2020年04月11日

農業がコロナウィルスで見直される (人間社会には必ずカルマの法則が働く)

農業がコロナウィルスで見直される

(人間社会には必ずカルマの法則が働く)

新型コロナウイルスの感染拡大防止で外国人の入国が制限される中、農業分野で日本に入国予定の外国人労働者が自国で待機状態にある。
外国人労働者の受け入れ機関である農業人材支援会社「エイブリッジ」(那覇市)でも、。

全国的に従事者が高齢化し人手不足が顕著となる農業では外国人の力無しでは経営が成り立たない農家もいる。
繁忙期に外国人労働者が加わることを見据え栽培をしていた農家も多い。

同社は農家への影響を最小限に食い止めるため、国内で農業人材を募集している。
新型コロナで失業した人や、休業中の人にも呼び掛ける。
100人を受け入れる予定で、長期、短期は問わない。
江城事業本部長は「新型コロナの影響で生活が困窮している人もいるので協力したい。仕事が見つかるまでの数カ月のつなぎでもいい。まずは相談してほしい」と呼び掛けた。


 水商売がダメなら就農やれよ
介護やフクイチの作業でもええやん

親父が死んだ・・・
母も死んでおり、俺が単独相続をすることになった。
家はど田舎で誰も買い手なんかつきやしない。
いらない農地まで相続する羽目に・・・・
農機もあるが、そんなもの俺には不要だ、処分するのにも金がかかる。
家の周辺では、耕作放棄地・空家が問題となっており
処分困難であることは明白だった。

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何か個人的にもそうだがカルマというのが社会的にもあるのか?
因果の法則はある、コロナウィルス騒動でそれが起きているのかとなる
農業が重視されていないかった、東京では外国から中国からでも食料が安く入ればいいとかなっていた、自国産のものでも外国産で安い方がいいとなっていた
そうなれば自国産の価値が下がり農家は苦しいとなりやる人が減った
そもそも農業は手間のかかるものなのである
だからそこで60歳以上とかの人がしているがだんだんできなくなる
それで耕作放棄地が膨大に増えた
この辺では原発事故以後に荒地が膨大に増えた、もともと後継者がいない、老人がしていたがそれも原発事故であきらめた結果、耕作放棄地が増えた

それで人手がたりないので外国人労働者を安く雇って継続していた
それがコロナウィルスで外国人も雇えないとなると誰がするのか?
そこでコロナウィルスで大量に仕事を失った人たちがいる
その人たちを雇えばいいとなった
つまりこのコロナウィルスでエンタ―テ―ナメント関係者、芸能関係者とか水商売と飲食業が大打撃になったからである
でもそういう人たちが農業に簡単に転換できるのかとなると疑問である
ただ農家に賃金労働者としてやればできる、でも給料となると自給いくらかとなり安くなる,労働もきついからそれをやれるのかとなり疑問になる

でもこういう場合もう仕事がなくなれば食べるために仕方なくそういう仕事でも必死にやらざるえありくなるかもしれない、ということは逆に農業の新興にはいいことだとなる
だから何が有利に不利になるか人間社会はわからないのである
ここでそういう失業した人たちが農業でも地方へ向かうようになるかもしれない
すると原発避難区域などは荒地が膨大に広がっているし肝心の人すら住んでいないのだから入り安いのである、つまり未開の地のようになっているからだ
そこで自由に利用してくださいとなるからだ
別に北海道のように木を切って農地にするのではない、すでに農地としてあるからだ

人間はつくづく何になるかわからない、不幸となった原因が幸福につながり幸福を作りだしたのが不幸になる、そういうことが常にある
だから必ずしも原発事故周辺でも不利なことばかりとはならない
その不利なことがコロナウィルスのようなもので有利なものとなってゆくこともある
今は農家にとって外国人を雇うより日本人を雇えるチャンスになったのである

これもカルマなのかと思う、ヨ−ロッパはアジアや南米に侵略した
そこでウィルスを感染させて根絶やしのような状態にした
今度はコロナウィルスが中国から生まれて欧米とかが被害にあう
これもカルマなのかとなる、因果応報なのかとなる
意外と欧米の方がコロナウィルスには打撃だったからである
だから今回はコロナウィルスによって世界の力関係も変わる
欧米は衰退してかえって発生源になった中国の力が増大するというのもそうである
それが明確にコロナウィルスによって現れたのである
それもカルマだったのかとなる   

だからコロナウィルスの不思議は社会でも国際関係でも大きな変化が起きて来る
グローバル経済でも今までのようにはならない
自国第一主義となる、それはそういう傾向があったのだからますますそうなる
それが全部悪い方に変化するともならない、社会を正規の状態に戻すという働きともなるそれで日本は再び鎖国しろという極端な意見もでてくる
鎖国は何かマイナスばかりが指摘されるが逆に300年間世界と交わらずかえって平和でありえた世界史ではまれなことだった
貧乏であっても平和だ第一である、それを証明したのが第二次世界大戦であり膨大な人が死んだからである
つまり貿易を自由化しても必ず貿易摩擦が起きてまた戦争のような状態になるからだ
適度な貿易であればいいが他国に食料まで依存することは危険なのである
急所をにぎられると同じであるからだ
だから今回のコロナウィルスでも食料を外国では輸出しないとなる
自国優先になる、そういうことは予想されたとしても日本では真剣に考えなかったのである

コロナウィルスがある程度収束しても世界情勢と社会は変わっている
だからそうした変わった社会に適応するほか生きていけなくなる
農業が嫌だとしても仕事がなくなればやらざるをえない、戦後焼野原になったとき引揚者が仕事がないので不便な土地に開墾に入り農業をしたようになる
そこで半分は生計がたたずやめたとしてもそうならざるをえないともなる
結局歓楽街の灯は消えても食料の方が大事だとされてしまうのである

posted by 老鶯 at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月10日

家族をばらばらにした原発事故 (原発避難区域は姥捨て山になる?)


家族をばらばらにした原発事故

(原発避難区域は姥捨て山になる?)

小高の人は息子夫婦と一緒に住んでいた、孫もいたから大家族である
家は立派だし庭も立派である、大工とか庭作りをしていたから当然だともなる
その求めることが高いレベルになる
でも聞いてみるとその男性は一人で直した家と大きな庭がある家に住んでいるという
息子夫婦と妻は仙台市に住んで帰ってこない
こういう人が浪江にもいた、何か原発事故は地域でも家族でも分断してばらばらにしたということがあった
だからこういう人はめずらしくない、浪江とか小高とか飯館村とかでもそうである
一時的には補償金が入ったとしてもかえってその補償金で家族でも地域でもばらばらになったということがあった

そして同じ地域に住んでその大工さんの補助役として働いている人はやはり大家族であるそれを対象的に見ると明確に原発事故が残した傷痕が明らかになる
大きな立派な家に広い庭に住んでもそこで一人で老人が住んでいる
別にその人は金には困らないとみる、ただ補償金を使ったから贅沢な生活とはならない
ただ人間の幸福の基本が家族にあるという時、その家族がいないということが不幸なのである
そういうふうに家族がばらばらになった例は原発避難区域では結構あった
その被害が二人を対照的にみて明確になる
それで大熊の人だったか原発事故で故郷に住めなくなったとき蝋燭を使っていいから
家族とともに暮らしたいと言っていた
そういう状況で極端なものとなったのである
そもそも家族とともにまた故郷に暮らせないとしたら幸福の基盤を失われたことになるからだ

ただそうはいってもあまりにも贅沢を限りない贅沢を求めていた
原発が危険だということを全く考慮しない、金になればいいしかないというのが現状だった、それだけ稼ぐ腕があったから欲望も大きくなっていたとなる
資本主義社会だととにかく欲望が無限に増大して拡大してゆくのである
その欲望の歯止めがなくなる、すると豊かになる金になるなら原発でも何でもいいとなってしまう、それはみんなそうなのである
それで津波で大熊町の町長の金庫が流されて見つけてくれとかなった
まさにここにこの辺の問題が象徴されていたのである
5億円が本当に入っていたのかもしれない、町長ともなればそれくらいの金が原発から入る、現実に牧場を経営している大熊町の人が5億円の補償金をもらったということを聞いたからでありそれは単なる噂とも違うだろう
何兆円もの金が除染とか補償金に使われたからである

ただそこで金は得たとしても失われたものも大きかった
それが原発避難区域に一人取り残された老人たちである
一番被害にあったのがそういう老人たちなのである
例え金があったとしても家族がいなくなって一人取り残されたからである
その人は腕のいい大工だから仕事しているからいい、でも仕事できなくなったらどうなるのか?
介護になったらどうするのか?
めれはここだけの問題ではないが避難区域に住んでいたらやがてそういう人ばかりになる若い世代がいないのだから介護ができなくなる

おかしなのはでは老親を避難区域に残して子供は仙台市とかで生活する
介護になったら地元の人が世話をするといってもそれすらできない
なぜなら介護する人がいない、老人は老人を介護できない、それで現実に南相馬市では介護士などがいないから青森の施設に送られているのである
ただそうなったら引き取る子供もいることは確かである
でもそうしたらいづれは後継ぐ人もいないのだから自治体は維持できなくなる

何か自分でも庭に夏蝋梅が伸びて木陰を作っていたので夏になるとそこで休んでいた
でも今回庭作りを頼んで失敗したと思ったのはその夏蝋梅の木を短く切ってしまったことである、それを残念に思ったのは伸びるまで時間がかかるからである
何年もかかる、すると老人の場合はその待つ時間がないともなる
その未来の残された時間がないのである
それでつくづく老人は復興に向いていないと思った
これだけの被害となると復興まで十年ではたりない、20年、30年ともかかるからである
第一廃炉にするにも40年かかるとなるからだ
だから早く成長するものならいいが木となると成長するのに時間がかかりすぎるのだ
だから何か木を植えたいのだがそれが成長するのを待てないのである
別に20歳くらいだったら30年先でも見て木を植えることができる、その成長した姿もある程度見れる、でも老人はできないのである
だからどうしても時間がかかるのは敬遠するのである

いづれにしろ津波とか原発事故の傷痕は消えない、町自体が崩壊したということはあまりにも大きな被害だったのである
だからもう親族でも息子でも娘でも流出したから帰ることはない
でも何か不利なことが有利なことに逆転するかもしれない
それはコロナウィルスなどで東京脱出が起きて空いた土地とか家を求めて住むように時代が変わるかもしれない、広大な未使用の土地があり家もあるからだ
仕事がないということも問題だが何かそれも解決する方法ができるかもしれない
だから結局未来はわからない、この十年の変化をみればわかる

ともかくこの問題は津波とか原発事故で起きた地域だけではない、限界集落とかすでに問題になっていたからである、そこにはやはり老人だけか取り残されるようになっていたからである
そして日本が貧困化しているというときもそうである 

若い女性は風俗嬢、老人は姨捨て山…一億総貧困時代が来た

これもまた日本の現状なのである、だからここで起きたことはここだけの問題ではなかった、日本全体のも問題でもあった、それだけ限界状態が起きているのが日本なのである
津浪ー原発事故ー水害ーコロナウィルスとここ十年は災難の連続だったのである
コロナウィルスは世界的災厄でありつくづく人類の限界状態になった
それがコロナウィルスで現れたともなる
だからこれまでの生活を見直して新たな世界を作ることが強いられている
それは世界的になるからコロナウィルスの影響は大きいのである
津浪や原発事故は地域的だがコロナウィルスはグローバルに影響したからである

posted by 老鶯 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

桜満開―(南相馬市鹿島区の桜の見所)



桜満開―(南相馬市鹿島区の桜の見所)

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クリック拡大-桜平公園

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クリック拡大

さくらホールの丘の公園

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海望む故郷の丘朝桜          

丘の上桜の映えて遠き山

街中を縦横に飛ぶつばめかな

新しく日をまた生きむ春の雷

始動する仕事仲間や春の雷

春の雷刺激与えぬ春の雷 

若き人仕事に挑む春の雷

老いてなお若返らむや春の雷

灯のともる枝垂桜や奥の家

田舎駅待つ人あれや春の月

人逢いて去りて遠しも朧月


みちのくに桜咲きしも風荒し夕日のさして幽か月いず 

風荒し桜をゆすり一日かな散るを思いぬ盛りみじかく

やさしくもきらめきあいぬ星いくつ満月光り花咲き満ちぬ

今しばし逢いにし人も去りゆけば定かならじも朧月かな




故郷の春の丘

ふるさとの丘にスミレ咲き満つ
桜も今し盛りと咲きよそおいぬ
遠く霞みて鹿狼山が見える
さえづりは森にひびきわたり
花の影にそ我は休らふ
ふるさとの畑に耕す人のあれ
実りと幸をここにもたらせ
遠つ世の古墳のそちこちに真野の里
眠れる黄金の魚はここに見出されて
春の雲は真綿のように浮かび
孫と祖母が畑にありて春の日はあたたか
いたく傷つくふるさとなりしも
新たなる装いはまたあるべし
川は光り流れて芽吹きの樹々
つばめ来たりて喜々と飛び交いり
ふるさとに悲しみ苦しみの日よ
涙はとどまらず我が家族はみな死す
人はそれぞれの悲しみを持つ
花はことしもはや散りぬ
残れる花に月影さして誰か見る
花びらの数片かそけく散りて
死者は遂に語らざなりぬ
歳月はまた流れ新たにふるさとの丘よ
生はここに継がれて回復すべしかな
死者はその日を見ずに死にしも
いつしか時を経て報われるべしかな
神にかく願うべしかも
それぞれの日々の務めを果たして
その祈りは通じ祝福の注がれるべし
人の技に限りあるを知り
神の技に限りなしを知るべし
平和の日は長くここに誠の実りあるべし

今年の桜は最初風が荒く吹き波乱含みだった、何か桜の時期は風が吹いたり荒れ模様になりやすい、桜の特徴は咲いた時すでに散ることを見る、だからこそ

紀友則(33番)『古今集』春下・84

ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ

花は咲いた時すでに散るのを見る、だからこそ本当に静心なくなのである
咲いた時から心が騒ぐのである、だから風が吹けばすでに散るのかともみる
ここに桜の特徴があり他の花とは違っている

南相馬市で桜の名所というととどこなのか?
意外と桜の名所がわからない、それは有名でなくてもいくらでも桜は咲いている
そして桜が意外と名所でも見れないのは咲いている時期が二週間くらいしかないからである、その間にみれなければその一年は見れないから意外と見れないのである
私は桜前線をたどって桜を見てきた、その時は贅沢な時間だった
みちのくから京都の方の桜を見に行きみちのくに帰る、すると桜は京都の方が西が散ってもみちのくでは咲いている、逆にみちのくはそこで空間が隔てられて季節も違うということになる、その時間差が風土の相違が趣をだしている
みちのくと言ったら昔はもう江戸時代でも芭蕉の時代でも遠い異国だったのである

宮こをば霞とともに立ちしかど秋風ぞふくしら川の関

春に京都を旅立って秋になっていたのだからその距離感覚はもう今ではイメージできないのである

南相馬市だと鹿島区の桜の見所は今は桜平公園であるがさくらホールの丘の散歩道がいいそこを散歩すると遠くの山が見えて見晴らしがいい、桜の下にスミレが咲いているのもいい、ただここからせ海が見えないのである、桜平山公園からは海が見える
ただここが残念なのは桜の木が枯れているのが多くなったことである
でも海が見えるので桜を見るにはいい場所である
あとは川の土手の道に桜が咲いている、これはどこでも咲いている


今年は庭の木を剪定してもらったり家を改装したりしているから忙しかった
それでその家の改装をしてもらっていきるとき突然春の雷が鳴りとどろき驚いた
仕事は二人来てしている、人間は仕事している時華である
これを意外と理解できない、なぜなら今仕事している大工さんでも66才だとするともう少ししか仕事ができなくなるからである 
若い人も一生懸命仕事している、庭作りの仕事をしている
それを見ていると気持ちがいい、人間はやはり自分の仕事をもたないとだめである
何か何もしないニートとかがどこにでもいるがそれでは人間として生きていると見えない異常化する人間になる、自分も仕事はしていないにしろ旅がある意味で仕事だったとなるなぜなら現代では旅人はいないのである、ただ発達した交通機関で移動して旅館で保養しているだけなのである
だからもし西行とか芭蕉とか山頭火のように本当の旅人がいたら貴重だとなる
でも現代は交通機関が発達して旅人になれないのである

昨日は朧月だった、人間は逢っても別れるとその人は朧ろなものとなる
何か定かなものでなくなる、これは別に恋の歌でも何でもない、人間自体が常に逢っては別れる存在なのである、そして最後はみんな「さよならだけ人生だ」となる
先日隣の77歳の女性が死んだことには驚いた、その人は数カ月前に庭とか歩いていたと見たからである、そして私の庭の花を見て話ししたりしたことがあったと記憶する 
別に深い付き合いがあったわけではないが隣だったので驚いたのである

復興という時南相馬市の鹿島区は復興している、昨日は障害者の学校が開校した
110名くらい生徒がいて小学校から高校までの一貫教育である
ちょうと鹿島区が原町市と相馬市の中間にあるから交通の便でできたという
鹿島区はそういう位置にある
今年は家の改装工事と庭の手入れで時間をとられた、遠くの桜は見に行っていない
ただ飯館村だと標高が500メートルくらい高くなるから平地では梅が散っていたが飯館村では盛りであり梅がふんぷんと匂っていたのである
でもあの新しいこじんまりした平屋の家には人が住んでいなかったのである
だからそれが淋しいと感じたのである、やはり人が住まないことには建物だけ立派でも
栄える市町村にはならないと見た

とにかくコロナウィルス騒ぎで今年は波乱含みの春である、でも春は春である
何かわからないがコロナウィルスでは田舎の地方の実家に帰る人が増えている
でも東京から來るなとも言われるから苦しい
でもコロナウィルスでこのように何か変わる、田舎への地方へ人が移動する、東京脱出が今だけではなくこれからも起きる予感がする
時代が世界までコロナウィルスが変えることの驚きなのである
すぐ近くの人が東京のライブハウスで感染したことにも驚いたからである

桜前線の短歌



2020年04月09日

原発避難区域に取り残される老人 (9年ぶりに仕事してもらった小高の大工さん)


原発避難区域に取り残される老人

(9年ぶりに仕事してもらった小高の大工さん)

なぜ9年ぶりに庭作りとか家の修理をしてくれた大工さんが来た
どうして来たのかわからない、なぜなら9年間も来ていないからだ
その時小高区と鹿島区は補償金でもめていてそれが原因だったかもしれない
その人は庭作りのプロであり大工であり壁塗りまでできる
そんなにいろいろなことが一人でできる人はいないと感心していた

ただなぜまた来たのかわからないけど庭の木の剪定とか家の修理をまたしてもらった
何か仕事がないかと来たので頼んだ、今は家を修理できる大工さんはなかなかいない
ハウス会社で何か家を組み立てるだけであり大工の技をもった人はいなくなっている
だから家を修理する時は困るとなる、その人は腕がいい大工でもある
何か体も有段者のようにがっしりしている
ただその人の年齢を知って驚いた

66才です

そうだったのか、10歳くらいは離れていると思ったがそれほど自分の歳と離れていないことに驚いた、老人だったのである、9年前以上に仕事をしてもらったときは50代であり
50歳くらいだと思っていたから意外だった
それで何か仕事するのも辛いともみた
でも後5年は仕事をするつもりですと言った
一応年金とか何か原町区で宿舎の管理をしていて合計すると15万くらいもらっているのかと見た、だから普通にもらっているから金には困らないとも見た
ただそもそも前は金を使う生活していたからたりないとなる

その人は立派な家を建てていたが津波で半分が浸水した、それを直して住んでいるというそれで不思議だったのが私は一人で住んでいるんですという
前は息子が結婚して子供いる、一緒に住んでいたから大家族だったのである
それも津波や原発事故で残されたのがその人一人だった
奥さんもいたが今はいない

息子家族は仙台に行き一緒に妻も行った

仙台市に息子と嫁と子供と妻まで仙台に行って暮らしているという
こういう人を浪江の人でも聞いた、原町の復興団地にやはり一人残されて暮らしている
その人の息子と嫁と子供は東京に行った、その人の妻も東京に行ってしまったのである
だからその老人一人が残された
その息子も嫁も東京に生活を移したので帰ってこないのである
小高であれ浪江であれこういう人が多いのかもしれない

男性の老人だけが取り残されている

そして小高でも浪江でも飯館でも避難は解除されても帰ってこない

何か淋しくはないかと聞くと淋しいという、私も家族を失ってその淋しさを知っているから同情した
いづれにしろ原発避難区域になった所では老人だけが取り残されているのが多いとみる
それは前からそうだったがその後あまり事情がわからなくなっていた
ただその人は金銭的には金に困るという人ではない
でも小高区とかでも一時は補償金をもらったがその後使ってしまい困っている人がいる
金に困っているからまた仕事をするために自分の家に来たのかもしれない
私としてはその人に作ってもらった庭だからまたみてもらったとなる

ただ今回はどういうわけか地元の近くの庭作りをする若い人とと一緒だった
その若い人に指示して仕事をした、塗装などもした
その若い人でも十年くらい庭作りしている人でもその他の仕事を覚えたいために一緒に仕事をしたらしい、何しろいろいろその人はできるからである
ただその若い庭作りの人が言うには今仕事がなくて困っているという
庭作りでも仕事がないのかと思った
私の家のユニットバスを百万で作ってくれた人は仙台市の人たちだった
その人たちも震災ですでに仕事がなくなっていて高速道路がてきてこっちの方まで仕事を探しにきていたのだ
前ら仙台と交流があったがますます交流が増えてきたのである
だからコロナウィルスでは仙台市が増えるとここも影響するから危険だと見ていた

建築とか土木関係とか庭作りでも仕事がないと困る、仕事を探すことが仕事だとも若い庭作りの人が言っていた、何か自営業としてガーデンニングをしているから仕事をもらわないと苦しいと言っていた
こういうことで結構忙しかった、明日で一応終わるがまた庭とか見にくる、仕事をしてやるとか言っていた
でも体はもともとがっしりした人でも66才となるときついと思う
なぜなら高い所で危険な仕事をするからである
家の屋根の上に足場を組んで壁をぬったりするから危険である

だからそんな仕事はもうつづかなくなるともみた
それで近く電気工事をする人は今でも設計だけを頼まれるてしているというのもわかる
体力を使わないからできるのである
体力仕事はもう60以上になると辛くなるとみる
私のような頭の使う仕事なら老人でもできる、かえって評論とかに向いてくるのである
それで金にはならないが毎日プログに文章を書きづつけている、創作もつづけているのである

仙台市には小高の人がアパート経営して成功したとかも本に出ていた、仙台市に移り住んだ人が震災以後多くなった
それは原発事故で避難した人だけではない、宮城県の津波の被害者も仙台市に移っているのだ
その息子は不動産関係の仕事をしていた、成功した人も不動産関係の仕事をしていたのかもしれない
何かもともとこの辺では仙台市に住みたいという人が多かったのである
そこは都会だからである、ただ生活費が高くなる、山元町でも不動産屋をやっている人が亘理の阿武隈川の向こう側は
土地の値段が倍になるというのもわかる、そこは仙台圏になるし仙台の影響力は実は自分の住んでいる場所まで及んでいる
東京は遠いようでも福島県になると東電の福島原発ができたように経済でも影響がある
ここは仙台市と東京の影響が結構ある場所なのである




ここでも仙台市で成功した小高の人のことが書かれている
仕事をしてくれた大工さんは別に遊んでいた人とは違う、ただ何か一時的に金に狂わされたという人が多かったのである
でも今ではそういう金でも使ってなくなり金に困っている人が増えているともなる
それで小高の老人が年金を10万くれと東電に交渉したのである
それだけ高齢化社会だからそうなったのである
とにかく老人だけが原発避難区域に取り残された
だから復興ができるのかとなる、そして南相馬市の場合は原町に小高の人でも浪江の人でも相当数住んでいる、それもまた老人が多いのである
若い人は東京とはか仙台市に流出したのである


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abstract painting(Unexplored land)

abstract painting(Unexplored land)


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Unexplored land

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big river

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a way in the sea

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2020年04月08日

コロナウィルスで東京から地方へ人の移動がはじまるのか? (原発避難区域は土地が広く空いているので移り住みやすい)


コロナウィルスで東京から地方へ人の移動がはじまるのか?

(原発避難区域は土地が広く空いているので移り住みやすい)


変なんだけど飯館村はもう田畑は利用されていない、そこの住民は住んでいない
ただこじんまりした平屋の新しい家を建てた、それは援助があり建てないと損だとして建てた、でも人は住んでいないのである、だから別荘だとしている
学校がはじまったとしても子供の親は住んでいない、他から通わせているのである
二割くらいは帰って住んでいるとしても広大な土地が利用されていない
するとそこを誰が利用するのかとなる
までい館の案内所も外部から来た人であった
他でも外部から來る人が結構いる、なぜなら肝心のそこに住んでいた住民がいなくなったからである、別荘にきて畑で野菜作りに来ている人がいるという
何かそれも補償金で他に家を建てて別荘にくるというのも贅沢だとはなる
それだけの補償金が入った人が結構いるからだとなる

だからこうして人すら住んでいないとなると外部から來る人はそこが住みやすくなる
なぜなら田舎は人間関係が濃密だから入りにくいからだ
そういう人間関係のわずらわしさもない、そこが無人の地だったら自由に活用してくださいとなる、一種のフロンティアに未開の地に入るようになる
そこには縛られる人間関係はないのである、北海道とにたような状況になる
そこちはアイヌにしても新天地となって移住してきた、その生活は厳しいのもであっても明治維新で侍だった人たちが新天地として移住した
それはアメリカに移住してきたヨ−ロッパの人たちもそうである
それで新天地としてホイットマンの詩が生れたのである

今回のコロナウィルス騒動でも社会を変える世界を変えることの驚きである
第二次世界大戦なみの変化だという人もいる、国際関係も変わる
アメリカは衰退して日米同盟、安保条約も維持できないとも言われる
ヨ−ロッパは明らかに衰退する、EUは維持できない、崩壊する
それでロシアが勢力を伸ばすとしている、その兆候はすでにあった

いづれにしろコロナウィルスが社会を変えるというとき何かその前にそういう兆候があった、それがコロナウィルスで加速されたのである
東京一極集中は限界になっていた、だから首都移転が言われたが実行されなかった
でもコロナウィルスで真剣に考えて実行しなければならなくなるかもしれない
東京から地方に脱出しているのもそうである
何か島根とか鳥取とか岩手県が感染者が出てないので注目されている
島根鳥取は最も過疎地域なのである、だからこれも不思議だとなる

人間社会には何か逆転がある、人生でもそうである、何か不利なことが有利になる
有利なことが不利になる、大都会は東京でも有利なものとして働き人口が集中した
それがコロナウィルスで逆転した、東京は最も不利な状態になっている
そして意外と会社に直接行かなくても通勤しなくてもテレワークも使えるとして
わざわざ満員電車にもまれて行く必要もないと気づいた人たちもいる
つまりもしテレワークでも会社に行かずとも仕事ができるとなると地方でも田舎でも仕事ができるとなる、そうなると東京に住むということにこだわる必要もない
そうしたら地方で田舎に住んで仕事をして暮らせるともなる
そういう人たちIT関係ですでに実践している人たちがいる
つまりテレワークとかITの発達はどこに住んでも不利にならないのである
田舎でも今はそのインフラが普及している、アマゾンでも買い物はできるから不便はないのである
それで一週間に一回は一応東京でも会社に集まるとかする
そういうし働き方がITで可能になる

deseinとはseinを否定した意味である、deは否定である、つまりこれまであるものを否定して新しいものを作ることである
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すると飯館村のようなまたは原発避難区域などは家も土地も格安でありそこで悠々と住んだ方がいいというふうに考え方が変わるかもしれない、そこで農業をするにしても
収入は別にあるからいいとなる、農業だけでは今は収入にするのは無理だからである
ただ今回のコロナウィルスでは農業も注目される、農業の大事さが東京の人たちにも実感される、なぜなら外国から食料が入らなくなる
外国ではじこくを優先して食料の輸出を制限したからである
こういう事態になることは前々から予想されていたのである
でも東京の人たちは日本の食料が入らなくても外国から輸入すればいいとなっていた
高い食料はいらないとしていたのである
そういうことでも変化する、やはり食料は地産地消が理にあっているのだ

ともかく人間社会の変化でも自然の影響が大きい、原発も津波で崩壊したとかあり
自然の影響で社会自体が変わる、人間だけでは大きな変革はできないのである
人間よりもっと大きな力が自然なのである、それに逆らうことはどんなに科学技術が発達してもできない、むしろその科学技術すら自然の前に破壊される
人間の科学技術が自然を破壊することはないという、自然はもっと大きなものでありごついものだというときそうなのかとも思う
それを武田邦彦氏は盛んに言っている、だから温暖化はないのだという
つまり自然は人間がイメージするよりもっと大きなものであり自然を人間の力では壊せないという、人間は何か科学技術とかを過信してそうなっている
それが錯覚を与えている、人間は依然として自然の前に小さなものだということなのである
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2020年04月07日

自由社会は安全に弱い、自由はアナキーにもなる (津浪、原発事故、コロナウィルスの対処)


自由社会は安全に弱い、自由はアナキーにもなる

(津浪、原発事故、コロナウィルスの対処)


自由社会をみんな望んでいる、だからこそ共産主義より資本主義の自由競争社会がいいとなった
でも人間は何でも自由になりえない、人間はそもそも住む場所でも地域でも限定される
その場その場で与えられた場所で生活してきた
それは地域から国から国家からと大きくなってもそうした地理の制約に限定されて生きざるをえなかった、それが宿命だったとなる
人間は住む場所でも制約されているし生きる時間も限られている
その限定された中でアイディンティティを見出して生きてきた
人間には無限の自由はありえない、むしろ制約された限定された中で精神も形成される
だからグロ−バル経済という時、もう限定されていない、制約のない社会なのである

それで皮肉なのはなぜ共産主義国家の中国が破綻する破綻するといってもしないのか?

それは国家統制があり強権でもって株式でも操作するからだとしている
共産主義には自由がないとしても利点もある
自由資本主義になるとそれはアナーキーになり統制できない世界になる
それで資本主義では必ずバブルや恐慌が来たりして制御できなくなる
自由主義といっても自由にしていたら経済も破綻する

つまり人間社会は無限の自由などはない、どこかで制約される
自由資本主義の問題はそれがアナーキーになることでありまた逆に自由が行きすぎると制御できなくなるり一党独裁とかになり最も強権な政府ができる
その自由と制約のバランスをとることがむずかしいのである
無国籍人間とかが現代では普通に言われるけどその人の安全は誰も保証しない
保証するのは国があるからこそであり外国に行けばそのことが痛いほどわかる
どこの国にも所属していなかったら外国で殺されても誰も見向きもしない、金も盗られてもそうだし安全は全く保証されない、そうしたらとても外国など旅行できないのである
中国は経済が破綻すると言っても実際は破綻しない
かえってアメリカが破綻すると言われるのは自由資本主義の結果として極端な格差社会になり数パーセントの人たちが富を独り占めする
つまり自由とはそうした異常な富の偏重でもそれは自由競争の結果であり正当だとされてしまうのである

そして津浪、原発事故、コロナウィルスで経験してきたことは「安全」の問題である
この安全がないがしろにされるのがまた自由資本主義社会である
なぜなら資本主義社会では利益にならないものは無視されるからだ
それでワクチン開発は金にならないとして日本では遅れたという時もそうである
製薬会社では薬の開発に莫大な金がかかるから利益にならないとしたらやらないからだ
でも今回のように安全を計るならその資金は国が提供すべきだとなる

それは原発でもそうだった、「安全神話」を権力で作り上げて絶対の安全を計ったようでもそれは権力で作ったものであり安全ではなかった
数十メートルの津波が来ると東電の科学部門で割り出して警告していた
そのとき防潮堤を作らなかったのは安全は金にならないからである
安全はどこでも金にならない、利益第一にする会社ではどうしてしも安全はおろそかになる、そこにやはり国が関与して安全を計る、それが国の務めだとなる
つまり自由資本主義社会でも国が安全を計る役目がある
みんな自由勝手にすることはできない、ただそこで矛盾なのは自由な経済活動が制約されると経済も停滞する
そのバランスがむずかしいのである

ともかく人間は歴史でも何でも自由には生きられなかった、生きる場所も限定されていた関所があり生活する場は限定されていた、その制約された中で生活して精神的アイディンティティを作り生きてきたのである、それが人間の宿命だとなっていた
もちろん外との交流とかは必要である、貿易でも必要である
ただそれがグロ−バルに世界的に拡大しすぎたのである、そして自らよってたつ場が見失われた
どうしても自由を求めるにしても必ず制約されるのが人間である
人間が定着して生きることは制約された中で生きるということである
経済でも何か無限の自由を地球に求めた、国境も民族もないということになり国際資本とか多国籍企業が地球を所有するようになる、そんな障壁は必要ないとして風土と歴史の中で築かれた社会をアイディンティティを壊してしまったのである

それを加速させたのが科学技術だった、それは何か危険なものだった
原子力でも核でも危険なものだった、でもそこにタブーはなくなっていた
科学にも制約はない、自由にやればいいとなり巨大な災いをもたらしたのだ
科学技術だってなんらか制限される必要もあった、科学技術も諸刃の剣なのである
遺伝子組み換えとかも危険なのである
それによって人間そのものが生存が危機にさらされるとしても科学技術は万能を追及するのである、でも絶対に万能にはなりえない、万能なのは全能なのは神しかありえない
人間の知恵で作った文明でもそれも遂には原発事故のようになり甚大な禍根を残して終わる、そこに人間の限界がある

コロナウィルスにしてもウィルスにしても人間がそれに対抗するにもできない
必ず新種のウィルスが10年くらいの間隔で現れる、それでまたワクチンの開発が強いられる、でも新種が生まれるからそれに対応できないのである
こうして人間はいたちごっこのようなことを永遠にしているのかとなる
結局人間の問題は永遠に人間で解決しないともなるのである

posted by 老鶯 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月06日

コロナウィルスで食料危機 (外国から食料が入ってこない)


コロナウィルスで食料危機

(外国から食料が入ってこない)


新型コロナウイルスの感染が世界規模で広がる中、世界の食料貿易に影響が出始めた。
大規模な移動規制や物流混乱の広がりを受け、一部の国が小麦や米などで輸出制限措置を導入した。
穀類の国際相場は上昇基調になっており、緊急時に自国の食料をどう確保するかが問われそうだ。

露が先行 小麦や米 国際相場 上昇基調

 米や小麦、食用油などの基礎的食品の輸出を差し止める動きが出始めたのは3月半ばから。
国連食糧農業機関(FAO)が発行するオンライン穀物情報誌MNR最新号の「食料輸出制限情報」によると、ロシアとセルビアが先行し、下旬になってベトナム、カザフスタンなどが追随した。

 ロイター通信などによると、世界最大の小麦輸出国のロシアは国内供給を優先し、4〜6月の穀物輸出量に制限を設けた。
通常は無制限だが、上限を700万トン(前年同時期の輸出実績は約720万トン)に設定。
既に穀物加工品などは停止し、輸出業者は一層の規制強化を懸念している。



ほらね、こうなるのは目に見えていた。
日本は大豆をほとんど輸入に頼っている。
醤油、豆腐、納豆はほとんど入手困難になる。
小麦も入らなくなったら、もうおしまい。
日本は完全に終わる。
古米、古古米を食うしか無くなる。


使ってなかった農地をいきなり使える訳ないだろ……
そして日本はそんなに農地は多くない

福島産を散々罵倒した東京の連中は少し痛い目見ろ

休耕地をマトモに作物育つようにするには数年かかる
その間売れる物は何も作れないから収入がない
誰がやるの?

こういうのも全部「今のうち」なだけだし、どこかが輸出制限したら他のとこから買うわけで結果高騰する(もう始まってる)

家庭菜園は土の処理がめんどくさくて手が出せないわ
室内でカイワレ大根やってみるかな

ビル壊して農業だね
失業者が多数になるし
国民全員農民になればいい
自給率が一番低い日本が終わるわ
ITも一番遅れてる示唆

安部とあきえに潰された日本
馬鹿みたいな五輪やカジノや
観光に金使って、世界中に日本の金ばら蒔いて国民には渋る金出さない

自分の座を守るため株価つりあげたり、残ったものは借金と食糧難

「心配するような世界的な食糧危機など起こらないから国内農業潰してもヘーキヘーキw」

起きたぞどーすんの?
農業従事者の殆どが65歳以上だ
名うての老人キラー、コロナウイルスが彼らを一掃すれば今年中に飢餓が始まるぞ

穀物以外の農家と漁師は、外国人の労働力に依存してるところが多いから、
コロナで外国人労働者が帰って戻ってこなくなると、生産能力はガタ落ちだろう

食糧難になると真っ先に東京が陥落する
戦後のように闇市もありえる話
白い粉も小麦粉になる

国会議事堂前

ちなみにいつもならレジまで混んでも4〜5人程度なんだけど、今日は10人以上並んでた
これで非常事態宣言とか出たら、買い物客が殺到してスーパーに食料品がなくなるわ
安倍・小池、その辺良く考えて言葉を発しろや

鳥肉や豚肉も無くなると思うよ
鳥や豚や牛の飼料が輸入だからね!
野菜も肥料が輸入だから昔の様に糞尿を撒くしかないよね 

米作も農薬は輸入だからなー
農薬を使わないと害虫にかなりやられて不作になりそう!
後、トラクターや田植え機は軽油やガソリンで動くから石油の輸入が止まれば手作業での米作は大変で量も取れないと思うよ

因って日本人は半分は餓死かな?

地産地消最高 


5chをコロナウィルスのことで読んだ、前からこういうことで私はグロ−バル経済批判していた
東京でも食料が外国から入るからいいとか日本の地方とか農家はいらないとか言っていたからだ
それがあまりにも傲慢なことだった、外国頼りにしていたら今回のように食料が入らなくなる                      

その時東京はどうするのか?

東京ではすでに品物がスーパーが消えてパニックになるとかある
首都閉鎖になったからまず食料確保が最優先される、しかし外国からは入ってこないのである
だからなんかこのコロナウィルスの不思議は今までの社会の在り方を変える作用をしている
観光とか飲食業とか歓楽街とか何かライブハウスとか芸能関係にも被害が大きい
南相馬市で渋谷LOFT HEAVEN(ロフトヘブン)に行った女性が感染した
その女性はすぐ近くだったのである
このライブハウスから感染する人が多い、そこは密閉した狭い空間だからである

それから東京では港区とか上級国民の富裕層が住む地域に感染者が多いとか分析しているその人たちは飲み歩き遊んでいるからだという、そこで濃厚接触しているからだという
そうした大きな歓楽街は都会にある、それで仙台の国分町でも困っている
ただ観光系とかでもバス会社の人が仕事がなくなったとyoutubeで訴えていた
これは同情する、なぜなら観光バスで稼いで路線バスを運営しているというからだ
つまり路線バスだけでは成り立たないからである
でも地元の人にとって日常利用する路線バスは必要なのである

このコロナウィルスによって世界でも社会でも変わる
それはみんな悪いとはならない、そもそもグロ−バル経済というのは一見いいようでも
それが過剰化して本来の人間の生活からかけ離れたものとなっていたからだ
本当は池産地消が本来の人間の生活の基本なのである
ただこれだけ交通が発達したのだからある程度の広域化はやむをえない、それが外国まで広がったことが問題だったのである
だからこういうとき外国から食料は入ってこないとなるから地元で生産して消費するということが見直される

つまり何かあれば外国では食料は輸出しないのである
自国の方が優先するからである、それは当然なのである
でもそういうことを考慮せずにグロ−バル化が極限まで進展していたのである
結局グロ−バル化の行き着く先は中国の大国の世界支配に通じていた
それでアメリカがその利益を独占していたが今度は中国が変わって一帯一路で世界支配を拡大したとなる

グロ−バル化は別に公平な経済の原理で機能しない、そこに信じられない格差を生むのである、アメリカ自体の格差はもう異常である、数パーセントの富裕層が独占する
中国よりひどいということはアメリカはそうしてもう国を運営できなくなる
今回のコロナウィルスでも保険が馬鹿高いから貧困層は医者にみてもらえず死んでゆくとなる、それはコロナウィルスになったからではない、前からそうだったのである
まともに金がかかるから医者に診てもらうこともできなかった
その点日本の保険が平等だから優れていたとはなる

いづれにしろコロナウィルスが社会を世界を変える
それが全部悪い方に作用するともならない、一時的には犠牲者がでる
でも社会の変革をうながす面もある
だから何か農業とか見直されるかもしれない、誰もやりたくないとなっているがもう仕事がない人があぶれたら戦後に引揚者が農業するために不便な土地に入り開墾するようになった、それは仕事がないからである
それは過酷でもそうするほかなかったのである

だからコロナウィルスで仕事を失ったり東京に住むことは危険だとなり命にかかわるとかなれば地方へ田舎へとにかく食料を確保する場所に人が移動することもありうる
すると原発避難区域などは荒地になっているから入り安いとはなる
ただそれは農業するだけとは限らない、現代はどうしても農業だけとはならないからだ
でも地方へ田舎へ人が都会から東京から逆流することもありうる
それをうながしたのがコロナウィルスだったとなるかもしれない
何かこれもカルマだったのかとなる

福島産を散々罵倒した東京の連中は少し痛い目見ろ

福島では原発事故で散々な目にあった、その放射性物質の汚染地域でも食べられなくなったらそこで農業して食料を作り食べざるを得なくなる
それが東京都民のカルマだったとかともなるのか?
とにかく未来は何が起きるのかわからない、一寸先は闇だった
自分の一身上にも次々に対処できない病気、認知症とかで介護になり次は津波原発事故とか災難の連続だったのである
そして今度はコロナウィルス騒動になった

必ず人間社会には70年周期くらいで大きな変化が起きる
明治維新から70年で第二次世界大戦があった
そこで日本人は3百万人死んだのである、そして焼野原から高度成長時代がありこれまでは比較的平和だったのである
それが70年過ぎて大きな変革の時代になった
世界的にももうグロ−バル経済とかは元にもどらないだろう
それは悪いことばかりではない、経済でも正常化することにもなる

ただ本当に未来はどうなるかわからない、思わぬ意外な結果となってゆく
第一今年がコロナウィルスのことを予想した人がいるのかとなるからだ
何か2020年は変わり目で大きな災いが起きることは予想していた
でもそれがコロナウィルスだと予想した人がいたのか?
だから未来は誰も予想できないし予想できないことが起きるのである



国会議事堂前

国花議事堂前で畑にして野菜を作っていたことは驚き
戦後は食料がなくて食料第一になりこうなった
posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月05日

飯館村は建物は立派でも人は住んでいない (人が住まない村では復興はない・・・・)


飯館村は建物は立派でも人は住んでいない

(人が住まない村では復興はない・・・・)

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飯樋小学校

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飯樋の公園の丘の樅の木にノスリ


飯館村にはとにかく立派な建物はいくつも作られている、今度はまでい館の裏に子供向きの公園と遊戯館ができた
学校でも立派なものが作られている
でも肝心の人が住んでいないのである、町長自体が住んでいない、その孫とかも飯館村の学校に通っていて地元には住んでいないのである
それでなんか不思議だったのは新しい家が多い、それは一軒屋とか平屋のこじんまりしたものである
そこに人が住んでいると思った、結構帰ってきて住んでいるのかと見た
でも人は住んでいなかったのである、前も家があると人が住んでいると錯覚した

ただそうして新しい家があるが家自体壊されて更地になっているのも見た
それもかなりの数になる、つまり住んでいる人は帰った人は二割くらいである
だから飯樋では街になったいたけど二軒くらいしか住んでいなかった
そこに飯樋小学校がありその建物も立派なのである
でも現実にはそこに生徒がいない、コロナウィルスの関係でいないのか?
おそらく保育所とか幼稚園も併設されているが利用されていない
だから何か無人の街になっていた、しんみりとしていた
人の気配が感じられなかった

そしてその丘に上った時、一本の樅の木が立っていてそこに大きくノスリがとまっていたことにびんくりしたのである
つまり今そこの主人はそのノスリになっていた 
田畑に荒地化するとそこにノネズミが増えて来る、そのネズミを食べるのがノスリなのである、それから猿が群れをなして田畑に出て来る、人間をあまり恐れくなっている
それを見たとき核戦争の後に猿が人間を支配していた「猿の惑星」をイメージした
猿が人間の代わりに主人となっていたのである

この光景の不思議は建物があっても人間が住んでいなければそこは死んでいる
ただ自然は回復して鳥獣でも生き生きして住みつくようになる
でもそうした村でも人間が生活してこそそこに歴史が生れ意味や価値が生まれる
それがなくなったとき死の村や町になる
現実に神社があっても誰もお参りもしなくなる、その石段を猿が上っていたからである
猿がお参りしているのかとなる
住民は新しい別荘に野菜作りとかで畑を時々見に来るとかなるのも不思議である
それなりの補償金をもらったから別荘として利用するとなるのか?

村でも町でも活きたものになるのはやはり人が住むことによってである
いつくら建物が立派でも人間が住まなかったらその建物も活かされない
血が通わない、建物も死んだものとなる
でももしそな立派な建物がなくても人間が住んでいれば活きた村や町になる
それで武田信玄が

人は石垣、人は城・・・

として城を作らなかった、つまり建物を作らなかったのである
建物がなくても人こそが城なのである
だから飯館村から人が住まなくなり帰ってこないということは復興はないとなる
いくら立派な建物があっても復興にはならないということである

そうはいってもあれだけの広い土地をどうするのか?
それを活かす方法があるのか?
それを誰がするのか?外から来ている人もいる
何かこうして肝心の元からいた住民がいなくなる、広い土地をどう利用するのか?
そういうとき外からは入りやすくなる、田舎はもともと外部からの人を拒むからである
そういう拒むものがいない、元から住んでいる住民はいない
ただ広い土地がそこにあり自由に使ってくださいとなる入り安いのである
しがらみもなにもないからである、白紙の状態になっているからだ
だからかなり先になるのが飯館村は外から来た人たちによって復興するかもしれない

なぜならコロナウィルス騒ぎで東京封鎖とか人口密集の大都市が危険なことがわかったからである
だから都会から人が移動してくるかもしれない、そこでまた新しい村が作られるかもしれない、木戸木などは戦後開墾に入って作られた部落である
それも時代によって働く場所がなくあんな辺鄙な場所に住むようになった
そこでどんな暮らしをしていたのかイメージできなくなった
それだけ生活が変化して便利になったからである

まず新しくできた道路の所は森におおわれていて隠された道があり清らかな流れがあったそこは本当に人跡未踏のような神秘的な場所だったのだ
私はいつもそこに行っていた、人とは合わなかった
ただそこにそうした部落があることがわからなかった、二軒くらい家があるなと見ていただけである
今は二軒くらい住んでいる、何かやはり今でも神秘的な場所だった
特に奥の方に隠されて一軒あった家は不思議である
あんな所に人が住んでいたことが不思議なのである
山に閉ざされたまさに秘境だったとなる

あそこにコテッジとか何か作り休む場所があればいいとも思った、そこにも小川が山から流れていてカタクリの花が咲いていた、二つの小川が流れていたのである
だから何かキャンプとかするにはいい場所である
あそこは原発事故前にすでに二軒くらいは廃屋になっていた
あそこで住むとなると今でも不便である、ただ車あれば新しい道ができたからなんとか暮らせるとなる、でもおそらくそこも若い世代は住んでいないだろう
だから飯館村自体若い世代が住んでいないとなるともう廃村になるのか?
牛飼う人もまたはじめたというが少ない、何か仕事が必要である
菊池製作所では働いている、農業は前から跡継ぎがいなとか継続できないものとなっていた、そして放射性物質お汚染で余計にだめなった
花は栽培している、だからそれは復興にはなる、でも人が住んでいないということが致命的なのである

posted by 老鶯 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

南相馬市のコロナウィルスの感染者の情報混乱 (感染源は東京のライブハウスに行った35歳の女性)


南相馬市のコロナウィルスの感染者の情報混乱

(感染源は東京のライブハウスに行った35歳の女性)

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この情報が混乱した、最初の情報が間違っていた

50代の男性が東京のライブハウスに行って感染した

実際は

50代の娘の35歳の女性が東京のライブハウスに行って感染した

そこから家族に二次感染したのである

最初聞いた時、なぜ50代の男性が東京のライブハウスなどに行くのかと疑った
おかしいと思ったが実際に行ったのはその人は父親であり娘が東京に行って感染したのである

そのことを昨日しきりに土地の情報通の女性が言っていたからだ
それは私の家からも街内からでもすぐ近くの家だったからだ
だからそれを伝えた女性のいうことは間違いではなかった
でも何か民友新聞の情報の方を私は信用した
どうしてもなぜ50代の男性が東京のライブハウスに行くことが信じられなかった
これは正確な報道ではなかったのだ
新聞でも間違って不正確な報道でも伝えると思った

近くの人の言う情報の方が正しかった!

ただこれは噂とかなり私は信用できないとも思った

確かなことは南相馬市の鹿島区内でありすぐ近くでありその感染源となったのは東京のライブハウスに常磐高速を使い車で行った

そしてその女性の家族にうつした、その家族は外から移住してきた
原発避難民であり新しく家を建てた家族の一員である
それで遊びに行っていたとなる
だから予想したことはある程度はあたっていたのである

ともかく新聞でも間違ったフェクニュースを流すときがある、それは裏がとれないということである
だからかえって地元の人が詳しいとなることがある
でもまた地元の人も噂に左右される
また勝手にデマを流す人もいるから情報が混乱するのである

東京のライブハウスに行った南相馬市の50代の男性が感染した!

このことが情報の混乱をまねいた、50代の男性の娘の35歳の女性が東京のライブハウスに常磐高速を利用して東京で感染してその父親と母親と20代の弟に感染させたのであるこれなら納得がいくのである

いづれにしろ感染経路はわかったし二次感染も判明している
そこでおさえれば広がらないということがある
でも外から来て住んだ原発避難者ということで問題になる
金があり暇があり東京まで遊びに行っていたのかとなる
それにしても前も東京のライブハウスが感染源になっていた
結構遠くから集まる、音楽は生の迫力にはかなわない
それで東京まで行ったのである


コロナウィルスの情報が混乱する
放射線についてもそうだった、低放射線はかえって体にいいとかなんとかいろいろなことが言われた
今回もコロナウィルスの正体がわからないからいろいろいう
専門家でも言うことが別れる
だから正しい情報を事実を知ることもむずかしくなる
そしてこういうときはフェクニュースでもどうしても信じてしまう
それは判別できないからである
情報が錯綜するからである、そして誰を信じていいかもわからなくなる
御用学者もいるから何を指標にしていいのかわからなくなる


posted by 老鶯 at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月04日

南相馬市のコロナウィルス感染者はすぐ近くの人


南相馬市のコロナウィルス感染者はすぐ近くの人

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感染経路不明者が多くなると危険になる

田舎だと感染者が特定するとその交友関係が追求できる

大都会になると群衆とかにまぎれわからなくなる

それで増えてしまうことがある


福島県で新型コロナ感染「9人目」 南相馬30代女性、二次感染か
2020年04月04日 08時00分 

県は3日、新たに南相馬市に住む30代の会社員女性の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。女性は1日に感染が確認された同市に住む50代の無職男性と習い事教室で一緒になり、濃厚接触者に当たるとされていた。女性は軽症で、入院する予定。二次感染の疑いがある。県内の感染者は計9人となった。


50代の人が東京のライブハウスに行って習い事している仲間だった35歳の女性にうつした、その女性はすぐ近くの人だったこと驚いた
前にコンビニの前ロードに乗っている若い女性がいた、その人の住んでいる場所が感染者を出した所である
するとその女性が感染したのかとなる、これが田舎なのである
地域は明らかにしていないが今日聞いたからその場所であるこことは間違いないだろう
そんなに身近なのかと驚いた
それで一時スーパーシシドが閉鎖したという
どうしてもスーパーには行くしコンビニとかにも行く、そこでの感染が怖いというのもわかる
今日スーパーシシドに行ったらマスクしている人が多かった、警戒するようになった

コロナウィルスは交通と密接に関係している、交通の盛んな場所から拡散してゆく
だから東京は日本で一番交通が人の行き来がある場所だからそこから全国に拡散する
東北では仙台市が一番危険であり現実に仙台市から秋田の方に拡散したからだ
浜通りの相馬市とか南相馬市は行き来が頻繁である
特に常磐高速道路ができたとき一層交流が頻繁になった
私のユニットバスを百万で作ったのも仙台の会社だったからである 
50代の男性も常磐高速を利用したのかもしれない、それで母親にもうつした
その50代の人が感染源となり拡散されることが怖いとなる

それと復興したと感じた常磐線全線開通にコロナウィルスが水をさした
東京直通であるからどうしても東京とかかわるから乗りにくいとなる
また東京からも人が来るから困るのである
ただ車社会になるとどうしても常磐高速のように高速道路を利用する人が増える
車だと電車のようには人が乗り合わせないので感染しないが東京に行ったということで感染したのである

会津の明治のコレラの伝染が陸路で会津若松市に集中してそれで交通のあまり交流がない交通がない田島の方に広がった、そして桧枝岐(ひのえまた)は交通が閉ざされた場所だったから被害が全くなかったのである
交通度合いに比例してコロナウィルスの感染者が増えることは間違えないのである
だから南相馬市とか相馬市では仙台からの感染者が一番注意すべきだとなる

やはり東京都知事が注意したように若者が警戒せず出歩き集まりそれが感染を増やす結果となった、
そして一旦感染者になると田舎では針の筵(むしろ)に座らせられたようになる
みんなが注目していじめにもなる、つまり田舎では隠せないからである
東京のように人口でも規模も大きすぎるともう隠してもわからない、だから症状が出たからと病院に行って検査している人もいるがいない人も多い、どれだけの人が東京では感染しているかわからない
あれだけの人口密集地帯なのだからもう感染はとめることができない

もうすでに相当数に広がっている、発表した10倍以上広がっているかもしれない
東京のようなところでは感染者を見出すこと自体むずかしいからだ
ただそれが全国に拡散するから東京だけの問題ではない
それで東京封鎖が言われた、でもこれは不可能だとしている
つまり東京封鎖とか都市の封鎖が言われるのはコロナウィルスがその都市中心に拡散するからである
それは福島県でも会津若松市に集中して拡散したからである
東北だと仙台から一番拡散しやすいのである、そこが交通の要になっているからだ
だから仙台市に行くのが危険だとなってしまう
花見すらできなくなっているのも淋しいとなる

とにかく50代の男性から感染した35歳の女性は発熱症状が出た、でもそういうことは風でもあるから判別しにくい
検査しにくいから福島医大に送られた、それは感染経路が50代の男性が感染したことがわかっていてその径路をたどって習い事仲間として接触していたので医者にみてもらうようになった
つまりウィルスでは感染経路が極めて大事になる、その径路をたどると隔離するとか感染をとめることができる
でもすでに感染経路がわからないのが多くなっているからこれも危険なのである
まず東京はあれだけ人が多いのだから交流があるのだから感染経路などわからなくなっている
するとこれから爆発的に感染者が増えて来るのか心配になる

posted by 老鶯 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月03日

春の日(飯館村が住民の別荘地になった?)


春の日(飯館村が住民の別荘地になった?)

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新しく建てられた家ュ(別荘)

人は住んでいない、こういう家が多い

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廃屋


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新しい遊戯館と公園(までい館の裏)



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木戸木の奥の人が住んでいた隠された家

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蝶がこの木にとまっている

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キクザキイチゲと片栗
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これは綿津見神社だろう

山津見神社と対になっているからだ

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飯樋の丘の公園の樅の木にノスリ




樹々芽吹き流れのひびき不動岩

片栗や流れの清く一部落

松一本社の標春日暮る

(木戸木)

かたくりにキクザキイチゲ蕗の薹飯館村に我が入るかな

奥の山住みにし跡とあわれかな枝垂桜の名残と咲きぬ

森深く友呼ぶ声や鳥のなく春の山陰耳をすましぬ

くいこみて絡まる蔦の離れじやここを住処と死ぬ人のあり

我が町の梅は散りにき飯館の梅は盛りと今匂いけり

丘の上に樅の木一本見上げればノスリとまりて人の住まぬ村

人住まぬ村の淋しも古き碑も捨てられしごと春となりしも

人住まぬ村の淋しも鶯の夕べ啼きしももの悲しかも 


栃窪村から真野川をさかのぼり大倉に行き坂を上って木戸木に行った
そこは十軒くらいあった戦後開拓に入った部落だった
そこに十軒も家があることを知らなかった、三四軒くらいしかないと思っていた
私が関心があったのは草野の方に行く流れが森の中に隠されてあったのだ
今はそこが道路になってない、そこは神秘的な場所だったのである
人は一日一人も通らないということがある、そこの木戸木の部落の人しか通らなかったろう、森の中で暗い道だったからである
なにしろ木戸木はその道ができる前は大倉に行くにしても相当に不便である
それより草野に行くとしても七曲の峠道を行くから本当に不便だった
戦後開墾に入ったのはそういう不便な土地にしか入れなかったからである

そこでの暮らしは本当に原始的な暮らしである
そこが不便なのは田畑にする場所がないことである
平坦な土地がない、ただ燃料は炭だった、戦後一〇年くらいは街でも炭だった
私の家でも街に住んでいても囲炉裏があったからだ
ただまだ私が住んでいたのは街だったがそこはもっと辺鄙でありどんな暮らしをしていたのか想像もできなくなった
山菜くらい食べても生きていけるきかともなるからだ
あの小川で岩魚かとれるとか言っていた人がいたけどこの辺では岩魚はいない、山女はいるが岩魚はいない、だから何を食べていたのかイメージできなくなった

そこでは一〇軒くらいあって二軒くらい住んでいる人がいた
飯館村で今回不思議だったのは家が新しくなっている、その家が平屋で小さいのである
そういう家が多いのとどうしてだろうと思った
補償金が入って新しく家を建てたたのかと見ていた
そこに住んでいると見ていた、でも人は住んでいなかったのだ

それでまでい館で案内している人に聞いた
そしたらそれは別荘だというのだ、人は住んでいないのである
そこに住んでいた人か畑で野菜を作ったりしているという、また帰ってくるために作ったでも人は住んでいないのである、それも奇妙だった
人が住んでいて家が壊され空地になった所もみかける、でも新しい家が建っているからここで生活しているのかと見ていた
ここに住んでいた人は他に移り住んでいる、他で家を建てて住んでいる人もいる
でもここに別荘として家を残して通っている

飯館村は別荘地となっていたのだ!

ともかく飯館村では例えば町長も村に住んでいない、その孫でも立派な学校に他から通っている、町長自体が住んでいない、そして他の場所から川俣とかから通っている
これも何か変だと見た、飯館村ではとにかく建物だけは立派になった
また一つ子供のための遊戯場とか公園がまでい館のじき側にできる
その建物も子供が喜ぶようなデザインの建物である
ただまでい館に寄ってそこで遊んで去ってゆく、肝心の人間が住んでいないのである

そんな村とか町がありうるのか?

それは何か仮の村であり通過するだけの村となってしまう
別に通過するだけならそれでいいとなる、デズニ―ランドのような遊び場で遊んで帰るというだけである
でもそういう村はもう村とは言えない、暮らしがないからだ
ただ一部ならそうしたレジャーランドとかキャンプ場のようなものはあってもいい
でも村全体レジャーランドになったらそれが村なのか?
人間が住んでこそ村でありえる

ともかく人間が住まない村とはな何のだろうとと思った
古い碑とか墓がある、それも何か捨てられた感じになる、住んでいればそれが眼につくから古い碑でも墓でも死んだ人でもその土地に一緒に生きているという感覚になる
人間が住んでいればその村の継続した生がありうるのだ
そういう生の継続が途切れた感じになる
小高だとすでに6割以上とか帰って住んでいるとなると何とか町が成立しているのかとなる、ただ老人が多いから老人の街が継続できるのかという問題がある
そこは姥捨て山になるのではないかという不安がある

今回飯館村に行って感じたことは死んだ村という感じである
例え立派な建物があっても肝心の人間が住んでいないからである
特に草野辺りはなんとか通過する人でも寄る人があるから活きている
でも飯樋とかは一軒か二軒しか住んでいない
そこは前は塩の道の塩を運ぶための相馬藩の役所があり60人も役人が住んでいたのである、それが死の町となっている
その丘の公園に上ったら一本の樅の木があり人の住んでいな町と人のいない学校が見えたそして樅の木の天辺にノスリかとまっていることにびっくりした
何か前もそうだったが人間がいなくなるとこうした野生の生物が生き生きとしてくる
だから荒地となった田畑には猿の軍団が出てくる
猿は人間を恐れなくなっているからだ

飯館村どうしても死んだ村に感じた、やはり人間が住み人間の暮らしがないと死んだものとなる、ただ田畑でも放置されたのは農業を前から継続することが限界にきていた
それはどこでも共通しているが飯館村だと特にそういうことがあったかもしれない
何か産業というものがなくなっていたからである
それで多額の補償金をもらったとき他に家を建てて移りすんだ
そしてまた前らか住んでいた所に別荘として家を残したとなる
それだけの金の余裕があってそうしたともなる
だからこれはなになのだろうとなる、奇妙な感じになったのである

ただ人が住まなければ何か社でも古いもの、昔から伝えられたものでも途絶えて死んでゆく感じがした、村を守るものとして社があったりするからである
その是非はともかく人が住まないとしたら神様も捨てられたとなるのだ
現実に石段を上って猿がお参りしているのかとも見たからである
廃村には廃墟の村ではないにしろ何か奇妙な感覚になる
前も家はあるから人が住んでいると見ていた、その時も人は住んでいなかったのである






posted by 老鶯 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2020年04月02日

南相馬市50歳の男性が東京のライブハウスでコロナウィルスに感染 (東京から拡散するのが早いから注意)


南相馬市50歳の男性が東京のライブハウスでコロナウィルスに感染

(東京から拡散するのが早いから注意)

2020年3月14日(土)より常磐線全線が運転再開、特急「ひたち」の仙台〜上野・品川間直通が開始されます。

南相馬市50歳

3月20日に東京都内のライブハウスに行っているようです。

南相馬市で一人コロナウィルスの感染者出た、これを知って身近だなと思った
そして広がるのが早いなとも思った
仙台市から秋田に広がったのもわかる、仙台市からせ広がり安いからだ
それで何かここも不安になった、仙台との交流が頻繁だからである
何か原発事故で双葉ー大熊ー富岡が不通になったとき仙台には行っていて南相馬市とか相馬市とかは不便を感じないのである                  

もし南相馬市から仙台方面が不通になると不便を感じる
それで仙台行きが下りになっていたのが違和感があった
仙台が東北の中心であり上りという感覚になっていた
第一いわき市方面にはここからあまり行かないからである
ただ東京に行くときは特急「ひたち」を利用することになっていた
だからそれにはもう若い時から東京に行くのに乗っていた
その時は上りだと感じていたのである
ただ私はもう十年以上東京には行っていないのである

この感染した人が東京のライブハウスに行っていた、常磐線全線開通したのが3月14日であり3月20日に行っている、だから全線開通した特急「ひたち」を利用して東京に行ったのだと思う
私も特急「ひたち」で東京に行きたいとも思うからである
他でもこのライブハウスに地方から行った人が感染している

東京から感染して拡散される

そして拡散するスピードが早いのである

仙台市から秋田へ拡散したり東京から青森とかに拡散したりするのは新幹線が通っているからだ、山形県から秋田の方にも新幹線が通っている
それは従来のレールを使うにしてもやはり通っていて早いのである
現代はこれだけ交通が発達していると人が高速に移動している
だからたちまち遠くに人が移動して拡散する
それも世界だと飛行機で世界中にたちまちに拡散するのである
つまりコロナウィルスでも直通で遠くまで結ばれて拡散する

とにかく地方だと田舎だと一人で感染者が出ても衝撃である
それで周りで話題になる

誰なんだ、どこに住んでいるんだ、どうして東京まで行ったんだとか
噂でももちきりになる、だから市では名前を出さないのもわかる
もう田舎だといたたまれなくなることは確かだからだ
自分自身も何か隣の人が感染したようにすら思えた
それだこけ東京とか大都市と田舎の感覚は違うのである

だからこそ東京の人が地方に田舎に来ることは拒まれる、東京だと広いから特定できない田舎だとすぐに特定される、南相馬市は6万くらいにしてもそうである

ただ南相馬市のどこに住んでいたのか?     

小高区なのか?原町区なのか?鹿島区なのか?

これによって相当に感じ方も違ってくる、どういう人なのわからないけど「無職」となっていることも気にかかる
なぜならこの辺では原発避難民が今は仮設に住んでいないにしろ復興住宅などでかなりの数が移り住んでいるからだ
だから知らない人たちが二三割移り住んでいる  
そして原発避難民は補償金をかなりもらっていて仕事もしていないのが多いのである
それはもう十年過ぎてもそうなのである、むしろもう働かないで補償金で暮らしていこうとしている人たちも多い、60代くらいになればそうなる
それで年金十万を補償金として東電で国で出すべきだとして要求したからである
だからもしかしたらこの人は原発避難民なのかとも思う

ともかくコロナウィルスが伝染する広がることはこれだけ交通が発達しているのだから早い、でもまだ危機感がたりないことは確かである
何かいろいろ言うから放射線と同じく判断しにくいのである
でも自分の住んでいる場所で感染者が出たことは本当に驚いたしこの辺では危機感をもつようになる
日本全体でまだまだ危機感がたりないことは確かである
たいしたことないとみている、またそんなに怖いものではないとも見ている
でも地方では田舎では大都市で感じるのとは違う

いづれにしろ東京からコロナウィルスは早いスピードで伝染する!

だから東京閉鎖も必要なのかとも思った、それに近い措置も必要である
そこで経済的混乱が生じるからできないというのもわかる

でも一人でも身近に感染者出ると変わる

危機感が出てくる、もしもっと死ぬ人が増えて身近でも死んだりしたら地方だと大都市より敏感でありパニックになりやすいと思った
何か疑心暗鬼になる、田舎の人間関係は濃密だからそうなりやすいのである
それが大都市との違いでありだから感染した人は針の筵(むしろ)に座るようにもなるのである
結局村八分のようにされてしまうのである、それが田舎の怖い所なのである


posted by 老鶯 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスに強い国は先進国の小国 (管理しやすくなるから?ーグロ−バル経済はもう管理できない)


コロナウィルスに強い国は先進国の小国

(管理しやすくなるから?ーグロ−バル経済はもう管理できない)

南相馬市でも東京のライブハウスに行った50歳の人が感染


そもそも感染経路追ってる国ってどんくらいあるの?

なんか昨日の専門家会議の会見だどほぼ無いみたいね
欧州も米国もやってない

シンガポールは国土の狭さと独裁国家故の徹底管理が吉と出たよな


シンガポールとか香港とかは台湾はコロナウィルスにうまく対処している
それができるのは一応医療体制が整っているし先進国だからなのか
それはやはり小国になると人も管理しやすい、それと台湾だと水際作戦ができる
空港でも検査を徹底して管理できる
第一感染経路を追えるということは小さな国でしかできないだろう
まず中国とかアメリカとなるともう国自体大きいからできないのである
日本はなんとかできるという範囲にある
つまり国が余りにも大きいと何でも管理できなくなる

だから何か今回のコロナウィルスの不思議を追及ししてきたけど国境とか江戸時代なら
関所が見直されたことである
そんなものグロ−バル経済で無くせとなっていた、それでグロ−バル経済とは国家とか民族とかも障害になるからなくせ、ただグローバルの多国籍企業が活動しやすいようにしろとなっていた
それがコロナウィルス反作用が起きている、その反作用が現実化している

アメリカ人が新型コロナウイルスを持ち込むとの不安がメキシコで強まり、国境近くの住民たちが検問所を封鎖する事態となっている。

これまでメキシコから命がけでアメリカに越境していたのにこんなこと言うのも驚きだともなる
大陸というのは人間の流入をとめられないのである、だからこそここでも国境の壁を作っている
だから万里の長城も大陸国家だと必然的に生まれた
ヨ−ロッパも大陸国家で陸を通じてつながっている、するとヒトの流れでも遮断できない
またEUでも国境をなくしたからあのように広がったともなる
つまりコロナウィルスではEUは裏目にでたとなる
とにかく大陸だと民族移動も起こりやすい、陸続きだから止められるのないのである
日本は海が障壁となって民族移動をとめた、モンゴルの攻勢も海によってとめられたのである

それからヨ−ロッパとかアメリカでも田舎に避難する人たちが出ている
でも田舎に来るな、コロナウィルスをうつすなと拒否している
日本でも「東京から出るな」コロナウィルスをうつすなと地方では言っている
なにしろ東京から大都会からコロナウィルスは拡散しやすいからである
武漢が閉鎖されたのはそのためである
福島県でも福島市で感染した人も東京から移動した人だとなる
青森などもそうである、だから東京から拡散するから東京閉鎖が言われる

今回のコロナウィルスでは何か今までしたことが問われる
ヒト、モノが世界的にグロ−バルに自由に行き来する、そのことが全面的にいいことだとしてそうなった
それがなぜかその反作用なのか反動がコロナウィルスで起きている
私自身はグロ−バル経済に批判の立場で評論してきた
それは経済面だけではない、人間の心、魂、精神面から批判していた
世界的に自由にヒト、モノか流通することはいいことだというのは一見肯定される
否定はされない、だからますます推進させればいいとなっていた

でも心とか魂と精神面からすると何かそんなグローバルにアイディンティティとか心が通じ合うとか精神が形成されないのである
人間の精神が心が通じ合う範囲は限られているし限られている中で培うのが人間だったからである
だから江戸時代の藩単位などが経済単位でもありそこでその土地に根ざした土着化したものとして精神も形成された

グロ−バル経済の一番の問題はすべてが金で紙幣で換算される世界になったことである
金の力が余りにも強くなりその金を例えば日本の金がゆうちょでも農林中金でも地銀でも日本の年金の金まで何かあやしいCLOにつぎ込まれて奪われるとしている
国際金融資本に日本の貴重な金が奪われる
それは結局グローバル経済化した結果としてそうなったのである
だから投資などにしても世界市場がギャンブル化して国際金融資本家に吸い上げられているとかなたる、つまりそこが胴元になっている巨大なグロ−バルな詐欺だとしている
そこに公平な市場の原理など働かないのである
それができるのはグロ−バル経済というのはそういう仕組みでありシステムがありもう人間がモラルをもって操作することがすでにてきないからである

日本語の「経済」は英語の"economy"の訳語であるが、この語は古典ギリシャ語の οικονομッα(家政術)に由来する[3]。οικοツ は家を意味し、νομοツ は規則・管理を意味する[3]。従って、economyの本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方である
                
「経国済民」もしくは「経世済民」の略。 「経国済民」「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。

こういう経済を全く越脱している、規制管理もてきないのがグロ−バル経済である
民主主義でも一、二万の直接民主主義がギリシャのポリスで始まった
そこはあくまでも人と人が顔を見て通じ合う直接民主主義だったのである
今の規模はもう一千万倍とかなっているからもうそこに民主主義といっても機能しなくなる、すると何をもって規制するのか、それもできない

結局グロ−バル化とは経済的無政府主義でありアナーキーだとなる

ここからしてもう限界だったのである、何か人間の操作する範囲をはるかに逸脱したものでありもう制御不可能なものになっていたのである
だからそこで濡れ手で粟を巨万の富をえる国際金融資本家とかが生まれた
その格差は天文学的になっていたのである、そんな世界が成り立つこと自体そういう人たちは悪魔的だとなっていたのである 

いづれにしろ自分自身が追求してきたことは「相馬郷土史研究」とか「相馬郷土学」とかは地域に根ざしたアイディンティティを求めた
一地域に国に土着して一つの世界観を形成するアイディンティティを求めたのである
それは精神的な面もあるがそのベースに経済がある
ただこの地域でもグロ−バル化はまねがれない、そして原発事故でその肝心のアイディンティティの基となる土や水や森林でも空気まで放射性物質に汚染されて住めなくなった
避難区域がある
これも自分自身が求めたアイディンティティが根本から破壊された
それは科学技術工業社会から起きたことである
つまり科学技術がすべて否定できないにしろ何か行き過ぎがあった
グロ−バル経済というのもすべて否定はできないにしろ行き過ぎがあった
それがコロナウィルスで止められ是正されるのかとなり不思議になったのである
だからコロナウィルスが一時的には犠牲があってもすべて悪いものとして必ずしも作用しないのかと不思議になったのである


posted by 老鶯 at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

abstract river


abstract river

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cold river

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spring river

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three peaks




これは著作権違反と指摘されるかもしれない、ただオリジナルの変形でもやはり創作という面がある
この山のオリジナルは平凡な三つの山しか描いていないからだ
変形した結果としてかえって何か山を強調するものとっなたのである

It may be pointed out that this is a copyright violation, but the original version is still a creation
Because the original of this mountain only draws three ordinary mountains
Instead, it emphasized something as a result of the deformation.

2020年04月01日

理解しにくい人物ーその顔の不思議 (youtubeとかに出た人物評の試み)


理解しにくい人物ーその顔の不思議

(youtubeとかに出た人物評の試み)

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SakuraSoTV

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そもそも人間は他者を本当に理解しにくい、それは別に有名人でなくても普通の人でも理解しにくいのである
まず住んでいる地域から育った環境から職業の相違も大きい、その人の個性から世代からと様々な条件が違って理解しにくくなる
一人の人物を知るということは本当にむずかしくなる
そして理系と文系となると何か人種が違うのか互いに必ず理解しにくくなる
武田邦彦氏は理系と文系の知識と経験を備えているから文系の面からだと理解しても理系の面からとなると理解しにくいのである
特に私は文系だから理系が理解しにくく評論できないのである
でも理系的思考というのがありそれを知ることはできる

今日sakurasoTV(桜チャンネル)鈴木傾城氏が出演していた、その顔は出ていたが体まで出るとなにかもともと異色だったけど体も大きくて貫禄があると見た
ただプログでずっと読んでいたがその顔との差があった
プログだと何か若い人のなかと錯覚する、本だとたいがい認められた人として読む
でもインタ−ネットになると何か浅薄な人でも自由に発言できるから軽く見られる

でも今回のさくらTVに出演していた人で本当に異色な顔貌をしていた
あの人はなんなのだろうと私などには理解できない、アジアのは売春宿を回りその実態を知らせる、それ自体なんなのか理解しにくい
でもその言っていることは魅了されることがあるから読者が多いとなる
要するに底辺層に接していてその底辺層から上からの目線で学者として見ているのではない、他の人は学者だったのである
その顔を見ても学者なのである、私なんかも何か学者的なのである
でも鈴木傾城氏は違っていた、右翼の武闘派の親玉のようにも見えた
体も何か大きく見えた、そもそも武闘派の主張をしていたからである
なかなか右寄りでも学者はいるとしても本当の武闘派はいない
プログだけの発言して死んだ都築詠一氏は武闘派だった
その顔を見ることは私はなかったがその人なりが文章に現れていた
その人は顔を見なくても文体からイメージできたのも謎である
まさに文は人なりとなっていた

この世には強烈な天才的な個性をもった人間はいる、まれだがいる
ただ危険なのはそういう風貌とか体つきとかから人間を判断すると危険なのである
何か自分は体でも貧弱でありあらゆる能力が劣っているからそういう人にあうと崇拝してしまうのである
それで前の師を偶像化した、偶像崇拝になった、これが危険だった

キリスト教を知るには聖書を知るには神とは何かを知ることで一番大事なことは偶像を崇拝しないことだからである
必ず人間は眼に見えるものを偶像を崇拝するようにできているからだ
だからあらゆるものが動物でも石でも星でもなんでも神となる
でも本当の神は決して目に見えないし見ることも絶対にできないのである

もし見えたらどうなるのか?

必ず卑しめられる、それはなんだこれが神なのかとなり卑しめられた
キリストが神の子だといていって肉体を備えて現れたときに卑しめられることはまねがれなかったのである                                        
神は妬む(ねたむ)神なのである

神は存在する、でも偶像を崇拝する者にねたむ、そんなもの神じゃない、私こそ神だとして現れる、神より上に立つものを許すことはないのである
だから妬むというとき神は人間の持つ心があるということになる
なぜなら普通神ともなればそうした感情は下等なものでありそんなこと気にしないとなるからだ

でもどうしてユダヤ人は神を認識したのか?

それは偶像を崇拝していてそれで神の怒りをかって真実の神を知らしめられたことは確かである、その神は見えない神なのである

とにかく人間の顔は不思議である、youtubeでは顔出すから文章より顔をまず見てしまうのである、こんな顔しているのかとまず顔を見てしまうのである
それはテレビでもそうである、顔が大事になる
それでラジオ全盛の時は声だけで放送していた、でもテレビ時代になると顔が大事になり人気があった人もなくなって番組からおろされた
テレビではアナウンサーでも顔が大事であり美人でないと受けないともなったのである
テレビだと文章ではない、まず顔を見てしまうからである
顔から判断するということがあるからだ
本だったら顔は関係ない、書いた内容で判断している

それで加治将一氏のyoutubeを見てしきりフラットフラットな関係と言っている
アメリカ暮らしが長いからアメリカ的人間が作られたともなる
まず外国暮らしをしてきた人と日本だけでしか暮らしていな人の差が大きいのである
外国暮らし人は比較で日本が見える、それはささいなことでも実生活から日本との比較ができるようになっているからである
ただ本を読んでとかテレビを見ていたとかではない、肌で知っていることの差なのである私は外国で暮らしたことがないからどうしても外国がわからないから視野が狭いのである

いづれにしろこの人の顔を見ると本当に気さくでありアメリカ人的だなと見る
あまりアメリカ人は上下関係を作らない、それはホイットマンの詩を読めばわかる
平民を主人公として詩にしている、そういうことはヨ−ロッパとか中国では起こりにくいのだ、まさにフラットな人間関係なのである、大統領さえフラットなものとしてあった
みんな大きな大陸でフラットな関係として詩にしている
例えば中国とかアメリカの基となっているヨ−ロッパでも歴史が古いから王様がいて貴族がいて上下関係がある、ヨ−ロッパはフラットではないのである
日本が歴史が古いからフラットではない、天皇中心にしたヒエラルキーを構成してきたと批判しているのもわかる、ただ日本の風土に関してそんなのがないというのはありえない
そしたら季語があり俳句短歌があることも否定されるからだ

とにかくこの人のことも理解しにくい、そもそもアメリカで不動産関係で仕事してアンテークのコインに投資していることも理解できない、そんなに一千万するコインがあるのかと理解できない、だから何か人間を理解することは難しいのだ
同じ日本人でもそうして生い立ちとか仕事ととか違うし理解しにくくなる
でもその人の顔を見たら何か気さくであり本当にフラットな感じなのである
それは誰でも気さくに声をかける上下関係もないアメリカ人になっているからかともみるアメリカに15年も暮らしていれば当然アメリカ人気質になっている
そういう点は好感がもてるのである
この人の顔から何か特別なものを感じないのである、その辺にいる気さくなアメリカ人となっている

それで人間自体が顔まで移民でも代々住んでいるとその民族と同化して同じような顔になるということを何かの本で読んだ
確かに日本人そのものがもう戦後はアメリカ化したからアメリカ人になっているのかもしれない、純粋の日本人はまれだろう
戦前だと天皇を神として戦争したのだから純粋の日本人は多く存在したろう
戦後はまるっきり変わった、アメリカに支配されたし日本人自体がアメリカ人になったのである、それはアメリカに暮らさなくてもそうである
なぜなら戦後はアメリカに同化するように生活自体がそうなったからである
そこで日本人の良さも失われた、日本人気質も失われた
顔とは確かに親の遺伝子から受け継がれたものが基である

日本人の気骨も失われたのである、明治には武士道がまだ活きていた
それで内村鑑三のような武士道キリスト信者が生まれた
日本は戦後そうした素地が喪失したのである
つまり日本人は骨なしになったのである、だから日本人は外貌でもアジア人ではないアメリカ人になっていたのである
アメリカでもいい面と悪い面がある、日本人でもいい面と悪い面がある
ただ日本人を形成する骨格となるものがない、骨なし日本人になったのである
だから日本人は実際はアメリカ人になったのである
その生活形態も考え方でも何でもアメリカにならったのである
それでアメリカ人の悪い所も習ったのである
金だけを唯一の価値としたのもアメリカ人にならったからである
戦前は金だけではない日本人的価値が義理人情でもあったと言われるからだ
戦前は何かまだ日本人的なものが残っていたのである
それが戦後は全く日本人的なもはのを捨ててアメリカ一辺倒になったのである
だから日本人が顔までアメリカ人になったと見るのである

顔は人生の中で作られるのである、双生児でも環境が違うと顔まで違ったものとなっていた、つまり人間がいかに環境の影響が大きいかである
公務員が同じような個性のない顔しているとか会社員でも社畜とか自ら言っている人たちはロボットのような顔になっているかもしれない
例えば夫婦でも顔かにてくる、似た者同士になるとかもそうである
私があった夫婦は奇形的な顔の夫婦になったから異常だった
子供の時あっただけだからその嫁となった女性の変わりように驚いたのである
もう人間からはずれたものになっていたのである

心理学者の内藤誼人先生によると、顔が似てくるのではなく、同じ「表情」をすることが増えるからだそうです。
つまり一緒に暮らしていれば、「笑い」「悲しみ」「怒り」など、同じ感情を抱くことで同じ表情をすることが多くなります

ダンテの地獄編では何かそうして顔が変形している人が良くでてくる
まさに顔にその人の心が現れてそれが奇怪な異様なものとなっていたのである 
顔に責任をもてというとき顔にその人の刻印が押されるからだともなる
この顔は天国行でありこの顔は地獄だと印されているとして選別されるとなると怖いことだと見た

こういうことなのだろう、その奇怪な夫婦はなぜそうなったのか? 
その夫は公務員だった、それは相互作用がありともに奇怪な夫婦として長年の暮らしで作られてきたとなる

だから人間の顔は偽れないということがある、言葉では偽れても顔は偽れないとなるから怖いともなる
とにかくyoutubeは顔が全面に出てくるから顔からまず判断されてしまうのがテキスト中心のプログと違っている
そして一番不思議なのは自分自身の顔がわからない、見えないことである
いくら鏡でもみても自分の顔がどういう顔なのだかわからない、それが心が見ないとにている
それで鏡に映る姿を古代人が最もおそれたことがわかる
それはその人の姿を心も写すものとして恐れた、実際に自分の心でもありのままに写されたから怖い
やましいものをもたない人はこの世に一人もいない
その実相が鏡にあからさまに写されたら恐怖だとなるからだ
あまりの醜さを見て死ぬということもありうるかもしれないからだ

また人間は何か何でも対照的に見ないと見えない、小さな石があったとしても比べるものがなければ小さい石として理解できない
大きな石があって小さな石だと認識できる
だから醜いということも認識できないのである、自分自身の顔がどんなに醜くなっているかも認識できない
だからこそみんな平気で顔を出して生きているのである
その本当の姿を認識できたらショックになる、そんな顔にどうししな成ったのかとなるからだ
もう子供の時と接した顔とは人間とはまるで違ったものとなっていた
その変容には驚くばかりである、もう人間とも思えなくなっていたのである
でもその人自身は自分のことを全く認識できていないのである