原発事故とコロナウィルスが問うもの
(科学技術と過度なグロ−バル化広域社会への警告)
人間は常に現状に不満をかかえている
その女性は最底辺の生活である、でも医療は一応無料ではないがそれに近い
それで腰が悪いとかといって東京の高価な機械のある病院でみてもらった
まず仙台に行きそれから紹介されて東京まで行った
次に目が悪いと仙台で手術した、半分は援助があったがない分は自分が払ったりした
でもその女性はこうして医療を受けられることに何の感謝もないし不満ばかり言う
それはわかるにしてもアメリカだと絶対にこういう女性はそんなことで医者にもかかれない、もし目の手術をしたら何百万もかかるという
そもそも保険に入っていないし金持ちだけが高額な保険に入って医療サービスを受けられるのがアメリカである
日本人は保険料を納めるにしても安いからみんな医者にかかれる、また福祉で無料で受けられるとういこともある
だからこういうことを知れば日本はいい国だ
こういうふうになるはずだがそうはならない、アメリカのことなどわからないからであるまた日本だと水は無料で飲めるが外国だとほとんど水は有料である
水道の水があるにしても飲めない、汚れていて飲めない
それで日本がに来た外国人は無料で水が飲めるということで助かるという
でも日本人は水を無料で飲むのは当たり前だとしているからそのことで感謝しないのである、私自身も外国で暮らしたことがないからなかなかこうして比較できないのである
それでyoutubeでも外国生活した経験のある人は違うな参考になるから見ている
外国ではオリッピックに関心がないという、みんな個人主義だから関心のない人は全然話題にもしないという、でも日本人だとみんながオリッピックでも関心をもたされる
同調圧力がありそうなる
でも前から私もオリッピックは反対だった
現実に原発地域の双葉とか大熊とかの避難区域では復興の工事が進んでいないという時
資材不足とか人手不足で進まないという
オリッピックのために復興が進まないのである
それなのに復興のためのオリッピックとして聖火リレーのことで宣伝している
常磐線全然開通は先行復興でありただ駅ができたというだけで街は何も復興していないのである、店すらないのである
人間はとにかくいつの時代でもどこの国でもそこに住んでいて不満がある
現代でもどれだけ豊かな生活しても不満がある、人間そのものはまず自然に感謝したりしない、神に感謝したりしない、実りがあるのは当然であり常にたりないたりないしかないのである
だからこそ生活に不満だからこそ地元の人により積極的に原発が誘致された
出稼ぎに行くしかないより地元で働き暮らしたいということでも誘致された
でも不思議なのは戦前でも江戸時代でもその時代なりに人は生活していた
その時は貧乏でもどうしようもなかったとなる
原発は確かに豊かさをもたらした、でも原発事故になり一転した
故郷に住むことさえできなくなり一転して廃墟の町となってしまったのである
こうなことになるなら蝋燭でも家族一緒に生活した方が良かったという人がいた
要するに人間はともかくどんな時代にどこの地域にでも国でも生活しても必ず不満があるでもその不満があってもそこで生活するほかないしできていたのである
漁業でもこの辺ではその幸は恵まれていた、新鮮な魚が食べられるからである
会津の方では新鮮な魚が食べられない、それで会津の人に石鰈を送ったとき喜ばれた
石鰈は地元でも高いのである、漁師は魚をとっても二三日内の魚しか食べないという
活きのいい魚しか食べないのである、それが贅沢なのである
でも現代ではそれだけではたりないから原発を作る時東電に漁業権を売り渡したのである事故無ければそれは最高の生活だったともなる
それが事故後は一転してしまった、放射性物質の汚染で魚をとることも売ることもできなくなったからである
ただ補償はされているから同じように贅沢な生活は一応できたのである
でも漁師がなぜここに何もしないで自分はいるのだと自問するようになったのである
もし貧しくとも漁師が地元に新鮮な魚を提供していれば地元の人たちに感謝されていた
その土地に生きる重要な役割があるとして認められていた
そういうことは農業でもあった、米や野菜や食料を提供してくれるということで農家の役割は重要なものとなっていた
でもまたグロ−バル化広域社会ではそうならない面があった
魚でも新鮮なものを東京に運んで高く売っていたとかある、地元より金になる都会に売るとかなる、それは今はどこでもそうである
そうなると地元より都会の金持ちのために働いているとなりまた違った見方になる
ただ今は今回のコロナウィルスでわかったように中国から食料でも入らないと東京では騒いでいる、野菜でも中国産が多いからである
すると国内の食料が貴重になる、でも高くなると騒ぐ、でもまた国内でとれて東京に供給されるならましてある
供給されなくなることだってあるからだ
こういうことになるからと私はグロ−バル経済を批判してきたのである
奇妙なのはおそらく地元で食料でも供給されなくても困らない
金さえあればいくらでも買える、どこからでも食料でも品物でも入ってくる
その時大事なものは金だとなる、でも第一物自体が入らなくなったら金は紙切れになってしまうのである
そういう恐怖がいくら金をもっていてもある
だから最近食料でも備蓄しておけというのもわかる
金では買えなくなる、店には品物がなくなるからだ、トイレットペーパー騒ぎでそうなった
だから蔵がありそこに米俵でも積んで品物を貯えるのがいいとなる
何か原発事故でもコロナウィルスでも現代社会の悪い面をついてきた
原子力発電でもそれは現代の科学技術の粋を集めて作られた
それが崩壊した時、社会全体が生態系でも自然すら汚染されて住めなくなったのである
ともかく人間はまず住めるということが基本である
縄文時代でも人は森に住んでいた、そこで不足しているものが多かったが一応定着して住んでいたのである、そこに住めるということはその場所に住んで生きられる実りが恵みがあったからできる
ただそれは最低限の生活としても一応住むことができたとなる
原発事故では過度な危険な核の原子力に頼り事故になりもともこうもなくなった
コロナウィルスでは世界のヒトでも自由に行き来してモノが自由に外国からいくらでも入るという時代になった
でも不思議なのはコロナウィルスはそのヒトの自由な行き来やモノの交流をとめたのである
これもなんのだろうとなる、つまりグロ−バル経済をとめたのである
それはもしかしたら神からの自然からの過度な行き過ぎたグロ−バル経済の警鐘だっ
たのかもしれない、そういうことを書いてきた
貿易は悪いものではない、否定できない、ただそれが自分の所で地域で国で満たされるものを外国に頼るということは行きすぎていたのである
それで中国頼りになったとき日本は経済で中国のいうままになり中国の属国化する
それはイタリアでもそうだしイランでも交流が深くなり経済依存度が高くなるとそうなるそこが一番コロナウィルスの被害が大きくなったからである
何でも外国に依存することは危険なのである
労働者でも外国に依存することはいいとはならない
なぜならそういう人たちは一時的に金のために働いているだけだからである
何か危機があったら戦争でもなったら戦ったりしない、命をかけたりしない
自国に帰るだけだからである、でも日本国籍をとって住むとなると日本人になるから違うホンダで働くネパールの人はそうなっている
それは一時的に金のために働く人たちとはちがうものとなるからだ
原発事故とかコロナウィルスが日本だけではない世界に問うものがあった
それは科学技術社会への警告でありグロ−バル経済の警告である
それが過度になった現代社会の警鐘であった
だから社会自体を見直すものとなる、世界でもそうである
それは中国の巨大化台頭でもそうである、それに歯止めをかけた
そういうことでコロナウィルスというものが何なのか不思議になるのだ
それが悪いものでも現代社会の世界への人類への警告となっていることである
社会を見直して世界を見直すものとなっているからだ
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