2020年01月02日

2020年ー日本列島花の俳句


2020年ー日本列島花の俳句   

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(北海道)

夏菊や函館による船を見る

ルピナスや船におりたたつ苫小牧

北の湖シラネアオイの映えにけり

開拓の村にポプラやこぶし咲く 

熊の湯にエゾリンドウや羅臼かな

湯上りや廊下を渡り月見草


(中山道)

山吹や山に分け入る中山道

山吹や中山道に滝ひびく

五月雨の驟雨に森や中山道

山吹に中山道に幟りかな

中山道宿の裏庭藤の花

金沢や松のくねりて十月桜

(京都)

水写る花や京の日夢となる

京の水花に染まりて暮れにけり

花の色濃くも暮れにき京の辻

雨にぬる花もあわれや京に暮る 

(大阪城)

夕日さし桜満開大阪城

夢なるや花散りやまぬ大阪城


三重塔蓮華畑や奈良に暮る 

和歌山城白壁映えて朝の菊

電車行くレンゲ畑に近江富士

島の古り瀬戸田に椿三重塔

(瀬戸内海ー四国)

瀬戸内や潮の流れて夏の蝶  

菜の花や四国遍路や海望む

瀬戸の海暮るるや椿に島の家

開く海平戸に来たり朝桜

(沖縄)

沖縄やサンゴの岩に鉄砲百合

紅の心にしみぬデイゴかな


全国を旅行して花を記憶をたどるとこんなふうになる、シラネアオイは苫小牧の支笏湖の回りに咲いていた、あの辺に咲くということは苫小牧からは北海道なのである
ルピナスは船で苫小牧におりたとき咲いている
何かそこから北海道であり空気まで違っている
北海道は花が映える、広いしまだ原野の感覚が残っているからである
羅臼の熊が入ったという熊の湯は露天風呂である
エゾリンドウは大きく太いから北海道らしいのである

中山道は山吹だったのか?
山間の道でありふさわしいとなる
森の中に入る道があり本当はその山道を行けば良かったが鉄道で行った
五月で驟雨になりそこに深い森があった
このときやはり歩く旅をしないと記憶に残らないし過去を偲べないのである    

北陸は金沢であり兼六園には十月桜が咲いていた、これはめずらしいとなる
これは金沢らしいとなる、何か花が象徴する場所がある
花とその場所が市町村でもあうといいのである
市町村の花があっても必ずしも合っていないからだ

だから相馬地域だと原町は明治以降機関区になって駅前通りから栄えたからひまわりがあっていると書いた、鹿島区は何か草深い感じになり月見草があうとか相馬市は城下町で
城跡に咲く藤の花があうとか柳がにあう市だとか書いたのである

ただこれが全国となると何が象徴的花となるかはむずかしい

近江は滋賀県は関ケ原を出て近江富士が見えてその前が蓮華畑がにあっていた
近江富士は形がいいから目立つのである

京都はどうしても桜であり大阪の満開の桜が散る風景は忘れがたいものだった
夕日の中に栄華の桜がそこはかとなく散った
それがなぜ特別なものに見えたかと言うとそこには歴史があったからなのだ
大阪城にまつわる栄華と滅亡の歴史がありそれでその桜が満開になり散ることがそうした人間の歴史と一体化して特別なものにしていたのである
そういう栄華の歴史は東北になるとなかなかないからである
こういうことは江戸があれほど栄えたのになぜか偲ぶものがないということが淋しいのである、東京ではまず江戸を感じるものがないのである
江戸城があったとしてもそれももう一つ大阪城のように感じないのである

海で印象的だったのは平戸だった、桜が咲くとき平戸の海を見たときそれは東北の海とは違っていた、明らかにその海は外国に具体的に通じる海だったのである
太平洋は外国と通じる海に感じないからだ
伊達政宗がメキシコ経由でヨ−ロッパに船で使節を送り出したのは例外的なことだった
九州とかなるとすでに外国の交流の厚味が違っている、歴史が違っているからだ

沖縄には沖縄の花がある、サンゴ礁の岩に鉄砲百合が咲きラグーンに波が寄せる
紅の何とも言えぬ赤が心に染みる、それは沖縄と一体化した花なのである
まだまだ旅して記憶に残った花があるとして記憶から消えてもいるのだ
とにかく自分は本当に旅をした、だから延々と今で旅路をたどっているとなる
それも経験として貯金だったと思う
貯金というとき金とばかり思っているけど他にいろいろあるのである
人間は何か必ず貯金している、それがわからないき場合がある
でも必ず老人になったとき何を貯金していたかわかるのである
それは人生経験の中でいろいろあるからである
老人はその貯金で生きているともなる
なぜなら新しい経験とかできなくなるからだ、すると記憶に生きるとなってしまう
それで認知症になると若い時のことは覚えていて千回も同じことをしゃべりつづけるのである、何か一番記憶に残ったことをしゃべりつづけるのである
なぜならそれが人生だったからである

ただどうしても記憶が薄れてゆくのである、それが問題なのである
だからいかに記憶に残る旅をするかが問題だと書いてきた
それは歩くとか自転車とかがいいとなる、でもそうなると時間がかかるのである
だから会社員とかはしにくい、旅するには金より時間なのである
今は交通が便利すぎることがかえって旅を経験できなくなったのである



2020年ー新春の短歌


2020年ー新春の短歌

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海老浜ほここは津波で家がなくなった


精悍にノスリ一羽や冬の浪


新春に光あまねく新しき力の湧くや国そ栄えむ

餅食うて力の湧かむ正月や日本に生きる幸を知るべし

紅白の餅を捧げて霊前に新しき年我は迎えぬ

新春の光さしにき我が家の広くもあれな憩い休みぬ

我が家に万両飾り正月に一人来たれる故郷の女

国々に栄のあらむその基見直すべきかな新しき年 


昨日は海老浜の方に行った、そこは津波で家がなくなって枯野になっている
浪がとどろきひびいている、そこにノスリが一羽いた
それから沼津の方から家族連れで海老の津波の死者を供養する観音像を見ていたので案内した
あそこだけは大失敗だった、30人くらい死んだ
避難所として指定していたことが大失敗だった
別に500メートルも歩けば避難する所があったからである
海に接していたからもろに津浪の被害を受けたのである

やはり正月は餅である、近くのやめた菓子屋でついた餅を食べた
これは他のよりうまい、なんか力がついた感じになる、パンより米がいいとか今言う人がいる、やはり日本人は日本食がいいのである
その歴史が長いから腸が長いいうときそういうふうにして体もその風土にあって作られてきたからである
外国人は肉を消化する酵素がでるというときもそうである
遊牧民は羊を常食としているからそうなる

姉と母の霊前に紅白の餅をささげた、これはコンビニに売っていた、ちょうどこれがあっている、この家を作ったのは二人だからである
そして大きな家に悠々と住んでいられるのも二人がいたからである
やはりいい先祖をもつと力となるのである

いづれにしろ世界がグロ−バル化したときその反動が世界各地で起きている
それもグロ−バル化というのは何かその国の風土とか歴史を無視するからである
私はワインなど必要ないと思うし本当は牛肉でも日本人に合っているのか疑問なのである肉食が日本人の体にあっていないような気がするからだ
日本人はもともと肉食ではなく魚を食べていたからである

今年はグロ−バル経済が国際金融資本家が世界の富を奪うことが終わるのかもしれない
そのショックが来る、それは一時的に大混乱になってもその後にいい世界がやってくる
貿易は必要でもまずその国の栄の元がどこにあるかを知るべきである
だから国風文化の時代となる、それが世界で起きているのは神の理だとなる

その国の力の根源がどこにあるのか見直すべき時代なのである

御民 ( みたみ ) われ 生ける 験 ( しるし ) あり 天地の栄ゆる時に 遭へらく思へば
(万葉集 6-996 ).

その国土の天地が実りと豊かさを与えてくれるのが基本なのだ
それを無視すると本当の豊かさはなくなる、それが原発事故で証明されたのである
それで日本が経済が衰退して農業に活路を見出そうとしているのは良い兆候である
耕作放棄地でも利用しなければ生きていけない時代が来るかもしれないからだ
製造業でも日本はもうかつてのように興隆しないからだ
第一輸入すらできなくなる、そうしたら日本国土にあるものを利用する他ないのである
ここ70年くらいがグロ−バル経済になり異常だったのである
もちろん農業とか言っても同じようにはならない
何か新しいものとして日本の風土にあって国土を利用するとなる
そういう大きな変わり目が2020年なのである

皆様も良いお年を・・・