2019年11月30日

地理のテーマになる境の考察


地理のテーマになる境の考察

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 境界民族,境界線, 境界帯,  国境, 国境貿易, 国境都市, 政治的境界, 
 自然的境界, 人為的境界, 人為的荒廃境界, 障害境界, 海洋境界, 河川境界, 山脈境界, 山狭境界

自然的境界というとき山川海でさえぎられる、そこで例え同じ国でも別な意識をもつのである、それに人為的境界がある、それは例えば相馬藩と伊達藩の境は新地になるけど歴史的人為的境界であり自然的境界ではない
なぜなら平坦な土地だからである、関所でも人為的境界であり自然的境界と一致しない

ただ日本は山が多いから峠が国字となったことでもわかる
峠を越えると別世界が開けるのである、そして山に囲まれてそこは小国となる
そこが一つの国となっているのが日本なのである

白河の関は必ずしも自然境界ではない、人為的境界である
ただ山をぬけるので確かにその山を越えるとみちのくだという意識はもつ
でもそれほどの高い山でもないからそんなに境界だと感じない
ではなぜあそこがみちのくの入り口になったのか?
それはやはり自然的境界より人為的境界だった、大和王権が支配できない地域として大和朝廷に認識されていたからそうなった
それは政治的境界でもあった

境界というとき実際はいろいろある、まず国というものを意識する前に人間は自然を地理を地勢を意識させられて生活する、村でも自然村として発展する
都市だとこの成り立ちもいろいろあるが商業都市として発展するのが多い
オワシスが都市になったのはそのためである
ただ村とかなると自然村が発展して村になった
不思議なのはヨ−ロッパでは城壁内の都市とその外は別な世界である
農民は都市民ではない、異民族とかに攻められるから城壁で囲みその中で戦うのが市民なのである、農民は異民族でも攻めてきたら他国が攻めてきたら城壁内に入らなければ助からないのだ
だから中国も都市国家的側面があり城壁の内と外でぱ分かれている
都市籍がないと都市には農民は住めないのである
城壁も境であり人を分けるのである

人工的人為的境界というとき明治以降の県単位の境界は自然境界とは関係ない、人為的に上から行政の範囲として強制的に決められたのである
だから境界が不自然なのである、みちのくの入り口として白河があり関所があったから一応茨城県とは別れる地域として福島県がある
でも福島県は広いから地理的一体感をもてないのである
磐梯山とかあってもそれが福島県を象徴する山でもない、なぜなら浜通りからは全く見えないからである、ただ霊山に来ると見えるのである

浜通りからすると相馬地域だと飯館とかに行くには峠を越えなければならない
標高が高いからである、それで自転車だと難儀するのである
八木沢峠をみればわかるその高さだと越えるのにいかに障害になっているかわかる
日本にはそういうふうに山で別々に分かれて隔離されている感じの場所が多いのである

外国だと大河がありそこが境界になる、父なる川のライン川がそうである
その大河がドイツを作ったともなるからだ
とにかく大陸には長大な川がありそれが境になるのは当然だとなる、自然境界になる
平原でも川があればそれが境界になりやすい、シーザーがルビコン川を渡ったという故事はそのために生まれた、そこは越えてはならない異郷の世界へ入る川だったのである
みちのくの白河の関ともにていたのである
それは自然境界でもありそれが川になっていたのはいかにも大陸国家らしいとなる

見たまえ、地球が回転するさまを
先祖の大陸たちは遙かかなたに集い
現在と未来の大陸は地峡をはさんで南と北に
ホイットマン(草の葉)

こうなると日本がにそんな巨大な地峡などないから理解できなくなる
ホイットマンの詩はアメリカ大陸を謳っているからスケールが大きすぎて理解できなくなる、グランドキャニオンなどがまさにそうである
アメリカにはインデアンが住んでいても歴史的境界というのがない
アメリカの歴史はそれだけ短いからそうなっている   

また現代で見逃しているのが森である、中世とかまでヨ−ロッパでは広大な森があった、ドイツの黒い森は有名である
それは人も入れない森でありそこに逃れれば追っても入り込めないほどの広大な森だった、そこにイギリスのロビンフッド伝説
生れた、イギリスにも広大な森がかつてあった、そこに逃れればもう入り込めない自由の場となっていたのである

相馬藩では原発事故のあった地点、双葉とか大熊とかは磐城との境目であり森に覆われていた、そこで夜の森とは相馬藩の殿様の余の森のことだったのである、相馬藩の殿様の森だったとなる、ただ境目だから領有権を主張するためにその名がついたとなる
土地に名前をつけるのはそこが自分の土地だという証でもあるからだ

森はしたがって、見える国境というより、緑の海であった。ひとつづきの村や畑、未耕地、そして町は、森の海に囲まれた島であり、島国であった。
当時の西洋人にとっての「森」のイメージは、ちょうど、日本人にとっての「山」のイメージと同じです。山なかには山姥や、妖怪がいます。また、アジール(法喪失者の避難場所)としての機能も共通しています

いづれにしろこの境界は一つの探求するテーマである
地理のテーマである、ただこれは世界は広いから探求することは困難になる
例えばインドと分けるのがヒマラヤ山脈だとなるときそうなる
空からしかその全貌は見えない、わずかに空からその頂上を見たことがあった
これもあまりにもスケールが大きくなって理解できなくなる
日本に住んでいただけではこうして世界の地理は理解できないのである

ただ境は何か節目として記憶する場所になる、江戸時代だったらどうしても関所を通るからそのことを意識した、今は関所がないからその境が意識できない
でもやはり一連の短歌にしたように何か境は意識しやすいのである
歩いて旅したときは常にこうして境となる地点を意識させられた
坂でも峠でもそこで歩いて上ればそれが体に記憶されるからである
今はただ便利に楽に通り過ぎてゆくだけなのである

それで今は何か旅でも記憶に残らないものとなる、まず現代では旅人になるにはかえって歩いたり自転車で行くとか時間で手間暇をかけないとなれない
たいがい旅行でも保養であり旅にならない、旅人は現代ではいなくなったのである
旅人でありえないのである
結局私は暇だから時間があったからこれだけ旅できたとなる
旅するには必ずしも金はかからない、時間はかかる
自転車旅行ならテントで寝れば無料になる、温泉旅館は高いから泊まったことがない
でも日本では安宿は本当に少ない、ヨ−ロッパのようなゲストハウスやユースホステルがないのである
別にユースホステルでも老人でも普通にとまっているから安いのである

私は大学の卒業旅行で資金30万円で3週間のヨーロッパ旅行を計画し、無事実施することができました。
もちろん往復の航空券代や諸経費も全て含めて30万円です。

私もこんなものだった、ただ食べるのはハンバーグとかだけだった
日本と違いここが不便だった、レストランは日本の食堂とは違っている
何倍もする社交の場のようになっていて高いからバックパッカーは入れない
庶民の食堂はわからないし言葉の障害で入れないから困ったのである
グルメの旅などに自分は興味なかった、ただ旅できればいいと思っていたから気にしなかったのである

いづれにしろ境界というのを知るにもそもそも実際に旅しなければわかりえようがないのである
そういうテーマをもって旅すれば論文でも書ける、まず本だけ読んでいても地理はかわらないのである
そして地理の見方がいろいろある、角度をちょっと変えただけで別な風に見えるのであるそれで地理だと地図が必須になるがでもその地図通りではない
その人の旅した経験からか地図を描けばみんな違ったものになっているのだ
だから地図は主観が入ると本当に個人個人によって違ったものになるのである
ただこんなことしいるだけでたちまち時間が過ぎて人生も終わる
それが自分だったのである、旅に終わったとまでなる
それでも外国になるとまだまだ旅は未完に終わったのである、それだけ地球がとてつもなく広いということだったのである

2019年11月29日

(SBI)が福島銀行を買収。地銀の預金がまとめて外資に盗まれる。 JAバンク倒産、ゆうちょの貯金も奪われる


(SBI)が福島銀行を買収。地銀の預金がまとめて外資に盗まれる。
JAバンク倒産、ゆうちょの貯金も奪われる

オリーブの木

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福島銀行と出ているので何だろうとこのyoutubeを見た、何か金融というとわかりにくい
でもこの人はこういう所で仕事していたからわかりやすく説明している
金融の諸悪の根源は大本はアメリカの証券会社のゴールドマンサックスだとしている
その会社が日本の貯金を奪おうとはして訳のわからない証券を売っているという

それを地銀とかゆうちょとか農協中金で知らないのに買っているという
その額も大きいから倒産するようになり外資のSBIに貯金が奪われる

ゼロ金利で地銀は利子とれない、貸付先もない、やむをえずそうした外資の証券を買わされているという、地銀とかゆうちょとか農協はまるで証券のことを知らないから鴨だという
これも何なのだろうと思った、一応地銀でもゆうちょでも農協中金でもプロと見ている
でもそこは素人並みの知識しかないという
それでアメリカの外資は鴨にしているという、ゴールドマンサックスとかの証券会社にはハーバード大卒業生が入っているがその人たちが主導してそうした訳のわからない証券を作りだしているという

本当に一時的に投資信託で月ごとにとか分配金出るのを買った、それはアメリカのものだった、その仕組みは本当にわかりにくいのだ
そしてわかったことは地銀とかゆうちょとか農協とかもそのアメリカの外資のカモにされて莫大な日本の貯金が奪われているというのは驚きである
ゆうちょが民営化したのはそのためである、民営化すればアメリカの証券会社が奪いやすくなるからである

つまり私自身が福島銀行ではないが次に危ない大東銀行にすすめられて投資信託を買ったのである
その売る人が営業の人は東京の証券市場で働いていたと言っていたから何か証券のプロだと思いまかせたのである
自分自身は株の取引きとかにいちいちかかわっていられない、その時間がないからだ
だからプロだと思いまかせたのである
人間は何でもできない、家事するだけて時間が今もとられているし前は介護だったから
いろいろなことに時間をさけないのである

このyoutubeを見てわかったのは

地銀とかゆうちょとか農林中金とかの金融機関もだまされている
金を奪われて併合されて根こそぎ貯金が外資に奪われる

そうなったのはゼロ金利になったからである、金利をゼロにしても投資先がない
だから有価証券を買う、グローバル株式で投資する
それができないのにしている

それは自分自身が地銀にだまされて投資信託を買ったと同じだった

地銀自体がそうして証券会社化して大損して福島銀行はSBIに買い取られたとなっている
すると次は大東銀行などのなのか?
とにかく金融はグロ−バル経済で巨大な詐欺となっている
金融の操作で巨額の金が流れる、それは実質経済をもう反映していないのである

でもなぜそういうことに日本の金が奪われるのに政府ではそれをすすめているのか?

それはアメリカが経済でも世界でも支配していてアメリカに金を貢がねばならない

そのことはアメリカで戦争に負けた結果である、敗戦国でありそのために金を払っているこれが中国が覇権国になったら同じことが起きる、まさに中華帝国に朝貢貿易となる
今はアメリカがそれを行っているのである

地銀などでも顧客から集めた貯金を原資が保たれない元金割れする証券に投資している
それは危険だと警告している
そしてこうした金融操作をしていてまたリーマンショックのようなものが倍加して起きて来るという、
つまりグロ−バル経済とは金融とはこうしてアメリカが他国から富を奪う仕組みなのである、第一世界の富が数パーセントのアメリカの富裕者に流れていること自体がそうなのである
世界の富の収奪がこうした人によって仕組まれているのである
だから株式などは公正なものではない、素人は絶対にもうからない仕組みになっている

ただそうは言っても分散投資の手法は正しかった

株とかリートとか国債とかに分散して投資することは正しい手法だった
その分散投資を言っていたのに地銀の営業マンは守らなかった
リーマンショックの時の株が元にもどり上がったて来たのにそれをJ-リートに回したのである

それはなんのためか?

そこでJーreityに回すと営業の成績が上がるからである

ノルマを課せられているからである

顧客のことより自分自身のノルマを果たすことだ

こうして自分は投資でも損したのである、結局遺産の金は出て行くだけだっ

地銀でももうもたない、もういつ福島銀行のようにアメリカの大手の証券会社などに買収されるかもしれない、島根銀行もそうなったから地銀はもう地域の会社を育てる地域経済に貢献する役割を喪失している
金を貸す先が地域にないのである、金利もゼロとかなったら収益をあげられないのであるそこで地銀はアメリカの証券会社にだまされて大金を投資して奪われているのである
その貯金は顧客の地元の人たちのものである
それは自分自身のものでもあったのだ
だからこうして金の流れが眼に見えてくるときそうだったのかと納得する
その説明がわかりやすかったからである

政府では何もしない、かえって見逃している

なぜなら竹中平蔵とかSBIの顧問であり外資と深くかかわりもうけているから
政府でもゆうちょを民営化したのは日本の金を外資にアメリカに貢ぐためだからだともなる
日本は独立国ではない、政治的に経済的にアメリカの植民地のようになっている
それが敗戦国になった日本だからそうなった
ただでは中国はどうなるのかとなるとアメリカより悪くなる、まさに昔の朝貢国になりさらに過酷な搾取になる、それは香港であれウイグルを見てもわかる
つまり日本はそうしてアメリカと中国の狭間でまた自主独立をすれば戦争にもなる
ただ習近平がアメリカとの対立で日本におもねるとかもありアメリカでもまた日本は中国と戦うには日本が大事になる
そういう駆け引きの中に日本がまたたたされるとなる
政治でも経済でも一体であり切り離せないのである
公平な資本主義の経済などないのである、そこに不公平なものでも力でもって通るのが世界政治だとなる

いづれにしろハーバード大学とかはアメリカのエージェントを育てる場所なのかもしれない、なぜハーバード大学に入った日本人が自分の所に来たのか?
それも謎である、何かの目論見があってきたのか?
ただ何か津波とか原発事故を研究するためだけではなかったとなるのかもしれない
あの人については謎であり不明になった
ただハーバード大学の卒業生がゴールドマンサックスで働いてそんなことしているのかとなるとアメリカのエスタブリッシュメントは世界的詐欺的金融で株式で証券でもうけている、それで金持ちになっている
またグロ−バル株式市場自体が世界の経済の実体を反映していない

日本のようにその貯金が奪われるし世界的搾取の構造がある
それは超大国のアメリカだからこそできるのである
でもアメリカですら極一部の超金持ちにしか金が回らない、だからアメリカ自体がそうして貧困層が増えて不安定になり暴動でも起きて来る
そして資本主義自体が機能しなくなり崩壊してゆくのかもしれない
そういうことからまたリーマンショックのようなことがさらに倍加して大規模に起きて
グロ−バル資本主義経済が機能しなくなってくる
そうなることがやはりかえって世界のためだとなる
そして新しいシステムが経済活動が生まれてくるのかとなる

カンボジアは中国人の植民地になった (それは十年前以上にも予測されていたー私の経験から)


カンボジアは中国人の植民地になった

(それは十年前以上にも予測されていたー私の経験から)

中国人の「ギャンブル」「詐欺」産業が集中するカンボジアのシアヌークビルに潜入したhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191129-00016196-bunshun-int&p=1 

アンコールワットに行くなら覚悟したほうがいい。完全に「中国人の観光地」となり全然楽しめない。


これに共感したのは観光のバイクを経営していたのが中国人だった
そのバイクはホンダのものだった
5ドルとかで貸ししているとかバイクを地元でそろえられないから資本がないから中国人がバイクを貸してカンボジア人を雇っている
その時、ビジネスなど知らない自分ですらバイクを十台くらい買って貸せば経営者になるなと思った
つまり資本があればできる、でもその資本が金がカンボジア人にはない、それで中国人がバイクをそろえて貸して経営者になっている

それを見たとき私は外国旅行したのが50歳以後で遅かった
でもその時実感したのだ

中国人に支配されてしまうと・・・・・

それが現実化したのである、その後十年以上も過ぎるとめざましく中国が発展したからである、新幹線まで走っているのは信じられないとなる
その時鉄道では車両に中国人が家畜のように詰め込まれていたのである
現実に鞭で打たれていたというからまさに家畜扱いである
その時から出稼ぎ者が大量に移動していたからである

カンボジアは相当に貧しい、私自身関係していないが女性が5ドルで買えるとか言っていた、5ドルというと500円から600円だとなる
そんな値段なのである、カンボジアはそれだけ安いし後進国になる
内戦で二百万死んだとか骸骨が積み上げられた博物館もあった
そういうことで疲弊していたからである

こういう場所に次に中国人のカジノが作られる、それだけ金持ちも増えているから中国人が進出してくる、カンボジアなどは簡単に中国人に席巻されてしまう
何か奇妙なのはアンコールワットの壁画に中国人の兵士が描かれていた
するとカンボジア時代に栄えたとき中国人もここに来ていたとなる
タイとか周辺の国もここに集まり栄えたときがあった
でもカンボジアではアンコールワットだけが過去の栄光を伝えて森に埋もれてしまっていたのである

メコン川、トンレサップ川とバサック川の合流する地点に“ダイアモンド・アイランド”と呼ばれるコーピッチ地区があるが、ここは完全に“チャイナ・アイランド”。商業施設、ホテル、マンション、高級住宅など、ほぼすべてが中国資本により開発され、街中には簡体字があふれている。
 また、トンレサップ川対岸のチョロイチャンバー地区も高層ビル建設が進んでいるが、これもほとんどが中国資本が建てている。

アンコールワットは中国人が席巻しているというとき私が感じたことと同じになった
日本橋というのを日本で作ったがそれも中国橋が新しくできて目立たなくなったとかあるカンボジアには変な日本人の中高年がたむろししていた
何かそこで仕事を見つけようとしていたらしい、またそこが後進国でまだその時日本円が強かったとかあり優位にたつからそこに何しているのかわからないけどいたのである
日本では仕事ができない人がそこで何かしようとしていたのかもしれない

しかしそんな時代は終わった、そんなところで日本人は何もできない、中国人に席巻されてそこはもう中国人の街になり形見が狭くなるというのもわかる
カンボジアだったら優位になり日本人として友好もありうるが今はない
中国人の下でしか付き合えなくなったのである
日本は後進国になったとかなるとカンボジアまでいかなくても同じように中国人とかにいろいろおもてなしされる側になる
それもつくづくカルマだった、日本人が海外で威張っていた、それもできない、今度日本人が俺たちをもてなす番だとされる
それがグロ−バル社会の弱肉強食の世界なのである
経済でも技術でも負ければグロ−バル化の経済ではそうなるのである

2人が裁判で語った犯行動機や事件の詳細は次の通りだ 。中茎被告は銀行に借金があり、お金に困っていた。石田被告は借金はなかったが、「これから先何があるかわからないので、お金が欲しかった 」と話した

カンボジアのタクシー運転手殺害で、日本人の男2人を逮捕・起訴

これも信じられない、カンボジアで月収3万だというとき一応アルバイトでも20万収入があったという、だからなぜ殺すことになったのか?
殺す気でなくても暴れたので殺したとしているが強盗までするとは信じられないとなる
ただ日本の若者自体が貧乏になったというときこれもありえるのかと思った
かつての日本人ではない、貧乏な日本人であり海外で遊べる日本人でなくなっている
かえってインバウンドでは東南アジアからでも中国からでも大挙日本に観光に来て日本人がもてなす時代である

それにしてもこれほどまでに日本が落ちぶれたのか?

それを感じざるを得ない、中国は破竹の勢いであり日本は衰退の一途をたどるのかとなるただ反面中国も経済的には衰退局面に入り破局するとか言う人も多い
それは日本ともにている

いづれにしろカンボジアという国はもうカンボジアではない、首相からして中国の傀儡政権である、そして汚職にまみれている、金にまみれているという
ただこのことは日本にも波及してくる恐怖がある
アメリカ軍が撤退した時中国人が日本に戦争ではないにしろ中国人の金で様々なものが買われる、今は土地が買われている、水資源がねらわれている
アメリカと中国が対立してもアメリカ自体の力をも弱っている
だから日本がウイグル弾圧とかまたカンボジアのように中国人の植民地のようにされる恐怖がある、中国は日本から近いから大挙して中国人が移動できるからである
それは庶民レベルでできるし一部はそうなっている

だから何か不思議なのだけど日本が連帯するのは東南アジアとかインドだというときそれは巨大な中国に対抗するにはそれしかないからである
日本は中国とは戦争するべきではなかった、ただ東南アジアを占領してインドとも協力して戦ったように太平洋戦争の繰り返しなのかとなる
そういきう地理にあるともなる

とにかく旅行は介護になってから国内でもしていないし海外でもできなくなった
だから50歳でも海外旅行していなかったら自分はできなくなっていた
つまりこのように何かすべきときしないと後はできなくなる
体力もなくなるし気力もなくなったからである
だから何かすべきことはしておかないと後で後悔することになる
結局人間は何であれ失敗しても行動した方が得だとなる
なぜなら行動でも病気になったり何か介護とかなったりと不測の事が起きてできなくなるのである
海外旅行してなんとか国際性がわずかに身についたということで笑われるようなことを書かずにすんだ、今の時代海外旅行とか海外を知らないと知識人にはなれない
それでカンボジアのことを思い出したのである
posted by 老鶯 at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市右田浜から今日の朝に見えた雪の蔵王の写真


南相馬市右田浜から今日の朝に見えた雪の蔵王の写真

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これはヒヨドリなのか、海鳥ではないみたいだ
イソヒヨドリは見たけど色が鮮やかだから違っている
ただ海にいると海鳥に見える



日のさして塵もつかざれ冬の菊

誰が家や冬薔薇二輪行く人なし

冬薔薇田舎に籠りい出じかも


朝望む蔵王に雪や白鳥も鳴きつつ飛びて北風の吹く

蔵王見ゆ右田浜かな変わりたる景色や冬の朝の明けにき

冬の海朝日のさして沖に見ゆ漁の船かな鴎飛びゆく  


右田浜の端の方から蔵王が見えるようになった、今日は雪になっていた
ただ端の方に行かないと見えない、もともと蔵王はあそから見えていた
八沢浦からは見えていたが右田浜から見えなかったのは松原にさえぎられ見えなかった
そしてまるで景色が変わってしまった

風力発電の風車はまだとまっている、台風来てから一か月以上過ぎている
だからこれもあてにならないと思った
そんなに長く止まるとしたら日常生活ができなくなるからだ
ソーラーパネルも緊急の場合は役にたたないと思う

沖には小さく漁師の船が見える、何か海でも生業として船が見えないと海も活きてこないのである、ただ漁業の問題は生業だけでは成り立たないから原発に頼っていたことである漁業権も東電に売り渡していた
漁業でも農業でも林業でも自然と直結するのがグロ−バル経済などでだめにしたためである、ただ烏浜などは二回補償金をもらったのである
火力発電所が作られたときももらったし漁業関係者は原発で手厚い補償金が事故前もらっていたのである、だから相当に裕福だったとなる
だから漁業でも農業でも生業を返せというとき矛盾しているのである
その生業が成り立たなくなったから原発を誘致したからである

とにかく昨日は寒かった、今日も朝は寒い、ストーブが必要になる

  



2019年11月28日

現代文明批判ー無職であることは全人間になること (職につくことは専門家になり部品になること)


現代文明批判ー無職であることは全人間になること

(職につくことは専門家になり部品になること)

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もう歯車は嫌だ

無職というとき批判の的になるし誰も推奨できない、しかしなぜこれほど無業者の時代になっているのか?これも謎である、無業者でありえることが働かなくてもそれなりに生活できるからそうなっている
貧乏な時代だったらそんなことありえないからである
みんなあくせく働いている時のうのうとしていられないからである
それだけ今の社会には余裕があるからそうなっている

団塊の世代はみんな猛烈な企業戦士であり無職の人は極まれである、つまり何百万人も無業者が無職がいるということ自体ありえない社会だったのである
学生運動とかヒッピーとかはやったこともあったがほとんどが会社に就職して猛烈社員となり高度成長時代を生きた
それがなぜこんなに無業者とかニートとかフリーターとか非正規が増えたのか、それも数百人とかの数ではない数百万の数である、まず数百人だったら誰も問題にしないからである、そんな人いたのとなっている

ただ無職であることの効用がある、マイナス面が大きいにしても無職になる効用がある
現代社会ではまず全人間とかになりえない
とにかくまず職につくことはどんな優秀な人でも科学者でも技術者でも専門家となり部品化することだからである
専門家というとき何かそうではない、特別の人のように見えてもそうではない
全体社会の中でわずかな一部分に関して専門家になることである
それで面白いのはトインビーが言っている

王や魔術師や鍛冶屋や吟遊詩人はいづれも「専門家」である
そして鍛冶屋がびっこであったり詩人ホメロスがめくらである事実は未開社会では専門家は変則てあり「万能人」もしくは何でも屋になる資格を欠いた人間になる

王とか吟遊詩人がなぜ専門家のなのか?この辺はわかりにくい、ただ吟遊詩人は職業化したからこそ専門家になったからこそそう言っている
ただ王となると国全体を見る人だから専門家とはなりにくいと思う
市町村長となると専門家では勤まらないだろう、その全体を見る人になるからである

ただ言えることは職業につくこと自体がもう専門家になっている、なぜならそれはささいなことでも一部分を担当して仕事することになるからである
それでまず何々の職業につくこと自体が巨大な複雑なの社会の一部品化したことなのである
それで農業というというとき農民というとき百姓と言っていたのは百の生であり百の仕事をこなしていた人なのである、農業にはそれだけ広範囲な知識でも業でも必要になっていたのである、だから農民というのではない百姓だったのである

それで天才のニーチェとか上野霄里とかヘンリミラーとかアウトサイダーと言われる人はそういう専門家になることを拒否したのである
第一ニーチェを超人をある職業についている姿をイメージできない
会社員であれ公務員であれ銀行員であれ何か員とつくものに従事している姿をイメージできない、完全にアウトサイダーとして社会から逸脱しているのである
結果的に狂気になったともなる
ただイメージすると自然の中の半神半獣とか神話的な英雄とか神になってしまうのであるつまりそういう天才的な人はとても何かの員とつくようなものに適応できないのである
今ではそういう人は天才的芸術家とかになっている
それで社会の中で悲劇的に人生を終わる

ただなぜそういう無業者が無職は実際社会では何も役立たない無能とされる
そしてなぜかブライドが高い、自分は何かできる、ただ活かされないだけだとか不満をもっている、つまり無職となると職につかないから専門家になっていない
無職の世界に開けているのは自然でありまた無限の時間なのである
そこでニーチェのような超人的志向になってゆく、部品として職についていない、すると何か社会は視界から消えて広大な自然が広がることになる
そこで自然と同一化すしようとする、アイディンティティ化しようとする
まず一つの職についたらその職に追われ他はかえって見えなくなるからだ
職義をもつことは専門家になることだからである
つまり社会に超人を受け入れるものはないのである、だから最後は狂気になる宿命だともなる
それほど社会を忌避するのは全人間として生きる天才的資質のエネルギーのある人は耐えられないとういことである

それほど現代文明では人間は無数の部品となり構成されているからである
その時人間は全人間たろうとするときナチスのようなファシズムに陥ってゆく
何かそうした無数の部品が一つになるためにハイルヒットラーと叫ぶようになる
ナチスの原因は文明自体にあった、それは今でもカルト宗教団体がそうである
何かばらばらになった人間が一体感を求めてそういう組織に入る
そこで何か存在感を得ようとしてそうなる、それが現代文明の危険なのである

原発事故でも本当はこれは事故後にわかったことだが自然でもその市町村でも全体にかかわることだったのである
結果的には全体が自然でも市町村でも破壊されたからである
でもその時全体を考慮して作られていない、議論すらしていない、それで今になってこんなに広範囲に被害あることで騒いでいる
例えば宮城県のホヤが風評被害で今でも売れないというときそうである
福島県は漁業組合には原発事故前も後も手厚い補償がある
宮城県には一切なかったのである、つまりそれだけ広範囲に原発は影響あるものとして全体を見ていなかったからである
つまり全体的に見れないことが考慮できないことが致命的な結果になったのである
第一吉田所長がトップにいても復水器のことがわからなかったのである
トップでも全部知る人などいなかったのである
むしろ配管を見ていた人はその配管が古くなって危ないと見ていた
その部分をいつも見ているからそう見ていた、でもトップの人はそのことを知らないのである、それで結局破綻したのである

そして現代文明ではみんな無数の職業につき専門家でありそのことは部品化することなのである、そうなるとどんな優秀な人でも歯車にすぎないとなる
複雑巨大な文明の歯車となるだけだとなる
社畜だというときもそうである、会社の歯車として働くほかない、それ以外生きる道はないとなるからだ
それでそういう巨大な社会の歯車から逃れるのがニートとかフリーターとかになっていたでもそれはロスジェネ世代が氷河期世代がまともに就職できないということでそうなっていたのである
私の言う全人間志向とかではない、そう強いられた世代だとなる

時代をさかのぼればのぼるほど原始人でも全人間だった、一つの職業についているという感覚はなかったのである、それは家事なども仕事が実際は多様だから女性でも全人間的に仕事していた,経済でもその起源が

Economy"というのは「家計の学問」という意味であり、いわゆる「家計のやりくり」から発展して今日の「経済」という意味になったものと思われます。

つまり経済という時家計が始まりだった、それがグローバル経済になったとき世界経済になったのである、そのギャップがあまりにも大きすぎるのである
家計だったら日常的な生活から推し量れるせかいである、グロ−バル経済になったらもう天文学的数字にもなりもう見えない世界になっている

人間は文明社会で不適合を起こすのは当然なのである、それでこそ人間としては正常だとなる、文明社会に抵抗なく適合ししている人は人間ではないとなる
機械かロボットなのかとなる
たからこれだけ働かない人がいるということは文明を否定している人たちなのかとなる
それは異常でもあるがまた今の文明社会に適合している人は異常だともなるのである
ただアウトサイダーというとき世界でも天才的な人でありまさに例外的な人である、だからまた今の無業者とは違ったものである
そんなアウトサイダーが増えたらそれも異常だとなってしまうからである

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現代文明は図のように全体に生きられない、結果的そうした無数の人間が部品化する、そのパーツが一体化しようとして全体主義がファシズムが必然的に生まれる、民主主義の弊害は意外と全体主義に通じている
ナチスは民主主義から生まれたからである、民主主義がナチスを生んだ、それは合法的なものだったのである
民主主義は数のなのだからその数を無数の部品を一体化するためにヒットラーとかの偶像を必然的に産む
その対極にアウトサイダーが生まれる、それが巨大化するのである
それが天才的な人であり偶像化する、これはどっちにしろ現代文明が生んだものであり怪物化したのである
一人の人間が異常に巨大化するのはナチスが巨大化したものとまた違っていても対照的に生まれたのだとは思う
ただ全体主義の方が恐ろしいものとなったのである
現代の宗教は宗教ではない、ファシズムになりやすいのだ、仏教ファシズムになったことでもわかる
宗教自体が現代文明にとりこまれて変質してそうなった、本来の宗教とは何の関係もないものとなってしまった
国家でも巨大化するとファシズムになりやすい、ポピュリズムもファシズムだからである
大衆というもの自体が統制できないものとなりファシズムになってゆく
要するに標語をみたいなものを一切に叫ぶだけなのである、それで一体感を感じるのである

つまり現代文明が生んだものであり文明そのもの災厄だったのである
それは原発でも同じである、文明の巨大災厄だったのである
文明自体がそうした災厄を必然的に産むものだったのである
だからグロ−バル経済とか資本主義でも社会主義でもそういうものも異常な格差を生んだり人間的なものでは計れないから富の極端な偏向があり自壊してゆく
必ず大恐慌とか経済破綻が生じて来る、巨大なるがゆえに誰もしることができなし操作できない
何かに常に操作されている、それで陰謀論になって終わっているのである

私が郷土史とか郷土学を追及してわかったことはこれは狭い範囲にしろそこにヒューマニズムとかアイディンティティを回復しようとする試みだった、人間性の回復とかはとてもグロ−バル経済とか東京のような都会とかではありえないのである
大組織でもありえない、それはファシズムになる、それは宗教も今は組織化したらみんなファシズムになっている
そこに本来の人間性の回復はない、巨大な文明にとりこまれてただその中で操作されるだけになる
そしてナチスのようになり偶像崇拝になる、そうしてしか全体に帰属するとか一体感をもてないからだ
でも場の現象学を追及したように人間性の回復は一つの共有の場をもってアイディンティティを造りだすことなのである
そこにこそ人間性の回復がある、だから地方に住む、田舎に住む意義はそこにある
それはグロ−バル経済とか金だけを追求する世界とは違ったもの精神的価値を追求している
グロ−バル経済とか資本主義が行き詰まっているのはそういう時代が終わって別な価値観を求めてるようになっているからである
多少金がないにしろ精神的に落ち着く場所で暮らしたいとか金だけではない物質だけではない
精神的安らぎのもてる場を価値を求めるようになったためだと思う




abstract desert

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desert river

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a desert ruin

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desert mountain


風が砂漠に紋様描き遊んでいる
そこは誰も通らない
廃墟が砂に埋もれている
ただ風が砂漠を唸り吹き
紋様を描き遊んでいる
そこに人の足跡は印せない
風が消し去り砂が消し去る
そういう場所に神が住んでいる

The wind is playing around in the desert
No one can pass there
Ruins buried in sand
The wind just blows through the desert
Playing with a pattern
I can't mark human footprints there
The wind wipe out and the sand erase
God lives the place in the distance


2019年11月27日

郷土史研究で失敗したこと (広域的連携が計れなかった―津波でも隣の宮城県と一体だった)


郷土史研究で失敗したこと

(広域的連携が計れなかった―津波でも隣の宮城県と一体だった)

地理的に県を見ると不自然なのである、相馬藩と伊達藩が争ったから歴史的境界として
区切られた、それは自然地理の境界ではなかった
自然地理の地勢の境界とは原始状態で定められたものだった
山があればどうしてもさえぎられるから自然境界となる
阿武隈高原はどうしても中通りとさえぎられるのである
福島県では中通りからは海が見えないのである
逆に浜通りからは吾妻山とかは見えないのである
そうして阿武隈高原で隔てられている影響が思った以上大きいのである
どうしても見えないのだか日常的に地理的一体感がもてないのである

それで南相馬市の片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えたとき南相馬市からも見えるから一体感を感じたのである
今回津波で大きな被害があったところは地理的に海から見ると一体の場所だったのであるだからこそ津波を知るということで共有する地理にあった
それで宮城県では実際に津波が来るということを警告していた先生がいた
津浪を警戒しろと本も出していたが受け入れられなかった

宮城県がより津波に警戒していたのは岩手県となると三陸だと明治にも一万人とか死ぬ津波があったからである、それは百年前とかであり400年前とかではない
そういうことで警戒していた、でも慶長津波は400年前のことであり警戒していても真剣には警戒しなかったとなる
それでも小名浜で東北電力の副社長だったか10メートルの高さに原発を作ったが津波が来るとして15メートルにした結果すれすれで助かったのである
これも被害があり間一髪で助かったとなる
東北電力だから地元だから津浪に対する危機感があった
それも岩沼の方まで津波が来たという伝説を聞いていてそうしたとされる

そもそも今になると巨大津波は三陸方面に明治にあったとしてそのすぐ近くに接近している石巻などが警戒していなかったというのもなぜだったのだろうとなる
東北電力で15メートルの津波が来るということで15メートルの高台に原発を作った
そうしたら石巻でも警戒してもいいはずだったのである
海に面してあれほど民家が密集していた、日和山の前がそうだった
あれをみて通った時何か不安を感じたのはやはり一つの人間的感だったのだろう
なぜならそこは道があるだけでその前に海岸も砂浜もない、すぐに海になっていたからである
この何もないことが危険だったのである
四倉では広い砂浜がありそれが緩衝地帯になり波をゆるめてそれほどの被害にならなかったからだ
緩衝地帯として砂浜もなにもなくすぐ海に面して家が密集していたのである
ただ松原などがあったらまた松原が根こそぎ流されるから大きな被害になったのは同じである

とにかく宮城県の地形は山はあまりなく海に面している地形である
岩手県でも海に面していても山も多い、区堺がありあそこは標高が高い、そこから盛岡に向かう、海に面している地域より山の国である
それは福島県でも中通りと会津は山の国である、ただ明かに宮城県と福島県の浜通りは海を通じて地理的に一体だったのである
そこで郷土史でも宮城県との連携が必要だった
伊達藩には慶長津浪の記録が残っていた、するとすぐ隣の福島県の浜通りでも津波に関心をもつべきだった
でも宮城県と福島県は別の県として区切られるから自然地理から郷土史でも郷土学でも見なくなる、それはあくまでも人間の歴史であり人工的な境であり自然の境ではないのである
だから自然災害では今の県とか行政単位で区切ることはできない、宮城県と福島県とは別だと思考していたら自然災害には対処できないのである

浜通りと宮城県は地理的には海を通じて一体であった
だからもっと津波に関心をもつべきだったとなる
宮城県では学者でもそれなりに津波に関心をもっていたのである
だからこそ女川原発でも津波を警戒して15メートルの高さに建てたのである
他でも津波を警告する本を出した人が実際に県とかにその危険性を言っていたが受け入れられなかったのである
それで学者が若林の辺りは津波が来るから危険だと警告したら土地の値段が下がると不動産業者から怒られたとかしている
ただ学者でも津波のことを警戒していたとなる

福島県では県全体でも津波に警戒していなかった
相馬藩政期で「生波で700人溺死」という記録は今回の津波の後に発見されたのであるそれまではそれすら知っている人はいなかったのである

それはなぜなのか?

宮城県と福島県と分かれていることにも原因があった
福島県単位と宮城県単位で区切って思考するからである
今回の洪水でも阿武隈川があるとしてそれを区切って見ることはできない
川は一つのものとしてつづいているものだからである
だから自然を市町村単位とか県単位で区切ることにも問題があった
それでは自然災害に対処できないからである
自然は大きな全体だからである

とにかく宮城県は海に面した国である、海洋県だともなる、だから伊達政宗が船を作り
メキシコ回りでヨ−ロッパまで行ったというのもそのためである
海への思考が働く藩であり県だったのである
海を毎日見ていれば海の向こう側は何かとか海を渡る思考が生まれる
それだけの船を作れたことも驚きである
宣教師が来て船作りとか地理でも教えられたことでそれが契機となり太平洋を渡ったともなる、戦国時代はそういう時代でもあった
それは伊達政宗が徳川幕府と対抗するとかのためでもあったとか言われる
それは明治維新になり会津がプロイセンと同盟を計り薩摩長州と戦おうとしたことと通じている、そういうグローバルな発想は山国の会津にもあった
だから東北が必ずしも閉ざされていたとはならないのである  
いづれにしろ伊達政宗の発想はグロ−バルであり雄大であり東北人ではないというときそうなる
東北ではそういう大きな発想ができない、内に閉じこもる性格があるからだ
それで宮城県人は東北人ではないといのはそのためである、海洋的性格が養われていたのである
東北は後は山国的性格だからである

日本一の水揚げを誇る宮城のホヤ。
 しかし、福島第一原発の事故後、最大の輸出先だった韓国が輸入禁止措置を続けている。安全性には全く問題がなく、日本は禁輸措置の解除を求めてWTO(世界貿易機関)に提訴したが、今年4月、最終審でまさかの逆転敗訴。生産地には不安と失望が広がった。

 原発事故でも宮城県と福島県に別々のものではなかった
宮城県で放射能被害があった、海の汚染では共通していた、でも福島県の漁業組合は新地までであり賠償は福島県までである、特に福島県の新地までの漁業組合の補償は手厚いのである、だからそこで宮城県の漁業者は不満になっているだろう
なぜなら漁業組合でも福島県と宮城県では一方は手厚く一方はゼロに近いとなっているからだ、ただそのことでも福島県の漁業組合は責められる
内部でもなぜ漁業組合だけがこんなに補償が手厚いのかとなっていたからである
原発は福島県だけの問題ではない、その被害は広範囲に広がるから宮城県の問題でもあった
結局海でも陸地でも実際はつながっている、でも行政上分けざるを得ない
すると地理的にも分断して見てしまうのである、津波では常に宮城県の方をとかを見ていなければならなかったのである






posted by 老鶯 at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2019年11月26日

冬の日の石(詩)−田舎に住む存在感


冬の日の石(詩)−田舎に住む存在感

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その場に
石と石
その場を得て
乱されず動かじ
冬の日に
人は老いて
その場に安らぐ
時に一つの石の
そこより取りさられると
その不在を感じる
そのなくなりし石を意識する
またその石のもどると
石と石は
その場に
一つとなるを知る


On the place
the stone and the stone
Get the place
Undisturbed and stillness
One winter day
People are old
On the place
Deeply rest
Sometimes one stone
If taken off from there
Feel the absence
Be aware of the lost stone
When the stone returns
The and the stone
On the place
Know that you will be one  
In silence



何か知人が5カ月くらい入院して家が空家になっていた
その人は妻が10年前くらいに死んだ、だから大きな家に一人で住んでいた
庭も立派な家である
それが5か月もいないからその家を気にしていた
でも昨日をスーパーで見た、やっと帰って来たのである
そのことを昨日書いた

その続きとしてこの石の詩を書いた
自分の詩のテーマは主に石がある、昨日は何か冬らしくなかった、今日は結構寒いから冬らしい、それでこの詩ができた
前から「場の現象学」という本から場のことを語ってきた

田舎には一万くらいだと人間はその場を共有して生きているとなる
だから別にたいして親密でないにしろその人が5カ月も入院して不在にしていたということで空白ができた、それを感じたのは田舎だからだろう
都会だったら人が多すぎるから人はいなくなってもそんなことを感じない
まったく意識すらしないだろう

でも田舎だとそういう存在感がある、別にそれはどんな人でも変わりない
人がいるだけで存在感がある
一方でその存在感が悪い方に働くと嫌な人間の存在感も大きなものとなって消えないのである、それが目立つのである、都会だったら人が多いからそんな人も気にしないのであるただ群衆のようにマスとして流れてゆくだけである
記憶にも残らないのである

ただ場をもつというときもし農家だったらもっと存在感をもてたかもしれない
田舎だと農家の存在感が大きいからである、大地に根付いたようになるからである
ただそれは昔の農家であり今は違っている
農家のように見えても今は農家ではない、農家だ果樹とか花栽培とかはそれなりに金になるからやっていけるのかもしれない、他は本当の農家はまれになっている

都会と田舎の相違は収入とかばかりを見ている、他でも都会の華やかな面だけを見ているが実存的というか何か存在感というとき砂粒のようになっているのが都会である
ただそういうことを考慮する人はまれである
人間はただ今は金の価値観しかないからだ

田舎に住みたいというとき金とかだけから見たら誰も住みたくない
しかし何か存在感を持ちたかったら田舎がいいとなる
ただそういうことを考慮する人はほとんどいない

田舎に住んでいてもそういうことがわかるのは老人になってからなのである
老人になると一つの場をもってそこに石のように落ち着きたいとなるからである
だから原発避難者は故郷に帰りたいとなるのである
若い世代は田舎で暮らしていてもあまりそういうことを思わないのである



冬の灯(独り身は独り身を想う冬)


冬の灯(独り身は独り身を想う冬)


遠山に日のあたりたる時雨かな

5か月を入院したるその人の故郷に帰り冬の灯ともす

遠山に日のあたりたる枯野かな 虚子

何か類似俳句というのが作り安い、短歌でもあるだろう
昨日は本当に時雨だった、ぼつぼつりと雨滴にぬれた、ただそれは気づかれないほどだった、時雨でも雨の場合もあり間違いやすい、時雨はぽつりぽつりと頬を濡らすものであるそして雲が出ていて山を覆っているがその中から日がさして一部が明るくなっていたからそういう季節である

スーパーで5か月入院していた80歳くらいの人が退院してきてあった
帰るとときいていたがようやく帰ったとなる、でもやつれた感じである
糖尿病の人だった、その人は10年前くらいに妻をなくして大きな家に一人で暮らしているのが淋しと常に言っていた、でも娘はとなりの街に住んでいる
親戚も多い、でもやはり妻がいないということは相当に淋しいことになる
だからそのことをいつも言っていた
それは自分自身も家族をみんななくして大きな家に一人住んでいるからわかる

そして不思議なことは独り身の人は独り身を想うということである
別に妻がいれば夫婦の人は思わないのである
夫婦は互いに身近に相手を思っているからである
そして夫婦の人は独り身の人に関心がない、淋しいとかも思わない
何か人間は他人に無関心である
でも同じ境遇の人は共感しやすいことがわかった
同病相あわれむということもある、それと似た感じである

なぜその人のことを思ったのか?
それは親しいといのでもないてけれど一回くらいその人の家に入ったこと
庭とか見たことか、それとそこが近いからである
その近いことが相当に影響していたかもしれない、それでそこが空家になっていることを気にしていたのである

そしてようやく帰って来たのかと思った
その人は80歳越えているからこれからどれくらい生きるのか?
糖尿病がどのくらい悪いのかわからない
でもやつれた感じにはなる、そこに知り合いの女性は親しく行っている
前からの旧知であり連絡し合い行っている
ただ糖尿病だから食べ物に注意している、料理は自分でしていた
でも今度自分で料理をするのは大変になるかもしれない
何しろ病院の楽なのは料理をしなくてもいいことなのである
この料理だけは手間なのである、だからほとんど私は買っているだけなのである

いづれにしろ近くに親しい人がいることは安らぐ
そう思うようになったのは家族がみんな死んでからそうなった
それまで自分は妻がいたように他者のことを思わなかったからである
その人と特別親しいわけでもない、ほんの知り合いというだけでもやはり近いから思うとういことがあった
人間は近くないと日々顔を合わせていないと「去る者は日々に疎し」となってしまう

なんか変なだけど母の実家の墓参り一年に二回くらいしていた
今はしていない、その家の親戚にひどい目にあったから行きたくなくなったのだ
仲良くない親戚は一緒に墓参りすらできなくなる
プログに書いたように自分の親戚は分裂不和のカルマをかかえていたからそうなった
でもその墓でも実際は近いのだから墓参りに来てくれと死者が思っているかもしれない
それも奇妙だけど近くにあるからそうなる

「遠くの親戚より近くの他人」人間は思うだけにしてもそうなのである
遠くなれば思うことさえなくなる、実はこの思うということは意外大きな力がある
思っただけで殺したいと思っただけで誰かがそのために死んだとかインドの哲学者が言っていた、それだけ思いとか念の力を見えないにしろ思った以上大きく強いものなのであるどうしても思うことは現実化しやすいのである

近くにいても思わない人は思わない、無関心である、ただ自分自身でもその人を想っている想っていたことが不思議なのである
ああ、あの人がやっと帰ってきたなと思ったからである
そして5か月ぶりに灯がともった、またなお故郷に生きるのだなと思ったのである
それだけ近くにいるということは思いが働くのである
ただ独り身の人は独り身の人を想うとういことがありそうなったともなる



2019年11月25日

地理と風土が国を作る (日本人の視野は非常に狭い、山に分断されているから)


地理と風土が国を作る

(日本人の視野は非常に狭い、山に分断されているから)

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日本全体で見ても大阪平野と濃尾平野と関東平野が三大平野であり
ここに大きな権力が生まれたのも地理だったとなる
東北だと仙台平野が広いから米も多くとれてそれを商品として石巻から船で江戸に送ったのである
だから地理が歴史でも作っているのである


山で分断され
海で閉ざされ
川は人を結ばない

何か日本の風土とか地理とかが日本人を作った、これは間違えない、日本人の耕作する土地は平坦な土地が少ない、それはヨ−ロッパとか大陸国家と比べると少ない
それなりに領土が広くても耕作できる土地が少ないのである
ドイツでもフランスでも平坦な土地が多いのである
日本の可住地が27パーセントでありイギリスは島国でも85パーセントもある、フランスは73パーセントでありドイツは67パーセントである、イギリスは山というより丘でありそこはゴルフが生まれのもその風土から生まれた地理から生まれた
イギリス全体がゴルフ場に適した地勢だったのである、だから島国でも居住できる範囲が広いのである
日本のように急峻な山がないのである,その差も大きいのである
ただイタリアは意外と高い山があり山国という感じもする、そこからローマ帝国が生まれたというのもどういうことなのか?
ギリシャも山が多いのである、ただ大陸国家は平坦な土地がつづくのが普通である
だからこそエジプト王国でもペルシャ帝国でも中華帝国でも強大な権力国家が生まれたのである
統一しやすいから中央集権的大国家生まれた、そこにファラオが王が絶対的なものとして君臨する
それは大陸国家ではにているのである


そして海で閉ざされているという時、四方を海で囲まれている、だから海によって閉ざされている
それでヨ−ロッパではイギリスが島国でもドーバー海峡は30キロとかであり日本の玄界灘とは違う、それは常に渡れる距離であり日本人が泳いで渡ったとかもある
でも玄界灘はそうではない、簡単には渡れない、モンゴルの船が渡れなかったのもその距離とか海流とか台風とか日本の気候条件にはばられて渡れなかったのである
そして海で閉ざされるという時、ヨ−ロッパだったら地中海での交流が古代から始まりその歴史は古い、地中海は交易の海であり船で行き来できる内海である
そこで船を操作する技術が発達した
そこからコロンブスが大西洋に乗り出したのである
でも日本だと太平洋でありそれはあまりにも広く島国としてペリーが来るまで閉ざされていたのである、だからこそ300年の鎖国もありえて特殊な国なのである

そして大陸の川は中国でもヨ−ロッパでもインドでもどこでもスケールが違う
それは日本のような激流とかにならない、自然の運河になっていて物が運ばれ人が交流する河である、だから四大文明が川から生まれたという時まさにそのことを語っている
川は物が運ばれ人と人を結ぶ川なのである
日本では川は側(がわ)としてしか意識していない、向こう側に渡るのが川なのである
ということは狭い範囲で生活していて向かい側しか意識していなともなる

ヨ−ロッパでも中国でも川は道路のようなものであり常に交通がある
だからヨ−ロッパでは川を通じて都市が結びつきハンザ同盟とか商人の同盟組織が生まれた、それは国を越えた組織でありえたのは川で結ばれていたからである
また川はリバーはライバルが語源であり川を通じて敵対していた
また川はライン川のように境にもなる、それが川が長く大きいからそうなる
川で遮られるからである、大陸には常に大きな川がありその川が歴史と文化を作って来た父なる川がラインでありガンジス河はインドの文化と歴史の源である
中国でもそうである、大陸は広大でも川で結ばれていたのである

川上とこの川下や月の友 芭蕉

この句にしても風流的に川を見ている、現実に船が行き来して生活の場になる川ではないのである、日本の川は常に変化する川である、それは今回の台風でも証明された
流れが絶えず変わる川なのである、だから古川という地名が多いのである
それは流れが変わって古川になり地名として残ったのである

とにかく日本でも外国でも旅行したから地理に興味をもった
日本は本当に山で分断された国である、それで常に感じているのが阿武隈高原とういう山で私の住んでいる相馬地域は同じ福島県でも分断されている
それは福島市の方面が見えないからである、そこで何か地理的一体感がもてないのであるでも原町の片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えたというとき地理的一体感を感じた、新地から見えていたが原町から見えると思わなかったからである
つまり視界に入れば地理的一体感をもつのである
日本は常に山で遮られ隣り合っても地理的一体感をもてない国である

それで峠というときこれは国字であり日本人が発明した漢字だということもわかる
だから峠を越えると新しい視界が開かれる、そういう峠の国だということが日本だとなる
その国の歴史でも文化でも地理と風土から作られる、これは逃れようがないのである
日本人の故郷がアイディンティティになる場所が海ともならないで「国のまほろば」というとき奈良でありそれは山に囲まれた盆地だということでもわかる
東北の地理を見てもそうである、山に囲まれていて平地がありそこは盆地であり平地があり都市が生まれている、でもその平地が少ないのである
そして青森だと山で津軽藩と南部藩の延長として二つが分断されているのもわかる
それは山が分断して言葉も違っているとなる

つくづく日本人は地理的に海でも山にでも分断されて生活してきたのである
まず大陸の歴史とは違ったものとなるのも当然なのである、大陸だと広い視野が視界が得られる、でも日本では常に山で遮られて広い視界が得られないのである
だから広い視野で視界でものを考えることもできないし防衛とかもできない
大陸でぱ中国でもヨ−ロッパでも塔が発達するのは平原とかで遠くをウオッチする見張る塔なのである、遠くから平坦な平原でも敵が攻めてくるのを見張るためである
だから塔に人間の強い意志が感じられる、それは中国でもその塔は何か日本の優美な塔とは違う、堅固であり強固な人間の意志を感じる塔なのである

日本人はどうしても視野が狭くなる、それが山が多すぎることなのである
山で視界がさえぎられ狭い地域に閉ざされてしまう
何か小さな村で閉塞されたようになる、いい面としてはそこで互いに濃密な人間関係を作って協同することである、でも村という狭い範囲が一つの世界となってしまい広い世界の協同関係は結べないのである
だから明治維新から世界に国を開いた時その世界に適応できない、それが太平洋戦争の失敗だったともなる、世界的にそんな大きな戦争などしたことがないからである
日本の戦争は関ケ原を除いて小競り合いの戦争だったともなる
大規模な戦争はなかったのが日本なのである
大陸の戦争だとものすごい数の兵士が大平原に集まり戦争になる
そういうことを何回も繰り返してきたのである
だから戦争にたけてくる、日本は戦術にこまかいことには気をくばるがそうして大局的戦略的に対処するのが苦手なのである

いづれにしろその国の文化はそれぞれの国土によって作られることは確かである
それは逃れようがない運命なのである、大陸国家だと中国でもそうだが巨大な権力が生まれる、始皇帝であれそれは地下にも都を宮殿を作って生き続けようとしている
日本ではそういうことはありえないのである、巨大な権力が生まれない、それで話し合いで決めるというとき小さな村が生活の政治でも経済でも単位になっていたのである
「話せばわかる」という狭い範囲での生活だったのである
だから法律も必要がない、話せばわかるとなるからだ
狭い範囲での意志疎通が中心であり異民族とかの意志疎通は必要ないからである
同じ民族でも日本が広いとしても村という狭い範囲での精神形成になっていたのである
そうなるとこれだけグロ−バル化したとき適応できないとなる
   
日本人は実際は世界で一番冷たい民族だという時、狭い範囲の村が共同体だからそのウチでは強いつながりをもつ、協同する、でもそこから離れた外になると冷たいとなる、よそ者を歓迎しないのである
外国では対立があっても争いがあってもそこでなんとか折り合うとする文化が生まれる、日本では異民族を受け入れることがむずかしいのはそういう歴史がないためである
日本が外交下手だというとき当然なのである、そういう歴史がないからである
狭い村という範囲でみんな仲良く争わないで協同する生活だった
そこにはよそ者は入れないという世界である
だから限界集落でもよそ者を入れない、入れても追い出すとかなりもう限界集落は後継ぐものもなく消滅してゆく、そういう国柄は簡単に変えられないのである

要するに日本がいいとか悪いとかではなく日本を客観的に見るには外国の理解が必要になる、その対比のなかでわかってくる、それはまた時代的にも江戸時代と比較すると今の時代が見えて来る、つまり日本だけでは日本のことはわからない、また今の時代だけを見ても今が見えてこない
それでたいがい日本に深い見方をするのは外国で暮らした人である
留学した人とか外国暮らしをした人とか外国人と共同で仕事した人とかになる
それは否応なく対象的に日本が見えてくるからである
ただ今の時代になると海外旅行している人が多くなったから戦前のような偏狭なものにはならない、情報でもそうである、太平洋戦争では日本人はアメリカのことなどほとんど知らなかったからである
テレビもなにもないし何も知らないのである、それでアメリカを甘くみていたのである
今でも日本はそういう地理でしり外国の理解ができない、それで失敗するとなる 

一番の問題が日本で山が多くて視界がさえぎられることである、そうなると見えないのだから見えない所を考慮しなくなる
例えば身近なことでも常に家事で台所仕事で失敗しているのが目の前に電気の卓上焼き機でもスイッチを見えない方向にしていたらスイッチを消し忘れているとかまた料理する場所が離れていて見えないと何度もIHヒーターの電気を消しわすれとかある
それで前はガスでそうだったから時間を決めて使えるものにしても電気をつけたままだという失敗がある
その原因が自分の視界内にないからである、見えないから失敗している
そういうことはあらゆるところである、原発事故だって迷路のように網の目のように配管がある
その一部分を常に見ている人はその一部分には詳しいのである、だから配管のことをその現場で働いていた人は知っていたのである
上の人は知らないということがある、要するに原発の全体を知るものは誰もいなかったし知り得ないのである
こういうことはどこでもそうである、こんな複雑な巨大な社会になると一部分を見ていても全体を見通せる人などいないのである
そこが盲点となって事故につながる

地理でも常に住んでいる小地域は見えてもその周りの全体は見えない、特に日本では山に遮られて見えない、するとどうしても見えないからその場所を理解できないのである、日本だと山が多い、するとその山の中に隠れたように田んぼがあったりする
その田んぼが見えないのである、だから隠田というのが普通にあっても不思議ではない
こんな所に田があるのかということを旅してもわかる、山の中に入って開けた地がありそれが意外だったのである
平原のような所だった一望に見える世界である、見えるからこそその広大な平野で戦略がたてられる
軍隊をどう配置するかなど戦略がたてられる、日本ではそういう戦略をたてられない
義経のひよどり越えでも信長の桶狭間でもそうである、敵が山の下に休んでいる時急な坂を一気に駆けおりて勝った
まるで滝のように襲い勝ったとなる、相手から山の陰であり見えない、ところが敵は上から見えていたのである
だから見えるか見えないかの差が大きいのである
日本の地理と風土は大陸国家がユニバーサルとして普遍があるとして日本は特殊なのである
その特殊性を日本人自身が理解していないのである


                                             
参考にした本

国土が日本の謎を解くー大石久和

国土交通省に勤めていた人の本である、日本の国土を知ることがやはり第一にある、日本の国土は外国と相当に異質だからである


2019年11月24日

幻の国のコイン(童話)


幻の国のコイン(童話)

その人は放浪者だった、どこから来たのかわからない、ある国に入った
どうも国境をすりぬけて入って来たらしい
そこで何か買うことになる
それでコインをだした
それを見た店の主人は言った 

「これはどこの国のコインだよ」
「・・・の国だよ」
「ええ、そんな国がるのか、聞いたことがないな、このコインはここの国では通用しないこんなコインで売らないよ」

その放浪者はコインをもっていても何も買えなかった
その人はそもそもどこの国の人なのか、それも謎である
その人はどこの国でもない、宇宙人なのか?
そういう疑いもある人である

放浪者はまた別な国に行くことにした、なぜいろいろな国を回ることができた
それでどうしてかその国々のコインをもっていた
様々なコインがある、何かいろいろな国がある時代だったのかもしれない
しかしその人がどこの国の人か謎であった
世界放浪者とでもいえるのか、世界をぶらぶら気ままに回り歩く人となるのか?
その人はどこの国の人かわからないから宇宙人だということにもなる
はるかに宇宙のかなたから来たからである
そうし地球を気ままにぶらついいる

そしてどこの国の人かもわからない、ただ不思議なのは様々な国のコインをたくさん持っていたことである
それでその放浪者はいろいろな国のコインがあったが一つのコインの国がわからない
どうしても思い出せないのだ

「このコインはどこの国だったのだ、どうしても思い出せない、これは謎のコインだ
もしかして幻の国だったのか?」 

そんな独り言を言ってその謎のコインを見ていた

「ただここにコインがあることは確かにこの国はあった、これが証拠なのだ」

コインはなぜかどこからでも発見される、砂漠からでも山の中の屋敷跡からで島からもも発見される、そこにコインを使った人がいて埋もれたのである
過去の遺跡からは必ずコインが発見される、古い時代のコインが発見される
コインは紀元前6世紀とか古い時代にすでに人間が使いはじめたからだ
とにかくコインは無数にあるのだ
地球はコインの国でもある

しかしその放浪者は宇宙人はお土産にそのコインをもって遠く去ってしまった
そして一つのコインはどこの国のものだったか謎である
幻の国だったのか、ただそのコインを宇宙から来たのか放浪者はにぎりしめている
もしその放浪者が宇宙人でなかったら地球人だったらそのコインがどこかに埋もれ残ることもあるだろう

でもその人は宇宙人だからそのコインはどこにも残らなかった
地球にあった謎の国のコイン、それは永遠に幻となり消えた
ただどこかの宇宙人がそのコインをもっている、そして宇宙人は地球を放浪したことをどこかの星で思い出しているのだ 

ただその宇宙人が帰った星でぱコインは使っていなかった
それでその国の人にコインをみせた

「こんなものが地球人では大事なものなのか」
「そうだよ、コインがなっかたら何も買えない、これさえあれば何でも買える、どこにでも行ける、遠くに行っても困ることはない」「へえ、そんなものか、ただの金属のおもちゃのようにも思えるな、こんなもので物が買えた」
「地球ではこのコインが命より大事なものなんだよ、このコインのために命をかけて殺し合いまでしているんだよ」
「ええ、そんなに大事なものなのか、こんな金属がな、地球も変わった所だな」

その星にはコインはなかった、コインなしでどういう暮らしをしていたかはわからない
コインがない時代もあったから不思議とはならない

「このコインがあったので私は自由に旅できたんだよ、コインがなければ何も買うこともできないし死んでしまっただろう」

そこでその星の人は言う

「何か面白い国のようだ、地球には俺たちも行ってみたいな」
「地球は面白い所だよ、コインが金があればな、地球でコインなしでは一日も暮らせないよ」

こうして宇宙のどこかの星で放浪者は地球から持ち帰ったコインを手にとって地球を思い出している、その放浪者の宇宙人はまたそのコインをもって地球に来るかもしれない
ただその時は時代が変わりコインは通用しないかもしれない

「このコインは通用しない、いつの時代のコインだよ、ここは古銭を買いとる店じゃないよ、冗談でも悪い冗談だ、、さあ帰ってくれ」

こんなふうになっていたかもしれない、でもやっぱり地球は面白いからその放浪者はまた来てみたいと思っている、その星でぱ寿命は長い、ある意味で死というものもない星である、そうしてその放浪者は永遠にさまよっている
でも宇宙人だからどこの国の人でもない、その人の国は宇宙のかなたの星だからである





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青森の詩(青森の地歴の探求)

青森の詩(青森の地歴の探求)


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青森の詩

青森のその名のよしも
縄文の村、三内丸山の栄
海近く海産物豊かに土地の実り
栗も栽培すると菓子も作る
漆の業もすでに起こり優れる
鹿を追い猪を追い射止めて食す
土器をこねりその造形にこる
その数千年の長き営み
その長き日に争うはわずか
平和の村のそこにありぬ
ヒスイは糸魚川より運ばれぬ
交易は日本海を通じてあり
青森よ、野辺地、下北、最果ての竜飛岬
ここに本州の陸は尽きぬみちのくの外三郡
幻の日高見国、アラハバキ国を語るも
平泉の黄金の栄華もなしも
米のとれぬはと粟や稗を食す
粟在家、稗在家とその名を遺す
太宰治の屋敷に小作の米は積まれぬ
小作は苦しみ恨み呵責になる
高い煉瓦の塀に警察が守る
その貧しさは今は変わらず職なき最果ての地
しかし陸奥湾に一三湊に外部に開け交易ありぬ
しかしその一三湊は砂に埋もれ消えぬ
宋銭のそこよりあまり掘り出される
津浪に壊滅せしとはまことか
津浪は人のものをすべて持ち去る
命も物も根こそぎ奪い何も残さぬ恐ろしさ
標榜として日本海の風はうなり吹雪く
青森の弘前城は古き城
その門の質実に飾り気なく古風に残りぬ
古武士のように何か威厳あり
一時桜に覆われしも
津軽の冬は厳しき
地吹雪き閉ざされ長き冬に耐える
津軽鉄道の終点の中里
その地吹雪きを遮る柵をさして運転手は語る
津軽弁重く濁り聞きとれぬ 
陸奥(むつ)はむっつりのことか
出雲弁との共通がありしとか・・
ここに北前船の来たりて関西の文化伝える
その前より古語もここに残されぬ
この辺境の地にアイヌ語地名も残さるると
アイヌとの交流のここにありしも
青森もみちのくなれどそこは果てなる地
芭蕉もそこには行けず去りにき


東北という時、みちのくなのだけどこれは平泉辺りまでであり岩手県からさらに青森までは入っていなかった
そこは本州の果てでありみちのくでもないのである
歴史的にはそうなっているが青森の地理的特徴は日本海を通じて船が通り交易があった
それが太平洋岸とは違っている、江戸時代でも北前船が通っていたからである
そして青森にも辺境に日本の古語が残ってそれがそのまま使われている
それは沖縄でもそうなのである、だからすでに古代から大和国が津軽まで及んでいた
それはその後の平安時代であっても古いとなる
三内丸山の縄文遺跡はやはり北がそれも本州の果てがかえって西より栄えていた
縄文時代は東が栄えて西はそうでもなかった
それは実証されている、漆でも縄文時代からあり青森でも見事な漆の器は残される
縄文時代は青森であれ北が優位だった

青森はその位置とか地理が魅力的なのである、日本は最果ての地に憧れる
海に囲まれているからそこで陸が尽きて日本は海に閉ざされた国になるからだ
大陸に住んでいたらどこまでも陸を行こうとする、それがモンゴルの帝国形成につながる日本では海に囲まれていてその陸が尽きる国なのである
大陸でぱ鎖国などできない、絶えず異民族が移動して襲ってくるからである

縄文時代は謎である、なぜそんなに長くつづいたかというのも謎である
それもあまり争いがなかった、大きな強い権力をもちえなかった
人口も制限されていた、すると大きな権力は形成されない、邪馬台国ができたときはすでに大きな権力が形成されたのである
だから縄文時代は国があってもその国はクニは小さなものである
国家というのは形成されていない、だから争う必要がなかったともなる
何か小競り合いはあったが大きな争いには発展しなかった
それだけ戦うもの奪いとるものもなかったのである
何かしら富があればそれを奪うために争いになる
ただ何もないと戦争で人を奴隷にする、それで富を形成しようとする
大陸ではこうして絶え間なく奴隷獲得の戦争が行われてきたのである

県名で青森というと青は墓のことらしい、すると最果ての墓の地が青森になるのか
死者を呼びたすイタコなどがいるからそういう風土でもあるのか?
県名としてはあっていた、岩手県でも宮城県でも一応県名は歴史とか風土とあっている
宮城県は古代から多賀城があったからだ
岩手県はいかにもみちのくの奥にふさわしい、そして何か秋田県という名には特徴がない何を現ししているのかわからない、田とも関係ないからである
そして福島県でもそうである、福島市福島城があったからだとかなるがでは会津藩とか相馬藩とかいろいろあってもそういう歴史とも関係ない、風土とも地理とも関係ない
だから福島県の名は何なのだろうとなる
新潟県でもこれも潟が多かったからであり土地の状態を示していたのである
広範囲に潟が多かった
茨城は古代の故事に由来するとかある、福島県はそういう歴史も何も現すわけでもないのである、そもそもなぜこういう名がついたのかわからないのである

いづれにしろ東北という時みちのくというとき一つのアイディンティティとする場である茨城県は関東でありみちのくはやはり歴史風土でもみちのくになる
みちのくで不思議なのはそこは青森になるとそうだが文明と離れた辺境だともなる
何か枯野にあっている、また雪に埋もれた世界だともなる
でも太平洋岸には雪はほとんど降らないのである
でも岩手県だと区堺には深く雪が積もる、まさに区堺なのである、春でも相当まだ雪が残っていたからである

岩手なれ区界(くざかい)になお残る雪

こんなふうになる、ここは岩手県を分ける境なのである
また山形県もその名にふさわしい、その境は仙山線で面白山をぬけて山寺に出るとそこが山形県なのである、ここも春になると雪が長く残っている
そこで天候も変わり雪国になっているのだ、あとは境というときわかりにくい
浜通りは阿武隈高原でさえぎられている、だから福島市とか中通りが見えないから地理的一体感が感じられないのである
ただ蔵王は南相馬市の鹿島区の右田浜からまで見える
そして南相馬市の高台の片倉のフラワーランドが牡鹿半島と金華山が見えた
つまりこのくらいの範囲が見えるから身近になる  
                                                                            
とにかく青森はみちのくでもない、最果てである、みちのくというときまだ平泉辺りまででありそれは文化的領域でもある
つまり芭蕉の奥の細道なのである、ここから奥の細道をイメージするのである
  

その日は野辺地泊。当時南部藩港であった野辺地は、この地 方の経済や文化の中心地として栄えた港町だった。
 翌8日宿を出て七戸へ行く道は荒漠とした原野が続き、道傍に樹木が植えられていた。途中、4人のマタギ(猟師)に出会う。犬を連れ、獣の毛皮で作った外 套を身につけ、それぞれが鉄砲や鉾を手にしている。彼らは「これから熊撃ちに行くところだ。今年はまだ1頭も捕っていないが、去年は5、6頭捕った。熊撃 ちは毎年春の彼岸から始まる」と話してくれた。
 やがて松陰らは七戸を経て五戸に入り、郷士(郷村に住む武士)の藤田武吉を訪ねた。藤田は、五戸に住む60名ほどの郷士は皆禄高が低いために、ほとんど が農業で暮らしを立てていることや、この辺りで多く採れる大豆は馬の背に乗せて野辺地へ運び大阪へ移出すること、近辺に牧場が数カ所あることなどを語っ た。

これは青森を旅した吉田松陰のことである、野辺地は冬にたずねた、駅に雪が積もり野辺地の港が見えた、大阪までもそこから豆を送っていたというのは意外である、つまり大阪まで北前船が運行していたからである

 こんな詩がインタ−ネットに出ていた、まさに雪に氷に閉ざされるのが青森だとなる 

いつの日にか
故郷が冬にとざされたやうに
私の心もみんなとざされてしまった
結氷の下で
魚たちが夢みるであらうあの空を

村次郎 詩集『忘魚の歌』

こういう詩もあり青森は冬は雪に閉ざされた辺境なのである

インタ−ネットは編集するとそれで創作になる、ただ詩とかほとんど出ていない、それで批評ができないのである  

青森に初雪

青森に初雪がふった、このプログに写真がある、こうして青森のことがインタ−ネットでわかる面がある
ただこれも一面である、ただ今の情報が入るのはインタ−ネットでないとできない
毎日の変化を知ることはできない、ただ地方局でもインタ−ネットで放送していることもあり役に立つ
まずこうした地域の情報はマスコミからテレビなどでは得られない
その地域の情報を得るのにインタ−ネットは便利なのである、ただ詩などでも詳しいものはわからないのが残念だとなる

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今昼食のおかずにスーパーで買った

2019年11月23日

貨幣の謎 (貨幣の前にそれを通用させる王国や帝国などの共同体が権力が必要)


貨幣の謎

(貨幣の前にそれを通用させる王国や帝国などの共同体が権力が必要)

貨幣はそもそもいろいろ考えてみても謎である
それが生まれたのは今のトルコのリディア王国である
そこはホーマーのホメロスの舞台となった古い場所である
そこにトロイアの遺跡が埋もれていたのである
そこはもともと要衝の地であり港だった、私自身が行ったことがあるけど何か遺跡にして小さいのに驚いたのである、こんな小さいのがホメロスの舞台だったのかとなる
何か日本だと古墳の方が大きいから大きい国を想像してしまうがここは小さいのである
場所としてこれは陸地にあってもその時代は海が迫っていた場所である
つまり港の機能があった場所であり要衝の地であり貿易の港として機能していた
そういう場所から人類最初の金貨が生まれたともなる
また砂金がとれたとか資源があり金属加工技術がありとかいい条件があり生まれた
そしてそこにミダス王の杖で触れるとなんでも金に変化したという伝説が生まれた
それだけ金がとれた場所だったともなる

そこから今度はギリシャに貨幣が広がった、まずリデアにしても一つの王国があり共同体があり貨幣が生まれた、次にギリシャは大きな国としてのまとまりがありそこで壺などを売る貿易が地中海を通じて起きた、植民都市を地中海沿岸に作った 
ベニスとかフランスのニースとかでももともとギリシャがで新しい都市という意味であり植民都市から始まった
その植民都市にギリシャの貨幣が使用された、つまりギリシャがそうして貿易とか通じて拡大化されると貨幣もその中で通用するようになる
貨幣だけが単独で通用しないのである、その前に王国であれ帝国であれ大きな共同体が政治組織が生まれないと貨幣は通用しないのである
共通の貨幣が通用するにはそうして共通の土台となる連合であれ共同体ができないと通用しない、それはローマ帝国でもそうだったし最近ではユーロ―がそうである
ヨ−ロッパを統合するものとて新しく生まれた貨幣だからである
中国でも始皇帝が統一国家を作った時共通の貨幣が生まれた

そして今ドルが世界基軸の貨幣になっているときそれはアメリカが世界を支配している
アメリカが軍事力でも支配して経済でも支配しているからそうなる
それでアフリカの果てまでロバに乗った子供までワンドーラ―くれと言っている
ドルは世界中で通用するのである、例えば石油でも売買できるのはドルなのである
それはアメリカが世界を支配しているからドルが世界で通用している
何か交換するに便利だからとして貨幣は生まれない、経済の前に政治があり軍事力がありそれで共通の貨幣が通用する
外国に行ってカンボジアとかベトナムの紙幣とかもってきても何の価値もない
交換しても利息三文なのである、ただの紙切れと同じなのである
しかしドルだったら十分な価値があり円と交換できて物を買うことができる

だから今なぜ中国で元を共通貨幣にしようとしているかとなると中国がアメリカと対抗できるような大国化したからそうなる、単に便利だからとして貨幣が通用するとはならないなんかトルコにいってエフェソスというローマ帝国の遺跡は立派である
そこでローマの貨幣だとだまされて買った、それはどうしてかというとその遺跡が立派だからその偽貨幣でも高いとも思ったのである
貨幣の背後にはそうした実質となるもの価値あるものがなければ効用がないとなる
しょせん貨幣でもそれ自体には価値がないからだ
その貨幣でもたらされるものが買えるものに価値がある
その金で何が買えるかということである、アメリカからドルで何が買えるのか?
日本から何が買えるのか?ヨ−ロッパから何が買えるのか?中国から何が買えるのか?
それが問題になる、その手段として貨幣があるのであり貨幣とか紙幣自体に価値はないのである

ただ世界でドルが基軸となっていてもアメリカの国力が衰えればドルの価値も下がり通用しなくなる、つまり貨幣の価値はその国の力に作用されて決まる
その国の力とはいろいろある、資源とか軍事力とか技術力とか政治力とかいろいろ要素がある、国力とは総体的であるからだ
アメリカはそういうふうに総合的力がありドルが依然として基軸通貨になる
でもそろそろその地位もゆらぎつつある、アメリカがいつまでもその力を維持できない
それはイギリス帝国が七つの海を支配したときボンドが世界で一番通用する基軸通貨となっていた、エジプトボンドとかもあった、それはイギリス帝国が支配したからである

オスマン帝国で部下がエジプトに派遣されてそこでその部下はその地方長官となり王のように君臨する、そして自分が王として貨幣を鋳造しようとしていた  
それでスレイマンという王によって征伐された
何か貨幣はそうして権力と関係している、権力を誇示するものとして貨幣がある
ローマでもそうして地方長官とかが反乱する、そして自らの像を貨幣に刻むことがある
ローマ皇帝の像は刻まれるが地方長官の像を刻んだ貨幣がある 
                        
硬貨鋳造の権限についてカッシウス・ディオは「各都市は独自の造幣権や度量衡の制定権を持つべきではない。彼らは我々のものを使うべきだ」と記している。共和政期から帝国期前半においては、ローマだけで金貨や銀貨が造幣されていた。

貨幣の発行権は権力をもつものがもつ、それでGHQに戦争に負けた日本は天皇の菊の紋様の貨幣の発行を禁じたのである
つまり貨幣には権力がかかわる、これを見ても戦後日本は独立国ではない、貨幣の発行まで自由にできなかったのである
実際は様々な自由が奪われていたのである、それは敗戦国になったからである
だからトルの基軸通貨にロシアとかは反対している、IMFとかに入らない管理されないということで今も対立している
中国でもアメリカに対抗するのにドルの基軸通貨から離れようとする
だから貨幣には政治権力が常にかかわっている、貨幣を発行できるのは権力を持つものだからである
例えば地方通貨などが話題になって実行されてもその範囲は狭すぎるから普及しない、江戸時代だと仙台銭とか地方通貨があっても
それは藩内でありその外では通用しない、大きな権力下で幕府が公認しないと通用しないのである

いづれにしろドルに不満をもつ時、アメリカが富を独占している、世界から搾取して独占している、グローバル経済で株式で富を不法に集めて何兆円もの富をもつ数パーセントの大金持ちがいる、それはドル基軸のアメリカの世界支配の下でそうなっている
それはアメリカ帝国があってそうなっている、でもアメリカ国内でも格差が激しい
アメリカ帝国があってもアメリカ人は食べることが満足にできない底辺層がまた多いのである
それでこうした富の独占を許すことはできないと貧困層から社会主義者のサンダースとかが人気になっている
ローマ帝国でも常に権力争いがありそれが貨幣に影響していた、二頭政治だと二人の権力者が貨幣に刻まれていたり四頭政治とかにもなる   

日本でも宋銭の資金力が平家を台頭させたと考える「反平家」の人々や宋銭の流通によって経済的に不利益を受けるようになった荘園領主、地方武士も、宋銭とこれを流通させようとする平家に強い不満を持つようになった。
ただこの宋銭は民衆単位で便利だから権力と関係なく流通したと言う人もいる

この宋銭は青森の一三湊とか函館から大量に発見されている、それだけ日本の広範囲に流通した、この宋銭が日本の貨幣経済の端緒になった、ここでも宋銭を牛耳る平家に対して対立が生まれた

つまり貨幣が経済的合理性はないのである、だから中国であれ世界でドル一極支配、アメリカ一極支配に対抗するためユーロ―が生れたり中国でも対抗してくるのはそのためである
日本でも天皇の菊の紋の貨幣の発行をGHQが禁じたというのも本当に理不尽なのである
ただ中国の元が紙幣が基軸通貨になったらこれも不満になる、でも通貨の背後には政治が大きな権力がかかわるから従うのである
そして貨幣が金がこれほど力をもつのは貿易が盛んになるときである、外部から多くの物を買いたいとなれば貨幣が金が力を持つ
現代はまさにグロ−バル経済だから外国から無数の物が入る時代だから金が必要になる
もし江戸時代の自給自足の村だったら外部から買うものもない売るものもないとなり金の力はそんなにないとなるからだ 

とにかく海外旅行すると常に貨幣を両替したりとか貨幣に興味をもつ、ヨ−ロッパでもユーロ―になる前は国ごとに貨幣が違っていたのである、だから国を変わる旅に貨幣を交換するからめんどうだった、でもユーロ―になるとそういうことがない
でも貨幣を通じてそれぞれの国を意識することがありそこでその国の歴史に興味をもつことがある
だからお土産として自分は貨幣を記念にもってきたのである



posted by 老鶯 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年11月22日

相馬藩への越中加賀などからの真宗移民はなぜ起きたか? (その土地で暮らしが成り立たなくなっていた)


相馬藩への越中加賀などからの真宗移民はなぜ起きたか?

(その土地で暮らしが成り立たなくなっていた)


 じいちゃんのトチの実拾いの話   富山市加賀沢 

 「加賀沢、蟹寺、小豆沢、米のなる木はまだ知らぬ」という歌を聞いたことがあるだろう。神通川のずっとおくの、山で囲まれて、田も畑もあまりないこの辺りの村では、昔は、米やこくもつが、ほんの少ししかとれなかったのだよ。よそとの行き来もふべんであるし、今から考えると、笑い話に聞こえそうな話だが、食べ物に、いろいろと心配と用心をしたものだ。
 その一つが、村の家の数を決めて、それ以上、家をふやすことができないことにしたのだよ。また、家々の中で、いらない者は、皆、旅へ出してしまったのだ。もちろん、よそから来た者には、家を建てさせなかったのだよ

 じいちゃんのトチの実拾いの話   富山市加賀沢 

 栃餅は会津の山奥でも作られて今でも販売しているしうまい
 食料として山のものを利用していたのは当然であるがそれが手間なのである

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 近世陸奥中村藩における浄土真宗信徒移民の導入
 (木幡彦兵衛の覚書にみのその実態ー岩本由輝

江戸時代中期以後、農村の荒廃による農民の流亡(欠落)が続発すると、幕藩体制の根幹を支える貢租収入減少への危惧から商人や武士と違った欠落農民に対する復帰政策が取られるようになった

相馬藩の歴史で越中からの移民は大きな歴史である、何故なら相馬藩が天明の飢饉からはじまり三分の一に人口が減った、そこに今だと耕作放棄地が多くなった、その穴埋めに移民が必要になった、でも移民というとき幕藩体制では移民は御法度だった
農民を藩内にしばりつけて税をとることが幕藩体制だからである
それでそれを画策した真宗の僧が死刑になったようだと文書から説明しているのもわかる他藩に農民が流出するのは御法度であったからそうなった

ではなぜそれだけの移民が生まれたのか?
それは第一その暮らしている場所で生活自体が成り立たなくなっていたからである
もう移民して他で生活する他ないとなっていたからである
それが昔話で伝えられる、米もとれないから栃の実を食べていた、

「それ以上、家をふやすことができないことにしたのだよ。また、家々の中で、いらない者は、皆、旅へ出してしまったのだ。もちろん、よそから来た者には、家を建てさせなかったのだよ。」

家が建てられない、食料もないとなればなんとか暮らしていける場所に移ろうとする
そして移民した人は次男や三男が多かった、長男は土地をもっているからなんとか生活ができたが次男三男は農業社会で土地をもたないと暮らしていけない
こういう制限があって他者に命がけでも移るほかなかった事情があった
それは今でもヨ−ロッパなどに命がけで移民があることでもわかる
そこで相当数死んでいるからだ、その背後にそこまでして移民する事情があった
相馬藩では天明の飢饉で三分の一の土地が耕作放棄地となった
そこで移民を募ったことがあり土地が手に入れはなんとか生きていけるとなって命がけで移住して来た、だからそれを画策した僧が加賀藩とかで死刑になったとらしいというのもわかる、それは御法度だったからである
ともかく農業社会は土地がないと成り立たない、多少悪い土地でもそこで食料を作る他ないのである
それで相馬藩では加賀泣きというとき苦しくて泣いていたということが伝えられる

ただこうした移民は天保から文化文政とかまでつづいていた、幕末まで相馬藩内に移民が入ってきていたのである、天保というと天保生まれの人が明治にいた、それも青年でもいた、つまり天保は意外と明治と直結していたのである

1803(文化1年年)ー1817(文化14年)
1818年(文政1年)ー1829年(文政12年)
1843年天保14年
1868年明治1年

天明だけではない、その後も移民は幕末までつづいていたのである
天保から明治までは20年くらいである


「お天保,一枚にまけてあげます。」
はつぴ 餅か,それともカステラのやうなものか,それは忘れたが,元気の好い江戸式の法被股引の男
 かみ がかう言って触れ歩くと,大通の店から子供や上さん達が争って出てそれを買った。
 その天保銭一枚の餅は非常に売れた。私は丁度その頃,十一位の小僧姿で,よく立留っては,
指をくはへて,人々のそれを買うのをちっと見ていた。
 それにしても,なっかしい天保銭!
 はふ あの大きな小判形の天保銭! 其時分には,それ一っ投り出して簡単に買へたものが沢山あっ
あだ た。一銭に足りないので,馬鹿者,うっけ者の渾名に使はれたが実際は何うして! 中々便利
な通貨であった。豆腐,蕎麦のもりかけ,鮭の切身,湯銭,さういうものがすべてそれ一枚で間に合った。
「あの小僧,寒いのに可哀相だ。天保銭でも呉れてやれ。」
 かう言って,私は処々でそれを貰った。

天保6年(1835年)に創鋳された。貨幣価値は100文とされ、当百銭とも呼ばれたが、実際には80文で通用した。いずれにしても質量的に額面(寛永通宝100枚分)の価値は全くない貨幣で、経済に混乱を起こし偽造も相次いだという。明治維新後も流通したが、明治24年(1891年)12月31日を最後に正式に通用停止となった。

明治という時すぐに近代化したのではない、江戸時代をひきづっていたのである
寛永通宝の金まで使用していた、天保銭を使うと言うとことはまさにまだ江戸時代だったのである

天明飢饉からはじまり幕末はすでに人口が流動化していた、とても農民を一つの藩でしばりつけて税をとるという幕藩体制の租税の仕組みが崩壊しつつあったのかもしれない
民衆でも一つの時代の変化が起きていた、侍だけではない、底辺での変化が上にも影響していたのである

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戦前のマッチのラベルである、明治ではないとして天保銭をあしらったのは明治時代のつづきとして
まだ時代があったからだとなる、それだけ天保銭の記憶が残っていたからなのだろうとなる

何か私は墓地でもこの江戸時代の年号を必ず見ている
天保は一つの時代の目印である、この年号は結構相馬藩内でも多い気がした
何かあそこにあったなとみる、小高の鳩原にもあったなと記憶する
そこもかなり小高の奥地だから真宗移民が入ってきている
つまり幕末まで真宗移民が入ってきていたのである
天保生まれは明治に活躍した人もいるから遠い時代ではない身近だったのである




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2019年11月21日

心(こころ)の詩 (心はここのことー故郷喪失者となった現代人)


心(こころ)の詩

(心はここのことー故郷喪失者となった現代人)

こころはここのこと
ここに生きたから
ここにこころがある
ここに生きたから
ここにこころがある
ここにあなたと生きたから
ここに心がある
ここを離れてこころはない
こころはここに結ばれる
ここに心と心は通いあふ
いつか人はここからいなくなる
でもその人のこころはここにある
いつまでもいつまでもここにある
ここがあるかぎりその人はここに生きている
人の心はここがありて通じ合う
ここを離れて心はない
ここはいとおしい場所
いつかはみな人はここを離れる
そしてここがあるかぎりここを思い出す
それが故郷かもしれない
そういう場をもつこと
ここに心は永遠に生きつづける
ここがあるかぎり・・・・・

心はここだったとういうことは人の心はここにありその生きる場にある
そういう場があって心があるとなる
人は消える、でも場は残っけいる
するとその場からその人の生がありうる
その場に継続している、死んでもその生がありうる
でも場を離れたらもう生は消失する
場とは記憶の場所である、不思議なのは一万年前でもその場はあったのである
その場に人は生まれ生きて消えてゆく、でも場は消えないのである
国のまほろばというとき場のことなのである
それは奈良であるにしろ他にでもそういう場をみんなもっている
ただ東京とか大都会になるとそういう場は消失している
高層ビルが都会のビルの谷間が場と成りうるたろうか?
まず人ごみの雑踏には出会いがない、そもそも出会う場が欠けているのである

だから原発事故で故郷を離れてしまったときその場を失い心を失ったのである
それは金で補いないものだったのである
でも別にそこに生きて入る人はそれを感じて生きてはいなかったのである
だから石川啄木の望郷はまさに故郷をそういうかけがいのない場として心の中に浮かんで来て泣いたのである
つまり二度と故郷の場を踏めなくなったからである
それほど場とは影響している、ただ現実は場より金だとなっている
老人はどうしても場に愛着があり帰りたいとなるが若い人はそう思わないのである

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 石川啄木

これは彼の中に場の記憶が浮かんできたのである、ただ啄木は本当に早熟の天才だったからこうなった、普通の人はこんなふうにならない、むしろ窮屈な田舎から解放されていいとも思っている
ただ場所には魂が宿る、だから万葉集はそういう場の原始的感情が歌われたともなる
なぜなら必ず場所と深く結びついているからである
ただそれは現代人は故郷喪失者となって理解できなくなっている

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

草原というのは場なのである、地名なのである、この歌は本当に不思議なのである
想う人がたとえみちのくの真野の草原という遠い場所に行っても私はあなたのことは忘れませんよとなる
でも笠女郎が真野の草原の地を踏んだわけでもない、ただ遠い場所として知られていたのである
ただ万葉集には地名がよまれるのはその場を意識することが多かったためである 

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし. 

これは日本は盆地が多いからそうなる、でも海に面しているから必ずしも国のまほろばとはならないのである、みんな盆地に住んでいるわけではない
海に面して住んでいる人も多いのである
だから国というとき実は意外と狭い範囲である、小国という範囲とかになる
啄木は北上川の岸辺を思って泣いたというときそこは盆地ではなく川だったとなる

外国だとドイツだったらライン川なのである、ラインは父なる川でありそれを詩に歌っている、日本ならまず父なる川とはなりえないからである
いづれにしろ文化でも芸術でも人間は土地の産物なのである
その土地をもたない人は文化も芸術もあり得ないのである
だから東京に文化は生まれない、経済とか科学技術とかあっても文化は生まれない
文化を育む土地がないからである cultureはcultivate(耕す)だからである
ヨ−ロッパでも地方の小都市から文化が生まれた、ルネサンスが生まれた、フィレンツなどがそうである、大都会から生まれようがないのである

現代人は故郷喪失になったというときそれは生きる場の消失だったのである
何かグロ−バル社会であり広域社会でも輸送社会である
絶えず輸送している、遠くと結びつき近くがおろそかになる、近くがかえって意識しないその心はここにあるのではない、常に情報でも外国へ向いているのである
そのことから何が起きてくるのか、take place(起きる)のplaceがない
rooted placeがない、ただ場と遊離した情報を絶えずテレビであれあらゆるもので流される、でも場から離れているから実際に理解したとはならないのである   

He has a place in the country. 彼はいなかに別荘を持っている.

look for a place 職を探す. 

displace(解雇する)

別荘を家をもつことを場をもつと表現している、家ではなく家は場でもあったとなる、またplaceは職業になっている
だからdisplaceは場所を持たない人になることである
look for a place 職を探すは場所を持つ人になることである

とにかく現代人は心を失ったのはその場を失ったためである、場というのはただ金があるからは消費者になっていては場の力が働かないのかもしれない
本来は場に根付く生活になると農業とかになる、ただ農業以外でも場に根付くことはあり得る、でも商業となると遠くとの交流となるからなかなか場に根付かないということはある
ただ商業社会輸送社会になりすぎたのである、結局いくら物がいくらでも入ってきても
その物を作る人と売る人と心は通わないのである、地球裏側から果物でもなんでも入ってきてもその人と心を通うことはないのであるここがあって場があって心が形成されているからそうなる

ふるさとに老いて語るや秋となり夕日輝き山に没るかな

何か同級生がいて語っている時そうだった、故郷という場を共有して語っていたのである今や現代人が何か数字のようにロボットのように機械のようになっている、ならされている、それは場が消失したためである
場はとても地図化しても計れない神秘的なものを依然としてもっているからである
本当にその場のことは自ら踏まない限り会得しえないのである
それもその土地とか地勢とかを理解するには鉄道でも車てもできない
土地の高低などわからないからだ、峠のことなども車だと簡単に上れるからわからない
自転車だとそうした土地の高低で苦しむ、峠を越えるとなる本当に苦しくなるから体で土地のことを地勢を理解するのである
だからその土地のことを地理を一回くらい行っても理解できないのである

場所の現象学―没場所性を越えて エドワード レルフ 

これは何回も読んでその意味を深める本である

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2019年11月20日

近間の最近の様子 (相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)


近間の最近の様子

(相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)

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最近新地と相馬市で議会選挙があった、そこで気になったのが年齢だった
50代だと若い、でも新地が平均年齢が61であり相馬市も同じ61だった
南相馬市は55だから若いとはなるが同じようなものである
50代だと若いのである 40代だと相馬市に二人とか南相馬市に二人とかなる
新地では57歳が一番若いからみんな60代以上だとなる
ただ72歳が上限でありその上はいない
やはりその辺が議員になる限界なのか?ただ72歳で当選した人が次もでればそれ以上の年齢の人になる
ここにも高齢化の現象が現れている
もう議員になる成り手がいないというのも言われる、限界集落では住民が直接参加して予算を決めるとかなり議員は廃止した
まだこの辺はそれなりの人口があるから議員もいるとなる

ただこういうふうに60代以上でしめられるとそこでは若い世代の要望とかが反映されないとかなる、市町村の将来を担う人は若い人になる時こういうふうに議員も老人ばかりだとどうなるのか?
だいたい60以上になると終活とか墓とかどう死ぬかなど考える
そういう老人は将来の市町村でも担うというのに向いていないともなるかもしれない
ただいろいろ地元には詳しいので経験があるので政治を担当するということもある

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鹿島区のログハウス風の仮設住宅は壊された、万葉の塔なども壊された
何かあれはもったいなかった、何か利用じてきたらとも思った
ただまだまだ大きな仮設がありそれは壊されていない、それだけ仮設が多かったのであるこれも一つの区切りである

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次に萱浜のロボット工場は広い、あれだけの広さを他に何に利用するのかと思う
あそこは全く変わり果てて前の面影はなくなった
ソーラーパネルもしきつめられている
それで今回の台風で水につかったのかとも思った
烏崎の港の前のソーラーパネルは水につかった
あそこがあんなに湖のようになるとは思わなかった、あそこは一番低いから水がたまったのである

ただ萱浜でも低い場所にあると見た、被害はなかったのか?
電源装置を見る人が何人もいた、あの電源装置が水につかったために右田浜の風力発電の風車は今もとまっているのである
あの電源装置はもっと高い所に置くべきだったとはなる
それは原発でも電源装置で大失敗したのである
地下に置いた結果、津波で水につかり使いなくなったからだ
つまり電気は水に弱いのである、だからそこを考慮すべきだったが後の祭りだった
ソーラーパネルも安全ではない、緊急時には弱いのかもしれない
その時電気は供給できなくなる

ロボット工場の草刈りのロボットは面白かった
あのように一日動いて草を刈ってくれると助かる
何しろ草刈りは田舎では日常的な仕事なのである
その手間が労力が毎日のようにしているから大きいのである

ただこのロボットの不得意なことは斜面は草刈できない、ここは平坦な地だからできているが斜面だとできない
それは田植の機械でも縁(へり)はできない、四角な面とか平坦な地とか機械が得意だけど何かそうではない土地は苦手になる
それで中国でもコンバインで麦刈りをするがそれは人間の手でやるより千倍とかの効率になる
でも依然としてコンバインの入れない土地がありそこは依然として出稼ぎ者が手で麦を刈っていたのである
だから機械が得意なのもあるが苦手なものもありそこは人間でしかできないのである
それはAIにも言える、莫大なビックデーターを処理することとかそういうものは得意でも全部ではないのである
そこに必ず人間がしなければならないものが残る
だから人間の仕事が全部なくなることはありえないのである
ともかくこの辺は津波原発事故以後激変した
その変化がまだつづいている、あのロボット工場はあれだけの広い土地が津波で使いものにならなくなったからできたとはなる







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里は何なのかー故郷(ふるさと)の考察〈古代史より)


里は何なのかー故郷(ふるさと)の考察〈古代史より)

「地域」の「地」は、蛇がうねる土地を指すそうです。「域」の「或」は国を指す。地域や自治体は、ある意味、小さな国家なのかもしれません。小さな国家をどう再生していくのかが、みなさんの今日的課題です

限界集落の真実―過疎の村は消えるか?―過疎の村は消えるか?
http://www.jamp.gr.jp/academia/pdf/115/115_04.pdf


古代日本において郡の下に置かれた里(郷)のおさ。〈りちょう〉とも読み,また〈郷長〉と書き,〈ごうちょう〉とも読む。官人には属さないが,律令制下の地方行政機構の最末端に位置した。戸令によれば,50戸をもって里とし,里ごとに長1人を置いた

「五十戸良」とあって「さとおさ(里長)」の意味であり、万2251では「守部乃五十戸」と書いて「守部のさと(里)」と読ませている。


法師の報ふる歌一首

檀越(だんおち)やしかもな言ひそ里長(さとをさ)(五十戸長)が課役はたらば汝も泣かむ(巻16・三八四七)

檀越とは後で檀家になった、里長が一つの租税の単位としてあった
この意味は檀越が租税の対象にはならず免除されていた、でも租税されたらあなたも泣くだろうという意味である

私腹を肥やしていたことが窺える。当時の仏教界は、信仰心によって維持されたのではなく、食封を有するという特別待遇を保持するために三十年間存在していたことが分った
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/62/5/62_20/_pdf

耶麻郡猪苗代町大字堅田字壇越

山王宮再興大壇越  中務大蔵朝臣種照

猪苗代にもその言葉が地名として残っているのはそれだけ古いのかとなる
神社でも壇越という言葉があるのも仏教が神社に影響してなったか?

宗教とはヨ−ロッパでもカトリックが土地を所有していたように権力を得るために利権団体となったのである、それは檀家もそうでありカルト教団でもそうである
権力を得るために宗教があるだけになっていたのである
だからここの論文でぱ平城宮とか奈良の大仏とかでも民衆が批判していたともなる

仏(ほとけ)造る、ま朱(そほ)足らずは、水溜まる、池田の朝臣(あそみ)が、鼻の上を掘れ
これも皮肉である、僧侶が朱がたりないなら僧侶の赤い鼻を掘れということは僧侶が憎々しく民衆が思っていたのである、僧侶は利権化して私益を得るためのものになっていた批判が奈良時代からすでにあった

ここでは里が最初の生活する者の単位であった、村ではないのである
村はもっと大きな範囲なのである、日本人の生活は基本は里だったのである
それは50戸くらいが住んでいる範囲だったのである

村とは群れるから来ている、これは外来語らしい、そこには人の数を意味しているのかもしれない、人が村にいくらいるのかということになる
その数は相当に多いのである、里とは土地と切り離されずある、50戸が生活できる土地があるということになるのが里である

「地域」の「地」は、蛇がうねる土地を指すそうです

地とは土地のことであり地は里に通じている、国となると区切るから来ているから囲む土地ともなり境界が生まれる

さと、むら、くに、いち、みやことかある、その言葉の背景にはその国の歴史がある
市民ということば国民という言葉が明治以降作られた、でも日本にはその言葉がなかったということはそういう言葉の実体となるものがなかったからだとなる
なぜcitizen(市民)という言葉にヨ−ロッパではこだわるのか?
その言葉の背景に歴史があり歴史的に形成されたアイディンティティがあるからこだわるパスポートにどこの市民なのか記さねばならないのはそのためである
日本だったら市(いち)はあったとしても市民はいなかったからである

地域の域となると人工的なものとなり境が行政的権力で決められる
郡(こおり)でも郡は軍隊から来ているからである
例えば真野郷と真野里がある、郷里名ではなく里として表現している
それは真野郷となると広い範囲である、鹿島区の真野という地域は上真野まであり広いのである、でも真野里とあれば50戸が住む範囲だとなる
それは古代の常陸に真野里とありその人たちがこの地に移住して来たと思われるからである

いづれにしろ村ではなく里が日本の最小の生活単位でありコミニュティの場だったのである、その里はその土地で生活できる範囲の小世界だった、それで小国というときそういう最小単位の里が延長したような世界だったとなる

現代はもう里は失われている、その大きな単位の村でも失われつつある
それは農業社会から工業社会になったとき失われたのである
でも不思議なのは故郷というとき古里であり里なのである
すると人間はみんな故郷を失ったともなる、故郷はもうないとなる
原発事故で避難地域になった所は故郷が喪失した

でももともと浪江町の原発で働いていた人が言っていたように里とか村とかに住んでいたわけではない、東電の会社員となって2万人も住んでいられたとなっていた
だからその人は周りの田畑が草ぼうぼうになっても関心がなかった
都会人と同じとなっていたからである、だから故郷(ふるさと)とは何かとなればそこに執着するものもないとまでなる
なぜなら生活が第一であり東電で働いて生活できればいいとなるから都会に移って住んでも違和感がないとなる
そういうふうに故郷の里にこだわることはない社会になっていたのである
だから多額の補償金をもらったときその金の方が大事であり故郷には里には帰らなくなったのである






2019年11月19日

冬野に風の余韻が・・・ (冬に入る故郷を自転車で回る)


冬野に風の余韻が・・・

(冬に入る故郷を自転車で回る)

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仕事場に大工の家や冬の菊

唸りける風の余韻や冬野かな

山眠る風車のとまり田舎かな

大内や門に松古り冬の暮

蔵に松紅葉の映えて門古りぬ


今日は北風が一日吹いた、でも寒いとも感じないから気候が変なのだ
だから秋なのか冬なのかわからなくなる、まだ秋とも感じるし冬にもなったのかとも
明確に季節を感じないのである
こうなると俳句だと季語でも活きてこないとなる

何度も言っているけどヤマハの電動アシストMTB YPJ-XCだと風の中でも走れる、馬力があるし風でも走れるのである、だから今日も原町辺りを回って走って来た
人間はやはり北風でも風を体で感じることが自然に通じることである
車が風をシャットアウトする、すると自然を感じなくなる
中は居心地がいいのだか自然は感じないのである
風土を感じるという時風を感じることが風土を感じることだからそれがなくなる

そして冬は冬らしいものを感じるのがいいのだ
田舎だったら刈田から冬田となり冬野になる、それが都会にはない、ただ仙台辺りだとまだ郊外が自然状態があり冬野とはなる

人間には荒野も必要である、何もない所は聖なる場所になる
だから砂漠に神は住んだのである、砂漠が神が住むにふさわしい場所だったのである
そして冬に入り山眠るとかなり自然は休みに入る
そういう自然のリズムに生きることが人間にとって精神的にも健やかにするのである
だから「風流は寒きものなり」というときあまりにも車のように風もシャットアウトしてあたたかいとかなると自然を感じない、だから感受性まで退化してしまうのである
機械化した現代は自然への感受性が弱くなっているからだ
つまり五感が衰えているのである

例えば危機感でも感じなくなる、津波でも第六感のようなものが働いた方が助かったともなる、あまりにも機械に報道とかにも頼り過ぎて逃げ遅れたということもある
人間の動物的感が衰えたためだともなる

田舎の生活でいいのは本当は冬かもしれない、冬ごもりとかあり冬は籠っていて思索するのに向いている、本当の冬は雪国にあるのかもしれない、雪国の冬は雪にうもれてしまうその期間も長いからである
雪国のことはやはり雪国に住んでみないとわからないのである
ただそこに住んで見れば嫌になる、雪下ろしとかでも嫌になる、移住すらならそんな所にすべきではないとなる
浜通りは気候的には暑くもなく寒くもない土地だからいいとなる
ただこれから風は毎日のように吹くようになる、それで電車が遅れるのである

大内の家はいかにも古いのか?蔵はそういうふうには見えない、大内は津波の被害があったのは山の方に上った所ではない、低地だったのである
その低地に住んだ人は比較的新しく移り住んだ人と言われる
なぜならそこは湿地帯のようにもなっていたからである
古くから住んだ人は山の方高台に住んで津波の被害がなかった
だからこの家は古い家だとなる、蔵がある家は田舎では古い家なのである
街中でも蔵があったら古い家であり目印になる

ただあの家は山の陰になっていて暗い感じがする、人間は住む場所の影響がある
でも写真で見たらそうでもなかった明るい陽射しがさしている
この家は何か旧家のようにも見える、いい門構えである
ここは平地から結構高い場所である
一つの町でも村でもみんな住んでいる場所が違ってそれが心に影響していることは確かである、だから家は家自体をみることもあるがどういう場所に建っているかが問題なのである、その場所が心に影響してくるのである
あそこは何か暗い感じがしていいとも思えなかったのである
家の庭とか写真をとるのも問題がある、勝手に写真をとって出していいのかとということもある、嫌がる人もいるからである
それで庭の写真とか家をとっていたので文句言われたことがあるからだ

とにかく冬に入る、そういう季節の変化でまた人間の心も日本だと特に変化するのであるだから日本人の心は季節の変化が激しいから心も変化しやすいとはなる


盲人が復興団地の慰安に来た (大阪からでギターとか音楽での慰問である)


盲人が復興団地の慰安に来た

(大阪からでギターとか音楽での慰問である)

今日午後から駅に回ったら盲人が二人来ていた
復興団地で音楽会してし慰安したという
鹿島の復興住宅はある、浪江の人たちがシシドスーパーの隣に住んでいる
その人たちのことなのだろうか?鹿島には復興団地とか大きなものは建っていない
原町の復興団地にも行ったのかもしれない
そして鹿島駅から乗ったとなる、原町だと復興団地が4階建てとかで多いからである
そういう需要は原町だとあるからだ

ただまだそんなことしているの?

盲人が二人来るとなると手間である、案内の人が一人ついていた
ギターをもっていた
盲人は琵琶法師とかもごぜとかも盲人であり歌を歌ったりして金をもらっていた
座頭などは按摩だった、何か食べるために盲人でも仕事しなければならない
それで鹿島駅には浜吉田から按摩するために仕事で定期的に通っている人がいる

でも慰安するにしても何かかえって援助がないとできないともなる
その人は大阪と神戸の人だった、大阪の人は本当に良く来る
名取で乗り換えて仙台空港から大阪に帰る
だから鉄道は空港へのアクセスのために不可欠だとなる
鉄道と空港が結びつけば鉄道も活きてくるとなる

そこで何かおみやげがないかと言われたがここでは売っていないと言った
何か仙台でずんだもちを買いたいとかしきりに言っていた
空港で買えるだろうと言った

今日は風が吹いていたので遅れたていないかと見に行ったのである
実際原町行は10分とか遅れていた
だから仙台行きも途中で遅れるとういことがありうる
風がこれから吹くと新地辺りで止まるからだ
原町行が遅れると次に仙台行きが遅れる
それで困るのが飛行機は時間に遅れると乗れなくなるし後の便もなくなる
それが一番怖いのである
外国に行くときそれで本当に怖い目にあったからだ
乗り遅れたら大損になる、そして成田空港だと一時間以上とか時間がかかりすぎていたのである、羽田空港だと楽なのである

いづれにしろまだ復興団地に慰問に来ているのも意外だった
もう9年とかにもなる、そんな時は過ぎたようにも思うからだ
ただどういうわけで来たのか良くわからない
もしかしたら仕事として来たのかもしれない、音楽興業だったのかもしれない
ただ盲人は音に敏感になるから音楽に向いている
盲人のピアニストが脚光をあびたのもそのためである

最近は駅に昼間は寄っていたが案内はしていない、今日は風が吹いたので様子を見に行ったのである
自転車で風の中を原町まで行った帰りに寄ってみたのである

農業は自然のリズム、工業は機械のリズム (風力発電がとまり刈田となり山眠るとなった)


農業は自然のリズム、工業は機械のリズム

(風力発電がとまり刈田となり山眠るとなった)

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久しくも風車のとまる刈田かな

山眠る風車のとまり田舎かな

台風で電源装置が水につかった、それで風力発電の風車もとまった
それも奇妙な風景だった、田んぼの稲が刈られてそこは刈田となる
それが俳句だと季語になる、つまり農業だとやはり自然の一環として成り立つ
だから冬になれば刈田になり冬田となり田んぼも休むのである

ところが工業は休むことはない、休むことなく働きつづける、それで機械でもロボットでも疲れることがないのである、工業社会は自然のリズムとは違うのである
機械に人間でも自然のリズムに反して合わせる
だから冬でも休まないし機械は休むことなく稼働つづけるのである
そして人間も休むことがない、機械のリズムに合わせるのである
もう一秒単位で機械のリズムに合わせて人間も働かせられる
江戸時代までは時間は寺の鐘で知らされた、それは今の一分刻みの時間とは違う、おおざっぱなものである
第一チクチクと時計が動くのとゴーンと鐘が人間の手でつかれるのとは感覚的に相当違っている
時間はゆっくりと進んでいたのである
江戸時代と明治時代では時間の感覚も根本的に変わってしまったのである

それは明治以降人間でもそうなったのである、工業化機械化して精密な時計が作られて
その時間の単位は一分単位とかになり人間は工場で機械のようにロボットのように働かせられるようになった
その工業社会に合わせて近代的な学校ができたのである
学校とは工業社会になった時、その社会に適合させるために生まれたシステムである
だから学校は世界でもどこにでもある、それは工業社会に不可欠だからそういう集団を一律に教育するシステムが作られた

だから社会をみるとき江戸時代と明治になったときその相違を見るとわかりやすくなる
対象的にわかりやすくなる、寺子屋だと机があったとしてもばらばらなのである
学校のように並んでいないのである、先生にしても何か個別指導のようなことをしていたかえって江戸時代には自由があったとなる
それは教える科目も少ないとか明治以降の近代化とは全く違った教育だったからである
読み書き算盤ができればいいという時代だったのである
今になると私は算盤を習ったけど何の役にたたなかったとなる
教育も時代に合わないと後で何の役にもたたないとなる
それは時代が技術が変わりそうなる
今やパソコンやITの進歩で変わってしまったように技術革新がすすむと例えば銀行はもうキャッシュレスになりいらないとまでなる
つまり銀行は時代に取り残された過去の遺物となるかもしれない
そういう変化が激しいから老人はついていけなくなる

とにかく工業化とか情報社会とか社会自体が変化する、そこでまた様々な問題が生まれる現代人文明人がなぜ鬱病とかいろいろ不適合症状が生まれるのか?
それは農業社会だったら自然のリズムとともに生きていた
だから一分一秒刻みで時間に追われことがなかった、だからストレスも少なかった
現代人は体の不調と精神の不調になりやすいのである

江戸時代は仕事でも大工などでも午後二時頃までしか仕事しなかったとかなるとのんびりしていたとなる、仕事に追われてはいないのである
近代化して人間は働く機械にロボットにされたともなる
つまり機械というのは自然のリズムとは関係ないものである
すると機械は休むことなく夜でも働きつづける、電気でも送りつづける
すると昼も夜もなくこうこうと電気がついて明るく人間は眠らずに働くともなる

人間はもともと生物だからやはり自然の産物だから自然のリズムに合わせて生きるのが自然なのである、だからこそ機械のリズムに合わせるから体でも心も不調になってくる
例えば山眠るという季語は冬の季語であり山も冬に入ると眠りに入る
それが田舎だと冬は休息の時であり山が深く静まってゆくことで心の安らぎを覚える
でも都会になると冬でも眠らない、延々と働き続ける
不夜城のように人々は働きつづける、それで人々は心も不調になってくる
そういうこと文明生活自体に反逆して天才的な人はアウトサイダーになった
ニーチェとか上野霄里氏とかである、そういう人は強力な並外れたエネルギーの持ち主だから文明的機械的非人間的非自然的な生活に耐えられないのである

私の場合は平凡な人間だけど何かそうした文明生活に適合できずに遂に無職で人生を終える、それはニートとかともにている、その人たちも文明生活に適合できないから無職になったともなるからだ、ただアウトサイダーのように強力なエネルギーはない人たちである人間が自然のリズムに合わせることが本来の生である
夜は人は本当は休止すべきで眠りに入る、朝は日の出とともに働くのが心身ともにいいことでありそこに鬱病とかにはならない、自ずと自然からエネルギーをもらい元気になる

そして冬には冬の役割がある、冬は作物も育ち安いというは意外だけど実際に畑で野菜を作っている人がそのことを熱心に言っていたのでそうなのだと思った
冬はふゆー増えるだったとは知っていた、でも現実に冬は土がかえって働くのである
つまりそれも自然のリズムから生まれた言葉である
第一季語はほとんど農業から生まれている、だから冬という言葉自体が農業を実地にしている人から生まれた言葉だったのである

ただ人間は冬は休んでいいかとなると別に江戸時代でも休んでいない、どうしても毎日遊んでいることはできないから出稼ぎとかに行ったり夜なべ仕事とかもしていた
藁で草履を作ったり縄を作ったり何か金になるための仕事をしていた
農閑期は戦後も出稼ぎをしていた、どうしても金が必要な時代になったからである
それで双葉とか大熊辺りは出稼ぎ地帯で地元に住んで働きたいということで原発を誘致したのである、出稼ぎ時代というのはここだけではない全国的にあったのである
原発は二三倍の金をもらえるからこの辺では働いた経験のある人が多いのである

そもそも人間は自然から離れて東京のような大都会に住むことはもう人間でありえなくなっている、それは人工化した荒野ともなる、そこで人間は働くロボットとされる
そこで心身共に不調になるのは当然なのである
自然のリズムから離れた生活でありストレスが自ずとたまるからである
それは動物でも工業化すると休むことなく卵をケージのなかで生まされつづける
夜まで電気をつけて産まされ続けて鶏の寿命が10年あるとして二年で廃用になり肉にされて始末される、そういうことを動物にするとき人間も同じことをされるのである
だから放し飼いの鶏の卵を食べる方がいいというのもわかる
そうして産まされた卵は体に悪いというのは本当だと思う
相当なストレスをためて産まされているからだ

何か近くに鶏が庭鳥が庭の鳥がまさに放し飼いされて自由に歩いていた、そこで庭鳥が鳴く時なんともいえない解放感とか自由を感じた
ニワトリも本来はそうして自然の中で自然のリズムの中で飼われるべきでありケージで飼われるべきではない、機械にロボットにされるべきではないばのである
ニワトリはそうして卵を産む機械としてその生でも十年あるのに二年で廃用になる
そういうことは人間に跳ね返ってくる、人間もニワトリと同じように働かせられる
機械のリズムに合わせて働かされるのである
そうしてニワトリをケージに入れて玉子を産ませる業者でも嫌悪感をいだく、それは鳥籠に鳥を飼っているのともにている
そういうことは動物だけではない、人間にも適応されている、文明人は何らかでこうしてケージに入れられて飼育されて卵を利益をあげるロボットにされている

だから現代では働くことを否定する人が多くなる、それでニートか増えているのかとも思う、また働かなくてもいい環境があるから食べることができるからそうなっている
私自身も我がままだったとしても社会に文明に適合できなかったのである
だから遂に死ぬまで無職だったとなる
ただ自然のリズムに合わせて生きてきたことは確かである
その結果としてわからないにしても体が弱くてもまだ病気になったにしろ元気でいるのかもしれない、無職になることの効用としては自然のリズムの中に生きることができる
ただ危険なのは社会性を失いニーチェのようになる
社会性はやはり人間の生活で基本的に必要なのものである
自然の中で社会を離れて仙人のように人は生きることはできないし人格も形成できないのである

ただ現代文明に適合している人たちはニートとか無職を常に優越感で攻めているけど
異常である、普通だったら現代文明に適合できなくなるのが正常だからである
それで適合している人は異常化しているとなる
そういう異常な人と合ってひどい目に合ったのも自分だった
そんな人がいるのか、そんな夫婦がいるのか、何か結婚しない人が常に責められるけど結婚している人がそれほど称賛できるのか?
奇形のようになっている夫婦もいる、その人は文明社会では正常であり責められないのである、確かにニートとか無職は異常である
でもまた社会に適合して正常と思える人も異常だったのである
異常人格が形成されていたのである
だから何が異常か正常かもわからなくなるのである
文明そのものが異常として批判するのも理解できるのである

人間の価値は多様である、でも金になることしか価値あるものとして見れない
金を産まない人は無価値とされる、農業だと都会の人だったら米でも野菜でも果物でもそれがどれだけうまいかとでその価値を判断する
ところがその米や野菜や果物がとれる背景とか基盤とか自然とかは考慮しないのである
農業の本当の価値を知る者はそこに住んでいる人である
そこに住まない限りただ米でも野菜でも果物でも食べれても本当の農業の価値はわからないのである
農業という暮らしがありそれはそこに住んでみないとわからない、実感てきない
だから田舎では農業をしている人がいればその価値観を共有できるとはなる
ただ田舎でも農業をしている人は一割とかなるとまるで都会人の価値観に生きている人も普通なのである、だから原発事故で田畑が草ぼうぼうになっても全く関心がない
かえって補償金で年金のようにもらったから良かったと喜んでいるのも異常なのである

いづれにしろ自然から自然のリズムから離れて生活することは人間を奇形化する
奇形人間を作り出しているのである、それでアウトサイダーは徹底してそれを批判したのである、ただ社会性がなくなりその本人も狂気したとはなる
自分自身も社会性が喪失していて介護になり社会とかかわり苦労したことでもわかる
とにかく冬はどうしても休む時期であり山眠る時期である、だから風力発電の風車もとまっているのがふさわしいとまでなる
でも自分自身だって夜も電気なしでは暮らせないのである、こうして文章を書いたのは蛍光灯の光の下でパソコンでしているからである

農業には基本的に農作物を作るというだけではない、農業から生まれる暮らしの価値がある、でも金が払われるのは農作物である
都会の人が手に取るのは米であり野菜とか果物だけである
その農作物をとれる場所て生活していないのだからそこでの暮らしは関係なくなっているその暮らしに金を払う人はいなのである
その暮らしの価値を知るのはそこに住んでみないとわからないからである
でもその暮らしの価値に金を払われることはない
それで生業を失ったということで東電に生業を返せと裁判を起こしたのである
でも地元の人でもその農業がその暮らしを尊重していた人はまれである
戦前辺りだと本当に農業が貧乏でも苦しくても農業の価値に生きていた人はいる
それは過酷だったのである
だからこそ親に農業だけはするなとして殴られてその子供は原発や建築現場で働くようになったのである








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2019年11月18日

私はこうして田舎が嫌いになりました (農業の価値を追求してもできない時代)


私はこうして田舎が嫌いになりました

(農業の価値を追求してもできない時代)

縦書き小説
https://pdfnovels.net/n4463ce/main.pdf

これは小説というよりドキュメントである、ここは本当の限界集落であり老人しかもういない場所である、もう消滅する村である
もう跡継ぎになる子供のいる世代もいないからである
だからなんとか若い子供のいる人に来てもらいたいとしてその若い人を招いた
でも実際その部落になじめず出て行った
「村八分」にもあった、すでにそこで二組が新しく入ってきたが定着できなかった
それが生々しく語られている
縦書きだと読みやすくなっていた

農業を歴史的にふりかえれば文明そのものが農業から始まった
エジプト文明3000年も小麦中心の農業文明であり、中国文明も農業文明でありマヤ、インカの文明もトウモロコシを主食とした農業文明である
牧畜文明はあったがそれは大きな文明とはなちなかった、モンゴル帝国は文明とは言えないからだ
ローマ帝国はもともと農民から発したというのもそうである、その人たち貴族の名前に野菜の名をつけているのが多いというときもそうである
農民だから最初質実であり堅実だったが豊かになって贅沢しすぎて弱体化したとされる
そもそも人間の歴史は産業革命が起きるまで農業が主体だったのである
漁労というものがあっても農業が主体でありそれに牧畜が交じったのである
だから人間の歴史は農業を知らなければわからないとまでなる

明治維新で確かに日本はヨ−ロッパの文明を取り入れて工業化したが戦前までは8割が農民だったのである、それも小作などが多く貧乏な農民国家だったのである
それは江戸時代のつづきだったのである
戦争が終わってもそうだった、戦争の引揚者は働く場所がないからいたるところで開墾に入った、すぐ近くの小池にも開墾に入った入植者がいたのである
いくらかの土地があればそこで農業するほか生活する方法がなかったのである

そもそもてぜ満州のような所に日本が新天地を求めたのか?
それは農業するためだった、農業には土地が必要である、そこには広大な土地があり農業ができるということで満州が憧れの地となったのである、そこは寒いから農業の適地ではなかったがとにかく土地が広大だから農業的価値観だといい場所となっていた
それで日本人は米すら作っていたのである
戦争終っても今度はブラジルとかに南米とかに移住したのは仕事がないから土地を求めて農業するために移住したのである

そういう歴史をふりかえると高度成長時代から工業社会になった、農業している人は一割にも田舎でもいないのである、その女性は古い農家に野馬追に出た郷士の家に嫁いだとしても土地があっても夫は会社員であり女性もそうである
その女性はだからなんら農業の話ができない、土地は貸している、農業に一切たずさわらないのである、紙漉きもしていたというがそのことも何も伝えられていない、それを伝えてくれる人も死んでいるからである
だから何かその人と話ができない、農業に興味があっても一切農業のことは知らないのである、農家に嫁ぐことは昔は相当に嫌がられてみんなサラリーマンに憧れて嫁いだのである、その家には姑もいないから楽なのである

ただ私が農業のことを言う時、農業を実地にすることではない、農業を通じた農業の暮らしがありその暮らしの価値を求めているのである
それは何か限界集落に田舎に住みたいという人に共通している
都会は東京などは嫌だとして田舎の自然の中で暮らしたいというときそうである
農業には確かに米と野菜を作りそれで生活するということがある
それと同時に農業から生まれる暮らしがありそれが価値となるのである
その価値は工業から生まれる価値とはまるで違ったものなのである
自然に密着したものになるから自然に通じるものだから都会の工業社会商業社会で暮らすのとは全然違ったものになる、その人も最初は星がきれいだとか田舎の風景に都会にないものを感じて良かったと思っていたのである
ただ姑息な田舎特有の人間関係とかに嫌気がさしてまた都会に帰ったのである

結局はそれは自分自身の矛盾でもある、農業的暮らしの価値をもとめてもそこで実地に農業することは別なのである、田をするにしても水をひくにしてもそこに人が必ずかかわりその人の関係があまりにも濃密になるのでうまくいかない
第一若い人が必要だとして招いてもよそ者を嫌っているからだ
田舎ではよそ者を嫌う、そして農業だと三代つづいて一人前とかされる、それで仲間になれる村の一員になれるとか旧弊な世界なのである
そこで幅を利かすものはそこに代々住んだ人であり草分けとかである
その人の指導がないと農業はできないからである、だからそういう人達の機嫌をそこねては暮らしていけない、それでこの辺では越中とかから来た真宗系統の移民が悪い土地を開墾して苦しんだ、その人たちはなぜ飢饉の後に来たのか?

そこには飢饉のために放置された土地があったから

農業社会では土地が最高の価値あるものだったからそうなった
そしてわざわざなぜ命がけでも来たのか、土地が与えられて農業できるからだとなる
越中から命がけ移住する理由がありそれは強いられたものだったのである
それで相馬藩内に定住するようなったとき相当に苦労した、
苦しくて加賀泣きということが伝えられている、泣いていたということである
この限界集落に来た人もないていた
でも別に今はそんな苦労する必要ないのである、その人たちはもう故郷には帰ることができない、だから我慢すぴる他なかったのである、帰ったら藩から罰せられて死刑にされるかもしれないからだ
つまり簡単に限界集落で田舎の生活がてきるとして移住したとしても嫌だったら都会に帰ればいいとはなちなかったのある
なぜ田舎に定住できないのか?それは別に強いられないからである
人間はあえて苦しい方を選ばないのである、苦しい方を選ぶのはそう強いられたからである

ただ今になるとそうして都会の若者でも田舎に憧れる、それは都会的生活が嫌になっているからである、農業とか田舎を求めるのもは自然と密着しているからそこに憧れる
農業の暮らしの価値を求めているのである
農業の田舎の暮らしの価値は都会の価値とは違う、収入は少なくても時間がゆっくりとすぎてゆくとか自然とともに暮らすとかある
そういう暮らしの価値を求める、農業というのは何も米とか野菜を作るだけではない
それにともなう田舎の農業の暮らしの価値がある
だから飯館村では山菜料理が定番でありそれは山から山菜をとってそれを食べる
その山菜は無料なのである、それが都会に出て行ったときその暮らしが失われたから淋しいとなっている、つまり生業を返せとして東電を原発事故で訴えたのはそういうことがあった

ただそういう農業の田舎の暮らしの価値は具体的に金になったりしないから農業だけだと貧乏になっているから農業はしたくないとなっていたのである
私が知っている援助している畑で野菜を作る女性は実際はそこで何もとれない
ただ農業の話を聞いているだけである、なぜか勝手に草むしりされた金を要求されたとか何にもそういう人がいる、そして金を払わされる、一年でなんだかんだで10万とか払わされている感じにもなる、実際そこでは何もとれないのである
これは本当である、そこで聞かされるのは周りとのいざこざである、盗まれたとか鳥に虫に食われたとかネズミに食われたとかキジに食われたとか農薬だ肥料にかかる、種にかかるとかそういう話を聞いているだけなのである
ただ畑をするにしても実際は周りとの関係が必要なのである
趣味のようなものでも必ず畑で仕事することは隣がありその人間関係がめんどうなのである
だから隣の人が嫌だとしてその人が死んだ時喜んでいたのである
田畑は本当に孤立してはできない、密接な人間関係があってできるのが農業なのである
だからもう限界集落のような場所ではとても都会で暮らしていた人は適合できない
それよりもうそこには子供もいないし跡継ぎもいないからまさに限界がきて廃村までになる

ただ田舎という時農業の暮らしの価値があることが見逃されている、現実に田畑がなくなったら田舎ではない、そこに田畑があり暮らしがあって田舎なのである
ただ自然の中に家があるだけだったら田舎ではない、その農業の暮らしの価値があり
ただ田畑で米を作ること野菜を作るだけではない価値がある
だからそういう暮らしがなくなったら田舎の価値もなくなる
だから飯館村で山菜料理が定番となるとそれが山の村の暮らしなのである
それがなくなったとき淋しいとなるのである
でも原発事故以後飯館村は福島県で収入も最低だったが公務員の給料でも上がっている
補償金などで財政が豊かになって学校とか施設は立派なものができてもそこに今までの山菜をとるなどの生業としての暮らしがなくなった
そこは外から見ても価値がなくなった、残念だとなる
ただその土地に住む人はかえって金が入って新しい家も建てた人がいて良かったと思っている人もいる、だから外から見るのと実際にそこで生活するのとは違っているのである
ただ正直飯館村の価値はかなり失われてしまったことは確かであり残念だとなる

とにかく農業の暮らしの価値を知らない関心がないというのは田舎に住んでいておかしいとなる、浪江の原発で働いていた人は全く農業に関心がないから事故後でも年金など老人はもらえないのに金をもらって良かったとしているのである
回りが草ぼうぼうになって田畑がなくなっても関心がない
それはすでに田舎に住んでいても都会人になっていたのである
今は農業社会でないから田舎でもそうなっても不思議ではないのである
今は電気社会でもある、電気がエネルギーとするときそれが重要になる、仕事も電気関係が多くなる、原発で千人も電気関係の人達が仕事をしていたことでもわかる
そういう社会では田舎でも農業の暮らしの価値を認める関心がある人は少ない
ただうまい米を食いたい野菜を食べたいとか果物を食べたいとかあってもその暮らし自体の価値を認める関心がある人は少ないのである

ただ原発事故以後耕作放棄地がこの辺では増えたというよ小高と浪江だと元の原始の状態にもどった、草ぼうぼうの荒地化した、その土地を利用する人はいない
するとその土地をかえって外から来た人でも利用しやすい、土地を集約して大規模農業にしやすい、それだ小高では農業会社ができて会社員として雇う、そうなると限界集落で一家族が入って苦労することはないとなる
農業はやはり土地を得ることが最初の関門だからそうなる
だから原発事故周辺は何か新しいことをしやすいとういこと反面ある



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2019年11月17日

洪水で注目された中小河川 (川を考えるー川とともに人間の生活があった)


洪水で注目された中小河川

(川を考えるー川とともに人間の生活があった)

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地理的一体感をもつ領域

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クリック拡大−南相馬市の河川


今回の台風で注目されたのは中小河川である、田んぼの中を流れている小川でも氾濫して砂がでてきたというのも不思議である
そんなところにも砂があったのかとなる、山からも砂礫となり砂が出て来た
普通は砂をみかけないのである、大きな川には砂州とかあるら砂はあっても小さい河川だと砂が見えないのである

そしてそもそも砂がどうしてできたたきろうかとなる
それは岩がいろいろ作用を経て砂になる、岩が風化して石になりやがて砂になってゆく
でもそれをイメージすると岩がそうして石になり砂になってゆく過程はその時間は億年とかなる、その時間のスケールが長いからイメージできなくなる

その砂から植物などの有機物が苔などが交じり土となる、その過程にも時間がかかる
海岸の砂浜は川が運んできた砂でできている、つまり山にも土にも大量の砂が含んでいるそれが川の水が運んでくる、そうして扇状地ができる
そこは人間にとって暮らし安い場所だから人口が密集するのである

川で今回注目されたのは無数の中小河川だった、それがあふれて被害になったのである
丸森でも阿武隈川は決壊していない、そこに流れている中小河川の堤防が決壊して被害になった、それから大量の土砂が山から流れて来たのである
だから日本の国土には無数の川があり特に中小河川がある
それが山が多いからそこに水が蓄えられて川となり流れてくる

そしてその川にそって田んぼができる、水が川から供給できるからである
つまり川が田んぼを作り村や街を作る、ただ日本の川は大陸の川のようち長大ではないから輸送には使われない、ヨ−ロッパの都市は河によって作られた
川が輸送のためにあり荷物が運ばれるから商業都市ができてその都市と都市が川で結ばれていたのである

日本の特徴は今回の台風の洪水でわかったように無数の中小河川がクローズアップされたことである、だからそんな中小河川が危険だと自覚していなかったのである
真野川は二回大きな洪水になった、堤防が決壊して二回氾濫した
それで私の家は街で一番低い場所にあるので二回を床上浸水の被害になった
その後川幅を広くして堤防を強化したので氾濫しなくなった
でも今回は危険な状態だったのである

洪水はダムでは防げない、高の倉ダムはすぐに満杯になり放流した結果、被害になった
緊急放流して8人死んだ所もあった
また溜池も決壊して被害がでる、つまり溜池でも満杯になり決壊すると被害になる
それはダムと同じだからである
人間は自然の力を制御できない、それは津波でも証明された

原発事故でもそうだった、津波でも東電では十数メートルの津波が来ることを予想していた、でもその対策ができなかったのは人間側の都合だった
コストがかかるとかいろいろ考えてできなかった、そんな人間側の都合など自然は考慮しないのである、そこに人間の力の限界がある

人間は自然を計ることはできない、計られ存在である
いろいろ計ってみてもそれがうまくいかないのである、原発にしても本当にそれを運営するには超人間的なスーパーマンにしか運営できない、そういう人がいれば運営できる
いろんな専門家が集まっても政治家でも官僚でも科学者でも学者が集まってもできなかった
そしてそこには必ず金の問題があり金をかけたくないとなり津浪対策もしなかったのである、それは人間側の都合でありそんなことを自然は見ていない
そこに容赦なく自然の力が襲いかかってくる

結局洪水を防ぐにも多角的な対策が必要になる、ダムがあるから安全ではないしかえって緊急放流で危険になった、堤防の強化も必要だとか避難を速やかにする対策とかいろいろある、何かそうして総合的に見ることが大事なのである
ただ人間社会は総合的に見ることが苦手なのである
第一もう人間社会自体総合的に見れる人はいない、それはスーパーマンしかいない
それで対策不可能になっているのだ

郷土史というときこれも何か人間の歴史だけではないその土地の歴史を知ることでもあるただ郷土史というより私の探求していることは郷土学だとなる
これは総合的な学問だということを知った
地質学でもなんでもあらゆることが関係していたのである
一科目ではない、あらゆるものがかかわるものが郷土学だったのである
だからとても一人では追及できないものだった、そこに限界があった
私は科学的知識が欠けていたから余計にそうなったのである

まず身近な川を知るにしても川は一つのものとして下流からでも上流へとさかのぼらねばならない、すると全体としての川を知ることになるがこれも大変なのである
常に人間は断片として地理でも土地でも社会でも見ている
川全体を見れないのである、ても川でも地理でも全体を見ることが必要なのである
土地はつづいていて全体としてあるからだ
だから飯館村で放射性物質のフレコンバックが雨で流れだしたという時それは南相馬市に流れて来る、飯館村の放射性物質は真野ダムにたまり南相馬市にも流れて来る
他にも川がありそれを伝って流れてくるのである
だから別々のものとして市町村でも区切られないのである
そういうふうに断片的に部分的にのみ自然でも社会でもみるとそこに必ず問題が起きて来る、ただ人間は総合的に全体的に見れない、視野が常に狭いのである
そこで問題を解決できないのである

とにかく川というとき大きな川には注目している、小さな川には注目していないかった
でも地図を見ればわかる無数に中小河川がまるで血管のように流れている
その中小河川にそって田んぼができている
そういう風土として日本があった、川でもそうだが大きなものは注目するが小さいものは注目しない、でも小さい川も自然の体としてみるとき毛細血管のようにあり自然の中で機能していた、そういうふうに人間は自然でも全体を見れないのである
自然は全体でありなんでも全体として作用してくるのである
体でも一部分が病気になることは全体が悪くなり一部分が悪くなる
人間はトータルな思考ができない、それが人間の弱点でありそれで失敗する
原発事故だって誰もその全体を知るものはなかった、原発とは一見自然と関係していないようで関係していた、津波でも安全対策として必要だった
それを東電では予想していたのに対策しなかっただけなのである

現代は複雑化して専門化して全体を見る力がなくなった、郷土学というときそれは全体を見る学問だった、一地域でも相馬藩としても広いからである
全体をみたとき地域的に見たとき何か相馬藩は歴史的にも伊達藩と対立したが宮城県の方と地域的にはつながりが深い、阿武隈高原にさえぎられて福島市とかは視界に入らないからである
それと海を通じて宮城県とつながることが津波の被害でわかったのである

海底谷は日本の周辺にたくさんありますが、 じつは東北地方にだけは大きな海底谷を見つけることができません。
陸上には断層も多いのにまるで海底が調査できなかった時代の地形図のように川は海岸線で終わっているのです、これはいったいどういうことでしょう
その理由は東北地方の沖では絶えず海溝型の大きな地震が起こってるためです
地震が発生すると斜面にたまった堆積物が不安定になり地滑りや斜面崩壊などが起こります、そのため大量の堆積物が陸上から流れ込んできて海底の断層を埋め尽くしていまい、海底谷が見られないので

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藤岡換太郎. 川はどうしてできるのか 地形のミステリーツアーへようこそ (ブルーバックス)

このスケールも時間的に空間的にも億年とか地球の大陸が分離する前の川が海に残っているとかなり川のドラマを語っている
ここで注目したのがいかに東北地方とか三陸辺りとかがもともと地震の巣になっていた
そういう危険な場所だったのである、ただこうしたとてつもない地質学的スケールとなると人間は見れなくなる
ただ津波でそういう危険な場所だったということを自覚させられたのである
だから川と海も分離したものではなく地球は一つの総合体だということを知るべきなのである
posted by 老鶯 at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月16日

原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた (蔵王も鹿島区からまで見える地理)


原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた

(蔵王も鹿島区からまで見える地理)

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南相馬市鹿島区右田から見える蔵王


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朝日さし紅葉の映えて水清し

冬晴れに太平洋を我が望み牡鹿半島に金華山見ゆ

隠されて滝一すじのひびくかな冬に入りにき奥の山かな

高倉の公会堂に松一本冬に入るかな流れ清しも


南相馬市の原町区のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた
新地からは見えていた、冬晴れだから見えた
あそこは絶景ポイントだった

それから蔵王は八沢浦から見えていた、でも今度鹿島の右田浜からも見える
それは松原がなくなっため見晴しが良くなったためである

こうして実際に住んでいて見える場所が一つの地理の世界圏内を作る
福島市は阿武隈高原にさえぎられて見えないのである
吾妻山は霊山の方に行かないと見えないのである

だから福島県の問題は地理的一体感がもていなことなのである
むしろ仙台の方が交通的に便利だし地理的一体感がある
なぜなら海を視界にすると原町からも牡鹿半島と金華山が見えたからである

例えば船で航海する時必ず牡鹿半島が見えて金華山が見える時まず船で迷うことはない
必ず目印となるものが見えるからである
だから古い時代から船で行っても迷わないのである

蔵王が見える所も一つの地理的一体感がある、いつも見えるとそれが親しくなるからだ
山形県は遠い感じがするが蔵王が見えるということで一体感が生まれる
地理からすると会津は別世界になっている、だから福島県はハマ,ナカ、アイヅとあると地理でも違っている、浜通りからすると阿武隈高原でさえぎられて浜通りは閉ざされている
目の向く方向は仙台方面なのである、人間的にも仙台に移り住むとか結婚するとか人間の交流が多いのである

浜通りが阿武隈高原によってさえぎられる、視界がさえぎられる、でも仙台とか牡鹿半島とか金華山は視界に入ってくる、そこで地理的一体感をもつことになる
だから地理的一体感というとき県で区切るのは無理だとなる
ただ日本の地形は山に囲まれた盆地が多いからそこが一つの地理的一体感をもち国の感覚をもつ、小国というのがそうなのである、これは山に囲まれたまさに小さな国なのであるその小国というのが全国に多いからそういう地理と風土の国だとなる

高倉の公会堂の前に松一本があったのもあっていた
あそこも前は放射能被害があり荒地化して若い世代は流出したとかあった
今度は洪水で被害があった、ただそういう村は昔からつながりが強い
でもあとから入ってきて住んでいる人もいるだだろう
第一そこで山里の生業自体がなくなっているからである
高倉は橲原とかともにている
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高倉の公会堂

2019年11月15日

南相馬市原町区高倉の台風の被害 (川の流れと土手の関係ー土手が強固だと守れる)


南相馬市原町区高倉の台風の被害

(川の流れと土手の関係ー土手が強固だと守れる)


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片倉から馬事公苑に行く高台のソーラーパネル

なぜこんなふうに曲がったのか?

風で曲げられたのか?

水には濡れていないから直せくるけどこれも台風の被害だったとはなる

横川ダム

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大量の土砂が流れだしていた

高倉の被害

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 牛舎がある所が一番被害があった

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小さい橋はいくつか破壊された 
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奥の一軒家への道


水無川を下る

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水の流れが強く当たる場だったのか

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  土手が破壊されて住宅地に水があふれた



横川ダムから高倉の方へ回った、横川ダムでも回りの細い流れから土砂が大量に流れ落ちていた、自転車だから行くことができた
丸森でも被害が大きかったのは今回行けなかったが川の上流でありそこに大量の土砂が流れて来たのである、今回はいたるところ中小の川があふれて土砂が砂とか石でも流れたのである、その被害が大きかった
おそらく一時に大量の雨がふって土砂が流れた

高倉の水無川は二か所ほど決壊していた、上流の決壊は写真ではわからないが
実際に見た感じでは橋の所に流れがぶつかり圧力が増して決壊した
橋の下には土手の下に家があったが辛うじて助かった
その土手は広く厚かったのである
流れもまっすぐだった、その下になると土手は低くなり橋の所で決壊した

橋の所で決壊しやすいのか、橋で水がさえぎられるからなのか?
ただ上流の橋は橋の下になっていた
ただ流れが関係して土手が壊れた

だから確かに土手がしっかりしていないと破壊される
下流では一段と土手は低くなっていたのである
そこから水があふれて住宅地に浸水したようである

高倉ではダムを放流したことで被害になった、住民はそれを知らなかったとなって問題になった、緊急だからダムの放流は危険である
ダムというのも洪水を防げない、小さいダムはそんなに水をためる能力がないからだ
それでダムの放流で死んだ人もいたようだ

今回は中小河川が意外と危険だった、ほとんどあふれて田んぼにも土砂が流れたのであるこの高倉から水無川は新田川に流れ合流する地点で新田川の土手をあふれて4カ所くらい越水して半分土手が削られた、その土手は厚い広い土手ではなかった
またコンクリートで表面を強化していなかった
高倉の土手はコンクリートで強化していた

いづれにしろ今回の台風の被害は意外だった、これほどの雨がふり被害になるとは思わなかった、それは中小河川でも大量の土砂を石ころでも流した結果だった
木も倒して根こそぎ流したのである、それはまさに山津波というものだった
津浪でも木も根こそぎ流されたからである

横川ダムの道は一部破壊されて通行止めになっている
でも車が通っていた、道路を管理する車だろう
自転車だと別に道が悪くても行ける、マウテンバイクだと悪路でも行ける
とにかく自然も草と花とかも根こそぎ流された
これも回復するのに時間がかかる
自然はある時猛威をふるい流れを変えてしまう

ただ津波を経験すると丸森に行っても何かたいした被害でないと見てしまう
津浪だと家ごとなくなり人も二万人近く死んだとか村ごと消滅したとか被害が桁違いだったからである
だから津波の被害と比べると小さく見えてしまうのである





posted by 老鶯 at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

日本はモノマネ国家であり中国もパクリ国家である


日本はモノマネ国家であり中国もパクリ国家である

(独創的な創造的な人間が育まれない国)

パナソニックという会社は、かつて松下電器産業という社名だったが、昭和の時代には、よく「マネシタ(真似した)電器」と揶揄されていた。トヨタも今でこそ、レクサスといったブランド商品を出せるようになったが、米ゼネラル・モーターズの自動車を参考に製品の開発を続けてきたのは有名な話である。

パナソニックに限らず、日本企業の多くは、欧米企業がヒット商品を出すと、すぐにそれを真似して(今の言葉で言えばパクって)、より安い価格の製品を出すというのが定番商法だった

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2019/08/post-78_2.php

良く日本では中国をパクリ国家だと攻めているけど日本もそうだったのである
ただマネシタ電気と松下電器が言われていたというのは知らなかった
何か日本の電器製品が売れたのは日本の技術力が高いから売れたとされていた
それで日本を誇る人がいた、技術者とか科学者は今でもそうである
日本は技術力で優秀だとしている、それが疑問なのである
戦争の時もアメリカのことを知らない、どれだけ巨大な国なのかもしらない
それで日本がはアメリカに負けないとして戦争になった

その時庶民はアメリカのことなど情報も入ってこないのだから知らない
テレビも何もないのだから知らない、ケネディ大統領が暗殺されたときようやくテレビが普及して外国の情報が映像で入るようになった
つまり映像で情報が入るとインパクトが強くなる、アメリカではすでに戦前でも車が普及していたとかその生活ぶりがテレビで写されればアメリカの見方が違ってくる
外国は実地にその国を踏んで見ないとわからない、だから今でも知識人となる要件が
外国で暮らした人であり学んだ人なのである
そこで日本という国を客観的に見れるからである

日本は科学技術でノーベル賞もとっているから優秀なのだという奢りがある
そのことで何か日本が画高度成長時代を築いたのもそうして科学技術が優秀だったからだとしている
それはマネシタ電器というように欧米のマネであり日本独自のものではなかった
それが日本独自のものと奢るようになった
それが明らかに原発事故に通じていたのである

原発を操作する技術は日本にはなかった、それで湯川博士がまだ時期が早いと反対していた、原発を操作する技術は日本になかったけど無理して導入したのである
そしてアメリカも安全性を無視して古い原子炉のマーク1を売りつけたのである
たいがい後進国には武器でも古いものがお古が売りつけられる
明治維新でも南北戦争で使った古い銃がアメリカから入ってきたとか中国だとロシア製の古い銃とかか売りつけられるのである
そこに武器商人が活躍する素地があった

日本は科学技術に関してはみんな欧米とかから学んだものであり独自のものはない
ただ文明は必ずその国にとどまらず伝播する、ギリシャ文明にエジプト文明の影響があったとかヨ−ロッパ文明にイスラムの文明の影響があったとかなる
日本では中国文明のコピーだとか言われる、だからものまねが別に悪いことではない
そういうふうにして文明はグロ−バル化したからである

日本の高度成長は運が良かったのである、戦争に負けて軍備に金を使う必要があまりなかった、外交でもアメリカに守られて楽な立場になっていた
それで経済のみに集中できたのである、そして電機製品が売れたという時それは日本独自で造りだしたものではない、モノマネだったのである
ただそのモノマネが悪いということではない、外国のものを改善したということもそれなりに日本的優秀さを発揮したとなる

ただ日本人には何か発明能力には欠けている、イノベーションが苦手である
アメリカを見ればわかる、エジソンをはじめ発明の国だからである
ヨ−ロッパでも本当になぜあれだけ天才が多いのか?
それがアジアとの大きな差である、科学技術でも欧米が発明したものでありアジアで発明したものではない、だから中国の経済発展も日本の高度成長と同じだったのである
欧米をまねて日本をまねて発展した、そこに独自に発明したものはないのである

それで今になると日本の電器製品を韓国でも中国でも作っていることをみればわかる
そうなれば日本の製品は売れなくなる、そして日本はまた貧乏国にもどったというのもわかる、もし真似できない日本独自の製品だったらこうはなっていなかったからだ
ただマネすることが悪いことではない、学ぶとはまねることだったからである
ただそこから創造する力に日本は欠けていたのである

その創造する力がどこから生まれてくるのか?
それが問題になっているのは最近盛んにそうした創造力が大事になると言われるからだ
AI化でも機械化できるものは機械化されて仕事がなくなるというのはその仕事がコンピュターでもできるからである、事務でも法律でもできるとなれば一体人間の価値はどこにあるのかとなるからだ
そこで問題になるのが創造力だとなる、その創造力をどうして育まれるのかとなる
日本でもモノマネ国家だというとき国自体にそうした素地がない
天才とか独創力のあるものを育てる素地がない、同調圧力が強く平均的人間を作のは得意でも独創的な人を育てることができない社会なのである

だから教育にしても平均的な人間を作るには効率的だったが独創的創造的人間は作れないシステムである、だから欧米の教育と日本の教育では教育の仕方が違うとなる
ただでは欧米のように独創的創造的人間を作れるのかとなると簡単にはできない
それは歴史的伝統の中で育まれたからである
それに宗教も関係していてキリスト教だから科学技術も発展したとも言われる
その関係は詳しくわからないにしろ何か総合的なものとして文明が生まれているからである

日本にもそうした歴史文化伝統があるとして何か美的な分野ではある
日本語が外国語と比べてそういう独自なものがあるとして訴えたのが林秀彦である
日本語には美的な要素が感性的に優れたものがあるというのは日本の風土とかに育まれたからだろう、それで短歌とか俳句のような独特なものが生まれたのである
ただ科学技術面ではもともとそうした素地はなかった
第一科学技術という時西洋文明がギリシャ文明が生まれたことでもわかる
そこが基となり科学技術が生れて来たからそれが発展して現代のアメリカ文明まで通じているからである

いづれにしろ日本が再生するにはそう創造力独創力だとするとき平均的な大量生産に適した規格化された人間を作ることではそうした力を生みだせない
ただそういうことは一朝一夕にはできない、では中国があれだけの大国だからできるかとなるとそれもできない、やはりアメリカのパクリであり独自のものがないからアメリカが怒るのである、それで結局中国も日本のよに高度成長があったが今では行き詰まっていというのは同じなのである
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2019年11月14日

冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)


冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)

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枯枝に山鳩とまる里に老ゆ

晩菊に陽さしなごむや里に老ゆ

この里に耕す女や朝の菊

しっとりと菊の濡れにき常の道

鮮やかに渡りの鴨や今朝の川

秋の蝉余韻やここに我が座る



●兎追いし故郷

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川

夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき

雨に風につけても
思ひ出づる故郷

故郷というときこの歌が有名である、故郷は古里なのである、この里というのが日本独自の世界なのである、それは外国語に訳しようがないことでもわかる
田舎だとcountryであり村だとvilligeで一応訳せる、でも里は訳しようがない日本独自の生活空間なのである
それで里山資本主義とかの本が出たりする、里山というのも里の延長としてある
里とは生活共有の暮らしの空間である
兎追いしというときそこに野生の動物も生活できる空間が里の延長にある

実際私が住んでいる場所は里ではないけど回りには田畑がある
つまり田畑がないとそこは里にならない、だから都会にはもう田畑がないから里がない
まがりなりにも田畑があり自然でも動物でもたまに出て来たり小鮒釣りしとかメダカとかも生息できる小川とかがある場所なのである土手の道は毎日通っている、買い物で通っている、そこに休む場所がある
そしてそこで秋の蝉の声を聴いていた、その蝉の声がやんだときその余韻はそこに残っていた、そしてそこには兎もでてきたのである
街に近いからここまで出てくるとは思わなかった、ただ回りの山には兎は来ていた
だから兎は結構みかけるものだったのである
ここまで兎が来たのはおそらく原発事故以後荒地が増えたためである
荒地だと動物にとって隠れられるからいい場所なのである
前は自然の小川が流れていてそこにどじょうとかメダカとかもいたのである
今はコンクリートの水路になり失われた
なぜか鮎が川から消えたのも不思議である、これはここだけではない、鮎が消えている川が多くなっている、これもどうしてなのかわからない。

今年は季節の変化が激しかった、秋でも暑い日がつづいた
今日は最初は東風か南風だった、それから北風になって寒くなってきた
北風が吹けば本格的な冬も近いとなる
風を感じることも季節を感じることである、車だと風を感じないから季節感がなくなるのである、あまりにも居心地いい空間がそこにあるからそうなる
「風流は寒きものなり」というときやはり寒さでも肌で感じて季節を感じなければ風流もないのである、風流とは風の流れとあるらだ

●農業社会から工業社会へ大きく変容した世界

日本人の故郷意識が変容したというときやはり農業社会から工業社会になり生活形態が大きく変わったためである、原発事故はそうした大きな時代の変化の中で起きたのである
なぜなら農業では生活できないとして原発を誘致した
原発で働く人はこの辺では本当に多かったのである
飯館村は遠いから関係ないと見ていたが実際は原発で働く人がいたのである
それは金になるからである、普通より倍とか金になるからである
だからたいがい原発でこの辺では働いていた経験がある人が多いのである

正直里とといっても牧歌的なものとしてイメージしているが実際に生活するとなると過酷になる、動物も共生するのがいいとしても畑ではネズミだ鳥だキジだとか動物に野菜を食われることで常に損害がある、だから自然の動物と共生するとしてもむずかしくなる
せっかく苦労して作ったものを食われてしまうからである
それから田舎の仕事は草刈なのである
知っている女性は草刈を頼んでいる、すると草刈りをしたいと申し出る人が次々にでてくる、草刈してもらうと金を払うことになる

それが馬鹿にできないのである、他でも草刈りしている部落の人がいるがそれは補助金が出たりしてしている、田舎の主な仕事が草刈なのである
どこかで毎日草刈しているからである
その畑は何も収穫がない、てもそのまつにしていると耕作放棄地になって草ぼうぼうになる、今その土手の道の畑の半分は荒地になっているからだ
それが全国で増えているのは畑で何か野菜でも作ることが手間でありかえって肥料だとか種だとか金がかかるからやめてしまうのである

自分のようにただ畑をみている、そこで花が咲いているのを見ているならいい、でも実際そこで畑で仕事するとなると苦労ばかりになる
だからなぜ日本から昔の故郷のイメージもなくなってきたのかというと農業社会から工業社会とか他の仕事に変わったからである
農業とかに従事している人は一割にもみたないからである

でも日本人が村とか里とかが故郷となりそこがアイディンティティの場所だったことは間違えない、ただ村となると実際は相当に広い範囲だったという指摘があり里とはそれより小さな日常の生活空間である、だからこそ外国語に訳せない日本独特のアイディンティティの場だったとなる

●津波原発事故以後の変化が激しかった

とにかくこの辺は変化が激しすぎた、風景も津波原発事故後も大きく変わった
今でも突然新しい街がいくつか生まれという感じになる
なぜなら大熊で選挙がありその選挙のために投票をしてもらうために来ていた
だからこの辺には原発事故で避難した人がすでに相当数住んでいる
もう二割くらいはそうかもしれない、それで駅で話してみると本当に外から来た人が多かったのである、少しでも話してみるとすぐに外から来た人はわかるからである
でも実際はどういう人達が住んでいるのかわからないのである

そして土手の道の畑の後ろにはまた障害者の学校ができる、それも大きいと思った
とにかくまた障害者というのも日本全国で一千万人近くいる、それはどこの市町村でもいる、これも相当な負担なのである、それから今度は高齢者が増えて医療費とか福祉とかで負担が増える、そういうふうに福祉の負担は増すばかりなのである
そこは社があり田の中にあった、それは豊作を祈る神が祭っていたとなる、その社も障害者の学校で残っていてももともとは田んぼの神だった、それから他でもダイユーエイトのある場所にも田があり田の神が祭られていたがその田自体が今はなくなった
こういうふうになるのは都会だったら無数にある、東京の神田とかそうである、もともと田がついていれば田があった所なのである
東京にも里があった所だともなる、それが全くわからないが神社だけが歴史の記念として残されているだけなのである
その田の神様も次は都会化すれば商売繁盛の神に変化するのである

いづれにしろ「枯枝にとまっていた山鳩」はその畑で見たのではない
でも山鳩は鳩は平和の象徴である、そして枯枝となると枯木となると老人をイメージするつまり里に老いるというとき何か鳩のように平和に暮らして里に死んでゆくのがいいとなる、ただこの里は必ずしもここだけではない、故郷だけではない、故郷は父母をイメージするが里は日本のどこにでもあった風景だったのである
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮―芭蕉」これと通じるものがある、枯枝とか枯木は老人をイメージするのである
ともかく人間はそうした里であれ場所とのつながりを失ってきたのである
そうさせたのは何だったのか?
それを原発事故とかで延々と自分は考察してきたのである
この辺は特に鳩の平和がなくなっていたのだ、激変してしまったのである

●里と田園の復活再生

里の復活、田園の復活があっ故郷がありうる、だから浪江の街中に住んでいた人はまわりに田畑があっても関心がなかった、別に東電の原発で働いていれば良かったとなる
それで金になるから生活もできるから良かったとしているもの理解できなかった
そして浪江が二万人も人口があったのは原発があったからだとしている
田畑などその人の眼中になかったというのも異常である
そういう人は東京に住んでも都会に住んでも違和感を感じないと思う
回りの自然とか田畑に関心がないからである、だから工業地帯に住んでもそこで生活していても違和感を感じないとなる
それが何か異常なことでも異常でなくなる、おそらくこの人だけではない、田舎に住んでいても農業とかに従事する人が一割にもみたないとなると人間の感覚はそうなってしまっても不思議ではないとなる

日本人から日本の国土から里が消失したときその時日本人の心も喪失してしまったのである、そういうことが原発事故にもつながっていたのである
原発は高浜町のように金に目をくらませるものだった、だから金に踊りそれが事故につながったともなる、そして故郷に古里に里に住めなくなったとなる

ともかく町の近くにいつも行く所に里があったということを発見した
そこは平凡な世界だけど奥深いものがあった、そこに人間の生がありそこが死に場所としてふさわしいとまでなる
そういう狭い世界に日本人のアイディンティティがあった、ただそれが手放しですべていいとはならない、様々な問題の場所でもありこの世に桃源郷とかはない
それはあくまでもイメージされた場所であり現実にはないのである

●里は悟(さと)る世界から来ていた

もともと「いも」は、いわゆる「山芋(やまいも)」のことであった。それと区別するために、「里で栽培される芋」の意味で「里芋」と呼ばれるようになった。
奈良時代には「芋」を「うも」といい、家の芋という意で「いへつうも(家つ芋)」、平安時代以降は「いへついも」「いへのいも」と呼ばれた。里芋と呼ばれるようになったのは室町時代末期とされる。

里とは山と区別して里が生まれた、山芋は山で採れたし今でもとれているしイノシシとかの食料になっている
それが里で栽培されるうよになって里芋になった、家芋もあり家で栽培されたからそうなった
最初は山芋でもあ家で栽培されて家の芋になり次に里の芋になった
とすると里が生まれた経過は家の延長として里が生まれたともなる
だから里と村とは違ったものなのである、村は一つの大きな共同体だが里となるとまず家から始まったとなればそうである
家の周りが里だとなるからだ

また言葉の不思議がある、里(さと)があり悟る(さとる)がある、これが悟るとか関係しているのか?
里とは狭い範囲でありそこで悟るということがありうる、悟るとはわかるということである
狭い範囲だからわかるということに通じている
人間は家とか家の延長の里とか村とかだと自分の血肉のようになり悟るとなった
こうして私自身が狭い範囲で悟ったものを書いていることでもわかる
範囲が広くなると理解できなくなる、まずグロ−バル化するともう理解できないのである
いくら物が世界から入ってきても悟ることはない世界なのである
そこに様々な問題が生まれてきてどうにもならなくなるのである
なぜなら互いに理解し合う悟ることができない社会だからである



abstract garden and flowers

abstract garden and flowers

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black flower

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perple flower

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energy of the sun

2019年11月13日

人間は時間をかけないと何も育めない (猫も親しくなるのに7年くらいかかった)


人間は時間をかけないと何も育めない

(猫も親しくなるのに7年くらいかかった)


我が家に猫のなつきぬ側にいて78年すぐ冬に入るかな


この猫はあまり自分によりつかなかった、別に私自身がこの猫を飼うということでもなかった、いつのまにいついた猫である
一時汚したりしたから怒ったりした、それで恐れて隠れる
一時は一か月もいなくなった、何か家にいつかない外に出る猫だったのである
しょっちゅう家を留守にしてぶらついては帰ってきていた
今でも触ることはできない、嫌がり逃げるからである
そこまで親しくなっていないのである

ただこの猫は一か月くらいいなくなったときもう帰ってこないと思った
でも帰って来たのは尻尾が誰かによって燃やされたのである
そこで尻尾からずっと血がでていたのである、最近は血はとまっみたいだ
何か猫は家を汚されることがあり嫌な面があった
だからこの猫はいつも縁の下とかで隠れることが多かった
でも餌をやっているから一応家からは離れずにいたということである

猫の不思議は最近は家にいて自分の側にいることが多くなった
するとなついてきたのかと見る、でも触ることはできない、逃げるからである
猫は何か家にいると人間のように思えてくる不思議がある
だから猫や犬を飼う人がいるのは一人で暮らす人が増えたということもある
猫を十匹飼っている女性もいる、それも福祉の世話になっていて金がないのに餌を与えているのである、それは迷惑になる

猫とか犬を飼う人が多いのはなぜか?それは犬とか猫は従順なのである
かえって人間より素直だと感じる、人間はなにかとうるさいし逆らうからである
子供でもそうである、猫と犬は飼い主に従順なのである
それで何か猫や犬をかわいがる人が増えたとなるのかもしれない
つまり現代の人間は従順なものがない、結婚しても夫に従順に仕える女性などいない
だから離婚が多いのである

ただ犬猫でもおそらく子供の時から飼っていれば親しくなる、それは人間でも同じである動物は親がいなくなると何でもいいからついてゆく習性がある
親でないものでも親だと思ってついてゆくからである
だから子供の時から飼っていればなつきやすいことは確かである
私の場合は成長してから飼うようになった、ただそれが自分でぱ積極的に飼うということではなかった、いつのまにいついたという感じなのである

人間は親しくなるには子供の時が大事である、だから兄弟でも姉妹でも一緒に育たないとしたら兄弟という感覚がなくなる、いくら血がつながっていてもそうなる
親しくなるには時間がかかる、猫でも7年くらい自分の場合はかかっている
だから人間は親しくなることは簡単にできない
そてし人間の生きる時間は限られている、だから親しくなれる人間は本当に少ないのである、老人になると旧知の人とか過去に親しく人とか同級生でもまた親しくしようとするのは人間はそんなにいろいすな人と時間をかけて親しくなれないのである

江戸時代辺りだと人間はあまり移動しないから濃密な人間関係があり親しくなっていた
現代人は広域的にグロ−バルに移動する社会である、するとどうしても親密な関係を作りにくいのである
なぜなら江戸時代のように狭い場所で村のようなところで暮らしていれば自ずと時間をかけて親しくなれるからである

だから不思議なのは熟年離婚とか増えるという時ではその後に親しい関係が男女でも作れるのか?それが疑問なのである、第一また親しい関係を作ろうとしたら時間がかかるからである、猫でさえ7年以上もかかったということでもわかる
人間だったらもっと時間がかかる、お手伝いさんだと十年くらい勤めていると家族のようになり信頼できるとされる
それだけ信頼するには親しくなるには時間がかかる

人間の問題は何でも時間がかかることなのである、何かを理解するにも時間がかかる
それで少年老い易く学成りがたし・・・となる
そしてみんな何か成し遂げようとしても時間切れで終わっているのだ
英語でも話せるようにしておけばよかったと後悔してもその時間がなくなっている
つまり人間は金の価値も大きいにしても時間の価値の方がさらに大きいのである
なぜなら百億円あっても時間はもう買えなくなるならからである
あと十年生きる時間をくださいと言っても時間だけは買えないのである
生きる時間は尽きてゆく、実は日々時間は何をするにしても尽きてゆくのである
そして二度とその時間が返ってこないのである

だから認知症になると過去の記憶に生きている、でも現実にそこに共に暮らしていないと離れていて一年に一回とか来る子供のことがわからなくなる
記憶から消えるのである、名前さえわからなくなる
私の場合は60年一緒に暮らしていたから家族がひどい認知症になっても忘れなかったのである人間は離れて暮らしているとその人のことがわからなくなるし信用もてきなくなる何しているかもわからなくなる、去る者は日々に疎しとなってしまうのである

人生の問題は時間が限られていることなのである
若い時は無限に時間があると感じられる、でもすでに30過ぎると急速に老いてゆくことがある、40才すぎると白髪でたりする、そして40になるとおっさんとか呼ばれるようになっいるのである、女性ならおばさんになっているのだ
だから時間が過ぎるのが早いのである

結局人間の問題はいかに時間を有効に使うかの方が大事になる、いくら金があってもその金の使い方で時間を浪費する、時間ほど人間は無駄にしているものはいない
つまり金がなくても時間を有効に使う方法はあった
私が旅したのは別に金がなくてもできた、時間があったからできたのである
自転車旅行になったときはテントだから宿代が無料だから金がなくても時間があれば旅はできる、そして今の旅行は交通費とか宿代にも食事にも金がかかりすぎるのである
その金をかけたわりには旅はなくなっているのである
旅人は現代ではいない、ただ保養とか食事でぜいたくするとかになってしまう

ただ金だと十円でも百円でもそれを失うと何か大きな損したと具体的に思う
でも時間を無駄にしたことを損したと自覚できないのである
時間などいくらでもあるとか若い時は思う、だから時間に対してシビアにならない
そして必ず時間を浪費しているのが人間なのである
老人になるともう時間がない、あとは死ぬだけだとなってしまうのである
最後は時間が切れて万事休すとなるのであく
時間がなくなることが死でもあったのだ、人生百年となると生きる時間をのびるからいい面ではある、でもまたいろいろ問題がある
人生百年ですら短いと思う、もちろんそこまで生きてみないとわからていことがある
時間はやはり限られているのだが人間は時間を一番無駄にしている浪費しているのである

人生は何に時間を費やしたかで決まる

いくら天才でも一人の個人が知ることでも成すことでも限られている
それぞれの人生はみんな違っていてそれは何に時間を費やしたかで決まるのである
その人の才能や向き不向きがあっても仕事でも時間を費やしていれば会得するものがある
それで入社して10年でその将来も決まるというときその若い時の十年間で身につけたものが将来を決めるとなるからである
それで若い日に神を覚えよというときもそうである
若い時しか神を覚える、知る時がないということは今になると恐怖である
なぜなら若い時はたちまち過ぎるからである、享楽にうつつをぬかすのも普通である
そんなことに若いエネルぎー浪費していたら放蕩などしていたらとりかえしつかない
その貴重な時間が浪費されて返ってこなくなるからである




紫式部(平安時代の短歌)


紫式部(平安時代の短歌)

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朝日さし紫式部に黄蝶かな

落ち着くや岩に寄りにつ秋薔薇

the one rock
by the rose
in autumn
I calm down

たまゆらに朝舞いさリぬ冬の蝶


平安の殿にしあれや御柱の太しくありて秋日さしいる

紫の衣や奥に女御かな廊を渡りて秋の夕暮れ

姉と母我が家をともに支えにつ60有余年その重みかな


紫式部という名がもともと小紫とか植物の名前としてあった、それが宮中に仕える女性の名になった
日本は一つの言葉にしても名にしても歴史がある
奈良時代だと万葉集があり平安時代になると宮中文化になった
平安時代は京都中心の文化が華開いた
そこに千年の都が生まれたのである

家というのはやはり人間にとって大事である、大きな家はやはりそれだけ住んでいると重み生まれる、自分の家は昔風の大きな家なのである
姉がいつもこの柱は橲原(じさばら)の木を切って作ったのだよと自慢していた
何か歴史でもそうだがそうして建物でも残っていないと昔が偲べなくなるのである
日本は木だから長持ちしない、石だと3000年前でも残っている
そこに日本が歴史を忘れやすいのである
継続した歴史があるきだがそれが忘れやすいのが問題なのである

天皇家だけは日本ではその歴史を保存したという役割があった
天皇制がどうあるべきかは別にして文化と歴史の保存の役割をになってきたことは確かである
現代に欠けているのはそうした文化なのである
東京に来て日本の文化を感じるものがないのである
ただ即位の礼では不思議に秋柳とか秋の虹とかで日本の文化を感じたのである
それは落ち着いた日本の美が反映していたのである

今年は秋なのか冬なのか季節の感覚がわかりにくい、寒くなったから冬であるが何かまだ秋という感じにもなる、季節感覚がずれてしまった

絵の才能が全くなくても切り取りして合成してゆくと絵になるのも不思議である
本当にartとは技術だったのであく、才能がなくても技術でアートにできるとなる
一羽飛んで消えたのは冬の蝶だったとなる、でも赤とんぼが飛んでいたりまだ秋にも感じる

いづれにしろ日本文化、国風文化の時代になってゆく、明治維新は外国文化を取り入れた奈良時代であり次に高度成長時代は経済の時代だった
でも次は文化の時代になる、平安時代の国風文化になる
だから新たに日本の歴史を見直す作業が必要になる
新しい価値はもう物ではなく文化的なものになる、中国でも爆買いではなく日本に求めるのは文化的なものになっている
ただ日本には歴史でも文化があっても物として建物でも残っていないので外国人でもわかりにくいとなる、城にしても再建されたものであり当時のままに残っているのはほとんどない、それで歴史の重みが伝えられないということがある
何かきれいなのだけど博物館のように見えてしまう
ヨ−ロッパなどでは石の建築物だから当時のままに残っているから歴史の重みを伝えられるのである