2020年03月09日

死者を思う時はその個人を思う (人は死んだ時霊が辺りを彷徨っている)


死者を思う時はその個人を思う

(人は死んだ時霊が辺りを彷徨っている)

家族墓とかは江戸時代までなかった、個人墓しかない、侍でもそうである
個人墓である、夫婦墓はあった、でも基本は個人墓である
ということは死者とは集団の死ではない、個人が死んだ時個人を偲ぶ
あの人はこうだったとかなんとか偲ぶ
家族全部を偲ぶということはない、個々人を偲ぶのである

近くの女性が死んだ時も突然でありびっくりした
その女性とは最近ちょっと話しただけである、何か大人しい人だった
でもとても死ぬとは思いもよらなかったのである
ただ猫に最近餌やっていないと見ていただけなのである

この年になると本当に知っている人でも死ぬ人が多くなる
でも死んだ時衝撃である、何か突然空虚感を感じる
そして死んでもまだ霊があたりを彷徨って離れないとなる
でもそれもまた忘れやすいのである
何か次々と人も入れ替わりするからである

とにかくその女性は病気だと思わなかった、だから突然死んだとなりびっくりした
例えば癌になり病院に通っているとかわかればまもなく死ぬのかとして心の準備ができる何年も介護していればいづれは死ぬのだと思う
でも介護していてもなかなか死ぬとは思えないのである

死は突然に来る!

死というのは何か突然なのである、急に有なものが無になるのが死なのである
その落差が大きすぎるから突然大きな穴があいたようになる
そしてその穴を埋めることができないのが死なのである
なぜなら永遠に帰ってこない逢うこともできなくなるからだ

老いも突然に来る! 徐々に老いるのではない、突然にがっくりとくる
体力的突然に弱る、病気にもなる、何かこの世のことは突然に来る
自然災害でも原発事故とか今回のコロナウィルスでもそうである
何か悪いことは突然にくる、だから対処できないのである
それで心が折れてしまうのである

ただそうして死んでも現実生活に追われて忘れてゆくのである
その女性はすぐ近くだから余計に死を感じた
親しいとはならない人でもすぐ近くだからである

不思議なのは今逢っている人でもいつか永遠に別れて逢わなくなるとして見ていない
でも年になると今逢っている人ともそうなりやすいのである
家族すらそうなってゆく、要するに無常が現実化するのが老人である
死が日常的になってしまう、それで香典とか田舎ではうるさいからその費用が馬鹿にできないのである

今や多死化の時代である、死者の数が膨大になる、それだけ老人が多いからそうなる
まるで戦場で人が次々に倒れてゆくように死んでゆくともなる
人が死ぬと必ずその人個人を偲ぶ、その人の人生は何なのだったろうとか偲ぶ
田から通夜とかあるのだろう、その時みんなで個人を偲ぶのである
ただ自分はそういうことをしなかった、まず一人なので何もできない
でも死んだ時くらい死者を偲ぶ、それは悪いことではない
でも葬式になるといろいろめんどうなのである
今は簡単にすませるから楽ではあるが死者を送ることは相当な精神的負担なのである

ただ身近だったからその突然の死に驚いた、向かいの人が死んだ時も驚いた
その女性は病気で寝ていたのが直ったんだようと言って一週間前に歩いていたのである
そして友達のところを回って歩いた、そうして死んでしまったのも不思議である
死ぬときゆかりのある人たちを回って歩くというのは本当である
でも逢っている人はそのことが自覚できない、まさか今生の別れとなるとは思いもよらないのである

今日は曇って雨もふった、春でも月は見えない

雨雲に月は隠れて春の夜

隠れるとは死のことなのである、お隠れになったということは死のことである
月は雲が晴れればまた現れるが死んだ人は永遠に現れないのである


肺癌で近くの女性死亡に驚く (何か最近まで歩いていたのを見た感じー一年くらいで悪化?)


肺癌で近くの女性死亡に驚く

(何か最近まで歩いていたのを見た感じー一年くらいで悪化?)

そのうち肺癌は、最近急速に増加している癌で、肺癌による死亡者数は、
1970年には 10,489人であったのが、2002年には5万6千人と増加し、2015年には我が国における1年間の新患者数は男性11万人、女性3万7千人になると予想されています。胃癌を抜いて第1位となり、肺癌死は全癌死亡のおよそ20%にあたります

肺がんは自覚症状が出にくい、発見された時には手遅れ

肺癌で近くの女性が死んだのにはまた驚いた
一年前くらいに歩いているのを見ていた、でも最近見ないと思っていた
猫に餌をやっていた、野良猫がその家の前に集まっていた
私も猫を飼っているからいつも見ていた
でも最近猫が集まらない、どうしたのだろと見てたい
それは最近のことでありおそらく病気になっても餌をやっていたのかもしれない
でも死んだのは余りにも急だったとなる
付き合いでも深くしていないからわからなかった
かえって旦那さんの方が病気だということを知っていた
だから意外だった

何か人間は突然思いがけなく死ぬ、この年になると知人でも死ぬ人が多くなった
あの人も死んだあの人も死んだとなる
その人は60代だろう、癌で死ぬのは60から70代である
ただ癌はなぜか増えている、その原因は何なのだろうか?煙草とも確定できていない
私の父親も肺癌で死んだから無惨だった
その死の状態を見て中学生だったからそれ以来死のことばかり考えるようになった

とにかく人は呆気なく死ぬ、家族もみんな死んだ、この年になると次々に死んでゆく人が増えて来る
病気になっている人も本当に多い、自分自身も病気になった
回りをみても同年代でも病気の人が多いのである
でもなぜ癌になってから7、8年くらいしても仕事している
その手を見たら点滴の跡だらけであり痛々しい
でも仕事ができているのが不思議なのである
おそらく肺癌でないからかもしれない、肺癌になると早く死ぬとういことがあるのかもしれない、癌によってその症状をもいろいろだからである

肺癌は症状が出ないからわかったときもう死に向かっている
その女性は病院に通っていた、でも発見したときはやはり手遅れになっていかのかもしれない
コロナウィルスも肺がやられる、インフレインザとにているから肺がやられる
老人は肺炎で死ぬ人が多い、肺気腫とかなって死んだ人も知っている

こうして妻の方が早く死ぬと夫の方は残されて淋しくなる
一人暮らしではないが近くに妻を早く亡くした人は大きな家で淋しいと言っている
そう言う人がまた増えてくるのである
夫婦でもどっちらかが死ぬと一人になるのである
多死化社会というのも現代である、高齢化社会では死ぬ人も増えて来る
それで駅前がもともとはスーパーだったが農協の葬儀屋になった
つまり葬儀屋が繁盛する時代なのである

その女(ひと)とわずかの時のともにあり死して見ざりき春になりしも

わずかの時をともにあったがもういなくなってしまった、なんともはかない、この年になるとただ別れだけが増えて来る
それでさよならだけ人生だというのは冗談ではなく厳粛な現実なのである