2019年09月15日

故郷の秋に思う短歌十首 (ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)

  
故郷の秋に思う短歌十首

(ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)
                                                    
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ここは公民館である



コスモスに夏菊映えて人集ふ  
                                                          

蝶いくつ舞い入りあそぶ夏菊にコスモスとりどりは朝に映えにき

我が家にうから亡くしてその女(ひと)のなじむもあわれ秋となりにき

ふるさとの我が家になじむその女の近くに住みて満月照らしぬ

その女の何故かかわるふるさとに家族もなしも秋となるかな

病院にありて帰らぬ人のあり家は空家に秋となりしも

近ければ墓にもよりぬ姉死して命日近く秋となるかな

あわただし時はすぎゆくふるさとや家の柱によりし秋かな

ふるさとに家なお残り我一人月の照らして昔偲びぬ

母と姉今はあの世にやすらかに争わざれや秋の夜ふけぬ

人の世に嘆きはやまじいつ果てむ月日はすぎ秋のめぐりぬ

人の世の無情にもまれ傷つきし痛みは消えず秋となるかな

ふるさとに交わる人も争い去りもはやあわじも秋となるかな

人はみな金を求めてあくなきを悲しかりけり秋となるかな


家族が死んでなぜかその女性が自分の家とかかわった
それはただ偶然だった、誰もいないよりいいと思いかかわった
もう四五年くらいになる、この月日が過ぎるのも早い
姉が死んでからは八年とかすぎた
なぜ早く感じたかというといろいろなことがありすぎたからである
何かそうして追われた結果、早く過ぎたのである
その八年間は津波だ原発事故だ、プログで書いてきたようにいろいろなことが災難でもありすぎたのである、
結果的に追われる日々でありそうすると月日が過ぎるのが早いのである
だからここ十年間は倍速で月日が過ぎたのである
そして自分自身もかなり老いたとなってしまったのである

ふるさとが別にいい場所でもない、そこにいい人が住んでいるともならない
ただ家族がいるうちは自分の場合は故郷の人と交わっていなかったのである
そういう特殊な状態で生きていた、なぜなら家族がいてすべて家のことはしてくれたからである、
今は全部自分でやらざるをえない、家事でもそうである
だからまた家事で追われている、家事はきりなくあるからだ

ただようやく秋となってきた、涼しくなってきた、でも今日も外は晴れたが日ざしが強いから夏になっている、
一か月は夏が長引いている感じである

不思議なのは私の友というのではないがその女性の親しい人が男性が病気で三か月入院している、糖尿病である、
それでその人のことを思った
三か月も家が空家になっていることでその人のことを思ったのも不思議である
その人は娘がいても隣の市に住んで一緒に住んでいない、一人で住んでいたからである
だから三か月も空家になっている
その人がいない、空家になっていることでその人を思うというのも不思議である
何か深い関係ではないにしろそう感じるのはやはりわずかでも交流があれば人間はそうなる、その一番の理由が近くに故郷に住んでいるからだともなる

東京とかに住んでいる人はいくら親族でも忘れやすい、心が通わなくなるのである
近いということがやはり心が通うということなのである
故郷とは狭い場所であり本来は心が通う場所になる
原町でも遠いとなり近くがやはり人間が心を通う場所としてある
もちろん実際は心も通わないということも普通にある、必ず嫌な人がいるからである

正直その女性とかは問題がありいろいろ相談されるてこちらも苦しくなる
ただどうしても一人でいると誰かいて欲しいとなるのである
その女性はその男性に頼っている、だから帰ってこないと苦しい、
でも八〇歳とかなり病気なのだから頼りにもできないとなる
そこが老人の問題である、老人は老人に頼れないのである

何か理解できないのは夫婦でも嫁いだ先の墓には入りたくないという女性がほとんどだというのもそれだけ嫁と姑問題があり嫌だからそうなっている
でも長年一つ屋根の下に暮らしてそうなっているのは悲しいとなる
自分の家でもそういうことがあったがやはり最後は争っていても情が通っていたのだなと救われた、
それは六〇年も一緒にいたからそうなったのである
だから人間の交わりは長くないと情が通わないのである
長いといくらもめていてもいつしか憎しみでも愛に変わることがある
なぜなら憎しみの反面は愛だからである、普通は人間は他人は無関心だからである
無関心なことは憎しみより悪いともなってしまうのである
変なのだけど憎むということは愛にも通じてしいる、これも人間の不思議である

とにかく秋となると人間は感傷的になる、だからこんな短歌になったのである