2020年03月15日

人間は国(くに)に生きる (国とは何か福島県(会津)の万葉集より考察)


人間は国(くに)に生きる

(国とは何か福島県(会津)の万葉集より考察)

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国という時何なのか?それは自然村のような自然に生じたものが国である
人為的なものではなくそこに風土があり自ずと一つの国が形成される
それでシンガポールとか香港とかは国ではない、商業単位の貿易都市である
そこには国はない、だから証券取引をする経済に特化された場所である
そこはイギリスとかによって便宜的に作られた場所なのである

国という時、そこに独自の風土があり土地があり自然がある場所でありそこに生きる時
国がある、だからまた東京とか文明の大都会にも国はないのである
そこは商業都市であり工業都市であり経済都市に特化したものである
または東京となると政治都市になる、でも自然がないのである
一千万人が住んでいてもそこは国とはなりえないのである

また行政単位として県があったとしてもそれも国ではない、自然から国が自ずと作られるとき行政単位としての国として廃藩置県で作られたから不自然になる
伊達藩と相馬藩がありその境が新地だとしてもそこが藩の境であり国の境と思えないのである、なぜなら平坦な太平洋岸の海岸線として仙台まで続いているからである
実際の生活でも仙台が身近なのである
むずかしい病気だと仙台に行っている、すでに二人は眼の手術で行っていたし近くで最近死んだ女性も仙台の病院に入院していたらしい

どうしても日本は山が多いから山でさえぎられる、すると自然の境界になりそれで実際の生活でも心でも心理でも形成される
阿武隈高原にさえぎられて中通りは遠く感じられる、第一中通りの山が見えないのであるでも蔵王が南相馬市の鹿島区からも見えるのである

陸奥みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ
(斎藤茂吉)

この歌もそういう地形を歌っていたのである、でもそれより宮城県と山形県を分けるのは面白山がある所である、そのトンネルをぬけると山形になりそこは雪国だったとなるからだ、春でも雪が残っている、でも宮城県側はほとんど雪は降らないからである
だから面白山で国が分かたれていると感じるのである

福島県の成り立ちは会津が最も古い、この歌でもわかる

会津嶺《あいづね》の 国をさ遠《どお》み 逢はなはば 
偲《しの》ひにせもと 紐結ばさね 万葉集

ここに国がすでにあった、国が形成されていたのである
その時浜通りにはまだ国はなかった、浜通りはなにか渡来人の跡が古くあり鉄を求めて資源を求めて来て早く開かれた
そして「黄金花咲く」で宮城県が奈良に知られていた
それを象徴しているのが

みちのくの真野の草原(かやはら)遠けども面影にして見ゆといふものを」 (万葉集巻3)

つまり真野の草原は奈良からみて知られた場所でありみちのくの辺境だったのである
その先はまだ知られていない地だったとなる
ただそこで国というのは形成されていなかった
万葉集の歌で

安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに  万葉集  巻16 

があるとしてこれは今と通じている、交通の要所でありそこに官人を接待した采女の歌がこれだとするとそういう場所だったのである

そして中通りは

安達太良の嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)の ありつつも
   我(あ)れは至らむ 寝処(ねど)な去りそね 」 
          巻14−3428 作者未詳
          
陸奥(みちのく)の安達太良真弓 弦(つら)着(は)けて
       引かばか人の 我を言(こと)なさむ 」
                 
これは縄文人の狩猟時代を彷彿とさせる歌である、原始性がある歌である、鹿と猪が身近なのである、陸奥(みちのく)の安達太良真弓とはこれはみちのくで特別なものである
安達太良真弓と固有名詞化しているから知られた弓だったのである

エミシは、「弓で矢を射る強者」の意のユミシが訛ってエミシとなったという説がある

弓は日本の縄文弓もあるが、中国で発展したらしく、中国東部の民族を東夷と呼ぶのも、ばかでかい弓を使う人たちだったので、大の字と弓の字を一体化して「夷」としたと言うもののようである

日本人はなぜ長弓に固執したのか
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「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた[13][注 2]。夷の字を分解すると「弓人」になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある[15]

弓にたけていたのが蝦夷だったとなる、それは狩猟時代を生きていたから動物を射ることが得意だったとなる

この歌のようにこれはまさに開かれない狩猟していた人たちが蝦夷が住んでいたとなる
熊の穴とかイノシシが寝ていた場所だとか見るのは狩猟する人たちでありマタギの人たちだとなるからだ
だから万葉集の歌で福島県が特徴づけられたし今でも継続している
それは地形とか地理はかわらないからである

いづれにしろ人間が生きる時その場所が大事になる、その場に人は生きる、場と一体となり生きる、アイディンティティ化して生きる
そういう場がないとき人間の生は浅薄になる意味をもていないのである
でも現代社会は文明社会とはもうそういう場がなくなった
東京を見ればわかるそこに場となるべき自然がない、ただ政治経済商業都市として肥大化したのである、そこに国として生きる場ではないのである

ただ現代は全体的にただ経済人間として生きているのである
だからこそこの辺で金になる原発が誘致されたのである、農業とか漁業とか林業は衰退していた、跡継ぎもない、木材が外材だとか国を形成する基盤が失われていたのである
それで国に故郷に愛着がなく原発事故で簡単にゴーストタウンとなり捨てられたとなる
つまり金があればどこにでも住んでいいという時、その国の愛着はない
金さえあればどこに住んでもいい、国より金であり金で買えないものがないとまでなっている
だから金の切れ目が縁の切れ目であり土地とか風土から歴史から形成された国に愛着はないのである
その国に生きるより金にならなればその国との縁は簡単に切れるのである
原発事故でそのことが証明された、補償金が大事であり金さえあれば簡単に故郷は捨てられるのである
一億円もらったら田舎をでてやるとか事故前から若い世代でも言っていたから当然そうなる

ただ人間は経済人間だけでいいものなのか?それが極端化したのがグロ−バル経済である世界が経済の単位となり経済ですべてが計られるのである
そんなふうに人間を経済化することができるのか?
人間とはただただ経済に金にのみ生きるものなのか?
それが問われた、結局グロ−バル経済とは何か?それはアメリカの一局の経済支配でありまた中国の一帯一路の中華帝国支配になるところだった
それがコロナウィルスでブレーキがかかったのである

人間は何に生きるかと問いばそれぞれの国に生きる、そこが生き死にの場なのである
日本国家に生きるのではない、国に生きる、国家は行政単位である
国は自然に形成されたアイディンティティとなるものである
ただ会津を例にすると国と言っても城のある城を守る武士が会津のアイディンティティを形成したとなるが農民は別だった
農民は明治になって一揆を起こしたということは同じ同胞としての国を形成していたのではない、侍には堅い同胞として結ばれていたが農民は別だったのである
年貢をとられるものとしてそれに反抗して一揆を起こしたのである
だから会津を国として意識していたのは武士だけであったともなる
ただ万葉集の時は農民でも庶民でも国としてやはり意識していたのである
そこに同胞がいて妻がいてまた仲間がいてそういう意識をもっていた
そこに会津嶺という山々が常に心に映じていたのである 
なぜならその時会津藩はない、侍はいなかったからである
それでも農民でも庶民でも国として意識していたのである、国の感覚があった

自然から形成された国かあって人間も心も形成される、東京のような大都会から国が形成されるだろうか?
そこは物量の世界であり経済都市でありそこがいかに豊かになっても人間の精神は形成されない、ただ何か貪欲に世界から物とか食料でも食うだけの物欲人間になっている
だから何か精神的に象徴するものはない、皇居があるとしてもそれはもともと京都にあるべきものであり江戸城のあったところにあるのがそぐわないのである
そして江戸があった時そこにはまだ自然があった、縦横に水路がめぐらされて自然の美があった、でも明治以降はそういう美は常に破壊されて喪失してきたのである
つまり国には美がある時国になりえる
美がない時、そこに国はない、美は自然からしかから形成されないのである
経済都市とか工業都市とかからだけでは美は形成されない、美がないことは致命的なのである  

いくらそこで繁栄したとしてもそこに美がなく殺伐としてビジネスマンとは自ら言っているように社畜であり奴隷なのである
人間が生きる場所に値しないのである、たた現代はすべて金で経済力で計られる物量で計られるだけなのである
そして原発事故でわかったように肝心の風土を国を形成するもの、土や水や森や空気まで汚染されて住めなくなったことでもわかる
その時国に住めなくなった、生きる場所としての国が喪失したのである
ただその前に田舎でもどこでも金を追い求めるだけであり国を生きるなどなかったのである
「神の国を求めなさい」というときまず金を求めなさいしかなかったのである
だからこそ原発でも何でも金になるものなら国に作る
美とかも関係ないのである、田舎の人間の方が強欲にもなっていたのである
だから国という時日本の国として自然の風土と一体化した国にこそ人間は生きる価値と意味があるとなる

御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば  海犬養岡麻呂

栄とは物質的なものだけではない、実りとは自然とアイディンティティ化した美がある
または国に真善美がある世界である、そこに生きる価値があるとなる

国というとき国魂神社がある、相馬市に都玉神社(くにたま)神社がある
これは相馬氏の子息が若くして死んで祀られたのである
ただ国の魂(たましい)というとき何なのだろうとなる
国家と国(くに)は別物なのである、国家とは行政の単位としてある
例えば廃藩置県の後は福島県となってもそれが国とはなりえないのである
他でもそれは行政単位として分けたのである、だから不自然なのである
江戸時代の藩でも実際は本来の国とは違うものになっていた
第一相馬藩というけど千葉県などから来た相馬氏に支配されたから相馬藩となった
それは本来の国とも違っていたのである
だから伊達藩と相馬藩の境が新地になっているけどそこは山でさえぎられることもない
浜通りの延長として海岸線を通じて仙台まで直線的につながっているのである

ところが地理から見ると福島県でもハマ、ナカ、アイヅとあるが浜通りは阿武隈高原でさえぎられているから中通りと地理的一体感を感じないしまた会津になるともともと地理的に別世界なのである
この地理だけは変えることができないのである、いつも阿武隈山脈を見ていると向こう側は見えないのである、でも飯館村まで来るとかえって中通りでも近く感じる
地理的一体感を感じるようになる
この差が大きいのである、だから人間は地理からその場からアイディンティティ化される地理は変わらない、山が平地になどにならないからである

第一いつも太平洋側から太陽が昇るのと山から太陽が昇るを毎日見ているとき相当に感覚的に違ってくる、その感覚がどうしても理解できなくなる
例えば韓国から日本海を見ると東海と呼んでいるけど日本海側から見るとそこは常に太陽が沈む場所なのである、つまりそれだけ場所によって見る感覚が違ってくるのである

とにかく会津は古代から大きな国だった、他に福島県でも東北でも国として意識されていない、その国とは今の県とか江戸時代の藩でも伊達藩のように地理とは関係なくなる場合がある、人工的なものとしての国が形成される、ただ古代から国(くに)として継続したのは日本でも少ないだろう
国こそ国体という観念なのかもしれない、それは日本国家というのではない、その土地と一体化したものでありアイディンティティ化したものである
それが本当は愛国心に通じている、ただこの国と国家はまぎらわしいのである
国とは血脈を通じたものがあり国家は行政的機関とかなり人間の温かい血が通っていないのである、だからお国訛りとかなると何か親しみを感じるのはそのためなのである