2019年08月24日

原町と鹿島の比較 (原町に小高の人が住んでいた、原町も鹿島も復興している)


原町と鹿島の比較

(原町に小高の人が住んでいた、原町も鹿島も復興している)

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原町駅前の丸屋の十階建てのホテル

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サンエイとは相馬市に本店がある海苔店である

隣にそのその店があった

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ここはニトリの家具店になった
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鹿島区の障害者の学校

これは大きいものである




今日は電池で使うデジカメをもっていった、その単三の電池がなくなっていた
それで電池を買おうとコンビニに入った、でも高いと思い百円ショップに行った
そこで単三の電池が四本でアルカリでも百円だった
それを今までダイユーで買っていたので失敗した
400円とかになる、ダイユーの中に百円ショプがあってもわずかのものしか売っていない、こういうところが鹿島では不便である

そしてキクチスーパーで売っているのものが原町のキクチで売れ残ったものなど新鮮でないものを鹿島に置くとか言われる
品ぞろいも鹿島は悪い、前はシシドスーパーがなかったので独占していたから余計に品物が悪いとか高くついていたのである
原町だと競争があるからいいもので安いものを置くとなる
今度大木戸にシシドスーパーができる、新鮮な野菜を置くからこれも便利になる
それから駅前にヨークベニマルが再開する
そして今度廃業したスポーツ店から家具のニトリが8月30日に開業する
だから原町は相当に前の状態に復興している

それから六号線にサンエイ海苔店がありその隣にサンエイという6階建てくらいのホテルができた
ホテルはこの辺でまだ増えている、というのは小高とか特に浪江や双葉大熊の原発事故関係の仕事がありそういう人達が外部から来るからかもしれない
一時はホテルが不足して困っていた、それでプレハブの宿泊所が相当数できた
ホテルと言えば小池にも外部から来る人たちのためのホテルができたことには驚いた
それだけまだ需要があるということなのだろう
そして一番目立ったのはマルヤの駅前の十階建てのホテルである
これもやはり外からまだ来る人が多いためなのか驚く

道の駅で休んでいたら知っている人にあった、小高の人だった
小高に帰らず原町に住んでいたのである、意外と今は原町に住んでいる小高の人が多い
それから浪江の人もあれだけの復興団地があり住んでいる人が多い
原町では人口は小高の部分で減ったが実際は外部から入ってきている人が多いから減っているように見えない、なぜなら浪江町民だと南相馬市民になっていないから人口にならないからである
鹿島でも外から入って来ている人が本当に多い、それはちょっと話すとわかるからである新しい街が二つくらい町の中にできた感じだから当然だとなる

原町だと住むには便利である、一人暮らしでもスーパーも多いし惣菜も多様になるからいい、鹿島では弁当屋さえなくなったからである
外食でも原町だとしやすいのである
ただ別に車をもっている人は関係ない、すぐに原町でも相馬市でも行けるからである
だから私は自転車でしょっちゅう原町に行っている、でもそれにも限界がある

そして思ったことは今の時代はどうしても原町くらいの人口がないと標準の生活ができないと思った、百円ショプがないと高くつくからである
それと原町に住んでいれば車が必要なくなる、自転車で十分に買い物でも用をたせるからである
小高の人は女性だけど車をもっている、でも小高の人でも今はあまり金に余裕がなくなっているみたいだ、今は何の援助もなくなっているからだ
どういう家に住んでいるかはわからないが仮設のように無料ではないから金がかかる
車をもっているとまた金がかかる
その人は仕事で車を使っていたが今は仕事していないから車は必要ないかもしれない
車は金がかかるしこれからさらに年取ると危険になり免許を返納せざるをえなくなったりするからだ
でも原町に住んでいればまず車がなくても生活には困らないのである
遠くに行くのには困るとしても別に原町内で十分用はたせるからである
そこで節約もできるからいいとなる

何か老人は街中に便利な場に集めて暮らさせた方がいいような気がする
駅前とかにコンパクトシティ化して施設も作りそこに老人を集めた市があった
そうなれば別に車も必要がないのである
なぜその女性が小高に帰らないのか?
それは年だし不便だからそうなっている、老人はまず復興の足しにならない
むしろ世話される方になっているからだ
そこで南相馬市は介護士でもいないから青森にみんな介護される人は送られている
看護師だってたりないのである
介護する時一軒一軒田舎だと広いから回ると不便になる
一か所に集めると介護しやすいとなる

とにかくどうししても街作りでも高齢化に適したものが必要になる
高齢者を優遇するというのではなく負担を減らすために必要なのである
でも人口が一万くらいだとそういうコンパクトシティは作れない
原町くらいの人口規模がないとできない、実際に作ったのはもっと大きな都市だからである
社会が広域化するとき広域的に街作りも計画するようになる
ただ小高でも鹿島でもいい面はあった
特に夏は鹿島だと右田の松原は日影になりそこで自分はいつも夏は浜風を受けて休んでいたのである
今は川岸の土手の道が木陰の道になっているのでそこをいつも通っている
一万の規模だとさらに静けさがある、原町は比べると都会になる
だからなんでもいい点と悪い点がある
今思うと右田の松原がなくなったことはショックだった、その損失は大きい
憩う場がなくなったからである

ともかくこの辺では小高とか浪江とかは依然として復興していないのである
ただ原町になるとヨークベニマルでもシシドスーパーも新しくできるとか復興している
それは人口そのものは減っていない、浪江でも外部から入ってきた人たちが多いからである
原町でも鹿島でも復興している、鹿島でも障害者の学校が建設中でありまもなくできる
それが大きいのである、障害者がそれだけ多いということである
全国だと一千万いるとか本当に障害者は多いのである
これも相当に負担だと思った
障害者であれまた介護する人であれかえている人が本当に多い、そういう時代なのであるそれが日本を圧迫しているのである
posted by 天華 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

若い人はなぜ老人を理解できないのか? 老人の心境(安住する場所)


若い人はなぜ老人を理解できないのか?

老人の心境(安住する場所)



老人は新しいものを受け付けない
これまで形成して組み立てたものの中に生きる
空間でも時間の中でアイディンティティ化したもの
時間軸で生きるようになる
若い時は空間をどこまでも駆け巡る
マ―キューリーのように動き回る
でも老人になると鈍重な土星のようになる
老人は人でも外界でも時間の中で作られたものに生きる
それで今より過去に生きる
だから死者は死んでいない
その人の中で親しく生き続けている
むしろ新しい人を物を老人は取り込めない
今まであったものが親しくその世界を形成している
それは固陋な古い家であり神殿のようでもある
その柱は時間軸の中でともに存在した人でもある
そこに新しい人は入りこめない
時間軸で形成した固定して閉ざされた世界
時間の中でアイディンティティ化した世界
老人はその中に生きている
大きな大地に根を張った古木
時間の中で成長してきたもの
そういうもののなかに安住する
そこに昔からあった石
そこに座り見慣れた風景の中で安住する
長くともに生活した家族は死んでも生きている
だから死者に話しかけて生きつづける
死者が老人には生者より親しいもの
新しい人の名前を覚えることができない
新しい人はその時間軸で形成された空間に入れない
堅く拒んで入れない
老人は過去から今へつながっているものの中に生きている
新しく生成したものは存在しない
固陋な老人のアイディンティティ化した世界は変えられない
それは古木のように大地に根を下ろして変わらない
そこに老人は深く安住して動かない
その建物は完成したものであり新しく変えることはできない
その中に長く一緒に生活を共にした人も生きている
死者は老人の中では死んでいない
むしろ若い人を認識できない
名前も覚えることもできない
老人の中ではそうして新しいものを取り込めない
ただ古い家や神殿のようになっている
一時代に形成されたアイディンティティ化されたものに生きる
新しい時代を拒否して受け入れない
変化できないのが老人の世界
そのために世代の差が埋められないのである

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ソリドゥス金貨(ソリドゥスきんか、Solidus)は、4世紀のローマ皇帝・コンスタンティヌス1世の時代よりローマ帝国・東ローマ帝国で鋳造された金貨の総称。東ローマ帝国では「ノミスマ」(ギリシア語: νフμισμα)と称された。11世紀ころまで高純度を維持し、「中世のドル」として東ローマ帝国の内外で流通した。

中世フランスや南米などで使われた通貨のソル(Sol)、中世イタリアで使われたソルド(soldo)、中世スペインで使われたスエルド(sueldo)はソリドゥスに由来し、ペルーでは現在もヌエボ・ソルという通貨が使われている。

ドル記号$の由来ともされる。また、兵士(ソルジャー、soldier)という語は、「ソリドゥスのために戦う者」という意に由来する。

solidとはまさにこうした純度の高い金貨である
老人は純度の高い精神性を追求して表現するのに適している




人間は意思疎通ができないというとき職業が違ったり住む場所が違ったり男女間でもそうだし特に世代間で意思疎通ができなくなる
若い世代と老人のギャップは大きい、まず若いという時その心は外に向かう
だから空間的に生きる、広い世界を見たいと思う
自分自身にしてもこれだけ旅行したのはそのためである
女性でも若い時は冒険的になり遠くに出る、今なら外国にも普通に行く
そしてインドでもインド人と結婚した日本人女性がいた
それには驚いたが良く話は聞けなかった、そういう余裕もなかった
ただ女性一人で旅行していた人もいたことには驚く

若い人は空間を生きるのである、まだ見ていないものを見たいという欲求が強烈なのである、だから故郷から出たいとなるのが普通である
故郷だったらそこは常に見るものも同じでありあきるからだ
だからむしろ故郷を嫌悪して外にでる
自分自身でも故郷を嫌悪していたから東京の大学に入った
それはどうしても親元から故郷から出たいということが動機となっていたのである
勉強する気持ちもなにもなかったのである
それが自分のような一人っ子のわがままなものには良かったのである
だから東京に行くとか20代は一番冒険的だったのである
これは自分だけではない、みんなそうなのである
私の母は内気な性格であり冒険的なところのない人だった
その人さえ東京に出て女中になり東京の人と結婚したのである
それはその当時相当冒険的なことだったろう
そこで夫が工場で働いていて事故で死んだ故郷に帰ってきたのである

とにかく自分の場合、50代でバックパッカーで外国旅行したからその時も外部志向であり空間を生きていたのである、空間の拡大の中に生きていた
これは他の人にはないし異常だったと思う
50になればたいだい内向きになってくるからだ
ただ外国旅行というときもとから外国に憧れていたからそうなった
私が失敗したのは田舎に友達もいないし何か情報にうとかったからそうなった
ただ外国に対しての強い憧れがありそれで50からでも外国旅行したのである
だから本当に辛い苦しいものとなった
こうしたきついことは若い内にするべきだったのである

いづれにしろなぜ老人のことが理解できないのか?
むしろ老人になると若い人のことを理解している
それはみんな若い時を経験しているからである、ただ子供時代になるとなかなえ理解できなくなる、子供の時代は特別な時代でありその経験はもうできない
そして大人になると子供時代のことを理解できなくなる
でも若い時のこと大人になってからのことは理解できるのである
若い時は若気のいたりがあるというのもわかる
必ずエネルギーがありあまり噴出して過ちを犯すからである
それがその時で終わると思うが実は老人までその時の過ちをひきづる
それが若い時はそれで終わると思っているからそういうことをするのである

不思議なのは若い時は老人のことをなにやかにや言うにしても老人のことを理解できないそしてみんな60くらいで死ぬとか言う、でも実際は今なら百歳まで生きるようになる
若い世代は得にそうなのである、早い内に死ぬからいいとはならない
そして60過ぎても誰も早く死にたいとは思わないのである
そして60とかなると20代からするととてつもなく先のように見えるのである
でも50、60になるとあっというまに過ぎたとなる

ただ年齢をふりかえるともう40になると白髪でてきたりするから老化してくる
それで40は何か人生の分かれ目のようになる
それで結婚しないとか給料が安いとか非正規の底辺労働者が嘆いているがその心境がわかるのである、40はまだ挑戦できる時代だが50になると無理になる
50になるともう初老になってしまうのである、ところが40でも50になるのはすぐなのである
50から外国旅行でバックパッカーしていた自分は普通ではない人間だったのである

とにかく自分は本当に老人になった、体力的にはまだ体に柔軟性があり運動もできる
でも精神的には老人になっている、介護になってから十年は旅行もしない、ただ毎日同じ場所にいる、外に遠くに行くのが億劫になった
仙台にすら今年は一回行ったのかとなる
何かもともとそうだったのが人ごみの中に行くの余計に嫌になったのである
もともと自分自身の性格は山の中で一人石のようにしているのがあっていた
人と会うことや人ごみの中に人と接することが向いていないのである
その気質も異常化する、引きこもりの性格がもともと自分にはあっていたからこうなったのである

なぜ自分が老人になったということを意識したかというとこの詩のように心境がなっているからだ
そして老人の心境を理解したのである
例えば老人は新しいものを受け付けない、新しく接した人の名前を覚えられないのである特に一回切りだとかなると余計に覚えられない、それで認知症になったとき遠くの子供の名前やその人自体を忘れるというのはありうる
それが身近にいないからそうなる、でも身近に暮らしていればそういうことはない
いつも一緒にいた人は覚えているのである

そして気づいたことはいかに長く一緒にいた人がその人に影響して人間を作ったいたかということである
私は結婚もしないし子供もいない、でも親と一緒に60まで暮らしていた
姉ともそうだった、だから他人にとっては嫌かもしれないが姉と母のことをこうしていつも語っているのである、それは夫なら妻のことを妻なら夫のことを語るのと似ているのだいい年して親にこだわるというのもわかる
でも現実がそうなっていたのだからどうしようもないのである
自分にとって一番影響して親しいものは姉と母だったからである

そして死んでわかったことはそれだたけ長く一緒に生活していると死んでも生きているという感覚になるのだ
これも自分だけではない老人の心境なのである
それで認知症になった人が死んだ人と話しているということが理解できる
別に認知症でなくても死んだ人と話しているのである
その時死んだ人は死んでいないのである

今生きている人より死んだ人が老人には親しい

死んだ人の方が生きている人より身近である

こういうことが一般的になっているのが老人なのである
だから死者の方が親しいから死者にいつも話しかけるとなるのである
その時死者は死んではいないのである

そして老人の世界観はこれまでの生きた人生の中で人でも空間でもアイディンティティ化した一つのコスモスを形成している
それは変えられないのである、だから新しいものを受け入れられないのである
固陋な神さびた神殿のようなものを形成してその中に生きているのである
それでそこに若い人は入れないとなる、拒絶されているのである
老人が安住する世界はそうして一緒にともに生きた人がいて人生の中でアイディンティティ化したもののなかに生きることなのである
その時精神が安定するのである
だから原発事故とかで避難した老人が故郷に帰りたいという心境がわかるのである
それはそこで長く生きていたから環境でも人でも一体化して生きていたからそうなる
それがまるで違った環境に移住することは苦痛になるのである
ただ南相馬市だったらその内に移住したらそれほどの違和感がないかもしれない
小高の人が原町に住んでも鹿島に住んでもそれほど変わりないとはなる

老人は空間を生きるより時間軸に生きるようになる、時間軸に生きるということは空間を移動するのではない、一か所に定着して生きることである
そして物事でも深く見る、深く鑑賞するのに向いている
だから本でも深く理解できる、そして鑑賞できる、それで批評家に向いてくるのである
批評はやはり一段と高いところから心境からしかできない
若い人はどうしても人生がわからない、老人が理解できないというとき老人になる経験がないからである
老人は人生をふりかえり誰でも経験しているから若い人のことも理解できる
40の人でも自分があの時代はどうだったとかふりかえり理解できる
何か焦燥感が一番出る年代だということを経験で知っているからである

でも40代の人は60以上の人のことをまだ理解しないのである
60以上になるともう死に向かっている
この世から離脱してゆく年代になる、だから40の時のような焦燥感も何もなくなっている、あきらめにもなる、どうせまもなく死ぬんだとなるといろいろ悩まないのである
むしろこの世から消えるのだから気持ち的には楽なのである
何かを成そうともしない、あとは死ぬだけだとなれば気持ち的に楽になるのである
それも老人にならないとわからない、その老人というのは今なら70以上だと思う
老人はどんな人でもどうしても一種のあきらめになり悟ったようになる
でも別にこの世の欲がすべて消えるわけではない、簡単に欲は消えない
残り火のようにかえって性の欲でもなんでも燃え上がることがある
それだけ人間の欲が強いものであり消えないということも実感する
だから老人がそういうことで問題を起こすことも理解できるのである
ただ老人の心境は詩のようになることは確かなのである