2019年04月17日

桜咲く春の日に原町ー小高ー浪江まで浜街道の旅)


桜咲く春の日に原町―小高ー浪江まで浜街道の旅)
sakuraodakajin1.jpg
小高神社


odakamarushiiii123.jpg

クリック拡大

odakamarushii1122.jpg
小高の街中のマルシェ


kaihihana111.jpg

kaidousumiree111_FotoSketcher.jpg
クリック拡大

六号線桜の映えて望む海

東風吹きて浜街道を遠くへと

沖に船浜街道を旅の人

坂越えて春の山々遠くへと

街道や蛙の鳴きて旅の人  

街道にスミレあまたや歩む人

街道に休むやここに花の影

孟宗竹歩む街道に椿かな 

街道に菜の花匂い歩む道

街道を調ぎりとび歩む道

春の日や喫茶店に昼の月


(小高)

花の影つづきし道を東京より来たりし女歩みけるかな

花覆う小高神社の石段を上りてあわれ古(いにしえ)偲ぶ

海よりの風竹にそよぎ桜かな小高神社に我が参りけり

何残る小高神社に散る椿武士(もののふ)の歌ここに残れり

街中に貴船神社や桜映え海に向き建つ社なるかな 

中庭に憩える広場や我歩む柱廊の道春日さすかな 

(大悲山の磨崖仏)  

千年の杉に昼なお暗きかなみ仏の形磐に残れる

千年の杉に桜明るく真昼間に映えてしばし装(よそお)ふ 

はや桜散りそめにけり光中街道遠くさらに行くかな

変わらざる古き碑三つ並びつつ街道来たりて花の影かな  

幾曲がり街道行くや春の日に誘われ行くや次の宿かな

sugikodachiii111.jpg



(浪江)  

namieeee1.jpg
  
namiekaidou_FotoSketcher.jpg

kaidoushidare111.jpg
クリック拡大
tubakinamieee11.jpg


 右手イチョウの大木の下に檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だそうだ。
namiejinkyaa1_FotoSketcher.jpg
namieansei11.jpg

浪江神社では、お目当ては浪江宿北口、すなわちさっきの新町交差点にあったという道標だ。本殿左にずらりと並ぶ石塔群の一番奥の「金毘羅大権現」がそうだ。「右ハせんだい 左ハむろはら おゝほり」と書かれているようだ。浪江駅換線碑もある。安政の大火の後、火伏せの行事として浪江宿の西側の火除地に出羽神社を創建して始められた裸詣(はだかまいり)は、今は浪江神社を出発する。出羽神社がここへ移って浪江神社になっているからだ。



三本の枝垂桜の参道や参る人無く社は荒れぬ

三本の枝垂桜の色濃くも神社に映えて我訪ね暮る

帰らざる人無き後の家の跡春になりしも街の淋しき

一本の銀杏の古りて標かな散りし椿や浪江に入りぬ

散る椿踏みて街道我が来たり浪江に入るや昔の宿かな

知らぬ道来たりてあわれ桜にそ月の光りて行く人もなし

春の夜帰れる道に月影のさして明るし家に着きなむ  


原町の六号線から津波の後に海が見えるようになった、松とかにさえぎられてこれまで見えなかった
浜街道というとき海が見えると思うが見える場はまれであった、電車から見えなかった
それが津波で松原などがなくなり見えるようになった、景観が変わったのである
元の景観に戻ったともなる

奥の細道というとき道が細いということは自然がその道に充ちることになる、道が細ければそうなる
六号線だとそこは車専用の通り道なってしまう、だからそういう道を歩いても自然を感じないことがある
ただ六号線から海が見えて沖に船が行くのを見えた、その景観は良かった

小高について土手の桜の道は長い、そこを東京から来た女性が歩いていた
小高でも浪江でもそういう遠くから来る人はいる、小高の桜は小高神社から土手の道へとずっとつづいている
小高神社から実際に海が見えて海が近いから駅の手前まで津波が来ていたのである

マルシェによったがあそこは回廊のようになっいて中にいろいろに利用できる部屋がある
日本庭園がある中庭もある、その中に食堂と喫茶店もあっていい感じだった
あういうものができるとここに住んでもいいなとなるかもしれない、今まではなかったからである
小高はかなり人がもどって住んでいる

そこから大悲山のまがい仏によった、あの千年の杉は見応えがある、桜がそこに咲いていた
でも散り始めてもいた
そこに三つの碑が並んでいた、何の碑なのかいつの時代なのかわからない
街道にはそうして歴史のあるものが残っているし何か歴史を感じさせるから違っている
福岡からなのか詳しく歩いて写真をだして説明しているサイトがあった
あれも感心する、あんなに外から来た人が昔にあった街道まで探り行く人は地元でもいないからである
自分もめんどうだからそんなことしていないからだ
やはりでもあのように街道では歴史を知らないと本当の旅はできないともなる

小高に入る手前で銀杏の木があり地蔵が祭られている、それは檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だというが街道の目印のようにも見えた、でも浪江の小さい範囲での境だったのである
江戸時代では年貢を村ごとにおさめていたから境にうるさかった、隣の村とでもそうであり争ったりしていた

それから浪江に入り「浪江神社」によった、サイトの説明ではもとは出羽神社であり浪江神社になった
何か古い感じであり枝垂桜が三本咲いていた、それが人がわずかに棲んでいる街にあって社は荒れていた
それも何とも言えぬ淋しさを感じた、人が参らない神社も一段と淋しさを感じる
それは山の中の限界集落では余計にそうだった、人が住まなくなって神社も捨てられた、神様をも捨てられたともなるからだ
浪江では建物がかなり壊されている、そこに新しい家が建つならいいが建たないとなるとそこは空地になり荒地となってしまうから一段と淋しくなるのである

そこには確かにサイトの説明にあるように金毘羅の碑があったし安政の碑があった
そして安政時代に浪江では大火があり街自体が変化した
それでその跡をサイトではたどっている
古いものと新しい道ができたからである
大火事になってもその後も人が住み続けたから今日があったが原発事故では壊滅的被害を受けた
そもそもこうした歴史とかが人が住まなくなれば絶えてしまう、その歴史の消失も重要な課題としてある、神社でも何でも歴史的なものでも人が住んでいれば活きるが住まなければ死物となってしまうからだ
それは先祖を捨てることにも通じているのである

いづれにしろ今回は浪江までだが旅した気分になった、今度の自転車は軽快に走るからいい、倍速になるからかなり遠くまで行っても楽なのである
ただ浪江までであり双葉になるともう行けない、自転車は通行止めだからである
でもいつになったら通れるのか?それもわからない。電車は来年開通する
とにかくいきている内にいわき市まで行けるだろう
ただ体力がなくなってくると行けなくなる、残された時間は後何年かかもしれないという不安があるのだ

桜はどこでも咲いている、帰りは街道ではない知らない道を夕暮れから夜に帰ってきた
その知らない道に月が光り桜が映えて美しかった
今の時期は一番いい時期である、でもすぐに桜は散ってしまう
何か不思議なのははじめて街道を通る気分だった
何か人間は忘れやすい、それで初めてまた通るように新鮮だった
やはり旅は歩くのがいいのだが自転車だと自然と一体化できる
道の辺にスミレが一杯咲いていたのも良かった、その時歩く旅人がいたら絵になっていたのである、自然を感じるにはやはり歩くことがいいのである
車は何か自然を感じない、ただぶっ飛ばして過ぎ去るというだけになるから嫌なのであるともかく短い道のりだったが旅であり旅してきたことを思い出したのである

nightsakura1.jpg



浪江町で原発の現場で長年働いていた人の発言の検証 〈その指摘は現場の経験で的を得ていた)

        
浪江町で原発の現場で長年働いていた人の発言の検証

〈その指摘は現場の経験で的を得ていた)


所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。
 まず、爆発は、2号機でなく、無警戒の4号機で起きていたことがわかった。
 定期検査中で、核燃料が原子炉内でなく燃料プールに入っている4号機の爆発は、原発の仕組みを知る世界の人を驚かせた。

 28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府がは、このような時間帯に命令違反多くの所員の離脱行動があったのを知りながらことを、報告書でまったく言及していないのは不可解だ。
 東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ。


  仮に、この「GEマーク1」という炉が全電源喪失時には燃料棒破損を起こすとします。その際に、水蒸気爆発を防止するためにベントするとして、同じく全電源喪失時には「排気筒からのベント」が不可能であり、建屋上部に排気するしかない、その建屋上部で水素爆発が起きるのを防止するには「ブローアウトパネル」を開放するしかないが、全電源喪失時にはマニュアル対応となり「決死隊」が必要だとします。仮にそうであれば、この炉は「欠陥炉」ということになります。
 
原発事故はなぜ起きたかー原因と背景にある抜本的問題

小石原健介


toudenmiss1.jpg
クリック拡大


●事故が起こり大量の現場で仕事する人が強制的に退避させられた

浪江の原発で長年働いていた人の指摘は的を得ていた、やはり現場を体験しているからだそのことはインタ−ネットで調べてみてもわかった
なかなか詳細は科学の複雑な知識はないから理解できないと思ったが要点としては理解できるものがあった
この事故は一つの要因ではないから、様々な複合的要因で大事故になったのである

28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府がは、このような時間帯に命令違反多くの所員の離脱行動があったのを知りながらことを、報告書でまったく言及していないのは不可解だ。
 東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ。

浪江の人は電源が喪失したというけど東北電力の送電線から電気はとることができたという、それがどうなっていたかわかりにくい、でもこういうことが後でかるとそうだったのかともなる
つまり東電で吉田所長と69人が免震棟に残ったというけどそれはその時の事情でそうなったので英雄でもなかったという、それより浪江の人が言うように千人も電気工事関係者がいたが強制的に退避させられた、危機的状況で退避させた結果として他でも人員が不足して事故に対処できなくさせたのである
それは確かのようだ   

ベント作業などの決断あるいは意志の疎通を欠く東電撤退問題や情報寸断され大きな混乱をまねいた
東電がその事故の時肝心の事故処理あたる現場の技術者でも担当者を撤退させた、結果的に事故処理あたる人がいなくなったのである電気工事者が千人もいて電源は東北電力の送電線からとれたということはそういうことだったのかとなる
要するに東電はもう事故処理をあきらめたともなる   

4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ

●現場技術者を無視した東電の上層部

これは浪江町で現場で働いていた人がそれをしきりに言っていた
その人は科学者ではないにしろ現場のことに通じていた
ずっと現場で働いていたからである
意外と上層部は指揮する人が知らないことが多いのである
駅でもその現場にいないとその現場のことがわからなかったのである
原町行と仙台行きのホームがはじめての人にはわからなかったのである
だから表示てくれと言ったらしてくれたのである
その現場にいないとわからないことがあるのだ
そして原発となるとその現場で働く人は二万人いるとかなるとその現場を全部上の人でも命令する人も知らないのである
そして現場の人の意見など上では取り上げない、東電は特にそうであり上の命令は絶対でありもし逆らうと下請けの会社自体が潰されるから何も言えなかったとなる
このことが甚大な事故につながったのである
東電では事故の後でも調査に応じていない、それだけ絶対的権力を国家権力よりもっていたのである

東電の責任は重かった!

確かに政府の責任もあった、かえって政府が介入して混乱して東電では的確な指示ができなかったこともある、でも東電の体質は上の命令が絶対であり現場で実際に仕事している人の意見など聞かなかったのである
それは別に技術者でもない、普通に底辺労働している人でもその現場にいる人の方が知っている時があるのだ
無人駅でも風で遅れる、確かにインタ−ネットで連絡はできる
ところが新幹線に乗って帰るのに急いでいる人が日立木まで電車が来ていると間違って聞いたのである、それで私が聞いてみたら山下駅まで来ているとわかったのである
つまりその人はあわてているから間違ったのである
確かにインタ−ネットで連絡はできる、でもそれだけではわからない
だから駅員がいる原町駅に行った方がいいとなり車で連れてきた人は原町駅に行ったのである

このように緊急時はあわてるから的確な指示ができないのである
そしてそういう時は現場に常に仕事している人がわかっているが上の人はわからないのである、吉田所長自体が復水機のこともわからなかったからである
吉田所長自体が的確な指示をできなかったのである
免震棟に69人残ったというけど千人もいた電気工事関係者が退避させられて何もできなくなっていたのである
結果的にその時運よく最悪のメルトダウンはまねがれて10マイクロをあびても30マイクロをあびても体には異常がでなかったのである

ただその時の判断がむずかしかったからすべてを責めることはできない
でも現場で働く人の意見を事故前から全く聞かないのが東電だったしその後も調査しても応じていないのである
それはその現場で事務で書類を担当していた人が東電の言いなりに書類を書いていたと言っているからだ、だから調査しても誰もわからないようになっている
その書類から証明できないから証拠となる者がないからだと言っていたからだ
「安全神話」が作られたのはそうした現場の技術者がかかわりその意見を取り入れていたらこうはならなかった
現実に東電を訴える裁判で東電の科学者が10メートル以上の津波が来ると予想していたでもそのことを東電の幹部は聞き入れなかったのである
つまりそうした様々な人の現場で働く人の意見すら東電では聞かない
絶対的権力をもっていて聞かない体質だったのである
要するに外部でも内部の現場で働く人の意見すら聞かない、そういう経営体質が甚大な事故につながったとなる

●どんなに優秀でも専門家でも一部しか知らない

原発事故は様々な要因で起きた、富岡の第二原発は電源を別系統で確保して辛うじて事故にならなかったとかアメリカのGEのマーク1の原子炉は古いものでありガスをだすブローアウトができなかったとか指摘されている、ベントしてガスを屋根から偶然に出た原発はそれができたからである
だからその原因は複合的であり一つではない、でも東電のあまりにも上の幹部の命令の絶対的なこと権力の集中で下の現場の意見を取り入れられなかったことも致命的だったのである、だから何でもそういう巨大なものは権力集中すると怖いのである
それはナチス的体質とかにもなる、一局に権力が集中して絶対化することになるからだ
そしてそうした権力は誰もそれをとめることはできないからだ
政府からかかわっていても原子力となると専門家が牛耳りわからなくなる
それで政府の保安院でも何の役にたたなかったのである
そこにも現代の複雑化した世界の問題があった、専門家が絶対化して素人でも別な分野の人の意見でも聞かないからである、お前らに原子力のことがわかるかとなり何も聞き入れないからである
でも原発の問題は理系だけではない文系的にもかかわれるものであり人間の総合的な問題として起きたのである

ではこうして事故がありその後の対策をしているのかとなるとそれもまた疑問なのである管理は厳しくしているにしてもこの事故によって根本的なものが変えたかとなるとまた疑問なのである、そもそもまた事故が起きる時は別な要因で起こるかもしれない
だから人間の力では対処できないともなる
神のような万能な人が入れなけれできないともなっている、それが原発だったのである
人間の社会だった今やそれぞれがいくら優秀でも専門家でもほんの一部しか知らないのである
だから東電の幹部は知らないということで下々の現場の仕事をしている人の意見を取り入れる必要もあったが絶対にそれはしなかったと浪江の人が言っているがそのことが甚大な事故につながったことは言える
それで現場で働いた人の言うことには説得力があるとなる
それは例えば現場というとき良く私が地理のことに興味をもって語るがその地理でも近くでもそこの地元に住んでいる人が別に学者でなくても一番そこで日ごろ生活していて知っているのである、地理だけは地図をみても学者でも実地に踏んでみないとわからないからである、その場を踏んでも地理は簡単にわからないからである
そういうことが人間社会には自然でも常にある、つまり人間の知の限界がある
一人の知っていることまた一会社が知っていることでもそれは一部にすぎないからであるそこでどうしても必ず人間社会には事故でも起きる失敗でも起きる原因がある
つまり事故はさけられないから原発のような危険なものは扱わない方が無難だとなるのだ









posted by 老鶯 at 09:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連