2019年11月10日

天皇は維持できるのか? (日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)


天皇は維持できるのか?

(日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)

国民国家というものは、「歴史の法則」などによって、必然的に生まれてきたものではないんですね。
 北アメリカと西ヨーロッパに続けざまに起こった二つの革命によって、偶然に生まれた政治形態です。それが、世界中に広まったのは、国民国家の方が戦争に強い、という理由があって、国民国家にならなければ、生き残れなかっただけのことです。
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=27808
 
 江戸時代には誰も日本国民と意識しない、領民でありその藩の藩主に殿様が君主だった
不思議なのは地方では天皇をどう意識していたのか?
天皇がどういう存在だったのか?ほとんど意識していなかったのではないか?
ただ無数の社が神社があるからそこでは祈り祭りが行われていた
でもそこから天皇を意識することはなかったろう

天皇を意識するようになったのは明治以降なのである
地方の神社でも国家神道化して天皇を意識させられたのである
江戸時代は寺の方が幕府の御用商人とか御用学者とか優遇されていた
寺は人別長とかあり戸籍係であり役所と同じだったのである
公務員的性格があった
その寺が明治維新で廃仏毀釈となり神社が優遇されるようになった
つまり神社側が江戸時代は不遇だからうらみをもっていてそうなったとかある
つまり宗教というのも利害で動いているのである
カルト宗教団体でもほとんど御利益宗教である
何か利益があるからとそうして団体に入り利益や利権を得ようとする
それは仏教側でも神社側でも同じだったのであ

明治以降は天皇が異常なほどに権威となり権力ももつようになったからである
天皇の神道が国家神道になったのである
これは民主主義とか人権主義とか近代国家となるものとは違ったものとして日本国家が成立したのである
それはヨ−ロッパなどの外国と対抗するために日本独自のものがあり天皇がそこで国をまとめてヨ−ロッパの列強に対抗しようとしたのである
つまり明治維新から太平洋戦争は日本の歴史として連続したものだった
だから太平洋戦争は明治維新を知らないとわからない、太平洋戦争の原因は明治維新にあったからである
欧米列強の植民地化の抵抗として明治維新もあったからである

だから国民国家というのは日本でも天皇を君主としても同じだった
なぜなら国民国家にならなければ対外的に対抗できないからである
日本には侍がいたのだから別に幕府だけでも外国と欧米列強と対抗できたのではないか?それだけではできないから国民国家になることが強いられたのである
それで西南戦争で侍の存在を継続を主張して戦ったのが明治政府が編成した国民軍だったのである
その時薩摩長州と戦って負けて辛酸をなめた会津の侍も国民軍として参加していたのである、そしてその国民軍として編成された侍でない人たちが侍集団に勝ったのが西南戦争だったのである 

侍だけではとてももう対外的にも対抗できないし日本国内でも平民が集結した国民軍が侍集団に勝った、その時日本は軍隊でも国民国家になったのであ
国家とか国民とかはそうして対外的に一致団結して戦うために生まれたのである
それはヨ−ロッパとかでも同じだったのである
東南アジアがヨ−ロッパの列強によって植民地化されたのは日本のように一致団結して国民国家として対抗できなかったからである
それは中国でも同じである、中国は共産党が指導して国民国家にして中華人民共和国が生まれたのである

明治以降の天皇は対外的にヨ−ロッパ列強と対抗するために日本独自のものとして復活したのである
天皇は日本国民を統合する力として強力に働きそれは太平洋戦争まで継続してアメリカに負けてその日本国民の天皇の霊力というか神聖性は崩壊したのである
現人神(あらひとかみ)信仰は戦争に負けて神通力を失ったのである
そして政治は政教分離になったが依然として日本では天皇は残ったのである

戦後は天皇の神聖性は失われた、天皇と平民とは同等だという感覚にもなっている
平成天皇が膝間ついて国民をねぎらっている姿がそうである
もう誰かが特別神聖で偉いとか世界的にもなくなったのである
どこでも王室でも皇室でも特別な存在と見ていない、国の飾りのようなものになっている今回天皇になった令和の天皇でもそうである
どうしてあの人が天皇なの?そう感じる、何か特別なものをそこに尊敬すべき敬うべきものを本当に感じているのだろうか?
ただ天皇家に生まれただけでどこが偉いのだろうかとなる?

明治維新からは権力で天皇の権威は押し付けられていたのである
日本の歴史が中心となる皇国史観になるのも世界でぱ特殊なのである
だからグロ−バル化したとは何か違和感を感じるのである
その統治形態は日本独自のものだから維持すべきだということもわかる
その危険性はやはり宗教がかかわっているからかもしれない、宗教という権威がかかわると政教一致となりそれが危険になる

創価だと教義自体が王仏冥合であり仏教と政治が一体化する、完全に政教一致であり
それで何かというと政治でも経済でも罰あたるとか地獄に落ちるとか言うのである
それは脅しにもなる、それが権力をもつとどうなるのか?
それが戦前のように天皇を現人神(あらひとかみ)御真影として拝礼してそれに逆らうものは特高がきて刑務所に送られるのである
宗教と権力が一体化するとそうなるから政教分離が生まれたのである

でも日本では国家を統合するものとして天皇が存在し続けた
そこには意味があった、対外的にヨ−ロッパ列強と戦うためには国が一つとならねばできない、内戦していたらそこにかならずつけ入れられて国力がそがれて植民地化される
分断されて支配されることになる、そのことが最大の恐怖なのである

つまり例えばアメリカ軍が撤退すると強大な中国が侵入してくる
ロシアも侵入してくる、そして日本が分断されることが一番怖いのである
その分断されたのが韓国でありシリアとかの惨状なのである
そうして弱体化した国は世界の草刈場になり国自体がシリアのようにめちゃくちゃになりそうなると国民自体がもう悲惨なことになる
そういう恐怖がまた実際に迫っている
それがこれからの最大の恐怖である、それを若い世代は真剣に考えねばならない
日本はだから統合して外国に対抗できる力を持つべきだとなる
そうしないと日本が韓国化してシリア化することが恐怖なのである

天皇は日本の歴史ではそういう政治的中心として役割があった
だから天皇が二人になった南北朝では本当に地方の田舎のすみずみまでその傷痕を残して語られている、それだけ内戦化することは国自体を疲弊させるのである
そもそも私の住んでいる地区ももともと南朝であり国府だった霊山城が燃えて落ち延びて来た子孫が住んで作られた町だったのである
だから天皇が日本にいなくなったらそうした内戦状態になり終始がつかなくなり国自体が滅びて外国の支配下に入る
ただその外国と対抗することで極端化したのが天皇制があったためだと反面なっていたのである

要するに天皇という問題だけではない、日本がこれからアメリカ軍が撤退して日本だけで独立維持して中国とかロシアとに対抗できるのか?
そのことがこれからの最大の問題になる、それは明治の時から富国強兵になったのはヨ−ロッパ列強と対抗するためだったからである
もし国内で分断したら日本は植民地化されて外国に支配されていたのである
そういう歴史がカルマとして再び日本はそういう立場にたたされる
日本の国は中国やアメリカのような大国でもない、また韓国とか他の東南アジアのように小国でもないのである、そこに日本が中国に対抗できる、ロシアにも対抗できる
戦争の時はアメリカにも対抗できるとなったのである
それは身の程知らずになった原因でもある

でもどうしたらアメリカ軍が撤退したらどうするのか?
それは今や遠いことではない、何年後かもしれないのである
そういう変化の時代に来ている、ただ日本国の実情はそういう対外的な厳しさに対抗できない、何か国全体が衰退しているというか経済力だけではない、軍事力だけではない
何かモラル的にもその強固さを失っている
明治維新の成功は何だったのか?
それも世界の不思議だとなる、それはその中核に日本の侍がいたからだともなる
明治維新を成したのは庶民ではない、侍だったからである
侍というのが志士となりまた明治政府でも敗れた側も侍でありその人たちが新しい日本国家を作ったのである
ただ国民国家となったとき日本はすでに侍はいなくなっていた
明治だと内村鑑三とか侍出身であり武士道とキリスト教の一致があった
何かそうして日本的なものとしてキリスト教も受け入れられてきたのである

いづれにしろ天皇制は維持できるのか?
それはむずかしくなっている、でもそれでは大統領制で日本は治められるのか?
それもかなり混乱してくる、
結局キケルゴールの言うように近代とはあらゆるものが水平化するから同列化するから
これまでの王様でも天皇でもそうしたものによる統治はむずかしくなる
要するになぜあの人が天皇で偉いのとなる
あの人はただの人間にすぎないとなるからである、つまり人間の平等化の力は凄まじいものがあるからだ、そしてそれが悪い方になるとポピュリズムとなりファシズムともなったのが近代国家だったのである
そういう矛盾が現れてナチスでも現れたのが20世紀だったのである
国民国家がかえって熾烈な戦争となり何千万とか死んだのである   
国民国家もまた悪い面としても働いたのである

ただアメリカ軍が撤退するというのは極めて厳しい現実であり日本はそれにをと対処するかは強いられる、決断を迫られる、そういう大きな変化の時代に直面している
それと天皇が維持できるのかできないのかもリンクしているのである
これからの日本は相当厳しい選択とかが迫られる、大きな時代の変革か迫られる
そのために津波とか洪水とか天変地異が起きているのである




posted by 老鶯 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

相馬市へ秋から冬の俳句短歌 (相馬市の城下町には柳が似合う)


相馬市へ秋から冬の俳句短歌

(相馬市の城下町には柳が似合う)

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( 山上)

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秋日さし山上に一服碑も古りぬ

山岸の社の石段秋の蝶

社一つ古き碑並び秋薊

柿なりて山岸に見ゆ塩手山

社一つ山岸に古り柿なりぬ

山里に変わらぬものや松に柿

とおすみのここに死になむ社かな

山上に紙漉き沢や冬に入る  

(黒木)

北風や館跡ここと地に記す                         

柿なりて新地の道や昼の月

風荒し初野に朝散る木の葉かな

(相馬城下町)

秋薊相馬六万石の城の址

相馬市の鉄路の脇に秋柳

田町にそ夕月光り冬柳 

田町にそ長々しだれ冬柳 

(初野ー山上) 

風荒く初野の奥や家のありまれに来たりて木の葉吹き散る

山上の稲は刈られぬ我が休み塩手山見ゆ親しき山かな
   
山上の巌を打ちて出水の流れひびきぬて橋は壊れぬ

今里の社に草むし埋もる碑や秋の日さして我がたずねけり

朝日さし街道の松の影さしてあざみ点々城跡に来ぬ

銀杏の木古りて根付きぬ冬の日や杉の木もここに齢を重ぬ

北風のうなり吹きつけ黒木城その跡ここに恨み残しぬ

出水の後に満月こうこうと知らず輝くうらめしきかな  

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諏訪神社

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グーグルマップのストリートビュ-でこの柳が見えた

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山上では山岸という所に日吉神社があった、日吉神社は相馬藩に多い
それは南北朝にさかのぼり霊山城が燃え落ちたとき落ち延びた落武者の末裔がもたらした神である
その基は南相馬市の鹿島区の日吉神社にある
山上には紙漉き沢があるからここでは紙漉きが行われていた
紙漉きは水がきれいな所で行われていた
それも冬なのである、だから仕事としては厳しかったのである
石神地域でも紙漉きが行われていた、それは越中などからの移民が伝えた紙漉きだった
なぜなら越前には越前和紙という有名な和紙の産地があるからだ

初野というとき相馬の城跡の後ろの山から広い地域になる、さらに山の方に広がっている地域である
初野とは初めて開けた土地という意味である
だから後から開墾されて人が住んだとなる
ここで地名が合っている、地名と地勢とかが合っているとそこがなじみやすいのである
初野から山を越えて丸森まで行く道があるけどそこは七曲の坂が続く道なのである
とにかく初野という地名が自ら行って回ったことでその地理を会得したとなる
まずこの地理を知ることは近くでもむずかしいのである

相馬市の諏訪神社の銀杏の木と杉の木は貫禄がある、樹齢も百年以上とかなっているだろう
この神社は松川浦から500年前頃遷宮したとありそれだけ古いとなる

 (黒木城跡)

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 この地域は伊達領と近い。当然のことながら、戦国最盛期になると、相馬氏と伊達氏との勢力争いが激化することとなる。お互いに周辺の小勢力を併合していけば、最後は激突せざるをえない。伊達氏領に近い位置にある黒木城は、対伊達の要塞として順次整備されていったことだろう。現在見られる、堅固な二重堀といった構造は、そうした時代を背景に組み上げられていったものだと思う。 

黒木城は伊達との境目辺りにある、新地との境目辺りである
新地は相馬なのか伊達なのかまぎらわしいのである、実際は伊達氏の領域だったのである黒木氏はそういう狭間にあった城だった
この城はなかなか良く作られた城であるとここで説明している 

(相馬城下町)

いつも不思議に思うのは相馬市である、それは原町と比べるとわかる
相馬市は小さいにしろ城下町だったからそうした雰囲気があるのかしんみりとする街なのである
原町の歴史は浜街道の宿場町であったのは鉄道の駅から相当離れている
でも原町機関区になり明治以降発展した街である
だから街の作りがそもそも違うのである
相馬市は城下町のままであり城跡を中心に作られたままである
駅前通りがあっても駅前通りが新しく作られたのとは違っている

それでなぜか、柳が合っている街に感じる、長々と柳がしだれている、それで洪水にはなったが鉄道の脇に柳があった
そこを鉄道を通っているのをきづきにくい場所だった
でもこの鉄道と柳がまたあうのである、鉄道には何か不思議に街と一体化するものがある
風景と一体化するのが鉄道なのである、車にはそういうことがないから嫌いなのである
鉄道の歴史そのものが古くそれも影響している、だから柳が相馬市の城下町にあい鉄道にも調和してある
相馬市は城下町らしく何か近代的ではない、古びたものを感じる
おそらく高いビルなどがないものも影響している、公共の建物を入母屋式の古いものにしているのも城下町の風情を造りだしている
だから何か柳が合う街なのである、田町の柳は大きいから見ものである
ただ新しい街並みは何かそぐわないともなる、古くて何か道も車の通らないような昔風だと情緒的には良かった
新しくしたのはいいが昔の田町を偲ぶとはならない、ただあの大きな柳だけは昔風なのである
つまり相馬市は柳がにあう街であり藤の花が似合う街だとなる 

ともかく洪水とか台風も二回来て俳句とか短歌をプログに書けなかった、こういうときみんな困っているから俳句短歌などは出しにくい、それで津波の時はしかられたということがある
ただ一つは記録として残すということがある、それは後世のためにその時どういう状況だったかを記録するのである
それが郷土史となる、今回は津浪とは違っていてそれで台風の被害でプログに出していないのをアップした
丸森に行った時は北風が吹いて楽ではなかった、でもヤマハの電動自転車は馬力があり走り安いから風の中でも行けたとなる
この自転車は機動力がある、道が悪い所でも行けるので何か取材するのにはいいと思った