2019年03月29日

死者が残した物 (残された物から昔を偲ぶ詩)


死者が残した物  (残された物から昔を偲ぶ)

家には何かここに生きた者のの
記憶が隠されている
死者はもう何も語らない
その代りに残された物が語る
なぜ手鏡が二つ棚の奥から出て来たのか?
ここに住んだ女性は死んで歳月がすぎた
でもその鏡を手に取って見ていた時があった
でもその鏡にはもう顔は映らない
人は死ぬと忘れられるのが早い
死んだ後に家や物や墓が残る
なぜずいぶん死んでから月日が過ぎて
何かその人が愛用したものがひょっこり出てくる
それはなぜだろう
それは死者がその物に霊のように憑いているからなのか
だから物が憑くとなる
何か私を忘れないでねと
その物を通じて語っているのかもしれない
忘れな草は春に咲いている
その忘れな草のように忘れないでねと今は言う
でも死者を訪ねてくる人もいない
人はたちまち死ぬと忘れられる
その人がいたのかどうかすら不明にすらなる
それでも忘れないで思い出してと
家の中の奥からその人の愛用したものが出てきたりする
それでまた故人を偲ぶのである  


 

誰かの煙草入れ

山の中のなのか
どこなのか
一服して仕事を休む
この煙草入れはずいぶん使った
これをもっていた人は
ずいぶんと働いた
何かそれがこの煙草入れからにじみでている
ぷかぷかとタバコをキセルで吸う
その時一時安堵がある
一休みしたからまた働くか
そしてこの煙草入れを下げて働きはじめる
それは山の中なのか
山の中で腰をおろして吸っていたのか
何かそこに男の体臭を感じる
それはすりきれるほど使ったもの
人は死んでも何かを残す
この煙草入れでもその人の体臭が染みついている
この物に人の記憶がしみついている
だからただの物ではない
人間の残すものには心が宿る
物は物ではない、物と心は一体なのである  

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人間は何か物を残す、その物が何かを語る、この煙草入れはリサイクル店で買った、一万以上したから高かったとなる
銅製か鉄製で錆びたりして鏡として顔を映すのは結構むずかしかったとある
ここから何か江戸時代のことがイメージできる、旅するとなると明かりが必要である、火も必要である、蝋燭も必要である
そして火打石のようなものも持ち運びしていた、何かこの物から江戸時代がイメージされる
時代劇だと現実のものではない、この物は江戸時代の人が確かに使っていたものなのである
こんなふうにして旅していたのである、これらのものは結構高いもので誰ももてるものでもなかった
  
江戸時代の旅の小道具

携帯用に工夫された燭台とかもあり手鏡もあるがガラスではない、 何かこういうものを使っていたのが不思議である
真っ暗闇のなかで携帯用の蝋燭がゆらゆらと燃えてその明かりで矢立で字を書いている
その時江戸時代だから車の音もなにもしないのである、不気味なほど静かなのである
何か東京とか都会に興味がもてなくなったし人ごみの中に入るのも嫌になった
まず今は旅に向いていない、外人ばかりが多いからである、日本人がゆっくり旅できなくなったのである
それはなぜか?日本人が観光で稼ぐほかなくなった貧乏になったのである  

日本がすでに安価な旅先として選ばれているというようになった
そして日本人がのんびり旅すらできないとなったのである
それは外国の貧乏な国ではそうだったのである、観光立国などとなればそれは貧乏な国が目指すことである
カジノなどでもそうである、金持ち呼び込んで金を得る
つまり日本はすでにかなり落ちぶれた国になっているのである
そしてますますその傾向は強くなってゆく
だから観光客が何千万とか増えたからと喜んでいいものかとなる  

京都辺りでは観光客のためにバスさえ乗ることに難儀していることでもわかる
それでも観光客を来るなとは言えない、それは貧乏になったからである
白馬村でも旅館のおばちゃんが外人にまた来てくれと抱きついているのを見たらそうなる
それが嫌でも外国人観光客に媚びなければならないのである
そういう国はもう発展途上国並みになっているとも見れるのである
ともかく私は旅を60までしてきたけど何かしたくない、私はいい時代に旅したとなる
日本人がゆっくり旅できない、泊まる所もないというのはなんかがっかりする
それでも貧乏国になればそれをやめることはできないのである



家は記憶の貯蔵庫 (何か隠れたものが出てくる)


家は記憶の貯蔵庫

(何か隠れたものが出てくる)

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家の棚の奥にあったもの



家の不思議を追求してきた、家は何かというとそれはただの寝起きするとか食事するとかだけではない、そこにはその家族の記憶が貯蔵されている場所なのである
それでいろいろなものが捨てられないという時、その物には思い出が染みついている場合があるからだ
ただそれは他人にとっては何の価値もないものとなる
別にその人にとっては便利に使うだけものだからである

よく蔵に何があるとか番組があるけど古い家だと江戸時代のものでもさらに古い物でも貯蔵してある、それは忘れられていたものである
だから蔵の機能はそうして記憶の貯蔵庫ともなっていたのである
人間は死ぬとその人間自体が消えるのだから思い出すにしてもできなくなる
遺影を見たりして思い出したりするが残された物からも思い出す、記憶するのである

歴史でも考古学がありそれは人間は骨となって消えるし骨すら残っていない
古墳が墓だとするときそこにモノが残っていてそれでその歴史をたどる
それから物語が残っていてそこからも過去をたどってゆく
それは個々人でも同じなのである、家があるときはその家が継続していればそれは生きたその家の記憶の貯蔵庫となっているのだ

物には単なる物ではなく物語がある、物語がヒストリーが歴史である
ただモノにしてもいつまでもあるわけではない、モノでもいつまでも残されない
やがては埋もれ消えてゆく、人間が死ぬと去る者は日々に疎しとなる
それは家族でもどうにもならない、この世は無常なのである
常なき世の中なのであるそれは変わっていない、死んでしまうと日にちがすぎてそんな人がいたのかとすらなる

とにかく不思議なのは死んでから何かその人の思い出になるものが家から出やすいのである、それは忘れられていたがふいと家をかたづけていると掃除していると出てきたりするそれはつまらないものであってもそこにその家の記憶が家族の記憶がその人の生の思い出が残っている
認知症になると何かつまらないものを肌身離さず持ち歩いていた
それを私の家でも経験した、戦争で生死をともにした戦友が送ってくれた手作りのバッグを宝物ののように大事にしていたのである
それは映画でも放送していたから同じだった
つまり何かつまらないものでもそこには人生の思いでがしみついているからそうなったのである

だからなかなか捨てようとしても捨てられない、それも困るのだがそうなる
家には記憶の貯蔵庫なのである、だから家がなくなると個々人とかでも家族とかでもその記憶が失われるのである
例えば老人ホームに入った老人が「家に帰りたい、帰りたい」というときその家が実はなくなっているのである、ただ家族と一緒に暮らした昔にもどりたいということなのであるつまりもうその人にとって記憶の中の家であり家族になっているのである
老人は思い出と記憶の中に生きているのである
だからなかなか断捨離とかあっても老人は物を捨てきれないのである
そのモノには人生の記憶がしみついている、それを捨てることは何か人生そのものを捨てる感じにもなるからである  

手鏡の隠され残るあわれかなその面影を映すことなし

この手鏡は何なのか?何か使ったようには見えない、ただ買っただけなのか?
そういうものもある、ただ女性ということで残していたとなる