
(北郷)烏崎
(中郷)堤谷 金沢、萱浜、小浜、泉
(小高郷)角部内 
(北標葉郷)棚塩

これがツノガノアラシト系であり棚塩は700年だとすると一番古いからだ

結局真野の草原の謎は尽きない、でもどうしても私は地名説をとるのである、地名だとしたら別に萱原ではない、萱が茂っていたと限定されないから春の歌にもできるのである、そういうふうに二つの説で変わってしまうのである
だからこそどちらにするかが問題であり解決しないと後の人もイメージできないとなっているのである









春満月(夕べ原町へ)


春満月(夕べ原町へ)


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二日前だったかこの池は凍り付いていた
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川子の急な坂道

春の月耕す畑を照らしなむ

春の月しげく通いぬ原町へ   

春満月桜井古墳に二人の主

川子なる池の凍りてすぐに立つ樅の数本に墓地のありしも

ホームにて遠くの人と話しつつ春の日穏やか今日も駅に来ぬ

萱浜の(かいはま)のなお津波の傷あれや春満月にいやされむかな

古(いにしえ)に船の来たりて船着きや春満月の照らしけるかな

市庭と古の人や商いぬ春満月の海よりいでぬ


今日も忙しかった、それはサイフなくしたとか騒いだのと今度はゆうちょの通帳がなくなっていた
これもめいどうになったがサイフが出て来たのでなんとかなった
とにかく通帳でもいろいろあるとわからなくなるのである
今日は銀行とゆうちょにより次に駅による、駅には毎日行っている
ただその時間は20分くらいなのである、だからこそ寄れる、そうでないと他のことができなくなる
毎日プログを書くことが課せられているからだ

川子の坂の道はかなりの急坂だけど今度の電動自転車はすいすい上るから楽である
この自転車だけには感心する、走りが自転車よりバイクという感じになるからだ
とにかく昨日一昨日とかまでは冬だった、一昨日はまだ厳しい冬だった
それで川子の池は凍り付いていた
そこには樅の木があり合っていた、そして坂を上る脇に墓地がある
短歌も写生なのである、ここでは別に何も飾るものがない、見たままを短歌にしただけだからである
だからこそその厳しい姿がかえって映し出されているのである
芸術の基本は何であれ写生であり写実なのである

萱浜(かいはま)に春の満月が出ていた、津波の後に海が近くに望まれるようになった
それまでは松原とかにさえぎられて見えなかったのである
津波の後に景観が変わったのである
でも何かまだ津波の傷跡は残る、8年過ぎても依然として津波の傷跡は残る
いかにその被害が深く大きかったかを物語っているのだ
だからいつになったらこうした傷跡も過去のもものになるのか?
まず数十年とかかかる、十年でもたりない20年とか30年とか過ぎてようやく過去となるのかもしれない
それほどに津波の被害は大きすぎたのである

ビジネスホテルの高見で焼魚を食べた、あそこはホテルに泊まる人の食事を出していた
ホテルの外の人は二人だった、でもあそこは広いしゆったりしているから私は好きである
味噌汁でもアサリ貝の味噌汁で気にいった、カニの味噌汁も出す、大きな鍋で作るからおいしいのである
なぜあそこにあまりホテル以外の人が入らないのかわからないのである

桜井古墳には二人の主が木棺に収められていた、これも不思議なのだがこの辺の有力者であり王がいて二人を祭る古墳だったとなる、それは前からいた先住民と後から来た征服者が一緒に祭られてともなる
そこで手を結び平和がもたらされた地域だったのかともなる
そうなると春満月がふさわしいとなるのだ

満月は塩アの平安時代なのかその前なのか船着とか一庭とある地名がありそこまで海だった、船が来ていたというがなかなかそれが資料が残っていないのでリアルに感じられない、ただ津波は船着きの前まで来ていたからそこでリアルに感じるようになったのである
その考察を次にしてみる

サイフは見つかりました (お騒がせしました)


サイフは見つかりました

(お騒がせしました)

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台所にサイフが置いてあった、てっきり穴のあいたチョッキに入れたからそこから落ちたと疑いもなく思った
なぜそうなったのか?
それは8時に起きてコンビニに行っておろした、その後の記憶が抜け落ちていたのである
8時から11時まで記憶がぬけおちていた
そしてコンビニをでてどういう径路で行ったのか思い出せなかった
普通は思い出すのである

それはなぜか?

これは前からそうであった、私は毎日家事に追われているしその他ずっと家の整理をしているがそれも未だにできていない
一番の問題は台所を一人でしていることなのである
手伝いさんは今はなにもしない、ただ見守りとか話相手とかなっている
それは三日に一回くらいしかこない、前から何もしていなかったからだ
それでも一人では困るからと余分な金を払っていたのである

まず家事でも台所は料理の用意はつくづく大変なのである
それで妻が認知症になって家事をできない夫が施設にあづけたというのもわかる
家事とは相当に経験をつまないとできない
特に料理は本当にできない、それより買うことも種類が多い、それで何がどこにあるのかわからない、最近わかったことはスーパーで売っている魚でも冷凍しておくと長持ちするから便利だと思った
生協を頼んだのは簡単にオカズができて料理をそのまま食べれると見たからである
そういうものではなかった、たいがいスーパーで売っているものだったのでやめた
とにかく冷蔵庫に何があるのかすら何回も見てないと記憶できないのである
それで料理する時だけ見ていると買って置いたものも忘れるのである
料理は料理専門に担当しないとできないということなのである

今回は認知症となっていた、なぜなら直前の記憶が完全に抜け落ちるのが認知症の記憶障害だからである
なぜこのことが私に起きたのか?それは私は家事だけでも大変なのにいろいろなことをししている、プログに文章や写真をアップするだけでも手間でありそれより頭を使うから
家事とか料理の方に頭が使えないのである
つくづく人間のできる範囲は限られている
例えば冷蔵庫に何があるのかいつも見ていないと記憶できないで忘れるのである
それは別な方に頭を使い気をとられるからである
そういうことは何度も前から経験しているからである

これは本当に認知症と同じだった、こういうことは正常な人でもある
ただ認知症の場合はそこで激情的な人は盗んだとなり家の者を責めるのが違っていた
ただ完全に自分の場合もこの時間の間に何をしたか記憶がぬけおちていた
全く思い出せなかったのである
ただコンビニに行く前に食べたものは覚えていたのである
その後炬燵に寝転んでいた
しかし全く台所にサイフを置いたことを思い出せない、サイフはなくし安いことは確かである

要するに私の場合は家事でもなんでもすべて一人でありやることが多すぎるのである
だから暇なく何かをしていなければならない、そこで全部に頭が回らなくなるのである
今までは家事でも料理でも全部家族がやってくれた
それは本当に贅沢なことだったのである、それが全部自分の負担になったときもう全部に頭が回らない状態になっていた、それは介護になってからもずっとそうである
そういう状態に同情する人など一人もいないのである
人間のやれる範囲は限られている、そんなに何でもやれる人はいないのである
そういうことを考慮してほしいともなる

ただやはり自分の金のカルマだと思ったがそうではなかった、そのカルマは消化された
これまで書いたように金も大金を盗まれたとか様々な苦しみを経てきてそれが解消されたとなる、ただまだまだつづいているのかと思ったらそうではなかったようだ
今年はこんなことで幸先悪いと思ったがそうでもないようだ

とにかくこういう事情なのでお騒がせしましたが私の事情を考慮してください



posted by 老鶯 at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

高齢化社会の商売は芥川龍之介の羅生門の世界 (老人が食い物にされまたそれに罪悪感を感じない―変わらない人間のエゴ)


高齢化社会の商売は芥川龍之介の羅生門の世界

(老人が食い物にされまたそれに罪悪感を感じない―変わらない人間のエゴ)

芥川龍之介(羅生門)

何か最近会った人は遺品整理会社の人が福島市から来たり近くでも家事手伝いとか老人の話し相手とかの家政婦斡旋の仕事をはじめた若い人がいる
銀行では金をもっている老人に必ず手数料でももうける投資信託を売りつける
もともと介護でも老人が増えてそのサービスが増えていた
地方ではそういう仕事が増えていた、若い人がそういう所で職を見つけていた
第一私の駅前が葬儀屋になっていることでもわかる
そこはもともと農協のスーパーだったことがある、それが葬儀屋になった
そさは死ぬ人が増えてゆくから商売になるからである

それが芥川龍之介の羅生門ににていると思った
羅生門には次々に死体が運ばれる、火葬にもされない、死体が捨てられる場所になっていた、そこで死人から髪の毛をぬいている老婆がいた
それで鬘を作るためだった、それを見ていた通りがかりの人がそれを見て嫌悪した
その老婆の言い訳はこの死人たちはあくどいことをしていた人たちだからかまわないと言ってしていた
そしたら通りがかりの人にその老婆の着ているものをはがされて裸にされた
こういう人間の醜い姿を芋粥とか蜘蛛の糸とかで小説にした
それを今になりなるほどと理解した

その描写はまさに現代の高齢化社会を表現していたのである
次々に死体が運ばれるという時まさに団塊の世代がそうなってゆく
それは自分でもそうである、そこで老人向きの商売が増えるのである
つまり人間の醜さは死体からも金目になるものでも役にたつものでもはぎとるのである
そういう輩が普通であり人間は生きている時からそうなのである

自治体が運営する火葬場からでる仏さんの残骨灰を、廃棄物業者の間で奪い合いになっています。この灰のなかには、人骨などと同時に金、銀、プラチナなどの貴金属も交じっているからです。

少し前まで、これらよごれビジネスは、金にはなるけれど多くが手を出さない嫌われるビジネスでした。それが、今では脚光を浴びるビジネスへと姿を変えています。

大きな目でみますと、現在のわが国は過去にため込んだ資金や資産などを、掘り返すビジネスが脚光を浴びています。想像している以上に、この国のパイは小さくなっている気がします。


このようにまさに羅生門と同じなのである、ナチスでもガス室で殺された人たちから死体から金歯をとったということがあるから世界でも共通している
人間の欲は世界共通なのである、宗教が違っても同じである
キリスト教徒がみんな聖人でもなんでもない、欲深い人たちだからカトリックでは免罪符などを売りつけたのもそのためである
つまり死者でも金儲けになる、それは一見供養しているようでも仏教でも日本では戒名商売とかある、それは免罪符ともにているのである
そんなことで何か成仏するわけでもないからだ

そもそも人間はどう人間を見ているのか?
人間にとって他者は何なのか?
他者は金でしかないのである、またその人をどうみているかというとただその人はどうでもいい、その人のもっている金と財産だけを見ているのである
その価値はわかるがその人が芸術家だとしてもそれを理解しないものには絵でも何の価値もないからである、その人の持っている価値が万人にわかるのは金であり財産である
家とか土地でも目をつけている、そういう自分もそうだから羅生門の老婆と同じなのである 

老婆に髪の毛をぬかれた人たちもあくどい人たちでありそうされたもかまわないとかなるその老婆もまたそういっていたが身ぐるみはがれて裸にされた
「蜘蛛の糸」でも人を蹴落としてでも自分だけは助かろうと地獄から這い上がろうとしていた、つまり人間とはそういう醜いものだということを描写した作品なのである
それはシューペンハウエルの人間の醜さを哲学的に解説した生きんとする意志と認識する幸福を説いたのと同じである
人間の欲、エゴはこのように隠されているかそれを生々しく赤裸々にするときこうなる
現実そういう私も世界を経験した 

金にむらがるだけであり自分自身が介護と病気で苦しんでいても関係ないのである
それは相手もまた金に追い詰められているから余計にそうなったのである
人間は人間の真実を見るべきである
それは自らも欲があり他者とは金と財産とからしか見ていないのだ
それがまず地獄を作りだすのである
人間はハエエナともにている、死体に群がるのである、金と財産に群がるのである
その醜さを嫌というほど今になって体験したのである
それでこの小説を理解したのである
この世はまさにこうした人間の欲の醜さが現れた地獄なのである
国と国の争いでも美名があるにしてもやはり利益が関係している
食うか食われるかとなる弱肉強食の世界での闘争だったともなる

人間は仮面をかぶっている動物と変わりないのである、それも善人のように見させるから偽善になるから悪質なのである、一皮むけば欲は共通にあり否定できない
そこに地獄が生まれるのである、だから死人から金目のものもをはぐということは戦国時代でも行われていた
死人などはどうでもいい、金目のもの残された髪の毛であれ金歯とかダイヤモンドとか金目のものにこそ価値があるということを如実に表現したのである
それは今の現実社会と同じであり人間の様相は時代が変わっても変わらないのである
こんなに科学が技術が発達した社会でも変わらないのである
そもそも高齢化社会で老人は早く死ねと毎日のように若い人が叫んでいる
老人の金は欲しいが財産は欲しいが早く死んでくれということである
それはあまりにも多すぎるからそうなるのである

そして人間のはかない欲を描写したのが「芋粥」である、食い意地というのもなくならない、それもなにか母がある仙台の有名な最中を食べてみたいといったときそうだった
そういう欲は誰にでもある、それも何かはかないものとして小説にしたのである
人間の欲というのはそれだけ別に古代からでも変わらないのである
そこでこの社会でもこれだけ科学技術社会になっても変わらない
その科学技術を利用して欲を満たそうとすることに変わったともなる

人間の欲とエゴは人間である限り消えないからである
この欲とエゴが消滅したとき天国が来るともなる、現実にはそうはならないのである
だから人間社会はイデオロギーがなんであれ変わることはない
資本主義だろうが社会主義だろうが変わらないことを証明された
ただ自らの欲を達成することになり極一部の人がその富を独占するのはそのためである
もし人間にそんなに欲がないなら分けているはずだからである
そして若い人たちを見ていると同じことの繰り返しをしている
同じような犯罪を犯している、ただ手口が変わったとかにすぎない
やはり欲があるからそういう問題が同じように起きているのである


結局芥川龍之介が何か人間のこうした欲とエゴに絶望して自殺したのかとなる
このことを私も身をもって経験した、こんなに人間は醜いものなのか?
ただ人間は実は他者は死体であり何も見えない、見えているのはその人が身につけている金目のものでありそれ以外ないのである
それは普通のことである、自分だって他者は何だろうとというときそういう眼で見る
つまり人間とは動物と変わりないのである
ただ動物の欲は単純だけど腹が満たされればいいのだが人間の欲は複雑だからこのように赤裸々に見えないだけなのである
善人のようにすら見えるからである、でも善人も一皮むけば同じ欲の塊りであるという話なのである

そもそも老人は見栄えも良くないから愛しずらい、なんでこいつ生きているんだという嫌悪感を普通にもつ、小説では具体的に死体だから悪臭を放っているからそっとするものとなるが老人だってもう死にかけると死体のようにすら見えるからもしれないからだ
親なら別だがとても他人である老人を愛すことはむずかしいと思う
ただ介護する人でも金をもらえるから仕方なくしているというのが多いだろう
それを批判はできない、それはみんな同じだからである
ただ人間はみんなこうして醜いものだということを知れば体験すればこの世は地獄に生きているということもわかる、だからこの世にいたくない去ること死ぬことがかえっていいことにもなるのである 

この世の地獄にしがみついていること自体異常だともなってしまうからである
ただこの世には地獄があってもやはり天国を連想されるものがある
それは自然の美とかでありそれは天国をイメージさせるものであり救いなのである
ただ人間はその美の世界に住むのにふさわしくないとなるのである
たからこそこの世の欲は滅びるというとき世界は神によって滅ぼされるというとき欲が滅ぼされるのである、人間の欲は限りないからである
それを露骨にしたのが中国の歴史でもあった、それはあまりにも凄まじいものとしてあった、ただ世界共通として人間のは変わりないから同じことを繰り返しているのである

ただこうした商売は別に需要があるから成り立つのでありそれがこうした小説の世界のことではない、人間一般の醜さを表現したものである
だからここは誤解しないようにしてもらいたい、それはそれなりの仕事であり需要があるからである
でもなんか灰になったあとから金目の金属類を取り出すというとき気持ち悪いとはなるかもしれない
そこに死者の霊がついていたりする、何か人が身に着けていたものとか人が住んでいた家には人の霊がまたついているとかなる
だから何か気持ち悪くならないのかともなる、でせそれよりも利益が優先するということなのであるそれが人間社会なのである

posted by 老鶯 at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療−老人問題

2019年02月17日

20万入りのサイフを落とした! (これもつくづく不運ー金運がない自分)


20万入りのサイフを落とした!

(これもつくづく不運ー金運がない自分

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これまで着ていなかったものでありこの裏ポケットから財布が落ちたらしい
それしか考えられない、すぐに気付けばよかったが家事で忙しくすぐに金を
別な所に保管しなかったのでもう探せなくなったのである

これはポケットというものではない、何かわからないがとりつけたものだった
両側があいていたからである



こうなったのは朝にカードで金を下ろしにコンビニに行った、そこで20万おろした
そのサイフを穴のあいた内ポケットに入れたためだった
今日あたたかいからうすいジャンパーにして中にこのチョッキを着た
それが不運だったのである
それも用心しすぎた結果である、チャックがないポケットだと落ちたりすると思って内ポケットがあるからそこに入れた
それはポケットというものでもなかった
半分あいているポケットだったのである
これは利用していない、今回はじめて着たようなものだった
普通にジャンパーにサイフを入れていればこうはならなかった

これは探しようがなかった、帰ってきてすぐに気づけばよかったが家事でいつも忙しいのでそれを忘れていたのである
まず落とすとは思ってもみなかったからだ
これは本当に不運としかいいようがない
私は金運がないとつくづく思った
金運があったのは姉であり母にも父にもなかった
今頃もし姉がいなかったから私の家は貧乏だし自分も貧乏だった

なぜなら父は酒屋だったがその酒屋もつぶれたりそれから母の実家も事業に失敗して一家離散になったりもう一軒も会社が倒産して悲惨にその両親の跡を継いだ息子夫婦は死んだそれからまた父方の親戚とまでならないにしてもやはり事業に失敗した
それで借金をかかえていて苦しんでいたから自分の家が苦しい時助けることはできない
何かこうして金運とか事業運とかてない家系なのである
ただ姉は違っていた、金運があるし事業も成功するような人だったのである

だからこそ遺産を残したのだがそれで自分にも金運がないのだが金運があったとなる
ただ自分自身にはつくづく金運がない、遺産を受け継いでもそれが減るばかりだった
大金をタンス預金をして盗まれたとか銀行に投資信託で失敗したとか何かその後金は出てゆくばかりだった
それも自分の運命だったと思う
こんなふうにしてサイフを落とすというのもよくよく不運だったのである
不注意というものではない、内ポケットがあいたものだったということなど予想もしなかったのである、それもたまたま着たこともないものを着たのだから不運だった
これは不注意とはいうよりは不運としか言いようがない
こういうことは人生である、これはどうにもならない不可抗力の運命がある
そもそもそうだろ、人間のそれぞれの運命をみればもう若い内に死ぬ人もいる、事故で死ぬ人もいる、すでにもう同級生の一割は死んでいる、重い病気になる人もいる
津波で死んだ人もいる、つまりこれらはただ不運なのである
そうとしか考えようがないものである

財産がfortuneというとき運命ともなっているからである
何らかの運が作用しているのであり人間一個人の力でまず財産は作れない
それは時代にもよる、高度成長の時代だったらいくらでも財産を作れる時代だった
貯金でも7パーセントとかの利子がつく時代があったからだ
それはただ時代の幸運だったのである、いつの時代に生まれか生まれないかでも運不運がある、どの親に生まれかでもそこに最初から運不運がある
それこそ生まれたときから運不運があり将来も決められていたともなる
今や銀行にあづけても投資信託などをすすめられて利益はとられるだけである
この相違も大きかった

いづれにしろタンス預金で大失敗したしまたキャッシュでも失敗したから現金を持ち歩くこと自体危険だからキャッシュレスの方がいい
それは老人にはめんどうでも必死に覚えようとすれば覚えられる
それが安全とわかればそうできる、ただ今の状態がつづいているのは別にたいして不便を感じないからである、ただ安全面からするとキャッシュレスの方がいいとなる

とにかく親が介護になり病気になり死んでも何か自分には不運が続いているのである
もともと幸運だったのだから不運なのではないがそういう不運が今になって続出しているそれもカルマだったとなる、不運というのではなく自分のもったカルマだったとなる
こんなふうにしてサイフを落とすということはありえないことだからである
よほどの不運であり不可抗力だったと思うからである
まずこの金は帰ってこないと思う、前は忘れた所がわかりスーパーとかでとっておいてくれたから良かった、でもその時はたいして金は入っていなかった
今度は大きな金だったかちショックだったがこれもカルマだったのである
小さい金ではないということがやはりカルマとして現れたのである
金になんかカルマが関係していることは間違いないのである
何か金を出てゆくカルマがあったとなるのだ

結局ある程度の年になればもう生きていることが得だとも考えるようになる
なぜなら同年でも死んだ人が増えればそうなる
ああ、まだ自分は生きていたな、幸運だったとなる
20万なくしたにしても命はあまだあるとか考える、まだ金もあるとかなる
これもショックだったが不運はどうにもならない、防ぎようがないからあきらめる他ないのである
posted by 老鶯 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

不正乗車は「運賃3倍」徴収、時代に合っているか (無人駅ではどうなっているのか?)

                
不正乗車は「運賃3倍」徴収、時代に合っているか

(無人駅ではどうなっているのか?)

 今では駅の無人化や省力化が進んでいる。改札口にバーのない入出場を記録するための簡易なICカードリーダーが設置されているだけの駅も増えている。その点では有人駅が多かった時代よりも、監視の目を盗みやすく少額の不正乗車がしやすくなっている面もある。
 乗車券確認が乗客の行動に委ねられることになるのならば、引き換えにその信頼を破壊した場合のペナルティを重くすることで、抑止を図るというのは合理的である。

 東洋経済オンライン

感心するのは無人駅では入り口に乗車券とか入れる箱を設置している
それを定期的に見回りに来て回収する
それを見ているとみんな真面目であり切符を入れている、それには感心する
通り抜けることは簡単だからである
例えばA駅からBCD駅となるときB駅までの切符を買ってD駅は無人駅だからそのまま素通りすればわからないからだ
それはキセル乗車とにている
なんかそんな経験している人は多いのである、それに責任も感じなかった

最近遅きに失したが社会的責任を感じるようになった、人間は社会的責任を感じるには仕事をしてみないとわからない
だから自分の欠点は備わらなかったのは社会性だった
旅ばかりしていては社会性は備わらないのである
だからニートとかの危険性は社会性が備わらないからある所で介護とか何かあると危険になる、対処できなくなるのからだ

要するにここで問題になっているのはサービスを提供する側と提供される側の問題なのである
第一そうだろう、何か食堂に行ってもどこかで買い物するにしろ何でもサービスを提供される側にばかりなっていたら社会のことはわからない
もし仕事しないニートとかなるとそのことがわからないのである

そしてサービスを提供する側には必ず責任が生じる
それで必ずクレームが文句が言われるし責任が問われるのである
でもサービスを受ける側、消費者側になると何も責任を問われないのか?
それが無人駅とかの問題だったのである

サービスを提供する側でもそれ相応の金をもらえないと提供できないのである
千円でいい料理をだしてくれと言ってもそれには限度がある
それはなんでもそうである、金によって提供するサービスには差が生じるからである
JRでは経営上収入がローカル線などでは少なくなっているから駅員を置けないのであるそれが東京でもかえって自動化したのはそれだけ自動化した方が手間が省かれるからだ
そこで経費を節約できるからである
機械化自動化は医療でもAIを利用する時医者不足だから機械に頼るようになるのであるそれはこれからどこでもそうなる
ただもし駅員を乗客側で置けと言うなら今の乗車賃を倍にするとかなる
また不正乗車を見つけたとき多額の金を罰金として払ってもらうとかなる

ここまで考える人は少ないだろう、それはJRという会社が巨大会社だから別に倒産するようなことがないからだと思っている
でもローカル線では経営的にコストとして維持できなくなり廃線になる
それを維持しろといってもできない、サービスされる人が利用しないのだからできないのである、それを維持しろというのは勝手だとなる
それで自治体がかかわり費用を負担するとかしてなんとか維持するとなる

結局現代の資本主義社会は金が責任なのである、もうからなければ金にならなければ維持する責任などないのである
もしJRで駅の高校生の見守り役でなくて駅の業務にかかわらせると切符販売でもさせるとそこに費用の負担が生じるからしないのである
業務委託すればJRで金を払うことになるのだから無人駅にする意味が価値がなくなるからである

要するに現代の社会は金が責任なのである、百円、千円、一万と金によって責任が課せられている、だから何であれ一億円持っている人は一億円の責任が課せられることになる
それをギャンブルとか無駄に使うと責められるのである
だから金のない人は責任はないとなる、だからかえって気楽だともなる
とにかくなんであいつはあんなに金をもっているんだ、その分を社会に尽くしてもらおうとなるからだ
金を与えるということは責任を課されたともなるしそれは雇うことは金で責任を与えることになる、それで悪ふざけで動画をインタ−ネットにアップしアルバイトは賠償金まで請求されることになる
ただそうはいってもなぜアルバイトがそんなことをしたのか?
それは自給とか安いからでありその自給なりの仕事と責任しかないということでそうしたからそんなに責めるべきではないというときもそうなのである
金の多寡によって責任の度合いが決められているのが資本主義社会だからである

いづれにしろ無人駅の問題はサービスを受ける乗客とそれを提供する側の両者に責任がある、責任は何か一方的なことはない、原発事故でも責任は住民にもあったというときもそうである、金欲しいから積極的に誘致したのも事実だからである
だから住民の責任もなにかやとあるが問われる結果になったのである

江戸時代なら政治に庶民は口出すこともできないから責任は全部侍にあったとなり重い責任を課せられていた、それで切腹させられたのである
それで庶民はそういう重い責任を負いたくないから侍になりたくないとなっていたのである、気楽な方がいいとなっていた
でも今の社会はあらゆる人が責任を課せられている社会なのである
それも金によってその責任が問われる明確化されている社会だとなる
何であれ金を多くもらった人はその分の責任が問われる、果たしてくれとなる
金の多寡によって責任の度合いが決められている社会だともなる
とにかくなんらかの責任の自覚をする、それを庶民にも要求される社会である
だから不正乗車を軽く見ることはできないともなる
ローカル線とかげは金を払わないから廃線になる、でも廃線にするなと言うのは無責任だとなるからだ


2019年02月16日

無人駅の責任問題(自動運転の責任問題に通じている)


無人駅の責任問題(自動運転の責任問題に通じている)

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切符の販売や清算、列車の運行等に関する駅業務のご案内はいたしかねます

なぜこのようにわざわざ書いたのか?
また乗客に表示してわざわざこういうことを記しておくのか?

これはJRが責任を明確にして責任をとりたくないからである
それは私が自作した時刻表とかまた案内の紙でも張るなと言われたからである
それはなぜだったのか?

それはもし私がそうしたらそれはJRで許可したことになり苦情とか問い合わせがJRにゆくからそういったのである
別に悪いことをしていない、JRのためにもいいことなのだがJRではそうさせない
それはそこに必ず責任問題が生じるからである

だからなぜわざわざこのことを明記しておくかというとその駅に人を置くのはあくまでも南相馬市と業務のことで相談して契約したのである
そのことは新聞に出ていた

ここに人を置くのはあくまでも高校生の通学者の見守りとしているからだ
そのためにJRは駅の業務のことはかかわらせないようにした

もし駅の業務で委託するとなるとそこに責任が発生する

JRで頼んだのだからJRにも責任があるとなる
そしてこうした大会社になると何か事故とか問題が起きると大きな賠償金を要求されるのでそれを恐れるのである
それは市役所とかでも国とか大きな会社でも賠償金を要求される
それだけの支払い能力があるからだ、アメリカの会社では何百億もの金すら要求されたからである、だからこうなると責任のことに相当に気をつかうことになる
それがこの一文の表記ではなかったか?
また市から委託されたことでnpoの人も駅の業務には責任を持ちませんということになる
そのことで責任を負いませんともなる
市では金を払っているからだ、ただその仕事は高校生の見守りに限定されているのである
でも不思議なのは無人駅でも問題が起きることがある

そしたら誰が責任をとるのか?

例えば子供が無人駅だから勝手に入ってきてホームで遊んだりしたのである
そこで事故が起きたら後誰が責任をとるのか?
その責任はとる人はいないのである
そうしたしらその子供が悪い、親がいたら親の管理責任だとかなるのかもしれない
無人駅にしたのは経費節約のためであり乗客がそのコストを払わないから無人駅にしている、だから乗客にも責任があるとなる
JRではサービスを提供するにしても経営が苦しいのだからその分乗客が自主的に利用してくれとなる

実際に盲人がホームで事故で死んだりした、その時JRに盲人団体が抗議した
今でも無人駅化に反対している
それにもまた問題がある、その盲人に払う手間とかありそれを払うのがJRだけなのか?それは国の福祉問題でありJRだけにその労力を払わされるのでは困るとかなる

ともかくこれは自動運転で一体事故が起きたら誰が責任をとるのか?
そのことで問題になっているがこさとにているのである
ロボットとか機械とかコンピュターのソフトとかいろいろあっても結局責任をとるのは人間なのである
この責任問題から人間が逃れられないようにできているのである

だから悪ふざけで動画をインタ−ネットにアップしたアルバイトの料理担当者が会社の評判を落としたと賠償請求するとかなる、現実に株が下がったとか実害があった
つまりアルバイトでも責任がそこに生じている

そして必ず雇う側でも雇われる側でも責任が生じている
雇ったらその人の責任をもつ、その仕事をやらせる責任をもつ、雇われる側もその責任をもつ、双方に責任をもつ、そういう自覚のもとに契約するのである
だから実際は雇う側も雇うとき慎重にもなる、変な奴を雇って会社に損害与えるようなことになったらまた責任を問われるからである

ともかく常になんらか人間社会は責任がつきまとっていてそれから逃れられないのであるそれで会社とかではその責任を問われることを恐れるからこうして慎重になる
でも無人駅にして責任はないとかにはならないのである
いくら自動化してもそこで何かあったら責任はJRに会社に問われるのである
なんとか責任を逃れるようにしても逃れられないというのが現実なのである

そもそも人間は生まれ時にすでにそれだけでもう責任が問われて生まれてきていたのである
それだからこそ泣いて生まれてくるのだという理屈も成り立つ
そもそも人生そのものの責任からも逃れられないのである
それも死なない限り責任から逃れる術がないのである


forest in the morning and evening


forest in the morning and evening

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forest in the morning

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forest in the evening

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rockrail111.jpg

ソフトで森が一番作り安いのである
同じようでも多少違っている、変化がある
だから一番多く抽象画で作っているのは森なのである

I can make forest easily with one software -
Even if it is the same, it is somewhat different, there is a change
So it is the forest that makes the most abstract paintings


2019年02月15日

震災復興は、なぜ遅れるのか? (明治以降私的所有権など認めすぎた―共同できない地域になっていた)


震災復興は、なぜ遅れるのか?

(明治以降私的所有権など認めすぎた―共同できない地域になっていた)

正規の法定相続人をたどると、この土地だけで地権者の数は100人以上になったといいます。これらの地権者は全国に散らばっており、所在地を突き止めるだけでも困難を極めます。結果として、町は2012年11月にこの土地の取得を断念しました。大槌町だけでなく、こうした所有者不明土地の事例は被災各地で見られたのです。




ここにももう土地が個人所有に分割されて利用すらできなくなっていた
入会権でもそうである、江戸時代は共有したが山が無数の個人の所有に分割された
それで海ですら俺の前の海に権利があるとして補償金を東電に要求していた
そして避難区域になった所はあらゆるものに補償がついた
私道のようなものがありそれは自分に権利があるとして補償を要求した

つまり私的権利を認めすぎた結果として公共心がなくなり公共的なものを優先できない
共同性がかえって明治以降失われたのも逆説である
江戸時代というとかえって何か遅れたものであり明治以降は進んだものとして見ていたが実際はそこにも多くの弊害が生まれたのである

江戸時代はいろいろな見方があるにしろどうしても小さな村で狭い地域で生活するから共同する、それで伝統的なものを大事にする、村に伝えられた祭りとか行事などを大事にする、それは村を持続させるもはのとして必要だったのである
これまで述べてきた先祖がその生活した場に生きているというときもそうである
田植えの時期に山から先祖がおりてきて秋になると山に還るとかの感覚は別に宗教でもないが狭い村の中で共同して生きていたからそういう祭りが生まれた
それは宗教ではない、文化だったのである
そういうものが失われたとき人間の心は不安定になる
死者はどこにいるのかとなるときその死者の居場所もなくなる

ビルの谷間とか煤煙の工場地帯とかに住んでいればそうなる
そして現代人は近代化でそうした精神の不安定にさらされて故郷喪失者になった
戦前まではまだ村というのは維持されていたがもう戦後は消失した
核家族とか会社員となり工場で働き家族はその単位になったからである

前にも考察したがプライベートとは奪うというとき無数の私的所有権が与えられて公共的である共同的である土地も分割されたのである
そして金が唯一の価値となりすべてが金に換算される、それも私的なものとして奪うものしとて所有されることになる
公共的なものが明治以降であれ戦後には特に失われたのである
戦前は国家共同体で一体化したが戦後はそれも否定されて会社企業共同体になったからである

だからこれまでなぜ復興できないのか?
それはこうしたし時代の影響もあるとしてどうにもならないとも書いた
つまり共同体とか一体化していた村がすでにない、すると一致して共同して復興しようとするものがなくなっていた
それより補償金をもらって外で家を建てて家族のことがまず先決だとなったのである
かえって補償金で市町村は分断されたのである

それが何か共同で市町村の安全を守るべき消防所すら建てられないという現実があった
土地は本当に強固な私的所有権で細分化されている
村の共同の土地という感覚もなくなっているのである
それでこれだけ耕作放棄地が増えたというときこれはここだけの特殊な事情だけではない村の生活をみんなで守るという共同体の喪失があったからだとなる
そもそも農業は跡継ぎがいないとか金にならないとかで荒廃していたから全国的にも過疎になったり耕作放棄地が増えている、そこは荒廃してゆく

南相馬市の原町区でもそうである、大原では知っている人の家が空家になっている
息子は跡を継がない、街で家をもって働いている
そして病院に一緒にいたとき猫のことを心配していたのである
隣の村でも息子か娘が街で働いていて補償金で家を建てたとなる
そういう人がまた多いのである
補償金でかえって村が捨てられて町でも村でも捨てられたのである
これは津波の被害地でもそうである
過疎化していたのが一気にさらに過疎化して村や町を捨てて内陸部に移住して帰ってこないのである

だから本当に絆のことを盛んに言われたが第一内部でさえ絆がなくなっていたのに外部で絆、絆と強制されるように言われたというのは本当である
外部の人たちが入ってきたからそれが言われたが内部の絆は喪失していたのである
そういう社会に住んでいたからそうなったとなる
だから結局八年過ぎても復興はできなかったとなる
何か意外と絆がなくなったもろい社会に住んでいたのである
それでグロ−バル化と広域社会化しているからさらに人々は分散して帰らなくなったとなる
posted by 老鶯 at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

死者は生きた地に場にいる (死者とともに生きると生も豊かになる)



死者は生きた地に場にいる (死者とともに生きると生も豊かになる)

死者はいづこにありや
死者はその生きた家に地に山にいる
死者の霊はその地を離れず
地とともにある          
その地にその影は大きくなる
死者はその地に持続して生きる
神話となり伝説となり生きる
死者は今貶められず
汚されることなく
威厳もて生者をみつめる
その前に偽ることはできない
死者の前で人は威を正す
その霊は重く軽きにあらず
厳かにその声はひびく
死者がその地に生きて父祖の地となる
その地を受け継ぐものは誰か
正当の跡継ぎは誰か
そは父祖の地を受け継ぎぬ
神の国を御国を受け継ぐのは誰か
それは国と地にかかわらず
天なる父が決める
その契約を破ることはできぬ
天なる父はましまして決める
そのまばゆい神の国は壊すことはできない
人は地を知り天を知る
神はなきにしあらず汝の心を見
死者もまた汝の心を見る
その前に厳粛に偽ることはできない
地から神の国へと生は連続する
そは地で学び神の国へと導かれる

死者はどこにいるのか?これも謎だけど父祖の地というとき父祖が生きた土地のことである、土地と結びついて父祖もいる
土地から離れて父祖もいないとなる、、
その地とは the landでありthe mountainとかなる
日本では死者は山に葬られて死者の霊は山にいて田植えの時期に山からおりてくるというときある村の中での生活の中に死者が生きつづけいるのである

死者はその生きた土地の中に生き続ける、墓とか家でもなくなるがその土地が山でもなくならないからそこで生き続ける
だからその土地から離れて先祖もないとしたらその土地から人々が離れたときどうなるのか?
過疎地域とかでは現実に村が捨てられて社も残っていたが誰もお参りしないのである
それも不気味な光景だった、そこには先祖が捨てられて幽鬼と化しているのである
そこではもう生活が受け継がれないということでそうなった
農業でも跡継ぎがいないというときそこは捨てられる

現実に南相馬市の原町区の大原では街から離れていてそこに住んでいた人は死んで空家が残されている、その人は病院で知り合った人の家だった
隣の大谷(おおがい)村でもそうである
家があったがそこには人は住んでいないかった、街の方に家を建てて住んでいた
この辺で原発事故以後補償金をもらったことで新しく家を建てた人が多い

死者が土に還るというとき農耕民的発想になる、遊牧民はその土地にこだわらない、一時的寄留者なのである、だから一神教は遊牧民から生まれた
この地が終の住処ではない、この世は一時的に寄留する場であり本当のホームは天にある一種の旅人の思想になる、一か所に永遠にとどまることはないのである

ただなんか農耕民とか日本人は先祖に異常にこだわるのはなぜなのか?
死んだら死んだ家族の元に行くという観念が強い
そういう心情があるのが日本人だとなり先祖供養を手厚くするのである
それは先祖が死んでからだんだん日にちがたつと実在から離れて聖化されるということがある、それでいつしか先祖がカミとなるのが世界的共通にある
死ぬと何か日にちがたつと実態から離れたものになるからである
そして神話化され伝説化されてゆく

ただ死んでもその土地の中で生きているという感覚はもつ
だから土地と切り離して先祖がいるという感覚にならないのである
それで日本人の神は日本人の先祖は日本の国土にあるのであり日本という国土から離れて日本人の神は存在しないとなる
でもユダヤ教とかキリスト教とかアラーの神の一神教は国土と一体化していないからその土地の神ではないから世界共通のものとして広がったのである
天に神が存在するとなれば土地に固執することはないからである

ただ死者というのは土地と結びつけて存在を確認する
だから具体的に生きていた家とか土地とかが死者が依然としている場となり盆の死者を迎えるものとしてある、家に死者が還ってくるというのはそういう日本人の心情があって生まれた祭りである
一見仏教のように見えてそれが日本人の土俗的信仰と行事とつながっているのである
仏(ホトケ)自体ホトキであり日本語なのである


本来はほときという器に食物を入れて祀る霊ということで中世の盆の行事から始まったのではないかと思う。

人は亡くなってある年限を過ぎると、後は先祖様またはみたま様となって一つの霊体に融合してしまうものであるという。薩摩の奄美大島諸島では、七島正月の習がある。旧正月の1か月前(新暦の正月前後)に大きな祭りを行うのである。明らかにこれは先祖祭である。「親玉祭」と呼んでいた。

第26節 「親神の社」: 親とは、目上の人を親と呼び、自分の親だけとは限らない。「オヤオヤの魂祭」である。佐渡島の内海地方では正月六日をその親神さんの年夜と称する。奄美大島の七島正月は、家々の先祖祭だけを、表向きから引き離して、温かい土地柄1か月前に繰り上げたのかもしれない。大分県鶴見崎半島では先祖祭を2月1日に行う村がある。正月を外して1か月ずらせたものであろう。 

第27節 「ほとけの正月」: 近畿地方では正月6日を神年越しと呼ぶ人が多かった。この神年越しの神は年神の事で、また家々の先祖であろうと思われる。正月15日を神様の正月、16日をほとけの正月ともいう。おのおの前の日の宵を年越しと呼ぶ。正月16日をもって、先祖を拝む日としている例は極めて多い。南の徳の島でも先祖正月はこの16日である越後東蒲原では16日を「後生はじめ」といっている。子お16日に仏正月の墓参りをする。個人の霊を「ホトケ」と呼んでいたのがまずかった。人は、故人はこの地と縁を切らず、日を決めて子孫の家と往来し家の発展を見たいと思っているという心情をもっている。 

日本人は先祖を大事にしてきた、死者を大事にしてきた、それがこのように土俗的信仰として残された、それは仏教徒は別物である
仏教は個々人がいかに悟るかであり先祖信仰とは関係ないからである
それが近年失われたのは人間の生活が土地に根差す農業でなくなったからである
自然と深く結びついた暮らしがなくなったからそうした民間の土俗習慣を失われたのである、祭りも失われたのである
要するにに日本人は村単位で濃密に密接に暮らしていた歴史がありそこから土地と不可分の生活からいろいろな土俗信仰が生まれたとなる
それは理屈ではない、日本人の心情が村で作られたからである

この地と縁を切らず、日を決めて子孫の家と往来し家の発展を見たいと思っているという心情をもっている。 

ここに如実にその心情が表現されている
逆にその世界観は狭いとなる、遊牧民の世界観は広い空間での営みだから一か所に執着してとどまるということではないから広い世界観に生きていた
その差が大きかったのである、神といっても世界が宇宙がありとなると何か神なのかそういう広い世界観の中で神があるとしたの
はやはり一神教なのである
ただ本当に家族が死ぬとそのことは深刻でありそれで家族から死後も離れたくない家族とまた会いたいというのはこれは別に村があるとかではない、世界的共通した人間の心情なのである
ただ死者がどこにいるかとなるとその思い出の中にいるとなるときどうしても土地と切り離せない、土地の中に死者は生き続けるとなる
記憶される場所があってまた死者も活きてくるとなるからだ
死者の影もその土地の中でかえって大きく映し出される、そういう場がないと死者も活きないのである 

だから都会ではそういう土地がないから死者かイメージしにくい
都会のビルの谷間だとか雑踏だとか工場地帯に死者がいるのかとなるとイメージしにくいのである
そこに現代が近代人が死者に関する祭とか信仰を失った原因があ
それは精神的に貧しい社会にしたのである
死者とのつながりがあり過去があって歴史があって現在の生活がある
そういう連続性がなくなると世界認識も浅薄になる、今だけだということは人間の生活でありえないからである、次々に人が死ぬしその死ぬ人も忘れられて今しかないとなればその世界観も浅薄なものになるからである
そういうことで何か古いものが深く人間の心情に根ざして変わらないから訴えるものが依然として現代でもある
死者をどうするのかということがわからなくなった現代では特にそうなのである

 歌もおわりに近づけば
                                                                         
「死」の意味を目指し,生の次に同様に「死」も受け入れ
「死」を迎え小躍りしつつ
人間の入場となる次第を歌わねばならない
君らをしっかりと結び、君ら離れ離れの多様な生たちよ
山々と岩と流れを
それから北風、それにカシとマツの木立もいっしょに
君と一つの絆に結びわあせねばならない、おお魂よ
ホイットマン(草の葉)

死を喜ぶとまではいかなくてもここでも同じような思想が歌われている
つまり死者も自然と一体化して新しく生まれ次の世代に受け継がれる思想である
人間はやはり死とはなになのか?それは家族の死とか他者の死とかありまた自らの死がある
死の意味を深く探る必要があるのだ
そうするとよりこの世界は意味あるものとなるのである
今の世界は今にすべてが奪われている、死者と結びつかいな、そこで浅薄な世界観とかもの見方になるのである   


家の力、土地の力、歴史の力 (グローバル化に対立するもの、ナショナルな力)

場所の現象学を読む(場を無視した工業化情報化グローバル社会) (キップリングの詩の訳の解説)

キリコの絵と万葉集の比較 (場所の喪失が空虚さを生んだ、場所と密接に結びついていた万葉集の歌)

2019年02月14日

原町の高見食堂に行って食べてみた (そこはやはり狭かった)


原町の高見食堂に行って食べてみた

(そこはやはり狭かった)

高見食堂に今日行ってみた、けんちん汁食べるのかと思ったらトン汁だった
どんぶりで出していた、4人くらい忙しく働いていた
中は狭い、一人で入るとカウンターに4人くらいしか座れない
他には四人用であり一人は座りずらい、高見ランチを出していたが
ミックスランチを頼んだ
メンチとアジフライとかぼちゃのコロッケだった、何かそれが大きい
家庭料理的であるから人気があるのか?

ビジネスホテルの高見の料理はいかにもレストラン風なのである
でもあそこは広いしゆったりしてくつろげる
四人座れるところに一人でも座れる
そしてコーヒーも無料なのである

それでなぜあそこは客が入らないのか?一時は外部の人がきて10人くらい入っていた
今は何か5,6人とかしか自分は見ない
料理は悪くない、サシミ定食はおすすめである、千円でもマグロがついているし高いとは言えない、味噌汁は独自のものを出しているからいい
でも人が入らないのはラーメンを出していないからかもしれない
高見食堂は麺類をいろいろ出しているからだ

ともかく何かこうしてレストランとか食堂とかにこだわるのは自分自身外食するからそうなる、自分で料理できないから外食で安くていいものを食べたいとなるからそうなる
そして不思議なのはなぜ外食の方が自分で作ったよりうまく感じるのか?
これも不思議である、雰囲気の作用もあるとなることはありえる
高見食堂では一人ではゆっくり食べられない、カウンターが狭すぎるからだ
ただメニューがいろいろあるから入っているのかもしれない

ところで鹿島区の仮設の食堂のはる食堂は小高で再開すると聞いたが始まったのだろうか聞いたところではしていないという、あそこはラーメンも野菜一杯とかうまいものだったカレーライスが500円ではうまかった、そういう味を覚えたのである
何か自分は年になって味にこだわるようになった
アジをかみしてめ食べているという感じになる

それが意外と脳にもいい、味覚の感覚も大事なのである
味覚は脳を刺激する、すると脳が活性化するのである
それは例えば本を読んでも何か深く味わって読むともにているのである
年をとると深い考察ができるようになるからだ
何か新たに発見するものが多いのである、今まではただ一方に読まされているとんう感じだった
今は必ず自分なりに読んで評価して利用もできる、引用できるからだ

味覚というのはだからこれも他の五感と同じであり脳を刺激して新しいセンスを磨くのである
だからといって贅沢するのではない、別に普通の料理でも味覚を磨くことができる
もし味覚の能力が減退したらそれはかなり老化したともなる
それは健康にとって危険な状態なのである

認知症になると五感が衰退して何も感じなくなる、寒くても寒さを感じなくなったりする味覚でもそうである、感じなくなる、それが危険なのである
感覚がなくなることはやはり脳がもう弱体化している
なぜなら脳で人は感じるのであり体ではないからだ
人間だけが性欲でも快楽でも脳で感じて記憶している
一旦快感として記憶したものはまた快感を覚えたい味わいたいと必ずなるのである
つまり快感の記憶は強烈に脳に刻印されるのである
だから麻薬だとか何か薬でも一端脳が覚えた快感を忘れられないからそれをやめることができなくなるのである

いづれにしろ食を豊かにすることはむずかしい、料理はめんどうである
だから何か外食するからそれでレストランとか食堂にこだわるようになった
でもこの辺ではそれには限度がある、どうしてもたりないからだ
そして外食の弱点は飽きるということである
どんなにいいレストランで食事してもそれが飽きるのである
それでカレーでも毎日違ったもの工夫して出している店が東京であり紹介したことでもわかる、やはり手料理とか家庭料理が必要になるのが料理だったのである

posted by 老鶯 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月13日

ビジネスホテル高見内のレストランと高見食堂は別である


ビジネスホテル高見内のレストランと高見食堂は別である

私が前に書いたのはビジネスホテル高見の中にあるレストランであり高見食堂ではない
別に高見食堂がある、南北朝市立病院の脇の道を入った所にある
これはここの食堂とは違い、狭い所である
ここが間違いやすかった、いい食堂を探している人がいる

でも高見食堂はインタ−ネットで見たら人気のようだ
ここには一回も行っていない、ランチ時は混むから行きたくないともなる
一時過ぎたらすいてくるからいいとなるのか?
混むと何かゆっくり食べられない、せかされるので嫌なのである

鹿島区だと最近できたサクマ食堂はラーメンとかもいいし餃子には肉が入っていないけど野菜だけでそれがいいという人がいった
そういうものなのかと自分も思った、何か人によってこれがいいとか悪いとか必ず評判は違ってくる、それは何でもそうである
いいと思う人そうでもていと思う人は必ずいるからだ

結局一回でも実際に行って食べてみないことにはわからないということである
おそらく高見食堂には結構人が入っているみたいだ
意外と高見ホテル内の食堂には人は最近は入っていないのも不思議である
料理は悪くないと思うからである、味噌汁はカニ汁とか出すことがありうまいのである
サシミ定食などもお得なのである
そして広いからゆったりできるのである、混んでいないから雰囲気だとここがいいと思うただラーメンとかはやっていないから高見食堂の方に行くのかもしれない?

posted by 老鶯 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

蝋梅 (家に籠り本やインタ−ネットで検索して文章を書いたりするのが老後の幸せ)


蝋梅

(家に籠り本やインタ−ネットで検索して文章を書いたりするのが老後の幸せ)

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まだ雪がふっているね

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これは結構厚かった


蝋梅や古本手にとり籠るかな

蝋梅に雪やこもりぬ年古りて我が楽しみは本を読むこと

蝋梅に春はまだしも寒々と風の唸りてこもりけるかな

本あまた故人残しぬめくりつつ省察深めて冬籠るかな

今日も風唸りつつも大き家に一人籠りて本を読むかな

ずっしりと重たき古本また増えるストーブにより読める幸せ

葉牡丹に万寿菊活け白菊も映えて長くも我が家にあらむ


消寒絶句  清 呉錫麒

礬頭山在屋頭堆
磬口花于水口開   
不遇故人誰共賞   
打氷声裏一舟来

[書き下し]

消寒絶句(しょうかんぜっく)  清 呉錫麒(ごしゃくき)

礬頭(ばんとう)の山は 屋頭(おくとう)に在(あ)りて堆(うずたか)く
磬口(けいこう)の花は 水口(すいこう)に于(おい)て開(ひら)く
故人(こじん)に遇(あ)わずんば 誰と共に賞(しょう)せん
打氷(だひょう)声裏(せいり) 一舟(いっしゅう)来(きた)る

礬頭(ばんとう)の山 家のそばにそびえ
磬口梅(けいこうばい)の花 川のほとりで咲いている
親しい友人と会えないなら いったい誰とこの名画を楽しもうか
(と思って戸外を見やると)氷を打ち割る音が鳴り響き 一艘の舟がやって来た


蝋梅の花は春にしても冬から咲く、だから必ず雪がふったり積もったりする
去年だったかもそうだった、だから冬の花であり春の花だとなる
この漢詩はその感じをうまく表現している
冬だと冬ごもりであり人も来ない、でも春になり凍った川の氷を破って舟が来て遠くから友が来るとなる、これも中国らしい漢詩である
なぜなら川を中心にして中国はあるからだ
川を通じて人は会い別れて行く、大河別離情でありまた出会い遭うことなのである
この感覚は日本にはないのである
この漢詩は蝋梅が咲き春をまちわびているのである
つまり蝋梅が咲いてもなかなか春が来ないということにもなる
最近は今日でも寒い、やはりまだ春は来ていない、ただ後三日くらいで春は来るみたいだ最後の寒さである

そしてこうして寒い時はストーブで一人あたたまり本を読むの適している
外国だったら暖炉である、今の時代のいいのはまた古本を注文した
著者の別な本である、そしてインタ−ネットも今だと関連した文が見つかるから何か知的作業が格段とはかどる時代である
キーワードで調べられるからである、つまり今や誰しも安価に巨大な蔵書でも所有している感覚になるのだ、いちいち図書館に行って調べるのが手間になった
だから介護になってからは家族がみんな死んでから図書館には一二度くらいしか行っていないのである
あとは家事に追われるからゆっくり図書館で調べられないのである
それも隣の街に行かないとできないからめんどうなのである
知的作業をするにはまず家が研究所、基地にならないとできない
ある程度の蔵書もないとできない、それで司馬遼太郎は図書館のような蔵書をもっていたことでもわかる、あれだけのものを書くにそうなったのである

だから地方では知的探求はつくづく不利だった、第一古本は仙台に行かないと買えないしそれでも少ないからである、アマゾンならどんな本でも手に入るとなるから便利である
この恩恵は大きいのである、文系だとまず本を読むことでありそれで事足りるともなるからだ
インタ−ネットだと学者の論文がpdfで読めるのもいい、引用できるからだ
そういうことで地方でも田舎でも知的ハンディを負わなくなったのである
そして気軽にインタ−ネットでプログで日々発信できることも知的作業では効果がある
なぜなら文章を書くことは書きながら考える、創作する
文章を書くことで自らの書きたいことが書けるということがあるからだ
それで様々なことを感想でも評論でも書きやすいのである

今まではこうして気楽に自ら書いたもの発表できない、本となると選ばれた人とか売れるものとか置けない、めんどうなのである
毎日短文でも書くことは楽なのである、本にするとなると長文で編集しなければならないからめんどうになる
こういう点でインタ−ネットの効用は大きかったと思う

葉牡丹と万寿菊は合う、万寿菊は好きな花である、それ字のように長く咲いている
菊も比較的長く咲く、葉牡丹もそうである
生け花の問題は花がすぐにしおれてしまう枯れてしまうことなのである
そうなると取り替えるだけで金がかかる、それで最近はフラワーアレンジメントはしていな、他に金がかかってできないのである、また手間にもなるからだ

とにかく今は田舎の方がこうしてハンディがなくなったことで暮らし安いとなる
そして知的作業にはかえって静かな田舎の方がいいのである
集中できる、混雑した都会だと人混みであり嫌になる
年取ってからさらに介護十年でエネルギーが消耗してそういう混雑した人ごみに行くのが嫌になった、ただ疲れるだけだとなる
そして何か旅する気力もなくなったともなる
だから一日中こもって本を読んだりドラマを見たり文章を書いたりしているのが向いていると思った、そういう環境があることでも余計にそう感じるようになったのである




キリコの絵と万葉集の比較 (場所の喪失が空虚さを生んだ、場所と密接に結びついていた万葉集の歌)


キリコの絵と万葉集の比較

(場所の喪失が空虚さを生んだ、場所と密接に結びついていた万葉集の歌)

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キリコの絵

人がいても人がいない
建物だけが残された
彫像だけが残された
あれほどいた人がどこに行ったのか
建物だけがしょうぜんとして残されている
何か魂の抜け殻のように
人々は消えた、どこへ
二人の男女が愛を確かめる
しかしそれもはかない
もともと人と人の出会いはなくなっていた
群衆となりあれほど人がいたのに
人と人の出会いはない
また出会う場がない
魂の抜けた何か無機的な建物
彫像も魂がぬけて置物のように置かれる
それは場所の喪失であり
場所に根付いた継続された歴史の消失
そこには過去も歴史も意味をなさない
そこには空虚のみがある

キリコの絵は現代の精神状況を現したものである、何か建物でも本来の重厚な意味をもたない、それはローマの建築から中世の大聖堂のゴシック建築とかとも違う
そこには精神があった、建築にも精神があった、時代の精神があった
それがないから空虚なのである
また本来あるべき場所がない、その建物が建っている大地もまた何か都会であり大地という感覚がないのである
人はその上ではかない影となっているのである
これはまさに現代文明の建物でも自然でも人間でも象徴している

そこには人間はいなかった!

あれだけの群衆が人間がいたのにその人間はある時いなくなっていた
というよりもともと人間はいなかったからそうなったのである
それはそこに人間が生きる場がなかったからである

万葉集だとなぜそれが貴重なものになっているのか?
それはやはり密接に人間が自然と結びついて生きていたからである
だからどうしても今の感覚では解き明かせないものがあるのはそのためなのである
原始的感性とかがありそれが理解できなくなっているのだ

奥山の磐本菅(いはもとすげ)を根深めて結びし心忘れかねつも 笠女郎(万3-397)

こういう感覚は現代では生まれようがない、恋の歌にしても何かそこに自然と結びついた原始性がある
万葉集は必ず地名が大きな働きをしているのもそのためである
場所から離れてありえないのである、この磐本というのも地名だと解釈している人もいる


地名に関して,国」の言葉があてられることがある。吉野の国(巻 1~36) ,隠口の泊瀬の国(巻13~3310) ,隠口の泊瀬小国(巻13~3311) ,押し照る難波の国(巻 6~928) である。住吉については,摂津国風土記逸文に「真住み吉し住吉の国Jとある。春日,巻向,明日香については,国と記す史料はないが,日本書紀綬靖 2年条に「春日県」がみえ,県は固と同じ意味内容の用字と考えられる。
これらの国は,律令国家の地方行政組織である令制国とは違っており,
前述の吉野の国の歌の前段に「天の下に国はしも多にあれどもとある国である。 

玉藻よし讃岐の国は国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る柿本人麻呂
(巻 2~220) 

万葉集の地名
金坂清則報告によせて一一 服部昌之

これは行政的なものとして定められた国ではない、自然発生的に生まれた国の感覚でありこれは無数にあったとなる
廃藩置県ではその自然発生的に生まれ形成された国が消失した
福島県ならまったくなぜ福島なのか?これさえわからないのである
会津が古代から国だったから万葉集に会津嶺の国をさ遠み・・・・という防人に出る人の歌が残っている
会津は明らかに古代から自然発生した国(くに)だったのである
そして万葉集ではいかにその土地土地に根付いて暮らしていたか?  

玉藻よし讃岐の国は国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る(巻 2~220) 

この歌に象徴されている、国柄とは自然発生的に形成されたものであり神柄とまでなる、その土地が神聖なものとまでなる
天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る・・・というとき神の御面とまでしているときそれが如実にうかがわれる  
神の御面とはまさに土地土地の地形とか地勢とかでありそれは神が形成した御面としているのである
その土地を代々継ぐのが人間なのである   

万葉集を理解する日本がその土地に根付いて暮らした原始的な感覚を知ることである
それは今になると知り得ようがなくなっているからだ、それは世界的にも起きていることである
近代化工業化は生来あった場所と深く結びついた精神を喪失させたからである
こころとはここの意味であり場所から発生していたからである
ところとはとまるでありとまるとどまる場所がありところとなっていたからである

つまり場所とのアイディンティティなくして人間の存在ありえない、それがなくなったときキリコの絵のように人間存在そのものの消失になったのである



2019年02月12日

小さな畑に何のために投資するのか? (場所を作るため場所のための投資だった―死者も場所に生きる―場所を喪失した現代人)


小さな畑に何のために投資するのか?

(場所を作るため場所のための投資だった―死者も場所に生きる―場所を喪失した現代人)

一体何のために小さな畑のために金を使い労力を使っているのか?
それがわからなかった、ただ単純にこの辺は荒地が多くなったからそれよりはいいとして投資した、援助した
景観的にも何か他でも嫌だからである
でもその畑を維持することは容易ではない、それはこれまで書いてきた
肥料代も本当に高い、土を中和するために酸性化をふせぐために貝殻をつぶしたものとか他に化学肥料をまいたり鶏糞は角田まで行って買ったとかそれだけ投資してもとれるのものはわずかである
鳥に食われたとか盗まれたとか他にも天候に左右されて収穫がない
そういう愚痴を延々と聞かされるだけだったとなる

でも何か無駄だったとは言えない
畑にカンナが咲いたときは大きい花だから映えた、それは景観を作り出したのである
ただ畑でも田んぼでもその景観は人々がその土地とかかわり生業となっていて維持されていたのである
それがなくなると今でも避難区域となったところは草茫々であり荒れ放題になっているからだんそして放射線に汚染された処理場になっているのが目立つだけだとなる
その景観を見たときがっかりするからだ

要するに農業とか漁業とか林業でも第一次産業主体の経済だったら景観は自ずと維持されたのである、第一田畑でも人がかかわらないかぎり荒地と化すからである
だから避難区域になった所や放射線の高い山側ではもう田畑をあきらめたから荒地化している、それも前から子供は後継がない、農業は金にならないとなっていたからそれが原発事故の放射線で汚染されて多額の補償金もらったときこれ幸いと田畑を捨てたからである何かだから補償金で家を建てた人がこの辺では多いのである

農業とかはもともとものすごく苦労が多くて実りが少ないものだったのである
ただ人々はそうする他生きる方法がないからそうしていたのである
それを部外者から外部の人が見ている時景観がいいとかなっていたのである
それは自分自身も農業にたずさわっていないがそうした人たちがいて苦労する人たちがいてその景観もありえたのである
田舎でも別に今はみんな会社員なのである、農業だけで生活している人は一割にもみたないのであ
そういう変化があっても一応田畑は維持されていたのである

ただ農業は過酷でありだからこそ工業化のために日本がは努力して高度成長時代を築いたのである、それは中国でもどこでもそうである、工業化しないと豊かにはなれなかったからである
ただそのために失われたものがある、それが人間の根源的なものに根ざして生活していた農業などが軽く見られそのためにまた景観も失われたのである
都会になるともう場所はない、人間の存在は希薄化してロボットのようになる
それを象徴的に描いたのがキリコのである
そこでは場所を喪失した人間の不安とその存在感の消失を描いている
ただ建物だけの影がその人間に及んでいるだけなのである
高層ビルとかビルの林立する中で人間の存在は消えいりそうになっているのだ
一つの影として根付く場もなく消失してゆく人間の不安を描いている

人間は今物質的欲求のみの追及しかない、それが金の追求となっているが精神的なものとして心としてはもうその存在価値もくなっている
心とはこころはここのことであり場所があって心(こころ)があったからである
場所と不可分に心があったからである
その場所が喪失したとき人間は不安定な根無し草となりただ無機的な物質の建物のみが存在感をまして人間は矮小化されて影となり点となり消失してゆく

逆に場をもって生きた人間は貧しくてもその場から何か世界が拡大してゆく、イメージが広がってゆくのである、それは死んだ人でもその場に生きつづけるのである
死んだ人にも場が必要なのである、だから場も喪失すると死んだ人も先祖もいる場がなくなり幽霊と化して彷徨うことになる  

死者もいる場を必要としているのだ!

農業は場を生きる根源的な人間の営みだった、工業化すると自然と切り離されたものとなり人工的空間に生きることになる
すると人間自体も機械化されたロボットのようになる、流れ作業していたときは自分は本当にロボットだったのである
それでその仕事が嫌になり仕事自体に嫌悪感をもちその後仕事をしなくなった、そういう環境が与えられて旅ばかりするようになったのである

そいつはおかしいじゃねえか、人間は小さな土地をもっていりゃ、その土地はその人間のもの、その人間みていなもんだ
人間が本当にその土地をもっていりゃ、その上を歩くこともできる、それがうまくいかねぇときにゃ悲しむし、雨でもふりゃうれしくなるってわけだ
そしてその土地はその人間と同じものになってそれをもっているとうだけでその人間を実際より大きなものになるのだ
よしんばそれがうまくいかねぇにしても、その土地をもっていることで大きな人間になれるんだ
と土地っていうものはそういうもんだよ
スタインベックー(怒りの葡萄)

人間を偉大にするものはその個人だけでは偉大になれない、その背景となる大きな自然がなければ大きくなりえないのである
人間は木となり山にもなるがその大きな山がなければ人間は卑小なままてのである
この辺では高い大きな山がないということで大きな人間になれないともなっているのだ
山があまりにも貧弱だからである

その場に生きたものはその場に生き続けるのである、それは物語となり絶えず語られたり祭りとなったりして先祖もその場に生きつづけるのである
これは非常に重要な人間の根源的な営みだったのである
そのことを家族がみんな死んで自覚するようになった
家族は家に依然として生きつづけそこで生活した場に継続して生きつづけるのである
だからエジプト文明であの世とはこの世の延長そのものだったのである
生前していたこと麦を栽培したり日常の仕事をそのまま同じようにあの世でもしていたのである

墓も生前の生活の延長なのである、そこは生前の家の復元なのである
召使も葬られていたし動物も葬られていた、家畜でもそうだが古代には動物と密接に交わり生活していたからである、動物が人間の精神化されたものとして見ていたのである
それはまさに場があってこそありえたことなのである
そこで死は断絶されずに継続されていて死者と生者も断続分離されないのである

このことは重要なことである、現代人はあまりにもそうした人間の根源的な精神を心を無視ししてきた、何かそうしたものは不合理であり利益にならないものは金にならないものは無視してきた、そこでどうなったのか?
人間存在の精神的拠り所すら喪失してキリコの絵のような根無し草になってしまったのである
そこに生の意義もなくただがしゃらに物質的欲望の追及しかない、金の追及しかないのである
それを象徴していたのが原発事故で避難した人たちである
それは確かに放射線が高いのだから住めない避難させられたということがある
でもそれだけではない、何か場所にこだわらないもの、金があればどこでも住める
そういう経済合理性だけで生活していたからではなかったかとも思うのである

とにかく腹を満たせばいいや、金があれば一億円あれば困ることがない、何かあれば金がなくては生活できない、そんな何かわからない場所がどうだなど言っても現実は厳しいとなる、そんなことを考慮しているのは極一部のインテリなのだとかもなる
それも言えるにしても何かそこから現代人の喪失感が生まれていることは確かなのである
現実にその小さな畑は金食い虫である、何かと金がかかる、その金がないから要求される
そして最近冷蔵庫が壊れたから十何万のものを買ってさらに金がないと困窮しているからである
それはとりも直さず電気が必要であり電気なしでは生活できない現代を象徴しているのである
場所が必要だと言う前に電気が必要だという現実生活をつきつけられているのである
ただ人間はどんな人にしろどんな時代でも矛盾した生活になりやすい、それが人間の現実だともなる


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キリコの絵

何か建物があっても場所が喪失していて建物が大地に根付いていていない
建物の重厚感がない、一時的に建っているという不安定なものである
建物自体が影のようになっている、建物の意味も喪失しているようである
彫像も何か存在感がない、ただ置物のようにある
人と人が出会ってもそれが深いつながり出会いではない、はかない影と影の出会いのようになっている、このように現代は存在感が建物でもなんでも希薄化している  
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エジプトの墓は家そのものの生活を再現したものである、召使も同じ墓に葬られているし動物も葬られていたからである
日本がでも召使とかでなくても雇い人が一緒に一つの墓地に葬られている
それは墓標だけで名前だけとか粗末なものなのである、ただその家で働いていた人だった
それぞれの家で墓をもてない時代があった、別にそれは江戸時代ではない、戦前でもそういうことがあった
大家族のようにして雇い人も生活していたからそうなった