東電が原発を作る前から地域の共同体は崩壊していた
(技術者が新参者が上に立ち貨幣により支配されるグロ−バル社会)
東電が原発が地域を破壊したとしている、でもその前から地域の共同体は崩壊しつつあった
農業は金にならない、漁業でも生活にならない、苦労ばかりだとかなってもう農業も漁業をやりたくないとなっていたのである
だから東電に漁業者は漁業権を売り渡して多額の補償金をもらって生活するようになった事故後も津波の後でも立派な家をすぐ建てたのである
それはここだけでない、日本全国が農業社会から工業社会に移る過程にあったからであるそれで原発で働いた人が親に農業だけはやるなと殴られたという、農業をすると息子が言ったからなのかその親は農業でさんざん苦労しているからそう言ったとなる
その人は原発や建築現場を渡り歩いて働くようになった
東電が原発を建てる前から双葉大熊辺りは特に働く場がなく出稼ぎ地帯であり地元で働きたいという要望を強くもっていたのである
それにかなったのが原発だったのである、原発だと三倍の賃金をもらっていたからだ
だからこの辺では原発で働く人が多かったのである
原発成金地帯みたくなっていたのである
東電が無理やり来て地域を破壊したのとも違う、地域にそういう要望があったからであるだから確かに東京に原発を作ることこそ一番ふさわしかった、でもそうなると福島県には金が下りないとなってしまった
それが矛盾なのだけど東電が原発を作り地域をすべて破壊したように見えるけどそれも違う、農業社会から工業社会へ移ることで起きて来た問題である
なぜなら戦前だと80パーセントが農民とかの世界である
戦後はもう今なら一割にみたない、第一団塊の世代だと山の木材を利用して炭で暮らしていた、ということは電気は裸電球一つしかなかったのである
エネルギーは地元の木材であり炭だったのである
そういう場所に高度成長時代となり電気時代ともなったのである、また石油時代ともなったのである、電気を何で作るかというと石油だったとなるからだ
そして原子力で電気を作るとなったのである
そういう時代の変化の中で地域は農村共同体とかは崩壊していった
だからどういうことになったかというと東電という技術集団が入ってきたときその人たちが地域の支配者になったのである
先住民の地域で暮らす漁業関係者でも農民でも炭を作る林業関係でもその時工業化してのみこまれたとなる
何か技術が社会を変えて支配することは世界の歴史でもあった
第一日本の天皇は実は伽耶国から出てきて伽耶は鉄の産地であり鉄を作る技術集団が日本に渡って来た、そして鉄の生産に従事した、それが渡来人である
稲作でも鉄の道具とかあってできるものである、縄文時代のつづきとして石包丁で稲刈りしていたということもあるがそれでは効率が悪いから鉄の鎌とかにして飛躍的に生産力をあげた、稲荷(いなり)様とは狐のことではない、鋳成りであり鋳とは鉄なのである
そして天皇は鉄の王だという時まさに技術者集団のトップの人が王になったとなる
ここでは東電が王の立場になったのである、だからもともと住んでいる人たちが力を持つとは限らない、それは農民社会でもそこに技術が関係していたのである
あとは馬とかも関係していた、相馬氏自体が騎馬軍団であり馬の操作にたけていて相馬地域を支配したとなるからだ
結局先住民とかが力をもつとは限らない、そうした技術集団であれ移動してくるとインディアンのように虐殺されたりするからである
でも原発事故でそういう優位性が崩壊した、東電の権威は失われた
そしてそこに住む人たちも何か今まであった生活を見直すことになった
それで生業を返せと裁判を起こしたのである、それも補償金をもらいたいからだけであるその前に生業自体を捨てていたのである、その象徴は親に農業するなと殴られた人だったのである
それは時代の変化でやむをえないということもあった、でもそれが何か間違っていたと気づいた時は事故後であり遅かったとなる
いづれにしろこういうことだけではない、もう先住者が何か価値あるとか力をもつことができない
この辺では津波や原発事故以後、特に原発事故以後大量に人が移動した
そして新しい一つの街ができた、そこには立派な家が立ち並んだのである
でも今は移動する自由があり金があればどこに住んでもいいのである
だから故郷を離れても別にその土地の人に気遣うことなどない
むしろ金があれは金がある人が威張っているのが現代社会である
それで小高の人が私たち金を使って鹿島の人たちを助けているのよねと言っていたのである
そんな感覚であり何かよその土地に移っても金ある人の方が威張っているのである
別によその土地でも金さえあれば生活できるからである
それは何もここだけではない、グロ−バル社会になると金さえあれば世界のどこでも暮らせるとなる、それで大金持ちは日本を脱出して暮らす算段をしている
それは日本だけではない、中国の共産党幹部は莫大な富があり中国国内で何かあったら外国で暮らせるようにしているからである
日本で土地などを買っているのもそうかもしれない、金さえあれば外国で暮らすことができる、そうなると国家など関係ないともなる
それが実はグロ−バル社会なのである、もともとその土地に住んでいても何の力にもならない、新参者が威張り金で力をふるう社会である
そこに旧来の共同体は破壊されていたのである
第一家を建てるにしても外材であり家自体が地元の大工とかかわったのは極わずかであるみんな大手の住宅会社がかかわり一週間くらいで組み立てて建てたものであり地元とは関係ないからである
そうしたら何か地元の人に世話になるという感覚もないのである
それが広域社会でありグロ−バル化社会である
ただそこで力をふるうのは金であり金のない者はいくら前からその土地に住んでいてもなんの力もないとなる
それで小高の人が鹿島の人を消費して助けているのよねというときまさにそうだったのである、それは原発避難民がいわき市に二万人移動して家を建てたとき数が多いから起きたことである
なぜもともと住んでいた人たちは新しい家を建てられないのに後から移った人たちが次々に家を建てられるのか?
それも矛盾だった、でも金のある人がグロ−バル化広域化社会では強いのである
何かその土地についてもともと住んでいる人が知っていて教えられることがあってもでは農業するのではないから草分けの家に教えを乞うなどないからである
むしろ金をもっているから移動してきた人たちの方が権利があり力をふるうことができるそれがグロ−バル化社会である
そして田畑を売って金に換えたいということが強い、田畑をもっていても手間がかかり金にならない
それより今は移住する人が多いから土地の値段が上がり売った方が得だとなるのである
それげこの辺は一時移住者が増えて土地の値段が高くなり売れたのである
汗水たらして農業するより売って金を替えた方がいいという社会なのである
つまり農村共同体のような小さな共同体を破壊するのがグロ−バル経済市場の中に組み入れられるとき貨幣の力が大きなものとして現れる、農村共同体の中で機能していた価値観は破壊されるのである
貨幣というのが今のように万能ではない、むしろ封建時代とかは土地の方が価値があった農業社会だとそうなる、土地の資本が食料を生み出すからである
工業社会になれば土地は価値の基準にならないのである
工業化は技術化社会であり技術が最優先される社会である
世界的に自動車でITでも技術競争にしのぎをけずることでもわかる
現代グローバル化社会の最大の特徴は土地からあらゆるものの債権化と株式化と科学技術化なのである
だから土地を基準とした封建社会とかからのこうした大きな変化の中で共同体は失われる変容する、それがグロ−バル化社会でありグロ−バル市場社会となる
その土地の支配者が王だったり殿様だったりするがグロ−バル資本主義では実質の支配者をすべての財が債権化されたなかで貨幣化された株式化された世界で価値をもつのであるだからその土地に長く住んでいても力をもつことはできないのである
この図のように社会そのものの変化がもともと住んでいる人たちの力を消失させた
債務とか債権化されるとは実体としての財が貨幣化したことなのである
債務とか債権は貨幣のことでもあるからだ、貨幣はそこから生まれというのもそうである貨幣によって財は抽象化してそこに住まなくても所有できるというのがグロ−バル社会でありだからこそ証券市場とはあらゆる財を債権化したのである
そこで唯一最大の力は貨幣となり地域の共同体などは無視される
グロ−バル化した世界で債権化して富が移動しているのである
だから一か所の土地に定住するということは実際は価値あることにはならない
そこに長く住んでいたからと価値ある者に力をあるものとはならないのである
土地をもつより土地を債権化したものを証券でももっていることが力をもつことになる
ただそうなると文化的見地からするとその土地を耕す(cultivate)がcultureになったのだから文化はグロ−バル化によって破壊されるのである
つまり文化は債権化貨幣化しにくいからそうなっているのである
でもグロ−バル化資本主義も投資先がなくなるというときまた銀行が農業に投資するとかなるときそこで変化しているのである
なぜなら農業とはただ食料を生産するだけではない、文化と深く関係しているからであるそこでグロ−バル経済の転換が地域から起きているともなるのである
ともかく前になぜこんなに簡単に原発事故で放射能問題があっても簡単に一挙に街自体が捨てられてゴーストタウンになったのかそのことを考察した
農業社会だったらもう簡単に他に移れないのである
この辺で越中などの農民が飢饉の時三分の一に人口が減った時移住してきたがそれ自体命がけであり草分けという古い農家に草鞋をぬぎここで荒野を開墾して苦労して農業をして住みついた
そういう時代をふりかえると全くそういうことはない
むしろ他から移住してきた人たちがたちまちに立派な家を作り長くこの土地に住んでいても金がないなら何の力をもないのである
何か教えてくれということもないから先住者としての価値はないのである
むしろ金がある新参者が威張る起きているのである
それは別に金があればいくらでも世界から物でも食べ物でも入ってくるからである
そして長くその土地に生きていても価値がない、そのことは老人に価値がないとなる社会である、だから老人は価値ない者として邪魔者扱いされるのである
江戸時代でも戦前でも食料はそんな遠くから入ってこないのである
それはいいとしてそのマイナスが共同体がすでに崩壊していて原発事故があってそれで
もう簡単に分解したともなる、共同体というが現代のグロ−バル経済はこうした一地域のミクロのことなど無視した点を無視したグロ−バル経済なのである
だからこそこうして簡単に町でも崩壊して一時ゴーストタウンになったのかとなる
グロ−バル経済としてつながっているがその住む地域のつながりは希薄化していた
そしてどこにでも金さえあれば住めるとなればかえって移動した方がいいとなり
その故郷の復興など考えなかったのである
だからこういうグロ−バル広域社会のなかでこういうことが起きたことを認識すべきである、そのマイナス点を認識すべきだとなる