2019年10月12日

人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない (文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)


人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない

(文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)

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家がなんでこんなに密集しているのか?
何か不自然だ、こんなに家が密集していいのか?

そういうふうにここを通った時感じた、それは人間の直感力だった
それは人間だったら誰でももっているものだったのだろう
そこの津波の被害が一番大きかった、死んだ人も石巻では一番多かった
ただそこに住んでいる人自体がそうした危険とかの直感力がなくなっていたのだと思う
三陸では津波が明治にあって一万人死んだとかあるが
ここではやはりなかったからである


千葉県がなぜ台風に連続して襲われ被害があるのか?
それは地形をみると太平洋に半島のように突き出していて風が強く当たる感じになる
だから館山に来たとき風が強かった
それは一回だけ行っても記憶に残っている
館山だとさらに半島の突端だからである

そして意外と東京は湾が深く入っていて津波でも弱められるから大きな津浪の被害が過去にもなかったようである
津浪が危険がなのは湾とかがなく直接海に面した所なのである
そこは前にさえぎるものがないから危険だったのである

地の利というのはどこでもある、だから私は旅をして地理に興味をもったのである
災害でも歴史でも地理から離れて人間は考えられないからである
ただ地理とか風土は本当にわかりにくい、地図を見ただけでもわからない
土地の高低とかいろいろ複雑に構成されているからわからないのである

原発でもなぜ福島原発でも最初にすでに地震で配管などが壊れて原子炉も傷ついたとか言われる、つまり地震ですでに破壊されて次に津波で致命的結果となったのである
そういう日本の風土に合わないものをなぜ作ったのか?
それが一番の問題だったのである
ただ東京湾は津波に強いから原発は東京に作るべきだったのは本当である
これだったら東京の人は反対しても国民は納得した
つまり東京に作るくらいだから安全だとなるからだ
安全対策は万全だと見るからだ、福島は離れているから東京の人は事故になっても影響がないとなるからだ

人間は日本の歴史が長いとしても依然としてどこが危険なのかその地元に住んでいる人がわからないのである
南相馬市の鹿島区の海老村の崖の上の高台は直接海に面しているのにそこが避難所に指定されていて30人くらい死んだ
これも全く津波のことがわからないからそうなっていたのである
なぜなら海老だったら別にちょっと50メートルでも歩けば助かる地域だったからであるそれも車の渋滞などもない、村なのだからない、それなのにわざわざ一番危険地帯が避難所とされてそこに逃げて死んだのである
津浪に関してはこの辺では何も知らないからそうなったのである
400年前に津波で被害があってもそんなこと学者すら知らなかったのである
だからこの辺は津波が来ないと確信して老人でも多数死んだのである

今回の台風では高潮のことが言われる、海老村でも八沢浦の方で津波の前に高潮の被害があった、海岸では高潮の被害が常に起きている、それで磯部では400年以上前にその土地の支配者が館を移していたのである
それは慶長津波の前だった、人間はこのように危険な場所には住まないのがいい
でも日本は狭い土地だから危険な場所に海で山でも住んでいる
海側の場合は魚をとるから港が海岸にあった方がいいとなり明治の三陸の津波で一万人死んでも海の近くに住んでいたのである
そういう危険な所に住み続けていてまた津波で大きな被害になったのである

とにかく日本は災害の国である、災害から逃れられないのである
地震、津波、台風、・・・から逃れられない、最近では家は地震で壊れないように作られている、でもかえって今度は台風に弱いとかなっていた
でも河川改修しているから洪水は起こりにくくなっている
私の家は二回水害に見舞われたからである
河川改修してから起きていないのである

日本人が自分の住んでいる場所のことがわからない、地理のことがわからない
一番今になって感じたことは石巻の海岸の所で日和山の下の所に家が密集していたのである
そこが津波で根こそぎ破壊されたことはショックだった
そこを通った時なぜこんなに家が密集しているのかと見た
何か直観的に危険なものを感じた
でも津波のことなどそこでも考えることもイメージすることもなかったのである
その土地からイメージする力が弱まっているのかもしれない
肝心の自分の住んでいる土地のことがわからなくなっているからだ
それはメデアの影響もある、なんでも危険でもメデアが知らされてくれると思うようになったからである
自分の住んでいる場所すら何か無頓着になっている 

その点縄文人の方が自然に対して直観的に敏感であり備えていたかもしれない
つまり科学が発達しなくても自然と密着して暮らしていたから敏感になる
現代文明人はあらゆることを科学とか技術とかメデアの情報に頼る
すると自分自身の住んでいる場所もそういうものに頼る
そして直感力が働かなくなったのである
大阪の方で東日本震災で地震があったとき震度いくらとかメデアでマスコミで報道した
でも実際はそれ以上に大きく感じたからその人間の直感力の方が正しかったのである

直感力が欠けた現代文明人に危険がある

海老村でも崖の上の危険な場所に行ったのは自治体で指定されたからである
それも危険だったのである、むしろ瞬間的に直感力が働けば助かったとなる
海に面している所を危険だという直感力が欠如していたのである
だから第六感とかいうのも大事になる
瞬時に判断しなければならないから直感力に頼ることが安全に通じる
それは動物の本能と同じである、動物は危険を本能的に察して逃げるからである
人間にもそういうものが備わっているのだけどそれがあまりにも科学技術とかが発達して機械に頼り道具に頼りまた今度は政治的には自治体とかに頼りすぎた結果だともなる

自治体の判断に頼り専門家に頼り機械に頼りメデアにマスコミに頼り・・・

結局すべて他人まかせであり自分自身で何でも判断できなくなってしまっている
そこに自分の住んでいる場所でも知らないから判断できないとなった
とにかく日本は自然災害が多い国である、だからその備えをするべきなのだが文明化するとかえってできなくなる、そして停電でわかるように電気に頼っていると電気が止まるとなにもできなくなる、米もたけなくなるのである
それで三陸とかで津波被害にあった所では裏山の清水を飲み米を木を切って燃やしてしのいで助かったのである、交通路が遮断されたからそうして生き残ったとなる
それがもう東京とか大都会ではできないから大惨事になる
文明というのはかえって自然災害に脆弱化していたのである

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posted by 老鶯 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層