2019年06月05日

熊沢元農水事務次官の引きこもりの息子の殺人の深層 (ここにもカルマがあったのか?)


熊沢元農水事務次官の引きこもりの息子の殺人の深層

(ここにもカルマがあったのか?)

「最たるものは約2年に1度、抜き打ちで行われる金融検査の日程と支店の特定です。とくに数十兆円もの不良債権を抱えた大手金融機関は、多くの違法スレスレな案件を抱えていました。それが発覚すれば営業停止など、経営を直撃する厳しい処分が待っていました」

 酒色に溺れる官僚と手段を選ばず情報入手に奔走する金融マン。ズブズブの関係の両者に、司直のメスが入るのは時間の問題だった

 
 ノーパンしゃぶしゃぶの顧客名簿
  
農林水産省 
高橋 政行 (事務次官)東  久雄 (審議官) 
堤  秀隆 (官房長)石原  葵 (総務審議官) 
鈴木 信毅 (技術総括審議官)加藤  孝 (審議官) 
小畑 勝裕 (審議官)小高 良彦 (審議官) 
竹中 美晴 (審議官)西藤 久三 (審議官) 
田原 文夫 (企画課長)上谷 敏博 (情報化対策室長) 
城  知晴 (秘書課長)関川 和孝 (総務課長) 
須賀田 菊仁(文書課長) 
熊澤 英昭 (経済局長)←うおおおおおおお 
林  正徳 (総務課長) 
佐藤 正明 (調整課長) 
白須 敏朗 (金融課長) 
宮本 昌二 (国際部長) 
山本  徹 (構造改善局長) 
岡本 芳郎 (次長) 
川村 秀三郎(総務課長) 
小林 新一 (農政部長) 
石原 一郎 (農政課長) 
高木  賢 (農産園芸局長) 
高橋 徳一 (総務課長) 
皆川 芳嗣 (企画課長) 
坂野 雅敏 (農産課長) 
中須 勇雄 (畜産局長) 
梅津 準士 (畜産課長) 
本田 浩次 (食品流通局長) 
田中  誠 (総務課長) 
上原 勝美 (企画課長)

BSE問題で引責辞任、退職金8874万円満額支給、天下り…息子殺人容疑で逮捕の元農水次官

こんなことしていたの、何か事務次官は製造責任果たしたから偉いとかいうけどこれも何なのだろうか?
何かそもそも官僚というのも汚れている、それはそれだけの権力をもっているから金融関係でも深くかかわる、だから最近は地銀とかでも信用できなくなった
地銀などはもう追い込まれているから自分たちの利益しか考えられくなっている
そういう状態にあるのを知らなかった、地銀がなくなるんだといういうときそういう所にはかかわるべきでなかったとなるが遅かったとなる

何か人間は世間はブラックなのかとみる、官僚からしてこういう状態なのである
それは原発事故でも官僚は何の役目もなくただ東電の言いなりになって安全策を講じなかった、ただ天下り先として見ていただけだとなる
それで保安院は不安院だったとしている
何かこうした腐敗が底流にあり大事故につながった要因だともなる
「安全神話」を作ったのは官僚が大きな権力をもってそうした
もちろん政治家でもそうだった、その利権が大きいからそうなった
東電に天下りしている官僚が多いからである、そこに癒着が生まれていた
それはどこにでもあるとなればそうである、でも国のトップがそうだと国民は何を信じいいかわからなくなる
何か官僚とは犯罪者だとか言う本も出ていた、これも何なのだろうとなる
トップがモラルを欠けた時下々もモラルが喪失するからである
第一検察関係が東電に天下りしているのも大問題なのである
利益で東電と結びついていたのである

いづれにしろ今回の事件は何なのだろうと思う
屑息子というけどこの事務次官がそんなに優れた人だったのか?
その詳細はわからないにしろ親自身が息子を屑息子として殺せる者だったのか?
その親があってその子がありともなる
この人の場合、別に殺さなくてもいいのである、金銭的に生活にも困らないとしたら何をしようが他人に害を与えなければいいとなる

ただ必ず引きこもりは「小人閑居して不善を成す」になる、それは経験からわかる
それで川崎登戸事件で親が恐れたこともわかる
ただ息子を殺すことまでできるのか?それをほめる人がいるのも納得いかないともなる
この不詳の息子でもかえって親が死んだり介護になったりすると目覚める
そういう立場に追い込まれると目覚めるということがある
44歳にしてもまだ目覚めることはありえたのである
詳細はわからないにしても高齢化社会では何か親の跡を継ぐことが遅くなるのである
60歳だってみんな親が80過ぎて生きているからである、そういう社会に変化しているのである、それで新陳代謝がなくなり社会が停滞している負の面がでている
とにかく時代劇でもドラ息子が親が死んだりして目覚めて立ち直っているのを良く見る
だから今本当に殺す必要があったのか?それが疑問なのだがなかなかその家の事情には踏み入れない、まず家庭環境というのはみんな複雑なのである
私の家でも外からは絶対に理解できない家族だったからである

得てして、社会的地位が高く、固い仕事をしている人が親だと、とにかく家庭内の問題を隠そうとして、相談にも来なければ、来ても変わることができません。
時々「息子の命と、あなたの世間体とどっちが大事ですか?」と、私なんぞブチ切れる時があります。

こういうことはある、あまりにも社会的地位が高すぎたのである
だから庶民のように気楽に相談もできない、まず全然プライドもない人を知っている
頭を下げて畳にこすりつけてお願いする、借金とかでもそうである
そんなことを地位ある人はできない、妻でもできないのである
普通の人だってそこまでできない、だからお嬢さん育ちだと危難に対処できなくなるのだ
ただこういうことにもカルマが関係しているのだろうか?

その人の一生のカルマが関係してそうした家の問題でも苦しみとして現れてくるのか?
自分自身の家は介護とかでそうなった、何か親の因果をカルマとして受け継いだとなる
でも正直愚母を殴ったりは普通はしない、それは思春期だとある
自分自身もあった、自分は学校に適応できない性格だし我がままだった
でも親元を大学の時離れたのが良かったのである
その後自分が親を殴ったことで自責の念に罪の意識にかられた
自分自身も何か人間的にまともでなかった、不良ではないが何か性格的に弱いとかあったためだとなる 

普通はどうであれ親がいろいろあっても普通の親だったらそうはならない
ただ親を憎んでいる人もいるがそれは例外的なものである
今の時代子供を虐待して死なせることまであるからもう家族自体の崩壊現象が起きているのかともなる、動物以下だと憤る人もいるのがわかる
親に迷惑かけたとか必死になって介護している人もいた
やはりそういう人はいる、でも40過ぎたらそういうことで自責の念にかられるのが普通である、だから親が認知症になっても愛情をもって介護しているのをプログで報告していたのである 

ただ今の時代ならゲームしていることは不自然ではない、別に40歳過ぎてゲームしていても漫画を読んでいても不思議ではないし異常ではない
では写真が趣味の人や鉄道のNゲージが趣味の人がいてもその人が異常とはならない
現代は趣味に生きる時代だからでもある、趣味が高じてプロになる人もいるし遊びとして追求するものがある、芸術ならそういうことがある
ゲームであれ漫画であれそれは絵画とも変わりないのである
絵を描いているから正常であり漫画だから異常だとはならないのである
現代は個々人で趣味を究める時代になっているからである
別に老人になって撮り鉄でも異常ではない、それでプロになり生活する人もいる
その人は写真の趣味なだけである、写真の趣味の人が一番多いからである
それが鉄道マニアであ撮り鉄だから異常だとはならないのである
鉄道は風景にとけこむから芸術化するのである   
でも芸術家には何か社会性がなく社会的常識がない人が普通にいる
ベ―トベンもそうだったらしい、何か絵とか音楽とかしかわからなくなるのだ
それも異常だともなるからだ

ただこれもあくまでも趣味でありこれで金を稼ぐとなるとまた別問題でありフリーランスとか老後に悲惨になっている
何か自分ですべて自由に決めるとか自由とかいうが自分の存在の意味すらわからなくなっているともなる
正直この息子は別に引きこもりでもいいが精神的未熟のままに大人になった
ただ自分自身も引きこもりだった時、そういう面があった
何かやはり普通の社会生活をしない人はおかしくなる、社会的常識もなくなる
でも愚母を殴って快感だったとはならない、それは不愉快なものとして罪の意識として40頃になればふりかえる、それで自責の念にかられるのである
何かこの息子は統合失調症だったとか異常性があったのかもしれない
それでも自分自身も変な方向に行ったから社会から離れるとおかしな方向に行きやすいのである

会社に行く。特定の界隈の人と定期的に接する。これらの行為は、自分の定義を確認する行為でもあったのだ

つまりあまりにも自由ということは不自由になる逆説がまたここに生まれていた、不自由があり自由がある、不自由がなければ自由もないとなるから人間は複雑なのである、本当にかえって自由に生きることがむずかしいことなのである

アウトサイダーとかなると相当に優れた人でないとなれないだろう
天才でも狂気にいたったことでもわかる、ニーチェの超人思想でもそうである
だから今自分にしてもこれだけの多くの人が引きこもりとなり社会から隔離されるというか離脱していることはそれでまともな感覚を維持できるのかとなる
この息子は親も異様なものとモンスターと感じたのだろう
手に負いなくなったのである、ただこうしした社会から離れた人でも優秀な人は優秀である、
それは本当に百万人に1人とかなるだろう
キリストとか釈迦とかソクラテスなどはそういう人だったとなる
そんなレベルまでになることは普通は誰もなれないのである
たから何かおかしな方向に行く方が多いのである

では社会人として普通に働いている人が正常かというとそうではない
現実この事務次官自体が高級官僚としていかがわしいものだったのである
お前ら引きこもりは屑だとか生きるに値しないとか責めるがそれで俺たちは違うと比べて悦に入るのもどうかとなる
お前らはただの社会のロボットにすぎないんだよ、社畜なんだよと自らも言っているのだから社会で働いている人が結婚して子供がいるだけで自慢できるのかとなる
そういうことは昔から言っていた、そういう人でも異常人格者などいくつらでもいる
モラルに反している人など官僚自体が普通にいるということである
お前らはただ社会の平凡なロボットに過ぎないんだなるから引きこもりを責めるがお前らもそんなに責めるほど偉いのかともみる
いづれにしろネットでは何か深い議論はできない、表面的なことでみんな終わっているから自分自身は議論は今したくない、結局不毛だからである
例えば武田邦彦氏とかだと深い議論ができるが他はできない
何か表面的であり掘り下げて議論ができないからである

時事問題の深層というとき私はまさに深層を追求しているのである
だから一言二言を発言しても深層には至らないから議論はしないのである
誰かプログで長い文で批判する者があれば検討するが今は一言二言の発言では相手にしたくないのである
時事問題でもこれも何かその時々に常に事件が起きるしまた忘れられる
でもそれを歴史的にとか幅広い見地から検討する
そうするとその起きてくることでも何か人間の普遍的な問題としてクローズアップするのである
ただ歴史的には引きこもりがこれだけいる時代はなかった
だから引きこもりとは何なのだろうとなるが自分自身が引きこもりだったから理解するともなる、普通に会社に勤めていた人は理解できないからである
そこで深い議論にもならない、ただ引きこもりは無駄だとか始末しろとか言いたい放題になる、とにかく議論を深められないのがネットの弱点なのである


posted by 老鶯 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

高齢化社会と車社会の暗黒(高齢者の事故が増える)


高齢化社会と車社会の暗黒(高齢者の事故が増える)


1トン以上の鉄の塊が身近な生活環境のもとで時速百数十Kmも容易に加速することができる危険な代物なのだから。最近は高齢者用の携帯電話が普及されているが、自動車に高齢者用とは聞かない。運転免許をもち、実際に運転している高齢者の構成割合は高いのに、車には沢山の車種、色などの種類があるにも関わらず高齢者に適した車はないのが不思議である。

高齢化社会と自動車のあり方


人口10万人あたりの事故件数の多い順に並んでおり、日本は163位だ。これを少ない順から並べて、車の保有率が少なそうな国を除いて並び直すと次のようになる。

スウェーデン:3.0人
イギリス:3.7人
オランダ:3.9人
ノルウェー:4.3人
スイス:4.3人
イスラエル:4.7人
ドイツ:4.7人
アイルランド:4.7人
デンマーク:4.7人
フィンランド:5.1人
シンガポール:5.1人
日本:5.2人

欧州社会では、高齢者は自分自身が危険と感じたら自主的に運転免許を手放す人が多くなっています。そして、自主返納へと導く社会環境が整っています。その大前提として、交通社会において、自動車が決して優遇されていないことがあげられます。歩行者、自転車、公共交通機関、そして自動車は、交通参加者として対等なのです

自動車と路面電車が遭遇する場面では、基本的に路面電車に優先権が与えられています自動車を運転するドライバーに対して、年齢を問わず、厳しい条件が課されるため、これを超えることが難しいと自ら感じたときには、静かに身を引いていると言えます。


車に乗っていない人は車のことがわからない、でも最近駅で免許を返納している老人に何人かあっている、その人たちは電車の乗り方すらわからなくなっている
まずそういう人が多いということはそれだけ車社会になっているからなのだ
電車をほとんど利用せずに80歳とかなってしまったのである

ただ特別日本が交通事故が多いかというとそうでもない、アメリカは交通事故が少ないのか?車社会のアメリカがこの順位に入っていない
アメリカは広い国だから道路も広いから事故が起こりにくいのか?
どちらかというと国土が狭い国に事故が多いのか?
シンガポールなどは狭いのだから事故が起こりやすいとなる

とにかく車社会なのに車を利用していなことはその人は社会的弱者となる
それで近くにあったモスバーガーを20年とかそこが車専用として見ていて利用しないで大損だった、あの辺に喫茶店がなかったからである
その他車がないことで社会がわからなくなることがある
保険のことなどもわからないと常識として知ることも知らないのである
そして車がないことは就職すらできないとなる
私は別に仕事していないから車がなくても過ごせた、一万の町でも街内に住んでいるから車がなくても不便というものでもなかった
でも買い物にするにも田舎では街から離れると不便になる
自転車で買い物にするにも不便になる、だから一人一台車を持っているのである
通勤するのにも車が必要なのである

車社会で生活していれば車がない人は大きなハンディキャップを背負うことになる
普通の社会生活すらできないともなる、でも車というのは電車などと比べると本当に危険なものである、交通事故の現場を見ればわかる
コンクリートの塀に直撃した車を見ただけでその破壊力には恐怖する

1トン以上の鉄の塊が身近な生活環境のもとで時速百数十Kmも容易に加速することができる危険な代物なのだから

車自体が相当な凶器となる、車社会の暗黒面は本当はいろいろあるがプラスの面が大きいのでやめられないのである、車社会の暗黒面は津波の被害でも現れた
車で注目されていなかったのが車は場所をとる、空間の占有率が高いのである
電車を見ればわかる電車だったら百人であれ乗っても空間の占有率は少ない
でも車に1人一台で百人利用すると百台でありそれが道路をしめるとどうなるのか?
百台がが連なるのである、それで渋滞になって走れなくなり津浪で死んだ人が多くいた
それは車社会の危険な盲点が現れたとなる

自動車が決して優遇されていないことがあげられます。歩行者、自転車、公共交通機関、
そして自動車は、交通参加者として対等なのです

ヨ−ロッパではそうなっているが日本ではなっていない
ヨ−ロッパでは自転車道路も整備されているからそこを走れば安全なのである
でも日本ではないから危険になる、日本の道路は狭いから自転車も危険になる
でも日本ではすべて車優先の社会である
そして自転車に乗っていていて一番危険を感じるのは後ろから猛スピードで来る車であるそれは見えないから危険になるのだ
また車から見ると逆に急に自転車は道を横切るから目障りになる
それで車の人に怒鳴られたり注意されたり嫌がられているのである
日本では本当に車優先社会であり歩行者とか自転車とか目障りなものにされているのである、ヨ−ロッパではそうでないとするとき日本はなぜこれほど狭い国土なのに車が優先されているのか?
それは車が国の主要産業であり車を外国に売るから企業の方針でそうなっているのかともみる、なぜなら日本は会社社会であり会社の要求が優先される社会だからである
政治より財界の力が強くその言いなりになる、車が売れないとまずいとなれば国内でも車優先社会になるのである

自分自身はもともと車は嫌いだった、なぜなら車は自然に風景に溶け込まないからということもあった、突然目の前を猛スピードで走る、その時風景は乱される
また騒音も嫌だった、その点なぜ電車には鉄道には魅かれるかというと風景にとけこむからである、何か人間的なものがあるからだ
それで駅でボランティアしても見送りしたり何か情があるのが駅だと思った
車にはそういうものがないのである、またマイカーであり閉鎖された個人の空間となっているから車の人とは対話もない、誰が乗っているかもわからないからだ

つまり何か車はキレル道具である、キレルというとき人間と人間が通じあえないのである突然猛スピードで馬鹿野郎とか叫んで去ってゆく、そういう乗り物なのである
キレルとか情がないとかいう時車社会が影響していることは確かである
車によっては情ははぐくまれないのである、そういうことでも非情化社会になったともなる、つまり車社会では相手を思いやるということができないからである
それで私は自転車の人とは良く話するのである
最近でもトラック運転手だった人が足を悪くして車に乗れなくなり自転車に乗り始めた
意外と遠くまで行っているなと見ている
自転車に乗る人とは仲間になりやすいのである、でもバイクでも仲間にはなれないのである、ただバイクに乗る人はバイクを通して仲間になりやすいのである
だから車社会に住んでいると車を持たない人は仲間はずれにまでなる

だからこそ高齢者が車を手放せないのである、そして老人になると年寄りの冷や水とかいうけどそれは今までしたことができると思い込むのである
それは習慣の惰性ともなる、習慣的にしてきたことは年とっても体が衰えてもできると思うのである、またそうして車であれバイクであれ自転車であれそれに乗った快感を覚えたものはそれをやめることができないともなる
私自身でも自転車に乗れなくなったら死にたくもなるから車でも同じになる
車社会で車で生活してきた人たちが車に乗れなくなることは社会人としてまともに生きれなくなるとまでなるのが車社会なのである

そして免許を返納して失敗したという80歳の人がいたけど車が乗れないことが日常の社会生活に支障になる、田舎だと買い物すらできないとなる
その代りの交通など今はない、バスは一日二本くらいしか出てない、鉄道で不便なのは駅からの足がない、バスが出ていない、出ていても二時間に一回くらいだとか相馬市の人も言っていた、街から離れるとそうなる、でもタクシーだと高くつくのである
街内だったら600円だけど離れとすぐに倍にもなるからだ
つまり代替えする足がないのである
こうなったのも高齢化社会のマイナス面がいろいろな所に現れてきたためである

高齢化社会には車は向いていない

ここに車社会のマイナス面が露骨に現れてきたのである、だから何か高齢者向きの車が必要だというのもそうである、ところが日本ではそういう車はないという
自動運転などが取りざたされるがまだ先である
高齢者向きの車が販売されないとうのも変なのである
今度買ったヤマハの電動自転車はYPJ-XCマウテンバイクだから若者向きだと最初思っていた
でも全然違っていた、体力なくても楽に走れる優れものだったのである
この自転車だったら体力なくても走れるなと乗るのが楽しくなったのである
自転車でも今まで乗っていたらやめられないのである、自転車に乗れなくなったら恐怖だとなる、これを紹介したら脳卒中から回復した人も買って乗るようになった
おそらく車ももっているが危険にもなるから乗らないのか、ただ運動用に使っている

いづれにしろこうして高齢化社会になると車から自転車とか電車を利用する人が増えてきているのだ、技術的に自転車は進歩している
でも何か高齢化社会に車は適応しにくいのである、もともと車は若者向きだったからである、第一猛スピードで走るのもそうである、ゆっくり走れないものだからである
車間距離とかあり同じスピードに合わせなければならない、だからゆっくりは走れない
自転車なら別に早くも遅くも走れるし景色が楽しめるのである
そして田舎だと歩道を走れるから安全だとなる、ただ自転車はどうしても車社会では目障りになる、自転車から見ると車は危険なのである
つまり車は高齢化社会になり合わなくなったのである
何か高齢化社会では若者向きのものが合わなくなる、スマホでも字が小さいから目が疲れるしめんどうだからしたくないとか何かと今の社会に合わなくなる
それがみんな悪いというのではなくいい方に働けば住みよい社会になる
何か多少不便でもスローな社会で余裕ある社会になる

正直車は減らすべきだと思う、車をもちすぎて増えすぎたのである
車をいらないとできない、ただ車社会一辺倒の時代は終わったのである
だからヨ−ロッパでは車に対しても成熟社会になっていると見た
日本はなぜ効率第一で余裕がない社会なのである、それはヨ−ロッパのように成熟していないからだともなる、ヨ−ロッパでは騒音にうるさい食べる時だって音をたてないようにするのがマナーである、何かそういう点日本はまだ後進国なのかとなる
社会とか文化が成熟していないのである
だから技術があっても車というものに対して制御できない社会だとなる
技術を社会にうまく適合できない社会だとなる
そうなると車優先になりそれ以外のものは無視されるのである
歩行者でも自転車でも全く考慮されない社会になってんることがそれを示している
でも高齢化社会になると運転できなくなるから車社会にブレーキがかかるとういことがある、それは悪いとはならないのである

いづれにしろ車をもたない人は何か劣等者だとか能力がないとか見ているというのも異常である
それもあまりにも車優先の社会にしてしまったからである
その弊害が高齢化社会で出て来たのである、これもカルマであり自業自得である
車をもたない人がどれだけ肩身の狭い思いをしていたか車をもっている人にはわからない
でも車を運転できないとなりそのことを高齢化社会で老人は痛切に感じることになったのである
技術は必ずいい面と悪い面に働く、なんでもそうだけどそれが高齢化社会で現れたのである


posted by 老鶯 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層