abstract mountain
2020年03月12日
abstract mountain
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| 抽象画の部−写真の絵画化(abstract paintingーPainting of photographs)
人生はみんな失敗に終わる (学歴も関係ない、文明そのものが原発事故のように終わる)
人生はみんな失敗に終わる
(学歴も関係ない、文明そのものが原発事故のように終わる)
学歴がどうのこうのとかFランのことをyoutubeで自ら話しているのも面白い
なぜ自分は底辺労働とかニートとかFランとかに興味をもつのか?
今回も長男長女は融通性がなく引きこもりになりやすいというのもなるほどと思った
次男と次女とかなる世渡り上手でうまく対応する術を身につけるとなる
それもまさに自分が長男であり一人っ子でありそうだった
自分自身はどうしても集団生活になじめない、人間関係が苦手なのである
それでどういうわけか家庭環境で引きこもりが許されたので30以降は無職であり家に引きこもっていた、ただ仕事もしないで旅ばかりしていたとなる
そのことから社会常識が欠如する人間になっていたのである
大学でもほとんど勉強していない、Fランではないけどにたようなものだった
第一私の年代ではまだFラン大学がなかった
一応大学となるとみんなエリートになっていた、でも団塊の世代だとその頃から大学という価値が数が多くなり価値がかなり下がってたいのである
だからなぜこんなに大学は人数が多く1000人とか集まる講堂とかで授業しているのだろうとなる、そんな数の人間を前に講義すること自体なじめなかったから余計に勉強もしたなくなった、高校の時も勉強は嫌いだった、だから良く卒業できたと思う
卒業すらできない状態だった
私にとって大学とは田舎から自立するために出るということ家族から離れることに意味があった、そこで甘えていたが自立できるようになったからである
それだけか最大の効果であり勉強などどうでも良かったのである
そしてなぜカルト教団に入ったのか?
これも私はもともと宗教を求めていたのである、私の最大の問題は死の解決だったからである
でもカルト教団は全く宗教とは関係ない政治団体だったのである
だから毎日一票をとるために一軒一軒回るだけだった
ただこれも人間と接するということでひきこもりにならない効用はあった
でも勉強はしていない、これも実に無駄だったとなる
その後は就職もしない、底辺労働者でありそこで散々な目にあった
工事現場ではビルの四回から落ちて死ぬ所だった、そこは一番危険であった
そこで感じたことは底辺になることはこれだけ厳しいものだということを自覚した
そのことを語っている人がいて勉強しておけということを言うのもわかる
一回就職してみるべきだというのもわかる
実社会がどういうところか学生時代はわからないからである
ただ文学に興味があり短歌と俳句は早い時期からはじめていた、それも稚拙なものだったでも何らかその方面で才能があり今日までもう死ぬ時期になり続いている
詩も書いてきたがいいものが作れなかったが今はそれなりに作れている
人間は何らかその人なりものをもっていて個性をもっていてそれを活かすことである
天職につくことである、そこにこそ生きる意味がある
金は必要でもその前にその人なりの仕事をもつことである
そのために勉強して訓練することである
それがわかるのは老人になってからである、また震災で別に補償金をもらえるから生活できたとしても毎日パチンコ通いでありギャンブルだけになるともうその精神も荒廃する
それがやがて顔に現れる、生きがいもなにもなくなるしヤクザと変わりなくなることが怖い、それより大工でも自転車屋でも職人でも農業でも仕事をもっていることがその人を価値あらしめる
確かに漁業していた人は漁業権を売り東電から事故前も事故後も補償金を特別もらっているから生活に困らない
でもそうして魚もとらないとしたなんで港にいるのか?
そういう疑問になったことでわかる、何の意味があり価値があってあなたは港にいるのかとなるからだ
避難民となってもただ補償金だけで生活している人はそうなる
でも他に避難民として移ってもそこで何か仕事をもっている技術などもっている人は他の土地でも価値を認められるのである
それは金の問題ではない、仕事をもっていることにできることに意味がある
ともかく人間の成すことは結局失敗なのである
みんな成功したと思い努力しているし勉強している、でも最後は失敗に終わる
そもそもどんな優秀な人でも最後になって失敗に終わる
それは身近な家族で見たらかショックだった
体力的にも頭脳的にも優れた人間であっても認知症になんで馬鹿になったからショックだった、つまり認知症になることは人生そのものが失敗だったという烙印をおされる
なぜなら馬鹿になったのだとなってしまうからである
そして最後に言い残した言葉が
俺は優秀だった
ここには万感の思いがあったとなる
人間は優秀だった、優秀な人間が文明は人間が作った、でもそこに今や見る影もない、廃墟となっていたともなる
人間は成功も失敗もない、みんな最後はこうして失敗なのである
それは個々人でもそうだが文明そのものが失敗なのである
それを如実に示したのが原発事故だったのである
そこに理系の優秀な選ばれた人が働いていたからである
それはまた人間の英知を集めて作られた文明を構成するそのものだったからである
それが津波とかで一挙にバベルの塔のように崩壊したのである
つまり人間の愚かさを示すだけだったのである
つまり失敗に終わったということである
人間は成功も失敗であり失敗も成功である、失敗も必要なのである
人間は失敗して謙虚になる、俺は頭がいいから成功ばかりして億万長者になった
こんなことを自慢するようになったら危険である
それで事業を起こして失敗した人がいた、もし失敗しなかったら傲慢になって手がつけられないとなった
いづれにしろ学歴が別にその人の価値を決めない、文系などみんなたいして変わりないのである、ただ理系は価値があるから区別される
一体人間の価値がどこにあるのか?それ自体がわからないのである
乞食のような人間が神に認められた人間であることが普通にある
その方が多いのである、宗教に関してはこの世に成功する人は信仰者ではありえないのである、麻生大臣のような人がキリスト者ではありえないのである
巨万の富をもっているからである、まずかえって上級国民はキリスト者とか信仰者にはなれないだろう、ただ富者でも貧者でも区別しないということはある
ただこの世の成功者にはなりにくいことは確かである
人間は成功でも失敗でもない、何か成功は奢りに通じて失敗にいたり、失敗は謙虚になり成功に通じているともなる、国単位でも必ず栄枯盛衰があり一時的に栄えてもいつまでも栄えることがないと同じである、アメリカだって衰退してゆく
それが歴史の法則だともなる
人間は成功を求めることではない、神の国を求めなさいというときそれはこの世の成功ではない、この世のことはすぎてゆく常に変化して無常なのである
つまり結局栄枯盛衰であり成功しても一時的でありたちまち衰退して見る影もなくなる
だからこの世で成功を求めても失敗なのである
人間は学歴で何か価値が決まるわけでもない、有利なことは確かでもそれで価値が決まらない、その後に長い実社会での仕事で決まってくる
仕事ができるかできないかは学歴ではないからだ
ただ勉強していることは悪いことではない、みんな学校をでてもっと勉強していれば良かったと後悔しているからである
自分自身でもそうである、勉強しないから底辺に落ちたというのは本当だからである
なぜ流れ作業のようなことばかりしなければならなかったのか?
それはつくづくもっと勉強していなからこうなったと痛切に感じるからだ
つまり勉強しなければ奴隷にされる、ロボットにされるのである
ただ自分は特別恵まれたからそうならずにすみ大学を出てからも勉強をしつづけていたのである、それが今になってようやく実っているとなる
いづれにしろ
文明自体が失敗に終わる!
ということは個々人も失敗に終わるということになる、つまりこの世での成功は何であれ失敗に通じている、それを証明したのが原発事故だったのである
結局は
成功するのは全能の神だけだ!
あとは部分的に成功したりするけど全体的にみたら失敗である
そして理想社会など人間は作れない
科学技術⇒原発事故
政治⇒治められない
法律⇒守られない
科学技術でもいい面と悪い面がある、それが社会に全部いい面として作用しないのである政治でも治められない、民主主義なども今やどうにもならない、数だけが力となっているからだ、法律も守れない、弁護士自体が不正していることもある
法律をなぜ勉強するのか?金儲けだともなる
いろいろな問題を人間は解決できない、問題は問題をうむ
一つの問題を解決してもまた次の問題が生れてくる、そして永遠に解決できない
そこに人間の限界があるから解決できない、そして遂には破綻するとなるのだ
それで成すことではない、成さないこと天地自然にまかせることが治めることだという老子の思想の逆説になる、そういうことが現実だから共感するのである
ボッシュの絵
カオスになる人間社会、これも原発事故になったこの辺とにている
ここには人間の快楽を求めるものが露骨に現れている
それもまた人間社会の実相である
それは今でも変わりない、人間社会はいつまでもこうしたし混沌(カオス)なのである
2020年03月11日
波立海岸から浜通りの復興(詩) (震災から原発事故から9年)
波立海岸から浜通りの復興(詩)
(震災から原発事故から9年)
波立海岸に白波がうちよせる
磐にしぶきがはねて
若い女性のスカートが風にひるがえる
鴎か飛んできて岩にとまる
沖に船の行くのが見える
夏の日白波が打ちよせる
夏の日がまぶしい
波はしきりに磐に打ち寄せる
小さな熱帯魚も見つけた
そこに千葉からやってきた若者
黒潮でいわきはつながる
鴎はまた海岸線を飛んでゆく
かなたにつづく太平洋
そこは海を通じて結ばれている
のっそりとフタバスズキリュウが
海から長い首を出して見ていた
そしていつしか化石となった
その長い地史の歳月よ
しかし海は怖い
津波があまたの命を飲み込んだ
恐ろしい記憶がここに刻まれた
しかし人々はなおここに生きる
ここが我らに与えられた場所
我らの命はここに刻まれる
海とともに我らの命もある
原発に我らの命はない
その過ちを繰り返すな!
苦しくとも海と大地と山に生きよ
悲劇を乗り越えて新たな故郷を作れ!
海から東風がふきわたり
樹々は芽吹き再び活動の時が来る
海も大地も山も蘇る
恵みは再びもたらされる
その自然からの恵みこそ
真実の実りなるを知るべし
今回の津波で感じたことは津波の被害にあったところが太平洋海岸線が地理的に共有する場だったということである、それが意識されたのである
福島県といっても会津となると一つの別な世界である
でも太平洋岸は海で繋がれていたのである
第一福島県は大きくて地理的に一つの世界として意識しにくい、アイディンティティがもてないてのである、やはり山に遮られると山の向こう側は別な世界として意識する
海はそうして遮るものがないから一つの世界としてみる
だから常磐線全線開通は復興になる、結局いろいろ震災と原発事故では考えさせられることが多かった、でも9年も過ぎてしまったとき記憶も風化することの恐れがある
今の関心はコロナウィルスであり東日本震災の被害に関心が薄れている
もう津波のことを知らない世代が小学生から中学生でもいる
地元でも何か関心が薄れる
人間はつくづく忘れやすい、十年一昔というとき本当にそうである
震災の記憶も一昔になったとき昔のこととして語られるようになってしまうのである
正直何が実りなのか?
それが誤った、原発こそが豊かにする実りだとして地元でも積極的に誘致した
それが裏目に出て生態系まで破壊されて住むことすらできなくなったのである
でも原発に反対したらこの土地に住むことすらできない状態だった
もう欲に目をくらでいる、金になるのならなんでもいいという時代になっていた
そういう時代になり回りもみんなそういう貪欲になっているからそれを止めることはできない、それに反対したらここは住むことすらできなくなっていた
そして逆にそれを推進した人たちが住めなくなったのである
人間の欲はとめることができない、ブレーキをかけられない、それが原発事故の原因でもあった、国家予算並みの金が事故前も事故後もつぎこまれたのが原発だったのである
そこに人間の欲がむきだしになった、「安全神話」を作った人たちも上層部もみんなそうだったのである
政治家から官僚から御用学者でもマスコミでもいかに原発が金になるということで全部一体となり「安全神話」を作ってきたのである
これは本当に強固なものでありそれを否定すればその土地に住めなくなった
それはオリッピックなどでも継続している
本当にオリッピックが必要なのか?国民が望んでいるのか?
これも電通とかマスコミ関係の収入になるとか阿部首相の肝いりでなんとか成功させねばならないとかやはり原発と同じ構図があり同調圧力を上から作られているからだ
だから五輪の聖火リレーで復興だというのも地元でも参加させられる
五輪のために人手が奪われ資材が入らず復興の工事が遅れているというのもそうである
それがどうして聖火リレーとかが復興になるのか?
これもマスコミが宣伝する、地元で疑問を言う人もいないのである
だから原発事故で上から安全神話を作られて同調圧力が作られたのにているのである
日本は権力で同調圧力が強くなり支配者にとって都合のいい国なのである
オリッピックならオリッピック一色になる、それに文句いうやつは非国民になってしまうのである
参考(詩のAI翻訳)
(Poetry for reconstruction)
White waves hit the Namidate coast
Splashing on the rock
Young woman skirt flutters in the wind
A seagull flies and stops on a rock
I see a ship going offshore
The white waves of the summer day
Summer day is dazzling
The waves rush to the rocks
I found a small tropical fish
Youth who came there from Chiba
Iwaki is connected with the Kuroshio
The seagull flies again on the coastline
The Pacific Ocean following the distance
It is connected through the sea
Futabazuki Ryu is soft
I was watching my long neck out of the sea
And one day it became a fossil
That long history of earth history
But the sea is scary
The tsunami swallowed another life
Horrible memories are engraved here
But people still live here
This is the place given to us
Our lives are carved here
There is our life with the sea
Nuclear power has no lives
Don't repeat that mistake!
Live in the sea, the earth, and the mountains
Overcome tragedy and create a new hometown!
The east wind blows from the sea
The trees will sprout and the time of activity will come again
The sea, the earth, and the mountains are revived
Grace comes again
That blessing from nature
Know the fruitfulness of the truth
2020年03月10日
原発事故とコロナウィルスが問うもの (科学技術と過度なグロ−バル化広域社会への警告)
原発事故とコロナウィルスが問うもの
(科学技術と過度なグロ−バル化広域社会への警告)
人間は常に現状に不満をかかえている
その女性は最底辺の生活である、でも医療は一応無料ではないがそれに近い
それで腰が悪いとかといって東京の高価な機械のある病院でみてもらった
まず仙台に行きそれから紹介されて東京まで行った
次に目が悪いと仙台で手術した、半分は援助があったがない分は自分が払ったりした
でもその女性はこうして医療を受けられることに何の感謝もないし不満ばかり言う
それはわかるにしてもアメリカだと絶対にこういう女性はそんなことで医者にもかかれない、もし目の手術をしたら何百万もかかるという
そもそも保険に入っていないし金持ちだけが高額な保険に入って医療サービスを受けられるのがアメリカである
日本人は保険料を納めるにしても安いからみんな医者にかかれる、また福祉で無料で受けられるとういこともある
だからこういうことを知れば日本はいい国だ
こういうふうになるはずだがそうはならない、アメリカのことなどわからないからであるまた日本だと水は無料で飲めるが外国だとほとんど水は有料である
水道の水があるにしても飲めない、汚れていて飲めない
それで日本がに来た外国人は無料で水が飲めるということで助かるという
でも日本人は水を無料で飲むのは当たり前だとしているからそのことで感謝しないのである、私自身も外国で暮らしたことがないからなかなかこうして比較できないのである
それでyoutubeでも外国生活した経験のある人は違うな参考になるから見ている
外国ではオリッピックに関心がないという、みんな個人主義だから関心のない人は全然話題にもしないという、でも日本人だとみんながオリッピックでも関心をもたされる
同調圧力がありそうなる
でも前から私もオリッピックは反対だった
現実に原発地域の双葉とか大熊とかの避難区域では復興の工事が進んでいないという時
資材不足とか人手不足で進まないという
オリッピックのために復興が進まないのである
それなのに復興のためのオリッピックとして聖火リレーのことで宣伝している
常磐線全然開通は先行復興でありただ駅ができたというだけで街は何も復興していないのである、店すらないのである
人間はとにかくいつの時代でもどこの国でもそこに住んでいて不満がある
現代でもどれだけ豊かな生活しても不満がある、人間そのものはまず自然に感謝したりしない、神に感謝したりしない、実りがあるのは当然であり常にたりないたりないしかないのである
だからこそ生活に不満だからこそ地元の人により積極的に原発が誘致された
出稼ぎに行くしかないより地元で働き暮らしたいということでも誘致された
でも不思議なのは戦前でも江戸時代でもその時代なりに人は生活していた
その時は貧乏でもどうしようもなかったとなる
原発は確かに豊かさをもたらした、でも原発事故になり一転した
故郷に住むことさえできなくなり一転して廃墟の町となってしまったのである
こうなことになるなら蝋燭でも家族一緒に生活した方が良かったという人がいた
要するに人間はともかくどんな時代にどこの地域にでも国でも生活しても必ず不満があるでもその不満があってもそこで生活するほかないしできていたのである
漁業でもこの辺ではその幸は恵まれていた、新鮮な魚が食べられるからである
会津の方では新鮮な魚が食べられない、それで会津の人に石鰈を送ったとき喜ばれた
石鰈は地元でも高いのである、漁師は魚をとっても二三日内の魚しか食べないという
活きのいい魚しか食べないのである、それが贅沢なのである
でも現代ではそれだけではたりないから原発を作る時東電に漁業権を売り渡したのである事故無ければそれは最高の生活だったともなる
それが事故後は一転してしまった、放射性物質の汚染で魚をとることも売ることもできなくなったからである
ただ補償はされているから同じように贅沢な生活は一応できたのである
でも漁師がなぜここに何もしないで自分はいるのだと自問するようになったのである
もし貧しくとも漁師が地元に新鮮な魚を提供していれば地元の人たちに感謝されていた
その土地に生きる重要な役割があるとして認められていた
そういうことは農業でもあった、米や野菜や食料を提供してくれるということで農家の役割は重要なものとなっていた
でもまたグロ−バル化広域社会ではそうならない面があった
魚でも新鮮なものを東京に運んで高く売っていたとかある、地元より金になる都会に売るとかなる、それは今はどこでもそうである
そうなると地元より都会の金持ちのために働いているとなりまた違った見方になる
ただ今は今回のコロナウィルスでわかったように中国から食料でも入らないと東京では騒いでいる、野菜でも中国産が多いからである
すると国内の食料が貴重になる、でも高くなると騒ぐ、でもまた国内でとれて東京に供給されるならましてある
供給されなくなることだってあるからだ
こういうことになるからと私はグロ−バル経済を批判してきたのである
奇妙なのはおそらく地元で食料でも供給されなくても困らない
金さえあればいくらでも買える、どこからでも食料でも品物でも入ってくる
その時大事なものは金だとなる、でも第一物自体が入らなくなったら金は紙切れになってしまうのである
そういう恐怖がいくら金をもっていてもある
だから最近食料でも備蓄しておけというのもわかる
金では買えなくなる、店には品物がなくなるからだ、トイレットペーパー騒ぎでそうなった
だから蔵がありそこに米俵でも積んで品物を貯えるのがいいとなる
何か原発事故でもコロナウィルスでも現代社会の悪い面をついてきた
原子力発電でもそれは現代の科学技術の粋を集めて作られた
それが崩壊した時、社会全体が生態系でも自然すら汚染されて住めなくなったのである
ともかく人間はまず住めるということが基本である
縄文時代でも人は森に住んでいた、そこで不足しているものが多かったが一応定着して住んでいたのである、そこに住めるということはその場所に住んで生きられる実りが恵みがあったからできる
ただそれは最低限の生活としても一応住むことができたとなる
原発事故では過度な危険な核の原子力に頼り事故になりもともこうもなくなった
コロナウィルスでは世界のヒトでも自由に行き来してモノが自由に外国からいくらでも入るという時代になった
でも不思議なのはコロナウィルスはそのヒトの自由な行き来やモノの交流をとめたのである
これもなんのだろうとなる、つまりグロ−バル経済をとめたのである
それはもしかしたら神からの自然からの過度な行き過ぎたグロ−バル経済の警鐘だっ
たのかもしれない、そういうことを書いてきた
貿易は悪いものではない、否定できない、ただそれが自分の所で地域で国で満たされるものを外国に頼るということは行きすぎていたのである
それで中国頼りになったとき日本は経済で中国のいうままになり中国の属国化する
それはイタリアでもそうだしイランでも交流が深くなり経済依存度が高くなるとそうなるそこが一番コロナウィルスの被害が大きくなったからである
何でも外国に依存することは危険なのである
労働者でも外国に依存することはいいとはならない
なぜならそういう人たちは一時的に金のために働いているだけだからである
何か危機があったら戦争でもなったら戦ったりしない、命をかけたりしない
自国に帰るだけだからである、でも日本国籍をとって住むとなると日本人になるから違うホンダで働くネパールの人はそうなっている
それは一時的に金のために働く人たちとはちがうものとなるからだ
原発事故とかコロナウィルスが日本だけではない世界に問うものがあった
それは科学技術社会への警告でありグロ−バル経済の警告である
それが過度になった現代社会の警鐘であった
だから社会自体を見直すものとなる、世界でもそうである
それは中国の巨大化台頭でもそうである、それに歯止めをかけた
そういうことでコロナウィルスというものが何なのか不思議になるのだ
それが悪いものでも現代社会の世界への人類への警告となっていることである
社会を見直して世界を見直すものとなっているからだ
東京オリンピック反対!】既得権によるスポーツ美化 -masakazu kaji-
なぜ原発事故周辺は復興できないのか? (そこの住人がその意志もなく働きもしないから?)
なぜ原発事故周辺は復興できないのか?
(そこの住人がその意志もなく働きもしないから?)
福島県民に9年間、聞き続けた「質問」 結果が語るシビアな現実「もう前のような社会に戻ることはない」
3/10(火) 7:00配信withnews
40代、50代が厳しい受け止め
どんな人が「20年より先」と答えているのか、今年の調査結果を詳しくみてみます。
そして年代別で見ると、40代や50代で「20年より先」と答えた人の割合が高い傾向がありました。
いま40代、50代の人は事故当時は30代、40代でした。一般的には家庭を持ち、働き盛りの世代。そして今から20年後となると、60代や70代になっています。復興の中枢を担ってきた世代の多くが、自分の代で復興を遂げるのは難しい、と受け止めていることがうかがえます。
復興というとき地元の人でも20年後先とかにしている
とういうことはそういう人たちは何か復興のために働いていない
復興などあきらめている、または別な地域に移りそこで定着している
他で移り仕事をはじめてうまくいっている人は帰らないというのもわかる
何かそもそも原発事故だと津波もそうなのかもしれないが地元の人がかかわり何か復興のために働いたということはあまりない
みんな外部から来た人たちが働いていたのである
一番働いたのは自衛隊だとしている
膨大な瓦礫をかたづけるにしてもそうである
地元の人たちは何をしていたか?
毎日パチンコ通いであり競馬であり他にも東京とか遠くまで風俗とか遊びに行っていた人もいた、確かに中には復興のために働いた人はいたとしてもわずかだったのである
それで漁業している人が何もすくことがない、なぜ自分はここにいるのだろうと疑問になった
でも漁業関係者の矛盾は
あなたたちもともと働かなくてもいいんじゃない
がっぼり補償金が震災前も後でも入ってきた贅沢な暮らしが保証されているから
何かそういう矛盾があった、漁業関係者は真っ先に立派な家を建てたからである
津浪の被害は悲惨だったが生活的には困ることはないのである
そしてまた「生業を返せ」と裁判起こすにしても補償金をよこせという訴えにもなる
要するにそもそも生業とは何なのか?
これも良くわからない、農業のことなのか、漁業のことなのか、林業のことなのか?
第一あまり今は生業などという言葉自体使わない
何かの特定の職業のことである、会社員が多いから倒産したら会社を復興してほしいとかなる
生業というなら漁業なら魚をとることであり農業なら米や野菜を作ることである
でも漁業なら十分な補償があるのだから補償金のために訴える必要はないのである
それよりなぜ復興ができないのか?
それはみんなそもそも初めから他人まかせ外部まかせであり地元の人が復興のために何か働くことがなかったからかもしれない
俺は地元のために故郷復興のために汗流して働いているんだ
そういう感覚がみんなもてなかったのではないか?
つまりその人なりに復興のために尽くすことがあったとしてもしなかった
そのこと自体が復興より補償金をもらうために訴えてもっと補償金をくれと運動するのが復興の主な仕事になってしまったのである
だから外部からもそういうことで原発乞食だとして批判される
十年もたつのにまだ要求するだけであり税金泥棒だとも言われる
ただそうなったのは地元の人たちだけが悪いともならないのかもしれない、
今の社会はグロ−バル化社会であり広域社会である
家を建てるにもこの辺で二週間くらいで大手のハウス会社がプラモデルのように建てて
この辺で新しい街が二つくらいできた感じになる
昨日も近くに新しい家でできて中学生の服のことで仕立て屋を探していた
何か外部から来た人が多い、二割以上はそうなっていると思う
どこから来たかわからないがどうしても津浪の被害とか原発避難者が小高や浪江や双葉や大熊とかから移り住んだのである
そういうふうに移り住んで家を建てた人はもう戻らないのである
とにかく今何か復興のために地元の人で働き復興のために働いていて俺は復興のために働いているんだという自覚をもつ人はまれなのである
それで人が住まなくなった地域に外部の人に人が住んでくれと頼んでいるのもそうである本来は地元の人が住むべきなのに住まないからそうなる
外部に移り住んだ人たちはもう故郷を捨てたからである
ではお前はなにか復興のためにしているのか?
私は何か直接力仕事などしていない、でもこのプログで現地の状況とか発信したりどうしたらいいのかとか書いているのが復興の一助なのである
現地のことをいろいろ書いているからだ
それで自分も何か復興のための一助となることをしているのだと自覚できるとなる
復興のために知的労働をしているともなる
なんでもいいからそういうことをしなければそもそも他人まかせであり補償金をもっともらいたいしかなくなる
でも10年過ぎると国からの財政援助もなくなる
それですでに福祉でも厳しくなっている、これは全国的だが日本自体が経済が落ち込み
福祉に金を回せなくなっているからだ
何かこの辺はみんな全体が福祉地域であり自ら何かするということがともしい
帰ったのは老人がほとんだというときまさにそこは復興より福祉の対象地域になる
だからただもっと援助してくれ援助を伸ばしてくれということで医療費無料が一年また伸ばされたのである
そして南相馬市の鹿島区は半年で医療費無料は打ち切られた
そういうことで南相馬市はまた復興ということでも協同しにくくなったのである
いづれにしろ復興が20年先だというときもうその頃老人は死んでいる
ただその時海岸に松を植えたからそれが成長しているから復興を感じるともなる
ただその時でも避難区域になった町や村は復興していないかもしれない
何より人は住まないということは致命的なのである
復興するには人が住むことなのである、なぜなら住むことが復興であるからだ
住まないとしたらいくらそこに立派な駅なり学校なり施設ができても復興にならないのである
そもそもがその土地に住むことがはじまりである
なぜならその土地に住むことが自ずとその土地を復興させることに徐々に通じてゆく
家に住んで庭を手入れしたり花を植えたり荒れた地に畑としてまた野菜を作り米を作るという行為を通じて復興しているんだとなり力が湧いてくる
復興とはそうして自ら何か成すことにより力が湧いてくる、でも他人まかせでは外部頼りでは補償金頼りでは力も出てこないのである
そこで暮らすようになれば暮らしいいように自ずと向いてゆく
でも住まないとなればそんな所は廃れようが何なろうが移り住んだ所の方に関心が向く
近くに家を建てて移り住んだ人が孫の中学生のための服のために仕立て屋を探しているのもそうである
でもここには仕立て屋はなくなっていたのである、そしたら仕立て屋があってほしいとかなる
もう住まないとその町に関心すらなくなる
そこで生活しなければならないからそうなる
だからそこに住まないということが原発事故でも津浪の被害地域でも致命的だったのである
2020年03月09日
死者を思う時はその個人を思う (人は死んだ時霊が辺りを彷徨っている)
死者を思う時はその個人を思う
(人は死んだ時霊が辺りを彷徨っている)
家族墓とかは江戸時代までなかった、個人墓しかない、侍でもそうである
個人墓である、夫婦墓はあった、でも基本は個人墓である
ということは死者とは集団の死ではない、個人が死んだ時個人を偲ぶ
あの人はこうだったとかなんとか偲ぶ
家族全部を偲ぶということはない、個々人を偲ぶのである
近くの女性が死んだ時も突然でありびっくりした
その女性とは最近ちょっと話しただけである、何か大人しい人だった
でもとても死ぬとは思いもよらなかったのである
ただ猫に最近餌やっていないと見ていただけなのである
この年になると本当に知っている人でも死ぬ人が多くなる
でも死んだ時衝撃である、何か突然空虚感を感じる
そして死んでもまだ霊があたりを彷徨って離れないとなる
でもそれもまた忘れやすいのである
何か次々と人も入れ替わりするからである
とにかくその女性は病気だと思わなかった、だから突然死んだとなりびっくりした
例えば癌になり病院に通っているとかわかればまもなく死ぬのかとして心の準備ができる何年も介護していればいづれは死ぬのだと思う
でも介護していてもなかなか死ぬとは思えないのである
死は突然に来る!
死というのは何か突然なのである、急に有なものが無になるのが死なのである
その落差が大きすぎるから突然大きな穴があいたようになる
そしてその穴を埋めることができないのが死なのである
なぜなら永遠に帰ってこない逢うこともできなくなるからだ
老いも突然に来る! 徐々に老いるのではない、突然にがっくりとくる
体力的突然に弱る、病気にもなる、何かこの世のことは突然に来る
自然災害でも原発事故とか今回のコロナウィルスでもそうである
何か悪いことは突然にくる、だから対処できないのである
それで心が折れてしまうのである
ただそうして死んでも現実生活に追われて忘れてゆくのである
その女性はすぐ近くだから余計に死を感じた
親しいとはならない人でもすぐ近くだからである
不思議なのは今逢っている人でもいつか永遠に別れて逢わなくなるとして見ていない
でも年になると今逢っている人ともそうなりやすいのである
家族すらそうなってゆく、要するに無常が現実化するのが老人である
死が日常的になってしまう、それで香典とか田舎ではうるさいからその費用が馬鹿にできないのである
今や多死化の時代である、死者の数が膨大になる、それだけ老人が多いからそうなる
まるで戦場で人が次々に倒れてゆくように死んでゆくともなる
人が死ぬと必ずその人個人を偲ぶ、その人の人生は何なのだったろうとか偲ぶ
田から通夜とかあるのだろう、その時みんなで個人を偲ぶのである
ただ自分はそういうことをしなかった、まず一人なので何もできない
でも死んだ時くらい死者を偲ぶ、それは悪いことではない
でも葬式になるといろいろめんどうなのである
今は簡単にすませるから楽ではあるが死者を送ることは相当な精神的負担なのである
ただ身近だったからその突然の死に驚いた、向かいの人が死んだ時も驚いた
その女性は病気で寝ていたのが直ったんだようと言って一週間前に歩いていたのである
そして友達のところを回って歩いた、そうして死んでしまったのも不思議である
死ぬときゆかりのある人たちを回って歩くというのは本当である
でも逢っている人はそのことが自覚できない、まさか今生の別れとなるとは思いもよらないのである
今日は曇って雨もふった、春でも月は見えない
雨雲に月は隠れて春の夜
隠れるとは死のことなのである、お隠れになったということは死のことである
月は雲が晴れればまた現れるが死んだ人は永遠に現れないのである
肺癌で近くの女性死亡に驚く (何か最近まで歩いていたのを見た感じー一年くらいで悪化?)
肺癌で近くの女性死亡に驚く
(何か最近まで歩いていたのを見た感じー一年くらいで悪化?)
そのうち肺癌は、最近急速に増加している癌で、肺癌による死亡者数は、
1970年には 10,489人であったのが、2002年には5万6千人と増加し、2015年には我が国における1年間の新患者数は男性11万人、女性3万7千人になると予想されています。胃癌を抜いて第1位となり、肺癌死は全癌死亡のおよそ20%にあたります
肺がんは自覚症状が出にくい、発見された時には手遅れ
肺癌で近くの女性が死んだのにはまた驚いた
一年前くらいに歩いているのを見ていた、でも最近見ないと思っていた
猫に餌をやっていた、野良猫がその家の前に集まっていた
私も猫を飼っているからいつも見ていた
でも最近猫が集まらない、どうしたのだろと見てたい
それは最近のことでありおそらく病気になっても餌をやっていたのかもしれない
でも死んだのは余りにも急だったとなる
付き合いでも深くしていないからわからなかった
かえって旦那さんの方が病気だということを知っていた
だから意外だった
何か人間は突然思いがけなく死ぬ、この年になると知人でも死ぬ人が多くなった
あの人も死んだあの人も死んだとなる
その人は60代だろう、癌で死ぬのは60から70代である
ただ癌はなぜか増えている、その原因は何なのだろうか?煙草とも確定できていない
私の父親も肺癌で死んだから無惨だった
その死の状態を見て中学生だったからそれ以来死のことばかり考えるようになった
とにかく人は呆気なく死ぬ、家族もみんな死んだ、この年になると次々に死んでゆく人が増えて来る
病気になっている人も本当に多い、自分自身も病気になった
回りをみても同年代でも病気の人が多いのである
でもなぜ癌になってから7、8年くらいしても仕事している
その手を見たら点滴の跡だらけであり痛々しい
でも仕事ができているのが不思議なのである
おそらく肺癌でないからかもしれない、肺癌になると早く死ぬとういことがあるのかもしれない、癌によってその症状をもいろいろだからである
肺癌は症状が出ないからわかったときもう死に向かっている
その女性は病院に通っていた、でも発見したときはやはり手遅れになっていかのかもしれない
コロナウィルスも肺がやられる、インフレインザとにているから肺がやられる
老人は肺炎で死ぬ人が多い、肺気腫とかなって死んだ人も知っている
こうして妻の方が早く死ぬと夫の方は残されて淋しくなる
一人暮らしではないが近くに妻を早く亡くした人は大きな家で淋しいと言っている
そう言う人がまた増えてくるのである
夫婦でもどっちらかが死ぬと一人になるのである
多死化社会というのも現代である、高齢化社会では死ぬ人も増えて来る
それで駅前がもともとはスーパーだったが農協の葬儀屋になった
つまり葬儀屋が繁盛する時代なのである
その女(ひと)とわずかの時のともにあり死して見ざりき春になりしも
わずかの時をともにあったがもういなくなってしまった、なんともはかない、この年になるとただ別れだけが増えて来る
それでさよならだけ人生だというのは冗談ではなく厳粛な現実なのである
2020年03月08日
学校とか駅とか施設とかの建物は立派 (でも肝心の人が住んでいない)
学校とか駅とか施設とかの建物は立派
(でも肝心の人が住んでいない)
復興という時何か不思議なのは公共的建物は立派なのである
飯館村でも学校とか施設とか立派なのである
双葉町でも3月14日に常磐線が開通する、その駅が立派なのである
おそらく新地駅のように立派になっている、都会並みの駅である
でも飯館村でもそこに肝心の人が住んでいない、子供でも他の避難した地域から通っている、小高でもそうである
双葉町でも駅は立派でも人が住んでいないのである、その周りには人が住んでいない
これから帰ってきて住むというが復興団地に入っていた60代の人はめんどうだしここで落ち着きたいとしている、老人だともう復興などめんどうだとなる
だから建物だけが立派にしてもそれで復興になるか?
そこに肝心の人が住んでいない
駅でも人の乗り降りがないと無人駅化する、建物が立派でも人の出入りがなければその用をたさないとなる
だから不思議なのは役所でも役所があって役人がいて住民がいるのではなく住民がいて住民によりそうことが必要だという時もそうである
奇妙なのは住民がいなくなれば役人も必要ない
役人は住民がいて役人でありえる、国でも国民がいてその上に政府がありうる
それはあまりにも人が住んでいないからそうなった
警察だって住民を守るためでありその住民がいなかったら役割がなくなる
でも避難区域では肝心の住民がいない、あまりにも少ないのである
こんな立派な建物が作りました、住んでくださいと言っても住まない
そこに復興の主役となる住民がいないのである
駅を立派にできた、でも住民がいない町に降りても意味がないとなる
老人施設でも介護士がいないからこの辺では青森に送られている
立派な施設があっても肝心のその施設を利用できない、活かせないのである
結局建物だけではない、広い土地もある、でもその土地も放射性物質に汚染されて利用されない、双葉とか大熊になるとその土地は放射性物質の廃棄場となるだけである
ただ補償金はもらっているからそこに住んだ人は別に故郷に帰ることもない
別な土地で家を建てた人も多いのである
南相馬市とかこの辺でも二つくらいの街が新しくできたからである
それだけの家が建ったのである
何か双葉駅とかでも立派になっても誰も住んでいない駅におりるのは奇妙だとなる
無人の街を歩いて帰るとなるのも変なのである
これから帰る人があるにしても浪江でも一割しか帰っていない
双葉になると避難解除はされていない、すでに十年を過ぎるのである
10年間誰も住まない街があり周りの田畑も放置されたのである
復興というとき町全体を元のようにまた新しい町として復興することである
でもその主役の住民がいないのである、それもこれからも帰ることはあてにならないのである
役所でも警察でも肝心の住民がいないとしたら守るものがないのである
建物は前より立派になってもそれで住民が帰るわけではない
まず人が住んで自治体が成り立つ、その肝心の主役の住民がいないのである
映画の猿の惑星では核戦争で滅びた後に猿が人間の代わりに住んでいた
ここでやはり核を使った現場事故の後に町が無人化して一時はイノシシとかが歩いていたまた猿でも人間を怖がらずに逃げなくなった
人間がいなくなったとき動物はかえって住みやすくなるし増えるのである
何かこの辺は依然として映画のような状態がつづいている
イオンを例にすると巨大資本でありそれは市町村の街をシャッター通りにしたと言われるそういう外からの巨大資本会社は利益をあげられないと撤退する
そこの住人ではないからである、利益は東京に住んでいる会社の人に吸い上げられる
それは中国人の観光でも中国人が経営する旅行会社が来て利益はもってゆくから日本人は利用されているだけだと嘆いている
外資が入ると日本人のためより外国人のために尽くすしもうけるとなる
北海道のニセコとかは外国人の富裕層の街であり日本人はそこでもうけているともならない、外資が入るとそうなり安いのである
だから人間はどこであれまず住むことが第一の要件としてある
ただ住むことは自ずと責任と義務が生じている
これを住んでいる人は理解しなかった、自分自身さえ別に住むことだけにそんな責任とか義務があると思わなかった
でも原発事故で住めなくなったときそういうことがあるのかと自覚したのである
第一に住むことがその土地に対して責任と義務を強いられる
つまりそこに住んでいる人たちは自ずと今回の原発事故でも住めなくなったようにそうさせた責任の一端は住民にあったからだ
金に目がくらんで原発を積極的に誘致したからである
でもそこに住んでいる人に一番被害があった
故郷に住めなくなることが最大の被害だった!
責任を感じないにしても必ず誰かが責任をとらされるのである
責任はカルマでもあり逃れることができないのである
最も責任があったのはそこに住んでいた人たちなのである
ただそういうふうに自覚していた人はいない、金になればいいじゃないかという軽い気持ちだったのである
とにかくその場所に住むということはすでに責任と義務が生じていたのである
そして住むことは否応なく責任をとらされるのである
住んでいる場所が放射性物質とか公害とかで汚染されればそこに住んでいる人たちが一番被害を受けるからである、責任をとらされるからである
だから住まない人には責任とかも感じない、それが東電でも幹部は東京に住んでいるから安全だとして安全に真剣にならない、東京に住んでいれば安全だとなるからだ
事故になっても東京まで被害にならないだろうとみるからだ
だからこそ原発は東京に作るべきだったとなる
それは東京の人たちの責任となるからだ
原発事故とコロナウィルスの被害の相違 (放射線は若い世代に次世代へ被害で復興できなくなった)
原発事故とコロナウィルスの被害の相違
(放射線は若い世代に次世代へ被害で復興できなくなった)
原発事故とコロナウィルスについて時事問題の深層で書いてきた
ここにも共通性があったからだ
その比較で一番大きかったのは
放射線⇒若い世代(次世代)への被害
コロナウィルス⇒老人への被害
ここが大きな相違だった、そして放射線被害の方がより大きなものだったのである
なぜなら全体からみれば種の保存とか生態系の保存とかからみれば放射線の被害は次世代まで影響するということで恐怖だった
遺伝子が破壊されて次世代も影響して奇形が生まれるかなれば子供を産む母親は恐怖となり一番恐れたからもう住めないと決断したのである
だから母親が一番恐れたから次世代までも影響する放射線はもう自治体を維持できなくさせた
今でも帰ったのは老人がほとんどである
そして老人は放射線など関係ないのである
それて20年後なのかガンになるとか言っても放射線の影響でなくてもなんらか病気になって死ぬからである
それで飯館村では老人がキノコでも平気で食べていたし松川浦では牡蠣でも貝でも平気で食べていたのである
生物でも次世代の保存にこそ種の保存にこそ最大のエネルギーが払われている
大量の卵を産むのもそうだし生命の維持のためにはそうなる
人間も生物の一種だからやはり次世代へ子供へエネルギーが注がれるのが常態だとなる
だから貧乏人の子沢山というのも多く子供を産んでいた
貧乏だと医療が発達しない時は子供は死ぬことが多かったからである
なぜ原発事故でこの辺が復興できなくなったのか?
それはコロナウィルスと比較すると子供とか若い世代とか次世代までに放射線の影響が大きかったからである
これが致命的になったのである、何かコロナウィルスの不思議は若い人人の集まりにでてきて酒飲んで俺は陽性だとか言ってウィルスをわざと拡散するようなことをしていた
それは日頃から若者は老人は死ねと叫んでいたからである
高齢化社会で老人や病人が増えすぎたからである
現実に福祉でも病院に通う老人が多い、その負担が大きいからである
もう医療でも福祉でも日本経済が停滞して落ち込んでいる時そこに金を出すことができなくなる
だから「老人は死ね」と若い世代がなる
老人はもう重荷でしかなくなる、老人を敬うなどない社会になっている
それは若い世代から見れば負担でしかなくなっているからだ
だから奇妙なのはコロナウィルスである、これは増えすぎた負担だけの老人を殺す
老人キラーウィルスなのかとなる
自然の摂理で増えすぎた老人を減らす殺すウィルスなのかとまでなる
つまりこのコロナウィルスによって社会全体からみれば自治体とかは崩壊しない
かえって老人が減って社会が健全化するとまでなるからだ
あくまでも全体から見てそうなる
とにかくなぜこの辺ではこのようになったのか?
原発に頼る⇒事故⇒自治体崩壊
観光に中国に頼る⇒コロナウィルス⇒観光産業崩壊
この辺は原発に頼りすぎたのである、原発一辺倒になったことは観光が中国人頼りになったのとにている
それもコロナウィルスで見直しが迫られている、そこで倒産する会社もでてきた
何か投資でもそうだが一つのものに頼るとそれが崩壊すると全体が崩壊する
分散投資が投資の基本である、一つがだめでもまた別なものでもうけるとかなる
とにかく原発事故の放射線被害で致命的だったことは生態系全体が汚染されたことである水から土から空気まで汚染された、そしたらそこに住めなくなったのである
おそらくコロナウィルスだったら一過性で終わるかもしれない
そして子供や若い世代に被害が少ないから自治体は維持できる、みんな避難しなくてもいいのである
だからコロナウィルスはそれほどの被害がないともみるのである
原発事故から十年も過ぎるけど何か復興していないというとき肝心の次の時代を担う若い世代が流出してしまったことである
その人たちは10年も別な土地で過ごしていたらそこが故郷ともなり帰ってこなくなったでも小高では50パーセント帰ったとなると多いと見た
ただ若い世代は少ない、老人の街になっている
一部外部から移り住んだ若い人たちがいる、またそういう人たちが農業をはじめた人もいる、でもまず全体からみて浪江とか飯館村でも一割くらいしか回復していなのである
そして避難区域になった所から回りの復興住宅に移り住む人も多いしまた新しく家を建てた人も多い
だから南相馬市だと原町区とか鹿島区に立派な家を建てた人が結構多い
補償金を一億円くらいもらった人もいるからだとしている
だからもともとここに住んでいない人が多いのである
まず二割くらいはそうかもしれない、だから原町とか鹿島とか相馬市でも新地でも移り住んだ人たちが多い、それで人口は減っていないのである
でも肝心の自治体は復興していないのである
何か希望としては常磐線が3月14日に全線開通することである
これも9年ぶりなのである、これは明るいニュースである
あと原町区のロボティクス工場は最先端の技術を開発しているからいいとなる
そして問題は10年過ぎる国からの補償がなくなる
これは大きな問題になる、南相馬市でも相馬市でもそれほど財政は良くないからである
南相馬市では特に財政的に苦しくなる、一時は補償金で潤ってもそういうものは長続きしない、継続しないのである
そしてこの辺の問題は復興より補償金頼りになったことである
老人になればもう補償金に頼り老後を過ごそうとなる
何か苦労して復興のためにやる気力もなくなっているのだ
戦後戦地から帰ってきた引揚者が仕事がなく開墾に入った土地が多い
でもその時代だからそういうことができた、でも半分くらいはそれではやっていけず撤退したのである、でもその後高度成長時代になり仕事が増えたからそっちの方に吸収されたのである
今はそういう時代ではない、結局老後は補償金頼りであり復興の力とはならないのであるだから若い世代へ次世代まで放射線の被害があっことが致命的だったのである
今になると10年もすぎると外部の関心も薄れる、地元でも関心がなくなる
だんだん忘れられてゆく、風化してゆくことも怖いのである
正確な情報とデーターを知らされないのか? (コロナウィルスウィルスも利権がからんで検査もできない)
時事問題の深層で原発事故とコロナウィルスの比較検討してきました
一連のものとして読むと共通した問題があり対処をどうするかのヒントになる
2020年03月07日
梅匂う(海老浜と日立木駅辺りを行く)
梅匂う(海老浜と日立木駅辺りを行く)
海老浜
日立木(町場橋)
薬師堂
老の身に霰や厳し生き残る
相馬焼に梅挿しにほふ遺影かな
猫柳姉の遺影に挿しにけり
蕗の薹ここに芽生えてイヌフグリ
梅においしばしよりにき昼の月
春の日の日立木駅や昼の月
里暮れて柔和なる月いずるかな
今日一日東風(こち)吹き遠きを思うかな
海老の浜津浪よりはや十年や春日さし松の育ちけるかな
日立木の町場橋かな紅梅の薬師堂に映え松並木行く
一時霰がふった、その後結構寒かったら春寒しとなる、老人になっても厳しいことはあるしかえって苦しいともなる
でも今日は一日東風(こち)が吹いた、一日吹くということは春になったということである
東風が吹いても北風がまた吹いたりするからである
この東風はただ原発事故の時悪く作用したのである
ちょうど爆発した時、東風吹いてそれが放射性物資の塊りとなってブルームとなって飯館村から福島市に流れた
だから不運だったのである、それでいまわしい記憶ともなっている
海老の浜に津波の後に松が育っている
やはり十年すぎると人間だと小学生くらいになったのかと見る
でも大人になるには後20年くらいかかるから先が長いとなる
新たに苗を植えた所もありそれも先が長い、大きくなるのはもう見れないとなる
育った松は震災の後に落ちた種が育ったのである
蕗の薹が出ていたから春である、日立木駅は本当に無人駅である
一人二人しか乗り降りがない、鹿島駅は今は高校生の見守りの人がいるから無人駅でもなくなった、日立木駅は本当の無人駅である
日立木の町場橋はやはり街道と関係があるのだろう
ちょう ば ちやう− [3] 【町場・丁場・帳場
@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離。 → 長(なが)丁場
A 夫役で、運送・道路工事などの受け持ち区域。工区。持ち場。
B 馬子やかごかき・人力車夫などのたまり場。
@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離
これが適当なのかもしれない、なぜなら松並木があり街道であるからだ
相馬市の城から歩いて来てここで休むとういことがあったのだろう
ただこれは歩いてみないと感覚的にわからない
だから歩くといいのだけど私は歩いた旅は近くでもしていない、疲れるからである
だから歩く人には感心するのである
東風は海から吹いている、だから広い海を思う、東風が吹くと遠くに行きたいとなる
ただここ十年は遠くに行っていない、去年だって仙台に一回しか行ってない
今年になっても一回も行っていないのである
コロナウィルスになってまた出かけにくくなったのである
結局人間はいつか旅すらできなくなる、何するにしろ体力もなくなるしできなくなる
何か登山しようと思ってリュックを買ったがこれも無駄になった
新しい機械も道具も買ったが使いこなせなかった
つくづく今までしたことを続けようとしているのだができなくなる
それで車の免許でも返納して運転できなくなるとき本当に老いを感じるのである
老いとは今までしていたことをしようとしてもできなくなることである
それでがっくりとして老いるとなる
そういう日は誰にでもくる、だからやりたいことをやっていないと損だったとなる
海外旅行を50でしていたから良かった、そうでないとできなくなっていたからである
姉には猫柳がにあっていた、良く近くの河原でとってきたからである
認知症になったとき本当にあわれだった、最後は無惨だった
でも自分には良くしてくれたから忘れられないのである
複雑な家庭だったが自分にとっていいものだったのである
それを死んでからつくづく感じるのである
二人がいて自分がありえたとつくづく思うからである
正確な情報とデーターを知らされないのか? (コロナウィルスウィルスも利権がからんで検査もできない)
正確な情報とデーターを知らされないのか?
(コロナウィルスウィルスも利権がからんで検査もできない)
原発事故でもまず情報が隠蔽されて「安全神話」が作られた
それを作ったのは政治家であり官僚であり東電でありマスコミでありとすべてが一体となり作り上げた虚構の「安全神話」だった
そこで正確な情報とデーターは知らされない、だからまずそこからして判断しようがなくなる、科学者なら学者ならデーターがないと何も言えない、データーをまず把握しないと何も言えない、だからデーターに基づかないことは言うなと一般人に警告している
そしてこのデーターを握るために独占して利権化するために国立感染症の団体が開業医とかに検査させないという、ここでも利権なのかとなる
様々な研究所ではデーターを把握すれば正確な情報が発信できて権威をもつ
それが利権につながる、他の研究所で勝手にデーターを解析されて発表されると国立感染症では権威がなくなり予算もとれないとしている
また厚生省の官僚も検査をしたくないとしている
それで検査がすすまないとしている
こうして様々な団体で利権がからんできて肝心なことが安全でもおろそかにされる
原発事故では漁業組合が漁業権で利権を得たからそれで補償金を事故前も事故後ももらっていて何ら生活に困ることはなかった
その利権は大きなものだった、ただ漁業組合だけではない、様々な団体組織がありそれは利権団体なのである、カルト宗教団体でも利権団体で一致している
だから政教分離となると創価であれ神道団体であれ仏教団体であれ一致協力するのも不思議だとなる
宗派争いとも熾烈になるが利権のためなら協力する、それはそもそもそれぞれの団体が利権団体だからである、労働組合でも利権団体化していたことはわかる
労働貴族などが生れていたからである
これが社会を歪めていることは共通している
今回のコロナウィルスでも国民のために何をするか安全を守るために何かをするというよりまず国立感染症だと利権が先だとなっていた
それは原発がさまざまな団体の利権化したこととにている
原発の利権化した団体組織は数も多かったからである、そこで官僚の利権ともなる
その利権が先になるとどうしても肝心のことが安全のことが後になる
なぜ検査できない?
このことがわからないのはその背後に常に利権がからんでいるからである
そういうことがあってもマスコミでは追求できない
マスコミも大きな利権団体だからである
マスコミ自体が宣伝費をもらって成り立つ巨大な利権団体なのである
様々な組織団体から宣伝費をもらっているからその組織団体に反することは言えないのである、東電だったら電事連とかあり莫大な宣伝費が出ていたからである
つまり利権にかかわらないかぎり公正な報道などできないのである
でもこれまでの報道は必ず背後にこうした利権とかかわりそれで真相は闇の中になる
だから意外とyoutubeを何かわからないで見ていたが真相を追及している
それはプログとかyoutubeでも手間はかかってもほとんど無料だからできている
別にスポンサーがつかなくても放送できるからである
テレビとかマスコミではできないのである
いづれにしろこの利権団体は社会を相当に歪めている、でも人間は利権から逃れられないそこに人間の矛盾がある、相克がある、金のためには悪魔に魂も売るのが普通でありそれが社会の実相でもある、金でなんでも買収されてしまうのである
今の時代になると金で買えないものはないとなってしまっている
しかしそれが原発事故やコロナウィルスとか問題が起きるとなぜそうなったのかとかいつも追求する、そして利権が背後にありそれでまた歪められていたのかとなる
現代の民主主義といっても一票など何の意味もないのだ
むしろ票がまとまってないと当選できない、すると様々な利権団体組織に忖度する
そこには種々の宗教団体も入っているのである
宗教も団体組織なると利権化するのである、その利権をめぐって宗派が熾烈な争いになるのが歴史でもあった、それは宗教の正当性を追及するより利権争いだったのである
歴史的に寺があるとするとそこは一つの国であり城であり利権化していた
だからその寺から侍が出たというのもわかる、僧でも僧兵がいたからである
そこから武士になっても不思議でもない、ヨ−ロッパでも騎士団がいたからである
ともかく民主主義といってもそこに様々な弱点欠点がある
特に民主主義は危機に弱いという面がある、一本化できないからである
危機の時はやはり一人の人間が首相でも権限があり実行させるのがいいとなる
でも中国の共産党一党独裁はまず情報は最初から隠蔽される
そこからして真実は明らかにされずすでにコロナウィルスでも蔓延した後になっていた
また日本でもインパウンドの中国人観光客の収入とか習近平の国賓招待を優先課題として早めの手を打てなかった
結局危機に対しては一眼となって対抗しなければならないが様々な利権団体があり官僚でも厚生省の利権だとか財務省の管轄の利権だとか省ごとに利権があって一本化できないのである
戦争でも海軍と陸軍が対立して一致して行動できなかったとかにもなる
つまり民主主義は危機に弱い、一つにまとめることがしにくいからである
そして様々な利権団体が足かせになり一本化できないのである
だからなぜ検査ができないのか?
それを追及する時、マスコミでも真実は追求できない、国民でも何なのだろうとなってもどこにそれをぶつけていいかもわからない、第一阿部首相自体が厚生省の方に力がありその厚生省の役人が力がありそれらの許可なしでは何もできないとしている
それは「検査しろ」という鶴の一声で決まるはずだができないことでもわかる
官僚の方が力がありなにかにと言われるとできない、専門的なことを首相でもわからないからである
アメリカではCDCとか危機に対応する機関がありそこで一括して対応する
危機の時そうしなければ迅速に処理できない、こっちがどうだあっちでこうだとそれをいちいち聞いても首相でもわからないからである
そして危機には迅速に対処しなければならない、だから原発事故では避難指示が遅れたり住民が浪江だったら一番放射線量が高い山側の津島に避難した
トップが何の支持もできなかったのである,トップが支持できないのだから住民は右往左往しているだけだとなってしまったのである
民主主義というけど危機の時第一話し合っていても時間がかかるしそれではもう時間がない、津波のように逃げるか逃げないかなど話し合っていたらみんな死んでしまうのであるとにかく人間そのものが危機に弱い、急激に来るから判断しようがなくなる
その時頼りにすべきものはなになのかとなる、トップも原発では頼りにくならなかった
何が起きていたのかもわからなん、それで自分は爆発したとき20マイクロシーあったとき出歩いていたのである
でも外には出るなと支持はあった、でも放射線とか見えないから危機感がなかったのである
こうして危機は突然に来るから対処が誤るのである
2020年03月06日
コロナウィルスが感染しやすい人種がDNA解析で判明 (日本人のルーツ解明の重要な情報)
コロナウィルスが感染しやすい人種がDNA解析で判明
(日本人のルーツ解明の重要な情報)
青い四角の中は90パーセントの感染率である
この情報は日本人のルーツを知る重要な情報と思った
これは明らかに日本人がどこから来たのかということで言われても来た
江南地方であり長江をさかのぼった雲南とかと文化が共通している
照葉樹林帯文化としてつながりがあるとされる
根栽類の水さらし利用、絹、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆[1]など発酵食品の利用、鵜飼い、漆器製作、歌垣、お歯黒、入れ墨、家屋の構造、服飾などが照葉樹林文化圏の特徴として挙げられる。照葉樹林文化論を肉付けする形で稲作文化や畑作文化なども考証されている。
栽培イネの発祥地は、一時、雲南地域とされたが、近年の考古学や分子生物学の知見は稲作が長江文明の湿地帯に始まった事を明らかにした。稲作文化の多くの要素は、後から照葉樹林文化の要素を包摂した。
綿津見神社が相馬地方に多い謎の解明(2) (照葉樹林帯の南限の地だったから・・)
安曇族などの海洋民、綿津見神社や山津見神社をもたらした一群の人たちがここから移動して来た
福島県浜通りには綿津見神社と山津見神社が密集しているのである
照葉樹林文化というとき
多珂神社は大きく格式が高い立派な神社である
綿津見神社は小さいのである、スダシイ神社はこの辺が照葉樹林帯にあることを示している、安曇系の海洋民が中国の江南だとされるがそういう一帯が照葉樹林文化であり焼畑なども行われていたのである
山津見神社があるとき山で焼畑が行われていたからそれもセットになっていたのである
とにかく福島県の浜通りは温暖な地域であり照葉樹林地帯になっていた
その浜通りに綿津見神社とその系統の山津見神社が本当に多いのである
その数からして明確にこの辺が同じ先祖であり文化圏としてあった
一方縄文人の末裔は楢樹林帯でありドングリとか食べる北方系なのである
つまり長江流域から雲南とかベトナムとかまで照葉樹林帯としてあり文化の共通性があるコロナウィルスの発祥の地の武漢はそうした中間地域にある、気候的には温暖なのであるそして真野の草原の万葉集の歌は明らかに浜通りが照葉樹林帯にありその気候の境目として奈良の中央の官吏などに知られた場所だったのである
マルハシャリンバイが奄美大島から種が流れ着いて根付いた南限の地だったということもそうである
古代になると自然の境界が国の境界ともなっていた
それから韓半島の不思議である、照葉樹林帯として古代の伽耶国がありそこは日本と密接につながっていた、まるで一つの国と思えるほどであった
食文化でも韓国に肉料理が入ったのはモンゴルに支配されてからだとしている
その前は精進料理のような質素なものだったという
その料理をみれば日本の料理とにていたろう、日本も海に囲まれているから海産物が主なものとしてあったからである
伽耶は大陸から見るより海から見るとわかりやすい、そこは海として長江河口とかとつながっていたのである、また新羅商人が宋の時代に行き来したということもある
陸でつながるのではなく古代には海で通じた商人国家貿易国家だったのである
そして鉄がとれたということでそれが商品となっていた
インドに由来する説もとっているのは商人が海を通じて来ていたとういことで荒唐無稽ではないのである
とにかくここで日本人の起源はルーツはコロナウィルスにかかりやすい体質で共有しているというのはかなりの有力な証拠になった
そこは同じDNAであり体質的にも同系だということになるからだ
日本を見る時地理的に海からの視点が必要である
東南アジアでも海の視点から見るとわかりやすいのである
中国も巨大だが海の視点と陸の視点とに分けてみると地理的にも歴史もわかりやすくなる
ここのyoutubeは何かふざけているのかとも見たが意外とyoutubeには参考になる情報が多い、それはなかなかテレビでは放送されないのである
この情報は日本のルーツ解明に貴重なものだった
情報社会というとき一つの事件でも様々な見方があり多角的に多様的に考察する
でもそうなると膨大な情報を追うだけで時間がとられる
だから簡単でわかりやすいテレビで要約してサマリーとして見ていた
でも詳しく知ろうとするときテレビではわからない、この情報を知れば日本は意外とコロナウィルスに感染しやすい体質をもっていて危険だとも見る
それで東京に蔓延するとも警告しているのである
何か科学的に説明すると説得力が出てくるのが現代である
実際科学無しでは社会事象を知ることはできない時代である
それで文系はだめだとなるが原発事故でもコロナウィルスでも政治と社会の問題として全体として対処しないと解決しない
それで様々な学問でも総動員することになる
ただ感染の結果を見ればイランとかイタリアで被害が大きい、それはなぜだろうかとまた疑問になる、コロナウィルスの正体でわかっているのは子供や若い世代は重症にならない風邪くらいの軽症で終わるということである、これは結果的に統計的に明確なのであるその他はまだまだ研究の途中なのである
コロナウィルスと原発事故の対処の経過 (科学的判断より政治経済的判断が優先された)
コロナウィルスと原発事故の対処の経過
(科学的判断より政治経済的判断が優先された)
今回の阿部首相が判断した過程を見ると次のようになる
政治的判断⇒習近平国賓招待
経済的判断⇒インパウンドの中国人観光客の収入
科学的判断⇒コロナウィルスの正体不明ー若い世代は重症化しない
政治経済判断>科学的判断になる
科学的判断がまず最初に来てもいいと思うがならない、原発でも科学的判断なら日本では操作する技術がないから危機管理ができないからやめるべきだとなる
また十分に技術を習得してからやるべきだとなる
湯川秀樹は日本ではまだ原子力を操作できる技術がないとして早いと判断していたからである
技術が未熟なままにアメリカの古いマーク1という原子炉を買ったのである
そこには政治的経済的判断が先にくる、第一アメリカでも日本に原子炉を売りたい
もうけたいという政治的経済的判断が優先された
また軍事的にも日本に核兵器の原料をのプルトニウムを生産させて備えるということでアメリカの圧力があったからだ
科学でも技術でも科学者でも技術者でもその人たちが権力をもつわけではない
その金を出したり判断するのは政治家である
科学の上に政治がある、だから東電の科学者集団が10数メートルの津波が来るとして備えるべきだとしたときそれは無視された
経済的コストの関係で金がかかるからとできなかった
経済的判断でできなかったのである
だからコロナウィルスにどう対処するかも科学だけで判断できない
つまり学校の休校とか集会の禁止とかなると二兆円なのか経済的損失が生まれる
そのために会社が倒産したりするとその影響の方が大きくなり問題である
しかし一方でコロナウィルスを拡散することをとめねばならない
こういうジレンマに陥ったのである
第一科学的判断が正しいとしても原発事故でも放射線の影響がどうでるか不明である
コロナウィルスでも正体がわからずどう対処していいかわからない
科学者自体がすべてわかっているわけではないからだ
必ず二つの説に分かれるからそれを素人がどう判断していいかわからなくなるからだ
今回の科学的判断基準として
若い世代、子供などは感染しても重症化しない
老人や病気をもっている人は重症化しやすい
これだけは科学的にわかっている、そうするとここから判断するのがいいとなる
まず若い世代や子供が安全だということは次代を担う者が生き残るから社会は維持できるでも若い世代に影響する次代にも影響する放射線は社会自体が維持できなくなさせる
なぜなら遺伝子を放射線が破壊して奇形児が生まれるとか言われたからである
だから放射線の方がコロナウィルスより怖いものだともなる
つまり奇妙なのだけど若い世代は普通に暮らしてもいい、でも老人は隔離して若い世代と子供でも接しないようにするともなる
だから全面的に平等に社会活動を停止させることは経済的判断から損失が大きいからしなくてもいいという判断にもなる
放射線の被害はこの逆だったから自治体が老人ばかり残り崩壊したのである
とにかく子供でも若い世代も感染しても重症化しないとういうことは確かである
だからその点を考慮して対策して判断するべきだったとなる
それを全部同等に考えて判断して対策するべきではなかったとなる
2020年03月05日
コロナウィルスと原発事故の対処の共通性 (政府の判断指令によって混乱させられただけ)
コロナウィルスと原発事故の対処の共通性
(政府の判断指令によって混乱させられただけ)

何か今回のコロナウィルス騒動は原発事故の放射線に対する処理とにている
放射線が何か良くわからない
わからないから怯(おび)える人は過剰におびえる
怯えない人はそんなものたいしたことない
低放射線はかえって健康にいいとか言う人もいた
でも過剰におびえる人はおびえる
専門家の意見でも二つに分かれる
御用学者は放射線はたいしたことがない、恐れる必要はない
また左寄りの学者は危険を言う
こうして素人は何を基準にして決めていいかもわからなくなる
そして政府では30キロで線引きしてその内は手厚い補償したのである
今でも30キロ内は南相馬市だと原町区でも小高区でも医療費無償を伸ばしてくれと言ったら一年伸びたのである
30キロ外になった南相馬市の鹿島区は医療費無償は半年で打ち切られた
この差は本当に大きかった、高速も30キロ内は無料だったが市長が代わりやっとここも無料になった
これはここだけではない30キロで区切り線引きしたり放射線量の多寡で細かく線引きして補償金で争いが生じたのである
飯館村でも一律にすればいいのにここでも補償金で争い二分してしまった
他でもそういうことがありもめたのである
その後遺症も大きいのである
今回のコロナウィルスでも同じである
これは別にインフレインザと変わりない、そんなに恐れるものではない
それより正常の経済活動を止める方が社会にとって深刻だ
だから社会の活動をとめるべきではなかったと言う人たちがいる
放射線が何かわからない⇒コロナウィルスがわからない
そして政府が何か決断する⇒学校は休校、集会の禁止
原発事故のときは30キロ内は避難と一時避難で補償する、その他は補償しない
科学と社会の問題がコロナウィルスでも放射線と同じように問われる
この時科学者は医者でも専門家が指揮をとればいいのだが実際の指揮をとるのは科学者や専門家ではない、政治家なのである
だから阿部首相は専門家に相談せずに決めたとしているからだ
つまり専門家でも意見が二つに分かれる、すると政治家でも判断に悩むのである
でも何か手を打たねばならないから原発事故では30キロで線引きして避難させた
それも科学的に見れば海側は放射線量が少ないとか一律に決められるものではなかった
それを30キロで線引きしたのである
ただ飯館村は例外だった、これで混乱したのである
今回も何か同じようなことが起きている
コロナウィルスはそれほど恐れるものではない
だから過剰に反応して社会活動を止めることはない
一方で専門家は防衛策が必須でありやむをえない
こうして二つに分かれる、それは放射線と同じくコロナウィルスの正体がわからないからなのだ
でも社会活動を止めることの被害の方が問題になる、原発事故では一瞬にして人がいなくなりゴーストタウンになり若い世代は別に生活基盤を築き帰らなくなった
この被害の方が大きかった、だから南相馬市だと避難させる必要はなかった
いたずらに混乱させて自治体を分断させただけだともとれる
いづれにしろ二つに意見が分かれる、その判断をどうするのか
その時国の運命すら決めることがある、戦争となるとそうである
そして3百万人死んだのである
そういう政府の決断とかは国民の生命も左右するものとなる
民主党政権の時、政府の判断ではなく自治体の判断にまかせたという
津浪はそうだったのだろう
でも原発で30キロに線引きして避難命令を出したのは自治体ではない
当時の政府の命令だったのである
もし自治体で判断したら私たちは避難しないということもありえた
でも政府の命令は絶対だからみんな避難したのである
その代り30キロ内には政府で手厚い補償をしたのである
30キロからはずれた人たちはわずかの補償で終わった
今回は政府の命令でも自治体で学校を休校にしない所もでている
ともかくその経済活動を停止させたことでまた補償金問題が生れる
そしてみんなに平等には支払われない、必ず誰かが損する、割を食うのである
こうしてなぜ混乱するのか?
それは放射線でもコロナウィルスでもわからないからそうなる
結局そこで決断するのは判断するのは専門家でもない政治家である
専門家だって二つの意見があるから正しい判断できるとはならないからだ
でも原発事故の経験からすると社会活動を停止させることの影響が大きすぎたのである
それで自治体の機能は崩壊して回復しなくなった
その影響の方が大きかったから今回も社会活動を停止させるのは限定すべきだったのかとなる、ただコロナウィルスに対処するには全国的世界的になるから伝染を防ぐためには
一国だけではできない、結局その判断が結果的にどうなったかでまた評価することになる
ともかくコロナウィルスがインフレインザと同じでありそれは毎年起きている
アメリカでは一万人以上死んでいる、だからこれほど騒ぐものなのか?
それがまたわからないからどう対処していいかわからない
だからつくづく原発事故と同じようなことが起きている
原発事故のこの辺の対応を見れば政府の政策は甚大な被害をもたらした
自治体が崩壊したからである、そうなったらもともこうもないとなる
だから社会活動を停止するのではなくみんながコロナウィルスに抗体をつけるべいいとかなる、ただ持病とか高齢者は保護すべきだとなる
つまり若い人はコロナウィルスに感染しても重症にはならない、風邪と同じであり恐れることはないとなる
それで不思議なのは放射能は逆に老人には影響がないとされた
それで飯館村のような放射線量が高い所でもキノコまでも今までのように食べていた人がいたのである、また松川浦では貝でも魚でも食べていた
その人は80才越えていたからである、つまりいづれろその歳になれば放射線でガンになるにしてもそうでなくてもガンになる人が多いから関係ないとなる
今回のコロナウィルスは若い人には子供にはさほど影響がないということで逆なのであるこの場合は社会全体からみれば社会は維持できる
かえって多くなった老人が減って社会全体にとってはいいことだとまでなってしまうのである、つまりコロナウィルスそのものではなく社会全体から見る時別な見方になる
すべてが放射線だげでなくコロナウィルスだけを見ても解決しないのである
放射線被害⇒老人が残されて自治体が維持できなくなる
コロナウィルス⇒老人は被害があっても若い世代は残る⇒社会は自治体は維持できる
もしこうして判断するとコロナウィルスは放射線の被害より社会は維持できるから社会維持という点では放射線より恐れることはないとなる
つまり社会の維持のためには若い世代を優先するべきだともなる
だから高齢化社会というのは本来は自然からみたら何か不自然だともなる
人口構成も歪であり自然に反するものだともなる
自然界の種の維持にも反するとなる
常磐線全線開通は3月14日 (今日も風で遅れている)
常磐線全線開通は3月14日
(今日も風で遅れている)
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ネパールの国旗、字は訳せない
今日は久しぶりで駅に行った、風が吹いて遅れていた
高校生の見守り役が案内していた
駅の業務は何もしないというが必ずあそこにいると聞かれるのである
ただなぜそういう契約をしたかというとJRでは駅の業務を頼むと金を払わねばならないからだろう
NPOでは市の方で金を払っているからだ
これも実際はおかしいのである
無人駅というのはそしたら誰も人がかかわらない、かかわってはならないとなる
そこに責任問題も生れるからである
でもそこで責任問題が生まれるとはならないだろう
危険なこともないからである
無人化するのはコストの面でわかるにしても問題がある
誰かかかわれば責任問題が生じる
でも誰もかかわらなければ乗客が困る
でも困っても結局乗客の責任だ
こうなってしまうのである、現実にそうなっている
常磐線全線開通は3月14日である、寄せ書きがしてあった
そこにネパールの人が書いていた
国旗の真紅は、ネパールの国花であるシャクナゲの色であり、ネパールのナショナルカラーでもある。また、赤は国民の勇敢さを、縁取りの青は平和を、それぞれ意味している。2つの三角形はヒマラヤの山並みを象るとともに二大宗教であるヒンドゥー教と仏教を意味しており、月と太陽はこの国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願いが込められている。
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前のホンダの会社にネパール人が勤めていた
それから福装にも勤めていたネパール人の女性が何人かいた
ネパール人はベトナム人と同じく増えている
ベトナム人は相当に多い
ネパールのトレッキングで3000メートルくらいの高さに赤いシャクナゲが咲いていた
雪がそこにはあったからいかにもヒマラヤらしいとなる
その時春であり曇っていてヒマラヤの8000メートルの山々が見えなかったのが残念であった、春より10月頃の方が晴れるから見やすいとなる
トレッキングで日本人で十回も行ったという人がいた
山に魅せられたらそうなる、特にヒマラヤとなるとそうなる
エベレストでは登山の行列ができてかなり死んでいることでもわかる
別にそこまで逝かなくっても3000メートルの高さに上るとそこから8000メートルの高さの山が見えるのだから本当に高い、天をつくように聳えるから荘厳である
今になると外国旅行も行けないとなった、一回だけでも行ったのが得だったとなる
シャクナゲの赤とヒマラヤの雪の峰のコントラストが際立つ
それで国旗でもそれをあしらった
三角の国旗はネパールだけでありヒマラヤを象って作った
ネパールらしいとなる
相馬地域に移住した人も書いていた、この辺では津波や原発事故以後移住した人がいた
小高にはいた、喫茶店を経営していた
ロボティックスとは萱浜にできたロボット工場である
あれは先端技術の開発している工場である
それでテレビでどういう仕事をしているから説明していた
あれはこの辺では復興のためにいいものだった
駅にはすることもないのでずっと行っていなかった
ただ風がまた吹いたのでどうなっているから見に行った
ただ高校生の見守り役とは話しない
前の自転車屋の人も不満なのである、その人も話しないからである
本当はあそこは鹿島区の人がやれば良かったともなる
ただ問題はコロナウィルス騒ぎである、どうしてもいわきの方まで開通すると東京からでも人が来る、そこで感染のリスクが高まる
ただ仙台で一人感染したが福島県では出ていないのである
福島医大には感染者が収容されても福島県自体からは感染者は今の所でていない
でも仙台に出たということは仙台は危険である
私は去年も一回くらいしか仙台に行っていない、今年も行っていない
近間も回っているだけである
こうして閉じこもっていれば感染はしにくいことは確かである
abstract mountains
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2020年03月04日
グロ−バル科学技術文明の批判 (生態系を破壊してコロナウィルスでも世界的災禍となる)
グロ−バル科学技術文明の批判
(生態系を破壊してコロナウィルスでも世界的災禍となる)
●生態系を無視した科学技術文明
コロナウィルスの問題はグロ−バル経済の結果が起きてきた
中国人が世界中に散らばり災禍を広げた
イタリアとかヨ−ロッパにもたちまち拡大したことでもわかる
イランでなぜ増えたのとなれば中国人とイランの関係が深いからだとなる
もし交通も発達しないグロ−バル化していなければこんなに世界中に広まらない
だからグロ−バル経済とは一見いいものとして見えた
世界中が交流して世界の人々が理解を深める、多様化した世界と交わりいいものだとなった、それも一面言える、中国人でも日本に大挙おしよせて日本の現実を見れば理解が深まるから反日がおかしいとなる
そういういい面はあるにしても何か行き過ぎたグロ−バル化だったのである
人間は生物の一種である、するとどうしてもその土地土地の生態系に依存して生きるのが基本である、その生態系を無視して生きることはできない
だから原発事故でこの辺はその生態系が破壊されたことで住めなくなった
水も土も空気まで放射性物質で汚染されたら住めないからである
そういうふうに過度な工業化科学技術化が生態系を破壊した
それで皮肉なのは武漢から人がいなくなったとき二酸化炭素の濃度が下がり空気がきれいになったという、つまり人がいなくなると自然環境が元の状態にもどる
経済活動が活発化すると自然も汚染される
原発事故周辺でもイノシシが増えたりした、別に放射性物質汚染で自然が荒廃して住めなくなったというのでもない、かえって自然が甦るとういこともあった
コロナウィルスの不思議は過度なグロ−バル経済への警告として現れたともみる
ウィルスにはグロ−バル経済は弱かった、たちまち全世界に広がり人類の危機とまでもなる恐怖があった
人間は生態系を基にしてそれぞれの国を作ってきた
特に日本をみればわかる、日本は島国であり一つの別個の生態系にあり宇宙として国を作ってきたのである、海に囲まれていてそうなったのである
日本というのはだから世界から見たら本当に特殊なのである
その特殊性が日本人自体理解できない、それで外国生活した人は実感としてわかる
外国と対比して日本を見れるからその批判も的を得ているのである
●科学技術も生態系を越えることはできない
とにかく人間は生態系を基本にして生きている、それから離れては生きられない
でもそういうことを現代文明は無視してきた、科学技術で人工的環境を作り出してそれで生きられるとなる
太陽光でも野菜工場で電気の光で成長させるとかなる、でもここで肝心なのは電気を作るにも石油とかを使っているのである
電気でも石油とか石炭がないと作りだせないのである、そこを錯覚している
原発のエネルギーはウランとかから作り出していたけどこれも実際は石油をかなり使っていた、そして石油というのは自然が作り出したものであり自然エネルギーなのである
風力発電は台風以来ここではとまったままだったが昨日動いていた、5カ月くらいぶりに動いた、だからこれもあてにならない、ソーラーパネルでも風力発電でも緊急時に弱いのである、だからこれもあてにならないとなる
一番あてになるのはやはり太陽光だとなってしまうのである
これは切れることがないからである
現代の地球はすでに許容人口を越えている、それに拍車をかけたのが科学技術の発達である、それによって地球環境が破壊される、汚染もされる
その分りやすい例が武漢から人が減って経済活動がとまったら空気がきれいになったことである、これがいかに一千万の都市があることで大気までどれだけ汚染していたかわかる武漢に工場も多いからである
それでコロナウィルスはイルミナティの陰謀説が出て来る
地球環境維持からすれば別にそれが現実なだけなのである
現実を誰も陰謀とはできない、武漢の空気がきれいになったのは現実を証明しているのである、人口が地球規模で増えすぎる、環境が汚染される
それで自然からの作用として警告してウィルスが生まれたかもしれないからだ
●自然のタブーを無視した文明の危険
国を区切る障壁として基本的にはこれらがあった
●言葉の相違(文化の相違)
●歴史の相違
●気候風土(生態系)の相違
日本国内でも峠を越えて異界に入ることは容易ではなかった
佐保過ぎて寧楽の手向に置く幣は妹を目離れず相見しめと (長屋王)
こうして境界を越えるだけでも切実なものとして無事を祈り見送っていた
この時目離れず(めかれず)とはずっと遠くに去って行く姿を見続けていたのである
現代はどうしても電車でも車でも見送る時、電車に乗り車に乗った時見えなくなる
つまり機械によって心が遮断されるともなる
どうしても電車を車という車体を見送ることになるからだ
そこにかえって人間の心が通じなくなったということがある
現代では境はない、自然が障壁となった境でも山でも川でも海でも簡単に越えて行くからである、自然とかもともとそういうふうに自由に往来できるものとして作られていない
風土とか生態系とかまたそれを基にして作られたの国である
つまり国境も自然の境界も技術が交通発達して簡単に越られる、でもそれは技術力とか
文明の結果なのである
風土とか生態系は同一ではない、だから同化できない、共通化できないのである
生態系を無視したのがグロ−バル経済であり科学技術の発達である
ウィルスも風土病のようなものがあり別な生態系に入ると免疫がなくて被害が大きくなる生物だと外来種を滅ぼしてその固有の生態系を破壊してしまうのである
自然には何らか制約がありタブーがあった、それはアダムがその禁をタブーを破ったことで人間は呪われた者となった
自然でもしてはならないことがありタブーがあったがその禁を破ってきたのが人間だった核を発見したとしてそれが原爆の犠牲になった
原発事故で故郷に住めなくなったとかある
つまりコロナウィルスもやはり人間がタブー破ったためである
原因はわからないにしろ中国では食べてはいけない動物を指定していた
でもそれを食べたとかある、イスラム教で豚を食べないという時、それもタブーである
豚からうつる伝染病を恐れたのかもしれない
何かグロ−バル経済で世界中のあらゆるものを食べるようになった
中国ではもともとあらゆるものを食べる悪食があった
食べてはいけないというタブーがなかった、それでコウモリとか蛇とかなにかからウィルスが生れて伝染したともなる
つまりそれぞれの生態系内で生きていたものがその生態系を越えたとき何かそこにタブーがあり越えてはならないものがあり生態系を壊すから危険になる
ウィルスでも一つの生態系から別の生態系に入る時そこに免疫がないからインカとか文明そのものを滅ぼすともなる
いづれにしろコロナウィルスは自然からの警告でありしてならないことをしたことでタブーを犯したことで災いが起きてきた
科学技術が万能化して起きたことなのである
それは原発事故でも同じだったのである
2020年03月03日
コロナウィルスでも危機管理が備えができない (郷倉の意味の再考)
コロナウィルスでも危機管理が備えができない
(郷倉の意味の再考)
各地方の郷倉が相続いて解消したにも拘らず東北地方にのみ現存することは、同地方は天恵に薄く全く備荒貯蓄が必要に迫られている事を物語って余りある、即ち東北地方の農村の歴史を繙く時は殆んど凶作と農業恐慌の文字によって綴られ、涙ぐましい祖先受難の跡が余りにも痛々しく目に立つ
郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)
ここがなぜ昭和になってから作られていたのか?
それは東北では明治になってからも昭和になっても依然として恐慌とか不作の恐怖がつづいていたのである
東北地方では不作になり東京に娘が売られたとかもあった、それは戦前のことである
東北は明治になっても貧窮地帯だったとなる
東北の兵隊が太平洋戦争で勇敢に戦ったが西の方は大坂などはそうではなかったとか言われる、もしかしたら東北の兵隊は日ごろか貧しい、それで戦争のような極限状態でも耐えられたとなるのか?
アメリカ軍でもイラク戦争の様なとき、国らか認められるために若い移民が志願したりまた黒人が多いということもある
そういう人たちは戦争という場だったら活躍できたともなる
ともかく郷倉というのを今見直すかと言うと東日本大震災でもそうだった
物が入らなくなる、その物流が途絶えることが現代では一番怖いのである
食料でもなんでも外から入るもので買うものに頼っているといざ入らなくなったら万事休すになる
二週間は外から物資が入ってこなかった
車があってもガソリンがなく使えなかった、二週間後に隣の相馬市に物資が入って自転車で買い物ができた
その時たまたまあった米をたいてしのいだ、二週間なら米があればあとは味噌汁くらいあれば耐えられる、でもそういうとき郷倉があり古米でもいいから供給されると助かると思った
こういう危機管理は安全のための備蓄などは自治体ですべきである
でも郷倉というとき小さな村単位なのである、これが町とか市になると範囲が広くなり備蓄するにもそのための倉庫まで必要になる
一万人分の米を備蓄すること自体できないのである
今回のコロナウィルス騒動でもそうである、トイレットペーパーが全国の店からなくなった、実際はあるといっても交通の問題がある
遠くから運ぶからその人員とかが足りないとかすぐには配達されないのである
特にトイレットペーパーはがさばるから在庫として置くのに限度がある
それで店に在庫として置くの限られている
ただトイレットペーパーがなくても死ぬことはない、食料がなくなったら死に直結する
スーパーから食品がなくなったら恐怖である
でも別に弁当も惣菜を売っていたから安心したのである
現代は物は豊富である、でもその物が実際は遠くから入ってくる、外国からも入ってくるそれでその交通が途絶えると物流が途絶えるからパニックになる
原発事故の時ガソリンを運ぶのに鉄道で遠回りしてやっと運んだとかあった
二週間ほど完全に物流が途絶えた津波で被害を受けた村とかもあった
その人たちは裏山の清水を利用して木材を燃やして米をたいてしのいだのである
そういうときはいくら金があっても何の用もたさない、紙切れになってしまうのである
トイレットペーパーを転売して馬鹿高い値段をしして買うということも起きるがそれより交通が途絶えると運ぶことすらできなくなる
つまり現代のグロ−バル経済とか広域社会は交通がライフラインでありこれが途絶えると何もできなくなるのだ
普通は便利な生活を享受しているのだが一旦交通が途絶えるともう何もできなくなる
そこに脆弱性がある、かえって危機に対応できないのである
危機という時、国単位とか市でも大きな単位になるとその量が多くなるから備蓄でも限度がありできないとなる
トイレットペーパーは工場にある、でも配ることができなくなるのだ
それがグロ−バル社会とか広域社会の弱点になる
利点なものがまた弱点になるのが人間社会である
でも現代はそうしたグロ−バル社会に広域社会に生きていてもそれが自覚できないのである、それが一旦途絶えたときしか自覚しないのである
だからコロナウィルスはそうういことを自覚させられたのである
それは全国に世界に及んだからである、他でも食品がなくなっているというのもそうである、それは世界で共通している
そういう危機に備えられないのである
ただ江戸時代辺りだともし現代のように交通が発達していれば飢饉にならずにすんだ
全国のどこかで米があったら流通できたともなるからだ
江戸時代だと藩単位の国で関所もありできないから被害が大きくなった
ともかく現代の文明社会は意外と危機に弱いのである
もし二週間でも電気がなくなり水道が使えなくなり道路が遮断されてしまったら何もできない、死を待つばかりだとなる
東京とか大都会ではそういうことになりやすい、それが恐怖なのである
だから東京をいち早く脱出することだとなるがそれも簡単にはできない
車は渋滞になるし建物でも倒れたりするから道路も使えない
外からの援助も二週間とか来ないとかなるとそれまでもたないとなる
そしてトイレットペーパーならまだ死にはしないが食料だとなる奪い合いになったら争って死ぬようにもなる、地獄になる
大都会というのは一番便利な場所なのだが一番危険なものと一瞬にして変貌するのであるそれが武漢の都市封鎖で起きた、そこでは食料はどうしているのか?
何か真実はわからない、そこは食料もなく死ぬ人も出るとかなる
だからいち早く富裕層は脱出したというのもわかる
そういう都会に残された人は恐怖である、この辺では原発事故で一瞬にしてゴーストタウンになったからである
大都会はそれ以上に危機に弱い、外から何も入らなかったら本当に万事休すになる
その備えにも限度がある、だから東京のような一局集中は危険なのである
それがわかっていても手を打てない、そのうちに大地震が来て地獄と化している
人間は危機意識をもてない、今なにもなければこのまま何もないと思ってしまうのである
阿部首相も頭にあったのはオリッピックの成功であり習近平の国賓としての招待であり
また中国人のインバウンドの収入だった
それがコロナウィルスの突然の発生で危機感をもてなかった
頭を切り替えることができなかった、中国人の観光客の入国禁止を即座にできなかった
インパウンドの収入ばかり計算していたからである
そういうことは個々人にもある、何かに固執してとらわれる
つまり人間は緊急事態に危機に弱いのである
何か危機かもわからないのである、津波とか地震とか原発事故でもそうだった
突然襲いかかってくるから理解できない、対処できないのである
コロナウィルスも正体不明のものとして襲いかかってきたからである
だから最初何なのかわからず甘くみていて初動で中国人の入国拒否ができなかった
そしてそれが手遅れとなって致命的にもなる
これが一国の首相ともなると責任が問われる結果となったのである
コロナウィルスの不思議 (これも自然災害で神からの作用なのか?)
コロナウィルスの不思議
(これも自然災害で神からの作用なのか?)
コロナウィルスというかウィルスとは何かといろいろ言う人がいる
ウィルスも必要なのだとか言う人もいる
それはわからないにしてもウィルスの結果として起きていることも不思議なのである
例えば原発事故で起きたことは
原発は停止しろ、地震が多いから日本に合わない
こういうことだった、それは結果としてそうなった、それは天の意志とか神の意志だとかなった、中国では政治でそういうことが起きた
君主に徳がないと社会が乱れる、だから君主を交代しなければならない
易姓革命である、それとにたことが起きている
コロナウィルスで結果的に起きていること
●中国の勢力拡大の歯止
●グロ−バル経済の縮小
●オリンピックの中止の危機
●若者から高齢者への感染
●世界人口を減らす
これらのことが結果的に起きている、中国の勢力拡大は一帯一路政策が行き詰まらせる
どうしてかイランとかにも感染者が出たしイタリアとかヨ−ロッパにも出た
そこに中国の影響が世界的に拡大したからだとなる
これはまたグロ−バル経済への警鐘だともなる
グロ−バル化を際限なく進めるとウィルスも拡大しやすくなる
だからグロ−バル経済の負の面がウィルスで現れたとなる
オリンピックの中止もこれも実際は電通とかマスコミの利権でありまたゼネコンの利権であり商業主義のオリッピックでありもう何か行う意義が失われてたいのである
もともとの意義が失われたからもうオリッピックなどやる必要がない
それは国民の意志であり世界の人たちもそう思っている
日本だったら他に予算をつぎ込む所があるからだ
そして不思議なのはなぜかこのコロナウィルスは若い人は感染しても重症化しない
軽症で終わる、でも60以上の人は若者からでも子供からでもうつされて重症化する
これも不思議である
これだけ高齢化社会になって若い世代は老人は死ねといつも言っている
まさに若い世代の意志がコロナウィルスとして現れたのかともなる
若い世代の念がコロナウィルスとなったとまでなる
だからこのコロナウィルスは本当に不思議なのである
また世界の人口は限界にきていて減らさないともうもたないとも常に言われている
するとどうしても減らすことが必要になる、そのためにウィルスをばらまいたともなる
それは陰謀論になるがそれだけではないそれも天の意志なのかともなる
現実に世界の人口はもう限界でありそのためにいろいろな問題が起きているからだ
これが必ずしも悪いばかりのものではない、何か現代社会の警告であり是正するために現れたのかとまでなる
ただこれでアメリカは打撃になっていない、これも何なのだろうとなる、ただアメリカにもこれから打撃になるのか?
いづれにしろ何かこうしてウィルスも世界の社会への警鐘として生まれるのか?
自分にとっては原発事故でこの辺は住むことさえできなくなったことで原発はいらないなっても依然として原発は廃止できない、日本全体でもそうである
これだけの事故になっても廃止できないのことに憤りを感じる
ともかく世界的にも国内的にも生活そのものを見直すことが強いられている
まず日本人のモラルがいかに低下しているか?
それは今度のトイレットペーパーが日本中から一切になくなったことでもわかる
ただ我先にと自分だけが安全を計ろうとするだけでありエゴむきだしなのである
日本人はお互いさまとか助け合うことなどなくなった
ただ金のためなら自分のためなら相手を蹴落としてでもまずトイレットペーパーを確保しようとする
日本人の美徳とかはもう消失したのである
それは個人的にも嫌というほど介護とか病気になり経験して来た
他人はもう人間でもない、金えるためのものでしかない
だから相手が苦しんでいる時でもこいつから弱っているから金を得ようとするだけである人は今苦しんでいる時、自分には金はあった、でも相手が借金しているからその人はまず借金を返すことしか頭にない
こいつは金をもっているから今とるのがチャンスだとなり責めてきたのである
つまり借金しているから余裕がない、今金が欲しいんだ、後ではだめなんだ、今トイレットペーパーが欲しいんだ、後ではだめなんだとなる、今食べ物がないから今欲しいんだ、そのためには人も殺すとなってしまうのである
人間は余裕がなくなるとみんなそうなるのである
そうしてこれから日本人が貧乏になるとそういう人がさらに増えてきて南米とかと同じ犯罪が増える、格差社会にもなり治安が悪くなる、それはすでに日本でそうなりつつある
トイレットペーパーの奪い合いで暴力沙汰になっているのを見ればわかる
日本人同士がお互いさまとかない、もう自分だけが助かればいいと殺しあうとまでなる
日本では犯罪が少ないということで外国からほめられていたがそういう時代はすぎた
日本人はどっぷりと戦争に負けてから金崇拝者になったのである
アメリカととも中国とも同じようになったのである
だから日本社会の再構築が必要なのである、そのために津波とかコロナウィルス騒動が起きているのかとなる
2020年03月02日
ここでもトイレットペーパーはなくなった (現代は危機のとき物が入らなくなり万事休すになる)
ここでもトイレットペーパーはなくなった
(現代は危機のとき物が入らなくなり万事休すになる)
昨日はまだティシュペーパーがツルハにあった、ここにあるのか明日もあるのかと思い買わなったのが失敗だった
今日見たら全くなかった、これは鹿島区内ではなく外からも来た人が買っていったのだろう
原町とか相馬市でもなくなっているからあるところ車で探すからである
原町ではインスタントのラーメンとかでもなくなっているという
今やトイレットペーパーとティシュペーパーはこの辺ではない、いつ入るのかもわからない
これも車時代になると遠くからでもあるなら来て買うということになる
だからいくらあってもすぐになくなる
例えば鹿島区とかで制限すればそこでは確保できる
でも原町とか相馬市となると人口が多いからたちまちなくなるのである
それはグロ−バル経済のことを批判して来たけど広域社会でもそうである
モノでもヒトでも自由に入ってきているときはいいのである
でも一旦このように入らなくなるとどうにもならなくなる
今の社会は物流が途絶えると万事休すになる
というのは戦前とか江戸時代までさかのぼれば自給自足の生活をしていた
外から品物が入るというのは少ないのである
そしてトイレットペーパーなど使っていないかった
外の便所であり紙は新聞紙とかでありトイレットペーパーなど使っていない
ティシュペーパーにしても鼻紙とかいって何かそうしたものは使っていなのである
つまり外から買い入れということはなかったのである
そうなると別にそういうものがなくても死にはしないとなる
でも食料が入らなくなったら即死につながる、物流が途絶えると死につながる
そういうことが中国で特に武漢で起きているらしい
ここでも3・11の震災の時はそういうことが起きた
たちまち物がなくなったのである
それで自分は米がたまたまあったのでそれで電気と水道は正常だったので使ってしのいだでも二週間近くになると米もなくなった
その時地元で古米を配ったのである
これで助かったとなる
その後は相馬市にスーパーが開いているということで自転車で行った
その時車はガソリンが入らないから長蛇の列になっていた
そういうとき結局自力がいい、自転車がいいとなる
でもその自転車は電動自転車だから電気を使っていたとなる
でも電気がなくても行けることは行けたのである
車はガソリンがなければ使い物にならなかったのである
今回のコロナウィルスもこうして一見便利な生活が何でもいいものとして受け入れた
でもそれが一旦途絶えるとどうなるのか?
この問題を提起したとなる、文明生活できなくなる、サバイバルできなくなる
特に原発事故は放射能物質の汚染で水すら飲めなくなったからだ
これは相当に怖いことだった、もしさらに長く物流が途絶えたらそうした水でも飲まないと死んでしまっていたからである
だから便利な生活していてもそれが一旦途絶えるとその社会が崩壊する
コロナウィルスで外国から物資が入らない、食料も入らないとなったらどうなるのか?
東京では日本の地方は食料基地になっていたとしても中国があるからいいと言う人が多かった
では中国から食料が今回のように入らなくなったらどうするのか?
そのことを何度も私はグロ−バル経済批判で指摘してきた
そしてなぜ熊本のようなかけ離れた所からトイレットペーパーがなくなっていると言っただけで日本中がパニックになりすべての店からトイレットペーパーとティシュペーパーが消えたのである
それはインタ−ネットなどのSNSの伝播力が日本であれ世界につながっているから起きた
江戸時代とか戦前でもそんなに遠くと経済的にもかかわっていない
情報的にもかかわっていないからそんなことで動じなかった
でも今はたちまち情報社会になり波及してくる
そして日本全国でトイレットペーパーなどがなくなったのである
今回は震災の時と違って全国的なものとして日本がパニック状態になる
台湾での対応は世界から評価されているというとき物はあるとして安心させる方法を一人のITの天才がいて即座に実行したからだとういう
また台湾だとまた国が大きくないからそういうことがやりやすい
国が大きくなるとそうして一括して統一したことがしにくいのである
だから大きな国が必ずしも危機に強いとはならないのである
何か逆説なのだけど今回のコロナウィルス騒ぎでも高度な便利な文明生活は意外とこうした危機に弱いのである
それは水道が使えないとか電気が使えないとか車が使えなくなったとき露骨にかえって
その弱さを露呈するのである
それで原発事故のとと蝋燭を使っても故郷で家族と一緒に暮らせるならいいと言った人がいた
そういうことが何か危機の時起きる
意外と文明生活はもろいものをもっている
グロ−バル経済とか広域社会が交通が便利でどこからでも品物が入ってくるという社会がいいとなっているが何かこうして危機になると途端にお手上げになってしまうのである
だから実際はそのための対策をする必要がある
備蓄も必要だとなるが実際にそれだけのことをできない、限度があるからだ
だから備蓄というとき燃料でも地元にある森の木がいいとか何か地元のもので利用できるものが備蓄であり一番いいともなってしまうのである
現実にカナダであれアメリカであれ中国であれそんな遠くから危機の時は物が入らないからである
ただそういう危機にはみんな備えていない、だからパニックになるのである
放射能の影響とコロナウィルスの影響の共通性 (一様には作用しない―社会の機能停止も怖い)
放射能の影響とコロナウィルスの影響の共通性
(一様には作用しない―社会の機能停止も怖い)
この辺で政府の政策の実行で失敗したのは放射性物質が30キロまで影響するということで線引きしたことである
それはどうしてしたのかとなるともし放射性物質の過多で判断すればきりなくなる
現実に福島市の方が放射性物質では汚染度では高かったこともある
別に南相馬市と相馬市とは変わりないのである
それより山側と海側の差が大きかった
だから浪江の津島とか飯館村の被害が大きくなった
それは放射性物質は風の影響を受けたからである
3月頃になると海から東風(こち)が吹きそれが爆発した時吹いて山の方放射性物質を運んだ
だから浪江から双葉に行くと7マイクロシーベルとか急に高くなっていた
でも浪江だと0.5マイクロシーベルトだったのである
浪江だったら請戸から原発の煙突が見える距離である
ともかくなぜ30キロで政府は区切り避難させたのか?
それは科学的根拠も確かではなくその時政府では放射性物質がどう影響するか
判断できなかった
そして30キロで線引きして補償しないと決めた
この理由で判断したのだと思う
放射性物質の過多で補償するとなるときりがなくなるしめんどうだからである
でも30キロ内では放射性物質の過多で補償金も決めたから今でももめているのである
30キロの外で内で差がありすぎたのである
現実に南相馬市では小高、原町区と鹿島区はまず医療費でも差が大きかった
鹿島区は半年で医療の無料が打ち切られた
小高と原町はその後も9年目になっても補償されていたのである
これも大きな差である、小高は避難区域になったから抗議したらまた一年医療費のく無料が継続されたのである
これは別に放射能の被害があるからというのではない、避難区域にされたのと30キロで線引きしたことによっていたのである
このことがコロナウィルスとどう関係してくるのか?
政府が学校を休止したり人の集まることを禁止したりすることこれが正しいのかどうかである
つまりコロナウィルスがどう影響するか不明である
放射性物質がどう影響するか不明だったのと同じなのである
予防策としてそうしたのだがこの結果はいいか悪かったのかは結果を見ないとわからないのである
それで商売ができなくなると政府で補償するとかなるのもにている
でも中小企業は補償されないとかでここでも不満になった
つまり政府の補償には限界があるからこうなる
全員に十分な補償などできないからどこかが犠牲になるのである
だから学校の休校が果たして正しいことだったのか?
それは結果をみないとわからない、原発事故では政府の政策は失敗だった
様々な問題を引き起こしてその後で地元では補償金で分断されてしまったからだ
それは結局放射能でもコロナウィルスでも社会にどう影響するかわからないことによる
これによって倒産する中小企業もいるとか実はその影響の方が大きいとなる
ただコロナウィルスが放射性物質と同じようにどう影響するかわからない
政府でも何か政策を出して実行せねばならない
世界からも要求されているとかなる、そういう圧力があり遅くなったがあえて実行した
要するに現代は科学技術社会になっているときこういう問題が起きやすいのである
科学技術というのが社会にどう影響するのかを事前に考慮しない
科学技術はみんないいものだと金になるとかしか考えないのである
それは国民自体がそうである
その影響について事故になったらどうなるのかなど国民自体が真剣に考えないのである
国民でも金になればいいとしか地元でもなかったからである
コロナウィルスでも科学と社会の問題が起きている
それは放射性物質と同じくコロナウィルスがどういうものか社会にどう影響するか不明だからである
でもそのつまにしておけずなんらか政策をする予防でもする
でもそれが社会が止めてしまうとまたその方が影響が大きくなり被害が拡大する
その兼ね合いがむずかしいのである
この辺では原発事故により人が住めなくなったりずたずたにされたからである
だから結果的には30キロで区切ったのは失敗だったとなる
それでコロナウィルスでも学校を休校までしてよかったのか?
それで社会の活動が止まったりしてその影響の方が大きかったとかなる
それは結局コロナウィルスも正体不明でありそれで対策できない
ここにいくら科学技術が発達しても科学者すら対処できないのである
だからトイレットペーパーがなくなったりとその影響がでている
何かそうした影響の方が大きくなる、実際はトイレットペーパーはあってもパニックでそうなる
そのパニックを起こさせているのは政府の政策だともなる
それは本当にどこまでコロナウィルスか影響するのかわからないからなのだ
それは放射能問題と同じだった、一体放射能はどれくらい影響したのかわからない
20年後にガンが増えると言ってもわからない
それより避難させて人を住めなくなさせ自治体を崩壊させた結果が重大だった
ただこういうことは国民のコンセンサスが必要になるのが緊急時にはいろいろなことを言う人がいるからまとめられなくなる、民主主義ではもう緊急事態で話し合って決めるなのどできないからだ、即断しなければならないからだ
ただ原発事故から考えると学校を休校とすることが社会の影響が大きい
その他グロ−バル化して広域社会になると交通が大事でありこれがとめられると物流が止められてその被害が大きくなる
今回は一部ではない、東北だけではない全国に及ぶ、その被害が全国規模になる
そして社会全体が麻痺したような状態になることが怖いともなる
だから一律に休校するとか何か日本全国をパニックにするようなことしていいのかとなるただそれも結果をみないとわからないのである
でも原発事故の対応を見ると社会を混乱させたり機能を停止させたり自治体を崩壊させたりすることになるからその点を考慮すべきだとなる
というのはコロナウィルスはインフレインザより被害が少ないともしているからである
その判断はむずかしいにしろ過度に恐れて社会を麻痺させるパニック状態にさせることの方がかえって悪いともなる
病院でもどう対処していいかわからない、金にならないしコロナウィルスに感染した人を引き受けると病院が倒産するとかなるからだ
でもそのままにしてもおけないジレンマがある、それも結局原発事故でもそうだったが
コロナウィルスがどう社会に影響するかわからないからないからなのである
でも社会機能が停止するとトイレットペーパーでも奪い合いになる
暴動の様なことが起こるのも怖いのである、今回は全国の問題になっているから全国的にその影響が拡大して日本全体がパニックになることが怖いのである
「直接、専門家の意見を伺ったものではない。判断に時間をかけるいとまがない中において、私の責任において判断させていただいた」と述べた。
専門家の意見を聞いたわけでもない、専門家でも意見が分かれる、そしてじっくり検討する時間がないからこうなる
それは福島の原発事故でも同じだったのである
2020年03月01日
福祉社会の限界(病人介護社会で国も自治体も破綻)
福祉社会の限界(病人介護社会で国も自治体も破綻)
その女性は腰が悪いと東京の方までみてもらうのに行った
今度は目が悪いと仙台の病院で手術する
費用の半分は市で援助する
歯医者にもかかって治療に金がかかる
その女性の息子は独身であり40越えている
その父親は青森の介護施設に入っている
この辺では介護士がいないので青森の施設に送られる
金はかからないとか言っていたが施設は必ず何か足りないと要求される
つまりすでに5080問題ははじまっている
50くらいで親が介護状態になるのである
そして自治体も財政が苦しくなり破綻するとかも言われる
南相馬市は財政状況がいい方ではない
南相馬市は原発事故で国からの財政援助がありそれでもっていた
でも10年過ぎれば来年から打ち切られる、その時苦しくなってゆく
市長の給料を減らすとか議員を減らして対応した市もすでにある
その他福祉が限界になるのは病人介護社会になっている
回りを見ても脳卒中になった人が同年代で3人いた
一人は足が悪くなりもう一人はろれつがまわらなくなり一人は辛うじて死をまねがれた
一人は仕事しているが相当に悪い、つまり病人介護社会になっているのだ
私自身も自ら病気になり認知症の介護とか二人介護して四苦八苦した
でも経済的には余裕があった、これからは経済的に余裕がなくなる
福祉が限界になる、なぜなら病人と介護が増えてくるからだ
団塊の世代が75以上になると増えて来る、その数が大いから福祉が限界になる
80の人は糖尿病で4カ月入院したとか病院通いである
毎月医療費に3万かかるとかいう女性もいる
とにかく日本は高齢化社会になり健康な人も多いとしてもまた数に比例して病人と介護が増えてくるのだ
その圧迫は切実になり介護する人も介護される人も限界になり共倒れになる
そういう危機をここ十年の介護で自分が経験したからである
自分の場合は経済的には余裕があったが人手がなく一人で奮闘してきた
その時何の助けもなかった、それも自分のカルマだったとはなる
でもこれから自治体でも生活保護とか福祉関係は極力減らされる
もう福祉の限界なのである、日本自体の経済も衰退するだけでありアベノミックスで株とかでもたせているけどこれも限界が来て崩壊しつつある
こうして弱り目の時祟り目にもなる、3・11の東日本大震災があり原発事故があり
台風被害があり今度はコロナウィルスで日本経済は打撃を受ける
何か今は明治維新とか戦後の焼野原のような状態になる危機が近づいている
70年で大きな変化がある、明治維新から70年で敗戦になりそれからまた70年過ぎる
今がその大変化の時代に突入している
銀行が半分以上なくなるとかいうのもそうである、それはあらゆるものに及んでくる
自治体の存続すら限界状態になりサービスも受けられなくなるかもしれない
とても病人介護社会に対応できない、財政状態が自治体でも悪化して限界になっているからだ
もう病院に行けない、医者にもみてもらえないでアメリカのように貧困層は死ぬほかないとなるかもしれない。アメリカでは保険は国民保険がない、だから馬鹿高い医療費を払わなければならないからかからないのである
日本でも日本経済の全体がおちこめば税収もへるのだからそうなってゆく
そういう兆候はすでにあり現実に始まっている
生活保護だってまともに支給されなくなる、雀の涙のような金しか支給されなくなるかもしれない。
そしてこういう時代になると治安が悪くなる、経済的に追い詰められた人は犯罪者になるそういうことは南米とかで日常的に起きている、日本も安全でありえない
貧富の差が拡大することも危険になる、金持ちは必ず狙われるからである
つまり限界集落というけどあらゆるものが限界になり福祉でも維持できなくなる
もうサービスは受けられない、自治体でも国でも頼れなくなる
そしてなぜかコロナウィルスとかでも経済に打撃であり連続して災難が起きて来るのか?これも末世である、それは社会が既得権者が破壊するためなのか?
時代が変わる時、戦後でも焼野原になり地主など既得権者が消失した
明治維新でも侍が消失したとか大きな変化が起きる
銀行も既得権者でありそれも消失するとか既得権者が安泰でなくなる
でもその既得権者がその権力を失う時、社会が大きく変わる
それは情報分野でもマスコミの権力はインタ−ネットとかで失われつつある
ここも大きな既得権者だった、テレビの六局で放送を独占していた
そして実はマスコミはまた背後に既得権者と結びついていたのである
情報は操作されていて既得権者に不利な情報が流されなかったのである
原発で安全神話を作っていたのはと既得権者だったからだ
ただそこには地元の人たちもかかわっていたのである
原発は国家予算並みの金がでるからそこが利権の場となった
いづれにしろ2020年はこうして大変革が現実化してくるというのは本当だった
それがコロナウィルスで始まったということもそうである
それも世界的に影響してグロ−バル経済自体に歯止めがかかる
それも大きな世界の時代の流れとなる、グロ−バル経済は縮小してナショナルな社会にもどる、グローバル経済も限界にきてそうなってゆく
「一難去って一難」こういう時代なのである、それは私の一身上でも経験して来た
それは日本全体でも起きて来る、それが時代が変わる時に起きて来る