2020年03月31日

みちのくに桜咲く(動乱の時代へ)


みちのくに桜咲く(動乱の時代へ)


波ひびく太平洋や朝雲雀  

沈丁花匂い一人活かす家


太平洋一望にして春の朝雪の覆いし蔵王を見ゆかな

三分ほど花の咲きにきみちのくに風は冷たく身に吹きにけり

昨日ある人も還らぬ人となる世の移りのことに早しも  

ふるさとに苦しくも生き老いし女春となりしも幸のあたいぬ

世にたてば嵐の起きてうたるるや神の意の成り我は死になむ  

小さなる者にしあれど大いなるものに殉じて大となりなむ

天地鳴動
人心一新
世界動乱
壮士起立


桜は三分咲きになった、でも東風が冷たいのである、今になると何か寒いのである
桜前線もこれから北に向かって北上してゆく、
ここが三分咲きだとするといわき市では満開になったところもあるだろう
仙台は同時期になるだろう
この桜前線は日本独特のものである、日本は意外と狭いようでも北海道から沖縄と
北国から南国まである、距離的には長いのである
そしてここから蔵王が見える、ということは山形県が親しいとなる
なぜなら福島県でも阿武隈山脈また高原にさえぎられて福島市の方は全く見えない
吾妻山も見えないからである、霊山まで行かないと見えないのである
だから福島県は地理的一体感を感じないのである
蔵王が見えるからすると山形県を思うことになる、海岸線は海を通じてつながっていたことは津浪で実感した

何か確かにその女性は苦労したのだけどでは同情するのはいいがそれで幸を与えるということはなかなかできない、ただ損するだけだとなる
だから愛をもてというときそれがむずかしいからキリスト教でもやめた人がいた
とても実行できないからである、それぞれの暮らしがあり例えば家族がありそこには金は使っても他人に金を無償で与えられるのか、それはなかなかできないからだ

ただ宗教というとき我を消すことである、人間は結局我(が)に生きる、我欲を消すことができないのである
神とは我を消したところに現れる、人間はただ自分の意を成そうとしている、意を通そうとしている
それで神にとってはその我が邪魔になりかえって神の意が成せない、つまり人間は自分の我を通そうとするだけなのである
宗教団体とはまさに集団で我を通す団体にすぎないのである
巨大な我(が)の塊りとなっているのでありそこに無心の人など一人もいない
だからこそあれだけの人が集まったのである、我が集積して社会に我を通そうとしているだけなのである

仏の意も神の意もない、ただ人間の我欲が集まり巨大化しただけのものである
団体となると他でもみんな利権になっていることでもわかる
原発利権もあったし漁業利権もあったし医師会の利権もあるし労働組合利権もあるし宗教団体も宗教に名をかりた利権団体なのである、それは京都辺りの寺でもそうだしもともと寺自体が侍が支配する前は現実に城がありそこは集団で我欲を通す支配する場だったのである
ともかく今何か社会が変革すのるとき大きく変わる時なことは確かである
それはこの辺で津波や原発事故がありそこから大きな変化がはじまりコロナウィルスもその続きだったのかとなる、これは局所的ではない、世界的になっているからだ
世界自体が変わってしまう、だからこれは何なのだろうとなる
何かこういうとき社会が大きく変わるからそれに応じて人物も出てくるとなる
そういう人が若い世代から出るということがある
明治維新の志士がそうだった、規制のものを打ち破るのはやはり若い力が必要だからである

とにかく70年間隔で大きく時代が変わる、明治維新から70年で戦後の焼野原から70年になるからだ、動乱の時代になったのである
ただ何かを成そうとするとき若いと自分の我を通すことになりなかなかは無心になれない我が意を成そうとするのであり大きく神の意を成そうとならない
つまり自分が成すことではなく大事は神が成すとならねばならない
何か大事はとてもいくら天才的優秀な人でも成せないのである
そういう人も独立不羈の人でも天才でも巨大な我になっていた
三島由紀夫なども実際は自分のエゴであり我になっていた
国に殉じるなどではなく自分一個の我を通すためになっていた
つまり何か自分で英雄とかになるにしてもなれないのである
それは時代が成さしめるのでありいくらそうなろうとしても成れないのである
いづれにしろ津波でもそうだし何か天地鳴動して世の中も動乱の時代に入ってきていることは確かである

2020年03月30日

原発事故と比較したコロナウィルスの対策 (過剰自粛が社会を破壊するー京都大学の研究)


原発事故と比較したコロナウィルスの対策

(過剰自粛が社会を破壊するー京都大学の研究)

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99%の日本人が知らない自粛要請の罠0政府が決して言わないもう1つのリスクとは?

「京都大学レジリエンス実践ユニット」が「医療崩壊」を回避しつつ、新型コロナウイルスによる「死亡者数」「重症者数」
の抑制を重視すると同時に、その対策による「自殺者増」を含めた社会的経済的
被害も踏まえた上で、長期的な国民的被害の最小化を目指すための対策動画です。
                                      

ここでこれまでのコロナウィルスの症例をみて合理的に判断している
それで自粛をどうするかを説明している

まず症例からみたとき

高齢者(60以上)基礎疾患者が重症化している

60以下は重症化せず軽症で終わる

すると対策として高齢者の集合することや家庭内で濃厚接触を避ける

高齢者は家族でも社会でも隔離する

60以下は特にさらに50以下で基礎疾患がないものは普通に社会活動を維持

過剰な自粛を都市封鎖などしたら社会活動が停止してかえって倒産が増えて社会麻痺するそして自殺者が増える
だから60以下特にさらに50以下の社会活動を極端に停止することは危険である
なぜならそれで都市機能とか首都機能が麻痺するからである
そこでかえって自殺者が出て被害が拡大する

これを原発事故の場合と比べると

過剰な自粛、都市封鎖⇒避難命令⇒ゴーストタウン化⇒復興不可能

この辺は原発事故でそういう過程を経過した、原発が爆発した時恐怖して30キロ内を避難させた
それは政府の強制命令だった、でもそれはあくまでも30キロ内でありそれは補償などは政府で責任をもったのである

もし過剰な自粛とか都市封鎖したら政府で補償する責任をもて!

こう言っているのもわかる、でも東京などは規模が大きすぎるからそれができるのかとなる、原発事故の時は局所的だったから補償でもできた
その補償でももめた、30キロで区切られてその中と外では差が大きくなった
南相馬市でも30キロからはずれると三分の一になりさらに相馬市だとなけなしの金しかもらっていない、補償されたのは30キロないだけである
その補償は本当に手厚かったのである
医療費はもう十年になるのに無料であり高速も無料である
しかし同じ南相馬市なのに鹿島区は医療費無料は打ち切られたのである
この差は本当に大きな差別だったのである

だから補償するにも限度があり政府では公平にはできない

必ず不満なものがでてきて恨みとなる

また本当は避難させるべきだったのは浪江でも実は山側であり海側は0.5マイクロシーベルトとか低くかったのである、だから山側の津島に知らずに避難したが東電社員の人がいて
街の方に避難した方がいいと誘導された、それが正しかったのである
ただ政府ではなんら指示を出さなかったのである

政府の指示決定は重大な結果をもたらす、避難命令を出した結果としてこの辺は大混乱になり自治体は復興できない、ゴーストタウンになり若い世代は帰らなくなり復興できなくなった
今回のコロナウィルスとの相違は放射線は若い世代に遺伝子でも次世代までも被害があるということで若い人たちは故郷を出て帰らなくなった
今回は老人が被害にあう、老人が死ぬのである
放射線は老人は被害がないから関係なかったのである

だから若い世代の活動をとめるべきではないという症例からの分析で指示したことは理解できる
つまりこの辺でもそうだったが確かに放射線の被害も恐怖だった
またコロナウィルスの被害も未知でありどう影響するかわからない
でも社会活動を止めることの方が甚大な影響がある
ゴーストタウン化することが恐怖なのである
だからこの研究報告でそのことを指摘して過剰な自粛よりそれによる被害の方が大きくなるというのは理解できる

だから老人こそが引きこもるべきであり60以下とか50以下は普通に活動すべきだということは妥当な結論なのである
そして学校を休校にしたのは過剰自粛だったという指摘もわかる
子供は感染しても重症化しない、要するに軽い風邪とかで若い世代は終る

とにかくこういうときただ得体のしれない不安のみが増大する

それを合理的科学的に判断したというのは参考になる
つまりパニックになることがかえって怖いのである
もし都市封鎖などしたら食料の奪いあいとかになると殺人までになるから怖い
無政府状態のようになるのも怖いのである

過剰自粛や都市封鎖は慎重すべきだとなる

社会の混乱やパニック状態にすることがかえって被害を拡大する

だからこの報告で老人がひきこもる、家族内でも濃厚接触しないということが
最も合理的なコロナウィルスの対処方法だと見た
なぜなら重症化するのは老人であり死ぬのもそうである
ここに注目して対策する
原発事故では逆であった、若い世代に次世代にも被害が及ぶからその対策も違ったものとなった、結局若い世代は流出して自治体はゴーストタウンになり回復しなくなったのである

ともかく政府の判断とその実行は甚大な影響を及ぼす、それを間違えると多大な犠牲者が出る、でも政府ではそうした犠牲者にすべて補償はできないのである
その判断を誤ると今回は全国的だから政権も転覆することは間違えないのである

この報告は評価できる、テレビは何か不安をあおることが多い
映像でもそうである、スーパーの棚が空になった映像を写すだけでみんな恐怖になり買占めに走るのである
こうして冷静な見方を提供すべきだがテレビは何かエキセントリックに報告して不安をあおるのである
だから今はyoutubeの方を見た方がいいとも思った
ただそこにもいろいろな見方があるので迷うのである
私の場合は原発事故で経験したことがありその対象で判断している
やはり原発事故の対処というのは本当にあとあとまで尾をひく
その判断で実行で取り返しのつかないものとなったからだ
posted by 老鶯 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスによるとキリスト教カルト教団やイタリアの牧師の死について (集団礼拝は神の意にかなわない)


コロナウィルスによるとキリスト教カルト教団やイタリアの牧師の死について

(集団礼拝は神の意にかなわない)


韓国、新型コロナ集団感染の新興宗教「新天地イエス教会」とは?

イタリア北部で、危篤に陥った新型コロナウイルス感染者らの臨終の際、祝福を与えた司祭少なくとも28人が3月19日までに、ウイルス感染により死亡した。亡くなった司祭の半数以上は80歳を超えている。一方、最も若年の司祭は54歳だった。カトリック系の「CNA通信」などが同日伝えた。


 防護服などは着ません。司祭の正規のガウンで、顔は出したまま、素手で患者の額に触れ、頬に触れ、死に行く人の罪を除き、祝福する・・・。

 宗教者ですから、当然、そのようにします。

 そもそも聖職者自身が高齢者であることが少なくありません。そして、末期の人や死亡直後の遺体に、敬意をもって接することで濃厚接触者となり、かなりの高確率でウイルスに感染してしまう。

 イタリアで神父を感染させる「終油の秘跡」
 

韓国のキリストのカルト教団の教祖がコロナウィルスで集団感染させたことで土下座して謝っていた、その映像を見ると信者が集団で結婚式したり統一教会ともにている
カルト教団の特徴は何か、とにかく数を会員を集めることが最大の目的なのである
信者を集めることではない、どんな人でもいい数を集めることである
創価がその最たるものであり数を集めて一票に結びつける、そして権力を得ることしかない
それはこの韓国のキリスト教カルト団体でも同じである
それは厳格に言えばキリスト教会ですら集団礼拝すると数として多いとまでなる

なぜそれほどまでにして宗教は会員を増やすことを第一とするのか?

数は権力だし数を増やせば会員から金をとれる、そしし教祖としてあがめられる
つまり数でもって社会に誇示するのが目的であり社会はその数にひれふす、民主主義社会では特にそうなる、すべてが数であり一票が政治権力を得ることだから当然そうなる
するとその数がいることで自民党も宗教団体と結託するのである
創価であれ統一教会であれ票として見るのである  

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:18020)

キリストはこう言っている、それも全く宗教では全くありえないのである

たった二三人なのか? 

そんな数で何の力を得られるのか?

こうなるだげでありそんな団体に社会では見向きもしないのである、政治的経済的にはなんの効果もないからである
だから真実の信者は社会から知られないし全く無視されるのである
イスラム教でも必ず集団礼拝である、それでメッカにおしかけた群衆で将棋倒しのようになり多くの死者が出たりする、これも旧態依然として変わらないからイスラム圏は世界から遅れをとったのである
宗教と政治の分離、政教分離ができていないのである

宗教と政治、宗教と経済、宗教と科学とかは常に問題にされてきた
今回のコロナウィルスでもそうである、イタリアはカトリックであり牧師が50人とか死んでいる、その牧師が宗教儀礼で濃厚接触して伝染させたとしている
だからここでも宗教と科学の問題が再燃したのである
コロナウィルスを恐れずにバチカンが患者に接することを強要したのである
それで犠牲になっても神の意にかなうとした、殉教だともした
でも実際は伝染を広めたのである

宗教と科学の問題はこれだけ科学が発達しても消えないのはそもそも人間がいくら科学が発達してもこの世の事のすべてに通じることができないからである
それで原発事故になって放射線で苦しめられたりコロナウィルスも不明でありどう対処していいとかわからないからである
そうなると宗教に依然として頼るとういことがある
何か解決しない問題が依然として人間にある、すると神に頼るのはいいとしても神をある意味で商売にして会員を獲得する教団に入るのである
つまり教団を通じて神仏に頼る、そのことが問題なのである
それでカトリックを牧師を拒否したプロテスタントが生まれたのである
直接に神への信仰を個々人で結びつくものとしてプロテスタントがルターの宗教改革で生まれた、でもカトリックの勢力はその後も世界に継続されたのである

とにかくコロナウィルスが社会にもたらした影響が大きい、社会自体を世界を変えるということで大きいから不思議なのである
それは今はマイナスの方が大きいがプラスとなってゆく面もあるから不思議なのである
つまり社会全般に世界をも変える力があることが不思議なのである
そんなこと普通は人間だけではできないからである

つまり信仰はそれぞれ隔離して神に個々人で祈れ!

こう強いられたのである、家族ですら濃厚接触するから老人は隔離して暮らせともなったからである、家族で祈るより個々人で隔離して祈れとまでなった
これも何なのだろうとなる
とにかくコロナウィルスがもたらしたものはこの隔離することである
それで平安貴族が御簾を介して謁見する、直接接しないのはただ身分を分けるというのではなくウィルスに感染しないための知恵から生まれたというのもそうである
伝染病はそれだけ怖いものとしてすでに認識されていたからだともなる   

集団化密集化が拒否される!

これがコロナウィルスに対処する方法なのである、だから集団礼拝はそれは実は社会に対して威圧するためのものであった、数で社会を威圧して権力を誇示するためのものであった、いわば宗教ファシズムなのである
社会は一人二人は相手にしない、数を集めて抗議すれば相手にするからである
政治家でも一人の一票なと何の関心もないからである
そういうふうに集団化密集化がコロナウィルスで拒否されることになった
第一大都会が東京の密集化こそがコロナウィルスの最大の問題である
東京から日本全国に拡散するから都市封鎖になる、だから東京遷都が再び言われるのもわかる、超過密都市は限界になっていたけど遷都はできなかった
また集団化というとき会社も集団化したものである、それも個々人に分離してテレワークがすすめられるなど通信の発達でできるようにもなる
何かそれがスムーズに変換できなくてもそういう時代の変革をコロナウィルスがうながしていることが不思議なのである

いづれにしろコロナウィルスがもたらしたことは悪いことばかりではない、様々なことで社会に世界を変えることの不思議なのである
まず東日本震災と原発事故を区切りにこの辺ではまるで変ってしまった
その前と後で時代が区切られるようになった
このコロナウィルスでも時代が区切られる、コロナウィルス前とその後では時代が変わってしまうのかとなる
これも天変地異の一種でありそれが局所的ではない、世界に及び世界を変えてしまうというこが不思議なのである


posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月29日

コロナウィルスが変える世界と社会 (それがすべて悪いものとはならない不思議)


コロナウィルスが変える世界と社会

(それがすべて悪いものとはならない不思議)


今回のコロナウィルスはその影響を見る時、それが必ずしも全部が悪い方向に向くとも見えないのだ
確かに小売りの人が窮状を訴えていたし死活問題ということもわかる
その小売りの卸業の人がその商売にしている商品をみせた
その中に中国産の食料が多かった
これが輸入できないと困る、日本産もあるが高くなるから困ると言っていた
外国産に頼るのは価格の問題が大きい
外国産が何でも資材でも安ければ外材でも日本よりはいいとなり日本に本来あったものが活かせないのである
それで農業でも地方が衰退した原因になった
グロ−バル化が実は地方の衰退の大きな原因となっていた

2020年03月29日07時50分


これもどういう事情が正確にわからない、でも若者が東京封鎖があるとなれば実家に帰るすると若者が田舎に地方に帰って活気づくともなる
これも何か東京一極集中超過密都市から脱却する方向に向かうとなる
実家に帰るという時、戦前までは農業中心の社会であり東京でも何かあれば田舎に帰っていた
そこで一応食べることだけはできたとかある、実家があり農業していて養われたともなる
そういう避難場所としても田舎は実家があり機能していたとなる
それで実家を守る長男が大事にされたのである

何か不思議なのはこうしてコロナウィルスが世界に社会にもたらす影響が必ずしも悪いとみれないのである
それは天からの作用でそうなったのかとまで思う

グロ−バル化経済の拡大⇒自然破壊、地方経済の破壊、国々の風土文化の破壊・・・・

東京一極集中の崩壊⇒地方へ若者が帰る⇒地方の活性化

こういうことになっていた、それが回復するかもしれないという不思議である
もちろん東京封鎖とかで困窮する人たちの援助は必要である
ただ社会全体を見直す契機ともなっているのがコロナウィルスなのである
こういうときどうしてもお前は被害者になっていないからそんなことが言えるのだと批判される、困窮する人にはそんなことを言っていられない、今収入がないなら死ぬほかないという人がいる

でも何か東京一極集中が日本全体を歪めてしまった
それが原発事故が起きた大きな原因でもあった、東京という超過密都市を維持するために莫大な電気が必要でありそれで安全を図るために東電が福島に原発を作ったからである
それはまた東京一極集中の経済のために地方は公共事業とかを高度成長の時はもたらして均衡を計った
それで双葉とか大熊は浜通りでは働く場所がないから出稼ぎに行っていた
それで地元で働きたいとなり原発を積極的に誘致したのである
それは東京一極集中の弊害が地方に影響してそうなったのである
東京一極集中と地方のアンバランスな経済がそうしたのである
そして結果的には肝心の働いて故郷に住んでいたいという願望すら失われた
故郷に放射線被害で住めなくなったからである

そしてコロナウィルスで起きていることは何なのか?

そういうグロ−バル経済の歪を東京一極集中の歪を是正しようとするものとして作用していることも不思議なのである
例えば通信が発達するとリモートワークとかテレワークとかが推進される
そのインフラは田舎でももうすでに整っているからやり安いのである
情報の差はなくなっている、いろいろな多面的な情報に接することができるようになった
まず何度も言っているが私の住んでいる町は一万くらいでありまともな本がない
まずこうした田舎では本がないから勉強自体できなかった
隣に4,5万の都市があってもたいして変わらなかったのである
古本も仙台に行かないと買えない、そうなるとまず研究自体できない
古本で東京の水道橋とか神田の古本屋街でしか買えないかったのである
つまりまともに地方では本を買えなかった、読めなかったとなる
そのハンディキャップが大きかった、それで「冠婚葬祭」とかの本が百万部もベストセラーとして売れた、そういうベストセラーが売れるから地方のしょぼい書店でも経営できた今は私の住んでいる町には書店はないし書店は消えてゆく
それは本の数が極端に少ない、アマゾンからしたら百万分の一くらしか置いてないとまでなっている、それだけ本の数が多かったのである 


そういうふうに知的な面でも情報の面でも格差が大きかったのである
今なら教育でも無料でyoutubeとかで学べるのである
youtubeの説明の方が学校の先生より優秀だしAIの方が優秀な面がある
そういうことで地方でも教育格差がなくなりつつある
物流でも宅配があるからアマゾンでもボタン一つで何でも手に入る時代である
そうしたら別に仙台でも東京まで行く必要がないともなる
確かに手にとって商品をみるということと通信で買うだけなのは問題が起きる
でも前からすると田舎と都会の東京の差がなくなっている

ただ東京に若者が集まるのは仕事があるからであり田舎で地方では仕事がないことが致命的になっているのだ
だから地方で仕事を作る必要がある
そういうときコロナウィルスの影響で東京封鎖など起きてこれなら田舎の実家に帰るのが安全だとかなり田舎で地方で暮らすことを志向するようになる
それは悪いことではないのである
そこで見直されるのは農業になる、つまりグロ−バル経済で食料でも輸入していたから日本産が高いから売れないとなっていたからである
もし外国産が入らなければ高くはなっても日本産を買わざるを得ないのである
すると地方の経済は活性化するようになる

そういう社会の変化をうながしているのがコロナウィルスだということで不思議になる
それは世界全体でそうなのである、グロ−バル経済の矛盾が大きくなっていたからであるもう限界になっていたからである、そこでコロナウィルスがその歯止となり世界を社会を変えるとまでなるとすると不思議だとなる
コロナウィルスは悪いことだけではない、異常化した世界を社会を元の正規の状態に戻すものだとまでなる
それが理論上ではなく現実にそうなるようなことが起きていることである
それだけの力をとても人間がいくらしようとしてもアメリカでも世界となるとできないからだ、それでコロナウィルスとは何なのか?
天が地球を正常の状態に戻すために送り出したのかとまでなる

天変地異というのは何なのか?それは津波でもそうだったが何か天の作用が自然の作用でありそれに逆らえない、それはむごすぎるということがあった
多くの死者が犠牲者が出た、だからその時天まで憎んだ人がいた心境は理解できる
愛する家族を奪われたからである
常に歴史上天変地異はあった、それは自然の作用である

それによって社会も世界も変わるということがあった
これまでの政治が転覆する、易姓革命として中国ではとらえていた
それで腐敗した政権が交代できて新しい時代が生まれた
絶対的権力は絶対に腐敗するというとき権力を長く維持しすぎると必ず腐敗する
中国では賄賂が横行して腐敗するのが常だったからである
それで度々ウィルスが蔓延して腐敗した政権が交代して刷新されたとなる
つまり天変地異とウィルスが社会を世界を変える役割があった
そんな大きな力をもう人間社会だけではできないからである
何かコロナウィルスにはそういうものを感じるから不思議なのである



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コロナウィルスは東北では仙台が一番危険 (仙台で感染して秋田で確認)

       
コロナウィルスは東北では仙台が一番危険

(仙台で感染して秋田で確認)

秋田県由利本荘市に住む外国籍の男女2人が、新型コロナウイルスに感染していることが確認されました。2人は仲間とともに今月、仙台市に滞在していたということで、県は詳しい行動などを調べています。

秋田県によりますと、感染が確認されたのは由利本荘市に住むいずれも外国籍の20代の女性と30代の男性の2人です。

仙台は半分くらい感染済だよ
年明け頃から電車のなかはげふげふ
咳してるやつが大勢いた

このウィルスはとにかく交通と深く関係している
人の行き来があるところと比例して伝染が広がる
それで前から仙台が危険だなと見ていた、そして仙台でまず感染者が報告されたのもわかる
東北では仙台は交通の要であり東京であれ人が遠くから集中する場所なのである

それでコレラの伝染では日本海から阿賀野川の交通がありまた内陸部だと白河からの街道などがあり会津若松が交通の要となっていたからそこから逆に田島の方に伝染した
交通の盛んな所から確実に伝染が広がるのである

私の知っている人二人も目の手術のために仙台に行った、その人と接したから不安になった、福島県の浜通りは仙台と交通でも密接な関係がある
だから仙台からコロナウィルスが東北全体にも広がってゆくのが不安なのである
常磐線でも全線開通した、スーパーヒタチも走るようになって復興したと感じた
でも東京と直接通じるとなるとそこに人の行き来が生れて危険になる
これも困ったとなる、電車の中は密閉しているから伝染しやすいのである

それで感染者のいない鳥取と島根が人気になっているというのもわかる
そういうかえって辺鄙な場所、隔絶された場所がウィルスから守られるのである
例えば福島県だと桧枝岐(ひのえまた)がそうである
そこは本当に平家落人の里として有名であり交通がない場所だった
そんな奥地でも昔は自給自足していたのだ
そこでは米が食べられないから蕎麦が主食となる、ヤモリの燻製とかも食べていた
だからそんな辺鄙な場所で良く生きられたと思う
そういう秘境が昔は相当数あった、交流がない場所が多かったのである
今になるとそこは尾瀬の観光の玄関口になっているからまるで違ったものになった

いづれにしろ東北は仙台から拡散してゆくことは間違えない、その仙台に近いし交通が頻繁だからこの辺も怖いとなる
すでに仙台は相当数感染しているともされる、そして増えると都市封鎖になるのか?
何かウィルスは交通遮断する他が手がないのである
コレラは江戸時代でも広まった、コロリと言われた、だから江戸時代なら交通が今とは比べようがない、今の交通なら百倍以上もの人が鉄道でも車でも行き来している
するとたちまち伝染するのである、それは飛行機でも外国から入ってくる
だから防ぎようがないのである

仙台には行かないことである、私自身は去年も一回しか行っていない、私はもともとひきこもりだから引きこもりは得意なのである
今は通信が発達しているから情報でも不便は感じないのである
世界全体が引きこもり化しているのも不思議である、グロ−バル化社会は人の行き来が過剰にありすぎた、だからこうして時代が変わるのかとも思う
インパウンドでも過剰であり観光公害が生まれたからコロナウィルスがすべて悪い方に作用するともならない、何か現代社会自体見直して未来社会の在り方も問うとなる
まず超過密都市はもう生物として生きる環境ではない、そもの改革もうながされる
時代が変わることをうながすともなるから不思議になる

そこで農業社会だと先を考えて生活していた、今は工業社会であり長い時間で先を考えられない、今という時間しか眼中になるなる、株が上がった下がったとか今だけにエネルギーが集中される、でも農業とか林業とかなると先が長い、すぐに作物は実らないからだ
木にしても50年とか成長するにかかる、するとその時間感覚が違うから人の心に影響する、一代ではとても維持できないからである
すると未来の世代のことを自ずと考慮するようになる、今の時代は今さえ良ければいいとか刹那的になる、未来を見据えることができないのである
そして時間もそうなら金がすべてになったとき金になればいいとしかない
そこでこの辺では原発事故で自治体に一挙に人がいなくなりゴーストタウンになった驚きがある

それは田舎でもすでに農業社会ではない、それは持続型の農村社会ではなくなっていた
だからその土地に執着することもないから簡単に分解して故郷でも捨てたとなったのかとも見た、放射線の被害もあるがそんな簡単に町村でもゴーストタウンになって崩壊することが信じられなかったのである
そして今東京が封鎖されるとか世界でも大都市でも封鎖される
そして一時的にゴーストタウンのようにもなっている不思議がある
いづれにしろこのコロナウィルスの不思議は世界的にでも人間の在り方を問うものとなっている、社会を世界を変えるということがありそれに驚くのである
世界まで変えることは人間の力では不可能だからである

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)

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2020年03月28日

呪われている東京とオリンピック? (コロナウィルスと福島原発事故の関連性)


呪われている東京とオリンピック?

(コロナウィルスと福島原発事故の関連性)

このコロナウィルスは何なのか本当に不思議である、それが世界でも日本でも作用した結果が不思議なのである
いろいろいうけどこれもカルマ論があてはるのかともみる

福島原発事故ではこの辺はさんざんな目にあった、故郷も住めなくなり荒廃した
その原因が東電が東京は危険だからは福島に原発を作ったことである
そのことからして大きな身勝手があった、そして強固な「安全神話」を作り有無を言わせなかった
でも原発事故では東京自体は大きな損害は出さなかった
福島ではこの辺ではずたずたにされたのである
それで東京は関係ないとしていて今度はオリッピックを招致して復興五輪など馬鹿げたことを福島におしつける
この辺は復興などしていない、原発周辺はまだゴーストタウンになっている

だからこれも腹正しかったのである、でも地元のマスコミはテレビでは五輪の聖火リレーが
福島の復興のシンボルになるとか言っているのである
それにマスコミは批判もしない、地元の報道関係もしないのである
正直地元でも何か本当に地元を思っている人たちがいないのである
ただ金になればいいというだけである、それは事故前もそうだったし事故後も補償金をどれだけ多く長くもらえばいいしか関心がないのである
愛郷心などもないのである、金しか関心がないのである
だからこそ原発でも何でも金になるものならいいとして住めなくなったということがあるだから必ずしも東京か全部悪いとはならない

でも東京は呪われているというときオリッピックも呪われているというときそれはカルマなのかとも思う
つまり福島原発事故の呪いが東京にコロナウィルスを通してふりかかる、オリッピックにもそうである、オリッピックは最初からもめていた、だからコロナウィルスの前からいろいろうまくいかないものがあった、それがコロナウィルスで頓挫したとなる

東京が封鎖がありえるというとき東京もゴーストタウンになるのか?

武漢のようになるのか?

それは福島の町村がゴーストタウンになった⇒東京もゴーストタウンに⇒世界の都市がゴーストタウンにとかなる
つまり福島原発がカルマとなり世界に波及しているのかともなる

東京遷都が再びもちだされるのもそうである、一時は福島もその候補にあがっていたのである、東京はそもそも超過密都市であり限界がきていたからである
世界でも一千万とかの大都市は過密都市はコロナウィルスとかに弱い、それは本来生物が住む限度をはるかに越えている非人間的な環境である
そして生物は人間でももともと生態系をベースにして生きるようにできている
日本がでも江戸時代ならそうして地方中心の経済でなりたっていた
世界的にみても日本は日本の風土の中で長い時間をかけて風土に適応した生活をしてきたそれで体まで穀物中心の食料であり腸が長くなったとかある
また白人などは狩猟民とか遊牧民であり肉中心の食だから肉を消化する酵素が出るというのもそうである
そういう生態系をベースにして人間の生活は作られてきた

ウィルスというのももともと風土病だったのである、その土地土地から生まれていた病気である、でも世界的に人間が交流した結果として世界中に広がった
もしその土地土地に風土に適応して生活していれば交流がなければ広がらなかったのである、コレラがインド産とか何かその土地土地から生まれている、今回のコロナウィルスは中国産で武漢ウィルスとかなる
つまりコロナウィルスでもそうだがそれぞれの風土から生まれた病気であり交流しなければその土地から拡散はしなかったのである
だからそれぞれの生態系に準じて生活していれば世界には広まらなかったのである

いづれにしろコロナウィルスが提起した問題はいろいろある

●超過密大都市と地方のアンバランス

●過度なグロ−バル経済化

●高齢化社会

東京のような過密都市はウィルスに弱かった、それは超過密都市になっているからだ
たちまち蔓延してパニックになり東京封鎖になりそれがゴーストタウン化する恐怖になるそれも福島原発の呪いなのか?またカルマなのかとまでなる
何かカルマというのは必ず人間個々人にもあり社会全体にもある
福島の復興とオリンピックなど何の関係もないからである
それはコロナウィルスでとめられたというのはやはりカルマだったのかとなる

それは東京中心の思考である

原発も東京中心の思考で東京では危険だとして福島に作ったからである
だからこそ今コロナウィルスで呪われているのか、カルマが東京に回ってきているのかとまでなる
現実に東京遷都が再び言われているからだ、何か古代でも飛鳥とか藤原京とか平城京とか遷都を日本ではくりかえしてきた、小さなくに京とかでもそうである
その原因は必ずその土地が汚れるとかありそれは公害ではないにしろ人心が腐敗する
それでその腐敗を一掃するために別な土地に遷都したのである
何か縁起をかついだということもある
そういうことができたのは古代には遷都すべき土地がまだありその規模でも小さいからできたのである
東京とかなるともう遷都するとなるとその規模が大きすぎて簡単にできなくなったのである

5年で遷都4回、聖武天皇、唐まねる?聖武天皇の遷都図
 「続日本記」によると、聖武天皇は740年に平城京を離れ、恭仁宮の建設をはじめる。
 742年には紫香楽宮の造営も始めたので、国家財政を圧迫し、743年末に恭仁宮建設を止めた。翌年、焼失後に再建中だった難波宮を都と宣言。ところが、天皇はその直前に紫香楽宮へ移っており、745年正月、紫香楽宮が都となった。だが、山火事や地震が相次ぎ、4ヶ月後には平城京へ戻った。



そもそも巨大な文明都市は何か生態系と分離してそれ自体が自壊するようになる
不自然なものでありとてもありえないように巨大化している
そこからしてもう持続できないようになっている
だからそれは世界の文明都市にも言えることである

他に高齢化社会というのがコロナウィルスにより衝撃を受けた、老人がコロナウィルスに弱い、実際死んでいるのは高齢者なのである
若い世代はほとんど影響がない、老人キラーウィルスなのである
それは人類に高齢者が増えすぎたからだとなる、そこで自然の淘汰が起きたのかとなる
つまり高齢化社会は不自然であり人類にとって好ましくなとなり淘汰が起きたのかとなるただ長寿そのものは個々人を見れば悪いものではない
ただ全体的にみたときあまりにも老人が増えすぎたのである
それが人類という種の維持にとって好ましくないから減らす、それがコロナウィルスとして作用したのかとまでなる
だからこのコロナウィルスは本当に不思議なのである








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2020年03月27日

コロナウィルスの情報公開しない怖さ (原発や津波で警戒しなくなっていた)


コロナウィルスの情報公開しない怖さ

(原発や津波で警戒しなくなっていた)

コロナウィルスでもなぜ日本が感染者が少ないのか?
それは検査しないかだとか重大なことを隠蔽しているとか言われる
この隠すこと情報を公開しないことが怖いことに通じていた

原発事故では「安全神話」が強固に作られていたから隠蔽は完璧だった
第一何かを知らせるマスコミ自体が巨大な原発マネーの利権を得るものだったから
原発はブラックボックスになっていた
そして情報を公開しないということは必ず国民に被害が及ぶ

東電では科学者が10数メートルの津波が来るということを科学的に割り出していた

それで東電に警告していたのである

このことは地元にマスコミにもその報道がゆきわたらない
何か報道でも注目させないと関心をもたない

10数メートルの津波が来る!

これを大々的に報道していたら驚いたろう
それより10数メートルの津波とはどういうものか?
それを知ることも知らせることも大事だった

現実に南相馬市の鹿島区の海老浜では海に面した高台が避難所として指定されていた
そこでそこに避難して30名くらい死んだ
崖があり高いから津浪が来ないと思ったのである

それよりそこは市で指定された避難所だった!

南相馬市の方でも行政でもなぜそこを避難所としたのか?

もし南相馬市の行政で東電が報告した10数メートルの津波が来るということがわかっていたらそこを避難所にするだろうか?

ただ津波自体がこの辺では来ないものとして関心もなかった
海老村などは10メートルくらい歩いても走ってでも逃げれば津波の来ない所に避難できたのである
だからわざわざ一番危険な避難所に指定された場所に逃げて死んだのである

それはなぜなのか?

情報が公開されない、隠蔽される

まず十数メートルの津波が来るとしたら行政の方でそうした試算をした科学者に聞けば良かった

ここを津波の避難所に指定するのですが安全でしょうか?

ここは危ないです、十数メートルとなれば危ないです

他の場所にしたらいいでしょう

こんなふうになった、そしたらいくらでも周りに避難する場所があった
そこは10メートルくらいの距離でもある
それはその高台から森に逃げた人が助かったからである

これも正しい情報が公開されず市の行政でも科学者に聞くこともなく決めたからだともなる、つまり専門家の科学者に聞いていなかったからだともなる

コロナウィルスでもそうである、これは未知なものだから対処がむずかしいことはわかるでもまず日本では検査数が圧倒的に外国と比べて少ないのである
そこからして正しい情報を知ることができない、それで数字を見るとたいしたことがないと判断する
どう判断していいのかわからないのである
あまりに警戒しすぎるのも良くない、普通に生活していた方がいいのだということもわかる
でもそれは正しい情報が公開されて判断できる
外国では検査しているから数が多い、それで被害の実態を把握できる
日本では情報公開されていないから判断しようがないのである

緊急事態で政府で東京都を封鎖する

それをするとしても情報を公開されないと急にされると困惑してしまうのである
日本は外国と比べて検査の数が圧倒的に少ない、だから安心できない
ドイツではあれだけ感染して死者数が少ない
だから日本でも感染者が増えても死者数はそれほど増えないかもしれない
でも情報を公開しないということが後で大被害になる
それは原発事故でこの辺では経験してきたのである
                                              
政府の問題は不都合な情報を出さない、不利になる情報を出さない、国民では知ることができない、結果的に国民が被害を受けて責任をとらされた

人間は知らなければ判断できない

もし正しい情報が公開されて検討されていれば政府の責任でもない、その責任は国民にもある、でも正しい情報が公開されなければその責任は政府にある
原発の場合は地元住民にも知らされない、国民に知らされない
それはアメリカとかの圧力とか権力によって知らされない
そもそも原発自体が危険なものであり隠そうとする、常に隠そうとするからまた隠さなければできないから最後は大惨事の事故となった

この情報を知る、知らされるということが報道の役目である

でもマスコミには莫大な広告費が電事連とかから流れていた、それで原発に不利な情報は知らされなかったのである
今回のコロナウィルスでもそういうことがある

政府では検査させない⇒実態がわからない⇒国民は判断できない

民主主義は確かに情報が公開されるて全員で検討して決めるとういうことがある
しかしそれがない、それは中国の共産党政権と同じなのである
科学者は正確な情報が数字が出ないので判断できないとしているからだ
中国の方が一応数字は出していると評価しているからだ
なぜなら日本の感染者数はすでに百倍にもなっているということを言う人がいるからだ
それは検査した数は少なすぎるからである

なぜ検査しないのか?

それはいろいろいなことをいうが医師会の圧力だという人はマスコミではいない
なぜなら医師会と薬剤関係は相当な権力があり宣伝費ももらっているからできないのである、そうして何か国民は正確な情報を知って判断できない
それが感染が拡散して遂にはもうイタリアのように医療崩壊が起きて手遅れだとなる

何でも理解することはむずかしい、でもまず情報が公開されて国民が検討しなければ判断もできないのである
ただ緊急の時は即断しないとまにあわないのである
あれやこれやと言っているうちに津波にのみこまれたり原発事故で手がつけられなくなったりコロナウィルスで感染者が増えて医療崩壊が起きて手が付けられなくなる
ただコロナウィルスの場合は急に未知なものとして世界中に広がった
だから事前の情報はない、原発にはすでにあったが情報は公開されなかった
そのことで大惨事になりとりかえしがつかなくなったのである  

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平成の大合併で自治体の耐災力が脆弱に

posted by 老鶯 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

津浪で流された右田のキャンプ場の松林の写真


津浪で流された右田のキャンプ場の松林の写真


松林夕日のさして冬の草ここに長くも松のありしも

matubaramigita1122.jpg


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これも季節がわからないのだ
でも蔵が二つあり松が一本あり記録されていた
ここを通っていつも右田の松原に行っていたからだ

白壁に松影写す冬の家

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十数年前の私のホームページを見ていたらこの写真がでてきた
そこは右田の松原の河口にある松林だった
そこはキャンプ場になっていて河口がありいい場所だった
それはすべてなくなった、川は残っているけどその他はすべてなくなった

するとこの写真は貴重だと思った、他にも貴重な写真が残っていた
なぜ貴重なのかというときもう右田の松原は見れなくなったからである
だからもっと写真が他の人でもとっていれば貴重になる
ただその時やっとデジタルカメラが出て来た時でありそんなに写真をとっていないだろう普通のカメラだと現像とかあり写真が気軽にとれなかったからだ

何か冬の草として俳句も残していた
それを短歌に変えた
俳句も季語がありその時々の記録なのである
もし写真だけみてもこれが冬だということがわからないことがあるからだ
だから本当は記録がふりかえるとつくづく大事だったなと思う
旅に行っても何十年も過ぎる忘れるから思い出せなくなるからだ
写真をみると思い出すからである

現代はとにかく写真で記録する時代である
ただ写真だけでもたりない、やはり文字でも記録しておくと後から回想できる
この辺は余りにも変わりすぎたのである
その変化が信じられないものだった
でもこうしてその時々のことを書いていると記録しているとそれが後で役にたつことがある
それは私が死んでもこうしてプログでもホームページでも記録として残ると当時のことがわかるということがある
ただ写真だけからはわかりにくいことがある

でも明治維新の西郷とか名だたる人が写した写真は貴重である
それはイメージとは全然違っている、西郷隆盛でもいかつい怖い顔である
鬼気迫る顔をみんなしていた
だからみんなその時命がけで生きていたからあのような顔になった
だから過去はイメージしてしいるものと違うのである

ともかく津波から原発事故から9年過ぎた、そうなるとだんだん忘れられてゆく
まず右田の松原を全く知らない人がすでに子供でも多数になる
だからこんな松原あったのかとイメージしようもなくなったのである
松を植えても成長したとしても前の松原とは全く違ったものになるからである

このインタ−ネット通信の怖いのは一瞬にして記録でも消えることである
そういうことを経験しているから怖い、だからバックアップが必要なのだがこれもめんどうなのである
でもさくらのレンタルサーバーでは一回だけプログが消えたがあとはない
他でぱ消えたと報告されている、さくらのレンタルサーバーではバックアップしていたから回復した
つまりバックアップがインタ−ネット利用するには不可欠なのである
ここが不備だと本当に危険になる
さくらのサーバーは北海道に記録する建物がありそれで安全なのかと思う
とにかく記録が残っていたのでそれをプログに今回出した
posted by 老鶯 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

2020年03月26日

梅散る-春の森(常磐高速鹿島のSAの裏の森を行く)


梅散る-春の森(常磐高速鹿島のSAの裏の森を行く)

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炭焼き小屋

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今しばし梅の匂いや我がよりぬ明日はありとも知らぬ身なれば 

この森に若木育ちぬ真直かなさえづりの声ひびきわたりぬ

蔦からみ倒木さえぐ森の道一つの命ここに埋もれぬ   


常磐高速のSAの裏の森を行った、自転車で行ける道だった
若木が育ってていた、何の木なのか?
杉ではない、でも真っすぐに伸びていたので気持ちがいい

そして倒木が道をさえぎる、去年の台風の被害は意外と大きかった
だから森でも川でも今でも荒れているのだ
この倒木はいかにも森の中の大きな死を感じる
森の中の多くの木としてあったときは感じない
でもこうして森の中に倒れているとその存在を感じる
その木に蔦がからまり倒れていた
それは人間をイメージする、木にからまる蔦は人なのである

こうして木が倒れてもこの木は森に還る、森の栄養となり循環する
落葉もそうである、ただこの辺では放射性物質も循環して消えないから問題だったのである
小山田の森は結構深いのである、日本は田舎だったら近くに深い森がある
でもそれが利用されていない、炭焼き小屋があったから昔はここで炭焼きしていたのである、ここにはそれだけ豊富な木があったからである

梅は匂い散った、隣の女性が死んだのには驚いた、常に死に接すると人は簡単に死ぬものだと思う、そこにいたのだけどいなくなっている
そうして永遠にいなくなっているのだ、逢うことも永遠にないというのが不思議なのである
だんだん本当に60以上になると確実に死に向かっている
何か死刑台に向かっている感覚になるのだ
この気持ちは若い時は40くらいでも結構生きると思っているから感じないのである
50過ぎるともう人生も晩秋を迎えたと感じる
そして私の場合は50から世界旅行していたのである
今になると遠くに行きたくない、人ごみに行きたくない疲れるのである
だからじっとして閉じこもっているのがいいとなる
それはコロナウィルスで外に出るなというとき自分には苦痛にならないのである




abstract painting-hidden swamp abstract painting-hidden swamp


abstract painting-hidden swamp-swamp spirit(poem)

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人の知らない神秘の沼で
魚がひっそりと話している
何を話しているのだろう
苔がはえそこにまだ見ぬ花が咲く

In a mysterious swamp unknown to people
Fish talking quietly in secret
What are you talking about
The moss grows and there are flowers I haven't seen yet


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沼の精霊

私はひそかな森の奥の沼に沈む
石のように沈み姿を隠しぬ
そこで音もたてない
私を見る者は誰もいない
私は沼の精霊のように沼に沈む
誰か歩むや落葉を踏む音
それは獣かもしれぬ
そこに人はめったに入ることはない
鴨の群れが争うことなく
辺りと調和して乱れない
調和は完璧であり
そこに一つの無駄もなく
創り主はそこにももう何も加えない
そこに悪い思念は生れない
鴨は静かに波紋を広げる
そこはかとなく水を乱すものではない
夕暮れ墨絵のように森の影を写す
幽かに繊い月がでて水面に映る
人の世に平安の場はない
安住の場はどこにもない
そこは聖域であり隠された場
私はその古い沼に身を隠す
私を知る者は神のみかもしれぬ     

Swamp Spirit

I sink into a swamp behind a secret forest
I don't hide the sinking like a stone
There is no sound
No one sees me
I sink into the swamp like a swamp spirit
The sound of someone walking or stepping on fallen leaves
It may be a beast
People rarely enter there
The duck herd does not fight
Not disturbed in harmony with the area
Harmony is perfect
Without any waste there
The creator adds nothing to it
No bad thoughts can be born there
Duck spreads ripples quietly
There is nothing that disturbs the water
Taking the shadow of the forest like sumi-e at sunset
A faintly delicate moon appears on the surface of the water
There is no place for peace in the human world
There is no place for safe living
It is a sanctuary and a hidden place
I hide in that old swamp
Only God may know me

グーグルの翻訳には感心する、詩まで訳せる、これは人間より優秀なのである
日本人が一番苦手なのは英作文だからである
それが基本的に八割くらい正確なのである
ただ詩となると韻を踏んだりと高度になるからできないにしても基本的なことは訳せているのだ


タグ:fish SWAMP

2020年03月25日

英観光地、ゴーストタウンに イタリアに次ぐ医療崩壊の危機 (リンク-クリック) (原発事故でもゴーストタウンになったー放射線被害とにてるコロナウィルス)



(原発事故でもゴーストタウンになったー放射線被害とにてるコロナウィルス)

koikecolona2.jpg
このコロナウィルス騒動は原発事故の放射線被害と共通性がある
ただこれが広範囲で世界中の問題になっていることである
だから津波被害でも原発事故でも東北という局所で起きたことである
すると全国対応ではなく局所対応になった
それでなんとか全国的には東京とかまで波及しなかった

放射線の被害の度合いが危険の度合いが専門家でもわからなかった

コロナウィルスでもその危険は専門家でも明確ではない

すると住民でも判断できない


住民はただ右往左往するだけである、それで浪江では山の方が安全だと思い津島に逃げたそこは街から相当に遠い奥だったのである
でも東電の社員がいて海の方へ街の方へ逃げる方が安全だとして住民は従って街の方ふ逃げた、この時明らかに東電の社員は専門家であり知っていたから指示できたのである
その専門家の指示に従い安全な方に逃げたのである

今回も危険を言う人がいるしそれほどでもないとか明確に言わない
今回は武田邦彦氏はこれはインフレインザと同じだから普通に生活している方がいいとしている
それは日銭で商売している人のことを恵まれた月給取りは知らないから仕事をしないで引きこもっているのがいいのだと言える
でもそうしたらもう生活ができない、飲食店などは日々の稼ぎでなんとか経営しているからだと同情している
つまり不思議なのは今回はコロナウィルスはたいしたことがない
騒ぎすぎる、それよりたいして被害ものないのにかえって自粛して仕事を停止させる被害の方が大きいとしている

だからこれもわかりにくい、なぜなら武田邦彦氏は一ミリシーベルトの放射線量を越えてはならないとしつこく主張していたからである
この一ミリシーベルトは相当に厳しいものでありそうなると原発事故周辺の広範囲に住めなくなる、30キロはなれてもそうである
でも今回は逆である、コロナウィルスはインフレインザと比べても危険ではないから普通に生活していた方がいいとしている

原発事故の経験からすると自治体をゴーストタウンにした方が被害を拡大した

避難させた結果として自治体は崩壊して元に戻らなくなった
ただ避難させたから国でその分は補償された、でも30キロから離れた住民はほとんど補償されなかった、南相馬市でも鹿島区は少なかった、30キロ内は三倍の補償があった
でも手厚く補償されたのは30キロ内でありその中でも住民が避難した地区は補償が手厚かった
でも結果的には自治体は元にもどらなくなった、若い世代は別な土地に移りそこで生活するようになったからである
それで帰ってきたのは老人がほとんどである、つまり若い世代がいないから自治体を維持できなくなったのである
その大きな要因に放射線というのが若い人に特に子供に母親だったら遺伝子に放射線被害があり奇形児が生まれるとか言われると相当に恐れたからである
今回は逆に老人がコロナウィルスで死に若い世代とか子供はそうはならないから逆になっている

ともかく専門家でも科学者でもその言うことにこういう時は注目する、でも危険を言う人とそうでない人がいて素人は判断しにくくなる
それで混乱する、そうして今度は政府のいうまました結果自治体は崩壊してゴーストタウンになって回復しなくなったのである

ただ原子力は核の技術は危険なものでけあることが前々から科学者は知っていた
でもそれを隠して政治の力で原発は福島に作られたのである
だから科学者とか専門家は原発の危険性を知っていても政治の力で歪められたとなる

コロナウィルスの場合は突然生まれて未知なものとして世界中をパニックにさせた
これも放射線とにているがコロナウィルスは科学者も専門家も不明なものとして対処を迫られたことが違っている
だから的確な指示を出せないのである

でも原発事故の場合は科学者でも専門家でも的確な指示を出せた!

なぜなら放射性物質の影響は風に影響されることを専門家は知っていたからだ
でも実際は最初に報告したのはアメリカであり日本の政府ではなかったのである
だからこの責任は政府とか東電にあった
事故が起きたことは想定しない、する必要がなかったからだ
強固な「安全神話」作っていたから事故があったことの場合を想定しない、だから事故が起きた場合の訓練も対策もしなかったからだ
そもそも「安全神話」作ったのは危険だというと作れないからである
でも安全神話を言うなら東京に作るのが筋だったのである
それだけ安全を言うならコスト面でも東京が最適だったからである

いづれにしろもしかしたら今回のコロナウィルスはやはりカルマが関係しているのかもしれない、東京都知事が東京都民に自粛を要請するとか重大な危険の局面にあると訴えたのもそうである
それで世界でも外出禁止令のような厳しい対策がとられている
〈東京封鎖)もささやかれる、そういう重大な局面にオーバーシュートになる危険を言われる
それが外国でもゴーストタウンになる、それはこの辺で避難区域が一時的にではない
ゴーストタウンとなり回復しなくなったと同じである
これもカルマが関係しているという時、原発事故でもこの辺がゴーストタウンになったことが放送されたからである
東京がゴーストタウンになる危機だともなるからだ

だから原発事故では放射線被害のために自治体を崩壊させるより
その被害はわからないのだから自治体を維持すること崩壊させないことを第一とする
そういう選択もありえたのである

だから今回も経済活動を停止するとそのために生活すらできなくなり店でも会社でも倒産することの方が被害が拡大する、それはコロナウィルスの感染より甚大な影響が出る
それは原発事故で証明されているのである

コロナウィルスを恐れ過ぎて委縮して生活自体が崩壊してゴーストタウンになる

放射線を恐れ過ぎて自治体が崩壊してゴーストタウンになった                

私自身は放射線を恐れ過ぎた結果として自治体も崩壊したのだからこっちの方が被害が大きかったから経済生活を停止すること委縮する方が危険だとなる
ただ二週間くらいはやはり様子をみて警戒して自粛する、外出でも禁止するとなる
その間の生活は収入は政府が東京都が補償する
つまり経済活動を止めるとしてもそれだけの補償が必要になる
そうしないと自殺者が出たりかえってもう生活できなくなりパニックになり食料の奪い合いとかなるとかなるとその方がかえって怖いのである
原発事故は局所的だったから全体でカバーできた、今回は世界中になっているからカバーできないのである





posted by 老鶯 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

9年ぶり常磐線全線開通 (スーパーヒタチも走る)


9年ぶり常磐線全線開通

(スーパーヒタチも走る)

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これは仙台行きである



走り来るスーパーヒタチ芽吹きかな

9年ぶりスーパーヒタチに春日さし命の通う鉄路なるかな

9年ぶりにスーパーヒタチが走る、車体も格好いい、全面がいい、前のとは違っている
このスーパーヒタチには良く乗った
それにしても長かった、一時はスーパーヒタチは走らなくなると言った
それでてっきり走らなくなるのかと思った

でもこうして走っているのを見ていると気持ちがいい
何か鉄道には思い出あり鉄道が好きなのである
だから駅で案内したりしたのは鉄道が好きだったからである
だから無人駅になって案内した経験は貴重だった
あんなことができたのは無人駅になったからできたのである
何か仕事でもみんな簡単にできない、させてくれないのである
だからいろいろ仕事があって経験してみたいことがあってもできない
やはり仕事も与えられるものであり勝手にできないということがある

いづれにしろ本当にスーパーヒタチが走り命が通う線路となったと感じた
何か大げさにも思えるが鉄道はそれだけ歴史が長いからそうなっているのだ
実際に鉄道は明治から百数十年も人を乗せてきたからである
それが車とは違ったものなのである
鉄道を通じて人生の別れとか出会いを演出してきたからである
人間の情が鉄道にはしみこんでいるとまでなる

これで東京に行きたいとなるが今は行けない
ただすでに東京にも十数年行っていないのである
高速バスで行こうとしたがこれも疲れる、何か人ごみに行くのも疲れる
それで仙台に去年は一回行ったくらいであり今年も行っていない
コロナウィルス騒動もあり行きにくいとなる
このスーパーヒタチには乗る、いわき市辺りまで花見に行くとかなる
でもコロナウィルスというのが嫌なのである
東京から来る人がいるし電車の中は密閉しているから喚起が悪い

とにかく常磐線が全線開通したことは祝すべきでことである
これこそ復興である、五輪の聖火リレーなど何の復興にもならないものだったのである
だから中止してもいい、復興の効果など何もないからである

2020年03月24日

電子本と紙の本を読む相違 (人間が記憶する仕組みはどうなっているのか?)


 電子本と紙の本を読む相違

(人間が記憶する仕組みはどうなっているのか?)


このことを書いている本があった、「デジタルで読む  紙の本で読む脳 」という本である、これは高いから読んでいない、私は結構アマゾンで電子本を読んでいる
スマホとかだと画面が狭いから読みにくい、目も疲れるからアマゾンのキンドルを買ったが利用しなくなった、スマホも字が小さいから疲れるから使っていない
でもパソコン画面上で読む電子本は読みやすい、目も疲れない
そしてアンダーラインを簡単につけられるのでいい、電子本だとネットのすぐれた点は検索機能である、これは本にないから大きな利点である

でも本を読むのと電子本を読むのとは何か違っている
その相違が明確ではなかった、どこが違うのか明確に指摘できないのである
確かにこの本を読んだらわかるところがあるに違えない
人間の不思議として記憶するということなのである

人間はどうして記憶するのだろうか?

そのメカニズムがわかりにくい、だから電子本で読むのと紙の本で読む相違がここにでるということでこの本が書かれた
私自身は知識は本から読んで蓄積してきた、ただどういうわけかワープロでパソコン通信時代から文字だけのやりとりをしてきた経験がある
それは私が悪筆であり字がへただから何とか読みやすい字にしようとしてワープロになった、それで偶然オワシスの親指シフトが打鍵しやすいとなり継続できるようになった

なぜならこれがないとまずパソコンでもやはりテキストが主役でありローマ字で日本語に転換するのはかなり時間的に遅れるからスムーズに利用できない、それで継続できないということがあった
なにしろ文章はスムーズに考えると同時に活字にしないと嫌になるからだ
私自身がこれだけパソコンで文章が書けるのはオワシスの親指シフトを使っているからだこれは別にソフトでも「やまぶき」が無料で使える
またオワシスキーボードも3000円くらいで買える
だからこれに慣れれば文章にするのが楽になる

ともかく電子本と紙の本の相違は何なのか、これはかなり人間にとって奥深い問題であるどこが違うのか、それは人間の記憶のメカニズムと深く関係しているからだ
まず紙の本を読むというとき本という一冊で一つの著者の世界を作る
その本は一ページ一ページをめくって読むこともあるが一冊を通読することもある
また途中からも読むこともある、いろいろな読み方がある
私は一冊の本を通読して要点をつかむ、それでもう一時間くらいで内容に通達する

そういうふうにできるようになったのは理解力が深まったからである
紙の本と電子本の根本的相違は一ページ一ページめくって読むのが電子本であり何か飛ばして読みにくいのである、デジタルの世界はそうして一ページ一ページ順序良く読んでゆくことにある
でも紙の本の世界は初めから最後を読んだり途中を読んだりして一冊を連環して読むことにあると思った
一冊の本はデジタル的にではなく連関したものとして記憶するのである

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何か電子本でも紙の本でも内容は変わらないから同じだとなる
でも人間の脳はデジタル的なものがあるがまた何かそうした順序に逆らい通暁するとか通読するとか全体を読むとかある
人間は記憶する時、一部分を記憶するのではない、辺りの全体を記憶するのが人間の脳である、一本の木だけではない、それが丘の上にあったとか森の中にあったとか川の側にあったとかそこに付随するものと同時に記憶されるのである
つまり人間が記憶する時、一つの部品として見ていない、全体の中の一つとして記憶するだから木だけを抽出して記憶しないのである
そこにコンピュターのデジタル思考と違ったものがある
コンピュターは部分の積み重ねとして見る、でも人間はまず全体を見て把握して部分をみる、それが紙の本を読むときもほんの全体を読む、そして部分を読むのである

だから本を読むときあらかじめその内容に自らの知が親しくなっているとき、共感ししているとき理解しやすいのである
この人の書いていることはおよそ理解している、部分的には理解しなくても全体は総体的には理解している、その時また記憶しやすいのである

とにかく人間は老人になれば記憶することが人生だとなる、記憶されたことが人生だとまでなる、それで認知症は今話していたことも忘れる、でも若い時代のことは忘れないので何度も話する、それで戦争のことを千回を聞かされてうんざりしたのである
でもそれがその人の人生だったからあきることなく語ったのである
そのことが一番記憶に残っていた、後は忘れてしまったとなるからだ

電子本でもインタ−ネットでも読むとき何か記憶に残りにくい、それはなぜなのか?
それはやはり電子本を読むのと紙の本を読む違いとなる
でもインタ−ネットでも記事のニュース解説でも私は引用して評論している
そういうことがまたしやすい、ただ記事でも読むだけではない自分なりの見解を述べる
そういうことがネットの利点である
そうすると思考が深められるのである、だから紙の本がみんなだめになったともいえないまた電子本を読んでもだめだともならない、両方の利点を活かすことが必要になる

ただ知的な仕事するにはまず私設図書館のようなもの必要でありそれだけ広い家に住むと頭も働きやすいのである、なぜなら不思議なのは今は下の部屋で仕事しているが二階も広いしそこでまた本を読んだりすると気分が変わりアイデアが湧いたりする
つまり場所を変えると気分が変わる、それで知的な仕事もすすむのである

グローバル経済とコロナウィルス (国々の文化を破壊したら生きる意味もなくなる)


グローバル経済とコロナウィルス

(国々の文化を破壊したら生きる意味もなくなる)

 グロ−バル経済とか資本主義がなぜコロナウィルスでブレーキがかかったのか?
その矛盾がまさにグローバルに大きくなった
そこでそれを一旦ブレーキをかけて新たな世界を構築させる
天からの神からの作用だったのかともなるから不思議なのである

グロ−バル化のことを私が批判する時、それが国々の文化を破壊するからである
そこで注目するのは経済的な側面だけであり文化的側面は追求されないからだ
人間は経済的側面だけに生きるのではない、パンだけに生きるものではない
会津のことで書いたけど人間はその国に土地にまず生きる
その国の自然と風土の中で生きる、その国というとき会津は万葉集時代から国だった
東北では会津が国だったが他は国とはなかったのである
つまり国とは相当に広い範囲なのである
だから会津は明治までも大きな国であり藩であり最後は薩摩長州軍と戦ったのである

文化という時、cultureはcultivate(耕す)である、その土地を耕すという時、食料をその土地から作り出すということが基本にある
もしそうして食料でも外部から輸入していたら文化を作りだすことができるのか?
ワインもその土地が作りだしたものである
それはもともとパンと合うものなのである、日本の料理とは合わない
ワイン自体が種類が多くその土地の名がついたものもある
その土地の土と光とか風土が違うから違った葡萄が生れ種々のワインが生まれる
何か川とか湖の側だと光が反射したりして美味な葡萄ができるとかなるといかにその土地土地の風土が作りだすものなのかわかる
日本でもその土地の名の付いた野菜がいろいろありそれはその土地から作り出されたものである

グロ−バルというとき一面何かそうした土地土地の風土とは関係なくなる
グロ−バルというとき一様化であり何か数学のように共通化する
でも人間社会は数学では統計とか数字だけではわかりえようがないのだ
そんなふうに一様化したら土地土地の味わいもなくなり文化もなくなってただ定型化した個性もない社会になりつまらないとなる
それは日本語でも英語にした方がいいというときもそうである
日本人から日本語を取り去ったら日本人でなくなる
なぜなら日本語だけは密接に日本人を根源的に作っているものだからと言う人がいたから日本語は外国語とは違った特別な言語だとなる
その起源は不明なのである、つまりほんの一部が大陸起源だったり海洋系のオーストロネシアと共通だとか言ってもその謎は全く解けていない
つまり日本語は混成語にしても縄文時代から早い時期に日本人の共通言語となっていた
それはもう他の言語が入ってきても共通性が見いだせないくらい独自の言葉として成立していたのである

グロ−バル化というとき日本語を英語とすべきだとかエスペラントが必要だとかなる
どうしてもグロ−バル化すれば共通語が必要になるからだ
だから現代では英語が共通語化している、そして感心するのはグーグルの英語翻訳であるある程度文章でも8割くらい正確に翻訳しているのである
そこでインタ−ネットでは世界共通の言語として英語がまた言語の壁が取り払われるということも起きている
でも依然として国々の言葉がありそれは文化の基なのだから世界が一つの言語にすれば
文化を失うことになる、その時自国のアイディンティティを失う
それは相当に深刻なことになる、人間は経済人間ではない、経済的単位ではないからだ
統計的数字とも違うからである
グロ−バル経済と日本国内の広域経済でも人間はただ量として数として計算されるだけになる、政治でもそうである、一票は十万分の一の数でしかない

宗教でもただ数が問題にされるだけである、会員数でそのすべてが図られる
そこに生きる意味などない、数として計算されて処理されるだけなのである
そういう文明社会に反発する者としてアウトサイダーが生れたのも必然だとなる
そしてイスラム教の集団礼拝とか韓国のカルトキリスト教団がコロナウィルスの伝染を拡散してしまった、クラスター伝染の源となった
宗教は本来はそんな大衆的集団的なものではない、そこでは常に数のみが誇張される
それは権力を追及している、数は権力である、一人だと何の力もない、それが十人でも集まれば力となる、注目する、宗教が外部に対して数で認めさせる
それがまた民主主義で権力を得る方法となっている

グローバルというときグロ−バルとローカルを合わせたグロ−カルという言葉が生まれたグローバルな言語が英語でも必要である、でもローカルなナショナルなもの歴史と文化に作られた世界を否定したら人間の生きる意味すらなくなくなる
人間はただの一記号のようになる、現実にすでになっている 

グロ−バル化でサプライチェーンを担う中国から部品などが入らず電動自転車まで品不足になったという、春には自転車が売れるから困るとなる
つまり何でも中国に頼りすぎるとこういうときどうにもならなくなる
グロ−バル化というときやはり自国の需要中心にして自国の生産消費を守るべきだとなる世界が第二次世界大戦のようなナショナリズムで分裂していた時代に戻るとういけどそうともならない、時代の逆行になるというがそうともならないだろう
むしろ各国が独自の文化を再発見してそれぞれの国の文化を追及するということにもなるそれをうなかすものとしてコロナウィルスが作用したともなる

グロ−バルというとき宗教でも仏教でも中国に入ると禅宗が生まれたようにより実践的なものとして用になるものとして追求される
韓国に入ると美的なものとして追求される、日本がでも優美なものとして美的なものとして追及される、仏像でも塔でも違ったものとして作られる
その理解も違ったものとなる、解釈もその国によって違ったものになる
それはキリスト教でも同じである、イスラム教でもそうである
宗教はユニバーサルなものグロ−バルなもの普遍的なものとしてある
でもその国々の風土歴史によってまた違ったものになったのである
そうであってこそ人間はそれぞれの価値を作りだしてまた価値を持つのである
経済とはただみんな同じものを型にはまったものを大量生産することではない
人間がみんなロボットのようになり同じ言葉を話する、そのとき文化を失うのである
ただ共通なものは英語でもインタ−ネットの言語でも追及される
つまりグロ−バルでありローカルであってこそ世界に価値がある

だからコロナウィルスが何かそうした一様化としてのグロ−バルではなく各国独自の文化をはぐくむ契機となるのかもしれない、人間は国境でも関所でも必要なのは人間を精神的な面から見ると制約された場所でないとアイディンティティが作れないことである
グロ−バル化といってもそれはただ物流が自由ということであり物と精神は別物なのである
自動車の部品でも中国に頼りすぎると今回のように作れなくなる
電動自転車車でも中国に部品を頼っていて入らなくなる
日本の中で作る体制があればそういうことはなかったのである
自動車はABCDEFG...とか無数の部品をから成り立つとしてそれらを組み立てて車を作るということができる、でも文化とかにはそういうことはできない

その風土とか歴史と密接に結びついて一つの文明でも日本文明でも作られているからである、それを無数の部品があり解体したり組み立てたりできないのである
グロ−バル経済にはそうした無理があった、それは国々の文化を破壊することにもなっただからコロナウィルスはそういう社会をとめる働きをした
確かに一時的には犠牲がともなうが次の新しい社会への変革への契機ともなる
だからコロナウィルスは天の作用なのかともなり不思議なのである

ともかく今回のコロナウィルスは社会全体に世界全体に影響するから世界を社会全体を変える作用があることに驚くのである
これだけの影響力を世界に与えることはアメリカですらできない、特にエンタテーナメントとか観光業とかが打撃を受けた
でもそれは本来の社会の脇役であり主流ではないから芸能人が政府に援助を要請したがそれを河原乞食など今は必要ないとか言われる
普通だったらそういう人たちはに大金稼いだとか言われる
社会全体に何か価値の選別が起きている、だから社会全体で価値観が変わるとういことにもなっているのである

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この本はコロナウィルスで今社会が変わることを予見していた
ローマ帝国は物財を量の富を追及した
グローバル化してローマにあらゆる富を集中させた
しかし中世になるとそういう過度な物財の追求はしなくなった
人々の価値観が変わったのである
そこで修道院にこもり瞑想するとか物財の追求する価値ではない
精神的価値が追求されたのである
その状態が今とにている、そういう時代の兆候が見えていたのだかコロナウィルスによってそれが早められたともなる
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2020年03月23日

コロナウィルスで国境や関所が見直される (歴史的に生じたものには何か意味があった)


コロナウィルスで国境や関所が見直される

(歴史的に生じたものには何か意味があった)


江戸時代まで関所があったが無駄としてなくなった、だから明治から鉄道がはりめぐらされた交通の要となったとき切符一枚で日本全国に行けるようになったときそれを経験した人は特別な経験をした
また電車でも全然見知らぬ人が乗り合わせる光景もなじみのないものであった
人間は知らない人とあまり交わらないの生活をしていた
関所があることは見知らぬ人を入ることを拒んでいたのである
だから商業となると不便になる
第一江戸時代は物流も人の交流も少ない、自分の住んでいる村からほとんど出れずに一生終わった人が相当数いたことは確かである
そういう狭い範囲で濃密な人間関係の中で暮らしていた

それが明治から急激に変わった、関所はなくなったからである
その変化も大きかった、別に関所がなくても他の村に入るだけでも何か簡単にできない
別な領域に異界に入るという感覚になっていた
それで隣村に来た麦つきの仕事をしていた若い男性が大蛇とされた伝説がこの辺で残っている、今になると外国人が突然隣に入って来たりするから驚くのである
それは本当に突然の異界からの侵入なのである

関所というとき今回のコロナウィルスで中国の村で村の入り口を閉ざした、青龍刀をもって村に入るなと仁王立ちになっていた映像が放送された
それは今でも村の入り口に巨人の藁人形を置いている日本の村にも通じている
それは疱瘡などの伝染病を入るのを恐れていたともなる
伝染病は恐ろしいものでありうそういう記憶が村に伝えられて残る
相馬市の玉野村は伊達藩と相馬藩の境目でありそこに若木神社がありこれは疱瘡を防ぐ神なのである
伊達藩から入る人たちが伝染病をもたらさないように祀った神である
江戸時代には関所があり他藩のものはそこで区別されていた

人間の社会を歴史をふりかえるとこれほど人間は自由に行き来して交わる社会はなかったそれがグロ−バルにそうなったのが20世紀だったのである
モノでもヒトでもこれだけ自由に流通して交流することはなかったのである
そのことがすべて人間社会にとっていいものように思えた
でも何かそこに人間社会にとっていいものとして全部は働かないものとして見るようになった
だから関所とか国境とかはマイナスのものとしてしか見ていなかった
しかし関所とか国境とかは人間が生きる歴史の過程で必然的に生まれたものでありそこに意味があった、つまり歴史的に生まれたものは何か意味があったのである
現代文明社会はそうした過去の歴史を全否定して成り立つように見る
でも関所にも効用があり見直すということがコロナウィルスで生まれた            

そしてなぜ空港でヨ−ロッパから帰ってきた人がコロナウィルスと判定されたのか?

それはそこが関所となり確実に検査するからそれだけコロナウィルスの陽性だと発見されたためである、日本国内ももう関所などないのだから鉄道でも車で行き来するのだから
調べようがないからいつのまにかに蔓延するとなる
だからこうして便利すぎる交通の発達した社会がコロナウィルスに弱いということがあった

それでヨ−ロッパがなぜあんなにスペインまでたちまち広がったのか?

それはヨ−ロッパはEUになり国境がないと同然になったからである
そこでいちいち入国審査もしない、国内と同じように行き来するようになったからである貨幣でも両替する必要がなくなった、私がヨ−ロッパに行った時はいちいち国が変わるごとに両替することがめんどうだったのである、ただめこで国境を意識されたのである
外国だと言葉が変わるから今でも否が応でも国が変わることを意識させられる
でも国境がない世界というのはこれも人間社会にとって問題が起きることをコロナウィルスで意識させられた

つまりこのコロナウィルスの不思議はグロ−バル化経済とかを停止させるとか現代社会を見直すものとして作用していることの不思議なのである
オリッピックなども中止させるときもそうである
もともと私はオリッピックなど必要ないものとして見ていた
商業資本主義で利権にあづかるものはいいがそうでないものは何でするのかわからなくなっていた
東北の復興などと関係ないからである、未だにゴーストタウンがありそこを聖火リレーしてどうなるのか?全然復興などしていないからである
復興五輪などありえないからだ、もっと東北の復興の方に力をそそげとなるからだ

どういうわけかさくらTVのような右側がコロナウィルス活気づいているのも不思議である、右側がナショナルなものを追及する、反中国のためでもある
私自身のスタンスは日本文化を重んじる再興を願うからどっちかというと右側になる
だからグロ−バル化には反対であった
まず経済でもナショナルなもの国を基本にして作るべきでありまた地方だったら地方の経済を基本にするべきだと思うからである
だからグロ−バル化というのは日本の地方でも破壊したということがあった
米すら外国から輸入するようになったら日本そのものがなくなっていくという恐怖があった、現実に中国から食料を野菜でも輸入していたしそれが東京で入らなくなった

その時東京ではどうするのか?

日本国内の生産に頼るほかないのである、だから日本の農家はいらない、外国からいくらでも食料が入ってくるということはどれだけ危険なのかコロナウィルスで実感したとなるだろう
外国人労働者もコロナウィルスで来ないというとき奴隷のように使っていたのだから農家はそんな人に頼らず自力でやれとか言うのもわかる
また芸能関係者が政府の援助を要請したことについて批判している
芸能者は河原乞食でありこんなときにそんなものは必要ないというのも芸能関係者にはショックだとなる

つまりコロナウィルスでは何か社会にとって必要なものなのか、大事なのかも問われる

病院は感染するから行かないというとき病院経営が苦しくなり倒産するとかいう
それは今まで医者にかかりすぎる人が多すぎた、かえっていらない患者が減って国の負担が医療費の負担が減っていいものだとかもいう
それも変なのだが日本人は医者にかかりすぎて薬を飲みすぎるのである

そしてコロナウィルスは高血圧と喫煙している人が重症化しやすい

これも高血圧の薬を飲むとその副作用で重症化しやすいということがわかった
これも武田邦彦氏が盛んに高血圧の薬は危険だ副作用があると言っていたからそうなのかとも思った
とにかくまた老人がこのコロナウィルスにかかり死に安いのも不思議なのである
それはイタリアでも増えすぎた老人を減らすためにコロナウィルスが生まれたのかとまでなる
これだけ社会に影響すること自体、社会を変えてしまうとういこと自体不思議なのであるそれが一時的には犠牲者もでるが社会全体にとってそれも世界的にみても悪いことばかりではないというのが不思議なのである
posted by 老鶯 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月22日

J-REIT暴落 (その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)


J-REIT暴落

(その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)

J-REITを一月に売って助かった、暴落したからだ
これは別に私が予想して売ったのではない
そもそも地銀の営業の人を信用できなくなってやめたのである

このJ-REITはアメリカのUS-REITをやめて為替で損しないものとして地銀がすすめて買った、私は地銀にまかせた、第一株でも金融のことがわからないからだ
それで一応地銀でもプロですからまかしてくださいというからまかせた

営業の人は分散投資をするのがいいとして

カナダの国債に投資⇒石油産出国⇒石油の値段下がる⇒損

US-REIT⇒一時円安で上がり売りもうける

日本の株⇒リーマンショックの時から元にもどったとき⇒売る⇒J-REITに回す

ここで一番失敗したのはリーマンショックの時に半分に下がった株を元にもどったところで営業の人がJ-REITに回したことである

最初から分散投資が安全

こういうっていたのになぜそうしたのか?

地銀がもうけるためにまた営業がノルマを果たすためにそうしたのである

なぜなら分散投資を言うなら株は売るべきではなかった

私はその時いい感じはしていなかった、でも私は投資に時間をさくことができないのでまかせたのである
そうなると地銀でもなんでもまかせることしかできない人は投資は株でも何でもやるべきではないともなる
てもどうしても地方だと田舎だと地銀とかゆうちょとか農協でも身近であり信頼していたのである

それがゆうちょでも民営化して詐欺のようにして保険を売りつけて問題になった
なぜそうなったのか?
金があっても高度成長時代のように投資先がないのである
何かゆうちょに親が保険をかけていた、それは20年前くらいなのかその保険金も利子がついて高くなって受け取ったのである
何か自分は金銭面でも親に良くされていて困ることがなかった

ともかく金融を理解することがほとんど不可能である、プロでさえその全容など知る人はいない、第一ゆうちょとか地銀とか農林中金とかは素人でありたいして自分が知ることと変わりなかったのである
それはこれまでそうした金融にかかわることがなかったからである
それが投資先がなくなりその巨大なゆうちょであれ農林中金であれ地銀の金がアメリカの金融関係の会社にねらわれていかがわしい投資先に金を投資している
CLOとかがそうである、その金が何兆円とか莫大なのである

なぜゆうちょを民営化したのか?小泉前首相がそれを売りにしたのか?

これも今になるとアメリカの金融資本会社に銀行や保険や証券会社に日本人が貯金した金を売るためだった!

つまり日本の金がアメリカに奪われるということだったのである 
それを推進したのが外資の顧問などをしている竹中平蔵だとか言っている

現代のグロ−バル金融資本主義は巨大でありその巨大なものを理解することが不可能である、そこに巨額の金が奪われてもそれも犯罪にもならないのである
何か巨大なものは複雑なものは犯罪にはならない、戦争とかなれば他国の富を奪っても犯罪にならない、かえって正義とだとかなるのである
10億円とか百億円盗んだ人は英雄になる、一人殺したら犯罪だが千人殺せば英雄になるのと同じである

そうしてグロ−バル経済の中で巨額の金がギャンブルのように株式市場で操作されてそこで莫大な富を得ているのが国際金融資本家だとされている
それがコロナウィルスでブレーキがかかった
だからこのコロナウィルスは何なのか不思議なのである、これだけの力をもつということが不思議なのである、これだけの力を一国でも中国でもアメリカでももてないからだ
とてもグロ−バル経済を止めることなどできないからだ
それはこうしたグロ−バル経済の欲望資本主義の暴走を止めるためだったのかともなる
もうグロ−バル経済でも資本主義でも限界に来ていたからである
巨額の金の投資先がなくなりゆきづまっていたからである

何か資本主義というのは日本人の体質に合わない、農耕民族に合わない、農耕民族に日本人にあっていたのは貯金なのである、貯蓄なのである
米を作ればそれを貯えるということで安心する
でも資本主義というのは何かそういう文化と根本的に違っているのである
農耕民族は定着文明でありなるべく争わないようにする
でも狩猟民族だと獲物をとって移動する、だからそこで争いになっても自分の主張を通すそしてまた別な地域に移動するから争うことを恐れないというのもそうかもしれない

狩猟民族は獲物を捕る、それをがつがつと食べる、そして獲物がそこになくなったら移動する、それだけ大陸は広いから移動する場所があるからそういうことができる
遊牧民もそれとにたものである
農耕民は基本的に一定の土地で作物を育て貯えることが基本である
だから資本主義に合わない、理解できないのかもしれない、アメリカ人は貯金はしない、投資している、貯金することは資本主義ではそもそも合わないのである
高度成長時代は貯金してもその金の投資先があったから利子がついていたから良かったのである、今はいくら貯金があってもその金を投資してもうける先がないのである
貯金自体は富を生み出さないのである
それで資本主義が行き詰まったとなる

いづれにしろ地銀でもゆうちょでも金融でも他人の金に責任はもたない、やはり責任をとらされるのは金を出す本人である
だから知らない人はやるべきではないとなる
でももう貯金しているだけではその貯金すら目減りしてもう預金封鎖だとかなんとか貯金自体を維持できなくなる
つまり貯金というのは資本主義では常に利子がつき増えない限り意味がなく消失してしまう危険がある
それにしてもリスクはさけられない、誰がコロナウィルスのことを予想していたか?
これをみても予想ができないのである、どういうリスクがあるから予想できないのである
コロナウィルスで世界がグロ−バル経済もブレーキがかかり世界自体が変わってしまうからである
そして世界恐慌がやってくるというからまさに恐怖だとなる

とにかく老人にはまた投資は向いていない、なぜなら投資は長期的にみないとわからないからである
それでリーマンショックに半分になった株が元にもどりさらに上がりつづけていた、その時売れば相当にもうかったのである
老人は先が短いから投資に向いていない、後は死ぬだけだとなってしまうからだ
それから老人になってからはその人の残すべきものに集中すべきである
私の場合は文学的創作とかに集中したいから頭も手も回らない、家事を全部しているからそれだけで時間をとられるのである
とてもあらゆることに頭もまわらないし時間もさけないのである




posted by 老鶯 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年03月21日

コロナウィルスで問われたこと(2) グロ−バル広域経済の見直し-東京と地方(福島)


 コロナウィルスで問われたこと(2)

グロ−バル広域経済の見直し-東京と地方(福島)

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富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて

炭焼きというのはどこの山で盛んであった。信州の山の中を旅したら次から次と炭俵背負った女性とあったとか炭は生活の中心にあった。子供のころ炭を使っていたから信じられない、炭で栗なんか焼いていたのである。その囲炉裏で親父というのはどかっと座っていて存在感あるものだった。 

おちこち(紀行文集)(明治) 大和田建樹を読んで

富めりとも・・・とは山で炭焼きして暮らす人には外のことは都会のことはわからない
ただこの山里に住を焼いて暮らしている、その煙は絶えることがないという意味である
この歌の象徴していることは何なのか?
つまり戦前から戦後十年くらいは自給自足の生活だったのである
私の家は小さな一万くらいの街中でも囲炉裏があった、炭を燃料として利用していた
水は井戸水をもらっていた、水道もなかったのである、電気は裸電球一つとかである
家にあるものは飯台一つとかである
それはみんなそうだったのである、戦争に負けてから日本はみんな平等に貧乏だったからである

でも不思議なのはこの歌のように外部のこと都会のことは自分には関係ない、山里で炭を焼き暮らしていればいいとなっていた
それは外部の人に都会の人に頼ることもないで自立しているという誇りの歌でもあったのだ
だから今になるとそういう心情になっていることが不思議なのである
その生活があまりにも違ったものとなってしまったからだ
誰も山で暮らして農村でも俺たちは都会の人に頼らないとはならないからだ
地方交付税が道路とか電気とかのインフラに東京の人たちが税金から払っているとか不満である、つまり東京の人に頼っているということになるからだ
電気でも水道でもガスでも道路でもなんでも別に山里でも自給自足していれば都会の人になにやかやと文句は言われないからだ

結果的に現代の地方というのはどうなったかというともう地方だけでぱ田舎だけでぱ生活できない状態になった
さらに一次産業は衰退した、農業でも漁業でも林業でも今度はグロ−バル経済で衰退した林業でも外材があり日本は森林が多く木材があるのに使われないのである
それでなぜ原発が双葉とか大熊地域にできたのか?
そこは浜通りでも前の原町市とか5万とか大きくて工場などあったがその辺はなかった
それで出稼ぎに出ていたが地元で仕事して暮らしたいとなり東電の原発を積極的に誘致したのである

ここで考えなければならないのは東京というのは一見地方で田舎で暮らしていると関係ないように見ている
でも実際は東京には周辺でも何千万の人口がありそれを経済的効果からみると巨大なのである、だからその巨大な経済の圧力が実は地方にもその周辺に及んでくる
電気にしても莫大な電気の量が必要になる、すると東京に作ると危険だからと福島に作られた、福島は東京から離れているようで近いのである
現実にいわき市まで東京までの通勤電車でている
私は節約のためにその通勤電車に乗ったことがあるからだ
だからいわき市までさらに東京まで近いとなるのだ

東京圏がこれだけ巨大な政治経済都市となっているとき実はグロ−バル広域社会になると福島の田舎でも無関係ではなかった
俺たちは東京と関係ない、炭を焼いて燃料にして暮らしている、東京の人がいくら豊かに暮らしていても関係ないとはならない
現実にそもそも電気でもガスでもそうだけどそれなくして暮らしていけない
炭焼いてだけではもう生活が成りたたないからだ
またみんな車をもっているしガソリンでも入らなくなると生活できなくなる

東京というのはそれだけ周りに福島でも重圧となっていた、昔のように都会は都会で田舎は田舎でそれぞれ自立して生活していればいいとはならなくなっていた
これは江戸時代も江戸は百万都市と言われて大消費地だったから伊達藩では米を作り米を商品作物としてそこに特化して生産量をあげて石巻から船で江戸に運んで売った
そして東北の飢饉はそうして江戸に送る商品作物の米ばかり生産していろいろなものを作っていないから飢饉になったとしている
それはアフリカ辺りでコーヒーばかりを商品にするために作り他の作物を作らないでコーヒーがとれなくなったり売れなくなったりして飢饉になったとにている

それは大量消費地の江戸が優先されて地方はそのために商品作物の基地とされることにより飢饉になったのである、冷害があったとしてもそこに人災という側面も大きかったのである
だからそういうことが歴史でもありやはりカルマとなってくりかえされる
江戸は東京となりさらに巨大化したからである、するとその東京の影響が全国にも及ぶ
地方でも田舎でも関係ないとならない、密接に一体化してゆく
それは日本だけではない、グロ−バル経済は中国のコロナウィルスでわかったように中国に生産も消費でも頼る、そうするとそれが今回のようにたたれると甚大な影響を受ける
不思議なのはもし自給自足生活をしてしいたら貧しいにしても影響を受けないのである
だから何か経済を見直すことがこのコロナウィルス騒動で起きたのである

そうは言っても昔のようにもどることはできない、でも人間の本来の生活はまず地元であるものを供給して消費することが基本としてある、商業とか貿易は限定的なものとして発展してきたのである、貨幣自体が実は貝が貨幣であったように外部の珍奇なものを手に入れるために貨幣が生まれた
つまり生活の基本は江戸時代は貨幣は米だったように貨幣はそれほど通用していなかったのである、米があれば安心だとなっていたのである
貨幣というのは何かあると紙きれになる、だから今預金封鎖だとかなんとかもう金があっても安心な時代ではなくなった、だから貨幣の価値は今までのようにならない
いつ紙切れになるかわからなくなったのである

ともかくコロナウィルス騒動は様々なものを見直す結果となっていることが不思議なのである、何かグロ−バル経済はいいようでもそれが人間の基本的生活に反するものがあった中国に生産でも消費でも頼れば中国が東京のようになる
その影響力が巨大化して中国無しで日本はありえないとなりやがては中国の属国化する
観光でも中国人が来ないとやっていけないとなり政府にた助けてくれとなり中国政府に忖度して中国人の観光客の入国拒否できなかった
それで対策が遅れたり甚大な被害を受けることにもなるところだった
だから日本の経済は内需中心にすべきだとか経済通が言うこともわかる

このようにコロナウィルスの影響は悪いことばかりではない、グロ−バル広域社会とか
そ危険性を見直すとかを強いられたからである
コロナウィルス騒動を契機に一時痛みがあってもノーマルな経済体制が作られる契機となる、いろいろな今の社会を変える契機となる、それは社会全般にグローバルに起きているから不思議なのである、これも天の意志なのか作用なのかとなってしまうのである
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2020年03月20日

蝶の舞う道(南相馬市の原町区に発見された森の小径) (駅近く新しい避難施設の公園から入る)





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原町駅から雲雀が原への近道

ここの道は雲雀が原の裏手に通じている、雲雀が原までの近道なのである

こういう道はわからなかった、雲雀が原へは遠い道を行っていた

ここは最短路であり眺めがいいから市街からも近いから穴場だったとなる


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ここに座る場所があり机もある
休むにはいい

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東屋がある丘



春日さし石もあたたまる道の駅


隠されて社一つやここにあり去年の落葉を踏み参りけるかな

柔かに枝の影交じり春日さす森の小径を我が歩むかな

原町の街の近くに隠されて森の小径や紅梅映えぬ

街近く丘に東屋一つかなイヌフグリ咲き国見山見ゆ

春日さし松の間静か我が歩む三種ほどの蝶の舞いしも


原町の駅の方から自転車で回ったら公園があった、これは見たことがないと入った
そこに施設があり中に入ったら一人の管理人がいた
その人と話した、ここで休めるのかと聞いたら休めるという
避難所施設なので料理する場所とか避難所用に作られている
備蓄する倉庫もある、公園では臨時にテントとして利用するものもある

ここは県営であり県で各地に作っている避難所である
諸井花店とかで公園を管理して花とかも植えると言っている
県営の公園はそんなにないと思うがこれは避難所ということで特別作られた
ただ椅子があり机があり何かここで休むにはいいと見た
ここが駅から近いということで休む場所としていいと見た

そこに稲荷神社が隠されるようにあった、そこを入るとまた溜池があり小径がつづいていた
そしたら紅梅が何本も咲いていたのが意外だった、水仙も咲いていた
その道は雲雀が原につづいていて東屋があり国見山とか見えた
ここが意外だったのは街につづいていてこうした森があると見えなかった
普通は街から森が離れているからである、ここは散歩するにはいい
駅からも近いのである

この辺は原発事故以後は施設はいろいろなものができた
ただ南相馬市まではいいが浪江となるとほとんど人が帰っていない
常磐線のスーパーヒタチが通るようになったが双葉、大熊辺りは人が住んでいない
そして原町でも鹿島でも相馬市でも新地でも移り住んだ人が本当に多い
だからスーパーでなんでこんなに人が来るのかとか知らない人と会うのかとなる
ちょっと話してみるとここに前から住んでいる人ではないのである
それだけ外部から移り住んだ人が多いのである

とにかくあそこの道は街とつながっていて身近である、だから意外であり散歩するには最適な道だとなる、だからあの辺に喫茶店とかあればいいとかなる
駅前にあっても眺めが悪いと価値がないとなもなるからだ
駅前に喫茶店があるのだがそこが暗くて何か嫌なのである
食事でも眺めのいいところで広い場所でとるのがいい
それでホテル兼用の高見食堂には良く行くのである
ただ正直外食は必ずあきるのである、それでどうしても自分で料理せざるえないのである

コロナウィルスと原発事故の共通性 (専門家より科学より政治が優先される)


コロナウィルスと原発事故の共通性

(専門家より科学より政治が優先される)


コロナ危機、“科学を軽視する”安倍政権の「限界」
3/20(金) 6:01配信現代ビジネス

それは、この新型コロナに対する政府および厚生労働省の対応が、あまりにも原発事故への対応に似ているということである。

 私たちはこの「想定外」で始まった大災害の教訓をほとんど生かせていない。私たちはこの震災・過酷事故にきちんと学べていないようである。

、原発事故も、新型コロナも、いずれもその検査体制が不十分であり、(1)リスクの原因体の可視化に失敗しているという点である。

東日本大震災・原発事故のその後の対策をずっと追っていったとき、この政権ほど、科学研究の成果や意見を無視し、政治的決定を政治的決定として純粋化した政権はないように思えるからである。


私は原発事故とコロナウィルスを比較して評論して来た
何かこの問題は共通点が多いからである、そして社会のあらゆる問題と通じている
それは社会全体の問題であり政治家とか官僚とか科学者(専門家)とかマスコミでも
あらゆる人たちが関係して事の解決に当たらなければならない

この記事ではそういうことを指摘している

現代社会の問題は科学技術社会でありそこが複雑であり専門家が重要な役割を果たす社会である、そして放射線の問題にしても今回のコロナウィルスの問題にしても同じことが起きている
放射線の被害にしてもコロナウィルスでもそれが未知なものでありそれにどう対処していいかわからないことである

原発事故がなぜ起きたのかとなると科学技術と政治とかあるとして科学技術が優先されたとはならない、湯川秀樹博士とかは日本ではまだ核についての技術が習熟していないから時期相応だとして提言していた
それは科学者として専門家としての提言だったのである

でも専門家より政治経済的決断が優先される

そもそも原発が日本に作られた経緯を見ればわかる、読売新聞の正力松太郎がアメリカの意向に従って原発を作る推進者として選ばれた
CIAのエージェントでありスパイだともしている
アメリカの意向が強く働いて原発が作られたという時から政治優先だったのである
その後は中曽根首相に受け継がれたのである
そして経済的なものが科学技術よりも重視されるということもあり専門家も学者でも御用学者が原発を擁護するようになる
科学という時、それは科学技術でも政治経済が優先になり押し曲げられるのである

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こうなる、コロナウィルスでもそうである、阿部首相は専門家の意見を聞かないで学校閉鎖などを決めたからである、ただ専門家でも意見が二つに分かれるとかありもともと未知なものだから正確に判断できないからそうなる
いくら専門家の意見を聞いても素人には分らない、阿部首相にしてもそうである
文系になるとわからない、でも理系でも専門家でも未知なものに対して判断できないのである

原発事故ではこの辺はずたずたにされた

放射線の被害というのは30キロ内とか距離に比例していない、風向きに一番影響されたのである、その時東風が吹いて山側に吹き飯館村が大きな被害になった

専門家はそのことを判断できた

でも自治体にはその事を一切知らされなかった

それで浪江の町長は自ら判断して一番放射線が高い津島とか山側に町民とともに避難したのである
その東電社員がいて街の方が安全だとして引き返した人たちがいたのである
つまり東電社員は専門家であり風向きが影響することを知っていたのである
そして東電ではまずアメリカに報告していたのである
スピーディという放射線を計ることができる装置があり放射線を計っていたからそれをアメリカにまず報告した、アメリカの助言を得るためにそうしたのである

つまりその時どうなったか?

専門家は科学技術者は学者でも何も成すことができなくなっていた!

そして政治家は放射線被害と関係なく科学技術を専門家の意見を無視して決断した

30キロ内に避難命令を出した

それは科学的技術的専門家の意見ではない、政治家の決断だったのである

なぜなら風向きが一番影響したとき距離ではないからだ、それで30キロ内は政治家が決断したから手厚い補償金が出された
それは今でもつづいている

30キロ内は医療費とかは9年過ぎても無料

30キロをはずれると医療費は半年で打ち切られる

この差は本当に大きかった、補償金も30キロ内は外の三倍にもなった
全くもらえない人たちの方が多かったのである

それが科学的根拠に基づき差別したのなら納得がいく
でも実際は政治的な恣意的な決断でそうなったのである
ただ爆発したとき混乱状態になりパニックになったから早く決断せねばならないということでそうなった
今回もコロナウィルスにどう対処していいのかわからない、でも早めに決断しなければならない、すると専門家の意見をゆっくり聞いている暇がないのである
ただその決断がのちのちまでも影響する
もうこの辺は復興できない地域があり自治体でもずたずたにされたのである

日本では原発事故からやはり学んでいない、そこで何が起きたのか?
それを私はプログで報告して来た、でもやはりどうしてそうなったのか国民に衆知するようになっていない、こうした科学技術に関することはこれからも起こりうる
なぜなら現代文明は科学技術文明だからである
科学技術無しであたえない社会である、そして科学技術でも一旦誤ると巨大災害となり自治体でも自然でも破壊して住めなくなったりする
原発事故の場合はもう復興とか回復できなくなったからである

コロナウィルスにどう対処するか、それも原発事故と対比するとわかりやすい、同じ問題が起きている、過度に経済活動を制限するとかえってそのために被害を受けて生活が破壊されて自殺したり被害者がでる
この辺では過度な対処で避難しなくてもいいのに避難させた地域がありそこはゴースト
タウンになり復興もできなくなったからである

ただコロナウィルスと原発の相違は原発は元から危険なものとして専門家でもわかっていた、それが政治家によって無理やり作られた経緯がある
コロナウィルスは生物兵器として作られたとかありそれはわからない
それも科学技術の問題であり専門家が深くかかわる問題として提起されたのである
原発事故は局所的だったが世界中をまきこんだことで今回の問題の方がグロ−バルでありまさにグロ−バル経済自体の崩壊まで及ぶものとなったのである




posted by 老鶯 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月19日

東京オリンピックは開催するべきでなかった (福島の復興はしていない―阿部政権の化けの皮がはがれた?)


東京オリンピックは開催するべきでなかった

(福島の復興はしていない―阿部政権の化けの皮がはがれた?)


東京オリンピックを前から今の時代に必要なのか?
それを国民が望んでいるのか?
そう思いなかった、第一オリンピックを開催する意味がわからなくなってきていた
平和の祭典というけど実際は商業オリッピックでありそれで利権にかかわる人たちだけが潤うとなる
電通とかゼネコンとか東京中心に潤うとなる
つまり何でも日本は東京中心になる
地方は今回もまだ復興などしていないのに置き去りにされる

ただそういうことを私が批判しても何かわからないままに地銀からすすめられたリートに投資していたのである、これは東京オリッピックまでは景気が良くなり地価もあがり建築にも投資されるということで入った
私自身は株とか投資のことはわからない、ただ地銀にまかせたのである
利子がどうせつかないのだからとすすめられているからだ
オリッピック景気というものがありそれで潤うということを政府でもすすめた
インバウンドでもそうである、それがコロナウィルスで砕かれてしまったのである

地銀でもゆうちょでも農林中金でも何かアメリカのCLOとか危険なものに巨額の金を投資しているという、それが損になると農林中金は倒産すると言われる
地銀とかゆうちょとか地元のために経済活動を活性化するためにある
でも今はそういうことがなく東京中心のオリッピック景気にあづかるということだけであり何か地域のために投資するとか活性化するとかはなくなっていた
東京の経済規模が地方からすると比べようがない莫大なものとなっているからそこで投資して利益を得るとなる、地方からは利益が得られないからそうなる

それで浪江の牛飼う人が抗議しているのもわかる
オリッピックで現地のことを復興したしとして忘れさせる
お祭り騒ぎで忘れさせる
でも現実は聖火リレーでも廃墟の街を走ることになるだけである
小高から浪江から双葉とか大熊などは何にも復興していないのである
そして地方のテレビでも聖火リレーのことを宣伝する
だから今回オリッピックに反対する浪江の牛飼いの人のことを記事にした政経東北は評価できる

とにかく今回の東京オリンピックにしても原発にしても東京が優先されていたのである
福島に原発を作ったのも東京に危険で作れないから福島に作ればいいということであった「安全神話」を作るほど安全を言うなら東京に作るの筋だったのである

それだけは絶対にできない

東京都民が絶対に反対するから

それなら福島がいいとなった

東京中心の経済政治でありそれで決められる、また地方でもその政策に対して従うだけだとなる
東京というとき日本のエリートが上級国民が住んでいる場所である
するとエスタブリッシュメントとか既得権者が住む場所であり当然自分たちの住んでいる場所が優先される、そこに権力が集中しているから意のままになる
そういう構図が原発でもありオリッピックでもありそれが政治になる
人間は住んでいる場所に一番関心がある、離れると人でも何でも無関心になる
本当にもし東京に原発を作ったからどれだけ厳重に都民でも関心をもち安全を計ったか
そうなれば東電だってごまかすことなどできなかった
安全を「安全神話」でごまかすことはできなかったのである
その前にとても反対されるから作れなかった
原発そのものが東京に作れないということ自体がいかにそれが危険なものだったか証明していたのである 

意外ともしかしたら東京というのは原発でも安全だったかもしれない、今回の様な大きな津浪は入江になっているら安全だったかもしれない。
ただ地震はどこでもあり日本の原発はどこも危険なのである
福島原発でも最初の地震のゆれで配管などが壊れたりして他にも地震が津波の前に影響して事故につながったとそこで働く現場の人がそのことを暴いた
日本は地震があるからもともと原発は向いていなかったのである
そしてアメリカの方が西側は地震とか海岸線は津波があるとかで東側に多く作られていたのである、アメリカの方が地震に考慮して作っていたのである
日本は全国的にどこでも地震が起きる国なのに地震のことを考慮していなかった

いづれにしろ原発事故から9年過ぎてもまだ復興はしていない、廃炉にもいつまでかかるかわからない、40年かかるとか途方もないのである
ただ地元にも矛盾がある、海にトリチウムを流すのを漁業組合が反対してもそれでまた補償金をとる交渉するのかとなるからだ
ただ原発事故周辺は補償金をもらう要求するだけなのかと今度は国民から見られているのである

そもそも政府の政策は国民に甚大な影響をもたらす、戦争を決断したことで300百万人が死んだということもそうである
それは政府だけの意志ではないとしてもそういう甚大の犠牲がともなうことである
コロナウィルスでも政府の政策が庶民の死活問題となってくる
その影響もまた大きいのである
政府で30キロで区切り避難地域になった人たちには手厚い補償があった
でも30キロ内に入らない人は補償金でも三倍の差があった
それより医療無料は30キロ外の鹿島区は半年で打ち切られた
高速無料もなかった、その差別が大きすぎたのである
また要求したら30キロ内は一年伸びたのである

何かこうして政府の政策は大きな影響ももたらす、南相馬市は分断されたし他でも放射線量で細かく区切られて補償金でもめて分断されたのである
それは深刻であり内部で分裂した、それを目論んだのは政府なのかとまでなる
なぜなら攻撃する対象が内部になったから政府に向かわないから政府にとってはいいとなった

とにかく消費税をあげたことやオリッピックが今度はコロナウィルスで見直される
それは国民の意志より神の天の意志なのかともなる

消費税失敗

オリッピック中止

株価暴落⇒アベノミックス崩壊

何かそれが安倍政権の化けの皮をコロナウィルスがはがしたともなるのか?
政治はこうして天災とか伝染病とかでも大きく変化する
易姓革命が起きる

阿部首相に徳がないから災いが起きる!

そんなふうにされる、阿部首相は長期政権だったけど幸運だったのである
それが今一気に不運に見舞われ存亡の危機にある
やはり人間個人でもそうだが幸運とか長くつづかない
そして安倍政権は今この危機で試されているのである
試練なのでありこれをのりきれば国民の信頼を得るしその実力を本当に認められるとなる
でも実際は阿部政権の政策そのものアベノミックスでも株価の下落で崩壊して化けの皮がはがれたのである

だからこのコロナウィルスは何なのか?本当に不思議だとなる
それは世界的にも様々な変革をうながして時代を世界を変えるとなるとこれが全部悪く作用するだけなのかとなるとそうでもないのである
グローバル経済の世界を見直すものとしてコロナウィルス騒動を起きているのかとなるからだ



posted by 老鶯 at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

free abstract painting


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2020年03月18日

現代に秘境はない、コロナウィルスから隔離できる場所がない


現代に秘境はない、コロナウィルスから隔離できる場所がない

コロナウィルスから守るにはどうしたらいいのか?
それが現代では至難である、それはなぜか?

宅配の行かない場所がない

宅配が行かない所があればそこは秘境になる、でも日本ではそういう場所が今はない
宅配は山の奥まで行っている、するとどうしたってモノを運びヒトも入ってくる
そこで感染から逃れられないとなる

なぜ桧枝岐(ひのえまた)でコレラの感染を逃れたのか、そこは交通がない、閉ざされた村だった、そういう秘境の村というとき必ず平家落人伝説がある
そういう伝説が生まれたのは人々がそういう人たちと交流しないかったからである
木地師の椀貸し伝説などでもそうである
それは一つの沈黙交易だともしいてる、人が交わらず物を交換したことが伝説になった
これももしかしたら伝染病をうつされることを恐れたためなのかということも今なら考えられる
ただ物でもそこにウィルスが付着したりするから危険だとはなる

ともかく伝染病は接触することからうつる、だから直接の接触はさけることが第一になるすると外部からの人とと接触しないようにするには宅配とか現代のようにどこまでも物が運ばれる社会では不可能になる
でもそれが外部との交流を断った中でもし暮らしていければ伝染病からはまねがれる
それで東京から八丈島とか小笠原に一時的に退避して暮らす人がでてくる
そこは隔離されているから安全だとなる

現代では秘境が存在しないという時、秘境のような場所があっても必ず宅配が車で配達するからである、桧枝岐でもそうである
昔なら隔絶された隔離された村だった、それでソバを主食として米は食べられなかったとかヤモリを焼いて燻製にして食べていたとなる
つまり秘境という時、外との交流を断ってもそこで自給できなければありえないのであるそういう場所が四国の祖谷(いや)とかにあっりそこは平家落人伝説がありそこは歴史的事実であったとされる

秘境という時、昔は江戸時代辺りだと隣の村すら秘境になっていたかもしれない、交流がないことがある、小さな村で自給自足して交わらないからである
それでこの辺で麦つきに来た若者が大蛇だったとかの伝説がある
それは隣の村だったのである、隣の村すらそうして全く交流がないとそうなる
現代ではその差が大きい、別にそうした労働者は外国からでも来るからである

コレラは日本に中国から伝染した、港から入ってきた、そして北前船を通じて日本海側に青森まで増えたのである
日本海側から今度は会津若松市の方に伝染した、でも桧枝岐までは伝染しなかったのである
そういうふうに閉ざされた場所は今はない、するとどうしても物が運ばれて人も入ってくる、また物が入って来なければ生活できなくなっている
桧枝岐は今は尾瀬の観光の入り口でにぎわっていたからだ
観光で暮らす村となっていたからである、観光となるとどんな所からもくる
それで北海道が感染者が増えたのである

昔から伝染病は相当に怖いものとして意識されていた、エジプトのミイラにもウィルスに感染した痕跡がでてきた、こういう記憶は人間に刻まれて伝承される
村の入り口にそうししたばい菌が病気が入らないように大きな藁人形を置いたりするのはそのためである、現実に村の前で大きな刀をもって仁王立ちになっていた写真が中国のコロナウィルス騒ぎで見た

ともかくコロナウィルスてもウィルスに交通がこれだけ発達したことが裏目になった
たちまち世界中に拡散したのである、それは止めようがないのである
だから閉鎖されて暮らすことにもメリットがあった
でもそうなると外から物資が入ってこないから飢饉とかには弱くなる
人間は二つも三つもいいものとしてありえない、何かいいと思っているものも悪く作用するのである、それがコロナウィルスで証明されたのである
世界中の交通が遮断されて引きこもるほかなくなったからである

これはグロ−バル経済を見直すものとして起きたともみる
東京などでは中国から野菜でも輸入して安く入るから日本の農業を軽くみる
でも中国から野菜でも入らなくなったときどうするのかとなる
交通が途絶えるとお手上げになる、原発事故のときは放射線被害を恐れて物が入ってこなくなったから危機だった
そして水も土も空気まで汚染されたから危機だった、つまり水も飲めない、ペットぺットボトルの水も入ってこないとしたら死んでしまうとなっていたからである
ガソリンも入らず車も使えず身動きできなくなっていた
外からガソリンでも物資でも入らなくなったら生きていけないのである

でも不思議なのは秘境があるとする、そこでは自給していたから外から物資が入らなくても生きる術があった、燃料は炭であったり最低限は自給していたのである
現代は交通が途絶えたらお手上げであり何もできなくなる
そうして考えると外から物資が入らなくても自給して生活できることが凄いともみる

外から物が入らなくても人間は暮らせるのか?

それが可能であったというとき今では時代を比較するとイメージもできなくなっているのだ
それだけ交通に頼る世界になっているからだ
それもグロ−バルにそうなっていて中国から物が入らない工場だと部品が入らないとかなり何もできなくなっていた
だから工場でもなんでも中国に作り頼ることは問題がある
いくら安く作れるからと言ってこういうときには緊急の時には物が入ってこなくなる

だからコロナウィルスが世界に提起した問題はこれからも社会をどうするかということで再考するべきである
中国に頼りすぎてイタリアやヨ−ロッパに蔓延した、そしてヨ−ロッパから日本に帰った人が感染していた、逆流してきたのである
だからヨ−ロッパは相当に感染が広がっていたのである
日本はも検査していないから数は少なすぎるのである

いづれにしろコロナウィルス騒動で外にも出れなくなる、封鎖される
それも世界中でそうなっている、こういう経験は今までなかった
サーズとかでもあったがそれは全世界には及んでいないのである
コロナウィルスは全世界的問題として提起されたのである
今はその解決方法がない、逃れる場所もないのである

posted by 老鶯 at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスと現代文明 (過剰な人間の活動への歯止、警告か?)


コロナウィルスと現代文明

(過剰な人間の活動への歯止、警告か?)

魚の伝染病のコイヘルペスウイルス(KHV)病の対策と、各漁協から提出された種苗(稚魚など)の放流量の変更希望について審議し、それぞれ決定しました。

 コイヘルペスは2003(平成15)年に茨城県霞ケ浦で発生してから各地に広がり、長野県では翌04年度に34市町村で発生を確認。

  2015年度以降は県内で発生していませんが、全国の発生状況はここ数年11〜13都道府県と横ばい状態で一定の発生があり、他自治体の持ち出し禁止の解除もここ数年ないため、長野県は引き続き2017年度も持ち出し禁止とすることにしました。

 こうした病気対策に加えて委員会を困惑させたのが県内河川の魚の減少。この日申し出があった各漁協の増殖変更の説明でも「昨年6月に300キロのアユの稚魚を放流したが、試し釣りをしてもアユの姿が見えない。釣り客も少なく、不調だった」「川によっては10年来、アユを放流しても解禁日に数匹しか釣れない」

鮎が見かけない、それは最初放射性機物質の汚染だと思っていた、それでこの辺でも稚鮎を放流した、でも鮎はみかけないし育っていない、前は小粒になっていたが鮎は夏には遡上していたのである
子供の頃鮎は大きく父親がとってきていいオカズになっていたのである
それから鰻もとれていたが全くとれなくなっ、ドジョウとかメダカも田んぼがコンクリートの水路化していなくなった
何かそういうことで淋しいとなる

この辺では原発事故で一時田畑が荒地に変わった、そして海側は津波で湿地帯に変わった大きな沼にもなって釧路湿原のようになったことに驚いた
原初の自然状態に変わった、とういうより原初の自然にもどった
八沢浦は明治になって開拓されて田んぼにされた所だったが入江になったのには本当に驚いた、波が太陽の光できらきら光り打ち寄せたのである
それは奇跡のように思えた、でもそこで人が死んだからそれを報告したとき怒られた
でも原初の状態がいかに美しいものだったか再現したのである
私は田んぼで生産される米より常に景観を重視してみていた
なぜなら米は減反でいくらでもあるとなると余っているとなると価値が低下したからである、むしろ景観の方が価値があるとして見る
でも日本の自然は相当に破壊されてきた、特に高度成長時代から大規模に破壊されてきたのである、第一大都会自体が自然破壊の結果できたのである

原発事故では田畑が荒地になったとき田んぼにいた蛙がいなくなりそれを餌とする鷺がいなくなった、蛙の餌となる水生生物とかは田んぼにいたから蛙も生きられていた
でもそうした生の連環が断たれると生きていけなくなる、生態系が破壊されると生きていけなくなる
そして田んぼが回復して鷺が帰ってきたとき感動した、鷺集まる巣とするとこすやに50羽くらい集まったからである
人間は生態系が破壊されると人間も住めなくなる、水も土も森も空気まで放射性物質で汚染されて住めなくなりゴーストタウンになった

これがコロナウィルス騒動と何か関係あるのか?

鮎でもコイヘルペスとかあり伝染病にかかりいなくなったのか、魚も伝染病にかかる
でも全国の川から鮎が減少するとかいなくなるということはなぜなのだろうとなる
その原因はここでは放射性物質だと思っていたが他でも同じだから原因は違う
やはり生態系全体に異変が生じていなくなった
そういうことが人間にも影響してくる、やがて生態系が破壊されて人間が住めなくなるとうこともありうる
文明の過剰な活動はどうしても生態系を破壊する、世界の森でもグロ−バル経済で破壊される、そしてオラウータンの住む森が減少して住めなくなる
それが人間にはねかえってくる、環境は汚染されて人間も住めなくなる

コロナウィルスが中国で蔓延して生産活動をとめたら交通でもとめたら二酸化炭素がへり空気がきれいになった、そもそも中国は大気汚染でコロナウィルスの十倍も死んでいる
汚染大国なのである、黄砂とかあり自ずと汚くなり穢れに対して無感覚なのである
日本では江戸時代でも中国より清潔だったと外国人が報告している、
日本の神道は穢れを嫌うから神社でも掃き清めて塵一つない、そういう伝統があり文化があり清潔だともなる、第一中国で川で禊(みそぎ)するなどできないからである

コロナウィルスの不思議はグロ−バル経済でも過剰な生産活動でも交流でも一時的にとめた、結果的に起きたことは日常の静寂と大気汚染などが減って空気がきれいになったとかある

それは何を意味しているのか?

それは文明化による活動が過剰になっていたとういことである
そうして文明の過剰な生産消費活動を抑制するためにコロナウィルスが生まれたのかともなる、世界的生産消費活動がもう限界に来ていたのである
自然から見るともう耐えられないという状態になっていた
それでコロナウィルスで一時的にその生産消費活動が止められたともなる
これがつづけば自然はますます破壊されて人間も住めなくなるからである

何か外に出るなと人が集まるなとかなるとこれは中世の時代に逆戻りなのかとなる
ニーととか引きこもりは有利になるのか?
修道院で引きこもるような生活になる、そこで内面の世界に生きる、心を修養するとかなる、そういう時代への逆行がコロナウィルスによってもたらされるのかともなる
時代を変えるのかとなる
不思議なのはなぜヨ−ロッパから日本に帰ってきた人が検査して感染者が増えている
そんなにヨ−ロッパで増えているのか?
それは空港で厳格にみんな検査しているからである
日本では検査していないから実際の感染者は十倍とか百倍になっているかもしれない
死者もインフレインザで死んだ人がコロナウィルスになっていてもわからないからだ
それで政府は重大なことを隠蔽しているとなる

いづれにしろなぜこんなに災いが続くのか?
個人的にもそうだった、それを書いてきた、今度はコロナウィルスかとなる
次にまだ来ていないのが戦争と飢饉だとなる、ただこれは人類は克服したとされる
でもこんなに災禍がつづくのは何なのだろうとなる
時代の変わり目でありこうなるとあらゆるものが変わる
明治時代とか戦争の後のようなことが起きて来る
それで預金封鎖とかなるとかいろいろ心配の種が尽きない時代になったのである
ただコロナウィルスを契機として世界も変わるからそれがすべて悪いものとして作用するとは限らない、一時的に痛みがあっても犠牲があってもその後に新しい世界が時代が生まれるともなるからだ
posted by 老鶯 at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月17日

コロナウィルス騒動がもたらした結果の不思議 (グローバル経済の変革をうながすものとなっていた)


コロナウィルス騒動がもたらした結果の不思議

(グローバル経済の変革をうながすものとなっていた)


●グロ−バル経済の歯止

●中国の一帯一路の歯止

●アメリカの金融資本主義の崩壊の危機

●ヨ−ロッパのEUの分解

●密集する都市の被害⇒分散化

●格差社会の医療不備のから蔓延(アメリカなど)

●老人が感染して死に安い


何かこのコロナウィルスが不思議である、これの正体が不明なのこともある
ただその結果として現れたものから考察すると現代社会が築いてきたものの崩壊現象が起きていることである
それはこの辺でぱ原発事故から起きた、土も水も森も空気まで汚染されたら息すらできなくなる、そして町はゴーストタウンとなり今でも回復していない町がある

そもそもウィルスの災いも歴史的に甚大だった、それはヨ−ロッパのペストなどで象徴されている、人口の三分の一とか消失した、死体の山が築かれた、この世の終わりかとも見えた、だからヨ−ロッパで今回も恐れることはわかる

またアメリカのインディアンとか南米のメキシコのマヤ文明とかインカ帝国とかを滅ぼす原因となったのが白人がヨ−ロッパからスペインとかからもたらされたウィルスであったそれで壊滅的な死者を出したのである
日本がでもコレラが流行したのは幕末にあり明治にも増えた、それは外国人と交わるとそうなりやすいのである
免疫ができていないからそうなりやすいのである

このコロナウィルスが結果的にもたらすものを見るとこうして世界自体を変えるのかとなる、これらがすべて悪いものとして働くともならないのが不思議なのである
世界の人たちがこうなくことに反感することも多かったからである
私自身もそのことで批判してきたのである
トランプがアメリカファーストとかイギリスがEUから離脱するとかそういう傾向がすでにあったからだ

そして今株価が下がり世界の金融システム自体が危機にさらされる、崩壊の危機にさらされている、ということはグロ−バル経済を牛耳る金融システムを牛耳る金融資本家への攻撃ともなる
世界のそうしたシステムの中で暴利をむさぼっていたものの凋落ともなるのか?
そうなることは世界にとって悪いことではない
何かこういう時代の大変化の時は必ずどこかが誰かが犠牲をともなうのである
そしてその激変の後に新しい時代がはじまる
それは日本だと明治維新とか太平洋戦争後に起きた
それはだいたい70年周期で大変革起きて来る、それが2020年である
ここが節目の年なのでそうした激変が起きて来る

例えばコロナウィルスの結果中国では生産活動が一時停止して二酸化炭素が減り大気汚染の度合いが急激に減った、結果的に大気汚染で死ぬ人が相当数減った
コロナウィルスで死ぬより十倍もの人たちが中国では大気汚染で死んでいたのである
つまりコロナウィルスより大気汚染の方が深刻だったのである
ということはコロナウィルスが大気汚染を公害をとめたとまでなるから不思議なのである
それがコロナウィルスは密集する都市でたちまち蔓延する、それで一千万都市の武漢が閉鎖された、つまり人間が密集して住む都市は危険だったということになる
もし人間がこんなに密集して住んでいなければ武漢肺炎として風土病で終わっていたという、ウィルスは密接に交通と関係していたのである

コレラでも日本では日本海側から伝染して青森とかで増えた、でも内陸部はそれほど増えなかったのである
しかし福島県では会津若松市が二つの街道があり内陸部からと日本海側の新潟から感染者が入ってきて増えた
それから逆に田島の方へ感染が移っていたのである
つまり交通で人の流れに比例して感染者が増えていた、だから桧枝岐(ひのえまた)は秘境だったから感染者は出なかったのである,ほとんど交通がなかったからである

いづれにしろこのコロナウィルスの謎は子供とか若い世代は比較的感染しても軽症ですむが老人は60以上になると重症になり死に安いのである
これとは逆に放射線被害は若い世代へ子供とか次代のまだ生まれていない人たちまでに影響する、遺伝子が破壊されることで恐怖だった
老人は放射線を恐れなかった、なぜなら20年後に癌になるとしても何かしらの病気になって死んでいるからである、だから放射線は関係なかったから避難区域に帰ったのであるでもそこに若い世代がいなくなったから自治体を維持できなくなっていたのである,今回は老人がこれだけ増えすぎたのだからかえってコロナウィルスは減らす、するとこれは自然が与えた淘汰現象なのかとまでなる
だからコロナウィルスは本当に不思議なのである
自然からの天からの神からの人間の警告であり作用なのかとまで思ってしまうのである

そして日本では感染者が増えないとしているが外国から帰った人がヨ−ロッパからでも
感染している人が多い、それは空港で厳格にみんな検査しているからである
日本国内では検査していない、だから実際は十倍なのか百倍なのか感染しているともみるまた死者が少ないという時インフレインザの肺炎で死んだ人は見分けがつかないという時実際はコロナウィルスで死んでいるのかもしれない、その数は多くなるのである
老人はインフレインザの肺炎で死ぬ人が多いからである

ともかくこのコロナウィルス騒動というのが何なのか不思議である
原発事故も様々な問題を提起した、そのことを追及して来た
原発事故は大きくみれば文明崩壊の現象だったのである、なぜなら故郷でも住めなくなったからである、ゴーストタウン化したからである
そして廃炉まで40年かかるとかもう回復不可能のような状態に陥ったからである
だからコロナウィルスでも世界に蔓延してそうした崩壊現象が起きて世界自体を変えてしまうとなると一体これは何なのだろうとなる
それが確かに一時的には甚大な被害となり犠牲者が出る、でもそれは新しい時代を作る痛みなのかもしれない、グロ−バル経済でも金融資本主義でも一旦崩壊することは新しいシステムの構築へすすむとなるからだ


posted by 老鶯 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月16日

コロナウィルス騒動が人間に問うもの (人間は自然を越えられない、生態系を無視して生きられない)

                                                      
コロナウィルス騒動が人間に問うもの

(人間は自然を越えられない、生態系を無視して生きられない)

グロ−バル科学技術文明の批判 (生態系を破壊してコロナウィルスでも世界的災禍となる)


人間はどうしてもある制約が課せられている、それは生態系を無視して越えて生きられないとか地理の制約がある
ただ技術の発達で交通の発達でそういう制約を無視して克服して船であれ電車であれ車であれ飛行機であれ自由にヒト、モノが流通するようになった、グロ−バル化するようになった                            

ではコロナウィルスとは何なのか?

こうして交通が発達してグロ−バル化したことに歯止をかけた、ウィルスというときそもそもおそら侵入してはならない密林とかにひそんでいた所に人間があえて侵入して伝染したとかなる
自然があったとしても人間は技術力があり入ってゆき森でも何でも資源として利用して喪失させた、そしてオランウータンとか森がなくなり住む場所がなくなったとかある
それはオランウータンが住む生態系が破壊されたために起きたのである

生態系から文明をみるとき日本は中国の江南辺りから雲南辺りからの照葉樹林帯の共通の文化圏を形成しているとみる、原町のスダシイ神社とかあるのもそうである
それで不思議なのは韓国と古代から日本は交流が深い、その半島の先端に伽耶国があり
ここは日本と一体化したようになっていた、日本府任那があったからだ
そこで料理は禅宗の精進料理のようなもので質素だったという
肉食はモンゴルが侵入してから習慣化したのでありその前は南は照葉樹林帯の文化だったのである

人間は生態系を離れてありえない、でも現実に東京とかなるとそこに自然とか生態系を感じない、人工的空間に生活している、東京に住んでいたら米がどこでどういうふうにとれるのかわかならい、田んぼがないからである
ただ中国であれ外国からであれ入ってくるものであれスーパーに行けば買えるものだと思っている
でも中国から今回のように食料すら入らなくなるとどうするのかという深刻な問題が生まれる、それは私はグロ−バル化経済批判で再三指摘して来た
なぜならこういう時、食料が不足したらまず自国優先になる、その土地土地に住んでいればその住んでいる土地が優先になる
すると東京とか大都会ではどこから食料を手に入れるのかという問題が生れて来る
それは深刻なものになる、外国は頼りにならないのである
そこにグロ−バル化の限界がある

今回のコロナウィルス騒動で不思議なのは様々な文明の弱点、グロ−バル経済の弱点、
または世界の国々の弱点が露呈されたことである
医療でもそうである、アメリカは保険がないから貧困層は医者にもかかれない、病院ち行けないから感染者が増える、インフレインザでも一万人以上死んでいる
貧困層が医者にかかれないことは感染も拡大してそれが上層部にも波及する
つまり格差社会は上層部もまきこみ被害になってゆく
だから極端な格差社会の国は国自体が脆弱なものとなる
ウィルスの攻撃には弱いことが判明した

それはイタリアでも顕著なのである、ここはそもそも病院の数が日本の十分の一とかに減らしてないのである、これは国全体が財政的に厳しく医療とか福祉にまわせなくなったからである、中国に頼るようになったのもそのためである
そのイタリアからヨ−ロッパ全土に広がった、EUでは行き来を自由にしているから余計に
そうなる、スイスにも広がったという時、スイスからイタリアへの鉄道があり交通が張り巡らされているからそうなる、スイスに広がり隣のオーストリアにも広がる
ヨ−ロッパは一つの大陸で交通が発達しているから広がりやすいのである
日本はもともと海に囲まれているから水際でとめられるということがある

そしてなぜヨ−ロッパから日本に帰ってきた日本人が感染していたのか
それは空港で検査が必ずあり厳しいから判明したのである
日本は明らかに検査する数は少なすぎる、もし空港で厳しく検査するようにしていれば数は百倍になるかもしれない、そこに日本の不安があり疑問がある
ただ死者数はそれほどではないとしてもこれインフレインザで肺炎で死んだ人をコロナウィルスでもそうししていないのかもしれない、何かここは不安なのでアク

いづれにしろ人間は何らか常に制約がありタブーがあったがそれを破ってきたのが文明であり科学技術なのである、でもその制約を越えられないものがある
原発事故で致命的だったのは生態系を破壊されて土や水や森や空気まで汚染されて住めなくなったことである
田んぼとかは生態系に依存してあった、でも一時田んぼでも稲作を禁止されたとき荒廃して原野になった
その時田んぼから蛙が消えた、蛙が消えると鷺が消えた、蛙を餌としていたとかあるからだ、田んぼには水生生物をもいて蛙の餌となっていたからである

つまり生態系はこうしてつながっている

田んぼがなくなる⇒蛙がいなくなる⇒鷺がいなくなる・・・人間がいなくなる

この連鎖が生まれた、人間も町から消えてゴーストタウンになったからである
生態系を破壊すれば人間はその土地に住めなくなるのである

だからコロナウィルスの不思議はこうしたグロ−バル経済とか生態系無視の経済の拡大とかに警告したのかともなる、それも天の作用だったのかともなる
社会自体を見直すものとして生じたのかともなる
津浪でも原発の危険性を警告した、その惨状はあまりにも強烈だった
でも津波が来なければまた以前として原発は安全だとなり日本中が原発だらけになっていた、誰もとめることができない、金になるとなればこの辺でそうだったように目の色を変えて危険は無視されるからである

自然災害は人間の傲慢さを打ち砕くものである、人間は自然を越えられないのである
必ず台風でもそうである、新たな自然災害でその不備が問われるのである
そして自然災害は必ず人災だともされる、それはそうした危険を無視しているからである安全には金をかけないからである、コロナウィルスだってそうである
医療関係に金を使いたくないとして医療が脆弱になりアメリカでもイタリアでもそこをつかれて蔓延をとめられないとなる
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2020年03月15日

人間は国(くに)に生きる (国とは何か福島県(会津)の万葉集より考察)


人間は国(くに)に生きる

(国とは何か福島県(会津)の万葉集より考察)

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国という時何なのか?それは自然村のような自然に生じたものが国である
人為的なものではなくそこに風土があり自ずと一つの国が形成される
それでシンガポールとか香港とかは国ではない、商業単位の貿易都市である
そこには国はない、だから証券取引をする経済に特化された場所である
そこはイギリスとかによって便宜的に作られた場所なのである

国という時、そこに独自の風土があり土地があり自然がある場所でありそこに生きる時
国がある、だからまた東京とか文明の大都会にも国はないのである
そこは商業都市であり工業都市であり経済都市に特化したものである
または東京となると政治都市になる、でも自然がないのである
一千万人が住んでいてもそこは国とはなりえないのである

また行政単位として県があったとしてもそれも国ではない、自然から国が自ずと作られるとき行政単位としての国として廃藩置県で作られたから不自然になる
伊達藩と相馬藩がありその境が新地だとしてもそこが藩の境であり国の境と思えないのである、なぜなら平坦な太平洋岸の海岸線として仙台まで続いているからである
実際の生活でも仙台が身近なのである
むずかしい病気だと仙台に行っている、すでに二人は眼の手術で行っていたし近くで最近死んだ女性も仙台の病院に入院していたらしい

どうしても日本は山が多いから山でさえぎられる、すると自然の境界になりそれで実際の生活でも心でも心理でも形成される
阿武隈高原にさえぎられて中通りは遠く感じられる、第一中通りの山が見えないのであるでも蔵王が南相馬市の鹿島区からも見えるのである

陸奥みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ
(斎藤茂吉)

この歌もそういう地形を歌っていたのである、でもそれより宮城県と山形県を分けるのは面白山がある所である、そのトンネルをぬけると山形になりそこは雪国だったとなるからだ、春でも雪が残っている、でも宮城県側はほとんど雪は降らないからである
だから面白山で国が分かたれていると感じるのである

福島県の成り立ちは会津が最も古い、この歌でもわかる

会津嶺《あいづね》の 国をさ遠《どお》み 逢はなはば 
偲《しの》ひにせもと 紐結ばさね 万葉集

ここに国がすでにあった、国が形成されていたのである
その時浜通りにはまだ国はなかった、浜通りはなにか渡来人の跡が古くあり鉄を求めて資源を求めて来て早く開かれた
そして「黄金花咲く」で宮城県が奈良に知られていた
それを象徴しているのが

みちのくの真野の草原(かやはら)遠けども面影にして見ゆといふものを」 (万葉集巻3)

つまり真野の草原は奈良からみて知られた場所でありみちのくの辺境だったのである
その先はまだ知られていない地だったとなる
ただそこで国というのは形成されていなかった
万葉集の歌で

安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに  万葉集  巻16 

があるとしてこれは今と通じている、交通の要所でありそこに官人を接待した采女の歌がこれだとするとそういう場所だったのである

そして中通りは

安達太良の嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)の ありつつも
   我(あ)れは至らむ 寝処(ねど)な去りそね 」 
          巻14−3428 作者未詳
          
陸奥(みちのく)の安達太良真弓 弦(つら)着(は)けて
       引かばか人の 我を言(こと)なさむ 」
                 
これは縄文人の狩猟時代を彷彿とさせる歌である、原始性がある歌である、鹿と猪が身近なのである、陸奥(みちのく)の安達太良真弓とはこれはみちのくで特別なものである
安達太良真弓と固有名詞化しているから知られた弓だったのである

エミシは、「弓で矢を射る強者」の意のユミシが訛ってエミシとなったという説がある

弓は日本の縄文弓もあるが、中国で発展したらしく、中国東部の民族を東夷と呼ぶのも、ばかでかい弓を使う人たちだったので、大の字と弓の字を一体化して「夷」としたと言うもののようである

日本人はなぜ長弓に固執したのか
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「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた[13][注 2]。夷の字を分解すると「弓人」になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある[15]

弓にたけていたのが蝦夷だったとなる、それは狩猟時代を生きていたから動物を射ることが得意だったとなる

この歌のようにこれはまさに開かれない狩猟していた人たちが蝦夷が住んでいたとなる
熊の穴とかイノシシが寝ていた場所だとか見るのは狩猟する人たちでありマタギの人たちだとなるからだ
だから万葉集の歌で福島県が特徴づけられたし今でも継続している
それは地形とか地理はかわらないからである

いづれにしろ人間が生きる時その場所が大事になる、その場に人は生きる、場と一体となり生きる、アイディンティティ化して生きる
そういう場がないとき人間の生は浅薄になる意味をもていないのである
でも現代社会は文明社会とはもうそういう場がなくなった
東京を見ればわかるそこに場となるべき自然がない、ただ政治経済商業都市として肥大化したのである、そこに国として生きる場ではないのである

ただ現代は全体的にただ経済人間として生きているのである
だからこそこの辺で金になる原発が誘致されたのである、農業とか漁業とか林業は衰退していた、跡継ぎもない、木材が外材だとか国を形成する基盤が失われていたのである
それで国に故郷に愛着がなく原発事故で簡単にゴーストタウンとなり捨てられたとなる
つまり金があればどこにでも住んでいいという時、その国の愛着はない
金さえあればどこに住んでもいい、国より金であり金で買えないものがないとまでなっている
だから金の切れ目が縁の切れ目であり土地とか風土から歴史から形成された国に愛着はないのである
その国に生きるより金にならなればその国との縁は簡単に切れるのである
原発事故でそのことが証明された、補償金が大事であり金さえあれば簡単に故郷は捨てられるのである
一億円もらったら田舎をでてやるとか事故前から若い世代でも言っていたから当然そうなる

ただ人間は経済人間だけでいいものなのか?それが極端化したのがグロ−バル経済である世界が経済の単位となり経済ですべてが計られるのである
そんなふうに人間を経済化することができるのか?
人間とはただただ経済に金にのみ生きるものなのか?
それが問われた、結局グロ−バル経済とは何か?それはアメリカの一局の経済支配でありまた中国の一帯一路の中華帝国支配になるところだった
それがコロナウィルスでブレーキがかかったのである

人間は何に生きるかと問いばそれぞれの国に生きる、そこが生き死にの場なのである
日本国家に生きるのではない、国に生きる、国家は行政単位である
国は自然に形成されたアイディンティティとなるものである
ただ会津を例にすると国と言っても城のある城を守る武士が会津のアイディンティティを形成したとなるが農民は別だった
農民は明治になって一揆を起こしたということは同じ同胞としての国を形成していたのではない、侍には堅い同胞として結ばれていたが農民は別だったのである
年貢をとられるものとしてそれに反抗して一揆を起こしたのである
だから会津を国として意識していたのは武士だけであったともなる
ただ万葉集の時は農民でも庶民でも国としてやはり意識していたのである
そこに同胞がいて妻がいてまた仲間がいてそういう意識をもっていた
そこに会津嶺という山々が常に心に映じていたのである 
なぜならその時会津藩はない、侍はいなかったからである
それでも農民でも庶民でも国として意識していたのである、国の感覚があった

自然から形成された国かあって人間も心も形成される、東京のような大都会から国が形成されるだろうか?
そこは物量の世界であり経済都市でありそこがいかに豊かになっても人間の精神は形成されない、ただ何か貪欲に世界から物とか食料でも食うだけの物欲人間になっている
だから何か精神的に象徴するものはない、皇居があるとしてもそれはもともと京都にあるべきものであり江戸城のあったところにあるのがそぐわないのである
そして江戸があった時そこにはまだ自然があった、縦横に水路がめぐらされて自然の美があった、でも明治以降はそういう美は常に破壊されて喪失してきたのである
つまり国には美がある時国になりえる
美がない時、そこに国はない、美は自然からしかから形成されないのである
経済都市とか工業都市とかからだけでは美は形成されない、美がないことは致命的なのである  

いくらそこで繁栄したとしてもそこに美がなく殺伐としてビジネスマンとは自ら言っているように社畜であり奴隷なのである
人間が生きる場所に値しないのである、たた現代はすべて金で経済力で計られる物量で計られるだけなのである
そして原発事故でわかったように肝心の風土を国を形成するもの、土や水や森や空気まで汚染されて住めなくなったことでもわかる
その時国に住めなくなった、生きる場所としての国が喪失したのである
ただその前に田舎でもどこでも金を追い求めるだけであり国を生きるなどなかったのである
「神の国を求めなさい」というときまず金を求めなさいしかなかったのである
だからこそ原発でも何でも金になるものなら国に作る
美とかも関係ないのである、田舎の人間の方が強欲にもなっていたのである
だから国という時日本の国として自然の風土と一体化した国にこそ人間は生きる価値と意味があるとなる

御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば  海犬養岡麻呂

栄とは物質的なものだけではない、実りとは自然とアイディンティティ化した美がある
または国に真善美がある世界である、そこに生きる価値があるとなる

国というとき国魂神社がある、相馬市に都玉神社(くにたま)神社がある
これは相馬氏の子息が若くして死んで祀られたのである
ただ国の魂(たましい)というとき何なのだろうとなる
国家と国(くに)は別物なのである、国家とは行政の単位としてある
例えば廃藩置県の後は福島県となってもそれが国とはなりえないのである
他でもそれは行政単位として分けたのである、だから不自然なのである
江戸時代の藩でも実際は本来の国とは違うものになっていた
第一相馬藩というけど千葉県などから来た相馬氏に支配されたから相馬藩となった
それは本来の国とも違っていたのである
だから伊達藩と相馬藩の境が新地になっているけどそこは山でさえぎられることもない
浜通りの延長として海岸線を通じて仙台まで直線的につながっているのである

ところが地理から見ると福島県でもハマ、ナカ、アイヅとあるが浜通りは阿武隈高原でさえぎられているから中通りと地理的一体感を感じないしまた会津になるともともと地理的に別世界なのである
この地理だけは変えることができないのである、いつも阿武隈山脈を見ていると向こう側は見えないのである、でも飯館村まで来るとかえって中通りでも近く感じる
地理的一体感を感じるようになる
この差が大きいのである、だから人間は地理からその場からアイディンティティ化される地理は変わらない、山が平地になどにならないからである

第一いつも太平洋側から太陽が昇るのと山から太陽が昇るを毎日見ているとき相当に感覚的に違ってくる、その感覚がどうしても理解できなくなる
例えば韓国から日本海を見ると東海と呼んでいるけど日本海側から見るとそこは常に太陽が沈む場所なのである、つまりそれだけ場所によって見る感覚が違ってくるのである

とにかく会津は古代から大きな国だった、他に福島県でも東北でも国として意識されていない、その国とは今の県とか江戸時代の藩でも伊達藩のように地理とは関係なくなる場合がある、人工的なものとしての国が形成される、ただ古代から国(くに)として継続したのは日本でも少ないだろう
国こそ国体という観念なのかもしれない、それは日本国家というのではない、その土地と一体化したものでありアイディンティティ化したものである
それが本当は愛国心に通じている、ただこの国と国家はまぎらわしいのである
国とは血脈を通じたものがあり国家は行政的機関とかなり人間の温かい血が通っていないのである、だからお国訛りとかなると何か親しみを感じるのはそのためなのである




2020年03月14日

会津の旅の短歌30首


 会津の旅の短歌30首

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(湖南)

街道の湖南の蔵の宿泊まる菖蒲の咲きて心にしみぬ

風鳴るや木立騒ぎて夏の日に荒巾木(あらはばき)神社あるかな

街道の芒に暮れむなお遠く虫の音あわれ会津に向かふ

(猪苗代湖)

猪苗代湖その色碧く心しむ火を噴く後の磐梯山見ゆ

猪苗代湖その岸辺の松幾本や家居ともしく虫の音聞きぬ

猪苗代雪のふりけりその岸に秀夫は育つ雪の清しも

猪苗代湖その岸にふる雪清し心に雪の映りて去りぬ

(会津市街)

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雨しとと桐の花咲き誰が眠る会津の墓地を我が尋ぬかな

松静か桐の花咲き磐梯山形優美に聳えけるかも

氏郷の会津に死にぬ近江よりその歳月や花は散りにき

歴代の会津の殿も眠りける墓地を訪ねて秋の蝉鳴く

三人の女(おみな)の墓の並びけり城に仕えてここに死すかな

大川の流れひびきて広ろらかに会津の国や秋となるかな

会津なる謂れの古く大古墳鏡とともに冬深むかも

みちのくに会津のあれや山深く暮らせる人や冬深むかも

(西会津)

ここよりし西会津なり別れ道立木観音に秋の夕ぐれ

山の上会津の奥や戦いし藩士のしるし秋深まりぬ

阿賀野川新潟にそ流れつつ日本海にそ秋の陽没りぬ

新津駅会津の方に雪の嶺見えて朝たつ電車なかるかも

阿賀野川船運に栄ゆ津川かな雪に埋もれて我が踏み帰る

(喜多方の喫茶店)

喜多方の積もれる雪に蔵の中梁の太くも黒光りしぬ

(伊南)

そそり立つ巌に轟く流れかな心一つに戦い果てぬ

千の山競い聳えてひしめきぬなお奥に山会津の夏かな

鬼百合の咲きし会津やたおやめももののふの心戦いに死す

桧枝岐遠くにあれや米食えず蕎麦にヤモリを食いてしのぎぬ

古りにけるいさすみ神社の老木に我がよりあわれ秋深まりぬ

会津の奥の深しも秀麗に聳えし山や秋の夕ぐれ

会津なる奥の山路を分け入りて萱に埋もれし農家ありしも

雪のふり雪踏みてこそ会津にそ住みし心を知らるべしかな 


沼一つ奥にしあれや何ひそむ散りし木の葉の浮きて静まる

昭和村秋に来たれる鳥の鳴く声のすみにつ畑に人あり

舘岩の奥にしあれや境なるさえぎる山や秋となるかな

自刀せし親子のありぬ雪深く薩長の恨み残りけるかな

会津にそ灯ともりあわれなおしも雪のふりにけるかな

雪うもれ会津の墓や誰が眠る代々住みし家にしあるかな

しんしんと冷える夜なり会津にそ住みてその心知らるべしかな

(会津嶺)

会津嶺の国に生きなむ命かな同胞(はらから)友の絆強しも

会津嶺の国に生きなむ水清し母父ここに我をはぐぐむ

山々の重なり高くひしめきぬ守りの堅く国を守らむ

奥にある秀でし山の隠されて志操の堅く国をし思ふ  


次は国とは何かについて万葉者を例にして書いています

放射能線のように異常なコロナウィルス騒ぎ (不安の人間の社会心理)

                                                                          
放射能線のように異常なコロナウィルス騒ぎ

(不安の人間の社会心理)


放射能に怯える余り、科学的に十分安全だった除染の基準を無駄に引き下げ、除染した土の持って行き場に困り、無駄に金を使い、結果どこも安全にならない。子供たちは、必要以上に屋内に閉じ込められ、精神的な安定性を失い、バランスからすれば被害は拡大した農作物や魚の風評被害についてはいうまでもなく、僅かな安心を得るために、不必要に避けることにより、多くの地域の農業を苦しめた。

コロナウィルスは原発事故の放射能汚染と似ていることを考察した
恐れる人はものすごく恐れた、それは放射性物質の汚染が何かわからないからである
それで専門家でも二つに分かれた

危険 限りなく大

危険 小

危険を言う専門家は限りなく危険だとして怖がらせた、また逆に危険でないという人は低放射線は健康にかえっていいのだという人もいた
それが両極端になった、それで地元では今度避難区域に指定された所は住めなくなった
30キロ内に指定された区域は一時的に避難された
それから一部は5年くらい避難区域にされて住めなくなった
でも今から考えると

南相馬市は避難させるべきでなかった

小高地区は街の方は放射線量が低い

全部を避難させるべきでなかった

そもそも30キロで区切って避難させたのが間違いだった

結果的に人が住まないゴーストタウンにした

これと同じことがコロナウィルスでも起きているのだ
専門家会議を開きそれでここ一二週間が感染拡大をとめる瀬戸際だとして休校したりイベントの自粛を要請した
結果的に日本自体が経済活動が委縮して倒産する会社もでてきた
それはこの辺で街がゴーストタウンになったのとにている
この被害の方が甚大だったのである
30キロで区切られ避難区域に指定されて人が5年も住まなくなると若い世代は他で生活基盤を築き帰らなくなったからである
つまり避難区域にすることは慎重にすべきだったのである

その後は補償金でこの辺はもめて市町村が分断された、市町村内でもこまかく放射線量で補償金に差をつけたからである、30キロで区切られて隣の家は補償金で格段の差がついてしまった、そこでもめるようになったのである
今回も大企業の正社員は8000円とか休業補償されて非正規とかフリーランスはその半分の4000円だとしている
これもこの辺の原発事故の補償でもめたのとにている
必ず割を食う損する人たちがでてくるのである

結局なぜこうして放射線でもコロナウィルスでもうまく対処できないのか?

それはこれらが未知でありどう影響するかわからない、すると過剰に反応するようになる怖がる人はものすごく怖がる、それをあおる人もでてくる
第一専門家でも放射線の被害と同じように言うことが違っている
危険を強く言う人は言うしそれほどでもないという専門家もいる
そしてどうして判断していいのか一般の人はわからなくなる
どう対処していいいのかもわからなくなる

そしてかえってあまりに恐れ過ぎて会社を倒産したりすることの方が影響が大きくなる
つまりそしたら仕事がなくなり食べていけなくなるから深刻にもなる
ここではゴーストタウンになり元に戻らなくなったようになる
その被害の方が大きかったのである、小高などは放射線量が低かったのである
だから街内は避難させるべきではなかったのである
それがとりかえしつかないことにした

だから政府の判断はどれだけ国民に影響するのか今回のことでもわかる
政府の判断は強制なのである、それによって後戻りできないものを作り出す
ただ政府にしても未知なるものにどう対処していいかわからないということがある
もし手をこまねいて感染を増やしたらまた批判される
それでやむなく決断したとなる

ともかく専門家すらわからないことを素人がわかるはずがない

そしてやたらと専門家によって混乱させられてしまうだけなのである
だから専門家の統一した意見を言うべきだがそれもできない
すると国民は混乱するだけでありどう対処していいのかわもわからない
そうして政府の判断で日常生活もできなくなる被害が大きいのである
それによって弱者の被害が大きく生活そのものが破壊されてとりかえしつかないようになる

でもなにかにやいっても社会全般に広まった恐怖の感情は増幅されている
それがととまらない、そういう恐怖の心理が優勢になり社会を覆ってしまうのである
それを止めることはできない、その恐怖心を取り払うことはできなくなる
そういう社会心理が人間心理が怖いともなる
それで何か得たいの知れないものに遭遇して魔女狩りとかが生まれた
そこでユダヤ人がスケープゴートにされた
社会の不安心理がそうさせたのである
だからそういう人間の心理とか社会不安を過度にあおるものが怖いともなる
それにマスコミは便乗して視聴率をとろうとするのもまた不安をあおるのである

でも一方で安全だといってもそういう未知のものへの不安をかき消すことはできない
だからこの対処方法は本当にむずかしいのである 

僅かな安心を得るために、不必要に避けることにより、多くの地域の農業を苦しめた。

あまににも安心に過敏になった結果としてこの辺の農業とかは破壊された
その影響の方が大きかった、風評被害もあった、こういう時必ず風評被害が起きる
恐怖が増幅されて安全なものでも安全でないとする
わずかでも安全でないとなると騒ぐ、コロナウィルスでも過敏になると空気すら吸いなくなる、現実に放射線被害ではそういうことがあった、空気が汚染されているのだから空気すら吸いなともなるからだ

いづれにしろ日常生活が破壊される方が危険の場合がある
食料が入らない物が入らないとなり奪い合いとなり殺し合いまでになる
そっちの方が怖いのである
社会そのものか停滞して破壊させられる方が怖いことがある



posted by 老鶯 at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月13日

梅匂う(死者は家に生き続ける (忘れられない家族と死んでも生きる)


梅匂う(死者は家に生き続ける

(忘れられない家族と死んでも生きる)

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真日さして山鳩数羽梅匂う

雨雲に月の隠れて春の夜                            

梅の香の夕べ満ちにつ闇に入る 

初蝶の庭に飛び来ぬ人変わる
        

姉死して9年すぎしやなおあれや我への愛の家に残りぬ

目立たざる母にしあれど我が家を支えて長し死してねぎらふ 

相馬焼に猫柳さし梅におい遺影を見つつ我が家に安らぐ

死者はなお家にありしも我が一人なおともにしもあると生きにき

目立たざるクリスマスローズ一輪の我が庭に咲きそを知りふれぬ

餌をやる女(ひと)の死にしも猫は来る知らずとあわれ年はへぬるも

その女(ひと)とわずかの時のともにあり死して見ざりき春になりしも
                              

人間は本当に死ぬと不思議である
自分の場合どうしても姉と母のことが忘れられない、それは複雑でも60年以上一緒にいたのである、子供の時から一緒に一つの家にいたのである
そのことが影響して忘れられなくなった、両親でもそうして一緒にいないと情も薄れてゆく、でもこうしし死ぬまで一緒だったから死んでも依然としているような感じになる
そして自分は複雑な家族でも特別良くされていたのである
何かとがめられたことがほとんどないのである
仕事しなくてもそれをとがめられたことはなかったのである
旅に出てもいつも待っていたのである
その時家事は一切しなかった、30年くらいそうして恵まれた歳月が夢のように過ぎてしまたっのである

最後は悲劇にしろ二人のことは忘れられないのだ
そして何か不思議なのは依然として家にいて当時のようにそこにいる感じになる
何か死者は簡単に消えないのである
何か愛情をそそいだ場所に依然として愛が流れている、エネルギーを感じるのである
死者はそんな簡単に消えない、確かに体はなく何もなくなる
でも依然として霊となってとか何かが存在し続けている

そして花を挿す、供物をささげる、そういう行為で死者ともつながる
死者は消えてなにもないのだが花でも供物でもそれを通じて死者とつながるということがある、たから本当は死者には花でも供え物でも欠かせないのである
墓ではそうしなくても家に遺影があればそこにいつもいるという感じになる

隣の人が死んだ、その女性とはわずかに花がどうだとか話したりした
でもそれは四五年くらいだった、その前は自分は家族がいて誰ともききあっていないのである、家族がみんな死んでからしかたなく話すようになったのである
その女性はおとなしい女性だった、歳は60代から70くらいなのかそんな歳である

その女性が死ぬとは百パーセント思わなかった
数カ月前も庭を歩いたのを見た感じだった
ただその女性は野良猫に餌をいつもやっていた、そのことで自分も猫を飼っているから話した、何匹か野良猫が集まっていた、その野良猫が自分の家の猫の餌をねらって入ってくる
でも餌をやっていないようだ、どうしたのだろうと見ていた
それも最近のことだった、あっけなく死んでしまったことに驚く
仙台の方で入院はしていたようだ、何かそこで早く死んでしまった

とにかくこの年になると知っている人が次々に死んでゆく、隣近所でも死んでゆく
そこでいつも人間のあっけない死に驚く
こんな簡単に死ぬのかと驚くのである

人間は常に変化である、人も死んだり新しい人と入れ替わったりと人間関係も変化である今や昨日会って見ていたが死んだとかなる、それから二度と会えなくなる
人間は次々にあっけなく死んでゆくだけだとなる

初蝶を庭で見た、今日はあたたかい、梅はふんぷんと匂っている
三日前辺り月は雨雲に隠れた、まさにその女性は時死んでいたのである
隠れるとは死ぬことである、その女性の一生は何なのだったのだろうとまたふえかえる
でも次々に死んで忘れられるのも人間なのである
正直夫が一人残されると淋しいとなる、早く妻を死なれた人は悄然としている
息子家族と一緒にいるから一人ではないにしろ淋しくなる

人間は愛着ある場所に生き続ける、そこにいたいからだ、原発事故はそういう場所を奪ったともなる
なぜならそこには死んだ愛する人が生き続ける場所でもあったからだ
ただ自分が生きている間は偲ぶが後はしのぶ人がいなくなる
とにかく人は一時を一緒にいるだけである、実にはかない、後は死んで逢わなくなる
この年になると逢うとしてもほんの一時で後は死んで逢わないとういことが多くなるのだ
それは家族でもそういうことがありたださよならだけが人生だとなってしまうのである

コロナウィルスで貯金がない人が生活に困る? (政府の補償は必ず差別される―非正規フリーランスは半分)


コロナウィルスで貯金がない人が生活に困る?

(政府の補償は必ず差別される―非正規フリーランスは半分)

コロナウィルスでなぜ休業することでこれだけ騒いでいるのか?
それは日本人が貧乏になり貯金がない人が多くなった
その数が多すぎる、こんなに貯金がないのかと驚く
ただ不思議なのは江戸時代でも戦前でもその日暮らしだった
宵越しの金はもたないという江戸っ子がいたとしてもその反面は金をもてない
貯金できないということである
だから何か急に金が必要な時どうするのかとなる      

こういう時代は物でも何でも計り売りである、少量を買ったり売ったりしている
だから子供の時、酒屋にいって樽から量り売りをしてもらっていた
それをやらされていた、店でも計り売りである、飴一つとか子供は買いにきていたのである、私の家で家を貸していたときも毎日家賃をとりに行っていたという
毎日ということはその日暮らしだったということである
日銭稼ぎであり貯金もなにもなかったのである

生活保護だとそもそも貯金が禁止されている、貯金するとそれがわかると生活保護が停止されるから困る
ところが人間は必ず病気だとか事故だとか突然のことで金がいることがある
そうなると貯金がないと困るのである
貯金がない人が増えたというとき日本社会が貧乏な人が増えたとういことである
だからこういう緊急時には困ることになる
つまりその日暮らしが日雇いが変化した非正規とか何かフリーランスとか名前が変わったがそういう人が増えている
第一貯金があればすぐに暮らしに困ることはないからだ

団塊の世代になると高度成長時代でありな貯金した
貯金したのはその時利子が高かった、7パーセントの時すらあったから貯金した結果倍と三倍にもなった恵まれた時代だった
だから貯金していれば安心だとなっていたのである
今になると銀行に貯金しても利子がつかない、それよりゆうちょでも銀行でも高齢者から投資信託や保険をすすめる、これがわかりにくいのである
まず60以上になると株式や投資のこと自体を理解することがむずかしいのだ
でも高齢者では金をもっている人が多いからゆうちょとか地銀が地元で信頼していたからそういうことでものりやすい、つまりゆうちょでも地銀でも投資先がない、借りてくれる会社もないからそうなった

貯金するなとか言う人も今は多い、なぜなら貯金しても利子がつかないし目減りしているからである、金融資産はこういうときあてにならなくなる

でも何か困った時どうするのか?

貯金がなかったらどうするのか?それで借りるほかなくなるがこう言う人は返せないのである、だから貯金は必要なのである、でもその余裕が今はない人が多い
それでこういう緊急事態に困窮する人が増えたのかとなる
大会社だと休業補償が政府から8000円でも非正規とかフリーランスはその半分だとか不満になる、政府の政策では必ず割を食う人がいる
この辺の原発事故の補償でもそうである
30キロで区切られたからその内部の人は手厚いのである

医療費は10年間無料、高速も無料

30キロ以外はなし

この差別も大きかった、30キロ内は補償金でも三倍とかもらっていた
こうして必ず政府からの補償金は平等にならないのである
誰かが必ず損する、割を食うのである
これは別に南相馬市だけではない、相馬市とか30キロはずれたらほとんど補償金はもらえなかったのである、それで大きな不満が残ったのである
それで地域が分断されたのである

いづれにしろ貯金がない人が増えたという時、相当日本は貧乏になっている
そうなると昔のようにその日暮らしの人だって増えているから何か緊急のことがあったらたちまち窮するとなる、これも困ったことなのである

posted by 老鶯 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題