原発の汚染水問題の判断の難しさ
(大阪で海に流すことは痛みを分かち合うことになる)
汚染水を大阪に流すという提案は悪いものではない、福島だけにすべてを押し付けるのは納得いかないからだ
だからあえて大阪で汚染水を引き受けるということはなかなかできないことである
だからこれは評価できる、でるできないにしろそういう気持ちを大阪でもてってくれたということである
実際は東京湾に流すべきものなのである、東京が一番責任があるからだ
とにかく原発というのは様々な問題がからんで複雑なのである
第一原子力からして核からして素人は立ち入れることができない
それで汚染水を海に流したらどのくらい影響があるのか?
それ自体素人にはもう判断できない
なぜなら科学者でもトリチウムすら非常に危険だという学者もいるしまたそうでもないという人もいる、ただ汚染水の中には他の核種がありプルトニウムなどがあるからそれを排除しないと危険だとしている
それは反対する者でも賛成する者でも一致している
ただ原発となるとこうして汚染水問題でも科学者でも判断が違ってくる
すると素人はますます判断できないものとなる
そして科学者でも実際汚染水を海に流してどれだけの影響があるのか?
それも定かではない、科学者もわからないのである
それは結果をみないとわからない、何十年後かに影響がでるとか遺伝子に影響するとかなるとますます判断しにくくなるのである
そしてすべてが科学では判断できるわけではないのである
経済(利益)判断〉政治判断〉科学技術判断〉司法判断〉生態系生業判断
つまり原発は最初から経済(利益)判断で作られてきたのである
そこに何兆円という国家規模の予算が投入される、だから湯水のように金が出る装置だったのである
その経済的効果が大きいから自治体でも誘致する、福井の高浜原発でも小さな町でも1600人くらい人口が増えたとなる、この辺でもそのことを書いた、浪江町で二万人いたのも原発があったからだとされている
漁業権を東電に売り渡した結果、船主は原発御殿を建ったとか大熊町長は津波で5億円入った金庫が流されたとか噂になった
そういうことは今回福井の原発でも自治体から関西電力の幹部から地元の建築土木会社に金が回っていた、つまりそうして原発マネーというのはあまりにも大きいものだったのである、その金に人々は魅了されて狂わされたのである
事故後でも今度は多額の補償金が支払われてもめたりその金がギャンブルや女性のために使われたりした、そこで復興などない、その金がの額が大きいから復興とかはただ家族のためとか個人のためにしかない
それでその補償金でかえって自治体から若い世代が流出して崩壊するようになった
南相馬市というと原発から離れているからそんなに関係していないとみていたが本当に原発で働いていた経験のある人が本当に多いのである
それだけそこはいい働き場所になっていたのである、給料でも三倍くらいになるとかなるそして今でも東北電力の原町火力発電所はこの辺では大きな経済的効果をもたらしているのである
人間は今は特に経済(利益)がどこでも最優先される、それしかないのである
それで小高の腕のいい大工さんでも小高に東北電力の原発ができるということで景気よくなると喜んでいたのである、それは南相馬市でも経済的効果が大きいから反対できなくなる
原発立地自治体ではみんなそうなっているのである、別に事故が起きなければ金になるからいいとしかないからである
つまり経済的利益判断が最優先なのである、次に政治判断があり科学技術判断があり司法判断とかとかある
最後に生態系判断とかになる、その生態系判断というとき一次産業である
漁業とか農業とか林業とか自然と結びついた産業である
でもそれは一番無視されていた、それは今は金にならないからである
結果的にその生態系に依存する生業が一番被害があり放射能汚染で土も水も空気まで汚染されて住めなくなったのである
また原発で非常にやっかいなのは政治的判断というとき背後にアメリカがありアメリカの指示で原発は決められていた、それは日本がアメリカの属国の立場にあったからである
その圧力がありそれが政治判断となる、それは科学技術判断より優先されていたのである第一アメリカでも古い型の原子炉を日本に売りつけたということは経済利益優先でそうなったからである
今の社会は本当に経済(利益)優先になる、地銀でもゆうちょでもそうだった
もうなりふりかまわず投資信託でも売ればもうけになる、毎月分配型とか仕組みとして作られたのはごまかすためである
月々利子が給料に入ると錯覚させられるものだからである
それは元金から魅かれていたのである、そして確実に手数料だけはとれる絶対に地銀とかでは損しない商品だったのである
こうしてあらゆるものが経済{利益)優先で歪めれているのが現代の資本主義社会だとなる
そもそも安全より経済(利益)判断が優先されて事故になった、コストカッターの東電の社長がそうだった、それはみんな安全よりコストカットが優先される
社会全体でそうなっている、それに歯止をかけるものがいない
司法というけどこれもあてにならないことが判明した
裁判でも東電と政府側につき政治判断になるからである、司法は公正な権力を監視する役目だがそれもできなかった
原発に関してはできなかった、なぜなら検察はアメリカの指示で動くという時そうなる
原発というのは他の産業とは違って国が深く関与しているからそうなる
政治判断が優先されるのものだったのである
ともかく大阪で汚染水を引き受けて海に流すということはやはり責任分担であり痛みを分かちあうということで好感をもった
たしかに科学判断が私にはわからないにしてもそういう責任分担をあえて引き受けたことである
つまり原発は日本国土を汚すものだということを知らしめたということである
それは国家全体の責任だから分担することになる
原発というのは一地域の問題ではないのである、日本国土の問題でありまた世界の環境問題にもなるから一国だけのも問題ではないのである
だからあらゆることに関係してくる、総合的なものとしての判断が必要になる
ただそうなるととても一個人では手に負えないものとなる
でも何を最優先さこせるべきなのか?
やはり科学技術判断なのか?これにしてもどれくらい放射性物質が海に流されて影響するのか?それが素人には判断できないしまた科学者でもその結果がどうるなのかは判断できない、そうなると誰も確かな判断はできないとなる
ただ何が起きるかわからないものだから危険が予想されるから流すなとはなる
でももうタンクが限界だというときどうするのかとなる
だから大阪でも政治家の政治的判断がありそれを優先させるべきだともなる
科学者だけで確実に判断できるものならいいが実際には科学者でもできない
となると最後は政治的判断になるのか?
何かそうして原発の問題はもともと作る前からアメリカとかかわり政治的判断がありそれが優先されてきたのである
その結果が事故につながったともなるのである