2020年01月31日

人間の記憶のメカニズム (記録と記憶の相違-記憶するには全体と過程が大事)


人間の記憶のメカニズム

(記録と記憶の相違-記憶するには全体と過程が大事)

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この世の中に膨大な記録がある、人間は文字でも絵でもなんでも今なら写真でも動画でも記録はできる、私自身書いたものが膨大である
その自分が書いたものすら忘れていてもう一度読み返してこんなこと書いていたのと感心したりするのも変なのである
それだけ人間は忘れやすいのである

でも不思議なのは人間が記録することと記憶することは違う
例えば記録媒体によっても違ってくる、本であれ新聞であれテレビであれインタ−ネットであれ写真であれ動画であれ様々な情報にあふれているのが現代である

でも何かこの情報媒体が違っても記憶することが違ってくる
新聞を広げる、いろいろなことが書いてある
その中で興味あるものを読む、するとその興味あるものは記憶に定着する
でもまずそれは一つだけなら記憶しやすい
いろいろ記事があってもはそれも忘れる
ただその人なりに興味あるものは記憶される
でも私はその興味をもったものを記録しないとまた忘れる
それでスキャナーでパソコンに記録する
するとまた読み返すことができる

その新聞の記事を記憶したのはまず新聞を手にとる、紙面を全部見る、そしてその一記事に注目する、そしてその新聞を見た場所がありまた新聞を置いた場所がある
そういうものも記憶として残っている
それはモノだからそうなっている、モノとして新聞がありそのモノを扱うことで記憶しているのだ

でも電子掲示板だとインタ−ネットは電子文字になるからモノとして扱えない
それで膨大に記録はいくらでもできるのだが記憶しにくいということがある
何かモノを扱うのと違うからただ文字が流れて消えてゆくという感じになる
それでいつも興味ある記事でもどこに記録したのか場所を忘れる
電子空間でパソコンで記録していてもわからなくなるのである

例えば記憶とは一つの古い碑が道の辺にあるとするとするとその辺りの空間も意識して一つの碑に注目して記憶に残っているのだ
ただ一つの石碑を見ているだけではないのである
だから博物館に陳列したものは記憶に残りにくいのである
つまり場とともにモノがありモノの記憶が残る
それがただの記録と記憶の相違である
記憶するということは全体をきりとった一部は記憶に残らないのである
それで写真でも全体の一部をきりとったものだからそこから全体を見ることはできない
動画でも同じである、その場所の全体はわからないのである
そこに錯覚が生まれて何でも誤解が生まれるのである

本当に旅して不思議なのは地理を知るには一部分を知ることではない、全体の中に一部分がある、でも記憶媒体になると何でもそれは全体の一部を切り取ったものなのである
世界とは全体のことであり部分のことではない、全体があって部分がある
でも人間はメデア(媒体)がいろいろあるとしても新聞でもテレビでも何でも部分を見ているのである
でも実際のその地に立てば全体から部分を見るのである

今会津について短歌を30くらい作った、それは私は会津の全体を自転車で旅したからである、三回くらい自転車で旅した、それが今になって記憶としてよみがえる
記憶するという時車とかなるとまた記憶に残りにくい、電車でも記憶に残りにくい面がある、やはり徒歩だと一番人間は記憶していることは確かである
その土地を記憶するには歩くとその土地と一体化するからである
また何度も行けば記憶に定着しやすい、だから人間がアイディンティティ化できるのは狭い土地であり広くなるとしにくくなる
何度も見れば何度も出も行けば自ずと記憶に定着するようになる

記憶という時、その部分にあったとかその部分だけが記憶とはならない
ある場所にいたというときそこまで行った過程からその場所を記憶する
あそこまで坂を上り苦労してあの場所についたなということを記憶する
記憶はそうした全体の過程とからも意識されるのである
その全体から部分を意識するとか記憶するというのが人間の特徴である
だからいくら写真でも動画を見ても人間の記憶の仕方は違ってくる

数学でも問題を解くとき解答を出す過程が大事である、その解き方も一つではない
正解にいたる過程はいくつもある、その過程を通じて人間は記憶する
どういう手順を踏むかというのが大事になる
そういう作業を通じて記憶されるのである

例えば芭蕉の平泉で作った俳句の「五月雨の降りのこしてや光堂」というとき
それ5ははるばる奥の細道を歩いてきてその句が生まれた
それと同じように記憶もそうした過程の中で記憶されているのである
だから記憶とは全体の中から過程から記憶される
文章でも文脈がありその全体を知らないと部分だけでは定着しない、記憶されないともなる

とにかく記録と記憶は違っている、人間は最後は記憶に生きる
自分なら旅したからその記憶をよみがえらせて詩とか短歌と俳句を作っているのである
でもそれは常に全体から旅した過程があって記憶しているのである
鉄道でも車でもなかなかそうして全体の過程から見れない、それで記憶に定着しにくい
それで現代の経験は何かかえって便利になりすぎて浅薄な経験しかしてしいないのであるそれは後年に老人になってかなりの損失である
なぜなら最後は人間は記憶に生きるようになるからである
すると記憶に残らないとしたら何にもならなかったとなる
現実に団体旅行した人がどこに行ったかも記憶していなかったのである
こうなればその人は旅したということにもならなかったからである




2020年01月30日

権力者は常に情報を隠ぺいする


権力者は常に情報を隠ぺいする

(コロナウィルスと原発事故の共通性)

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武漢のコロナウィルスは最初から情報が隠蔽されていた、中央政府からも情報が出されず隠蔽されて結果としてウィルスがたちまち蔓延した
そして一市民が危険を冒してyoutubeで発言して助けを求めている
また情報で混乱しているのも原発事故と同じである
浪江の人は一番危険な放射能汚染の場所に対馬に逃げた
津島が山の奥であり原発から離れているから安全だと思ったからである
そのことを原発関係者は知っていたが何も知らせなかった
ただ原発で働いていた東電の人がいて津島の山の方に逃げるより街の方が放射線量が低いと街の方に引き返した、それが正しかったのである
つまり東電に勤めている人が知っていたのである

武漢でもこれと同じような混乱が起きている、情報が錯綜して混乱している
インタ−ネット時代でありそれで様々な情報が出ている
ただ中国ではインタ−ネットも政府から規制されているから隠れて日本人の友達から放送して助けを求めている
もともと常に権力者は情報を隠蔽するのが常套である
危険な情報は出さない、でもどうしても人間がウィルスに伝染したりすれば隠すことができない、そういうときはすでに時遅しとなっているのだ

原発でも最初から強力な情報統制が行われていた
そして原子力村によって支配されていたのである
そこでは安全神話が作られて逆らうことはできなかった
政府ー官僚(検察)−労働組合(電事連)−自治体ーマスコミー地元権益者
こういうふうに強力な利権で結ばれたものは完璧とすら見えた
だからこそ安全神話は強力に作られたのである

でも原発内部で働いていた人たちは配管などで仕事していた人は壊れるとか見ていた
それを報告するにもできない、なぜなら東電の権力は絶対だからである
千人も電気工事関係者が働いていたがその人たちは東電の命令は絶対だとしていて何も言うことができない
言えば仕事がもらえないからである、東電は絶対的権力をもっていたのである
これは中国のコロナウィルス騒ぎとにている

なぜならコロナウィルすは生物兵器のウィルスがもれたためだとも言うからだ
それは秘密裡にされて作られていた、その証拠がないにしろ生物兵器工場が武漢にあったそこでフランスの技術者が協力していたのである
これは限りなく黒に近いともなる、火のない所に煙はたたないとなるからだ

とにかく原発でもそうだが常に権力者が隠蔽する、それは危険なものでありその危険を隠蔽する、そうせざるをえない、そしてその管理もずさんなのである
生物兵器でもウィルスがもれる、原発でも放射性物質がもれる
そういうことは事故がなくても現実に今でもあるのだ
原発のまわりではもともと放射性物質がもれていたのである

こうした政府指導のものは常に情報が隠蔽される、そうするこきによって危険が知らされない
なんとか指導者も権力者も隠そうとする
でもこうして必ず何か事故となり危険なものがもれてきて初めて大騒ぎして隠すことができなくなるのだ
これはウィルスでも原発事故でも同じだったのである
これは政治体制の問題であるが中国だげではない日本も同じだったのである
日本は自由なようで常に江戸時代から隠蔽社会だった
庶民は何も言うことができない社会だったのである

でもそうして情報を隠蔽すると事故になったりこうして危険が明るみに出てその時被害が拡大して止められなくなるのだ
その情報の隠蔽の結果として重大なことが起こり誰かが民衆でも国民でも責任をとらされるのである、今回はウィルスで中国国民が死ぬのである
これは中国の一党独裁とか政治体制の問題でもありまた世界的に日本でもそうだったように権力によって隠蔽される結果そうなる
権力者は都合の悪いことは表に出さないようにできる
でもそれが隠蔽されているといつしか必ずこうしてウィルスでも何でももれてくる
いつか明るみに出される
これはやはり真実がいつか明るみに出されて裁かれる、神から罰せられる通じている
時間はかかるにしろそうした隠蔽された悪が必ず明るみに出される
それが人間がするのではなく原発の場合は津波だったのである

このコロナウィルスが問題なのは中国だけの問題ではない、グロ−バル化しているからこそ世界の恐怖となる、この伝染病は本当に怖いものとしてあった
ペストでヨ−ロッパの三分の一が黒死病で死んだからである
これだけグロ−バル化して人が交わることはいいことのようでもそこに大きな危険が潜んでいたのである

何か世界が交わることはヨ−ロッパの大航海時代からつづいていた
でもその交わることで第一次第二次世界大戦となった
その死者は何千万人にもなったのである
江戸時代なら確かに遅れているし貧乏でも朝鮮半島とも中国とも争う必要もなかった
平和な時代がつづいていたのである
だから必ずしも人が国が世界が交わるグロ−バル化することは全面的にいいとはならないその負の部分がこうして拡大してきて歯止めが必要になったのである

老子の言うように平和を維持するには「小国かみん」がいいとか何か鍬までもつなとか
隣の村とも交わるなというのは人間の歴史の逆説である
国と国が世界的にグロ−バル化して交わった結果、世界大戦で何千万人も死んだとか
いいことばかりではなかったのである
鍬をもつなというとき道具をもつ延長として石器で殺し合っていたのが鉄の発明でより
殺傷力が強いもので鉄の武器で殺し合うようになったのも人間の歴史だったのである

ウィルスはやはりグロ−バル経済とかに対する警告なのである
神からの警告なのである、オリンピックももうそんなものに金をかけることは必要ない
それは平和の祭典とかではないからだ、マスコミとか利権者の金儲けのためだけなのである、何か意味があるわけでもないのである
オリッピック自体もうやめるべきなのである、別に技を競うならそれぞれの種目の世界大会で十分だからである

インタ−ネットの普及で情報社会になった、でも原発事故でもそうだが結局情報は権力者がにぎっていて表にでないのである、情報は統制されるのである
特にマスコミは政府であれなんであれ創価とか他の宗教団体であれあらゆる団体の圧力でタブー化する、そしてタブー化する結果、大きな事故とか災いを生まれて来る
これがさけようがないのである
民主主義の社会としても日本は情報統制がかえって強い、自由に発言ができるようでできないのである、その象徴が原発事故で起きたていたのである
その隠蔽のために故郷に住めなくなったり大惨事となってしまったからだ
それはコロナウィルスにも共通しているのである

posted by 天華 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

時給で雇われる人はモチベーションがもてない (金だけでモチベーションが持つことができるのか?)


時給で雇われる人はモチベーションがもてない

(金だけでモチベーションが持つことができるのか?) 

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このソファーの良かったのは一人分だと窮屈になる、二人分だと広いからゆったりとする
これは一人分の用があるということだけでは十分ではない
一人分だけの有用さを作るとしてもそこにさらに二人分となると無用となってもそこに老子の言う無用の用が生まれるのである
だから一人分の椅子とかソファーがあるがこの二人分のソファーはゆったりと座れるのである
通販だと大きさと座り心地とかわからないことがある
それで失敗している、確かに寸法が書いてあっても全体の大きさとか直感でわからないのである
だからすべて通販がいいとはならない
でも通販だと配達が無料である、そこが矛盾なのである


イオンに行ってソファーとか棚のようなものを買った
配達料が千円とられる、そこに消費税もとられる
だから実際は高くつく、車がないから配達してもらほかない
でも通信販売だとソファーでも大きさとか座り心地とかわからない
それから着るものでも体にヒットするとは限らないので失敗した
それでソファーはいいものだと言った
でもその人はイオンに雇われる人であり何か売る気がないし
買ってもらって喜ぶということもない

要するに時給で雇われる人はそういうふうにモチベーションがもてない
ここで雇われているのはただ時給いくらであり他でも百円高いなら他で働くとかなる
何かコンビニでもそうだが時給で働く人はモチベーションが低いだろう
結局いくら働いても時給で決まっているからである
そして何かあなたはこの会社で特別な人だとかならない
雇う方でも時給いくらだとしかならないから誰でもいいとなる
それは誰でもできるものだから今度は安く外国人を使った方がいいとなる
外国人の方がベトナム人でもはネパール人でも為替差益で高くなるからである
それを家族に仕送りしているのである
そういうモチベーションがかえって外国人にある、日本人にはないのである

要するに時給いくらとかなるとそれはAIでもロボットでもいいとなるのだ
だからこそ雇う方ではAIの方がロボットの方が自動化した方がいいとなる
人件費が最大のコストだからである
JRではだから無人化して無人駅を増やしているのである
コンビニでも自動化してゆく、時給で雇われる人はロボットにAIに代わられる安いのである

でも人間は働くという時、今は金だけである、金がいくらもらえるかでモチベーションが決まる、これしかもらえないのかとなるとモチベーションが低下する
それが今の働き方でありそこではただ金だけがモチベーションになる
また非正規だとモチベーションが下がる、時給いくらで安く雇われるだけだとなる
同じ仕事しても正社員と比べると差別されるからだ

基本的に金が給料でも時給でもモチベーションになる、こんな給料でやっていけるかとなるからだ
でもモチベーションというとこれも実際は人間の価値観として重要である
なぜなら資本主義がウェバーのキリスト教の他者に奉仕するというモチベーションから始まったという説があるからだ
他者に奉仕するために修道院から資本主義がはじまった
そういう思想が最初にあったということからモチベーションが重要なのである
社会主義にも平等にするというモチベーションがあり人間のすることにかかわるのがモチベーションである

例えば江戸時代とか戦前とか戦後まもなくとか家族経営とかあった
そこでは家族がみんなで働き家族を守る、家族が共同して豊かな暮らしをするということがあった
そこで自ずとモチベーションが言わずとも強制せずともあった
だから自給いくらで働くのとは違ってモチベーションがあった
売れれば家族の利益となるからだ
今は時給で働いていたらモチベーションが上がらない
ただあなたが売ったらいくらとか会社からその人が売った分が金として払われることがある、そこでモチベーションをあげるということはある
それはあなたの営業力とかを評価するシステムである
ただ家族経営のようにはいかない
それで働くことが端を楽にするということから来ているように家族経営だったら家族を楽にさせたいというモチベーションが働くのである
ベトナム人とかネパール人は貧乏だから家族を助けたいということで働いているのと同じである

いづれにしろこのモチベ―ションは大きな問題である
なぜなら戦争のようになる時死ぬとなるともう金の問題ではない
国のために死ぬというモチベ―ションをもたないとできないからである
とても金だけで戦争して死ぬとなると断る人もでてくる
そんなことで死にたくない、十億円もらっても死にたくないとなる人もいるからだ
だからそういうぎりぎりになるとモチベーションがないとできない

何か人間社会にはこのモチベ―ションがあらゆるところで問題になるのだ
youtubeするにしてもプログにしても何か一か月一千万稼いだとかなんとかになると
そんなにもうかるのかとやる人もでてくる
でも金にならなかったらやらないとなる
でも私の場合は自分の創作したものを文章でも発表できるということでつづけている
それは他に発表する場がないからである
それで別に金にならなくてもしているのである

芸術家とかなると金がもらえるから創作しているのではない、画家だったら自分の納得のいく作品を作りたいというだけでありそれが金になるかならないかは二の次なのである
芸術家に十億くれるからいい絵を描けと言われても簡単にはできない
十億やるから技術者に科学者に発明しろと言われても簡単にはできないのである
そこにはやはりモチベ―ションが必要になる
十億もらえるのかとモチベ―ションになっていい絵が描けたり何か発明したりはできないそこには金だけではないモチベ―ションが必要になる
だから人間の働く基本にモチベ―ションがないとつづかないし店員でも時給いくらだと売る気もないのである、売れても売れなくても時給で同じだからである

例えばお手伝いさんでもそうである、もし子供がいて家族のためなら掃除でも料理でも積極的にする、雇われる人はしない、まず本当に何もしたくないのである
命令して強制しないと何もしない、ただ目的は金をもらいたいだけだからである
もし家族だったらモチベ―ションがあるから家をきれいにしたい子供を育てるとかの目的がありモチベ―ションがあるから自ずからする
雇われる人にはそういうことはないからなおざりになる
ただ金だけを要求してくるのである
そうなると機械で皿洗い機械とか何でも自動化してやれればいいとなる
それは雇う方が人経費を減らすの同じである
つまり今の社会が会社がそういうふうになっている
だからこそ何でも自動化して機械化した方がいいとなっているのだ

働く方もモチベ―ションがない、雇う方も誰でもいい、時給いくらだとか人件費をコストを減らそうとする                

そして会社で求めているのは何か?

AIやIT技術者でありまた機械でありロボットを操作する人である

時給とかで雇う人はいらない→ITにAIに機械にロボットにやらせる

こういう近未来の社会になるとどうなるのか?
コストのかかる人間はいらない、IT技術でAIで機械でロボットにまかせる
でも奇妙なのは別に機関もロボットも何のモチベ―ションもない
その機械がロボットがAIがもうけたいとかほめられたいとか家族のためとか地域のためとか何かそうしたモチベ―ションはない
つまりモチベ―ションをもてるのは人間だけなのである

戦争するにしてもなんらかモチベ―ションがなければできない、生きるか死ぬかとなる余計にそうなる
ところがAIとかロボットとか機械時代にはモチベ―ションはない
何をするにもモチベ―ションはないのである
実はAIでもロボットでも機械でもモチベ―ションをもって動かしているのは人間なのである
ここが人間とAIとかロボットとか機械の根本的相違なのである


posted by 天華 at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

New Year-train go in America

New Year-train go in America


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ここに文明の都市があり大きな建物があった

今も柱が残っていることでわかる

いつしかその文明の都市も廃墟となった   

Here is a city of civilization and a big building

You can see that the pillars still remain

One day, the city of that civilization was also ruined

2020年01月29日

冬の雷(今年は荒れ模様―俳句は気候をまず知る)


冬の雷(今年は荒れ模様―俳句は気候をまず知る)


年明けて始動や雷の轟けり

突然に一月の終わり雷鳴りぬ

荒れ模様一月終わり雷鳴りぬ

禅僧の喝や叩かる冬の雷
  

今冬の雷が突然真上に轟いてびっくりした   


夏と冬の積乱雲を比べると、冬の方が圧倒的に背が低く、規模の小さいものになります。
落雷数は極端に少なく、遠くにいてもゴロゴロと音が聞こえる夏とは違い、冬の雷というのは音もなく近づいてきます。

落雷数が少ないというのは、良いことのようにも思えますが、実は一発の威力が強くなります。
一発雷と呼ばれる冬の雷は、なんと夏の雷に比べ100倍以上に達する凄まじいエネルギーを持っています。

また、冬季雷は、夏に比べて予測が難しいという特徴もあります  

なるほどそういうことだったのか、インタ−ネットは何か知らないことでもそれ相応のものがヒットするとき役にたつ、俳句が気候の挨拶のようになっているからだ
日本人は天気が変わり安いから天気が挨拶代わりになり俳句が生まれたからだ

冬の雷は日本海側が鳴りやすいとある、冬の雷は夏の雷とは違う、夏の雷だと遠雷とかあり入道雲がわき雷雲が湧きあがり徐々に雲が移って雷になり稲妻が走る
今日経験したのは突然にすぐ頭の上に雷が鳴った
それで停電になるかとびびった、パソコンの電源が切れのが怖いからだ


冬の雷は雲が低く突然鳴る、でも夏の雷に比べて百倍のエネルギーがあるとすると怖いものだったのである、ただ冬の雷そんなにごろごろと鳴りつづけたりしない
一二回突然頭の上にがつんとひびいておさまる
これは確かに禅僧が座禅して棒で叩かれる感じなのである

今年の一月も終わりだかなにかいろいろ波乱含みである
2020はみんな変換期で何か大きなことが起きると予想した通りとなるのか?。
その兆候は一月から始まったのである
コロナウィルス騒ぎでオリンピックが開催されるかどうかも怪しい雲行きになる

とにかくこの冬の雷は波乱の年の幕開けを告げるものとなっているかもしれない
今年は新年から不穏である
やはり今の時代は科学的なことを知らないと知識人となりえない
そこが弱いので私の場合は発言するにしても訴えないということがある
科学と文学は結びつきにくいからである
何か今年は波乱模様である、コロナウィルとかでもそうである
今年は新年から不穏である



亡き家族を偲ぶ短歌十首(人は死んでも生き続ける )


亡き家族を偲ぶ短歌十首(人は死んでも生き続ける )


我が家に嫁ぎてあわれ悲しかな母は百歳生きて死にき

辛き日を生きにし母や今はしも彼岸に安らぎ我を見むかな

我が姉の笑いし声のひびくかなその日は遠しも心に生きむ

苦しくもますぐに生きむさもあらば後の人しも習い生きなむ

我が家に60余年を生きにしを心はなおもここにあるかな 

我が家の広しも家族なし廊下の長く寒くあるかな

蠟梅の今年も咲きぬ我が家に我は生きにつ家族を偲ぶ

人は死すも消えるにあらずその家に土地に国にも生きつづけなむ

その土地にともに生きなむ命なれ死にしあともなお生きるなるらむ

争うも家族なりにし死してのちなおともにしあらむと思ふ

人の縁きれやすきかなさもあれど我が家族の縁は死しても切れじ


夢で母と姉の夢をみた、なぜか二人で歩いていた、その後を自分も歩いていた
姉が死んでから10年とかにもすでになる、母はまだ4年とかである
でも人間は60年とか70年家族として一緒に暮らしていれば何か簡単には死んでも消えないものとなる
むしろ死んでからもやはり継続がある、死んだら骨となり灰となり何もなくなるかとんいうとそうでもない、何かその家に土地に他にも愛着するものがあり生きつづける

母は自分の家では苦労した、いいことがあまりなかった、だからといってすべてが悪いとはならなかった、なぜなら姉がいたことで楽だったし自分もそうだった
自分にとっては欠かせないものだった
父が中学で死んだからとくにそうなったのである

普通の家族ではないにしろ家族として必要だった、補うものがあった
最後は悲劇だったにしろ何とか家族としてありつづけた
姉もひどい認知症だったけど納得して最後は死んだ
それが救いだった
何かしら家族でも必ず影の部分があり暗黒がある、ただ60年と一緒にいることの意味は大きい

どうしても人間は何か時間で作られる、家族でもそうである
もう子供でも離れて住むと疎遠になってゆく、それで認知症になると実の子供でも離れて過ごした人がわからなくなる、私は60年も一緒にいたからひどい認知症でも姉は自分のことを忘れなかったのである
そういう差がでてくる、何でも長い時間がないと親密さでも信頼でも作れないのである
だからこそ私はその土地にともに生きること地縁の方が大切だとなる
いくら物が入ってきても地球の裏側の人と親密になれないし信頼も生れないからだ

人間の一生を最後にみんなふりかえる、人が死ぬとその人がどんな人だったかとかかえって生きている時より偲ぶことになる
それは時間で作られたものであり必ずしも血縁とかではない
兄弟でも姉妹でも子供の時一緒に過ごさないと他人と同じになるからだ
兄は5年しか同じ家に暮らさなかった、それは5歳までだった
だから記憶が確かでないにしろ一緒に暮らし記憶があり兄となっていた
でも交通事故で40才で死んだのである
その5年間が貴重な時間だったのである

だから結婚して晩年に熟年離婚するのは損だと思う、なぜならその後は親しい愛する関係はもう時間がないから築けないからである
人間は最後になんでもあれ時間が最も貴重だったと自覚させられるのである
なぜなら何であれもう二度と会ったり何かをしたりすることができなくなるからだ

だから私はその土地と一体になる生にこそ深い意味をもてる、それでグロ−バル経済とかはそうした深い精神的紐帯が作れないからはぐくまないから賛成できないのであく
人間にとって物が大事になりすぎたのが戦後の高度成長時代である
その歪が世界的に多くなりすぎた資本主義でも国際金融資本が富を独占しているとかそうである、人間の心の歪(ひずみ)が世界的に現れた
人間は確かに物も必要であり食べ物がなかったら生きられないのも現実である
ただそれとともにどうししても人間は心に生きるということがある
その矛盾に常に人間は苦しむのである

家族とは心で愛で結ばれたものであり金でもない、そこが違っていた
私は家族の介護があり死んで親戚とみんな縁は切れた
それは「金の切れ目が縁の切れ目」となったからである
もう求めるものは金しかないからである
だからみんなそうなる、もちろんそういう人は生きて入る時から縁が切れているのである人と人が出会ってもただそこにはもの売買とか金のやりとりしかないのである
だからそもそも人間の関係とは何なのだろうとなるのだ 
それあまりにもはかない無常だとなる

でも家族だったらそうはならないのである、死んでもこうして10年過ぎても思っていることその面影とかなにかが見えない糸げ継続している
これはみんな感じているだろうが不思議だとなる
肉体は消えても心の絆が消えないのかもしれない、心とは見なかいけど通じているとなるからだ

ただ正直母は腰が曲がる時苦しくて自殺するところだった、危機一髪で防ぐことができたつまり自殺が後味悪くなるのは残されたものへの影響が大きいからである
もし自殺したら何かこうして偲べないとなるからだ
そして自分が殺したのだとか自虐的にもなるからだ

結局人間は苦しくても生きる、それが定めである、そして苦しくても生きたことにより
その生に重みが生まれる
もし楽して生きたとなるとそうはならないからだ
苦労して生きて私を育ててくれたとなると感謝するが金持ちで楽して育てただけだとか
人に頼んで母は何の苦労もしないとなると感謝もしない、ありがたみがなくなってうしまうのである
だから意外と金持ちの家では介護になるとすぐに金のかかる施設に入れて自分では介護しないのである
金持ちの家はかえって親に冷たいともなるのである



2020年01月28日

交通が発達すると伝染病が広がる被害 (江戸時代の伝染病も港からウィルスが侵入ー武漢も交通の要所)


交通が発達すると伝染病が広がる被害

(江戸時代の伝染病も港からウィルスが侵入ー武漢も交通の要所)


天然痘(疱瘡)は Variola veraというウイルスによって起こる感染力の強い伝染病である。『日本書紀』に天平7年に「幼い子供が多数死んだ」という記述があり、天然痘は天平年間に大陸から侵入したとされている。以降天然痘は19世紀まで大流行を繰り返した。1857年から5年間長崎海軍伝習所の医学教授を務めていたポンペ・ファン・メ−ルデルフォ−ルト(J. L. C. Pompe van Meerdervoort, 1829-1908)は「日本ほど痘瘡のある人が多い国はない。住民の3分の1は痘痕があるといってよい」と書いている


文 久2年 の流行は長 崎は も
ちろん,山 陰 ・山陽 ・江戸 ・越後 ・飛騨 ・信 州
か ら奥 州 までお よんで,ほ ぼ 日本全 域をおお う
ている ことが立 証で きる。 

安 政5年 の コレラ
病 は石巻 に侵入,局 所的に流行 し,さ らに北上
川本流を のぼって鹿又 ・飯野川 にお よび,一 関
付近 まで流行 の兆 がみ られ る。江合川 に沿 う古
川 に達 しないのは,河 川交通におけ る利用度
交通頻 度の差 に よる もの と察 しられ る。     

コロ リ病 ニ而人 死ス(飯 野川源光寺)
安政六年流行 コロ リ病 ニテ都合三人没 ス
八 月二十五 日 徳翁道教信士 赤岩 徳治事
八 月二十七 日 実相妙境信女 赤岩 徳治妻
九月五 日 宝台妙客信女 赤岩 徳治娘
(気仙沼観音寺 〔注13) 425頁〕)
な どがあ って,当 時いかに奇病 に困惑 したかが
うかがえ る。特 に,観 音寺 の記録 か らは,一 家
族 の大人3人 が,10日 間に病魔 で急死 した実態
を もうかがい知 る ことができる。

。雫石は南部藩城下町盛岡 の近郊
であるが,奥 羽山脈を越えて裏 日本の影響がみ
られ,八 戸は 旧盛岡南部藩 との関連や 海港 とい
う関係 もあって,西 廻 り航路の影響 よ りも,東
第6図 文久2年 東北日本諸地域に
おける月別死亡者構成
廻 りの影響が大で あった ことを示 してい る。


当時の川柳には、「はやり風十七屋から引き初め(飛脚問屋から流行性感冒が感染が始まるの意味)」や、


東ローマ帝国軍はカルタゴとアフリカ北岸のほとんどを奪い返し、シシリー島を奪還してイタリアに渡りました。ローマなどイタリア中部の都市を占領、さらにスペインの一部も奪還しました。540年にエジプトのペルシウムでペストが発生(エスティニアヌス疫病)しており、軍事行動によって拡散したペストは542年には首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)にまで及び、毎日5,000〜10,000人の死者が出たとされています。


若木神社は東根市役所の南方、神町東の若木山(133)の西麓にある。若木神社は疱瘡(天然痘)の神様として知られ、元は若木山の山頂に有ったという。


若木神社は日本唯一の疱瘡守護神であり、神町の氏神様であると共に
若木大権現として東北一円の信仰を集め、東北の人々の加護した神様であります。

    coreranew11.jpg

 クリック拡大koreracopynew22.jpg



大君の都-オールコック

明治に来た外交官の日本見聞録である、日本は中国より江戸時代でも清潔だったというのは日本の文化ともなっていた
江戸時代だと不潔な感じがするがすでに外国人からみれば清潔だったのである

これだけインタ−ネットで調べられた、江戸時代から安政からコレラも流行した
それは港からだった、疱瘡は天然痘は最も恐れられていて歴史も古い
それで相馬藩と伊達藩の境の玉野村に若木神社があった
これは疱瘡を防ぐものとして祀られた
江戸時代は国内では船の運送とかが発達したから全国的に交流が盛んになった
ということは伝染病でも伝播しやすくなっていたのである

それで交通の面からすると興味深いのは主要な港からコレラが伝染した
それは石巻だと北上川をさかのぼり一関市にとか伝染した
それは交通があり人や物の行き来が盛んになったからである
それが裏目となりコレラが幕末から明治になり流行した 

当時の川柳には、「はやり風十七屋から引き初め(飛脚問屋から流行性感冒が感染が始まるの意味)」や

飛脚もウィルスを運んだというのもそうである、人が移動するとウィルスも移動しやすいそれが伝染病の怖さである
それで今回中国のコロナウィルスの発祥地が武漢だったということで納得した
そこは盛んに中国の交通の要所だと言っていたからである
赤壁の戦いもそうした中国の要所だから起きたのかやはり場所と何でも深く関係している
コレラの発祥地は島根の方だとか言われるから港から入ってきた
そして東北にも被害があった、石巻では一家の三人が死んだというのは衝撃だったろう
そこは交通の要所であり江戸に伊達藩の米を運んでいたからである
古代から石巻や北上川は川を通じた交流がありそれか裏目に出たのがコレラの伝染だったのである

伝染病が怖いのは免疫がないとかで被害が拡大する、村の入り口に藁人形とか置いたのは疫病防止のためだともされている
それだけ疫病は恐れられていた、江戸時代はなかなか交流はしない社会だった
関所があり出入りも自由にならない、そういう社会でそういうふうに警戒することは理解できる、よそ者を入れないという理由にもなった

何かグロ−バル化でも何でも広く人間が交わり物が行き来することはいいことだとされるでも必ずその負の面がある、そしてグロ−バル化がこれほど拡大するとその負の面が大きくなったのである
それは神からの警告でもある

グロ−バル化経済はもうこれ以上必要ない、縮小すべきだ

それは日本だけではない、世界でも移民問題があり限界に来ている
国が交わるとしても何か別な方法を模索する必要がある
なぜなら日本では古代から文化は取り入れたが労働者とか入れない
あくまでも中国だったら留学生が行って文化を取り入れたのである
漢字とかでもそうである、仏教でもそうである
ただ日本では中国に与えるものがないので生口を送った記録にあるがこれは奴隷だったのかもしれない、何も与えることができないので送ったのかもしれない。
今でも何も与えることがないとすると技術もないとすると資源もないとすると生口を奴隷を送る、それは今の底辺労働の外国人労働者なのである
でも今やベトナム人の優秀な人たちは日本に来ないという
日本が優秀な留学生の来る場所でなくなっているからである

このウィルスでも自然災害でも津波でもそうだったが神からの自然からの警告なのであるグロ−バル経済とか資本主義がもう成り立たなくなっているというのもそうである
一時は資本主義が有効に働いていた、でも今は違う
別なシステムが必要になっている、別な思想が必要になっている
資本主義ももともと思想だからである、その思想が現実に合わなくなったのである

何か事件があればそれを歴史的に見ることが必要である
今に起きることはすでに常に過去にも起きていたから歴史から学ぶことが必須なのであるカルマとは繰り返すことであり歴史は繰り返すなのである
交通が発達した結果の負の面が伝染病が幕末から明治に拡大したのである

中国人が観光でサーズの時より10倍以上来ている、その影響は大きいのである
つまり必ずしも経済的な面だけからグロ−バル化を見てはいけないのである
それは大きな災いも同時にもたらすのである
ペストもトルコに東ローマ帝国の拡大とともに広がった
ペストの猛威をヨ−ロッパではとめることができなかった
ヨ−ロッパで三分の一が死んだ、黒死病だった、だから疫病は怖い、疫病との戦いも人類の戦いだった
とにかくグロ−バル経済というのは資本主義でもそうであり見直すときが来ているのである、それは負の面が増大してきたからである

江 戸 時代 にお け る コレ ラ病 の流行
-寺院過去帳 に よる実証菊 池 万 雄   

この論文は興味深い、こうして学者の論文がインタ−ネットで読めることで知見が広がったのである





posted by 天華 at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年01月27日

葉牡丹、寒烏、寒椿(田舎の冬の暮らし)


葉牡丹、寒烏、寒椿(田舎の冬の暮らし)

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我が家の墓を守るや寒椿

心澄む朝清明の冬の空

寒鳥の鋭く一羽朝の空

寒烏図太く田舎に生きるかな

寒雲や電車を待ちぬ田舎駅


我が庭に葉牡丹植えて石の側花は咲かじも冬を耐えにき

葉牡丹のその色深く心しむ冬にしあれば花もなくして 


田舎の冬は田舎らしくなる、冬ごもりとなくのもいい、都会では冬籠りもない、
常に騒々しく忙しく活動しかないのである
やはり冬は冬らしく休むということがいい
それが自然のリズムだからである、そういうことは農業の時代はあった
今は田舎すら騒々しいとなる、休む時期がない
冬田とかなると休んでいる田である
ところが海岸にある風力発電の風車は休むことがないのである
機械というのには休みがないのである
そこが人間とか自然と違うのである、それは非人間的になる
その機械にすべてを合わせると非人間化するのである
だから一見無駄なようでも非効率的なものでも人間には価値あることなのである
それで無人駅で何か電車を待つ時間が人間的なのである
電車を待っていると辺りの風景が心に映り季節を感じる

寒雲や電車を待ちぬ田舎駅

電車を待っていることが何かそこに人間味がでてくる、これが車だとそういうことがないのである、待つ時間がないからである、なるべく待たないということが現代に人間的なものをなくしているのである
効率ばかり追求することが非人間化させるのである
待っているという時、母親が子供を待っているとか誰かを待っている
親しい人を待っている、待つということはそこに期待感みたいなものか自ずとある
その待つ時間に何か人間的な情がはぐくまれているのである
これは鉄道だけではない、今はあらゆることにそうした人間的情などがなくしているのである、それで無人駅化するのもそのためなのである
人間のような非効率なものはいらないとなっている
これが実際は相当に危険なことなのである

墓守というのも一つの仕事なのだろう、親が死んだし私の家で残ったのは自分だけだからである、墓はすぐ近くにある、そのまわりに椿が咲いている
それは寒くなると今頃は寒椿になる、ただ今年はあたたかいから冬椿になっていた

寒烏というとき何かこれも図々しいというか図太い、何を食べているのかわからないが
烏は何でも食べている、雑食性である、だから図太く生きている
そういう人だと生きられるとなる、嫌がられる面もあるがあまり他人を気にしないのである、
ただ田舎の暗黒は田舎の人が人情にあついというのではない、かえって冷たい
それで田舎の人は不幸な家があるとその話題で盛り上がり楽しむとまでなっている
他人の不幸が本当に蜜の味になる
それだけ娯楽がないからそれが楽しみとなるというが別に今は娯楽はいろいろとある

「噂話ばっかし、噂話ばっかし。田舎には娯楽はないんだ、田舎には娯楽はないんだ。ただ悪口しかない」

 事件後に山中から発見されたICレコーダーにこう吹き込んでいた保見は、広島拘置所で接見した私に、「村人に犬猫を殺された」といった噂話を繰り返し語った。

 事実として保見が5人を殺したことは間違いない。しかし、噂が5人を殺したのか? この問いに対する答えは裁判では結局示されなかった。最高裁では『妄想性障害』という単語すら出てこない。いわば司法は動機を確立することを避けたのだ。

これも田舎の象徴的な事件だった、ただあそこは本当に昔の村であり山奥だから田舎でも違っている、田舎でも一万くらいでも都会化している所もあるからだ
そこは山奥であり極端化したのである

でも共通なことはある、何か他人の不幸が話題になりそれを語ることが楽しみになる
そこに田舎の負の面が露骨になるのである
私の場合だって介護とか病気で苦しんでも隣でも今は助け合うことがないのである
だから田舎と言っても今は昔と違うし昔も田舎の人間がいいとはならない
そもそも同じ人間であり人間の悪質性は変わらないのである

葉牡丹が今の季節にはあっている、私が買って庭に植えた
でも私の家の庭は土地が悪い、掘ったら石ころがでてきたとか土地が悪いから花が咲いてもつづけて咲かない、薔薇も今年は咲かない、肥料もやっていなかった
とにかく家事からなにから一人でできないのである
ただ葉牡丹と石はあっている、そして葉牡丹の紫の色が心にしみる
葉牡丹というのは花ではない、キャベツである、そういえばキャベツであり花は別に咲くらしい、葉牡丹はまさに葉なのである
でも冬の季節にあっているのである 

2020年01月26日

コロナウィルスは神罰である (原発事故でもそうであり過度なグロ−バル経済の警告)


コロナウィルスは神罰である

(原発事故でもそうであり過度なグロ−バル経済の警告)


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中国のコロナウィルスが神罰だという人がいた、そのことで私は原発事故もそうだったとプログでずいぶん書いてきた

核を使うこと→神への反逆→科学に頼り人間が神の如くになる

これを目指していたので神によってその企てが破壊されたとした
科学者でも核爆発を人間の手で起こすことは危険だと言う人がいた
何か科学者でもそれが何か人間の傲慢さに通じると思ったのだろう 

プロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を受けたことからすでに人間は呪われたものとなっていたのである
人間は何か所有するもの自ら作り出すものはない、みんな神のものでありその神のものを盗むことから始まっている、科学技術でもそうなのである
そこにすでに神の呪いが隠されていたのである

そして原子力村が検察から官僚から政治家から科学者からマスコミから結託して利権を得るために結託して起こしたのである
それが津波によって暴かれたのである
そういうふうに権力化したらもう原子力村には逆らえないとなったからである
それを止めることは誰もできなかった
結果として津波がその原発をとめたのである
それは神が罰して神が原発をとめたとなる

もし原発をとめなかったらどうなるのか?

日本自体が滅びるとまでなるしまだその継続として可能性として原発は日本にある
つまりまだ日本人はこれほどの被害にあったのに原発をつづけているからだ

人類が滅びるものとてしてやはり核戦争が一番可能性が高い

そして今回の中国のコロナウィルスは何を警告しているのか?
罰しているのか?

それはグローバル経済である

なぜならこの細菌は人の交流をとめるからだ、グロ−バルに自由に国境をなくして人が
交流していたのをできなくさせるからである
それは今の過度なグロ−バル経済というのが何か神からみたとき神の意にそわないものがあるからだともなる
一見世界の人が交流して貿易するのがいいように見える
でも結果として極端な格差が生まれ、世界の富が金融資本に集中して奪われるている
それが世界にとってもう限界にきている

するとこうした細菌が出ると明らかにグロ−バル経済は縮小するのである
それは神からの人間への作用なのかもしれない
そして人間はもともとその風土にあって生活するようにできている
本当に人間は今なんでも貪欲に食べ過ぎるのである
中国ではもともと何でも食べる、それだけ生きる環境が厳しいし人が多いからそうなる
中国自体が一つのグロ−バル世界であり食でも南から来たから何でもある
だから別に中国では世界と貿易する必要もないのである
それだけの資源でも食料でももともとあるからだ 

日本にしても日本人は日本の風土に適合して縄文時代から生きてきた
だから腸が長いのは穀類とかを食べてきたからだとなる、肉食は狩猟で一部していたにしろあとは漁労民族なのである、肉の代わりに魚を食べていたのである
それがその国の風土にあって生活することなのである
それが神の意にそうことでありそれがその国の人間を守ることである

だからこのウィルスは過度なグロ−バル経済の警告である
観光にしてもこれだけ人が入ってくることはいいことでないのだ

そしてオリンピックは中止すべき!

オリンピックは意味がないのだ、前の東京オリンピックとは違って開催する意味がないのである
だからこれも神からの警告であるともなる
こうして神からの警告が罰がなければ人間はますます増長して滅びに至る
人類はそもそも滅びることは間違えない
それがいつになるかであり時期の問題だけである
その時期が近づいているのかもしれない、それはこれだけ世界が統一するような状態になっていることもそうである
世界国家ができるのかともなるからだ、それは実は世界崩壊に向かっている
バベルの塔のように崩壊に向かっているともなるのだ

人間はそれぞれの国の風土にあった生活するのが神の意なのである
何かそういうことで自然が荒れている、地球も荒れている
するともう人類滅亡の時期が迫っている
地球はもう限界だとなっているのかもしれない、だからグロ−バル経済でもグロ−バルに貪欲化した人間を細菌で罰しているということもありうる
もういいかげんにしろよ、グロ−バル経済などは縮小すべきだと警告している

だからこうした神意を示しているのが自然災害でありウィルスでもある
中国人が世界にちらばりウィルスをまき散らしたらどうなるのか?
中国人が世界に拡散したらどうなるのか?
アメリカに代わり中国に世界が支配される、ウィグルとかでそうなっている
それも悪夢なのである、だから中国の力もそがれるべきだとなる
アメリカでもそうである、何か一国が巨大化することは世界にとっていいことではないのである
それが世界の均衡を破り神の意に反する世界となり災いが生まれるのである

posted by 天華 at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

その土地のことはテレビに写されてもわからない (チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)


その土地のことはテレビに写されてもわからない

(チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)

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NHKのテレビでチャリダーの放送があった、それを見ていて知っている場所を写したけど
テレビでは動画でも本当のことは伝えられない
案内の仕方も悪かったのだろう
地元のいいところはやはりそこに住んでいる人しかわからない
もちろん外から来た人も地元の知らないいい所を発見することはある
それで何気ないところがいいと外国人が名所にしたりするところがあった

でもテレビの問題は何なのか?
それが万人向きに作りすぎるのである
それが今かえってテレビを面白くなくさせている
万人向きになると何かパターン化してかえってつまらないものになる
でも視聴率をとるためにはそうする、芸能人を起用する

もし視聴率とか万人向きにしないものとしてとれば興味を持つ人はもつ
だからかえってマニアックでもyoutubeの方が面白いとなるのである
何か特別興味をもったことを動画でも伝えられるからである
そこで番組作りした方が確かにそんなに見る人がいなくても興味ある人は見るのである
それを可能にしたのがインタ−ネットでありyoutubeなのである
youtubeは多様化しているからだ
つまりマスコミはマスを対象にしたものは廃れてゆく
それはみんな一律であり真実すら伝えていないからである9

私が南相馬市を案内したらどうなるのか?
まず真野古墳群があったとして前方後円墳がある、ところが寺内の実物は本当にみすぼらしいのである、それが古墳なのかどうかもわからないようなものである
ただそこで案内するとなるとそこに金銅双魚佩が発見された
これは東北ではここしか発見されていないから貴重なものなのである
だからその金銅双魚佩のレプリカがここで発見されましたよとなれば具体性があり興味をもつ
古代史に歴史マニアのような人がいればさらに興味をもつのである

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それから震災のことを伝えるが海老とかの避難地として指定された場所が海側であり危険な場所でそこに30人くらい死んだということを伝える
あれは本当に悲劇だったからである、いくらでもすぐ近くに逃げる場所があったのに
わざわざ危険な場所に逃げて死んだからである
そこに死んだ人の名前刻んだ供養の石碑がある
そこで津波の恐ろしさを具体的に教えられる

ただそうした大衆向きの番組でも地元でも知らない所が必ずある
何かカレーに玉ねぎ一つをのせた料理は面白いと思った
カレーを作るのに私も苦労していたし玉ねぎが自分は好きだったからである
それから一番星という民宿に喫茶店と食事する場所を作った
あそこは何なのだろうと見ていたがそういう場所だと知った
ただあそこは場所があまりいい所ではない
金沢で確かに海があるが東北電力の火力発電所も近いしながめがいいとはならないからだただそこはそこなりに悪いとは言えない場所ではある

ただ喫茶店紹介した新地の花木山と相馬市に最近できたと煉瓦の中村珈琲店と鹿島区の海老のニコニコ堂と薔薇で飾った日立木の磯部の柏崎の丘のカフェ―ドマーニは場所がいいのであるそれでこの喫茶店を回るだけでなんとなくその土地のことがわかる
景観がわかる、ただ原町にはないのが残念である
海が見える場所にあってもいいと思っていたからである

この辺は案内するとなる震災以後は津波のことと原発のことが必ずある
だから津波がどの辺まできたとかここで死んだとか説明が必ずある
ただその記憶も薄れてきている、外部の人はやはり地元より忘れてゆく
でも津波だげはその場に来て立ってみないと理解できないのである
地形と深く関係していたからである

私は介護になってからはほとんど旅行もしないし仙台にも行っていない
ほとんど家にいるだけである、旅もしたくなくなったし何か年取ってから余計に人ごみの中に入るのが嫌になった
ただ家でじっとしているのがいいとなる
だから家が住みやすいことが老後は大事だなと思った
そういう点田舎はなにもなくても静寂とかがありそこでじっとして黙しているのが
自分にとっては幸福なのである

いづれにしろ何かその土地のことでも旅の番組を見ても本当にわからない
テレビでも動画でもわからないのである
だから常にそこには誤解が生まれやすいのである
映像だけから判断するとそうなる
その映像はその場所を伝えていないのである

例えば坂を上ったとしてもその高低がわからない、自転車でもわからない、自ら乗って坂を上ればわかるが映像からだけではわからないのである
寺内の前方後円墳は急な坂を上った高い場所にあるからだ
それは来てみて上らない限りわからないのである
だからその土地の地形とか知るのはテレビをみても地図をみてもわからないのである
それで必ず誤解しているのである

私は日本なら隅々まで旅したがそれでもその土地のことはわからない
でもその土地のことを一度でも行っていればなんとなくイメージできる
それは一度でも行った場所はそうなるがテレビでも映像でも行ったことがない場所は
必ず誤解している、それが極端になるのが外国旅行なのである
それは本でも読んでも映像をいくら見ても実際に見ない限りわからないのである
百聞は一見にしかずなのである

とにかく現代というのは映像の時代である、その映像をみてなんでもわかったような気分になるが実際はそこに誤解が生まれる、映像からだけではわからないのである
地理とか地形とは全体からしかわからない
ところが映像は一部分を取り出してみているだけだからそこに誤解が生まれるのである

例えば大井川の奥の井川線にも鉄道がありそのことがテレビで紹介されたとき私がわかったのは
大井川の千頭が終点でありそこまでまで実際に自分自身が行っていたからなのである
するとそこが終点からさらに奥があったとして認識できるのである
もし大井川鉄道を実際に行っていないならそこがどれだけ奥地なのかわからないのである今は情報が映像があふれかえっているがでもそれで人々の知識とか認識とかが広がったとはもならない、間接的な情報は膨大だけどじかにその目で見てその地に立った認識こそが大事なのである
現代というのは交通も発達しているから点としての認識が広がっても面としての認識がかえってなくなっている
だかち南相馬市でも相馬市でも日立木から街道を歩いて相馬市の城下町につくことが歴史を知ることでありその土地のことを知ることなのである

現代の問題はテレビで動画でも映像でも見て理解している、知っていると思わされるのである、これが何か必ず誤解を生んでいるのである
それはいろいろな事件でもテレビのやらせとか誤解を生んだ原因なのである
映像の力でそう思わせられるからである

ただ地元の人がyoutubeで観光内を作るべきである、市の方でも公開した動画があるから
今はいろいろと地方でも知ることができるのは便利である
ただ番組というのはその人によって紹介の仕方も違ってくるし見方がいろいろある
見せ方もいろいろある、だからこういう面は何か地域の特産物を作るよりバラエティがある、どうしても地域の特産物は限られし簡単には作れないからである
それで事の消費の観光となるとそこにバラエティがいくらでもあり個性が出せるとなる

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この四つの喫茶店は場所がいいのである
ここを回れば地形的なことがわかる
ても原町にはないのが残念なのである

ニコニコ堂はハイドがあっていた、隠れ家のようになっているからだ
隠された場所だとなるからだ

2020年01月25日

明治維新で北朝ではなく南朝を継続した (野馬追いに出ている南朝の旗) nanchoumeiji1.jpg


明治維新で北朝ではなく南朝を継続した

(野馬追いに出ている南朝の旗)
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鹿島区街内の出陣式
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鹿島区の旗印ほ菊の紋




後醍醐天皇は、既成貴族層の解体と再組織を狙っていて、旧来の「天皇対貴族」という関係を打破して、「天皇絶対」のための官僚組織を作り出すことを最大の目標としたのでした。

北畠顕家の諫奏に見る後醍醐天皇の失政

南北朝の戦いは複雑でわかりにくい、でも最近加治将一氏の本を読んでそうなのかと思った
明治維新は南朝を継いだのであり南朝の思想が反映された政権だった
それが巧妙に隠されていたのである

西郷は南朝の九州武将、菊池家の子孫だ、家紋抱き菊の葉と菊、西郷の変名は菊池源吾
逆から読めば(吾源は菊池なり)西郷はあくまでも菊にこだわりまた南洲という名も使用して南朝への思い入れは凄まじいものがある
官軍がかかげた錦の御旗、菊の御紋は当初は西郷軍を鼓舞するものだったのだろう
もともと天皇家と菊の縁はそれほど濃くない
戊辰戦争でやかましく浮上しただけでむしろ薄い

菊と水は楠公(菊水紋)の家紋である

野馬追いに出ている菊の紋の旗は南朝由来である、菊池とは菊の紋のことである

西郷は南朝の九州武将、菊池家の子孫だ!

この菊の紋の旗は鹿島区の街内で一軒確認している、あと二軒も確認している
鹿島区は真野中館に南朝の城の霊山が炎上して落ち延びてきた落武者が子孫の人が多い
只野氏はその中心人物だった、その人は同級生であり街の中心に住んでいる 、只野の姓が50人くらいいるのだ

有名な真野のお浜下りに「つづら馬」というのがある。つづら馬とは馬につづらをのせて荷物を運んだ。
霊山城で南朝が滅んだとき落ち延びたことを由来にした祭りなことは知られている。
それは真野の中館に落ち延びたのは桑折氏であり桑折氏が田中城の城主でありのちに伊達氏などがかかわり攻防があって相馬氏が支配することになった。

桑折氏と菊池氏は南朝の城の霊山が炎上したとき逃れてきた武将でありその子孫なのである

明治維新になりなぜまた南朝問題が生じたのか?
それは天皇の正統性が問題がぶりかえしたからである
江戸時代は天皇は脇役であり関心がなかった、でも天皇親政のようなものが復活してきたのが明治維新だったのである
それで天皇の御旗をかがけたのはほとんど南朝出身者の武将達だった
だから南朝の思想を受け継いでいたのである
なぜ明治になって異常なほど天皇をもちあげて国家神道としたのか?
その原因がここにあったのだ

後醍醐天皇は、既成貴族層の解体と再組織を狙っていて、旧来の「天皇対貴族」という関係を打破して、「天皇絶対」のための官僚組織を作り出すことを最大の目標としたのでした。

「天皇絶対」のための官僚組織を作り出すことを最大の目標としたのでした。

これが原因だったのである、第一この思想は民主主義とかヨ−ロッパの文明を取り入れたとき合わないものだった
ところが日本はこうして先祖帰りして天皇絶対制になってしまったのである
またそうしなければ日本を統一できないということがあった
ただ天皇が異常にもちあげられたことがやはり後の大東亜戦争の原因にもなった
明らかに明治維新から大東亜戦争は連続していたのである
その源に明治維新が南朝の復興であり継続だったということがあった
その主役となった西郷隆盛でも南朝の子孫だったということである

野馬追いの旗はわかりにくいにしろここは歴史的に明確なのである、ともかく歴史はどこかで蘇ってくる
江戸時代300百年は天皇は関係なかったからだ
それが明治になって天皇が異常にもちあげられた、また明治維新を成した人たちが天皇をもちあげて明治に新しい国家を作り上げたとなる、それか一面災いももたらしたのである
その証拠に靖国神社には官軍についたものした祀られていないのだ
西郷は最後は西南戦争で賊軍になり祀られていないのである
そうした恨みは会津でももっていたのである、賊軍とされたからである

明治維新となると今見直されている、錯綜しているが萬世一系などないというのは確かだろう、それは天皇を持ち上げた人たち作りあげた虚構である、だから明治天皇は作られた天皇だったというのもわかる
萬世一系とか天皇像を作り上げたのは天皇自身ではない、その取り巻きの権力を得る人たちだったのである
そもそもヨ−ロッパにならったら天皇というのはありえないからである
それは象徴的なものではない、実権ももっていたからである
天皇がそうした権力ではなく、文化的存在として許されるものだったと思う

『歌書よりも 軍書に悲し 吉野山』 {東花坊}

天皇は時代がたつにつれ歌書の方に傾いた、江戸時代にはただ歌の短冊を売ってかろうじて暮らしていた、まさに歌詠みにすぎなかったのである、それが明治になって異常にもちあげられた、天皇は象徴として必要でもそれが実権をもたされて取り巻きに利用されたのである
ただ日本は統一するには天皇が二に分かれると歴史では日本は二分して熾烈な争いとなった、だから南北朝の争いは日本のすみずみまでが争いになり深い傷痕を残したのである

2020年01月24日

中国ではどうしてもウィルスが繁殖しやすい風土 (中国はなぜ汚いことに無感覚で日本人は異常に清潔なのか?)


中国ではどうしてもウィルスが繁殖しやすい風土

(中国はなぜ汚いことに無感覚で日本人は異常に清潔なのか?)


中国というときなぜか三回も行った、中国は汚いことに無感覚である
一方日本は清潔さでは異常なほぎ敏感である、塵一つでも嫌がる
清潔民俗である、その相違は何から来ているのか?
これもやはり風土からそうなったのではないか?
そもそも中国は清潔に保つにも保ちようがないのである
黄砂とか飛んできて汚れるのが普通である
その汚れを気にしていたら住むことさえできない国である

そして川は大きくてみんな汚い、あらゆるものがそこに流れているのだ
それはインドのガンジス河でもそうである、川は長大でありなんでものみこんでしまう
そしてその川は海にそそぎ海まで濁っているのだ
それで中国でも海から行くと白水といって海が濁ってきたら中国大陸が近い
中国に来たということを意識できるのである
つまりだから中国に入るということは海まで汚くされる国に入ったとなる

中国はそもそも汚いことに無感覚になるように風土的になっていたのである
日本と比べると川はきれいであり透明である
そういう場所にいれば何か少しでも川が水でも汚れると嫌だとなる感覚が身につく
だからこそ禊(みそぎ)とか川で水で洗って浄めることが神道になった
神社でもゴミ一つない、静粛な清浄な場にしている
これも中国と日本の相違なのである
だからその国民性とか文化でもその風土と密接に関係して作られている

そもそも砂漠を見たらどうなるのか?そんなところに住んでいたらどうなるのか?
砂漠では砂が浄めるのである、砂にすべてが埋まり隠されてしまう
その広大な砂漠に穢れはないのである、だからそこに神が住んだのである
日本では水がきれいだし水で浄める、大陸では砂漠が砂が浄めるとなる
日本では砂漠がないのだから砂漠を知ることはできない
また草原もないし大陸のような広大な土地がない、だからそこから生まれる感覚が理解できないのである
つまり日本という風土で育まれた歴史と文化があり大陸で育まれた歴史と文化は違ったものになる

だから中国であれヨ−ロッパであれインドであれその国を歴史と文化を理解するのは本当にむずかしい、ただ比較すると日本はどうしてこれほど清潔なのか?
また中国が汚いことに無頓着なのかわかる
だから中国ではどうしてもウィルスなどが増殖しやすいのである
今回の武漢のコロナウィルスもそうである、ネズミを食べていてそこから感染したともしている、中国人は何でも食べる、飢饉で土まで食べたということもある
人肉も食べる、中国は常に飢饉があると膨大な数が流民化して革命も起きる
何かイナゴ民族のようにも見える、何でも食いつくしてしまう勢いである
それだけ人間が広くでも多いからそうなっている
だから中国の政治ではまず人民を食わせることが第一だとされている
そうでないと反乱が起きてくるからである

いづれにしろなぜ自分が中国に三回も行って被害にもあわなかったのか?
一回はあっている、カメラをとられたが後はそれほどなかったのも不思議である
自分自身は海外旅行に慣れていない、それで三回も行ったのである
その理由を後で考えると何か自分も清潔さがなく中国人と同じようになっていた
中国人の中にまぎれこんだのである、顔でも日本人と中国人は区別がつかない
結果として被害にあわなかったのだと思う
白人だったりすると見ただけで見分けがつくからである

とにかく中国と日本の相違はその風土にある、日本は中国の広大な大陸国家を理解できない、小日本になる、中国人は日本の歴史や文化を風土を理解できないことにある
でも不思議に漢詩がありその漢詩の詩語が日本語化して短歌や俳句に利用された
でも根本的には大和言葉がありそのなかに漢語が入って日本文化になった
漢字も日本化したものなのである
それで中国の西安に前の長安に行った時、柳が垂れて雨に濡れたとき何かほっとしたのだ砂埃が街中でもたち何か汚い、でも雨に濡れたとき柳でも新鮮になる
何か汚れが洗い流されるという感覚になった
まさにこういうことを経験しないと文化も経験できないのである

送元二使安西 王維 

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人

元二の安西に使するを送る
渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西のかた陽關を出ずれば故人無からん

ここは砂漠に近い所だからこうなった、

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新

これを実感したのである、だからまず風土を知らないと詩でも文化でも理解できないのである、軽塵を潤すというときどうしても中国は砂漠が近いから黄砂とか埃りがたつ
砂で汚れるのである、だから雨がふったときその砂が埃が雨でぬれてたたなくなる
それが本当に気持ちいいということを実感してこの漢詩でも理解することになるそ
それは俳句でもそうである、時雨とか台風とか日本にしかない天候があるから日本の天候を理解しない限り季語も理解できないから俳句でも理解できないのである

グロ−バル化するとこうして様々な国と歴史でも文化でも交わることになる
そこでウィルスでも入ってくるし様々な軋轢が異民族で異なる国家で起きて来る
それもいい面と悪い面がある、中国の悪い面がこうしたウィルスとかが広がり安いことでありそれが世界に影響することである
それがまたグロ−バル化のリスクなのである
ただ日本の歴史とか文化の欠点を補うものとして大陸文化も歴史もある
だから常に外国で生活した人は日本人をその歴史でも文化でもこきおろすのである
それだけ比較することによって日本が対象的に見えるからそうなるのである
日本人は細かすぎるとか何か大局的に判断したりするのが苦手である
日本は自主性がなく同調圧力が強すぎるとか様々な日本人の欠点もそうである

日本はヨ−ロッパとか欧米に明治維新以来習ったけど中国のことがわからなくなっているでも漢字を日本化して漢詩からとか中国の文化を深く学んでいる
でも実際の所は中国は最近貿易の面だけで物質の面だけで交流している
唐の国と交わった時は文化的な面での深い交流があった
それが現代との大きな相違である、文化面で日本は中国文化を深く学び取り入れたのである
その時日本と中国が争うようなこともなかったのである

だから歴史をふりかえれば今のグロ−バル化というのは本来の国と国が民族が交わるのとは違っている、文化という時、労働者など入れないからである
あくまでも文化面で特別なエリートしか入れていない、鎌倉時代の禅僧でも中国からいろいろ文化を伝えた、お茶でもそうである、それはモノがとして入ってきても文化として入ってきた、それが今とは違っている
日本は物だげではない、文化を取り入れたのである
だから国が違うとき歴史文化が違うのだから何でも取り入れるのはかまくいかないのである、その国にあったものを取り入れるべきだとなる

それで日本がでは今なんでも食べているが日本人には肉食があっていなかった
それは身体でもそういうふうに風土と文化と歴史から作られたものだったのである
なぜなら日本人の腸が長いのは穀物などを消化するために長くなった
そして欧米とかでは肉食が主流だから肉を消化する酵素が出るという
肉食に適した身体として作られていたのである

魏志倭人伝に、「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し。」とある
日本文化の特徴はこうした動物と関係していない、漁労民族であり縄文人でも狩猟をしていても森の国だから採集民族だったとなる
そういう風土から日本の文化が作られたのである、神道にしても日本の風土から生まれたのである
日本という風土はもともと自然に恵まれて清潔な場所だったのである
そこから日本人の精神も育まれたのである

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ(万葉集)

日本の自然は砂浜でも清浄だった、原初の状態を見たらその美しさふれたらこういう心になるのが自然なのである、だから中国の自然と日本の自然はにているようで全然違っている、こういう砂浜がおそらく中国にはなかったと思うからである


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人が死滅する中国汚染大陸 超複合汚染の恐怖 (経済界新書) (新書)
澁谷 司

目次だけ読んだが中国はこんな状態なのである

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2020年01月23日

資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し


資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し

(多様化多極化ー思想、哲学、学問、ローカル、価値変換の時代)

「銀行業のあり方」大西つねきの週刊動画コラムvol.85


youtubeでいろいろ主張する人が増えてきた、この人も年配である
この人の主張も現代の矛盾、資本主義の限界現象を語っている
金がすべての価値から新しい価値観の社会を提唱している
それを具体的に令和新選組の政党で主張している
いろいろい語っているが触りだけ見た

この人は鉄道でも銀行でも国営化すべきであり銀行は国営化して利益を追及すべきではないとしている
それは銀行とかかわったからそういうこともあると見た
一方で国営化はタテ社会を推進させるものだからすべて民営化すべきだいう意見もある
なぜなら国営化はどうしても税金主体となり縦社会の維持につながり既得権者の利益になるだけだとなるからだ
国営化は大きな政府であり小さな政府がいいとしたとき民営化がいいのである

ただそもそも今なぜ社会はゆきづまり資本主義はもう成り立たないというのは誰しも実感しているのだ
その象徴が銀行なのである、銀行に金が余っていても貸す相手がいない
そのことから銀行は歪んだものになり社会を歪めていることは確かなのである
銀行は何か外国に投資して株でも変な危険な金融に金をつぎこんでいる
それで農林中金が6兆円とかつぎこんでカモにされているとか言う
農林中金はそうしたアメリカの金融機関に金を盗まれるとなる

それだけ銀行に金が余っていてもそれで増やすことができない、利益をあげることができない、これだけはわかりやすい現実なのである
今銀行に金をあずけるともう利子はつかない、これからは利子をとられるし投資信託とか何かわからないものに金を使わさられる
そして手数料がとられる
そして銀行は前のように金を貸すと返してもらいたいとなるからその貸す相手を吟味するしかし債権だとそれを他に売ればいいからそれもない
貸す相手を見ないというのもこれも人間としてまずい
なぜなら金を貸す相手はやはりどういう人物なのかとか何をしするために金を使うのかということを知って貸すからである

ここで知っておくべきは銀行業と証券会社は別物であった

これは大事なのことだった、この役割は別物であり銀行では株式とか証券関係とか投資信託でも売ることができなかったのである
それができるようになりそれがもともとあった銀行の役割をなくした
特に地銀となると地域を良くする地域の経済を良くすることにあったからである
その役割も喪失した、これは日本だけではない、世界的にも銀行が返すこともできないのにくサブプライムローンで金を貸してその貸した金が返せないのでリーマンショックになったからである
銀行の金の使い方が誤ると世界恐慌になるのである
銀行は資本主義社会の要のような役割を担っていることでそうなったのである

だから銀行がただ他の私企業と同じく利益優先主義になるのは疑問であり国営化すべきだというのも経験からわかる
それは社会の公器だからというのもわかる、それが土地バブルのときおかしくなった
土地自体に価値がない、右から左に土地を転売しているだけであり土地自体には価値がない、日本は土地にあまりにも価値をおきすぎたのである

現実農業をやればわかる、土地よりそのノウハウとか道具を買うとか毎日草刈りとか肥料をやるとか天候の影響はある、鳥に食われるとかネズミに食われるとか虫に食われるとかそうした害虫の被害も大きいし天候に左右される
それでその話を聞いただけでやる気もなくなった
それだけ土地にではなくその労働の方が大変だから耕作放棄地が膨大になっているのである、土地自体にはそれほど価値がないのである
だから地主だけに金が入っていたというのはおかしなことだったのである

いづれにしろ今銀行が大きな問題になっているのはやはり資本主義の根幹がゆらいでいる金を株式で右から左に流して巨万の富を得ている人たちがいる
こんなことをどうみても許されない、それは世界の人たちの労働があって富になっているとき盗んでいるのである、大盗賊なのである
だからそういう人たちから奪いという闘争が起きている
下手すると反乱が起きてそういう人たちが殺されるかもしれない時代になった

本当に資本主義は行き詰まっている、金があまっていても投資先がないのである
それはモノも余っているようにな時代にそぐわないものとなった
だから金は変な所に投資先に流れて外資に流れてただ奪われているだけだという主張もわかる、アメリカの金融機関に金が流れて日本の金が奪われている

そしてもう銀行でもそうだが利益をあげることができない、金があっても利子はつかない利益をあげることができない、会社にも留保する金が膨大でもそれが労働者にまわってこない、金は株主に資本家にすいとられるだけである
だからなんらかで社会主義的方向にも人々の心は向いている
社会主義と分配を重視するからである、分配が金融資本家とかに偏って流れ過ぎているからである

今金の投資先がないからだろう、なぜコインに一つの古いコインに一千万とかの値段がついているのか?これも貧乏人にはわからないことである
たかがそんなコインにそんな値段がつくのか理解できないからだ
それも金余りになり金だ、銀だとか安全資産を求めているからそうなる
チャーリップバブルと同じである

だからもう利益はあげられない

利益があがらなくても社会に役立つものに金を分配すべきだ

こんな思想になってくるのはそういう現実が生まれているからである

そして何か何のために生きているのかとか何のために金を使うのかとか何のために働くのかとか問われる時代になった
それは結局モノ余りであり金余りの時代になったからである
するとどうしても宗教とか哲学とか思想とか学問とか芸術の時代になってゆく
もはや金余りになれば物余りにもなれば価値になるものはとそういうものだからである
だからそういう時代の変わり目であり価値観の変わる時代だからそこを見なければならない
今までのように利益をあげる金が金を産む時代ではなくなっている
それができない時代になった、するとどうするのか?
金にならなくても価値があるのは宗教とか哲学とか学問とか思想とか芸術の分野になるのである
内面性の追求とかの時代になる、ある意味でそれは中世に返るともなる
何か閉塞した時代だともなるがこれから日本は江戸時代的国風文化の再生になる
何か江戸時代というのを否定的に見ていたが良く江戸時代がわからなくなっていたのである

それは明治維新で西洋文明を取り入れたときそうだった
でも明治が偉大なのは江戸時代があり新しい西洋文明が入ってきて両方があったからこそ偉大な時代になったのである
武士道もありそれで内村鑑三のような人が出たりした
明治維新が成功したものは侍がいたからこそであった、幕臣が明治維新を推進したからである
現代の問題はその過去を捨ててしまった、戦前の価値観を捨ててしまった
アメリカ一辺倒になってしまった、それは明治でも起きていた
でもその時まだ江戸時代の価値観とか侍の武士道精神とか残っていたのである
そこで二つの時代を生きたからこそ明治が偉大だったのである

とにかく資本主義はもう成りたたない時代になった、何でもそうだけど一時は資本主義は世界にとって有効に働いていた、でもそれが行き詰まるというとき時代がそうしている
そこで新たな時代を作る模索がはじまっているのだ
それは政治でも経済でも宗教でも哲学でも思想でもあらゆる分野でそうなる
数だけを集めて権力を操作しようとするカルト宗教団体もそれも通用しなくなる
何か数の時代も終わる、またと既得権の上に胡坐をかいていたマスコミでも官僚でも力を失う、そういう時代の変わり目に来ている
youtube自体がもうテレビを凌駕する時代はそこまで来ているからだ
その一角も確実に崩壊しつつあるからだ
多様な情報世界と多様な個々人の場が生まれている、地域から発信するとその地域地域の場が注目される、私の相馬郷土史でもそうである
郷土学でもそうである、地域地域から新しいものを見出して発信する時代になったのである、マスコミのような巨大な一極集中時代は終わったのである


posted by 天華 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

New Year(abstract painting-frozened river)


New Year(abstract painting-frozened river)

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Shore of the universe

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原画と写真とにしているものがある、でも二次創作となっている
でも著作権を指摘されるかもしれない
ただAIが肖像画とか創作して高い値段で売れた
だからAIが絵を創造できる、これもありえない時代になったのである

AIが描いた肖像画が4300万円で売れた

AI “paints” portrait at Christie's auction, $ 432,500
(Approximately 49 million yen)

There is something that is both an original picture and a picture, but it is a secondary creation
But you may be pointed out by copyright
However, AI created portraits and sold them at high prices
This is the age when AI can create paintings

2020年01月22日

団塊の世代の話に共感する (食べ物もないのになぜ子だくさんだったのかの不思議)


団塊の世代の話に共感する 

(食べ物もないのになぜ子だくさんだったのかの不思議)


加治将一氏のyoutubeの話に共感する、やっぱり同世代は経験したことが共通しているから共感する、女性でもそうだった、同じことを経験しているから話が通じるのである
下の世代になると話が通じなくなるのだ
それで50以上の人が話を聞いているのはそのためである、若い人は1割くらいしか聞いていないのである
でも実際は今若い人は若い人の話を聞いて共感している
でも話に共感しても何か人生を生きるための教訓は得られない
第一同レベル人からは何か学ぶものが習うものがないからである

少子化が日本が狭いしいいいじゃないかというとき私もそう思っていた
日本は人口が増えすぎたのである、江戸時代だったら3000万くらいしかいなかったのである
明治になって倍増してきたのは異常だった、大正時代でも東京は百万くらいだったのである、それで東京を称賛する詩人がいたというときそれは今のような大都会とも違っていたからである

団塊の世代で一番不思議なのは子供の時生活だったのである
戦後焼野原になったら何もない、食べ物がないのである
燃料は材木屋の木材の切れ端のバターであった、飲み水は井戸だった、まるでそれは原始的な江戸時代の継続だったのである
私は何か子供の時一番働かされていたのである
風呂焚きから水汲みから店をはじめたときは卵買いとかに行かされたししょっちゅう配達させられたり丁稚のうよに働かされたのである
その頃農家でもみんな子供良く働かせられていたのである
今でも後進国になると子供は労働力として生んでいた
だから男の子が生まれると喜んでいたのである
働き手になるからである、そして子供は親のために働くこと尽くすことが強いられていたのである

そしてなぜあんなに食べるものがないのに子供がわんさと生まれて育てられていたのか?これが本当に今と比較すると考えられないことなのである
私の父親は牛乳をもらうために並んでいた、その頃牛乳もなかったのである
あらゆるものがない、食べ物自体がないのである
今ならいくら貧乏でも食べ物が牛乳などあまっているしいくらでも子供に飲ませられるだろう、それなにのなぜあんなに子供が育てられたのか?
そして今は食べ物はあふれているしいくら貧乏でも牛乳くらい飲ませられる
第一貧乏人の子だくさんは世界で共通している

それでなぜ少子化になっているのか?
それが理解できないというのはわかる、それが団塊の世代からするとそうなる
もちろん生活のレベルが高くなっているから比べることはできないということがある
でも不思議なのは貧乏でも子だくさんでありそれは時代でも世界でも変わらないのである貧乏な国はかえって子供が増えすぎて困っているのである


とにかく団塊の世代の子供の時の生活経験は貴重だった、その時本当に家にはなにもない自分の家には本一冊もなかった、鉄腕アトムとか漫画を読んでいただけである
その後も何か本自体にふれる機会がなかった
田舎では20年前なのかその辺でもまだアマゾンなどないから古本でも何でも本自体手に入らないのである
田舎の書店などしょぼい、今の世界とは比べようがない
それで「冠婚葬祭」の本が百万部売れていた

要するにまともに本は売っていなかったのである、硬い専門書はないし読む本が非常に限られていたのである
だからこれがベストセラーだとしておいたのは本自体がないからだったのである
それでやっと仙台まで行って専門書とか硬い本を買っていたのである
そういう点で今は恵まれている、こんなに本がありいつでもいくらでも必要なら買えるからである、古本がいくらでもあり安く買えるからである
今は東京に憧れるものが本当はなっている
返って田舎に憧れ田舎で空家とか借りて広い庭がありゆうゆうと暮らしたいというのが若い人たちが憧れている、それが時代の差である

そして大きく変わったのは家事だった、洗濯を洗濯板でごしごし洗っていたらもう時間がかかりすぎる、だから私の母は店もしていたから休む暇もなく働いていた
御飯をゆっくり食べる暇もなかったのである、それは異常な生活だった
何の楽しみも余裕もない生活だったのである
それで戦前になると家事の労働が負担であり東京の中産階級でも女中を二人雇っていたということがあった
私の母は女中として東京で働いたからである

本当に時代が変わるとこんなに変わるのかと驚く、それより戦前から戦後を生きた人たちはもっとその時代の変化を受けていた
だから団塊の世代になるとなぜ少子化なのか理解できないとなる
子供を生んで餓死させるようなことはありえないと思うからである
食べ物すらない時代でも子だくさんで育てていたからである

とにかくその時代からこれまでの時代から比べると人間はみんな贅沢になりすぎたのである、まるで王侯貴族のような生活にみんななった
食べ物ではそうである、最底辺でもサシミを食べない人はいないのである
知っている人でも自分よりも一番新鮮なサシミを売る魚屋で食べているのである
でも私の父親は最後にサシミ食えるようになったが食えたくないと言って死んだのであるそれは病気になったためである、結局一生貧乏で死んだのである
バナナも仙台から買って食べさせた、その頃バナナすら売っていなかったのである
こういう時代があったことそして今を考えることが何か理解するのには大事である
それが歴史を知ることだとなる

そして外国生活した人は言うことが違ってくる
それは日本に住んでいいただけでは外国のことがわからないのだ
いくらニュースに接してもわからないのである
旅行しても深いところがわからないのである、だから外国生活をした人は人によって違うにしろ日本が良く見えるからある人は常に日本をこきおろすのである
ただ人によっては日本の良さを言う人もいる、だから日本がすべて外国と比べて悪いとはならないがどうしても日本だけしか知らない人は偏るのである
自分自体が外国で暮らしたことがないから日本の見方が偏るのである
何か理解するにも経験である、本からだけでは外国のことなど基本的に理解できないからだ

ともかくインタ−ネットでも40代以下が主流でありまたyoutubeになると高校生以下小学生が視聴者であり何百万も見ているのである
団塊の世代とか60以上でも本当に少ない、一パーセントくらいしかいないかもしれない
youtubeになると動画だから特にそうである、編集することがめんどうになるからだ
私もワードプレスを試みたがめんどうだとかなる、SSLにするのもめんどうだとかなる、技術的な面でついていけなくなっているからである
でも若い人同士つるんでいては何か人生のためになるものが聞けないことがある

一番人生で世代間で身に染みて差がつくのがいかに人生が短いかということである

時間が一番消失しやすい

時間は金のよう意識できない

馬鹿話とかテレビとかその他常に貴重な時間は奪われている

そしてその時間がとりもどせない

何か若いと生きる時間が無限になるように思えるのである
老人からみると最後は一瞬だったともなる
そして一番大事なのものは時間だったということにみんな気づく
なぜならいくら金あっても時間はもどってこない、時間は買うことができない
だから金がなくても時間を有効に使った人は老人になってから価値あること発表できる
どんな人も時間を無駄にしているからである
あとであんなことして時間の無駄だったと謂うになるからだ
自分もそうであり誰でもそうなのである、でも時遅しでありその時間がとりもどせない
それがみんな年取って一番感じていることなのである
                                              
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加治将一チャンネル

posted by 天華 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

体罰の是非 (団塊の世代は父親に普通に殴られていた)


体罰の是非

(団塊の世代は父親に普通に殴られていた)


その女性は田舎でぱめずらしくいろいろと語る、自分の思っていることを語る
高校も出ていない、団塊の世代になると中卒とか集団就職の時代だったからである
三分の一は中卒だったのである
だから今の子供には体罰も必要だとしきりに主張している
でも体罰とかを団塊の世代では受けている、それより家庭でも親父は怖い者であり
絶対服従だったからしょっちゅう殴られていたと同世代の人がyoutubeで語っていた
しつけは体罰が当然とされていた時代だったのである
体罰で教育するしつける従わせる時代だったのである
家庭でそうであり当然学校でもそうである

でも10歳くらい年上の人が近くにいた先生に殴られたとか恨みを語っていた
何かこうしたことは恨みとして残っているのだ
私自身も中学でそういうことがあり先生に対する恨みが残ったのである
それはどういうことかというと先生が男女の生徒の前で殴ったり見せしめとして立たしたり体罰が日常的に行われていたからそうなった
それで今のように親が文句を言う抗議することもなかった
なぜなら親がそもそも家庭で体罰をしていたのだから当然文句を言うはずがないのである
体罰とは女性でも見せしめとして人間をおとしめるものでありそれで何かを更生したりできない、上のものに対しての絶対服従を体罰によって教えられるのである
教育自体がもともとそういうものであり強制的にしなければならないとかあった
学校では古い時代からそういうものであったともなる
学校の校は縛るという意味だからである、縛り教えるのが学校だともなる

とにかく人間が人生を語る時、自分を語る時経験から語っているのだ
人間は経験からしか覚えない、本当に痛い目にあわないかぎりその痛さがわからないのである、それでなぜこの同世代の女性が体罰をするべきだとしきりに言ったのか?
それは女性だったからである

女性には体罰はなかった!

女性は男子生徒が先生に殴られていたり立たされていたりしているのを笑っていたのである、つまり男子生徒の痛みを女性だから理解できなかったのである
ここにも男女が理解し得ないものとしてもともとあったことがわかる
女性だと男性から優しく扱われるからそうなるし男子生徒が殴られていても痛みを感じないのである
ところが男子生徒は老人になっても近くの殴られた先生を恨んでいた
自分自身もそうである、そうして笑いものにされたことを忘れないのである
その先生とあったが挨拶もしなかった、でも女子の生徒にはそういう痛みがないから
男性のことを理解できないのである
それはまた逆に女性の出産などにしても女性が侮辱されることに対して男性は無理解なのである、その痛みを経験しないからそうなっているのである

人間がなぜ互いに理解しえないのか?
それは人間の判断は別に本を読んで判断するとかではない
それぞれの経験から判断している、経験の積み重ねで判断しているのである
今になると戦争のことは経験しないかぎり理解できなくなった
人が平気で殺したり殺される世界をとても経験しない限りわからないのである
すると戦争を甘くみてまた同じように戦争をしたいとかまでなる
それは経験がないからそうなるのである

学校の体罰は見せしめであり人間を侮辱することでありおとしめることなのである
それをみんなの前ですることが後々まで影響しているのである
ただ自分自身は甘やかして育てられたから厳しい体罰でも必要だったのである
それは自分の特殊な生い立ちからそうなった
だから大学で体育会に入り殴られても良かったのである
それは先生が女生徒がいる前でなぐられるのとは違っていた
そこで鍛えられたということはあったからだ
殴ったのは先生ではない、先輩だったからである
それはまた事情が違ったものとなっていた

人間の問題は相手を理解できないということである、それが地域とか国とかまた育った環境とか男女でも理解し得ないのは経験することが違っているからである
男性は出産を経験しないからここで根本的に女性を理解できないのである
人間は理屈を言っても理解されない、経験しないことを理解されない
様々な痛みを経験しないと相手を理解できないのである

男女共学は必ずしもいいものではなかった、なぜなら男女は体と心も別々のものだからである
女性は女性らしい教育をして男性は男性らしい教育をする
そして日本だと家庭では父親が威張っていた、そして何か子供が言うと殴ちれたというときその延長として学校でも先生が殴っていた
それが許されたの家庭でそうしているのだから親が学校でも体罰することを容認していたのである
アメリカでは父親がそんなことをしない、殴ったりしない、子供の話を良く聞くというときもそうである
欧米の家庭の方にこそホームがあり日本がにはなかったとなる
そういう家庭ではそもそも個性とか創造性が伸ばせないのである

私の家庭は特殊でしたいことをしなさいとなっていた
だからそのまま大学でも遊んで社会に出ても働かないで遂に旅ばかりして60まで遊んでいただけだともなる
ニートだったのである、でも勉強はしていたのである
それでその成果を今出しているのである



posted by 天華 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2020年01月21日

(冬の城下町)相馬市が城下町であったことの価値 (歴史は全体であり精神も全体から育まれた)


(冬の城下町)相馬市が城下町であったことの価値 

(歴史は全体であり精神も全体から育まれた)

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冬の暮忠義の松や城下町


相馬市が城下町なのである、でも城の跡があるにしても何が城下町なのか?
城下町とは何なのか?それが意外とわからない
つまり城下町とは城があって侍が住んでいた町である
城下町の中心は侍の町でありその周辺に商人とか職人が大工などが住んでいた
でもその町の中心は侍が住んでいたことなのである

田町通りになるともともと田があったところでありそこから街に発展した
もともとは中村であり中村城であり中村駅なのが相馬に変わった
相馬氏がここに城を建てたのは戦国時代の終わり頃であり慶長時代でありその時慶長津波があった時代でもある

今になるとどうしても城があって侍が住んでいたということが意識しにくい
城下町というとき江戸時代ならそこは侍の町でありその周辺は田んぼであり畑である
農家になっていた、だからこそ田町とは田のある所であった
そういう地名は全国的にある、田から町に変化したのである
町とは一区画の意味でありだから村の中にも町(マチ)とつく地名がある
日立木の町場橋などもそうである、村の中に町場があった

かつては、町場の家大工は町内にある社寺なども手がけており、宮大工の技量もあった。そのため、野丁場の大工よりも町場の大工のほうが腕が良かった。

町場

ちょう ば ちやう− [3] 【町場・丁場・帳場】

@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離。 → 長(なが)丁場
A 夫役で、運送・道路工事などの受け持ち区域。工区。持ち場。
B 馬子やかごかき・人力車夫などのたまり場。 


町場とは建築現場であり大工が通う場所だった、ではなぜ日立木の薬師堂のある所が町場橋になっているのか?あの薬師堂を建てたときその地名がついたのだろうか?
宮大工とあるからそうかもしれない、でもなぜ日立木なのだろうかとなる
街道に由来した方かもしれない、なぜなら街道であり中村城と近いからである
この地名は江戸時代につけられたものだろう、つまり街道ができたときつけられた

ともかく相馬藩というとき江戸時代なら城を中心にして城下町がありその城の中心には侍が住んでいたのである、その人たちは戦国時代が終わると官僚になった
でも刀をさして城下町を歩いていた、ここでは確かに野馬追いがあるから侍の時代が再現される、でも野馬追いに出るのは農家であり今は城のある市内からは出ないのである
郷士として給人として農業していた侍が出ている
でも江戸時代は城下町に住んでいたのだから今の市内に住んでいる人が侍町となっている城の周辺に住んでいる人たちが野馬追に出ていたとなる

人間はなぜ時代がたつと変わると昔がこれほどわからなくなるのか?
それは時代とは部分ではない、全体なのである、時代をみるとき一つの遺物から見たり部分的にみる、そこに誤解が生じるのである
江戸時代というとき城下町があればそれは全体なのである
全体が時代を作っていたのであり部分ではないのである

だからなぜ何か残されたものでも芸術でも全体を時代を見れないから理解しにくくなる
城下町を形成するのはそうした時代の全体なのである
城だけでもない、その時代を作った全体である、周辺の農村もそうであり全体が時代を作っていた

それで侍が住んでいたという時、殿様が城に住んでいたというとき城が町の中心であり
それは生活そのものもそうだが精神的にもそうなのである
侍が君主に殿様に仕えて日々の暮らしがあった
すると町全体が君主に殿様に仕えていたともなるのである
今は誰に仕えているのか?役所だったら逆に住民に仕えているとなる
その相違が大きいからもう城下町のことをわからなくなる

それで侍屋敷があるとする、その庭に松がある、すると私の作った俳句のような感じになる、城には松がにあう、それが忠義の松なのである、侍の時代が全体を作っていたからそうなったのである
ただこういうことは旅しても良くわからないのである、二本松だって城があって城下町である、10万石であり大きな城があった、でも何かもう城下町とかになるとわからないのである
二本松とか白河城とか会津などは外から来てもなんとなくまだ城下町ということがわかる相馬市は城下町だということが外から来たらわからないと思う
城もないしどこが城下町なのだろうとなる
ただ細い路地が多いから碁盤の目のように区画されていてそれが昔のままになので城下町だと意識する、ただ歴史は時代は全体なのである
その全体を意識することは残すことはむずかしい、京都とかでもそうである
町屋があってもその前に高層ビルが建ったりするぱもうその全体の景観は破壊されるからである

要するに時代の景観は常に破壊されつづけている、だから時代の全体がわからなくなる
それが江戸であった、東京になって全く景観が変わった
東京から江戸時代を偲ぶことは至難である、そうなると歴史を偲ぶことができない
ヨ−ロッパになると石作りの建築が残っているからローマ時代でも偲べる
日本は歴史を偲びにくいのが全体がまるで変ってしまったからなのである
その時失われたのは景観だけではない、侍を中心にしてあった精神的なものを失われていたのである
だから侍とは何なのということがわからなくなる、その時日本は日本ではない、過去が歴史が失われているから何か外国の一都市のようになっている
それが外国でも同じだがまだヨ−ロッパ辺りだと昔の遺跡が石だから残っているのである日本は木の文化だから残らないのである

とにかく城下町の景観は時代が作ったものでありそれは全体である、だから全体が失われて個々の部分を博物館などで見ても歴史はわからなくなる
相馬市は城下町でありさほど景観が変わらないから偲べるともなる
でも外から来た人にはわかりにくいのである
だから現代では過去を歴史を偲ぶことがいかにむずかしいかわかる、日本では特にそうである、侍の時代が鎌倉時代から600年くらいつづいていても失われたことでもわかる
侍とは何なのか?戦国時代のみをイメージしている、でも江戸時代300年は戦争はなかったから刀をさしていても人を殺すということはなかったのである
でも侍中心であり城下町は殿様への君主への忠義として城下町があったとなる
それは侍だけではない、町民もそうした全体の中に組み入れられていた
それは侍を模範としていたのである、侍に倫理的にも習っていたのである
ただ力で支配するだけの存在ではなかったのである
それが町全体として回りでも時代を作っていたのである

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八重桜(相馬市から日立木の街道帰るー田町は新しくしたが昔の情緒が失われた)

相馬藩六万石-冬椿の城下町(随筆2-日立木の町場橋の情緒)


posted by 天華 at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2020年01月20日

場が人間のアイディンティティの基礎 (調和の庭(詩)−田舎と家と土地)



場が人間のアイディンティティの基礎

(調和の庭(詩)−田舎と家と土地)

cfeesoma1.jpg

この四つが場所がいい、最近磯部に絆という喫茶店ができたが場所が良くない
海も見えない、庭から道路が見えるだけだとなるからだ
パン屋は海が見える、でもそこは休む家がない、パンだけ売っているだけである
場所として海が見える所が良かったと思う

鹿狼山の下の花木山ガーデンからの見晴しは最高である
あそこにも喫茶店のような休む場所があるがかなり狭い、でも場所としてはいい
ただ私はこれらの喫茶店とか行ったのは二回ほどしかないのである


日本の庭はやはり一つの文化である、家庭というとき家と庭だからである
ただなぜ人間は調和しないのか?
自然は荘厳な調和の世界であり宇宙である
人間社会は別に戦争がなくても絶えず争っている
他人に対してなにやかにやでもめているし衝突している
つまり人間社会には本当の平和は永遠にないのである

田舎でも別に人間が調和しているわけではない
ただ田舎の相違は何度も言うが「場所の現象学」で深く場が考察されたようにその土地と深いアイディンティティをもっているからだとなる
ふるさとというとき故郷でもありこの故は祖父から親から子へと継がれるものがあったからだともなる、里は場なのである

それは農業社会だからそうなっていた、それで農家では三代つづいてはじめて仲間と認定されて部落に受け入れられたというのもそうである
それは土地と深く結びついているからそうなったのである
場という時、私が言う観念的なものとは違う、具体的に生産の場をもたなければ生きていけないからである、農家と土地はそうして一体化しているからだ
土地は血肉ともなっているからだ

やはり何代もつづく家はそこに何か表現できないが重みを増してくる
それは蔵がある農家とかがそうである
都会だといくら豪邸に住んでいてもそうした重みが備わらない
それは土地と一体化した場をもたないからである
田舎の家は農家だと大地に深く根付いた木のように見えるからである

現代人の生が何か希薄化する、浅薄になる、重みがないのは場を失ったためである
日本の神社が社でも深く場とかかわり生まれた、神社と小社でも場と切り離されずあったからである、その地域地域の場と深く関係しているからである
それは外国でも神殿が建つ所はその場と関係していた
不思議なのはイスラム教でも偶像崇拝を拒否してもメッカという場が信仰の場となっている、方角と場に祈っているともなるのだ
つまたそれだけ人間は場から離れてありえない存在なのである
その場とのアイディンティティを失ったとき生の意味ももていなのである

だから何でも経済的に金で今は考える、そんな田舎に住んで金にならない生活できないとなるだけである、では都会で大金持ちになってそれで生の意味が価値が意味がアイディンティティが作れるのか?
普通は今ならそんなことは考えない、でも最近い若者でも田舎に移住する人が増えてきた空家がありそこに住めば広い庭があり場を確保できるからだ
そこで生活するとなると贅沢はできないかもしれないが場をもつことができる

ただ正直田舎の問題はかえってそうして場をもたない、家をもたない、ある程度の資産がないと暮らしにくい、市営住宅に住んでいるような人は何か場をもたないということで余計にみすぼらしく見えてしまうのである
そして田舎だとその土地の有力者は住みやすいのである
何か狭い世界で序列ができて威張ることができるからである
でもそうでないと田舎はそういう序列が見えやすいから住みにくいとなるのである

だから相馬市の煉瓦の喫茶店のことを入ってそれも城下町で場を得て調和したと見た
特に広い庭があったから余計にそれを感じたのである
喫茶店でもレストランでも何か場所がいいと価値がある
海の見える喫茶店とか山陰の隠れ家のような喫茶店とか丘の喫茶店とかである
津波の後に海老村には山陰の隠れ家のような喫茶店が農家の納屋を改造して作られた
磯部の柏崎の丘には薔薇を咲かせた西洋風の喫茶店がある
その場所で価値がまずある、家でもその場所の価値がある
景色のいい所にある家は価値がある、だから都会だとそういういい景色の場所がないから豪邸でも価値あるものと見ないのである

人間は意外と常に場の影響を受けているのだ、それを感じたのは家の中でもそうなのである、二階と下では何か住んだ感覚が違うのである
二階だと空が広く見えているし冬だと廊下に日がさしてひなたぼこして本読んだりしている、すると何かイメージが湧いて詩でも創作する、アイデアが生まれるのである

それは一つの家でも場所が変わると気持ちが変わる

だから何か書き物したり創作したりする人は家が大事になる、家は画家ならアトリエだからである、そこが創作の場所になるからである
そして不思議なのはそこにただ座る、胡坐をくみ座るのとソファーにもたれるという姿勢で脳の働きが違ってくる、これも不思議だと思った
姿勢を変えただけでも脳の働きが変わるのである、だからソファーでも背を伸ばせるソファーが椅子がいいとなる
そこでくつろぐといいアイデア生まれるとなるからだ
その点自分の家は恵まれているとなる、ただ一人で広いから困っているのである

老後を考える時意外とこうして場が大事になる、なかなかもう旅もできない、じっとしていることが多くなるからだ、すると家が広くて余裕があり思索する空間があることが大事になる、だから老後は家が根城となり大事なのである
そこで書き物などもするし仕事の場ともなるからである
だから景色がいい場所にある家だと最高だとなる
ただ私の家は街中にあるから景色がいいとはならない、でも田舎だから回りに高いビルなどないからいいのである

相馬市がいいのは平屋が多い、高いビルがない、ただ田町通りは広く新しくしたから何か違和感が生まれた、公共の建築物のように入母屋式のようにすれば昔の感覚が生まれたかもしれない、ただこれは両論がある
とにかく価値はいろいろある、一つの価値だけてはない、価値を生むものはいろいろある場所も立地も大きな価値なのである、これが価値の基本にある
それが人間の基本的アイディンティティとなるからである 



調和の庭

一つの庭に
石と石は
調和してある
石と石は対等である
石はそこに
一つの調和の世界を作る
それぞれの場を得て
石はそこに落ち着く
場に根ざして石はある
そこに高ぶるものなく
低きものもなく
石は調和して
一つの世界を形成する
大きな石も小さい石も
高い石も一つになる
人に例えれば
兄弟の石があり
親子の石がある
夫婦の石とみるごとくに
祖父の石のごとくに・・・        






2020年01月19日

煉瓦作りの新しい中村珈琲店の不思議 (隣の広い庭が活かされて城下町にふさわしいものとなった)


煉瓦作りの新しい中村珈琲店の不思議

(隣の広い庭が活かされて城下町にふさわしいものとなった)

 相馬「ビートルズ珈琲店」台風豪雨の苦闘奮闘感涙記
2019/11/2(土) 6:00配信新潮社 フォーサイト

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これは八沢浦から見た蔵王

磯部から見た蔵王が近くに見える

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中村神社の池

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松のある玄関と隣の喫茶店の庭が広い

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長い藤棚がある、これは見ものである

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古い藤の木
この庭に池があった

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喫茶店の中から広い庭が見える

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これはアトリ科のシメである


一処(ひとところ)今年も暮れぬ冬木立

六万石城跡たずね冬深む

親子杉ここに根付きて冬深む

目白来て街中の家冬椿

錦鯉赤と黄映えて冬の池

城下町路地の細道冬の松 

松に映ゆ相馬の城下冬紅葉

路地細く相馬の城下冬の暮 


冬の鳥相馬の城下喫茶店

城下町枯木の庭や喫茶店 

いつよりや庭の古木や喫茶店

古池の跡や残りて冬の暮 

城下町庭の古木や冬深む


松並木街道帰る冬の暮


みちのくの蔵王は雪に閉ざされぬ磯部よりしも見えにけるかも

新年に新しき店と喫茶店我が入るかも趣き深めぬ


八沢浦を回り磯部から道の駅により街道を行き相馬市街に行った
蔵王は磯部から大きく見えていた、あれに気づかなかったのが意外だった
ここから蔵王は確かにはっきりと見える、蔵王の見える領域にある

相馬の城跡には日曜日なので何人かたずねる人がいた
中村神社の池に錦鯉が泳いでいた

それから煉瓦作りの喫茶店ができたというので見に行き入った
それがなんとも不思議だたのである
最初路地裏の細道を行くと塀があり松が立つ玄関の家があった
それでいかにも相馬市は城下町らしいと感じた
それは前から碁盤の目のようになっていて城下町の雰囲気があった

その喫茶店は煉瓦作りでありそれも手間をかけた感じである
中に入ると隣の庭が見えた、古木がありそれがこの喫茶店の家の庭だったのである
それが広いのである、なぜこんなに広い庭があったのか?
家は小さい、でもその家に住んでいた人がこの煉瓦の喫茶店を改造して作ったのである

こういうふうにして喫茶店を作ったのが鹿島の海老村の納屋を改造した喫茶店である
ただあそこでは予約注文しなと昼食は食べられない
今回の喫茶店は第一相馬市内のど真ん中にあるから便利であり入ることができる
そしてなぜここにこんな広い庭があったのだろうかとなる
もちろん相馬市内だと農家ではない、ただ原町でも六号線側になると農家があった
でもここは市のど真ん中なのである

そこに藤棚があり長いからこれは咲いたら見ものである
私は相馬市の花は藤の花としてプログに書いてきた
それは相馬市の城跡に藤の花が咲くからである
そして城下町には藤の花があっている、相馬市の特徴は細い路地があり碁盤の目のようになっていて一応城下町なのである
ただ城跡には城も何もない、最初は天主もあった城だったが落雷で消失した
何か城が落雷になりやすいのはもともと江戸時代とかなると高い建物というと城しかないからだとなる、一番目立つ建物が城だったからである
城から天主閣から一望に街を見晴らせるからである

その喫茶店は花屋も併設している、三人四人くらい働いているから一人でしてしいる喫茶店とも違う、何か記事では野馬追のとき外国から研究する大学生が一か月くらい滞在したとか、それは駅でフランスの小学校の先生と出会ったからそういう人がいても不思議ではない、日本の歴史を具体的に感じることがあるだろう

ともかくあそこの喫茶店の価値は煉瓦作りということもあるがあの広い庭である
第一市街にあれだけの庭があったということが貴重なのである
なぜなら喫茶店とかの価値はレストランでもそうだが見晴しがいい、景色がいいと
価値が高まる、だちゃごちゃした狭いとか暗いとか何かそういう所は嫌なのである
ただ場末の飲み屋がいいという人もいるからそれをとがめることはできない

そしてそこの女主人が城でも何もなくても感じるものがあるというときそうである
何か城は新しくしてもそれが本当に博物館に見えるし博物館になっているのである
だから何かそこから歴史をかえって感じなくなるのである
ただ城跡だけでも石垣だけでも残っているとかえって歴史を感じることがあるからだ
そして田町通りはもともと古い場所であった
それがあのように新しくされたとき何かそれも古い情緒が失われたともみる

そしてかえって塀があり一本の松の玄関がありその隣が古い庭でそれが広いのである
古い池の跡もあり井戸もありなんとも不思議だった
なんでもその池を直すのには5百万かかると言っていた
確かにそれくらいはかかる、でもあの庭を整備すれば価値が増す、あれだけの庭が街中にあることが価値がある
それでかえって田町よりこちらの方に城下町の趣(おもむき)感じたのは不思議である

確かに街起こしとして田町通りをあれだけ立派にしたのだからいいと普通は思う
でもそれがあまりにも過去の田町の風情はなくなり新しい別な街になった感じになる
だから必ずしも歴史の保存というとき新しくすることがすべていいものとはならない
ただそうはいっても田町通りが悪いとはならない
それはそれなりの価値を生んでいる
ただ歴史の保存というとき継承というとき何か違ったものになっている

相馬市で感心するのは主な公共的な建物をみんな入母屋作りにしていかにも城下町らしい街作りをしたことである、あそこに高いビルが建ったりするとそうした風情は失われるからだ、それは成功している
平屋だけの方がいかにも城下町らしいからである

ともかく冬の日の相馬市も城下町として風情がある、趣(おもむき)を深めたのがその煉瓦作りの喫茶店である
城下町にあったものとなっていたのである
ここが街作り地域創成で大事なのである、何でもいいとはならないしその場にあったものを作ることである、だから磯部にある薔薇の喫茶店もいいし鹿島の海老の納屋を改造した喫茶店もその場を活かしていたのである
ただ私自身は行っていない

もう一つ価値を高めるのが人間のサービスなのである
その喫茶店の女性は年配であり対応がいいからだ、何かいろいろな人と話すときは人生経験豊かな女性の方がいいのだ、若い子がいいとは限らないのである
やはり年が近いと話が合うのである、それは同じ時代を生きて経験しているからである
そこでビートルズの曲を流していたということはまさに同年代だともなる
学生時代とか青春時代はビートルズ一色だったからである
それで東京の武道館でビートルズが来たときそのライブ演奏を聴くことが自分にもできた切符が手に入ることチャンスがあった、でもできなかった
つまりそのチャンスは非常に貴重なチャンスだったとふりかえるのである
そういうことは本当に人生には多い、貴重なチャンスを逃して永遠にもうそのチャンスはめぐってこない、人生はもう終わりとなっているからだ
この喫茶店ではバンド演奏するというとき何かそういう世代なのかもしれない
ビートルズにうっとりするのは団塊の世代とかその下の世代だからである
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この時興奮して熱狂していた女性でも75以上にもなっている
もうおばあちゃんでありおじいちゃんなのである
だから時間が過ぎるのは早い、あっというまであり二度とそうした興奮した経験はできないのである
いづれにしろその頃はいつもビートルズの曲が流れていたのである
だからその曲とともに青春が甦ることがあるのだ
ある人はそうして泣いていたというのもわかる、なぜなら二度とそういう経験できないし返ってこないからである

また不思議だったのがその庭にアトリ科のシメが餌を啄みに来ていた

その鳥を見たのはここで初めてだった

これも本当に不思議だった、ヒヨドリとか常に見ているが目白を四十雀も見ている
でもシメとか見たことがこの年でもないのである
なぜあそこで見ることができたのか、市街にそんな鳥が来たのかも不思議だとなる
こういう鳥が来るということは自然がまだあるからである
これはなかなか街内には来ない鳥だと思うからである

アトリ科のシメ

まずこれに間違えないと思う、あそこの喫茶店の価値はその建物にもあるがあの広い庭なのである、あそこを整備するればもっと価値が増すのである
でも池を作り直すと500万となると厳しいともなる
人間はやはり常に新しい価値を作りださないと何でもダメになることはたしかである
でも何でも新しいものがいいわけではない
そこも古い広い庭を活かしたことが新しい価値を作りだしたのである
必ずしも何でも新しくしたからそれで価値が生まれるわけでもないのである
それがやはり何か新しいものを作る時問題になる
地域創成がむずかしいのはそのためなのである

youtubeの発言が新鮮-日本に迫る危機 (関心をもったものの解説ー老人がもっと参加するべき)


youtubeの発言が新鮮-日本に迫る危機

(関心をもったものの解説ー老人がもっと参加するべき)

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youtubeは私にはまだわからないものとしてあった、最近かなり見るようになった
youtubeとプログとかは違う、文章でないからテレビのように見れることである
テレビがこれほど見られたのは大衆的にわかりやすいように解説するからである
それがyoutubeだとテレビとにたようなものになっている

それでクリスタルスペインのスペインに何十年をも生活して今も生活している人の発言は新鮮だった、それはそこに長く住んでいて事情を深く知っているからだ
肌で知っているからである
だからニュースの解説でも何か今までにない新鮮さを感じたのである
マスメデアの特派員の報告とは違う、そこに住んでいての実感であり実況放送だからである

それでギリシャの島にシリアからの難民が集中してその人たちが人権もないのかと騒いで暴力沙汰にもなっている、難民をそうしてかわいそうだからとして受け入れるといかに危険なことになるかと日本に警告している
日本も中国とか北朝鮮の難民がおしよせることがあるからだ
中国でぱもともと飢饉とかになると人民が流民化する
一時10数年前は出稼ぎで鉄道で家畜のように詰め込まれて都市部に流れていたのである
実際に鞭をもって車掌はつめこんでいたのである
それだけ都市部への出稼ぎ者が流民となって流れていた

そういうことがグロ−バル化すると起きて来る
大量の難民で国もパニックになり国自体が混乱して崩壊するという危機にひんする
だから簡単に難民を引き受けることも問題なのである
それは野良猫でもかわいそうだとなるが餌をやると増えるから困る
難民もかわいそうだからとしてもではその人たちのめんどうを見れるのかとなると簡単にはできないのである、だから地域猫として管理することが求められているのだ

武田邦彦氏の発言に注目したのは何よりも科学者であり技術者である
その経験がありそこから見る目が違っている
マスコミではそもそも理系の人はいないから科学的なことがわからないからである
そして文系について歴史などにも造詣が深いから現代が生んだ知性だともなる

先日見たばかりの加持正一氏の発言をも新鮮だった
彼もアメリカで実際に長く生活していて仕事して来たということは強みである
つまりアメリカのことを深く知っている、肌で知っている
それで日本がを対象的に見れるのである
また同世代であり人生を語れるのである
人生を語る時どうしても若いと語れないのである
どんな人でも老人になると人生をふりかえり語れるようになるからである
それぞれの経験がありそれで語れるのである
ただyoutubeとなると団塊の世代とは極めてまれである
そこで世代間のバランスがとれなくなっていた
だから40代くらいのITで成功した人たちをITアイドルとして批判しているのも貴重である
いづれにしろ日本を知る場合でも日本だけから日本は見えないのである
客観的に見ることができないのである
日本で当たり前のことが外国ではそうではないからである、もちろん外国もまた日本と比べると見えるのである、だから知識人になるには今は外国に生活して深く知る人でないとなれない、だからこの発言は新鮮だなと感じるのはたいがい外国生活が長い人である
ここにとりあげたのもそういう人達だったとなる

自分自身は外国旅行したとしてもあくまでも旅行であり生活したことがない
それで30代くらいでそうすれば良かったと思った
でもその機会を逃した、そして人生ではもう二度とそうしたチャンスはなくなる
その時やるべきことをやらないと後は二度と経験できない
だから50代で海外旅行したので良かった
60になってから介護になり何もできなくなったからである

実は私は本当はアメリカでも留学とならなくても他でも外国経験はできた
でも田舎にいてその頃外国旅行は相当に金のかかる時代だった
航空運賃が50万とか見たことがあるからだ、そうなると行けないと思っていたのである
でも実際は家に金はあった、それは家族のものだったけど頼めば行けたかもしれないのである、でもそのチャンスを逃してしまったのである
そういうことが必ず後で後悔になる、だから若い人は老人の人の話を経験を聴くべきなのである
若い人同士で話してもだめなのである、同じレベルであり先をどうするかとなるとかえって老人の経験談を聴いた方がためになるのである
林秀彦もそうである、日本が見えたからこそあれだけ罵倒して覚醒させようとしたのである、どうしても外国生活が長い、深く知っている人は日本が見えるのである

この人の本を最近読んで日本を罵倒しているがやはり外国生活が長いから日本が見えるから日本人に対して腹正しくなってあれだけ罵倒しているとなる
日本をまた時代をみるというときこれも歴史を参考にするというときもそうである
今を見るには過去を見なければわからない、今を見るには江戸時代を知り対象的に知ることである
それで銀行が窮地に立たされている時どうするのかというとき江戸時代の金融に注目している、無尽とか頼母子講とか江戸時代にも金融があり江戸と大阪での取引があり米の先物売買もあったり今にあることが過去にもあったからである
明治になってからそうした江戸時代にあったいいものを日本人は省みなくなったのであるそれで今頃になって省みるようになったのである

とにかくyoutubeの世界も新しいメデアの世界である
もともとネット空間は対話的だったのである、それはパソコン通信時代からそうだった
必ずレスがレスポンスが必要なメデアだった
ただ最近はプログでも長文でありyoutubeでも対話的であっても何か独演場となっている
そしてやはり何かを語れるのは人生とかなると老人がもっと語るペきだとなる
それがインタ−ネットでは少ないのである
第一何百万のyoutubeの登録者は小学生とか高校以下の人たちを相手にしている
そういう若い人向きのツールでありメデアだったがスマホが普及してそうなったのだが
それとともに一般化してきたのでネット人口は増えて来た
だからどうしても新聞とかテレビとか旧来のマスメデアはすたれてゆく
そんなにいろいろ見れないからである 

テレビではこれから優れたコンテンツなら見る、それは別にインタ−ネットでも見れるのである、NHKではすでにインタ−ネットでも同時配信して一週間くらい番組を常時見れるようにするとかなる
もうテレビでもインタ−ネット時代になりつつある
だからインタ−ネットは日常的に利用するものとなる
するとマスメデアのテレビからの呪縛から逃れられる
マスメデアがあまりにも一方的力をもちすぎたのである
そこで真実は報道されなかった、それを象徴していたのは原発事故だったのである
これも加持氏が言うように既得権益で固められていて批判できなかった
結果的に大惨事になり放射能汚染で住めなくなったのである
日本もまた既得権益者に固められたシステムで日本がそれによって崩壊すると予告する
しかし原発事故のように大惨事とならないかぎり日本人は目覚めないのである
でもその時はすでに時遅しとなっているのである

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日本人は自ら考えない民族である、思考力がない、なぜ外国で生活した人がそれをみんな感じるのか?
それは外国ではそういう生活が日常的だから日本人が対象的に見える
日本は本当に教育からて自ら考える能力を養わないのである
自ら考えるということも訓練だからである
まず何か疑問にもつ、なぜだろうとなる、そうして自主性をもつことができる
だから宗教は考えさせなくなるからカルトになるとファシズムになる
また考えないことによってただ上の命令に従うだけだとなり
それで日本がいつのまに破綻しているとかなる
それを証明したのが原発事故だったのである
上の命令のままになっていたら故郷にすら住めなくなったのである

日本も日本に住めなくなる!

そうなるのは日本人が自主的に考えて日本をみんなで作るという意志が必要になってくるのだ
それでマスコミやマスメデアは既得権益者に組み入れられているから真実は報道しない
そうしているうちに

原発事故のように日本人は日本に住めなくなる!

その恐怖が自分の住んでいる場所で起きたのである、だからそういう危機感をもつべきだが日本人は自ら考えないし
危機感も希薄である、そしてはじめて津波だ、原発事故で故郷にも住めなくなったという事実をつきつけられる
その時はすでに時遅しとなっていたのである

2020年01月18日

式年遷宮の祭りの意味 (日本は生(き)の木の文化)


式年遷宮の祭りの意味

(日本は生(き)の木の文化)

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真新し柱を建てて遷宮の祭りのつづく日本なるかな

真新し宮の柱や緑映えいつかしの森の木々の古りしも

新しき宮の柱と選ばれてとうとし神に祈り切るかな    


縄文時代は鬱蒼とした森が日本をおおっていた、森の国だった
今でも森林が日本でぱ多い、日本の神は鎮守の杜とか三輪山が御神体のように山自体が神になったり木でも石でも神になる
木を伐りだすとき山口祭が行われる、この山口とは神聖な場所だったのである
山の入り口でありそこが結界ともなっていたからである

日本が木の文化だというときこれだけ森が多ければ当然そうなる
でもヨ−ロッパでもうっそうとした森に覆われていた、ドイツだと樅の木に覆われていたそれは黒い森として知られている
そしてその深い森があってそこは容易に入れない場所となり侵入できない場所であり
そこでロビンフットは森に逃れて時の権力者とか対抗できた
森が隠れ家になったのである、また森は国境にもなった

例えば日本でも相馬藩内の双葉とか大熊や富岡地帯は森で覆われていたし野でもあった
だから広野とか大野とかの名がついている
そして夜の森というとき相馬藩の殿様が余の森といってその土地が相馬藩の殿様の所領だと宣言した場所だったのである
明治になってその辺は新しく野とか森が開拓されて人が多く住むようになったのである
ここでも森は国の境になるように森が境界として閉ざされた場所だったのである
鬱蒼とした暗い森をぬけることが容易ではない、その森をぬけたときほっとするのである歩いてしか行けないとしたその森からなかなかぬけられないということになる

日本が生(き)の文化というとき木は呼吸しているし生きている、木材となっても生きているというのが石と違っている
だから大工は木をみて木材をいろいろな用途に使うのである
それで20年に一回の式年遷宮は宮大工の技を継承するためだともしている

生ものをサシミでも魚でも食べるのは日本の文化である、漁師は二日三日過ぎた魚を食べないという、日本でぱ魚でも生きのいいうちに食べなければならないのだ
だから生きたままのイカを食べたりする、活きづくりである、それも残酷だがそれが日本の文化なのである、日本でぱ新鮮なものに価値がある  
それでこの辺でぱ海の魚を放射能で食べなかった
でも松川浦とかでとれたカレイを汁も売っていたので煮魚として食べた
それがうまかったのは新鮮だったからである、これが古くなるとまずくなるのである
それで幸福な時を味わった
この辺では石鰈は贅沢品でありそれの新鮮なものを食べることは贅沢だったのである
それが放射能汚染でできなくなっていたのである
ただ日本人は家でも新築のものもを好む、外国だとヨ−ロッパだと古いものにも価値があり好む
その違いもやはり日本が生(き)の文化だからだとなる

ただ漁業は現実にそれだけでは生活できないと漁業権を東電に売り渡して補償金をもらっていた、そこが原発事故で明るみに出たのである
放射能という時これが残酷だったのは空気から土から森でも木材でもそうした生活の基本となるものが汚されたことが深刻だったのである 
もしそういうことがなければいかにこの土地の恵みは海の産物である
その生きのいいものを食べることでそれが最高の贅沢だったのである
それで会津のみしらず柿をもらって石鰈を送ったとき会津の人は喜んだ
会津の人はそうした新鮮な魚を食べられないからである

とにかく日本の文化というとき確かに木の文化だとなるが縄文時代は木の文化ではない
土器の縄文土器の文化である、森に覆われていて森を意識しない
つまりありふれたものであり意識しないということがある
木の文化ということを木を利用するようになって意識した 

森が豊富な日本に「木の文化」は育たない?

木がありすぎるときは木の文化が育たない、木が希少価値になってくるといかに木を丁寧に利用するかと工夫するというのも一理ある
いづれにしろ日本の風土は森とか木を離れてはありえない文化である  
ただ今は外材を使うから何か森林の木材が無駄になっている
近くの森でも深い森があった、その道は木材を切りだしていた道だった
でも今は放置されているからもったないと見る

自分の家でも姉がいつも自慢していた、橲原の木を切って柱にしたと自慢していた
その頃家を建てることは一大事業だった、三か月くらい家を建てるのにかかった
今は建売住宅で二週間くらいで組み立てて作る、そこに家の重みが感じられないのである人が住む箱のように見えてしまうのである
今はその土地土地から作られる産物が少ない、外から買うだけであり外から買うだけだとその土地独特のものは作れないし残されないのである
確かにグロ−バル化で外国からいろいろな物が入ってきても日本の文化が形成されるわけではないのである、むしろ文化から見れば失われてきたのである
地域創成ということが盛んに言われるようになったけど一旦失うと伝統的なものを回復するのはむずかしくなる
だから式年遷宮とはそうした宮大工の技の継承とかでも意味がある
大工でも十何代とかつづく人がいたりするが今は本当にそうした継続がなくなっているからである

我が家の柱によればふるさとの木にしあればありがたきかな

こんなふうになるのだけど今は外材だからこんなふうにならないのである
それがグロ−バル化で何でも外国から入ってきても便利でも何か充実しないのである
だから日本の森が活かされない、木材が活かされないのは淋しいとなるし大損失である
なぜなら依然として日本は森の国だからである
何か日本が貧乏になるというとき外国からばかり木材でも仕入れたりすることがつづけられるのか?それで豊かになれるのかということである 

第二話:式年遷宮の千三百年 〜式年遷宮の歴史と今〜(フジテレビ)

これを録画できなかった、ここには伊勢神宮の歴史が興味深く語られていた
一応見たのだが録画していなから再考できないのである   


伊勢神宮の式年遷宮とは?「20年ごとに行われる真の理由」
http://urx.red/oMVS(url短縮)

ここが詳しい、要点がわかる








2020年01月17日

格差社会の生まれる原因は技術の差 (歴史でも階級制は継続してなくすことができなかった)


格差社会の生まれる原因は技術の差

(歴史でも階級制は継続してなくすことができなかった)

格差がなぜ生まれるのか、そしてなぜ極端な格差がグロ−バル化社会で起きているのか?歴史をふりかえると平等な社会などこれまでなかった
わずかに日本の縄文時代が階級制がなかったとかいわれるし日本は階級制があっても
侍階級はヨ−ロッパの貴族とは違う、食べるものでもたいして変わらない
それは日本自体が平均すれば貧乏だったからである
日本はそうした極端な格差を作らない社会だったのである
日本の特徴はまた民族同士が絶滅させるような熾烈な戦争はしない
それで中国人が来て敵の墓まで作っている、敵味方塚があるのを理解できない
中国でぱ墓まで暴いて敵を罰しているからである

日本だけが世界からみて特殊な歴史を島国で作ってきた民族だったのである
大陸国家はみんな階級制社会である
そうなるのは民族同士の戦争となり負ければ奴隷にされるからそこに極端な階級制が生まれる、そしてどこの国でも奴隷がいる、奴隷は近代になっても黒人奴隷がいたようにアメリカという民主主義の国でもキリスト教国でも是認されていたのである
その奴隷をめぐってリンカーンが廃止することで南北アメリカが戦争になったのである

ただ人間社会に根強く階級制が金持ちと貧乏人がいるのか?
この階級制を生む原因は何なのか?
それは民族同士の争いで戦争になれば負ければ奴隷にされるということからも起きているそれで今の東欧はスラブというときそれはスレーブであり奴隷から来ていたとされる
ローマ帝国の辺境にあるからそういう名がついたのかもしれない。

階級制は必ずしも民族同士の争いから起きたとは限らない
人間が存在したときから何らか階級制を生むものをはらんでいた
例えば石器時代があるとする、その石器でも武器になる、石器をもたない民族はその石器をもつ民族に戦争して負ける、すると階級制を作る原因は技術力だとかなる
また騎馬民族が世界を席巻したのは馬を操作するのにたけていたからである
また鉄を作りだしてその鉄をハミを馬に装着して強くなった
そして青銅器時代があり鉄の時代になり青銅器は刀でも鉄の刀が強度が強いので負ける
ここに人間の階級制を作る原因が技術力にあることを証明している
日本の戦争でもアメリカが空軍が飛行機が主力となっていたとき軍艦主義で日本は負けたのである

現代型新人は石器の大量生産をはじめて以来、息てく上で必要以上の食料を得るために
殺戮を行います、実際は十頭程度した食べないのにもかかわらず、何百頭のバイソンを
谷に一気に落としているのです
こうした必要以上の平気で行うことができるのが現代型新人の特徴であるのです
(地球文明の寿命ー安田、松井)

何かヨ−ロッパとは大陸は戦争のために技術が発達して来た
それだけ戦争が多いからそうなった
まず戦争があれば奴隷が生まれるからそこで必ず階級制になるのである
そして戦争でも技術力は核で頂点に達した、核兵器をもてば北朝鮮のようなとるにたらない小国でもアメリカと対等になるからだ 
それで怖いのは石器時代にすでに大量の動物を殺す術をもっていた、それが技術が発達すると人間をも大量に殺戮されたのである
鉄が発明されたときもそうであり第二次世界大戦では何千万人が殺戮されたのである
遂に核兵器で日本は一都市が絶滅の危機になった
つまりゼウスからプロメテウスが火を盗んだ罰を自らカルマとして受けたのである

こういう歴史を人間が終わることなくつづけてきた
そして今のグロ−バル化による格差社会もまた国内の格差社会も階級社会もやはり歴史としての継続なのである
アメリカは一時はそうしたヨ−ロッパの貴族がいない平等の社会だったがやはりもうアメリカンドリームはない階級社会化している
そこでは学歴が階級を示すものとなってたりする

人間の歴史をふりかえれば格差とか階級制が不可避なのである
農民だと土地をもつものと持たない者で格差が階級社会が生まれる
戦前の地主と小作がそうだった、そういう格差は戦後はなくなった

でもなぜ格差は階級社会はなくならないのか?

現代のグローバル資本主義の格差社会はなぜこんなに極端になったのか?

金融資本主義で株を操作して極端な格差をうむ、またやはり技術力の差で格差をうむ
ITに通じていればアメリカの GAFA(ガーファのように富を独占する
アマゾンなどの会社が富を一人占めにしてしまうのである
つまり人間の歴史では技術力が格差を生んできたのだからここでも同じだったのである

一見現代社会は奴隷など生まないとみる
でも歴史は形は変わるのだが繰り返しだとなる、階級制とか奴隷とか格差社会はなくならないのである
グロ−バル化するとやはり技術力により世界的格差が生まれる
米中の貿易戦争もまたIT技術の競争でありそこで優位に立つための争いである
これに負ければアメリカはその世界を支配する地位を失うから必死になる

そして人間は民族同士の争いも継続している、それが武器をもった戦争ではなく経済戦争になっている、ここでもやはり技術力の競争なのである
グロ−バル経済になると人件費が極力省かれる、それはコストでありだからアメリカですらロストベルト地帯とか取り残されて格差が生まれる
日本でも国内から労働力の安くつく海外に工場をもち競争するのである
そうなると国内空洞化してゆく、そうして遂には日本人はあと何十年かしたら中国に出稼ぎに行くようになるというのもそのためである

人間社会から格差は階級制はなくならない

その原因は技術をもつものと持たない者の差だとなる
だからAIだと盛んに言われるときもそうである
人間よりAIが優れているから人間はコストだからいらないとまでなる
おそらくSF的未来はAIが人間を支配する、人間はAIのロボットの奴隷になるとまでなる
技術力が格差や階級制を作るとなるとそうなっても不思議ではないのである

マルクスの言った生産手段を持たないプロレタリア―トは資本家の奴隷になるというのもそうである、生産手段とは技術力なのである            
人間をただコストとして人件費のかかるものとしてそれを省くものとしてみる
それでなければ人間を奴隷としてみる、それが現代社会であり奴隷がなくなったのではない、形を変えた奴隷社会格差社会階級社会なのである

SF的未来になると人間はコストだからいらない、人間は無用だともなる、そしてそんな人間は抹殺しろとかまでなる、障害者は役にたたないからコストだから殺してしまいとまでなる、それがナチズムにもっていた
AI社会が人工頭脳社会がいいように見えてもそこにも恐ろしい暗黒が待っていたとなる
人工頭脳が無用な無能な人間はコストだから抹殺しろという命令を出してそれが実行されるかもしれないからだ

つくづくそうなると人間社会とは何なのだろうとなる
それを2000年前に予言してたのが老子だったのである

鍬とか鎌とか道具をもつことを否定した

小国寡民はグロ−バル社会の批判だった

つまり技術を否定してまたグロ−バル社会を否定していた
確かに日本でも江戸時代は中国とも朝鮮とも友好的だったのである
それは貿易は出島でしたとして現代のような極端なものではなかった
あくまでも自国の生産主体の社会だったのである
国と国はこんなに干渉しないから平和が維持できたのである
AIでもやはりバラ色の未来とはならないのである
何より人間はロボットではない、人間自体が幸福にならない社会はどんな社会であれ理想的な社会とはならないのである
そこに技術に対する科学に対する異常な過信が生まれたのが現代だったのである




posted by 天華 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年01月16日

冬芒(写真と写生俳句ー写生が芸術の基本)


冬芒(写真と写生俳句ー写生が芸術の基本)

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冬芒老いて離れぬふるさとに

ふるさとの倉庫の脇の冬芒

冬芒遠くに行かじ垂れる雲

冬芒故郷に住み根付くかな

ふるさとにその場を得てや冬深む

それぞれの生を深めよ冬の暮

逢わずともその場を得てや冬深む

故郷に死者を思いて冬深む  

ふるさとに深く根を張れ冬深む

田母神のなお残りしや冬深む

ひなたぼこ蔵書を読みぬ広き家


毎日通っている道に冬芒を見る、これを当たり前の風景だと見ていた
誰も気に留めない風景である
だから写生俳句というときありのままを俳句にする
倉庫の脇に冬芒が伸びている、それが何なのだとなる
でもこれを写真にとったら冬の情景が絵のようになって心にしみる
それが一つの絵であり何か冬の心にしみる情景となっていた

人間は何か特別な景色を見ようとばかりしている、いつも見慣れたものをありがたいとも何か風情あるとか見ない、でも人間は老いると何か当たり前のものでも深いものを現しているのだと気づく
倉庫の脇に冬芒がなんなのだとなるからだ
ただこれは枯芒だとまた違った感じになる、
それは冬椿と寒椿では違っているのと同じである、
寒椿は相当に寒い時感じるものである
今年は寒くないから冬椿になる
冬芒はやはり今になるとあっている

芒は意外と強く根を張るのである、だから根を切ることはむずかしいということがある
それで芒を刈ってもまたその後に生えてくる、草は切っても切っても生えてくるのとにている

ともかくもう一月となると大寒にもなり本当はかなり寒くなるが今年はそうではない
だからストーブを今年は使わない、今もエアコンもしないで厚着しているとしのげるほどである
このくらいだと冬も楽だとなる、去年は一日ストーブを燃やしていた
だから今年は暖冬なことは確かである

とにかく冬は冬らしいのがいい、冬には何か思想で深める、ひなたぼっこして蔵書を読むのが幸福な時である、だから本というのは読まなくてもある量を集める必要があるのだ
私設の図書館のようにする、それが今はできる
安い古本をアマゾンで買って集めるとできるのである

介護になってから今も自分はほとんど遠くに出なくなった
去年でも仙台に行ったのは一回くらいしかなかったのである
こんなことは今までなかった、もう冬でなくても外にでない、冬ごもりになったのであるそしてただ石のように地中にひそみ黙しているだけだとなる

でも人間はそうして人と会わないにしても田舎だと実はそこで通じ合うものがある
それはアイディンティティ化する場所があることなのである
田舎だとそういう共通の場の中にある、それが孤独ということにもならないのである
だから都会は場がないから孤独なのである、群衆がいても孤独なのである
田舎の冬は何もないとしても味わい深いものとなるのだ

ただ田舎の問題は何か土地をもっていてまた家がないと落ち着かない、アパートとか住宅のような所だと合わないのである、住宅とは田舎では家のない人が住んでいる
貧しい人が住んでいる、そこに貧富の差が一番でている
私は親に恵まれて大きな家に住んでいる、だから悠々しているのである



2020年01月15日

SBI証券と福島銀行の支店が郡山に開店 (地銀としての役割は消滅)

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SBI証券と福島銀行の支店が郡山に開店

(地銀としての役割は消滅)


ゆうちょ銀行は資金運用の高度化と多様化のため、外資系金融機関などから専門家を多く採用してきた。それに伴い、外貨建ての有価証券などのリスクの高い、いわゆるリスク性資産の保有を積極的に増やしている。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2018/06/post_23851.html
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そもそも大東銀行でも私がかかわってこれが銀行なのかと疑問だった
証券会社と変わりなかった、現実に大和証券との人も来た
つまり銀行はすでに証券会社化していてその証券会社の投資信託などの商品を売っていたのである
そこで証券会社と銀行で二重の手数料がとられる
そして投資信託など銀行自体がわからない商品だったのである
それでその大元の作り主であるゴールドマンサックスに勤めるハーバード大学の出の人がその仕組みを作ったのだがそれは詐欺に等しいとして良心の呵責に耐えきれずやめたりした
それだけこ投資信託とか月ごとの分配金はわかりにくいし詐欺的だったのである

ともかくSBI証券は伸びている、野村證券とがが伸びないのは経営も危うくなったのは個人の投資家が金をもっている人たち高齢化してきているからそこで伸びない
またIT化してくるからその対応もできない、それは地銀でも同じである
それで外資のSBI証券がやがて一局になってしまうのかとなる
手数料無料とかしているから別に地銀をとか通さないでできるから手数料の面では有利だからである

ただここで大事なのことは地銀はもその役割を終えたということである
支店の会見で福島銀行の対面販売が強みだ頭取が言っていた
地銀とかゆうちょとかは地元密着で対面販売で信用を得てきた
でもその対面販売でそうして築いてきた信用を失墜することになる
銀行はこれまで信用第一でありそれができたのは貸す先が探さなくてもあしり利子もとれていたからである
だから銀行は安定した就職先として地方だは公務員と同じだったのである

それが貸す先も投資する先もない、それでグロ−バル経済の中に組み入れられて証券会社とか化して信用を失う
でも背に腹は代えられないとして投資信託とかで手数料を稼ぐほかなくなったのである
でもそうなれば本来の地銀の役割は喪失する
まさに福島銀行が僧である、対等の合併ではない、SBI証券に吸収されてこれまでの銀行の対面で築いた信用を基に証券が売られるのである

地銀は地(地元)のことであり地元のために尽くす金融だった
それがグロ−バル経済に組み入れられて地域の金融資産がグロ−バル化してゆく
その金はアメリカに吸収されるとしている
それで農林中金の金が6兆円も危ない投資につぎ込まれてなくなると言われている
そうなったのは農林中金では上にいる人は天下りのような役得の人であり証券について知らないからだという、それと同じようにゆうちょの金でも年金でも投資として使われている、それがアメリカの証券会社など外資に奪われことになるという
それは日本がアメリカに戦争に負けた植民地だから小泉首相のゆうちょの民営化があり
それでその金がアメリカに貢ぐためだったとなる

地銀は信用組合より地元に密着していない、信用組合だときめ細かに地元に融資しているし関係を築いているという、地銀はそこまでしていないしそういうノウハウももっていない、だからSBI証券のようなグロ−バル証券会社に吸収されやすいものだったのである
そして地銀の生き残り策として江戸時代の金融を参考にしろというのもまた日本回帰の例なのである
無尽とか頼もし講とか金融があった、近くの同級生は古い家でそういう書類が残っていたという、何か主催者のようになっていた
ただそれは規模が極めて小さい、10人とかの規模だった
でも逆にそうした地域金融の小規模金融に返り金融を見直すということにもなる
そして地域創成のために農業を銀行員がじかにしていたりするのも時代の変化である

またクラウドファンディングもそうである、それは個人を全国の個人が賛同して金はわずかでも投資する仕組みである
何か起業するにも金が必要になるからインタ−ネットで金を集める
そういう小規模事業である、まずそうした小規模事業はインタ−ネットとかでやりやすいそもそもメデアになるとマスメデアでありテレビと新聞とか出すのは個人などできなかった
今なら無料でプログでもできる、せいぜい有料になっても一年で一万も満たない
そんなことでテレビ放送自体がyoutubeでできるのである
それで外国に住んでいる人が報告していたがあれは外国の特派員だと見た
そういうふうに報道とかでは変化している、巨大な会社とか資本はいらないのである

いづれにしろ福島銀行のようにもう地銀としての役割は終わった
銀行員は証券の会社員となったのである、そして銀行の半分は消えるというときまさに
そうなってきたのである
銀行が必要がなくなった、その役割が消失した
その象徴的な出来事がSBI証券と福島銀行の合併だった、吸収だったのである

posted by 天華 at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

小高の医療無料は2月まで (南相馬市もこれから福祉医療サービスは厳しくなる)


小高の医療無料は2月まで

(南相馬市もこれから福祉医療サービスは厳しくなる)

小高は医療がまだ無料だった、それで医者が無料だからたいしたことなくても医者に通っていたとか言われる
それは今までも病院が老人の社交の場だとか批判があった
それはここだけでない、もう医療でも保険でも維持できなくなっている

70歳以上75歳未満の高齢者は所得により2割または3割負担となります

医療機関の窓口では、かかった医療費の1割から3割を負担します。これに対してドラッグストアなどで薬を購入すると全額自己負担です。例えば、1000円の薬、医療機関で処方を受けると、自己負担が3割の場合ですと300円。一方、ドラッグストアでは全額自己負担で1000円になります。

医療費が削減されるのはやむをえない、これだけ医療費がかかっていたらそのために日本自体が国家が破産するとまでなっているからだ

でも薬を薬局で買うと10倍とかなるから問題である、もともと薬は高いものだったし医者には簡単にかかれていものだったから今までは恵まれ過ぎたともなる

小高の問題は老人ばかりが残されて世話する息子や娘がいなくなったことである
このことも疑問だった、では残された親は誰がめんどうみるのか?
子供たちはかえって姑と離れるし補償金をもらいたし別に住むようになっても良かったとかも言う、でも残された親は老人は誰がめんどうみるのか?
そしてあとは生活保護になればいいとしている人がまたいる
それは被害者特権化してそうなる、被害者なのだから今まで医療費も無料だったからである、その被害者意識はぬけないしそれを言うと今の社会は許されない
つまり韓国や沖縄のようになる、常に被害者だとして訴えるからである

でも南相馬市だと相馬市でも全部がそうした援助があったわけではない
30キロで区切られて不満があった、それで小高と鹿島の人はうまくいかなくなった
今も医療費で低所得層が苦しんでいるからだ
それが異常だったのは医療費無料は半年で打ち切られたことだった
やっと今になって鹿島でも高速無料になったのである
その差別がありうまくいかなくなったのである

でも小高はどうなるのかなっているのかわからない、医療費が二月で打ち切られることは大きいことかもしれない、病気とか介護になっている人が多いからである
ただ小高の場合、老人だけが残されてそういう町が成り立つのだろうかという疑問である限界集落のようになっているからだ
だから小高病院を元にもどすより南相馬市立病院に移すということで反対された医者がやめたのである

小高の人は原町に住んでいる人が多いのである、原町だと現代の標準的な生活ができる
鹿島で困っているのはいろいろある、、百円ショップでも大きな店がないのは不便であるそれがイオンにある、ココアの缶が50円でそこしか売っていない、そういうものがかなりあるからだ、ただ自転車だと遠すぎるのである

ともかく南相馬市は10年で援助が打ち切られる、10倍もの援助資金が県から国から入ってきたがなくなる、だから9年過ぎて10年目となると後一年なのである
そこから財政が相当に厳しくなる、福祉に回すのも厳しくなる、もちろん医療でもそうである
それは全国的な問題である、ここは極端な現象として起きているのだ
2025年問題がある、団塊の世代が介護とかになったり病気になる人が増えるからである
さらに苦しくなるのは団塊の世代の子供世代である
そこに氷河期世代とか非正規が多いからである、その人たちが1000万とかなんとか生活保護になるというからもう絶望的だともなる

そういう兆候は現実化している、その人は親を青森の施設に入れたのはいいとしてその後に備品などのため金を送っている
その人は土建関係の仕事であり非正規ではないにしろボーナスをもらっているにしろ楽ではない、自らがけがしたとかあり父母に仕送りするのも大変である
つまり今の非正規とかがそうして親の負担に苦しんでいるのである
それは団塊の世代とかが介護とか病気になるとそうなるのである
子供世代に余裕がない人が多いからである

小高でも老人は子供が引き取るという人もいる、でも小高に住みたいとして住んでいるがそれもできなくなるかもしれない、そういう人たちは青森の施設に送られる
なぜならこの辺では特に若い働き手がいないのだから余計にそうなる
そして青森に送ったからそれで終わりではない、備品のことなどで定期的に金を送らねばならないのである

だから南相馬市になると財政的にも相当に厳しくなり福祉でも医療でも簡単に受けられなくなる、その時どうなるのか?それは全国的問題でもあるのだ
posted by 天華 at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年01月14日

ゴーンの別な見方もあるーマスメデアにより一方的見方の危険 (日本にも商法はあり良いものを明治から捨てた)


ゴーンの別な見方もあるーマスメデアにより一方的見方の危険

(日本にも商法はあり良いものを明治から捨てた)

カルロス・ゴーン海外逃亡事件を解説します

世の中のことはいろいろな見方がある、マスメデアは一方的見方しかしない、
なぜかそして必ず感情的にあおることになりやすいのである
コーンはまず悪い奴だとレッテルはる
第一テレビに出しただけでその影響が大きいのである
映像だからその印象が大きすぎる、すると考える暇がない
第一印象の映像のインパクトが強烈だからそれで判断してしまうのである
それが何百万人が見るから何百万人がテレビの映像だけから判断するから
そこに偏った見方になる
そしてそれでまずバッシングするようになる

常にあいつは悪い奴だ

その前提から始まっている、そして国民がバッシングする、私刑にリンチにする
その印象操作がテレビでは抜群なのである
だからテレビは一方的メデアであることが問題なのである
それだからこそマスメデアは第3の権力になったのである

武田邦彦氏の言うように司法でもそうだと思う、警察でもそうである
何か検察でも司法でも日本には裁判がない、一方的権力の押しつけで決まる
日本には裁判がないという時原発でもこれほどの事故を起こしても誰も罰せられないことでもわかる
東電とかに検察でも天下りしているとか出世がかかっているとかで検察自体が歪められている、賄賂はないにしてもやはり権力機構の中で自らの利益を出世を計るために公平な裁判はないとしている

私自身も今回は感情的になったのはなぜそんな巨額の金が得られるのか?

そのこと自体が理解できないから庶民として責めることになる
それは武田邦彦氏も前に言っていることであり一方でこんな巨額の金自体得ていることが搾取だともなる、裁判の前にそれ自体が納得できなかったのである

武田邦彦氏は日本の司法は99パーセント有罪だから裁判はないとしている
それは商法が悪いのだとしている、江戸時代の商法の方がまともだった
日本にもそうした商法があり慣習がありそれが活きていた
そして日本では従業員のために会社があり株主のためにではないと度々主張している
だから欧米型の資本主義の経済は必ずしも日本にとっても世界にとってもいいものではないのである

その原因は明治維新の時、日本のいいものを取り入れなかったからである
何か今になってつくづく明治維新で江戸時代からあったいいものが失われた
ただただ欧米がいいものとして日本が昔からあったものを否定してしまったのである
それはそうした経済でもそうだし法律でもそうだし医学でもそうだったのである

全国に数多くの蘭医学塾があったのに医学部へ昇格することを許されなかった
当然日本独自の徒弟制度による教育システムも許されず医療ギルドが決定した方式で
「医師資格」と「医学教育」導入した
それだけでなく江戸の医療を支えてきた漢方医、鍼灸はあん摩はすべて西洋医学より格下とされいや奴隷であって正規の医療ではないと位置づけた
(人殺し医療ーベンジャミンフルホード)

医学でもいいものがあったがそれも否定してただただ欧米流のものをいいものとして優先させて国造りしてきたのである
一方で変なのは政治になる古代の天皇制を復活したことであり矛盾していたのである
ただそれだけ明治維新となると全面的改革になったから混乱したものとなったのである

銀行でも最近地銀とかが窮地にたたされている、すると江戸時代にあった無尽を見直して取り入れて立て直す参考にすべきだとか金融関係の人が言うのもそうである
銀行は何なのか?それも江戸時代に銀行の前進になるものがあった
江戸時代がなんでも遅れたものとして見捨てられたのである
そこで今資本主義でも金融でも司法でもそうしたものは江戸時代にあったとしている
そのことを日本では習うことがなくなった結果なのである
この損失がどれだけこ大きいものだったか日本人は自覚していないのである
また自覚させられななかったのである
つまり江戸時代は劣ったものでありこれをみんりて捨てて西洋流のものがいいということになり日本がにあったよきものを捨ててしまった
するともうその捨ててしまたっものは不明となり回復不可能になったのである

それで私が日本の歴史をふりかえり国風文化の復活を唱えるのもそうである
モラル的にも日本的なものがありそれが侍にあったとするのもそうである
そういうものは江戸時代から明治になったとき日本人は遅れたものとして捨て去ったから不明になったのである
そしてアメリカに戦争に負けて今度は戦前にあった日本的ないいものも捨て去りアメリカ一辺倒になった、物質主義であり金だけを価値とする社会にしたし会社だと株主だけを優先するとかになった
日本というのはそうして変わり身が早い、一面もともとあった日本の歴史とか伝統でも大切にしない、簡単に捨て去るという傾向がある
そういう国民気質は自然災害がこれだけ大きな国だからかもしれない
津波のように今まであったものが村でも全部一瞬にして消失したり火事でみんな焼野原になったり台風で家が流されたりとつくづくそういう自然災害が日本人の心に影響する
何か継続するものがない、災害でみんな一瞬にして消失するという経験からそうなったのかとも思う

ともかくインタ−ネットでyoutubeでも多面的に考察できるようになったのはいいことである、テレビとか新聞でもマスメデアは一方的メデアであり発言もできないからである
ともかく何でも自分なり考えて発言してみることである
それが民主主義に通じている、テレビだけを見るのは本当に危険だった
それはテレビ局によって主導権をにぎられ洗脳されるからである
そこで一番目立ち主導しているのは司会役なのである
そしてなにかまず映像だから女性だとかならず容姿を見る、あんなブスを出すなとかともなる、その人の印象が顔から判断してしまうのである
これが声とか文字だけだったらそうはならないのである

いづれにしろ事件でも何でも何かを判断することはむずかしい
いろいろな意見を言う人がいるがそのことについての知識を深めることだいうのもそうである、いろいろな見方があり一つではないがマスメデアだと一つになってしまう
そうして第一印象で判断すると間違うことがあるしできない
だいたい一つの事件でもその背後関係を知るには膨大な情報がこれまでのいきさつとがありそれを知ることができないからである
だからあいつが悪いとか即座に判断するマスメデアは危険なのである

自分自身はゴーンをなぜそんな巨額な金を得ることができたのか?
そのことが一番関心かありそれで悪者にしたのだし今でもそう思っている
そんな金を一個人が得られること自体納得できないからである
でもそこにはいろいろな見方がありそれを知るべきだということである
ただそうなると相当な暇人でないとできないのである
だからニュ―スでも他人の判断にまかせる、本人は考えないのである
一つの事件でも問題でもそれを追及するだけで一人では時間がとられすぎる
だから表面的なことだけ見て判断する
それよりそうなら簡単には判断してはいけないとなるし裁いてはいけないともなる
そういうふうに見ないとただマスメデアの言うがままになり危険になる

posted by 天華 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

日本が侍の国(復古する日本精神) (京都から東国の武士の文化への変化)


日本が侍の国(復古する日本精神)

(京都から東国の武士の文化への変化)

なぜ時代というのがわからなくなるのか?
芸術とかでも一つの短歌でもそれを知るとなると時代背景をみないと本当はわからない
でもその全体が変化したときその時代のことがわからなくなる
鎌倉時代でもそれがどういう時代だったのかを見るのはむずかしい
ただ宗教から見ると鎌倉時代は宗教改革の時代だった
奈良時代に仏教を取り入れたときは鎮護国家の仏教であり華厳宗でありそれが蝦夷の征服が大和国家となることで奈良の大仏が作られたのである
それはみちのくに黄金が取れたことで鍍金できたのである
それで聖武天皇が歌を作ったのである

天皇の 御代栄えむと 東なる 陸奥山に 黄金花咲く

その時は仏教は民衆化していない、民衆化したのは鎌倉時代だった
平安時代でも貴族の仏教でありその仏像でも何か豊満であり貴族のための仏教だった
それから鎌倉時代になって仏教が民衆化した
それが日蓮宗であり親鸞の念仏であり一遍の踊り念仏であり中国の僧が伝えた禅宗だったのである
これらの特徴は平安貴族の仏教の仏像とは違ったものとなった
むしろ日蓮でも親鸞でも題目だから像は作らなかった
そこで偶像崇拝を拒否したものとして題目が生まれた、それは題目を唱えれば救われるということであまりにも簡素だから民衆は文字を読めなくてもわかるから日本中に広がったのである
その鎌倉時代の宗教が今日も続いていることでその影響が大きかったことがわかる
ただその宗教も現代ではカルト化して政治化したのである

鎌倉時代に焦点あてて歴史をみればこうして貴族中心の仏教から民衆への宗教へ変わったこと、また権力が京都から鎌倉に東へ移ったことが大きなことだった
それまでは蝦夷の延長として東(あづま)はあったのが政治の中心となったからである
つまり鎌倉時代から民衆の宗教となったと同時に武士の時代になった
五山文化は武士を中心として作られたものだったからである
禅宗と侍が結びついたのが五山文化だったのである

ただ武士という時、日本が侍の国だというときすでに鎌倉時代から侍が生まれていて侍文化が作られていたのである
それは戦国時代ではない、鎌倉時代に侍が東国から生まれていたのである
侍の時代というとき鎌倉時代から戦国時代から江戸時代までつづいていたのである
鎌倉時代が1200年であるからそれから600年とかつづいていたのである
なぜなら戦国時代になると信長が僧侶を腐敗しているとして比叡山で殺戮した
この時仏教の時代の終わりになった
侍の時代になり寺は侍の菩提寺になったのである

そして江戸時代には寺は幕府の役所の代わりのようになっていたのである
現実社会はやはり侍の社会だったのである
でも侍という時、何なのか?
仏教だったら教義があるけど侍には何を教義としているかわからない
主従関係に侍のモラルがあるとして説いている学者もいる
確かなことは侍が支配者となりそのモラルも民衆に影響して伝えられていたのである
だからこそ明治維新で江戸時代が終わっても内村鑑三などが侍の出身で侍のモラルを身についていた、それでキリスト者となった、また明治維新が成功したのは幕臣が優秀だったからだとしている、明治を指導したのは民衆ではない、やはり初期は侍だったとなるのである

侍は利己的存在ではない、身も心も主君に捧げるから家庭が成り立っていたと言う
すると日本の家庭の模範は侍にあったとなる
侍という時どうしても武に注目する、武術があり戦があって侍になる
でも戦国時代が終わると鎖国時代の三百年は戦争はなかった
そしたら侍は武術を稽古していたとしても官僚化していたとされる
でもその侍の力が発揮されたのは明治維新である
明治維新を成したのは庶民ではなく侍だった、それは最初は薩摩長州が幕府を倒したとしてもその後は幕臣が政治でも教育でも指導的役割として受け継いだのである
だから別に薩摩長州が幕府を倒さなくても明治維新はできたとされいるのはそのためである

ただ侍の主従関係のモラルは明治維新でなくなった、でも侍精神がやはり日本には残されていた、でも侍精神とは何かと問えば仏教のように教義もないから時代を経るについて不明になった、それは一部の武芸とかに残されたとしてもそれが侍精神を現しているとはならない、その時代のエトス{雰囲気}は消失するとその一部が残されても時代がわからなくなるのが常である、社会とか文化は全体の事だからである
ヨ−ロッパでも中世があるとしてあれだけ荘厳なゴシック建築がありバッハのような宗教音楽はそうした全体の社会の中で生まれたのであり音楽だけがあったのではない
それは現代になると芸術というのは社会全体から生まれるのではない、個々に切り離されて部品化したのである、絵画でも教会の建築の一部としてあったのが切り離されて個々人の絵となりその絵を所蔵するようになったのである
それが金で売買されるようになったた、教会の一部としてあればそれを切り離して売買などできないからである

いづれにしろ不思議なのは鎌倉時代から武士の時代になっていることはそれだけ長いのである、1200年から明治まで600年以上とか長いのである
この時仏教があっても仏教は鎌倉時代に最高潮に達してあとは侍の時代になったのであるだから寺は侍の菩提寺であり侍の寺であり庶民は葬られていない
村の共同墓地のホトケッボとかに葬られて個々人の墓はなかったのである
つまりこの600年は侍の時代であり侍を規範として模範とした時代だったのである
でも今になると明治以降はその侍とは何か不明となった
侍精神とは何かわからなくなった、ただ明治には内村鑑三が侍としてキリスト者になったそこに侍精神が受け継がれていた、明治は江戸時代のつづきでありその遺産が活きていたのである

日本が侍の国だったというとき戦国時代にフランシスコザビエルとかキリスト教の布教に来たけどまた秀吉がその布教を通じて日本は外国に支配されるとして拒否した
それとその時から日本は侍の国であり武の国だからとても支配できないと外国人は見ていたのである、侍にじかに接してその威厳を知ったからである
そこには今とは違って本物のの侍がいたからである
とにかく時代劇で「侍さん・・・」と庶民が敬意をはらうときそこには侍精神が活きていて庶民もそれに習っていたのである
誤解しているのは仏教とかは死んでいたのである、寺は戸籍などを扱う役所のようになって侍の菩提寺になっていたのである
そのために幕府から優遇されていたから明治になり天皇制になったとき神道派から廃仏毀釈運動が起きた、仏像は壊されたのである、その恨みは利権だったのである
こういうことは宗教争いで外国でもイスラムでもキリスト教でも起きているのである
利権が宗教とからんで熾烈な争いとなるのである

日本の歴史をふりかえるときそれだけ長い時間が侍の時代になっていた
それが日本の歴史の特徴である、でも侍とは何か不明になったのは教義とかなかったためだとなる、聖書だったら聖書がありそれによって今は活かされるがそういうものが神道にも侍にもないのである
でも600年も侍の時代としたときその歴史もわからないとしたらどうなるのか?
日本の歴史自体がかわらないとなるのである
明治になって内村鑑三などが出て侍とは何か知る手がかりがあったがその後はない
そして大東亜戦争になり日本の精神の骨格は失われてただアメリカの物質主義に染まり
日本精神は喪失したのである
子供の時ギブミチョコレートで進駐軍におねだりした人たちは成長しても物質主義でありただアメリカ人のように贅沢に暮らしたいという欲望だけの人間となったのである
そして高度成長時代があって拍車がかけられた、その経済成長で日本は世界に伍して自慢するようになった
でもバブルとともに高度成長は終わりその誇りも喪失したのである

これからの時代がどうなるのかというとき歴史をふりかえるとやはり必ず明治維新のように維新とはこれ改めるであり復古の精神である
日本精神の復古である、それは万葉集などにある大和心とかになるし侍精神になる
それと結合したキリスト教精神になる、それを具現化したのが内村鑑三などであった
そして世界外交的には 

東西両洋の間に介して西を招き、東を弁じ,両者の暴を和らげ,後者の迷を解き二者の配合を計るは日本をおいて他に国民あるを知らず余輩は信ず、泰東の六億の生民は我ら日本人の蹶起活動にうながしつつありと
日本は亜細亜の正門を守の国なり
我らの一挙一動は我らの威厳に関すること多し(内村鑑三)

つまり日本は米中にもまた中東でもどちらにも組してはならないのである
そうしなければ和は計れないからである、戦後70年はアメリカ一辺倒の時代の終わりでもある、2020年とか令和の時代はまさにそういう時代なのである
日本のアメリカへの隷属時代から日本の独立精神の高揚化する時代でありそこに再び国風文化が起きるのである
ただ現実は厳しいともなる、経済が衰退して貧困化する日本の問題がある
でも時代的には国風文化の再興の時代に向かっている、そうしなければ日本自体が精神の面で失われるから経済もまた復興できないともなる

世界の和を計るのが日本の置かれた立場である
それは日本がアジアで唯一ヨ−ロッパの植民地にならなかった独立の国だったからであるそれは侍の国でありその誇りがあり植民地化されなかった、それはフランシスコザビエルが来たときから侍の国でありその威厳があり外国人が侍をまじかにみて感嘆した
とても植民地化できないと思ったのである
その威厳は武だけではない、何か侍というのは違っていた、それを目の当たりにしたときとても植民地にできないと直感したのである
だから日本だけがヨ−ロッパの植民地にならなかったのは戦国時代からそうなのである
それが明治維新までつづいていたのである

外交的には中国とアメリカが争う時その狭間にあるのが日本である
その間にたって和を計るのが日本の立場になっている、それは中東でもそうなのである
中東でも日本はアメリカ一辺倒でないことで友好的なのである
日米同盟があっても日本はアメリカ一辺倒になるべきではないのである
そうなれば相互の和を計ることは不可能だからである
そのために日本は独立していないとできない、どちからに従属すれば和を計ることはできない、でも日本はアメリカとの戦争に負けて植民地化されたのである
つまり侍精神とか日本の精神とかはなく骨抜きにされたのである
その代りアメリカに習った物質主義になりただアメリカの暮らしをまねて豊かになりたいとういだけになった
その高度成長もすでに過去となり失われた30年が平成時代だったのである

では令和の時代は何なのか、それはやはり日本精神の復活であり歴史で培われたものを見なおされ国風文化の時代になる、それが侍精神であり大和心であり他に万葉集の心とかになる、つまり西欧化は物質面で十分になされた、ただ精神的面では日本精神の復古があるべきだとなる
ただそれは吉田松陰の大和魂ではない、本居宣長の大和心なのである
大和魂は戦闘的精神であり大和心は平和の心である、それはおそらく江戸時代の三百年で養われた心でもあったのだ
300年間戦争がないということは日本人の平和の気質がそうしたとなる
また外国と交わらないということでかえって日本人の心が養われた時代だとなる

これからは経済一辺倒の時代は終わっている、これから求められるのは日本人が歴史で培った日本人の心なのである、それを見直して復古する、それを世界に示すことなのであるそれがもともと日本の地理としての使命である
ただそれは日本が独立していないとできないのである
アメリカの植民地化されて精神まで隷属するようになった結果その独立精神もなくなったのである、それは戦争に負けたということもある
それによって根こそぎ日本精神までまさに大和魂まで奪われたとなる
その大和魂とは戦闘的なものではなく、まさに長い日本の歴史で培われたものだったのである、侍精神でありまた大和心だったのである
それは武力だけのことではない、平和の精神でもあった、令和の時代はそうした日本精神の復古でありそれが戦闘的なものではなく平和の使いとして世界に示すことである

もののふの心を知れやさもあらば日本を知らむ心つよしも

 新しき世にこそひびく歌にあれ大和心を世界に示さむ



2020年01月13日

鎌倉時代に東国の武士の時代になる(1) (鎌倉と隠岐島の後鳥羽院上皇の短歌十首)


 鎌倉時代に東国の武士の時代になる(1)

(鎌倉と隠岐島の後鳥羽院上皇の短歌十首) 



遠き世のすめらぎあわれ歌残し波の音ひびく隠岐の島かな

荒れ狂う波のひびきて上皇の都に帰れず島に死すかも

宍戸湖に秋の柳や常夜塔隠岐は遠しも旅人去りぬ 

浪荒れぬ誰か別れとたたずむや常夜灯古り秋の日入りぬ

世は移るその時争う鎌倉や武士の歌心にひびきぬ

武士(もののふ)の世にうつりける華やかな都はなしも五山の寺かな  

禅寺の門の重くも古りにけり落葉を踏みて五山をしのびぬ  

庭の石苔むしあわれ五輪塔戦いに敗れ冬の日さしぬ

武士の契りのかたし鎌倉に大仏まして冬の浪音

韓国の旅路を終えて鎌倉に伊豆の島々秋の海かな

浪音に実朝の無念こもりしや鎌倉暮れぬ冬の海かな 

無念かな宋へわたるとその船の砕けて沈むかなわざるかも      


NHKの番組で後鳥羽上皇と藤原定家のことをドラマ風に放送していた
百人一首とかのなりたち、新古今和歌集とか鎌倉の実朝などがかかわる時代だった
ただ実朝は写生として正岡子規とかが称賛していた
でも藤原定家とかなると古今集以後は作りすぎて評価していない
万葉集は写実主義であり平安時代になると何かイメージで詩のように作る
だから技巧になり真実が表現されていないとして評価ししていない
私はもともとアララギ派であり俳句も写生から出発した

この時代は平安時代から東国の武士の時代へ鎌倉時代に移る変わり目であった
それでしょうきゅうの乱があり後鳥羽上皇は隠岐島に流された
そしてそこで死んだのである
その時実朝生きていて定家が歌の師匠となっていた
でもその歌風は定家とは違っていた
定家は平安貴族の延長にあり武士とは違う、でも時代の変わり目にあって歌風も変わる
それを一番良く示したのが実朝だったのである

その定家の時代に後鳥羽上皇も実朝も死んだのである、それは同時代の人だったとなる
ここでは短歌の評価だが古今和歌集でも新古今和歌集でも評価できない
それは正岡子規の評価と同じである
ただ実朝の歌は評価できるのである

いづれにしろ何か海が関係している、鎌倉にも海に面して波がよせてくるし港もあった
一時中国から禅宗を伝えた僧が中国に渡る船を作るとか実朝がもくろんだ
それも挫折した、そして実朝の兄弟とかも権力争いで死んだ
ここで源氏の系統は切れて北条氏が支配する世となった

おほ海の磯もとどろによする浪 われてくだけてさけてちるかも  実朝

鎌倉時代というとき、みちのくと関係が深い、現実に私の住んでいる所にも鎌倉に住んでいた岩松氏が来て最初に支配した
東北では関東から最初は鎌倉から所領を与えられ先祖となった武士が多いのである
平泉の藤原氏を亡ぼされたがその頼朝がいてその後も鎌倉から関東から所領を与えられ武士が移り住んだ、相馬氏は千葉県とかから出た一族である
でも岩松氏は家臣に殺されて滅びた、それで相馬市内に岩松氏という姓が残っていないのである
これも厳粛な歴史の事実なのである、だから姓をたどる歴史も重要なのである

隠岐島には行かなかった、それは秋の日だった、宍道湖の岸辺に立っていてそこに常夜灯があった、柳がしだれて風に吹かれていた
その時、宍道湖が海に通じていると見ていたのである
だからここから隠岐島に行ったと思った、ただ宍道湖はもともと海に通じている潟湖だった、それがさえぎられて淡水湖になりシジミがとれるようになったのである  

承久3(1221)年、後鳥羽上皇の船は出雲国大浜湊(現在の美保関)を順風で出発し、隠岐国海士郡苅田の郷に向かいましたが、隠岐の島近くになると波風が荒くなり、大時化(おおしけ)となりました。その時化も次第におさまり、船をすすめていくと、一点の灯りが見え、その灯りをたよりにたどり着いた場所が崎だと言われています。

宍道湖と中海とは通じていてやはり海に通じていた、ただ方向が間違っていた
後鳥羽上皇が隠岐に渡ったのは美保関である  

浪間よりおきの湊に入る舟の我ぞこがるる絶えぬ思ひに

この湊に入る舟への思いは今では考えられないだろう、都も陸地も遠いとなる
だからこそその舟に乗れば帰れるのに帰れないとなったらその気持ちは計れないとなる
何か離れ孤島に波の音ばかりを聞いていたのかとなる

浪の音崖にひびきて上皇の都の思いたちきれぬかな

何かこんな感覚になったかもしれない、ただイメージして歌を作るといいものはできない現実その身になることができないからである
印象的だったのは韓国の旅をして吸収の宮崎から船で伊豆七島に来た時だった、それは秋だったのである
秋の海に伊豆七島が船から見えたのである

とにかく旅の記憶も消えてゆく、それでホームページに書いたものが貴重だった
そこに全国を旅して詩にしたものが未完成のまま残っていた
その時春だと思っていた、茶町とあるときそこは花街であり遊女の町だったとなる
それで春だと思ったが読み返したら秋だったのである
ただあそこが港となって隠岐島に渡ったのかと思って去ったのである


秋の松江

芒なびく日本海浪荒れて
松江に我は着きにき
街を歩みて茶町とあわれ
昔の賑わい思うかな
宍道湖に強風や波立ちて
大きなる常夜灯一つ古りて
柳しだれてそよぎけり
京橋に江戸町と偲ぶ都や
船のここに寄りて栄えし昔
今日は秋祭りや太鼓ひびきぬ 

この時宍道湖でも湖でも風が強く波が荒かったのである、ここに船は寄らないが船は寄る所だった
ともかくあの辺は情緒ある場所だったが思い出としては記憶が薄れてしまった
でもは日本の場合また行けるからその場所に立った時記憶が蘇るのである
またインタ−ネットとかでも写真を見たりして記憶が甦ってくるからこうして書けるのである、外国だと記憶は本当に消えてしまいどこにいたのかも定かでなくなっているのだ

松江と常夜灯
                           


記録されることの大事


記録されることの大事

(犯罪の記録が消えないことの恐怖)

昨日推理ドラマでAIDの問題を追及していた

AIDとは無精子症など絶対的男性不妊の場合に適用される方法です。 ご主人以外の男性ドナーの精液を使用し人工授精にて妊娠を試みます。

ここで一番問題になったのは誰の子なのかと特定できないことだった
ただ血液型とか顔が似ている似ていないとかで決めることはあった
DNAとか遺伝子でも決め手とはなっていた
だから何か方法がないわけではない、ただそれでも証拠となるものがない

つまり記録がない→証明されない

このことが一番の問題だったのである
それで最後は殺されたその事件にかかわった医者が残したメモが証拠となるから必死で探したのである、それが出てきて証明されたとなる
つまり犯罪には必ず証拠が必要なのである
犯罪も証拠がなければ立証できとないからである
結局証拠がなくて大きな犯罪でも殺人でも見逃されているのがこの世には結構多いのである

もし今後、万引きでパクられたら名前が出る。少年院じゃ済まねえぞ。間違いなく。姓名がきちっと出て「20歳」と書かれる。それだけはぜひ頭に入れて、自分の行動にそれだけ責任が伴うということを、嫌でも世間から知らしめられることになる。それが二十歳だ

麻生大臣が成人式でこう言ったけどそうである
つまりこうして小さな犯罪でも記録されることが怖い、そしてその犯罪の記録が消えないのである
例えば島送りになった人は腕に黒い線の入れ墨を入れられた
それですぐに腕を見ればわかった、それは消すことができないのである
一つの記録なのである
これも怖いことなのである、一生それを消すことができないのである
そういう自覚がない人が多い、成人することがどういうことかわからない人が多い
ここでなんらか責任を持たされるということが成人だともなる  

インタ−ネットの記録も意外と電子だから消えるように思えるがいつまでも犯罪者の記録が消えないから消してくれと裁判にもなった
つまり電子の記録も消えないのである、そして今あらゆるものが電子時代になると記録される時代になったのである
そして人間は本当に忘れやすい、それで自分自身のプログでも自分で書いたものを忘れている
それで我ながら自分の文章を読んで感心しているのも不思議なのである

とにかくこのドラマでも数万で学生が精子を売った、それがあとでとりかえしのつかないことになった、そのために脅迫されたりして金を奪われたからである
必ず若い時でも過ちがありそれが後でカルマとなって現れて苦しむのが人間である

この記録が大事だという時、相馬藩内で今回の津波で大被害になった
過去にそういう津波があり被害がなかったとかと相馬藩政記を調べた
そしたら生波(いくなみ)で700人溺死と記されていた
それも二行だけだったがこれほど貴重な記録もなかったのである
生波とは津波のことであり慶長地震と津波の後に津波という言葉になったのである
それまでは津波という言葉はなかったのである
これほど記録が大事なことを知らしめたことはなかった
なぜなら他に伝説あるとしても一切記録がなかったからである
その記録も全く忘れられていたからである

歴史だって記録されていないければ不明になる
それでエジプトではヒエログリフで石に記した、それで歴史が解明されたのである
もし人間に文字がなかったら歴史はあっても解明できないものとなっていた
確かに柳田国男のように公式の文書の記録より言い伝えが語り継がれたことが大事だということもある、そこに真実があるというのもわかる
それで口碑が大事だとして民俗学を起こした
その功績は大きかった、しかしまた一方で記録も大事なのである
何か文書の記録は信憑性がでてくるから契約は文書になったのである
口約束は記録が残らないから破られることが多いのである

では記録がすべてかというとそうもなりえない、なぜなら犯罪でも殺人でもまた何億という金を会社でごまかしてもわからない人が結構あるからだ
そうしたら細かい金などごまかして盗んでいる人など無数なのである
ただどういうわけか小さい犯罪は万引きでもつかまりやすいのである
巨悪はつかまらない、大盗賊は英雄となり国を奪うものは正当化される
それか世界史でもあった、国を奪うなら人を殺しても罪にならないとまでなっていたのが歴史である

ただ人間の心から見る時、そうした犯罪の記録より恐ろしいのは「神は心を見ている」というときそうした記録のことではない、心に人間の一生のことが記録される、記憶されているのである
あなたが何を求めて何をしてきたのか何を思ったのかなどが記憶されている
だから老人になるとその人の結果が心に現れてくるのである
神は心を見ているというときとても現実社会では偽ることができても神に対してはできないからである
また顔にもその行状とか思いとか何か心の歪みとか罪が現れる
それは別に犯罪ではない、その人はいい人と社会ではされている
でも信じられない女性になっていた
心か曲がり異常化していた、なぜそうなったのか?
別に犯罪は犯していない、金にも恵まれていた、ではなぜそんな人格になったのか?
そういう人もまた多いのである、だから犯罪がすべて人間を歪めるものではないのである

エジプトでは死後にそうしてその人の魂を計りにかけて選別するというときもそうである魂にはその人生の行状とか思いとかが記憶されている
それこそ消えないものなのである、何か簡単に忘れて消えると思っているがそうではないだから犯罪が記録されないつかまらないとしても心に記憶されて消えず良心の呵責に耐えきれず自主した人もいるのはそのためなのである
ただ人間の犯罪は多様であり心悪いことを思っただけで罪だとなると罪を犯さない人はいない、また罪を犯したからと言ってそれで終生消えないというものでもないのである
ただ罪の軽重とか人間には計ることがでときない、裁くこともできない
なぜなら人間はみんななんらかの罪人だからである、
つまり犯罪者であり犯罪者が犯罪者を裁くことはできないからだ
第一この世を生きて嘘つかない人などいない、政治家などは特に嘘ついている、そういうささないことでも守れないのが人間なのである

国でも民族でもそうである、そこに正義があるのかとなるとない、ただ
強い国が弱い国を裁いているだけでありそこに正義などないのである
ただ国家の犯罪となると罰することもできない、アメリカの犯罪は誰もどこの国も罰することができないのである
それは長い歴史で神が裁くとなるしかないのである