2020年01月12日

2020 新春 常磐高速SA-セデッティ鹿島ー無人駅の鹿島駅


2020 新春

常磐高速SA-セデッティ鹿島ー無人駅の鹿島駅

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丸森の秘境(二輪草)

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常磐高速SAに飾っいた造花が良かった、何か森に隠された花に見えた
それは丸森の秘境で見た二輪草の群落を思い出した
ただあそこは洪水で流されて夏になっても咲かなくなっているだろう
あれだけの水が出たから流された
あそこは道があっても入りにくい場所だった
そういう所は田舎だったらどこにでもある
でも外から旅行に来た人は入りにくいのである
第一そういう場所は住んでいても地元の人すらわからないのである

常磐高速のSAも開通して四年とかになる、あそこでお土産を買うのはいいのである
良く駅でお土産買いたいという人にであった
それで香の蔵まで買いに行った人がいる
つまり駅とか何かお土産を買いたい場所なのである


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それでもう一つ買ったのがこれだった
年輪をうまく使ったものでありこれはいいと思い買った
これは新地の田村商会で作っていたものである
他にも木のお盆などを売っていた
やはり木という素材を活かしたものはいいと思う
それが新地で作ったとなると地元になるからいいと見た
何か特産物がこの辺でないからである

食べ物は何か放射能被害でだめになったとかある
ただ特産物を作ることは本当にむずかしい
なぜなら野菜とかにしてもそういうものは長年にわたりその土地を改良して作る
まだその土地の土が関係していたり気候が関係しているからむずかしい
雪の下キャベツとか会津にある
それは雪によって甘味がますという、それで今年は降らないので困っているという
そういう風土から作られた特産物はだから簡単に作れないのである

この辺で寄る場所は無人駅と常磐高速のSAくらいしかない
無人駅の方は最近案内していない、案内する人がいないともなる
春になるといわき市と通じるから外から来る人がふえるということはある
ただ常磐高速のSAのようにはいかない

何もしなくても一応駅の所は通るからそこにいたりする、何か駅が私は好きなのである
鉄道の旅行が長いからそうなった
ただ電車を待っているだけでもいいのである

寒雲や電車待ちぬ無人駅

こんな感じになる、何か駅自体が一つの人が交わる場所としていとしい場所になっているそれで廃線になるとき人々が惜しむのである
こういうことは車社会になるとなくなっている
人が交わる場がなくなっている、車は人が交わらないのである
ただ目的地に行くだけである
駅は何か待つということは人間的な時間を作り出していたのである

lower arregement 2020(生け花の心)


flower arregement 2020(生け花の心)

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定位置に石の動かず冬深む


一壺におさまりきれぬ様々の花のともにし映えにけるかな

我が手にそ挿しにし花やいとしみぬ花を活かして心いやさる

幸あれと千両万両我が家に飾りけるかな新年迎えぬ

我が家に大輪の菊十分に見てかえる悔いのなきかも
        

生け花とかも日本の文化である、茶道でもそうであり庭でもそうである
それは京都中心に生まれた文化である
奈良時代の平城宮にはまだそうした文化は生まれていない、万葉集は自然と直結した
素朴な時代であり京都になると文化の時代になったのである
そこで平安時代にかなが生まれたのもそのたとめである

生け花というと花嫁修業とかにしていた、生け花でわかったことは生けであり生きた花を活かすことなのである
だから花を自らの手でさして花をいとしむということが必要になる
ただ生け花というと女性がするものになっている、花はやはり女性にあっているからだろう

私のテーマは一つは花であり石である、花はだからずいぶん旅行しても山でも見たのである、生け花はまた家で飾って見るから違っている
それはいつも花をまじかに見るからである
それで毎日じきまえで大輪の菊を見ていた、それで十分に見たからまた変える
つまり花は十分に見られることでその美を認められた、だからまた次の花をさして見るとなる
生け花はこうしてまじかで日々見られることで花と一体化するのである

ただ花を知るには本当はその心が大事なのである
花でも心が汚れると見えなくなる、他でも美が見えなくなる
そうなるとこの世に生きることは何なのだろうとなる
美をみないとするとこの世は本当に地獄にならないか?
栄誉栄華があっても美が見えないとしたら暗黒しかなくなる
この世が救われているのはこの世に自然の中に美があるからなのだ
だから東京とかにはそうした美がないから索漠としている
そういう場所に住みたくないとなる
ただ科学技術とかビジネスの世界では東京がいいとなる

石も私のテーマである、人間はやはり定点が定位置が必要である
人間はみんなその定位置から場所から世界観を形成するからだ
定位置があってその場からアイディンティティかされる自然や世界がある
「場所の現象学」という本でではそのことを明確に述べられている
そのことを書いてきた、人間は場をもたなくなったから自然からも世界からも疎外される
アイディンティティ化されてないのである
グロ−バル化してもその場のことが実際にその場に立たないとわかならいからである
だから例え世界のニュースをみても表面的なことしかわからていのである
ゴーンが逃亡したレバノンとは何なのだろうとなるとこれも場について歴史的にも地理的にもわからない
なぜレバノンという国があるのだろうからしてわからないから理解できないとなる

いづれにしろ俳句短歌は日本の文化であるが俳句は短すぎてもう表現しきれない
短歌はまだ長いからそれなりに命脈を保つともなる

2020年01月11日

国際法が成りたたない (グロ−バル社会の限界ーゴーンは罰せられない)


国際法が成りたたない

(グロ−バル社会の限界ーゴーンは罰せられない)


ゴーンが日本を逃れた、それが莫大な金があってできた
そしてレバノンでその正当性を世界に向かって主張する
何も悪いことはしていない、悪いのは日本の司法関係者だとしている
そして治外法権の国に逃れそれで罰することもなにもできなくなる
そしてゴーンは二重国籍者でありフランス人なのか?レバノン人なのかわからない
そしてまたレバノンという国が国としても小国であり国とうし通用するのかも疑問であるそういう小国はゴーンのような金持ちは歓迎だとなる
結局盗賊なのだけど金があるから英雄となり次の大統領候補だとまでなっている

国際法が成り立たないという時、もう法律は通用しない
国際社会では国内で通用する法律が適応されないのである
だから外国で悪いことしても他国に逃れれば罰せられないとなる
そこに法律の限界がある

そして後に何が残るのかー何が世界で通用するのか?

それは力だけだとなる

つまり力が世界の法である、法律といっても強制力がなかったら意味がない
それでトランプ大統領がイランの司令官を殺害したのはテロだとう人もいる
それは正当な理由がない、大統領が殺害命令を出せば誰でも殺せるとなるからだという
アメリカは軍事力があり一番力をもっているからやり放題だともなっていた
イラクなど何も理由もなく一方的に攻めて壊してしまった

中国のウィグル族の迫害にしても中国が強大な力をもっているからとめることもできないチベット族でもそうである、チベット族がネパールに逃れて暮らしていた人たちがいた
そういうことにアメリカさえ今まで何も言わなかった
最近になって中国と貿易で対立するようになり言うようになったのである
でも国際法が成り立たないから強制力がないから世界で通用するのは力だとなる

現代の問題は法律であれ経済であれ政治であれグロ−バル化によって起きている
これだけ世界が複雑に交じり合った世界で起きている
経済でも絶えず陰謀論になるのはそのためである
誰かがグロ−バル化しした社会を支配している、それが必ずイルミナティだとロスチャイルドだとかユダヤ人だとか必ずなっている
でもそれで全部証明されるわ下でないのである
ただそれだけ複雑化しているからそう言うと何かそうなのかとなる

ただカジノとかにはラスベガスのカジノ王というか出資者がユダヤ人だとやはりそうなのかとかなる、そういうことはわかりにくいのである
カジノの問題もグロ−バル化国際化から起きてきている
カジノは何かうしろめたい金がそこで流通する、大金持ちのマネロンダリングの場だから問題なのだと指摘する
ギャンブルが正当化されてそこで金が合法的に流れてゆく
その手段としてカジノがある、だからカジノとはタックスヘイブンとかと同じだとなる
うしろめたい金が莫大な金がそこでカジノを通じて闇に流れる
その金は国でも把握できないとなるからだ

つまり国際法がない、そこで悪いことをしても罰せられない、特に小国がいいのである
キプロスとかでもロシア人の金が流入していたのである
それで一時預金封鎖になったとかある、ロシア人でも金をおろせなくなったのである
グロ−バル化は国際法がないのだから巨悪がまかりとおる
ゴーンにしてもそうである、金があるとして豪語している
金が現代の最大の力だからそうなる、金には国境がなくなっているからそうなる
アフリカの果てまでドルが通用するとなるとドルで世界が支配されることはアメリカによって支配されることなのである
だから中国でも他でもヨ−ロッパでもEUでも反発するのは当然なのである
それを許さないとしてアメリカが力でねじふせる、通用させる、ドルの基軸通貨を守るために戦争までになる
そこに国際的公平性はないのである、ただアメリカの利益が優先されるだけだとなる

そもそもアメリカの政府の重要な役職にゴールドマンサックスの人がなりウオール街と結託する、そして日本がゆうちょでも地銀でも農林中金の金がもうからない投資信託を買わされている、そういうことができるのはアメリカという国が背後にあってできることである、なぜなら日本は植民地だからである
なぜ植民地かというと北方領土が日本に返還されないかと言うとアメリカ軍が返還しても駐留することができる安保条約があるからだいう
それを知れば確かにロシアにして返還はできない
喉元にアメリカ軍が駐留される、それに対して日本は何もできない

つまりグロ−バル化して世界が公平に運営されるわけではない
かえって力あるものが世界から莫大な利益を得る、現実はグロ−バル経済でも帝国主義と変わりないとなる、実際は日本でも植民地化されている
奴隷というふうに目に見えていないが戦争に負ければ力の強いものの奴隷になるだけだとなる
現実の世界はグロ−バルになれば力が法であり法律はない、無法地帯だとなる
だからトランプがイランの司令官に殺害命令を出せば理由もなくできる
それが国際政治だとなる、国際法はそもそも通用しないからだ

国を越えた法律はない、力が法律だとなる、そして現代は金で何でも買うことができる
国さえ買うことができる、レバノンは小国でありゴーンのような大金持ちになれば他国から盗んだものでもかまわない、英雄となる、盗賊が国と国の関係ではほめられることにもなる、ではゴーンを罰するにはをどうするのか?
何らかの圧力をかけるほかない、それは外交になるとやはり力があるものに頼まねばならない、アメリカとかだったら外交で力があるから罰することができるともなる
つまりグロ−バル化社会は無法地帯なのである
力が法律であり正義であり富も力ある者に収奪されるのである

結局ここに人間社会の限界がある、人類に公正な法律はないし公正に治める者がいない

シオンは裁きをとおして贖われ
悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。
背く者と罪人は共に打ち砕かれ
主を捨てる者は断たれる。
(イザヤ-27−28節)

神にしか世界を公平に裁くことはできないのである、最後の日に公平な裁きが全世界に民族に下るのである



posted by 老鶯 at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年01月10日

道を誤ることの怖さー人生は一回限りであり引き返せない (20代で決まる人生)


道を誤ることの怖さー人生は一回限りであり引き返せない

(20代で決まる人生)

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人間の一生とは何なのか?
これもいろいろいうけど実例から見ればわかりやすい
例えば同世代で赤軍というのがいた
その若者は日本航空をハイジャックして北朝鮮に逃亡した
そしてそのまま北朝鮮でずっと暮らすことになったのである
その人たちは親になっていたのである
それで日本がに帰りたいとかなった
帰ってきた人もいるがその行動が決定的結果になった
ではその行動が誤ったとして後で判断しても遅いとなる

なぜ遅いの?

人生は引き返せないということ

人生は二度ないということ

これが恐ろしいことだった、極めて人生の厳粛さであった
若い時だったら人生は長い、暇でしょうがいなと思っている
私自身もそんなものだった、仕事もしないことがありやけに長く感じていたのである
それが老人になるとこんなに早く時間が過ぎたことに驚くのである
まるで人生は一瞬だったと最後はなる

人生で道を誤るというときそれはすでにその人生の出発点の20代で起きていたのである
なぜ会社に入る時、大企業に入ることにこだわるのか?
それはそこで一生の方向が決まるということでそうなる
なぜ一流大学とかにこだわるのか?それが人生の進路を決めるように思えるからである
確かにどこの大学を出たかでその人を見ることがある
それは人間の価値が簡単に見分けられないからである
だから一流大学だったらやはり優れていると評価する
それはぞうでなくてもあくまでも平均的に見てそう判断する他ないからである

そして頭がいい人でも道を誤る
それがオウムだった、理系の頭のいい人が最後に浅原にだまされたとして刑務所に入り死刑にされたからである
これも本当に深刻なことでありその後悔は身にしみる
震撼ともする人生の実例なのである
私自身もそうしてカルト教団で運動していたから身にしみるとなる
カルト教団で人生を奪われてしまったということである
だから道を誤ることは本当に怖いことなのである

ただ人間は何かしら道をはずす誤る、後悔する、そればどんな人でもそうである
自分自身はひきこもりになり「小人閑居して不善を成す」となったのもそうである
ひきこもりとかは今は普通になっているが隠者とかなれるのはかえって優れた人であり
そういう人はめったにいなかったのである
百万人に一人とか特別優れた人しかなれなかった
でも今は経済的に豊かだからそいうことを一般の人でもできるようになったのである

20代で青春時代で何か決まってしまうというとき
例えば結婚でも誰かと結婚する、その人と一生暮らすことになる
それもたいだい20代で決まる、それも怖いことである
たいがい女性を選ぶにしても容姿でありその心を見なかったりするからである
男性にして恰好いいとか外見だけで決めたりするからである
それで三分の一が離婚するようになっているのだ
ただ選んだ人が悪いからと簡単に変えられないということになる

歴史でもあの時こうだったらこうなっていたとか見てもどうにもならない
日本でも戦争で死んだ300万人は返ってこないからである
これも歴史の厳粛な事実である、歴史では道を誤るとそれだけの犠牲が出る恐ろしさである、そこで有為な青年が大量に死んだのである
その人たちは生きたかったが生きられなかったのである

自分自身の人生も実際は30くらいで決まっていたのである
その後は余禄のような人生になっていた、その後は実際に旅ばかりして遊びだったのが自分の人生だったのである
青春時代は激動であり冒険でありそれが大事なのは一生の方向が決まるということなのである
何かすべてが決まるというのではなく方向が決まる
その方向が決まるから間違った方向に行くとそのまま後で間違ったとしても引き返せないのである
人生なんかいくらでも失敗してもやり直せるということもいう
でも方向が間違っていなければ多少の間違えとかあってもやりなおせる
でも根本的に最初に道を誤れば方向が決まってしまうから引き返せない
もう一度もとにもどってやり直すことができないのである

神を知るというとき別に聖書を読まなくても教会に行かなくても知ることができる
聖霊を受ければわかるとなるからだ、それは青春時代しかない
老人になれば誰でも人生はこんなものだったのかと悟ることはできる
でも神を知ることは不可能である
だから若きうちに神を知れということになる
その時期を逃したら神を知るチャンスを逃したことになるからだ
悟りと神を知ることは別なことなのである

もちろん別に無神論者でも立派な人はいる、すでに死んだ都築詠一氏とか武田邦彦氏などもそうである、無神論者でも人格的にも優れている
むしろ宗教者の方がおかしな人間が多いのである、何か一番この世で無用な者が宗教者になっている、それより一番害になっているのが宗教関係者だとまでなっている
その人たちは金を得る手段としてそういう稼業をしている
だからまともなのは市井で職人でも農民でもなんでも働いている人の方がまともなのである
そういう人達が宗教者が多いというときその国は堕落したのではないか?
イスラム教だと宗教者によって政治とかも支配されている
その深いところはわからないにしてもそれで経済的にも発展しなかったのかとなる
キリスト教でもカトリックの政治支配からプロテスタンとなったときマックスウェバーの資本主義の倫理を基にして働くことが奨励されて経済的に発展したとなる

自分も何か人生をふりかえると不思議になる
みんな一生をふりかえると不思議になるのだろう
その人生にしても20代にすべてがありあとの30年は余禄であり別にどうでも良かったとでなっていたのである
とにかく求道は青年の時にしなければもう無駄だとまでなる
確かに老人はみんな悟る、でも神を信じる時期はとっくにすぎている 
あとは諦念しかないのである

2020年01月09日

中東はイスラム世界はなぜ衰退したのか? (政教一致が原因だったーヨ−ロッパは政教分離で発展した)


中東はイスラム世界はなぜ衰退したのか?

(政教一致が原因だったーヨ−ロッパは政教分離で発展した)

中東というのはなぜわかりにくいのか?
それはイスラム教の国だからである
政教一致の国だからである

ヨ−ロッパの中世がカトリックの政治支配で暗黒の中世となったように
イスラム世界もそうなのである
イスラム世界は政教一致だからである

●カトリックと政治の一体化

●イスラム教と政治の一体化

●日本の天皇(国家神道)と一体化(明治維新ー大東亜戦争)

●共産主義(マルキシズムイデオロギー)と政治の一体化

宗教の面から世界を政治をみると何かここに法則がある
カトリックの政治支配からまねがれるためにルターの宗教改革があった
そこでヨ−ロッパもカトリックとプロテスタント派に分かれたのである
中世まではカトリック指導だった、その後はプロテスタント指導になった
ドイツとか北欧がイギリスが世界の主流となった
カトリックはラテン系統であり今の地中海沿岸のイタリアとかフランスとかスペインである、温暖な気候の国々である
経済発展したのはプロテスタン系であり寒い国だった
このイギリスを中心として派生したのがアメリカだった
カトリック系ではなくプロテスタント系だった
カトリック系はなぜか温暖な国々に広がった、南米はやはりスペインとかに征服されてカトリックになったのでありフィリピンもそうだった
そこは経済的に発展しないということで共通している

このように意外と宗教と政治は一体化している、そもそもマックスウェバーがプロテスタントが資本主義の基を作った、修道院で作ったというときもそうである
最初は道徳的なものがキリスト教の精神のもとに資本主義が生まれたとういう説である
経済と宗教と道徳が密接に結びついて資本主義が始まった説である
だからイスラムでは政教一致になるときイスラム世界独自の世界があり資本主義が受け入れられなかったのか?民主主義の基本である政教分離が受け入れられなかったのか?
何かそういう宗教がイスラム世界に宗教と関係している
そして王族が政治を支配しているとか近代化できなかった
石油の莫大な富も王族がにぎり王族とか部族支配なのである
アフガニスタンでも部族の争いがあり何か中村哲氏もそうした争いにまきこまれて殺された、そこはまだ部族世界だったのである、それはアフリカでもそうである

イスラム世界はオスマントルコでもそうだけで江戸時代の大奥のようなハーレムとかを作っていた、それも退廃した世界だった、それはイスラム教は一夫多妻を認めていたからそうなっていた
何か国際政治でも世界史でも宗教が意外と関係している、中東での最大の問題が宗派争いであることはカトリックとプロテスタンと同じである
それで分裂するから中東は一つになれないのである
明らかなことは政教一致であるとその国は経済的にも発展できないという法則がある
やがて行き詰まり国が衰退してゆく
ただ国が興亡したり衰退したりするのは他にも原因があるからそれだけとは言えない
ただ歴史をみればそういうことは確実にある

日本にしろ天皇を中心として国家神道化してそれが戦争に突入する原因ともなった
政教一致になったことは確かなのである
天皇は現人神(あらひとかみ)であり御真影として崇拝されていたからである
戦争が苛烈になったのは日本は神の国であり負けないということで妥協がなくなったからである、それは殉教と同じである
だから靖国神社に英霊とされて祀られているのである

中国だって宗教と関係ないようにみえても共産主義(マルキシズム)が宗教化していたのである、日本でも戦前から安保闘争あたりまでマルキシズムが宗教のようになって学者は崇拝していた、それでカンボジアでも二百万人が死んだしソ連でも一千万以上が死んだとか中国でも粛清されたとかなっている
それは宗教であるが権力闘争となり悲惨な結果となったのである
もちろん民主主義とか資本主義でも今やゆきづまっている
格差が数パーセントの国際資本家に世界の富が収奪されているということでもそうである
ただなぜ中東があのように紛争が絶えないのか?
それは政教一致とかが関係しているのである、宗教のくびきから解放されないからである政治と宗教が一体化するときどこでもそれは権力と一体化するから必ず権力闘争が起きて来る、それが宗教がかかわると熾烈になるのである
妥協できなくなるのである、今でも創価とか他でも政治とカルト宗教が一体化すると
常に逆らうものは地獄に落ちるとか呪詛したりする
それはイスラム世界、中東でも同じなのかもしれない

ともかくアメリカとイランの対立もそうした文明の対立とか宗教の対立もその底にある
政治(権力)が一体化すればどこでもそうなりやすいのである
宗教団体が政権をとったら御利益として大臣の地位とか社会の地位ある場につけることができる、それが御利益になる、逆に宗教団体に入らないものは世俗のそうした役得を得られない、かえって地獄に落ちろとか粛清されるのである
だから共産主義でもマルキシズムでもそれが宗教と化して悲惨な結果を生んだともなる
それは宗教自体が原因ではない、宗教を利用して権力化した結果なのである
だから宗教と政治は分離すべきだとして政教分離が法律になったのである

もともとキリストでも「心の中に天国はある」というとき政治とか社会を変えることを優先していなかったのである、仏教でもそうである
第一釈迦でもキリストでも家すらなかったからである
そういう人を見習えペというとき世俗の権力とかかかわらないことは確かなのである
イスラム世界は政教一致だから世俗と一体化するのである
それはそれなりの文明ということもあるがそこで社会が国が停滞するということもある
逆に中国はあまり宗教の縛りがないから共産主義のマルキシズムを基にしても経済発展したきかとなる
でも共産主義をイデオロギーにしているとやはりイスラム教世界のように政治と一体化しているからこれもどこかで行き詰まるともなる

ともかく宗教から中東を見ると世界史を見ることも必要である



posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年01月08日

2020 abstract painting


2020 abstract painting

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spanish Architecture
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waterway

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forest and earth

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winter sun

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underground city


地下帝国とは何かローマ帝国であり
中国の始皇帝の地下の宮殿である
それは地球の地下に千年閉ざされる
そこはまさに墓場なのである
帝国の栄華は墓となり埋もれる
それが人間の運命なのである

What is an underground empire?
It is an underground palace of the Chinese emperor
It is closed under the earth for a thousand years
It is just a graveyard
Empire's glory is buried as a tomb
That is human fate

2020年01月07日

「ほら、日本ってめちゃくちゃでしょ」 ゴーン氏の逆襲をナメてはいけない 2020-1月7日ーmsnのニュース記事よりーその批判‐記事の下に窪田順生と記してある


「ほら、日本ってめちゃくちゃでしょ」 ゴーン氏の逆襲をナメてはいけない

2020-1月7日ーmsnのニュース記事よりーその批判‐記事の下に窪田順生と記してある

これはゴーンを擁護一方である、何かおかしいなと読んだ
日本の司法も国際的に通用しないとかいろいろゴーンに有利なことばかり言っている
私はビジネスのことはわからないにしても常識的に判断して庶民から判断して
この人のことを擁護することが理解できない

15億が保釈金だとか逃亡するにプロの警備員を雇っていたとか一体どれだけの金をもっていたのだろうか?百億なのかなんのかとなる
その金を使って今度はレバノンの政界とか有力者にも影響力もつ
この人は何なのだろうと庶民には理解不可能なのである
それがビジネスではありうるのかとなる

レバノンはその巨額の金で買収されたのかとなる
逃亡するにも莫大な金を使っているのである
この人はゴーンは金で何でもできる、金で逃れられるとしてそういうことをした
普通ならもう何もできないからだ

そもそも司法がどうのこうのと言う前になぜそんな巨額の金を得られたのか?

そのことの方が庶民から見ればわからないし問題なのである
それは今のグローバル経済で数パーセントの大金持ちが国際資本家が奪っているという問題と共通していないか?
そういう経済の仕組み自体が納得できない、庶民の常識的な見方ではそうなる
第一その人は王様でもなんでもないだろう
王様ならその国の外交などがありそれなりに経費が必要になるし認める
でも一体一私人で会社の経営者がそんな巨額な金を得るのかそのこと自体が理解できないのである,それこそ世界的に広がった格差の問題なのである

とても常識的に庶民から見れば一会社の人がそんな巨額な金を得ること自体が問題だったと思わないだろうか?
盗賊国家のことを書いたがこの人はそういう盗賊でそれが国ではなく多国籍企業だったという違いではないか?
つまり今は多国籍企業は国を越えて巨額な金を得るシステムがあるということを証明しているのである

この人は首切りしたことは評価できるとか支持する人がいる
でもそんな巨額の金を操作してグローバルに日本からトルコからフランスに行きレバノンに到達した
もちろん司法の問題もあるが郷に入ったら郷に従いという諺もある
つまり不合理でも納得できなくてもその国には一応法律がありそれに従えということなのである
もちろん日本の司法が不備であることもある、でも裁判は手続きにのっとてする
抗弁することもできる、でもその前にそんな金に物言わせて逃亡すること自体が許されるのだろうか?


日本で就労経験のある外国人2788人に職場での外国人差別について尋ねたところ、トップの「外国人であることを理由に就職を断られた」(25%)に次いで多かったのは、「同じ仕事をしているのに、賃金が日本人より低かった」(19.6%)となっている。こういう日本への不満は、祖国へ戻った人などのクチコミでじわじわ広がっている。それがゴーン氏の”ジャパンバッシング”で一気に火がつく恐れがあるのだ。

こんなこととゴーンと比べることができるだろうか?
何百億円も稼ぐ人と日本の平均賃金以下で働く人と比べることできるのだろうか?
何かこの記事を書いた人はゴーンを全面的に認めている

私はビジネスを国際的ビジネスをわからないにしてももう常識をはずれている
そこからもう思考できなくなる

なぜ何百億円も一個人が会社から得られたのか?

このことが全く理解できないとなる、それはアメリカでも会社の社長にそういう人がいた恐ろしいほどの格差社会になっている
そんな社会自体が異常だと見るのである
だからこそ世界中でデモが起きて格差社会に反発する人がでてきている
それは革命にもなりうるような状態になっているのだ

こんなことを書くのはインタ−ネット上だと必ず反論が言えるからなのだ
ただ対話はない、第一この記者が書いたものを読んだとしても普通だったら何も言えないからである
インタ−ネットだとプログでも気軽に書ける言えるのである
だから私は時々ニュースをとりあげてその批評を読み批判したりしているのである
つまりインタ−ネットは前からそうだったが対話的メデアなのである
それはパソコン通信時代からそうだったのである
今までのメデアはマスメデアであり一方的だったのである
それはテレビでも新聞でも何でもそうだったのである

インタ−ネットになると誰でも反論したり批評したり言えるのである
ただ対話にはならない、なぜなら相手が一方的に書いて終わりになるからだ
それでもこうして疑問や反論はできる
そういうことがこの世には多いのである
いろいろな人によって立場によって見方が違ってくるからだ
今回のこの記事の解説は何か納得できなかった

庶民からするとそんな桁外れの金持ち自体が何か罰せられたりしたら気分いいとかなるだけである
その金の差が天と地も離れているからである
それ自体その人は盗賊なのである、だからこの記事でゴーンを擁護しているような記事を書いている人自体に疑問をもったのである

大企業から何百億盗む→英雄

人を見たら泥棒と思え (国も政府も官僚も銀行も弁護士も・・・みんな泥棒?)

引用先(短縮できない)msnのニュース記事である

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団塊の親の世代が介護などで子供の負担になる (高齢化社会でも価値観が変わるー老人は負担なだけ?)


団塊の親の世代が介護などで子供の負担になる

(高齢化社会でも価値観が変わるー老人は負担なだけ?)


5080問題はひきこもりが長期化して親の介護になったとき地獄になる
それは自分自身が経験して来た
親が大正生まれで会った、いまはすでに団塊の世代もまもなく介護される方になる
その人は80くちいなのだろう、その息子は40代である
別に引きこもりではない、土建業で正社員でありボーナスをもらったとか足を怪我した時社長みずから見舞いにきたりいろいろと世話をやいているからいい会社なのである

ただ問題はその父親が介護状態になり青森の施設に移された
南相馬市では介護する人手がたりないのでそうなった
たいがいここでは青森に移されている、青森は仕事がないのでそうした介護事業が仕事になりやすいからである
でもその施設に入れたからそれで終わりではなかったのである
その後に施設で使うものを負担しなければならない、おむつなどでもそうである
その負担がその一人の息子にかかってきたのである
もう一人息子がいても絶縁状態でありめんどうはみないからだ
その息子は結婚していない、結婚が嫌だというより結婚できる余裕がないのだろう
この世代には結婚したくてもできない状態の人が多かった
氷河期世代だったのである

そして70にもなる母親がいるがそれにも金を送らねばならない
その母親は年金でもわずかでありとても生活できないからだ
医療費は無料でも生活費自体が少なすぎて生活できないのである
時々わずかの金を送ってくるがそれもその息子にとっては負担である

すでに5080問題はひきこもりのことだったがそうでなくても40代から50代の親が介護状態になってくるのも怖いことである
その数が多いことが問題なのである、それで会社をやめたとか苦しい状態に追い込まれるただ金があればこの場合は問題がない、まだ親が一応体に故障があっても生活できるからである

これが介護になったらどうなるのか?

父親は介護して回復しているから帰ってくるとかとも言う
それはいいことにしても息子にその負担が長く続くことになるのだ
これも高齢化の厳しい現実である
高齢化社会とは病気になっても介護されてなかなけか死ねない社会なのである
それで介護しているとき早く死んでくれたらなと自分も思ってそのことを書いた
そしたら他の人も介護している人がそう思っている
それは別に悪い人でもないし普通の感情なのである
必ずそうなる、これは個々人だけではいない

社会でも老人は負担になるから早く死んでくれ

それが本音になる、個々人ではいろいろな人がいるから一様には言えない
元気な人は80でも90でも元気だし10歳は若くなっているのが現代である
だから本当に老人となるのは75歳以上からだろう、それまでは老人と言えない時代ともなっている、ただ老人になると個人差が大きいのである

このことはこれからでもすでに起きているのである
別にひきこもりだけではない、50代になると親の介護に入ることが多くなる
それですでに会社をやめたとか問題が起きているのである
これから数が多いのだからどうしても負担が増大してゆくのである

結局高齢化社会とは残酷なようだが

この老人にこれ以上長生きする価値があるのだろうか?

そういう疑問も生じてくるのである、命はかけがえのないものだということはわかるにしてもこれだけ老人が増えて負担になるときそう疑問になるのも当然だとなる
高齢化社会はそういうことを問う時代にもなる
いつまでもこの老人を活かして負担になって子供が苦しむのがいい社会なのだろうか?
そういう疑問をもつのはやはり老人に希少価値がなくなったためである
50から60で死んでいた時代だったらこういうことはないのである

こういうことを言うとお前こそ死んでくれとかなる
だから誰もそういうこと言いにくいのである、この人はもっと長生きするべきかしないかと判別などできないからである

正直あの人はなぜ長生きしているのか、馬齢を重ねているのか?
その子供は親のために若い時自殺したとか知っている
その親は80近くまで生きている、むしろ自殺した子供がべきだったとなる
ただ命に値踏みができないからみんなそういうことを言わないだけである
何かその人の価値がどこにあるのかわからないからである

とにかく高齢化社会の価値観もまた変わるのである
今までの価値観では対応できない、長生きしたらみんなかさ喜ばれる社会ではない
そうなると価値観が変わる、何か時代とともに人間の価値観が変わる
なにより次の世代の負担になり若い人達の足かせとなることが問題なのである
自分は親に感謝して必死になって介護した
それは60以降でありやりたいことをやらせてくれたからである
それは仕方ないと甘んじて必死に介護したのである
だからその人によって介護の事情は変わってくるのである
毒親の介護のことを言っている人もいるからである

いづれにしろ高齢化社会というのは歴史上世界でも経験ししていないのである
だからそこでいろいろな問題が生まれる、それは今までにないとことだからそうなっているのである
お年寄り大切にしてくださいということも成り立たなくなっているのもそうである
それは余りにも老人が多すぎるからそうなったのである

2020年01月06日

貨幣が紙幣がなぜ今問われているのか? (キャッシュレス社会とかグロ−バル経済で通貨を何にするか問われている)


貨幣が紙幣がなぜ今問われているのか?

(キャッシュレス社会とかグロ−バル経済で通貨を何にするか問われている)



貨幣とは何なのかということを追及するとそれが不可解になる
いろいろな人が貨幣について述べても何かわからないのである
簡単なところでは金本位制というのはわかりやすい
金自体に価値がありその金が基となり現実にあるからそれで紙幣で発行される
その裏付けはその紙幣で金と交換できるということである
だから金の額が決まっているから発行される紙幣は制限される
現代は金本位制ではないから紙幣は紙なのだからいくらでも作れる
でもそれが大量に出回るとその紙幣の裏付けがない、金と交換できないのだから紙くずになるのである

つまり大量の紙幣を刷ってもそれ自体には何の価値もない、紙くずにもなる
だからこそバブルが起きる、オランダのチューリップバブルでもそうである

そういうものになぜ高価な値段がついたのか?

それは大量の紙幣を紙をもっていてもそれ自体に価値がないからである
金余りが高じるとそうなるのは何か簡単に理解できる
本当の価値は紙幣にはない、紙幣は紙に過ぎないからである
だから貯金していたとしてもその貯金しているのは紙幣であり数字にすぎないとしたら
紙幣は紙屑になるし数字は一瞬にしてゼロになる
数字に価値があるはずがないからだ

そして現代は金余りだというときバブルになるというとき大量の紙幣が土地とか建物でもまた前は絵画とかが投機商品となった、ゴッホの絵が百億円とかで買った実業家もいる
それはその絵画に価値あるというより投機商品として買った
いくら金をもっていても紙幣なら紙くずになり数字ならゼロになるからである
それよりはましだとしてチューリップの種であれ何でも実物と骨董品でも何でも持っていた方が価値があるとなるからだ
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金融資産は3.4倍に増えている
つまり世界的に金余りなのである
日本は金融資産ではアメリカよりも大きいとかある
日本は金は持っている、でも活かされていかないのである

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島の人たちがみんなこの石貨どこの家にあり誰の者か認めている
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銀行の場合は銀行だけが特定の個人の金があることを認めている
他の人はわからないのである


不思議なのは石の貨幣がヤップ島である、それは重いから移動できない、いつも持ち主の家の前にある、それがなぜ貨幣としての機能があるのか?
わかることはいつもその石の貨幣を島の人たち見ている

その石の貨幣を島の人たちがみんな認めている

ここに貨幣と同じ役割がある、それは交換できないのだがその石の貨幣をもっていることはみんなが認めている、だから立派な石の貨幣をもっている人は信頼される  

このみんなが認めるということが石の貨幣として価値をもたらしている
このみんなが認めるということが大事なことを銀行のことで気づいた


例えば金というのはタンス預金として持っているとその人が持っているかどうかもわからないのである、だから盗まれたとき盗まれたと認識するのはその持っている人しかいないから証拠がなくなる

この人はいくらの金をもっていましたと証明する人がいなくなる

ただ預金通帳を見れば日にちが記されていていくら引き出したかわかる
それを手がかりとして証拠として盗まれたことを証明できるかもしれない
でも証拠がないと盗まれたということを証明できないのである
だからタンス預金は盗まれたとき警察に訴えても返ってこなくなる
証拠がないからである、常に犯罪を証明するには証拠が大事になるからだ

あなたは本当にその金をもっていたのですか?

それを証明できますか?

こうなって立証することがむずかしくなる

だから金というのは何かというとき本来は島の人たちが石貨でもある人の家にあることを認められて存在しているともなる
その石貨は重いし盗むことができないから安定した貨幣だとなる
ただそれ自体で交換はできないのである
ただそこに金があるということを常に示している、それをみんなが認めているのである

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日本経済新聞1月6日号

一方で今の金は紙幣はそれ自体で匿名性でどこでも何でも買える、交換性が抜群なのである、それが誰の金でなくても金さえあれば例え盗んだものでも使えるのである
その金をつかっても誰が使ったなどわからないのである

でもキャッシュレスになるとカードで買うとその本人のことが個人情報がわかる
斎藤という人がいくらいくら使ったとか記帳されるからわかるのである
それでここで問題にしているのは銀行預金がないとカードが使えないということである
とすなると銀行なしではありえないということで問題にしている
銀行がつぶれたりするとかいろいろ銀行だけに頼ると問題が起きたとき使えなくなる
現実に銀行がつぶれるとか騒いでいるからである

金というのは銀行にあづけるとこの人がいくら持っているとかわかる
銀行がいくらあづけられたかと証人になるからである
それはタンス預金とは違うのである、それは盗まれることはないのである
ただ預金した人の金があることを知っているから投資信託とか売りつけにくるのである
そして遺産相続の時も銀行がかかわるのである
別に親族でもないのに金がおろせなくなるのである
つまり銀行がその人の金を操作するようにもなるのである
だから金を銀行に預けることは権利を委任するような感覚になる
銀行がその人の金に口出してして操作するとまでなる
だから銀行とは何なのか?これもわかりにくいのである

石の貨幣だと島の人たちが貨幣として認めるものだった、それはもし現金をもっていたらあの人はいくらもっているとかなる、大きな石なら大きな金をもっていると認める
でもそれは交換に使用できないのである
でもみんながあの人には大きな石貨があり金持ちだと認められるのである
ところがタンス預金にはいくらもっていもみんなが知らないから認められないのである
第一そんな金をもっているとなると周りからいろいろ言われる
だから隠すことになる
一億円見せびらかして殺された人もいたからである
もし銀行にあづけていれば盗まれることも殺されることもなかったかもしれない
現金を見せびらかして現金が家にあると思われたから盗まれて殺されたとなる

でも銀行にあづけるといろいろ銀行側で今は苦しいから投資信託とか損するものがすすめられる、それはゆうちょでも同じなのである
金が余っているけど投資してもうける先がないからである
だから日本は貧乏になっているというとき金は紙幣は貯金は多いのである
でもその金があっても有効に使えない、会社だと内部留保であり投資に使わないとか
金が全体に回らないのである

ともかく今貨幣を紙幣をどうするのか、グロ−バル経済にもなり混乱している
それは金というものが何なのか?それ自体が問われるのもそうである
そもそも金というのが一定したものではない、金が単なる数字であり情報だという人もいる、通信がこれだけ発達するとまた金がもう紙幣ではなくキャッシュレスになり数字になり情報になる、でも依然として銀行に貯金がないと使えないという指摘もある
そうしてブロックチェーンとかが生れて来る素地ができている
これはわからないにしてもやはりその人が金をもっているということを銀行という民間会社だけではなくみんなで認め合うということかもしれない
それは石貨とにているのである   

つまり金でもそれ自体で通用していたがキャッシュレスとなるとその本人の個人情報がはっきりしていないと使えなくなる
そしてカードから金がどれだ何に使ったかとか把握される
それを銀行がするとなると銀行が潰れたりすると使えなくなるから困るとなるのもわかるキャッシュレスだと匿名でなくなる、個人の情報があって信頼されて金が使える
もう金を盗んで使えなくなる、それは誰の金か登録してあって他の人は使えないからである

いづれにしろ金について紙幣についてどうするのか転機に来ていることは確かである
それでそもそも金とは紙幣とは何かを世界で問われるようになったのである
ただ正直金が何なのかわかりにくい、金には多様な面があり多様な機能がありそれがなかなかわかりにくいのである

第一国で預金封鎖するとかなぜできるのか?
個々人の貯金をゼロにすることもできる、そんな権限が政府にあるのかとなる
すると金とはあくまでも政府の国のものであり個々人にはないともなる
だから金は紙幣は国で管理して民間銀行で管理してはならないともなる
なぜならそんな権限を持ちえるのは国であり国の都合で意のままになる
国が借金しても預金封鎖で金をとりあげて払えばいいとかなる
個々人に金をもつ権利はないとまでなる

とにかく金であり貨幣であり紙幣でありこれがグロ−バル経済になると大きな力をもつ
金で世界を支配できるとかなり問題になる、ドルが世界基軸通貨になっているからアメリカが世界を支配するとなる
それでいいのかとなりユーロが生れたり中国でも反発しているのである
posted by 老鶯 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

新年-冬椿(冬の俳句十句)

                        
新年-冬椿(冬の俳句十句)

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万両や新年に幸分かち合う

新年に珍しく来る目白かな

白鳥にまばゆき光年明ける

寒雲に二両の電車待ちて来る

社消え落葉にうもれ碑の二つ

冬椿奥に籠れる女(ヒト)静か

路地裏の垣根静かに冬椿

城下町通りを歩み冬椿

冬椿心にしみぬ赤き色

外に出て北風吹かれ帰る家

目白が珍しく庭に来た、これは目が白い縁になっているからわかる
ただ隠れてわかりにくかった
庭だと近くだからなんとか鳥を見分けられる
庭に来るのでは後は四十雀とかでありこれもめったに来ない

万両は新年にふさわしい、豊作だともなる
その幸を分かち合うとなる、白鳥がいたのは手の沢の池である
六号線の道の駅の近くである、あそこは餌やる人がいるから来る
白鳥は餌をやらないと来ないのである
その近くに社が鳥居もなくなって碑だけが落葉に埋もれたのがあった
一応慶応とあり江戸時代のものだった

駅に行くと寒雲がたなびき二両の電車が来る
最近案内していない、何かめんどうになった
ただこの待つということが駅に価値を与えているのである
人を待つということが駅に人間味を与えているのは不思議である
二両の電車は一日二回くらい来る、昼間である
常磐線は一時間おきにしか来ない
不思議なのは人間は何かこうして無駄なこと待つ時間があることで人間的なものが生まれる、まず車だと待つということがないし今は待つことを嫌がる
それだけ時間に追われているからである

冬椿がいいと見た、というのは冬椿と寒椿があるが冬椿だとそれほど寒くない感じがする今年はまだストーブを使っていないし寒い感じでもない
ただ風は冷たいから外に出にくい、ただ冬椿というのが今年はあっている
相馬市は城下町であり冬椿がにあっている
それは病院に通ったりしてしいたとき相馬市内を歩いていたからである
歩くということもなくなっている

冬はやはり冬ごもりである、静かにこもっているのがなんともいいのだ
それはやはり田舎だと冬ごもりがいいのである
これが薪とか積んでストーブを燃やしたりしているとさらにいい
街内にどうも外から来た、都会の人なのか、そうして暮らしていた人がいた

ともかく冬椿が今年が心にしみる、今日だって外は風が吹いて冷たいけど家の中はそれほど寒くないのである、だからストーブをしていない、去年はストーブを一日燃やしていたそれで石油代がかかったご今年はかかっていないのである

何か介護の前のように平穏な日々に戻ったとなる
まず十年間くらいは落ち着かなかった、もう振りまわされて落ち着かなかった
自分の人生をふりかえると不思議なのは家族がいたときは30年間くらい引きこもりでありそうして静かに事もなく暮らしていたことである
そんな暮らしができたこと自体不思議だった
そういう平穏な平和な日がつづくこと自体相当に恵まれたことだったのである
今になりようやくそうした前の平穏な日々が返ってきたのかと思う

いづれにしろ今は遠出も旅もしたくない、めんどうになったのである
何か冬籠りがいい、じっとして家にいるのがいい、人とも会いたくないし人ごみ嫌なのである、そういう性格であったが余計に年取ってそうなってしまった
だから自分はもともと田舎にしか暮らせない人間だったのである
そして仕事をしなくてもそういうふうに暮らせたことが不思議だったとなる
今も別に金銭的に困ることもないのである

ただ今年はどうなるのか?
何か経済的に波乱含みである、アメリカのイラン攻撃もあったりなんだかきな臭い
今年はこれからどうなるのかわからない、大きな波乱がまた来るかもしれない
でも自分の状態は平穏なのである

2020年01月05日

小泉首相はナチズム的手法でゆうちょを民営化した (マスメデアは洗脳機関だった)


小泉首相はナチズム的手法でゆうちょを民営化した

(マスメデアは洗脳機関だった)

マスメデアがこれだけ力をもったのはその情報を操作して伝える力をもったからである
白を黒とも伝えられるし黒を白としても伝えられる
その判断はマスコミがしていたのである
それで最近なぜ小泉信三前首相があれほどゆうちょを民営化しようとしたのか?
それは外資にアメリカに国際資本家にゆうちょを民営化して貢ぐためだったと批判する人がいる
そうしなければならなかったのはアメリカの圧力であり日本は植民地だからアメリカに従わないければならない金を奪われても仕方がないということになっていた

ただそういうことをあからさまにはメデアでは言わない、マスコミでは言わない
だからマスコミにのせられてゆうちょを民営化することに熱中したとなる
それは小泉前首相がそういうふうに国民をあおるのにたけていたとなる
また国民もゆうちょの民営化は国民にとっていいものだとその時は熱中していたのであるそれはもしかしたら戦争でも政府があおり国民が熱中した構図とにているのかもしれない戦争でも今では朝日新聞があおったとしているからだ
オリーブの木で小泉信三と竹中平蔵と安倍首相がその首謀者であり日本の経済をだめにした張本人だとして告発している
バブル崩壊からの30年くらいが失われた時代であり日本経済が低迷した
その原因が小泉前首相とか竹中平蔵とか阿部首相などがそうさせたとして批判している
つまり外資に国際資本家にアメリカの言うなりになってそうなったとしている

経済が特にグロ−バル経済になるともう誰もその仕組みもどうなるのかもわからない
だから処方せんも書けないとなる
江戸時代に二宮尊徳が成功したのはその経済が眼に見えて具体的に把握できたからこそである、それで何を正せばいいか見えたからできたのである
グロ−バル経済だったらもう何を正せばいいのか見えないのである
それで必ず陰謀論になって終わっているのである

でも具体的に見えるのはカジノ利権とかある時である、それはカジノを運営したいのはラズベガスでカジノを運営しているユダヤ資本家だという、その名前もあげている
一方で中国でもかかわろうとして議員に賄賂が送られたとして検察が取り調べるをする
その裏はアメリカと中国がカジノ利権を日本で得ようとしているからだとなる
これがわかりやすいのは金がどういうふうに動いているのかわかるからである
それはまさに黒い金である

第一オリンピックでも消費税でもカジノでも国民が賛成していない、いるのは一部の利権者だとなる、ギャンブルは大きな利権である
だからパチンコが大きな利権でありこれでもうけている人たちは手放さないのである
原発だってこれも大きな利権だから地元でも官僚でも検察すら天下り先として東電と一体化して大事故になったのである
ただそこに見ているのは利権であり会社であれ個人であれ利である
利益を得ればいいというごけである、それはカルト教団でも宗教も実際は神より仏より
賽銭でもお布施でも利だとなる
神仏などよりそれでもって得る利が御利益が大事なのである
だからそういう利を否定しない、必ず拝めば利を得るとして教えている

金がこれほど力を持ったのもはなぜなのか?
それは本当は金とは媒介するメデアはメデュウムであり中間であり仲介するものに過ぎなかったのだがそれが力をもったのはマスコミのようにメデアとなっていたからだとなる
情報を仲介するだけのものでもそれが六局に独占されていたから第3の権力までになった
仲介するものがそれだけ力をもつのは金が貨幣が情報だからだという人もいる
今では金は数字としての情報である
そしたらその情報を伝える力をもつものが力をもつのは当然だとなる

人間は金だけではない、情報に左右される、今になるとなぜ小泉前首相が郵貯を民営化することにあれほど熱心だったのか?
そして国民がそのことに熱中したのか?これも本当に不可解になる
そうしむけたのはマスコミだったともなる、いつもテレビに小泉首相が簡単なわかりやすいフレーズで訴えていた、それが小泉前首相がうまかったのである
それがテレビという媒体がありそれにのっかたからである
マスコミは冷静に批判して伝えない、疑問もさしはさまない、良く議論もさせない、
一方的メデアなのである、マスコミはただ媒介する中間のメディウムではない
確実に放送局の意志があって決められる、それは幹部の会合でしているのである
ただ事実を報道するということではない、その事実の報道でも選ぶことによって力を得ている、何でも放送するわけではないからである
つまり放送局にとって大事だと思うニュースを流しているのである

なぜ人間はこれほど人物でも事の真相でも見えないのか?
それは人間は直接首相などでも聴くことなどできない、必ずそこに媒介する者がいて
その媒介する者に左右されるのである
噂でも人から人へと伝えられて別なものになってしまうと同じである
ゆうちょを民営化するのはアメリカにゆうちょの貯金をさしだすためだとか外資に売るためだとか言う人はいてもその仕組みが良くわからないからうやむやになっていて注目されななかった

大衆にとってはわかりやすいことが訴える!

それが小泉前首相はうまかった、演技者だった、それはナチスのヒットラーの手法だったのである、ワンフレーズで難しいことは言わない、それが大衆に受けたのである
それはハイルヒットラーと同じだったのである
現代は大衆時代であり何百万人であれ千万人にも訴えるなるとそういう手法になりそれが大衆に訴えることになる
それでカルト宗教団体も何百万人の会員がいるとか増えたのである
それもナチス的集団なのである、その前に小さな声は圧殺されるのである

だから民主主義などこれだけの人数が多いともう機能しないのである
ギリシャのボリスがせいぜい一二万の人口の都市で行われていた
それは直接民主主義てある、現代は間接民主主義でありまさに間接ということはそこにメデアが介在してそのメデアの影響が大きくなるのだ
そこで中間とか中立とかはありえないのである、メデアはどちらかに偏る
それがメデアの問題である、それでグーグルさえそういうメデアであり中立ではない
中国に通信技術を盗まれるとかいうけどそれはアメリカが情報をITの技術を独占するから対抗してそういうようになる、それが米中の対立となっている 

それにしても大衆というのは簡単に洗脳されるものだと思った
それでピカートはラジオがナチスを産んだとして批判した
それだけラジオすら音声ですら大衆を扇動するのに十分だったのである
それがテレビになったとき映像になったとき千倍の効果を出すことができるようになったのである、映像の力はそれほど強力なのものである
だからこそテレビの映像は必ずしも真実ではない、操作されていてもそれを信じるのである、それでやらせとかあってもわからないのである
まず真実はその場に立たない限りわからないのである
だからテレビを見て何でもわかったようになるのは危険である
まず人間はその場に立たない限りわからないものだという自覚が必要である
そうしないとやらせが普通にテレビにあり真実は見えなくなるのである

ただこんなことを言っているのはやはりミネルバのフクロウは夜に飛びたつというとき
過去をりかえるとき真実が見えて来るという人間の習性があり常に事の起きた後しか真実が見えないからそうなっているのである
その時々のことは時流に流されて生きる、しかしその事が終わった時、真実が見えて来るただその時はもう方向が決まっていて前にもどすことができない
それが歴史でありまた人間の一生でもあった
人生というのはみなん老人になるとあの時そういうことだったのかとわかるのである
何が大事だったかも人生を経験してみてからしかわからないのである
でも失敗したからとして道を誤ったからとしてその時に戻れないのが深刻なのである
戦争で3百万に死んだのはなぜだ、こうすればあうすればまた深く考えていればこうはならなかったといってもその時にはもどれない

3百万人死んだ人たちは生き返ってこない!

このことでもいかに道を誤ることが深刻かわかるのである、それは個々人だけではない、国家の進路でもそうなる、対処が誤ると道を誤るとそれだけの恐ろしい犠牲が出るということである、そして取り返しがつかないのである
共産主義でもカンボジアで2百万人死んだとか今でもカンボジアは最貧国で疲弊している
だから国家が道を誤ることはどれだけの犠牲が出るかということである
これは肝に命じなければならない、だから国民をただ他者に為政者にまかせるだけでは
いけないのである、結果的に無関心だと戦争にもなり犠牲がでる
それは原発でもそうだったのである
自分等も30キロ離れているから無関心だったのである
また地元の人たちは「安全神話」を信じていた、信じさせられた
結果的に放射能汚染になり悲惨な結果に住めなくなったのである
それも自分自身もそうだが無関心からそうなったのである

ただ政治とかにはなかなか関心がもちにくい、その原因が民主主義でもいくら一票あるからといっても無力感がある、どうせ変わらないとなる無力感がある
それは社会の規模が大きくなりすぎたいうこともある
一票でも百分の一くらいの重みがあったら違っている
比例区とかなると百万分の一ともなれば一票などどうでもいいとなるからだ
そこに無力感があり民主主義はポピュリズムになり大衆化して遂にはナチスのようちファシズムになり安いのてある
あまりに規模が大きいともう民主主義は成り立たなくなる
そこで通用するのは小泉前首相のようにナチズム的手法になる
それが現代の政治だけではない全般的な問題なのである

外国旅行を20か国以上している人は3パーセント (私はその部類に入っていたーその回想)


外国旅行を20か国以上している人は3パーセント

(私はその部類に入っていたーその回想)

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私が旅した国


日本で最も多く旅行をしている層は55歳以上で、11%が11〜20か国、3%が21〜30か国、1%が31か国以上
また、「これまでに訪れた国はいくつありますか」という質問に対し、68%の人が最大10か国を訪問したことがあることがわかった

中国に三回も行っているから国の数だけ多くしてもそれで本当に海外をわかったかとなるとそうはならない、日本の旅でも量より質だともなる
どれだけその国について理解を深めたかである

私の場合は海外旅行したとき50歳からバックパッカーで一か月は旅行していた
だから団体旅行とは違っていた
でも外国となるわからないことが多すぎるから説明つきのツアーの方がいいとも思った
何かわからないままに終わったのが多いからである
そして海外の一人旅は辛いのである、だから我ながら良くできたと不思議に思う
何か事故とか事件とにも巻き込まれることもあっても不思議ではなかった
それは中国に旅した時、バックパッカーで汚いので中国人と見分けがつかなくなっていて襲われることもなかったともなる
それは十数年前だったからである、その頃まだ中国はあんなに発展していなかったのである、だからあんなに発展したのは信じられないとなる

中国とかロシアなら広すぎるから一回くらいで旅はできないのである
ロシアは旅したとしてもウラジオストックからシベリアの方だけである
そこで印象に残ったのはアムール川の大きさだった
それを鉄道に乗って見たのが印象的だった
そこから満州に入り中国を鉄道で帰ってきたのである

とにかく外国を知るにはまず一回でもその地を踏んだ人の方が実感として知るのである
それは地中海を船で行った時、キプロスに6時間くらい立ち寄った
それだけでもキプロスという国を実感するのである
キプロスに行ったということでその後そこで預金封鎖などがあった
その国の事情を知る、そこに一回だけでもその地を踏んだことでそうしたことに興味を持つのである
トルコの人でもキプロスにヨットをもっているとか金持ちがいたのである
ロシア人がそこに別荘をもっているというのもわかる、シリアにロシアがかかわるのもそういう地理にあるからだとなる
キプロスは十字軍時代からイギリスがかかわっていたというのも古い歴史があると思ったヨ−ロッパはそれだけどこも歴史が古いのである

まず知識人になるには今は外国旅行はもちろんだが留学しないとなれない時代である
どうしても外国を深く知るには住んでみないとわからない
でも一回その地を踏んだだけでも実感するから違ってくるのである

ただ行けない所もかなり残った、アフリカがそうである、でもナイル川の下流にヌビア人
がいて黒人だった、そこはアフリカだったのである
エジプトはアフリカだった、黒人が作ったという説もあるからそういうこきもありうる
アフリカに行きたかったが行けなかった 
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ヌビア人は何十年もの間、エジプト社会の主流からはじき出され、政治的にも野党暮らしを強いられてきた。エジプト南部とスーダン北部の境界にある歴史上の故郷に戻ることを目指し、ほとんど実りのない運動を続けてきた。

スーダンの領域にも入っていた、つまりそこはアフリカだったのである

ナイル川のヌビア人(詩)

ヌビアとは金の意味でありキプロスは銅の意味である、みちのくの辺境は黄金を出すことで大和王権に奈良に知られていた

すめろきの みよさかえむと あずまなる
        みちのくやまに くがねはなさく

みちのくも黄金をとれる地域として中央に知られていたのである、世界でも日本と共通なものがありそれを知ると人間として同じことがあると理解しやすくなる
でも砂漠が日本にないのだからそこは理解できないものとなるのだ
ピラミッドでも砂漠と切り離されず生まれたものだからである
ヌビア人のいる場所が辺境でありそのためにヌビア人が追い出されるとか迫害されるとかなる,境界地域ではそういう問題が共通して世界で起きる
私があったヨットのファルカーの案内人のヌビア人はアスワンハイダムの近くだった
私はアスワンハイダムには行かなかった

南米のマヤとかインカの遺跡も見たかったが見れなかった
今になると体力的にも気力でも外国旅行はできない、何か介護とかで消耗したからであるだから海外旅行などいつでもできる、他の事もできると思っている
実際はできくなる、50歳ころで親の介護になっている人もいるからだ
つくづく何でも人間のする時間が限られているのである
日本はほぼ旅行した、行っていないのは奄美大島くらいだった、それに今頃気づいた
外国はもう20か国以上となるとむずかしくなる  

アメリカ、ロシア、中国(三回)、韓国、タイ、ベトナム、カンボジア、インド、ネパール、エジプト、イスラエル、キプロス、トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス、ドイツスイス、イギリス、オランダ

20か国は行っていた、3パーセントの部類に入っているとするとこれだけ行っている人は少ない、特に東北人は海外旅行している人がすくない、何か東北人はそうしたバイタリティに欠けている、引っ込み思案だとなる
関西の人は何か海外旅行でも抵抗ないということがある
外国人でも大阪の人は受け入れる、そういう土地柄なのである、大阪弁を外国人がしゃべっていることでもわかる、何か親しみ安いのである
だから海外旅行も抵抗なくしやすいのである

今や私は国内旅行すらする気がなくなった、海外旅行をましてできない、体力も衰え気力もないのである、だからつくづく若い内にハードなことをしておけとなる
いくら金があっても体力と時間がないと旅はできないからだ
海外旅行は相当に年取ってからは負担である
できるとしたらクルーズである、それなら80歳でもできる
ただ乗っていて食事もでるし楽である、ただかなり暇になることは確かである
三か月もかかるとしたら海ばかり見ていたら暇になる
そうなると人付き合いとかありうまくいかないことにもなる
とにかく海ばかり見ていたら飽きる、変化がないからである

東京から貨物船のような船で沖縄に行ったことがあった、食事は決まりきったものであきた、一週間になると船旅は変化ないのであきる
船にはかなり乗ったので船について古代史でも興味をもった
まず旅するとやはり地理はには興味をもつ、そして学問の基本が地理を知ることである
そのためには旅をしなければ海外でもんく本を読んでも実感できない、すると学問しなくても一回でも外国の地を実際に踏んだ人の方が知っているとなる
百聞一見にしかずとは本当に外国について知ることに言えるのである


2020年01月04日

内村鑑三と明治維新


内村鑑三と明治維新


明治維新が何だったのか今問われている、単なる薩摩長州のク―データーであり権力奪取だったということもあからさまに言う人がいる
吉田松陰がテロリストに過ぎず薩摩長州に何か近代化を志すものがなかったというの確かである
それは後から美化されて作りだされたのである
どうしても西洋の文明とか思想を一挙に理解できないからである

ただ彼らの行動は幕府を倒すということで一致していた
何か主義主張があったとは思えないのである
なぜならとてもその時西欧の文明であれ思想であれ消化できないからである
それでまず西洋の文明の言葉を翻訳するのに苦労した
そこで日本人が漢字に翻訳したのである
その翻訳した漢字を中国人が使っているのである

権利はもともと権理だったとかいろいろに模索しつつ翻訳したのである
未だにそうした言葉は日本語にないとうときその背景にそうした歴史がないのだから実際は訳しようがないのである
市民という言葉の背景にヨ−ロッパの歴史が凝縮されて生まれている
市壁に囲まれて共同で敵から守る場として市がありシティズンがある
それでパスポートにどこの市民かと記すようになっている
日本だったらどこの村に所属していることがアイディンティティになっているから
市民となるとそもそも歴史的にないのだから訳しようがないのである

内村鑑三が侍の出であり薩摩長州の藩閥政治を常に批判していた
また天皇に不敬だとして不敬罪に問われてそのことで国民の敵とされて排斥されて苦しんだ
これも何を物語っているのか?それは明治は天皇というのがあまりにも異常に持ち上げられらた、それは古代の天皇制の先祖帰りだった
だから国家神道になった、なぜ廃仏毀釈が起きたのか?
それもやはり異常な天皇崇拝から起きた、それは不敬罪としてキリスト教への弾圧でもあった
ただキリスト教は明治では西欧化するのに認められた、なぜなら宣教師が多数来て大学もそうしたクリスチャン系が創始者になってできているからである

●異常な天皇崇拝(国家神道)−廃仏毀釈

●廃藩置県(侍の廃止)

●薩摩長州の藩閥政治

●富国強兵(国民皆兵)

これらのことが強圧的に進められた、その結果として日清日露戦争になり太平洋戦争の悲劇と通じていた
ただ国民国家というのは日本だけではない、フランスでもドイツでも世界的に国民国家になったのである、ナポレオンは国民国家にして国民皆兵にして戦争で強くなったのであるつまり世界が国民国家となった結果、国民同士が戦争するようになったのである
それで世界大戦となりその規模が拡大して大被害になったのである
だから国民国家というのはいいようで悪い面もあった
一つの説として国民国家ではなく国民軍など持たない方が良かった
そうならば日本は第二次世界大戦で中国とかまで進出することはなかったという意見もあるのもわかる
国民国家になったら国民全員が兵士になり外国との戦争では全員死ぬということにもなるどちらも国民国家であり国民が総力戦になるから最終的に全員死ぬということもある
もし侍だけの戦争だったら負けたら殿様が切腹して戦争は終わっていたからだ

内村鑑三は日露戦争を批判した、日清戦争は賛成していた
その後非戦論者になった、キリスト者として非戦論者になった
今でも日露戦争を肯定する人は多いが彼は否定したのである
日露戦争に勝ったとはいえなくてもロシアに対等で戦ったということが日本人は評価するでもその評価が奢りが太平洋戦争に通じていたのである
太平洋戦争の原因は明治維新からすでに始まっていた
西郷の征韓論でもそうである、吉田松陰のアジア征服でもそうである
その思想は明治維新からあった、それが大東亜戦争となったのである

歴史とは何かというときいろいろものが複雑に交じり合うから評価するのがむずかしくなる、でも歴史を明治維新でもその後でも一人の人物から見るとわかりやすいとなる
内村鑑三は幕臣でありこの出自が重要な意味をもっていたのである 
都築詠一氏というプログを書いて死んだ人も幕臣だったのである
それで明治維新の偉人を批判していたのである
内村鑑三も常に薩摩長州の腐敗した藩閥政治を批判していたからである
明治維新の元勲をもちあげているのは誰なのか?
今でもやはり薩摩長州の人たちであり山口県から首相になる人が多い
今の阿部首相もそうである、つまり薩摩長州の藩閥政治は継続されているともなるのだ

なぜ日本が大東亜戦争に突入して300百万人も死んだのか?
それは内村鑑三が生きていたらその戦争にも猛烈に反対していた
日露戦争は国民的合意の戦争のようになっていた、それでも反対していたのである
ただ大東亜戦争も評価するのはむずかしい、でも歴史的に継続するものがあり突然に戦争になったのではなく明治維新の時すでに予定されていたともなる
国民国家同士の戦争はすでに世界で用意されていたともなる
国民が全部兵士になるとき国民皆兵になるとその戦争は熾烈になる
現実に日本だけではない、ドイツとロシアの戦争でもここが一番多くも死んだからである日本も大陸の民族同士の熾烈な戦争に巻き込まれたのである
その原因を作ったのは西欧のヨ−ロッパのアジア進出であり植民地化であった
もしヨ−ロッパがアジアに進出しなければアジアで争うことはなかったのである
不干渉であり日本は鎖国して他国とはかかわらなかったからである

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世界史的には国民国家同士の戦争だったからこれだけの被害が出たのである
世界がハルマゲドン最終戦争の様相を呈していたのである

とにかくなぜ明治維新が世界でも奇跡だったとして称賛されるのか?
それは薩摩長州だけの力ではないことは確かだったのである
そこだけをはでに取り上げるのは問題であり否定されつつある
結局薩摩長州の藩閥政治は腐敗したからである
ただ明治維新ではなぜ英傑がキラ星のごとく生まれたのか?
それは日本の江戸時代三百年がありそこに侍がいて幕臣も国造りの中核になり明治時代が築かれた、だから今見直される
その一人が内村鑑三でもある、これだけの強烈なキリスト者が生まれたのはなぜなのかとなる
それは内村鑑三がアメリカに留学して視野を広げたことが関係している
今でも留学したとか外国で生活した人は視野が広くなり日本を相対的に見れる
日本の良い点と悪い点が見えるのである
ただやはり留学とか外国で生活した人であり旅行したくらいではわからないのである

いづれにしろ明治にたいがい実業でも教育でも大学でもみんな創始者になっている
つまりその延長として現代がある、その基は明治に作られたのである
明治は日本では偉大な時代だったとなる
ただ薩摩長州だけの功績とするのは間違いである、庶民にしてもすでに幕末から近代化の用意ができたともしている
なぜなら墓を見ると個人墓でも幕末のものが多いのである
その頃から農民でも経済力がついて個人の墓を建てるようになったのである
それまで村の共同墓地のホトケっポとかに葬られていて個人墓はなかいからである
ただ明治維新が何だったのかはそれを知ることは容易ではない
それは日本国という総体的な力が結集して成されたともなるからだ

とにかく歴史でもミネルバのフクロウは夜に飛び立つというようにそれが百年とか過ぎないとその真実がわからない、それだけ歴史となると評価がむずかしいのである
人物にしてもそうである、ただ死んで百年の後にとりあげられるだけですでにその人は歴史上の人物である、それは歴史に生き続ける人物であり後々まで影響するのである
あとの無数の人間はただ消えてゆくだけだとなっているのだ

明治の預言者(内村鑑三

そは噴火口なり
煮えたぎる溶岩を噴出す
火の言葉、ロゴスがその底より
とめどもなく噴き出す
その熱き岩よ、言葉よ
憤怒となり世を正す
聖書一冊を手中にして
明治の新しい時代の興国の預言者
そはまた堅き岩に身を寄せて
いと細やかなる高山の花を愛ず
そしてかなた遠望す高き峰
大洋を望み世界大に視界を広げる
その湧きあがる力の源泉は
神への信仰にして成りぬ
その清冽な泉の涸れることなく
こんこんと湧きて人を癒しぬ
キリストの霊の宿りその言は強し
その言葉は末代にもひびきわたる
新しき日本に義人一人生まれる
異国の攻めの強くも独立不羈に立つ
新しき世に炎のごとく立ちにけるかも!
得がたきものや神は日本にあらしめる
侍の矜持の高くその節を曲げぬ
誇り高き者にして神の言を伝える
その顔の柔和と見ればしかあらず
憤怒のとなりて世を正す
冷徹にして氷河のように閉ざす
その上に孤高の峰がそびえ立つ 
近寄りがたき者にして俗を排しぬ
江戸幕府三百年は無為にあらじ
侍の志の高くその信の篤し
その刀は邪を切り義を高める
明治になぜかく英傑の生まれしや
綺羅星のごとく生まれしや
真の侍のありてこそかな
日本の歴史の重みなるかな


(反歌)

千歳巌のごとく
国の礎と千代に
その末を見守り
その信の強くも
揺るがざるかな
国の栄の基なれ
そは人物にあれ
国の山河にあれ
その礎の堅くも
国は崩れざりし
天地の支えつも
神の支えるなり
国は盤石にして
毀つ能わざりし
その礎知るべし


2020年01月03日

未来は予測できない (この世は人間は無常、無常ではない永遠の命を知るべき)


未来は予測できない

(この世は人間は無常、無常ではない永遠の命を知るべき)

未来は予測できない、ミネルバのフクロウは夜に飛ぶというとき科学者がこう言っている地震は予測できない、科学的にわかっていないからだ、一日が終わった時その真相を知る、過去になった時その真相を知りえる
科学も万能ではないからだ、わからないことが多くあるのだ
東南海地震が津波が1年以内に起こるとか、5年以内に起こるとか十年以内に起こるとか
20年以内に起こるとか30年以内に起こるとか言うことができる
つまり30年以内といえばその内に起こったとすれば当たったとなるのである
結局地震とか津浪は予測しても無駄だからそうなたっときに備えをしている方が大事だとなる
津波対策としては高台を作り防波堤にして逃げる算段をしておくことである

それは東日本震災の津波で経験しているからである
予測をあてにしても当たらないからである
そんならそんなことに力を予算を使うより実際に津波が来たときの備えに使えばいいとなる
要するに人間は万能ではないという自覚が必要になる
でも科学者とか技術者は万能を望まれている、神のような力をもつことを期待されているのである
         
人間は運命を未来を予測できないから突然運命が変わる
ベ―トベンの運命のように突然運命に左右され翻弄されるのである
自分に起きたことも回りで起きたこともそうである
家族が認知症に突然なったのである
それは何なのか訳わからなかったから恐怖だった
次に地震があり津浪があり原発事故があり自分が病気になりと次々に恐怖が襲ってきたのである、その間に犯罪にもあった
家に来たのは悪鬼のような人たちだった、こうして自分の家は悪鬼につかれたようになったのである
一転して自分の生活はまるっきり変わってしまったのである

運命は予測されずにこのように突然来るのである
第一津波でもそうである、これほど突然なことはない、逃げられないほど突然だから被害があれほど大きかった
もし事前にわかっていれば一日前でも避難するからあんな大被害にはならなったのである逃げる間もなく津波が襲って来たからである
これほどの恐怖はなかったのである

予測できないから運命だとまでなる、もうあきらめるほかないとまでなる
人間が未来を予測することが不可能だというとき未来は神の手中にあるというのもそうである
神のみが人間の未来を決めることができるのであり人間にはできないからそうなっている未来を予測できないがそれに備えることは津波でもできる
ただいつ起きるかは予測不可能なのである

ただ自然災害と人間に起きることはまた違っている
株がどうなるのか、景気がどうなるのか、預金封鎖があるのかないのかという今の心配は自然災害とは違ってある程度は予測できる
預金封鎖でもそれは神がするのではなく人間がする
それは政府で決めればできる、でも秘密裡にするから突然に来るとなる
政府の上層部はそういうことを知っている、もしそれが誰かが知れば事前に対策する
でもその前に対策をする、でも有効な対策が預金封鎖だとないのである
原発事故だってある程度は予測できた
なぜなら東電では10数メートルの津波が来ることを予測していたからである
ただコストを考え対策をしなかっただけなのである

とにかく人間は無力だとなり運まかせだとなる、成功も運不運だとなる
まず時代が変わると価値観が変わるのもそうである
戦前と戦後では価値観が黒から白に変わった、それは何だったのだろうとなる
今の時代もそうである
なぜ高度成長時代は団塊の世代が企業戦士として猛烈社員になって働いていたのに今は
働かないのが勝ちだとか働かない人がこんなに多いのか?
そうしてAI社会になり人間は働かなくても暮らしていける
そして人間は何をするのか?
人間はみんなアーティストになるとか言ってみたりベーシックインカムが今や公然と言われる
こういう価値観の世界は猛烈社員として働いた企業戦士から見れば容認できないのであるそれは戦前の戦争でも一眼となってアメリカと戦った世代が戦争に負けてから全く変わってしまった社会とにているのだ
そこで価値観がまるで変ってしまうのである

自分などは団塊の世代で会社員にもならなかった、働いていない
旅ばかりしていたとか遊びだった、でも学問が好きであり独学したり芸術の分野で勉強して訓練はしていた、でもそういうことを認められたことはないのである
それは一銭も金にはならなかったからである
つまり自分はアリではなくキリギリスだったのである

何かこれはアリとキリギリスに例えると

アリは働いてるばかりいて馬鹿、アリはもういらない、機械とロボットとAIが働いてくれるからいらない

キリギリスは歌っているばかりだけど価値があった、今の時代に必要なのはキリギリスだ
アリのように働く人はいらない、キリギリスのようにアーティストになり歌っている人こそ価値あるとされる
それで歌謡でも素人でも玄人並みになる人もいれば芸術家になればいいとしている
これも猛烈企業戦士の高度成長時代からすると信じられない価値観なのである
だから人間の未来は予測できない、時代時代でまるで価値観が変わるからである
こういうことでも未来は意外なものとなっているのだ
つまり予測できないものとして常に未来がある
70年くらいすぎると時代が必ず代わり価値観も変わるからである
銀行は安定したエリートだったのにもう銀行は不必要だとかなるのも予測できなかった
時代が変わると評価も価値観も変わるからそうなる

そして過去と同じことは起きないのである、似たことは起きる
例えば飢饉で相馬藩で三分の一の人口が減ったその穴埋めに越中などからの移民が働いて回復した、そして同じように原発事故で人口がやはり流出して減った
このように同じようでも違った形でまた同じことを繰り返すことはある
でもそれは違ったものだから予測できなかったのである
現代では飢饉は起こらないとみるが違った形で何かまた起きてくるのである

ともかく今年一年何が起きるから予測できない、運命はまた突然非情にして襲い苦しめるかもしれない、それがどうなるのかなってみなければわからないとなるのだ
第一預金封鎖なるとしたら備えようがないのである
結局あきらめるほかないのかとはなってしまうのである
人間はただ運命に翻弄されるだけなのか?
そうならないためには信仰が必要だとなる
人間社会のことは人間は変わらないしただ世間に翻弄されるだけだとなる
常に社会は時代は変化する、価値観も変わる
そうなると人間はただ時代に翻弄されるだけだとなる

人間社会は無常であり人間も無常である、だから無常でないものは何か追求すべきだとなる、変わらぬもの、永遠なるものは何か追求すべきだとなる
永遠の命を知るべきだとなるのである


2020年01月02日

2020年ー日本列島花の俳句


2020年ー日本列島花の俳句   

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(北海道)

夏菊や函館による船を見る

ルピナスや船におりたたつ苫小牧

北の湖シラネアオイの映えにけり

開拓の村にポプラやこぶし咲く 

熊の湯にエゾリンドウや羅臼かな

湯上りや廊下を渡り月見草


(中山道)

山吹や山に分け入る中山道

山吹や中山道に滝ひびく

五月雨の驟雨に森や中山道

山吹に中山道に幟りかな

中山道宿の裏庭藤の花

金沢や松のくねりて十月桜

(京都)

水写る花や京の日夢となる

京の水花に染まりて暮れにけり

花の色濃くも暮れにき京の辻

雨にぬる花もあわれや京に暮る 

(大阪城)

夕日さし桜満開大阪城

夢なるや花散りやまぬ大阪城


三重塔蓮華畑や奈良に暮る 

和歌山城白壁映えて朝の菊

電車行くレンゲ畑に近江富士

島の古り瀬戸田に椿三重塔

(瀬戸内海ー四国)

瀬戸内や潮の流れて夏の蝶  

菜の花や四国遍路や海望む

瀬戸の海暮るるや椿に島の家

開く海平戸に来たり朝桜

(沖縄)

沖縄やサンゴの岩に鉄砲百合

紅の心にしみぬデイゴかな


全国を旅行して花を記憶をたどるとこんなふうになる、シラネアオイは苫小牧の支笏湖の回りに咲いていた、あの辺に咲くということは苫小牧からは北海道なのである
ルピナスは船で苫小牧におりたとき咲いている
何かそこから北海道であり空気まで違っている
北海道は花が映える、広いしまだ原野の感覚が残っているからである
羅臼の熊が入ったという熊の湯は露天風呂である
エゾリンドウは大きく太いから北海道らしいのである

中山道は山吹だったのか?
山間の道でありふさわしいとなる
森の中に入る道があり本当はその山道を行けば良かったが鉄道で行った
五月で驟雨になりそこに深い森があった
このときやはり歩く旅をしないと記憶に残らないし過去を偲べないのである    

北陸は金沢であり兼六園には十月桜が咲いていた、これはめずらしいとなる
これは金沢らしいとなる、何か花が象徴する場所がある
花とその場所が市町村でもあうといいのである
市町村の花があっても必ずしも合っていないからだ

だから相馬地域だと原町は明治以降機関区になって駅前通りから栄えたからひまわりがあっていると書いた、鹿島区は何か草深い感じになり月見草があうとか相馬市は城下町で
城跡に咲く藤の花があうとか柳がにあう市だとか書いたのである

ただこれが全国となると何が象徴的花となるかはむずかしい

近江は滋賀県は関ケ原を出て近江富士が見えてその前が蓮華畑がにあっていた
近江富士は形がいいから目立つのである

京都はどうしても桜であり大阪の満開の桜が散る風景は忘れがたいものだった
夕日の中に栄華の桜がそこはかとなく散った
それがなぜ特別なものに見えたかと言うとそこには歴史があったからなのだ
大阪城にまつわる栄華と滅亡の歴史がありそれでその桜が満開になり散ることがそうした人間の歴史と一体化して特別なものにしていたのである
そういう栄華の歴史は東北になるとなかなかないからである
こういうことは江戸があれほど栄えたのになぜか偲ぶものがないということが淋しいのである、東京ではまず江戸を感じるものがないのである
江戸城があったとしてもそれももう一つ大阪城のように感じないのである

海で印象的だったのは平戸だった、桜が咲くとき平戸の海を見たときそれは東北の海とは違っていた、明らかにその海は外国に具体的に通じる海だったのである
太平洋は外国と通じる海に感じないからだ
伊達政宗がメキシコ経由でヨ−ロッパに船で使節を送り出したのは例外的なことだった
九州とかなるとすでに外国の交流の厚味が違っている、歴史が違っているからだ

沖縄には沖縄の花がある、サンゴ礁の岩に鉄砲百合が咲きラグーンに波が寄せる
紅の何とも言えぬ赤が心に染みる、それは沖縄と一体化した花なのである
まだまだ旅して記憶に残った花があるとして記憶から消えてもいるのだ
とにかく自分は本当に旅をした、だから延々と今で旅路をたどっているとなる
それも経験として貯金だったと思う
貯金というとき金とばかり思っているけど他にいろいろあるのである
人間は何か必ず貯金している、それがわからないき場合がある
でも必ず老人になったとき何を貯金していたかわかるのである
それは人生経験の中でいろいろあるからである
老人はその貯金で生きているともなる
なぜなら新しい経験とかできなくなるからだ、すると記憶に生きるとなってしまう
それで認知症になると若い時のことは覚えていて千回も同じことをしゃべりつづけるのである、何か一番記憶に残ったことをしゃべりつづけるのである
なぜならそれが人生だったからである

ただどうしても記憶が薄れてゆくのである、それが問題なのである
だからいかに記憶に残る旅をするかが問題だと書いてきた
それは歩くとか自転車とかがいいとなる、でもそうなると時間がかかるのである
だから会社員とかはしにくい、旅するには金より時間なのである
今は交通が便利すぎることがかえって旅を経験できなくなったのである



2020年ー新春の短歌


2020年ー新春の短歌

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海老浜ほここは津波で家がなくなった


精悍にノスリ一羽や冬の浪


新春に光あまねく新しき力の湧くや国そ栄えむ

餅食うて力の湧かむ正月や日本に生きる幸を知るべし

紅白の餅を捧げて霊前に新しき年我は迎えぬ

新春の光さしにき我が家の広くもあれな憩い休みぬ

我が家に万両飾り正月に一人来たれる故郷の女

国々に栄のあらむその基見直すべきかな新しき年 


昨日は海老浜の方に行った、そこは津波で家がなくなって枯野になっている
浪がとどろきひびいている、そこにノスリが一羽いた
それから沼津の方から家族連れで海老の津波の死者を供養する観音像を見ていたので案内した
あそこだけは大失敗だった、30人くらい死んだ
避難所として指定していたことが大失敗だった
別に500メートルも歩けば避難する所があったからである
海に接していたからもろに津浪の被害を受けたのである

やはり正月は餅である、近くのやめた菓子屋でついた餅を食べた
これは他のよりうまい、なんか力がついた感じになる、パンより米がいいとか今言う人がいる、やはり日本人は日本食がいいのである
その歴史が長いから腸が長いいうときそういうふうにして体もその風土にあって作られてきたからである
外国人は肉を消化する酵素がでるというときもそうである
遊牧民は羊を常食としているからそうなる

姉と母の霊前に紅白の餅をささげた、これはコンビニに売っていた、ちょうどこれがあっている、この家を作ったのは二人だからである
そして大きな家に悠々と住んでいられるのも二人がいたからである
やはりいい先祖をもつと力となるのである

いづれにしろ世界がグロ−バル化したときその反動が世界各地で起きている
それもグロ−バル化というのは何かその国の風土とか歴史を無視するからである
私はワインなど必要ないと思うし本当は牛肉でも日本人に合っているのか疑問なのである肉食が日本人の体にあっていないような気がするからだ
日本人はもともと肉食ではなく魚を食べていたからである

今年はグロ−バル経済が国際金融資本家が世界の富を奪うことが終わるのかもしれない
そのショックが来る、それは一時的に大混乱になってもその後にいい世界がやってくる
貿易は必要でもまずその国の栄の元がどこにあるかを知るべきである
だから国風文化の時代となる、それが世界で起きているのは神の理だとなる

その国の力の根源がどこにあるのか見直すべき時代なのである

御民 ( みたみ ) われ 生ける 験 ( しるし ) あり 天地の栄ゆる時に 遭へらく思へば
(万葉集 6-996 ).

その国土の天地が実りと豊かさを与えてくれるのが基本なのだ
それを無視すると本当の豊かさはなくなる、それが原発事故で証明されたのである
それで日本が経済が衰退して農業に活路を見出そうとしているのは良い兆候である
耕作放棄地でも利用しなければ生きていけない時代が来るかもしれないからだ
製造業でも日本はもうかつてのように興隆しないからだ
第一輸入すらできなくなる、そうしたら日本国土にあるものを利用する他ないのである
ここ70年くらいがグロ−バル経済になり異常だったのである
もちろん農業とか言っても同じようにはならない
何か新しいものとして日本の風土にあって国土を利用するとなる
そういう大きな変わり目が2020年なのである

皆様も良いお年を・・・                                      



2020年01月01日

2020-謹賀新年(Japanese New Year)


2020-謹賀新年(Japanese New Year)

新年おめでとうございます

我が国を支える柱直ぐにして新たな年を迎え立つべし 

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Nanten, pine, plum, and leaf peony are the lucky
charms of Japanese New Year
Used as a New Year's decoration

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Japanese inn



日本の正月は文化である、韓国とかにはないし中国にもない文化である
それがなくなっているのは感じないのは餅にしてもいつでも食べているし
正月で特別なことがないからである
晴れの日というのがなくなったからである

こういう文化が失われることの深刻さは日本の心が失われることである
文化とか伝統とかは心と一体化しているからである
だから正月は農業とともにあって日本の文化になっていた
そこに代々受け継がれた心があった
それが失われることは日本人の心が失われたことにもなるのだ

確かにいつでも餅が食べられるし何でもいつも食べられるにしろ物質的には満たされても心が満たされないのが現代なのである
歳神の説明のようにそれが何を意味していたのか?
そこには何かやはり深い意味があった
でもその意味は受け継がれなくなったのである

家に歳神を呼ぶことは大事なことである、家に他人を入れることは実際に相当に怖いことだ経験で知ったからである
だから営業の人でも家に入ってくるとするとそこに危険が生れる
災いが生まれる、だから家政婦とかなんでも家の中に入る人は簡単に入れてはいけないのである
そういう経験があって歳神を入れるとかの信仰になったのかもしれない
いい人でも福をさづける人が入ってくれということである
福は内であり鬼は外でもそうである

自分の家に入って来た人たちは悪鬼だったともなっていた
そのショックから今もぬけられない、でもそれも自分の家のカルマだったのである
自分自身のカルマだったのである、それは自分が楽しすぎことから来ていたのである

ともかく家とかかわる人は注意しなければならない、福をもたらすものもあるが災いをもたらす人も多いからである
ただそれもカルマであり逃れられないのである

原町の道の駅でお盆の飾りははなまるガーデンの人が作った、社長が作ったという
うまくできているが他にインタ−ネットで見たらこういう形になっている
だからオリジナルとまではなっていない、正月の決まった形として作られている
でも葉牡丹が質実な感じになり苔がむして梅がこれから開く
その調和が日本的でいいと見た
日本的ミニチュアの小世界を具現化している

今年はどういう年になるのか?

今年はを良く言う人はいない、波乱の年になるとみんな言っている
ただそれを妄りに恐れても良くない、そうあっても常に新たな進化のためにそうなる
そういう変革がないと新しい世は生まれないからである

自分自身は調子がいい、創作は佳境に入っている、だから作品をまとめることが仕事である、これも手間なのだけどそれに励むのが今年もつづく

皆様の幸いとさらなる前進をお祈りします