2019年09月04日

「大災害時代」に突入している、地方の死はこの大災害 〈大事故)によって加速される―広域化社会の復興を考える


「大災害時代」に突入している、地方の死はこの大災害

〈大事故)によって加速される―広域化社会の復興を考える


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確かに原発事故周辺地域では実際に町や村の死が現実化したのである
南相馬市だと小高区との影響が大きいから営農再開でも45パーセントとか低いのであるでも原町市と鹿島区は山側をのぞいて営農が再開されている
でも小高区の面積が広いのでまだ45パーセントとかなる
南相馬市では小高が負担になっている
それは残されたのが老人が多いからである、まるでシルバータウンのようになっている

そして意外と老人でも南相馬市内に原町区とかまたは相馬市とかに住んでいる
若い人は仙台方面に移住しているが老人は南相馬市とか相馬市とか新地でも住んでいるのである
また浪江の人たちも復興住宅が作られた、原町は四階建ての団地が10くらいも作られた感じになる

だから今この辺がどういう状態になっているかというと小高は確かに3割とか帰ったとなるが老人がほとんどである、浪江は一割とかであり双葉大熊はまだ避難解除されていないのである、その人たちも補償金をもらったから原町とか鹿島でも相馬市でも新地でも立派な家を建てているということがある
それをとやかく言うのではなく現実だということである
その現実からこれからどうするのかと考えざるを得ないのである 

ここで取り上げたサイトで警告していることは地球が大災害時代に入ってその影響が地方に深刻であり地方の死が加速されるということである
それは原発事故周辺とか津波被害地域でそれが起きている、それは将来の予測ではなく現実化した問題でありその対応をどうするか深刻な問題となっているのだ
必ずしも政府が計画した街作りは成功していない、宅地を高台に作っても肝心の人が住まないのである
それは飯館村でも立派な学校とか施設とか作っても肝心の人が住んでいない、小学校でも立派だけど生徒は村に住んでいない、村外から通っているし第一村長も住んでいない
村長の孫も村外から通っているのである
そういう村が成り立つのうという問題がそもそもある

そして広域化した社会ということでこの辺は仙台に人口が集中している
山形の人口が減って仙台が増えている、山形県人が仙台に移動しているともなる
それは津波の被害や原発被害で加速して増えたのである
小高の人が仙台に二〇〇坪の土地を買いアパート経営している
仙台は不動産価格が阿武隈川を越えると二倍になると言っていた
岩沼とか名取とかになると高くなる、そこは仙台圏内だからである
名取に小高の若い人は移住して立派な家を建てた、そこで父親の部屋も作ったからそこに住んでくれという言われたがその人は小高に住んでいる

何かこうして浜通りはいわき市に浪江とか双葉とか大熊とかから2万人近く移住した
それから仙台方面へと広域的に人が移住したのである
そして小高の田んぼは草ぼうぼうであり営農は開始されていないのである
それを見たときもう小高でも浪江でももちろん双葉とか大熊なら余計にそこに住めるのか住みたいことがわかるにしてももう若い人たちは帰ってこないし、老人だけがまるでシルバータウンのようにして住めるのか?
それが疑問になった、前は復興ししてもらいたいと書いたがそれも時がたつにつれてこうした現実があるときもう捨てるほかないのかとも見た
それはかえって南相馬市だとそういう小高区のような地域をかかえると負担になるからであるそこに予算をつぎ込んでどうなるんだ、町は復興できないとも見るからである
今や復興を願っても現実問題としてそこを捨てた方がかえって楽になる
社会が広域化しているから仙台方面と移住したのである
すると復興というのは一地域ではなく広域的に考えざるをえなくなる

農業を復興してもらいたいと自分自身は思っていた、そういう願いがあった
でも現実は農業は維持できない、前から農業をになっているのは六〇以上の老人だったからである、それが余計にこういう状態になって担いなくなったのである
だからそういう場所に労力と金をつぎこむことが無駄なのではないか?
それより現実に南相馬市だったら原町、鹿島に人も移住している
すると原町と鹿島中心の市を作っていくとなる、それが現実的だともなる
小高は捨てた方がいいともなる、それは負担になるし介護でも福祉でもそうである
原町と鹿島区にそうして老人を集中させると効率的になるからだ
それはコンパクトシティにもなる

何か仮設の効用として女性などはいつも近くで会えるし話しできると喜んでいた人もいたのである、もちろん狭いから嫌だったという人もいた
ただ一時的に隣り合う長屋のような住まいになりそこでコミニュティが形成されたのである、だから仮設が悪いというだけではないいい面もあった
ただそのいい面は指摘されなかった、なぜなら被害者だということでそのことばかりを全面に出して援助を乞うようになったからである
原発被害者に援助が必要でも過剰になっていたのである

結局復興をどうするかとなると今の時代に適応したものとならざるをえない
つまり広域化した社会では復興でも広域的に考えざるをえない
だからこそ仙台方面へと移住したということは広域社会だからそうなった
そして復興とは被害にあった一部ではなく仙台方面とか広域的に考えざるを得ないのである、もともとここは仙台圏に近いから交流も多かった
それで仙台方面に移住した人が多いのである
何か市町村の枠を越えた連携が必要であり広域的復興の施策が必要になる
それはすでに現実がそうなったいるからそう考えるようになったのである
常磐高速ができたことでもそうである、ユニットバスを百万で作ったのも仙台の会社だった、もう地元だけでは生きられない社会である
それに自分自身が抵抗があってもそういう社会が現実なのである
それを否定していは生きていけない社会になっているからどうにもならないのである

大災害時代は広域化社会では一小地域が維持できなくなる、それは今の生活が昔のような村の自給自足生活とはあまりにかけ離れているからそうなったのである
インフラの整備でも過疎地域だと八〇倍かかるととんでもない金がかかるのである
だからこそコンパクトシティとか人を集中させて効率的生活をするとなる
それはこの辺ではすでに現実である、原町でも鹿島でも相馬市でも新地でも移住しているからである
そしたら小高を復興しようとすることがいいものなのか?
そうなってもらいたいと外からでも思っても現実がどうにもならない
すでにこういう時代は切り捨てざるを得なくなるのかもしれない
これから南相馬市は来年とかで十年とかなれば国から復興費用の援助がなくなる
その時苦しくなるというから余計にそうなる、負担になるのを減らすことが必要になるからだ

ただ自分がそういうことを言えるのかとなると問題なことを自分も承知しているのである市政というものに通暁していないからである
ただ現実を見るとすでに人はもう広域的に住んでいるから広域的に復興を考えざるを得なくなっていると見たのである
小高でも浪江でも復興してもらいたい、でも現実問題としてそれが不可能になっているとも見る、そこに費やす労力でも予算でも無駄とならないか?
それで霞が関の官僚が三陸などの津波被害地域にじじばばばかりの地域に予算を費やしても無駄だと言って顰蹙をかったのである
それも現実がそうだからあえてそうい言ったともなる
でも大規模な高台の土地の造成してもそこに人が住まなかった、そしたらその労力も無駄だったともなる、除染でもそうである、莫大な金が使われたがそれはゼネコンとか官僚の利権化しただけだとかきもなる
なぜならゼネコンから自民党への献金が増えたというからである
そういことのためにゼネコンに除染をまかせたのかともなる

広域化しているという時、南相馬市とか浪江とか双葉とか大熊でも広域的に政策を考え共有しなければ復興できない、それぞれの自治体単位ではどうにも処理できなくなっているすでに広域的に住民が移住しているのだからその対応も広域的にならざるをえないのである、そして現実に浪江でも小高へ帰らないと決めている人が多いからである
老人は小高に帰らないと原町とか鹿島とか相馬市とか新地でも住み仙台圏へと人が移住しているからである
そして少子高齢化や人手不足時代になり地方のまた小地域が維持できなくなっている
それが大災害自体に原発事故の人災でもそうなっているからそういうことかと読んだのである



posted by 老鶯 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

破壊された村の共同体、アイディンティティ (消える御先祖様、維持できない墓―無縁化する社会)


破壊された村の共同体、アイディンティティ

(消える御先祖様、維持できない墓―無縁化する社会)

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柳田国男ー先祖の話

日本人のアイディンティティは村で作られた、それで村の地名が姓になっているのかほとんどである、姓をたどればどこかの村に突き当たりそこが姓の発祥地なのである
相馬地方で大原の隣に大谷(おおがい)村がある
そこは土地が狭い、山があり耕作する土地が狭い、そこでなぜ栃窪村に大谷の姓があり一族を形成している、何か古い村だと都会のように外からの人が交わらない時その村を形成した一家がありその姓が分家したりして増える
例えば常磐線の末続駅をおりると墓地があり新妻の姓が八割くらい新妻の姓だったのである、ここでは明らかに新妻一族の村だとなる
他に葛尾村は松本の姓が三分の一でありこれは信州の方から今の長野県から移動してきた侍の子孫だとなる
そういうふうに辺鄙な村だと同じ姓の人がいることはわかりやすい。
井川線のローカル線の秘境駅に土本という姓の駅がある
そこにその姓となる家が三軒ほどあるからそうなった 

南相馬市に多い只野、但野という姓もそうである、これは本当に多いのである
その只野という中心となって人が同級生だった
それは南北朝時代に霊山での争いで落ち延びた侍の子孫だったのである
その基は郡山の多田野村にあった、これも落武者の系統に入る姓だった
何か落武者伝説が各地にある、葛尾村の松本姓ももともと信州の長野県の侍が落ち延びてきたともなる 

姓は血縁から生まれた、姓(かばね)のことだからである、屍(かばね)に由来しているからである、でも日本では村を中心にして社会が形成された
社(やしろ)を中心にして社会が形成された、社会とは社(やしろ)に会すからきているそれが会社ともなったのである、会社も一つの村という感覚にもなっていた
高度成長時代終身雇用制度が生まれたのはそのためだったとのかともなる
そもそも村での農業社会に定年はない、死ぬまで村に所属して死後は先祖になる
そういう長い継続のなかでアイディンティティが築かれてきた
だからこそ社会があり会社になったともなる
第一社会はソサイアティという訳語であるけどこれは仲間という意味である
この仲間がどういう意味なのかわからない、ただ血縁とか地縁とかとも違う意味があるのだろう、ヨ−ロッパでは社会の形成は広範囲なものがあり小さい村を越えて形成されているからである

日本でも最初は血縁で結ばれていた、第一天皇でも萬世一系とか今日までつづいていることでもわかる、2000年とかその血縁が変わらず続いているのは日本だけだとなる
外国ではたいがい姓は血縁であり父方の姓になる、中国でも韓国でも一つの姓で結合する李氏朝鮮とかあったのも李一族が支配するとなっていたのである
だから日本がなぜ村を中心にして共同化したアイディンティティ化したのか特殊だったとなる
そこに日本文化の特殊性が形成されたことを基本的に知らないと日本は理解できないのである、確かなことは血縁もあったのだが村という土地で共同して働き助け合いしているうちにその村で一つの共同体が形成されて一つの御先祖様になった
だから私は先祖になるということを言ったのは重みがある
その村の御先祖様になる、今ならそんなことを言うとだいそれたことになるからそれだげ時代が変わってしまったのである
つまり御先祖様になる基盤となる村が消失してしまったからである
今農業を継いでいる平均年齢は68歳だというから驚く、もう跡継ぎがいないのである

それで大原村では前田というところに草分けの農家らしいが病院で知り合ったがもともと息子が市街に出て働いていて一緒に住んでいなかったのである
それで猫のことを心配していたのである、猫と一緒に住んでいたからである
その人が死んで今は空家になっている、その墓は大原にある、何か墓に刀自とか記されているから古い家の感覚がそこにあったのかとなる
つまりこの人も御先祖様になるということに昔だらなっていた
でも今は墓はあるにしろ息子は市街に住んでいるからやがて大原とは疎遠になる
農業を受け継ぎそこで暮らすならそこに御先祖様がいることになる
それで春になると田植えの時期に御先祖様が山から下りて来るというのは農業がその土地で継続されてこそありえたのである
その基盤が失った時御先祖様は存在しえなくなったのである
だから墓を維持できないとかいろんな問題が生まれてきている
それがあまりにも戦前からでも戦後でも社会の変化が激しいからその拠り所とするものがアイディンティティが失われたからそうなったのである

要するに〈先祖になる)という場もなくなったのは農業社会から工業社会とかに移行した結果なのである、そこで共同の場は会社に移行したのである
でもそこでは御先祖様とかになることはありえない、会社を退職すれば会社の縁は切れるそれは死後もつづくようなアイディンティティの場にはなりえない
そもそも会社自体がグロ−バル化競争の中で消滅している、大企業でもそうなる
でも村の歴史は日本では長いのである、何代もつづいてきたのである
千年くらいつづいてときた村もある 

そこで日本人のアイディンティティが築かれて来たのである、だからこそそこに日本人の精神が築かれたのだからそれを失うということはアイディンティティの喪失になり実際は精神的拠り所になるものがあらゆることで失うことになるから深刻になる
それで先祖になるというときその言葉に重みがあるのはやはり死というものが共同体の中で位置づけられた重みがあったからである
それは靖国で会おうといって戦士した英霊にも言える
その人たちも日本の先祖になりたくてそう言ったのかもしれないからだ
それがなされないとき亡霊として日本を彷徨うとなるからである
それで村に帰ってきた兵士が亡霊となりそれがトンネルから出てきたのだか追い返えされた黒沢明の映画(トンネル)が何かリアルだったのである

いづれにしろ死という問題が今うまく対処できないのはこうした社会の急激な変化によってである、死というのも個人的な死と社会的に意味付けられる死があるからだ
個人的な死は世界共通であり世界宗教の問題である
でもまた共同体の中での死がありそれはまた別な問題としてある
それで同じ墓に入るために墓友達を作っているのも現代的である
でもこれも老人になってから作るからとても村のような深い強い継続的なアイディンティティは作りえないのである、ただ一時的なものとして処理される
つまり今の時代は長い時間で継続される、時間軸で生きることができないのである
そのアイディンティティとなる場が村がなくなったからだともなる
だからなぜ原発事故で簡単に町でも村でも解体したのか?
放射能汚染で住めないということもあったがそれだけではない、そもそもそうした町であれ村でれグロ−バル化広域化社会の中に貨幣経済のなかに巻き込まれてあった
どんな辺鄙な地域でも今はそうなのである
第一石油を使っていればそれは中東と関係してグロ−バル化しているからである

そうして商業というとき奇妙なのは神社が市場になりそこを村から無縁化した場所として提供されたのである
つまり村から無縁化されないかぎり自由な商売はよそものは村に入れなかったのである
今でも村となると都会の人が入りにくい、よそものとして見られるとか嫌がれるとういことでそういう継続がある
しかし資本主義となるとそうして無縁化して貨幣経済にすることで成り立つ
それがグロ−バル経済として現代文明を作ったのである
だからそこで無縁化社会になり孤独死とかが増えるのもそうした社会の変化の中でそうなったのである

それは世界的にグロ−バル化した社会でありそこで実際は様々な問題が矛盾が生まれたのである、人間が商品化する貨幣経済がすべてになり商品化するとかマルクスの思想とかがもてはやされたのである、人間とは経済的な一単位ではないからである
人間はとにかく経済的に何でも割り切れる存在ではないから様々な問題がそこに噴出している、墓の問題でもそういう矛盾となって現れる、それは全体の一部の問題にすぎないのである、他にも様々な問題が生まれたのである、原発事故もそういう社会の変化の中で起きたことなのである、そうして俟ち村も解体されていったというのもその原発事故前にもそうした日本人のアイディンティティとなるべきも基盤が失われていたためだともなる
それが原発事故で一挙に加速してそうなったのだともなるからだ

かつて日本人の間には一人一人の人間の個別性よりも、ある家やある土地に生まれ、一定期間の人生を生きて死んでゆく者は一つの大きな命のプールのようなものの中からある時間帯だけこの世に生まれ来て死ぬとまたその命のプ―ルに帰るとでも比喩される時代があった{波平恵美子)

これを政経東北8月号の「なぜ福島は分断するのか」に引用されていた
これこそまさに村というアイディンティティの場があり死後も継続していることを示している
ただこれはここでは極端なものにとして起きたが社会全般に起きていたことなのである