2020年02月02日

コロナウィルスと原発事故の共通性 (原子力村の情報統制による事故とにていた)


コロナウィルスと原発事故の共通性

(原子力村の情報統制による事故とにていた)

正しい情報から疎外された国民は、そもそも判断材料がないのですから、情報に基づいて自らの頭で的確に判断することはでず、国民は、情報を独占する国家の判断に従うしかなくなるからです。つまり、情報の独占は、国家が国民から思考、言論、行動等のあらゆる自由、あるいは、能動的な自発性を知らず知らずのうちに奪う手段でもあるのです。

新型コロナウイルスの災禍が示す‘知らされない怖さ’


中国の問題点をコロナウィルスで指摘している
このことは原発事故で起きた
原子力村によって情報は常に隠されていた、住民には何も知らされない
ただ「安全だ、安全だ」としか言わされない
それに逆らうことはできない、なぜなら政府と政治家と東電と学者でもマスコミでも
強力な原子力村を形成していたからである
電事連とかの組合すら東電と一体化した団体だった
原発に関しては創価の発行する第3文明とか他の雑誌でも東電の原子力推進の宣伝をしていたのである

なぜそうなのか?

その広告料が大きいからである、広告料をとるためにマスコミとかある
それが先にあり報道は二の次なのである
それは本当に右寄りの雑誌でも全部そうだったのである
原発推進派で固められているからそうなるし広告料が入るからそうなる
それは朝日新聞でもそうだったのである
なぜなら原発が爆発した時、中国に東電からマスコミ関係者が招かれていた
その中に朝日新聞の人もいたからである

これほどの強固な原子力村が形成されたらもう住民でも国民でも判断することは不可能である

だからこそ「安全神話」が形成されたのである

日本には言論の自由があるなどと言っているが実際は原発に関してはなかった
それで原発が爆発した時、浪江の住民はどこに逃げていいかもわからなかった
それで一番放射線量が高い山の方の津島に逃げたのである
でも浪江でも東電の人が住んでいて街の方に海の方に逃げた方がいいとして
引き返した人たちがいたのである
それが正解だったのである、なぜなら海の方が放射線量が低いからである
原発の煙突が見える請戸でも0.5マイクロシーベルトとかかなり低くかったのである
だからこれは意外だったのである

とにかく中国は共産党独裁であり習近平独裁である
言論の自由はもともとない、逆らう者は牢屋にぶちこまれ獄死させられるという
それで香港では恐れている、命がけの戦いをしているのだと香港に二年間住んでいた人がyoutubeで訴えている

今回のコロナウィルスではそうした共産党一党独裁の情報統制が裏目に出たのである
だからそれは原発事故ともにていたのである
中国は共産党独裁であり利権でも共産党幹部が得るシステムである
共産党幹部が経営する会社には金がつぎこまれる、自由競争のシステムが機能していない会社が利益を出さなくても共産党幹部が経営するから金がつぎこまれるというのもそうである

そして武漢市の市長でも中央の命令に従わねばならないから勝手に避難命令を出すことができなかった
常に中央の幹部からの習近平の命令がすべてでありその独裁体制を築いてきた
そこに自由な発言は許されないのである
情報も開示されない、何か不明でも生物兵器を研究していてそこからウィルスがもれたというときもそうである
それは放射線がもれていたと同じなのである
それは秘密裡に行われていたからである

共産党一党独裁とは国民でも住民でも判断材料をも情報も提供されないからこうして一旦原発事故になりウィルスがもれて蔓延しても処置する方法がなくなる
そして原発事故でも未だに放射性物質のトリチウムとかを海に流すとか空中に流すとかでもめている
だからこういうことは中国だけの問題ではないのだ
日本は言論の自由があるとしているが実際は中国の共産党一党独裁と同じだったのであるマスコミは完全に原子力村の一員に全員なっていたからである
それは地元の新聞とかテレビでも同じだったのである
地元だからもっとその危険性に敏感になり注意を喚起する勤めがあった
そんなことは関係ない、ただ広告料をもらえばいいとしかなかったのである
原発はそれだけ巨大な利権だったからである
事故後でも除染に何兆円とか補償に何兆円とか驚く金が動いたからである
それで潤った人もまた多いのである

何かコロナウィルスで中国国民が右往左往しているのが現場事故で住民とかが右往左往しているのとにている、それは情報の混乱である
政府が情報を統制していたが自分たちの命が危ないとして武漢から500百万人避難したというのもそうである、その真偽はわからないにしても政府の統制がきかなくなったのである
それは最初から政府が危険だとして情報を開示したり命令をしなかったからである
疎で自治体の武漢市長が攻められたりして責任逃れしているのである
なぜなら自治体の市長でも政府の命令は絶対であり逆らえないからそうなったのである
ただそのことで辞めさせられた
責任が政府にあっても自治体にあるとか責任転嫁がされたのである

こうした問題は歴史的にもカルマとして同じことがくりかえされる
それと同時に他山の石というように必ず他国でも同じようなことが起きる
だから外国で起きることに無関心でいると自国にも同じことが起きるのである
チェルノブエリの原発事故でもそうである
日本は技術が優秀だから事故にならないと言っていた、でもその管理は本当にずさんだったのである、原子力の技術でも最初はアメリカのお古の原子炉ではじめた
管理する技術もなかったのである
これも慎重さを欠いていたのはとにかく原発がアメリカ主導で作られて国家的なものとして導入された
そして読売新聞社の正力松太郎とか死んだ中曽根首相の肝いりで導入された
国策として導入されたのである
だから地震の巣である津浪もある日本に50も作られたのである

それも強力な原子力村が形成されたためである、そして「安全神話」はもろくも崩壊したのである
住民は故郷に住めなくなったのである
コロナウィルスでも習近平一党独裁が終わるとか言われるようにそれだけの衝撃的事件になった
つまり共産党一党独裁から必然的に起きた事件である


posted by 老鶯 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)


福島県会津へのコレラの流行

(伝染病は交通と密接に結びついていた)

「日本の歴史災害ー菊池万雄]を読んで

江 戸 時代におけるコレラ病の流行
-寺院過去帳による実証 菊池万雄

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日本海から会津若松に伝染して一方白河街道からも伝染した
それが田島方面に南山通りに伝染した
白河街道と阿賀野川の方からの伝染が多いからそうなった
それより南山通りからは伝染していないとなれば
ここの道は行き来があまりなかったとなる

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山形、秋田、青森が多かったのは日本海航路があり北前船が通い交通が頻繁だった
宮城県15年に2361と増えたのはやはりか石巻とか港があったからだとなる
福島県とか岩手県が少ない、太平洋側は北前船のように交通が盛んでなかった
北前船は大阪とかから來るから遠くの影響を受けやすかったのである


この本を読んで伝染病がコレラの流行が密接交通と関係していた
交通が頻繁にある所は伝染病がコレラの被害が拡大したのである
それを福島県に会津に例をとった部分で解説する

なぜここに興味をもったかというと全国を隈なく旅しているからそれで交通に地理に興味をもつようになった
会津に何度も行っているがここほど地理が特に方角がわからない場所はない
海側だと海から太陽が昇るから東であり山側は西であり北とか意識する
つまり方角の目星がつくが会津とか山の中の盆地になると方角がわからなくなる
それで飯館村に行った時、方角がわからなくなり迷った
東に行こうとして西に行ったのである
その時太陽が西に沈むことでわかった
このように盆地になると方角がわからなくなるのだ

特に会津は広いし本当に方角がわからない、地理がわからないのだ
基本的には阿賀野川がありこの川を通じて日本海に新潟に通じている
ここに川運があり人との物流があり人との交流があった
そしてコレラでもこの阿賀野川を通じて会津にも入ってきたのである
日本海側には北前船が通い大阪とかから人も物も入ってくるからコレラも伝播して死んだ人が多い、その数千数人とかなっているのも驚く
それだけ当時は伝染病というのを防ぎようがなかったのである

その当時の交通は日本海を通じして北前船でありあと陸路は街道である
だから新潟県とか秋田県とか青森県にコレラで死んだ人が多い
福島県は内陸部だから死者はおさえられた
それでこれだけ死者があったということは当時の医療が遅れていたからである
伝染病というと黄熱病で猪苗代に生まれた野口英世が死んだというのも因縁である

とにかく本当に当時の交通とコレラの伝染が密接に結びついていたことはいかに交通が伝染病に影響していたかという事実である
だから今回のコロナウィル騒ぎで中国の辺鄙な村では村に入る道まで閉鎖した
日本がでも塞(さい)の神とか村の入口に大きな藁人形とかを置いてよそ者の侵入を恐れた、それは伝染病を疱瘡とかでも恐れたからである
だから同じようなことが人間社会にはカルマとして起きる
玉野村は伊達藩と相馬藩の境でありそこに若木神社があるのは疱瘡の神を祭っている
境とはそうして伝染病を入らないように閉ざした場所でもあった
それで桧枝岐は隔絶した場所だからコレラの死者が出ていない、それは隠れ里であり人とか物流がなかったからである
それで悪いものも入ってこない逆説があった

現代はグロ−バル化になり交通がこれだけ発達したらもう世界的にたちまち拡大する
それも防ぎようがないのである、それだけの人であれ物であれ流通しているからである
日本のコレラも江戸時代の末期から文久から明治時代にコレラが大流行した
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最初に中国の廈門(アモイ市)から長崎に入ってきた、そこから港から全国に伝染した

アモイは福建省南部に位置する。台湾海峡を隔て台湾と向かい合う港町で第二のヴェネチアと「東方見聞録」に記されている。アモイの歴史は約1000年とそれほど古くなく、もともとはビン越族と呼ばれる先住民族が暮らしていたが、のちに漢民族の移住が進んだ。古くからの港町で、特に北東部に位置する泉州の港は、宋、元の時代に「海のシルクロード」の出発点として栄えた。

アモイは福建省南部に位置する。台湾海峡を隔て台湾と向かい合う港町で第二のヴェネチアと「東方見聞録」に記されている。アモイの歴史は約1000年とそれほど古くなく、もともとはビン越族と呼ばれる先住民族が暮らしていたが、のちに漢民族の移住が進んだ。古くからの港町で、特に北東部に位置する泉州の港は、宋、元の時代に「海のシルクロード」の出発点として栄えた。

ここは華僑の出身地でもあり故郷である、ここはそれだけ外国人も入ってきていたから
伝染病でもコレラでも入り安いとなっていた

福島県でコレラが伝染したとき南山道ではなく別な方向からコレラが伝染して会津の中心地若松で増えてそれが南山道から逆流した
この意味が理解できなかったが白河街道方面とか阿賀野川からも入ってきてそれで会津に集積してコレラが田島方面へ伝染した
これも何か当時の交通がどうなっていたか、物流が人の流れがどうなっていたのかを証明している

安政 におけ る当地方 の コレラ病流行 の実態を
第5図 の如 く,コ レラ病死亡者埋葬寺院 の分布
の面 か ら考察す ると,石 巻 ・塩釜 を中心 に半径
50km内 に流行 した もの とみ られ,そ の状 態は
近 きよ り遠 きにお よぶ同心円状をな して ノーマ
ルで あるが,仙 台藩支藩の一関や,三 陸沿岸 の
気仙沼 で,わ ずか なが らも流行 の傾向があ らわ
れ るなど,幹 線交通路 としての北上川水運 と,
沿岸航路 の重要 さを物語 っている面 もある

石巻から北上川をさかのぼり一関にも患者が増えたというのもそうである
この道は古代では鉄の道だった、それで産鉄集団だった真野氏一族が北上川を通じて登米に上ってその跡を記したのである
つまり歴史をみるとき交通の面から見ることが不可欠なのである
地理があらゆる学問の基礎ともなっているからだ
それで私は全国を旅行したからそこがどういう場所かイメージできる
そして地理に興味をもったのである
地理が基礎だという時、地理は地形とかは二千年単位でも基本的に変わらない
どんなに時間をさかのぼっても地理は変わらないからである
イスラエルでもエジプトでも何千年前と同じ場所にあった、例え国がなくなってもその
土地はなくならないからである、だからこそ二千年過ぎてイスラエルという国が復興したともなる

歴史がなぜあらゆることで事件でも問題になるのか?
それは人間は必ず同じことの繰り返しなのである、カルマの繰り返しなのである
津浪だって相馬藩政記に二行だけ生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていた
でもこの辺ではここは津波の来ない場所だと思い込んでいた
ても確実に災害をカルマであり繰り返し起こってくるのだ
ただ400年前になると誰も生々しく語るものがいないから忘れてしまうのである

コレラだってこんなに明治になっても死者があったのかと驚く、それも忘れているからである、人間ほど忘れやすいものはない、人間個人でも次々に事件でも問題が起きて前騒いでいたことを忘れるのである
ニュースだって次々に新しいことを追いかけて昨日あったことさえ忘れてゆくのである
ここがやはり人間の弱点でありそれで何回も津波でも警戒しなくなっていたのである

posted by 老鶯 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

極限の貧乏の衝撃 (バックパッカーが見た世界の現実の紹介)


極限の貧乏の衝撃

(バックパッカーが見た世界の現実の紹介)

貧しい国と物乞いの現実に「貧しさ」と歪みを考えた:二宮祥平放浪時代

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これは江戸時代の長屋と同じだった
七輪で煮ていた

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私は五歳以下の時、何か病気になった
医者に行ったのだが注射が失敗した
その後でも傷が残り腿のところが大きな傷跡として成長した時残ったのである
おそらくその頃の医療技術は低かったかもしれない
でも一応医者がいたということである



貧乏もこの話聞くと悲惨である、もう極限の人間を見て来た
それはなかなかテレビとかでは伝えられないものである
子供を産んだら乞食にするために身体の一部を切り落とすとかある
それはインドにもあるとか聞いた
スラム街を見たらそういうこともありうるのかともなる

そして途上国はそんな食うや食わずでも子供がわんさと生まれているのかということである、そんな極限の状態で子供を産むのかとなる
でも日本の戦後の動画がでていた
それは昭和21年でありその一年後に自分が生まれた
その時政府から500円を配給されたのである
預金は封鎖されておろせなくなった、それでとてもじゃないがもう栄養失調になる
働く力もでないとビデオで写していた

私の母親は前の夫が事故で死んで一生食べていける保険金をもらった
でもこのようにその時預金封鎖になり金を消えた
でも故郷の実家に買った土地だけは財産として残ったのである

とにかく日本は本当の貧乏というものがわからなくなった
今も確かに貧乏化しているからそれを嘆いているしまた日本は貧乏になると騒いでいる
でも日本人は本当の極限の貧乏がどういうものかわからなくなっている

なぜ子供の体の一部を切りおしてまで乞食にするのか?

生活保護がない、国の福祉がない

そのために同情させるためにそこまで親がするとなる、親も子供にそんなことができるのか?
でも極限状態ではそうなる、娘で売ることもあると同じである
日本でも戦前はそうした貧乏があった、ただ戦後10年は江戸時代のようなつづきの生活だった
燃料は炭でありトイレは外のトイレであり風呂にたくものがなくバターとか不用の切れ端を使っていた、水道もなく家には何もない、裸電球一つだった
今の電気製品は何もなかった
そしてその映像で鍋も買えないとしていた、鍋すら買えない貧乏だったのである

不思議なのはなぜそうした貧乏なのに子だくさんで子供があふれていたのか?
それは途上国のスラムのような場所とにている
子供はそんな極貧の中でも生まれて多いのである
それで子供が親を裁判で訴える映画が紹介されていた
親を生んだことが悪いとして子供が訴えたのである
これも極貧になるとそこまでになる

つまり日本では確かに今貧乏化している、でも本当の貧乏がわからなくなったのである
私の父親は病気になり仙台からバナナを買って食べさせた
バナナ自体がなかったからだ、そして最後はサシミを食えるようになったけど
食えたくないと言って死んだ
なぜなら病気で食えなくなったからである
それは戦後10年くらいはそうだった、ただそれから急速に日本は高度成長したのでそういう貧乏が忘れられた
ただそういうとき子供だったが貧乏の苦しさを感じなかった
家にはなにもないとなっていたけど自分は特別愛されたからそこで苦しい思いでは何もないのである

人間は今だけを見ていると今はわからないのである
なんでもあるのが当然だとなってしまうからだ、それで貧乏でもこうした極限の貧乏のことは理解できなくなったのである
別にそうしろというのではなくやはり時代でもまた世界でもいろいろな国があり比較する時みえてくるのもがある

この人の言っていることはやはり生々しい経験をしているからこそそれが訴えるものがある
それもyoutubeとかの発言で今までにないものが発言されるようになったとみる
私はyoutubeのことはまだまだわからない、こした新しいものはメデアでも理解するまで時間がかかるのである
そうすると老人は最新のことが理解できないとなる
私はなんとか50代でバックパッカーになって世界旅行したからなんとか理解するようになった、でも世界旅行でもどこまで深く世界を見るかは違ってくる
私はまたそこまで深く見ていない
だから香港に2年住んでいいたということで中国をリアルに感じたもの発言している
香港は必死であり中国に逮捕されると獄死させられる
中国にその逮捕特権が奪われることで命がけで抵抗しているということもリアルにわかった

やはり何か訴えることはマスコミだと何かもう一つ深いところで訴えるものがない
抑えた表現になるからだ、すると真実が見えないのである
確かにyoutubeは新しい情報世界を作り出した
顔が見えるし何かその人となりがわかる、テキストだとその人となりがわかりにくい
そして部分を文章の一部を引用しているだけだった
プログは何か一部分をきりとったようなる
その人となりがかわりにくいのである
ただ毎日読んでいるようなプログはその人となりがわかるが私の場合はそれは一つしかない、それも貧困をテーマにして
ダークネス(鈴木傾城)というサイトである

とにかく今貧困が話題になるが本当の貧困が日本人はわからなくなったのである
それは高度成長で豊かな時代を経験してそれから経済は停滞してきた
でも本当の貧乏がどういうものかわからない、一応なんとか極貧にならない生活を維持しているからである

それからその人は物乞いする人には乞食には金を与えない

それはなぜか?

必ず他の人も金が欲しいと群がり争いになるからだという

それで気づいた、アフガニスタンで中村哲氏が殺された理由がこの地元の人たちの水をめぐる利権争いが原因だとしているからだ
つまり乞食でも金をほしさのために地元の人たちで争い、そしてその金をくれる本人まで殺したとなるからだ
そこに極限の貧困の中で暮らす深い闇があった
それはなかなか日本ではもう経験できない、ただ人間は本当の現実を真実を知るべきなのだがマスコミから放送されないのである
何でも常に隠される、すると現実が真実でもリアルにわからないのである

posted by 老鶯 at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題