2019年08月01日

先住者と後から移り住む人たちの軋轢 (現代は老人が生きずらい社会である―江戸時代が老人が生きやすい時代だった)


先住者と後から移り住む人たちの軋轢

(現代は老人が生きずらい社会である―江戸時代が老人が生きやすい時代だった)


この辺では移り住む人たちが多い、駅でも道を歩いても元から住んでいる人たちではない第一一つの新しい街ができたくらい家が建ったからである
津波で被害を受けた人たちはこの町に元から住んだ人たちである
でも原発事故関係で避難して住んだ人が多いのである
ちょっと話してみると元から住んでいた人ではない、それから外国人もまじっているから外から人たちと混在している、それは全国的傾向であり特にここだけではない
広域社会とグロ−バル社会とはそういうものである

そこで軋轢を生んだのがいわき市である、二万人も移住して新しい家を建てたとういからそこになんらか軋轢が生じてもめた、なんであの人たちは他からきてすぐに新しい家を建てたんだろうとかうらやましがられたのである
もともと住んでいる人はそんな金がない人たちがいてうらやましがられた
そしてかわいそうだとか他から同情されたことも影響したのである
それはこの辺でもあった、ここでは津波の被害者もいて複雑になっていたのである
原発避難者は多額の補償金をもらったが津波の被害者はもらえなかったからだ

とにかく先住者と後から移住してきた人たちとうまくいかないことが普通にある
それを象徴していたのがアメリカだったのである、インディアンが先住者だったけど
その人たちは正直な人たちでありアメリカの土地に最初から根づいた人たちだったが
横暴な白人に踏みにじられて殺戮された
それは人だとアイヌでもそうだったとなる
こういうことは世界史でも民族の興亡が激しいからあった

でも先住者より他から入ってきた人たちが威張るとかなることもある
村で暮らしていた日本人だとよそ者を簡単に受け入れないことがある
おそらくそれは農業社会だったからだろう
なぜなら相馬藩では越中とかの移民を飢饉で受け入れたとしてもその人たちは先住者に草分けという農家に指導を仰いだから先住者が上になっていた
それで苦労して荒地を開墾して住みついたのである

だから農業だと先住者でもその土地についてはわからないからその土地の人に教えられないと住めないから先住者に従うとなる
でも現代の社会は何か広域社会でグロ−バル化社会であり工業社会である
すると金があればどこに住んでいいとなる金がある人がもともと住んでいない土地に来て威張るとか支配者にもなる
この辺でも立派な家を建てた人が多いのだからそうなっている
とにかく外から来た人たちは何をしているのか?
それが良く見えないのである、浪江の復興住宅に住んでいる人は仕事はしていない
ただ他に新しい家を建てた人たちは仕事しているのか?それが見えない
もともと何をしているか仕事しているから見えない時代だったから新しく来た人たちでもわからないということになる

でも何か新しい土地に来ても世話になりますとかはない、金さえあればどこに住んでもいいし金がある者が上なのだとなる
現実に土地の人で金のない人に与えればそうなるのが現代である
そんなことを言う人がいるから田舎は閉鎖的で嫌なのだとなるのも確かである
でも何か先住者というかもともとその土地に住んでいた人たちに教えてもらうことはあるだろう、すると金さえあれば関係ないということにはならない
それは自分自身も旅したとき、そんなふうにして旅していない、その土地の人に世話になるというか教えられるという気持ちがなかった、今はそういうことは確かにない
金さえあれば何も教えられなくてもいいとなる、道を聞くにしてもスマホがあればいいとかなっている、人は関係ないともなっている
でも旅をふりかえるとそれではまずかったともなる、自分の場合社会性が欠如していたからそうなったのである、この社会性が欠如するからニートとかは問題なのである

とにかく外国人をおもてなしとして日本人が迎えるのももそうである、日本人が貧乏になった時そうなったのである
本当は外国人がお世話になりますというのが順序なのである、知らない国に来るのだからそうなる
それが日本人がおもてなしとか金のために頭を下げて迎えるのである
そういうことを日本人か好景気のとき外国でそうされていたのである
今度はその逆となり貧乏になったからおもてなししろとなったのである
だからこれもつくづくカルマだとはなる
つまりグロ−バル競争社会では世界的にそうなるのである
経済力強いものがその土地に長く住んでいようが関係ない、上になり従うとなる、おもてなしされるのである
金だけ世界の共通の価値となればそうなるのである、何か金意外のことは無視される
それは観光だけではないあらゆることでグロ−バル化することで起きている
その国の文化とかも無視されて外国人が入ってくるのである

こういうことは別に田舎とか農業だけのも問題ではない
会社とかでも起きているのである、終身雇用というときそこに長くいた人に給料が多く払われ長くいる人は先住者で価値があるとなっていたのである
だから後から入る人は教えこうという立場にあった
それは職人でも徒弟制度があり厳しい上下関係があったのである
でも終身雇用がなくなると新人でも技術者は特別待遇されて給料も二倍とか三倍で優遇される、すると会社に長くいた人たちは先住者は価値がないとなるので不満になる
新旧の問題でも軋轢が生まれる

駅でも私は案内していたので今見守り役した人に盲人が来たとき導くことなど教えた
だかその人たちは何もそういうことを教えてもらわなくてもいいとしていた
そこで考えたことはどこでも必ず先住者がいてそこで経験を積み重ねた人がいる
すると何かしら教えられることがあるのだがそれを無視している
何か教えられることもないよはなっているのだ
だからとにかく農業社会だったらどうしても土地のことはわからないから先住者に教えられるのでその下で働くこともいとわないのである

今の社会の問題は例えば老人がいたとして誰も尊敬しない、教えられることもない
かえって老人は何もできない、無益な邪魔者で俺たちの金を使って遊び暮らしているだけだと見られている、それは社会が工業社会とか変わってしまったためである
それで法律の専門家が正論おじさんとか馬鹿にされたことでもわかる
情報社会だとインタ−ネットで教えられるとかともなる、老人に何かわからないから聞きに行く人などいないのである
ただその態度が問題なのである、やはり先住者に何かしら教えられることがありそれを拒否することは何か問題である
結局工業化社会というときどうしてもその土地のことは関係ないとなるからそうなった
車を作るのでもその土地のこととは関係ないからそうなった
そうなると先住者の方が肩身の狭い思いをするとかまた先住者は邪魔者だとインディアンのように滅ぼされるともまでなる

現代は本当に老人にとっては生きにくい社会なのである
老人が価値がないとされる時代なのである、それは数が多くなったせいもある
でも老人が長生きしても尊敬もされない、ただ社会の重荷になっている、早く死んで方がいいのだと若い世代に思われること自体、老人は長生きすることは苦痛になるのだ

そして認知症になっても江戸時代辺りだったら意外と生き安かった
いろいろな機械も使うことはない、非常にわかりやすい単純な社会でありいつも同じ人がいてなじみの人がいて変わらない社会である、そこで老人に教えられることもあるからだ老人はそこで尊敬されていた、老人に教えられることが何かしらあったからである
長屋とか人が常に変わって移り住んでいるようにドラマでは見るが長屋に住んでいる人はそこに長く住んでいる顔なじみの人が多かったのである
つまり江戸時代は人があまゃ移動しない時代だったのである
そういう所では認知症の人でも住みやすかったと思う
単純な社会であり人と人が直接情で結びつく社会でもあったからだ

江戸時代の日本人は明治の時外国から来た人たちが称賛しているがそれはそういう社会であったからだ、それは日本人だけではない、例えはラオスに行った人たちも同じようなことを言っていたからである、人間が素朴だと言っていたからである
つまり文明人になるとみんな同じになるのである
とにかく現代は老人には生きにくい社会である、そして老人が多くなりすぎることがさらに生きにくくしているのである
もし江戸時代のようなら老人は尊敬されていたし居心地よかったのである
ただ貧乏ということで生きにくかった、すべていいものとしては何でも働かない
ただ現代社会はかえって外から来た新来者が先住者を踏みにじることが多いのである
だからその土地に長く住んでいてもまた会社で長く勤めていても価値がないとされる
そういう社会は老人にとって本当に生きにくいと思った
老人は別に年とっているとういだけで敬われないし価値もないとされるからだ
そういうことで高齢化社会が実際は地獄化する、それは年金とか金の問題だけではないのである 

佐保過ぎて 奈良の手向けに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ 

この歌のように峠を越えて異郷に行くことはその当時大変なことだった
だから人も変わるし妹の顔を浮かび離れたくないとなっていたのである
峠(とうげ)は手向け(たむけ)から来ていてそこ手向けして神に祈り幣を置くことでもわかる、隣の村でも見知らぬ土地に行くことは大きな変化であり畏れきもなっていたのである
この妹は親でも兄弟でも村の人でもいいのである
こういう心情は人間にはもともとあったし今のように絶えず見知らぬ人と交わっている時代はなかったのである
ただこういうことは老人にとって苦手になる、老人はいつもなじみの人と会いそこで精神の安定化を図る
認知症になると子供でも離れていると名前さえわからなくなるがずっと一緒にいた人は忘れないのである
だから認知症になる人が膨大に増える、その時老人はさらなる地獄を生きることになるのである
長生きは悪いことではないがこうなると本当に長生きは地獄だとなる

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週刊新潮8月8日号

これも他国でもずかずか遠慮なく入ってくることで起きている
グロ−バル化で相手の文化とか事情におかまいなく入ってくる
そういうことを日本人でも他国でしてきたから同じだとはなる
もう金さえ払えば王様だとどこでばそうなってしまっているのだ
何かお世話になりますということはないのである
それは観光だけではない、グロ−バル化するとあらゆることでこうなる
金があれば王様であり待遇される
日本だって金があれば高級旅館でおもてなしされる
金のないやつは来るなとかなる

だから私は旅したとしても高級旅館と温泉旅館には泊まらなかった
というより泊まることができなかったとなる
テント張ってとまった方がいいともなっていたのである
何でも金ある者が優遇される社会はおかしいのである
金をやれは傍若無人にふるまうことも許されるとなる
広域化社会とかグロ−バル化社会の弊害が今になると顕著になったのである
ただこれは外国人だけの問題ではない
日本人自体が外国でそうだったからである
日本国内でもそうである、金さえ払えばいいじゃないか、また受け入れる人は金のない奴は来るなとなる
金を落とす人だけ来ればいいとかなっているのも現代の矛盾なのである
江戸時代だったら殿様意外は貧乏だから同じ待遇だったと思うからである

道の多様性(abstract ways-variety of ways)

道の多様性(abstract ways-variety of ways)


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Road to glory

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green city

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space station

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