2019年10月04日

山形紀行(地理的境を知ること-俳句十句)


山形紀行(地理的境を知ること-俳句十句)


       (春)
山形やトンネルぬけて残る雪

水清し対面石に残る雪 

     (夏)
     
影深く苔むす磐や蝉の声

  (秋)     
    
山寺に清流ひびく朝の菊

山寺や巌に菊や流れかな

山寺や清流ひびき秋の星 

水清し対面石に朝の菊  


鈍きかな山形城に秋の雲

城一つ境の山越え秋深む

踏み入りぬ落葉の厚く磐司巌

みちのくの記憶の行跡落葉踏む

山小屋の岩風呂浸り窓に月 

  (冬)
  
馬形や新雪清し朝に踏む  


東北の風土でも福島県自体がわかりにくい、ハマ、ナカ、アイヅと三つに分かれている
そこで風土が違う、浜通りは雪はほとんど降らない、会津は冬は雪に埋もれている
中通りは雪はそれなりにふる、でも夏は蒸し風呂のようになり福島市は暑い
そしてその阿武隈高原を自転車で越える時、海から涼しい風が吹いてきた、その時ほっとした、浜通りに向かっていたのである
冬は底冷えするように寒い、それで阿武隈高原が境となり分かれる
飯館村は高原であり夏は涼しい、冬は寒い、そこも伊達藩との境目である
境とはなんらか季候も風土も変わる、会津はもともと別の国だった
一つの風土と歴史をもつ別の一国だった  

この境を注目すべきなのだが現代は交通が発達した結果、境の意識が薄れる
感じなくなる、峠を歩いて上ったから峠を越えたら別な世界に入るという感覚になる
飯館村の八木沢峠は高いからそうである
それは福島市の方からくれば峠から海が見えるから感覚に違ってくる
峠を境にして景色と風土が一変するのである
ただ今は県単位で境を意識することがむずかしい
県は明治以降作られた人工的な区割りである、福島県は広すぎる、会津は別な一国として風土でも歴史でもあるから不自然だったのである

境でわかりやすいのは山形県と宮城県の境である、面白山のトンネルは長くそこをぬけると山寺になり山形なのである、それで春でもいつも雪が残っている
それは関ケ原を越えると近江に入りそこで春になると風土と景色が一変する
そして不思議なのは近江の湖西から東を見るとそこから太陽が昇るのである
関ケ原は東西の境なのである

関ケ原越ゆるやいつも残る雪

湖西より東(あづま)を見れば陽の昇り秋の日あわれ高島にをり

このように国境を意識する、東から西国に入る境目が関ケ原でありここで関ケ原の東西の雌雄を決する場所になったのも地理からわかる
歴史も地理から作られるからそうなる

東北も住んでいてもなかなか風土となると地理がわかりにくいのである
それは県単位ではわかりにくい、ただ宮城県と山形県はわかりやすい方だろう

陸奥みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王の山の雲の中に立つ(斎藤茂吉)

これは宮城県と山形県を分ける山である、福島県となると広いからそうはならない
あくまでも宮城県と山形県を分ける山だとなる
ただ福島県でも私の住んでいる浜通り、相馬地域から蔵王が見えるのである
だから蔵王の見える範囲がありそれが成り立つともなる
ただ浜通りだと阿武隈高原によって分かれている

山形県というとここも風土として歴史も形成されてきた、山形県は大学時代、アパートの上に住んでいた人が山形県だった、何か訛りが強い、東北弁は共通している訛りがある
でも何か濁音が強く濁っている、それは津軽弁がそうである
東北弁でもみんな違っている、第一仙台弁が語尾にだっちゃだっちゃというのが本当に変わっている、普通はこの辺でもんだんだになるからだ
だから宮城県は東北ではないというのもわかるのである

とにかく面白山が宮城県と仙台の境である、そのトンネルを抜けると雪国だったとなる
山形も雪が深い場所である、日本海側になるからそうなる
山形県でも広いから日本海にも面しているから全体的に知ることはむずかしい
ただ山形県は一つの風土と歴史をとして見やすい、わからないのは秋田県である
ここは何か一つの特徴が感じられないのである
岩手県でも青森県でも一つの風土歴史として感じるものがあるが秋田県には感じないのである

なぜ風土がわかりにくいのか?それは宮城県とか福島県側の浜通りは大平洋に面しているそれは同じ海でも日本海とは相当に感覚的に違うからである
第一毎日海から太陽を昇るのを見ているのと海に沈む太陽を見ているのは正反対だからである
山形県でも山形市に入ると城がある、最上藩の城がある
それはいつも鉄道の脇にあるから意識されやすい、この最上藩で面白いのは京都の秀吉の伏見城に隣り合って最上藩があり伊達藩の屋敷があった
そして最上町が町名として残ったのである、これも山形県と宮城県の伊達藩が隣り合っているからこうなった、だからこの時相馬藩とかないのだから最上藩は古いとなるのだ
ただ秀吉の時代に相馬藩は石田三成が相馬地域に来ている
それで三成の旗印が野馬追に出ているのである
だから秀吉時代から関係はあった、名前も三成の名前をもらっているのである

fushimimmm222.JPG

fushimimogami1.jpg



相馬藩初代となる利胤は、天正9年に相馬氏十五代相馬義胤の長男として陸奥国行方郡小高城で生まれる。慶長元年(1596年)元服の際に父義胤は石田三成に烏帽子親を頼み、三成の一字を得て三胤と名乗る。
これは義胤が豊臣秀吉の小田原陣に参陣した際に、石田三成の取り成しで本領を安堵され以来三成と昵懇であったためであった。

こういう歴史がある、風土と地理と歴史は一体だから総合的に見る
でも風土とかはわかりにくいのである、東北に住んでいてもそうである
山寺があるとする、でも馬形部落がありそこもいい場所である
新雪を踏んでそこに行ったことを覚えている
その奥を行くと磐次郎磐三郎伝説がある奥深い山に分け入ることになる
そこも上ったことがあった、何かそうして記憶の旅を続けているのが自分である
東北に住んでいれば四季を通じて行けるから風土でもなんとかわかる
遠くなると風土とか地理がわかりにくくなる、一回くらい行ってもからないのである
ただふりかえると私はどれだけ旅したかわからない、旅に明け暮れていたとなる
だから今でも旅している感覚になるのである
ただそこで問題なのは詩とか紀行文を書くにしても記憶をたどるからいかに記憶されているのかが問題になる
今になって山寺の馬形部落の新雪が心に残っていた、それは心を浄める雪だった
浜通りとか宮城県では雪のことがわからない、会津とかだとわかる
その雪が心の中に降っている、その記憶が大事なのである

山形の雪

心の中に雪がある
新しく雪がふる
この世の穢れを浄める
新しく雪がふる
それは原初の清浄の世界に戻る雪
その雪に浄められ浄土を想う
新しく雪がふる
心の中に雪がふる
その時心は浄められる
その雪は神の心である
神がこの穢土を浄める雪
もはやそこに雪しか見ない
一切は雪に隠される浄土となる

こんなふうになる、とにかく山形の風土も魅力がある
山形とか岩手県から詩人がでているが宮城県からは出ない、それは風土と関係している
福島県でも会津は一つの別の国であるが何か詩人が出ていない
まず中通りだと詩人は出ないかもしれない、会津は出てもいい名だたる詩人が出ていないのが不思議である
岩手県からは賢治とか出ているし山形県でもでている、斎藤茂吉は歌人だけで何か山形的なものを風土を具現化した人でもあった、でも宮城県となるとそういうものはないし出ないとなる
つまり人も風土と関係して生まれてくるのである
福島県だと会津であり山形県と岩手県と青森県は一つの風土と歴史を形成している
茨城県とかなると何か山が少ないし平坦であり魅力がないのである

私が探求してきたのは風土と歴史である、場所の魅力である
それにしても何か私は旅をした、その跡をたどり紀行文を書く、旅には事前に用意する旅→実行する旅→回想する旅がある
そして意外と回想する旅が最後に重要になる、なぜなら回想できなかったら旅しても行ったことにもならないからである
現実に団体旅行した人がどこに行ったかも覚えていないということがあったからだ
だからいかに記憶が最後に大事になるかである
記憶というのは別に旅だけではない、人生は最後に記憶になる
記憶したものが人生になる、そして人生が記憶されたものを天にもってゆくともなる
それも怖いものになる
だから青春時代を放蕩していたようなものは老人になって痛切に後悔する
その時はいいとしてももう清純な青春時代は返ってこないからである
その時ただ後悔と罪の意識に苦しめられるだけだとなる
それで金持ちがいいようでも放蕩したりするからこれも危険だと思った
貧乏だったら放蕩などできないからである

人間はなにしかしら必ず心に刻印されて残されるものがある、経験するものが心に残されそれがトラウマともなる、戦争を経験したものはそこで人を殺したりしら絶対に忘れることはできない、それがトラウマとなる
それで昨日風が唸り吹いた、その時思い出した
姉が認知症になり狂いが起きたことを思い出した
それから自分の家はガタガタになった、恐怖の連続だった、それを思い出したのである

我が家に風唸り吹き思い出す姉の病や秋となりしも

その時実際は12月だった、寒くなる時だった、そうなったとき冬であり風が家に唸り吹いたのである、だからそのことがトラウマになっていてその時を思い出したのである
このように人の苦しい経験とかも自然に反映される
本当にその時以来プログに書いたように苦しみの連続になったからである

とにかく山形県は魅力がある、ただ山形県全体となると最上川とかあり日本海がありわかりにくいとなる、ただ東北に住んでいる強みは何度もその場を踏めることなのである

われおもう ふるさとの水
ことごとく汝のふところに湧きけるを
そは生命の泉なりき
そそぎてものを稔らしめき
蔵王よ 蔵王よ
母のごといつくしみの頬を濡らす山

真壁仁

故国山水多清暉
日帰日帰尚未帰
一夜夢乗皓鶴背
遠向明月峰頭飛 

(斎藤野) 
 
         
これなどでも風土の影響のもとに作られた、水清しであり山国だからである
会津でも水清しになるからだ、どうしても水が清いのは山国なのである
それで米もうまいとなる、水と米が深く関係していて酒でもうまいのは山国だとなる   

参照ーやまがた文学風土記ー松坂俊夫