2019年09月30日

実り(旧街道は歩くか自転車がいい)


実り(旧街道は歩くか自転車がいい)

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柿なりて代々の畑耕しぬ

朝露の稲穂に光り野良仕事

秋の蝉朝に聞き入りいつもの道

遠くへと来たり舞いけり揚羽かな

相馬藩街道に実り今日の宿

松による旧街道や秋の風   

街道の昔やあわれ秋柳 
       

ここでは陸前浜街道がある、六号線は旅の道とはなりにくい、街道は何か人間的なのである
「奥の細道」のように道が細いと人間的になる、道の辺の花にも目をそぞくことがある
六号線は車の行く道である、荷物を運ぶ道である
街道はだからなるべく車が通らないのがいいのである
それは人間回復の道でもある、だから仙台から来た人たちが昔の街道を歩いたのはいいことである

陸前浜街道で一番いい所は城跡まで行く松並木である、そこではすでに城を意識するからである
現代はまず旧街道を知るにしてもとぎれとぎれにしか知ることはできない
すべてが車の道となっているからだ
旧街道は人間的な道なのである、観光という時、そういう旧街道とか見逃されている
一続きのものとしてではなく、ただ遠くに行く、旅の目的地までゆく途中が省かれているから旅にならないのである
道とは連続したものでありそれで風景でも連続したものである

とにかく不思議なのは歩くとなるそれが新鮮な体験となるのだ
自転車でもそうだが歩くことは本当に確かに大地を道をふみしめて過去に帰ることである江戸時代の感覚すら体で体験できることなのである
人間は必ず過去が失われてゆく、すると過去を懐古するようになる

要するに現代はもの凄く変化のスピードが早すぎたのである
それで何かもう精神的にも消耗したのである
正直自分はバイクさえ嫌いである、それは突然ぶっ飛ばしてきて乱すのである
車とかバイクでもそれは何か非人間的なのである

最近老人と会うと自転車に乗る人と話する、85歳の人も自転車に乗るようになってかえって医者から調子良くなっていると言われたという、それは自転車に乗っているからだとその人は言った、自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
バイクに乗る人が仲間になりやすいのとにているのである

いづれにしろ私は旅ばかりしていたから感覚的に家にいてもいつも旅している感覚になってしまった、常時旅している感覚になってしまったのである
それで相馬藩内でも街道を自転車で行けばそれも旅なのである
そして家すら一時的に滞在する宿のような感覚になってしまっている
ふりかえればそれだけ旅したためだとなる

現代は旅人はいないし旅人になれない時代である、それは皮肉にも交通が発達しすぎたからである
新幹線で二時間くらいで平泉に来たらもう旅はないのである
便利になりすぎて失われるものも相当にあったとふりかえる
だからそうしたものが見直されてゆく時代になる
経済学と民俗学が関係あるのかとなるとやはりそこにも現代のグロ−バル経済がどれだけ人間的なものを喪失させたかを比較するとわかるからである

相馬藩内の実りがありまた相馬藩を出れば他藩の実りがある
この実りというとき米の実りではあるがまた様々な実りがある、文化の実りもある
そういう季節である、だから実りがない小高とか浪江は荒涼としているのである
八沢浦は一部でも実りが回復したから違っていた
そこに蔵王を望んだとき豊かさを感じたのである

今年は10月になるに暑い、だから秋にしては気候的におかしい、秋涼という感覚がない一時はあったが最近今日でも暑いのである
「秋暑し」という季語があってもそれとも違う、何か夏なのである
それで揚羽が飛んでいて夏だとも感じたのである
揚羽は夏の季語だからである

2019年09月29日

原町のキクチスーパーで話す (東北電力の火発と原発で働いていた人)


原町のキクチスーパーで話す

(東北電力の火発と原発で働いていた人)

キクチスーパーの前のベンチに座り話した人は東北電力と原発で働いていたという
今は仕事がないので探している、ダンプとかの運転免許がないので採用されないとかも言っていた、年なので免許とるのもめんどうだとも言っていた
見た感じはそんなに年とったように見えない、50くらいなのか?
まだ十分に働けると見えるが何か肉体労働がきつくなっている

東北電力をやめたのは階段の上りおりがきつくなったからだという
確かに東北電力の火力発電所は外から見ても高いのである
あそこの内部に入って上り下りしたら相当な肉体労働かもしれない
登山のようになっているかもしれない

とにかくこの辺では東北電力の火発とか原発で働いていた人が多いのである
それだけ経済的効果が大きいのが原発と火力とか電気関係なのである
その人は15万でぱ生活できないとかいって職を探している
でもそうした職は見つかりにくい、ダンプとかトラック運転手だった人には良く会う
その仕事は金になるから田舎でも多いのである
田舎で金になる仕事が限られているからそうした仕事につく

その人が年だだというとき肉体労働はきつくなる
それでそこでも若い外国人労働者が歩いている、その人たちはかえってそうした40、50とかの人より20代の若い人がいいとなっている
それでしきり40くらいでおっさんだおっさんだとyoutubeでそのみじめさを訴えている人がいる、それは底辺で働いているからそうなっているのだ

とにかく火力発電所であれ原発であれ周りに及ぼす経済的効果が大きいのである
するとみんな原発でも火力でも頼るようにな
それで原発は危険なものとなったのである
ただこうして経済的効果大きすぎるからもうそれをやめるということもできなくなる
どうして生活すればいいのだ、15万くらいではやっていけないとなれば原発でも働くとなるのである、そこの仕事は意外と楽なのである
放射能物質に汚染されるから三分ごとに交代するとか長くいられないからである
後は寝ていたというから楽だとなる
かえって建築現場とかはきついのである

確かに今は人手不足だけど給料がいい職場となると地方では少ない
そこが問題なのである
でもlove and freedom   で東京の労働環境を言うので参考にしている
東京では家賃とか高いし給料も安いからかえって田舎で帰って暮らした方がいいとなり帰っているという、それは非正規とかで働いても金にならない、東京生活の方が金がかかるからそうなる、東京で生活するメリットがなくなってきているからだ
どうせ貧乏なら田舎の方がいいとなる

地方経済も私のプログの一つのテーマである
労働問題もテーマである、だからこうして時々話するとわかることがある
東北電力の火力発電所で働いていた人か階段の上り下りがきつくて年だからやめたというとき実感なのである
そうした実感の話がひびくのである

それでyoutubeで経営の話をしている人が酔っ払いの便掃除するのがひどかったというのも実感である、そういう仕事をしていたのである
でも経営で成功したのはそういう下積みとがあったからだともなる
そういう仕事をしたくないとして経営者になったとなる
まず経営者になって成功するには俺は優秀で資格をもっているから成功するとか簡単なものではなかった、何かそうして下積みしていたりすると上昇志向が強くなる
外国人がそうなのである
ネパールの人がバス停まで何時間かかりそれからま何時間かかりとかバスを見たこともない人がいたとかなる
そういう人は豊かになりたいという上昇志向が強くなる
それは団塊の世代が高度成長したときそうだったのである
豊かになりたいということで一心になって働いたからである

いづれにしろyoutubeは何かそうした個々人の体験が語られるときためになる
何かしら人間は経験を積めば語るものがあるからだ
だから良く私は家族を亡くしてからちょっとでも話してみるとそこでこの辺の事情がわかったりするのである

なんか新田川の河口でマラソンしている人をみかけた
それが元の市長の桜井市長だった、あの人はマラソンすることで有名だったからだ
あの辺に家があるのかとなる、体力は相当にあった人だとなる
でもわずかの票の差で選挙に負けたのである
そういう人とも狭いとなれば会っても不思議ではない
私は南相馬市の全体について関心をもぷろぐて書いている
ただ原町は広いからなかなかわからないのである

posted by 老鶯 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月28日

烏崎の漁港で魚をとるなと言われた (海は誰の者かー漁業権をたてに暴利をむさぼる漁業組合)


烏崎の漁港で魚をとるなと言われた

(海は誰の者かー漁業権をたてに暴利をむさぼる漁業組合)



一定の水域は「物権」とみなされており、土地に関する規定が準用されています。
漁業を営むものの団体が都道府県の許可を受けて設定された区域で、それは漁業法で定められています。
「そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽」と言いますが「みんなの土地」と置き換えれば納得できませんか ?
少なくとも、法律は、海と土地は同じ考えで成り立っています。

判りやすい所は「淀川は漁業権が無い」でっせ!
判りやすく言うとやな
あんさんでも構わんのでっけど「淀川の漁業権」取得すると、左手団扇で
残りの人生安泰っちゅう事ですわ。
銭がガッポ!ガッポ!入って「もぉ〜銭要らんわ!」になりますわ。
釣り糸垂れとる輩から「釣り代一万円」取れる権利が国で保障してくれるっちゅう事でんねん。
一つ問題なんは「我が見回らんと銭にならん」だけでんな!

 そもそもみんなの海なのに漁業組合に入ってないと魚を採ってはいけないと言うのは理不尽な話だと思いますがなぜ日本人は納得しているのでしょうか!?
乱獲防止、漁業資源確保のためと思えば理不尽じゃないと思いますが。バカが後先考えずに海を荒らしたらおしまいでしょう。

>乱獲や災害事故汚染を防ぐのは行政が線引きし、ルール作りをすればよいはなしでは無いでしょうか!?
だからそれを漁業権として制度化したんでしょ?何をいってるんだか。


水産庁HPにあるように工作物の設置等によりという部分は、恣意的に解釈される傾向にあり、漁協の「既得権」となっている部分が少なくない。国策に基づく政策であってもこの「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。



漁業権のことでは追求してきた
その矛盾とか理不尽が原発事故で一番露骨に現れたのがこの辺だったからである
今日、老人がキノコとりとか魚とりで話した
魚を烏崎の漁港でとっていた人が話していた、魚をとって天ぷらにするとうまいとか言っていた、ただ鮭が上ってくるとき魚をとるなとか禁止されるとか禁止されることがあると言っていた

そもそもなぜ原発事故周辺で漁業権が問題になったのか?
それは漁業権が既得権とかなり海は漁業組合の許可なくて使用できない、魚もとってはならないとなっていたからである
そして原発ができるということで漁業組合では東電から多額の補償金を事故前でももらっていたのである、特に船主のもらう額は大きかった、それで原発御殿が建っていたといわれる
つまり漁業とは関係しないことで既得権化利権化された海になっていたのである 

「漁業権」を盾に様々な理不尽とも思える要求を過去「漁協」がなされてきたのかなどをみるべきである。「杭一本」打つだけで、潮流が変わると言い様々な金銭を要求する所があったり、関空などでもみられたように、にわか漁師が発言し、工事を止め、その費用を増大させたことなど枚挙にいとまがないほどある。

海は公海なのだけどそうなっていない、漁業権があり漁業組合のものとして私有されている、だから趣味で魚とるにしても制限される
それが確かに本来の役割である資源保護とかそこで生活するための権利ならいいが実際は海を私有してそれを漁業と関係ないもので利権化して金をもらうとなっていた

だから原発事故でも海を汚すから補償しろとなり手厚い補償がされた
とにかく原発は巨額の原発マネーが湯水のように出てくる場所だった
それでまた電子力会社の幹部が自治体から一億8千万もらっていたとか報道があった
その金の額が常に大きいのは原発は金を産みだす装置になっていたからである

そうなると漁業組合でも単純に金をむしりとればいいとしかなくなっていたのである
自分たちの権利がなぜ与えられているのかなど考えないのである
それは関西の空港とか他でも起きている
洋上に風力発電とか設置すればまた起きるかもしれない。
世の中今や金になればいいしかなくなってしまった
そのことで原発事故以後問題になったのである

ただ海を私有化してそれを漁業のために資源保護とかのためではない、海は俺たちのものだ、俺たちの土地だとなりそれで金を要求するようになった
東電に補償を要求するにしても事故になる前から多額の補償金をもらうことはありえない事故が起きて海を汚して魚がとれなくなったりしたら要求できるとなる
それも事故前から多額の補償金が支払われていたのである

それで暴力団が勝手に魚をとって安く売っていたことで警察につかまったとかなる
そもそも暴力的に海を私有化していたのが漁業組合ではないか?
海の魚は俺たちのものであり他の物はとってはならないとなる
でもその海が自分たちの土地と同じであり何か空港でも何でも利用するとなると使用権を払えとなる、確かに魚をとることに影響することは言えるがそれは漁業組合だけではない自治体とか周りに住む人たちと協議すべき問題である
なぜなら空港でも現代社会では必要としている、むしろ社会全体からすると空港でも原発でも電気を供給するから必要としているからそうなった
それは社会全体の問題なのである、だから社会全体で協議するものであり漁業組合だけが海は俺たちのものだから許可なしでは使えない、金を払いというのはおかしいのである

もし魚をとることに影響するとしたら事故前だったら影響がないのだから放射能に汚染されないのだからそんな手厚い補償はいらないとなっていた
多少は公共事業とかに寄付はあっても個々人に漁業組合に多額の補償金を払うことが必要だったのかとなる

だから地元の人が魚をとっているときここは俺たちの海だから魚をとるなというのは今になるとおかしいのである
漁業組合が東電に漁業権を売り渡して金をもらった、それで放射能に汚染されて魚までとれなくなった、お前たちが魚をとれなくした張本人ではないか?
その自覚もないのかもしれない、汚染水を流すなというときそもそも漁業権を東電に売り渡したからそうなる、売り渡した対価はすでに得ていたのである

むしろ漁業組合は魚をとる権利もないともなる
なぜなら東電に漁業権を売り渡したのだからその時権利を放棄したとなるからだ
海は誰の者か?それは自治体のものであり国のものであり住民のものである
だからこそ漁業権を勝手に東電に売り渡したりできないものだった
それは土地にしてもそうである、ここは俺の土地だから東電に売り渡して原発建てさせていいとはならなかった、でもその土地を買い県の許可があれば原発は建てられるとなっていた、それはそこに住む住民で話し合うことが必須だったのである
そのために長年住んでいた場所に住めなくなったからである

そこにはただ私権だけを求め公共のものを求めない、プライベートというとき奪うとういことの意味でありただ私的権利として奪うとういことしか頭になくなったのが明治以降である、入会権でも公共のものしとて分かち合うということがあったが明治以降私的権利として無数に山は分割された、結果として山は放置されて管理できなくなったのである
何かを所有すること時代責任をもたされることだったのである
ここは俺が買った土地だからどういうふうに利用してもいいとはならないのである
すると都市計画の街作りでもできないからである

いづれにしろ漁業組合でも魚をとるなというとき理不尽である
お前たちが魚を放射能に汚染されてとれなくさせた責任もある
魚の安全を保つべきものが保てなかった
ただ海を私有化して利権化して東電に売り渡して補償金をもらったとなる
だから漁業組合のものでもないから魚をとるなとは言えない
もうあなたたちは魚を守れなかったのだからその役目はない、回りの者にわびるべきだともなる、でもそういうこともない、そして魚はとるなというのは何なのだろうとなる
だから暴力団でも魚を勝手にとって安く売っていてもそれはみんなためだとまでなる
漁業組合自体が暴力団と同じだったともなるからだ
だから法律にしてもどうして決められたのか?
そんなに法律に権利があるのか?それを考えるべきである
回りの人が誰も納得していないからである、そうして一方的に権利を団体でもなんでも要求することこそ今の社会では成り立たないとなる 

民主主義社会というけどその悪い面があるゆるものが利権化することである
それはカルト宗教団体でもそうである、宗教を盾にして利権化する、団体は何でも悪い面になると利権団体だからである
民主主義だと数を集めれば利権団体化するからである
その正当性が問われるのだが数が多ければそれも許されるとなり遂にナチスのようになるのが民主主義大衆主義のポピュリズムの弊害なのである、やはり確かに漁業権を必要でもその正当性から大きくはずれた権利となっていたから見直すべきだとなったのである
ただこの正当性となると うどう判断するのか?
そこに法律問題がからんでくるしどうして合意のするか?
つまり正当性をrightの判断をどうするかで問題になる、ただそれが本来の民主主義だったとはなる
民主主義の論理は数でありそれ以外が無視されることである、それで数が多いシルバー民主主義になり若者は選挙に行かない
すると日本の将来も若者が担うのだからますます危機的状態になり老人にも日本国全体の問題になるのである



posted by 老鶯 at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

経済を民俗学から考える (自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)


経済を民俗学から考える

(自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)

経済とは何かというときこれは総合的なものであり社会全体のことであり人間全体のことである
だから経済学となれば一つの分野のことではなくなる
科学技術でも深く関係している、産業革命とかなれば科学技術が発達して生まれたからである
だから経済を語っても世界でも社会でも一部分しか語れないのである

経済と民俗学が関係しているのか?

これも深く関係していた、文化人類学が関係していた

インドネシアでもクジラをとる民と山の民がいて山の民にクジラの肉をもってゆき豊漁を祈る、そこで山の民と海の民が和合する祭りが行われていた
つまり経済とはもともとそうした異なる地域に民族が和合するものとして貿易でも行われていた、現代のような金だけを紙幣だけを唯一の交換の手段として用いることはなかった貿易は交易にはまず民の融合が和合を計ることが先である
現実にグローバル化しても必ず国と国は対立してうまくいかなくなるからである 

これはおそらくクジラという食料がある前に物がある前に何か共同体がある
クジラをとることを生業とする海の共同体があり山で暮らす共同体がある
その違った生業の共同体が和解するために祭りがありクジラが媒介となっていた
ここで重要なのはクジラは共同体を結ぶものであってもその前に共同体がありその共同体同士が和解するために山の共同体がクジラをとれるように祈りクジラの肉も分けてもらうとなっていたのである

海彦と山彦の物語もそうである、ここにも綿津見(わたつみ)の神がかかわってきている海彦と山彦は暮らしが違うので対立しやすいことをここで語っている
その和解のために何かクジラでも同じように和解の祭りが必要になる

顔が醜いオコゼを山の神に供える習慣もある。なお、山岳神がなぜ海産魚のオコゼとむすびつくのかは不明で、「やまおこぜ」といって、魚類のほかに貝類などをさす場合もある。マタギは古来より「やまおこぜ」の干物をお守りとして携帯したり、家に祀るなどしてきた。「Y」のような三又の樹木には神が宿っているとして伐採を禁じ、その木を御神体として祭る風習もある。三又の木が女性の下半身を連想させるからともいわれるが、三又の木はそもそもバランスが悪いために伐採時には事故を起こすことが多く、注意を喚起するためともいわれている。

日本神話では大山祇(大山津見)などが山の神として登場する。また、比叡山・松尾山の大山咋神、白山の白山比盗_など、特定の山に結びついた山の神もある。

だからなぜ綿津見神社と山津見神社が対になっているのか、相馬地方だと飯館村まで綿津見神社があり山津見神社があり一番古いのである
それは海と山で暮らすものたちが実は一体だったからである
海彦山彦の国が日本がだったからである
おこぜがなぜ山の神に供えられているのか?
それは一種の海で暮らすものと山で暮らすものの和解のための儀礼と化したものである
第一山に海でとれた魚を献げることはありえないからである

これは今なら物を交換することであり海で暮らすものと山で暮らすものが和合することで祭りとなったのである
共同体と共同体が交わる時、そこで魚であれ何か物を媒介となる、それは互いの有効の印として交換されたのである
古墳から発見される三角神獣鏡でもこれは大和王権に服属したから与えられたというのではない説がある、それはただ友好の標として土地の有力者に与えられた
この辺の古墳でも金銅双魚佩が古墳から発見されたけどこれもそういうものなのだろう

つまり貨幣がない時代は物と物を直接交換する、その物は友好の印であり今の経済とは違っていた、中国と朝貢となるがそれとにていた、国と国が友好のために物があった
それが貿易の始まりであった
商業、貿易の始まりはそういうものだった
だから第一不思議なのは村で市が許されたのは神社内でありそこを無縁の場所として許されたのである、よそ者が商売することはそうした村の共同体から特別許可された無縁の場所でしかできなかったのである
つまり有縁なものは村の共同体の一員であり外から来る商売に来る人たちは無縁だから
神社の境内とかで商売をさせていたのである
これも矛盾しているが神社とは縁を結ぶものとしてあるがまたそこが無縁の場所にもされたとなる

現代の経済がグロ−バル経済とか広域社会でもこうしてもともとあった共同体を破壊する無縁化することがあった、また海彦となるとこれは海に通じているから広い世界と通じることがあった、貿易も漁民が船でしやすいからである
ただ商売とか貿易の始まりには祭りが必要だった
物があるからとしてそれを自由に売買はできないのである
共同体の許可なくしてはできない、それが人間社会なのである

それでなぜ人間社会がグロ−バル経済が人間をアトム化してばらばらにしてしまった
なぜならそこにある貨幣を通じて金を通じての交換にはもう祭りもなにもない
共同体が和解するものとして始まった交換の儀式がない
そういうややこしいものを全部省くことによって成り立つのが現代の経済だからである
つまり人間は個々人がアトム化して経済的一単位としてみる、そして商品を自由に流通させる、世界市場とすることがグロ−バル経済であり広域経済である
そうすると無縁化して神社の中だけでよそものを受け付けていたことが逆に村でも共同体でも無縁化されるのである、それで無縁化社会になったともなる

ここで人間とはなにかというとき人間は経済の一単位ではない、何かしら別な価値観が働く、もともと海でも山でも共同の暮らしがありそこで培ったものは違っている
それず海彦と山彦が共同するためにはまず祭りが必要である
そこで互いに和解して共同することである

でも現代はそういうものを全く無視してこそグロ−バル経済でもありえる
世界市場の原理だけがある、そして交換するときも金だけがすべてとなる
そして金が万能となり金を極一部のものが数パーセントの者が独占してしまう社会になるだから不思議なのは前近代的と思えるものが実はそこに人間の存在がそもそもどういうものかをふりかえるものとなる
人間が何か物を交換することはまず共同体がありそこで共同体と共同体が交わる儀式が祭りが必要になっていた

結局今でもグロ−バル経済がうまくいかない、うまくいかないと貿易も韓国とのように途絶える、そして戦争になりかねない、国々でも自由に貿易して交換することが行われたが逆にそれがうまくいかないと貿易も途絶えて戦争にもなる
つまり経済合理性というのはそもそもが人間社会では成り立たないのである
世界市場化することが一見理想のようでもそうならない
それは人間の存在がそういうものではないからである
経済だけで利益になるからだけで成り立たないからそうなっていたのである
そのことは世界の歴史が証明している、経済でも相手を武力で屈服させて支配して植民地支配のように欧米が人を奴隷化したりする
貿易でも経済でも強者だけが莫大な利益をあげる仕組みである
アジアの富を吸い上げたのはヨ−ロッパ列強だとなっていたからである

グロ−バル経済でも一旦競争に負けるとその国は貧困化する、それが今の日本である
グロ−バル経済とは新たな国々の戦争でもある
負けたものは貧困化する、別に昔の共同体と共同体の和解を目的として経済が貿易があるのではないからである、そこが根本的に違っているからである
経済とは共同体と共同体が和解する和合するものでもない、物は友好の印でもない
交換するための世界市場がありそこで金が万能化する社会である
それはマルクスが言ったことだが人間社会をふりかえるとそれはいいようでも人間がどういうものか人間存在とはどういうものかを問うとき経済でもその存立基盤を無視するから無縁化社会となり人は属する共同体もなくなる

共同体というとき国家自体がそうである、国家も無視されて経済的一単位化するのである日本が嫌なら外国に住めばいいと金持ちならなるしまた移民問題でもそうである
金をえるために外国で働けばいいとなるのである
でも外国人も人間だから国内に入ってくると機械でも物でもないから問題になる
文化的軋轢とかいろいろ生まれてくるのである
だからいくらグロ−バル経済でも人間を自国に入れることがいろいろな問題が生まれかわかる、うまくいかないことがわかる、それは人間の存在がもともと経済的利益だけで存在していた訳ではないからである
何かこの辺で原発事故で一挙に大勢の人たちが避難してゴーストタウンになったけどそれも今なら人は共同体に属していない、金さえあればどこでも暮らしていいとなっている
すると多額の補償金をもらったからとみんな町から流出して人がいなくなったのである
もちろん放射能汚染のためだともなるが何かそれだけではない現代社会の反映だったのかとも見たのである、そこには強固な共同体の絆は昔のようになくなっていたからだとなる

posted by 老鶯 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年09月27日

綿津見神社がなぜ相馬地域に多いのか (時代を知る、新旧を知ることが歴史)

                                              
綿津見神社がなぜ相馬地域に多いのか

(時代を知る、新旧を知ることが歴史)


●縄文時代

●綿津見神社−山津見神社(古事記、神話の世界)

●ツノガノアラシト系神社ー津(つの)神社、ツノミツ神社・・・・

●桜井古墳→鹿島区の古墳群

地域の歴史でもいかに新旧が大事かである、時代を知ることが大事かである
歴史を調べると江戸時代ですら年号があるけど新旧がわからなくなる
これが大事なのは例えば年号でも明治ー大正ー昭和とあるけど明治ー昭和ー大正とはならない、でも江戸時代になるとこうして年号の新旧を見るにしてもこういうことが起きる
どうして時代を知るのか?これができなくなる
江戸時代は300年は変化がないから余計にほかりにくくなる

だから歴史は事跡で何かその時代に重大な事が起きたのかでみるのも必要である
例えば戦争の前と後で全然違ったものになる
だから昭和という時代は一つにできないのである、戦前と戦後の昭和はまるで違っていたからである

このことはさらに時代をさかのぼるとわからなくなる
最近気づいたことは相馬地域には本当に綿津見神社が多い、それと対になった山津見神社が多い、でもこれはいつの時代のものなのか?
何かこれを新しいものとして見ている人も普通にいるだろう
この神社がどれだけ古いものなのか?それがわからないのである
でも古代史を調べると時代を見ることがいかに大事かわかる

綿津見神社があり山津見神社があるとしてまたツノガノアラシト系神社がある
それではこの神社はどっちが古いのか新しいのか?
それが問題になる、つまり先にこの地に移住した人たちはどっちなのかとなる
なぜならすでに綿津見神社を祀った人たちが先に来ていたのか?
それともその後にツノガノアラシト系の人たちが来たのか?
それを知ることが大事になるからだ
どうもツノガノアラシト系は後であり綿津見神社系が先のようにである
なぜなら安曇系の綿津見神社はすでに古事記の国造り神話に出ているからである
それだけ古い時代から安曇系は日本に欠かせない国造りにかかわった人たちだったとなっているからだ
ただその勢力は安曇氏というのはこの辺で出てこない、ただ綿津見神社と山津見神社が多いからそれがその跡を示しているとなる、安曇氏の痕跡がなくてもその神を奉じるものが神社を残したとなる
最初は安曇氏でもその綿津見神社というのは一つの信仰となり広がった 

次に生まれた六柱の神は、いずれも海の神です。

海の底で身体を洗われた時に生まれたソコツワタツミノカミ(底津綿津見神)
海中で身体を洗われた時に生まれたナカツワタツミノカミ(中津綿津見神)
海面で身体を洗われた時に生まれたウエツワタツミノカミ(上津綿津見神)

以上のうち三柱のワタツミノカミ(綿津見神)は、安曇氏(あずみうじ)たちの祖先の神です。
また、ソコツツ、ナカツツ、ウエツツの三柱の神は、住吉神社に祭られている神です

海を三つに分けている、それは潜水行で魚や貝をとっていた一団だっからである
海人の一団でありそれは安曇系の江南系の移民だったとなる
底と中と上に分けることは潜水行している民でないとこうはならないからだ
そして国産み神話でも島を中心にしていることは島ではそうした海にくぐり魚や貝をとることを生業としていたからである、また島伝いに渡ってきた人たちだということである
海彦と山彦の神話もまた日本独特のものである
ただインドネシアでもクジラをとる民と山の民がいて山の民にクジラの肉をもってゆき豊漁を祈る、そこで山の民と海の民が和合する祭りが行われていた
つまり経済とはもともとそうした異なる地域に民族が和合するものとして貿易でも行われていた、現代のような金だけを紙幣だけを唯一の交換の手段として用いることはなかった貿易は交易にはまず民の融合が和合を計ることが先である
現実にグローバル化しても必ず国と国は対立してうまくいかなくなるからである   

その生業を、雨降らず、日の重なれば、植ゑし田も、蒔きし畑も、朝ごとに、しぼみ枯れゆく、
そを見れば、心を痛(いた)み みどり子の、乳(ち)乞(こ)ふがごとく、天(あま)つ水、仰(あふ)ぎてぞ待(ま)つ、あしひきの、山のたをりに、この見ゆる、天の白雲、海神(わたつみ)の、沖つ宮辺に、立ちわたり、との曇(ぐも)りあひて、雨も賜(たま)はね  

この歌は雨乞いの歌である、でもその範囲は山から平地から海にまで及んでいる
普通は海にまで雨乞いすることはないだろう、やはり海洋民が海と深く関係していたからだともなる

ともかく相馬地域の古代とかその前の縄文時代とかなると九州の福岡とかの歴史をみる必要があるし大和の歴史をみる必要もある
つまり日本の歴史とか中国や韓国の歴史と不可分に結びついていたからである
中国でも江南から大量に海を渡り移住してきたというときそれが綿津見神社を残した安曇系だとか宗像系だとかなる
それが古事記の神話の世界を構成した、海の民によって作られたということが重大なことなのである
ただその前に日本の原住民の縄文人がいた、でもそれが歴史として未だに謎である
言葉でも解き明かせない謎となっている

漁業にしてもこれは船を造るとか操るとかなると技術が必要になる
縄文人には丸木舟のようなものを作っても魚をとる技術には欠けていたろう
ただ湾のようなところでは魚をとっていた、縄文海進で入江が多かったからである
ただこの辺で新地の手の長い神がその手を伸ばして貝を食べて貝を捨てたところが貝塚になったという伝説は貝を中心とした食料とした生活だったとなる
だから海洋民とは違った局地的な海の生活だったのである

とにかく歴史は時系列でみるのが本当にむずかしい
何が先で何が後なのかが見分けるのが何でもむずかしい
だから江戸時代だと年号が記されていればわかりやすいのである
その前になると年号が記されていないからわかりにくくなる
つまり歴史はそうした記録がないと時代もわからないとなる
ただ石器を使っていて次に鉄器を使ったというとか稲の栽培が始まったとかの技術の進歩で時代を見たりするのである

この辺の地理的空間的古代史は述べた、でも時系列になるとわかりにくいのである
大和王朝の前に物部王朝があり出雲王朝があったとするのもそうである
神武天皇が初代の大和朝廷の天皇だとしているがその前に物部王朝があり出雲王朝がありそれをひきづっているしその跡も残って継続されているからである
だから一体綿津見神社と山津見神社はいつの時代になるのか?
古事記にまで記されている海洋民は安曇系などはいつこの地に来てこれだけの神社を残したのかとなる
ツノガノアラシトになると浪江の
苕野(くさの)神社
は715年だとしている

起源・創立年代は不明だが、社伝によれば第12代天皇である景行天皇の御世に勧請され、元正天皇(715年)の御代には社殿を創建したという。桓武天皇の時代、坂上田村麻呂が東夷征伐の勅命をうけて進軍してきた際、苕野神社にて戦勝を祈願し、無事近隣の山を支配下に置く賊徒を平定した後に、神恩への報賽として神殿を建てたという。

その頃にツノガノアラシト系の鉄生産の技術者が韓半島の伽耶から来た、ツノガノアラシトとは伽耶の王子のことだからである
それが津(つの)神社として跡を残した
700年に来たとするとどうしても綿津見神社が古いとなる
なぜなら鉄生産ではその後大和朝廷の官人とかがかかわってきたからである
それは近江の粟田郡にその鉄生産の基地があり直接行き来していたからである
そういうふうに行き来していたことで真野の草原の歌が残ったとなるからだ
それは石巻でもやはり真野氏系統の鉄生産技術者がかかわっていたから同じである

ヤマトタケルの伝説があるとしてもその前に物部氏がこの地に来て支配した
どこでも物部王朝と出雲王朝の跡を残しているからだ
不思議なのは原町区の多珂神社の脇に綿津見神社がある、その近くにスダシイ神社があるすると綿津見神社と多珂神社はどちらが古いのかとなる
多珂神社は大きく格式が高い立派な神社である
綿津見神社は小さいのである、スダシイ神社はこの辺が照葉樹林帯にあることを示している、安曇系の海洋民が中国の江南だとされるがそういう一帯が照葉樹林文化であり焼畑なども行われていたのである
山津見神社があるとき山で焼畑が行われていたからそれもセットになっていたのである

縄文時代→綿津見神社(山津見神社)→物部氏(物部王朝+出雲王朝)→大和王朝

こういう順序になるのだが何か綿津見神社とか山津見神社が新しいと見る人がいるだろう私自身がそうだった、それだけ時系列で歴史を観るのが難しいのである

確かなことは桜井古墳は鹿島区の寺内小池の古墳群より古い、だからすでに原町区一帯は物部氏とかの支配権として確立していた
鹿島区の寺内とか小池とかはその後に支配されようになった
つまり物部氏が原町区一帯を支配して巨大な桜井古墳を作った
次に鹿島区に進出したのである、そこで争いがあり建御雷(タケミカズチ)の神が鹿島に祭られた、この神は物部氏系だともされているからである
ヤマトタケルがエゾを征服するという前に物部氏が支配していた
その前に安曇氏系の綿津見神社を奉じる人たちがすでにこの地に入って漁業や焼畑などをしていたとなる
ただこの時系列の私の見解は間違っていることがある
自分自身が綿津見神社のことが全部わかっていないからである
最近なぜこんなに綿津見神社がこの辺に多いのかということが疑問になったからである

mapaamutu1.jpg
山野河海の列島(森浩一)

この図をみるとこれも海岸線に海洋民が綿津見神社を残した安曇系が入ってきた領域と重なる、いわきの方にも猪苗代の岸の方にも入ってきていたからである
そこにも綿津見神社があるとなるからだ
これは大和王朝になってからのものだがこの辺は海洋民が入ってきた場所と重なるのである
道嶋氏とは石巻でありそこに真野とかの地名が残っていて真野の萱原という地名が残っているからここが江戸時代までは真野の
草原だとしていた、この地図の意味するのはわからないにしても綿津見神社系統が入った所と重なるのである


参考にした年表(福岡中心)

BC320 水稲耕作、北部九州に確立 弥生時代の始まり。江南起源倭人多数渡来
 BC221 (中国)秦始皇帝、中国を統一
 BC209 始皇帝、徐福に命じ、東方に不死の薬を求めさす。
 徐福、有明海から筑紫平野に上陸(三千人)、一団が吉野ヶ里・奴国・葛
 城邑・早良邑などを作る。
この頃日本全体の人口はわずか60万人で九州は特に希薄。
 BC202 (中国)劉邦、帝位につき漢王朝始まる。
 BC200 北部九州で小国の成立、末露国など
 BC100-0 玄界灘に面した九州北岸に古代朝鮮より多数のツングース系渡来人、その
中に天孫族も含まれ物部族を引き連れ上陸
BC100-0 「奴国」がいち早く頭角を現し、北九州の覇を唱える。(須玖遺跡)
 この頃、倭国は既に「百余国」に分かれていた。
BC37 朝鮮半島では高句麗建国
紀元前後 百余国のうち,一部は前漢の楽浪郡に朝貢していた。
  25 (中国)光武帝即位、後漢王朝始まる
57 中元二年春正月、東夷の倭奴国王、使いを遣わして奉献す。(奴国)
 (光武帝紀・後漢書)光武賜に印綬を以てす。(東夷列伝)
 「漢委奴国王」印(志賀島出土)
210 卑弥呼を倭国女王に共立し、「倭国乱」終わる。物部族が主導権を握る
 夜須「邪馬台国」の成立
215 出雲の国譲り神話(遠賀川物部が大国主と国譲りを交渉)
216 (中国)曹操魏王となる。
 葛城氏などの徐福集団は、邪馬台国連合のー員とはなるが、主導権は奪われ
 る。葛城氏は邪馬台国の先遣隊として奈良へ移動させられる。秦氏はその移
 動に豊前まで同行し、そこに前線基地を設ける(中津・宇佐)。
 234 (中国)公孫淵、魏より楽浪公に封じられる。崇神誕生、台与もこの頃。
238 (中国)魏、公孫淵を殺し公孫氏滅亡、楽浪帯方の二郡接収
239 邪馬台国の女王卑弥呼,魏へ朝貢し,明帝より親魏倭王の金印下賜さる
 245 九州邪馬台国、魏から軍旗を授かる。孝霊帝(葛城氏)大和中央に都を遷す
247 魏の軍使一行の来朝
248 女王卑弥呼の死





2019年09月26日

専門家集団社会が起こした原発事故 (住民が何も知らされないし参加できない秘密に閉ざされていた)


専門家集団社会が起こした原発事故

(住民が何も知らされないし参加できない秘密に閉ざされていた)

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専門家による人間の不能化は、幻想の権力を通じて完成される
宗教は結局のところ、国家によってあるいは信仰の衰退によってその地位を追われたのではなく、専門家エスタブリッシュメントにと、それを信じる顧客によって追われたのである
専門家の本拠となっているビル群は、これられの保険、健康、教育、福祉の新たな大寺院となった建物へ巡礼するために右往左往つづける群衆を見下ろしている
イリイチー専門家の時代)

原発事故でもそうだけど原発そのものが専門家集団の大寺院だったのである
そこの住民は何の力もない、その大寺院にお参りして御利益を得るだけである
ただ原発は秘密のベールにつつまれていてそこに住んでいる住民すら入れない
その内部は固く閉ざされていた
そして現代の専門家集団によってその原発の大寺院は作られていた
それは専門家集団である
政治家が権力をもっていても原子力のことがわからない、すると専門家集団にまかすほかない、それが東電であり東電の御用学者とか科学者とか技術者になる

その東電は絶対的な権力を持っていた
そこに下請けの人たちが1000人とかいても東電の命令に逆らうことはできない
逆らうと仕事がもらえないからだ、東電の権力は電気であり電気文明になっているからこそ電気なしで何もできなくる、だかち千葉で停電したとき麻痺状態になる
つまり電気に頼るが故にそうして東電とか専門家集団に牛耳られる
もし炭をエネルギーとしていればそういうことはなかったのである
でもそれはもうできないことである

そもそも一番肝心な生死にかかわる原発周辺の住民も原発内に入れないしそこで何が行われているのかわからないのである

そして結局、政府+官僚+原発専門家(科学者、技術者)+自治体+マスコミとか一体化してその大寺院を形成していたのである
2000億円もの金がマスコミにも流れていたからである

報道でも報道できるのはマスコミが報道の専門家しかできなかったのである
新聞であれテレビであれ雑誌でも報道の専門家なのである
それには金がかかるから東電から出る莫大な金が宣伝費としてもらえるから何も危険なことも知らされなかったのである

例えば東電という専門家集団が優秀でなかったのではない、優秀だったのである

10数メートルの津波が来ると警告していた

そのことで東電に過失があるとされたのである

でもそのことを地元に住んでいて知っている人がいただろうか?

住民側は注意していないということもある、自分自身にもある
でもそういうことを自分は聞いていないし関心がなかった
ただやたらプルサーマルのことは前の佐藤 栄佐久知事のとき言っていたのである

でももし住民が一番関心があるべきであり住民が今回のように住めなくなるような被害にあうのだから住民もそうした内部のことを知るべきなのである
でもマスコミが知らせないなら知らないとなる
そして何か知りたい聞きたいとしても東電では政府でも教えてくれない

お前らは原子力のことがわかるのか?

この一言で何も言えないし参加できない
そこに住む住民ですら参加できない

でも原子力のことがわからないにしても

十数メートルの津波が来る

それは本当ですか?、そうしたしらこの辺はどうなるのですか?
この辺ではチリ地震津波しか知らないです、だから津波は来ない地域だと確信している人がほとんどです、実際400年間相馬地域には津波は来ていなかった
だからこのことを言った科学者に驚いたろう
それは伝説でもなんでもない、科学者は専門家の言うことは信じるからである
科学的根拠があることは今の時代は信じるからである
つまり原子力の安全性に関していろいろあるにしてもそんな高い津波が来るということに驚く

するとどうなるのか?

みんな科学者の言うことだから信じる→それで津波が来るというときこのことを思い出す→そしていち早く逃げる→命が助かった

こうなったかもしれないのである、あまりにも津波に対しての警戒感ない、ほとんどゼロだったからである
もしそうなっていたら原発事故は悲惨だったけど東電の科学者が津波を警告したことで

警戒していたから命が助かった→東電はありがたい

ここまでなっていたのである、そうなると津波で命を助かった人は今回いろいろ被害を訴えたが逆に感謝するということまで起きていたかもしれないのである

だから情報を公開することがすべて政府とか東電に不利になるとはなっていないのであるそれが民主主義だとなる、住民が主人公であり政府とか東電ではない
なぜなら住民が死んだりするしその被害を受けるのは住民だからである
いくら原子力のことを知らないとしてもその肝心の住民をないがしにろして原発はありえないものだったのである

そして素人住民は専門家集団から排除されるだけだった、ただ御利益だけを与えられた
また逆に住民はその後利益に目がくらんでいたから住民にも責任がある
ただ住民は否応なしに責任をとらされたのである
その責任をとらされる住民が知ることさえできないのが専門家集団が牛耳る社会なのである

それは病院でも学校でも専門家集団によって人間は無力化される、それはイリイチが指摘したことである

お前は病気のことがわかるのか?お前は法律のことがわかるのか?
お前は金融のことがわかるのか?

こうして高血圧のいらない薬を飲まされたりする、法律家に相談したら相談するだけで百万とられた、これも詐欺だったのである
法律を知らなかったら裁判も何もできないよとなっているからだ
相談するだけだったら数万ですむはずである
これは明らかな詐欺だったのである
それかち地銀で投資信託を売りつけたのもそうだし郵貯でも保険を売りつけたのもそうである

あなたは株や投資について何かわからないでしょう、だからプロにまかせてください

こういったからまかせた、でもこれは地銀がただ手数料をもらうだけのものであり地銀は確実に手数料をとれるからすすめているだけである
実際に支店長が株のことはかりませんと言っていたからである
素人と同じだったのである
リーマンショックの時半分になった株が上がって来たもうかるというといそれを投資信託にまわして損したのである
つまり専門家といってもすべてを知っているわけではないのである
まず株式のことなど投資信託のことがなとその仕組みなどわかりえようがないからこそだまされるのである

それは原発でも同じだったのである、本当に原発のことを専門家集団が知っていたかというと今になると穴だらけであり何の安全対策もしていないずさんなものだったのである
そして地震ですでに内部の配管などが壊れていて津の前に炉心がやられていた
それを内部の人が東電をやめて報告していたのである
震度4くらいでも内部の配管は壊れると言っている
それほど脆弱なものだったのである、それで「安全神話」作っていたのだからこれも詐欺と同じだった

お前らは素人だから何も知らない
専門家集団にまかせろ
金はくれてやるから何も言うな
言う権利もないことを知れ!

これがイリイチの言う専門家集団社会の現実なのである
確かに素人には原子力のこと核のことはわからない
でもそれだけではない、津波ことなど他にもいろいろなことがかかわっていた
今になると理解できるのだから全部理解できないとはならないのである
津浪を警戒してたのか高台に原発を作っていたのにわざわざ削って低くして地下に電源を置いたことで水で冷やすことができず爆発した
そういうことは素人でも説明される今ではわかる
でも原子力の核のことなどはわからなから煙にまかれる
私は文系だから法律のことだったら何とか対処できたかもしれない
正直文系は理系的なことに弱いから余計に追求できないのである

いづれにしろ原発事故もやはり現代の社会とも関係してなった、複合的要因で事故が起きた、とすると科学だけではない、社会も関係してくるから総合的なものとして見るべきものだったのである、そこには郷土史も関係していた
なぜなら相馬藩政期で700人生波(津波)で溺死と記録されていたからである
それが二行にしろ貴重な記録だったか忘れられていたのである

人間は今トータルに考えること観察することができない、郷土史はトータルな学問なのである、理系的な地質学などでも自分にはできないにしろ関係している
そういうふうに総合的な学問がなくなっていることが現代の危険になる
自然災害でもそれは総合的に対処が迫られているからである



posted by 老鶯 at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

many abstract flowers and stars


many abstract flowers  and stars


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Sakura

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New star flower

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the Imperial chrysanthemum crest



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 a faint star flower in the deep space


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my secret star

2019年09月25日

桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)


桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)

 
ふるさとや旧友と会い秋の蝉

ふるさとや同じ場所に秋の蝉

ふるさとにともに老いゆく秋の蝉

塵つかず石の黙して秋薔薇

蠅も来ず宝石ともなる秋薔薇 



過ぎ行きぬコスモスゆらし朝の風

街道や秋風に松坂越えぬ

街道の松や古りにき秋の風

街道に秋風吹くや碑の古りぬ


秋日さし桜井古墳に我が寄りぬ

山鳩や桜井古墳に実りかな

みちのくの実りここや大古墳

新田川鮭の上るや大古墳

千歳経ぬ桜井古墳や秋の雲

秋の蝶紋鮮やかに大古墳

秋の海桜井古墳や千歳経る

秋の蝉一つひびきて隣の市



いつもの土手で休む場がありそこに休む、そこで会ったのは同級生だった、その人も脳出血で死ぬところだった
その人と時々自転車であって話する、郷土史のことで話ができる
他では直接そうした話はできないししていない
だからただ一人プログに書いているだけだとなる
つくづく今や同じ場所に行き同じ場所で休む、そういう繰り返しである
老人になると同じ場所にいてあまり新しい場を求めないともなる
だから家とか周りの環境が大事になる
そこに秋の蝉が鳴いてひびくのが似合っている

今日は原町に行ってきた、街道はやはりいい、人間的になる、高松辺りの松は太くいい松である
松は街道にふさわしい、だから今でも陸前浜街道を行くと昔を偲び旅人になれる、六号線は旅人になりにくい
原町ででも旅人の気分が味わえるのである
とにかく松は一番人間に近い木なのである

次に桜井古墳によった、この古墳は本当に大きい、なぜあそこにあるのか?
その場所がやはり新田川の側であり海に近いということで原町では最適の場所だったのである
古墳はどこにあるのか、場所が大事である
仁徳天皇の大古墳は海に近かった、そこに意味がある、ただ奈良の盆地の古墳も大きい
それが山の辺の道の山側に沿ってあるからその場所に意味がある

新田川にも鮭が上ることで有名だったし鮭料理をだす食堂があった
でも今年は真野川でも鮭が数匹しか上ったのを見ていない
去年は相当数上っていた、もしかしたら震災から8年過ぎて何か影響したのか
鮎は一匹もいなくなった、鮎は全国的にいなくなっている
その理由が何なのか?これも何か影響している
鮎が見かけないのは淋しいとなる、それは食べないにしろ川に鮎がいて川もは活きるからである

街道を行くといんう旅は今はしにくい、この辺だと街道を旅することは浪江まではできる
でも六号線は双葉には自転車ではいまだに入れないのである
そこで通行止めになるから行けないのである、山の方を行くと遠回りになる

ただ自転車でゆっくりと街道を行くのはいい、秋は季節的にもいい、それでまた行きたくなったとなる

人間は出会う人が大事(出会いが決める運命と損得)


人間は出会う人が大事(出会いが決める運命と損得)

人間はつくづく出会いが決める、大学でカルト教団に自分が入ったのもたまたまゼミにいた人がその教団に入っていたからだった
それが最大の理由だったのである
その人と出会わなければ入ることもなかった、ただそれがすべて悪いとはなっていない
なぜなら大学は遊びの場所でありそこでただ遊ぶだけで終っていたかもしれないからだ

最近の自分の苦難を書いてきた、それも出会いが悪かったからだ
前から付き合っていた人が悪かった、事業に失敗して借金していたとかで余裕がなく借金に追われていた、そういう人は自分のことで精一杯であり他者を助ける余裕がない
自分から金をとることしか考えないようになっていた

後に家の手伝いに一時来ていた人は泥棒だった、そこで大金を失った
これもそもそもそういう人と出会ったことでそうなったのである

他に地銀の人が来たがこれもリーマンショックのとき半額になった株が元にもどり上がり調子のとき別な投資信託に株を売ってまわした
結果的に損した、その地銀の人は全く株のことを知らないのに知っている言っていた
私もプロだと思いまかせた
そして自分には株でも何でもそういう投資のことがわからないし時間もないからまかせたのである
地銀の営業の人の頭にあるのはノルマを果たすことだけであり地銀自体が今や余裕がないから客をもうけさせることなどできない、今は客から金をいかにして巻き上げるしかないのである、それはゆうちょでも同じだったのである
時代が変わってそうなっていたのである

なぜ人間はこうして出会いが運命まで決めてしまうのか?
そもそも犯罪に逢うということはそうした犯罪者と出会うからそうなる
犯罪者がそんなに多い訳ではない、でもそこでたまたま出会うことが最悪だったなるのである

大工さんに修理を頼んだが実際は直っていなかった、でも金ばかりとられたというのもそうである、出会いが悪いとなんでも悪い結果になる
病気でもいい医者と悪い医者がいる、いい医者に出会いは病気も直るが下手な医者にかかると病気は悪くなり早く死ぬこにもなるからどういう医者と出会うかが問題になる
でも田舎では医者は限られているから選ぶことはなかなかできないから損になる
それは教育でもそうである、いい先生に出会えばいいが悪い先生に出会いえば影響が大きいのである 

そもそも人間の運命はどんな母親から生まれてどういう家族で育つのか決められている
それも出会いであり出会いは運命だともなる
結婚だって出会う人によって決まる、どういう人と出会い結婚するかで運命が決まる
そして人間は出会うという時、意外と出会う人は限られている
そしてその限られた人の出会いで運命も決まる

良かったのは仙台から来た優創建というユニットバスの会社だった
百万で作ってくれた、地元だとガス会社では200百万かかると言われたからだ
知っている人に頼むとその人はプロではないから300万かかったのである
その会社は良心的であり仙台から来たとしてもそれだけ安くできたのである

人間の運命を決めるのはいろいろある、でも出会う人に左右されるというのも確かである住んでいる場所でもそうである、どうしてもこの辺だと医者自体が少ないのだから都会のように医者を選ぶことができないからいい医者と会えないのである
そういうハンディキャップが田舎にはある
金融機関でも都会のようにいろいろないか相談もできないのである

とにかく人間はどういう人と出会うかが大事になる
出会う人によって運命が決まってしまうことがある
人間の運命を決める要素はいろいろある

●住んでいる場所(故郷)

●生きる時代

●出会う人

この三つが運命を決める、住んでいる生まれた場所の影響が本当に大きい、田舎と東京に生れ育つ人では環境が違い過ぎる、そこにはいい面と悪い面がある
ただ自分は田舎向きであり老人になったら今では人ごみが嫌になり仙台にすら一年に一回とかしか行っていない、老人になるとどうしても田舎がいいとなる、それはその人の性向にもよる

また出会いというというときどんな本に出会い読むかということも大事である
本も人との出会いとにているからである
でも田舎だと本自体が売っていなかった、この差が大きかったのである
仙台まで行かないと専門書も売っていない、売っているのは売れる本だった
「冠婚葬祭」とかの本が百万部売れていた時代である
ベストセラーになった時代である、それはそういう本しか田舎には置いていなかったのである、でも本というのは莫大な量があったのである
それが読めなかったことは相当なハンディキャップを背負わされていたのである
今は古本が安いので集めている、すると知見が拡大してゆくのである
インタ−ネットでも論文が読めるとかなり知識が田舎でも得られるのである

なぜ出会いが大事かというとどこでもそうだろう、会社でもいい上司に逢うのとそうでないとなると苦痛になりやめたりする、でもいい上司に逢えば仕事もはかどるとなる
つまり秀吉でも信長に出会わなければ出世はできなかった
信長が優秀だったから秀吉も才能を活かせたとなる
才能だってそうなのである、それを認める人がいないと伸びないのである

今になっても自分がこんなに俳句とか短歌を作っているけど30過ぎてもいいものが作れなかったし才能がないとされていたからだ
だから才能でもそれを認め伸ばしてくれる人がないなと活かされないのである
それも人の出会いによることが多いともなる

第一出会いが大事だという時そもそも親と出会うということが運命を決めているのである親が悪いとどうしても初めから相当なハンディキャップ負うことになるからだ
私の場合は親が良かったからこうして自由に生きられたとなるからだ
才能も伸ばせたとなるからだ

だから出会いというとき良縁と悪縁がある、それは結婚でもそうである、その縁がいかに影響するか、良縁になればいいが悪縁になると悲惨になる
そして人間の不思議は良縁があっても悪縁を選ぶことが普通にある
良縁があってもそれを切るのが人間なのである

例えば天国があるとする、悪人はそこにはいられなくなり自ら進んで地獄に行くのであるそういう天国にはいられないのである、悪のある場所が住みやすいからそうなっている
だからこの世は悪人にとっては住みやすい場所なのである
天国となるととても住めない、自らこの世に帰りたいとかなる
良縁を切ると悪縁が入ってくるというのもそうである
むしろ悪縁をその人自ら選んでいるのである

結局最後は結果論でありもういろいろ言っても過去は返ってこない、こうすればよかったとかあうすれば良かったとかいってもどうにもならない、すべて結果は老人になれば出てしまったからである、後は死ぬだけだとなってしまったからである
ただこれからの人はこうして生きた人のことを参考すにすべきだとなる
40才になったら何もできない、人生も終わりだと嘆く人もいる
それだけ時間は過ぎるのが早いし出会う人も極限られている、後は「さよならだけが人生だ」となってしまうのである

「若き日に神を覚えよ」というとき若い時を神を知らなければ出会わなければ後は出会うことができないともなる、これも厳粛なことだと思った
若い時はいろいろなことに目を奪われるがそうしているとたちまち青春は過ぎるのであるそして浦島太郎のように白髪の老人になって時は戻ってこないのである
後は死があるだけだとなってしまうのである
玉手箱を開けたら夢のように煙となってすべては消えたとなる
そしてただ茫然としているだけになる、人間はみんなそういう繰り返しだったのである
そういう人間の本質は技術がいかに変わっても変わらないのである
だから諺を今でも活きている、「金の切れ目は縁の切れ目」というのも過去にもあり今はこれが極端になっていることでもわかる
そういうことは時代が変わっても変わらないのである
それは人間の欲とかがなくなるわけではない、いかに人工頭脳が優秀になっても変わらないのである、人間の欲がなくなることはないからである
それで諺が依然として通用していることでもわかるのである




2019年09月24日

南相馬市の古代の歴史ー鹿島区の新旧 (新旧と場所を知ることが歴史を知る基本)


南相馬市の古代の歴史ー鹿島区の新旧

(新旧と場所を知ることが歴史を知る基本)

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歴史をみるとき大事なのは新旧をみることである、村でも新しいのか古いのかが問題になる、だから村でもこの家は古いのか新しいのか問題になる
田舎でも飯館村とかでも古い家と新しい家がある
戦後は開墾に入った人たちが多い、20パーセントくらいいたとかなり相馬地方では特に多かったという、小池にまで開墾に入った人がいた
戦後の引揚者だったのである、あんなところに土地があったのかとなる
その人はかなりの貧乏だったのである

飯館村の大倉から坂を越えた木戸木となると閉鎖された土地である
草野に行くのにも七曲の坂を上らねばならない、あんな不便な土地だから開墾に入った
でも一見するとここは古い部落なのかとも思うのである
つまり村でも新旧を見ることが大事なのである

例えば鹿島区だと烏ア村とか海老村は古い、でも右田村は江戸時代にあったとしても海老村とか烏崎村からすれば新しいのである
そこは後から開拓された土地だったからである
海老村は最近その突端に古墳が発見されたから古いことがわかる
それだけ古い時代から人が住んでいたのである
そうなるとそこで大きな津波を経験していたかもしれない、でもそれはわからない
弥生時代の住居跡も発見されている

古墳があるということはそこが古い場所である目印になる
それで韓半島に前方後円墳が発見されている、それが最近の研究では日本より古いから韓国から日本に前方後円墳が伝わったという、何でも韓国起源にするのが韓国である
でもその古墳が日本より新しいものだったのである
ここでもいかに新旧が大事になるか証明している
それが古いのか新しいのかが決め手になっているからだ

それで鹿島区だと塩崎の船着近くに前方後円墳があった、鹿島区で前方後円墳があるのは金銅双魚佩の発見された寺内と二つだけである
それで問題になるのがどっち古いのか新しいのかなのである
なぜならそれが鹿島区の歴史をみるとき重要になるからだ

塩崎には船着と市庭という地名があり古い、船が通っていたことは書いた
それも今の火力発電所があるところから鉄などを運んでいた
そして大内には800年に奉納された薬師堂が残っていた、それは坂上田村麻呂が奉納したものとされる、大内村はそれだけ古いということである
でも古墳時代になるとさらに古いのである
でもいつそこに前方後円墳が作られたのか?
それが問題になる、なぜならそれがわからないと鹿島区の歴史を解き明かせないからである

私の見解では塩崎の前方後円墳が古いのだろと思う
それは鹿島区の歴史の形成がどうして行われたか?
古代になるとまず東北電力の火力発電所がある場所で大規模に鉄の生産が行われた
その時この地が奈良の朝廷に知られるようになった
鉄の生産のために韓(から)から特に伽耶から技術者が入ってきた
それが津神社でありツノガノアラシトである、、浪江の苕野(くさの)神社もそうである
津神社とはツノ神社でありまぎらわしい、ツ神社とはいわない
ツノ神社である、松川浦の津浪をまねがれたツノミツ神社もそうである
感じは当て字であるから注意する必要がある
ツノガノアラシトのツノがつく神社や地名があるから注意すべきである

ではこの辺にある神社でも新旧が大事になる、綿津見神社は相馬地域とか浜通りでは多いツノガノアラシト系は点であり韓半島の技術者が入ってきた
綿津見神社は安曇系の海洋民が大勢移民として入ってきた
それを物語っているのは飯館村まで綿津見神社と山祇(山津見)神社が多い
それも面としての広がりがある、飯館村の山津見神社を終点としてその前に栃窪村にも山津見神社がある、他に相馬の松川浦にも海岸に山津見と和田という地名があり和田は綿津見のことである
そこから川をさかのぼってゆくと途中に隠されたように山津見神社がある
このことは綿津見神社と山津見神社を神として奉じる人たちが移動した跡なのである
ではこの人たちはいつここに来たのか?
これが大きな問題になるのである
古墳にしてもそれが一体古いのか新しいのか問題になる

ツノガノアラシト系とかの鉄の生産技術者は点としてその後神社とか地名に残した
綿津見神社系はこの地に大勢来て面として移民として住んだのである
ではこの人たちはその鉄の生産の技術者より古いのか新しいのか?
これが大きな問題になるのである

これがツノガノアラシト系より古いとなると最初にこの地に来た人たちは綿津見(山津見)系だとなるからである
その後に鉄の生産技術者が韓半島から来た、そこに大和王権系が指導権をにぎってゆくことになる
真野の草原はそういう事情で大和王権系がかかわり奈良に知られたとなる
そしてでは原町の桜井古墳が鹿島区の古墳と比べて古いのか新しいのかが問題になる
あれだけ大きいのだから古いとみる
そこにすでに統一された大きな勢力がある集団が存在したとなる
それは物部氏系とされる

位置関係を見ればたどれば鹿島区の歴史はわかりやすい
蝦夷が存在したという時、それは物部系とかツノガノアラシトとかが関係していた
そこに大和王権系がかかわり真野郷として中央の大和王権から認定されたとなる
それで小池の前方後円墳が作られ金銅双魚佩とともに埋葬された地元の有力者がいたとなる、それは中央政権の大和王権からもたらされたものだとなる

そして桜田山に古代の城がありそこの丘を越える所で先住民と争いがあった
そこから石の武器が数多く発見されたとあるからだ
そこで先住民と大和王権側が衝突して桜田山下の大六天の祠のあるところで争いがあったそこからは縄文人が生活していた跡が発見されている
魚とか鹿の骨が発見されている、つまりそこで蝦夷と戦った人たちがいた
そこで蝦夷は大和王権側に殺されたともみる
そこから大和王権側が進撃して鹿島神社に至ったのである
そこに鹿島神社が今でもある、その祭神はタケミカヅチの神である
これは武の神であり出雲でもこの神が現れて征服している

つまり神社は場所が大事なのである、なぜその場所にあるかが歴史を語っているのであるそれから右田の御刀神社がありなせそこにあるのかが問題になる
それは海老というのはエヒであり蝦夷のことだったのである
そこはもともと古墳が発見されたように古い場所だったのである
右田に御刀神社があるのは刀はまさにこれも武の神であることがわかる
刀を使って蝦夷を切ったり殺したり征服した場所になるからだ
古代では御刀神社の前は海だった、それは津波で証明された

歴史で大事なのはこうして新旧を知ることと場所を知ることなのである
この二つから歴史をみることが大事になる、つまり何でも空間軸と時間軸で見ることなのである、空間軸はその場が今でも残っているからわかりやすいが時間軸はわかりにくいのである、江戸時代でも年号があったとしてもその新旧がわからないのである
時代をみるときどうして見るのか?
例えば戦前だと戦争があったとか、戦後だと高度成長時代があったとかなる
そして戦後十年くらいは街中の生活でも水道がないし燃料は炭だったということを知ることが大事である、それは江戸時代の続きだったからである

基本的にそういう生活を知らないければ過去を知り得ないのである
それは石器時代から鉄器時代へ移行したときそれが歴史の大きな転換点だったということでも同じである、戦後の電気の生活変革もそうである
その延長として原発事故があったからである




2019年09月23日

東電の幹部の無罪判決の理不尽 (原発マネーでマスコミも政治家も地元も暴力団まで操作された)


東電の幹部の無罪判決の理不尽

(原発マネーでマスコミも政治家も地元も暴力団まで操作された)



朝日「腑に落ちない」産経「冷静な判断」 東電旧経営陣「無罪」各紙はこう論じた

 読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した。


 会見で、石田省三郎弁護士は「国の原子力行政をそんたくした判決だといわざるをえない。原子力発電所というもし事故が起きれば取り返しがつかない施設を管理・運営している会社の最高経営者層の義務とはこの程度でいいのか。原発には絶対的な安全性までは求められていないという今回の裁判所の判断はありえないと思う」と述べました。

 福島第一原子力発電所事故が発生した2011年、東京電力から連合会宛に年会費として18億円が支払われていた事が判明した(同時期には公的資金での財政支援が行なわれている)が、納入された会費の具体的使途を連合会は開示していない


 「これまでメディアを通じて原子力発電は安全だとPRするCMや広告を目にしたことがあると思います。電力会社の名前でなく、電気事業連合会(以下、電事連)というクレジットを目にした人も多いでしょう。

原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態

 この電事連こそ、露骨に原発推進を訴えにくい電力会社に成り代わって、豊富な資金量と政界へのパイプを駆使し、原発はなくてはならない≠ニいう世論を形成して 

 「文化人をはじめ各界に影響のある人物を広告に起用するなどして、原子力政策に理解あるサイドに立ってほしいという意味です。その人物がはっきりと原発賛成を叫ばなくても構わないんです。原発推進の立場の電事連のCMに名のある人が登場する。

福島が地元の渡部恒三(民主党最高顧問)が『農業の時代じゃない。これからは環境だ』と言い出したのは、まさにこの頃で、同じ田中派の小沢の動きを見て、CO2排出の少ない原発推進で電力業界との距離を縮めようとしたのだ」



 別冊宝島の最近刊『誰も書けなかった日本のタブー』の巻頭、川端幹人「金と権力で隠される東電の闇/マスコミ支配の実態と御用メディア&文化人の大罪」がまとめているところでは、東京電力の年間の広告費は約244億円、販売促進費は約239億円、その他に普及啓発費200億円弱で、計約680億円の多くがメディアに流れている

 関西電力の広告費は199億円、販促費は59億円、九州電力は同じく80億円、112億円など。他にも、電力10社が構成する電気事業連合会(電事連)も独自の広報予算を持っていて(非公開ながら)年間300億円以上と言われているし、さらには経済産業省・資源エネルギー庁や文部科学省の原子力関連の広報費もあって、それらすべてを合算すると「原子力界・電力業界がメディアに流している金は年間2000億円に迫る。現在、広告出稿量第1位のパナソニックが771億円、強大な広告圧力でメデイアから恐れられているトヨタが507億円だから、この金額がいかに大きいものであるかがよくわかるだろう」(川端)。

 マスコミだけではない。政治家には政治献金、官僚には天下り先、学者には研究費、地元代議士や地方政治家や暴力団には利権配分、自治体と周辺住民には電源3法に基づく手厚い交付金......と、あらゆる関係者に莫大なカネをバラ撒いて「原発は安全」という虚構を塗り固めてきたのである。



なぜ東電の幹部が無罪になったのか?
それは私のプログで追求してきた
原子力村というけどそれはもう村などというものではない、一つの別な強力な国家と同じだったのである、その利権が金が支配した結果そうなったのである
それでわかるのはなぜ東電の幹部に責任をとれとか右が右翼が街宣車とか出さないのか?このサイトでは暴力団にも金が流れていた、暴力団とかは右翼と関係して街宣車を出す
原発事故ではそういうこともない、なぜなら右翼はもともと原発の推進派だからである
それは核武装是認派だからである
ただ昭和天皇をあれほど批判していて最近死んだ都築詠一氏も原発推進派であり核武装派であった、右翼にもいろいろいるが全部原発には反対していない
また空手道場の師範でありそこには東電の人たちも来ていた、となると批判しにくいとなる、ただ文学の批評家としては私は評価していた

ただ原発に関しては左でも朝日新聞にも金が回っていた、ほとんどあらゆる報道関係に金が回っていた、その額が大きいのである
要するに金によってマスコミも操作されていたから原発の危険を言う人はいなかったのである、言えなかったのである、それは地元でも同じである
みんな原発から金が欲しいとなり現実もらっていた
漁業組合でも事故前にも補償金がもらって原発御殿が建っていたとか聞いた
それで漁業権を東電に売り渡したとなる
それは別に漁業組合だけではない、莫大な金が地元に与えられていたのである
そのことが実感したのは事故後に何兆円という補償金が出たり7兆円で除染だとかその金の額は天文学的なものであり驚いた
そんな金があるということ自体驚きだった、国家規模になるとその金をもう計算できないのである 

そして創価の聖教新聞でも潮でも原発推進をしていたのである、それは第三文明とかでしていた聖教新聞とか第三文明とかで最初に仕事するのは宣伝費を稼ぐことである
それは他でも同じである宣伝費を稼ぐことが第一の仕事なのである
新聞だってテレビでも放送すること自体に莫大な金がかかる、そしたらその金はどこから出るのか?テレビだったら視聴者からはでない、NHKは視聴者から強制的に徴収しているから特別なのである
福島県の民報でも半分出資しているのが県なのである、だから県の広報機関と同じであるまた聖教新聞も刷っている、そこが収入源になっている
創価は権力をとる総体革命を目指しているからその手法は同じなのである
どうして権力を抑えるか常に画策している団体だからである
それは東電にも通じていたのである、マスコミは宣伝費で金で抑える
つまり今の世の中金で操作されるということである

結局金が毒饅頭だったのである、みんな金が欲しいというのには変わりないからである
金になると目の色が変わる、でも金の怖さは具体的に金でもってカルマをつむということである、金というのはわかりやすいのである
それでドラマでヤクザが金をもらったからと義理を果たすために殺人までしたのである
金というのにはそれだけ具体的なカルマとなる
そのカルマを返さざるをえなくなるのである
そこに金の怖さがある、金をつかませられてマスコミでも何にも言えなくなったことでもわかる
それを象徴していたのが朝日新聞までは事故が起きたとき中国に呼ばれて歓待されていたのである、その時マスコミ全員がそこに参加していたのである

読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した

読売新聞がこういうのはなぜなのか?
そもそも読売新聞は正力松太郎がアメリカから原発を誘致させた最初の人だったのであるアメリカのスパイになりその代りに原発を誘致して日本テレビ局を作った創始者だったのである、だからこんなことを言っているのである
つまりマスコミはこうして権力側につくものであり民衆の味方ではないのである
それはマスコミは報道するにも金がかかりすぎるからそうなるのである
テレビで放送するにしても新聞でも雑誌だってそうである
それは視聴者とか購読者が払ってくれればいいがそれができない、だからスポンサーに頼るほかないのである、そして東電はとかはもう国家並みの権力をもっているから金も湯水のように出すとなるともう何も言えない
そしてたいがい文化人と言われた人たちが東電側につき原発を擁護していたのである

なぜ今回も東電の幹部は無罪になったのか?

それは検察自体が原子力村の一員だったからだともなる
検察でも官僚でも東電に天下りしているからである
最近交通事故を起こした元官僚の人を上級国民で批判できないとか騒いだ
検察でもそうして上級国民には忖度するとなる
そして結局誰も責任をとらないのである

本当は事故を起こしたら切腹するとか死刑にする

こういう責任を課せば誰も原発などにかかわらないのである
なんだ無罪かとなれば責任などないとなりまた原発を軽くみることになる
そうはいっても必ず誰かかが責任をとらされる
今回は住めなくなった住民が責任をとらされたのである

でも責任をカルマを逃れることはできない、東電の幹部にもいつかそのカルマが現れる
それはいつになるのか?必ずカルマとなって苦しみとなって現れる
それは国家的犯罪だから検察でも罰せられないけどそのままでなにもなく終わるとはありえないのである
一人でも死刑になるとかなり犠牲者になればその人に過失を押し付けることができたかもしれない、堂々と幹部は無罪だとして社会にのさばることが許されないのである
もう被害者でもがっかりする、善も悪もないと絶望してしまうからだ
国自体が信頼できないとまでなる

こういうときもうテロが起きてもおかしくない、でも右翼が東電の幹部にテロにならないのは暴力団にも東電の金が回っていたからだとなる
それでヤクザでも義理がありカルマをもつから殺しを請け負ったように何もできないのである
それは地元でもそうだが金の力がいかに強力なものか、カルマとなるか示しているのである、地元でも東電で金になっているから反対しずらいと言っている人がいたからである
金に社会がいかに曲げられているかわかる、金から犯罪を見えてくる
借金している人は犯罪者になりやすいからである
ただ金でもそれが悪い方に働くとカルマとなりそのカルマが苦しみとなって現れるのである、やはり不正な金で会社がつぶれたりもする
そこに金の怖さがあったのである 

要するに原発は国家的犯罪だった、でもこれも戦争と同じように裁くことができない
国家の犯罪となれば誰が裁くのか?そんな権力をもっているものはいないからだ
アメリカが悪いとしてもそれも裁くことはできない、そんなことができるのは神だけだとなる、原発事故もこうして国家的犯罪だから裁くことができないのである
ただ歴史の中で百年後とかにその犯罪が明らかにされるかもしれない、国家的犯罪になると戦争でもそれだけ時間がかかるとなる
今になって読売新聞の正力松太郎が悪人にようにされいたりするからである
その時は優れた実業者だと見られていたからである

福島が地元の渡部恒三(民主党最高顧問)が『農業の時代じゃない。これからは環境だ』と言い出したのは

これにしてもそうである、いかに農業とか漁業でも金にならないと後継ぎもいないとかなり政治家がこういえばとびついたのである、実際は農業はやるなと親に言われて殴られた息子がいたのである
(農業の時代じゃない)というときそこに福島県とか地方の見方に問題があった
今になると農業が成長産業だとしている、なぜなら日本では輸出産業が衰退しているからである
日本の農業は技術的にハイレベルだとかそういっている、だから時代により価値は変わる
農業を軽視することは危険だったのである
原発の推進派の理由として原発は石炭のようにCO2を出さないかから環境にいいということがあった
これからは環境だと言ってももその環境が放射能で汚染されて住めなくなったのである
第一この人も利権で動いていたのである、息子はアメリカのGEにつとめていたのもそうである

今報道はインタ−ネットでyoutubeとかで百家争鳴になっている
それはyoutubeなどでも手間がかっても金がかからない、ほとんど個人でできるからそうなったのである、そういうものがあれば原発の危険性を指摘されたかもしれないのであるだから民主主義には報道の自由がないと真実は隠されて今回のようにもう取り返しのつかないものになる
そして報道は反権力でないとだめなのである、権力側は金がありまた数の多さも民主主義では力となる、だからカルト教団ではとにかく頭数を集めて票に結びつける
数が多いことが権力に結びつくからである

つまり権力とは危険なものなのである、権力をもつものはナチスのように暴走したり危険なものでも危険でないとしたりできる
だからこの権力をどうして抑制するのか?それが課題なのである
それに報道の自由が必要なのだけどそれが権力によって操作されたから原発事故が起きたのである、だから反権力が報道の基本的な姿勢としてなければならない
福島民報のように出資が県の50パーセントだったら何も言えない
そういう報道機関は必要もない、だからインタ−ネットがそれを打ち破るものとはなる
ただ問題は百家争鳴で混乱する、何が正しいのか真実なのか見極めるのがむずかしくなってくる、でもそれが民主主義の有り方なのである

posted by 老鶯 at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月22日

観光と旅の相違 (今は旅人も旅も喪失した観光の時代-地元の観光をどうする)


観光と旅の相違

(今は旅人も旅も喪失した観光の時代−地元の観光をどうする)

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観光資源の活用は、既存のものの掘り起こしと新しいものの創造によって、観光のあり方を激変させる可能性がある

現代は観光の時代である、世界的にそうである、交通の発達で旅もグロ−バル化した
観光が一大産業にもなる、ギリシャなどでは観光が主な収入源でありヨ−ロッパの保養地となっていた、だからのんびりと暮らしていたがギリシャ危機でそうもいかなくなった
観光だけに頼ることも危険である、なぜなら観光も浮き沈みがあるからだ
ある時はある場所が人気になりある時は別な場所になる
今は日本が人気になっているのは日本は旅しにくい場所だったからである
物価が高いとかでしにくくかった、でも今になると中国をはじめ豊かになるとやはり外国を知りたいとなり日本が貧しくなったので観光立国とかまでなった
京都辺りでは観光公害にまでなっている
日本人が日本をゆっくり旅できないというのも異常である

観光という時、旅とは違う、現代では旧来の旅とか旅人はいない、江戸時代辺りなら普通の人でも街道を歩くほかないのだから旅人になり旅をしていたのである
今は交通機関が発達したから旅はなくなった
旅と旅人だと宿場があり必ずそこによる、今は別に途中の宿場による必要はないのである新幹線で一気に目的地に来る、その目的地で温泉とかにひたるとか御馳走を食べるとかが目的となる、途中がないから旅ではないのである
つまり歩いて感じる感覚とはかけ離れたものとなる

街道を行く人あれや秋薊

日立木から松並木があり相馬市の城跡までは昔の街道である
でもそこは細い道だから車が行き来する、そこで情緒がなくなる
自転車だとなんとか歩いたものに近くなる、でも車だと道の辺の花など見ないのである
車はひたすらスピードを出して目的地に向かう乗り物なのである
それは電車にも言える、途中がないのである
それで旅の情緒がなくなったのである
だから旅人はもういない、西行ー芭蕉ー山頭火まで旅人であったが今はいない
旅人になりかない環境になったのである
六号線とか国道を歩いていてもそこは車の通り道であり歩く道とはならないのである
草臥れて宿かるころや藤の花 芭蕉」こういう感覚はないのである 
自転車で亘理から相馬市の方へ来たときそこは街道であったから旅になっていた
そのことをプログで俳句にしたりして書いた
そこには古い歴史があった、歴史の道としてあったがどうしても六号線を通るから昔の街道がどこかもわからなかったのである

東海道五十三の浮世絵を見るとそこは歩く人しか描かれていない、みんな歩いていたのである、一日30キロとか歩いていたのである、それだけ歩く時代だったのである
それで朝早く旅立ったというのもわかる、朝早くなければそれだけ歩けないからである

私も自転車で旅したが自転車は歩くよりやはりかなり早くなる、それでも一日私の場合体力がないから50キロから60キロくらいしか行けない、疲れて行かなかった
だから30キロ歩いたら相当に疲れる旅だとなる
いづれにしろこれだけ交通が発達すると旅自体ができないのである
歩いている人がいても必ず電車を利用したりしているからである
ずっと歩きとおすことはできないのである

現代は観光の時代である、観光というときそれは一つの目的地まで電車なり車なり飛行機なりを利用して目的地に早く着きそこでその場を観光するということになる
でもこの観光というのは初めての場所を知るということは意外とむずかしい
それは老人になっても地元のことがわからないとういことがあるからだ
それだけある土地について知るには時間がかかるのである
とすると一日来てその土地のことを知るのはほとんど不可能である
ただ何回も来ているうちにその土地のことを知るということがある

観光資源の活用は、既存のものの掘り起こしと新しいものの創造によって、観光のあり方を激変させる可能性がある。

そしてその土地に住んでいる人が地元のことがわからないのである
この辺だと日立木から相馬市の城跡までは旧街道であり歴史の道である
そこはわかり安くても他はわかりにくいのである
松川浦もわかりやすい、でも実は田舎の魅力は地元の人が当たり前と思っている何気ない場所にあった、そういう場所は土地の人もわからないのである

●歴史の道(相馬市の城跡までの旧街道)
●田舎の小径
●田舎の秘境

この辺だと城跡までの街道はわかりやすい、でも故郷の小径となるとわかりにくい
なぜなそらその小径を最近私が発見したからである、そこは隠されたようにあったからわからなかったのである、自転車で毎日行っていて発見したのである
それはすぐ近くだったのである、つまりありふれた場所が実は魅力ある場所として発見されていないのである
そういう場所があるのだが発見されていないのである
田舎の秘境というのもそうである、それは橲原の奥の水無河川の上流だった
そこには道もない、道を整備しようとしたができていない
だからそこに行くことは難儀する、でもそこは秘境となっていたのである
田舎自体そうした秘境を知らないのである

飯館村の木戸木には森におおわれた清流があったが道ができて失われた
あそこは本当に秘境だった、ただそういう場所は田舎だと必ずある
でも地元の人すらわからない、注目していないのである
でも観光の問題は観光だと秘境が秘境でなくなる
人が入らない所だから秘境になっている、それががやがや観光客が入ってくると秘境でなくなるのである
ダムができる前の大倉の集落も秘境だったのである

相馬地域でも野馬追いだけではない、自然でも観光資源はある、身近な所にある
ただそこが地元の人すらわからないということである
観光はだからその地域をしるというときどうしても案内人が必要になる
それが金がなくてできないから外国のことがわからなかったのである
ただ外国に行けばいいというだけであったから自分の場合はせっかく外国まで行ったのにわからずしまいになったともなる
それは日本国内でも言えるのである、誰か案内人がいなと始めてくる場所のことはわからないのである

ただある地域を知ることはこのように地元に老人になってもわからないというときはじめて来る人は余計にわからない、少なくても三日くらい滞在しないとわからない
その時間が日本にはない、移動するにも便利でも時間がかかる、金もかかる
ではまた滞在するのでも三日となれば時間がとれないとか観光でも時間がかかる
旅だったらそれ以上に時間がかかる
そして地域の魅力は四季にある、四季の変化で魅力が変わる
だからある地域を知るには四季に行くといいとなる、でもその時間がないのである
それでヨ−ロッパではバカンスがあり一か月くらい自由に旅する保養するというのが文化になったのである

人間は何するにも時間がかかる、そしてその時間がないのである
まず勤め人になればもう一か月とか旅はできない、一か月も旅できる人間は異常なアウトサイダーだとなってしまうのである
正規のルートからはずれた人間になってしまうのである
結局旅の問題は金もあるにしても時間の問題が大きいのである
私は別に金があったわけではないか十分に時間だけがあったので旅できたのである
一番困ったのは泊まる宿だったのである、日本の宿は高いのである
ヨ−ロッパでは安宿が多いから旅しやすいのである

観光をどうするかというとき日立木の松並木から相馬市までの旧街道を歩行者天国にするそこは歩くから自転車にする、あそこは曲がりくねって細い道であり歩くと昔の道になるからだ、後は自転車とかで小径の散策である
秘境となるとそこは道を整備しなければならない、でもこれだけ観光するだけで相当に疲れる、三日は十分にかかるのである
そういう案内が自分はできるがその労力も相当なものになる
自分一人ではできない、私は他にやることがありできない
毎日こうしてプログを書いているだけでまた家事にも追われているからできないのであるただ観光のヒントを与えることはできるとなる



2019年09月21日

浜通りの秋(詩) (阿武隈高地は古い)


浜通りの秋(詩)

(阿武隈高地は古い)

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中村城跡から見る


浜通りの秋

黄金の稲穂の実り
鶏頭の真紅の映え
常盤木の松の翠や
阿武隈の山脈にそ
棚引きぬ白銀の雲
紺碧の海に浜通り

白銀(しろがね)



福島県は、地震や台風による水害などの災害が少ないことで知られており、企業のリスクマネジメント上において国内屈指の環境と高い評価を受けています。

今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率は極めて低いとされ、特に阿武隈高地の地盤は堅固で活断層も少なく、地震に対する安全性が極めて高いと言われています。

阿武隈山脈は大陸から分離した、もともと大陸が元になっているから大陸は古いから古いとなる、不思議なのは朝鮮半島には地震がまれである、ニュースでも地震のことが報道されない、台風の通り道にはなっているから台風はある
でも地震の報道がない、それでけ地震がないから地盤が安定しているとなる

阿武隈山脈が浸食されてなだらなかだというのもそれだけ長い年月の間に形成された結果だとなる
とすると逆に吾妻山と磐梯山とか中通りとか会津になると高い山がある
それも2000メートル級の高い山がある
それは新しい造山運動のためだったとなる
つまり新しい山は高く険しくなるということなのか?

ともかく阿武隈高地が地盤的に安定していることは間違いない
それが今回私が作った漢詩もどき詩となになか関係あるのか?
詩も科学と関係している、阿武隈高地は山脈は安定しているというとき
詩にも反映される、浜通りの特徴が反映される

浜通りは海と山の景観があるからだ、それてアンモナイトとかの化石も発見された
海側だから津浪の被害も大きかった、私の家から海は近いから身近である
海をいつも見ているからだ

それで青が海であり鶏頭は赤であり黄色は実りであり緑は松なのである
右田の松原は古いしいい松だったが津波で消失したのがショックだった
浜通りでは相馬市の城跡に行く街道の松並木が有名だからである
歴史は六号線を行くとわからないのである
昔の道の街道が歴史の道なのである
だから日立木から相馬市の城跡までは歩いた方がいいのである

ともかく意外と地元のことがわからない、でも阿武隈山脈が古いというときそこに白銀(しらがね)の雲が棚引く、それがあっているとなる
宮沢賢治のように地質学から化学からあれだけ万能だったと人はめずらしい
現実にそういう天才は今の時代にも出ていないことでもわかる
これだけ科学的にも情報的に進歩してもあれだけ博学な人は出てこないのである

福島県は広いからその土地土地のことを知ることは容易ではない
全体として知ることはなかなかできない
浜通りというとき今回津浪に襲われた地域を一つのつながりとして地域を見るということにもなった
会津とかは山国であり別な地域となる、それで文化の形成でも違ったものとなる

2019年09月20日

秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)


秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)

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八沢浦はほとんど荒地のままである

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五本松の二本は枯れたが三本は枯れていない
一時枯れたのがあったが枯れていない




白壁の蔵に芙蓉や庭の畑

虫の音に耳傾けむ謙虚かな

蝉の声昔遊びし神社かな

(八沢浦)

朝の風八沢浦にも実りかな

八沢浦蔵王望み実りかな

山鳩や八沢浦に実りかな

朝日さし鶏頭に実り松による

(五本松)

五本松三本松残り秋の風

なお残る三本松や実りかな

新築の家に落ち着く秋の雲


(相馬市)

ひさびさや街道の松秋の蝉

街道をゆく人あれや秋薊

大手門入りて松かな秋の風

黒橋を上り城跡秋の蝉

城跡や松にひびける秋の蝉 

相馬藩歴代の殿実りかな

有田焼の茶碗を買うや秋なりき

石にさす秋日やここに店構ゆ      


近くの神社では子供の時遊んだ、その時は子供が多いからにぎやかだった
今は一人も遊んでいない、何か神社自体が廃墟のように見える
子供が遊んでいたとき神社は生きていたのである

今日は涼しいので相馬に行った、一か月より以上相馬に行かなかった
暑いのと日ざしに弱くなっているからだ、現実に家にいても熱中症のような症状がでる
最近も暑くぐったりとしていたからだ

今日は八沢浦の方を回ったら蔵王が見えて実りがあった、でもそれは極一部だった
全体的には草ぼうぼうである、ただ実りがあることで生活があり活きる
右田浜でも松原があり実りがあった、あの光景はいいものだったが二度帰ってこないし見ることはできないのである
松原は自然のように感じていた、でも人工林だったから消失したのである

昔の街道は細いしまがりくねっている、そこに情緒がある、でもそこを人が歩いていないから人間的にならない
車だともう人間は邪魔になるし道端の花など見ていないからである
道路でも本当は街道だったら人間が歩いていて活きていたのである
六号線だと車になるのもしかたがない、街道なら歩いている人がいる、歩く道路だったらかえって人間的なものが生き返る
秋となるとやはり旅にはいいとなる、ただ旅でも車では旅にはならないのである
現代の道はただの通り道になる、運搬道路になっている
何か秋になりまた旅したくなった

松並木の街道を行き相馬六万石の城跡につく、大手門があるけど小さいのである
門を入ると松がある、何か城には松があっている、松は人間に見える
一番人間に親しい木なのである、松は忠臣のように城の中に立っている
黒橋を上る、あそこは急である
相馬藩が国替えがなくつづいた、それで歴史に一貫性があるとかなる
それが明治以降も今でも殿様が活きている唯一の藩かもしれない
それは野馬追いがつづいているからそうなる
野馬追いは歴史の継承であり侍が現実に活きる場になるからである
だから相馬地方では侍に出る人は依然として侍であり格が上になるということがある
それは京都辺りでも僧侶が依然として力をもっているのとにている 

イオンでは有田焼の焼き物を売っていた、何か秋らしい、でも安いのを買っただけである陶芸とか骨董とかにこるときりがないのである
何か趣味でも金がかかりきりがなくなる、だからやめたのである
ただ安物は安物の価値しかないのである
私は窯元をずいぶん訪ねた、浪江の大堀焼の窯元がなくなったことは痛手ある
なぜならあそこは高瀬川があり水墨画のような風景があったからである
そういう観光の場所を失ったことは痛手である
窯元はやはりある程度まとまっていないと価値がないのである

秋風や模様のちがふ皿二つ    原 石鼎

秋はそういう感じになる、芸術の秋である

相馬市ではパン屋が六号線沿いにあり焼きたてのパンを買った
パン屋は原町にもあるし普通はある、第一新地にもあったからだ
だから鹿島にはないというのがわからないのである
原町までたと近い相馬市になるとちょっと遠くなる
とにかく暑いということで行けなかった
日ざひは夕方になっても暑くなっていた
何か夏が一か月くらい伸びている
店の前に石がありやはり店を持つという店を持つことはステータスになる

今日帰りは暗い道で転んだ、今度のライトは電池が切れやすいのである
自転車も危険である、慣れた道でも暗くなると危険なのである
それほどの怪我でないから助かった





2019年09月19日

里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本)


里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本) 

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今日は来ぬ女や雲に隠る月

里の月今日は隠れて人逢わず

盗るなかれ月は見ている畑かな

里の秋病に留守や三か月

昔なれ里の実りや松による

書のあまた灯火親しむ家古りぬ

蛙鳴く家や秋なれ家親し

月隠る家を離れじや母の霊

姉死して8年過ぎぬ秋彼岸

今年また遠くに行かじ秋燕

秋風や街の淋しく蝶一つ

明日食べる米なき女(ひと)や虫の声

秋風や貧になりゆく日本かな




月は最近雲に入ったり出たりして輝いている、昨日は満月だった
その女性は毎日来ていた、だいいち年金が4万とかであり最低なのである
10パーセントが5万以下であり10万以下が半分以上なのである
まず貯金がない人多いのに本当に驚く、老後に2000万用意しろというけど
それでもたりない、金の価値が下がったからである
高度成長時代はみんな貯金していた、それは利子が高かったからだ
今は銀行にあづけると利子をとられる、投資信託などをすすめられて大損だった

それだけ日本経済は低迷していてぬけだせない
というよりもうポルトガルとかスペインのように400年日本は衰退の道を歩んでいるという学者もいる
日本はもともとみんな貧乏だった、高度成長時代というのは短い期間でありそこは特別な時代だったことをふりかえる
日本は資源もない土地も狭いしとても豊かになれる国ではなかった

つまり高度成長時代というのは特別幸運がそうしたのである
日本の技術が優れているとかなかったのである、なぜなら今は韓国でも中国でも日本と同じ技術レベルになり中国だと日本より進んでいる時代となったからである
日本の高度成長時代は幸運だっただけなのである

老後は近くが大事になる、雲に隠れて見えなくなってもまた月が現れる
何か三か月も入院して留守にしている人がいると気がかりになる
親しいというわげてもないが近くだからそうなる
なぜそう思ったのか?
その人は妻を亡くしてもう10年くらい大きな家で一人暮らししていたからである
妻がいればその人を思わない、一人だから家に誰もいないから思ったというのも不思議である

何か独り身とか独り身を思うようになる、夫婦でいれば別である
老後は近くが大事になる、病気になっても近くにもし親しいかかりつけの医者がいれば安心だとか何でも近くが大事になる
遠くの親戚はあてにならないのである

とにかく一身上でもここ十年は変化しすぎた
家族みんな死んで姉が死んでから8年も過ぎた、それもあわただしいからあっというまだったのである
右田の松原も津波でなくなりそこに実りがあった、松と実りがあっていた
それもなくなった、凄まじい変化があった
まず人生では必ずこうした大きな変化にみまわれる
70年くらいで大きな変化が来る

今日は西風なのか秋風が吹いた、ようやく秋らしいとなる
youtubeで老後で失敗した人のことを言っていた
その人が住んだのは辺鄙な田舎だった、そこで新参者を受け付けない所だったのである
それで妻が鬱病になったとか病院に通うにも遠いとか畑で野菜を作ってもハクビシンとかなんかに食べられたかと言っていた
田舎は人間関係が本当にめんどうなのである
特に小さな村ではそうなる、でも田舎が住みにくいかと言えばそうして仲間がいれば何か安心するのである、住みやすいのである
それがないと住みにくくなり問題が起きる

なぜ老後に誤算が多いのか、失敗するのか?
それは時代が変わるからである、貯金して利子はつかない、何か事業してもうまくいかない、田舎に住んでもうまくいかない、要するに老人は適応力がないからそうなる 海外旅行でも若いうちにしていないと苦しむ
それも適応力がないからだったのである


縄文抽象画(abstract JYOMON culture)


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Jomon period

 縄文抽象画(abstract JYOMON culture)                 
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a road in the forest

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JYOMON CREST

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A JYOMON FLOWER   
                     

Japan is a forest country, 70% still covered with forest
The population of the Jomon period was 200000 people and the Jomon people lived in the forest
There was a dark world, there were people who lived on the beach, but lived mainly in the forest
What was nurtured there?
Since it was a dark world and asked for light, the eyes of the clay figure became larger
The Jomon period lasted 10,000 years in Japan
Even if the Jomon people are original Japanese, the substance is not clear

2019年09月18日

綿津見神社が相馬地方に多い謎の解明(2) (照葉樹林帯の南限の地だったから・・)


綿津見神社が相馬地方に多い謎の解明(2)

(照葉樹林帯の南限の地だったから・・)

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外来系と土器と称される喜納東海・北陸地方の土器、あるいはその影響受けた土器が関東や東北地方から発見されると政治社会体制の変革によって各地に古墳が出始めることは
極めて関連があって、場合によっては東北地方の古墳年代も関東地方の古墳年代とほとんど変化がないことがあるだろう
今や〈未開の地)(辺境の古墳)という意識では学問姿勢でぱ史実の古代史研究は進まないだろう 

東北における古墳文化の成立と展開)
大塚発重   

古墳時代の海洋民について 西川修一

豪族とは安曇族である
さて、新聞記事の中で西谷正氏は被葬者に関して
「この地域の有力者・宗像氏と並ぶ豪族」と指摘されています。

この地域の豪族って言ったら、安曇族ですよね。
新宮あたりを中心に、阿曇郷があったほどですし…。

Q その安曇族と宗像氏の関係は?
A 両族は共存共栄していました。

その証しとして、荒雄の遭難事件が今でも志賀島では語り継がれています。

荒雄らを 来むか来じかと 飯盛りて 門に出て立ち 待てど来まさじ 
ほか九首                           <山上憶良>
(略)
荒雄の遭難事件は、官から対馬向けの食糧の運搬を請負った宗像部津麿が老齢を理由に志賀村の荒雄に交替を頼んだことに端を発する。荒雄は現在の長崎の五島から対馬に向け出航したのであるが、途中嵐にあって遭難、帰らぬ人となったのである。

四世紀の初頭、「邪馬台国」の東遷によって、それまで河内、大和にわだかまっていた物部氏族の一派が、近江を経て東海地方に東進を余儀なくさせられたのではないかということです。物部氏の一部は、おそらくナガスネヒコに代表される蝦夷と共に東を目指したと考えられるのです。 

大和王権が成立する前に物部氏とかが大きな勢力でありその物部氏がナガスネヒコと結び大和王権と対立した、蝦夷とは物部氏とかまた海洋民の安曇族とかでも古い氏族でありそれが東北地方に居住していた
そこに渡来人も混じっていた、伽耶の国のカヤ族もいた、そういう様々な人たちの連合体が蝦夷だったのである
だから大和王権にとって強敵となったのである

ただ相馬地方では物部氏の伝承があるにても明確ではない、物部氏系の神社もわからない、わかっているのはとにかく綿津見神社と山祇(山津見)神社がやたら多いのである
となると明らかに相馬地方は安曇族とかの海洋民がやってきた開いた土地だとなる、これだけ綿津見神社が多いことが証拠なのである
桜井古墳はその海洋民と関係しているのか?東海地方と似た様式であるとか東海地方と同じものが何か遺物として発見されたとかあり東海地方に特に静岡県に安曇氏の痕跡を多く残しているからその辺から移住した
ただ船といっても当時の船は遠洋航海は無理だとしても航海民は海を通じて海岸線にネットワークを持ちやすいのである
今でも船は他の港を利用しているし人間として関係を築いている、ネットワークがある
遠くでも港を利用するから関係が生まれる、つまり海というのは航海する道であり港は一時的に休憩する場となりやすいのである

それでいわき市から途中に港がありそこを経由して移動することは可能である
それよりネットワークが生まれるというときその港々に住みついているからその住みついた人の援護があり新しく安曇族でも一族として連帯があり案内もされるから海岸線に広がったとなる
その基は九州にあったが何らか東北地方に移動せざるをえない状況が生まれたのかもしれない、物部氏は仏教派の蘇我氏と争ったりして東北地方に逃れた、物部氏が一時は日本を支配していたと言われるからその痕跡を日本全国に残している
ただ物部氏系の神社は残っていてもわからない、綿津見神社と山津見神社は飯館まで残っている
山津見とあっても山の神社とは限らない、飯館村には綿津見神社もあるからだ、これは対になった安曇族などの神社なのである

安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し(古代難波の入り江に、阿曇江(あずみのえ、または、あどのえ)との地名があったと続日本紀に記録される)、更に三河国の渥美郡(渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。この他に「志賀」や「滋賀」を志賀島由来の地名として、安曇族との関連を指摘する説がある

渥美半島は知られている、それは安曇族が定住した場所だからその名がついた、宗像(むなかた)も出雲から逃れて来たタケミナカタだとされている、出雲で国譲りして東北に逃れて来た、東北のズーズー弁と似ているというとき同じ系統だったのかとなる
相馬地方に綿津見神社がこれだけあるということは安曇族など海洋民がここに移住して飯館村の山の中に入り住みついた
海洋民は船の操作にたけていただけでなく様々な技術を要していた
だから農耕にも従事で来たとなる、佐須は焼畑地名であり焼畑を行ったのも海洋民であり安曇族だったのかとなる
縄文人は焼畑をしていないからである、そうした技術がもっていなかったからである
これは重要である、焼畑、鉄の生産とか農耕から航海術とかは海洋民によってもたらされたものなのである

一方、耕地利用率の低い焼畑農耕は耕作適地の不足をもたらす。そこで、この水辺民集団は組織的な植民活動を思いついて行動計画を作った。今からおよそ一万三千年前にその計画は実行に移され、突出した二つの技術、すなわち焼畑農耕技術と製鉄技術を独占する植民集団が、ランナ型植民方式による東進を!   

宮崎氏は南部朝鮮と北部九州を往来していた漁労民は海人族である穂積・安積(阿曇)であるとしている。半農半漁からその一部が水稲栽培に専門化した海人族は、未開拓だった海岸線のデルタをほとんど利用しつくし、しだいに川をさかのぼり、耕作可能な地を求めて日本全土に散っていった。その歴史は、穂積・安積(阿曇)の全国的散らばり方や、諏訪湖畔までさかのぼっていった実例が物語っている。

稲作伝播以前の日本は、文化的にはマレー・ポリネシア文化圏とつながっていたのです。イネが伝播する以前から日本では焼畑農業を行なっていましたが、そこで重要な作物だったのは里芋(タロイモ)と山芋(ヤムイモ)だったはずです。
 タロイモもヤムイモも、その栽培種は東南アジアが原産のものです。東南アジアの熱帯林に入ると、野生のタロイモやヤムイモを見ることができます。稲作開始以前の日本の農業文化は、マレー・ポリネシア地域の作物と農業技術が伝わって形成されたものと思われます。
 ちなみにマレー・ポリネシアの文化圏では、ヤムイモのことを共通して「ウベ」とか「ウビ」などと呼んでいます。日本語の「イモ」という単語は、「ウベ」が「ウモ」になまって伝わり、さらにそれが「イモ」に変化したものと思われます

具体的には、根栽類の水さらし利用、絹、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆など発酵食品の利用、鵜飼い、漆器製作、歌垣、お歯黒、入れ墨、家屋の構造、服飾などが照葉樹林文化圏の特徴として挙げられる。照葉樹林文化論を肉付けする形で稲作文化や畑作文化なども考証されている。

日本の文化は照葉樹林帯から入ってきた人たちがいた、その人たちと密接な共通性がある、だから言葉でもそういう人達が住んだ地域と深く関係して伝えられた、朝鮮半島に榊(さかき)とか樒(しきみ)とかが生えていない、寒い地域だからオンドルが生れた
そして魚がいても魚をとることができないからと倭人が魚をとることを生業としているからわざわざ韓国で招いて魚をとらせたという記録がある、韓国は遊牧民系であり照葉樹林帯の文化とは根本的に相違しているのである 、今でも海苔を韓国で作っているがもともとその技術はない、日本からまねたものなのである、そして韓国由来のものより日本由来のものが多い、韓国の伽耶地域にある前方後円墳は日本由来なのである、ということは逆に伽耶地域は日本府の任那があったように日本の支店のような地域だったのである
確かに一部には製鉄技術者などが入ってきたとしてもそれにまつわる神社があるにしても相馬地方だとむしろ安曇族系の綿津見神社が圧倒的に多いのである、だからここに注目せざるをえないのである、
そしてなぜ相馬地域に綿津見神社が多いのか?それはここが照葉樹林帯の南限の地だったからだろう
車輪梅(マルハシャリンバイ)が自生していた、それは奄美大島に見られるものだったからである
原町の多珂神社のすぐ近くにスダシイがあり神社があるのもそうである、南方系の植生の南限の地だったからだともなる

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列島東部における古墳時代の海洋民文化の重層性

この図のように海洋民というときそれは漁業だけではな、鉄の生産にかかわったり、農耕にもかかわる一集団でありそれらの集団が大挙この辺に入って住みついたとしか思えないのである、その証拠が綿津見神社や山津見神社が多いからである
その神社があるのは先祖を祀るから多いのである
そして海を渡り海からやってきたのだから海岸に上陸するから海岸が重要な場所となる
それで海岸沿いにある古墳は安曇族のものかもしれない、それは海から見える目印となるからである
そして当時の海は海が深く入りこんでいた、今回の津波でわかったように相当に陸地の奥まで海だったのである
するとその海が生活の糧となる、魚や貝類を食べる、鹿島区の桜田山の下では魚の骨とか鹿の骨が発見されている
江垂とは海が迫っていた場所だったことがこれも津波で明らかにされたのである

横手古墳群でもそこに縄文時代や弥生時代の遺跡が密集していた、つまりもともと縄文人や弥生人が住んでその上に安曇族とか渡来人が来て住みついた場所だったとなる、そこは海が相当に入り込んでいた場所であり海岸でもあった
鹿島区にはまた本当に古墳が多いのである、古墳の町なのである、桜井古墳は大きいのはやはりそこで大きな集団をまとめるものがあった、それがどういう集団だったのか?海洋民の安曇族と物部氏だったとなる
二つの石棺はその首長となるものが和合するものとして桜井古墳が作られたともなる
大田神社のある奥の多珂神社は多賀神社とは違う系統でありヤマトタケルが東征した伝説のタケミナトである
それは安曇族の海洋民がベースとなって作られていたのである  

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鹿島区で前方後円墳は二つしかないというとき一つは金銅双魚佩が出た寺内でありもう一つは塩アの船着にあった
ここは重要な場所だったのである、交易がおこなわれた市庭という地名もあるからだ
この船着のすぐ近くまで鉄道のトンネルをくぐり津浪が来ていたのである
ただ前方後円墳のある正確な地点はわからないが近くにあったことは間違いないのである  

なぜ日本が最初海洋民が入ってきたのは

森林深く道路は禽鹿の道のごとし(魏志倭人伝)

こういう状態でありすると海が交通にはいいのである、確かに海は危険なのだけど海岸線には入江が多い、だから湊がありそこから内陸部に入ってくる、だからなぜ鹿島区の塩崎に船着がありそこまで船が通っていたのか?
それは頻繁に通っていたのである、なぜなら曽我舟という大内の地名は船が遡ってゆくという地名だったからである
その船はどこから来たかとなると鉄を生産していた今の東北電力がある場所なのである
すると余りにも近いとなるが近くても日本は道がない、うっそうとした森に覆われていた
それから海岸は湿地帯である、すると船が交通には便利なのである
それで泉官衙跡まで新田川があるのに運河を作っていた、それも今なら短い距離なのである
でも湿地帯になっているから船で行くほかないのである
だから日本は原始の状態だと山あり森ありで通行しにくい、閉ざされた世界になってしまう
森というけどそこは鬱蒼とした森であり真っ暗な闇だったのである
そこに縄文人が住んでいた、でも縄文人は海岸にも住んでいた、魚や貝がとれたからである
そこは森とは違って明るい場所だったのである

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遮光土器の謎は目が大きいのだから大きな目をして見ようとすることだったかもしれない他に目が大きくしたものが中国でも残っている
目はやはり人間の中心なのである、目に力がないものは目を直視できないものは心も直視できない、汚れているとなる
そしてうっそうとした暗い森では余計に大きな目をもって見ようとするからそれで目が大きくなったともとれる
ただそれは森の中である、海岸だと海が見えて見晴らしがいいからそういうことがないともみる
でも大きな目はやはり原始的人間が自然でも見ようとする、見ることが大事だから目が大きくなった

いづれにしろ古墳時代は福島県から宮城県辺りまで巨大化した、数も多い
古墳時代は弥生時代であり稲作も行われたから東北が今までの辺境だという観念は見直すべきだというのはわかる

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相馬市史3(民俗編)

富岡でも綿津見神社が四八社とかあるとか港は船を通じて遠くでも人を結ぶ
相州浦賀は横浜であり伊豆の伊東であり久慈浜とも関係していたことでもわかる

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みちのくの真野の草原(かやはら)は気候の境界線

(照葉樹林の南限の地点)

2019年09月17日

綿津見神社が相馬地方に多い謎の解明(1) (海洋民族のネットワークができていて海岸沿いを渡り移住した)


綿津見神社が相馬地方に多い謎の解明(1)

(海洋民族のネットワークができていて海岸沿いを渡り移住した)

●ポリネシアの海洋民が安曇族のルーツか?
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水辺の古代史(小野寺公)より引用

陸奥(むつ)は古代ポリネシア語で陸地、岬、端をさす
これはマオリ族の言葉ででも同様で終点を示すという
むっは東北訛りで奈良朝にひどい訛りが移っていたことになる

安田徳太郎は安曇(アヅミ)族についてサンタル族から航海術を学んでチベットやベンガル地方と交易したモン族がこれにあたると説いている
彼らの日本列島進出は紀元前二世紀頃という
二世紀の朝鮮の書に「韓海に魚多ければトル術なく倭人は網漁を良くすると聞き二千戸を招きこれをとらしむ」とある

綿津見族を始めとする南方族は瀬戸内海から難波に入り拠点を作り黒潮沿岸沿いの椀に定着して鹿島、香取、住吉、宗像、
墨江 安波大杉などの神々を祀ったと言われる

大田地名に見られる特徴として第一に渡来人が関係が深い

第二に国内の主要通路に位置する

第3に背景に鉱山をひかえているのが多い

記紀の伝承で三輪氏や加茂氏の始祖とされく大田根子は彼らを統括する立場にあったと言われる

古事記では鹿島神宮の祭神タケミカズチミコトの子が意富多多泥古(オオタタネコ)とされている、それは多(おう)氏の始祖である

徳川政次郎教授は安曇族と隼人族は同族で(安曇隼人族は中国中南部の民族で紀元前二世紀頃、いわゆるトカラ馬やトカラ豚を携え、黒潮にのって日本に来た
鵜飼いは中国中南部に上陸したのが隼人族であり北部に上陸したのが安曇族である
日本古代に朝廷に仕えた猪甘部は豚を飼っていた人民であり鵜養部は鵜飼いをして朝廷に仕えた

◎先祖たちが海のかなたからやってきたという神話伝承をもつ
◎流し鄙灯篭流しを思わせる〈船葬)の民族儀礼をもつ
◎韓国済州島経由で伝播したと思われる南方海人系の石像文化が見られる

 飛鳥にある石像は南方系由来なのか、済州島にあるから経由してきたとなる

 船葬というとき真野の古墳に石棺に船型のものがあったが船に乗って遠くに去る考えた古代の観念だろう
(本邦祠の研究ー岩崎敏夫)  

 新地村の大戸浜の安波の現在の祭神は綿津見の神である

 安波というのも海洋民に由来したものであり綿津見と関係している、もともとは安曇族などと関係していてそれが祭りになった

 太田というのはまぎらわしいが大きい田ではない、多(おう)氏のことでありそこから太田となった、だからそこはもともと相馬氏が入って来た時古い場所だったのである,多(おう)氏はいわき市に勢力をもった大豪族であった、それは天皇とも関係していたのである

●古事記の国産み神話は安曇族とか海洋民族に由来している

日本武尊は上総かみつふさより転じて、陸奥国みちのくにに入られた。そのとき、大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(あしのうら)を廻り、玉浦を横切って蝦夷(えみし)の支配地に入られた。蝦夷の首領島津神(しまつかみ)国津神くにつかみたちが、竹水門(たけのみなと)に集まって防ごうとしていた。しかし、遥かに王船を見て、その威勢に恐れて、心中勝てそうにないと思って、すべての弓矢を捨てて、仰ぎ拝んで、「君のお顔を拝見すると、人よりすぐれておられます。きっと神でありましょう。お名前を承りたいのですが」と申し上げた。皇子はお答えになって、「われは現人神(あらひとがみ)(天皇)の皇子である」と言われた。蝦夷らはすっかり畏かしこまって、着物をつまみあげ、波をかきわけて、王船を助けて岸に着けた。そして、自ら両手を後に縛って降伏した。そこで、日本武尊は、その罪を許された。こうして、その首領を俘とりことして、手下にされた。蝦夷を平らげられ、日高見国(ひたかみのくに)から帰り、常陸ひたちを経て、甲斐国(かいのくに)に至り、酒折宮さかおりのみや(甲府市酒折)においでになった。

竹水門(たけみなと)とは原町なのかもしれない、そこに多珂神社がありタケはタカなのかもしれない、そしてこの伝承の背景となったのは安曇族とかの海洋民が大量に移住したことが下敷きになっいている
それも前二世紀とかなると古いのである、日本列島には最初縄文人が住んだとしてその後に様々な民族が海を渡ってきて住みついたのである
だから日本語のルーツはポリネシアとかにもあるし中国にもあるし韓国にもある
ただそれが解き明かすことができないのは様々な民族が混交してしまったからだと思う
するとどうしても複雑に民族の言葉がまじりあい一つのルーツでないからわからなくなったのである

陸奥(ムツ)という言葉がポリネシア語として奈良朝廷に伝わったというときもそうである、奈良朝廷ではそこを陸奥(ムツ)として地名として意識したのである
身体語が頭とか鼻とか手とか足とかがポリネシア語に由来するとしたらその後の社会を表す語は中国系統とか韓国系統とかになるのもわかる
村とかは韓国語系統だとするとき後から韓国系統が日本列島に入って来たとなるからだ

原ポリネシア語を基幹祖語とする縄文語の上に古代朝鮮語またはアルタイ語系統の言語がかぶさって成立したと思われる弥生語または古代日本語で育ち、古代朝鮮語はある程度理解し、中国語および漢字文化に精通はしていたが、原ポリネシア語はほとんど理解することができなかった世代でしょう
   
ポリネシア語で解く日本語

何かポリネシア語説はアイヌ説より説得力がある感じにもなる、アイヌ語説は何かおしつけが多い、信用できないのである
アイヌ民族自体が謎でありそれほど古い民族でもない、新しい民族だとも見れるからである

それでそもそも日本では安曇族とか隼人族が九州に移住して魚をとっていた、その技術があった、それで韓国ではそれで魚がいるけどとれないとして招いたのである
そのことからもわかるように日本に渡ってきて漁労民となった安曇族とか隼人族がいて
その人たちが海洋民であり船を操作する技術をもっていたからそうなったとなる
韓国は遊牧民系統であり船を操作できなかったのである 
日本とはそもそも漁労民族が住みつくのに適していたから海洋民族が渡って住みついたとなる
それで古事記の国造りの神話も極めて海洋民族の国造りになっている  

イザナキ神とイザナミ神の男女二神に
「この漂っている国をつくり固めよ」と命じて、
天の沼矛(ぬほこ)を授けて、
国づくりをお任せになりました。

イザナキ神とイザナミ神は、
天の浮橋という空に浮かんだ橋に立って、
その沼矛を指し下ろしてかきまわしました。

潮をかき鳴らして、引き上げた時、
その矛からしたたり落ちた潮が
積もり重なって島になりました。
この島をオノゴロ島*1と言います。

初めに生んだのが淡路島、
次に生んだのが四国、
三番目に生んだのが隠岐。
そして九州、壱岐、対馬、佐渡と生み、
ついに本州を生みました。
この八つの島を大八島国といいます 

こういう神話は海洋民族のポリネシアとかに由来することは確かである、島があるのは島を中継点として船で移住したということになるからだ

日本列島は今でもそうだが森が多い、そして海に囲まれているから湿地帯が多い、これが日本列島の風土の地理の特徴なのである
津浪で一時海が深く奥まで入り込んで湿地帯化した、それは釧路湿原と同じようになったのである
日本の海岸線は太古は釧路湿原のようになっていたのである
そして砂州が磯部の方にできていてそこに人が密集して住むようになったが津波で壊滅したのである 

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釧路湿原と同じく砂丘できたのが磯部だった














2019年09月16日

神和(かんなぎ)神から荒ぶる神と化した海 (津波は神の祟りなのかー海への祭りが消失していた)


神和(かんなぎ)神から荒ぶる神と化した海

(津波は神の祟りなのかー海への祭りが消失していた)

●古来の祭りの消失がまねいた災厄

その起源は古神道などの日本の民間信仰にもあり、古くは神和ぎ(かんなぎ)といい「そこに宿る魂や命が、荒ぶる神にならぬよう」にと祈ることであり

「政り」については、日本は古代からの信仰や社会である、いわゆる古神道おいて、祭祀を司る者(まつり)と政治を司る者(まつり)は、同じ意味であり


相馬市史がインタ−ネット上にあった、これは有益である
そこに相馬地方の漁業のことが出ている
人間と自然とのかかわりは祭りとしてあった
また祀りは死者と交わる祀りでもあった、その二つが混交してあった
そして祭りは政り事であり政治だった
天皇とは日本の祭を担う祭祀を司る祭司だったのである
今ではもそれは継続されている、これだけ自然災害が多いから自然を和らげる神和(かんなぎ)を祈らなければならない、また戦没者の霊でもなだめねばならない

だから政治とはこうした祭りと分離されたがそれでこの世の中がすべてうまくいったのかとならなかった
戦争の場合は祭政一致となり天皇が神となり御真影とかなり戦争に利用された
天皇はまた軍神として祭り上げられてきた歴史も日本だったのである
それで南北朝時代は天皇が二人になり国の隅々まで二分されて争うことになったのである
おそらくしかし日本の天皇はもともと自然と関係してまつりごとを行う司祭だったのである、それはこれだけの災害がある日本だから当然だとなる
日本には本当に防災省が必要なのである

例えばなぜ津波の災害がもたらされたのか?これほど恐ろしい災いがもたらされたのか?それを考える時科学的に津波が来るものでありそれは神の祟りとかではないとなる
でもその災害があまりにも大きくその被害もこれだけ大きいと何か理性的に見れなくなるあらゆることを科学的解き明かしそれで納得するのが現代である
科学万能主義に陥っているのが現代である、それに逆らうものは科学を否定するものは現代人ではないとなる
だから祭りは消失したのである、日本では祭の数が多い、それだけ日本は自然に対する対処の仕方が違っていた、自然に対する畏敬が強い国だったのである

ただ世界的にも祭りが多い、その祭りは犠牲という言葉が牛であり牛を殺す動物を殺して神に捧げることが祭りとなる、豚を殺したり羊を殺すことが祭りでありそれが宗教の起源になる
つまり外国の場合は人間の代わりに動物を殺して犠牲にして神の許しをこうていたのである
だからその動物を殺される血を流すことを見ているから悪いことをしたとき罪の意識が深くなるのである、俺のために代わりに動物が血を流して死んだとなるからそうなる
それが植物になると野菜とかなるとそうした強い罪の意識は感じないのである
なぜかそうしてカインは野菜をささげて呪われたのである、動物をささげたアベルは神に喜ばれたのである
外国では神という時、万物が神なのではなく一神教的な神である
それは人格を持っている神でもあるから人間に近いとなる

ただそういう相違があるにしろ神へに対する畏れをもっていたことは共通している
科学時代にならない前は異常なほどそうして自然を畏れた結果として祭りが多かったのである、それが科学時代になったときそうした自然は科学で解き明かせるものとして科学信仰にまでなった、そして祭りは消えたとなる
ところがこうした民俗学的なものは科学からみると一段劣ったものであり祭りは継承されたとしても昔のように真剣に祈ったりしない
漁場だって今は機械で探したり海からの航行の目印となった山でも今は機械で地図を見ているから頼りにしていない、機械万能となっているから祭りは現実には漁師であれみんな真剣に祈るということはないのである

●科学を万能として神とする危険

ただなぜ津波が起こり原発事故が起きたのか?
その原因を追及してきたがそれがすべて科学として解明できない
むしろ人間は自然と折り合うとき祭りが生じたがそれがなくなった
それが何か災いをもたたらしたのだともみるようになった
例えば動物でも殺して食べる時どうしても何か神に祈り食べることを許してくださいとかなる、心情的にそうしないと食べられない、その命はやはり神から与えらたものでありそれで許しをこうのである 

今はそういうことはない、まるで物のように動物でも扱われなる、それが象徴されているのは鶏が工場で生産されるようになって鶏は卵を産む機械にされていることでもわかる
それで確かに玉子は安くなったのだがそこに経済合理性とかばかり追求していると何か神を冒涜しているということで人間に跳ね返ってくる怖さがある
つまり鶏でも動物でもそういうふうに扱うことは人間もそう扱われようになる
それがナチスとかの大量殺りくであり現代文明はなぜこれほど大量に人間が殺戮された時代なのか?
それは文明自体がもう人間は工場で大量生産する奴隷にロボットにされていると同じだったからだともなる
自然と文明とかかわるものはない、自然はただ材料であり森でもなんでもそこに祭りもなにもなく介入してゆく、それが機械が巨大化しているから容易に森も破壊されてゆく
そうしてグロ−バル経済になると世界の自然がブルドザーのように遠慮もなく容赦なく自然に入り込んで破壊するのである
もし森に神が住んでいるからとか畏れるとしたらそうはならない

まず文明は自然を畏れない、畏れるのは給料をもらえなくなることである
その給料を握っているのは多国籍大企業だとかなるのである
だからその命令の方が怖いのである
でももともと小規模で村単位とかで自然と関わっていたときは自然を畏れ敬っていた
それはどこでも同じだったのである

そもそもなぜ漁師が原発に東電に漁業権を売り渡したのか?
それは漁業では金にならないというのもわかる
跡継ぎいないとかもわかる、それは農業でも同じである
でもよくよく考えると海は漁師のものだ、漁業組合のものだというときだから東電に漁業権を売ってもいいとかならないだろう
経済的にはそれで事故前も多額の補償金をもらん原発御殿を建て事故後も継続的に補償されるから同じように立派な家を真っ先に建てた
これは何なのだろうと今になると思う

それは結局科学万能時代となり科学者が神のようになったからではないか?
科学者は神官であり原発は神なのである、だから海までその神殿なる原発に捧げて神官に従い漁業権を売り渡したのである
現代は漁師だけではない、科学万能社会であり科学者が神官であれ聖職者なのである
だから自然を畏れた祭りはただ形式的に継続されているだけでありそこに命は通っていないのである

原発事故は神を自然を畏れない祭りが消失したから起きた

そうも言えるのである、祭りは実利に合わないものだとなり軽んじられてきた
それをしていても豊漁とは関係ない、機械で漁場を探すことの方が重んじられてきたのである、そういう科学万能主義になったとき原発でも金になるからいいものだとなったのである、だが原発は科学は何か神への自然への畏れを欠くものを内在していたからこそ火を盗んだプロメテウスの神話が生まれたのである
結局エネルギーとは神から盗むものだったのである
火もそうだったし武田邦彦氏が言うように水力発電もそうだしソーラーパネルも風力発電も自然エネルギーだというけど違っていた
必ず神からエネルギーを盗んでいるから自然ではありえないのである
そこに必ず自然を破壊する作用がある、風力発電でも自然の風を奪うから辺りに何か自然の破壊がある、それは詳しく知りたければ調べられる
科学技術には必ず自然を破壊するものでありその業(カルマ)から逃れることができないそこで今回のような大災害の事故が起きたのである  

●グロ−バル経済の危険、国々の風土や歴史文化を無視するから

その他グロ−バル経済が危険だとして警告されるのは一見いいように見える
でも人間の生業はもともと自然と深く結びついて行われてきた長い歴史がある
その国の自然と深く結びついて行われてきたのである
だから風土から離れて技術もありえないのである
中東の砂漠では風が吹いているから風車が発明されたとか日本だと山が多いからトンネル技術が発達したとかある
それで今回の原発事故でアメリカの指導のもとに原発を導入したことが致命傷になったのである
なぜなら日本には日本の風土がありそれで古来から成り立つものがあったからである

アメリカでは竜巻があるから電源を地下に置いた、それで日本がでもアメリカの指示なのか地下に置いて津波で使えなくなった
高台に原発を作る予定がそれをわざわざ削って低くして津波の被害にあった

アメリカでは竜巻を重視した

日本では地震と津波を重視して造るべきだった

つまり外国と風土も歴史も違うのだから同じにしてはならないのである
数学の公式のようには世界はならないのである
だから風土とか地理があって国々がありその国に適した国造りが望まれる
グロ−バル経済の問題はその国々の風土とか文化を無視するから問題なのである

民俗学だと例えばクジラをとる漁民が海岸にいる、でもクジラをとれたとき山の民にそのクジラをもって祭リをしてもらう、山の民はクジラを食べることができる
海岸に住む者と山に住む者がそこで和合する
それもまた祭りなのである、グロ−バル経済ではそういうことは無視される
経済の前にそういう祭りがあったのである、人と人を結びつけるものがクジラを通じてあった、それは今の経済原理とは違っている
まず風土があり人がありそれを結びつけるものとてしクジラがあった
そのクジラにしても海からとれるのだから漁師は海へ祈りクジラをとっていた
それでクジラが大型船でとられるようになったときそれも破壊された
それがグロ−バル化した大企業のやり方なのである
そうして海から今度はクジラがいなくなるということにまでなり保護しなければならないとかなったのである

グロ−バル経済も国々の風土や歴史や文化を破壊するから問題なのである
もちろん国々の貿易を全部否定はできない、双方利するものがある
でもその国々の自然とか風土とか文化を無視して経済合理性だけを追求するグロ−バル化は危険なのである
ただそこでもうかればいいとか金があればいいとかが危険になる
現実に漁業権を東電に売り渡した漁業組合のことをみてもわかる
つまり海でも森でも大地でも川でも多国籍大企業に売り渡されてしまうということであるアマゾンが火事になって危機になってるのもそうである
地球の自然が文明によって破壊されてゆくのは世界共通なのである 

●アマゾン火災も人間の業から起きた、焼畑も農業も自然を破壊してきた

アマゾンでは、木材用に加えて、大豆畑や牛の放牧地を作るために、大量の木が伐採されている。手っ取り早く開拓するために、森を焼き払うことも少なくない。アマゾンの森林火災は、大半がこのように人間が火をつけ、その後制御不能に陥ったものなのだ。

アマゾン森林火災、原因は「過剰な伐採」と専門家

「ボルソナロは嫌いだけど、森林だけあってどうやって暮らせばいいんだ」と話す。ボルソナロと対立する左派政党を支持する彼女にとっても、経済活動を犠牲にして環境のために森林を守れという思想は受け入れられないものだ。

ボルソナロは「アマゾンには2000万人のブラジル人が住んでおり、彼らが発展できる機会を与えられなければならない」とも述べ、アマゾン開発を諦めたわけではないというメッセージを送った

アマゾン森林火災、くすぶる先進国への不信 現地ルポ

人間の業は自然を破壊しなければ生きていけないことである、エネルギーでも自然から神から奪わねば生きていけないことである
それが業(カルマ)でありそれで災いを逃れられないのである
つまりそれによってアマゾン火事でもわかるように焼畑自体が自然破壊だったのであり農業自体が自然破壊にもつながっていた
アマゾンという大森林が農地化されればそうなる
日本だって平地すら森がおおていたりしていたからである、そこが農地になったからである
そこで暮らす人にとっては世界でアマゾンを保護しろといっても通じないのである

人間が生きてゆく方が先決だ

こうなるから自然は破壊される、でもそのことが世界全体にもはねかえる、二酸化炭素が増えるとかあれだけ広大だから地球にも影響するのである、でも人間が増えてそこに住むとすればアマゾンでも破壊されるのである
そういうジレンマに陥っているのが人間である

人間は人間の業(カルマ)の故に滅びる、業とは職業の業でありあらゆる職業が業(カルマ)となっている
なぜあらゆる職業自体が業となりカルマとなって害を及ぼすのか?
それはまず金になることを優先される、そして金になればいいとしか今はない
何か自然と折り合う祈る祭りなど関係ないのである、それで漁師でも漁業権でも売り渡すし金にならないものは無駄だとなる
でもその無駄な無用なものに実は大きな効用がある、第一空気など最大に無駄なものであり金にならない
でもその無駄な空気が汚されたら原発事故のこの辺のように住めなくなるのである

ただ矛盾なのはアマゾンがあったとしてもその周辺で生活しようとするとなると森を切って畑地とか牧場にせざるをえないのである
そういう矛盾がありこの辺だって原発が金になるからいい、自然は金にならない、そのままにしていても金にならないとなる
そうして漁業権でも売り渡されるた、そして空気も水も土も森林も汚染されて住めなくなったのである
でも日本でももともとアマゾンのような森林におおわれていて縄文人が住んでいたのである
それが開墾されて田畑にして今日がある、だからアマゾンでもそうなることが悪いのかともなる
ただグロ−バル化したから先進国がそう言う、それならそこに住む2000万人の生活をなんとかしてくれともなるのである
結局森はエジプト時代でもレバノンにあったレバノン杉でもなくなるように消える運命にあるのかともなる
エジプトでも砂漠になっているけど森林があったからこそ神殿の柱はその木を象ったものだとなる
ドイツの森でもそうである、樅の木が黒い森が覆っていた、それでゴシックの大聖堂は森を模したものだとなる
自然破壊が人間の歴史でありそれによって文明化したのだからその業をやめることができないのが人間なのである 

このことは武田邦彦氏も言っている、フランスの製薬会社が薬になるのが原始林にあるからそれをとるためにアマゾンを保存すべきであり環境保護団体も金のために動いている、つまり文明が発展してゆけば文明の恩恵を受けるためには人間は必然的に自然を破壊せざるをえないのである
それが人間の歴史だったのである、それでブラジルの大統領もヨ−ロッパ人がアメリカがアマゾンを保護しろというのは勝手だとなる現実にアメリカでも森林におおわれていて木材を売ることが最初の仕事だったということでもわかる
それが一面のトウモロコシ畑だとか旅行鳩が食料に大量に殺されて絶滅したとか自然を破壊してきたのである
そういうことをしてきて豊かになった人たちがブラジルにはするなということは勝手だとなる

結局どこでも自然は人間がいる限り破壊し続けられる、インドでもそうだし中国でもそうなった
人間がどんな生物よりも獰猛なのである、機械を使うからたちまち自然は今や破壊される
機械がない時代は破壊のスピードが遅かった、今はまたたくまに破壊される、ブルドーザーが森の精霊だろうがなんだろうが神々でも無視して破壊してゆくのである
だからそれだけの科学技術の力を持った人間が怖いのである
どこでも自然は森でも破壊されたがそのスピードは数百年とかかる、今ではもう10年くらいで森林はなくなる
北海道でも開墾するのに道具がないから容易ではなかった      

100年でできることが1年ででできる

中国でも鉄道でも家畜のように人間が詰め込まれていたのがまたたくまに新幹線になった、そのスピードがグローバル経済では早いのである、千年かかることが10年とかに短縮されるのも怖い
アマゾンだってもう10年くらいで全部なくなることもありえるのである、放置していればそうなる
つまりそれが地球全体でどうなるるのか?地球の限界が急速にきて破綻状態になるということである
千年で消費するものを10年で消費したらそうなるのである

現代の問題は圧倒的な力をもった人間が自然に介入してくるからみるみるうちに自然は消失するのである
確かにヨ−ロッパでもアメリカでもどこでもそうして豊かな生活を築いてきたのだからそんなこと言えるのかとなる
それがわかるにしても現代文明の問題は余りにも科学技術の力が大きいから問題なのである
原発事故でも結果的に空気から土から水から森から汚染されて住めなくなったからである
そこまでの自然の破壊は科学技術文明がこれほど発達しなければ起きないのである
それでそれを容認するのは危険なことになってゆく、ブラジルの言い分があっても今度はブラジル全体に何か災いが及んでくるかもしれないのである、それはアマゾンがどういうものか本当に理解できないからである
自然というのは実際は人間にとってすべてわかったわけではない、未知の部分があるから思わぬ方向に展開することが怖いのである
科学技術は未来に何かわからないが大きな災厄をもたらす危険が原発のようにあるから怖いのである




これがただ一尾の魚を尊敬するかせぬかによってさういう恐ろしい結果を生じたざとつ伝えるのは考えて見れば不思議なことである。

漁業者が一尾の魚を尊敬するなど今は全くないだろう。一尾ばかりとったってなになるのだ。大量にとらなければ商売にならないとか常になっている。そして漁業では金にならない、だから跡継ぎもできない、これは農業でもそうである。一粒の米に感謝していた昔とは大違いである。

民間の津波の伝承の語るもの (津波はやはり天罰だったのか?)

この伝説はわかりにくいにしてもやはり一匹の魚を言うことを大事にするかしないか、そういうことがこの背景にあるのかもしれないもの言う魚ということは一匹の魚が津波を警告していたのである
今でも科学がこれだけ発達しても津浪を知らせることができない、とすると自然の中に前兆となるものがあるからそれを無視してはいけないとなる、一匹の魚を軽んじてはいけないともなる
   








posted by 老鶯 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

千葉県の館山とかは風が強い場所だった (日本は災害が多いからその場所の特性を知るべき)


千葉県の館山とかは風が強い場所だった

(日本は災害が多いからその場所の特性を知るべき)

海にぐるっと囲まれた館山・南房総は「風」が生活と深く結びついています。
例えば洗濯。
私の家は海まで徒歩10分ほどの場所にあるのですが
天気予報は太陽が出るか出ないかの他に、風予報もチェックしなくてはいけません。
晴れていても風が強くて外に干せない日が頻繁にあり、
夏は海風だと乾きが良くないため風向きも気にしたり。
冬は西風が強く、夏の台風時期じゃなくても風がうるさくて眠れない日があります。

テレビの天気予報の特集で見たのですが、強風のトップ3は
羽田・千葉・銚子でした。順番はちょっとわすれました。
羽田と千葉は赤城おろしで銚子は筑波おろしだそうです。
かなり離れているのに影響があるんですね。ビックリしました。
私は千葉在住ですが、本当に風が強いです。

浜金谷はもともと倉波という村名をもっいたが、この大鏡鉄の発見により金谷村になったそこには大鏡鉄がこの地域に与えた衝撃の大きさをみることができる
大鏡鉄が「地獄の釜」を封じ込める「釜の蓋」だという根強い信仰においても
真里谷氏や金谷集団といった過去の人々に対する鎮魂の意味がこめられている

金谷神社大鏡鉄の由来について(井上孝夫)

館山に行ったとき強風だった、そこの岬の国民宿舎に泊まった
風がぼうぼう吹いていたがそこにやっと泊まれた
それで今回台風の被害にあったということでその時のことを思い出した
ここはそもそも風が強く吹く場所だったのである

何かニュースで災害のことなど報告されるとその土地をイメージする
でもそこに一回も行ったことがないと土地勘がないからイメージできない
例えば日高線とかあるがそこも高波で線路が破壊されて復旧していない
そこは様似(さまに)という所が終点であり何かもう廃線になるような線だった
そこに行ったのは様似は低い山がありそこが高山植物の宝庫になっていたからである
でもその終点の駅では酔っ払いが寝ていたというのがあってもう廃線になるような線だった、そういうのが北海道には多い、だからあそこはもう復旧できないともみた
もともと廃線になるような人が乗らない線だったからである
そういうニュースがあったとき一回行っていればイメージしやすいのである

今回の館山とか富津市でも一回行ったことがある、ただそれが余りにも遠い日になったから記憶もあいまいとなりほぼ消失したともなる
ただ風の強い日に館山の国民宿舎に泊まったということは覚えているのである
それはあまりにも風が強いからだったのである
そうして今回台風で風の被害を受けた
それが私の旅の記憶と通じるのである

何か災害でも場所と深く関係している、歴史でも場所と関係している
だからこそtake placeが起きるとなる、placeと災害でもなんでも深く関係しているのである、だからその場所を踏んでいないとテレビの画面だけではわかりにくいのである
例えば津波だと地形が深く関係していた、八沢浦とかはすぐ前が海なのに前に丘が連なってあったから津浪の波が来たのを見て裏山に逃げて命が助かった人がいた
それは裏山が家の後ろにあったからそうなったし前に丘があったから助かったのである
津浪対策で有効なのはそうして津波がおしよせるのを防ぐ高台とか丘とかがあることだったのである、それがないともの凄い圧力で押し寄せる
それで何も障害がないと遠くまで津波が押し寄せて萱浜の老人施設では相当数死んだのである

浜金谷や金谷町があるときそこは三浦半島から渡ってこれる場所であり交通の要所であった、それで大鏡が海中から発見された、それが伝説となって村の名前まで変わった
その金谷村にも泊まったことがあった、そこには鋸山があり日本寺の大仏がある
その辺の鐘とかこの伝説に関係していたという
その大鏡でも暴風のなかに嵐の中で発見されたというとき何か今回の台風と通じているものがある、そこは風が強く吹く場所だったのである
そういう場所に台風が来たのだから余計に強い風が吹き付けたとなる

とにかく何かを知るためには場所を知ることが大事である
人を知るのにもそうである、その人の住んでいる場所がどういう場所かを知る
そこからその人と語るとなる、すると通じるものが生まれる
日本は狭い国だけど海とか山が複雑に織りなす風土である
するとそこで多様なものが生まれる、また災害もその地形が多様であり複雑だからその土地特有のカルマをもっていて災害が起きる
それで地名には災害が起きることを示唆していると言われる
ただ地名となると複雑だからそれを読みとくことはむずかしい

ただ日本は本当に自然災害が多い国だった、津波でもなぜそういう国なのにこの辺では津波は来ないという確信までになっていたのか?
それは400年前に津波の被害があったとしても全く忘れていたのである
津浪となればその時間のスケールが違う、千年くらいの間隔で巨大な津波が来る
そうなると警戒しないのである、400年くらいでも確実に巨大な地震が津波が来る

南相馬市の八沢浦の湊に40軒くらい家があった、そこは津波の前に高波で被害があったその時危機感を感じて引っ越していれば今回のような津波の被害にあわなかった、そこは全滅になり村が消滅したからだ
高波と津波は違うがやはり海岸は危険な場所だったのである
それで相馬市の磯部で佐藤氏は高波の被害があり今の六号線の鬼越館に移った
それは慶長津波の前だったがそれほど前というほどでもないから謎である
そして今回の津波で磯部は全滅したから悲惨だった、それはあまりにも空恐ろしいものだったのである
何かそうした危険を察知しないと日本はどこでも災害が起きる国だったのである
それで防災相を造るべきだというのもわかる
日本はどこでもそうした災害が起きるカルマをもっていたのである
だから原発など絶対作るべきものではなかった、日本の風土には全く合わないものだったのである、これだけ地震があり災害が多い国に造るべきではなかったのである

そしてアメリカでは竜巻があるから地下に電源を作った   
それをまねてアメリカの指示なのか日本でも地下に電源を作ったのである
これは全く日本の風土を考慮しないで作ったものだったのである
アメリカと日本の地理と風土はまるで違っている
その風土を場所を考慮しないということがどれだけ危険か知るべきである
それは社会全般にあてはまる、日本の風土と地理とか歴史の特質を知ってこそ科学技術でもありうる、それを無視してはありえないのである
だから政治的に独立していないとアメリカに押し付けられて原発でも大事故になり日本に住めなくなるというまでになる恐怖だったのである
独立していないということは他国によって風土も歴史も無視して強制されるから危険なのである、外国ではそこまで考慮しないからである
そこでグロ−バル化経済は危険がある、やはり国というのは風土地理があり長い歴史で形成されているからそれを無視すると国土そのものを守れなくなるから怖いものとなったのである
posted by 老鶯 at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年09月15日

故郷の秋に思う短歌十首 (ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)

  
故郷の秋に思う短歌十首

(ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)
                                                    
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ここは公民館である



コスモスに夏菊映えて人集ふ  
                                                          

蝶いくつ舞い入りあそぶ夏菊にコスモスとりどりは朝に映えにき

我が家にうから亡くしてその女(ひと)のなじむもあわれ秋となりにき

ふるさとの我が家になじむその女の近くに住みて満月照らしぬ

その女の何故かかわるふるさとに家族もなしも秋となるかな

病院にありて帰らぬ人のあり家は空家に秋となりしも

近ければ墓にもよりぬ姉死して命日近く秋となるかな

あわただし時はすぎゆくふるさとや家の柱によりし秋かな

ふるさとに家なお残り我一人月の照らして昔偲びぬ

母と姉今はあの世にやすらかに争わざれや秋の夜ふけぬ

人の世に嘆きはやまじいつ果てむ月日はすぎ秋のめぐりぬ

人の世の無情にもまれ傷つきし痛みは消えず秋となるかな

ふるさとに交わる人も争い去りもはやあわじも秋となるかな

人はみな金を求めてあくなきを悲しかりけり秋となるかな


家族が死んでなぜかその女性が自分の家とかかわった
それはただ偶然だった、誰もいないよりいいと思いかかわった
もう四五年くらいになる、この月日が過ぎるのも早い
姉が死んでからは八年とかすぎた
なぜ早く感じたかというといろいろなことがありすぎたからである
何かそうして追われた結果、早く過ぎたのである
その八年間は津波だ原発事故だ、プログで書いてきたようにいろいろなことが災難でもありすぎたのである、
結果的に追われる日々でありそうすると月日が過ぎるのが早いのである
だからここ十年間は倍速で月日が過ぎたのである
そして自分自身もかなり老いたとなってしまったのである

ふるさとが別にいい場所でもない、そこにいい人が住んでいるともならない
ただ家族がいるうちは自分の場合は故郷の人と交わっていなかったのである
そういう特殊な状態で生きていた、なぜなら家族がいてすべて家のことはしてくれたからである、
今は全部自分でやらざるをえない、家事でもそうである
だからまた家事で追われている、家事はきりなくあるからだ

ただようやく秋となってきた、涼しくなってきた、でも今日も外は晴れたが日ざしが強いから夏になっている、
一か月は夏が長引いている感じである

不思議なのは私の友というのではないがその女性の親しい人が男性が病気で三か月入院している、糖尿病である、
それでその人のことを思った
三か月も家が空家になっていることでその人のことを思ったのも不思議である
その人は娘がいても隣の市に住んで一緒に住んでいない、一人で住んでいたからである
だから三か月も空家になっている
その人がいない、空家になっていることでその人を思うというのも不思議である
何か深い関係ではないにしろそう感じるのはやはりわずかでも交流があれば人間はそうなる、その一番の理由が近くに故郷に住んでいるからだともなる

東京とかに住んでいる人はいくら親族でも忘れやすい、心が通わなくなるのである
近いということがやはり心が通うということなのである
故郷とは狭い場所であり本来は心が通う場所になる
原町でも遠いとなり近くがやはり人間が心を通う場所としてある
もちろん実際は心も通わないということも普通にある、必ず嫌な人がいるからである

正直その女性とかは問題がありいろいろ相談されるてこちらも苦しくなる
ただどうしても一人でいると誰かいて欲しいとなるのである
その女性はその男性に頼っている、だから帰ってこないと苦しい、
でも八〇歳とかなり病気なのだから頼りにもできないとなる
そこが老人の問題である、老人は老人に頼れないのである

何か理解できないのは夫婦でも嫁いだ先の墓には入りたくないという女性がほとんどだというのもそれだけ嫁と姑問題があり嫌だからそうなっている
でも長年一つ屋根の下に暮らしてそうなっているのは悲しいとなる
自分の家でもそういうことがあったがやはり最後は争っていても情が通っていたのだなと救われた、
それは六〇年も一緒にいたからそうなったのである
だから人間の交わりは長くないと情が通わないのである
長いといくらもめていてもいつしか憎しみでも愛に変わることがある
なぜなら憎しみの反面は愛だからである、普通は人間は他人は無関心だからである
無関心なことは憎しみより悪いともなってしまうのである
変なのだけど憎むということは愛にも通じてしいる、これも人間の不思議である

とにかく秋となると人間は感傷的になる、だからこんな短歌になったのである

2019年09月14日

日本の農業は成長産業! (兼業農家とかが補助金農業で農業をゆがめている)


日本の農業は成長産業!

(兼業農家とかが補助金農業で農業をゆがめている)   
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日本の農業の生産を支えているのは1000万以上の大規模農家

【誤解】農業人口激減で日本沈没?!新規就農するなら今でしょ 

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全農家対象の農業補助金はおかしい。農協利用の農家は、ほとんど兼業あるいは農地放棄農家、それに自家用栽培農家であり、単なるバラマキに過ぎない上、日本農業の再建にマイナス効果しかないように思う。補助金を配布するならば、低所得の専業農家に配るべきではないですか?

あいつら(農協のこと)は、税金も満足に払っていないのに、補助金を独り占めするのは絶対に許せん。こんな不平等を国が放置する限り、俺は税金を払いたくない。

補助金に頼らない理由は、まず第一に、農業者本来の「つとめ」を忘れてしまう心配があるからです。本来、生産者である私は、私のお客様に頭を下げるものですが、補助金に手を出すと行政に頭を下げることになり、自分の経営を見失うことになりそうです。

農業ビジネス


農業は誤解している、農業は日本の成長産業だった、なぜ銀行で農業に投資するようになったのか?それは農業が日本では唯一成長産業だったからである
なぜ農業がだめだ、だめだと言われていたのか?
それは兼業農家とか副業農家が多いからである
そこに税金を補助金を投入されているから非効率であり無駄なのである
それで民主党の政策は農業を復興させるためには

農家一軒ごとに補助金をだす

農協ではなく農家に一軒ごとに直接補助金を与える

農協が巨大な組織でありそこに補助金が注ぎ込まれ吸い上げられていたからである
でもこれは悪政だった、農業の生産高は兼業農家とか副業農家が背負っているのではない専業農家が生産の大部分をになっている、ただ兼業農家が数が多いから票になるから民主党ではそういう政策を打ち出したのである
何か民主党は経済政策とかでも不況にしたようにわかっていなかった面があった
もちろん自民党にも問題があった、ただ民主党がつづいていたらやはり日本の経済は危機的状態に今頃なっていた、なんとか持ちこたえているのは自民党になったからだともなる
ただどっちにしろ日本の経済は衰退して危機的状態になるのは遅かれ早かれなっていたのである
日本では今まで高度成長時代があり経済がいいときそうした補助金でも福祉とか無駄なことでも金を回すことを余力がまだあった
その金を回す余力がなくなり補助金政策はできなくなる

でも実は農業の場合は補助金政策が農業をだめにしていたのである
まもともに農業を考えて取り組んでいる人専業農家が農家の主役になっていた
でも兼業農家とか副業で農業している人たちは足かせとなる存在だったのである
例えば常に言われている農業の後継ぎがいないというとき68歳が農業している人の平均年齢だとか耕作放棄地のことを取り上げるがそれも違っていた
そういう人たちは兼業農家であり副業農家であり補助金農家だったのである
そこに農業に対する誤解があった、なぜそこだけが強調されているのかというと兼業農家の窮状を言うとき補助金を政府が投入されるからである
また数が多いから一票として計算できるからそうなる

また日本の自給率が低いとかはない、世界で5位の自給率であり狭い国土にしては高いのである、そして日本の農業は優れている、きめこまかい農業であり技術レベルが高いのである、だから輸出産業としてみこめる、果物はそうなっている
農業もグロ−バル化していて外国で日本人が農業している人がいる
そのグローバル化に日本の農業は競争力をもっているという

日本の経済は電機製品が売れて高度成長時代を築いたときは違って輸出するものがない
自動車産業がなんとかグロ−バル化で競争力をもっているとなる
だからこそインパウンドとか観光に力を入れたりして日本全体の経済が落ち込み貧乏化しているのである
そしてこれまで日本の農業の負の面が強調されすぎたのである
日本の農業はもともと五反百姓とか小農が多すぎたから貧乏なのである
また機械化もされていないから能率的ではなかった
機械化されて技術も向上して日本の農業はかえって成長産業となっていたのである
だから銀行で投資先がなく投資しようとしているのはそのためなのである

私が援助している趣味で農業している人はまず金がかかる、今は体が悪いとか暑いとか放っておいたから草ぼうぼうになっている
だからとれたものでキュウリ一本一万にもなるのは嘘ではない
ただそこで農業の話をじかにしてくれるからその情報に金を払っているとなる
まず肥料から種から道具からと農業は設備費と金がかかるものなのである
だから今では小農とか兼業農家では採算がとれないのである
ただそこに補助金が出るので老人が片手間にしているだけなのである

そして耕作放棄地が増えていると騒いでいるけどそれは新規参入者にとってチャンスだとしている、つまり土地が安く手に入るからである
もうそういう土地は無料でも貸しているからである
農業はまず土地が手に入らなければできない、土地が資本だからである
そして労働は機械がする時代である
農業が採算がとれないとか負の面が大きく語られたのは高度成長時代、工業化が進展してそれと比べると農業は時代に合わなくなっていたからである
今はかえって農業が成長産業として見直される時代になっている
ただ兼業農家と副業とか今までの小農では成り立たないだけなのである

私が農業について語る時は農業というそのものが持っている価値とか意味を追求したのである、農業は必ず自然と結びつくからそこが他の職業と違っていたからである
農業は生態系と密接に結びついているから共生の思想が自ずと生まれる
ただこれを経済合理性からビジネスとして見れば違ったものになる
農業を成長産業としてビジネスとして位置づけると違ったものになる
今や農業が有望な日本の成長産業になっている

だから趣味でしている畑と同級生が5人で組になっていしている畑を比べると趣味の小さな畑は肥料から種から道具から金がかかる、十倍をもかかる
でも広い畑でも専業農家がかかわりトラクターとか機械をもっているから草はいつも刈られている、生産する量も多くなる、それは専業農家が主導しているからそうなるのである趣味で畑で野菜を作るとかえって十倍とかの金がかかるのである
でも大規模にやれば農業の収入が少ないということはないし成長産業なのである

でもここでも同じだった、補助金農業になると国に頼り補助金をもらうことが主目的になる、補助金をもらえるから工夫もしない、ただ畑をもつということで補助金目当てになるでも補助金をもらわないで農業をするとなると工夫したりいろいろ自ら励むことになる
それは原発事故でも補償金だけをもらいそれで生活しようとすることとなったと同じである
結局人間は補助金とかが補償金でも必ずいい方面に向かわないのである
その補助金とか補償金でかえって人間は向上心を失う、そしてそこに税金を払うことは国民にとっても損になる、税金の無駄使いとなる、それで税金がたりないとなり消費税が政府であげたりしてまた国民の負担が増えて苦しむのである
そういう悪循環があったがもうそれもできない
なぜなら日本全体の経済か落ちこんできているのだからそんな無駄なことをしていられなくなったからである  

この支援のお金の出所はどこかというと、国や地方自治体です。日本は雇用維持という大義名分のもと、助け合いのシステムになっているため、国や地方自治体が助けているのです。現在、国や地方自治体からなんらかの支援を得ている職場で働いている人は、なんと全就業人口の約50%にも上っているそうです。

ただ農業というのは複雑でありそう簡単に効率的だからとか合理的だからとすすめられないのはそれが自然と密接に結びついているからである
農業は他の産業とそこが根本的に違っているから合理的効率的にすすめることが合わないというこもでてくる
でも現実問題としては効率的農業を目指さないともう成り立たなくなっている
農業は別に68歳平均の人たちがしているのではない、専業農家はそうではない、若い世代もしているし新規参入者も増えてくる成長産業なのである 

nagrilife111.JPG

都市型公害農業

大規模農業

中山間農業ライフ型

この中山間農業ライフというのは農業自体に価値と意味を求めるのにふさわしい
農業体験して民泊するとか農業ライフを追及する
この辺でも蔵を改造して観光に利用するとかするために学生が来ていた
他でもそういう観光的なことをしている人はいる
つまり農業と自然は密接に結びついているから農業というのは観光のように景色を見るだけではない、自然をどのように活用するのかと深く結びついたものだからそうなる

それは田舎に住んでいても意外と農家のことがわからない、農業のことがわからない
それで趣味でも畑をしている人に直接その苦労とか面白さを聞いている
それは農業ライフを趣味としてしているとなる
趣味でしていると金がかかるのである、ただ都会の人が農業を食料を得るものとしてだけ見ている、でも農業は自然と深く結びついているからその背景が広く奥深いのである
自然に通じるには本当は景色だけみていてはわからないのである
それでその女性に冬(ふゆ)はかえって作物が育つと聞いた時、冬(ふゆ)であり増えるという意味を理解したのである
つまり日本語の由来そのものが農業を実地にしないとわからないし文化すらわからないのである
要するに文化的にアプローチするのが中山間農業ライフ型である
一方で経済合理性を追求するのが大規模農業なのである
時代で農業も変わってきていてその辺が誤解しているのである

大規模農業で経済合理形を追求するにはかえって原発事故で他より耕作放棄地が増えたこの辺は放射能問題があっても新規参入しやすい場所である
第一小高を見ればわかる、田畑が一面草ぼうぼうとなっているからだ
それだけ広い耕作放棄地を新規参入者が自由に利用されるとなればそこに新しい農業が生まれる可能性がかえってあるとなる、そこで会社経営として農業をはじめた人もいるのもわかる、もう個々人の農家ではどうにもならなくなっているからだ

つまりこの辺で兼業農家とか副業農家とかは一掃して会社経営の大規模農業にならざるをえないともなる、それが強いられている場所である
ただ小農として農業ライフを追求する分野も生じている、農業は実際は文化的なものが基になっている、cultivate-cultureだからである
そういう面でも新しい農業として成長産業だともなる

とにかく外から新規参入するのにはここはチャンスとなる場所なのである
そういうふうにすでに農業の新規参入者が外から入っている
つまり何かこういうふうになると大きな改革がしやすいともなる
一挙に広い土地を自由に使えるということにもなるからだ
そこで農業の復興がありそこを基幹として復興がありうるともなる
ただ農業というのは実際にしてみないとわからないものがある
それが田舎にいてもわからないのである
田舎でも実際は多様化しているからである
農業に従事している人は一割にもみたないとかなっているからである

ともかく農業が成長産業だという時かえって田舎が見直され成長してゆくともなる
時代が変わると必ず価値観が変わるからである
農業がだめだ金にならないという時代は高度成長時代でありその時は会社に入ると金になる時代だったからである
でも日本自体が会社が大企業でもグロ−バル競争で倒産したり終身雇用がなくなっている、銀行でもゆうちょでも農協といった国に関係しているものも国で保証できなくなっている

常に時代が変わるからである、ただ余りにも農業に負のイメージが国からでも植え付けられすぎたのである、それは兼業農家でも数が多いと票になるからである
それで意図的に負のイメージが植え付けられた、それでソフトバンクが農業にビジネスとして参画するとかITを利用するとか現代の時代の変化に適合した農業を提案する人がいたとなる
それでこの辺が第一次産業や農業が放射能汚染されたことが致命的だったのである
それさそ農業を根本的に破壊するものだったからである
農業をするなと親に子供が殴られたりした時代もあった、でも農業はまた見直される、その価値が多様だからである
そして農業の価値は工業のように変わらないのである、普遍的であり不変なのである
それは自然と密接に深く関係しているからその価値は変わらない、かえって農業ライフとか生産物だけてはない農業を通じて自然と触れ合うような農業も生れるとなる

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2019年09月13日

凍天(しみてん)の木乃幡倒産も原発事故のせいだ (水俣公害、成田闘争と原発事故の相違)


凍天(しみてん)の木乃幡倒産も原発事故のせいだ

(水俣公害、成田闘争と原発事故の相違)

●すべて原発事故のせいにされる

当社は、1965年(昭和40年)創業、84年(昭和59年)インターネット販売、「もち処木乃幡」や「しみてん木乃幡」の店舗名による小売りも手がけ、2006年6月期には年売上高約3億8700万円を計上していた。

 ドーナツのような生地の中に凍餅が入っている主力商品の「凍天(しみてん)」は、全国ネットのテレビ番組で取り上げられるなど知名度を高めていたが、2011年3月の東日本大震災に伴い工場が被災したため外注依存の製造となったうえ、本店工場(福島県南相馬市)が福島第一原発事故による避難区域内であったこともあり風評被害から売り上げが落ち込み、震災以降は業績悪化を余儀なくされていた。

しみてんは高速のSAで売っていた、でもやめたのでどうしたのかと思った
高速のSAは場所がいいから売れるていると思ったからである
でも私がカレーパンを買ったら量が少ないのに高い思った、300円以上したみたいだ
それが特別なカレーパンだとも思えなかった

「政経東北」で事業を拡張したことも失敗の原因だとはしていた
でもその主な原因が原発による風評被害とかにされている
つまりこの辺ではみんなそうなっているのである

原発事故のせいだ、東電のせいだ、国のせいだ

これですべてが終わりである、そして地元にも責任があると言うとバッシングされる
お前は「傷に塩ぬって楽しいか」とか特に原発事故で避難した人たちに言われる
原発事故の被害が大きいしそのことも書いた
今度はすべてが悪いことがあれば原発のせいだとして補償金をどれだけ多くもらうことだけに力をそそぐようになった
それを批判すればお前は同情しないのか、お前は人間なのかとまで言われる
それで「政経東北」とがでも絶対に原発避難者とか被害者のことは批判しないのである
なぜなら読者であり本を買ってもらえるお客さんだからである

今でも原発被害者が何かしているのか?同じようにパチンコとかギャンブルで遊んでいる補償金暮らしなのであり浪江町住民でもさらに月の補償金を十数万上積みしろと要求しているのであるそういう権利があるとても何か納得がいかない  

何かこのしみ天の会社でもこれとにたものがあったともなる
すべて原発事故のせいだとなる、他でも旅館でも会社でもなんでも福島県ではそうなりやすいのである、本当はすべてがそうでなくてもそうしてしまえば経営責任は問われないからである、そしてマスコミも応援するからそうなる
それは原発避難者と津波被害者でも原発避難者側についたものそうである
そのことで原発避難者が思い上がったということはあった
ただそれはタブーとなっていたから言えなかったのである

●水俣病公害闘争、成田闘争との相違

例えば成田空港をめぐる三里塚闘争、水俣病公害があったがこれらは性格が違っている

三里塚空港反対同盟」が結成されたのは「新空港説明会」から僅か3日後の1966年6月28日のことである
1978年5月20日。今から39年前の今日、千葉県成田市に新東京国際空港(現・成田空港)が開港した。

1966年7月に千葉県三里塚に空港建設が閣議決定されてから12年かかっての開港だった。地元住民による反対運動が起こり、死者も出た。当時のようすを写真で振り返る。

なぜ成田空港に反対する強力な反対運動が起きたのか?

それは左翼が学生運動家が入ってきたためだった、左翼全盛時代だったからである
それは水俣公害でも左翼運動家が入ってきた、それで大がかりなものになった
ただこの時は時代が違う、農業というのが工業化するなかで衰退産業化しつつあった
でもこの時は農民が農の大事さを説いていて反抗していたのである

でもこれも原発とくらべると原発の方がその公害でも事故が起きれば今回のように住めなくなるというほど被害が大きくなる
でも原発に反対する激しい運動が起きなかったのはなぜなのだろうか?
その時の農業の環境が違っていたからなのだろうか?

むしろ原発は出稼ぎに行かなくても地元で働けると地元民から歓迎されたのだから反対運動も起きなかったのである
成田の闘争では空港になることで田畑が奪われるということで農民が前面に出て戦ったのである
だからなぜそこまでして戦ったのか?
空港では騒音とか公害があることはわかる、でも原発とかの被害とは違うのである
もちろん騒音で住みたくないというふうにもなる、騒音公害も深刻である
でも田畑をその時維持していても時代が変わりつつあり、金銭に変えた方がいいともなっていた農家もいたかもしれない、ただその時はとにかく農民が全面的に主役となってそこに全学連とかが左翼が加担したのである

その時も「森と里の思想」という本で対談していた知識人がいたがその人たちは農業というものが人間にとって別なものとしてアイディンティティとなるものとして見ていた
それには自分も書いてきたように共感するのである
この時はそうして農業に思入れある人が農民自身が農婦でも全面に立って抵抗していたのである、それが原発事故を起こしたこの辺とは違っている

現実に東北電力で原発ができるというとき小高で工事がはじまるというとき小高の大工さんは景気良くなるよと喜んでいたのである
おそらく農家の人も歓迎していたとなる
なぜなら小高の人から聞いたからである、親に農業は継ぐなと殴られたと
それだけ農業は金にならないと嫌っていたのである
そして20キロ圏内にも入る原町市でも何か反対運動は起こっていなかった
左翼の人たちもいても運動していなかった不思議である
小高には左が多く自民党の代議士になった人が住んでいられない原発事故の後に九州の方に住むようになったとも聞いた
それは定かではないがそれだけ左の人が力をもっていたのになぜ原発反対運動が起きなかったのか?それもわからないのである

ここでも原発事故の被害者と同じようなことが起きていた

私らが裁判に勝ったら、一任派の人たちも千八百万円もらいなすった。それはまだいいのやけど、お金が出たばっかりに、自分もそげんとじゃ(そういう症状だ)≠ニ言う人の出てきたとです。それも、以前は伝染病やとか言うとった人やら、あそこの家は貧乏やから、魚しか食うもんがなくて病気になった≠ニか、陰口叩いとった人に限って我も我もと申請ばするとです。ろくに魚も食べんのに水俣病になった人やら、四十年になった水俣に越してきた人やらが、水俣病や、水俣病や′セうて・・・・。絶対、焼酎飲みすぎてアル中になった人やら、中風やらの人が申請しとるとです

水俣の公害闘争は知らないまに子供に重篤な症状がでてそれが目だったので注目された
ただ当事者が補償金闘争になりだめになったと後で述懐している
原発事故でもそうだった、あとはどれだけ補償金を東電ても政府からでもとるかという闘争になったのである
だから公害になったらみんなだめになると反省していた 

●成田闘争は国民の感情から離れ終わる

ただこの辺で成田闘争とか水俣との相違はもともと原発によって地元の経済が成り立ち
恩恵を受けていたことである
その規模が大きいのである、成田闘争とか水俣との規模が全く違うものであった
いくら水俣病の被害でも百人くらいが実数の被害者だったのである
たしかにはそれは目だったがこの辺は十数万という規模で被害を受けた
そして住めなくなったということが被害だったのである
だから成田でも水俣でも被害はあるにしても規模が違っていたのである
だから死人が出なかったというけど住めなくななったことが最大の被害だったのである

でも何かこれらの公害問題は違ったものだった、原発事故では一時東北に住めなくなるという危機感をもたらしたほどである
でもそれがなぜ成田闘争や水俣公害闘争のようにもならないのだろうか?
第一原発が建つ前にそうならなかった、左翼が力をもっていた小高でもならなかった
その原因は明らかに地元の人たちの危機感の無さとか原発が金になるということでそうなった、その抵抗する動機がなかった
農業していても親が子を農業だけはするなと殴ったように農業自体を卑下してそこに価値を置かなかったのである
成田闘争では農民が前面に立って農業を守ろうとしていたのである

成田闘争では何か農業を守りたい農業をここで継続したいという意志があった
それで農婦までも全面に立って戦っていた、それは必ずしも左翼運動家に強制されたものにもみえないのである
その差がどうして生まれたのか?そこも追求する課題だとはなる 

京成電鉄を筆頭に地元の列車内では反対派が事実上占拠しており、車内では竹槍をかざしながら対立組織に対する「検問」が日常茶飯事に行われていた[9]。地元住民の生活の足である『京成電鉄へのテロ行為』は、もはや空港反対運動の枠を超えた地域の社会基盤そのものへの破壊活動であり、空港周辺部以外の京成線沿線の住民からの反対派への白眼視を招いたのみならず、この頃始まった新左翼そのものの衰退や、当初の目的である開港阻止が叶わなかったことで『成田空港粉砕』を唱え、より先鋭化の傾向を見せる反対派に対して、国民感情は加速度的に乖離していった。

左翼運動家は過激でありそれが国民感情とずれていたのは学生運動でもそうだった
何か青春のエネルギーそこで発散するために暴れていたのかともなる
だからどうしても農民が主体となっていてもこのとき左翼の力が強くそれによって大々的に社会問題化したとなる

1956年(昭和31年)5月1日に熊本県水俣市にて公式発見され、1957年(昭和32年)に発生地の名称から命名された。その後、類似の公害病にも命名されている。

1978年(昭和53年に開港した新東京国際空港(現・成田国際空港)を巡っては1960年代初め頃から候補地等の検討が進められていたが、その建設に当たり、開港を急ぐ政府の強硬姿勢と当時の世相と地域固有の事情が相俟って、空港用地内外の民有地取得問題や騒音問題をめぐって近隣住民らによる激しい反対運動が社会問題化した。

●なぜ原発では反対運動が起こらなかったのか?強力な電事連があったからか?

この闘争は長かった、1960年から始まっていた、ちょうど学生運動とだぶった時代だったのである、だから左翼運動家が問題を大きくした側面もあったのだ
でもなぜ原発に関してはこうした激しい反対運動が起きなかったのか?
左翼でもしなかったのか?

その原因の一つは電事連にあったのかもしれない、この電気連合体は強力なのである
800億円の宣伝費をマスコミに流していたからである
だからその組合は原発に反対はしない、飯の食い上げになるからだ
利権と一体化しているからできないのである
水俣病公害事件とか成田闘争はこうした強力な組合とは関係ない、学生がかかわっただけだったとなる、それでも何か大きな問題として取り上げられたのはなぜなのか?
1960年からはじまったとなるとまだ農業が衰退していない時代だったからなのだろうか、それで農婦でもただ左翼運動家に押されて前面に出て来たともならないのか?
そういう時代の差があってそうなったのか?

でも今度は原発だと双葉とか大熊地域は福島県のチベットとか言われた
出稼ぎ地帯であり地元で働きたいという意向が地元に強かったから積極的に誘致された事情がある、だから反対運動は起きなかった
ただ原発では左翼でもこれまでのような強力な反対運動は起きていないのである
それでも巻町と能登では原発を作らせなかった、それは左翼運動家がいて反対したからではない、地元民が協議して作らせなかったのである
だからそれほど強力な運動しなくても原発を作らせないことはできたとなる
全く地元民が無力だとはなっていない、ただ福島原発は日本では第一号原発でありアメリカの要請と政府の意向が強く働いたのでまた事情が違っていた
福島原発と他の原発ではまた事情が違っていたのである
そこに一千万都市の東京都民の圧力もあったのである、新潟県の柏崎原発でもそうである東電の原発でありその電力は東京都民が利用するからである、また原発第一号ということで政府が強く後押ししたからだともなる

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原発事故の処理にあたる従業員650人を退避させた (事故処理する人がいなくなっていた、保安院もいなくなっていた!)


原発事故の処理にあたる従業員650人を退避させた

(事故処理する人がいなくなっていた、保安院もいなくなっていた!)




証言によれば、吉田所長は福島第二への退避を指示してはいなかった。約650人の作業員の退避は、「伝達ミス」によって起こった、ということになる。それを、朝日新聞は「命令に違反した」と報じたわけだが、確かにその表現は正確ではないだろう

「事故対応にあたるべき人員までが現場から離れていたことの深刻な意味を、我々は振り返る必要がある」と強調した。

 「もし、(福島第二から)あのまま誰も戻らず、線量も下がらなかったら、東日本は壊滅状態になっていた。チェルノブイリでは、沢山の原発作業員が命を捨てて、鉛を投げ込んだことによって、最終的な破局を免れた。東電はそこまでやる気はなかったし、政府も覚悟はできていなかった。次に事故が起こったときに、そういう労働を命じられるのか、誰がやるのか

浪江町の東電で働いていた人が事故当時電気工事関係者が1000人働いていた
でも事故になり退避させた、それが悪かったと言っていた
そのことはこのことだったのである
あの人は現場にいたからわかっていた

事故対応にあたるべき人員までが現場から離れていたことの深刻な意味を、我々は振り返る必要がある」と強調した

事故に対応する人が650人もいなくなっていた、それは命令させられたのかその人は東電の命令が絶対で逆らえないから退避させられたとなる

事故になり吉田所長とか50人くらいは残った


最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。


外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。
 しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して指示とは別に福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎないだった。
 所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。

 「フクシマ・フィフティーの真相」朝日新聞〈吉田調書)


事故になった時、東電の所員の一番心配したのは原子炉だったという、周りの住民の安全とか命を考えない、住民を避難させることに頭が回らなかった
でも東電の事故に当たるべき所員は避難させることを第一にしていた
残った人はほめられたがそれはたまたまそうなったとここで報告している

チェルノブイリでは、沢山の原発作業員が命を捨てて、鉛を投げ込んだことによって、最終的な破局を免れた。東電はそこまでやる気はなかった


日本はチェルノブイリのことを批判していたけど日本の方が対処が悪かった
例え上からの命令でも命がけで事故を収めようとしていた、実際に20人以上死んだ
その時日本ではいかに避難させて従業員の安全を計るしか考えていなかったのである
保安院はいち早く避難していなくなった、政府の代表がいち早く逃げたともなる

つまり誰も事故を起こした原発を診る人がいなくなった!

混乱していたにしろ日本には英雄などいなかった、政府でも東電でも無責任だったとなる
ではなぜそうなったのか?

そもそもが福島に原発を作ったのはそうした危険を回避するものとして東京から300キロ離れた福島に造ったことにもあった

もしこれは東京に原発を作っていたらどうなるのか?

もう東京の人が危ないとなれば必死にならざるをえない、みんな騒ぐからである
そうしたらみんな作業員を退避させることなどでできない
一千万の東京都民が危険にさらされるとなれば真剣にならざるをえない
国でもそうである、国の機関も東京にあるからだ
そして東電でも福島とか離れた所ではないから直接指示できたのである
そこからして間違っていたのである
ただ東京に原発を作れなかった、みんな反対するからである
そして福島に造らせたのである
そこに東京都民も責任がありずるいともなる
福島に原発を作らせて自分たちの安全を計ったのである

原発がどういうものかどれだけ危険なものかその自覚がなかった
東電の人は専門家だから知っていた
それで浪江の人が津島に避難した時、そこに東電の社員がいて街の方に引き返した方がいいとしてみんな引き返した、津島だと今でも放射線量が高くて帰れない、もっとも高い場所になっていたのである
東電の社員は知っていたが対処しなかっただけである
専門家はやはり専門家である
一番関心したのは10メートル以上の津波が来ると東電では調査報告されていた
でもその対策を東電の幹部はコストがかかるからしなかった
その他電源を地下に置いて津波がきて使えなくしたとか不備があった
危険を考慮せずにわざわざ高台に建てる計画だったのに低くしたことも津波の被害にあった原因だったのである
それだけ原発の危険に備えていなかったのである

ただ東京には作れない、これだけは最初からの至上命令だった!

あとは福島だ、離れているからいいやとかなっていたのである
福島が事故になったら処理すればいいんだとしかならなかったのである
そうしして福島では事故のために住民が住めなくなったのである

これは本当かどうかわからないが前の南相馬市長の桜井氏が原発が爆発した時北海道に逃げたとか噂になった、それは本当かどうかわからない
それをしきりに言う人がいた、それも保安院が真っ先に逃げたというのとにている
ただ南相馬市では原町区は全員に避難命令が出て実際に避難したからだ
その隣の鹿島区でも半分は避難した
その時もうバスには乗れないとか騒いでいた、人数が多いから用意できないとしていた
そういう混乱状態のとき危機か感じる人は感じていた
そして南相馬市立病院の看護婦などもいち早く避難した
患者を置いて避難した、それはやはり危機感を他の人より医療関係者でもったからだとなる 

私は何が起きたわからなかった、だから危機感がなかった、それで20マイクロシーベルの放射線量がでていたとき外を出て歩いていたのである
外に出るなと警告されていたのにそうしていた
だからそれだけ放射能とか原発のことが日ごろから知識としてないからそうなった
津浪だってそもそも危機感がなかったからかえって老人がこの辺は津波は来ないよとして死んだ人が多いのである
つまりどうしても危機感をもって生きること備えることが人間は苦手なのである
今回の千葉県の停電でも一週間くらいの停電には各自備えておけというのもそうである
それは住民の責任だと言っている
要するに何でも政府が自治体でも他でもしてくれないからそう言っているのである
ただ原発だけはどういうものかわからないから備えることもできなかったのである


浪江町で原発の現場で長年働いていた人の発言の検証 
〈その指摘は現場の経験で的を得ていた)






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2019年09月12日

神秘の洞窟(Mysterious artificial cave)

神秘の洞窟(Mysterious artificial cave)



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Mysterious artificial cave

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dark vally

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a hidden lake

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crest of the earth

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train go into galaxy

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縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? (日本の海岸線が日本のアイディンティティを作った場所)


縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? 

(日本の海岸線が日本のアイディンティティを作った場所)

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津浪で海となった、その先が太陽の落ちる方向が日下石

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縄文時代を通じて切れ間なく大陸から人が漂着しており、そのいずれもが長い航海を経てたどり着いていることからして、列島に流れ着いた人は総じて航海技術に長けており、それらの技術を生かしてネットワーク形成を担った運輸集団になっていった可能性もあります。
その一つが縄文晩期に北九州に漂着してその後長野から東北に移動した安曇族であり、古墳時代を通じて日本中にネットワークを広げた物部氏です。


日本語の謎は深い、それを解き明かすことは不可能である
ただどういう人たちがその言葉を最初に創りだしたのか?
それは日本に渡って来た人たちがいてそれがもともとあった縄文語と混合した

海岸が西になることはありえない、でも今回の津波でわかったことは日下石(にっけし)という地名がにし(西)なのである
その近くまで津波が来ていたのである
そして津浪で海になった所をみたら日下石(にっけし)の方に輝き沈んでいった
そこから山は見えないのである海から見たとき海岸に太陽が沈むのである
そして日下石に古墳がありそこの近くまで津浪が迫った
その辺まで人が住んでいた

つまり船で来た海洋民族が安曇族などが上陸した海岸は日下石だったのである
それを名付けたのはアイヌなどではない、安曇族とか外来の民族である
なぜならこの辺に綿津見神社と山祇(山津見)神社がどれだけ多いか
特に相馬藩内に異常に多いのである、これは特筆すべきことでありこの辺の特徴なのである

それはなぜなのか?おそらくこの辺は今は海岸線に入江がないけれど奈良時代まで海が深く入っていたからである
その証拠となるのが鹿島区の塩アに船着という地名がありそこに船が来て交易をしていたそれで市庭という地名も残している
その船着のすぐ近くまで津波が来ていたからである
そこに今の東北電力の発電所があり鉄の一大生産基地でありそこから鉄などが運ばれていたのである

船で来て海から見れば海岸が西になるのである、そして東は陽{日}が上る岸になる
それは陸地から見たものであり海岸で見たものではないのである
海岸から見れば海の方から陽が上ることになるからだ
そしたら陽が上る岸とはならない、岸は陸地だからである
それは陸地から見て東として海から見たとき海岸は西だったのである

それで縁とは江西でもある、名古屋の愛西はエニシである、太陽は伊勢湾から昇る
その辺は海が入り込んでいた、だからそこも昔海岸であり西となったかもしれない
ただ方角はどこを中心にして東西南北を決めるか大事になる
その中心が変わると違ったものになるからめんどうなのである
南相馬市自体がそうである、相馬市の南相馬市になったからである
もし小高が中心だったら北相馬になっていた、現実鹿島は北郷となっていたのは小高に前に相馬氏が最初に城を築いたところだったのでそこから北ということ北郷になったからである  
また日本海とかでも瀬戸内海でも方角は変わる、太陽が海の方に落ちてゆくようにも見える
日本海になれば太陽は山から上り海に沈むから逆になる

いづれにしろこの辺で注意すべきは綿津見神社と山津見神社がやたら多いことなのである
それはここに海洋民族の安曇族とかが入植したために多いのである

私の魂は子の風景のもとに安んじて帰ってくるだろう、それはかつてこの島影にたどりついた民族の心象というものがあったからだろう
「海やまのあいだ」にある狭い土地ーそれを海岸線と言ってもいいだろうーにこそ我が民族の「ふるさと」があったのである
海岸線の歴史ー松本健一

日本は古来地理的に海に囲まれているから海岸線が重要だった、そこが生業の拠点ともなった
海老村で二日前に町があったところから坂を上っておりた崖の上に古墳が発見された、それも二も発見されたとなるとそれだけ海老村は人が弥生時代から人がかなり住んでいたからである
そこで魚や貝などをとって暮らしていたのである、また日本では海岸線は奈良時代とかその前になると入江になっているところが多いのである、津とつく地名はつづくからきていて海は陸地にはいりこみ海がつづいている場所だったのである
そこで交易も行われていたのである

だから海岸線は海岸は日本人が縁(えにし)となる場所だったのである、また入江が多いということはそこで魚とか貝をとりやすいのである、生活の場として適地なのである、それで新地の手の長い巨人が貝をとっていたというのはそのためである
松川浦のような入江がありそこで貝がとれたからである、そこが暮らすには適地だったからである
ただ海を海岸線を日本のアイディンティティとすることはなくなった、というよりは海というのはアイディンティティにしにくいのである、海と自己同一化するとしてもできない、海は固定していないからである、それは広大な平原とかともにている
また今回の津波のように恐ろしいものが海なのである

それよりアイディンティティ化しやすいのは固定しているもの山なのである、それに付随する木とか石なのである
だからこそ日本は大和(やまと)山が原点となり故郷となり国になったともなる
ただ最初は神話にもあるように海洋民族が安曇族のように日本の海岸線に上陸して山の方に入植したのである
だから松川浦に山津見という地名があり和田というのも綿津見であり地名化しているし栃窪にも山津見神社があり
その最終地点が飯館村の山津見神社であり綿津見神社なのである

ともかく津波は日本の海岸線が陸地の奥まで入り込んで入江になっていたことを証明した
それはわかっていたことでも驚きだったのである、入江は港でも生活の場にもなりやすいのである
だからみちのくの草原という万葉集の歌は草原(かやはら)は萱ではない、人が出入りして物が入る港だったのである
そういうふうに栄えた場所でありただ萱原が茂っている淋しい場所ではなかったのである
ただ原始の状態だったらその当時はそういう風景はありふれている、むしろ人と物が出入りする港だったとなる
みちのくの真野の草原遠けれどというとき遠いという場所の比喩となっていたのである
草原が茂っている場所ではなかった、ただそれが江戸時代まで石巻の萱原がその地だとされていた
それもまた地名として残されているからそうなった
そして真野の草原にきたとして萱をお土産のようにしてもっていったというのも記されている
それもなぞのなのだが考古学がない時代だからそうなっていたのである

ここには海洋民族の安曇族をはじめとしてツノガノアラシト系の鉄の生産技術をもった渡来人とか集中して来た場所だった
そういう背景があってみちのく真野の草原の万葉集の歌が生まれたのである



夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)


夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)

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クリック拡大(沖に船が見える)

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クリック拡大ー白い花が何なのか、

浜木綿(はまゆう)とにている
でも違っているみたいだ
こういう花をここでは見たことがなかった
津浪の後の変化なのかもしれない、津波で生物でも植物で死んだり再生したりしているからだ

matushigeru1111.jpg

津浪にも残った松ーその下に松が茂っている


mushihama111.jpg

めずらしい虫、葉は何か、海老浜はマルハシャリンバイの南限の地として有名
つまり南国性の植物が生える場所だとなる



朝の蝉六号線を急ぐかな

夏の日に釣りする人や波しぶき

雷鳴りて後にすずやか月光る


大平洋波打ちしぶき沖に船揚羽のここに舞い去りにけり

珍しき虫の一つや海老の浜八年過ぎし津波の後かな

津波にもなおも残れる松ありて新しく育つ松も頼もし 

津浪より8年過ぎて育つ松繁げるや海老に秋の海見ゆ

鴎群れ大海原の波にゆれ沖に船行く秋の海老浜

ふるさとの小径にここに分かれけりいづくに行かむ秋の日暮れる

水無しの河原に露草あまた咲き今日清らかに水の流れぬ

(南朝語る)

只野氏の南朝語りしきり鳴く蝉の声かな故郷の暮る

南朝を語りし友や秋の蝉ひびきてあわれともに老いゆく

ひぐらしの森の奥よりひびきけり影なす道の行く人もなし

(月)

今日もまた月の窓のぞき我を母の見つつありなむいともは静かに

母もいて姉もありなむ争わず我が家にむつみあうなれ月の光りぬ

別れてもまた会う人や故郷の木陰の道や今日も行きにき

月満ちて明るさ増しておとろえぬ我が老ゆとも智は冴えにけり

山の端に月の傾き光るかな故郷に住み老いゆく我かな 




この三日くらいは天候が次々に変わった、日本の天候は本当に変わりやすい
最初は雨がふって夕べ虹がでた、それから台風がきて昨日は雷が鳴った
その雷もやんだと思ったからまた鳴った、秋の雷となるが昨日は暑かった

この天候の変化の中で海老の浜に行ったりした
そこで古墳が発見されたとか松が意外と高く茂っていたとか変化があった
あそこは風力発電の風車がないからいい、家もなくなったので見晴らしが良くなった
右田の松原はなくなったので鹿島区では海を見る場所としてはあそこが一番いいとなる
つまりビューポイントなのである

雄大な大海原(おおうなばら)に鴎の群れが波にゆれている、何かきもちいい
しかしふりかえると海は怖いものだったなとつくづく思う
その海が見える後ろでは避難して30人が死んだ
そこは高台だから津波の避難所として指定されていたからだ
これも悲劇だった、でもあそこは海を見るにはいい場所として残った

ふるさとで出会うのは同級生の人でありその人は本当に霊山を落ち延びた南朝の末裔の只野氏だったのである、とにかくこの辺は只野氏がやたら多いのである
只野氏一族の町だともなる
ただ南北朝の争いは日本全国にその傷痕を残した、どこでもその争いが伝えられているからだ、それは小さな村でもそうである
それだけこの南北朝の争いは日本の歴史にどれだけ影響したかわかる
天皇が二人になったときどれだけその影響が日本では大きいことを示した歴史だったのである

月は秋の季語である、月がだんだん満ちて明るく輝く、でも今は夏から秋になる時期である、そして夏と秋がある、最近は暑いから余計にそうなっている
何か何度も言っているが不思議なのは今になって知性が冴えている
本でも一か月に10冊とかアマゾンの古本で買っている
だから書評を私はできる、この本が何を言おうとしているから一読してわかるからだ
ただ残念だったのはこんなに本があっても知らなかったし読めなかったのである
本というのは自分の知的関心から買うものだからインタ−ネットのキーワードで関心あることを調べそこで深く知りたいとき本を調べ買う
また誰かの文を読んで紹介されて買うとういことが多くなった
そういう買い方が良かったのである、それが今まではできなかった

そこで田舎ではまず本を買うことができなかったのである
仙台まで行って買うにしてもそこでも本が少なかったのである
すると肝心の本が買えないから知の分野では本当に不利だった
今はインタ−ネットで学者の論文でも読めるから素人でも学者ともなれるとなる
なぜなら文献とか論文とか本を読まない限りプロにはなれないからである

老人は体力は衰えても知性はかえって冴えてくる、人間は死をまじかにすると精神でも相当に鋭敏になってゆく、末期の目で見るようになるからだ
だから老人は知的な世界では充実してくる、私がこれだけてプログで書いていることでもわかる,書くことがいくらでもある、その内容も深く濃いのである

月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか  万葉集4492

こういう感覚は万葉時代にもあった、明確に月を数えてもよんでも辺りの景色は冬と思っても春となっているし秋と思っても夏となっているとかある
今は季節が一か月くらいずれている
今日は秋なのかでもまだ日ざしは強い、ただ今日あたりからは秋らしくなってゆくようだ



2019年09月11日

敦賀の原発でも漁業権を売ったことと同じことが起きていた (ワカメが放射能に汚染された方がいい、補償金がもらえるからとなった)


敦賀の原発でも漁業権を売ったことと同じことが起きていた

(ワカメが放射能に汚染された方がいい、補償金がもらえるからとなった)

敦賀の原発が放射能漏れ事故を起こした
それで養殖しているワカメから放射能が検出されて出荷停止になった
すまと原電から補償金が入る、そうなると働かずにお金がもらえる
そこで〈敦賀の漁民たちはこういうことが年に一回くらいあればいいのにとみんな思っていると」言っているのです
(属国民主主義論ー白井 内田樹の対談)

この対談は面白かった、そこにこういうことを内田樹が言っていた
この人は原発避難者を前から批判していたのである
津波被害者と分けて批判していたのである

このことは漁業権を東電に売り渡した漁業組合のことを指摘してきた
ここが何か一番の原発事故を起こしたことの地元の矛盾が現れていたからである
そして最近放射性物質に汚染された汚染水を海に流すということを政府で決めたことに反対している
そうして反対すると補償金が水増しされたりする、海を汚して魚がとれない、売っても売れない、放射性物質に汚染されているのだから売れないからもんと補償金をよこせとなる
それは原発事故前からそうだったのである、船主は特に権利があり東電に漁業権を売り渡した、それで原発御殿を建てていて回りからうらやましがられていたのである
それは海を利権化した暴力団と変わりないと他の人たちも言っているのである
そもそも漁業権は資源保護のために与えられている
東電に漁業権を売った時点で資源保護は保証されなくなっていたのである

だからこの敦賀の原発でも同じことが起きていた
ワカメの養殖が金が入るより事故になって汚染されて補償金を出る方が金になるからそう正直に言っている
そもそも漁業でも金にならないとか跡継ぎがいないとかずっと不満を言っていた
それで原発ができることで実際は金になるということで地元では歓迎されていたのである反対運動もしていないし原町の隣の20キロ圏内に東北電力の原発が工事がはじまるときでも小高の大工さんが景気良くなるよと喜んでいたのである
でも事故になったら今度は原町まで住めなくなった、それも恐ろしいことだと思った

この対談では明治維新になったのも江戸幕府が腐敗してみんないやいやしていたから明治維新になって日本人は変わることができた
その体制そのものに嫌気をさして変わる方がいいとみんな心の中で思っていたからそうなったと言っている、戦争も実はやめたかった、でもしぶしぶ仕方なくしていたから戦争に負けたときかえってそうした不満が解消されたとか解放されたとか言っている
何かそういうことがあったことは確かである

生業を返せーという裁判があったとしても生業とは何なの、生業とは漁業であり農業であり林業である、こういうものはみんな金にならないと不満が大きかった
もう全体の一割くらいしか従事していないのである
そして農業している親に子供が農業だけはやるなと殴られたと言った子供は原発とか建築現場で働いたのである

生業を返せ、補償しろ、金を出せ

となるけど第一生業そのものを嫌いそれに価値を見出していない、金に価値を見出しているだけだったのである
今になってそういうことを主張するのが矛盾なのである
だから外から見ると金が欲しいからそういうことを理由にして訴える、金が欲しいだけだとなる

つまりもし生業そのものに本当に価値があるものとしてこれまであれば批判はしないのである、そういう人はいないのである
そうなると山尾三省のようにパンは贅沢だとかなりパンすら食べられない生活であり
まるで生業に捧げる殉教者のようになる
山尾三省はそうして生業そのものの価値に生きて早死にしたとなる
この辺でそんな人は一人もいないのである、生業を捨てて金をもらい楽して贅沢したいしかなかったのである

でも人間の価値とは何なのか?そうして生業を捨てて補償金をもらっていい車を買いギャンブルに興じる、それは仮設暮らしとか原発避難者がそうなったのである
その時むしろ生業の価値を知るべきだったとなる
生業に従事することこそ人間の価値だったとなる
別に金をもらえばそれも辛いから金だけもらって贅沢してギャンブルしていればいいとなる、でも外部の人からそうしていて顰蹙を買ったのである

つまり人間の価値とは何なのか?

漁業であれ農業であれ林業であれ・・生業に従事していることこそ価値だったのである
ただ補償金をもらって贅沢して消費者になりギャンブルしていることが人間の価値になるのか?
そういうことが問われたのだがそのことを深く考える人はいない
要するに金の社会になれば金さえあればいいんだ、金を持っている人が価値があり何しようが関係ないとなったのである
そのことは上級国民下級国民でも別に金さえあれば上級国民になれると言っている
それが例えば株でももうけようが何しようが金がある者が一挙に上級国民になる社会なのが資本主義の原理だとしている
人間の価値は金だけで計られる、それで年収とかが階級化して目安となる
金意外に何か価値づけるものがない
もともと生業とかは金にならないとなっていた、だから価値がないとなっていたからこういうことが起きているのである

ワカメを作っているより魚をとるより米や野菜を作るより原発から補償金もらった方がいいとなっていたのである
だから原発は莫大な金を生み出すからそうなったのである
事故後でも除染費用が7兆円とかになり飯館村でも一億円もらった方がいいとか言われたしそれなりにもらった人がいた
前の土地が田んぼから住宅地になった農家の人は新しい豪華な家を新築していた
その人も原発事故を喜んでいた一人だともなる
飯館村は山菜をとれるとしても貧乏だったからである
それが外部からみれば素朴ないい村だとなるが内部ではそうではない
やはり今の時代は金がものいうから巨額の補償金が入ることで村は分断されてしまったのである

要するに生業を返せといっても山尾三省のような田舎の本来の生活に価値をもともと否定していたのである、そうなると田舎の殉教者のようになるからである
そんなことができるのはよほどの変人だとなってしまったのである
車もない、パンも食べられない、囲炉裏で生活している、そういう生活が田舎だったのである、その貧乏から脱するために経済成長時代が築かれたのである
そこから原発か積極的に誘致されて事故になり住めなくなったのである

ただ不思議なのは山尾三省のような生活は特別なものではなくみんな田舎ではそういう生活をしていたのである
その時は変人でも奇人でもない、常人であった
それが時代が変わって変人、奇人にされるようになった
テレビ番組ではそうした貧乏の極限を生きる人が変わっているから放送して視聴率をとる
もしそれがみんながそういう生活していた時代にそんなことを放送しても話題にもならない
何にも変わったところがないからである、当たり前のありふれた人だから話題にもならない
だから時代が変わるとこれだけ価値とか物の見方が変わってしまうのである

posted by 老鶯 at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

千葉県で台風による停電がつづく (災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)


千葉県で台風による停電がつづく

(災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)

千葉県で停電三日とかなり水道が出ないとか物が買えないとかクーラーが使えないとか被害か出ている、電気がないとガソリンすら車に入れらないという
つまりあらゆるものが機能させているのが電気になっいるからだ
電気が復旧しないと何もできない状態になる、食べ物すら冷蔵庫も使えず食べることもできなくなる、そういうことは東日本大震災で経験した
でも私の住む場所では電気が使えたし水道も使えた
近くでは電気も水道も使えなくなっていた、千葉県の房総市では街全体が真っ暗になった
文明は便利てのだけど電気水道とかの基本のインフラを破壊されるとその影響が大きい
何もずることもできなくなる、電気が使えないということはガソリンも供給できなくなることでもわかる、電気とはまさに今のライフラインなのである

そして文明社会は災害に弱いのである
なぜなら電気に頼っているから一旦電気が使えなくなるとあらゆるものが使えなくなる
携帯まで使えなくなっている、すると連絡すらできない状態になっている
一見便利なものでも電気が使えないとその便利なものが使えなくなる
真っ暗闇で暑くてもクーラー使えない、食べ物もない、連絡もできないとなる

都会は東京とかなると災害に特に弱くなる、電気が使えなくてったらこうなる
東日本震災で津波の被害地では電気も水もなくなっても裏山から清水をくんで木を切って薪で米を炊いてしのんだということがあった 電気がなくてもそういうことができたのである、都会ではできないのである
その時道路も寸断されたから助けようもなかったのである

そして今の時代あらゆるものを交通とか通信に頼っている
すると電気が使えなくなると使用できなくなる            
つまり文明生活は便利でも一旦こうした災害にあうと弱い
原発事故ではさらに空気から水から土から木から汚染されたから最悪だった
空気も水も飲めなくなる恐怖だったのである
それは今でも継続されているのである
原発は便利でも一旦事故になったりすると最悪になり住めなくなる 

こういうことが東京に大地震が来たらもっとひどい最悪のことが起きる
それももうなかなか復旧できない、その間に死ぬこともある
クーラーが使いないで老人が熱中症で死んだたからである
外からも助けることができない、電気が使えないと今回のようにあらゆるものが使えなくなるからだ
何か備蓄していても米を備蓄していても電気がないから炊くこともできないとなる
冷蔵庫も使えないから食料も得られるなくなる

何か東日本大震災とか神戸大地震とかで考え方が変わった
日本は本当に災害国であり周期的に大地震でも津波でも来る
それにいかに対処するかが日本国土に生きる者に要求されていた課題であった
日本の自然災害がいかに多かったかふりかえるべきである

次の大地震は津波は南海トラフで日本は壊滅的状態になる
それは科学的にも証明されている、そしたらとても東京のような大都会に住んでいられない、恐怖で住んでいられない、高層ビルが倒れるとかイメージしたら恐怖である
それは津波で壊滅した海岸線に良く住んでいたなと今になるとみんな言う
そんな危険なところに住んでいられたなと今になると見る
それと同じことが起きるのである

そうして日本がこれだけ災害が多いというとき災害に備えることが必要なのだがそれが真剣にしていない、日本人は忘れやすいのである
台風一過だとかしかたがないとか自然の猛威をただ通り過ぎるのを待っているだけであるでも今は災いは人間の手で作り出されているのだ
巨大な東京のような大都会がどれだけ危険なのか?
なぜその恐怖におびえて対策をしないのか?

正直外からでも東京が大災害にあったら助けることはできない、自滅してゆくだけになるそれが悪いのは回りでもない、事前に備えないなかったからだ自己責任になる
津浪でもなぜあんなに危険な海岸線に住んでいたのは自己責任だとも言う人がいたからである 

東京だけではなく都市でも田舎でも電気に頼っているから災害に弱い
でも地方だとなんとか水を裏山からでも飲めるとか木を切って燃料にするとかできる
都会ではそれができない、すると自滅する他なくなるのだ

だから津波であれだけ死んだとき、なぜそんな海岸線に住んでいたのか?
そんな危険な場所に住んでいる人が悪いと地元でも言う人がいたのである
それで東京でもそんな危険な場所になぜ住んでいたのか?
そんな所に住んでいた人が悪いとなってしまうのである
それで死んでしょうがなかったともなる
そういう場所に住む人が悪かったのだとなる

そして災害にあった時だけ助けてくれというのは虫のいい話だとなる
またそういうとき金は役に立たない、いくらでも金を出すと言われてもできない
現実に電気を復旧するにも時間がかかる、そういう時は金の問題ではない
丁度救急車を呼ぶのとにている、命にかかわるからだ
その時金のことを言っていられないのである

日本人は東日本大震災で気づいたことは常にどこでも自然災害があり備えていなければならない国だったのである
それでおたがいさまとかあるのは災害のとき助け合わないと生きていけないからそういう言葉が残されたとなる
日ごろは今は金さえあればとなる、金の力が大きなものとなる
でも災害の時は困った時は金だけでは解決しなくなる
そこで日ごろから協力関係がないと災害の時も助け合うことができないとなる
災害の時だけ助けてくれと言ってもできない、それは災害だけではない、日ごろの生活で病気だとかいろいろ困った時助けてくれないとなる
それは虫のいい話だとなるからだ

だからグロ−バル化した時代は日本はどこも危険だとして外国に脱出するのがいいと実行している人もいるしそうしようとしている人もいるのがわかる
第一東京とかなると故郷意識もない、どこでも便利に過ごせるなら安全なら住んだ方がいいとなる、そういうことは地方でも起きている
だからこそ原発避難区域では若い人は流出してゴーストタウンになったのである
東京とかでも一部巨大なゴーストとタウン化するかもしれない
もう危険だから住まないとなる

そして東京に住むのは危険だとわかっていたことだから覚悟して住め 

外から助けることはできない、金で解決はしない

その時金の力はなくなる、物がなくなったりするから戦後で農家に食料を交換するために高価な着物とかも売ることになる、つまり一挙に弱者化するのである
この世では強者が一挙に弱者化することがある
いくら金もっていてもそうである、金は万能ではないからである
本当はだから金を貯えていても大きな災害には役立たない
むしろ米を備蓄しているとか物があることが大事になる
それでこの辺では古米を配られたとき助かったのである

東日本震災で経験したことは大きなカタストロフィー、全面的崩壊現象だった
それは文明の崩壊のようになったから恐怖だった
原発にたより空気も水も土も放射性物質に汚染されたら住めなくなるからだ
東日本が住めなくなるという恐怖だったのである
東京のような大都会は人口が密集しているからそこでカタストロフィー起きる
地方だと田舎だとそういう大きい崩壊は起きない、分散しているから一部が破壊されてもまだ分散していれば生き残る
でも都会は集中的に住んでいるから壊滅的被害になる、それは神戸地震で証明された
ただ原発事故は地方でも田舎でも全面的崩壊に直面した
空気も水も汚染されたからである、土も汚染され森も汚染されて住めなくなったからである、それだけ原発は怖いものだったのである
それでもそうした危機意識がなかったのである

災害に強いか弱いかというとき原発事故でないかぎり地震でも津波でも接続社会として維持してきた
三陸とか漁業でも成り立っていた
明治の津波でも一万人死んでも漁師は海岸沿いに住んで魚をとっていた
船をだして魚をとって生活を維持していたのである
つまり津波だったら別に魚がいなくてるわけでもないし食料がなければ生きていけないからそうなった、つまり住民が大量に死んでもやはりまた魚をとれることで人口が回復したのである、自然に依存して生活していれば確かに被害も大きいのだが貧乏でもなんとか生きることはできて持続社会になっていたのである

東京とか巨大都市になるとそうした接続社会とならない、維持できない、一挙に大崩壊がきて再生できないしゴーストタウン化する、外国から食料でも入り助けてくれるというが外国は本当にそういう時助けてくれるのか?
その時日本の円は暴落するから物を食料でも買うこともできなくなる
緊急の際は外国は役に立たない、運ぶのが容易でないからである
今回の停電でも電気が使えなくなっただけで外部との交通もたたれ連絡すらできない状態になったからである
グロ−バル化経済とかは意外と災害とかには機能しなくなる 

外国だから別に助け合うということで成り立っているわけではないからだ
それで韓国では日本が災害にあったとき喜んでいた
今でも放射能に汚染された魚とか食料のことで攻めて来る
そんな国と付き合えるのか?
むしろ災害に会い日本が弱体化したとき攻めてくるのが外国なのである
だからグロ−バル経済というのは一面大きな危険がひそんでいる
それは別に助け合いの経済でも何でもないからである
それより資本主義の非情な弱肉強食の経済なのである
それは外国だけではない日本国内にもありうる 

田舎と都会の問題にもある、日ごろ助け合わないものが災害とか緊急事態に助けない
それは親族でもそうである、離れて暮らしていると何か緊急事態になり困っても助けられない、その人は自分にも問題があるにしろ金の関係でしかない
祖母でも死んだとき財産をもらえとしか思っていなかった
それはそういう事情があるにしろ遠くになるとそうなりやすい、何かあったからとすぐに駆けつけることもできないからである
それぞれの生活があったからである
その人は介護関係で働いていたが自分の家が介護で四苦八苦しているとき何もしない
他人の介護の仕事で精一杯だったのである
だから遠くの親戚より近くの他人となったのである
つまり災害には緊急事態には近くでないと役立たないのである

posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年09月10日

福島県の文化財課の人が海老の高台を調査して古墳を二つ発見!


福島県の文化財課の人が海老の高台を調査して古墳を二つ発見! 

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沖に船が行く

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津浪のあとに残された松がまだある

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松が密生してかなり高く伸びていた

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ここは避難所に指定されたが30人ほど死んだ

うしろの森に逃げて助かった人がいた



海老に行ったら福島県の文化財課の人が調査していて古墳を二つ発見したという
そこは高台であり津波の避難地域として指定されていた場所である
でもそこに逃げた結果30人くらいが死んだ場所なのである
高台であり避難場所に指定されていたからである
これも大失敗だった、なぜならちょっと歩くだけで津波の被害をまねがれたからである
別に海老の通りの道をまっすぐ山の方にちょっと歩けば助かったからである

ただ海老村は高い場所であり昔から弥生時代から人が住んでいた
その住居跡も津波で人が住まなくなり発見されたからである
ただなぜそれより高い崖の上に古墳があったのか?
そんなところまで人が住んでいたというのが意外だった
確かに屋形から海老の山沿いに古墳がある、だからその延長として古墳があっても不思議ではない

それにしても高台の崖の上となるとそんなところに人が住んでいたのが意外だった
おそらく海老村には相当に人が昔から住んでいた場所なのである
それは高台であり海老の家が密集したところは港でもあり魚もとっていた
右田村は江戸時代から人が住み始めた地域だからである
その江戸時代からあったといわれる松原は津波で全部なくなったのが残念だった

海老村が古いというきと海老はエヒでありまた恵比寿(エビス)からも来ている
蝦夷(エゾ、エミシ)のことだからである
そういう名がつくほどにここは集中的に人が住んでいたのである
それで外来の人がここに来たとき衝突があったとなる
それはかなりの人々がここに住んでいたから衝突した場だからとなる
それで海老(エヒ、エビス)の名がついたのである、蝦夷が集中して住んでいる場所だったのである
だからこそあの高台に崖の上に古墳が二つも発見されたとなる
そういう歴史的背景があって発見されたのである
だから確かに意外だがそういうこともありえたともなる

ただ海側に古墳があるといそこに人が住んでいたのは貝と魚とかとれるからである
食料になるものがとれるからこそ海側に住んだとなる
それで日下石にも古墳があった、それは今回の津波が迫って来た場所だったのである
ただそこまでは津波は来なかったがそれなりに近くに津波が迫ってきていたのである
ただ慶長津波とかの何か証拠となる痕跡が発見されていない
それが一番の問題なのである
貞観津波のことは相馬市のボーリング調査で発見されている
松川浦のかなり奥まで津波で運ばれた砂が発見されたからである
慶長津波ではそうして何か証拠となるものが発見されないのである
だからどうしても謎になり証明できないということである

ただ海老の家が密集した地点から坂を上った崖の上に古墳が発見されたということは
あの辺一体に相当数の人が住んでいたのである、それは弥生時代からそうであり古墳がそれを示している
第一古墳が二もあるとしたら一つではないのだから倍の人数が住んでいたと推測できるからである

南相馬市の鹿島区は古墳の町!

寺内から小池にも古墳が本当に多い、それで金銅双魚佩が寺内の前方後円墳から発見されたことで有名になった、今回も海老村の高台から発見されたことは意外だった
海老千軒とか言った人がいたけどそれも嘘ともいえない、それだけの人が昔から住んでいたからそう伝えられたのかもしれない、ただ・・・千軒というきは各地にある
でもなんらかで津波とかでも消えてしまったとなることはありうる
それこは今回の大津波で実感したのである

海老村にはマルハシャリンバイがまた自生していた、それから松も繁茂していた
津波から8年半とか過ぎているからそうなるが松は成長が早いと思った
あそこの高台は南相馬市では景色のいい場所である
一時は八沢浦の方が入江になったときは本当に驚いた
今日も沖に船が見えて釣りする人がいた
あそこは悲劇の場所たけど眺めのいい場所なのには変わりがない
ただあそこを何に利用するのかわからない、ゲートボール場にするにも人が住んでいないそれをどうするかはわからないが整地していた