2020年01月26日

コロナウィルスは神罰である (原発事故でもそうであり過度なグロ−バル経済の警告)


コロナウィルスは神罰である

(原発事故でもそうであり過度なグロ−バル経済の警告)


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中国のコロナウィルスが神罰だという人がいた、そのことで私は原発事故もそうだったとプログでずいぶん書いてきた

核を使うこと→神への反逆→科学に頼り人間が神の如くになる

これを目指していたので神によってその企てが破壊されたとした
科学者でも核爆発を人間の手で起こすことは危険だと言う人がいた
何か科学者でもそれが何か人間の傲慢さに通じると思ったのだろう 

プロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を受けたことからすでに人間は呪われたものとなっていたのである
人間は何か所有するもの自ら作り出すものはない、みんな神のものでありその神のものを盗むことから始まっている、科学技術でもそうなのである
そこにすでに神の呪いが隠されていたのである

そして原子力村が検察から官僚から政治家から科学者からマスコミから結託して利権を得るために結託して起こしたのである
それが津波によって暴かれたのである
そういうふうに権力化したらもう原子力村には逆らえないとなったからである
それを止めることは誰もできなかった
結果として津波がその原発をとめたのである
それは神が罰して神が原発をとめたとなる

もし原発をとめなかったらどうなるのか?

日本自体が滅びるとまでなるしまだその継続として可能性として原発は日本にある
つまりまだ日本人はこれほどの被害にあったのに原発をつづけているからだ

人類が滅びるものとてしてやはり核戦争が一番可能性が高い

そして今回の中国のコロナウィルスは何を警告しているのか?
罰しているのか?

それはグローバル経済である

なぜならこの細菌は人の交流をとめるからだ、グロ−バルに自由に国境をなくして人が
交流していたのをできなくさせるからである
それは今の過度なグロ−バル経済というのが何か神からみたとき神の意にそわないものがあるからだともなる
一見世界の人が交流して貿易するのがいいように見える
でも結果として極端な格差が生まれ、世界の富が金融資本に集中して奪われるている
それが世界にとってもう限界にきている

するとこうした細菌が出ると明らかにグロ−バル経済は縮小するのである
それは神からの人間への作用なのかもしれない
そして人間はもともとその風土にあって生活するようにできている
本当に人間は今なんでも貪欲に食べ過ぎるのである
中国ではもともと何でも食べる、それだけ生きる環境が厳しいし人が多いからそうなる
中国自体が一つのグロ−バル世界であり食でも南から来たから何でもある
だから別に中国では世界と貿易する必要もないのである
それだけの資源でも食料でももともとあるからだ 

日本にしても日本人は日本の風土に適合して縄文時代から生きてきた
だから腸が長いのは穀類とかを食べてきたからだとなる、肉食は狩猟で一部していたにしろあとは漁労民族なのである、肉の代わりに魚を食べていたのである
それがその国の風土にあって生活することなのである
それが神の意にそうことでありそれがその国の人間を守ることである

だからこのウィルスは過度なグロ−バル経済の警告である
観光にしてもこれだけ人が入ってくることはいいことでないのだ

そしてオリンピックは中止すべき!

オリンピックは意味がないのだ、前の東京オリンピックとは違って開催する意味がないのである
だからこれも神からの警告であるともなる
こうして神からの警告が罰がなければ人間はますます増長して滅びに至る
人類はそもそも滅びることは間違えない
それがいつになるかであり時期の問題だけである
その時期が近づいているのかもしれない、それはこれだけ世界が統一するような状態になっていることもそうである
世界国家ができるのかともなるからだ、それは実は世界崩壊に向かっている
バベルの塔のように崩壊に向かっているともなるのだ

人間はそれぞれの国の風土にあった生活するのが神の意なのである
何かそういうことで自然が荒れている、地球も荒れている
するともう人類滅亡の時期が迫っている
地球はもう限界だとなっているのかもしれない、だからグロ−バル経済でもグロ−バルに貪欲化した人間を細菌で罰しているということもありうる
もういいかげんにしろよ、グロ−バル経済などは縮小すべきだと警告している

だからこうした神意を示しているのが自然災害でありウィルスでもある
中国人が世界にちらばりウィルスをまき散らしたらどうなるのか?
中国人が世界に拡散したらどうなるのか?
アメリカに代わり中国に世界が支配される、ウィグルとかでそうなっている
それも悪夢なのである、だから中国の力もそがれるべきだとなる
アメリカでもそうである、何か一国が巨大化することは世界にとっていいことではないのである
それが世界の均衡を破り神の意に反する世界となり災いが生まれるのである

posted by 老鶯 at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

その土地のことはテレビに写されてもわからない (チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)


その土地のことはテレビに写されてもわからない

(チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)

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NHKのテレビでチャリダーの放送があった、それを見ていて知っている場所を写したけど
テレビでは動画でも本当のことは伝えられない
案内の仕方も悪かったのだろう
地元のいいところはやはりそこに住んでいる人しかわからない
もちろん外から来た人も地元の知らないいい所を発見することはある
それで何気ないところがいいと外国人が名所にしたりするところがあった

でもテレビの問題は何なのか?
それが万人向きに作りすぎるのである
それが今かえってテレビを面白くなくさせている
万人向きになると何かパターン化してかえってつまらないものになる
でも視聴率をとるためにはそうする、芸能人を起用する

もし視聴率とか万人向きにしないものとしてとれば興味を持つ人はもつ
だからかえってマニアックでもyoutubeの方が面白いとなるのである
何か特別興味をもったことを動画でも伝えられるからである
そこで番組作りした方が確かにそんなに見る人がいなくても興味ある人は見るのである
それを可能にしたのがインタ−ネットでありyoutubeなのである
youtubeは多様化しているからだ
つまりマスコミはマスを対象にしたものは廃れてゆく
それはみんな一律であり真実すら伝えていないからである9

私が南相馬市を案内したらどうなるのか?
まず真野古墳群があったとして前方後円墳がある、ところが寺内の実物は本当にみすぼらしいのである、それが古墳なのかどうかもわからないようなものである
ただそこで案内するとなるとそこに金銅双魚佩が発見された
これは東北ではここしか発見されていないから貴重なものなのである
だからその金銅双魚佩のレプリカがここで発見されましたよとなれば具体性があり興味をもつ
古代史に歴史マニアのような人がいればさらに興味をもつのである

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それから震災のことを伝えるが海老とかの避難地として指定された場所が海側であり危険な場所でそこに30人くらい死んだということを伝える
あれは本当に悲劇だったからである、いくらでもすぐ近くに逃げる場所があったのに
わざわざ危険な場所に逃げて死んだからである
そこに死んだ人の名前刻んだ供養の石碑がある
そこで津波の恐ろしさを具体的に教えられる

ただそうした大衆向きの番組でも地元でも知らない所が必ずある
何かカレーに玉ねぎ一つをのせた料理は面白いと思った
カレーを作るのに私も苦労していたし玉ねぎが自分は好きだったからである
それから一番星という民宿に喫茶店と食事する場所を作った
あそこは何なのだろうと見ていたがそういう場所だと知った
ただあそこは場所があまりいい所ではない
金沢で確かに海があるが東北電力の火力発電所も近いしながめがいいとはならないからだただそこはそこなりに悪いとは言えない場所ではある

ただ喫茶店紹介した新地の花木山と相馬市に最近できたと煉瓦の中村珈琲店と鹿島区の海老のニコニコ堂と薔薇で飾った日立木の磯部の柏崎の丘のカフェ―ドマーニは場所がいいのであるそれでこの喫茶店を回るだけでなんとなくその土地のことがわかる
景観がわかる、ただ原町にはないのが残念である
海が見える場所にあってもいいと思っていたからである

この辺は案内するとなる震災以後は津波のことと原発のことが必ずある
だから津波がどの辺まできたとかここで死んだとか説明が必ずある
ただその記憶も薄れてきている、外部の人はやはり地元より忘れてゆく
でも津波だげはその場に来て立ってみないと理解できないのである
地形と深く関係していたからである

私は介護になってからはほとんど旅行もしないし仙台にも行っていない
ほとんど家にいるだけである、旅もしたくなくなったし何か年取ってから余計に人ごみの中に入るのが嫌になった
ただ家でじっとしているのがいいとなる
だから家が住みやすいことが老後は大事だなと思った
そういう点田舎はなにもなくても静寂とかがありそこでじっとして黙しているのが
自分にとっては幸福なのである

いづれにしろ何かその土地のことでも旅の番組を見ても本当にわからない
テレビでも動画でもわからないのである
だから常にそこには誤解が生まれやすいのである
映像だけから判断するとそうなる
その映像はその場所を伝えていないのである

例えば坂を上ったとしてもその高低がわからない、自転車でもわからない、自ら乗って坂を上ればわかるが映像からだけではわからないのである
寺内の前方後円墳は急な坂を上った高い場所にあるからだ
それは来てみて上らない限りわからないのである
だからその土地の地形とか知るのはテレビをみても地図をみてもわからないのである
それで必ず誤解しているのである

私は日本なら隅々まで旅したがそれでもその土地のことはわからない
でもその土地のことを一度でも行っていればなんとなくイメージできる
それは一度でも行った場所はそうなるがテレビでも映像でも行ったことがない場所は
必ず誤解している、それが極端になるのが外国旅行なのである
それは本でも読んでも映像をいくら見ても実際に見ない限りわからないのである
百聞は一見にしかずなのである

とにかく現代というのは映像の時代である、その映像をみてなんでもわかったような気分になるが実際はそこに誤解が生まれる、映像からだけではわからないのである
地理とか地形とは全体からしかわからない
ところが映像は一部分を取り出してみているだけだからそこに誤解が生まれるのである

例えば大井川の奥の井川線にも鉄道がありそのことがテレビで紹介されたとき私がわかったのは
大井川の千頭が終点でありそこまでまで実際に自分自身が行っていたからなのである
するとそこが終点からさらに奥があったとして認識できるのである
もし大井川鉄道を実際に行っていないならそこがどれだけ奥地なのかわからないのである今は情報が映像があふれかえっているがでもそれで人々の知識とか認識とかが広がったとはもならない、間接的な情報は膨大だけどじかにその目で見てその地に立った認識こそが大事なのである
現代というのは交通も発達しているから点としての認識が広がっても面としての認識がかえってなくなっている
だかち南相馬市でも相馬市でも日立木から街道を歩いて相馬市の城下町につくことが歴史を知ることでありその土地のことを知ることなのである

現代の問題はテレビで動画でも映像でも見て理解している、知っていると思わされるのである、これが何か必ず誤解を生んでいるのである
それはいろいろな事件でもテレビのやらせとか誤解を生んだ原因なのである
映像の力でそう思わせられるからである

ただ地元の人がyoutubeで観光内を作るべきである、市の方でも公開した動画があるから
今はいろいろと地方でも知ることができるのは便利である
ただ番組というのはその人によって紹介の仕方も違ってくるし見方がいろいろある
見せ方もいろいろある、だからこういう面は何か地域の特産物を作るよりバラエティがある、どうしても地域の特産物は限られし簡単には作れないからである
それで事の消費の観光となるとそこにバラエティがいくらでもあり個性が出せるとなる

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この四つの喫茶店は場所がいいのである
ここを回れば地形的なことがわかる
ても原町にはないのが残念なのである

ニコニコ堂はハイドがあっていた、隠れ家のようになっているからだ
隠された場所だとなるからだ