2019年05月04日

新緑と山桜と枝垂桜(写真12枚) (大倉から飯館へ―人が住んでいて安堵した)


新緑と山桜と枝垂桜(写真12枚)

(大倉から飯館へ―人が住んでいて安堵した)

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藤の花と山吹
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山桜と山吹

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ルリタテハが神秘的だった

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猿がいた

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草野の方へ
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人が住んで菜の花畑にした
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ここはなんだったのか謎

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安政の碑があった
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木戸木の奥の人が住んでいた跡
小屋のようなものがあった、こんな所に人が住んでいたことの不思議

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新緑の常磐高速早しかな

雲流れ光のさして山桜

山桜高みに映えてなお散らじ

八重桜老人出会うサイクル車

猿登る山桜かな山に住む

飯館の家々離れ夕桜

落椿赤さ広がり夕暮れぬ


山吹に藤の花映ゆ清らかに流れひびきて山分け入りぬ
                          
新緑の山を一気に満たすかななお残り咲く山桜映ゆ

山桜と山吹映えて新緑の道のつづきて坂越え行きぬ

山の影そびらに映えて夕暮れや山桜見ゆ山の深きを   

菜の花に古き碑ありて山桜映えてそ山の暮らしありしも

なお知らじ道をし行けば家ありて山桜映ゆ森の深しも

家あるとしるべや森の深きかな夕べ映えにし山桜かな

飯館のともしびあわれ家々に枝垂桜や夕暮るるかも

          (木戸木)
          
木戸木なるその奥にそ棲む人の跡たどりてあわれ散る椿かな 

木戸木なるその奥に住む跡ありや枝垂桜に散る椿かな

幽遠に人住む跡や山の奥枝垂桜に夕暮れあわれ

赤々と椿の散りて木戸木かな誰か棲む跡夕ぐれぬかも

半鐘の一つありにし暮らしあり木戸木の村や春の夕ぐれ

橋一つ共栄橋とここにしも開墾に入る暮らしありしも




飯館村の春

影なす森の道ここにつづき
森深くしるべの如く住む家ありぬ
山桜そちこちに咲き
広らかな土地に幸いや
墓地ありて眠る人 
道の辺の石は黙して古りぬ
すみれの飾らずあまた咲き
夕べともしびあわれ
枝垂桜の色深め
家々は離れ眠りにつきぬ
ここに生きる幸いを知るべし
村は悲しも分かたれぬ
土は活きず森も活かされず
牛の声は消えぬ
この村に原発事故の罪深きを示す
いつの日にこの村の元に戻らむ
ただ時のみそそれをかなえるや
その日は長くも森は残りぬ   



飯館村で今回感じたことはそれなり草野周辺は人が帰って家に住んでいる、住んでいない家があるにしても前よりは様子が変わったと見た、だから一軒一軒に枝垂桜が咲きともしびが見えたとき何か安堵した
飯館村の特徴はとにかく広いのである、道が幾重にも分かれて森の道がつづく、それで方向がわからなくなり迷うのである
飯館村にはどれだけ行っているかわからないのにそうなのである、それだけ広いということである
だから長泥(ながとろ)とかに行ったのは一回でありそれも記憶から消えているのである

その広いことにより家があることがまるで道標(みちしるべ)のようになる、それが飯館村の魅力だとなる
ここは自転車で行くの向いている、私は前は気ままに自転車で阿武隈高地を行っていた
ただここ十年は介護とか病気で行けなかったのである

今回は大倉村で山桜にルリタテハが舞っていたのは神秘的だった、新緑と山桜と山吹と藤の花も咲き始めた
この頃が一番いい季節である、これが梅雨になったり7月になると暑くなると去年は日射病になったから行けなくなる
新しいヤマハの電動自転車は楽だから行ける、前のだと相当に疲れて行けなかったのである
だから70歳でロードに乗っていた人には驚いたのである

ともかく飯館村は森が広いし土地も広いことが魅力でありそういう中にまるで家が道標(みちしるべ)のようにある
それだけ広いからそうなる、モンゴルとかの草原でテントがあったとき道しるべとなっているのとにているのである
ただもしそこに人が住んでいないら空家ならそうはならないのである
人が住んでいるから道標になる、ただ草野周辺は結構人が住んでいた、でも広いからあとは人がどさだけ住んでいるのか?
とにかくやはり人が住まないとあんなに広いのだから荒涼となってしまうのである

帰りは木戸木によったけどそこが一番不思議だった、あんな奥に家があり人が住んでいたことが不思議である
あそこは必ず通っていたけどあんなところに人が住んでいると思わなかった
今あそこに住んでいるのは一軒だけである、車があったからわかった
あそこは戦後入植した村である、共栄橋とかあるし不便な所だからである
それでも十数軒ったのは意外だった、あんなところに暮らしていけたのかとなる

飯館村のように広いと墓地でもそこに眠っている人は気持ちいいだろうなと思ってしまう
自分の家の墓は街内にありごちゃごちゃして墓の中を歩くこともできないのである
都会の墓よりはいいとしても狭すぎるのである
死んだらわからないにしても飯館村のような広い所だと墓地でも死者も悠々と眠れるとなる
東京辺りでは墓まで団地のような所の狭い空間に区切られて閉じ込められているのである
死んでからも窮屈なのである

原発事故では飯館村のような自然に恵まれた村が一番被害が大きかった、それが原発事故の罪深さを示したのである
東京などは別になくなってもいいとも感じる、あんなモンスターのような都会のどこがいいのかとなる
そういう文明が誇れるのかとなる、でも現実そこに密集して人が住んでいる、そこは密集地獄なのである
確かに一方では飯館村に住んで満足していたかというとしていない、だからこそ多額の補償金をもらったとき福島市とかに移り住んだ人が多いのである
歯医者すらないしスーパーだって小規模であったからだ、車がなかったら買い物すらできないし医者にかかれないのである
そういう不便さがあるけど広々とした自然の中につつまれて生きている、ただそういう暮らしにみんな満足していたとは限らない
そして外部から来る人はそうした生活の不便さや貧しさなど感じないからいいと思うのである

いづれにしろ人は前よりかなり帰って住んでいる、でも草野周辺しか見ていない、広いから後は住んでいるのかどうかわからない
でも人が住んで灯がともり枝垂桜が一軒一軒に咲いていて安堵した
その灯がなんともいえぬ人のぬくもりを感じたのである
それはやはり飯館村は広いから一軒一軒の家が離れてあるからそうなる





posted by 老鶯 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村