2019年10月30日

なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか? (福島県は呪われているのか?)


 なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか?

 (福島県は呪われているのか?)

自らが訳出した哲学者ヴォルテールの、リスボン大震災に捧げた詩を付している。
 
 如何なる罪を、如何なる過ちを犯したというのか、
 母親に抱かれたまま潰されて血に塗れた子供たちは。
 今はないリスボンの悪徳は、
 享楽に耽っているロンドンより、
 パリよりも大きいというのか。
 リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
リスボンの大地震ではもう海外に進出する気概すらなくなりポルトガルは衰退したのである、それほどの打撃だったのである
だからなぜリスボンだけにそんな大災害が起きたのか?
そういう疑問が起きるのはわかる

なぜ福島県にこんなに災害がつづけて起きるのか?

まず巨大津波が襲い原発事故になった、そしたら原発事故で住めなくなった双葉、大熊、などの人たちが大量にいわき市に移住していわき市にもともと住んだ人たちともめた
なぜなら原発避難者は多額の補償金をもらったから家を建てることができた
でももともと住んだ人たちはかえって土地の値段が上がったりして家が欲しくても建てることができない、それで不満になりもめた

そししてまたなぜなのだうか?いわき市も今度は台風被害で苦しんでいる
それからノロウィルスがでてまた恐怖になる
いわき市には双葉や大熊や浪江でも原発避難者が相当数移住している
そこにまた台風の被害があった、津波の被害者もいた
これは何なのだろうとなる

相馬市とか南相馬市とかさらに石巻とかまで太平洋岸では津波の被害で2万人近く死んだというのは8年前くらいである、そして今度は台風の水害でこの辺は苦しんでいる
相馬市となると松川浦とか海岸が大被害になった記憶はまだ生々しい
次に今度は相馬市内とか宇多川と小泉川が決壊して床上浸水になったところが結構ある
これも何なのだろうとなる

そして山を越えた丸森の被害が津波の被害とにていたのである
角田までの河岸が浸水した、また山崩れで死んだ人もいる
そして丸森町の隣が原発事故で被害が大きかった村だった
そこは田んぼの表面の土が削られて放射性物質のフレコンバッグが積まれた無惨な村になっている
私は飯館村とか丸森町は特別風光明媚な土地として見ていた
それがあんなに無惨な姿になるのは何なのだろうとなる

何か相馬総合病院の病室に一緒だったのは松川浦で津波の被害にあった人と新地で家まで失った津波の被害者とそれから丸森町の金山に住んでいる人だったのである
その人たちがみんな津波や今回の台風の被害者になった

なぜこんなに災害がつづくのか?

原発事故の原因は津波とか地震と関係していても人災ともみる
10数メートルの津波が来ると東電の頼んだ学者が警告していたのに無視してその備えもしないので電源が喪失して爆発してメルトダウンになった
原発に関しては技術的な側面もあるがモラル的な側面もあったし何か人間側に原因が求められる、だからこそその不備が訴えられる

そもそも原発は神に敵対するものでありそれが呪いとなった

それはゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたプロメテウスだった
それとにてやはり人間に与えられた神の罰なのか?
何かそういうものを感じてしまう、そのためにこの辺一帯は呪われた場所になったのか?丸森町は飯館村の隣でありなぜそこがまたあんなにひどい被害を受けたのかも不可解だとなる
飯館村と丸森町は原発とは関係ないのである、だからそれも不可解だとなる
福島県の中通りは阿武隈川に沿った市町村の被害が大きかった
それは原発事故のときも放射性物質が意外と風にのって飛散して汚染された場所だったのである

ただ不思議なのは福島県は広いから会津地方は今回はそれほど影響はなかった
それも不思議だともなってしまう
だからなぜリスボンが壊滅的被害なのにパリは踊っていると恨むようになったのである
ただ日本はこうして定期的に自然災害に見舞われる国である
だから歴史的にもそうでありカルマだとなる、でもなぜ飯館村とか丸森町とかまで悲惨なことになったのか?
そこで何か悪いことをしたのか?そういうことは別にないのである

そしてなぜ自分の一身上の禍を書いてきたけどそれもなぜだったのか?
それは自分自身のカルマの清算として過酷なことを強いられたとはなる
でもまた回りでもこうして次々に災難に見舞われるのか?

この辺はソドム、ゴムラになったのか?

つまり災いの地であり神に滅ぼされるから神の民は逃げるほかなかった
現実に一瞬にして滅ぼされたからである
何かそうしてこの辺には深刻なものを感じてしまうのである
リスボン大地震では国家自体がその後衰退した、海外に進出する気概さえ失われた
それだけリスボン地震は人々の心をくじいてしまったのである

今はないリスボンの悪徳は、
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
 まさに飯館村とか丸森はそういうことはない、享楽にふけるような金持ちはいない
都会とは違うからである、ではそういう場所になぜこうして自然災害がふりかかってきたのか?それは津波でも問うてきた
ただ津波の場合は原発と関係して複雑なものとなる
原発をもたらしたのは政府とか東電だけではない地元の人たち積極的にかかわった共犯者のようにもなっていたからである
原発から大きな利得を得ていたからである、それはモラル的には責められるべきものだったと今ではなる

その後もモラル的にこの辺は荒廃してしまったのである
補償金を得ることしか頭になくなった、そして補償金で争い飯館村でも分裂したし南相馬市でもそうである、そこには暗黒が生まれた
暴力団が東電から何億という金を補償金として不正にもらっていたとか腐敗があった
それは高浜町でもあり原発はモラルの腐敗を生むのである
その原因は巨額な金がそこに動くからである、飯館村などで何億円もらったとかなると完全に日常感覚から離れて狂ってしまったのである
までいな村などとはまるで違った世界になってしまったのである

例えば南相馬市では小高と鹿島区は補償金のことでもめて分裂した
でも小高の人は原発避難者が何をしていたか?
その補償金で毎日ギャンブルでありフィリンピン女性に仙台をで店を出させて補償金をなくしたとか嘆いているという人がいた
何か多額の補償金で身を持ち崩した人がそれなりにいたのである
それで小高の人を非難するとお前は傷に塩ぬって楽しいかとかなる
なぜ鹿島の人は苦しい時同情もしないのかとなったのである

でもこの辺は津波原発事故以後にかわいそうな人たちとなり同情されるべき補償されるべきだとなったのである
それは被害者意識でこりかたまり韓国とか沖縄と同じくなっていたのである
何かあれば原発のせいだとなって終わりなのである
凍み天が倒産したとしてもそれも原発のせいだとしているがあれは誰でも作れるものだと女の人が言っていた、何か特別なものではなかったのである

結局水俣病でもそうだったように補償金だけをもらうために病気を偽装していたりとありそれで補償金でだめなにったとその当人が言っているからここも同じだったのである
そうしたことは必ず子孫にも影響する、何かあったら東電が悪いとかなる
そして補償金をもっともらう、被害者としてありつづけることだとなる
そういんう心性がこの辺のエトス(共有する心情)となってしまったのである

ただそれがあるにしても丸森町があんなに悲惨な状態になることは何なのだろうとなる
それも不可解なのである、

飯館村とか丸森町が何か悪いことをしたのか?

享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
 
これと同じなのである、むしろ東京に災いが来るのが理にあっている
東京の問題が地方にもちこまれたからである
原発は東京に作るべきなのは安全を計り福島にもってきて犠牲にしたからである
だから次の大災害は東京に来る、ただ台風の被害は最小限にとどまった
でも次はもう逃れられない大災害が来る
その前兆として福島とか宮城県の大災害だったのである

享楽に耽っている東京より、
福島県(宮城県)が大きいというのか。

どうしてもなぜこんなに自然災害に周辺が苦しめられるのか?
そのことは自分自身の一身上でも苦しめられてきた、そして回りも苦しめられるようになった、そのことは何なのだろうとなる
何か大きなカルマがめぐってきて災いになった、それはここだけではない次の大きな災難の前兆にすぎないのか?
そういうものを感じてしまうほど災害が連続しているのである
それは日本という国自体が大きく変わらざるをえない、予告でありサインなのかもしれない、時代が大きく変わる時にこうした天変地異が起きる
そういう大きな変革の時代に日本がでも突入して世界も変わるということがある
そして資本主義の矛盾が頂点に達して大きな変動が世界的に起きる
そういう予兆をとうしても感じてしまうのである


災害の民俗的イメージ―「記憶」から「記録」へ、そして「表現」へ―櫻 井 龍 彦
http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf


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阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)


阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)

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信達平野の歴史をなぞると際限ないが、伏黒、二の袋、木幡の三村を、西根郷から東根郷に移すほどの大氾濫のあった天文9(1540)の大洪水、信夫山の南側を流れていた
松川の流路を変えた寛永14年(1637)の洪水
福島城の三の丸まで冠水した享保8年(1723)の洪水・・・・
明治になっても数年の一度は洪水があった

洪水になると洪水は河道からあふれて氾濫原を作る
水は河原の外に出ると流速は急速に弱まり水の運搬力も衰え運んでいた土砂をそこに沈積させる
すると川沿いに海鼠餅のような棒状の微高地ができる
古くはこの上に集落が発生した

福島市鳥谷野、腰浜(腰浜廃寺や郡衙があった)
伊達市の前川原、原島、箱崎(石田時成の築いた箱崎大舘は自然堤防の上にあり川跡湖の舘堀として利用していた)
阿武隈川沿いに延々とつづく集落はこの自然堤防の上に生まれたのである
その周りは湿地帯でありそこが耕地として利用された

阿武隈川の風景 高橋貞夫


阿武隈川は大きな川だからこそその流域も広くなる、堤防がないときは自然堤防ができてその上に大館のような館ができた、その周りの川の湿地帯が田圃とかになった、それは海岸が前は湿地帯でありそこを埋め立てて田んぼにしたのとにている
そして阿武隈川に古川とあるときそれは阿武隈川の一部であり流路が変わりそこに昔の古川が残った
それで川原とつく地名がその周辺に残っている、でもそれが広いので驚くのである
それは阿武隈川は大きいからそうなる

つまり地理を見る時必ず原初の状態から見なければならないのである
その地の利によって歴史が形成されてゆくからである、だから土砂が積まれてその上に舘が作られたということもなかなかこの辺ではイメージできない、なぜなら浜通りには大きな川がないからである
川を知るという時、上流から下流から全部知ることは容易ではない、阿武隈川となると大きいから余計にそうなる

なぜ今回こんなに阿武隈川で被害があったのか?
それは今だけではないここは川のカルマがあった場所だったからだとなる
カルマとはその地形が造りだしてそれがカルマとなり繰り返して現れることである
人間だと必ず苦しみとなって現れるのがカルマである
だから阿武隈川は何回も氾濫してきたのだからそれは特別なこと一回限りのこどではなかったのである

阿武隈川のように大きいとその影響が大きい、その流域も広いのである、それで阿武隈川に古川が残っているがそれは阿武隈川の一部だった、それがいまにも残っていてその流域に川原とつく地名が残っている
歴史はその川から作れていた、そこに土砂が流れて積まれて微高地になり館が作られて人が住んだとなる
そしてその周りが湿地帯であり埋め立てて田んぼにしたりしたのである
川で洪水があってもそこは生活にいい場所となっていたのである



阿武隈川水系の流域及び河川の概要(国土交通省ー河川局)
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/
shouiinkai/kihonhoushin/031128/pdf/e4-1.pdf

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  舘矢間とは丸森町である、ここの流量が多いのは下流域になり阿武隈川の水が集まるからである
  丸森町に阿武隈川の水量が集まり角田まで広く浸水した
  他にも土砂が裏山から流れて来たとかあった

  この地図で注目すべきは福島市と伊達市と丸森町と角田市の流域の土地が低くなっていることである
  でも福島市に被害がないのはなぜか?岩沼市と同じように河川改修して堤防を強化したためか?
  何か理由はある



阿武隈川は、上流域の白河盆地を過ぎた付近から北向きに流れを変え台風の進路と同じ方向となるため、台風の北上と流出量の増加が重なり、狭窄部による影響と相まって洪水の発生しやすい地形となっていることから過去たびたび甚大な洪水被害を受けてきた。阿武隈川の洪水に関する最古の記録は「カンジュウシの洪水」と言い伝えられてきた平安時代(寛治かんじ4年)の洪水がある。狭窄部においては、古くは天和てんな二年(1682年)から水害の記録が残っている。


各平野部内では変流・乱流を極め、洪水のたびに流路が変わるような状態で、河道の屈曲が甚だしい。特に郡山地区や福島地区の氾濫原は、再々度にわたる大氾濫で形成されている。福島北部から梁川にかけての氾濫原は、広いところで 6km に達する幅を持ち、その中には無数の旧川跡をたどることができる。

この論文は読み応えがある、詳しく阿武隈川を分析している、ただ今回は岩沼では被害がない、岩沼でぱ過去に二回くらい堤防が決壊して浸水している、今回はなぜ被害がなかったのか?おそらく河川改修と堤防の強化が行われた結果なのかとなる
岩沼の堤防は大きいし高いからそうなのかと思った、そこを歩いたことがあるからだ
堤防が貧弱だと決壊しやすいのである、相馬市の宇多川の堤防が決壊したのは明治に改修されたとあってもその後なかったのかもしれない、道を作ったとかあるが堤防そのものは改修していないのかもしれない、それで決壊したとなる

とにかく阿武隈川は長く広いのである、だから流域も広い、6キロもあるとすると広い、だから一旦洪水になったら今回のように広い範囲が被害になる、川を流れる水の量も膨大だからである
学問の基本が地理だという時、その地理を風土をどう理解するのかむずかしいものとなる
阿武隈川が中通りで台風の通り道になりやすいというとき今回二つの台風がそうだったのである
中通りの阿武隈川にそって上ってきて被害になったのである、そういうふうに台風の進路も規則的になる場合がある
それで被害が大きくなったのである

この論文で注目したのが地図を見たら土地の高低がマークしていて福島市ー伊達市ー角田と土地が低くなっていた
そして丸森町でも角田市と同じく低い土地になっている
するとこの辺が水がたまりやすい、水があふれると低地に集まり安いのである
それで湖のうよになってしまうのである、だから福島盆地が湖だったというとき阿武隈川が氾濫して湖のようになったからだとなる
縄文人は川の周辺に住んでいない、山の方の高い場所に住んでいた
これだけ阿武隈川が氾濫するとなると住めなかったとなる、津波でも縄文人が住んだ場所は津波の来ない場所だった
ただ大きな川になるとその辺が良くわからなくなる

いづれにしろこれだけ大きな川となると河川改修でも堤防を作るのに国家百年の計とかなる
日本はこうして自然災害の戦いを強いられた国だったのである、それは津波でその怖さを知らしめられた
また今回の台風でもそうだったのである、私の家は街で一番低い土地にあり堀からあふれて玄関から中が水浸しになった
水がここに集まるのである、川で行く川の水は絶えずして本の水にあらずである
川の流れも変わり古川とあるのはその名残りである、川も日本の国土が変化しやすい象徴としてあった
日本の風土のカルマとしてあったことを今回の台風は知らしめたのである

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posted by 天華 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月29日

相馬女学校のこと(時代によって変わる教育)


相馬女学校のこと(時代によって変わる教育)

例えば,「良妻賢母」主義を実用知たらしめる「裁縫」は高等女学校では必須の学科目であり,また,伝統的には近世以来の女性の徳目の一つである「婦功」(あるいは「婦工」)の意味が込められていたはずであった
娘を高等女学校へ進学させるような社会層─ 例えばその中核を占めた士族層 ─ にあっては家事や裁縫,料理などの実用知を修めていくことへの動機付けがあまりなかったのではないか。

多くの女学生の放課後,家庭生活での教養や嗜みは,琴曲や点茶などの「遊芸」であったり,英語や数学の「学問」であったりした事実がこれを裏付けている。つまり,彼らは幼少期から家庭で培われた躾によって形成された「実践意識」の水準で,「良妻賢母」主義に異議申し立てをしていたのである。
http://www.seiryo-u.ac.jp/u/education/gakkai/h_ronsyu_pdf/12_2/04_inoue.pdf

私がなぎなたを始めたのは女学校に通っている頃でした。当時、学校の正課、体育の授業の一つになぎなたがあって、面白くてね。先生も東京で勉強をなさった方が教えてくださっていたので、楽しく取り組んでいました

1903年(明治36年)4月 - 中村高等小学校校長の太田宗雄とその他有志により、「四行塾」が開設される。
女子への裁縫教育を目的とした私塾で、修業年限を1年とする。
1905年(明治38年)5月 - 中村町に移管され、「中村町立相馬女学校」に改称。
1907年(明治40年)5月1日 - 相馬郡に移管され、「相馬郡立相馬女子技芸学校」に改 称。修業年限を2年とする。
以後5月1日を創立記念日とする。
1911年(明治44年)3月 - 「福島県相馬実科女学校」(相馬郡立)に改称。修業年限 を4年とする。
1920年(大正9年)4月 -「福島県相馬高等女学校」


裁縫教育を目的とした私塾ということは習いものくらいのものだった、それも一年だからである、次に技芸学校となっているのもそうである
その後はも実科女学校だから実用主義である、それでも明治から始まり大正までさかのぼるというのは古いと思った

水害の状況を調べるために宇多川を下っていったら相馬東高校があった、ここは相馬女学校が基になっていた、これは相馬藩内では一番古い学校なのである
そこでクラブ活動になぎなたがあるとそこの用務員にあって聞いた
そんなものがまだあるのかと思った、弓術なら良くみかけるけどなぎなたはあまりももう聞かないだろう
明治となると江戸時代の継続がまだあった、だから第一明治維新で侍がいなくなったとき教師になる侍が多かったことでもわかる
なぜなら士族はすでに家庭で独自の教育をしていたからである
するとどうしても士族の教育が学校にも持ち込まれるのが自然である
つまり人間は全く新しいことはできない、必ず前の時代の継続なのである
だからこそ天皇制によって復古によって明治維新が成されたのである

たただ論文で裁縫のことを語り相馬女学校も裁縫教育から始まったとしている
その後も実用主義である、でもなぜ士族の子はそういうことになじまないというとき
何かそういうことは家でしてくれる使用人がいたからなのかとなる
裁縫を第一とするものに反発するものが芽生えていたとなる
それは女子が今までのただ結婚するということを目的とした花嫁修業とかに反発する新しい女性の芽生えだったのかもしれない
とにかく相馬女学校を出たとなるとそれだけ女性として格が高いものになっていた
女性としてのエリートだったのである、というのはまず女学校には入れない、金がかかるから入れない、それで私の姉は女学校に入りたかったと悔しがっていたのである
なぜなら頭が良かったし体力とか他の優れていたからである
だから学校は一番だったしマラソンでも一番になっていたかとなっていた
その後看護師の免許も東京でとった、それもなかなかできないことだったのである

そして飯館村の大倉に行ったら私は相馬女学校でたのよというばあちゃんがいた
つまり相馬女学校出たということは特別でありだからそれを自慢したかったのだろう
どうして大倉から相馬女学校に入ることができたのか、これもおそらく山では木材が売れて金になった時代だったからだとなる
その人は親戚の家から鹿島から相馬の女学校に通ったという
明治以降になると学校ができても必ずしもみんな入れない時代であった
字が書けない女性がいていつも人に頼んでいた、それで気がひけていたという人を知っている、ある人は子守りして学校に行けず小説読んで字を覚えたという大正生まれの人もいる、学校にまともに行けない人が結構いたのである

それは今の発展途上国をみればわかる、ネパールとかでは第一書くものボールペンすらないからボールペンをくれとなる
今でも裸足で歩いている人がいる国でありそういう国もまだ世界にはある
そういう時代が学校というのが貴重なものであり知識を得る唯一の手段だったのである
だから学校が重要な意味をもっていたのである
でもその後学校も社会の変遷とともに姿を変えた、あらゆるものが時代の変化にともない変わる、もうすでに団塊の世代から学校に対して不満が大きくなっていた
学生運動でも実際は大学の不満から生まれた面があった
マンモス大学となりまともな授業がないのが私立だったからである
1000人とか一つの講堂で授業するのだから学問に興味を失ったのである
そして文系となると本当に大学は遊びの場でしかなかった
毎日麻雀しているものとか授業に出ないことが自慢だったのだから変だったのである

つまり大学というのは高校とまるで違ったものであり独学する場所だったのである
何か知りたいことを独学する場所だったのである
そうなれば別に大学に行かなくてもいいともなる
ただ当時はそういう環境が整っていなかったのである
まだまだ教育環境は貧弱だったからである

それがインタ−ネット時代になると本当に独学できる、こうして学者の論文を読めるしいくらでも本が安くアマゾンで買える、すると非常に見識が幅広いものなる
それはAIのビッグデーターの思考方法と同じである
膨大な知識を集めてそれを編集するようなことをしているとそれは新たな創造物になるのである、自分はそれをしているのである
集合知ということがそうである
だから今の時代はインタ−ネットをしないと相当に遅れる、学校というのも知識の面ではもう時代遅れなる、youtubeでは優秀な先生が実際に教えているからである
すると学校で教えられるよりも理解が早くなるのである

教育も変わり目にきている、第一学校とか先生の役割も低くなる
なぜなら知識が自由化して膨大化しているからである、学校という閉じられた空間で学ぶだけの時代が確実に終わったからである
すでに学校は前時代の遺物のようになってしまうもしれない、そこにいろいろな問題が生まれてもう持続できなくなる
結局何でもその時代の反映としてあり学校も教育も同じなのである
でも相馬東高校が400人いてクラスが35名とかなると違ってくる、それは中学校でも同じである、一クラス30名だといっていた、団塊の世代だと50名くらいいたからである、少子高齢化時代は少数精兵主義にならざるうえないのである
教育でもそうである、世界に伍してゆくにはそうならざるをえない
そうして教育自体も変革を迫られているのである

私は学校とか集団になじめなかった、結局人間は自己開発しないかぎり何か身につかない何か求めるものがないかぎり何かを強制しても身につかないのである
信仰にしても求めよさらば与えられんとうなると求めないもの絶対に信仰が何であるのかその精華を得ることはできない、そもそも求めていないからである
学問でも何か強く求めるもの問うもの学びたいものがあれば雑学でも得ることがある
それで自分の場合は全国を旅行して地名に興味をもち地理に興味をもったとなる
だから学校を出てからの方が勉強するようになったとなる

どうしても学校では真剣な課題をもつことができないが社会に出る否応にも真剣な課題に直面するからだ
それには命がかかってくる、知らないと大損したり命まで失うから学ばないで得られくななる、でも学校だというそういう真剣に学ぶということがないのである
そうして時間の無駄になる、ただ人間は何でも経験である
例え間違ったとしても経験することの方が知識より先になる
学問はそうした社会での様々な問題に直面してから本物になる
それは津浪とか原発事故とか今回の洪水の問題でもそうなのである
どうしてそうなったのかとかその問題を解決するにはどうしたらいいのかとかそれは命にかかわるものとして解答を出すことを要求されているからである

posted by 天華 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2019年10月28日

相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2) (小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2)

(小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の道の駅から日立木の入口の川から相馬市街へ行く道の川の氾濫

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これは台風21号の被害である

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これも台風21号の被害

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小泉川の氾濫

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これも台風21号の被害

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宇多川堤防の決壊(台風19号の被害)

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かなり大きく決壊した

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水につかった所

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明治時代に河川改修した宇多川の記念碑

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これは昭和45年に道を直したとある

堤防を改修したのとは違うのだろう

でも明治に土手を作ったとか改修したとかなると古いもである

その頃から堤防は作り改修していたのである


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宇多川が決壊して小泉川があふれて両方から水が来たから被害が大きくなった
津浪の時その水の流れ方が一方的ではない、水は複雑な流れ方をするのである
だから小河川が意外と危険だと今回は知ったのである
堤防も低いからどうしてもあふれやすいのである

台風21号でも水があふれたらしい、でも両方から水があふれたというのは台風21号の時である

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下流の和田地区で小泉川が氾濫した

それは台風21号であり台風号の方が被害が大きくなった
水位高くなったところがある
台風19号と21号の二重に被害があった人もいた
そして小泉川の氾濫では21号の方の被害が大きかった
宇多川は21号では氾濫していない

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相馬市の道の駅によったがその隣のセブンエレブンからさらに六号線の道路へと水があふれた
その水が日下石川の水だった、ええ、あんな小さな水がこんなにあふれたのと驚いた
次に日立木に家並みに入る所にも小さな川がある、そこもあふれた

次に相馬市の鉄道を横ぎる手前の小川でもあふれた、床上まで浸水した所もあった
あんなところで床上浸水になったという驚きである

そして小泉川はこの三つより大きいのである、でもたいした川でなかったと思ったが
この川は前の三つより大きいからかなり被害があった
今回の洪水の特徴は小河川の氾濫にあった
宇多川が決壊して小泉川があふれたから両方から水が来たのである
結果的に広範囲に浸水した

一番被害の大きかった北飯淵も両方から水があふれて被害になった
相馬東高校があるがそこも床上浸水になったのである
宇多川は一部決壊したことでその水が北飯淵に流れたからそこが床上浸水になった所が多い、駅の方に水が流れたという時、どういうことになったのか?

とにかく決壊した部分から大量の水が流れたのである
小泉川の岸辺で増子議員とあった、国土交通省の人と話していた、その人たちは姫路から来ていたのである
なんでも激甚災害にするとか言っていた、金は出すとか言っていた
議員にはあったことがないから意外だった、そこに菓子屋の船橋屋がいた
後援会長しているとかで案内していた

そして堤防のことで国土交通省の人と話したが宇多川の決壊した堤防は明治に河川改修したとかの碑があったと古いから決壊したのかと聞いたらそうではないという
明治でも粘土とか使いかえって頑丈にしていたという
そういうものかとも思った、現代の方が格段に技術が進んでいると思ったが明治でも頑丈な堤防を作っていたことに驚く
信玄堤は今でも通用しているからそういうこともあっても不思議ではない

つまり昔作ったものがすべて現代より劣っているともならない
第一エジプトのピラミッドは非常に優れた建築物であり現代では作れないことでもわかるどうして計算して作ったのか解明できないのである
だから技術が後退するということもあるのかもしれない
日本建築でも法隆寺とかは優れたものだからである

今日は宇多川の北飯淵とかは行ったことがなかった
その辺をはじめて見てその土地を知ることになる
ただ相馬東高校があそこに建てたの河岸であり広い土地があったからである
あれは長野市の新幹線車両基地も市街から離れた元は湿地帯のような所に作ったのと同じである
広い土地がないからあそこに作ったのである、相馬東高校は相馬女子高校が基になっている
その校舎は市街にある

何かこうして津波の時もそうだが洪水とかあるとその土地の知らないことを知ることになる、郷土史として理解を深めることになる
ただ被害にあっているのだから物見遊山では嫌がられる
ただ津波の被害とは違ってそれほどにも見えないから今回は気楽にともならないが書けるもう丸森町は津浪と同じでありそこには当分行けない
ただどういう状態かどうしてそうなったのか知りたいとはなるが当分は無理である
とにかく今回の洪水は小河川が意外と怖い曲者だと知った
そうした小河川は土手がないからあふれやすいのである
それが盲点となって被害になったのである

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2019年10月27日

悪い病気でも死なない人の謎 (社会的役割があることの大事ー何もしないと認知症になる)


悪い病気でも死なない人の謎

(社会的役割があることの大事ー何もしないと認知症になる)


医療が進歩しているから今やいろんな病気でも簡単には死なないのだろう
その人は病気と聞いてから5年以上それより長く普通に働いている
そして街に自転車屋が一軒しかないからもしそこがなくなると不便になる
それで古くなった自転車を無料でひきとってもらった
それは高価だったが使えなくてなんにもならなかった自転車だった

ただそれなりに商売できるからつづけいるのだろう
あまりに収入が低くかったらできない
その人は話ができる、ただ自転車の技術屋ではないのである
良く職人気質とかいうときただ物つくり一筋に励んでそれを売るということでは商売では愛想が悪いという人がいる
そこが一人で経営していることのむずかしさである
大工さんでも本当に話がうまいというか商売に向いている人がいた
その人は自ら注文をとる一人親方だったのである
そういう人はいるにしてもみんながそうはならない
自転車屋はただ自転車だけを見ていては商売にならない、客との交渉とかあるからだ

その店は時々休むにしてもなぜそんなに長くつづくのか?
それはその仕事をすることに役割がある、その仕事をする人がいなと困る
町に一つしかないとそれは貴重になる
隣市に行くと不便なにるからだ、するとそういう気持ちがその仕事をしている人に反映するのかもしれない、それで病気でも仕事が続けられるとなっているのか?
休む時は点滴しているというから結構病状はいいとはいえないのである

ここは謎ではあるが認知症の場合は確実にあてはまる
認知症も謎だけどどうしてなるのか?それを前にも書いたけど役割喪失であり仕事がなくなることなのである
一人は家事を94歳までしていた、働き詰めだったし趣味もなにもない
でも94歳まで家事の仕事をしていたのである
一人は役所を定年退職してなにもしなくなった、家事すらしない、用意されるからしない結果的に認知症になった

仕事がない、役割がないは認知症になる確率が高い

これは原因はわからないにしてもその確率が高くなる
仕事がない、役割がないということは人間にとって相当に深刻なのである
何もしなくてもいいのだから楽でいいのではないかとなるがそうではない
それは人間にとって深刻な問題を引き起こすのである
それがボケになり認知症になることに通じていたからである

たから嫁にばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビでも見ていてくださいと言われる老人がぼけるというのがそうである
つまり家でも家事をすることがないからである、でももし料理が上手なら料理を嫁に教えたりしていたらそういうことはない、でもそれはみんなができることではない
何故か家事をしてみると料理でもこまかいのである、いろいろ種類をそろえねばならないから手間だなとりほとんど買っているだけである
人間はいろいろなことを一人ではできないのである

だから人生百年時代の大きな問題は金もある、これも深刻だけど会社を退職したりするとそこで役割を失う、仕事を失うことが深刻なのである
そして会社を退職すると「ばあちゃんはテレビでも見ていてくださ」と男でもされるのである、ボランティアにしてもそれを受け入れる場所はない、地域でもない
すると仕事がない役割がない、生きがいがないとなることが深刻なのである
高齢化社会はそういう人が社会にあふれる時代だともなる
高齢者の役割は何か?病気になり病院に行くことであり介護されるだけだとなる

しかしそれは社会的費用が膨大にかかる、労力もかかるのである
認知症患者が800万人になるというとき空恐ろしいものとなる
社会を認知症の患者が徘徊して彷徨うとなると悪夢だとなる
人生百年時代になると会社人生だけではなんライフワークとかをもつ必要がある
雑学でもいい何か専門をもち認められるように努力することが必要になる
そうしないと会社を退職した時点で仕事もなく、役割もなく、生きがいもないとなり
認知症になりやすいから怖いのである

働くということはWORKすることであり機能することである、社会的にもその人が機能する
役割をもち社会に機能することである、そこに生きがいが生まれる
ただ社会に機能しなくてもアウトサイダーのように別個の価値を追求することもあり売るただこれはかなりむずかしい、だから簡単なことでも何か社会に機能する仕事が必要なのである
女性ならやはり家事を続けるとかでもいい、家の中でも機能する、役割を喪失させると認知症になる危険が高まる
それは今度は周りに迷惑をかけるから家族も崩壊するようになるから家族の人も認知症にならないように注意しないといけない
何か役割を与えるようにしないと危険になる

とにかく人生百年時代は人類でも経験していないことである
だからそこに様々な問題が起きて来る、経済的問題も深刻だけど社会から無用化されて
家でも無用化されて何の役割も生きがいもないとなりボケになり認知症になる
それも高齢化社会の大きな深刻な問題なのである

自分の場合は性格的に内面的な仕事に向いている、外面的な人と接する仕事には向いていない、それで社会と適合できずに社会からはずれた生活をしてきたのである
でも社会的生活も有益である、無駄ではない
結局人間が経験するのはわずかだからである、するとなんでも経験したことが貴重になる個人では限られたことしか経験できないからである
でも仕事は積み重ねである、知識でもそうである、だから退職してから何かはじめようとすると困難になる
ただ人生百年となるとそこからでも自らにあったものを仕事とか役割をもたなければならない時代になった、そうしないと認知症になるリスクが高くなるからである

もしかしたらその人が社会に役割があり家族でも役割があるとき死なないのかもしれない役割も仕事もなくなった時その人は認知症になったり病気になったりして社会的家族的死になる、その時その人はもうすでに社会から忘れられたものとなっていたのである
その人がいるかもとうかもわからない、社会から消えるのである
社会的死になっていた、そして後は大迷惑かけるだけの存在になってしまったのである
そういう認知症が800百万にになるのが高齢化社会でもあるとしたら空恐ろしいとならないか?医療費ももう限界にきている、介護も人がいない、貧乏社会になり介護費用も払えない、その負担が今のロスジェネ世代なのである
その人たちは金銭的にも余裕がないからだ
そういう悪夢の時代が現実化するのがもうすぐだという恐怖になる

ただいい面としてはそれだけ長く生きると何かをライフワークを追求するのには有利になる、急ぐ必要がないからである、成果を出すのは七十以上てもいいとかなるからだ
その後でも精進つづけられるからである、何か本当に学問とか芸術とかでも知識の分野は一代でも追求しきれないものがあるからだ
それだけ知識の分野は広いからである、それでそういう分野では才能を発揮できる人が増えてくる、インタ−ネットなどでも独学でもできる環境が整ってきたからである
それで自分自身もこんなにプログで書いているのである
文章だと書ける、しゃべるとなると私は苦手だからできない、それでこんなに書いているのである


2019年10月26日

新田川の越水、また一部決壊の場所 (支流が交わる場所の危険)


新田川の越水、また一部決壊の場所

(支流が交わる場所の危険)

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台風19号で西殿に水があふれる

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小川橋より水無川を見る



小島田から六号線の塩崎方面

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小さな川でも水があふれる 鹿島区で低い場だから水集まり安い


西殿で新田川と水無川が交わる場所の所の堤防が連続して三か所くらい越水して土手が削られていた
あそこが今回一番危険だった、この写真は台風19号のものであり台風21号とは違っている
でもこの水無川の上流が高の倉ダムでありそれが昨日は放流したのである
それで避難指示がでた、高の倉ダムは小さなダムでありあふれやすい

相馬市の宇多川の上流の松が房ダムも小さいから満水になりやすい
そういうダムは大雨になると放流するからそれで被害にあったところがある
ダムは必ずしも治水にいいともならないのである

今回わかったことは西殿の水無川と新田川の交わるところが危険でありその土手を頑丈にする必要が迫られた、ここの土手は相当に頑丈にしないと危険である
何か今回は小さな細い川でも支流でも危険なことがわかった
小川町とあり小川橋とある水無川でも土手すれすれに水が流れた
あれもあふれたら家が密集している街内になるから危険だった

ただ真野川は今回はそれほど増水していないのに避難指示になったのは過剰防衛になった避難を警告するにしても広い範囲だと対処できない
今回は新田川と水無川が危険だった
だから高の倉ダムを放流するというとき周辺では避難すべきだとなったが真野川は避難指示を出すような状態ではなかったのである

いづれにしろダムだけで洪水は防げない、かえって大雨ですぐ満水になり放流するとなるとかえって危険にもなる
日本はつくづく水害の国だった、津波でもそうだし洪水もそうだし海に囲まれているし
水が山から急流となって土砂を運んだり山崩れが必ずある風土であり地形だったのである

posted by 天華 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

常磐線は午前中は山下ー原ノ町間運休ー東北線も一部運休 (線路工事のユニオンの列車来る)



常磐線は午前中は山下ー原ノ町間運休ー東北線も一部運休

(線路工事のユニオンの列車来る)


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大型保線機械による線路整備工事乗り心地の良い線路状態にするために、
夜間に終電から始発までの限られた時間で、大型保線機械により、線路の不陸をミリ単位で修繕しています。

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山下ー原ノ町間は運休、他にも東北線でも運休とか遅れとかある
そして引き込み線に来ていたのは線路工事用のユニオン建設の列車である
こればなかなか見れないだろう

何か常磐線が来年双葉とか大熊とか富岡とかが不通になっているのが開通するので
その工事のために来ているのだろう
まずこういうものはなかなか来ないからである
それでまだある引き込み線が使える、必要だったとなる

駅前の花壇は美しくしてある、これはなかなかいい
ただ案内板のところは荒れている
花壇の手入れも手間になるのである
とにかく台風が去った、一騒ぎだった
最近は駅の方で何かすることがない、ときどき外から来た人と話していたがそれもしていない、でも何か変化があるとき報告する

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2019年10月25日

南相馬市真野川流域に避難指示! (自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)




南相馬市真野川流域に避難指示!

(自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)

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南相馬市でも広い、川もいくつもある、せめて新田川とか真野川とか大きな川の状態を知らせるべき
地点で地点で避難するかどかは違ってくる
夜は避難しにくいから大きな範囲で避難指示を出されると困る
新田川は決壊箇所があるから真野川より危険なことは確かである

南相馬市の高の倉ダムが放流開始 流域の周辺自治体からの情報に注意

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新田川に高の倉ダムから水無川へ流れる

その水が西殿の越水した新田川の堤防の所に流れる
これは危険かもしれない
まだ修復されていないからだ
決壊した堤防もあったからだ

福島 南相馬の新田川が氾濫危険水位に

福島県と福島地方気象台によりますと、南相馬市を流れる新田川は、午後8時ごろ、洪水のおそれがある「氾濫危険水位」に達しました。

県と気象台は南相馬市の流域では、堤防が決壊して氾濫したり、浸水するおそれがあるとして、午後8時20分に「氾濫危険情報」を出して適切な防災行動をとるよう呼びかけています。





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消防車が真野川流域に避難指示がでたと回っている
自分の家の玄関から水が入り込んできて床下浸水になった
ここは街で一番低いから水が集まる

ただ真野川が水嵩がましたとは思えない
消防車もその危険は言っていない
ただ暗いから水は見にくいと思った

水につかって歩いた、水が堀からかあふれて自分の家に流れ込んでいる
ただ雨は小降りになっている
だから真野川は決壊とか越水しない限り床上浸水にはならない

でもなぜここで避難指示を出したのか?

避難勧告ならわかるが指示となれば強制的に避難しなければなくなる
ただ消防車では二階に避難して安全を計ってくださいとは言っている
前は近くの土手が越水して床上浸水になった、だか真野川が越水したりしなければ
床上浸水にはならない、だから台風19号で決壊した所は危険になっている

雨は小降りになっているから床下浸水で終わるだろう
真野川は越水していないしこの辺では崩れてもいないから安心はしている
ただ夜は様子がわからないから危険だと思った
避難する途中で危険な目にあう、だから夜は簡単に避難できないのである

玄関から入った水はひいた

一時的なものだった、台風19でも水は入ってきた
でも今回と同じだった

ここは被害はないだろう

22時51分アップ


posted by 天華 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然は人間の力で制御できない (行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)


自然は人間の力で制御できない

(行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり
(方丈記ー鴎長明)

日本の風土はこれだったのである、本の水にあらずというとき水ほど千変万化なものがないのである
だから水は制御できないものだったのである

戦後の河川事業は、自然としての河川の自由を奪い過ぎた、河川は本来ときには手足を伸ばしして氾濫したいという強い意志を持っている、放水路は洪水を無理やりに一つの河道におしこめず、洪水のエネルギーを分散させることによって川の自由を保証しているのである
遊水地も同じく河道に閉じ込める不自由から洪水の一部ただ一時的にゆっくり遊べる自由を河川に与えているのである(川と国土の危機ー高橋治)

人間が作る文明というのは常に自然に逆らうものだった、自然を利用するにしろ人工化する、津波でもそうだったけどもともと人間が住むべきでない所に家が密集しすぎたのである、伊勢湾台風で5000人死んだのも名古屋が都市化が拡大化して被害になった
今回の千曲川の氾濫でもそうだった、長野市でも千曲川沿いに家が密集したのである
そこは湿地帯とかになっていた所である
そこがリンゴの果樹園になったとき本来は千曲川の流域でありそういうものはなかった
リンゴを作ることで人が住むようになった

自然に対処する時、人間は自然を制御しようとする、川なら川の道を作りあふれないように土手を作る、そして土手を頑丈にすればいいとかまた水の流れをせき止めるダムを作ればいいとなる
ところがそれで水は制御できない、水は本当に津波をみればわかるように空恐ろしいものだったのである、そのエネルギーは想像を越えたものとして襲ってきたのである
人間は文明が発達すると自然を征服できる、制御できるという思想になる
それが結局これほど文明が発達してもできなかった
こんかいの洪水でもろくも崩れさったのである

そして治水というとき堤防とかダムに注目するが水の勢いは制御できない、とめられないという視点から水を治めるということに力を注がないのである
信玄堤そういうことではない、水の力を弱める自然に逆らわない手段をとって今でも効果がありつづけていることでもわかる
水は堤防とかダムだけでは治めきれない、自然の力がありそれを治めようとしてできない水は本当に自由なのである、どんな隙間にも入ってゆくし変幻自在なのである
だからそれを人工的に制御する思想が間違っているとなる

川でも海でもそうだったようにそれは自然であるからとても人間の力でぱ制御できないものとして対策するのがいいとなる
いくら水に対抗してもどこかに穴がありそこから自由な水は流れ込み制御できない
自然の力と大きさに負けしまうのである
何か常に人為的な人工的なものを嘲笑うかのように必ず破られて被害にあうのである

まず水を川を制御するにはとても堤防とかダムだけに頼ってはできない、ダムでも制限を越えると放流せねばならずかえってそうして被害になった
ダムだけに頼るのは危険である、ダムは万能ではないのである
そもそも脱ダムの思想が悪いわけではなかった
川をせき止めることは自然なことではない、自然に逆らうことだからである
そこになんらか自然に影響して人間に影響してくるのである

文明はもともと自然に逆らうことである、そこからして様々な問題が生まれて来た
その延長として核があり原発があった
人為的に核を操作することも自然に逆らうことであり科学者自体そんなことすべきでなかったと反省している、それはだいそれたことだったのである
それでとりかえしのつかないことになったのである
だから遺伝子操作などもどうなるかわからない危険が潜んでいるのだ
もし人間は神のように万能ならできるがそうでないから危険なのである
人間は万能でないから必ず必ず人工的なものでも事故が起きる、もし万能なら核を操作してもいいがそうでないから破滅的な事故になったのである

今回の洪水でも川だけみていてもわからない、山を見たり様々な視点が必要になるが人間は全体を見れないから常に過ちを犯すのである
専門家がいたして一部しか見れない、かえって専門家が危険なのは一部だけにこだわるからである、俯瞰して全体を見れる人はいないのである
長野市の新幹線の車両基地で車両が使えなくなって大損害を出したのもそうである
なぜ事前に地元の人とかもっと科学者とかに意見を聞かなかったのか?
それは原発の立地問題でも同じだったのである
ただ科学者が無能かというとそうではない、優秀だった、十数メートルの津波が来るから危険だと警告していたからである

車両基地はハザードマップで危険地帯であり洪水の危険がある地帯だったことでもそうである、しかしそれをJRの幹部は考慮しなかっただけなのである
ただそこがそうでも事前に避難させることは簡単だったのである
相馬市の松川浦ではあれだけの被害があったのに船にはほとんど被害がなかった
なぜなら津波が来たら沖に船を出せと言われていたからである
それはどこでも港では衆知していたのである

ただ本当に自然は人間の盲点をついてくると思った、自然に人間は完全に対処などできないのである、自然は全体であり人間を越えたものだからである
そこに人間側のいろいろな問題があり対処できないのである
そこには科学的技術だけではない、理系だけではない、人間側の経済問題とかコストとか金がかかわり歪められるのである、だから社会問題として災害があるというのもわかる
理系と文系とか越えたものとして自然災害があり対処しなければならなくなっていたのである

自然は常に変化して本の水ではない、本の川でもない、本の海でもない、本の山でもない変化しないよう見えても常に生き物だから活動して変化しているのである
百年単位でもそうだし千年単位万年単位で億年単位で人間は変わるのである
人間はいくら百年生きていてもじかに経験することは短いのである
そして何か30年くらいすぎる忘れるのである
30年前くらいにに私の家で床上浸水があった、その30年前以上でもその時は私の家は街で一番低い所にあり家が流されるほどの被害があった
でもそういうことが忘れてしまう、だから災害は忘れたころにやってくるというのが名言になっているのである

とにかく日本人の思想というか感覚はこうして絶えまなく自然災害があり被害があることから起きてきたのだなとつくづく思った、これほど自然災害にいためつけられる国はポかにないと思った、家が常に流されたり土砂崩れで壊されたり地震で壊されたり津波で流されてなくなる国だったのである
それで一番恐怖だったのは津波だったのである、一軒の家ではない、村自体が消失してしまったからである、だから空恐ろしいものだった
その後も洪水でこんなに被害があった、福島県は呪われているのかとも思う
ただ不思議なのは会津の方に被害がないのである
中通りと浜通りは津波と原発と洪水の三重苦になっている、これもどうしてなのだろうとなる、何かカルマがなるのか?ただの自然現象なのか?
何かそれだけではないものを感じてしまう、それはあまりに自然災害でも人間側に責任があるのかとも見るからである

水の流れは絶えずしていというとき水は流動してとまらないものである、一時的ダムに貯めたとしてもそこにいつまでも収まっていいない、必ず水は自由をもとめてあふれ出してくるのである、溜池でもあふれて被害があったからである
水をためることはこれも自然ではない、自然に逆らう行為だからである
つまり水は自由に流れさせて治めるのがいいというのもそのためである
実際に溜池を巨大化したのかダムだからである
ただ被害となれば溜池の方が少ないのである、水の量が少ないからである
ダムは大きいからいいようでも限界を越えて放流する時、被害があったように危険になるだから水の流れをそもそもとめることができないのである
そして水は本の水ではないのである、川も本の川ではない、自然は長い年月で見れば常に変化しているのである、自然自体が変化の故に今の姿がありまた変わるものとしてある
結局この世に固定しているものはない、動かない山でも岩でも変化する
地震があり津浪があり岩でも流されるし山でも噴火して形を変えるし変わらないものがないとなる、それが日本では極端なものとして現れる風土だったのである

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ここがわかりやすい、反論があるにしても実際に知事をしていたから語られるのである
何かこの人は小説家だから科学技術とか土木事業とかにかかわる
知事とかまた市長とか町長でも全体を見る人なのである
だから専門家とも違う、全体を見て指揮する人なのである、だからそういう地位につくことは責任もあるし
何かビジョンをもつとかにもなる、だから知事とか市町村長でも具体的に地域に実行力がある
だからここでも全体を見る作業のである、それが知事の仕事だったのである
それでこれだけ説明できるのである、ここに反論があってもやはりこうして独自で十分に言いたいことが言えるのがインタ−ネットだからいいのである、理解がマスコミに出るときより深まるのである

posted by 天華 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月24日

天皇即位の礼の俳句と短歌(天皇は日本の文化を受け継ぐ)


天皇即位の礼の俳句と短歌(天皇は日本の文化を受け継ぐ)

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天皇の二重橋行く秋柳

秋粛と天皇行きぬ二重橋

令和の世我が年重ね秋柳

秋柳即位の礼の儀式かな

次の代即位の礼や金木犀

次の代即位の礼や秋の虹

松の間に豊の灯りや実りかな

初冠雪富士の嶺仰ぎ即位の礼


松の間に豊の灯りの節会かな大和心のここにはぐくむ

豊の秋天皇迎ふ外国の人そまねきて令和はじまる



古い柳の木が二重橋に映えている写真
https://00m.in/p6UO1


柳の時を越えて 皇居二重橋の柳の風景
https://tegami.club/16982


皇極紀元年十一月の条に「天皇新嘗御(きこしめ)す」、応神記に「天皇豊明(とよあかり)聞し看しし日に」、大嘗祭祝詞に「皇御孫命の大嘗聞食(きこしめさ)む為故に」、続日本紀巻三十の称徳天皇の宣命に「今日は新嘗の猶良比(なほらひ)の豊の明(あかり)聞こしめす日に在り」など多くの用例があります
天皇の御所とかでもこうして古い謂れがあって名付けられていた

応神天皇というと


応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日

時代
古墳時代
摂政
神功皇后
先代
仲哀天皇
神功皇后(摂政であり、女帝説もある)
次代
仁徳天皇

『日本書紀』によれば母后摂政(神功皇后)が崩御した翌年に即位。即位2年3月、仲姫命を立后。子に大鷦鷯尊(仁徳天皇)らがいる。また皇后の姉の高城入姫命との間には大山守皇子らを得た。『日本書紀』によると即位3年10月に「蝦夷をもって厩坂道作らしむ」即位5年8月に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、即位7年9月に「高麗人・百済人・任那人・新羅人、並(ならび)に来朝(まうけ)り。時に武内宿禰に命して、即位11年10月に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87

ともかく応神天皇の代までさかのぼる歴史が豊の灯りでもある
皇室はこうして日本の歴史を保存してきたとも言える
何か応神天皇とか神郷皇后とか仁徳天皇になるとあの巨大な古墳がある
そういう時代にさかのぼる、皇室の意義がそうした歴史と文化の継続を保つことにあったそういう歴史を偲ぶことにある、ただそうした日本の歴史とか文化が継続しにくくなっている

例えば御所があるとして二重橋があるとしてそこは徳川幕府の江戸城があったところである、その城の後に天皇が住むようになった、もともと大きな堀があってそこを渡る橋が
明治以降二重橋となった
そしてテレビで即位の礼を見ていてそれが日本文化のきらびやかな絵巻物に見えたのである
おりしも雨がやんで秋の虹がかかったというのも吉兆だったし日本的だった
そして二重橋の前に柳があった、そこを天皇(すめらぎ)が通る
皇后様も通る、何か日本的な美がそこはかとなく醸し出された儀式だった

東京にはあまりにも煩雑になり高層ビルとかで情緒とか美が消失してしまった
だから行きたくないのである、ただ煉瓦の東京駅から皇居までは何か歴史を感じるのである、でも何か江戸時代が三百年あったとしてその歴史が偲べないのが残念なのである
なんといってもやはり天皇の歴史は京都とともにあったからである
何かやはり歴史というとき百年二百年でも短いとなるのだろうか?
まだあそこに皇居があり天皇が日本の国の象徴としてあることがなじまない
でも江戸城を復活しにくいのは天皇の皇居になってしまったからである

なぜ百万都市の江戸が偲べないのか?それは明治になったときあまりにも変わりすぎた結果である、大名屋敷でもなんでも江戸にあったものが破壊されたからである
それが残念だったのである、ただ江戸城跡の皇居にだけその跡が残ったのだか天皇の住まいとなったとき何かそぐわないとも感じるのである
天皇はもともと京都に住んでいた方がにあっている
なぜなら権力の象徴ではなく日本の文化を体現するものとしてありつづけたからである

だから言葉というのはその背景となるものが失う時活きてこない、皇居には具体的に日本の文化を受け継ぐものが残されていて豊の灯りという言葉応神天皇からあったということに驚くのである
令和とは国風文化の時代になる、だから大和魂は明治以降西欧列強に対抗するために富国強兵になったのである、そして太平洋戦争でそれも尽きた
その後は大和魂ではなく本居宣長のいうように大和心の涵養の時代になるのである
ただテレビだけではその雰囲気は感じられない、ただそれでもあの二重橋とか皇居内の
要人を接待する間は日本文化の伝統を受け継いだものだったのである
つまり日本人はそうした日本の文化を大事にすべきである、それが皇居に受け継がれていたのである

ただ昭和天皇は和歌がうまかったが後の人はそうでもないしそこが残念なのである
やはり短歌とか俳句は日本の伝統であることもこうして俳句にしたとき感じた
その季節にふさわしいものとして日本の風土の変化があり養われてきたものだからである本当に秋柳があり秋の虹がありそして富士山が初冠雪になっていたのである
そういう季節と密接にかかわり演出されたので天皇は日本の文化の象徴だと見たのである

即位5年8月に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、即位7年9月に「高麗人・百済人・任那人・新羅人、並(ならび)に来朝(まうけ)り。時に武内宿禰に命して、即位11年10月に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という

海人とは綿津見神社系統の安曇族とかのことである、それと対比して山守というとき、山彦である
この時すでに日本は国際的だったのである、なぜか任那人というのもいた、それは伽耶の国に任那が日本府があったとされるからだ、それから剣の池があった
その剣の池に行ったことがある、そこがそれだけ古いし日本書紀にも記されている

剣の池我がはるけくも訪ねきて奈良の都の秋深まりぬ

あの時は名古屋から伊勢から自転車で奈良まで行った、それも遠い日になった
西でも奈良とか京都には三回くらい行った
ただ不思議なのは南相馬市の鹿島区の真野に万葉集の歌が残っている
真野の草原の歌である、これについては延々と書いてきた
そして現実に鉄作りで有名でありその工人が現実に近江の粟田郡に行き来して鉄作りを習得していた、その時代にそんな遠くまで行ったのかとなる

今なら飛行機で大阪まで行き一時間くらいで仙台空港から行ける
新幹線でも遠いから今は仕事の人はみんな仙台空港を利用している
でもそれはつまらないともなる、私は船で名古屋まで行きそれから奈良まで自転車で行ったのである、そういう旅は思い出に残るのである
何度も言うが後で思い出に記憶に残らない旅は時間の無駄だったともなる
旅したことにもならなかったとなるからもったいなかった後で後悔するのである

負担になる老人が増える(介護や病気で金がかかる)


負担になる老人が増える(介護や病気で金がかかる)

青森に送られた親は最初は金がかからないとか預けるだけでいいと言っていた
実際は何か必ず必要なものがあり金がとられている
それを息子が払っている
その息子も非正規ではないから社長がいろいろとめんどうみる
怪我した時もいろいろと世話をやき母親のところまできた
人手不足だから人を大事にしている
建築土木の仕事である

それで今度は丸森が大被害になりそこに働きに行った、それも大変だと言っていた
自衛隊が入るのを規制している、断水もつづいている
そこもこれから復興には相当な労力が必要になる

そして一週間くらい来ないでどうしたのだろうと思ったらその人は目の手術をしてきたという、それも仙台まで行ってなのである
この辺で仙台まで行く人が多い、仙台の医者や病院は設備が良く優秀な医者がいるとして行っている、それで金がかかったと来る
必ず自分の所に金を要求してくる
なぜこうしう金を払わなければならないのかわからない

ただ考えてみると丸森に応援しなければならないと思ったがこうして現実に働く人がいるのだからその後押しとしてその母親のめんどうを金銭的にみるのかとなる
丸森では人手を必要としているからである
かなりの工事関係者がそこに集まっている

●介護で金がかかっている

●老人の病気で金がかかっている

こういうふうに今はそれぞれの家族でも必ずこの二つで負担になっているのだ
介護でも後はかからないといっていだが結構かかっている
そして母親の分までめんどう見れないとなっている
でもなぜ自分に要求されるのか?別に払わなくてもいいけど払っている
約束の倍以上払っているから苦しいとなる

何か今は本当にこうして必ず高齢化で負担を背負っているのだ
その数も増えてくる、福祉でも今はかなり制限されていてもらえないのである
全部病院でも福祉でまかなうことはできない、福祉といってもいろいろな段階がある
最低クラスだと本当に援助がないのである

ただ今回は丸森を応援しなければならないというときその人の息子は丸森で働くのだから間接的には丸森の人を応援しているとなる
だからやむをえないともなるが何かなぜ自分にだけ要求されるのかとも思う
友達だった人は糖尿病でもう4か月くらい入院しているから金銭的援助ができない
これもまた負担となっているのだ

いづれにしろ少子高齢化社会は団塊の世代が75以上になったらその負担で日本自体がつぶれるではないかとさえ思う
必ず介護になりその期間が長いから金銭的にも労力的にも負担になるのである
私の場合は介護も終わりすでに4年とかになる
なんか楽になったなとつくづく思う、余裕がでてきたから人のことを考えられる
余裕がなかったらとても他人のことを考えることも思うこともできない

でもそんなことをかまわす人間かは絶えず自分のことで頭が一杯であり俺たちは苦しいんだ、金がないんだ、・・・・と要求してくる
それは津波の被害とか原発避難者とかの時はもうそううい人たちが押し寄せてきたのである
でも自分自身が介護で病気で苦しんでいる時でもそうである
事業に失敗しし借金した人と金がないから盗むために家探ししていたとか人が苦しんでいることなど関係ないのである

ともかくなぜこんなに自分自身でもそうだけど災難がつづくなのだろうか?
相馬総合病院に入院していた人は津波被害者が新地と松川浦の人でありそして丸森の金山の人も入院していたのである
丸森と相馬市は近いから結びつくのである
今度は丸森町が大被害になったのである
そしてなんというか今度は郡山市まで被害になった
ここの地銀の営業に来ていた人は郡山市であり本店は郡山市にある
こうして何か福島県に災難がつづくのは何なのだろうとなる

今回の一番の被害は丸森町だった、宮城県だけど近いから隣という感覚の地域なのであるなぜか飯館村では原発で被害が大きかった
でもその代り補償金も多額であり立派な家を建てた人もいた
でも丸森町とか相馬市でも宇多川が氾濫して床上まで水につかったが補償金はもらえないのである、保険をかけていればもらう人もいるのが原発のように補償金はもらえないのである

もともと相馬市と丸森町も放射能の被害があったが補償金はもらっていない
それで相馬市の丸森のすぐ近くの玉野地区の酪農家が自殺したのである
何かこの辺ではそうして悲劇がつづくのはなぜなのだろうかとなる
津浪、原発事故、今度は洪水と三重苦になっているのだ
これも呪われているのか何なのか不可解だとなる

今日はgooglechromeのブラウザで文字入力ができくなった
これも直すことができず手間取った、それで時間がとられた
ウィルスではないみたいなのでほっとした
パソコンの問題は何か不具合があると原因が複雑になり直せなくなる
それは原発とも似ている、いろいろな原因が考えられるからもうわからなくなるのであるいろいろ試しても文字が入力できないのである
ただ別なブラウザ、インターネットエックプロラーは正常なのでそれほど困らないが
インタ−ネットは一旦なれて利用していると変えるのがめんどうになる

ここ一週間はこんなことで忙しく追われたが断水はとまった、それて楽になった

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train go(abstract painting)


train go(abstract painting)

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遠い記憶の交わる線路」

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2019年10月23日

新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊 (支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊

(支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


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太原

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工事中だった、橋が流されたのか?

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太原の橋の近く


西殿付近が被害が大きかった

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越水して土手が削られたのは他で見た
ここから土手自体が決壊してゆくと大量の水が流れ洪水になるから危険になる
半分は削られたから危険だった


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竹藪を越えて土手が崩壊している不思議

竹藪は河岸に飢えるのは水の流れをとめるためである
一応流れはある程度とめられているのか?
竹も根こそぎ流されたものもある


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近くに変電所がありこれも水につかったら危険だった
停電になる、他でも電気系統が水につかって停電になった

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鉄道の脇のここが崩れて水があふれれた
ここは越水というのではなく決壊に近かったのだろう
それで川岸の家が床上浸水になった


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支流の水無川が本流に流れて水の勢いをました

結果的に向かい側の土手が越水したり一部決壊した

ここの土手は頑丈に見えなかった、幅も狭い感じだった


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支流は水無川である

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ここの土手は頑丈なのか崩れないし越水もしていない
どちらかというと今回崩れたのは右側だった
その理由も何なのか?
水の流れの圧力の関係なのか?


新田川の被害が意外と大きかった、堤防の越水が多いが1か所は鉄道の通る場所は決壊してそこで床上浸水まであった
ただそこだけが決壊したので被害はあまりなかった
他で大きく決壊したら被害が大きくなった
越水の場所が多かった、越水と決壊では相当な差がある
千曲川のような大きな河が決壊したから長野市で大きな被害になった
ただ越水しても土手が削られるからそこから決壊になもなる

それから西殿橋の近くが堤防が3か所くらい越水と決壊があったのは支流の水無川が合流してそれで水の水量と流水の圧力が増して3か所くらい堤防の越水と決壊があった
西殿の土手の家は床上浸水にまでなった
あそこが一番の被害になった、ただ相馬市よりずっと被害が少ない
相馬市は広範に市街が水につかったからだ

今回の水害は意外と水が出たということである、そしてなぜ越水と決壊が起きたのか?
それは水の流れとか支流合流するところで被害になったようである
その支流が鹿島区の水無川と同じように原町でも水無川だったのである
鹿島の水無川でもあふれたように被害があったように水無川となっていても雨が大量にふると水があふれる、ただここの水無川はいつも流れているように見えた
原町区でも支流がいくつかある、この支流が曲者だったのである

ただ感じたことは意外と土手の強度が弱い、新田川はコンクリ―トの土手が少ない
日本の川はまだ土手の強度が弱いのだろう、川は長いからそのすべての土手の強度を強くすることは相当な手間と金がかかるからまだまだ土手は弱いと思った

川でもやはり部分を見てもわからない、川も全体を見たり流水をみる
曲がっていると流水に影響する、それで土手に圧力がかかる場所が崩れたりする
そして支流も関係していたのである、これが盲点だったのである
                                                              
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる  よみ人知らず

この飛鳥川は細い川なのである、支流なのである、小川の感じだった、軽くまたげる川である
水無川より細い小川の感じなのである、だから石橋わたるという万葉集の歌でもそうである
石を踏んでわたれるほどの細い川だったのである
でも意外とこうした細い支流でも日本では水があふれて怖いという面があった
何かこうしした支流とかまた水が必ずしも本流の川だけではない影響があって大被害になった
ただ新田川の流れも変わったからこういうことは言える

とにかく日本の国土はある時激変するのである、それが津波だったのである
村ごと消失する恐怖である、水の恐怖である、今回もそれが示されたのである


posted by 天華 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

人間の弱点は全体を見れないこと (今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)


人間の弱点は全体を見れないこと

(今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)

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阿武隈川が氾濫して本宮町が被害になった、逃げないで被害にあった人もいる
その人たちが言うのには雨はたいして降っていなかったから逃げなかったという
でも実際は本宮町では雨が小降りになっていたが阿武隈川は増水していたのである

それはなぜかというと阿武隈川は長い川である、すると雨が阿武隈川の流域として山からも支流からも雨がふって集まる、ここではたいして雨がふらないなと見ていても実際は
全体を見れば降っていたのである
自分の住んでいる所でもそうだった、たいした雨に感じられなかったが実際は水が川に
相当に出ていてあふればかりだったのである
それは山に降ったからそうなった

人間はこうして自分の住んでいる一部分しか認識できないのである
人間はあらゆることで部分しか認識できない、人間社会自体が無数のパーツとしてあり
誰も社会全体しか見ていないのである
体でも全体を見れる医者がいないのである
様々な科に分かれていて全体を診れない、でも病気は一部分の臓器だけが悪いというのではない、全体が関係して病気になる、全体的の体が関係してなることがある
だから部分だけをみてもわからないことがある

何でもそうだけどまず全体を見れる人はいないなのである
原発にしてもこれも複雑だから第一吉田所長自体が復水器とかさえ大事なものを知らなかったのである

私はそっちの方の専門家ではない

たいがいみんなそうなっているのである、つまり原発のような複雑なものをそこに勤めている人でも上の人でも知ることはできない
でも本当はその原発の全体を知る人こそが必要だったのである
そうしなければ危険に対処できないからである

土盛りしてわざわざ高くした所に原発を作ろうとしたのに削ってしまった
それは電源装置の関係で削った方がいいとかコストの関係でそう決めた
そういうことをどうして決定したのかわかならい
それは何か全体を見る人が見れる人がいないからである

今回の北陸新幹線の車両が千曲川の氾濫で水にひたり使えなくなって大損失になったのもそうである
それもまず車両基地は広い場所が必要だから市街から離れた湿地帯のような所に作った
それはそれだけの土地を買いしめることができなかったからである
そこがもともと湿地帯のような所だということは危ない場所だったのかもしれない
そして千曲川から二キロ離れているから洪水のことを頭にも浮かばなかったとなる
これも全体を俯瞰的に見れないから安心していたとなる

人間は全体を俯瞰的に見るのが苦手なのである、常に一部分しか見ていない、仕事でも一部分をしているだけである、あらゆる仕事が専門家するというときも一部分の専門家であり全体を知る人はいないのである
すると全体をみる統率する人がいないから大事故につながる
結局そんな全体を統率できるのは全能の神しかないともなる

そして郷土史というときこれは狭い範囲の世界とか学問とか思っている
とこやが郷土を知るというときこれも地形から何から全体を知る学問だった
だから地質学と地形とか理系的なことでも必要になる
だから一人では手に負えないものとなっている
郷土という全体をみることはできないとなる、ましてやさらに地域が広がるとみれなくなる
第一地球は一つであり部分ではない、一つの統一体としてある
それを統率できるのは知り得るのは神しかないということである
人間の仕事は一部分の仕事にしかならないのである
それはどんな優秀な人でも一部分の専門家にしかなれないのである

そして人間は全体を見れないということでこうして常に災害にあったり社会でも原発のような事故になったりする
そもそも原発を作った時その地域の全体を見て作っていない
原発が事故になったらこうしてその地域全体が放射性物質によって汚染されることを見ないのである
私の住んでいる場所は30キロ離れているから関係なとか見ていた
でも福島市とかまで40キロとか50キロとかさらに離れていても放射能に汚染されたのである、全体にそれだけ影響することを見ている人はいなかったのである

だから人間の学問とかでも必ず限界がある、技術でも限界がある
必ず想定外で自然災害が起こる、それも自然全体のことがわからないからである
想定外のことが起きることはいくら備えてもそうなっている
人間は全体を知り得ないからそうなっている
ある部分を直しても全体が関係しているからやはりまた同じように災害を防げないとなるそこに人間は万能ではないし力の限界を感じる

ではどうすべきなのか?
原発など人間は操作できない代物だから危険だからやめるほかないとなる
もし操作できるものならいいが人間にはできないということであった
別に原発がなくても暮らしていけるから安全な範囲で人間は生きるべきだとなる
そこに多少の不便があってもがまんして生きる、だってそうして何千年も生きてきたのが人間だからである

土木工事でも完璧にはいくら努力してもならない、必ずどこかに穴がありそれで失敗している、それは全体的にどうなるか見れないからである
今回の洪水でも支流が氾濫して影響して被害が拡大したことも想定外だとかなる
つまり本流ばかり見ていて支流を見ていない、また水がどういうふうに全体に作用するから見ていないのである、津浪でもそうだった、地形が深く関係していたのである
前に台地のようなものがあると小高い山があると津波はさえぎられて勢いは弱くなり
海の近くでも助かっている人がいたのである
だから防波堤より台地を作ることが効果的となってそうするようになった

日本は何か地形が複雑である、山あり川あり海ありと複雑な地形である
その全体を俯瞰して見れる人はいないとなる
そこで自然災害を防げないのである、それはこれだけ科学技術が発達しても防げないのである、それが日本の宿命でありカルマだともなっている
その恩恵もあるのだが自然災害を防げないというのもカルマなのである

いづれにしろ人間は地球でも宇宙でも全体を見ることはできない、そこから人間の様々な問題が起きて来る、全体を見れるのは統率できるのは神しかいないからである
そこに人間の限界があり災害を防げないのである

posted by 天華 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月22日

天皇即位の礼(天皇とは何なのか)


天皇即位の礼(天皇とは何なのか)



天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  


今回の洪水の災害について書いた、これが何か天皇が何かについても語っていた
地震が起こしたのは天皇にあったと自ら言明している
ということは天皇が地震を起こすことができるのか?
そんなだいそれた存在なのかということに逆になる
確かに今でも災害があると天皇が必ず見舞いにくる、でもその災害の責任が天皇にあるとはならない、誰もそう思わない、でもこの時代は天皇は神のような存在だから天災でも
天皇の責任だとまでなっていたのである

天皇の歴史をふりかえると最初は神格化されていた

大君は神にしませば雲隠る雷山(いかづちやま)に宮敷(みやし)きいます」

大君は神にしませば天雲の宙の上に慮りせるかも 

山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟山すかも (柿本人麻呂)

自然すら天皇に仕えていたとなる、それだけ天皇の権威は強力なものとしてあった
その時自然の方が脅威なのだがそれが天皇と一体化されたということもある

その後は天皇はそうした神格化されたものではなく権力者が人民を支配するために使われるようになった、神輿のようにされたのが天皇である
国を治めるにはなんらか武力だけではない、神聖なものが権威が必要だからである

ただ不思議なのは天皇自体には古代では自然まで支配する神格化があったがその後は何か直接権力をもって支配することはなかった
外国だと王は神格化されたりまた絶大な権力をもって支配した
でも日本の天皇は権力を直接操作することがなかった、天皇の命令で国家を動かせるものはなかった
ただ神輿として持ち上げられるものだったのである
壬申の乱でも天皇の兄弟が二つに分かれて戦ったし南北朝の戦いでもそうである
ただ日本では天皇が二人になって分裂するとき国も分裂する
南北朝の争いをみればわかる、それを調べれば日本の隅々までその傷痕が残されている
私の町自体の成り立ちが南朝の落武者の子孫だったのである

それ以後戦国時代になると天皇をめぐる争いにはなっていない、江戸時代になると天皇は文化的存在に過ぎなくなった、日本の文化的伝統を守るものとして京都の御所に幽閉されたみたくなっていたのである、そして貧乏で短歌をよんで売って生活していたという
それがなぜ明治になって逆に古代のように神格化されるようになったのか?
それは西欧列強に対抗するものとして何らか精神的権威が必要とした
尊王攘夷運動が起きた、尊王とは天皇を神として王として崇めることである
そして神道は国家神道になった、それが太平洋戦争まで継続されたのである
明治以降の天皇はその前の天皇とはまるで違ったものとなったのである

そして奇妙なのは天皇がそれだけもちあげられると廃仏毀釈運動が起きて仏像が壊されたのである、その壊された仏像は今でも残っているのである
その原因が徳川時代は寺が仏教が優遇されていた、寺は幕府の役所の一部になっていたのである、そのとき神社はないがしろにされていたという不満が廃仏毀釈になったとされるそれは宗教の権力争いでもあったのだ、宗教も実際は権力と結びつく
時の権力に優遇されれば暮らしも良くなる、江戸時代には宗教は死んでいたのである
それが今でもつづいているのが葬式仏教とかである、檀家宗教とかである
それは江戸時代のつづきとしての宗教なのである

日本の近代化は天皇を神格化した成されたから何か歪つなのである
そこに無理があった、その結果として太平洋戦争まで天皇が現人神(あらひとかみ)とされて崇められて敗戦になったのである
つまり天皇は神では日本は神の国であり神国だから負けないという戦争になったのである

「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」

こう天皇が反省すると昭和天皇は戦争の責任があるのだから退位するべきだったのである南北朝の戦いの時光厳天皇は反省して退位して隠居して暮らして死んだことを死んだ都築詠一氏はほめていた、そしてなぜあれほど昭和天皇を右なのに批判していたのか?
それは戦争の責任をとらなかったからである
また三島由紀夫が天皇が人間宣言したとき天皇は神であるべきとしたのも不満であった
日本の歴史は天皇をめぐる歴史だったとことがここに現れている
それは古代からの祭政一致が復古の形で現れたからである

そして西欧化するとき政教分離の思想が法律として定められていたのに憲法ではそうはならなかった、天皇の統帥権とかが認められていた
明治維新は西欧化は様々な矛盾があった、それが日本の特殊性だったのである
自然災害でも天皇の責任とされたように神格化された王はそうなる
政教一致だと創価でも選挙は仏法最大の戦いであり仏が味方するのだが必ず常勝するとなる、一票とるために祈り戦うのが創価である
それは権力をとるための戦争と同じなのである、日蓮の思想に王仏冥合という思想がありその実践が選挙なのである
完全な政教一致であり政教分離の憲法に違反しているのである

だから何かあれば罰当たるとか地獄に落ちるとか世俗生活にあてはめるのである
それは経済生活でも病気でも不幸でも政治でもあらゆるものがそうなる
そこに合理的に解釈しないのである
戦争でも天皇が神格化されるともう合理的に戦争を見れない、負けていてもどれだけ人が死んでも日本は神国だから勝つとなり戦争をやめることができない
本当に一億総玉砕まですすむところだったのである、それが原爆でとめられたとまでなる日本の戦争の原因は日本側だけにあったのではない、アメリカ側にもあったから合理的に正当化されても天皇をもちだすと天皇は神だからとなりそんな合理的説明は不用だとなってしまうのである
政教一致になると批判許されない、それは宗教と権力がむすびつくから今の政権でも批判すれば神仏を批判するのかとなり逮捕される、警察権力とも検察も宗教の権威に逆らえないからそうなる

天皇とは何なのか?それより近代化してさらに太平洋戦争に大敗北して3百万人も犠牲が出たのになぜ天皇が継続されているのか?
それは国民が天皇を必要としているからだとなる、天皇を維持したいからだとなる
戦争でも天皇の責任とはしていないからだ、天皇は直接権力ふるうことはない、天皇は常に神輿であり権力者にもちあげられる存在である
すると戦争が負けたとしてもまた何か不備があったとしても天皇自体の責任ではないとなる、責任はその部下にあるとなり天皇自体にはないとなる
だからこそ天皇が近代になりまた現代でも継続されているとなる
天皇には何ら責任はないとなってしまう、それが不満で昭和天皇を攻め続けたのが都築詠一氏だったのである、それが最右翼なので理解しかねるところがあった

日本で天皇が継続されたのは島国だったからである、大陸のような国家だったらどうしても外国から攻められたりして必ず影響を受けて国自体が変化してしまう
日本では外国から攻められたことはモンゴルの時しかない、それが明治維新になって西欧化したのである、でも天皇は継続された、それも前よりも強固な天皇の権威で近代化した矛盾があった
ただ日本の歴史では天皇で国家が統一されてまとまるが分裂するとき南北朝時代のように国が乱れに乱れるのである、そこに天皇の効用があるとなる
ただ戦争中は天皇の権威と権力が結びついて戦争になった
つまり権威と権力は別物であるべきなのである、だから戦後は象徴天皇制になった
ただなぜ政教分離が日本で実行されないかというと神社側とか仏教側でも税金の問題があるから協同して反対しているのである
営利活動ではない宗教活動には税金がかからないからである
要するに金がからんでいるから宗教というのも経済が優先されるとなる
日々の暮らしにひびくから反対しているのである

もう天皇は祭司としての役目はない、なぜなら皇居内で田植えとか養蚕をしているがそれは農業中心の社会だと何か意味があった、これだけ工業化するとそういうことは意味を見出されなくなる、すると大嘗祭とか豊作を祈るとかの行事も意味なくなる
なぜなら世界と伍してゆくには工業化であり今なら情報社会でありIT化だとかなる
現実に原発でも農業でやっていけないから地元で積極的に誘致したとなるからだ
その東電の株を天皇ももっていたというからこれも矛盾しているのである
東電の株の方が大事となっていたのである

とにかく国家の統合形態として権威と権力を分離することは優れていたというのは確かである、権力は必ず絶対的に腐敗するというより権力を持つと人間は腐敗する
それは中国をみればわかる、人間は権力をもつと悪魔にも変身する
権力と宗教が一体化したカトリックでもそうである
権力の魅力があまりにも大きいからである、それは金に支配されている現実をみればわかる、今は金が最大の権力になっている、それで常にロスチャイルドがどうのこうのとか陰謀論になるのである

ラグビーで外国人と一緒に君が代を歌う時何か感動する者があった
君が代の歌はともかくこの音楽がなんともいいのである、何か極めて日本的なのである
他の国家は何かそうした国を感じないのである、そもそも今回出場した国は大英帝国に支配された国でありそれが独立した国と思えないのである、南アフリカでもニュージランドでもそうである、オールブラックは原住民が入ったいたとしてもイギリスに支配された国である、ただスコットランドとかあると薊(あざみ)の伝説があるように国の歴史をもっている
イギリス自体は古い歴史をもっている、でも他の国はそういう歴史をもっていないのである
日本は二千年とかの歴史がある、ずっと独立国としてあった国なのである、そしてヨ−ロッパの列強の植民地にもならなかった国であるからそこには誇りをもっていいとなる

とにかく自分は石とか岩とか詩のテーマにしてきた、だから君が代はその岩を音楽化したものをう感じる
なんとも深く内面にひびく深い思想性を感じる、「静けさや岩にしみいる蝉の声- 芭蕉」にも通じるものがある
何か心の中に深くしみいってくる、日本の大地から静かに湧きあがってくる力を感じる
土着的な力を感じる、音楽には疎いが何か音楽は一つの光景を浮かべる時がある、リズムもあるのだがクラシックだと山と海とか大地とか森とかをイメージするのである、君が代には国歌として土着的なものを感じるから優れていると思う
そういう音楽はやはりその土地から歴史的伝統から生まれる、それが文化だとなる
天皇はそうした日本の歴史的文化的伝統の存在である、それは権力と違ったものとして日本に継続されつづけてきたともなる

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次の代即位の礼や金木犀

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宮殿正殿の松の間に高御座に鳳凰があり金色に輝いていた、
黄金の高御座である、ちょうど今咲いている金木犀のイメージになっていた
つまり新しい時代を担うことになるが経済の時代から文化の時代になる
金木犀のように文化が華咲く時代になる
令和とはそういう時代になる 

何か日本の儀式でも命日とかが花でもって記念される
きにち【忌日】というのがありその人を記念する
ただ名前がきにち【忌日】とされるのは俳句界ではある、母は苦労したから冬紅葉忌としたとのである、冬紅葉になると母を思い出すからである
何かその人にふさわしい花とか何かあり忌日としている

今回は金木犀が今咲いているからふさわしいと見た

それから虹がたったということも縁起がいい、この時に立つことが不思議だとなる
やはり天皇の即位の礼は日本の美とか伝統を示している

次の代即位の礼や秋の虹

虹がこの時かかったというのも縁起がいいとなる、雨が降っていてそれが即位の礼の時
雨がやんだ、何か吉兆だともなる、秋の虹ということにあわしいともなる
秋の虹だと何か落ちついた感覚になるからだ

posted by 天華 at 12:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月21日

困っていても「福祉に頼んでください」あとは関係しない社会 (ダークネスサイトの批判の試み)


困っていても「福祉に頼んでください」あとは関係しない社会

(ダークネスサイトの批判の試み) 


街に出ると、貧困に苦しんでいる「見知らぬ他人」をみかける、ホームレスを見かけることもあれば、深夜のマぐドナルドで寝ている若者も見かける、そうしたニュースに接して、あなたは見知らぬ彼らに「自分の貯金からこれを使ってください」とさしだすだろうか?おそらくそうしないはずだ、しかしそんなことしなくてもいい理由がある(鈴木傾城)    

(ダークネス(鈴木傾城)

これも一理ある、人それぞれの言い分や考えはある、だからいちいち怒ったりしてもしょうがないとなる
このサイトと武田邦彦氏のyoutubeとかを見ている
だからこの人に別に特別反感もない、何か人はそれぞれの立場で住んでいる所も違うし生い立ちも違うからそれぞれの言い分が生まれてくる

ただこういうことに反感をもつ人がいることは確かである
税金収めているから助けているし助ける必要はない、今ここに飢えているものがいる病気の人がいるとして助ける必要がない、それは福祉がすることだとなる

とにかく苦しい時今は「福祉に相談してください」で終わりなのである
私とは関係ありませんとなっているのだ
何か困った人は福祉に相談してくださいで終わりです

私自身も介護とか自分の病気とか窮地にたたされたとき全く近隣の人は見て楽しんでいるだけである、田舎では特にそういうことがかえってあるのだ
他人の苦しみは密の味とかなっているのだ
だから何か人間観が自分は自分が苦しんでから変わってしまったのである
それも自分自身がそうなるカルマを背負っていたということもある
そうして今ではあきらめている

でも自分の問題は金の問題ではない、金は別にあったからである
みんな金で困っているわけではないのである
多くは金の問題にしろそれだけではないのである
人手がいるとか何か慰めてくれとかある、自分には金があったのだからそういうことをしてもらいたいかった

しかしなぜ何もしてくれないのか?
福祉でなにもかもしてくれないのである、福祉に頼んでくださいと言うのはあなたのためには何もしたくないからそう言っているのである
またそういうのもそういう人にかかわるとめんどうになるからである
いろいろと世話するようになると負担になるからである
そして金の問題になればその数が多いのだからとても無理だとなってしまう
だから福祉に頼んでくださいとなる

たいがい人生相談しても誰か親身になって相談にのってくれる人などいないのである
それは負担になることが嫌だからである
でもこのサイトでは金のことを問題にしているけど人間は金なくても何かできることはある、またそれほど負担でなくてもできることはある
洪水の被害でもそういうボランティアは肉体労働になるから負担でできない、だから寄付をしよう、金で応援しようとかある

自分がしてもらいたかったことは金の問題ではない、金があったし金は与えていたのである
でも実際は大金を盗まれたり金を要求されるだけだった
自分の苦しみを知るものは一人もいなかったとなる
なぜなら自分の家に来た人は金に苦しんでいたから何もできなかったのである
事業に失敗して借金していたとか大金盗んだ人は年金がたりないとか何か苦しんでいた
そういう人は自分のことで精一杯なのである
だからまず金のことより相手のことを思いやるという余裕すらないのである
そういう人が何か相手のことを気遣うことはできない
自分自身のことで精一杯だからである

ただその人を思う時何か異常だとも思った、何か自分の家に来た人は異常だったと思う
全く相手のことを思いやる心がなかったということである
そういう人たちしか来なかったということは自分の家と自分自身のカルマだったともなる
でもそれ以来人間不信になったしどうせこの人と付き合っても助けられることもないと見てしまうようになった、だから人間を見る目が変わってしまったのである
それは今までそうした苦労なく何不自由なく暮らしてきた自分のカルマだったとなる
だから苦しんできて自分に常に金のことで水道とめられた電気とめられたと来る人が

あそこの道で倒れても誰も助けない

そういうのを自分自身も納得したのである、現代はそれだけ金だけを求める社会なのである
ただ不思議なのは金が欲しいことはわかる、でも事業している人が他人のために荷物一つは運ぶことを嫌がる人が事業できるのか?
だって事業は人のためになることをすることだからである
ただ社長としてふんぞりかえって威張ることではないけどその人はそういう人だったとなる、そんな人がいくら技術的に優秀でも事業ができるのかという疑問である
そんな人にいくら社長でもついてゆくだろうか?
だから人手不足になれば社員自体がやめてゆく、ブラック会社は淘汰されるのではないか?

別に事業が慈善事業ではない、利益をあげることである、でも他人のために荷物一つも持ちたくない、それは無料でもなかった、すでに私は百万単位で金を与えていたのである
その後も借金していたのをゼロにして縁を切った
だから無料でしてくれではなかったのである
でも簡単なことでもその人は他者のためにはしたくない、そんな簡単なこともできない人がどうして社長になっていられるのか?
もちろん自分は事業をしていないから会社経営のことはわからない
でもその人の人間性に大きな問題があったのではないか?
それは原発事故でも何でもそうである、その会社を運営する人間性の欠陥がありそれが事故につながる、何かそういうことは原発関係では多かったのである
モラルが欠けていたことが事故につながった原因でもあったからだ

いづれにしろ困った人は苦しんでいる人にかかわるとかえって損するということは確かである、だから人はそういう人とかかわらないかかわるのはそういう困った人たちを利用する人たちなのである
共産党でも創価でも他のカルト宗教団体でもいろいろな団体でもそうである
そういう人たちを味方にして票を増やして権力を得ようとする
数が集まれば権力になるのが民主主義だからである
そして共産党すら幹部が裕福なのである、それは今の中国を見ればわかる、幹部は王侯貴族になっているからだ、人民服きていた共産党の時代とは全く違ったものになっている
人民から富を収奪しているのが共産党だっともなっているからだ

誰か本当に困った人を苦しんでいる人を助ける人はいるのか?
それはその人たちのために税金を払っているのだから福祉がすればいいとなる
でも福祉でなんでもしてくれるのか?
「福祉に頼んでください」あとは知りませんとなる
それで本当に自分自身が苦しい時そう言われると腹正しくなる
それは私はあなたのために何もできません、それよりしたくないのです
だから福祉に頼んでくださいとなる
これも現代の資本主義なのである

でも自分の場合だけど別にそんなに負担にならないで助けていればお礼はあったのであるそれはなぜ自分がそういうことを強く思ったかというと
困っていて苦しんでいてその人から得るものはない、金にならないというけど金はあったのだからそんな負担をかけずにも何かできたことがあった
ただの励ましでも言葉でも助けることだってあった
ただそういう気持ちが全くなかったのである
それは後で大きなお礼となって金銭的に得することがあった

例えば大金持ちの人でも何かそこで多少でも助けたらお礼が大きなものとなる
ただその大金持ちでもわからないいことがある、それでたまたま何か苦しんでいたそれをちょっと助けたが後で大きな金銭としてのお礼があったとかもありうる
でもそれも最初からこの人は大金持ちだからとわかっていて助けるのはまた別である
そのとき動機はただ金が欲しいというだけになるからだ

人間は今だと毎日働いてもたいして金にならない、でも人を助けたときそこで恩を感じた人は大きな金を払うということはありうるのだ
金をもっていることがあるからだ、でも実際は大金を盗まれたというだけだったのであるまた何一つ気遣いもなくただ金が欲しいというだけあった
でもその人は他で毎日働いていた、それは苦しい労働だったのである
要するに自分が苦しんでいることに対して全く関心もなにもないし何か助けるいう気持ちもなかったのである
そういう人が他者に気づかいできない人が事業を成功できるのだろうか?

何か人を助けるというとき重い負担が課せられるから嫌だというのはわかる、自分も嫌だからである
でも簡単なことあるとき水一杯やることが助けることだったある、でもそれすら関心がない人は気づかない人はしないのである
そういう気持ちがないからしないのである

損して得をしろ!

何も介護の重労働をさせるわけではない、言葉で慰めることくらいでもいい、でもその人はそういう気遣いはゼロだったのである
そういう人たちはもう人間ではないとも思った、ただ金だけを求める社会になるとそういう人達が普通になっている
だから目の前に苦しんでいる人たちがいても何もしない、「福祉に頼んでください
それですべて終わりである、今そこで倒れても何もしないのか?
救急者も呼ばないのかともなる
だからあそこの道で倒れても誰も助けないという人の気持ちがわかったとなる

ただ助けられ人にも問題がある、そういう人たちは何か性格的にもおかしいという人がまた多いのである
貧乏しているのに金が入ったらぱっぱっと使った、そして金をねだったりギャンブルに使ったりできることをしない、何か家に来て金だけはねだる
でも何もしない、食器洗うことでも自分の家の台所仕事だったらていねいにするけどなおざりにする、何か汚くなっていたがそこをきれいにしていないとか気づいた
それは自分が食器洗っているから気づいた、自分は汚くしているけどやはり自分で食器あらってみると食べ物を扱うからきたないとまずいと思ったのである
ここでも他人の家のことだし自分とは関係ないとなり家事手伝いでもなおざりにすることがあるだろう
そういう人にまた次に頼むということがしにくくなることもある
ただ自分の場合は何もしなくてもいい、来てくれるだけでいいとか見回り役として金を払っているからいいとはなる

ともかく人間関係は複雑でありややこしいから一面だけを見てもわからないのである
ただこのサイトの人は底辺の人たちを扱っているから同情しているのかとも見ていたのである、でもそれは割り切ってこういう言い方になった
それは今の社会の一般的な見方なのである、そういう言う人が多いから特別ではないのである
福祉にたのんでください」私たちは税金を払っているから助けている、ただ個々人には対応できない、だからかかわるなとなる
でもこの人でも本当に困った立場になって「福祉に頼んでください」私には何もあなたのためにはしたくないです、そう言われるとどういう気持ちになるのだろうか?
そして逆にそういうふうに頼まれても同じよう「福祉に頼んでください」となる
あなたとは関係したくないです、あなたがどうなろうと私の責任ではないです
福祉がすることです、何かそれが現代社会なのである

おにぎり食いたいという言って餓死した人がいた
生活保護をもらっていたが打ち切られてそうなった、病気になって仕事をやめた人だった
でも昔なら隣近所でそういう人がいたら頼まれたらおにぎりくらいくれていた
現実に昔は戦後まもなくでも乞食がそうして回っていた
それで物をくれていたのである、かえって乞食がそうして豊かになっていたとか責められたこともあったのである
そういう時代と対比すると何か個々人でも情がなくなっている
言うことは福祉に頼んでくださいというだけである

でも福祉から断られたらもう行き場がなく餓死する社会だとなってしまうのである
また交渉力がない人はそうなりやすい、男性はプライドがありそうなりやすい
女性はコミ二ケーション能力がたけているし同情されやすいから生き延びるとなる
もう福祉係にしがみついても恫喝しても金をもらうとか援助を要請する人もいるからである、そして福祉係を襲う事件がある、それは切羽詰まってそうなっているのである
それは明日食べるものがないというとき人を殺して奪ったりするのとにている
だから追い詰められた人間は怖いのである
自分の所に来た人たちはそういう人達だから怖いものだったのである
ただそれも自分の場合は他者を責めるにしても自分自身のカルマだったというほかなかったのである      



  
あとがき

インターネットはもともと対話からはじまった、でも二三行の応答だった、プログとかなると長くなるから深い見方をして批判したりできる
私は二三行くらい書いてもその人のことがわからないから答えにくい
でももしプログでいいから匿名でも何かその人なりのの発言していれば答えるかとになるかもしれない、対話が成立するかもしれないただ二三行だとケチつけるだけで終わりだとなっているからだ、それで答えにくいのである
それでただこれだけ一方的に書いている、対話成立しないのである

対話が成立しているのは武田邦彦氏とここのダークネスサイトだけかもしれない、ただダークネスサイトは対話できなかった
今回は経験から批判したとなる
何かインタ−ネットとにかく応答しやすいメデアなのである、だから誰かの書いたものを引用してそこから自分なりの言説を展開しやすいのである

そしてアマゾンで本も買いやすい、千円以下の本を買っている、本は内容があるから違っている、そしてその本でも何冊でも読むと多様な見方が生まれる、何かつなぎあわせると編集するとそれが一つの論文のようになるのも不思議である
こうした知的作業がもっと前にできていたら知的な進歩があった
第一仙台まで行って本を買うこと自体が手間だったのである、仙台でも売っていない本が山ほどあったのである
それが何か関心があったときすぐに本でも読める、洪水があり川のことを知りたいと(川と国土の危機)という本を買った
今関心があるものをすぐに手に入る、また今度はプログでも利用できる、対話できる、そして編集できる
それで知的仕事ははかどるなとつくづく思った






自然災害がつづくのは天罰なのか? (なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)


自然災害がつづくのは天罰なのか?

(なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)

天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  

全人類の蓄積された不幸と悪行が、ときとして死にゆく神に押しつけられる。神はそれらを永遠に運び去り、人々を無実で幸福なものにする、と考えられている。われわれの代わりに、われわれの痛みと悲しみを他のだれかに負わせられるという概念は、蛮人の思考にはなじみのあるものである」

なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『 金枝篇』 J.G.フレイザー

なぜこうしてこの辺では甚大な災害に見舞われているのか?
これをいろいろ追求してきた、他の人も追求している
科学がいくら発達しても不可解になるからだ
それで天罰論が生まれてくる、自分自身もその説をとって発言してきた面があった
ただ今は科学時代だから科学的考察が不可欠なのである

でも何かその原因を科学的なことではなく政治とか社会とか人心の乱れとかがあり大きな自然災害が起きてくるとすることが昔から言われて来たし今でも言われるのはなぜなのか?
それは現実にそういうことがあるではないか?

なぜ公明党の国土交通大臣が西日本豪雨で苦しんているときカジノ法案のために時間をかけていた、その方に熱心だったというときもそうである
そうした政治の不備があり自然災害に見舞われる
その原因は政府にあり国土交通省にあるともされる、それは天皇に責任があるとか王に責任があるとされ殺されたり世界でも災難がつづくと神に犠牲を生贄を献げていた
またノアの洪水は人の心が悪くなって神が起こしたとされるから宗教的見地からみて起きたとなる
だから中国でも治水が最重要課題でありそれがうまくいかないと王朝は交代する
自然災害でも時の政府の責任にされるのである

現実そういう面は確かにある、なぜ公明党の国土交通大臣がカジノ法案を通すために力をいれているのか?それは創価の会員も特に婦人部は反対している
ギャンブルの夫がいて苦しんでいる人がそこには多いからである
だから創価では盛んに仏罰を言うけど自ら仏罰を招いているのではないかとまでなる
そもそもそうした団体が仏罰など言えるのか?
そこにいる人たちがどういう人達か見ればわかるだろう、普通の俗人のそれも何か社会的に人の世話になるような人たちが多いからである
日蓮が仏罰を言うなら予言者が言うならわかるがそういう俗世にまみれた人たちが仏罰など言えるだろうか?
むしろそこにはかえって仏罰が起きてくるのではないか?

ただそんなことを言うのは公明党が政教一致だからそういうのである
別に政教分離だったらそういうことは言わない、やはりただ政治の不備だとして責めるだけである、そこに神仏はかかわらないのである
なぜ天皇が災害の責任を負ったのか?
それは天皇は祭司であり日本の国を守るものであり宗教的なものがあったからである
祭政一致だからそうなった
政治とは政(まつりごと)どありもともと政教一致であり祭政一致だからそうなったのである

本当になぜ福島県でこの辺でこんなに災害が連続して起きているのか不可解になる
その原因は原発などを作ったからでありそれも天罰だったとなる
神がそんな危険なものを作るなということで罰を与えたのかとなる
それは神話をさかのぼればギリシャ神話のプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたことまでさかのぼる
それは神から盗むことからはじまっていたからである
何らかで人間の技術は神から盗むことに由来しているのである
太陽光発電も風力発電でも一見自然のエネルギーのようでもそうではないと武田邦彦氏が科学者が言っているのだからそうなのかと思った

だから必ず人間の技術は自然破壊に通じているのである
水力発電でもそうだと言っているからこういうことはもう人間が生きはじめてから起きていることだと思った
石器にしても必ず殺戮のために使われたしいい面と悪い面に働くことがあった
原発にしても原理は同じである、石器と同じなのである
人間の技はいい面と悪い面に働くことでぱ同じである
だから技(わざ)は災い(わざわい)に通じていたのである、日本ですらそういう意識があって言葉が生まれていたのである

なぜ自然災害がこんなに起きるのか?それもどうしてこの辺に連続的に起きるのか?
原発事故では飯館村が被害が大きかった、津波の被害があり次に丸森町があんなに洪水で被害になるとは思いもよらなかった
相馬総合病院に入院ししてた時、新地の人と松川浦の人がいて丸森の人がいた
新地の人と松川浦の人は津波の被害にあっていた、新地の人は一番被害が大きかった
そして今度は丸森の人は金山だったがそこも被害にあったのかとなる
福島県でも郡山市の方まで被害があった
それは何なのだろうとなる、飯館村は原発で大被害になり隣の丸森町が大被害になる
相馬市でも津波の被害が甚大だった、今回の宇多川でも洪水になった
六号線の東側の飯淵とかが被害が大きかった、ただその他は床下浸水でさほどの被害があるとは見えなかった

何か日本全体でもこういうときは天罰論が言われるのもわかる
何か仏教でも末世だとか言われるのはそのためである、日蓮はその末世に生まれて仏法を説いたからである、その時モンゴルも攻めてきたからである
内憂外患の時代の動乱の時代だったからである
今も日本はそれににている、内憂というとき経済が落ち込んでもう日本は貧困国家であり後進国になったというときもそうである
何か大きな改革をしないかぎりもう日本はどん底に陥ってゆく
そのためにこんなに大災害が連続して起きているのか?
それは日本の改革をうながすためなのか?

例えばオリンピックとかカジノなどに勢力を費やすな、金を使うな

原発は日本では危険だからやめろ

経済もグロ−バル経済とかは日本の文化を破壊するからほどほどにしろ

・・・・・・・・・・・・・

何かそういうことを警告として自然災害が起きているのかともなる
そして東京一極集中をやめろ、遷都をもう一度考えろとかなる
日本は古代には頻繁に遷都していたのはその場所が穢れてくるから別な土地に都を移したのである
ただ東京は余りにも巨大になりすぎてできなくなった
だから東京に大きな災害が起きない限り真剣に遷都を考えないのである

次に東京に大災害が来る!

これは天罰論ではなく科学的にもう確実なのである、ただその時はじめて日本改造が起きる、改革が起きる、そうならないかぎり遷都はできないからである
それより東京が一千万人とか集中している弊害が大きいのである
だからこそ東電では電気がたりないと福島に原発を作ったりするからである
東京から災いがもたらされることが多いからである

とにかく天罰論というとき人間は自然の事象でも科学的に合理的に解き明かせないからである、それだけ複雑すぎるからである
確かに人心の乱れからこうした自然災害も起きていることもありうる
それは個人的に自分に起きてきたことでもそうである
そのことを延々とプログで書いてきた、日本の人心は上から下から乱れきっている
ただ金を求めるだけであり後はなにもない、人が苦しんでいてもこの時チャンスだとして金を求めてくるだけである
絆のことを言われたがその絆は外との絆であり内部では絆がなくなっていたのである
原発は電気は必要でもそれが深く人間の欲と結びついてできたものだった
その後も補償金でもめてこの辺は分裂したのである

そしてなぜ福島が連続して災害にあうのか?

これも不可解なのである、なぜ郡山市まで被害があったのか?
あそこには銀行の本店がある、そこの人が投資信託をすすめられた、それは詐欺まがいものだった、それも今回の災害と関係しているのかとまでなる
何か本当に自分の一身上に起きたことはただ人は金儲けの対象でしかないことだった
事業に失敗した人は借金に苦しんでいるから弱った時借金を要求してくる
自分の困ったことなど何の関係もない、ただ金を欲しいというだけである
それはみんなそうである、人間の情すら今や社会から喪失しているのである
だからそうした人間の心が冷たくなったときノアの洪水が起きたとしている
自然災害が仏教でも神道でも神からの仏からの罰だとしている

おりしもなぜこの時期に新しき天皇即位があるのか?

洪水被害で延期された、何か天皇即位を祝う気持ちになれるのか?
つまり天皇が自然災害で日本ではその責任をとってやめたということが過去にあったからである、だからこれも時期が悪かったなとつぐづく思うし国民がとてもみんなで祝うという気分になれないのである




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2019年10月20日

鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった (真野川もあふれる水位になっていた)


鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった

(真野川もあふれる水位になっていた)


真野川

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水が来た所の草は色が変わっている
ぎりぎりまで水がきていた

ここは西町であり街の上である、ここがあふれたら危険だった


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ぎりぎりまで水が来ていた

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流れが変わり砂利が運ばれて様子が変わった
ここは草ぼうぼうだったが草がなくなっていた


水無河原

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ここの流れも変わった

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ここが被害だった、このコンクリートが壊れることは
相当な水量であり水の勢いがあった
下の方の一軒の家は水が来たみたいだ
でもそれほどの被害ではなかった
この水無川があふれるとは思いもよらなかったろう

nowater77.jpg

こんなに水が流れている水無川は見たことがない
台風のときはあふれるように流れた
だからここでも土手を水が越える危険があった
砂地になったのはそのためである



南相馬市鹿島区の水無河原は普通は流れていない、地下にしみこむ、でも橲原(じさばら)の方の流れはいつも流れているしそれなりの川なのである
ただこの川で今回水が下流であふれた、一部コンクリートの土手が壊された
そこに家が一軒があり多少が水が来たみたいだ

この辺では真野川の上流でも一部被害があったとか新田川の上流の大原の大谷(おおがい)では明らかに被害が報告されている、水があふれたのである

今回の台風19号は意外と雨がふったことがこれでもわかる
支流に雨が相当にふった、だから丸森町では支流があふれて被害になったのである
丸森町には支流がそれなりに大きく被害になった
洪水は支流が関係して他でも多摩川辺りでもあふれて被害があった
だから支流が怖いのだと今回の台風で認識した

まずこの水無河原がこんなに水が出たということ自体驚きだった
いつも水は流れないし川の感じがしていなかったからである
でも水は日ごろはたいして流れていなくてもこのように水が流れるのである

そして真野川自体が危険水位になっていた
上の土手はすれすれであふれる状態になっていた
これも危険だった、避難した人はいた
真野川は二回洪水の被害がある、それで一番被害になっていたのが自分の家だったのである、なぜなら街で一番低い所にあったからである
その後河川改修して水害にはならなくった
でも今回は相当に危険だったのである、だから被害がこれだけあったことを納得した

家にいてそれほどの雨とも思わなかった、でも山には相当雨が雨がふることがある
その雨が集まり支流に流れ込んであふれたのである
またバックウオーターになり支流からあふれたのである

水道を今日水が出ている、水道が出ないのも苦しいと思った
なんでも水を使うからである、今日は風呂に入れるから楽である
この辺はさほど被害がなかったから良かった
でも丸森町の被害は大きかった、あんなになるとは想像もしなかった
とにかく日本は災害の国だとこれほど思い知らされたことはなない
治水が政治の基本にある、それは津波とかでもそうだし高潮でも同じなのである
つまり日本は水害の国だったのである
海に囲まれているし山に囲まれているから雨がふったら水が急流とかして襲ってくる国だったのである

posted by 天華 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月19日

自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか? (公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)


自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか?

(公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)



 西日本豪雨災害の死者が200名を超えても、カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)の「売国的対応」が際立っている。

 米国益第一の下僕のような安倍総理(政権)と足並みを揃え、トランプ大統領の大口献金者でカジノ王こと「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン会長らが儲かる法案成立(海外カジノ業者への賭博解禁)を最優先、日本国民の生命財産を守る本来の職務遂行を二の次にしているからだ

  職務怠慢にしか見えない石井大臣が真っ先に視察、歴代自民党政権下で国交省が進めてきた河川政策の誤りを認め、方針変更を決断すべき現場がある。堤防が決壊、一帯が水没して死者50人(14日段階)を出した岡山県倉敷市真備地区のことだ
  


 堤防を補強する方がダム建設よりもお金がかからない!国交省の緊急点検で強化が必要とされた約2200キロのうち工事が終了したのは半分にも満たない!?



中国でも易姓革命があり治水が国を治める要としてあった、それに失敗すると政府は転覆される
それが今回適応されるのか?津波の時はなんでこんな被害になったのか天まで恨んだ人がいたのがわかる、自然は無情なのかと思った
現実にこれだけの被害があってもその後に満月が出て輝いていた
全く地上のことなど知らないように満月が輝いていた
だから自然は人間のことに無関心なのかともみる、自然は非情だと見る

相馬市に真備の役所の人なのか応援にいち早くきていた、それは相馬市で水害の時応援に行っていたからいち早く恩返しに来たのである
西日本豪雨では200人も死んだ、今回は約百人である
西日本というと遠いのでそれほど関心がなかったご今度はまた身近で災害の被害が起きた丸森町は隣という感覚であり洪水の被害が大きかった
秋になったらまた行こうと思ったか行けなくなった
あのようになるともう観光という訳にはいかなくなるからだ

テレビで放送していたが東京の被害が少なかったのは東京は江戸時代から荒川など治水の工事をしつづけてきて今までもしてきた、その成果だという人がいた
そして東京中心にした政策がとられていた、治水に関して東京には手厚く地方には予算を回さないとなる
ただ阿武隈川がの護岸工事に800億円もすでに使っているのである
だから全然しないというのではない、それなりにしていたのである
でも今回もそれ以上の雨がふり想定を越えたとなり被害が拡大した

こういうとき何か被害を受けた人は恨む、それで政府も恨む、天を恨むことができないから政府を恨むことになる、確かに政府が悪いとなる面もあったからだ
原発事故の時はなぜ福島に作り事故になったのかを問うてきた
東京に作るのが一番合理的であり安全だったのである

それは一重に東京の安全を守るためだった                  

今回も東京の治水には万全を尽くして地方はなおざりにされた

東京中心の政治に歪みをもたらしている、例えば東京に住んでいる人たちは地方の重要性を感じなくなった、グロ−バル経済で食料は米すら輸入できる、それもうまい米作りが外国でもできるようになったからだ、するとグロ−バル経済では必ず外国との計りにかけるから別に米でも食料でも外国の方が安くていいとなる
また丸森などは木材の供給地として栄えたがそれも外材になりいらないとなる
東京では困らないとなる、戦後まもなくは地方は資源の供給地だった
木材でも石材でも食料でも地方が供給していた
それで森林鉄道が網の目のように張り巡らされて東京に運んでいたのである
それがグロ−バル経済になったとき消失したのである

それで東京では安全を計り地方に原発を作る、それが福島であり事故になり住めなくなった、地方は核の廃棄場にするとかもなる、地方に何か効用があるのか?
そう考えるのは東京中心のグロ−バル経済なのである
そして治水にしても東京中心であり地方には金をかけないとなる
もし地方が前のようにグロ−バル経済でなければ尊重された、地方の経済的効用がなくなったから地方は原発を誘致するとか核の廃棄場しか効用がないと東京中心の経済だと見てしまうのである

地方の工場と会社は東京の人が社長になっていて地元には住んでいない
そうして地元に住んでいない人はその土地に関心がなくなる
ただ利益をもたらすものとしてしか考えない
それは東電でもそうだった、幹部は東京に住んでいるから地元のことは関心がない
ただ東京の安全を計るために原発を福島に建てたのである
もし東京に住んでいれば原発の危険に敏感になるのである
東北電力ではそれで女川原発を津波が来ると15メートルの高台に建てて辛うじて助かったのである

日本の国土は今歪つになっている、国土交通省でも東京中心の政策が進められる
常に東京を守ることが最大の課題なのである、なぜなら重要人物というか政府でも役人でも東京に住んでいるからそこに住む場所が危険にできないのである
地方だったら別にいいとなる、それが人間の習性である
外国でも離れていればそこがどうなろうとあまり関心がないのである

そして原発事故の時は東京に住んでいる幹部と福島原発の吉田所長との意思疎通ができず何もできずに大被害になったのである
離れているからいくら通信技術が発達してもうまくいかなかったのである

だから

東電の幹部は社員でも原発周辺に住むべきだった

そうなれば無責任になれない、安全に万全を尽くすとなるからだ、自分たちが被害を直接受けるとなるからそうなる、その姿勢が全く違ったものとなることがありえたのである
離れているから別に事故になっても東京にいれば安全だとなると安全意識も薄れるのである

自然災害でもそれが政治と関係している、それでここで国土交通省の公明党の大臣を批判するのもわかる、公明党もその創価でも利権団体であり利権中心にしか何でも考えない
そして創価というのは戦後精神的支柱を失った人たちが団地とかに集まり宗教によるコミとニュティを作ってきたのである
地方から出てきて精神的拠り所をなくした人たちが集まったのである
それは宗教でもない、互助団体のようなものだったのだろう
そこでは一切むずかしいことは言わない、一切は許される、宗教の罪だとなんだとかその人がどんな人だろうが一切問わない、どんな性格が悪くても関係ない
ただ一票になればいいだけである、御利益と権力追求しかないのである

だからこれも東京から生まれた宗教でありそれが地方に拡散したのである
つまり悪いものは東京から拡散されてくるのである
東京の歪みが全国に地方に歪みをもたらしているのだ
カジノ問題でもそうである、そういうものも東京とか大都会からやがて地方に拡散されるもちろん金のために積極的地方で誘致しようとするときも原発とにているのだ
その後どうなるのかなど地元の人も考えない、金になればいいというだけである

カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)

こんなことしているから日本に災害が起きて来る、創価の会員がこれに賛成しているのも解せないのである
これもここがいかに暗黒をかかえているかわかる

自然災害には何かその国の政治の歪みがあってもたらされるともなる
日本の国土は今や原発で汚染されたり洪水になるのも何か歪んでいるからである
それを正すものがない、本当は東京中心の政治をやめるべきである
東京が国土を歪めているのだ、それは宗教なら田舎とか岩窟から生まれたりしている
それは清浄な自然を修行の場として生まれているが都会の宗教はカルトになる
政治でも経済でもなんでも東京中心に成されることが日本の国土を歪めているのである

第一オリンピックなど必要ないのにその意味もないのに国民の大半がオリンピックなどに関心がない、東京オリンピックには関心がありその時は意味もあったのである
今はオリンピックをなぜ東京でしなければならないのか?
それは東京のためなのか?地方では関係ないことなのである
何んでも東京中心になる、復興にしても除染にしても7兆円とかの金が東京のゼネコンに流れたのである、そのゼネコンから今度は今の自民党に還流した、自民党の寄付金として流れたのである、それは高浜町と同じ構図だったのである

なぜこれほど災害がつづくのだろうか?
それは国政にも関係している、もちろん日本の国全体にも関係している
何か日本自体が歪んでいる、日本人の心自体も何か汚染されて歪んでいる
それが自然災害を呼び込んでいるのかもしれない、日本の国土の正しい在り方が問われている
だから国土交通省の大臣が公明党になっていることも原因だとまでなる
それは自民党が利権の配分としてその地位につかせたからである
そして大成建設と創価は密接なつながりがある、創価関係の工事を請け負ってきたからである、つまり利権で御利益で常に結びつく、宗教信仰など一切関係ないのである
巨大な利権団体でありその利権団体と利益で結びつくのが社会なのである
除染にしても莫大な金がゼネコンにこの辺ではもっていかれたのである

日本は今やあらゆるもので再構築が迫られている、そのために天変地異が容赦なく襲いかかってくるのである
日本自体の国土でも大改造が必要になっているのである
中央と東京と地方の歪みとかもそうである、そういうことが原因して今回の洪水もあったすべてではないにしろ第一こんなに連続して自然災害が起きるのか?
日本がそういう国だとしても異常になる
日本国土の歪みが日本人自体の心にも起きていてそれが災害を起こしているのかもしれない、何か現象として現れているのかもしれない
その一因が公明党の大臣が国土交通省の大臣になっていることにもありえるのである
ただ自民党に変わる野党がないということも日本の危機なのである 

何かずるずると安倍政権のみに頼るしかない、そして遂に日本はあるゆることでどん底に陥ってゆく、経済も破綻して日本が犯罪者社会になる
そういうことが自分も経験したからもう日本人がとても昔のような義理人情すらない
非情化している、ただ相手から奪えばいいしかないのである
だから弱者化したとき本当に怖いものとなる、自分自身がそういう目にあってきたからである、相手のことなど全く考えない、今相手が弱っているから金をとるチャンスだとしかならなかった、現実にそして大金を失ったり責められた殺され恐怖にもなったからである今は確かに末世なのである、こういう時はあらゆるものが乱れる
天地も乱れるから天変地異も連続して起こる
その末世をもたらしているのが宗教政党なのかとなる、日本に罰あてるのは宗教政党の公明党なのかまでなる
災害の恨みがそういう発言までさせたともなる
だから易姓革命が必要になってくる、そういう時代の大変化期に来ているのである
そこで起きることは自然災害だけではない、経済の混乱が確実に起きて来る
地獄的社会になる、その後にようやくまた新たな日本が再生されるとなる
そういう痛みをともなってはじめて明治維新のように日本の再生がありうるのである

東京から害悪が拡散される!

グローバル経済が日本の国土を破壊した

そして心も破壊された

私は右でも左でもない、日本の国土を愛すものであり日本の本来の姿をとりもどすことを願う者である、日本のアイディンティティが根本から破壊されている
なぜ東北がこれほど被害になっているのか?
何かそこにもこれほどの災害がつづく原因がある
東北は歴史的に日本の後進国としてありそれが継続しているからである
日本の再生は東北から始まるのかもしれない、もう東京や西ではない
東北から日本の再生が始まることが津浪とか洪水にしても天変地異が起きている原因なのかとなる

posted by 天華 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月18日

阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ? (ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)


阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ?

(ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)

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宮城 丸森町 浸水原因は阿武隈川へ流れ込む支流の氾濫か


阿武隈川の流域の概要


今回の丸森町の台風19号の被害は大きかった、そしてまたここでもなぜこんな大きな被害になったのだろうかとなる
津浪でもなぜ津波が来てあのような甚大な被害があった
それで地形のこととかを考察した

津浪になった所はもともと海だった

千曲川でも洪水になった所は川だった、流域であり扇状地だった

阿武隈川の扇状地にできたのが丸森町だった

地図をみて今回の被害の写真をみると丁度阿武隈川が山間から平地に出る所だから扇状地になる場所だったのである
だからこれもそもそもなぜそういう危険な場所に住むようになったのか?

もともとこうした平地は川の扇状地だから住めない、海岸地帯がもともと海になっていたり湿地帯になっていたのと同じである
原初の状態を見ることから歴史がはじまる、災害があるとき必ずその土地の原初の状態を知らねばならない

なぜこれほど広範囲に被害になったのか?
それは阿武隈川が大きい川でありそれが扇状地となるのも広いからそうなった
金山城がある麓の金山にも水が来ているように見える
それは今回は支流が氾濫してそれが広い範囲の被害になったというのもわかる
阿武隈川の本流が水かさをまして支流の水が流れなくなり逆流してブックウオーターになりあふれて被害が拡大した
それは盛んに倉敷の真備町とかでも言われたし今回もそのバックウオーターで被害が拡大した

そして丸森町の斎理屋敷のある中心部から近くに支流が三つくらいあった、金山の方面にも支流があった、その支流があふれた結果が被害が拡大した
とにかく扇状地というのは平坦な地であり丸森のように山が多いとそこが貴重な場所になる、そこで開拓して米を作るようになる
それは海岸地帯を干拓して米を作るために田にしたのと共通している
津浪ではそうした開拓した地域が津波で元の海になったからだ
今回の洪水でも阿武隈川の扇状地帯がもとの川の流域になったのかとなる

ともかく阿武隈川は大きな長い川だから洪水の被害は常にあった
ただ何か被害がないと見ているのは日本人は災害が多すぎて忘れているのである
災害でも10年とか過ぎると忘れることがあるからだ

とにかくその土地をみるとき必ず原初の状態を見ることから始めねばならない
そこから郷土史でも歴史でもありうる
なぜ初めにあったのはその土地でありその地形とか地勢でありそれは今も変わらないからである、ところがそこに住んでいる人たちはそれを意識しなくなるのである
そこがもともと海だったとか川だったとか意識しなくなる
そこで災害に備えられないのである

バックウオーター現象はわかっていた、でもその支流地帯にも人は家を建てている
街を形成している、支流は小さいから安全のようにも見ている
それが今回のうように大きな被害になる

丸森という名前が丸山城がきている、その丸と森が合体して丸森町になった
その丸山城も小高い山の上にあり金山城も小高い山の上にある
その麓に家臣が住んだ跡がある
そこは相馬藩が一時城主ともなっていたのである、後は伊達藩になった
舘矢間(たてやま)という地名でもやはり舘とは館であり小高い山の上に舘があった地域なのかとなる、舘山なのである
だから丸森町は相馬藩と地形的にもつづいているから関心があった
阿武隈川と蔵王を見えるし森が深いから地形的に魅力を感じていた
それで秋になったからまた自転車で行こうとしていたのにこんなことになることに愕然とした

丸森町は宮城県だけど半分相馬藩のつづきであり宮城県の伊達藩でもそうなる
新地は実際は伊達藩でありその後に福島県に廃藩置県で組み入れられた
でも相馬郡になっていて福島県に入ったのである
そういう境界の地域であり丸森町も似ていたのである
ただ地形的に山にさえぎられているから飯館村のように別世界に感じる
日本の地形が山が多いから「山のかなたに幸いがある」となる国なのである

いづれにしろ丸森町は関心があり身近であるから何か応援したいとなる
全国になると何か身近でないからそういう気分になれないが丸森町は身近なのである
ただ何かするにしても寄付するくらいしかないだろう
今回もこんな大きな被害になるとは思いもよらなかった
平成は全く平成ではなかった、令和になってもやはり災害が続いている
これだけ文明が発達しても災害を防げないのはなぜだろうとなる
かえって人は無造作に危険な場所に大勢住むようになった
堤防を作れば安全だとか人工物で防ぐようにしたがそれを上回る自然の力で災害がつづいているのである
人間はいくら文明化して自然の大きな力を制御できないである


posted by 天華 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

文明化は必ず自然に影響して災害をもたらす (原発からダムから松林から杉林の人工林でも同じ)


文明化は必ず自然に影響して災害をもたらす

(原発からダムから松林から杉林の人工林でも同じ)



昔は輪中という知恵があったからね。
街の中に小さい堤防が点在していて、被害範囲を限定する。
今は堤防で全ての被害を防ごうと強大化してるけど、いざそれが決壊すると大被害になる。

現状の緊急放流は下流に洪水を起こす危険性が高い殺人放流となっています。そこで台風等で大雨が予想された段階で放流しダムを空にして大雨が降りだしたら放流を止めてダムに大雨を貯水する。こうすると大雨の防災になります。八ッ場ダムの好例があります

大雨が予想されるのに今回もダムの事前放水は行われていない。
もし、行われていればこれほどの被害はなかっただろう


現状の緊急放流は下流に洪水を起こす危険性が高い殺人放流となっています。そこで台風等で大雨が予想された段階で放流しダムを空にして大雨が降りだしたら放流を止めてダムに大雨を貯水する。こうすると大雨の防災になります。八ッ場ダムの好例があります。

水害に有効なのは『山』の手入れでしょう。杉や檜が無造作に植林放置されている『山』を生かし、雨水をタップリ貯蔵できる自然環境を回復させる事が急務と考えます。

信玄堤防を作るのが良いと思います。
水流を「いなす」「すかす」思想です。

河川の堤防が土を盛ってるだけなんて、小さい時からいつ崩壊してもおかしくないと思っていました。
子供でも無理とわかるのに、このような工事しか出来ないのでしょうか?
コンクリートだったら、どれだけの人命と財産を守れた事か!

「ダムがあっても下流に浸水被害が生じた」これってダムが有っても無駄って白状してるよね。税金むだー。土建屋おいしー。

針葉樹を植樹したのは金のため。
広葉樹を植え、山自体の保水力を確保するなど、自然と共存する方法を考えていただきたい。。

今回台風19号の河川氾濫の被害は津波の被害にもにていた

人間は自然に逆らって文明化して自然から復讐される!

このことを書いてきた、津波でもこの辺では八沢浦とかはもともと海であり入江だった、それを明治以降城勤めの侍が職を失って開拓して米作りした田んぼにしたところだったのである
そこがもともと海だったから海になっただけなのである
自然には悪意がなくまさに自然の作用なのである
それで塩崎の船着のすぐ近くまで津波が鉄道の下のトンネルを越えておしよせた
そこも奈良時代辺りは海だったのである
本当にもともと海だった所に正確に津波がおしよせて元の状態に戻ったというのも驚きだった
自然には自然の回復作用があるのだと見た

今回の台風でもそうである、ソーラーパネルがある烏崎周辺の土地は特別低い場所であり津波でも証明された
あそこに水があふれたの不思議だったが特別低い土地だから水があふれた、ただ水はけも悪くなっていたのかもしれない
津浪の後に海岸の護岸工事をしたからである
でもそこに大内村の人たちが袋村を作った、開拓して作った、そこは真野川の河口の岸でもあり一番土地が低く場所が悪い所だったのである、それで村が成り立たず廃村になった
そこを開拓したのは人間側のやむにやまれぬ事情がありそうなった
つまり人間は人口が増えるとどうしてもそうしたもともと稲作に適していない場所でも利用しようとする
それは右田などもそうだった、そこは海であり海を干拓した土地である
江戸時代でもそうだった、海老は高い地域だから弥生時代から住んでいた、最近その突端に海に面した所に古墳が発見されたことでもわかる
そして意外だったのは右田の松原は松が太いしいい松原だった、これも江戸時代にできたらしいとなると古いから成長してそうなったそこに夏に松影で海風が吹いてくるので涼しい、夏は天然のクーラーとなり私はいつも休んでいたのである
釣りをする人たちもいつもいた

それはのどかな風景だった、その松が根こそぎ津波で流されたときはショックだった
そして松は津波に弱かったのである、「根がまっすぐで深く、その土地にあった常緑広葉樹林がいい、高木と低木のまじった多層群落の林が強い」言う時そうなる
自然林はもともとそういうものだったからである
つまり松原は江戸時代以降稲作のために海側を干拓した、それで塩害をふせぐために松原にしたのである
それは人工林だったのであり自然林ではなかった
つまり人間は自然を改造して住む領域を拡大して人口を増やしてきた
縄文時代だったらそういう自然を改造する技術も力もないから結果的には安全な場所に住んでいたのである
今回の千曲川の氾濫でもそうである、川は広い流域が川であり今流れている堤防に囲んだ川であり人工化した川なのである、それでその堤防が破壊されれば元の広い流域の扇状地の川にもどったのである 

農業はそもそも自然と深くかかわり自然を利用するにしてもやはり文明化である
焼畑からして農業の文明化なのである、森の木々を焼いてその灰を肥料とする
そこで森が失われるからである
そして森にしても杉林は自然の木ではない、多様な樹々があるのが森である
杉林の森になったのはそれを資材として木材として家を建てるためにとか利用するためにそうなった人工林化したのである
だから森には保水作用があるというとき杉とかにはあまりない
ブナの木などがいいのである、でもブナの森はもともとどこにでもあったがなくなった
この辺の森で小山田の奥にブナという地名がありここでももともとブナがあった

中国語で「山毛欅」とは本種ではなく、中国ブナの一種を指す。ブナは近年作られた和製漢字で、一般に(日本)ブナの意味に使われている。

buna111.JPG

なぜぶなの木が無となっているのか?それは最近できた和製語というときブナの木が杉や檜や他の木と比べて無用化されたからであるでも杉の木の森は人工林でありぶなの木の森は自然林である、だからブナは保水力がある
それで洪水から守る役割もある、そのブナがなくなったことで森の保水力がなくなり洪水が起きやすいとなる
森だ今では木材が外材になり守る人がいなくなり荒廃して洪水が起きやすくなったというのもそのためである

何か必ず文明化することは自然破壊になる、自然を改良するということが文明化なのだがまた自然破壊にもなりそれが必ず災害になっている
今回の河川氾濫もそうである
もともと川だった所に人が密集して住んで被害にあっているからである
それで縄文時代はもしかしたら一番災害に強い時代だったという皮肉が成り立つかもしれない、危険な場所には住めないからである、住む力がなかったともなる
自然に適合して住むほかなかったからである

それで津波の起きるような場所に住まないし川岸に住んでも扇状地とかなっていて住めないとなる、だから川から離れて住んだのかとなる
でも川の水は利用していたとなる
これほど日本で災害が多いのかとなると日本はそういう風土だということもある
そういう地形だということもある、土地がないから危険な山の下に住んで崖崩れで土砂災害が必ずあるのもそうである、そういう危険な場所に住まざるを得ないからそうなる
それが日本人のカルマとなっている

それでなんか教訓として面白いというか日本人はわかっていたのである

娘をもっていても、海辺通りのへの縁組は無用
高潮に襲われる海岸地へは娘は絶対に嫁がせないという意味
(天災から日本史を読みなおす-磯田道史)

これも海岸地帯は実際に南相馬市鹿島区海老村の隣の八沢浦の湊村で東日本震災の津波の前に高潮に襲われて水浸しになっていたのである
それが海岸のすぐ側だったからである、そして湊村は消滅したのである
40軒くらいあったが村自体津波で消失した、他にも津波でぱ村自体が消滅する
海老村とか烏崎村も消滅したのである
そして歴史的にも磯部村では佐藤氏が治めていたがやはり高潮の被害があり今の日立木の道の駅ある鬼越館に移住したのである
そのあとに400年前にも慶長津波が来ていたのである
相馬藩では700人溺死という記録があるからだ

だから今になると湊村で高潮の被害にあったときここは危険だとして移れば良かったと思った、でもなかなか移住することはできないのである、そこでの暮らしがあったりすると余計にそうである、それで三陸では明治でも一万人とか死んだ津波被害があってもやはり同じように港がある場所にもどって漁業で暮らしていたのである
それは便利だからどうしてもそうなる、生活第一になり津浪でそれだけ被害があってもそうなったのである

とにかくこの辺では相馬市の市街が洪水の被害になった、でもたいしことはなかった
その隣ともなる丸森町が今度が洪水で大被害になった
あそこには山の上に大ソーラーパネルがありあれがどうなったのか心配になる
ソーラーパネルも森の保水力を低下させるし水が麓に急速に流れさせる
だから森の斜面をソーラーパネルにするのは危険である、でもあそこはもともとゴルフ場だったというとき木はなかったから
それも危険だったのかともなる、ゴルフ場もまた森の木を切ったからである
また今回の丸森町の被害は阿武隈川の氾濫ではなく支流の氾濫でありまた後ろの山から水が流れ出して被害になったとか言っている
だから洪水の起こる原因も複雑である
今回はやはり宇多川は氾濫したのは松が房ダムの放流が関係していたのか?
また大潮で水はけが悪くてそうなったのか、複合的原因があり災害が必ず起きる
人間の事件でも一つ原因ではない、複合的原因として起きているからである
丸森町は景観がいいのである、それで詩にしたもした
森が深いしまた山があり蔵王が見えるし阿武隈川が流れている
だから景観的には魅力ある場所であるが高齢化が進んだ村でもある
それて今回の被害でかたづけるにしても苦しいと言っていることもわかる
今回の台風19号の被害もいろいろ考えさせられることが多かったとつくつぐ思った





posted by 天華 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月16日

相馬市宇多川氾濫の被害 (広範囲に水につかったーでも被害は大きく見えない)


相馬市宇多川氾濫の被害

(広範囲に水につかったーでも被害は大きく見えない) 

台風19号 JR相馬駅周辺が冠水(提供)

南相馬市鹿島区に来た給水車

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病院に給水

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滋賀県湖南市より


宇多川上流山上地区




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道路を越えて越水

相馬市街の宇多川

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ここが一番被害が大きい、ここが決壊すると危険だった

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水が越えて市街に流れた

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相馬駅前まで水が来た
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鉄道の東側が駅の東側の方が被害が大きかった
でも泥があるくらいでそんな大きな被害に見えなかった

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広範囲に水につかったことが今回の被害


相馬市の日立木の道の駅は閉鎖

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これは緊急用として前からあったのか?
土台がすでに作られていたからだ
こういうものが気づかない




相馬市は堤防が決壊したというのではない、堤防を越えてきた

市の上の流れの堤防は水に激しく削られて決壊寸前だった
電柱もなぎたおされていた
あそこが決壊するとさらに市街大量に水が流れたから危険だったのかもしれない

最初youtubeで見た相馬市の洪水の動画が駅まで水につかっていたというとき
相馬市がそんなになるのかと驚いた
かなり高い水位にも見えた
今回はyoutubeで写された動画が貴重だった
こういうとき映像は訴える、どういう状態なのか一目でわかるからだ

それを見て確かめに今日行ったのである
山上の方はかなり水があふれたがあそこには家なく家の被害は見えなかった
ただかなりの勢いで水が道路にあふれた、橋は二つ破壊された
合計三つの橋が壊されたのを見た、それは頑丈な橋ではなかった

道で話していた人は俺の家は床上になるところだった、でも畳まで上がらなかったので助かったと言っていた、おそらく床上まで水に浸ったのはまれかもしれない
床下がほとんどだったかもしれない、今日街の中を見ても何か大きな被害には見えなかった、家が壊れているのは一軒もないということもある
ただ泥がありそれをかたづけている人がいた
それにしても被害は何かほとんど感じない街の様子だった
ただそれでも被害を感じている人はいるだろう

一番困ったのが断水である、これは相馬市と鹿島区は同じ水源であり断水している
原町は一部地下水を利用している、だから全部が断水にはならない
鹿島は全部断水になっている
だから相馬市ではどこでもトイレは使えない
道の駅は閉鎖されたが臨時のトイレなのか置いてあった
トイレに困る人がいた、女性もいたからである

でもイオンスーパーは普通に開いている、その中の食堂も平常通りである
そこで水を飲めたのが良かった
だからトイレと断水をのぞいてそれほど深刻な被害は感じられなかった

城跡で岡山県の倉敷市の真備から来た援助の人と出会った
真備のことは洪水の被害で何回も放送したから覚えていた
なぜ来たかというとその洪水の被害のとき相馬市から来てもらったからだと言っていた

不思議なのは和歌山県の海南市と今日はどういうわけか滋賀県の湖南市から給水車が来ていた
湖南となるとどの辺なのか?湖西はなじみがある、方角がわからなくなる
湖東は関ケ原の方であり太陽が昇る方向なのである

とにかく実際に見てそれほどの被害は感じられなかった
それでも被害があった人はそうとは思っていないとうことはある
結局人間は見た目で判断する
津浪のような被害だったら一目見ただけでショックになる
言葉が出ないとまでなる、今回はそんな感じはしなかった
床上にならないからいろいろな物も出していない
家の前に出されて積まれていない、何か平穏な感じがした
街自体が汚れてもいない、多少泥があるなという感じだった
それで何か自分も平常通りだったとなる

ただ相馬市街が広範囲に水につかった、これが被害だったとなる
相馬駅の鉄道の東側から水が逆流してきたから線路の東側が被害が大きかったというので行ってみた、確かに泥が多少多いなとは感じた、でもそれほどの被害でもないとも感じたあとは普通だからである、おそらく床上にならないから物を外に出していないからだともなる

ただ気になったのは宇多川上流の松が房ダムが放流した結果が洪水になったとも言う人がいた、その辺のことが気になった
今回の洪水でもダムの放流を問題にしていたからここでもそういうことがあったのかと思った、洪水とかなるとダムがどういう働きをするのか問題になる
松が房ダムは小さいダムである、真野川のダムは大きいダムである
だからすぐに水が満杯になって放流したのかもしれない、そして相馬市街を流れる時そこは狭いのである、その狭いことで水があふれたのかもしれない
でも鉄道や六号線を横切ると川は広くなっているから水はけが悪いとはならない
ただ海が大潮で水はけが悪かったと駅前のタクシー運転手は言っていた
そのことは今回の台風19号では他でも言われていた

●大潮で水はけが悪かった

●ダムの放流で急に水嵩が増した

●川幅が狭くそこで水があふれた

これくらいが原因になる、ダムの放流で警告があったという、だからダムの放流が今回は問題になった、とにかく思った以上の水が出たのである  


▽水沼ダム(同県北茨城市)▽城山ダム(神奈川県相模原市)▽塩原ダム(栃木県那須塩原市)−の5カ所。緊急放流との関係は不明だが、水沼ダムの下流域にある茨城県北茨城市の大北川で越水が確認された。

緊急放流は大雨でダムの貯水量が急激に上がり、事前に行っている洪水調節が間に合わない場合、決壊してあふれ出すのを防ぐために流入量と同量を放流する緊急措置で「例外中の例外」とされる。昨年7月の西日本豪雨では6府県の8カ所で実施された。

damuhouryuu14.JPG

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posted by 天華 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

今回の河川氾濫洪水も津波と同じか? (自然の大きな力を忘れている)


今回の河川氾濫洪水も津波と同じか?

(自然の大きな力を忘れている)

大津波が来る前に仙台の若林区では
海へ向かって新興住宅地が拡大していた
そこは津波が来るから危ないと警告した
すると不動産業者が土地の値段が下がるから言うな
と怒り抗議して来た
そして大被害になった
人々の命があまた失われた
人間は日々10円百円のコストに厳しい
金のために日々追われている
その時大きなものを見失う
ある時自然は己を容赦なく主張する
人間の日々のコストなど無頓着
「ここは海だった」
だから海にしただけだとなる
「ここは川だった」
だから川にした
もともと川は広い流域が川だったから
そこに人間は家を密集させて洪水になった
自然はある時千年単位でも
元々った己が姿を取り戻す
その時人間の日々のコストのことを考慮しない
そういうことが眼中にない
そこに人間の危険がある
大いなる自然の計らいを見ることも知ることもできない
人間は日々目前の利益にあくせくしているだけ
毎日十円百円の勘定をしているだけ
わずかの金で一喜一憂しているだけ
原発事故もそうして起きた
ただみんな目の前に利益のみを追っていた
上から下から地元からみんなそうだった
大いなる自然の神の計らいを知る術もない
それで科学者が十数メートルの津波が来ると警告した
その時東電の幹部は防波堤を作るのに金がかかると無視した
金がかかるから金を惜しんで無視した・・・
人間は大いなる自然の前に無力だということを
自然災害で常に感じる
でもまた忘れて日々の利益に追われるだけ・・・


人間は今回の様な河川の氾濫でもそうだった、津波の時もやはりスケールが違っていたが同じようなことが起きていた
仙台の若林区には郊外となり家が密集して建ったところである、海が近いということで景色もいいからである、だから住宅地として不動産会社が売り出すには良かった
それで科学者がそこは津波が来るから危険だと警告した時、不動産会社の人が怒り抗議した、商売の邪魔するのかとか怒って抗議したのである

何かこういうことが自然災害でも津波でも洪水でも共通している
自然は凶暴な面をもっている、でも津波でも洪水でもそれは自然の作用だということがある
なぜなら津波でももともと海だった所を海にしたということがあるからだ
この辺の八沢浦はもともと海だった所を開拓して田んぼにした所だからである
だから八沢浦が元の入江にもどったというとき本当に驚きだった

そして今回の洪水でもそうである、千曲川も長野市辺りも広い扇状地でありもともと川の流域だった、そこが氾濫原と呼ばれていたことでもわかる、氾濫が常に起きていたのである、堤防を作ったとしてもそれでおさえきれず元の川にもどされたとなる
だから自然災害を無くすためには本当はもともと海だった所とか川だった所に住まないことなのである
でも人口が増えて宅地開発をしてきたのが戦後である、だから危険な場所に人が密集して住むようになったのである
それで新幹線の車両基地から千曲川が見えなくなっていた
川は遠いとなり安全だとなって被害になったのである

人間はとにかく自然の大きな作用とか計らいを見たり知ることができない
自然を空間軸でも時間軸でも俯瞰的に長期的に見れないのである
それが弱点となって常に自然災害にあうのである
何か不思議なのは私は大きな金をもったことがない
でも例えば一億円とか持つと人間はどうなるのか?
日々百円を計算して買い物している人はそれが習慣になる
だからその一億円という金を計算できない、10万くらいまではなんとか計算できる
でも一億円となると計算できない、それで数百万損しても感じないとまでなる

つまり人間の生活でも国の予算など天文学的になるから計算できない
そこに大きな無駄が生じているのである
そこでグロ−バル経済のことなども株のことなど計算できない、わからないのである
第一地銀の人なども株のことも投資信託のことも全くの素人だったし知らなかったからである、そんな人に任せること自体が間違っていた
そもそも株とか投資信託でも知っている人がいるのか?
グロ−バル経済の証券市場が実はギャンブルになっているのもそのためである
誰もその巨大な天文学的な金のやりとりを知りうる人はいなとなるからだ
百円とか千円とか十万くらいまではなんとか計算できる、私の場合はもともとそんな金を使ったことがないから百万くらいになると勘定できなくなる

人間とは自然から比べるとこうして失敗する時自然は人間にとって計りえないものだからである、むしろ自然から神から計られているのが人間である
神の目から見たときなぜあんなに危険な場所に家を集中させるのだとみる
でもそんなことを考慮しない、自然はそこはもともと海だったとなれば海にする
もともと川だったとすれば川にするのである
それは人間を越えた大きな力でそうする、人間にはそれに備えても備えきれないのであるだから危険な場所には住まないということが自然災害から逃れる最大の安全策だとなってしまう、でも現実は人間はそういう危険を無視して住んでいて災害にあうのである
それは結局人間の責任であり自然の責任、神の責任ではないともなる
人間は自然の大きな力はわからないにしても危険な場所はわかっているからである
それはハザードマップで指定されているからだ、それがすべてわかっていないにしろほぼ低地は洪水の被害になるのである

ともかく相馬市になると津波の大被害があり次は川の氾濫がありとなんでこんなに被害があるのか?痛めつけられるのかわからないともなる
宇多川の岸辺で話していたのは数日前だったのである
そこは放射線でも鹿島と変わりないのに補償金もらえなっかたとか話した
宇多川はあまり水が流れない、狭い川である
そこが川岸が削られて市街にまで水があふれたのも驚きである
駅の方まで水があふれたというと相当広い範囲で水があふれた
これも数日前は川を見ても水もちょろちょろ流れているだけでありこんなことになるとは思いもよらなかったとなる 

自然は日本は特に急変する、水が山にふり急変する、増水して滝のように水が流れて来る外国の大陸の川でも洪水はある、でも洪水があっても急激ではなく、水浸しになるのも徐々になるという、でも水がなかなか退かないので困るという
大陸の川と日本の川は違ってる、日本は急激な変化に何でも見舞われる
地震、津波や台風でもそうである、そして四季があるのもそうである
だからそこに常に変化があり緊張感が生まれる風土だとなっている
そして次々に災害に襲われるからまた忘れるのも早いのである

posted by 天華 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月15日

これほど河川氾濫で被害がおきたのか? (現代文明人は広い視野で見れない―千曲川の氾濫の原因)


これほど河川氾濫で被害がおきたのか?

(現代文明人は広い視野で見れない―千曲川の氾濫の原因)    

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真野川でもその流域は広い
特に河口になると広くなる
今回ソーラーパネルが水浸しになったところは川だったとなる



長野盆地を南北に流れるこの川の流域には扇状地が多く、それらは古代・中世から開発されていて、流水量の多い河川の扇状地ほど水田率が高く、生産力も高いそうです

盛んにテレビで川は今川が流れている所が川ではないと言っていた
川は土手にさえぎられたその中川が川ではない
川は土手からさらに広い場所が川だったところなのである
だから驚いたのは新幹線の車両基地が千曲川から二キロも離れていたのに水につかった
そんなに広く水につかったのかという驚きである
だからJRで二キロも川から離れているから安全だと思っていた
車両を避難させなかったのである

川はもう見えない、遠いから考慮すらしなかったともなる
そこに人間の視野の狭さが常に生まれる
それは前に書いたけど何でも空間軸と時間軸で物事は起きる
人間のその空間軸でも狭い所しか見えないのである、見ていないのである
第一川自体が長い、すると川の全容を知る人はいないとなる
地図でたどれば長いとなるが高低とかはわからない
今回は平野部の平地で堤防が決壊したのである

川という時、今川が流れている所が川ではない、その幅が広いのである
その広い領域が川なのである、だから流域というときもその範囲は広いのである
要するに人間の弱点は特に現代でもトータルに広範囲に見ないのである
それはなんでもそうである、広い視野で見ないし見れないのである
ある一部分だけを見ている、長い川全体をその流域まで広くみる人はいないのである
それは何でもそうである、ある一部分だけを見て全体が見えないのである
その部分的思考から大きな間違いを犯しているのである

そして全体を人間は見ることはできない、地球全体など見れる人がいないのである
でも地球全体が相互に関係しているのである
それで郷土史というとき実は広い範囲を総合的に見る学問である
一見郷土というと狭い範囲に見える、しかしその郷土でも相馬藩でも広い地域なのであるなぜならそこを地質学から地理から様々な分野から見るととても知り得ないものになるからだ

おそらく日本人の弱点は日本の地理から風土からも来ているのかもしれない
山が多いから遠くを見る視野がさえぎられる、山の向こう側はみえなくなってしまう
すると川があって山々がありそこに相当な雨がふった
でも山の向こう側になると見えないから意識しにくくなるのである
この辺だと阿武隈高原があり中通りがあるから浜通りだとその阿武隈高原にさえぎられて中通りとか意識しにくいのである
空間的に認識しにくいのである、むしろ仙台方面は平地だから意識しやすいとなる
日本人が俯瞰的に全体を見れないのは常に山にさえぎられているからである

そして山々に急激に今回のように雨がふりそそぎ川が急に増水してそれが早いから対応できないのである
そして千曲川とは千も曲がる川となっている
そこで川幅が急に狭くなる部分がありそこも水があふれたのである
川は川幅が広く真っすぐだと流れやすいから洪水になりにくいのである
私の近くの真野川は河川改修して川幅を広くしてまっすぐにしたから洪水になっていない30年以上なっていない、でも今回はかなり危険水域まで水が増えたのである
それで夜に避難した人がいた

最近ハザードマップは良くできている、川岸の低い土地は洪水になりやすいとして指定されていた、つまり低い場所に水が流れてたまる
私の家も二度水害で苦しんだのは街で一番低い場所に家があったからである
今回烏崎のソーラーパネルが水浸しになったのもそこが鹿島区では一番低い場所だったのである
だから大内村の人たちが開拓して袋村を作ったが廃村になった
そこにソーラーパネルが作られて水浸しになったのである
だからそこがもともとどういう土地なのか知るべきなのである
ただソーラーパネルとなるとなかなか日本では土地がないから
そうして悪い土地に作るとなる、津波被害放置された土地であり広いからソーラーパネルにした事情がある
でもそこは危険な場所でもあったとなる

とにかく日本では自然災害が起きるたびに必ずどこかに穴がありそれを災害の後に言うことになる、それだけ日本の自然は複雑でありそれに備えることが容易でない土地柄なのである
だから空間軸でも時間軸でも全体的にも把握できないのが日本なのである
そして最近は千年に一度の自然災害が起きているというときもそうである
自然災害が起きやすくなっている、でもそれに備えるのがむずかしい
ただ最ハザードマップは良くできている、低い土地がありそこは洪水の起きやすい場所なのである、丸森町でもそうだった
そういう低い場所に安易に家を立てすぎたのが日本だったのである

自分の家が街で一番低い場所にあるのはもともとの農家でもない、土地もない、商売のために土地を買ったがそれが悪い土地でも買わざるを得なかったからである
だから土地のあ悪い場所に住んでいる人はもともとから長く代々住んでいる人ではないとなる
それはどこでもそうである、戦後戦争の引揚者が開墾した土地もそうである
相馬藩では天明の飢饉の時、越中などの人が入ってきた土地もいい土地ではなかったのである
もともと住んでいる人の土地はいい土地である、前田とかつく地名はいい土地である
そこが村の中心になりやすいいい場所なのである

いづれにしろまず自分の住んでいる場所を知らないとこうしていつも災害にあって難儀する、死んだりもするから怖い、そういう危機感を日本では他の国より持たないと命の危険になる、でも戦後とかみだりに無防備に土地が使われた
家が建ちすぎたのである、それで仙台の若林区で津浪の被害が大きかったが
そこに津波が来ると学者が言った時、不動産会社が土地の値段が下がるとそんなことを言うなと言っていたのである
日本ではそれだけ土地がない、安全な土地に欠けていることは確かである   




犀川と千曲川流域の多様な暮らしと文化

市川 健夫. 信州学ライブラリー@ 犀川と千曲川流域の多様な暮らしと文化  Kindle 版. 

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新幹線の車両基地まで2キロありその前に家が密集して千曲川は全く見えない
するとそこまで千曲川があふれて水が来るとはおもいもよらなかったとなる
でも川というものがとをいものか、歴史を調べればそうではなかった
もともと千曲川は「氾濫原」があるように度々氾濫する川でありその範囲も広くなっていたのである
だから今密集して住んでいる所には人は住んでいなかったのである


千曲川は千曲市に入ると緩流となり、 長野盆地 に入っ た 千曲川は大きく蛇行し両岸に幅の広い自然堤防を つくるようになる。 
この自然堤防と山麓線、 もしくは扇状地・崖錐との間に後背低湿地( 氾濫原)が存在し、 肥沃な水田地帯になって いる。  

 千曲市を流れる千曲川の河川敷は五〇〇メートル内外であるが、 犀川が合流してからは 河川敷が拡大 し、小布 施 橋( 九 六 〇 メートル)あたりでは 一 キロメートルにも達する。 信濃川の河口付近でもかつて一キロメートルほどあった 河川敷は、大河津分水 ができてから 縮小 し、 現在 万代橋の長さは三〇九メートルなっている。

この自然堤防と山地と扇状地との間に、 屋代田圃と呼ばれる氾濫原がある。 東西三キロメートル、 南北二キロメートルの沖積地には、 最近西部に住宅地ができたが、 これまで低湿地のため集落はまったくなかった。 

千曲川は広い扇状地帯である、河川敷ももともと広かった    

屋代田圃と呼ばれる氾濫原がある。 東西三キロメートル、 南北二キロメートルの沖積地には、 最近西部に住宅地ができたが、 これまで低湿地のため集落はまったくなかった

このように三キロとか二キロとかあった、それで長野市の穂保の堤防が決壊して水があふれて新幹線の車両基地まで水が流れて水につかった
そこまでは2キロあった、だからそこからは川が見えない、その車両を避難させなかったのはまさかそこまで水が来ると思っていなかった
思いもよらなかったのである

新幹線車両基地から前が家が密集していて千曲川はまず見えないのである
こういうふうに視界がさえぎられると危険を感じくなるのである
津浪でも家が密集していると海が見えない、もし海を見ていると津波がおしよせてくるのが見える場合があり見えたら逃げるということもある
現実に津波が来たのを見て逃げて助かった人がいたのである、もともと家がないところに家が密集しているということで川が遠く感じたのである

そこに氾濫原というように度々千曲川は氾濫していたのである、川は今流れているのが川ではない、広い領域が川なのである
それが家がたてこんだりして錯覚するようになる、そこはもともと川だと思えくなるのである
津浪でも前に家が密集していると海が見えなくなる、すると海が遠いのかともなるのだ
ただ海を家の前で見ていても逃げない人もいたからそれはわからない

人間は文明が発達して人工化したとき自然を狭く見ている、川でもそうである、川はもともと扇状地だったから広いのである
だから最近他でも洪水の被害があったけど必ずしも温暖化とか台風が大きくなったからではない

人間は住むべきではない土地に密集して住むようになった !

これが被害を拡大している原因である、他にもあるにしてもこれが大きな原因ともなっていることは確かである

地理はわかりにくい、特に山はわかりにくい、すると川から見るとわかりやすくなる、特に長い川だと千曲川でも江戸時代とか菜の花畑が広がり菜種油とかを千曲川で江戸まで運んだとかあり交通路になっていた、それは最上川では特にそうなっていた
川から地理を見ると地理もわかりやすくなる
川を一つのものとしてたどるとわかりやすくなる、山は無数にあるからわかりにくいのである









posted by 天華 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市鹿島区の烏崎のソーラーパネルが水につかり大被害 (みんな使い物にならない、交換するほかない)


南相馬市鹿島区の烏崎のソーラーパネルが水につかり大被害

(みんな使い物にならない、交換するほかない)

solapanel111.gif

南相馬市鹿島区烏崎方面で水があふれる

karasuminato2.jpg

solapanell33.jpg
水はソーラーパネルの本体までかぶったのがある

solarpane133.jpg

ここの水路は流れない堀だった
途中で流れくなくなっていた
反対側の堀は流れていた
でもここは流れないから水がたまりあふれてソーラーパネルに流れた
ただこの辺一帯は低いから水浸しになっていた
それがかなり高い所まで水浸しになっていた
だからソーラーパネル本体まで水に浸ったのもある

solarpanelwater44.jpg



youtubeで南相馬市鹿島区の烏崎方面が水浸しになっていたのを放送していた
こんなになったのかと動画を見て驚いた
真野川が河口で氾濫したのかと見た
相当な水の量に見えたからである

それで今日の朝に行ってみたら見回りの会社の人が来ていた
そしたらもう使い物にならない、全部交換するほかないという
電気は水には弱い、全部水にかぶったのかどうかわからないが明らかにソーラーパネル
の本体にも水をかぶった
それは動画をみればわかる
保険をかけているからいいとかも言っていた
それにしても大損害である
ソーラーパネルも意外と安全ではない、自然災害に弱いのである
風の影響は受けていなかったが水に弱かった
丸森の被害が大きかったがあの山の上の大ソーラーパネルはどうなったのか?

そして風力発電もとまった、風車が回っていない
電源調節の施設も水につかって機能しなくなったという
つまりソーラーパネルとか風力発電は緊急時に弱い、発電できなくなる
そもそも発電するのは電力会社でしていてそれが動いていてその補助としてソーラーパネルも風力発電もある
だから緊急時の発電に役に立たないのである
ソーラーパネルでも風力発電もいろいろ問題があることを指摘されている
まずコストがかかる、税金で上積みして電力の費用を国民が払っているからだ
だからコスト的にはかえって自然エネルギーでは損しているのである
そして緊急時には役立たないのである

ただここでなぜ真野川が決壊していないのにこんなに水があふれたのか?
それはここがこの地域では特に低い場所だったのである
それで一時大内村の人たちが開拓して袋村を作ったがその袋村はなくなった
土地が悪い場所だったのである
ここは低い土地だから津波の時にも塩崎まで津波が押し寄せたのである
右田も低い場所だったがここはもっと低い場所だったのである
今回右田の方こんなに水浸しにはなっていないだろう
第一こんなにここに水があふれることは意外だった

その堀をみるとそこは水が流れない堀だった
これも意外だった、想定外だった
なぜなら向かい側の堀はあふれていない、水が流れていたのである
水が流れない堀に集まりあふれたのである

とにかく必ず災害でぱ想定外のことが起きる、今回の台風でも各地で起きたのである

群馬で突風被害相次ぐ 太陽光パネル600枚が・・・(15/06/16)

風で吹き飛ばされるソーラーパネル被害も結構あった
今回もどこかであったのか?
ここは水の被害だった


posted by 天華 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市―相馬市で断水(水道管破裂したため)

                  
南相馬市―相馬市で断水(水道管破裂したため)

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南相馬市の鹿島区の海側でも大内辺りでも田んぼが水浸しになっていた
それが動画で見れた、真野川の河口からあふれたのか、工事中でもあったからか

相馬市は駅前まで水が流れていた、水浸しになっていた映像がでていた
市街まで宇多川から水があふれて流れていた
今回は相馬市街の被害が大きい 

今週末まで復旧にかかる

とにかく断水は今週末までつづく、ということは約一週間は結構長いかもしれない
ただ電気はとまらないし店も開いているししのげる

でも水がないことは困る、トイレとかが困るが自分の家は風呂の水を流していなかった
だからその水をトイレに利用する

水は食器を洗ったりとかいろいろ使うから困る
そもそも水を入れる容器がない、ボリタンクとか店ではなくなっているからだ
それでも津波原発の被害よりは楽である
だからそれほどあわてる必要はないと思った

市街にこんなに水が流れたことは驚き

これは後片付けとか大変になる、鹿島区は街中は被害がない
でも夜に真野川の水嵩が増して避難した人がいた
結構危険水域になっていたのである
ただ真野川は河川改修してから洪水はなくなっていたので安心していた

今回は夜に雨が降り増水したのでわからないことがあった、それで被害になった
夜は昼より危険になる、見えないから危険なのである 


posted by 天華 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月14日

断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る (和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)


断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る

(和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)

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南相馬市鹿島区生涯学習センター
watersuply2.jpg
南相馬市は一台来た 和歌山県海南市が来たのには驚く
watersuply33.jpg

会津からも来た

watersuply1.jpg

老人ホーム

東京都稲城市

いや早い、和歌山県海南市の水道事業部から今日給水車が来ていたのには驚いた
こんなに遠くから早く来るのに驚いた
こういう点では今の時代は交通が発達しているから早い

それから会津からも来ていたし東京からも来ていた
東京は老人施設のタンクに水を供給していた

ただ給水車のタンクは小さいから一時間しかもたない!

それでまた運んでくる、次々に並べばすぐになくなる!

でも一時間でなくなってまた運ぶからなくなることはない

これはいつまでつづくのか心配だ

スーパーには物がなくなっている、水はない、でも前のように空になることはない
パンなどはなくなっている、問題はどれくらいの期間で復旧するかである
こういうとき井戸の水があれば助かる、だから緊急の時はそうしたものも絶やさないことが必要になる
posted by 天華 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要 (千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)


自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要

(千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)

「千曲川の源流がある山間部に大量の雨が降った。過去にも水害が起きたが、200年に一度ぐらいの規模だ」

 海に面していない長野県は年間の降水量は全国的に見て少なく、内陸の盆地は特に雨が少ないことで知られる。静岡大防災総合センターの牛山素行教授は「普段は雨が少ない地域で豪雨が降ると、絶対量は少なくても、災害発生のリスクは高まる」と指摘する。

自然災害はまず地形とか長い間の機関で見ないとわからない、ここに洪水がなかった
ここでは雨が少ない、だから洪水はない

それは津波でも起きたことだったのである、今回の大津波は石巻から福島県の海岸地域では400年の間津波が来なかったのである
そうするとここは津波が来ないと確信までになり老人でも逃げないで多数死んだ
つまり老人はいくら100年生きていても200年単位になるともう記憶もなにもなくなるからだ
そういう長期的視野で見るのが人間は苦手である
時間軸になると歴史となるとわかりにくいのはそのためなのである
せいぜい祖父母の代まではリアルに意識する

まず明治があり大正があり昭和がある、でもさらに平成があり令和になる
もうこうなってくるとわからなくなる場合がある
平成と昭和の相違は何なのとかなる、その順序までわからなくなる
江戸時代では年号を見てもそうして順序を逆にして見る
そこでどういう時代なのかわからなくなるからだ
でも祖父母の代まではこの順序を間違えることはないのである

津浪でも地形が本当に影響した、すぐ前は海なのに前に丘があったところは津波が来たのを見て裏山に逃げて助かった人がいる、それは丘で津波がさえぎられたからである
津浪に効果的なのは津波の勢いをそぐ台地があることだったのである
何もないところは奥まで津波の勢いがとまらず被害が大きくなったのである

人間の弱点は長期的視野で見れない!

住んでいる地理的空間認識ができない!

これが人間の弱点だったのである、時間軸と空間軸に人間が生きるとしても意外と自分の住んでいる場所の地理的空間的認識ができないのである
千曲川でも上流地点の山で降ったというときもそうである
長野県となると山が多い、するとまたそういう広い空間認識に欠ける
それから長年の経験で雨が少ないというとき洪水はないという確信までになる
それは津波が来ないということと同じなのである
自然は長期的に見ると変化する、今来ている台風も昔の台風とは違っている
そして200年単位で変化することに人間は対応できないのである

だから地理的空間認識と時間軸の認識を高めることが常時必要になる
まず日本の地理は地形は複雑なのである、この地理を地図を見てもわからない
土地の高低とか高さとか広範囲な地理の認識はできない
そこがまた弱点なのである、人間は鳥の目を鳥瞰図を持ちえないのである
生活している範囲も狭い、だから今回でも千曲川の上流地点の山々を意識することはむずかしい、それが弱点となって常に災害に弱いのである

そもそもその土地の地形とか地理は長い間の変化で作られている
地質学となると千万年とかも単位となる
それを知ることは容易でなくなる、でもそこまでさかのぼらないと地理とか地形とかはわからないのである、そこに何が起きるかはそうした地理とか地形とか地勢を見なければならないからである

私は日本中を旅したからそういう地理とか地形とか地勢に興味をもった、ただ科学的にはわからない、でも人間の認識の基本は空間軸の地理と時間軸の歴史である
それがこの世界を自然でも認識する軸になる
それは政治とか様々な事象でも基本になるのである、学問でもそうである
地理を知らなければ基本的に世界を知ることは不可能なのである
政治的なことでも朝鮮半島が朝鮮半島として古代からあり統一しにくいのは大陸からの影響でそうなる、そして日本からの影響でもそうなる、挟まれてそうなっている
つまり地理とか地形とか地勢は人間の宿命でありカルマなのである
だからそのカルマを知るべきなのである

人間個々人の運命すらカルマがかかわっていることを考察してきた
そこに何かしらの因果あり苦しみとなって現れるのである
そのカルマから人は逃れることができない、必ず苦しみとなって現象化するのともにているのである
ただカルマというのは何か悪いことしたからと言ってすぐにその結果は現れないのである若い時の若気の至りは老人になっていから悔いることになり苦しみとなって必ず現れる
カルマとは何か因果を作ることだからである
それが苦しみとなって現象化するのがカルマなのである

原発などもすでに40年前とかに戦後まもなくとか正力松太郎によってアメリカから導入されたとき因果を作っていたのである
その時すでに原発事故の因果を作って現象化して苦しみとなったのである
何かそうした因果は自然の場合は長期的視野でみないとわからない
百年でもたりないしかし二百年になるともう祖父母の代でもないからリアルにイメージできなくなる、そして大災害が津波のように起こるのである
でも人間は千年単位となるともう時間軸で見れなくなる
それが弱点となりまた災害に合うカルマから逃れられないのである

いづれにしろ科学とか学問は空間軸と時間軸での考察を深めて警告することだともなる
それは津波でもできた、一応相馬藩政記は相馬藩ではありそれは記録として重宝されている、殿様が代替わりしていないからである、そこで一貫した記録として残った
そして「生波(いくなみ)=津浪で700人溺死と記されていた
でもそれは津波になってから発見された、もしその前にこのことを指摘する人がいたら
学者として社会にいかに貢献したかとなる
それから東電でも10数メートルの津波が来ると警告していた
これは信用されるものだったのである、この二つのことがこの辺で広く知らされて注意を喚起していたら逃げて助かった人がかなりいたとなる
それが知らされなかったことが大きな問題だったからである


posted by 天華 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層