2019年09月01日

時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値 (時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)


時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値

(時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)

時代によって変わる価値という時常に人間は長い歴史で経験してきた
明治以降は特に価値が変わった、江戸時代の価値観がまるで変ってしまった
侍がなくなったということが一番変わったことでもあったし藩がなくなったことでもそうである、殿様もいなくなった
その変化はあまりにも大きいものだった、だからそういうときその時代についていけない人たちがでてくる、変化が激しいのでついていけない
今までの価値観の中で生きようとする
そういうことは歴史の中で常に起きてくる
特に現代は科学技術社会でありその進歩が急だったからめまぐるしく変わりついていけなくなる

交通でも明治以降は鉄道中心であり車社会になるのは高度成長時代からである
その時国鉄時代であり社会党が大きな力をもっていたのは国鉄をバックにしていたからである、そういう時代も国鉄が民営化して車社会になった時変わった
国鉄は消えて輸送は車中心になったからである
その時代は鉄道中心に街作りでも行われていた
鉄道の価値が高いものだったのである、それで原町のように駅前通りが全国で作られ街作りの中心として駅があった
今は鉄道が衰退して高速となりその高速のSAは新しい街作りとはならない
街とは結びつかないのである、一時期に車をとめて休むだけだからである

通信でもまだ電話でも普及していない、手紙とかハガキであったりした
その通信の分野でも急速に変わった、インタ−ネット時代になるとこれは個々人が発信できるので新聞とかテレビが報道をメデアを独占する時代は終わった
携帯電話からスマホ時代になっても変わった
こういう技術の変化が激しかったのが20世紀だった
そういう技術の変化でも価値観が変わる

価値観というのは例えば文学でも万葉集というのが日本の古代という時代から生まれたものである、そこに日本の原始性が残っていて今になるとそれが理解しにくいのはそのためである、平安時代になると古今集となると万葉集とは別ものになっていたからである
つまり時代の産物として文学もありその時代を知らなければ社会でも知らなければ文学も理解できない、それが時代が変わると非常にむずかしくなるのである
なぜ芭蕉の奥の細道ができたか?これも江戸時代初期の元禄時代と関係していた
その時代の産物として生まれた価値を作りだしたのである
だからこれは今では作れないものであり価値が減退することもないのである
一流の古典となると価値が減退しないのである、代々読み継がれるのである
そういうものが古典となる、今の時代でも無数のものが残されても時代に代々受け継がれるものはまれなのである
万葉集の価値が減退しないのは日本という風土がありその原始性を歌っているからだとなる

ともかく人間はその時代時代の価値観に生きている
明治から太平洋戦争までは日本は貧乏だったけど農民が80パーセントだったとか農民中心の社会だった、そういう中で価値が作られていたのである
農業社会の価値観に生きて入たからこれは江戸時代の継続でもあった
なぜなら燃料は山の木材を燃やして作る炭だったからである
街中の家にもみんな囲炉裏があったからである
そういう生活で価値は作られてきた、その時何が大事なものかとなると江戸時代のようにその土地でとれるものが特に米が大事なものになっていた
第一パンは戦前はほとんど贅沢な菓子であり食べていないからだ
子供の時ようやくコッペパンなどが出てきて食べ始めたのである
それは子供の給食にもでてその味を覚えている

囲炉裏があるときその囲炉裏中心に生活があった、特に農家ではあった
そこで薪をくべて煮炊きしていた、そのことに価値を見出していたのが山尾三省である
この人は何げない田舎の生活に価値を見出して極貧の中に60くらいで死んだのである
その田舎の価値とは戦前とか戦後10年くらいまでみんの普通の生活だったのである
今になると自分の家のすぐ裏の堀で洗濯していた、これも今になると信じられない
洗濯機などなかったからである
でもそういう不便な生活でもその時代に作られた価値観がありそれを山尾三省は求めたのである
回顧的価値観とはなってしまうがその時代はそういう生活であり別に特別なものではないからそこに価値あると認めていたとはならない
一時代が終わった時その時代を回顧してその時代の価値を見るとなるのが人間だからである

その後高度成長時代になりこうした江戸時代から継続した生活は失われた
故郷でも田舎でも急速に変わったのである
それで小高に住んでいた人が父親に農業だけはやるな継ぐなとして殴られたというとき
それも極端にしろみんなそういう時代になった
農業とか漁業でも林業でも金にならないという時代になり捨てられた
原発事故になる前から第一次産業は金にならないとして捨てられていたのである
だから漁師は漁業権を東電に売り渡したし農業に従事する者は一割にも満たないものとなった、その時明らかに漁業とか農業とか林業でもか江戸時代から継続してもっていた価値が喪失したのである

なぜなら炭焼きは山村からなくなり石油とか電気にエネルギーが変わったからである
その前に常磐炭田とかあったがこれも終わり炭や石炭の時代は終わった
その時第一次産業は価値ないものとして原発事故の前でも捨てられていたのである
そして原発事故になった、その時この一回捨てられた漁業とか農業とか林業が一番打撃が大きかった
海でも水でも土でも木材でも森でも空気まで放射性物質で汚染されたからである
それか致命的であり住めなくなったのである
人間はその土地に住むということは生態系に依存している
水でも土でも空気まで汚染されたら住めなくなるのである

でもすでに第一次産業はすでに捨てられていた、跡継ぎもいないとか捨てられていたのである、そこに原発事故になり二度捨てられたことになる
それから原発事故の補償金でも故郷の田舎の価値は捨てられた
一億円補償金もらったら故郷のことや田舎のことより自分のこと家族のことが大事だとなりその多額の補償金をもらって故郷を捨てたたのである
その時故郷に残されたのは老人だったのである
老人は故郷に愛着があり残ったが若い世代は金の方が大事であり今の時代の価値観に生きるから広域化社会で金があればどこにでも住みたい所に住めるとなり故郷を捨てたのである

でも故郷には先祖の墓があったり故郷に受け継ぐべき価値あるものがあった
でもそれは目に見えない実利として見えないものがある
景観とか先祖とのつながりとかは目に見えない、だからそれは実は切れやすいものだったのである、金の力が大きくなるとそういうものは目に見えないし実利にならないから無視されるのである、何か故郷には目に見えない実利とならない価値があった
でもそういうものは無視されて捨てられたのである
おそらく老人が故郷に残ったのは思い出がありそこで暮らし歳月があり簡単に捨てられないから残った、それは実利にはならない、金にならないのである
でもその価値が実は大きなものだった、金に変えられない金で作りだせない価値でもあった、第一思い出はもう老人には作れないからである
その思い出はその土地と故郷と一体化してあった、だから故郷に残ったとなる

いづれにしろ故郷は二度捨てられたのである、原発事故前にも故郷の価値は捨てられていたのである、そして多額の補償金が入った時も故郷は捨てられた、そこにあった価値は無視されて捨てられたのである
複雑な事情にしろ親戚でもあった人は親の墓を自分が作ったが墓参り来ないで縁は切れたそれだけの縁だったとういこともあるが何か簡単に親の縁もキレると思った
その人は金がないから十万欲しいと電車賃を送ったが親の墓参りに来なかった
親に苦しめられたにしろ子供の時かわいがられたのだから親を思う心があると思った
実際は全然なかったのである、ただ電車賃十万が欲しいから墓参りに来ると言ったのである、そして墓参りには来ずに縁は切れた

このように十万でも死んだにしろ親の縁でも先祖の縁でもキレルものだと思った
先祖を供養するとか墓参りしても金にはならないから来なかったのである
その人は金が欲しいからであり親を思う心がなかったのである  
親とか先祖を思うとしても金の方が大事になる、それもたった十万で死んだにしても縁は切れたとなる、それはかないこの世の縁だだといえばそれまでだが何かここでも同じようなことが起きたのである
ただキレル縁は不思議にあっけなくキレル、親子の縁だって切れにくくてもキレる
何かこの世の縁はみんな切れるのかとなる
それとは違っても同じようなことがここで起きたのである
金の切れ目が縁の切れ目になりやすいことが変わりなかった

故郷でも田舎でもそうして目に見えないものとして価値あるものがあったがそれは捨てられたのである、多額の補償金の方が一億円の方が価値あるものとなっていたのである
もちろん放射能汚染とかあり帰れないといえばそれまでだが何かそれだけではないものがあった、それと強力な理由とはなったがやはり金の方が価値あるとなった時代だったのである、またグロ−バル化広域化社会の中で価値観が変わったからそうなったともなる
いくらグロ−バル化と広域化社会を批判したとしてもそういう中で生きざるを得ない
その時代の価値観で生きざるを得ないから金の価値が大きくなり故郷は捨てられたとなるただ逆に山尾三省のように東京暮らしの都会人は強烈に田舎生活の価値観を求めて移住して農業して死んだのである、でも田舎の人はそういう価値観をとっくに捨てていたのである
むしろ田舎の人は都会人の価値観に生きていた
いい車が欲しい、いい家が欲しい、うまいものを食べて贅沢したいときりがなかったのである、そのためなら何でもする、東電に漁業権でも売り渡す、農業などしても金にならない価値がないとした
そういう時代の価値の変化の中で原発事故が起きたのである

ただこの価値観は変わる、かえって今度は別な形で田舎が地方が見直される時が来ているのかもしれない、若い人は田舎志向になっている、都会に出ても働いても非正規であり金にならないとか田舎に帰っているという、田舎に星を見にきたという若い人もそうである都会にないもの自然でも田舎に求める時代になっている
そのように田舎は地方は見捨てられたのだがまた価値観が変わってくる
別な形で田舎が地方が見直される時代になる、その兆候が若い人に現れている
すると今後その若い人は60年とか生きる、するとまた時代が変わり価値観が変わるのである
だから貧乏であれ一時代に作られた価値観は貴重なものであり実際は廃れることがない価値がある、それで万葉集は時代が変わっても不滅であり古典になるものも不滅なのであるたから金になる者だけを求めるがどういう価値を求めて生きるかが人間は大事になる
どういう価値を追求するのかが問題になる
でも金になることが必ずしも求める価値とは一致しない葛藤がある
でも今の若い人は金にならなくても自ら求める価値を追求しているという時、時代が変わっているのである、その若い人達の価値観が次の時代を作るからである   

価値が変わってもその時代時代の価値は不変である

価値が変わるとしてもその時代時代に作られた価値は残るし不変である、だから必ずまた時代が変わっても見直されるのである
万葉集の価値が時代が変わっても変わらないように不変の価値をもちつづけいるように変わらないのである
活字でも電子文字になっても別にその内容までも変わらない、内容がなければ価値がないのである
俳句でも短歌でも紙に書いたから価値があるとか電子文字では価値がないとかならないのである
問題は内容にあるからだ、その辺が錯覚しているのである

鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる (徒歩旅行者を案内)


鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる

(徒歩旅行者を案内)


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ここに新しい駐車場ができ


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プラッサー&トイラー (Plasser & Theurer) は、オーストリアの線路工事用重機メーカー。本社をウィーン、工場をリンツに置き、欧州周辺の鉄道をはじめ、ロシア、アフリカ、中南米、アジア、そして日本にも輸出している世界規模のマルチプルタイタンパーメーカーである。

1953年にオーストリアで設立。欧州では同業他社としてスペノ社とマティサ社(共にスイス)があるが、世界の鉄道の大半ではプラッサー&トイラー社の製品が採用されている。

日本では1971年、プラッサーグループの日本法人として日本プラッサー株式会社(豊島区駒込)を設立。旧国鉄(現・JR)、日本の私鉄をはじめ公共公団との関わりも深い。

2010年現在、製品は世界104か国へ輸出されており、15,000台以上が稼働している。全世界の従業員3,000人のうち1,500人がオーストリア勤務である。

引き込み線にこの車両がとまっていた、何なのかと見て調べた
これはオーストリア製であり線路工事用の車両である
なぜ外国製を使用しているのか?日本で作れないのか?
日本でその技術がないのか?日本が鉄道の先進国のはずである
ただこれは確かにオーストリア製であることは間違いない

これが引き込み線にとまっていたことは本当にめずらしい
引き込み線は昔は荷物をおろすために使われていた
自転車屋が駅前にあったのは鉄道で運んでいた時代があったがらだとしている

例えば繩屋という屋号の家が近くにある、それは梱包するのに縄が使われていたからだ
つまり荷物を出すにも縄で梱包するからだった
ともかく引き込み線は無用のものと思っていたがこうして使われていた
まだ残っている駅が多いが使用されることがあると思った

今はあまり駅で案内しないが毎日買い物の帰りに駅は通る
駅で案内はしなかったが昨日はコンビニにいたら徒歩旅行者とあった
その人は星を見たいとして〈手の沢)に行くと4時ころ栃窪の方面に向かった
でも栃窪には手の沢がない、瀬の沢があり間違いかもしれない
子供の頃、ここにきたから行くのだという

私は遠いと行ったが行きたいというので4時ころ栃窪まで行く道を案内した
真野川沿いにでてここをこの真野川を上って行けば栃窪に出ると行った
また真野ダムがありそこは高いから星空を見るにはいいと言って案内した
それにしても若いということは体力がありバックパッカーのように荷物を背負って
4時になってもそんなに遠くに行けるからうらやましい
自分は旅行しても徒歩旅行というのはししていないのである
だから自分は意外と本当の旅行を経験していないとなる
徒歩旅行はかなりきついと思うからだ
栃窪に行くにしても食料が必要でその若者はコンビニに寄ったのである

別に六号線では徒歩旅行者とは年配の人でもあう、徒歩旅行者には話しかけやすい
なぜなら歩いているからだ、自転車だとやはり走っているからとまらない限り話しにくいとなる
徒歩旅行者だと接触しやすいのである、クルマだと全く接触できない、話しかけたりもできないのである
ともかく駅でなくても案内することはあると思った、時々こういう人を見つけて案内している

不思議なのは都会の人は田舎に憧れているのだ、田舎の人は若い時は都会に憧れる
でも今はどっちかというと田舎に自然志向が強いともなっている
それで非正規の派遣の非正規底辺労働者がyoutubeで若い人が田舎に実家に東京から帰っていると言っている、金にならないから田舎に帰っているという
ということは地方に若い人が帰っている、東京から若い人が離れているともなる
時代はむしろ田舎志向になっている

山尾三省はあれほど田舎に憧れて田舎で最低限の生活をして死んだのも逆説である
それほど東京で生まれ育ったから田舎に憧れて田舎で生活して死んだのである
つまり田舎に住んでいる人より強烈に田舎志向が強かったし田舎人より田舎を求めていたというのも逆説である
ただ六号線を行く人は山の方には行かない、六号線をたどって歩いている
それだと便利だからである、でも山の方が景色がいいし魅力がある
でも遠くに行くとなるとどうしても便利だから六号線を行くのである

夏の星若人遠く行きにけり