2019年08月16日

百年の高校野球の歴史 (地元出身者ではなくなったからする方も見る方も変わらざるえない)


百年の高校野球の歴史

(地元出身者ではなくなったからする方も見る方も変わらざるえない)

戦前の大阪にはたくさんの丁稚や.奉公人が.関西以西の土地から集まってきていた。彼らは七月のお盆休みはもらえなかった。商いのかきいれどきの時期だからである。それが,八月のお盆になってようやく休暇をもらえた。今と違って,交通が発達していなかったから,彼らは遠い故郷へ帰ることができなかった。せいぜいできることは.甲子園へ野球を見に行って,故郷の代表チームの活躍を応援することであった, 彼らはライスカレーとかち割りをとりながら.故郷もしくは,その周辺の代表チームの勝ちを祈った。しかも.彼らの目の前のグランドで野球をしているのは,彼らと.ほぽおなじ年ごろの少年たちである。彼らは故郷を応援しながら.一方は野球選手として華やかなスタートをきり.自分はしがいない.辛く.苦しみだけ多い丁稚,奉公人におかれていることに,ひとしおの感慨があったのであろう。(虫明 1996)

このように戦前の丁稚や奉公人の立場にある若者や.戦後の高度成長期を担った集団就職で関西地方にやってきた中学卒の若者たちは,自分とは全く違う忠まれた境遇にある選手たちを「個人」として羨むことよりも 故郷を代表する集団と捉えて一体化し.敗れて球場を去るときにかけられる「また来いよ」という甲子園特有の掛け声までも自分へのものへと同化していたのではないだろうか

儀礼論による高校野球の考察
一一宗教的儀礼から相互作用儀礼へ一一

何でも歴史がある、こういうことがあったというのも発見である
丁稚奉公の社会がかつてあった、その時お盆には帰れなかった
故郷に親元に帰りたくても帰れなかった、それで甲子園で野球を見に行って故郷の代表チームを応援することだった、年頃が同じくらいの少年が野球をしていたからである
これもなんとも不思議というか歴史である
つまり高校野球の歴史が百年ということはそれだけのストーリーがすでにあった
ただそこまでふりかえり見ている人はいない

とにかく高校野球は戦後でもずっと熱中して全国民がお祭りのように見ていたのである
最初は地元の生徒だけのチームでありそれで全国を舞台に活躍するとき愛郷心が沸き上がったのである
それを象徴していたのが部員10数人しかいなかった、田舎の池田高校が優勝したときだったのである、そんな田舎で部員もチームを組むのにりぎりぎりなのに優勝できたことが高校野球を盛り上げたのである

それから高校野球は東京とか横浜とか大阪とか大都会の高校が優勝するようになった
なにしろそれだけ数が多いのだから優秀な人が集まる、部員の数も百人以上とか普通である、その中のえりすぐれた人が選手として出れる
そこでPL学園とか宗教団体の代表も数を集められるから有利である
それで桑田とか桑原とかがスターになったのである、何回か優勝したのである
つまり高校野球は地元出身者からなるチームでは勝てなくなった
それで最後に池田高校だけは違っていたから歴史を残したとなる
福島県の磐城高校は福島県では進学校でありそれでも決勝戦に進出したとことが記憶にある

その時は地方の郷土の答えに応じるべき選手は戦った、だからその時は全部郷土出身者が選手だったのである
何かそういう時代から変わっても依然としてそう見ているのが高校野球である
今回でも海星とかあると何か九州なのか長崎なのかとか地域を見る
明石商でも明石城に行ったことがありあの城のあるところだと見る
でも現実にはそうした郷土を背負ったいることはもうないのである

東北勢が強いという時、八戸光星はなんなのだとなるとき八戸がついているから青森だとなる、そもそも青森県というとき八戸とかより弘前とか青森市の方が青森県だとイメージする、だから八戸が青森県の代表に見えないのである
現実に八戸光星は一人しか青森県出身者はいない、でも今回活躍した
選手も地域の代表だとも思っていない、大阪の人が多いから大阪弁であり青森県出身者が津軽弁で通じるのかと不安だったというのもそうである
出身者を見れば大阪であり大阪が数が多いから優秀な選手いて地方に留学しているのである、その人たちは別に郷土愛なども全くないのである
ただ甲子園に出たいために留学しているだけである

東北だと仙台育英でも外人部隊が多い、あのダルビッシュも大阪出身だったのである
だから高校野球も何なのだろうとなる
高校野球は今でも甲子園が聖地なのである、野球の聖地なのである
だからそれは宗教だとか儀式だとかしている
勝敗は別に全力をだしきる、また激しいスチールとかまるで犠牲が奨励される
それは特攻隊にもにているから日本的な集団を美化するものとして教育として奨励される高校野球は商業主義であってはならないのはそのためである
それは日本的宗教となり儀式化したのである

それで負けた時聖地の砂を地元にもってゆくのはそのためなのである
それは一度きりの青春の熱い思いとして砂をもってゆくのである
何かそこに青春の美化がある、青春とういのは実は長くない
たちまち過ぎてゆくのが青春である
でもその青春を賭けて戦う、負けても悔いなく戦うのが高校野球なのである
だからただ勝敗を争うというだけではないのが高校野球でありそこに見る人も魅力を感じるとなる

本当に青春はたちまち過ぎて消える、その青春の一時の輝きが甲子園にあるから選手も出たいとか観る人もそれを感じるから高校野球にはただ普通のスポーツとは違ってみているのである、大げさに言えば人生を見ている、一時の青春の夢のステージを見ている
それは青春がありまにも過ぎ去るのが早いし消えやすいものだからである
その一時が過ぎれば夏が終わり後は永遠にその舞台に立つことはできないのである
青春とはそういうものなのである、だから青春に命を燃焼できた人は幸福だったとなる
そういうスポーツ選手はうらやましいとなる、なぜなら自分でもそうだがみんなそうしたスポーツ選手になれないからである

ともかく何か高校野球は変わったのだけど長い歴史がありその歴史をひきづっているのである、今は地元出身者が極わずかなのだから地元とは関係ない、郷土愛でもない
するとなんげ全国大会となって選抜しているのか?
別に各県ごとに大会を開き選抜しなくてもいいとなる
みんな外人部隊なのだから地元とは関係ないからである
ただ技を競うものであり地元とは郷土とは関係ないのである
東北に優勝旗を持ち帰るのが悲願なのはわかる、金足農業のような高校野球だったからわかる、八戸光星にはそういうものが全くないのである
だから高校野球自体が社会の変化とともに変えざるを得なくなる
ただ高校野球だけは高野連があり特別なのである  
長い歴史がありそのために変えることができないのである

それでする方にしても観る方にしても現実と乖離して見ている
甲子園に出たいというのは外人部隊にとっては地元と関係ないのである
甲子園という場で個人の力を発揮したいからやるともなる
ただ地方だと甲子園に出やすいから留学するとなる
こうなるといくら東北が優勝していないからと東北に是非優勝旗をもってきてもらいたいといっても現実は外人部隊でありその選手たちも別に地元の人とは関係ないのである
こういう地域主義はもう時代的に終わっている

ただ地域主義というとき文化的には残っている
東北には東北の風土があり依然として文化があるからだ
ただスポーツとなるとそうした地域的なものとは関係ないのである
ある地域によって特別優秀な選手が育まれということでもないからだ
それより大都会で東京とか大阪の方が選手を育て安いのである
ただ甲子園に出るために地方の高校に留学しているだけなのである

とにかく高校野球が武士道と関係して明治に取り入れられたとか何か日本的スポーツ化したのである、犠牲心とか団結心とか・・・何か日本人精神の養成の場になっていたのである、だから宗教とか精神主義が育まれた
勝敗だけではない、全力を死力尽くして戦いとなる戦争のようなものにもなる
特攻隊精神を育むものともなる、それは勝敗ではないからそうなるのである

百年過ぎて高校野球もどうなるのか?
やはりこれも変わらざるを得ない、それはする方でも見る方でもそうである
地元中心主義では見れないからである、そうしたら見る方でも応援する方でも見方を変えざるを得ないのである
もはや東北出身の高校が勝手も特別喜ぶことはできないのである
ただ金足農業とかなるとそうなっていた、でもそういう高校ももう絶滅危惧種になってしまった、それで例え八戸光星が優勝したとしてもそれほどの感慨はないのである
別に東北人でもないし地域とも関係なくなっているからである

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戦前とか戦後十年くらいはこういう社会が残っていた
現代の特徴はこうした長い間アイディンティティ化していたものが消失した
それで墓でも高校野球でもその社会の変化の中で変わらざるをえなくなったのである
posted by 老鶯 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

鹿島駅前の花壇に新しい花が咲いていた


鹿島駅前の花壇に新しい花が咲いていた

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ここは一回120年とかの花文字を作ったが枯れて消えた
次にできたのがこの花壇である
小さい花がいろいろ咲いていていい
これを作るのにも手間である、ここは良かった
でもこの花壇を見るのは外から来た人はなかなか見ない
案内板の方を見る

そこにこれより大きな花壇があるかそこくは草が伸びていた
外から来た人は目立つものしか見ない
私もずいぶん旅したが旅すると細部が見れないのである
気付かないのである、そこには時間がないからなのだ
だから何かもったいないと思う
旅では良く見ることができない、次から次と新しいものを見るからそうなる
ただ毎日ここに来ている人は見るのである

私は今でも一日一回は来ている
でも前のように案内などはしない
ただ外から来た人と時折話したり案内をする
それも時間的には短いのである

この前は蔵のある家で観光に利用するとかで女子学生が東京から来た
その人は駅舎を写真にとっていたので話しかけた
鹿島駅の駅舎は古いままなので良く写真をとるのである
そして只野という家に蔵が二つありスマホの写真でみせてくれた
今は農家でも蔵は実際にあまり利用しないだろう
ある人の農家の蔵には孫の写真が飾ってあるだけだった
これももったいないということはいえる

その女子学生は観光会社でインターのようにして働き仕事を学んでいる人だった
とにかく鹿島区には只野という姓が本当に多いのである
いたるところ只野という感じになる
その只野にくいてはプログで書いた
それから末続駅では新妻という姓が多い、墓地でも8割が新妻だったのである
ここから何か歴史がわかる

ただ人口が多くなるといろいろな姓が交じっているからわからなくなる
観光というときどうしても歴史を知ることが欠かせないのである
その土地の歴史を知ることが欠かせない、でもなかなかわかりにくいのである
只野(ただの)ということで蔵を利用して観光に役立てるというとき
まず只野の姓が何を意味しているかここでは知るべきだとなる

そもそも旅でもどういうふうに観光するか?それが問題だった
私の場合でもただ通り過ぎるだけの旅にもなっていた
その土地のことを深く知ることができなかった
それをふりかえるともったいなと思った
今になるとなかなか旅ができなくなっているからだ

今から旅するとするとどこかにいい場所に滞在することである
北海道辺りが一番いいと思う
次から次に場所を変えると印象が薄くなるからだ
それは老人には向かいないからだ
でも私は駅に毎日一応行っているが電車の旅も飽きたのである
むしろ自転車の旅ならもっとしてみたいとなる
見る風景が違うからである、電車だとこれも細部を見れない
大きな景色を見るにはいいが細部はすぐに過ぎ去るから見逃すのである

お盆で遠くから来た人も去った、何か盆踊りしたもの知らず終わった
お盆の終わりには花火を打ち上げたがしなくなった
だからお盆という感じも特になかった
なかなか行事をするにも金がかかるからできないともなる

ともかく駅前の花壇は良かった、ただ案内板のある花壇は草が伸びているのでなんとかしてもらいたいとはなる、それも町の人がしないとできない
すぐにどこでも草ぼうぼうになる
土手の道の草を刈っていた人はボランティアだった、ただ市から頼まれているが道の片側だけであり両側をしているからそれはボランティアだったのである
ボランティアでも草刈りとなると暑い時は疲れる
そうなるとボランティアだって簡単にできないのである
自分はただ一日一回様子見に回るだけである

墓の歴史(家制度は新しく、江戸時代に庶民に姓がなかった―夫婦別姓問題)


墓の歴史(家制度は新しく、江戸時代に庶民に姓がなかった―夫婦別姓問題)

明治期に入って、急激に離婚件数が激減した理由は、1898年(明治31年)に施行された明治民法です。明治民法の最大の特徴は、「家」制度を明確に規定したことにあります。妻は、ある意味「家」を存続させるためのひとつの機能として縛り付けられることとなりました

墓の問題は江戸時代から明治になったときこの家制度が強固に作られた、法律的にも作られた結果、家の墓が生まれた
この家制度は政府によって上から作られたものだった
なぜなら江戸時代の方が離婚も多く再婚も多かった
家に縛られていないのである、明治以降は家と家の結婚なのである
侍は家を重んじた、家を維持することが生計を立てることだったからである
ところが侍の割合は0・8パーセントとか少ないのである
野馬追いでも500騎出るとして相馬藩内の人口からしたらほんのわずかなのである
だから野馬追いに出る家のことを知らないのが多いのである
ほとんどは庶民であり農民だったのである

武家でも結婚しても墓に両家の姓が記されているように実家をひきづっていた
それを認められていた、だから女性が男性の姓に変えることに反対する

【夫婦別姓問題】半数が「夫の姓にしたくない」アンケートから見えた、妻の本音

女性から見るとこれが本音なのだろう、それで夫の墓に入りたくない人が30パーセントかいるのもそのためである
そもそも姓を考えると侍には姓があっても庶民にはなかった
苗字帯刀があり特別功績のあった人にしか姓は与えられなかった
そしたら一家の姓とかはない、ただ名前だけである
だから農民でも庶民でも墓が第一なかった、幕末に経済力がついて農民でも墓を作るようになったのである、それまでは墓は普通ない、墓地は仏方(ほとけっぽ)とかの村の共同墓地に埋められていたのである

そして姓を考える時、日本人の姓がかならずのその由来になったのが村であり村の名が地名が姓になっている、村の共同体が基本として日本にはあった
それが中国とかも違っている、中国に遊牧民系の人たちが入り最初の始皇帝の国家を築いた、遊牧民系だと土地に根ざしていないから血縁が大事になるからだ
それで中国でも今も同じ姓の人を血縁の結びつきを大事になる
それは韓国でもそうである、第一李氏朝鮮とかあると中国の李氏の支配下にある国だとなっているからだ
日本人は土地とのつながりが深いが血縁はそれほどでない、だからこれは世界から見たら特殊なのである、日本の文化は世界のスタンダードから見たら特殊なことがいろいろあるのだ

明治に作られた強固な家制度自体が時代の変化で合わなくなったから墓の問題もある
一家の墓として持続できなくなっているからだ
家の結束とか家族のつながりも薄れている、そして最大の問題は農業中心の社会でなくなったことである、農民だったら土地を資本として継続できる
だから土地こそ大事なものであり土地を受け継ぐ長男が大事にされた
でも誤解しているのは江戸時代が強固な家制度があったというわけではない
それで結婚でも離婚が多くまた再婚も多かったのである
明治になってから離婚が極端に減ったのは家制度が強固に上からおしつけられてた離婚できなくなっていたのである
ということはもともと結婚はむずかいしものであり離婚になりやすいことは変わりなかったのである

結局、家の家族のつながりの希薄化、崩壊、土地とのつながりの希薄化して崩壊

このために墓を維持できなくなってきた、原発事故でもなぜこんな簡単に一つの町自体が一挙にゴーストタウンになったのか?
それは放射能のせいだともなるが何かそれだけではないもの、土地とつながりが希薄化してどこにでも金があれば住めるという広域化社会、グローバル化社会と関係していたと私は考察したのである

ともかく家制度というのは明治以降に法制化されて上から押し付けられたものだった
そこにもともと下からの要望をではないから不自然でもある
女性の姓が結婚すると男性の姓に変わるのもそうである
そもそも第一江戸時代には姓がないのだからそういうこともなかった
ただ名前だけであり姓がないからそんなこともなかったのである
だから新たに姓が与えられてかえってその姓に縛られるようになったのである
それは武家ではそうだったが庶民までそうしたのである

それで墓に「安らかに」とか「和」とか「愛」とか記されているのは姓を記すとその姓に所属するものとしてありでも跡継ぎがいなくなると墓を維持できなくなった
天皇に姓がないのはある一族によって藤原氏となれば藤原氏が支配するとなるからないのである
いづれにしろこうしした歴史的経過があり墓を考える必要がある

村の共同の墓地→個人の墓→夫婦の墓→家の墓

家の墓は古いものではないのである、武家でも個人の墓であり家の墓はないのである
なぜなら死者を偲ぶ時は個人を偲ぶのであり家を偲ぶということはないからだ
その人生もみんな違っているからそうなる
そして不思議なのは今は墓はこの逆行にもなっている
樹木葬とか共同墓地志向が強くなっている、それはもう家の墓が維持できなくなっているからである

自分にしても村の共同墓地とかの方がいい、ただ個人墓となるときそれは特別功績のあっ人だろう、その記念碑みたいものになる
他はたいだい忘れられる、墓は増えてもそれが誰も参るものもなくり墓の墓場ができているのもそのためである、ただ記録して元禄時代のものも西の方であったりするら貴重だとはなる、私は必ず墓の時代をみて江戸時代だと貴重だと思っているからである
それもやはり歴史として貴重な活きた資料ともなっているからである
とにかく団地のような狭い部屋にとじこめられるようにして墓になっているのは嫌だとはなる、それも結局社会が時代の変化で墓の考え方が変わったためなのである