2019年06月06日

今までの日本人の労働観は通用しない (労働する価値とか意味が見いだせなくなっている)


今までの日本人の労働観は通用しない

(労働する価値とか意味が見いだせなくなっている)
   

ニートは憲法違反なのか?
(誰でも労働したいがそのしたい労働ができない) 


「よくわからない」からとりあえずやってみる。
実際にやってみないと、労働が何であるかはわからない(やってもよくわからない)。



laborー(名) 労働 (=labour) laborious  (形) 骨の折れる

ラテン語系の labor を見ると、これには古代の奴隷制を連想させる苦役のイメージが色濃く付きまとっている。要するに、堪え忍ぶ苦しい仕事の意味合いが強い。労使関係、労働運動、革命運動等の文脈における「労働」は基本的に labor である。ちなみにドイツ語の Arbeit の語源的意味も 辛苦、困苦であり、フランス語の travail にいたっては責苦、拷問という恐ろしい意味が語源にある。この系列では、働くことは「苦」なのである
一方、ゲルマン語系の work の方にはあまりマイナス・イメージはない。同語源のドイツ語 wirken にも見られるように、その意味するところは何らかの自主的・能動的な活動をなすということである。その活動の結果としての作品が名詞としての work(Werk)である

なぜ労働を問うのかとなると人間日々働いているからである、毎日どこかで日々働いている、それが社会だからである、労働無くして人間もありえないとなるからだ
ただ労働とは何かとなるとそれが本当にむずかしい、いろいろいくらでも理屈が言えるからである
労働を苦役としてとらえることはその起源も古い、つまりエデンの園から神がアダムを追い出して労働させられるようになった、それがlabor(苦役)なのである
罰として労働をさせられているのである
エデンの園では苦役の労働はない、でも何もしていなというのではない、苦役の労働がないだけだった、でも一日何していたのだろうとはなる
何かいろいろな花が咲いていてそれに名前をつけるとか知的な活動はしていたともいう
でも苦役としての労働はなかったのである

労働というときその要素は様々であり正直一つのものとして語れることはできない
労働は多様でありその価値も多様だからである、時と場合によっても意味と価値が違ってくるからである、つまり労働は何かと定義することは不可能だとなる

多様な価値観をふくむ人間的活動となる

労働をみるとき欠かせないのは他者のためにとか家族のためにとか地域のためにとか国家のためにとか自分自身のためではないものが必ずそこにある
そもそも働くとは端(はた)を楽にするということから出ている言葉である
それは身近な人が働いていて苦労しているから楽にしたいとして生まれた言葉である
働くとは必ず家族であれ村であれ地域であれ国家であれ広く関係していて労働が語られるのはそのためである
だからつくづく労働は何か語りつくせないし定義もできないしその意味と価値もすべて語りえないのである

基本的には労働しなければ今日の食べ物がえられないから労働するとなる
腹減ったからに狩出て獲物をとらえる、農業になると米や野菜を作る、それはある程度の日数がかかる一か月とかもかかるとなるとそこに計画性が生まれる
それで農業となる暦が大事になりいつ種をまくとか時季が大事になる
それを基にして文化化したのが俳句の季語だとなる

民族的に働くということの意味も価値もとらえ方も違う、そもそも大陸の国を見る時大事なのは日本のように海に囲まれていないから民族同士の争いがたりない、すると戦争で負けたものは奴隷とされる、その奴隷は戦争で皆殺しにされていたが温情で奴隷として使ってやるとなったのである、そこに人権の進歩があったとみるのも歴史である
またなぜ貴族と平民とかに別れるのか、階級制があるのかというのも民族同士が戦争して優劣を決めるからである、それで面白いのはネパールである
インドからカースト制がもたらされているからいろいろ人種でカースト制が作られる
それが外国人にも適応されている、日本人もカースト制に入りどういう位置にあるか決められているというのも奇妙である
それは民族が混交してくるとどうしてもその差で色分けしてカースト制が生まれていたのである、だから外国をみるときこのことが背景にあることを知らなければならない
日本では特殊であり日本は階級制もない平等な国なのは日本人は早い時期に人種が混交してみんな日本人になったからである
そういう歴史や文化の差があるということを知らねばならない
つまり日本は大陸と比べるとありえない特殊な国柄を歴史を文化を作ってきた国になる
敵味方塚がなるのも日本だけである、だから中国人が敵の墓まで作っているのが理解できないのである
それは日本人は一つの民族であり争っても仲間だということでそうなっているのである
中国人は敵の墓まで暴いて罰しているのだからそこが歴史と文化の大きな相違なのである

外国では戦争に勝てば負けた人は奴隷にされる、そして本当はみな殺しにするのだが温情で活かすが奴隷として使われるとなったのである
その奴隷に働かせて貴族が労働しない階級制が生まれた、だから奴隷を使うことに罪悪感がないのである、日本ではそうはならない、そういう歴史がないためなのである
労働が苦役とするとき奴隷にやらせればいいという労働観になる、そして労働しないから暇が生まれ学問が生まれたとなる
なぜならスクールとはスコーレであり暇の意味だからである、それは奴隷がいたことにより獲得されたのである
今でも働く者は奴隷だ、社畜だとかになる、自らそういうものもいる
ということは戦争に負けたわけではないが働かされているという感覚になる、では苦役でも働いているのか?
それは戦争に負けたからだとなるが今ではまた違った意味でそう強いられているとなる

この奴隷労働をふりかえるとき常に労働にはそういう要素がある、働かせられているとは強いられているのだから奴隷なのである
もし働かなくてもいいとしたら働かないからである、奴隷だから働かさせられるのである
奴隷でなくても借金したりすると嫌でも働かせられる、借金の奴隷となるのである、それは苦役でしかないのである

ともかく働くことにはいろいろな要素があるから一概には言えない

今何が働くことで問題になっているのか?
それは働くことが生きがいが感じられないと何か意味を価値を感じられないとか労働疎外が起きているためである
村とかの共同体があれば村を維持するための労働となりそこに労働疎外は起きない、苦役でもそこに労働の価値と意味を感じるからである、溜池でも共同で作るという時それと村を維持するためにみんなで働かねばならないものだからである
そういう目的が明確でありその労働の意味と価値を求めることをしなくても明確だからである
だから労働が苦役でもあってもそのことで悩まないのである、ただ苦しいから楽でありたいというのはいつでもある
今の労働は何か労働自体がそうした意味と価値が感じられないのである
その例だ非正規の労働なのである
正社員なら高度成長時代の会社なら終身雇用であり会社が村のようになっていたのである
会社とは社(やしろ)に会すだからまさに村なのである
村でも終身雇用だからである、そういうことで働くことは会社のためでありそれは村のためだということに通していたのである
そこに共同体があり共同体を維持するために働いていた協働していたのである
  
Love & Freedomの非正規労働者の絶望は何か現代の労働を象徴しているのである

彼は働くも
妻もなく子もなく
親もなく親類もいない
ただ一人働く
今日の糊口をしのぐために
それは会社のためでもない
誰かのためでもない
社会のためでもない
孤立して今日一日分の金をもらう
働いたからと人からの感謝もない
ただ一日分の食べる住む金をもらう
そこに協同で働くことがない
孤立した労働であり
誰からの感謝もない労働
ただ一日分の賃金をもらう
労働の価値はそれだけである

非正規労働者が会社のためという動機がない、だから働く仲間がいない、決まった場所で働くわけでもない、どこに派遣されるかもわからない、日々違った場所に派遣されるからである
何か達成感もない、そして最後は孤独死だとなるだけであり捨てられるだけだとなる
そこには労働の共同性が奪われた孤立した労働だともなる
無数のパーツ化した分解された労働でありアトム化された人間となる
その個々の労働につながりが見いだせないのである
そうなるとエジプトのピラミッドを作った人たちは奴隷だったとかなるがそうでもない
その目的は王の墓ではないとすると宗教的建造物を一致して作っていたともなる
それはカテドラルを作った人たちの労働とにている、また古墳でも共同の産物でありその時代の共同性の証として残されたものだとなる、すると今の孤立した無数に分解された苦役の労働よりは意味と価値があったとなるのである 
この人の希望はFXでの一攫千金なのである、つまりそれだけが希望だけだという時何か切ない悲しいとなる
金さえあればというのがまさに資本主義での幸福になっているのだ
でもこの人がでは何をしたいのかというと金が入ってどうするのかというと見えない
ただ苦境から脱したいから金が欲しいというだけになる

例えばそういうことは田舎でも起きている、田畑があってもでは地元の田んぼからとれた米を食べているかというとそうではない、いくらでもうまい米は売っているから、地元の米を食べて地元の人に感謝することもないのである
第一私が援助して畑に野菜を作らせている人はそもそも何ももらっていないからである
そしたら何のために金を払っているのだとなるからだ、田舎でも村でも今はその土地でとれたものを食べていないのである
かえって外国から来た野菜でも果物でも食べているのである
グロ−バル化経済では日常的にそうなっているのである、そしたら地元の人が働いていてありがたいとかならないのである
そして地球の裏側から来た果物でも食べていてもその食べ物を作る人のことなど知り得ようがない
つまりそこで労働しているもののことなどわかりえようがないのである
ただ食べ物だけは入ってくるのである、それでもバナナ農場で働いたから苦役だったというから労働に苦役がつきものなのであるこういうグロ−バル化経済が今は労働疎外を生んでいるから社会が変わっているから労働は義務だとした今までの価値観は変わる
こういうことは商品としての労働となり貨幣の物神化とかでマルクスが説いた
ただマルキシズムでもまたその労働は共産党のための共産党の金持ちのための労働になった
兆もの金を共産党幹部は得たからである、極端な格差は平等の共産主義にも生まれたのである

現代の労働がなぜ疎外が生むのか?ただ金だけを得る労働になりかつてのような労働の意味と価値が生まれないのか?
労働をしたくないというとき苦役だから常にそういうことはあった
でも家族のために村のためにかんばらねばならぬ、働かねばならぬきということで働いていた
それは原発避難地区に起きている、なんとか働いて田畑を復興させてくれと願っても若い世代でも働く人でも流出したらできないのである、こういう場では働いてもらいたいし働いた人に感謝するとなる、それで働き甲斐があるとなる

グロ−バリゼーションと資本主義が危機だというときそれは労働観に現れている、働かないという時なぜなのか?
働きたくないのはなぜなのか?このことを追求することが大事になる
私自身は働きたくなくなったのは底辺労働でありロボットのように流れ作業しかししていないからである
これが仕事なのかとなるとしたくないとなった、でも何かそこで生きがいのある労働であれば自主的にする
でもそんな仕事は与えられないのである、それは能力がないからそうなっているのだともなる
能力がある人は生きがいのある仕事をしているとなる
それで私は引きこもりになり家で好きなことをしていただけだとなる
学問とか芸術をの追求をしていたとなる、それは創造的仕事だからしているとなる
何か私は文章を書くことが好きである、しゃべるのは不得意である、だからこうしてプログで書き続けているのである
ただ金にならないから価値と意味を与えられていないとはなる、与えているのは自分だけだとなっているのだ



posted by 老鶯 at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

野馬追いの起源 (馬に乗る人侍でありそれに従う人が御徒町(おかちまち)とかに住む)


野馬追いの起源

(馬に乗る人侍でありそれに従う人が御徒町(おかちまち)とかに住む)


この御徒士組は幕臣の中でも下級の武士でしたから、江戸の中頃になると彼らの生活は苦しくなり、さまざまな内職にはげみました。中でも有名なのが屋敷の庭を利用した朝顔の栽培です。今でも行われている入谷の朝顔市のために、最初に栽培しはじめたのは御徒町だったといわれています。


江戸時代、江戸城や将軍の護衛を行う下級武士、つまり騎乗が許可されない武士である御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来する。 御徒町周辺に於いては長屋に住み禄(現在の給与)だけでは家計を賄い切れず内職をし生活していた下級武士を指す 。 なお、現在は町名としては消滅し、台東区台東、および東上野の一部となっている。また、この地名は城下町であればどこにでもある地名でもある。


「御徒(おかち)」「御徒士(おかち)」「徒侍(かちざむらい)」「徒組(かちぐみ)」「歩行衆(かちしゅう)」
と呼ばれる幕臣が住んでいたところ、つまり「御徒士」たちの社宅があったのが、現在の御徒町あたりだと言われています。
下級武士で、徒歩で行列の先導などを務めていたそうです。

召馬預が二百俵級の旗本の役だと前回説明しました。ここで、二百俵(二百石も同じ)級の旗本の生活を整理してみましょう。

@屋敷の門は長屋門で片側に番所付だ。広さは六百坪くらいと、かなり広い。
A生活はぎりぎりで苦しかった。侍1人、甲冑持1人、槍持1人、馬の口取1人、小荷駄1人の計5人を使用人としていつでも動員できるようにしておかなければならなかったが、実際は馬を飼っている者は少なく、登城時に不可欠な槍持と草履取以外は使わなかった。

 武装することの根本に、やっぱり馬がある。武士はね、馬に乗る資格のある者(侍)と資格のない者、という区別が、江戸時代も、もっと前も、ずっとある。その、馬に乗る武者が、戦力の中核で、それに歩兵や従卒が従っているのが、武士の戦闘集団のもともとの姿だった。
 
なぜ野馬追い祭りがここに残っているのだろうか?
そして野馬追い祭りが馬の祭りだいうことである、馬なくしてありえない祭りである
これが今の時代と何の関係があるのかとなるとあった

馬をもっている人と馬をもっていない人の身分差別だったのである、侍はそもそも馬に乗って戦う人だった、馬をもたなければ侍とはなれなかったのである
足軽というのは馬をもっていない、だから歩くほかない、つまり馬を持つ人と馬を持たない人で身分差があった、だから野馬追い祭り馬を持っている人の侍の祭りだとなる
馬を飼うには費用がかかる、だから専用に馬を飼う人を雇うとかなる
野馬追いでもそうである、馬を野馬追いのために飼っていると金がかかるのである
だから野馬追いに出る人は金がかかるから困るがどうしても出たいとなって無理しているなぜ出たいとかなると馬に乗ると昔の侍になり偉くなった気分になれからである
馬に乗るとそのこと自体目上になる、馬上から庶民を見下ろすことになるからだ
実際に野馬追い祭りでは行列の前を横切るなとか二階から見るなとか禁止事項がある
それはやはり侍は身分的に上だということを示すからである

ともかくこれは今の時代と関係ないのかと思ったらあった
現代では車がない人は一段劣った人と見られている、そして何事も車優先の車社会であるそれで歩行者と自転車は目障りにされているのだ
それはつくづく自転車とか歩行者は車がない人は身分に差があるとなる
それで御徒町(おかちまち)とあるのはまさに馬を持たない人たちが歩くことしかできない人たち住んだ場所でありそこに明確な身分差があったのである
足軽というのもそうである、足が軽い人たちというのはまさに足を使って馬に乗っている侍についてゆく人だったのである

だから歴史とはつくづく継続しているのである、第一野馬追いと車社会が関係しているとは思わないだろう、でも関係していた
私は車がないから自転車の人と良く話する、この自転車はどうだこうだとか話する
自転車を通じて仲間になりやすいのである、車を持っている人も常に車の話になるのとにている、昔なら馬をもっている侍は常に馬の話になるのと同じなのである
馬というのはそれだけ人間の生活を左右しした、歴史も左右したのである
それでモンゴルは馬で常に移動したからそれがそのまま軍隊となりジンギスーハーンの帝国が生まれたのである、また昔の始皇帝が生まれた長安(西安)に兵馬俑の馬の軍隊が発見されたのである、それはまさに馬があってこそ始皇帝も中国を統一できたとなるからだ

とにかく明確に馬を持っている人が侍であり馬を持たない人は馬を持っている人に従うというのが武士の時代だったのである、だから歴史的にここを抑えておかないと野馬追いとは何なのだろうとなる
馬の祭りだということは馬を持っている人が社会を支配したからそうなっていたのであるそれは世界史的にもそうである、だから日本でも騎馬民族征服説が生まれたのである
馬と車が関係ないようで関係していたのである
馬の代わりになったのが車だともなるからだ、それだけ車社会ということは車が社会を変えてしまったのである、お前は車がない車に乗れないということは御徒町とかに住み足軽だということになるからだ

ただ馬とは何なのか理解できなくなっている、馬と直接接するのは競馬だけになったからである、野馬追いでも競走馬を使っている、それ皐月賞をとった馬を見に来た人がいた
その人は相当に馬に興味があるからしげしげと見ていたのである
今は競馬を通じてしか馬に興味をもてないのである
だから歴史的に馬が人間の生活を左右したのか理解できなくなっているのだ
野馬追いの時だけ馬に興味を持つのである、でもあとは馬とは関係ないのである
競馬だけが馬と関係している、そこに何か野馬追いでも盛り上がらない理由だとなる

ともかく今のことでも歴史的にみると何か見えてくるのもがある
現代と江戸時代なども関係ないということにはならないのである
やはり人間の生活はつくづく継続であり関係している、歴史的な目で見ることが何でも必要だということである

posted by 老鶯 at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係