2019年10月14日

断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る (和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)


断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る

(和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)

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南相馬市鹿島区生涯学習センター
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南相馬市は一台来た 和歌山県海南市が来たのには驚く
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会津からも来た

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老人ホーム

東京都稲城市

いや早い、和歌山県海南市の水道事業部から今日給水車が来ていたのには驚いた
こんなに遠くから早く来るのに驚いた
こういう点では今の時代は交通が発達しているから早い

それから会津からも来ていたし東京からも来ていた
東京は老人施設のタンクに水を供給していた

ただ給水車のタンクは小さいから一時間しかもたない!

それでまた運んでくる、次々に並べばすぐになくなる!

でも一時間でなくなってまた運ぶからなくなることはない

これはいつまでつづくのか心配だ

スーパーには物がなくなっている、水はない、でも前のように空になることはない
パンなどはなくなっている、問題はどれくらいの期間で復旧するかである
こういうとき井戸の水があれば助かる、だから緊急の時はそうしたものも絶やさないことが必要になる
posted by 天華 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要 (千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)


自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要

(千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)

「千曲川の源流がある山間部に大量の雨が降った。過去にも水害が起きたが、200年に一度ぐらいの規模だ」

 海に面していない長野県は年間の降水量は全国的に見て少なく、内陸の盆地は特に雨が少ないことで知られる。静岡大防災総合センターの牛山素行教授は「普段は雨が少ない地域で豪雨が降ると、絶対量は少なくても、災害発生のリスクは高まる」と指摘する。

自然災害はまず地形とか長い間の機関で見ないとわからない、ここに洪水がなかった
ここでは雨が少ない、だから洪水はない

それは津波でも起きたことだったのである、今回の大津波は石巻から福島県の海岸地域では400年の間津波が来なかったのである
そうするとここは津波が来ないと確信までになり老人でも逃げないで多数死んだ
つまり老人はいくら100年生きていても200年単位になるともう記憶もなにもなくなるからだ
そういう長期的視野で見るのが人間は苦手である
時間軸になると歴史となるとわかりにくいのはそのためなのである
せいぜい祖父母の代まではリアルに意識する

まず明治があり大正があり昭和がある、でもさらに平成があり令和になる
もうこうなってくるとわからなくなる場合がある
平成と昭和の相違は何なのとかなる、その順序までわからなくなる
江戸時代では年号を見てもそうして順序を逆にして見る
そこでどういう時代なのかわからなくなるからだ
でも祖父母の代まではこの順序を間違えることはないのである

津浪でも地形が本当に影響した、すぐ前は海なのに前に丘があったところは津波が来たのを見て裏山に逃げて助かった人がいる、それは丘で津波がさえぎられたからである
津浪に効果的なのは津波の勢いをそぐ台地があることだったのである
何もないところは奥まで津波の勢いがとまらず被害が大きくなったのである

人間の弱点は長期的視野で見れない!

住んでいる地理的空間認識ができない!

これが人間の弱点だったのである、時間軸と空間軸に人間が生きるとしても意外と自分の住んでいる場所の地理的空間的認識ができないのである
千曲川でも上流地点の山で降ったというときもそうである
長野県となると山が多い、するとまたそういう広い空間認識に欠ける
それから長年の経験で雨が少ないというとき洪水はないという確信までになる
それは津波が来ないということと同じなのである
自然は長期的に見ると変化する、今来ている台風も昔の台風とは違っている
そして200年単位で変化することに人間は対応できないのである

だから地理的空間認識と時間軸の認識を高めることが常時必要になる
まず日本の地理は地形は複雑なのである、この地理を地図を見てもわからない
土地の高低とか高さとか広範囲な地理の認識はできない
そこがまた弱点なのである、人間は鳥の目を鳥瞰図を持ちえないのである
生活している範囲も狭い、だから今回でも千曲川の上流地点の山々を意識することはむずかしい、それが弱点となって常に災害に弱いのである

そもそもその土地の地形とか地理は長い間の変化で作られている
地質学となると千万年とかも単位となる
それを知ることは容易でなくなる、でもそこまでさかのぼらないと地理とか地形とかはわからないのである、そこに何が起きるかはそうした地理とか地形とか地勢を見なければならないからである

私は日本中を旅したからそういう地理とか地形とか地勢に興味をもった、ただ科学的にはわからない、でも人間の認識の基本は空間軸の地理と時間軸の歴史である
それがこの世界を自然でも認識する軸になる
それは政治とか様々な事象でも基本になるのである、学問でもそうである
地理を知らなければ基本的に世界を知ることは不可能なのである
政治的なことでも朝鮮半島が朝鮮半島として古代からあり統一しにくいのは大陸からの影響でそうなる、そして日本からの影響でもそうなる、挟まれてそうなっている
つまり地理とか地形とか地勢は人間の宿命でありカルマなのである
だからそのカルマを知るべきなのである

人間個々人の運命すらカルマがかかわっていることを考察してきた
そこに何かしらの因果あり苦しみとなって現れるのである
そのカルマから人は逃れることができない、必ず苦しみとなって現象化するのともにているのである
ただカルマというのは何か悪いことしたからと言ってすぐにその結果は現れないのである若い時の若気の至りは老人になっていから悔いることになり苦しみとなって必ず現れる
カルマとは何か因果を作ることだからである
それが苦しみとなって現象化するのがカルマなのである

原発などもすでに40年前とかに戦後まもなくとか正力松太郎によってアメリカから導入されたとき因果を作っていたのである
その時すでに原発事故の因果を作って現象化して苦しみとなったのである
何かそうした因果は自然の場合は長期的視野でみないとわからない
百年でもたりないしかし二百年になるともう祖父母の代でもないからリアルにイメージできなくなる、そして大災害が津波のように起こるのである
でも人間は千年単位となるともう時間軸で見れなくなる
それが弱点となりまた災害に合うカルマから逃れられないのである

いづれにしろ科学とか学問は空間軸と時間軸での考察を深めて警告することだともなる
それは津波でもできた、一応相馬藩政記は相馬藩ではありそれは記録として重宝されている、殿様が代替わりしていないからである、そこで一貫した記録として残った
そして「生波(いくなみ)=津浪で700人溺死と記されていた
でもそれは津波になってから発見された、もしその前にこのことを指摘する人がいたら
学者として社会にいかに貢献したかとなる
それから東電でも10数メートルの津波が来ると警告していた
これは信用されるものだったのである、この二つのことがこの辺で広く知らされて注意を喚起していたら逃げて助かった人がかなりいたとなる
それが知らされなかったことが大きな問題だったからである


posted by 天華 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

日本がラグビ−でスコットランドに勝利 (ラグビ-は大帝国の歴史そのものだった-スポーツを文化として見る)


日本がラグビ−でスコットランドに勝利

(ラグビ-は大帝国の歴史そのものだった-スポーツを文化として見る)



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スコットランドの花はあざみ


8世紀、スコットランドはバイキングからの侵略を受けました。
スコットランド軍を攻撃しようと、闇に紛れて上陸した兵士たち。
けれど、足音を消す為に裸足になっていたため、棘のあるアザミを踏んだ兵士が、
あまりの痛さに大声をあげてしまいました。
スコットランド軍は敵に気づき、それをきっかけに大勝利しました。
この伝説にちなんで、アザミは国を救った花として、
スコットランドの国花となり国民に愛されています。

あざみが国を守ったという伝説からそれがスコットランドの国家になった
イングランドはバラの花である、薔薇というヨ−ロッパの聖堂に薔薇窓があり薔薇に対して思い入れが強い、薔薇は匂いがあることでもヨ−ロッパ人には好かれる

「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」
また、「いばら(茨)」は「うばら」「うまら」「むばら」とも読んだようで「うばらき」説もある。

これともにている、それでこの辺で薔薇坂とかありそれは飯館村へ上る八木沢峠の下にある
そこで不思議だったのはそこの農家が牛を飼っていた、でも原発事故で廃屋となった
田んぼだったところに入ると茨でありそれにひっかかって痛かった
それは野薔薇のツルの棘だったのである
茨城とはそういう意味があり名前になった
これはスコットランドを守った薊(あざみ)とは正反対である
ただその経験からそういうことがあったということを実感した
そこにカモシカが出てきたことにも驚いた
そういうふうに人が住まなくなるとイノシシとか猿とかカモシカであれ原初の自然の状態にもどる、だからその光景もこの辺では海の方でも津浪で湿地帯に帰り不思議だった
一時北海道の湿地帯になったのである

今回スコットランドと日本がラグビーで戦い日本が勝った、その戦いはぎりぎりだった
白熱した戦いだった
ラクビーは肉弾戦である、だからフイゼカルで勝ったとか肉体で勝ったとか常に言うのである、本当に強靭な肉体のぶつかりあいなのである

ただスポーツというとき日本でも武道がそうであるように歴史があり文化なのである
私はそういう文化的なものに外国でも興味をもっている
ただロンドンには行ったがスコットランドには行かなかったのが残念だった
そしてラグビーが圧倒的にイギリスが強い、それも必ずスコットランドでもアイルランドでもウェールズでもイングランドでも四つの州から出ている
それでイギリスはunited kingdomなのである
スコットランドとイングランドは熾烈に戦ってきた、だからイングランドと戦うときはラグビーでも熱くなる、それはアイルランドでもイングランドと争ってきたから熱くなる

イギリスという国に興味をもつのは七つの海を支配した歴史があり英語をみんな習っているし英語が一番世界で通用するからである
英語を習えばやはりイギリスに興味をもつからイギリスは過去の栄光を英語に残しているともなる
英詩なんかもわからないなりに詩を作っているから私は読んでいる
                                                               
我は彼らが父祖の国
我が内に力ぞ宿る
我が子らを連れて帰らむ
月日充ちなば

彼らが頭上、新たに買いし
古き立木の枝の間に
我は秘呪を織りなして
彼らが膝に惹きよせむ

(キップリング)

キップリングの詩の訳の解説) 

この詩はなかなか深い詩である、まず祖国イギリスにアイディンティティがありその土地に根ざした詩である
でも父祖の国というときそれがイギリスでありアジアに来て主に東南アジアに侵略してそのうよに思うのはおかしいと思った
なぜなら父祖の国というときビルマ(ミュンマー)であれマレーシアであれネパールでも父祖の国はイギリスではないからだ
ただネパールでも登山してトレッキングしてそのガイドが英語をしゃべっていたのである
だから英語は一番アジアでも通じる、中国人でも英語で話すからである

ラグビー世界戦になるとこうして世界と文化的にもかかわる、ただラグビーはイギリスを中心とした競技である
そこが根本的に違っているのだ、だからこそイギリスから四つもの州から必ず出る
オリンピックだったらそんなことないからである、みんな国の代表だからである
ただオリンピックもギリシャから始まり世界に普及した、するとギリシャが関係してくるのかというと何かそれもあまり感じなくなっている、ただオリンピアという場所がありそこが発祥の地なのである
そこに訪ねたことがある、そこに競技場があったとしてもそれは本当に小さいなのである
野原の競技場なのである、野の花が咲いて小さな競技場があった

だからこそヒヤシンスの神話が生まれたりしたことがその場に立てば理解する、それこそ自然の中の祭典だったとなる
そして肉体を鍛錬した体育館の跡がある、それも石の柱の跡があり大きなものだった
そんな昔に体育館があったということが不思議に思う、石の柱が残っていてそれは大きいからである
ギリシャとなると今のオリンピックとは違っている、何かそれは詩的なものにもなっている
だから神話になり伝説になり残っている、その観客席の石の座席に座った時何ともいえぬ感懐を味わった
石の座席がとにかく本当に古いが良く残っていると思ったからである
二千年前以上の石の座席なのである、そこで二千年前に帰るのである

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オリンピアの狭い競技場

いづれにしろスポーツというときそれがただ肉体をフィジカルだけの戦いならつまらないと思う
そこに歴史と文化があり詩的なもの美的なもの文化があるというときそれは別なのである
でもオリンピックにはもうない、商業主義でありただ一秒でも早く走るとかの作られたショーなのである
だからテレビ局で主催して視聴率をあげるものでありまたは必ず企業の宣伝として選手は使われるのである
要するにスポーツも現代文明を反映したものとしてある、つまり何でも現実社会の反映だからそうなる
マヤ文明でも走る競争が行われていた
それは神に献げるものであり若い人が強い人が勝者となり神に犠牲として献げられたのである
つまり犠牲として生贄として神に献げられたのである
これも神に献じるのは年取ったものではない、若い力にあふれたものが神によみされた献げられるべきものだという思想と信仰があったからである
みんな老人が信仰にふさわしいように思っているが違う、神を知ることは聖書でも青春時代に最も力にあふれたとき知らないと知ることができないのである、だからこれは世界で共通していたとなる

スポーツでも何かこうして歴史と文化を背負っていればそれは単なるフィゼカルだけではない、肉体だけではないものになる
それでこそ人間に値するものだとなる
なぜかスコットランドは寒い国だから東北とにていると思ってそのことを前に書いた
東北も一つの国となるとスコットランドににているからだ、ただそうならなかった、でもイギリスという国がなぜ島国なのに四つに分かれて別々の歴史と文化を持ち続けているのか理解しにくいのである
とにかく日本がスコットランドにラグビーで勝ったことは歴史的なことであり記念すべきことである
ただ半分は外人部隊である、でもそれも日本の未来を暗示しているのかもしれない
多国籍軍になって世界と戦えるということになるからだ、それはアメリカの頭脳は多国籍軍だからITで世界をリードしたからである
優秀な移民だったら歓迎なのである、でも単純労働者になると別だとなる
ラグビーでは優秀な人を選別して日本軍にしたから強くなったからである 

とにかくラグビーだけはかつて七つの海を支配した大英帝国の栄光を物語るものなのである
ラグビーに強い国はかつて大英帝国の領土となったところだからである
だから四つの州がイギリスからでてそれが常に上位に来ていることでわかる、でもその一角をスコットランドを負かした、崩したのが日本だった、でもそれは半分が外国籍のものが入ってできたことだったのである  

七八輪今日もこの道秋薊

これは写生俳句である、七八輪がいつも一体となり道の辺に咲いている、ただそれだけだがそこにスコットランドのように一体感がある、写生俳句には何か物自体を示してそれで何かを語らせるからである 


blued flowers of scotland (abstract painting) 


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posted by 天華 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層