2020年02月17日

社会の脆弱性を攻撃するウィルス (アメリカは貧乏人が医者にかかれず、中国は言論の自由がない)


社会の脆弱性を攻撃するウィルス

(アメリカは貧乏人が医者にかかれず、中国は言論の自由がない)

向こうの貧困層は、その日暮らしが多いだろし
仕事休めば即クビだろう、そうなると病院いかず無理して、本人重症周りにウイルス撒き散らし
日本もこのまま貧困層が増え、格差拡がれば今以上に毎年インフルエンザ大流行で数万死ぬ社会の出来上がり

今回のコロナウィルスの正体はわからない、謎である
なぜアメリカにこんなにインフレインザで死んでいるのか?
こっちの方が怖いとなる
一万人も死んでいることの方が怖いとなる

その原因がアメリカでは簡単に病院に医者にかかれない、日本のような皆保険がない
医療費が馬鹿高いからである、それで医者にも行けず病院にも行けず死ぬ人も多い
これはアメリカは極端な格差社会であり金持ちは桁外れの金持ちである
数パーセントの人が富を独占している
そしてホームレスも多い、格差が極端なのである
結果的に医療がゆきとどかずインフレインザでこんなに死んでいるのかとなる
それはウィルスに対して社会の脆弱性がありそこをついてきたのかとなる
日本は貧乏人でも医者にはかかれる、病院に行けるからである

一方中国はどうかというと最初にウィルス説を唱えた人が警告した医者が習近平独裁体制のもとで言論の自由がなく自らもコロナウィルスにかかり死んだ
それは悲劇だった、ウィルスの攻撃で社会の問題が浮き彫りにされたのである
それは原発事故でもそうである、「安全神話」を作った議員や官僚や御用学者やマスコミがありそれは巨大な利権のために「安全神話」を作っていたのである
その安全神話が津波で崩壊したのである
日本にも言論の自由はなかったのである、安全だとしかなかったからだ
内部告発者もいなかった、実際は原発の管理はずさんなものだったのである
そこで働く電気工事関係者はそのことを言っていた
でもそれを言うと仕事がもらえないから東電の命令は絶対だからということができなかった、完全に「安全神話」によって言論は封殺されていたのである

だから社会の脆弱性というのが何か危機に現れる、それはそういう事故とか事件とかウィルスとかの危機に現れる
日本がで阿部首相が適切な処置をしなかったから中国人に忖度して観光で金を落してもらうために早急に入国拒否しなかったことが問われている
つまり常に利益が第一であり安全は考慮されないのは原発と同じだったのである

社会の脆弱性というとき格差社会になると社会全体からみると社会的紐帯がない意外ともろい社会であるとなる、そういうことが危機に現れる
アメリカでは極端な格差社会というとき、大金持ちは貧困層に無関心になる
でもその貧困層がいるということでその人たちがウィルスに感染しやすい
なぜなら医者や病院にもかかれないからである
するとそこからウィルスが蔓延してインフレインザが拡大して富裕層にも及んでくる
それは防ぎようがなくなるのだ

中国の様な共産党一党独裁は支配者層にとっていいが支配される下級国民にとっては
いいものではない、でも支配階級にとっても独裁政権が今回のように言論を弾圧する
するとそれが支配者層にはねかえってくる
医師がコロナウィルスを指摘したのに抹殺されてその時ウィルスが蔓延していたからである
中国では自治体の独立性がないから上意下達だから自分たちの生活する場所で知ったことを共産党幹部に伝えることができなかったのである


アメリカが中国を批判するけどアメリカでも社会の脆弱性が攻撃される
そして日本でも日本でのコロナウィルスの蔓延がとめられるかどうか問われる
日本の社会の脆弱性がここでも問題にされるかもしれない
ただウィルスは現代のようにグロ−バル化して人がこれだけ世界中を行き来していることで拡散することをさけられないのである
南相馬市の原町区のパリミキの人が福島市から通っているというのもそうである
相当に距離がある、でもそういうこともまた多いのが現代社会である
だから福島市で感染していたらすぐに南相馬市でも感染者が出るとなるのだ
もうその径路は追ってもわからなくなる、現実にそうなっている
それだけ広範囲に世界でも交わっているからである
それがグロ−バル経済の脆弱性として欠点としても現れたのである

例えば江戸時代なら関所が随所にありそこを封鎖すれば入れなくなる
食料とかどうするのかとなればもともと地元で自給自足なのだから貧困でも生活できる
貧しくてもできる、でも今はできない、世界でも結びついて生活が成り立っているからである
だから津波とか原発事故でも交通が遮断されると食料も何も入らずにお手上げになる
放射能が怖いから運送する人も入らない、津浪で道路は寸断されて運べないとなった
その時裏山の清水を飲みまたそれで貯えていた米をたきしのいだ人たちがいた
燃料は裏山の木とかなった、それは江戸時代の自給自足の状態に戻って助かったとなる
そこにセーフティネットがあったとなる
それが都会などでぱできないからもう生き延びることすらできなくなる

いづれにしろウィルスでもそうだが常にグロ−バル化しているからグロ−バルな問題として浮上する
アメリカのインフレインザだって日本に伝染するかもしれない、するとそっちの方が怖いとなる、何かこれはコロナウィルスではないかとアメリカで調べ始めたからである
アメリカも中国だけを悪者として批判できる国ではないのだ
そして日本のコロナウィルスの対応が悪いとういが自国でもどうなのかとなる
そんな極端な格差社会を作り貧困層が医者にも病院にもかかれないからそんなに多い死者をだしているとなるからだ

原発事故でもそうだったが何かこうして問題が起きると社会自体が問題になる
社会全体が問題になる、その国々の社会が問われる
中国とアメリカは巨大だからその影響が世界に及ぶことが多い
でもその社会の脆弱性がどっちにもありそれがウィルスの攻撃で攻められてもいるのだ
ということはこうしたウィルスも天変地異であり津波と同じように神の意志が働いてなっているのかともなる
これを契機に新たな社会形成を強いられるからである、つまり易姓革命となるからだ
だからこのようなウィルスでも神が働いているのかともなる
これはグロ−バルな問題でありグロ−バルな解決策が必要になっているからだ
posted by 老鶯 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

時間の間隔の誤差が大きかった (眼鏡を買ったのが4年前だったが一年前と思っていた)


時間の間隔の誤差が大きかった

(眼鏡を買ったのが4年前だったが一年前と思っていた)

今日パリミキで眼鏡を買った
片方のレンズが落ちたからである
片方がなくてもそれなりに見えたのも不思議である

ただこのメガネは一回も踏んでいない、前のメガネは十回くらい踏んでは直してもらい使っていた、だから10年くらい使ったように思っていた
そして新しい眼鏡にしたのが一年前とかと思っていた
でも4年以上過ぎていたのが信じられない
でもパリミキでしかメガネは買っていないはずである
だから間違えないと思う

人間の時間の間隔は何かずれてくる
いつ何あったのかからなくなる
それで歴史でも前後を間違えたりするのである
江戸時代の墓の年号などを見ても間違うのである
時代を前後することが良くあるのだ

本当に今回は一年前くらいだとてっきり思っていた、でも4年前に買った眼鏡だった
なぜそう思ったかと言うと一回も踏んで直してもらっていないからだ
だから一年くらいだとてっきり思っていたいたのである
今でも何かそれが信じられないのである

例えば家族の死んだ年は間違うことはない、いつ死んだか覚えている
一二年のずれはあるかもしれないがたいがい正確に死んだ年とか覚えている
両親がいて父と母がいてどっちが先に死んだかを覚えている
その前後を間違うことはないのである

このメガネで私が覚えていたのは前のメガネは何度も踏んで曲がり十回くらい直してもらい使っていたと記憶する、そのことは良く覚えていたのである
それで見えずらくなったこともあり新しいのを買ったのである
だからそれは相当に長く使っていたと記憶する、でも5年くらいだとすると短かったのかとなる

ここで感じたことは人間の記憶は何でもって記憶するのかというとこの場合はメガネを何度も踏んで曲げて直してもらったという経験を記憶していた
その記憶が脳に刻まれていたがいつの年かという正確な時は明確でなくなっていたのである
だから人間の記憶とはそうして印象になる出来事は記憶している
でも年代とかは忘れているのである
それが十年前でも二十年前でも印象的な何か大きなことがあると記憶に残る
それは20代の時に起こる、20代は何か様々な出来事が起きて印象に残り安いのである
その後は何か体験でも残りにくい、記憶しにくくなる
でも何か大きなこと事件でも体験でもあれば心に記憶される

人間の記憶は年代では記憶されない、その正確な年号とか西暦とかでは記憶されない
何か事が起きてその人にとって忘れられない体験が記憶として残る
あの時は何々があったというときその何々が記憶に残るのでありその時の年代ではないのである
老人になるとそうした自分が経験したことを語る、でもそれが明確な西暦とか元号とか年号とかでは記憶されないのである
それが歴史でもそうである、何か大きな事件があったとき歴史的事件となり記録されるし歴史の別れ道とかとしてみんなが認識するのである
元禄時代となると元禄という年号とかではなく赤穂浪士の討ち入りがあった時代として年号も記録される、また頭の中に記憶される

だから明治は江戸時代が終わり新しく始まった時代であり昭和は太平洋戦争があった時代でありまたアメリカに負けて戦後が始まったとか記憶する
それから高度成長時代がありバブルの崩壊があったとか記憶されるのである
人間の一生も年代という数字ではなくその時々起こった出来事で記憶される
親が死んだとか結婚したとか子供が生まれたとか何か一番印象的な出来事を記憶するのである
結局その記憶が人生だったと最後にはなる

バリミキの支店長なのか?男一人と女性一人いたが若い男性は福島市から通っているというのも驚きである、車でほぼ一時間半くらいかかるのか?一時間なのか
でも遠い、そんなところから通っているというのも現代である
その人は説明がうまかった、前の人は何かあった時必ず点検に来てくださいと言っていたそれも3カ月ごとにくらい来てくださいと言っていた
レンズが前にも落ちていたのだから来るべきだった
でも一年くらいしか過ぎていないから新しいとてっきり思っていたのである
それが大失敗だったとなる
時間が過ぎるのがとにかく早いということである
老人になるとそのことが痛切にわかる、それでがっくりとくる

結局5万近くでレンズが簡単にとれないものを頼んだ、これも思わぬ出費だった
こういうことは必ずある、ただ説明する人が良かった
こうして営業とか説明する人が大事になる
ただメガネとかなるとごまかすことはできない、フレームとかわからないところがあるがレンズなどはごまかすことができない、必ずクレームがくるし事前に試しているから間違うことはないのである
銀行の投資信託など説明されてもわからないからだまされやすいのである

とにかくこれも一騒動だった、でも私の視力は落ちていないから変えなくてすんだ
毎日パソコンを見続けているが視力は落ちず度を変えることをしなくても良かったのである、これも不思議だとなる
ただ自分自身が健康ということではない、何か鼻が悪いから寝ている時呼吸ができず口でしているから口の中が乾くのである、これもまずいと思った
ただ三日つづけて遠くまで自転車で遠くに行っても疲れなかったから何かまた体力がついたのかとも思う、一応十分に寝ているということか良いということがある
夜二時間くらいしか寝れずに昼間寝ているとか言う人は体力的に落ちて来る
また老眼で書類など読めなくなっている70近い女性もいる
だからなんらか60代以降は病気になり弱ってくるのであ

貧困が見えない社会(車上生活者が増えている)


貧困が見えない社会(車上生活者が増えている) 

「家族3人で車で生活していた58歳の女が、死体遺棄の疑いで逮捕されました。」
「母親の遺体を車に放置したとして逮捕された58歳の女性。
家族と一緒に1年にわたって車で生活していました。」


現代社会の特徴は貧困でも見えない、昔だったら乞食がいたとしてその人はあからさまに貧乏であり助けがないと生きられないことを社会に訴えしいたのだ
なぜなら家もないし日々食べるものがないから乞食であり食を乞うものだったからであるそもそも乞食というとき食を乞う人だった
それで細菌アメリカでもフードバンクなどができて無料で食料を配ったりしている
ともかく団塊の世代では乞食がいたことを知っている
それも戦後10年以内に全く消えたのである

そうすると今はそうししてあからさまに乞食のように貧困になっている人が見えないのである
その人たちはどうなったかというと生活保護になる
生活保護だ頼みの綱となる、それで常に役所の福祉係と交渉することになる
生活保護でも医療費が無料くらいの人がいるし最低の生活すら維持できない人がいる
ここで紹介された人たちもそうである
つまり最後は電気水道代などが払えない、家賃が払えないとなり車で生活することになる基本的に最低の生活すらままならないからである

例えば貧乏な時代というものが現代ではわからなくなった
私は団塊の世代は戦後十年くらい経験しているのだ
水は近くの井戸水を無料でもらいトイレは外のトイレでその糞尿を農家の人が肥料としてもらっていった、燃料がないので風呂は材木屋のバターをいらなくなったものを利用していた、おそらく無料だったのだろう
それで私の仕事はそれで風呂をたくことであり新聞紙はトイレの紙に利用して風呂焚きにも利用した、その時米を炊くのに竈も使っていた
つまりこれは江戸時代なのである
そして私の家では戦前に家の部屋を長屋のようにして貸していたのである
それで姉は毎日その部屋代の金を集めていたという、なぜ毎日だったのか
一か月まとめて払う金がない、その頃は江戸時代のようなその日暮らしが多かったのである、宵越しの金はもたねえとか江戸っ子が言っているがそれはその日暮らしだったからである、燃料は炭であり江戸時代のつづきだったのである

そういう生活でも一応部屋だ借りられて水とかも無料であり金がほとんどかからないから生活できたとなる
現代の貧乏は家賃がかさみ、電気水道代ガス代とか燃料費がかかりそれで必ず不足して
生活できなくなる、その人は毎月そうなのである
だから車内で生活するようになるというのも現代的である
車というのは一つの家なのである、雨露でもしのぐことができるからだ
それでキャンピングカーがあったらあれなら家が移動していると同じでありうらやましいと見ている

現代の貧困者は露わに見えない、昔だったら醤油でも米でも味噌でも隣から貸してくれとかくれろとかあって分け合っていたときもあった
それは恥ずかしいことではない、みんな貧乏だからそうなったのである
そういう生活をみんなしているから助け合ったとういことがある
昨日書いたなぜ日本のもてなしがあり外国でも旅行者に対してホスピスがあったのかを欠いた、昔の旅人は歩いていたから疲れる、すると病気になる人だっている
それでケアしたり看護したりする、そこからホスピタルになった
そのことが余りにも便利になり車で移動する時代になるとわからなくなった
だから私が自転車で旅すると旅館でも泊まりにくい、歓迎されない、ホテルは余計に泊まりにくい、ふらふらになるほど疲れていてももてなしもないのである
「疲れたでしょう」とかの一言もない、何でいい年して自転車で旅しているのだ
胡散臭い奴だとしかならないのである
でも江戸時代なら一日40キロも歩いてやっと宿につく、すると迎える人もそのことを知っているからもてなす、癒しがありうる
こういうことでもつくづくその時代の社会がわからないと実感できないのである

まず自転車で旅する時良くテントを張ってねる、でも車でも人が泊まっていた
それがわからなかったのである、つまり自転車の人は自転車を利用する人と話する
でも車の人とは話もしないのである、車の人とは交流しないのである
昔だったら必ずみんな歩いているのだから旅は道連れとなりそこに人情が生まれていたのである
だからクルマで生活すると言いうのは現代ではそうなっても当然だとなる
車だと家賃も払わなくてもいいとか水道代とか電気代とかも払わなくてもいいとかなる
でも車自体に移動すればかかるのはガソリン代とかあり普通に車を使用すると一年に30万から50万かかるとかその額が大きいのである
ただ寝泊まりだけならそれほどかからないとなる

現代は本当に貧困化していて格差社会になっている、普通の生活すらできない人たちが増えている、ただそれが昔の乞食のようにあからさまに見えないのである
でもそういう人たちが車で生活していると知れば納得する
車は本当に家なのである、ただ住所がないとかなればいろいろと生活しずらくなる
貧困化すると家賃も払えなくなる、それが現代の貧困である
現代では醤油でも塩でも米でも分け合って生活するということがない、人情がなくなった社会である、あとは生活保護を受ければいいとかなり貧困者には無関心なのである
そうして格差社会になっている

今までは自己責任とかあったがそれが数が多くなると中産階級が没落してゆくとそういうことも言っていられない、アメリカでトランプ大統領が出てきたのは極端な格差社会になりアメリカの中産階級が没落してラストベルトとかが生まれたからである
日本も同じでありこれまでの中産階級が没落してゆく
そういう現象がすでに非正規とか就職氷河期とか20、30年前からバブルが崩壊してから徐々に進行していたのである
それが今から顕著なものとして現れてきたのである

私は恵まれたとしても何の贅沢な生活もしていない、旅したとしても最低であり食べるものも最低である、自転車だったら泊まるのも無料だとなるからだ
だからもともと私は旅館とかホテルとかは好きではない、そういう場所は現代では旅人をねぎらうところではない、金持ち用の保養の場所である
だから金持ちしか歓迎されないのである
格差社会になるとニセコとかは金持ち用のリゾートになり土地が高くなる
そこは階級社会を現実的に見る場所である、地元の人たちとは関係ない人たちである
でも貧困化するとそういう人たちをもてなす優遇する他ないとなる
それがグロ−バル経済でもある

でもそういうことは日本の文化を破壊するのである、日本は江戸時代でも特別の金持ちがいない、侍でも同じである、みんな貧乏だったからである
旅人でも殿様意外はみんな同じ部屋であり特別の部屋はない、金のあるなしで差別などしないのである
階級社会になると3万とか4万でも泊まる人は優遇される、すべて金で差がつけられる
それが日本の文化を壊してゆく、もてなしもそういう金持ちだけにされる
苦労して旅してきた人など目もくれない、なんで自転車などで旅ししているのだ
こいつは浮浪者かもしれないとか相手にされないのである
だからすでに車をもたないだけで階級差が生まれる
車すらもていないのは下級国民下層階級なのである
ところが不思議なのは車をもっていても最下層に落ちて車が家となって生活するほかなくなっている人たちが生まれてきたということである
これもつくづく現代的だと見たのである
ただこの放送は見逃していた、再放送で見たいとなる

posted by 老鶯 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題