2020年03月02日

ここでもトイレットペーパーはなくなった (現代は危機のとき物が入らなくなり万事休すになる)


 ここでもトイレットペーパーはなくなった

(現代は危機のとき物が入らなくなり万事休すになる)


昨日はまだティシュペーパーがツルハにあった、ここにあるのか明日もあるのかと思い買わなったのが失敗だった
今日見たら全くなかった、これは鹿島区内ではなく外からも来た人が買っていったのだろう
原町とか相馬市でもなくなっているからあるところ車で探すからである
原町ではインスタントのラーメンとかでもなくなっているという
今やトイレットペーパーとティシュペーパーはこの辺ではない、いつ入るのかもわからない
これも車時代になると遠くからでもあるなら来て買うということになる
だからいくらあってもすぐになくなる

例えば鹿島区とかで制限すればそこでは確保できる
でも原町とか相馬市となると人口が多いからたちまちなくなるのである
それはグロ−バル経済のことを批判して来たけど広域社会でもそうである
モノでもヒトでも自由に入ってきているときはいいのである
でも一旦このように入らなくなるとどうにもならなくなる
今の社会は物流が途絶えると万事休すになる

というのは戦前とか江戸時代までさかのぼれば自給自足の生活をしていた
外から品物が入るというのは少ないのである
そしてトイレットペーパーなど使っていないかった
外の便所であり紙は新聞紙とかでありトイレットペーパーなど使っていない
ティシュペーパーにしても鼻紙とかいって何かそうしたものは使っていなのである
つまり外から買い入れということはなかったのである
そうなると別にそういうものがなくても死にはしないとなる

でも食料が入らなくなったら即死につながる、物流が途絶えると死につながる
そういうことが中国で特に武漢で起きているらしい
ここでも3・11の震災の時はそういうことが起きた
たちまち物がなくなったのである
それで自分は米がたまたまあったのでそれで電気と水道は正常だったので使ってしのいだでも二週間近くになると米もなくなった
その時地元で古米を配ったのである
これで助かったとなる

その後は相馬市にスーパーが開いているということで自転車で行った
その時車はガソリンが入らないから長蛇の列になっていた
そういうとき結局自力がいい、自転車がいいとなる
でもその自転車は電動自転車だから電気を使っていたとなる
でも電気がなくても行けることは行けたのである
車はガソリンがなければ使い物にならなかったのである

今回のコロナウィルスもこうして一見便利な生活が何でもいいものとして受け入れた

でもそれが一旦途絶えるとどうなるのか?

この問題を提起したとなる、文明生活できなくなる、サバイバルできなくなる
特に原発事故は放射能物質の汚染で水すら飲めなくなったからだ
これは相当に怖いことだった、もしさらに長く物流が途絶えたらそうした水でも飲まないと死んでしまっていたからである

だから便利な生活していてもそれが一旦途絶えるとその社会が崩壊する
コロナウィルスで外国から物資が入らない、食料も入らないとなったらどうなるのか?
東京では日本の地方は食料基地になっていたとしても中国があるからいいと言う人が多かった

では中国から食料が今回のように入らなくなったらどうするのか?

そのことを何度も私はグロ−バル経済批判で指摘してきた
そしてなぜ熊本のようなかけ離れた所からトイレットペーパーがなくなっていると言っただけで日本中がパニックになりすべての店からトイレットペーパーとティシュペーパーが消えたのである
それはインタ−ネットなどのSNSの伝播力が日本であれ世界につながっているから起きた
江戸時代とか戦前でもそんなに遠くと経済的にもかかわっていない
情報的にもかかわっていないからそんなことで動じなかった
でも今はたちまち情報社会になり波及してくる
そして日本全国でトイレットペーパーなどがなくなったのである

今回は震災の時と違って全国的なものとして日本がパニック状態になる
台湾での対応は世界から評価されているというとき物はあるとして安心させる方法を一人のITの天才がいて即座に実行したからだとういう
また台湾だとまた国が大きくないからそういうことがやりやすい
国が大きくなるとそうして一括して統一したことがしにくいのである
だから大きな国が必ずしも危機に強いとはならないのである

何か逆説なのだけど今回のコロナウィルス騒ぎでも高度な便利な文明生活は意外とこうした危機に弱いのである
それは水道が使えないとか電気が使えないとか車が使えなくなったとき露骨にかえって
その弱さを露呈するのである
それで原発事故のとと蝋燭を使っても故郷で家族と一緒に暮らせるならいいと言った人がいた
そういうことが何か危機の時起きる
意外と文明生活はもろいものをもっている
グロ−バル経済とか広域社会が交通が便利でどこからでも品物が入ってくるという社会がいいとなっているが何かこうして危機になると途端にお手上げになってしまうのである

だから実際はそのための対策をする必要がある
備蓄も必要だとなるが実際にそれだけのことをできない、限度があるからだ
だから備蓄というとき燃料でも地元にある森の木がいいとか何か地元のもので利用できるものが備蓄であり一番いいともなってしまうのである
現実にカナダであれアメリカであれ中国であれそんな遠くから危機の時は物が入らないからである
ただそういう危機にはみんな備えていない、だからパニックになるのである
posted by 天華 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

放射能の影響とコロナウィルスの影響の共通性 (一様には作用しない―社会の機能停止も怖い)


放射能の影響とコロナウィルスの影響の共通性

(一様には作用しない―社会の機能停止も怖い)

この辺で政府の政策の実行で失敗したのは放射性物質が30キロまで影響するということで線引きしたことである
それはどうしてしたのかとなるともし放射性物質の過多で判断すればきりなくなる
現実に福島市の方が放射性物質では汚染度では高かったこともある
別に南相馬市と相馬市とは変わりないのである
それより山側と海側の差が大きかった
だから浪江の津島とか飯館村の被害が大きくなった
それは放射性物質は風の影響を受けたからである
3月頃になると海から東風(こち)が吹きそれが爆発した時吹いて山の方放射性物質を運んだ
だから浪江から双葉に行くと7マイクロシーベルとか急に高くなっていた
でも浪江だと0.5マイクロシーベルトだったのである
浪江だったら請戸から原発の煙突が見える距離である

ともかくなぜ30キロで政府は区切り避難させたのか?

それは科学的根拠も確かではなくその時政府では放射性物質がどう影響するか
判断できなかった

そして30キロで線引きして補償しないと決めた

この理由で判断したのだと思う
放射性物質の過多で補償するとなるときりがなくなるしめんどうだからである
でも30キロ内では放射性物質の過多で補償金も決めたから今でももめているのである
30キロの外で内で差がありすぎたのである
現実に南相馬市では小高、原町区と鹿島区はまず医療費でも差が大きかった

鹿島区は半年で医療の無料が打ち切られた
小高と原町はその後も9年目になっても補償されていたのである
これも大きな差である、小高は避難区域になったから抗議したらまた一年医療費のく無料が継続されたのである
これは別に放射能の被害があるからというのではない、避難区域にされたのと30キロで線引きしたことによっていたのである

このことがコロナウィルスとどう関係してくるのか?

政府が学校を休止したり人の集まることを禁止したりすることこれが正しいのかどうかである
つまりコロナウィルスがどう影響するか不明である
放射性物質がどう影響するか不明だったのと同じなのである
予防策としてそうしたのだがこの結果はいいか悪かったのかは結果を見ないとわからないのである
それで商売ができなくなると政府で補償するとかなるのもにている
でも中小企業は補償されないとかでここでも不満になった
つまり政府の補償には限界があるからこうなる
全員に十分な補償などできないからどこかが犠牲になるのである

だから学校の休校が果たして正しいことだったのか?

それは結果をみないとわからない、原発事故では政府の政策は失敗だった
様々な問題を引き起こしてその後で地元では補償金で分断されてしまったからだ

それは結局放射能でもコロナウィルスでも社会にどう影響するかわからないことによる
これによって倒産する中小企業もいるとか実はその影響の方が大きいとなる
ただコロナウィルスが放射性物質と同じようにどう影響するかわからない
政府でも何か政策を出して実行せねばならない
世界からも要求されているとかなる、そういう圧力があり遅くなったがあえて実行した

要するに現代は科学技術社会になっているときこういう問題が起きやすいのである
科学技術というのが社会にどう影響するのかを事前に考慮しない
科学技術はみんないいものだと金になるとかしか考えないのである
それは国民自体がそうである
その影響について事故になったらどうなるのかなど国民自体が真剣に考えないのである
国民でも金になればいいとしか地元でもなかったからである

コロナウィルスでも科学と社会の問題が起きている
それは放射性物質と同じくコロナウィルスがどういうものか社会にどう影響するか不明だからである
でもそのつまにしておけずなんらか政策をする予防でもする
でもそれが社会が止めてしまうとまたその方が影響が大きくなり被害が拡大する
その兼ね合いがむずかしいのである
この辺では原発事故により人が住めなくなったりずたずたにされたからである
だから結果的には30キロで区切ったのは失敗だったとなる

それでコロナウィルスでも学校を休校までしてよかったのか?

それで社会の活動が止まったりしてその影響の方が大きかったとかなる
それは結局コロナウィルスも正体不明でありそれで対策できない
ここにいくら科学技術が発達しても科学者すら対処できないのである

だからトイレットペーパーがなくなったりとその影響がでている
何かそうした影響の方が大きくなる、実際はトイレットペーパーはあってもパニックでそうなる

そのパニックを起こさせているのは政府の政策だともなる

それは本当にどこまでコロナウィルスか影響するのかわからないからなのだ
それは放射能問題と同じだった、一体放射能はどれくらい影響したのかわからない
20年後にガンが増えると言ってもわからない

それより避難させて人を住めなくなさせ自治体を崩壊させた結果が重大だった

ただこういうことは国民のコンセンサスが必要になるのが緊急時にはいろいろなことを言う人がいるからまとめられなくなる、民主主義ではもう緊急事態で話し合って決めるなのどできないからだ、即断しなければならないからだ

ただ原発事故から考えると学校を休校とすることが社会の影響が大きい
その他グロ−バル化して広域社会になると交通が大事でありこれがとめられると物流が止められてその被害が大きくなる
今回は一部ではない、東北だけではない全国に及ぶ、その被害が全国規模になる
そして社会全体が麻痺したような状態になることが怖いともなる
だから一律に休校するとか何か日本全国をパニックにするようなことしていいのかとなるただそれも結果をみないとわからないのである

でも原発事故の対応を見ると社会を混乱させたり機能を停止させたり自治体を崩壊させたりすることになるからその点を考慮すべきだとなる
というのはコロナウィルスはインフレインザより被害が少ないともしているからである
その判断はむずかしいにしろ過度に恐れて社会を麻痺させるパニック状態にさせることの方がかえって悪いともなる                                    
病院でもどう対処していいかわからない、金にならないしコロナウィルスに感染した人を引き受けると病院が倒産するとかなるからだ
でもそのままにしてもおけないジレンマがある、それも結局原発事故でもそうだったが
コロナウィルスがどう社会に影響するかわからないからないからなのである

でも社会機能が停止するとトイレットペーパーでも奪い合いになる

暴動の様なことが起こるのも怖いのである、今回は全国の問題になっているから全国的にその影響が拡大して日本全体がパニックになることが怖いのである


「直接、専門家の意見を伺ったものではない。判断に時間をかけるいとまがない中において、私の責任において判断させていただいた」と述べた。

専門家の意見を聞いたわけでもない、専門家でも意見が分かれる、そしてじっくり検討する時間がないからこうなる
それは福島の原発事故でも同じだったのである
posted by 天華 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層