2019年12月21日

キャッシュレス社会は避けられない (スーパーのカードを落としたら残金は返ってこない)


キャッシュレス社会は避けられない

(スーパーのカードを落としたら残金は返ってこない)

スーパーのカードをなくしした、そのカードには8000円分くらい残っていたのである
でもその金は返ってこない、でも不思議なのは記録されている
チュージした分とか誰かが拾って使ったらその分が記録される
でも無くすとこのカードのチャージした分が返ってこないのである
これは何かおかしいと思った、他では記録されているからカードをなくしても残った分は使えるというのもあるからだ  

そのカードを誰も使わなかったら得したのはスーパーだとなる
何かこれもおかしいなと思った
残った分の金が記録されていればその残った分の金はまた入金させてそのまま使えれば
カードをなくしても損にはならない、そういう仕組みがないのである
これはキャッシュレス社会になるときおかしいと思った
何か人間は手間をはぶきたい、スーパーでは金を自動入金してお釣りがでるようにしたけどキャッシュレスになればその手間さえ必要なくなると思った
とにかく人間は手間を省きたいのである
コーヒーを入れる機械を買ったがこれさえ水を入れたりめんどうだと思った
そう思うのは自分の場合梶ですることが多すぎて困っていたからである
給仕という仕事があったことを知る、お茶入れが仕事の人がいた
機械化自動化しないとそこで人手が必要となる


カードだと誰々が使った分が何々でいくら払ったとか記録される
通信販売のアマゾンではそういうことでその人自身の買い物からその人の特性を知りうるそれで何かその人にふさわしいものの買い物を提供する
自転車用品を買ったならその方面の商品を提示できる
キャッシュレスの買い物はそういうふうになる
ここのスーパーのカードはそういうものではない、いちいちカードに金をチャージして使う、でもその人の使った分とかは記録されていない、実際は記録していてもカードをなくしたらゼロになりまた新たにカードを買うほかないのである

つまりカードとかネットだとあらゆることが記録されることに強みがある
だから別にカードをなくしてもそこに残った分はまたカードを再発行して使えるようにすればいいとなる、落としたり無くしたり盗まれたりしてもすぐに無効にして残った金額を使えるようにする、ゆうちょでも銀行でもすぐにカードをなくしたら使えないようしているからだ
この点はスーパーのカードは不備であり完全なキャッシュレスとは言えないとなる
ただ趨勢としてはキャッシュレス社会に否が応でも向かっている
その方が便利だからである、そして意外と安全なのである
金を持ち歩く必要もない、カードを持ち歩いても落としても盗まれてもすぐに連絡すれば他の人は使えないし金が盗まれることはなくなる
もちろんそれでも金を盗まれたり何か問題が起きるがその方が全体的に安全になる 

今や金が数字化している、紙幣とかコインは消えるのが趨勢である
それが社会にとって便利だからである、そして意外と安全でもある
老人はなれないとしてもやはりそういう社会に適応する意外生きる道がなくなる
コンピュター化社会は記録社会なのである
コンピュターはあらゆることを記録する能力が抜群なのである
人間は記録することが苦手である、すぐに忘れやすいのである
だから買い物でも何を買ったかいくら買ったとか記録しないと忘れる
でもレジでは自動的に記録されるのである
コンピュター社会は記録社会なのである
逐一買い物しても記録される、道を歩いていても監視カメラが記録している
記録されることからその人を判断できる
だからコインとか紙幣とかが消えてゆく、それが問題あるにしろそういう社会になることはさけられない、なぜなら中国ではそうなっていて世界でそうなっているからそれに通じなければ買い物すらできなくなる
現実にスマホを使えない中国の老人は買い物すらできない、子供とか孫同伴で買い物しているというからだ

例えばブロックチェーンがわからないにしろ互いに記録し合うシステムなのかもしれないコンピュターだと記録しやすいからそうなる
そしてインタ−ネット社会は膨大なものを記録する社会である
ビッグデーターの時代である、そこで知識が情報が爆発的に増える
その情報知識を活用するのが現代の情報社会である
不正があるにしても証拠が必要になる、その書類が問題になる
でも記録されていればそれが証拠になり追求できる
ただコンピュターは簡単に記録でも消されるということがある

でも誰かが別なコンピュターに記録する、他の人も記録する、するとそれが証拠になる
例えば犯罪者でも目撃者が二人いれば有力な証拠になる
でも一人だと間違いがあったするから証拠になりにくい、そういうシステムがコンピュターだと作り安い、証拠というときどうしてその証拠を手に入れるのかそれが最大の問題になる
キャッシュレス社会は情報化社会とインタ−ネットととも連動している、それが社会拡散してきて必然的にそうなったのである
たから楽天とかがキャッシュレスに参加している、スーパーキクチでも楽天のエディとかで支払いできるとかなる
それで自分も検討することになる、ただ自分はスマホをもっていないから不利なのである

いづれにしろ年末に8000円でも損失だった、何か大きな得があったが小さな損が頭に残る百万とかでも失った時、意識しないことがある
だからかえってし大きな金は国の予算などでも相当な無駄が常にある
余りにも額が大きいからその金が無駄に使っても意識できないのである
結局年忘れといっても金のことは忘れられないのが人間だった

年忘れ金のことは忘れざり

ただその金のことを考えて道路で赤信号なのに自転車で渡り危険だった
つまりその金のことよりその金にこだわることがかえって危険だったとなる
命落としたらもともこうもないからだ

元も子もない

〔「元」は元金、「子」は利息の意〕
利益ばかりか元手まで失う。何もかもすっかりなくす

こういう諺にも人間が積み重ねたものとして今も活きているのである

国際金融資本家に強奪される日本の富 (富は紙幣から生まれない、本当の富は神(自然)によってもたらされる)


国際金融資本家に強奪される日本の富

(富は紙幣から生まれない、本当の富は神(自然)によってもたらされる)

人間の価値は多様である、何が価値を生むのか?
農業だと土地が資本にしてもこの土地を活かすことがいかにむずかしいか苦労しているかそれは九州くらいの土地が耕作放棄地になっていることでもわかる
そこには人間の労働が智慧が必要なのである
それを簡単にはできない、そこでノウハウを積み重ねてできる
果樹園でもそうである、果物を作るのに相当なノウハウを積み重ねている
だから農業は家族が継承するのがいいのだがそれもできていない
何かこういう経済危機では農業がいいとしているがこれがそんな簡単なものではない

知人がわずかな畑で苦労していることが書いたがそこに投資しても数十万しても何もとれていないのが現実なのである
活かすべき土地は日本にある、でも活かすことができない、資源となる土地は今はあるがそれができない
農業は機械化しても労働力が一番の問題になる
何かパートのような仕事なら時給で雇うことができる、農業はその土地に根差して長期的にしなければ収穫がないのである
だから農家は農家の家族で継続してやるのが有利になる
ただ他から外国人でも収穫の時など労働力として働かせることはできる
でも基本的に農業は継続しなければ実りはない職業なのである

株の暴落だとかバブルの崩壊だとか預金封鎖とか騒がれる
実際にそういう銀行家が農業をしていたというから農業が見直されるのはこういう時代だからである、金より食料があれば現物が価値になる
戦後の食糧がないときは農家に食料を得るために都会の人は苦労した
高価なものでも食料と交換するほかなくなっていたのである

ただ経済というのは自然災害とは違う、ある程度見通せるものである
それは人間が行っているのであり自然ではない、株価暴落は自然災害ではない
それは国際金融資本家が意図してパブルを作り出してももうけているということがそうである
つまりそういうふうに操作できるものとして株式市場がある
それを操作できるのは国でもない、アメリカでもない、国を越えた国際金融資本家達によってそうさせられる

その国際金融資本達がグロ−バル経済を支配して富を世界から奪っているとなる
それで農林中金がゴールマンサックスとかから投資信託を買わされて破綻するというときそうした日本の金融機関がゆうちょでも地銀でもカモにされて日本人の金が奪われているという、それから年金積立機構も投資して株が下がると莫大な損失になる
日本の金の行き場がなくて投資先がなくてそうした金融資本家達にだまされて買わされて金が奪われているという
ただ人間は目の前の百円だ千円だとかに高いとか安いとか目を奪われる
それで何億とか何兆円とかになるともうその金の流れが目に見えなくなる
それで大金が奪われても庶民などは直接感じない世界なのである
これが江戸時代なら経済でもいくら日本全国になっても目に見えるからわかりやすかったのである

だから現代では常に陰謀論が語られることになる、それは目に見えないし理解できないからである、ただ外資が大量に日本の株を買ったりしてその外資が日本を売りにすると
日本経済ががたがたになる、そういうことを外資が国際金融資本家達が操作する
日本株が上げてもうけてまた株を下げて日本を売りに出す、そして日本はもうもうからないから御用済みだとして見捨てる
そもそもだからグロ−バル経済はまともな経済ではない、それで世界的なリーマンショックとかが起きて来る、今度はその百倍の規模で同じことが起きるとしている

だから一旦グロ−バル経済は破綻すべきでありその後に新たな健全な資本主義なり新たな経済制度なりルールが生まれるとなる
そういう時期に来ている、その時大きな痛みがともなうが暴利をむさぼっていた世界の支配階級がそこで破産とかして格差が解消されるというのは悪いことではない
こんな詐欺なような金融資本主義が破綻して当然だとなるからだ
本当に世界的詐欺商法なのである

いづれにしろ栄を求めることは悪いことではない、でも詐欺的商法で巨額の金を国々から奪うそうした国際金融資本のシステムが一旦破壊してこそ新たな世界が生まれる
そのためにバブルがグロ−バル経済にありそれによって世界が変わる
実質経済と金とが遊離している、実質経済活動より金の量が何倍にも増えているのである今のアベノミックスの株高は政府が日銀が株を買っているためであり操作されたものでありなんら経済が好景気ではない、給料は上がらないし物価はあがる、消費税はあげられる何にも好景気ではないのである、株高があってもそれは一部の富裕層に恩恵があるだけなのである

だから本当の栄とは何なのか?
それは原発事故のことでも書いてきた

御民 ( みたみ ) われ 生ける 験 ( しるし ) あり 天地の栄ゆる時に 遭へらく思へば
(万葉集 6-996 ).

天地が栄えて民が栄える、その天地とは何なのか?
人間の栄はもともと自然なくしてありえないからそうなった
ただあまりにも工業とか科学技術とか金融もそうだが本当の栄からは人間は離れてしまった、それで漁業者が原発に頼り漁業権を売って多額の補償金もらっていて生活していた
それが一挙に崩壊した時、その罪が問われることになった
一匹の魚を一粒の米を野菜でも軽んじると神からの罰を受ける
そういうことに20世紀は科学技術の時代であり無頓着になったのである
つまり富を与えるのは栄を与えるのは神だということにある
人間は富を作り出せない、石油にしても実際は神が人間のために貯えてくれていたものである、それも何億年とかの時間の中で蓄えられていて人間に与えられたのである

いづれにしろ金融資本主義になって金融が富を与えることはない
なぜならドルでも円でも紙幣はしょせん紙にすぎないから紙くずになる運命にある
いくら神を増刷してもそれで世界が豊かにはなれない、ただほんの一部の金融資本家たちに金が奪われているだけだとなる
それは本当の栄ではないから当然バブルになりそうした偽りの道徳無き経済は破綻する
そういうことに神も関与しているともなる
神の理にかなわないものは継続できないのである