2019年10月23日

新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊 (支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊

(支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


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太原

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工事中だった、橋が流されたのか?

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太原の橋の近く


西殿付近が被害が大きかった

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越水して土手が削られたのは他で見た
ここから土手自体が決壊してゆくと大量の水が流れ洪水になるから危険になる
半分は削られたから危険だった


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竹藪を越えて土手が崩壊している不思議

竹藪は河岸に飢えるのは水の流れをとめるためである
一応流れはある程度とめられているのか?
竹も根こそぎ流されたものもある


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近くに変電所がありこれも水につかったら危険だった
停電になる、他でも電気系統が水につかって停電になった

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鉄道の脇のここが崩れて水があふれれた
ここは越水というのではなく決壊に近かったのだろう
それで川岸の家が床上浸水になった


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支流の水無川が本流に流れて水の勢いをました

結果的に向かい側の土手が越水したり一部決壊した

ここの土手は頑丈に見えなかった、幅も狭い感じだった


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支流は水無川である

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ここの土手は頑丈なのか崩れないし越水もしていない
どちらかというと今回崩れたのは右側だった
その理由も何なのか?
水の流れの圧力の関係なのか?


新田川の被害が意外と大きかった、堤防の越水が多いが1か所は鉄道の通る場所は決壊してそこで床上浸水まであった
ただそこだけが決壊したので被害はあまりなかった
他で大きく決壊したら被害が大きくなった
越水の場所が多かった、越水と決壊では相当な差がある
千曲川のような大きな河が決壊したから長野市で大きな被害になった
ただ越水しても土手が削られるからそこから決壊になもなる

それから西殿橋の近くが堤防が3か所くらい越水と決壊があったのは支流の水無川が合流してそれで水の水量と流水の圧力が増して3か所くらい堤防の越水と決壊があった
西殿の土手の家は床上浸水にまでなった
あそこが一番の被害になった、ただ相馬市よりずっと被害が少ない
相馬市は広範に市街が水につかったからだ

今回の水害は意外と水が出たということである、そしてなぜ越水と決壊が起きたのか?
それは水の流れとか支流合流するところで被害になったようである
その支流が鹿島区の水無川と同じように原町でも水無川だったのである
鹿島の水無川でもあふれたように被害があったように水無川となっていても雨が大量にふると水があふれる、ただここの水無川はいつも流れているように見えた
原町区でも支流がいくつかある、この支流が曲者だったのである

ただ感じたことは意外と土手の強度が弱い、新田川はコンクリ―トの土手が少ない
日本の川はまだ土手の強度が弱いのだろう、川は長いからそのすべての土手の強度を強くすることは相当な手間と金がかかるからまだまだ土手は弱いと思った

川でもやはり部分を見てもわからない、川も全体を見たり流水をみる
曲がっていると流水に影響する、それで土手に圧力がかかる場所が崩れたりする
そして支流も関係していたのである、これが盲点だったのである
                                                              
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる  よみ人知らず

この飛鳥川は細い川なのである、支流なのである、小川の感じだった、軽くまたげる川である
水無川より細い小川の感じなのである、だから石橋わたるという万葉集の歌でもそうである
石を踏んでわたれるほどの細い川だったのである
でも意外とこうした細い支流でも日本では水があふれて怖いという面があった
何かこうしした支流とかまた水が必ずしも本流の川だけではない影響があって大被害になった
ただ新田川の流れも変わったからこういうことは言える

とにかく日本の国土はある時激変するのである、それが津波だったのである
村ごと消失する恐怖である、水の恐怖である、今回もそれが示されたのである


posted by 老鶯 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

人間の弱点は全体を見れないこと (今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)


人間の弱点は全体を見れないこと

(今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)

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阿武隈川が氾濫して本宮町が被害になった、逃げないで被害にあった人もいる
その人たちが言うのには雨はたいして降っていなかったから逃げなかったという
でも実際は本宮町では雨が小降りになっていたが阿武隈川は増水していたのである

それはなぜかというと阿武隈川は長い川である、すると雨が阿武隈川の流域として山からも支流からも雨がふって集まる、ここではたいして雨がふらないなと見ていても実際は
全体を見れば降っていたのである
自分の住んでいる所でもそうだった、たいした雨に感じられなかったが実際は水が川に
相当に出ていてあふればかりだったのである
それは山に降ったからそうなった

人間はこうして自分の住んでいる一部分しか認識できないのである
人間はあらゆることで部分しか認識できない、人間社会自体が無数のパーツとしてあり
誰も社会全体しか見ていないのである
体でも全体を見れる医者がいないのである
様々な科に分かれていて全体を診れない、でも病気は一部分の臓器だけが悪いというのではない、全体が関係して病気になる、全体的の体が関係してなることがある
だから部分だけをみてもわからないことがある

何でもそうだけどまず全体を見れる人はいないなのである
原発にしてもこれも複雑だから第一吉田所長自体が復水器とかさえ大事なものを知らなかったのである

私はそっちの方の専門家ではない

たいがいみんなそうなっているのである、つまり原発のような複雑なものをそこに勤めている人でも上の人でも知ることはできない
でも本当はその原発の全体を知る人こそが必要だったのである
そうしなければ危険に対処できないからである

土盛りしてわざわざ高くした所に原発を作ろうとしたのに削ってしまった
それは電源装置の関係で削った方がいいとかコストの関係でそう決めた
そういうことをどうして決定したのかわかならい
それは何か全体を見る人が見れる人がいないからである

今回の北陸新幹線の車両が千曲川の氾濫で水にひたり使えなくなって大損失になったのもそうである
それもまず車両基地は広い場所が必要だから市街から離れた湿地帯のような所に作った
それはそれだけの土地を買いしめることができなかったからである
そこがもともと湿地帯のような所だということは危ない場所だったのかもしれない
そして千曲川から二キロ離れているから洪水のことを頭にも浮かばなかったとなる
これも全体を俯瞰的に見れないから安心していたとなる

人間は全体を俯瞰的に見るのが苦手なのである、常に一部分しか見ていない、仕事でも一部分をしているだけである、あらゆる仕事が専門家するというときも一部分の専門家であり全体を知る人はいないのである
すると全体をみる統率する人がいないから大事故につながる
結局そんな全体を統率できるのは全能の神しかないともなる

そして郷土史というときこれは狭い範囲の世界とか学問とか思っている
とこやが郷土を知るというときこれも地形から何から全体を知る学問だった
だから地質学と地形とか理系的なことでも必要になる
だから一人では手に負えないものとなっている
郷土という全体をみることはできないとなる、ましてやさらに地域が広がるとみれなくなる
第一地球は一つであり部分ではない、一つの統一体としてある
それを統率できるのは知り得るのは神しかないということである
人間の仕事は一部分の仕事にしかならないのである
それはどんな優秀な人でも一部分の専門家にしかなれないのである

そして人間は全体を見れないということでこうして常に災害にあったり社会でも原発のような事故になったりする
そもそも原発を作った時その地域の全体を見て作っていない
原発が事故になったらこうしてその地域全体が放射性物質によって汚染されることを見ないのである
私の住んでいる場所は30キロ離れているから関係なとか見ていた
でも福島市とかまで40キロとか50キロとかさらに離れていても放射能に汚染されたのである、全体にそれだけ影響することを見ている人はいなかったのである

だから人間の学問とかでも必ず限界がある、技術でも限界がある
必ず想定外で自然災害が起こる、それも自然全体のことがわからないからである
想定外のことが起きることはいくら備えてもそうなっている
人間は全体を知り得ないからそうなっている
ある部分を直しても全体が関係しているからやはりまた同じように災害を防げないとなるそこに人間は万能ではないし力の限界を感じる

ではどうすべきなのか?
原発など人間は操作できない代物だから危険だからやめるほかないとなる
もし操作できるものならいいが人間にはできないということであった
別に原発がなくても暮らしていけるから安全な範囲で人間は生きるべきだとなる
そこに多少の不便があってもがまんして生きる、だってそうして何千年も生きてきたのが人間だからである

土木工事でも完璧にはいくら努力してもならない、必ずどこかに穴がありそれで失敗している、それは全体的にどうなるか見れないからである
今回の洪水でも支流が氾濫して影響して被害が拡大したことも想定外だとかなる
つまり本流ばかり見ていて支流を見ていない、また水がどういうふうに全体に作用するから見ていないのである、津浪でもそうだった、地形が深く関係していたのである
前に台地のようなものがあると小高い山があると津波はさえぎられて勢いは弱くなり
海の近くでも助かっている人がいたのである
だから防波堤より台地を作ることが効果的となってそうするようになった

日本は何か地形が複雑である、山あり川あり海ありと複雑な地形である
その全体を俯瞰して見れる人はいないとなる
そこで自然災害を防げないのである、それはこれだけ科学技術が発達しても防げないのである、それが日本の宿命でありカルマだともなっている
その恩恵もあるのだが自然災害を防げないというのもカルマなのである

いづれにしろ人間は地球でも宇宙でも全体を見ることはできない、そこから人間の様々な問題が起きて来る、全体を見れるのは統率できるのは神しかいないからである
そこに人間の限界があり災害を防げないのである

posted by 老鶯 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層