2019年12月22日

2020年以降の日本の社会の恐怖 (すでに自分が経験したことだった)


2020年以降の日本の社会の恐怖

(すでに自分が経験したことだった)


2021年 団塊ジュニア世代が50歳に。介護離職が増加
2022年 団塊世代が75歳になり、超高齢化社会が加速
2025年 東京都の人口が減少に転じる。全国で介護職員が37万7千人不足
2026年ごろ 認知症患者が800万人に
2031年 18歳人口が100万人を割り込む。経営が悪化する大学が続出
2035年 日本の人口の4割が60歳以上になる
2040年 自治体の半数が消滅の危機
2040年ごろ 孤独死が年間20万人発生
2053年 日本の人口が1億人を切る
2055年 75歳以上の人口が2446万人に。4人に1人が後期高齢者になる
2056年ごろ 現役世代の社会保障負担が重くなる。海外に移住する若者も
2065年 日本の人口が約8800万人に
(取材をもとに編集部作成)

※週刊朝日  2017年8月4日号

この表で2026年ごろ 認知症患者が800万人に

これも怖い、現実に私の家では自分が重症の認知症患者を介護した、そのことをプログで書いてきた
800万人となればどうなるのか?そこらじゅう徘徊する老人であふれるのか?
認知症の介護は精神的にも相当な負担になる
そして認知症は精神的障害だかさ回りでも援助などしない、馬鹿になったと笑われるだけであり後見人制度も金をとることしか考えないとして問題になっている
つまり金のことがわからない、銀行からも金を下ろせないのだから他人だとそうなる
そして今は近隣の助けは得られない社会である
認知症だけではない精神障害者でも肉体障害者でも一千万とかいる負担も大きい
その息子をかかえた母親は毎日そのことばかりいって心配している
でもすでに50歳近くになっている障害者なのである
障害者は生涯めんどうを見なければならないのである
その負担は並大抵のものではない、最近我が町に立派な障害者用の学校ができたのであるそれも立派なのである
でもその負担も大きいなとつくづく思う

2040年 自治体の半数が消滅の危機

これも原発事故周辺では現実化したのである
避難区域になった所は田畑は草ぼうぼうであり若い世代は流出して帰らないのである
残ったのは老人である、でも小高などでは浪江でも原町が大きいからそこに住んでいる
それで不便は感じないとなる、でも若い世代が住んでいないのだからやがて老人だけになり町自体を維持できなくなる
そしてそういう場所に予算を金をつぎ込んでも無駄だともされる
官僚がジジババしかいない所に金をつぎこんでも無駄といか本音を言ったことでもわかるただいい面として耕作放棄地が全体に広がったためその土地を利用しやすくなって外から来た若者がその土地を手に入れて農業をはじめたとかある

そして農業が次の時代にかえって有望な産業として見られるようになったことである
それは日本の経済がグロ−バル競争に敗れた結果そうなったのである
ただ農業は土地だけあってもできない、人手が必要でありその苦労が並大抵ではない
だから知人の畑ではただその苦労だけを聞いて収穫はゼロだったとなる
それだけ農業は労力も大きい、だから土地だけあっても簡単にはできないのである
農業は親の後継ぐ職業としてあったことでもわかる

ともかく限界集落というとき小さな村だがここでは津波原発以後大きな村でも町でもそうなった、第一津波でぱいくつもの村が消滅したからである
そこはもう人も住んでいないからである
もうこれからは限界集落のようなのが増えてくるしもう今のレベルの生活は無理だから都市部に移れという人もいる、インフラも維持できなくなるからだ
つまり電気すら利用できなくなるかもしれないからだ
そうでも昔なら自給自足で生活していた、その昔には戻れないとなると都市部に移れとなる
そういうふうにこの辺では原町区はもともと5万以上の都市だったから小高の人はそこに住んでいる、浪江の人や双葉でも大熊でも移り住んでいる
とても原発避難区域になったところはもう回復できないようにも思う
最初は回復復興してもらいたいと思ったが今はそれよりもう維持できないとなり
かえって移り住み集約化した方がいいのかともみる
ただそこは限界集落とは違う、浪江でも二万人とか小高でも一万人とか住んでいたのだからそれが全部なくなることはどうなるのか?それが問われる
でも現実的にはすでに原町区に相当数移り住んでいるし帰らないともなっているのだ

2040年ごろ 孤独死が年間20万人発生

ロスジェネ世代も深刻である、結婚しない人が20パーセントとか独身のまま老いるのだが貯えもないから生活保護化するとかなる、でももう国では支援できないとして捨てられるその最後は捨てられて孤独死だとなる
それは自分にも身近である、結婚しない人は頼る人がいないのだから悲惨になる
ロスジェネや非正規とか未婚社会となりこれも深刻なのである
この世代は負の遺産となり社会を圧迫する
団塊の世代も高度成長時代は人口が多くても社会にとってプラスの人口増加だったのである、それが今になると負の遺産になって社会を介護とか認知症とか病人社会になり負担となる
ただ2040年となると団塊の世代でも90歳以上になれば死ぬ人が多くなる
すると団塊の世代の負担はへる、代わりにその子供時代のロスジェネ世代が大負担になってくるのだ
つまりロスジェネ世代が死ぬまで日本は負担に苦しむ社会となる

ただ長期的にみればこれらの負担が消えればどうなるのか?
そこにまた新しい未来が開けるのか?
結局未来はどうなるかわからない、戦後の焼け野原から何もなくなっても戦後は復興したそれは戦争によって負の遺産をかえって一掃して新生日本になったからだったのである
それだけの衝撃があっても復興したということは戦争は日本にとって次の時代を作るのにかえって貢献したとまで長期的にみればなる、全体的に見ればなる
だからかえってもし団塊の世代とかロスジェネ世代でも戦争で戦死するようなことになれば若い人達の負担がなく新生日本が生まれるとまでなる
だから後30年後とか40年後には日本は新生日本として蘇るとなる
ただ未来が予測できないのは必ず不測の事態が国際政治でも自然災害でも起きるから予測できないのである

人生でもみんなそれぞれの一生をふりかえると何か意外な結果だったなとなる
つまり個々人の人生も予測できない、そして結果的に人生でも幸不幸が何だったのかわからなくなる
不幸だと思ったのが実は幸福の基だったとか幸福だったのが災いの基になっていたとかある、まず一生楽な人生などないのである
いくら恵まれていても一生の間には何が起きるかわからないからだ
そして何か損だったのか得だったのかもわからない
ただ戦争時代に生まれ人は損だった、若くして死なねばならなかったからである
ロスジェネ世代も損な世代だったと今では言われる
こういう時代のめぐりあわせはどうにもならないのである
運不運でありどうにもならないのである

いづれにしろ団塊の世代も一つの歴史となってゆく
老人の強みはこうして長い一生をみて歴史をみる、それが若い世代にはできない
つまり人間はいくら本を読んでも知識を積み重ねても経験から学ぶことが一番多いからである
それで何か学問なくても経験した人は肌で知っているのである
学歴よりその人の経験が人を作るのである
それはつまらない経験でもそうなのである、経験が教えることは忘れないのである
私自身はたいした経験をしていない、結局底辺労働者と引きこもりとわずかの教育体験だったとなる、だから経験としては貧弱だったのである
それでも人間はふりかえると経験から学ぶ方が大きいのである

それで50歳でバックパッカーで大失敗したけど海外旅行して良かったとなる
その経験は確実に活きてくる
その時海外旅行しなかったら遂にできなかったともなる
団塊の世代では同世代でも海外経験した人はわずかだろう
そういう時代ではなかったからである
なんであれ経験が人間を作るのであり本だけ読んでは作れない
そこで本を読んでいてもつくづく印や線をびっしり引いてあるのだがほとんど理解していなかったのである、これでもいくら本を読んでも経験に優らないことがわかる
経験したことは体で覚えているからだ、これは外国だけではない日本でも地理をわかるには本を読む前に実地にその地を踏まない限りわからない、日本の場合は隈なく旅行しているから地理を理解したのである

ただ本を読むことが無駄だとはならない、それも後で活きてくる
雑学でもしないよりはした方がいいのである、知識でも経験と合わせて必ず役にたつようになるからである
それでも外国の旅行の本を読んでいるより海外旅行を実地にした方が外国は表面的でもわかる外国は本を読んだだけではわからない、そのことがいかに経験が大事なのか証明しているのである、百聞は一見にしかずなのである、百聞とは外国のことを百回聞いても本で読んでも理解できない、本を読まなくても一回でも外国に行った人の方が知っているのであるだから行動が先で知識や理解は後からついてくるというのが順序なのである

今年も終わりだけど今年は結構youtubeを見た、これも新しいメデアであり知識を得られた
youtubeだと短いにしろ要点がわかる、それで大勢の人に見られるのはテレビに似ている
何かこれからテレビの代わりになるのがyoutubeなのかとなる
テレビはマスコミでありそれが情報を独占したいた時代は終わった
マスコミの力は六局が動画で放送できる権利をもって権力をもったのである
それが個人レベルでもテレビのように放送できることは大きな変化だった
これからはテレビを見ない時代が来る、六局の放送局でも別に安価にyoutubeで放送できる
ただコンテンツを作るのはむずかしい、その能力があればyoutubeでも有料で放送できる
youtubeはまだそうした人材を集めたり特派員をもっていない
それはだけのい収入が得られないからである、でも放送局のように金が入ればそういうことはできるのである

2020年は時代が大きく変化する、区切りよく2020年となり元号も令和に変わったからである
その変化は日本にとっては厳しいものとなる、日本自体はこれから厳しい冬の時代になる
自分自身ももう冬を生きる老人となり過去を回想して引きこもるともなる





posted by 老鶯 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年私が選んだサイト お金のために働く人が、「起業家」に向いていないワケ


2019年私が選んだサイト

お金のために働く人が、「起業家」に向いていないワケ

人間はどうしても目の前の利益にとらわれる、これは逃れようがない、なぜなら毎日生活する金が糧がなければ生きていけないからである
するとまずは利益だ、金だとなりブラックにでもなんでもなる
それが現実社会であり甘いことなど言っていられないとなる儲けがなければ客が来なければつぶれてしまうからである

ただこの人の言うようにただ金のためだけではない、もちろん金を得るために働くことはあるが何か仕事にはそれだけのものではないものがある
何でもできる大工さんを見ているとその人は根っからの大工なのである
また庭作りもできる、単なるハウス会社の組み立てやではてい
修理とかもできる大工なのである
だから楽しそうに仕事をしているのである、そして自分で作ったものを誇示する
それは別に奢りでもなんでもない、自分の作ったものに満足している、仕事に満足しているのである
ただその人は実際は大工ではない別なしなくてもいいブラックな仕事をしている
それは本当に金のためだけの仕事である

つまりその人を仕事でも見ている時、金を得ることが仕事ではあることはいなめない
でもその他に何かある、自転車屋ですら何かある、その仕事に誇りをもっている
ただ誇りを持ち過ぎて人との対応が悪くなる、技術屋ならいいが客と対応することで
商売ができない、それは医者だって技術があっても患者と対応することがありにている
駅前で商売しているから街を良くしようとする気持ちがある
ただ駅の見守り役はそういうことがなかった
それは同じ市内でも区域が違ってそうなった、やはりそこに住んでいる人はその住んでいる場所を良くしようとする、同じ市内でも気持ちが違ってくるのだ

経営者にはただ金だけではないものがあってできるというのもわかる
自分は技術者として優秀だから優秀な所をみせてやるとかそんな動機で会社を初めて失敗した人もいた、その動機自体がただ金になり社長として成功したいというだけだったのである
その人は雇われて技術者としてやっていれば何の問題もなかったのである
経営者となると違った動機とか経営理念とかでも必要になる
理系だとそういうことが不得意だともなる、そういう点では文系が経営者に向いているから文系が経営者になっていたのもわかるのである

塾を経営していた人も何か教育などに何の関心もない、生徒を集めて金になればいいというだけである、教育はただ金儲けの手段なのである
自分自身も教育のまねごとをしたが失敗だった
でも何か自分には能力がないにしろ教育を楽しいもの学びを楽しいものにしようする動機があった、だから経営者のように全然動機がない、金だけの動機とは違っていた
ただそれは自分も失敗だった
でも流れ作業しか仕事とししていないものにとってそういう仕事は全く違ったものだったのである、そこにはある程度創造性も発揮できる仕事だった
ただ矛盾は金にならないとかもあり挫折したともなる
自分にとって仕事は流れ作業くらいしか経験していない、だから何でもいいからそれ以外の仕事をしたかったとなるができなかったとなる
それだけの能力もなかったとなる

でも自分は依然としてホームページでもプログでも創造性を追及している
天才でもなんでもないのだけど創造性を追及していることは理解されるだろう
その一つはソフトによる抽象画だったのである
他でもいろいろなことを探求して来た
それは「郷土学」というものである
郷土を一つの全体として多角的に考察してゆく、アイディンティティ化してゆく作業である、いわば今はやりの地域創成学部とでもなる
これは地域全体の学でありまた地域を改善することである
そのささやかなものとして無人駅の案内にかかわった
これも怪しいと疑われただけだったともなるが何かふるさとの一員としてかかわるものだったのである
つまり何か成功するとか金になるとかの前にそうした気持ちが動機が必要になる
それがそこに住んでいれば自ずとそうなるのである

結局あからさまに金だけを求めて経営者になっている人はやはり経営者にふさわしくないとなる                                    

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば糧は神から与えられるだろうとしている、でも現実世界はまず糧をくださいとなる、それが先だとしているのである、まず金を与えてください、さすれば与えられるとなる
人間の矛盾がここに一番現れている、それはあらゆる仕事でもそういうことで葛藤する
それは本当にみんな働いているとしてそういう問題をかかえているとなる
何を求めるのか神はその心を見ているというとき動機を重んじている
でも現実社会ではまず利益であり金だとなっている
人間はみんなその葛藤で苦しんでいるのである
そのためにこの世ではサタンのささやきが優っているからこの世は腐敗して乱れるのである

特にグロ−バル経済とか資本主義社会では修道院から生まれ動機とまるで正反対になったその求めるものは金だけであり極わずかの国際金融資本家たちに世界の富が吸い上げられる、日本の富もアメリカに吸い上げられる、それが日本貧困になった原因だという人も多いのである
つまり金が利益がまず先だ、そのためには手段を選ぶなとかいうことでサタンのささやきに従ったのが現代のグロ−バル資本主義になった
ガンジーの言う道徳無き経済となってしまったのである


人間はとにかくジキルハイドになる、善と悪との二面性がありアメリカ人がアングロサクソンがその二面性が極端だというのもそのためである
善を言うのだがその善と裏腹に本当にどす黒いものを平気で実行してくる
人をだますのも平気なのである、敵に笑顔を見せてその裏では相手を平気でだまして殺す善悪の二面性が極端なのである
そういう二面性を日本人はなかなか理解できないというとき日本は島国で平和だったからそうなる、熾烈な民族同士の争いを経て来た人たちはそうはならない
契約は正義を実行するためのものでもない、相手をだますものとして法律もある
法律もその利用する人によってどうにでも解釈できるからである

裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 良寛

裏表を見せる人はいない、表だけを見せて装う、それが現実の社会であり人なのである
だから人間はその行動だけから判断できないのである
どうしてそういう行動をするのか?それが問題になる
経営でもあからさまに金だけを求める人も多いしそれが現実社会だともなるからだ
まず金をもらわなければ一歩も動かない、何かそういう人は金だけが目的であり仕事そのものをするにふさわしい人ではないだろう
例えばここに倒れた人がいる、その時まず金を出せば助けるでは仕事にならない
まず助ける、そういうことは医療関係者に望まれている
何か仕事というとき金をもらうことはいいとしてその前に仕事そのものに生きがいを見出すことも必要である

それでworkとなっている、仕事は作品なのである
大工が作ったものは本当に作品だった、だからその作品に満足するのである
それは芸術家なら特にそうなる、金が欲しい得るにしてもまず自分が納得いく作品を作りたいのである、その動機も目的もまず金になるのではない、その人の創造性を個性を発揮したものを作りたいとなるのである
ただ仕事でも多様だから本当に好きな仕事をできる人は限られている
でもそういう人が仕事するときいい仕事はできないし社会にとっていいものではないのである、適材適所で働いていたらその社会は活気がありいいものとなっていることは確かなのである
posted by 老鶯 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題