abstract mountain
2020年03月12日
abstract mountain
posted by 天華 at 19:29| Comment(0)
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| 抽象画の部−写真の絵画化(abstract paintingーPainting of photographs)
人生はみんな失敗に終わる (学歴も関係ない、文明そのものが原発事故のように終わる)
人生はみんな失敗に終わる
(学歴も関係ない、文明そのものが原発事故のように終わる)
学歴がどうのこうのとかFランのことをyoutubeで自ら話しているのも面白い
なぜ自分は底辺労働とかニートとかFランとかに興味をもつのか?
今回も長男長女は融通性がなく引きこもりになりやすいというのもなるほどと思った
次男と次女とかなる世渡り上手でうまく対応する術を身につけるとなる
それもまさに自分が長男であり一人っ子でありそうだった
自分自身はどうしても集団生活になじめない、人間関係が苦手なのである
それでどういうわけか家庭環境で引きこもりが許されたので30以降は無職であり家に引きこもっていた、ただ仕事もしないで旅ばかりしていたとなる
そのことから社会常識が欠如する人間になっていたのである
大学でもほとんど勉強していない、Fランではないけどにたようなものだった
第一私の年代ではまだFラン大学がなかった
一応大学となるとみんなエリートになっていた、でも団塊の世代だとその頃から大学という価値が数が多くなり価値がかなり下がってたいのである
だからなぜこんなに大学は人数が多く1000人とか集まる講堂とかで授業しているのだろうとなる、そんな数の人間を前に講義すること自体なじめなかったから余計に勉強もしたなくなった、高校の時も勉強は嫌いだった、だから良く卒業できたと思う
卒業すらできない状態だった
私にとって大学とは田舎から自立するために出るということ家族から離れることに意味があった、そこで甘えていたが自立できるようになったからである
それだけか最大の効果であり勉強などどうでも良かったのである
そしてなぜカルト教団に入ったのか?
これも私はもともと宗教を求めていたのである、私の最大の問題は死の解決だったからである
でもカルト教団は全く宗教とは関係ない政治団体だったのである
だから毎日一票をとるために一軒一軒回るだけだった
ただこれも人間と接するということでひきこもりにならない効用はあった
でも勉強はしていない、これも実に無駄だったとなる
その後は就職もしない、底辺労働者でありそこで散々な目にあった
工事現場ではビルの四回から落ちて死ぬ所だった、そこは一番危険であった
そこで感じたことは底辺になることはこれだけ厳しいものだということを自覚した
そのことを語っている人がいて勉強しておけということを言うのもわかる
一回就職してみるべきだというのもわかる
実社会がどういうところか学生時代はわからないからである
ただ文学に興味があり短歌と俳句は早い時期からはじめていた、それも稚拙なものだったでも何らかその方面で才能があり今日までもう死ぬ時期になり続いている
詩も書いてきたがいいものが作れなかったが今はそれなりに作れている
人間は何らかその人なりものをもっていて個性をもっていてそれを活かすことである
天職につくことである、そこにこそ生きる意味がある
金は必要でもその前にその人なりの仕事をもつことである
そのために勉強して訓練することである
それがわかるのは老人になってからである、また震災で別に補償金をもらえるから生活できたとしても毎日パチンコ通いでありギャンブルだけになるともうその精神も荒廃する
それがやがて顔に現れる、生きがいもなにもなくなるしヤクザと変わりなくなることが怖い、それより大工でも自転車屋でも職人でも農業でも仕事をもっていることがその人を価値あらしめる
確かに漁業していた人は漁業権を売り東電から事故前も事故後も補償金を特別もらっているから生活に困らない
でもそうして魚もとらないとしたなんで港にいるのか?
そういう疑問になったことでわかる、何の意味があり価値があってあなたは港にいるのかとなるからだ
避難民となってもただ補償金だけで生活している人はそうなる
でも他に避難民として移ってもそこで何か仕事をもっている技術などもっている人は他の土地でも価値を認められるのである
それは金の問題ではない、仕事をもっていることにできることに意味がある
ともかく人間の成すことは結局失敗なのである
みんな成功したと思い努力しているし勉強している、でも最後は失敗に終わる
そもそもどんな優秀な人でも最後になって失敗に終わる
それは身近な家族で見たらかショックだった
体力的にも頭脳的にも優れた人間であっても認知症になんで馬鹿になったからショックだった、つまり認知症になることは人生そのものが失敗だったという烙印をおされる
なぜなら馬鹿になったのだとなってしまうからである
そして最後に言い残した言葉が
俺は優秀だった
ここには万感の思いがあったとなる
人間は優秀だった、優秀な人間が文明は人間が作った、でもそこに今や見る影もない、廃墟となっていたともなる
人間は成功も失敗もない、みんな最後はこうして失敗なのである
それは個々人でもそうだが文明そのものが失敗なのである
それを如実に示したのが原発事故だったのである
そこに理系の優秀な選ばれた人が働いていたからである
それはまた人間の英知を集めて作られた文明を構成するそのものだったからである
それが津波とかで一挙にバベルの塔のように崩壊したのである
つまり人間の愚かさを示すだけだったのである
つまり失敗に終わったということである
人間は成功も失敗であり失敗も成功である、失敗も必要なのである
人間は失敗して謙虚になる、俺は頭がいいから成功ばかりして億万長者になった
こんなことを自慢するようになったら危険である
それで事業を起こして失敗した人がいた、もし失敗しなかったら傲慢になって手がつけられないとなった
いづれにしろ学歴が別にその人の価値を決めない、文系などみんなたいして変わりないのである、ただ理系は価値があるから区別される
一体人間の価値がどこにあるのか?それ自体がわからないのである
乞食のような人間が神に認められた人間であることが普通にある
その方が多いのである、宗教に関してはこの世に成功する人は信仰者ではありえないのである、麻生大臣のような人がキリスト者ではありえないのである
巨万の富をもっているからである、まずかえって上級国民はキリスト者とか信仰者にはなれないだろう、ただ富者でも貧者でも区別しないということはある
ただこの世の成功者にはなりにくいことは確かである
人間は成功でも失敗でもない、何か成功は奢りに通じて失敗にいたり、失敗は謙虚になり成功に通じているともなる、国単位でも必ず栄枯盛衰があり一時的に栄えてもいつまでも栄えることがないと同じである、アメリカだって衰退してゆく
それが歴史の法則だともなる
人間は成功を求めることではない、神の国を求めなさいというときそれはこの世の成功ではない、この世のことはすぎてゆく常に変化して無常なのである
つまり結局栄枯盛衰であり成功しても一時的でありたちまち衰退して見る影もなくなる
だからこの世で成功を求めても失敗なのである
人間は学歴で何か価値が決まるわけでもない、有利なことは確かでもそれで価値が決まらない、その後に長い実社会での仕事で決まってくる
仕事ができるかできないかは学歴ではないからだ
ただ勉強していることは悪いことではない、みんな学校をでてもっと勉強していれば良かったと後悔しているからである
自分自身でもそうである、勉強しないから底辺に落ちたというのは本当だからである
なぜ流れ作業のようなことばかりしなければならなかったのか?
それはつくづくもっと勉強していなからこうなったと痛切に感じるからだ
つまり勉強しなければ奴隷にされる、ロボットにされるのである
ただ自分は特別恵まれたからそうならずにすみ大学を出てからも勉強をしつづけていたのである、それが今になってようやく実っているとなる
いづれにしろ
文明自体が失敗に終わる!
ということは個々人も失敗に終わるということになる、つまりこの世での成功は何であれ失敗に通じている、それを証明したのが原発事故だったのである
結局は
成功するのは全能の神だけだ!
あとは部分的に成功したりするけど全体的にみたら失敗である
そして理想社会など人間は作れない
科学技術⇒原発事故
政治⇒治められない
法律⇒守られない
科学技術でもいい面と悪い面がある、それが社会に全部いい面として作用しないのである政治でも治められない、民主主義なども今やどうにもならない、数だけが力となっているからだ、法律も守れない、弁護士自体が不正していることもある
法律をなぜ勉強するのか?金儲けだともなる
いろいろな問題を人間は解決できない、問題は問題をうむ
一つの問題を解決してもまた次の問題が生れてくる、そして永遠に解決できない
そこに人間の限界があるから解決できない、そして遂には破綻するとなるのだ
それで成すことではない、成さないこと天地自然にまかせることが治めることだという老子の思想の逆説になる、そういうことが現実だから共感するのである
ボッシュの絵
カオスになる人間社会、これも原発事故になったこの辺とにている
ここには人間の快楽を求めるものが露骨に現れている
それもまた人間社会の実相である
それは今でも変わりない、人間社会はいつまでもこうしたし混沌(カオス)なのである