2020年05月12日

コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える (人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)

                                                        
コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える

(人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)


韓国と台湾を見ていると、共産党の一党独裁下で中国の習近平体制が進めた極めて統制色の強い対策がすべてではないと勇気づけられる。双方に共通の成功要因は、個人情報をビッグデータとしてスマートフォンを使って上手に収集したうえで、国民一人ひとりに迅速に必要な情報を提供してきた点だろう。


これは何を意味するのか?

やはり人間はガバナンスとか一体感とか統制するにはそれなりの規模でないとできない
韓国は大陸とつながっていても小国でありガバナンスしやすい、それでITの活用もうまくいった                                      

そして北朝鮮と国境が閉鎖されて出入りできない

このことがかえってコロナウィルスにはいい面として作用したのも皮肉である
もし北朝鮮と強固な国境がなかったら中国から大量の人間でも物資でも流入したからである、そして半島だから海にも囲まれているので外部から入りにくい
それはニカラグアという小国でも似たような地理だったのである
細長い半島であり回りは海に囲まれているし国境を閉鎖すれば入れない
それでいち早く国境を閉鎖しておさえた、それは韓国よりもっと小国であったからだ
国とも言えないような小国だったのである
台湾とかニュージランドでも感染拡大を阻止できたのは地理的条件であり小国だったからである、また海に囲まれていたということである
日本もまた海に囲まれていて地理的条件はにていても実際は大国である
だからガバナンスがうまくいくとはならない、でもなんらかコロナウィルスに強い条件が備わっていた、地理的条件も良かったともなる

そもそもアメリカとかヨ−ロッパでも大陸と陸続きであり国境があってもないと同じである、EUは国境がない、人でも物でも自由に出入りする
中国も巨大すぎて統制ができない、何かコロナウィルスを抑えたと言うが別な地域でまた感染者が増えるのは国が大きすぎて統制ができないからだ
今回のコロナウィルスでわかったことは人間には国には国境が必要だ
境界が必要だという時、市町村合併でさえそうだった、南相馬市では小高、原町、鹿島と合併したがそれが原発事故の補償金の分配などでもめた、利害の対立が生れて一体感がなくなった、つまりこんな狭い範囲でももともと境界がありその境界内で自治体があった、それが全国的に合併が実行されたときうまく自治体として機能しない面があった
きめこまかい行政もできなくなった、つまりガバナンスがうまく機能しない面が生れた
こんな狭い範囲でもそうならこれがグロ−バル化したときもうそこにはガバナンスも何もないのである
ただ貨幣が支配する非人間的な世界である、それで金融資本家が世界を支配するとか多国籍企業が世界を支配するとかなったのはそのためなのである、極端な格差社会になったのもそのためである
世界の富が極一部のものに集中したのである

そもそもなぜ万里の長城ができたのか? 

そんなもの途方もない無駄にも思える、でも人間には国境が必要だということを歴史的に示していたのである
国境は人間に不可欠なものとして生まれた、時代がそうさせたとかそんなも何の役にたったのかとか今なら見る、でも必要だったから生まれたのである
それでアメリカとメキシコでもアメリカが移民が入らないように壁を作る
それは万里の長城の再現なのである
また江戸時代に関所が多かったのも必要から生まれた
関所があればそこを閉鎖すれば他国のものが入ることはできない
ウィルスの伝染もそこで抑えることができる

だから今コロナウィルスで関所が必要なったことは歴史の繰り返しだとなる
交通が途絶えてしまったからである
何か20世紀までに人間は国境なき世界を目指してきた
それがグロ−バル経済でありそれで世界が歪んだものにかえってなった
それを是正するためにコロナウィルスが生まれたのかとまでなる
国と国の交流というときそれぞれの風土や文化があり制限なく交わることは天の理とか地の理に反している
なぜならウィルスとは風土病でありその風土に生まれたもの、地理が限定されて他に広がらないものだったが世界と交流すると広まったからだ
コレラでもインドの一部の風土病だったのが世界と交流があり日本でも長崎とかの港から広まったのである                  

人間には本当は境界が必要なのである
境界とか国境とかは不便なもので取り払うべきだ、人間は自由に世界と交流すべきだというのがグロ−バル社会である、そこに落とし穴があった
第一人間の文化が育まれるのは実際は狭い地域である、日本は日本という島国でありそこで歴史と文化を作って来た、だから食生活から海産物主体とかなるのは当然だったのである、羊とか牛はいないし食べてもいないのである
また遊牧民の牧畜とか家畜を使わなかったからそこに根本的に違った文化が形成されたのである
奴隷とか宦官とか生れたのは牧畜とか家畜文化があり生まれた、人間が家畜のように見るからである,カースト制などでもそうである、そこには家畜文化があり動物をカースト制に入れる、つまり人間を家畜のように見ることがあるからだ

そのことはどれだけ深く動物と人間が交流している、動物と一体化した文化だったということである、それは宗教にも現れている
魚を殺して食べても何か罪の意識が生れない、でも動物を殺すことは罪の意識を感じるからだ
日本がでも狩猟時代があった、縄文時代はそうだった、でも後は動物をあまり殺していないのである、米が中心になり野菜と魚中心の食生活になったからだ
それで腸が長くなった、肉食中心の欧米人などは肉を消化する酵素がでるが日本人は出ない、すると体質的に肉食は本当は合わないとなる、それは風土によって体まで作られていたからである、今回のコロナウィルスの不思議は欧米人がなぜあんなに感染者が一挙に増えて死者が増えたのか、それが良くわからないのである

また日本人がこんなに死者でも少ないのはなぜなのか?

それが疑問なのである、ロシアでも増大している、大陸とかは広いから増大しやすい、感染をとめられないという地理的条件があることは確かである
つまり何でも地理が関係している、地理を知らないと人間のことも世界のことはわからないのである

自立を目指すということは境界線を閉ざすとういことではなく、それをうまく管理することである、各地域社会は各地域内の生命の営みの調和と一貫性を損なうことなく互いの境界線を介して交換活動を行う能力をもたなねばならない

健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している
(  ポスト大企業の世界ー貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へーデビット・コーテン)

この本には全面的に共感する

つまりグロ−バル経済の矛盾は全世界的に心あるものが感じていたことである
何かおかしい、こんな世界でいいのかと感じていた、でも貨幣が世界を席巻して支配して多国籍企業が世界を支配する、それがグロ−バリズムである
その矛盾が頂点に達していた、そこにコロナウィルスが起きたのである
ということはコロナウィルスが世界を変えるともなる
なぜならコロナウィルスの前と後で世界が変わるとしているからだ
それは悪いことばかりではない、全体的にグロ−バル化した世界から新たな地域に根ざした人間中心の社会をとりもどすことである
文化とはcutivateでありその土地土地に根差してcultureを作ることである
だからワインにしても土地土地によって味が違うし米でも酒でもそうである
グロ−バル化でもみんな同じ味になったら文化はないのである
コカ・コーラとかが世界に普及したりマグドナルドとか食生活を一様化することは文化ではないのである

コロナウィルスは世界を変える、だから不思議になる、世界を変えるというときとても人間の力だけでは変えられない、原発事故でも津波で崩壊して原子力村の悪を暴いた
コロナウィルスも自然の作用であり世界を変えるというこで人間社会は人間だけでは変えられない、それで中国では易姓革命の思想が生まれたのである
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2020年05月11日

東京にコロナウィルスに地震で地方に避難 (原発避難区域に移り住めそれがカルマ)


東京にコロナウィルスに地震で地方に避難

(原発避難区域に移り住めそれがカルマ)

今ニュースで東京に地震が起きて避難するようになから福島県でも用意しておけとか放送していた
でもコロナウィルスを伝染させるから困るとなる
避難する場所は密集するから伝染しやすいから拒否される
今でも〈東京の人は来るな)とてっていたからだ
観光地でもそうなったのである
何かこういうとき人間は協力する面もあるが分断する面もある

放射能がうつるとか東京の人に言われていじめにあったのも福島の人間だったからである今度はコロナウィルスがうつると拒否されたら深刻になる
もしかしたらそこで争いになる、移民が無理やり入ってきて争いになるのとにている
東京と地方の問題がもともとあってそれがコロナウィルスで顕著になったのである

常に地方は過疎地域でもそんなもの税金の無駄だとか批判されてきた
食料など外国から輸入すればいい、日本の田舎は地方は無駄だ、税金の無駄使いでしかないと言われてきたのである
そして東京人は原発は危険だから福島に作ったのである
東京圏は福島県とは遠からず近からずで影響が大きいのである
だからコロナウィルスでも宮城県についで福島県が感染者が多い
宮城県が多いのは仙台市が東北の中心都市だからである
その他は秋田県でも青森県でも少ない、岩手県は未だにゼロなのが不思議である
コロナウィルスは人口密集地帯の大都会から拡散しているからだ

こうして巨大化した東京圏が福島県の小高浪江双葉大熊地域をゴーストタウンにした
でも東京の人たちが何か地震とかあって避難するのならそこがいいとなる
なぜなら街自体が空家でありゴーストタウンになっているからだ
放射線の影響があるとしても浪江までそれほどではないから住める
それより東京の人がそこに住むべきだとなる、それがカルマだとなる
それでそこで町を復興させるようになる
そこでみんなが農業するわけではない、テレワークなどもある
何か技術をもっている人は仕事を作り出す、東京が離れていても仕事ができるとなる

人間は何かカルマがありカルマは責任でもありその責任を果たすことを要求される
だから地域的にもそうである、東京にはその責任があるとなる
なぜここだけがゴーストタウン化していなければならないのか?
東京の人たちが避難してきたらコロナウィルスのことは言わない
その代り地元に住んでもらう、それが復興になる
本当は流出した若い人たちが住むべきだがその人たちは故郷を捨てたのである
また親も捨てたのである、いづれそれもカルマとなって現れる時がくる

かならずいつかカルマはめぐってくる、苦しみとなってめぐってくる
それは個々人でもそうであり集団でもそうである、集団のカルマもいつか現れて苦しみとなる、地域でもカルマがありカルマを果たすことを要求される
ともかく何か今年から2年くらいの内にさらに大きな災害でも起きる
そういう予兆が現れている、そういう時期なのである

ただ人間は本当に自ら苦しみを受けない限り本気にならない
「なんとか助けてくれ」となったときもう恥も外聞もなくなり思い切ったことができる
だからさらなる大きな変動が起きる予感がする
それはすでに東日本大震災から原発事故から去年の水害からと災難つづきだったからである、その延長として大きな災害がカルマとして東京に起きる

それと何か人心の乱れとも関係している、日本の人心も相当に乱れてしまった
自然環境も破壊された、だからコロナウィルスでも一時的に空気をきれいにしたように
神からの作用かともみた、神から文明が粛清されたようにも見えたからである
文明の再構築を要求しているようにも見えたからである
そもそも全国でもそうだが耕作放棄地が原発事故の避難区域では多いというより街の回りは荒地になっているのだ
だから土地は空いているし町自体が空家化している、すると避難してもそういう場所に住めるともなるからだ

とにかく東京はもともと災害に弱い、ウィルスにも弱いことがわかった
だからこの際に集団で移住することも考えねばならない、そういう決断はやはりぎりぎりに追い詰められないとできないのである
だから首都遷都も盛んに言われたが実行されなかった
つまりそういう大きなことはとても何かぎりぎりに追い詰められなければ決断できないのである  

いづれにしろ人間にはカルマがありそれが苦しみとなって現れカルマを解消することを強いられる、その時苦しむのである、それが東京の人たちに課せられている
カルマを解消するために原発避難区域に住まざるを得なくなるともなる
東京はコロナウィルスでもそうだけど地方に分散しないと危険である、それは一時的なものではない、将来にも同じことが起きる、だから東京に密集して住みつづけることはもうできない、コロナウィルスはその警告でありもし東京脱出して地方に分散すれば命も助かるとなる
結局そうして生死がかかるような危機感をもたないかぎりそうした大きなことは決断できないのである

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2020年05月10日

科学の時代でも科学が無視される (マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


科学の時代でも科学が無視される

(マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


現代は科学の時代である、科学技術なしではありえない社会である
だから科学技術者が一番重要な役割を果たしている
昔は預言者とか聖職者とか僧侶とかが力をもっていた
それは会津で8世紀とか早い時期に大きな寺院が建設された
それは病気を治すための加持祈祷のためである
ウィルスでもそうだけど科学技術が発達しなければ神仏に祈るほかないからだ
それでた村では様々な病気を直す地蔵がいて目が悪くなれば目を直す地蔵とか
腰が痛くなれば腰痛を直す地蔵とか耳が悪くなれば耳を直す地蔵とかに祈る
それしか方法がないからである 

江戸時代でも医者は仁術というとき医者は病気を治すことができない
するとやはり仁術ということは病気を治すというより慰めるということになる
そもそも直せない病気が多いからである
今のように病気は直せるものとして医者にも期待していないのである
今はみんな病気を治せるものとして医者にも科学技術者にも期待している
それはもう信仰なのである、医者を神様のように頼っているのである
そして医者は科学者は全能のように見ている、今直らなくても将来は必ず治ると期待されている

だから今一番無能化している役立たずと見られるのは宗教者である
仏教でも神道でも僧侶でも神主でもキリスト教の牧師でも何か現実社会で何に役立っているのかとみる、ただ戒名料を馬鹿高くとったり神主でも何を祈っているのか良くわからない
ただ賽銭だけはとっているとかなる
要するに宗教に何ら効能が認められないからである
その割合にしてはなぜこんなにカルト教団でも多いのか?
その理由は宗教は効能がなくなったけど利権団体化して政治団体化して力をもつ
それは創価だけではない、宗教者は宗教団体として組合化して税金をかけられないように宗教が違っていても協力していることでわかる  
利益第一主義であり集団化組織化すればみんなそうである
その利益のために一致団結している
そして何かしらそうした利権から利益から脱することができないのである
あらゆるもものがそうして組織化組合化集団化しているからである

なぜこうなったかというと宗教者が無能化したかというと科学技術の時代になったからである
科学者が医者でも神官であり聖職者になったのである
現代人が崇めるのは科学でありそれに通じたものである
政治家とかマスコミとかはそれに付随して利益を得ている、たいだいそこは文系なのである

だから原発事故でも東電の科学者が十数メートルの津波が来るからそれに備えろと進言していた
そして本当に津波が来たから驚きだった
でもそのことは「安全神話」が権力で作られていたから公にも知らされていない
第一マスコミが知らせないからである

つまり科学的に追求されたことは信用できる

だから科学者や技術者は信用できる

そうなっているのだがその通りには社会は進まない、社会は科学で追求されたことを無視する、それで武田邦彦氏がダイオシキンは無害だったのにマスコミが危険を騒ぎ過ぎた
そのために社会が歪められたとてマスコミを怒っている
科学的真理も社会によってこの時はマスコミによって歪められた
でもその反省もなく罰せられることもないとしてyoutubeで訴えている

ガリレオでもカトリックに科学者として追及して来たことを主張しつづけた
それで否定されても「地球はそれでも回っている」と言ったのである
現代社会は科学技術社会である、それなくしてはありえない社会である
だから武田邦彦氏はコロナウィルスでもこれは普通の風邪だから普通に過ごせばいいとしている、インフレインザと変わりないとしている
ではなぜマスコミでも政府でも経済が破綻するようなことまでしているのか?

そんな過剰を防衛をしているのか?

何か得があるのか?政府にあるとは思えない、原発では警察から検察から海上保安庁から天下り先として役得を得る利益があった
コロナウィルスでは一体誰が利益を得るのか?
政府も巨額の財政支出があり医者でも必ずしも得するとはなりえない
医師会に予算を回すとしてもそれほどの利益にはならない
医師会が検査を拒むのは利権にならないからだともしている

ただマスコミは危険を言うと視聴率があがる、すると宣伝費をコマーシャル代を会社からもらうから視聴率をあげることは利益になる
その利益のためコロナウィルスは日本ではさほどの危険がなく風邪と同じだとしているがそれではテレビを見る人が増えない
だから毎日何人感染者が増えたとか恐怖をあおっている
その手法はナチスのゲッベルスと同じだとしている
つまり何回も同じことを言いいつつげるとそれが真実に見えて来る
恐怖をあおることを何度も言っているとそれが本当に恐怖として洗脳されるのである
カルト教団も恐怖で洗脳するのとにている

人間に恐怖を与える、おびえさせる、それが効果的なのである
人間はそうした恐怖に敏感であり地震のことでも科学的ないにしろ実際はわからないのだから何か恐怖して注目するのである
だからマスコミはそうしして危険をあおり社会を歪めたから罰せられるべきだという武田邦彦氏の主張に共感する
なぜならこれまでは六局しか放送できなかったからである
その影響力はあまりにも大きかったからこそその責任も重大だったのである

でもマスコミはNHKでもそれだけ影響力がありメデアを独占していたのにその責任を自覚していない、だから技術を手に入れるものが誤ると核でも原発として甚大な被害になる
マスコミも放送する機械を道具を与えられたものとして責任を自覚すべきだがしない
それは大きな間違えを報道したとしても誰も責任をとらないからである
ただ原発事故でも誰も責任をとらなかった、政治家も官僚も東電も科学技術者も全マスコミも責任をとっていない
ただ必ず戦争でも3百万人死んだように責任はとらされる
原発事故で周辺の町がゴーストタウンになったように責任をとらされる  

だから報道にもマスコミにも責任をとらせるべきだとなる
なぜなら報道の権利と武器になるメデアを機械を道具を与えられたからである
権利を与えられたものには責任も課せられていたのである
でも一切責任をマスコミはとらないのである
コロナウィルスでも経済破綻するし自殺する人もでた
だからこの影響も大きいから経済をとめることも慎重にすべきである
ただインタ−ネットで個々人にもメデアが与えられたからある程度は報道の公平さがもたらされた、でもまだ依然としてマスコミの影響が大きい
でもテレビ自体がyoutube化するようになるとテレビの影響が大きくそがれる
とういのはそんなにいろいろなものを見れないからである
youtubeを見ているから最近テレビを見る時間が減ったからである

ただコロナウィルスは科学者にとっても医者にとっても未知である
それで対処できないということはわかる、でもその未知なことをいいことにマスコミが誇大に危険をあおり視聴率を稼ぐことは許されないのである
要するに社会は利権とか利益ばかりを追求すると本来の使命が失われる
マスコミでも事実を正確に報道してその判断は国民にまかせる
マスコミが判断して裁判官になり私刑にする、リンチするようなことをしているから問題なのである

また危険を言う学者が医者が選ばれて放送する、マスコミの意図は危険をあおりコロナウィルスで視聴率を稼ぎ宣伝費をくれる会社のために貢献するということでそうなる
その利益も巨額なのである、だから原発事故が起きたとき朝日新聞でもマスコミは全部中国に招待されていた、その時事故が起きたのも因縁だったのである

 原発事故で十数メートルの津波が来る!

こう警告していた科学者集団がいた、でもそれも無視された、利益を第一として原子力村の利権集団に無視されたのである、安全神話はどれほど強固に作られていたか?
これが報道されていたら津波の被害も少なかったかもしれない
なぜなら仙台から宮城県の海岸線は津波の警戒がなかった
それは400年前に津波があったとしても忘れていたからである
それで津波は来ないという確信までになって避難が遅れた、津波を甘く見ていたことがある
だからこの科学者の指摘したことをみんな衆知していれば頭にそのことがあり早く逃げたかもしれないのだ、でもそういう危機感がないから死ぬ人が多かったともなる

安全神話もそうして強固に作られていた、事故はありえないとしていたのである
それで地元の人たちでもそれを信じていたのである
それはとても崩せないものであり津波でしか崩せないものだったのである
民主主義とはそうした原子力村とか利権団体の主張を通すことである
だからそうした利権団体に入らない者は利益を得られないのであるその利益を得るために常に社会が歪められるのである
原発事故では漁業組合は利権団体となり事故前も事故後も利益を得ていた
それだけでない、農協とかでも利権団体でありあちゆるものが利権団体化している
その利権団体を調整するのが政治だともなる

でも公正さを報道とかに求めるとそうした利権団体に組み入れられるとできない
必ずその利権団体に票を得るからと忖度する
そしてテレビとか六局が独占していたがそうした公器を手に入れたマスコミが宣伝費で成り立つから宣伝費を出す会社に忖度する
それは原発事故でもわかった、電事連から800億円とかの宣伝費が出ていたのである
原発は金のなる木だからみんな群がったのである
だからこそその危険性は地元でもみんなによって無視されたのである

だから科学で追求した真理でも事実でもそれがその通りに社会に通用しない
隠蔽されたり科学の真理がそのままに報道されることもない
コロナウィルスでも複雑なのだけどそういうことがある
聖書が予言の書だというとき現代では預言者は科学技術者になった
それで津波を警告するというとき科学者は預言者と同じだとしている
コロナウィルスでもこれからどうなるのか?
それを予言するからである、でもそれが当たらないとしたら科学者の信頼は失墜するのである
預言者は神の言を伝える者であった、でも殺されたりしたのは必ずなんらか不興を買うものがあったためである
科学者でもいくら科学的に追求しても正確にその将来を未来を示すことはできない

つまり未来は神の掌中にある、人間は知ることはできないのである
だから人間の未来を握っているのは人間ではない、神なのである
なぜなら神は人間界でも地球でも滅ぼすことができるからだ
創ることもできるか滅ぼすこともできるのである
人間の未来を決めるのはAIでもなんでもない、神が決めることなのである
そういう権能をもっているのは神だけである
科学技術者でも限界があり実際すべてがわかるわけではないからである
だからこそ何かあるとこうして不明な未知のことが出てきて混乱するのである 

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posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月09日

還暦(60)で四分の一が貯金が百万以下 (貧困化する老後‐田舎の例)


還暦(60)で四分の一が貯金が百万以下

(貧困化する老後‐田舎の例)
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100万以下が増えていて24パーセントもいる

その女性はもともと食べることもまともにできていない、70近くになる
その女性が畑で野菜を作っている
でも勝手に草取りしたから金を要求する、それも5000円とかである
また蛇が畑にどぐろを巻いていたからとってくれと頼んだら5000円要求された
また肥料が蓄えていたものが盗まれた
あとは畑をうなってもらうのに金がかかる

畑の作物が果物でも盗まれることが良くある、畑の小屋とかなると夜なら誰も見ていない盗まれやすいのである
でも知っている人が勝手に草取りして金を要求する、また蛇をとってくれと頼んで金をとるというのは何かせこいなと思った
そんなこと善意で無料で知っている人ならするだろう
第一その女性は金が貧窮している、そんな人から金を要求するだろうか?

その人はおそらく60代だろう、何か余裕がないからそうなっている
なんとか現金を得たいということでそうなっている
それだけ金に窮している人が田舎でも増えているのかもしれない
現実そのために盗難で大金を失ったことがありそれも田舎で生活に窮している人だった
今はなかなか金に窮している貧困が見えない社会である
一応みんな田舎でも車を持っているからその車を持っているということで貧困に見えないのである
私は車をもっていないから実際は貧困の部類に入る、車ももっていないのかと今の時代ならなるからだ、でも別に自分は貧困ではない

だからこんなに貯金がないことに驚く、なぜなら私の親の世代は貯金することが楽しみであり貯金した、その時はまた必ず利子が高いから貯金したのである
だから団塊の世代ならその親の遺産を受け継いだ人は貯金がそれなりにある
でもここでも格差が大きくなっている

表でみると

百万未満の人が24パーセントもいる

これは尋常ではない、もちろん年金が高いならそれでもやっていける
でも厚生年金にしても15万くらいでたりないとしている
他の人は農業している人などは国民年金になるから少なくなる
だから貯金がない人がこんなに多いということに本当に驚く
つまり還暦になり60才で貯金がないということは相当に厳しい
普通に働けなくなっているからだ、収入は会社をやめたら半分くらいにもなる

それで2000千万貯金しろと政府が言うのである
国ではめんどうみれないからそう言ったのである
そして恐ろしいのは60代より今の50代以下がまた40代が氷河期世代はもう貯金もないし年金ももらえないとされる、そうしたらどうなるのか? 

これを予想すると本当に老後の生活が成り立つのか?

みんな生活保護になる、それより生活保護でも田舎だとただ医療が無料になるとかの生活保護もあり後は何ももらえない
第一国民年金でも4,5万しかもらえない人が結構いるのだ

そんな人がどうして生活ができるのか?

コロナウィルスでもその日暮らしのような人が困窮する、若い人は貯金がない
するとたちまち困窮して暮らしていけなくなる
だから何かあるときのために貯金がある、コロナウィルスのように経済が不安定になると解雇されたりするから貯金がないとどうにもならなくなる
でも貯金がないから10万の政府からの給与でも助かるとなる
何か怖いのはこういうふうに日本人が貧困化する犯罪が増える
その被害者に自分もなったから怖いのである
コロナウィルスではすでにそうして解雇された人がわずかの金が欲しくて強盗に入ったとかある
そううい人が増えてくると本当に怖いことになる、格差社会は南米のように犯罪国家になる

なぜこんなに日本は貧困化したのだろうか?

それはコロナウィルス前からそうだった、さらに拍車をかけて貧困化する
その割には貧困が見えない社会である、都会辺りだとホームレスとか見かけると一目でわかる、コロナウィルスで仙台にホームレスが増えたという時わかる
田舎ではかえって貧困見えないのである
なぜ食べるものも事欠く人からそんな金を要求するのかとなるからだ

現代の貧困は田舎でも車が無しでやっていけないとか金がかかる、何かと金がかかる
それで金がなくても出費が抑えられないのである
その人は毎月ガス、水道、電気がとめられると騒いでいるからだ
結果的に自分が払ってやる

まず畑で野菜を作ること自体が簡単にできない、とれるものはほとんどなかった
こうしてただかえって機械が必要だとか肥料だとか鳥にネズミに食われたとか盗まれたとかなんとかかんとか苦労だけ背負ったとなる
ただ少しでも収穫があると喜んでいてその人は農業がしたい好きなのである
でも実際は腰が痛いとか体も弱っているから無理なのである
それで隣の畑は車に乗せられて這って野菜を作っていた人がやめた
向かいの畑は病気で死んでこれも草ぼうぼうになった
そうして誰もそんな零細な農業をしない、跡継ぎがいないのである

その原因は実際の農業は専業農家が8割くらい食料を生産している
その専業農家は裕福でもある、キャベツ農家が話題にもなった
ただこの辺では梨の生産が盛んでそういうものは生活が成り立つのだろう
あとはなかなかむずかしいと見る
田んぼでも15町とかもっていれば専業農家なら成り立つ

そしてなぜ荒地が増えるのかというと全国が市場なのだからいくらでも全国から食料が入ってくる、すると全国の中でもキャベツ専業農家ならやっていける
他は田舎でも食料でも買うことになるからである
もし地元だけで自給自足しろとなるとそんなに荒地にしておけないからである
どうにかして地元で食料を得なければならないからだ
それどグロ−バル―化で外国から食料が入っていてそうなったのである

いづれにしろ人生百年時代にすでに60で百万以下の人が4分の一とかは異常である
もう老後の生活が成り立たないレベルである
それほど貧困化している日本でありコロナウィルスでますます貧困化する
ではどうするのかとなると私にはわからない
ただ農業というのは8割の専業農家が食料を供給している
それも全国からだから食料が高くなっても足りなくなることはないようである
でも零細農家などはとてもやっていけないのである
それでそうした零細農家とかもう跡継ぎもいない農家は廃業するようになる
そこで荒地が耕作放棄地が全国で増えているのである

2020年05月08日

藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)


藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)

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街道の藤の花
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相馬中村神社の神苑
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中村珈琲店の庭の藤

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白つつし夕べひそまり神苑に

夏柳風にそよぎて田町かな

奥に石木陰の深く藤の花                          

夏の夜や赤い満月昇るかな


新緑につつじの赤く映えにつつ蔵王大きく迫り見ゆかな

八重桜あまた散り赤し藤の花さわに垂れ咲き相馬市の暮る

紫と白の藤の花映えにつつ街道あわれ行く人のあれ

相馬市の通りにさしぬ夕日かな夾竹桃の街路を行きぬ
                

前に大きく見えた蔵王の写真をとるために同じ場所を探した、それがわからなくなっていた、場所は地図で示した、ここから意外と蔵王が大きく見えるのだ
他はこんなに大きく見えないのである、ここはだから蔵王のビューポイントである

相馬市は街として詩になり絵になる、何か特徴がないのだが街として活きている
それは原町と比べると違っている、原町は何か詩とか絵になりにくいと思う
街中に丸三製紙工場とかあり煙がでてたり何か街として整っていないのである
相馬市は城下町だから碁盤の目のように作られていて整っている感じになる

相馬神社の神苑にはいつも白いツツジが咲いて今日は藤の花が咲き八重桜が散った後だった、あの藤の花はいい
それから中村珈琲店に藤の花を見に行った、でも今日はコロナウィルスのために閉じていた、何かまだ正常にはならない、店も閉じているのがある
それか残念だったがあの藤の花は見ものである
相馬市の花は藤の花である、鹿島は草深く咲く月見草とかである
原町はひまわりがにあっている、何かにあう花がある、飯館村はゆったりと芙蓉がにあうただ人が住んでいないから花も活きてこないのである

相馬市の通りに夾竹桃の街路樹があり夕日がさして映えて絵になっていた
暗くなって赤い満月がでていた、赤い満月は見ることがある、自然現象であるが今回は大きく見えた、今日は夏らしい一日だった
風が涼しいから暑いというほどではない、去年は熱中症に二三回なった
今年はそんなに暑いというのではない、風は結構涼しい、それで自転車で走るのが気持ちいいのである


東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖 (福島原発事故でカルマを作った東京)


東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖

(福島原発事故でカルマを作った東京)


なぜ今東京が危険地帯となっているのか?

コロナウィルスでも東京から拡散する、南相馬市でも自分の住んでいるすぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染したのである
東京が危険なのは人口が多すぎるからである、その周辺の神奈川とか埼玉とかでも東京圏の人口が多すぎる、その影響が大きすぎる
そこで人の流れも止めることができない、それでコロナウィルスでも伝染するのが止めることができない、そのことは前から言われていた

そして福島に原発を作ったのも地理的なものだった、茨城県だと近すぎる、確かに東海に原発があっても実験用とかで規模が小さいが福島は大きすぎた
それで甚大な被害となった
福島県は東京から遠からず近からずという場所にありそれで東京圏ではないが疑似東京圏にもなっていたのだ
東京の影響が地理的に受けやすい場所にあったのである
それで経済的には東京の恩恵を受ける面があったが逆にまた原発のように被害を受ける面もあった、岩手県とか秋田県とか青森県になるとこうはならなかったのである
でも青森県でも核燃料貯蔵庫とかができているからかえって辺鄙な所に危険なものが作られることはあった

何かカルマというとき個人的にも家族的にもその場所であれカルマをかかえている
時間的にも空間的にもカルマがある、カルマとは繰り返すことであり自然災害も地震でもコロナウィルスがあったがこれも実際は百年前とかスペイン風邪とかで大被害が世界であったことなのである、だからまたカルマとして繰り返すとなる
カルマを意識するのは苦しみとなった時である
それは津波でもそうだった、それは余りにも凄惨なものでありこんなことが起きるのか?そうみて震撼としたがそれも過去に同じようなことが起きていたのである
相馬地域では400年前に700人溺死とありやはり起きていたが忘れていたのである
だからつくづく災害は忘れたころにやってくるとなっている
カルマは必ずめぐってくる、それは空間的にもそうなのである
世界で起きたことが関係ないようで日本にも起きて来る、カルマは空間的にも時間的にもめぐってくる

今なぜ東京が危険なのか?

何かそこにカルマがめぐるような状態になっている、東京はカルマを積んだのである
それは福島原発事故でカルマを積んだ、東京電力が福島に原発を作った時カルマの因を作ったのである
それで一時福島から放射性物質の汚染を恐れて東京に避難した人たちが放射能がうつるとかいじめられたとかあった
今度は東京の人たちが地方にコロナウィルスをうつすから来るなとち拒否された

放射性物質をうつすから福島の人は来るな!

コロナウィルスをうつすから東京から來るな、出るな!

これも何なのか?これもカルマではないか?そうして人にしたことが今度は我が身にふりかかってくる、それが個人的にもそうだし家族でもそうだし地域でもそうだしあらゆることにカルマが適応されるのである

東京が今地震が頻発して恐れている、東京は何か今の時期一番危険になっている
なぜならコロナウィルスと地震が重なったら阿鼻叫喚のようになる
コロナウィルスをうつすから東京から出るなとか地方から言われて今度は避難することもできなくなる、地方で受け入れないからである
地震が起きたら東京内でも密集するから避難場所もなくなる

東京から脱出したい、でも脱出もできない

その時東京がパニックになる、まさに生き地獄になる、東京にカルマがめぐり東京に今そういう危機が集中している
そしてカルマの解消は苦しまないと解消しないのである
それは個人的でも家族でも地域でもそうなのである
それは自分自身が死ぬような苦しみを受けた、介護とか自分の病気とかでそうだった
つまり死ぬような苦しみを受けないとカルマは解消しないのである
それだけのカルマを東京という地域が積んだのである
これは科学的でないにしろカルマには明らかに法則性がある
だから今東京がコロナウィルスとか地震とか一番危険になっているのだ

ではその他は安全なのか?

それもわからないにしろ福島は安全ではないか?、なぜなら津浪地震とか原発事故とかでその被害を受けてカルマを解消したと思えるからだ
ただ放射性物質はこの地に残り依然としてその後遺症が残りつづけている
人は住めなくなるゴーストタウンになったままの地域もある

だから不思議なのは

福島の原発周辺がゴーストタウンになった

コロナウィルスで日本でもゴーストタウンになった

世界中がゴーストタウンになった

これも何かカルマが関係してそうなったのかともみる、世界が村となったというとき距離に関係なく悪いことも広がるからである

ともかく何かこういう時不安がらせるということがある,マスコミは不安をあおっているという、視聴率のためにそうである

巨大地震が連続して起きた慶長時代とにている (東北と九州(熊本)に起こり今度は関東へ迫る恐怖)

ここにアクセスがそれなりにあったということは東京で危険を感じる人たちが多いからである
正直脅かすわけではないが、東京にはカルマがたまっている、それを一度出さないと治まらないのではないか?
そういう時期になっているのではないか?
だから東京を脱出する人が地震の無いところに移住しようとしている人が増えるのもわかる
かなり不安になっているからだ、そもそも東京は災害には弱い
あれだけ人が密集していること自体が危険なのである
それはコロナウィルスでもわかった、だからそうして警戒するのはわかる
つまり東京から人が地方へ分散する、それが日本の国土にとってもかえって東京と地方のバランスをとりもどす契機となる
あまりにも東京一極集中になりすぎたからその弊害が大きくなったからである

人間は危険を察知することが大事

人間は命が助かるためには危険をいち早く察知することである、それは津波で原発事故でもそうだった
危険を察知しないで甘く見ていた結果大被害になり多くの人が無惨に死んだ
だからソドム、ゴモラでもロトが危険を察知して脱出したことにより危機一髪助かったのである
でもその妻はその光景を見て石と化してしまった、それほど恐ろしい光景だったのである
だから東京が危険だと察知して脱出した人たちが命が助かるということがある
それだけそもそも東京は人が密集してビルが密集して危険なのである
逃れる場所もなくなるからだ




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2020年05月07日

小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況 (神がコロナウィルスをばらまいた?)


小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況

(神がコロナウィルスをばらまいた?)


そこで少年は、袋の中なかから砂を取とり出だして、せっかく敷しいたレールの上うえに振ふりかけました。すると、見みるまに白く光ひかっていた鋼鉄のレールは真っ赤かにさびたように見みえたのでありました……。
 またある繁華な雑沓をきわめた都会をケーが歩あるいていましたときに、むこうから走ってきた自動車が、危く殺すばかりに一人のでっち小僧をはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼かれは袋ふくろの砂なをつかむが早はやいか、車輪に投なげかけました。すると見みるまに車の運転は止とまってしまいました。で、群集は、この無礼な自動車を難なく押おさえることができました。

 またあるとき、ケーは土木工事をしているそばを通りかかりますと、多くの人足が疲かれて汗を流ながしていました。それを見みると気の毒になりましたから、彼は、ごくすこしばかりの砂を監督人の体にまきかけました。と、監督は、たちまちの間あいだに眠気をもよおし、
「さあ、みんなも、ちっと休やすむだ。」
といって、彼は、そこにある帽子を頭に当あてて日の光をさえぎりながら、ぐうぐうと寝ねこんでしまいました。
 ケーは、汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから、とうとう砂はなくなってしまいました。

コロナウィルスで起きたことも不思議である、この辺では津波とか原発事故とかがありこれも不思議であり恐ろしいものだった
このコロナウィルスで人間の活動が止まったことである
それも世界的に止まった、一番それを象徴していたのが空港とか鉄道とか交通関係が止まった
こんなに交通関係が停止するのを見たことがない、結果として交通事故が減り空気がきれいになった、それだけ人間の活動がもう限界に達していたのかもしれない
それで神がこの童話のように活動を止める砂をまいた
その砂とはコロナウィルスである、これをばらまいて人間の過剰化した活動を止めたとなる

だから何かこのコロナウィルスは何なのだろうと考えると不思議になる
本当にこの童話のように過剰化した人間の活動をとめるために砂をまく、すると人間の活動はとまり「眠い町」になる   

汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから・・・

この時は飛行機はない、空港がなかった、車もあまりなかったがそれでも自動車は走っていたのである、何か今と比べるとその時代は牧歌的でさえあったともみる
東京でも百万とかであり市電が走っていたり何か今とはまるで違っていた
その時代こそ実は「眠い町」になっていたとなる、現代から比べるとそうである

とにかくは神が天から人間界を見下ろして「大気を汚すな、車でも多すぎる、煩さい、静にしろ、そんなに移動するな、もっと落ち着いて生活しろ、人口密集する大都会などに住むな広い田舎でソーシャルデスタントにフィズカルデスタントをとって静かに悠々と暮らせ」
東京のアパートかで騒音殺人が起きるのはフィズカルデスタンスがとれないからである
田舎でも市営住宅では隣に変な人がいてそれで悩まされている人を知っている
それは離れて住めないからである、常に隣に密着している、そして自分を見ているとなっているからだ
田舎は田舎で誰も見ていないようで見ている、窮屈さがある、でもフィズカルデスタンスがあり離れて住んでいる人が多いからそういう騒音問題は比較的起こりにくい、ただ密集して近接して人間が住めばそういうことはどこでも起きるのだ

何かそういうことを神が天から見て人間界にコロナウィルスをばらまいたのかもしれないそれが童話では魔法の砂だけどコロナウィルスがそれとにていたのである

原発にしてもなぜ津浪に襲われて爆発して人が住めなくなったのか?

それもなんらか神の関与があったのかとなる

そんな危険なものを作るな!

そういうことがあって神が津波を起こしたのかとまで思う
そして私が安全神話を作った権力集団、政府とか官僚とか科学者とかマスコミが一体化した利権集団を暴いたと追及して来た
何かこの世には人間だけがすべてを決めるのではない、神の関与がある
バベルの塔がなぜか単なる作り話ではない、事実に基づいていると感じるのはまさにそうである、人間は言葉が通じなくなるということは心が意志疎通がてきなくなることであるそれは何か原発事故でも起きた、人はみんなばらばらにされたからである
家族もばらばらになり自治体も補償金で争ったり世代でも若い世代は流出して老人だけが取り残されたりしてばらばらになったのである

だから何かコロナウィルスでもこれは一体何なのだろうとなると不可解になる
それは何かしら人間を越えた神の関与があってそうなったのかとも見る
つまり人間の活動が過剰化して限界に達していた、地球は人間の文明活動で大気を汚して大地も汚した、だからそれを戒めるためにコロナウィルスをばらまいたのかとなる

人間は生態系から離れて生活しえない、だから世界の大都会化はもう限度を越えていた
生物がそこで生きるということが不可能な状態になっていた
だからニューヨークとかが一番被害があった、もともと武漢風というように大都会から世界に広がったのである
だから一千万とかも密集して生活していること自体生物として限界でありそんな生活は続けられない、それでコロナウィルスをばらまいて人間を分散して生活させる
そういう働きがあったのかとなる

私の場合は常にこうした文明とか都会生活の逆に志向してきた、それで秘境を求めて来たのが自分だったのである
そうして大地とか森とか山とか岩石とかと精神的に一体化する、アイディンティティ化すること追及して来た
そういう文明否定をアウトサイダーはニーチェとか上野霄里氏とか他にも現代ではまともな人間ならそうなる、東京のような所に生きられ人は人間でもないとなるからだ
そこでもう生態系として生物として人間でありえない状態になっていたからである

いづれにしろどうしてもこの世に起きることはいくら科学が発達しても科学者が神のようになっても解明されていないのである
科学者が神のように何でも解明していると見ている、でも解明されていないのである
だからコロナウィルスというのもいろいろ言うがそれが何なのか解明されない、未知のものなのである、未知の侵入者なのである
つまりこの世には未知なものがまだまだあるし永遠にこの世界は解明できない
未知の世界である、全能の神のみがすべてを知っている
だから何らか神からの働きがこの世に人間界に起きる
それは不可解な不思議なものとして起きる
そういうことはなくならないのである、つまり絶対に人間はこの世のことを自然界を解明できないからである
だから科学者でも専門家でも何か解決してくれる、ワクチンができるとか言う
でもまた未知のウィルスが生れて同じ繰り返しになる

ではどうすればいいのか?神に祈って助かるのか?

実際は助かる道はそれしかない、なぜなら聖書ではノワの箱舟とかソドム、ゴムラから救出した、神に滅ぼされる前に救出した、つまりこの世が滅ぶことは定められている
しかし神の子とされたものは最後の日に救出されるからである
だからこれからも文明が滅びるような空恐ろしいことが起きる
人間は神に罰せられる、その一つがコロナウィルスであり未知の侵入者なのである

もはやこれだけ科学が発達したから未知なものはないということが傲慢なのである
人間はまだまだ未知の世界に生きている、その未知は永遠に解明されないのである
一つの未知が解決してもまた新たな未知が生まれる、そういう繰り返しであり科学者も実際は絶望しているのである
人間の限界を感じているのである

posted by 老鶯 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

抽象画の修正(rivised abstract painting )


抽象画の修正(rivised abstract painting )

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ソフトの使い方を学ぶことが抽象画に熟達する
それは絵の才能がなくてもソフトを使いこなす技量でできる
それがコンピュターから生まれた芸術でありその他でもそうである
つまりコンピュター時代はソフトの操作を覚えることが大事になる
なぜなら私の抽象画は全く心にイメージしたものを描いたわけではない
コンピュターが作りだしたものをソフトで加工しただけだからである

ここで膨張させて柱を太くしたら見栄えが良くなったのである
立体性を現すことができたのである
これもソフトの操作を覚えたからできたのである


Learning how to use software masters abstract painting
It can be done with the skill of using software without the talent of drawing
That's the art of computer, and so on.
In other words, it is important to learn how to operate software in the computer age.
Because my abstract painting wasn't exactly what I imagined
Because it's just the software created by the computer.

If you inflate it and make the pillar thicker, it looks better.
It was possible to show the three-dimensionality.
This was also possible because I learned how to operate the software.

2020年05月06日

コロナウィルスで問われたもの (投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)


コロナウィルスで問われたもの

(投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)

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私が株とかリーととか始めたのは別に詳しいからではない、地銀の人が来てすすめたからである、全くの素人だから地銀の人がプロだということでまかせたのである
私にはまず時間がないからいちいち株のことを見ていられないからである
そこで投資とは分散投資だということを教えられた
この考え方は正しかった
それでUSリートとカナダの国債を買った、また8年前のリーマンショックで半分になった株をもっていた、その株が元にもどったとき今度はJ=REITにその株を売って回したのである、そのように別にそのままにしていいのでも転売するのはその時手数料が大きくなるからだ、3パーセントとかなれば額が多ければそうなる

結局カナダ国債が急激に下落した、石油が下がったからである
その時は石油の値段が高かったからだ、だからこんなに今も下がっていることに驚く
とにかく投資は分散投資が正しいとしてもその地銀の営業の人はそれを守らなかったのである

それでJ=REITを一月に売った、それは先を見込んだためではない、

その分散投資をすすめた地銀の人が信用できなくなったからだ!

そしたらJ-reitが暴落したのである、それは一重に地銀の営業が信用できなくなったことで売ったことでそうなった
つまり人が何でも媒介するから人を信用するかしないかが大事になる
もちろんそこにはリスクがあるからその人の責任が全部負うことはない
でもも自らのノルマを果たすために株が上がっていたのに売ったのが最大の失敗だった
それ以来地銀の人は信用できないとなった
そもそも地銀とかがアメリカの危険な金融商品に何兆とかつぎ込んでそれで大損になると言われる、つまり地銀でもゆうちょでも農林中金でも投資のことがわかっていないのである
まず投資のことをわかることは容易ではないからだ
ただわかりやすいのは分散投資なのである
それは今でも金とか銀とか外貨とかいろいろ分散投資して財産を守れというときそうである

この財産を守る分散投資の基本があらゆることに通じてしいる
一極集中が危険なのである、グロ−バル経済でもいかに中国に投資して工場でも移転して部品でも製造していたらその部品は建築関係でも入らなくなった,トイレも入らずに困っている、それは中国にあらゆるものが集中しすぎたからである
つまりABCDEF....とかあるときAだけに集中することは危険になる
もしAがだめならBでしのごうとかCがあればそこでしのごうとかなる
それが分散投資でリスクを回避することである

この分散投資というときコロナウィルスでわかったようにいかに東京のような一局集中が危険だったかである、それは名古屋市とか大阪とか福岡とか人口密集地帯からウィルスが拡散したことでもわかる
大都会に人口が集中することが危険だった、もし分散していればこうはならなかった
それで有利だったのがニュージランドとか台湾とかニカラグアとか即時にロックダウンできる閉鎖できる国だったのである
中国でも欧米でも大陸としてつながっているからそれができない、またヨ−ロッパもEUになり人の行き来が自由になったからできなかった
そしてコロナウィルスではやはり青森とか九州なら鹿児島とか辺鄙な地域は感染者が少ないのである

またグロ−バル経済がコロナウィルスでその危険性が露見したのは食料でも自国優先で輸出しないとなったのは外国はいざというときは自国優先であてにならないということである
だから基本的なものは自国で自給しているのが安全だとなる
それは常に私がグロ−バル経済批判でしてきたことである
グロ−バル経済とはまず天の理とか地の利とか人の和とかに合わないのである
グロ−バル経済は人の和を作る、貿易で世界が協力するように見えたが実際は今回のコロナウィルスでわかったように危険があれば自国優先になる

とするとまず自国で食料でも基本的なものは自給できる体制を作っておくことがリスクに備えることができる
自国にあるものをまず活かすことである、そうしたことは日本では江戸時代300年で経験しているのである
そもそも貨幣の成り立ちが実は外国から輸入する、贅沢品を輸入することから生まれたのである
貨幣の字が貝だというとき宝が貝だというとき宝貝が貨幣の起源だというときそうである貝は何か食料になるわけでもない、ただ珍しいものとして収集するだけである
だから貝が貨幣になることはそれは別にそれで腹の足しになるわけではなかったのであるだから実質の経済に貨幣が重要というのではなく贅沢品だったのである

いづれにしろ経済は自給自足が基本にあり国内でもまた大都会中心に人口でも密集することは危険なことがわかった、あらゆるものが東京中心になることは危険だったのである
つまり田舎のように田畑がありそこで食料があると意識する、地元から食料が供給されると自覚する環境である
森があり木材でも燃料でも供給されるという安心感をもつ生活である
百万都市江戸でも自給都市だった、回りは農村であり肥料として糞尿をくみ取りにきていたのである
回りは農村地帯でありそこから食料が供給されていたのである

第一野菜など生ものであり遠くから運べないからである、それで練馬大根とかがブランド品が作られたとなる、それはまた人口が多いから売れたからである
都会が近いことは野菜でも売れる、うまいものをそれで作る、改良が行われるからである浪江の農家の人は野菜を作り元の今のいわき市の平に野菜を売り子供三人を大学まで出したとなる、都市の近辺は農家でも需要があるから金持ちになる
でも江戸というとき運べる範囲にありかなり狭いのである
江戸前寿司とかあってもすぐ近くで新鮮なものがとれるから江戸湾でとれた魚で寿司が作れたからそうなっていたのである、冷凍庫もなければそうなるのである

ただ現代になると村落とはなりえない、それなりに広い地域の自給自足経済になる
東北ブロックとか九州ブロックとか広くなるが日本全国にはなりえない
そこで自給自足経済を作る、大都市には人口を集中させないようにする
分散型都市であり自給自足経済なのである、もちろん工業でも自給自足的工業になる
中国にかたよった経済が生産が危険なことを知ったからである

コロナウィルスでは悪いことばかり報道されるがこれを契機に社会が変わる
それは必ずしも悪いことばかりではない、地方に人が逆流する、それで地方が活性化することがありうるかもしれない、それをみんな感じたからである
地方には土地が余っているし空家も膨大である
原発避難区域など空家だらけであり土地は草ぼうぼうであり誰も利用していないからだ
そしたらそういう資産が無料だともなるからだ

コロナウィルスで見直すことはいろいろある、まずグロ−バル経済のリスクである
それから資本主義というのももともと限界に来ていたからこれも見直される
その思想自体が限界にきていた、どちらかというと新たな共同の世界が模索される
それが具体化されないにしても地域分散型経済の方向に向かうことは確かである
そもそも天の理というか人間というものを考える時とてもグロ−バル経済の論理は成り立たない
一体物が地球の裏側からでも入ってくるとしてもそこに住んでいる人間と情的なつながりはもてない、ある程度情的なつながりでも文化的つながりでもアイディンティティをもてるのは一定の狭い範囲である
グロ−バル経済ではそれができない、人間の情と物が分離する世界である
それは別に世界でなくても国内でも現実の文明社会でどこでも起きている
物と心の分離が起きて人間疎外が起きている、それは別にマルクスでも現代では思想家が指摘してきたことなのである

その例としてその人は東京に住んでいて金だけを要求する、一切離れて住んでいる自分が病気になろうが何になろうが金しか求めてこない、金の関係しかないのである
それはこちらにも責任があるから責められてもしょうがない
でもそういう関係が親戚でも成り立つのかとなる
「金だけは送れ」あとはあなたが何になろうと関係ありませんという人間関係が成り立つのだろうか?
それで遠くの親戚より近くの隣人が頼りになるとなる、近くだったら何がなくても一応駆けつけることができるからだ
だから今回のコロナウィルスでも世界の人々が国同士が助け合うということはなかった
食料でも自国優先になり輸出はしないとなったからだ
かえって中国ではコロナウィルスの危機に日本が混乱しているから好機だとして軍事力で侵犯している、別に協力するということはないのである
コロナウィルスではそういう自国のエゴがかえってむきだしになった
そしてマスクすら自国で生産できていないリスクも浮き彫りにされたのである
今近くの仕立て屋でマスクを作っているが高いのである
要するにこうして高いにしろ近くが緊急の時は頼りになるということである

posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年05月05日

人生の経験が宝になる (老後は金だけではない過去の経験が宝となる)


人生の経験が宝になる

(老後は金だけではない過去の経験が宝となる)

人生百年時代になるとどうしても老後をどう過ごすかが問題になる
金も問題だがないのも困るが何か財産というときみんな金だと思っている
つまり金の多寡でその人をみる

でもその人の人生で経験したことが実は財産になっている
その経験が多様であり人によって違っている
だから老人は経験を語る、そこに何かしらの教訓が必ず含まれている
それですでに30近くでyoutubeでFラン大学に6年間いて底辺に落ちた人が語る
つまりそれも経験なのである
自分も何か30歳までこの人と似ていたから共感する
つまりいかに大学でも勉強しないかということで後悔している
ただどんな優秀な人でも人生を後悔しない人はいない
結局人間は時間を必ず無駄にしている、時間の貴重さがわからないのである
そして老人になるともう経験する時間が無くなっているのだ
だから老人は経験したことが宝になる

だから話で面白いのと若い人より老人だとなる、どんな経験したのかと注目する
特に外国で生活していた同世代の人には驚く、アメリカとかで良く生活できた、仕事できたと経験しない人はみる、それも15年もである
他にも外国で生活している人が日本を語る時、説得力がある
日本でしか生活していないものは視野が狭くなるからだ

みんな宝は金だと思っている、でも人生で残るものは何なのか?
それはその人が経験してきたことでありそれが宝なのである
自分の場合は旅したことが財産となっていた
そんなの遊びじゃないか何かそれで伝えるものがあるのか?
それはある、私が常に地理を語っているのは日本全国だと隈なく旅している
それも鉄道で最初はしていたが後で40頃から自転車で旅していた
それでより地理を体で知るということができた
だから今になるとあそこを旅したなとかその場面を思い出すのである

もちろん読書も有効に時間を費やすものとしてある、でも百聞は一見にしかずになる
特に外国だとそうなる、これはいくら本読んでも一回旅した人にはかなわないし
また外国に住んで生活した人の差が大きすぎるのである
外国で生活した人は肌で外国を知る、本をいくら読んでも何か外国だけはわからないからだ、地理からして全く理解できないのである
それで50過ぎてバックパッカーで外国を旅行したことが外国を知ることになり良かったとなる、その後は介護とかで全く旅行できなくなったからである

あらゆるものが経験があって理解できる、例えば教育にしても教える子供前にしてこそ
教育をどうするか、どうしたら効果的に教えられるか理解するようになる
それも実際に子供を前にして教えてみないとわからないから教育実習というのが大事になる
また医者でも研修生がいて実際に医療にたずさわらる経験をしないかぎりいくら大学で勉強していてもわからないとなる、つまりそれも経験なのである

手術がうまい人は手術をより多く経験した人である

手術は経験しない限り上達しない、だからどれくらいの手術の経験があるからでその医者の力量が図られる
それで医者は手術がしたいというとき手術を経験しないと上達しないからである
手術の回数で手術の力量が計られるのである

つまり知識をいくら貯えてもそうした経験がないといい教師にはなれないのである
そこに失敗とかもあるがその積み重ねで教えるコツがわかる
自分の場合はそれできなかった、経験を積むことができなかったから後悔しているとなる

ただ正直人間の経験することがわずかである、だからどうしても複雑多様な社会の理解に欠ける、職業でも理解できないのはそもそも経験できないからである
私にちょっとその仕事をやらせてもらいますかとはならない、仕事は危険でもあるし絶対にそんなふうにしてやることができないのである
それで駅でボランティアした経験でも駅がどういうものか鉄道がどういうものか多少知ったのである、そうしたわずかのことでも経験がいかに人間にとって大事かわかる
ただ残念なことはその経験する時間があまりにも短すぎるし極わずかのことしか経験できないことである
正直自分には会社勤めもしないから何か社会性が欠けていた、結婚もしないとなれば何か人間として根本的な経験を欠けたものとなっていた
つまり女性でも子育てしない人は母親のことを理解できないともなるからだ

人間を作るのは経験である、宗教とか信仰も経験がないとわからない、聖書を隅から隅まで読んでも経験がないと理解できない
別に聖書を読まなくても理解できるし信仰を知ることができる
第一聖書では何か起きたこと事実として起きたことを一番重視している
単なる哲学でもない、思想でもない、現実に起きたことを書き記したのである
そこに奇跡もあるがそれも事実だったから書き記したのである
単なる知識ではない、現実に起きた事実でありそれは奇跡でも事実だから記したのであるすべて事実として起きたことを記したのである
つまり経験されたことであり想像された世界ではない、そこに重みがある

本質的に人間は経験しない限り学べない、何か本当に辛い経験をしないかぎり「悲しむ者は幸いなり」とか理解することは不可能である
キリストの言葉でも現実に苦しむことがないかぎり理解できない
ただ本をだけを読んでも理解できないのである
だから聖書を全く読まなくても経験したことで理解できるのである
でも隅から隅まで読んでも理解できないのである 
それは教会に行ってもそうである、経験しないことをいくら説教されても理解できないからである

経験という時例えば宇宙旅行した人としない人の差がもう信じられないほど大きい
宇宙から地球を見る経験した人はどうなるのか?
それをしている人としない人の差がどれだけ大きいかそのことで経験がいかに人間を作るかをしる
つまり宇宙から地球を見たら世界観が変わってしまうからだ
それは外国旅行でもわかる、ヒマラヤとか一回でも見た人は魅せられてしまうだろう
私は一回しか見ていないからそれも後悔している
仕事でもそうだしあらゆることが経験することなのである
本をいくら読んでも外国のことがわからない、それがいかに経験が大事かを物語っている
そして老人はその経験をふりかえる、経験が宝になる、例えばもしヒマラヤ登山を経験した人としない人の世界観も違ってくる
つまりなぜエベレス登山で死んでいる人が多いのか、それだけ魅せられてしまったということである
3000メートルから8000メートルの山を見たとき本当に日本では経験しえない驚きだった
ただその時曇っていたのではっきり見えなかったから残念だったのである

いづれにしろ人間を作るのは経験であり老人はその経験を語るのである
その語ることが面白いということがあればその老人は価値ある経験をしたとなる
だから戦争を経験した人は死ぬ直前まで戦争のことを語っていた
それだけあまりにもありえない強烈な経験となって忘れることができなかったのである
戦争などはいくら聞いても実際に経験しないかぎり理解できないものだからである
戦争を経験した人は生涯忘れられないのである  

とにかく歴史でもそうだが今回のコロナウィルスでも時代に起きた経験でありやはりこの後そのことを語っても経験しない人はなかなか理解できなくなる
それで私は一身上でも家族の認知症とか自分の病気とか他者から責められたとか様々な経験をして理解した
津浪や原発事故でもそうである、これも避難民になったとかなれば経験である
それを批判したりしたがその人たちにとって経験したことはまた違っている
ただ津波だけは恐怖だった、村ごとすべて消失するなどイメージすらできなかったからだこういう経験はなかなかできない、でも何百年に一回とかこんな恐ろしいことが世の中には起きるのだ、その起きたことが歴史である
ウィルスでも日本でもコレラとかで大きな被害があったからかつて経験されたことなのである、ただ忘れていたというだけである
歴史はそもそもそうして人間が経験したことを書き記したものである
その物語がhi-storyになった、つまり人間個人にしても一生はhistoryなのである
つまり経験されたことでありそれを語ったものなのである


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経営でも投資でも経験しないとわからない、いくら本を読んでも話聞いても実際にしてみなければわからない
つまり自ら経験しないかぎり理解することは不可能である
あらゆるものが経験なのである、経験しない限り何か上達する身につくことはないのである





2020年05月04日

コロナウィルスの感染者数は大都市圏から拡散 (地理と深い関係がある)


コロナウィルスの感染者数は大都市圏から拡散

(地理と深い関係がある)

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江戸時代の福島県の会津のコレラの伝染径路から考察した
すると会津若松中心に拡散した、そこが交通の要だからそうなった
意外だったのは田島の方へは会津若松の城のある所から拡散した
大内宿があり栃木県の方へ行く街道である、ここは深い山の道でありそれもかなり高い
不便な道である
一方新潟県からは日本海側から阿賀野川とか交通路があり北前船も通っていたから交通が頻繁だった、また白河街道でも会津若松に人と物流があった

そして桧枝岐(ひのえまた)はその時閉ざされた秘境になっていた
米も食べられず蕎麦が主食でありヤモリを焼いて燻製にしたりして貧しい地域だった
最近は尾瀬の観光の入り口として豊かになったのである
そんなところだからコレラは全く伝染しなかった
伝染病は交通が盛んな場所から必ず拡散してゆく
人から人へと伝染するのだから当然だとなる
桧枝岐は全く人の行き来がないのだから伝染しようがないのである

飛脚が運んだはやり風邪

こういうことが言われたのも飛脚は遠くへ移動するからである
人がウィルスを運ぶからである

感染者の数を見ても明確である、大都市圏から拡散してゆく
一時は青森とか秋田に感染者が出たので驚いたが秋田は仙台市から移動した人が感染させたのである、青森でも東京から移動した人が感染させたとかある
新幹線で今は行けるから拡散したのかと見た
でもその後は秋田とか青森は少ない、増えないのである
そして謎は岩手県だけが感染者が出ていないのが不思議である

このコロナウィルスの伝染地域を見ると何か地理で見ると大都市圏から拡散していることは明確である
名古屋からなぜ岐阜県などが多いのか?
それは名古屋から岐阜県の白川郷とかに通じしている、名古屋市から拡散するのである
名古屋市から白川郷まで自転車で行ったことがあるからだ

それからどうして石川県とか富山県とかに多いのか?
これもここは大坂と京都とかと交通があり結ばれている
大坂京都圏内に入るということで増えたのかともみる
つまりウィルスは交通と深く関係しているのである
今回は沖縄と北海道は別である、そこは中国人観光客が多く来た場所だからである

だから最初の内、なぜ茨城県に感染者が出ず増えないのかともみた
その後はやはり東京に近いのだから増えたのである

それは確実に地理から予測できた

どの地域に感染者が増えるかはウィルスは予測できる、安全な地域は大都市圏から離れた地域である

だからこそ

大都市をロックダウンする、都市封鎖する

これが必要であり外国ではそうしたのである
そしてニカラグアとか台湾とかニュージランドでは国自体を閉鎖したから伝染を防げたのである
もう大国はこの感染を防ぐことは不可能であった
ガバナンスもできない、それで関所があった江戸時代なら関所を閉ざして閉鎖して守ることができたとなる
それでも江戸時代でもコレラが蔓延したのである
だから関所となるとそんなもの不便だとなり効用がないとなってなくしたがそれなりの効用があった、ウィルスに関しては効用があったとなる

いづれにしろ社会を見る時必ず地理が関係してくる、地理を知らないと理解できないことが多いのである、外国が理解できないのは基本的に地理が理解できないからである
例えば福島県の地理を理解するだけで大変になる
福島県はハマ、ナカ、アイヅとありそこで風土も違っている、とても風土的地勢からして全く別な地域になっているからだ

例えば棚倉があるがあそこは水戸街道があり水戸と通じている
でもあの地域は古代ではヤマトタケルの伝説があるように蝦夷軍と大和王権軍が戦った場所である、だから古い場所なのである、つまりそこが蝦夷の地域に入る東北に入る入り口だったのである、白河の関所があるがそれより古い東北の入り口だった

ともかくウィルスの伝染は江戸時代のコレラでも交通と深く関係していたのである
だからグロ−バル化すると交通が発達すると瞬時にウィルスが世界中に広がった
つまりグロ−バル化と交通の発達がウィルスには弱かったのである
もう飛行機で同時間に結ばれているのだから発見したときは時遅しになり伝染がグロ−バルに拡散していた
それは情報が瞬時に同時間に世界を駆け巡ると同じである
マクルハーンの言うように世界が村となった、ウィルスでも情報でも瞬時に同時間にグロ−バルに拡散して感染するのである    

もう地理の障壁がインパウンドになっりバウンドがないからである
それがコロナウィルスでinbound⇒boundに逆行したのである
これも何か過度なグロ−バル化が世界で公害とかいろいろ問題が起こしているからその歯止のためなのかとも見る、神の働きなのかとも見てしまうのである
そもそもなぜウィルスが生まれたのか?
それを探ればboundしていた世界を破るinboundになりオーバーになった、限度を越えた
聖なるサンクチャリーでずかずかと入りすぎて本来の生態系を乱したからウィルスがそこから出てきて感染したともされるからだ

要するに人間にタブーというものがなくなったのである
あらゆることでタブーを破ることが文明だった、科学技術でもそうである
原子力で核を故意に破壊したりすることは危険だと科学者さえ言っていた
遺伝子操作も危険だとしてもそれも金儲けのためなら何でもするとかなる
経済が優先される、だからウィルスとは何なのか?
それは津浪と同じように自然作用であり自然を乱したものへの人間の攻撃なのかとまでなる
人間はいくら科学が発達しても未知なものがありそれは解明できない
神の領域というものがある、そこにかまわず侵入してゆく、そこに災いがもたらされるのである
posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月03日

コロナウィルスでダウンサイズ化する (江戸時代への回帰かー社会の変化の対応が迫られる)


コロナウィルスでダウンサイズ化する

(江戸時代への回帰かー社会の変化の対応が迫られる)

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コロナウィルスのキーワードとなるものがダウンサイズのような気がする
本当に驚くのはあらゆるものがダウンサイズする
交通を見て鉄道をみて驚くのは人が乗っていない、スーパーヒタチがせっかく今年になって運行されたのに乗客がほとんどない、だから鉄道好きだから写真をとった
でもその中に人が乗っていないのである
鉄道がこんなになるとは信じられないとなる
他でも空港もがらあきであり運休している
観光は大打撃である、観光公害までなり騒いでいたのが昨日のことだった
それがどこも観光地ががら空きになっている驚きである
一体これは何なのだろうとまた理解できなくなる
これはこの辺で原発事故でゴーストタウンになったことと似ている
新宿の歌舞伎町とかでも歓楽街でもゴーストタウンのようになっている

アフターコロナの世界がどうなるのか?

そのキーワードはダウンサイズという言葉である
あらゆるものがダウンサイズ化する、交通でもグロ−バル化だと世界に自由に行き来する拡散であり拡大である、それで世界からインパウンドとなり日本でも京都とかで観光公害になった、それが今ばったりとその人が一瞬にして消えたのだから驚く
インバウンドとはバウンドしていることを否定することである

境界,限界(内); 立ち入り許可区域.
限度,範囲; 境界線,限界.

このバウンドを否定してグロ−バル化したのが現代の世界だった
境界を破る、限度を越えるのがグロ−バル化である
地理的物理的バウンドを破る、越えることがグロ−バル化だったのである
コロナウィルスで起きたことはこの逆行である
バウンドを再び作ることなのである、ウィルスが入らないように境界を自ら作ることなのである、関所でも作ることなのである
そこで検査をして感染を防ぐことなのである
つまりバウンドを取り去ることからバウンドを再び作ることを強いられたのである

だから江戸時代の回帰なのとなるとき、江戸時代なら関所があり地域で自由に人でも物でも行き来できない、狭い範囲で自給自足の村で生活していたのである
それは経済的には貧しいものとなるがそれでも人間は生活して来た
もしかしたらそうした生活が本来の人間の生活でありグロ−バル化経済というのは異常なことだったとアウターコロナでふりかえることになるかもしれない

何か一番目に見えて現象が顕著なのが交通関係だからである
グロ−バル化広域化とは交通の発達があったからこそできた、鉄道であれ飛行機であれ自動車であれ交通の発達があってインパウンドが境界を越えることができたからだ
それができなくさせたのがコロナウィルスである
ただ交通に関しては自動車は依然として重要なインフラとして機能している
物流を支えるものとして自動車はより活用されている、ただ自動車にしても自粛となれば相当に減ってかえって空気が汚染されず大気汚染がなくなり空がきれいになったとなる
それだけグロ−バル化とか広域社会とかは交通に頼る社会だったからである

アフターコロナというとき前の社会には戻れないというとき、それは明らかに時代が変わる、ただそれがどういう社会なのかは急激に変わるからイメージできないのである
また対応もできないのである、つまり社会構造が変わるのだからその変化が余りにも劇的でありそれでイメージできないのである
戦後の焼野原のように茫然としてたたずむというまでにはなっていないにしろそうした急激な大きな変化には対応できないのが人間である

ただ津波とか原発事故を経験したからそういうことがあるのだとこの辺では意識しているただこうして日本全国とか世界同時に大変化するのとは違っていた
震災とか原発事故では局所的でありそれでその傷口を全国でカバーすれば回復するとなっていた、でも今回は全国であり世界的になると回復することは簡単にできないのである
だから新しい生活様式にしろとか新しい時代の社会を構築して適応しろとかいう
でもそれが何なのかもう一つ明確ではない、ただテレワークとかはその一つだろう
でもこれは前からそうしろと言われてきた、それがこの際現実化したということである

また鉄道にしても常に車社会になり乗る人が少ない、ローカル線はみな赤字だとかされていた、それがコロナウィルスでこうして鉄道はさらに利用しない
これも信じられない変化である、常磐線のスーパーヒタチは恰好いいので写真をとったが人が乗っていない
その写真をとった場所は実は津波で田んぼが草原化した場所である
だからこれもなんともいえぬ変化なのである

原発事故以後は常磐線は双葉とか大熊間不通になっていた
それで仙台が下がりで東京方面が上りとなっていたが仙台へ向かうことで上りという感覚になっていた、なぜなら東京は上りでも常磐線では東京に直接行けなくなっていたからだとにかく交通関係はもう鉄道でもバスでも飛行機でも利用者が激減した

これからどうなるのか?

これは簡単に回復しない、インパウンド⇒パウンド社会にもどる、それはあらゆる面でダウンサイズすることである
交通でもそうだし生活そのものが倹約とかになりリサイクルとか大量生産とか消費がなくなる、江戸時代のようなリサイクル時代の復帰となる
江戸時代にはならないにしろ感覚的にダウンサイズしたバウンドした縮小社会に戻るとういうことである
だから資本主義自体がすでに金余りで投資する先がなくなり銀行も用なくなるとかでつぶれとか言われた
それがさらに極端化してゆく社会になる
あらゆるものがダウンサイズする、芸能人とかスポーツとか何かエンタメとか興業でも
いらないとなる、三密だから危険だとしてできなくなる
何か無駄が省かれる社会になる、ならざるをえない、だから娯楽的なものは真っ先に切られとなる

そしてコロナウィルスで一番不利なのは東京とか大都会だった、そこは常に三密の世界でありそれか。さけられないからウィルスの蔓延を止めることができない
そしてその周辺に拡散してゆく、南相馬市でも東京のライブハウスに行った人から感染したからである
だから東京とかその周辺の人口過剰密集地帯は危険であり非難される場所となった
交通の発達でそこからの人の流れが止めることができないからである
コロナウィルスに強かったのは小国で隔離されたような国だった
ニュージランドとか台湾とかまたニカラグアは小国であり国境をいち早く閉鎖した
閉鎖できたから感染者を抑えることができた、つまりその地図をみると細長く回りが海であり閉鎖しやすい地形にあった
これがメキシコとか大きくなると国境自体長いのだから閉鎖できないのである

ともかくヨ−ロッパの中世だと内に籠もる闇黒時代と言われたし江戸時代でも鎖国でそうであるでもそこにもメリットがあった、日本はその狭い国土でも平地が少ない資源がない国土でも節約して工夫して自然を活かして生きてきたからである
江戸時代が実は日本の骨格を作ったとされる、日本が日本がになったのは江戸時代だと言われるからだ、江戸時代300年が日本を作ったとされるからだ

つまり日本は再び江戸時代ではないにしろ歴史が逆戻りする
それで前から国風文化の時代だと時分は主張してきて表現してきたのである
グロ−バル化も批判してきたのである
それがコロナウィルスでそういう時代に具体的に変化してゆくことまではイメージできなかった
人間はとても未来をイメージできない、世界は未来は誰も予測できないことが起きる
ある程度イメージしても実際の世界は驚くべきものでありそうなってみないとわからないこの辺でそれが津波とか原発事故で経験してきたのである

だから自粛でゴーストタウンになったことは経験している、見ているから同じことが起きたのかと見た、だから何かカルマというのはどこかで起きたことが別な場所でも起きる
地理的に制約がなくカルマとして起きて来るのかともみる
第一津波でもそうだか過去にもありただ忘れていただけなのである
伝染病でも実際は百年前に明治にもコレラが蔓延して苦しんだ   

  とりわけ長崎や横浜のようなコレラがひどい猛威をふるった場所では、住人10,000人に対し61人の死者が出て、致死率は80%にのぼった。
男性の患者数は女性の3倍に及んでいる(男性 10,214:女性 3,496)」
場所によっては致死率8割超え。「コロリ」とあだ名されたその恐ろしさが、決して大げさではなかったことを物語っています

江戸時代の末期と明治時代にコレラが猛威をふるった、どっちも十万人死んだ
人口が少ない時代だから割合としては多い
男性と女性の割合で女性が少ない、今回のコロナウィルスでもそうである
女性の割合はこの割合のように少ないのである
女性は強いというとき子孫を残させるために女性は弱いようでも病気の耐性が男性より強いのかもしれない、子孫を残し種を保存するために女性をウィルスに強くしているのかもしれない、それは神の働きとしてそうなっているのかとなる 

とにかくアフターコロナのキーワードはダウンサイズである、それは交通でもそうだしあらゆるところで起きて来る、そうしなければ生きていけなくなる
だから江戸時代の逆行現象が起きて来る、大量生産消費とかではない
あらそるもののダウンサイズであり無駄を省き自国にあるものを活かして生きる社会である、もちろん外国と貿易がなくなるということではない
でも現実に外国から食料すら入らなくなるかもしれない、バナナすらそうらしい
自国優先になり食料でも自給自足の方向に向かうほかないからである

・・・・・・・・・・・


高齢化社会の価値観 (高度成長時代の価値観は終わる―節約の時代に)


前に60万人死んだとか書いたが実際は江戸時代のコレラでも十万にであり明治でも十万人だった、
でも人口比からすると多くなる


posted by 老鶯 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

福島県浜通りの津神社はツノガノアラシトの跡 (蝦夷は出雲族であり伽耶(かや)と連合した)


福島県浜通りの津神社はツノガノアラシトの跡

(蝦夷は出雲族であり伽耶(かや)と連合した)

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原町区雫(しどけ)の津神社


「出雲の国譲り」のあと、畿内から遠い九州あるいは東北方面に逃れた。
東北に安住した者は蝦夷(えみし)と呼ばれ、九州に安住した人は隼人(はやと)と呼ばれるようになった。
だから東北に暮らす我々は、蝦夷の末裔ということになる。

大国主命に従っていた国つ神たち、つまり日本の先住民はの首領たちは、出雲を追われてどこに行ったのか?
長野の諏訪神社の御神体は蛇=竜だ。
諏訪大社に祀られている建御名方神(たけみなかたのかみ)は大国主の子で、国譲りを迫る天照の使者建御雷(たけみかずち)と力競べをして敗れ諏訪へ逃げた。 のちに様々な祟りをなしたので、朝廷は大和に三輪神社{大神神社)を建立する。


坂上田村麻呂が東夷征伐の勅命をうけて進軍してきた際、苕野神社にて戦勝を祈願し、無事近隣の山を支配下に置く賊徒を平定した後に、神恩への報賽として神殿を建てたという
苕野神社は往古は請戸地区の沖にあった「苕野小島」という島に鎮座していた。その後、波浪などで島が崩壊したため、現在の鎮座地に遷座したという。また、2011年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震により、浪江町の沿岸部は津波の被害を受けた。海のそばに鎮座する苕野神社も社殿がすべて流出、前宮司の家族も犠牲となった

末続駅の末続も渡来人の跡か? (地名に残した渡来人の跡ーツノガノアラシトの跡)

これを前に考察した、それで図に書き加えた、これだけ一連ものとしてつながりがあったことは明確である
草野神社もそうである、鹿島区の大内村の薬師堂は元は坂上田村麻呂由来である
諏訪神社系統ももともと出雲であり蝦夷というとき出雲でありそれが建御雷(たけみかづち)の戦いで神ゆずりしたとされる
鹿島神社はそこに由来している
そして鹿島区の海老はエヒであり蝦夷のことである、その蝦夷と戦ったのが物部であり
御刀神社があそこに祀られたのはそのためである、なぜなら海老村をにらむ地点にあったからである、第一刀神社とは刀をそこに突き刺したことに由来しているから刀で征服したということである

それで問題は原町の萱浜である、もともとカイハマといっていた
そのカイとは北海道の名の起こりが北海(ほっかい)であるがアイヌはカイと呼ばれていたのである、また甲斐はアイヌに由来するのか?
なぜかここのカイが武田信玄と関係づけられているのもなぜだろうとなる
そのカイがカヤとなったのはなぜなのか?
そこで真野の草原(かやはら)のことで探求し続けたのが自分だった

ここで気になったのが浪江の苕野神社(くさの)神社がもともとは草の小島という場所にありそれがは波浪で流されたという時、それは津波のことなのか?
そして今回も請戸の宮司が津波に流されて死んだのである
鹿島の烏崎の津神社も津波で流された、あれはもともと高い場所にあった
それが低い場所に移された
また原町の雫〈しどけ)の津神社も高い奥まった所にあった、あんなに高い所にあるのも不思議である
そして相馬市の松川浦の津神社(つのみつ)は辛うじて津波から逃れた
そこに逃げれば津波から助かるという伝承があったという
でもすれすれだったのである
もともと神社は低い場所にない、なぜなら日本の低い場所は湿地帯だったからである
今回も海岸地帯は湿地帯となった、田んぼが湿地帯になったのである

ともかく図にしたこの浜通り一体はツノガノアラシトの進出した跡である
砂鉄を求めて進出した跡である、それが地名化したというとき先住民の蝦夷が住んでいたとしてもそれが大和朝廷の全国征服で歴史から消された、でも神社とか地名は残っていたでもその由来がわからなくなった、伽耶国のツノガノアラシトが関係していたとしても
伽耶自体が歴史で不明となったからである
ただ伽耶は日本と密接な関係にあった、天皇が伽耶国に由来しているいう時もそうである
そしてもう一つ朝鮮半島の突端の伽耶国が照葉樹林帯の中に入っていたのである
つまりこの照葉樹林帯は温暖な風土から生まれた地帯として文化があった
朝鮮半島は大陸であり寒い系統にあるがその突端の伽耶国は比較的温暖だから照葉樹林帯の中に辛うじて入っていた
常盤(ときわ)とか常葉(とこは)というとき常に緑をたたえた常緑の森なのである

初発神社の境内は、スダシイが主となる自然林です。スダシイは暖かい地方に生えるブナ科の植物で、この場所はスダシイの北限の地として知られています。
多珂神社の隣にある神社である、それと並んで綿津見神社がある
これは安曇族などの神であり海洋民の神である、ここも照葉樹林帯文化に属する人たちがここに移住してきてその人たちの神を祭ったのである   



2020年05月02日

夏の日に小高まで(萱浜の雫の津神社の不思議-写真)


夏の日に小高まで(萱浜の雫の津神社の不思議-写真
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クリック拡大 萱浜の菜の花

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津神社と11面観音

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ここは海がすぐ近くにあるのに津波にも残っていた

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小高神社
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クリック拡大

小高の海の方は田んぼが草原になっている

ここは馬を放つ、牧場にするのもいいと見た

北海道のように広いからである



復興やスーパーヒタチに夏の山

農家の庭までタンポポ入り咲きぬ

社一つ氏子の名前落椿

根の残る津神社にそ落椿

根っこにそ休めば涼し海の風

夏雲雀草原に鳴き沖に船

夏の海船の霞みて沖を行く


タンポポの綿毛や飛ばむ草原をスーパーヒタチの朝に行くかな

桜散る後に咲きにし紫のつつじや小高神社を我がたずぬ


まず塩崎の津波の後の草原でスーパーヒタチが来るのを待って写真をとった
いい写真をとるには場所が大事である、その場所が地元だとわかるのだが遠くに行くとわからなくなる
今はカメラが欠かせない、なぜならこうして毎日プログを書いているからだ
これが意外と手間であり疲れる、自分の場合、同じなのだけど二つのプログにアップしているのが手間なのである、これは成り行きでこうなったのであり変えられない

萱浜に菜の花が一面に咲いていた、何か子供が遊ぶ迷路がある
あそこも津波が来て人も死んだ場所であるが9年も過ぎた
でも不思議なのは津神社と11面観音とある御堂はなぜ残ったのか?
もうそこは海に近いし津浪に襲われたらひとたまりもない、御堂が流されたはずである
でもあの御堂は残ったのか?新しいものではない、それが不思議である

津神社とはツノ神社でありもともと雫(しどけ)の高い奥深い所にあったのを移した
それは烏崎でももともと高い所にあったのを下の平地に移した
だからもともと高い所にあり津浪が来ても流されない場所にあったとなる
なにしろ雫の津神社は高くて奥深い場所にあるからだ
この津神社はツノ神社でありツノガノアラシトが由来の渡来人を祭っている
ツノガノアラシトとは伽耶王国の王子であり日本がからここに来たのは鉄をとるためだった、砂鉄を求めて鉄を作るためだった、そういう技術者であった
松川浦のツノミツ神社もツノガノアラシト系の神社である
浜通りにはそういう系統が実に多いのである
それが先であり11面観音は泉にもありそこから移したて一緒に祀られたとなる

何かその御堂には杉の木とか津波の後にも残っていて椿が落ちていた
そして氏子の名前が書いてある板があった
ただ萱浜というと越中からの移民などか多い場所だともされている
だから人をみさば新しい場所だともなる、でも古代からの歴史がここにもある
それがこの御堂であり社なのである
だから何ともその切られた木の根っこがなんともいえず重々しい、根が長く大地になお
張っていたのである

それから小高に行き神社に回った、桜は終わり紫のツツジが咲いていた
これが似合っていた、何か紫は高貴な感じがするからである
はなまるガーデンに咲いていたのはペトリウムとか言った 

小高は海から駅まで津波に襲われたままの状態で草原になっている、それはスーパーヒタチの写真をとったようにやはり塩崎は草原になったままである
ただ小高は原町や鹿島と違って全体的には復興しない、何か空家が多く淋しいのである
今日は店でもみんな閉まっていた、コロナウィルスの自粛で閉まっていた
だから余計に淋しさを感じたともなる

何か小高の海岸の草原化した場所には馬を放つ、牧場にしたらいいのかとも思った
あのままではもったいないからである、海岸には野馬橋とかありあそこは小高から野馬を引き連れて雲雀が原まで来た道なのである
小高城は最初に相馬氏が築いた城であり由緒ある場所である
そして野馬掛け行事がある古い野馬追い発祥の地なのである

今日はとにかく暑かったから夏である、でもこのマウテンバイクは軽快に走るから気持ちいいのである、だからまだ遠くに行きたくなった
ただ去年は春に暑くて熱中症になったから怖い、ただいろいろあって体力的にも気力も落ちた、また回復したら最後の自転車の旅をしたいともなる
ただ今のマウンテンバイクではできない、荷台がないからである
荷台のある同じタイプのがヤマハからでている、ただこれ30万以上するから高いから問題である
いづれにしろ自分はもう今度旅するとなると最後になると思う
でも今は自粛だからできないとなるのが残念である





夏の日(スーパヒタチの写真)

夏の日(スーパヒタチの写真)

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クリック拡大

タンポポの綿毛や飛ばむ草原をスーパーヒタチの朝に行くかな

多すぎる大学(コロナウィルスで淘汰されても仕方がないのか―文系と理系の問題)


多すぎる大学(コロナウィルスで淘汰されても仕方がないのか―文系と理系の問題)


782校で私立大学は603校です

河合塾が出しているBF大学だけ見ても500校以上。日東駒専の偏差値以下と定義していますので520校ぐらいは行くのではないでしょうか?

私立大学には助成金が支払われます。平成30年では支払われたのでしょうか?

答えは平成30年度で約2727億円です*2。大学によって支払われるお金は違いますが平均して約45億円貰っています。有名大学のことを考慮しても1000億はFランク大学に支払われているのではないでしょうか?

1000億だとして、このお金でどれだけの本当に学びたい学生に投資できるのでしょうか?Fランク大学で遊び呆けている大学生より有意義に使うと思いますし、優秀になると思いますよ?

では、私立大学が何のために助成金を使っているか想像できますか?

学びたい学生や教授の研究設備の増強ですか?遊びたい学生用の設備の増強ですか?それとも、経営者の私腹の為ですか?

多分、Fランク大学になるほど後者だと思うんですけどね。実際、官僚等の役人の天下り先に私立大学がありますし

以上のことからFランク大学はこれからの日本にとっても邪魔でしかならないと考えています

大学というときどうしても理系と文系との差が大きすぎることである
理系のFランでも文系の上位の慶応とか早稲田とか国立でも何か優秀に思える
この差は数学ができるかできないかで最初に生まれている
要するに数学の能力というのが実は能力のバロメーターになっていると思う
だいたい学習能力は数学でつまづいている、数学嫌いか好きかで別れる
だからFランの理系だと最低の数学の素養がないとそもそも授業にもついていけないだろう
たから文系の自分は文系自体がみんな同じように見える
ただもしかしたら経済学があるとしてそこに統計分析がありそこで数学を使う、微分積分などを使うとするとそこに理系の知識が必要になりそれができるとなれば文系であっても理系の知識をこなせるとなれば違ったものとなる
つまり理系の知識があってこそ評価されるとなる

自衛隊とかでも理系が多い、有名な髭の隊長の国会議員は化学部隊だから理系だったのである、自衛隊は様々な機械を使うし技術系だから理系なのである
だからコロナウィルスでも専門家として発言している
社会に出たとき社会を構成しているのは理系と文系がある
原発事故でわかったことは東電の専門家集団は理系である、放射線とか原子力のこと核を知っているのは理系である
だから事故が起きたとき理系の専門家がまず発言する
ただ御用学者は低放射線は体にいいも発言して顰蹙をかった

そして文系となると政治家であり官僚でありマスコミとかなる
こういう人たちは文系であり科学的知識に欠けている、それはコロナウィルスでも同じだったのである
まずコロナウィルスでも感染学の専門家が意見を言う、それに政治家が従うという構図は原発事故とにていたのである
専門家会議が開かれてその意見を聞く、ただ判断して決めるのは政治家なのである
だから専門知識がない文系の人が判断するということで疑問になる

でも専門家が科学技術者がすべてを判断できるのか?

それができない、科学が技術がすべてを決することはできない、そこに社会があり生身の人間が生きているからだ
経済でもそこに生身の人間が生きている、物として経済的単位として数字としてすべて扱うわけにはいない

だから30キロ内で区切りゴーストタウンにしたのか?

そのことが疑問になる、そこに何か科学的根拠があったのかとなると定かではない
ただ便宜的に30キロ内は補償する、後は政府ではしないとして決めた
それで30キロ内は10年過ぎても医療費が無料なのである
でも30キロをはずれたら鹿島区は同じ南相馬市でも

半年で医療費無料は打ち切られた!

これは別に放射線量とかで科学的判断したのではない、政府では便宜的に30キロで線引きして後は補償しないためにそうしただけなのである
これは理不尽なのだけど南相馬市の市政では何の対策もしていなかった
なぜなら原町区と小高区で30キロ内で補償金をもらえばいいとなったからである
ただまた20キロでも区切られていたし伊達市とか他でも放射線量で補償金の差がありもめたのである

それは科学的根拠とは関係なかった、政治的判断だった!

このようにすべてが科学で判断されないのである、それでも地球は回っているという
ガリレオの言はカトリックの司祭が権力をもっていた、宗教と政治が一体化して権力をもっていたから科学的真理であっても否定されたのである

つまりこうして宗教的でも政治でもその判断は文系がしているとなる
第一大学というときそれは仏教なら僧侶集団から生まれたしキリスト教団からイスラムでも神学が基本として生まれた、だからもともと文系から始まったのが大学なのである
そこに医学が組み入れられた、医学というのは仏教でも最初は医学がその中にあった
なぜならそもそも人間は感染病でも病気に悩まされてきたからである
それが深刻だから当然宗教でも医学が起きる、ただ祈るだけではだめだと薬草とかを飲ませるようになるからである
会津でなぜあれだけ古代から仏教が盛んになったかというと病気を治すために寺が建立されたのである、つまりもともと様々な病気と宗教は結びついていた
病気になったら祈るほかないとになっていたからだ
それで腰が痛いとか耳が悪いとか目が悪いとか何か体が悪くなるとその悪い病気に効く地蔵に祈っていたのである

ともかく大学というとき文系大学がいらないというとき科学社会になったからである
科学技術の効用があうまりにも大きくなったためである
すべてが科学技術で計られるから科学者が技術者が神官となりかつての宗教者の威光は仏教でもキリスト教でも失ったのである
第一イタリアでは牧師でもコロナウィルスに感染して死んでいるからだ
神に祈っていたらそんなことにならないともなるからだ
するともしコロナウィルスのワクチンを作り直すとなるとその人がそんな牧師とか僧侶より神の如く崇められるのである、現実になぜ医者がこれほど尊敬されているのかをみればわかる、病気を治してくれるからそれだけ尊敬されるのである
何か牧師とか僧侶は役立たずの無駄飯喰らいのようにしか今は見られないのである
ただ何か訳の分からないお経を唱えているだけだとなる
でももしそのお経を唱えて病気を直せば今の医者のように崇められるのである

いづれにしろ理系と文系の問題はコロナウィルスでも起きている
専門家からすればもっと警戒して自粛する、経済活動を止めているべきだとなる
ただ一方でこのままではもたない、倒産する会社も増えて失業してそのために自殺する人が増える、そうなるとコロナウィルスで死ぬ人と自殺とか経済的活動をきめたために苦しむ人を計りにかけたら経済活動を再開すべきだとなる
それは外国ですでに起きている、つまり専門家の意見があっても政治家が経済活動を再開するように踏み切るべきだとなる
それは政治家の判断であり専門家の判断ではないのである
だから何でも科学技術社会でも理系の論理がすべて決めることではない

最終的判断をするのは誰なのか?

専門家なのか、政治家なのか?

結局政治家だとなる、その政治家は文系なのである、阿部首相は成蹊大学だからである
そして民主党の時、菅首相は東工大であり理系であり原発事故の時陣頭指揮をとったが
それが成功したとはならなかった、現場を混乱させたとかとも言われる
まだ鳩山由紀夫は東大の理系であり宇宙人として揶揄されて何か政治家として評価されなかった、でも民主党のときトップが理系だったのである
だから必ずしもトップが指導者にふさわしいともならない
経営者でも理系でも必ずしも指導力が発揮できていないのである

結局理系でも原子核とか細胞の一つを仔細に探求するのと社会そのものを見るのとは相当に違っている、だから必ずしも原子核がわかっていてもコロナウィルスがわかるとしても社会の問題として解決することはまた違っていてそれは文系の分野だともなる
ただこれは理系文系に別れる問題ではなく総合的な問題としてある
でもどう判断するかはむずかしい

人命を優先すべきだ⇒コロナウィルスに感染しないことを第一とする

         ⇒経済活動を再開して自殺者を出さない
         
どっちも人命を優先することに変わりないのである、コロナウィルス対策で自粛をつづける、
経済活動を停止させているとそのために死ぬ人もでてくるからだ
その判断をどうするのか?それは理系だけではなできない、それは原発事故でも起きた
放射線の被害をあまりにも恐れるためにゴーストタウンにしてもう回復しないようしたからである、それは科学者が専門家がそうさせたのである
ただそこには根拠があるから従わざる得なかった
しかし自治体の村の歴史とかアイディンティティの場を失った被害も余りにも大きかったのであるそれはコロナウィルスでもその判断が迫られている

どっちを優先するのか?

ゴーストタウンにするよりは経済活動を止めて大量の失業者を出して社会が混乱して
治安も悪くなりその被害の方が大きくなることの方が問題ともなる
だからもう一か月が限度でありそれ以上をつづけたら経済でも死んで社会自体が維持できなくなりコロナウィルスで死ぬより経済の死で死ぬ人でも社会自体がゴーストタウンになる恐怖の方が怖いのである

第一原発事故のように手厚い補償はできないから路頭に迷う人も出てくるからだ
原発事故では本当に手厚い補償金が出たから何とか収めることができたからだ
今回はそうはいかない、国全体が混乱して犠牲者が出て外国のように暴動でも起きる
失業者が行き場をなくして犯罪者になってアナキーのような状態になる
戦争状態のようになるかもしれない、その時安定している上級国民にも及んでくる
米騒動のように襲われるようにもなるから怖いのである
ただこういうふうに社会が混乱する時、下剋上のようになり下のものが這い上がり上の者の富を奪って成り上がったりする

ペストではかえって下級階層が上流階級が死んだのでその富を労せずして得たのである
それて豪華な貴族の衣服を着たりしていたという、土地だって無料で手に入ったということである何かそういう逆転が起きてくるかもしれない
時代が大きく変化するとき上下が逆転したりするからである
不要不急というけどコロナウィルスで力をもつようになるのは戦後の焼野原と同じように農家だいうのもそうである、食料が一番大事になるからである
そういう逆転が大きな変化がコロナウィルスで起きるのか、それで新しい社会がまた生まれるのか、それだけの影響がコロナウィルスにあったとしたら驚きだったとなる

何かいろいろな問題が噴出している、大学をアルバイトの収入がなくなりつづけられずやめるとか言う学生もででいる、2割くらいでている、それだけ大学でも数が多いからである、そもそもFラン級の大学に奨学金で借金して入ること自体おかしなことである
国立の理系ならわかるがそんな価値がFラン級大学にあるのかとなるからだ
コロナウィルスの不思議は何か無駄なものが淘汰してゆく、飲食点とか風俗とか歓楽街とかは密になる場だから避けられるしつぶれた方がいいというのもそうである
そんなものなくてなっても社会は維持できるとかなる
社会にとって不可欠なものは何かをコロナウィルスによって決められる、無駄なものはこの際、淘汰すべきだとなる、それがFランとかあまりに増えた文系の私立大学なのである
自分もそうだったからあまり言いたくないがそういう者でも社会に効用があるとは思うがやはり余りにも増えすぎたということである

自分の時はFラン大学はなかった、日東駒専が最低クラスだったろう
それに自分も入っていたのである、でも自分の時代は第一大学に入る人が中学だとクラスだと50人いて5名くらだから少なかった、後は中卒で集団就職の時代だったのである
その後大学が300くらいから800までに増えて半分が大学に入る時代になったのである
その差も大きいのである、だから小学校の学力もない学生もいるとかなる
ただ自分も高校でも卒業できないような学力だったからきついことは言えないのである
自分の場合は大学を出てから相当に勉強した、もともと自分は自ら考える傾向があった
それで暗記だけの教育にはなじめなかった

学ぶとは何なのか?

考える力を身につけることである

これは思考脳とかyoutubeで言う人がいたがまさにそれである
自ら考えることのために学問がある、自ら考えない人間は理系でも文系でもその人は誰かの支配者でも奴隷になるのである
宗教でもカルト団体でも奴隷にされるのである、オウムでは理系の優秀な人が道を誤ったのはなぜなのか?

自ら考える力がなかったからである

そのことが人生を無駄にして死刑になりあえなくその才能も活かされず死んだのである
そのことは肝に銘ずべきだとなる

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2020年05月01日

コロナウィルスが起きた原因 (グローバル経済で統制ができないからー経済と人間の乖離)


コロナウィルスが起きた原因

(グローバル経済で統制ができないからー経済と人間の乖離)


コロナウィルスが同時間に世界に拡散したのはグロ−バルに世界が結ばれるようになったからである
それを象徴していたのがいろいろ研究者に言われるから定かではない
でも最初中国人が入ってきてそれで日本人が免疫ができたとかその後に欧米から人が入ってきて感染者が増えた、そして日本人が感染しているのは変異したヨ−ロッパ型とういのも複雑である
それがいかにグロ−バル化しているかを物語っている
世界がもう瞬時に交わる世界になるとそのように拡散する
だからグロ−バル社会はウィルスには本当に弱いものだったことが判明した

これが一時代前だったらそんなに世界に拡散しない、ヨ−ロッパのペストにしても三分の一が死んだとしても世界的には広がらない
今なら世界にたちまち広がる、そうなると空恐ろしいとなる
ペストでもヨ−ロッパ内に留められたのである
今までなら世界中に広がることはなかなかありえない、ただ江戸末期にコレラは日本にも広がり70万人死んだとかある
その時代でも伝染病は世界に広がるものをもっていた
ただ世界中が同時に瞬時に広がるということはありえなかった

コロナウィルスに強かったのは小国である、台湾とか香港とかニュージランドとかまた今のところわからないがスエーデンでも免疫をつけるようにして普通に経済活動をしているこれらの小国がこうしてウィルスの封じ込めに成功したというときなぜなのか?
それは小国であり台湾とかニュージランドは島国である
すると水際作戦とかを徹底するとかできた、つまり小国なるがゆえに統制できる
社会のガバナンスが統治がしやすいのである
これがアメリカとか中国とかになるともう国が大きすぎて統治できなくなる
ヨ−ロッパでもEUという一つの国境なき連合国となりアメリカのようになるとき統治しにくくなる、それでヨ−ロッパとアメリカはたちまち拡散したのである          
日本は比較的まだ広がらないのは良くわからないにしても島国でありそれで防げているのかともなる、ただ日本は島国でも一億以上あるから他の小国とは違う
それで今の所は判断がつかないのである

だからこのコロナウィルスは現代社会の一見いい面としてグロ−バル化があった
でもそれが実はウィルスには弱かった、その原因が社会にあったともなる
今回のコロナウィルスはこうしたグロ−バル化した社会を問うものとなったのだ
人間はそもそも国として一体感をもてるのは国が自然と一体化して血肉となりアイディンティティ化できるのは大きな範囲ではない、会津は会津峰の国をさ遠み・・・という万葉集の歌で東北では国として認定された唯一の国である
国(くに)という範囲がやはり一体感をもてるものとなる
ただ県となるとこれは明治に無理やりに政治的行政的なものとして区割りされたから一体感がもてない、福島県をみればわかる、ハマ、ナカ、アイヅと分かれて地理も風土もちがっているからだ、会津のように冬は雪に埋もれてしまう世界と浜通りのように雪が冬でもほとんど降らない世界ではまるで違ったものなのである
つまり会津は浜通りからしたら理解できない風土に生きているのである

ともかくグロ−バル化社会というのは何か無理があった、人間的に無理があった
人間というものがどういうものか無視してモノでもヒトでも自由に流通できるものとして生まれたのである、結果的にマスクにしても自国で生産していないから世界で中国頼りになったとか緊急時には自国にないとかなる
それは食料でも自国中心になり輸出が禁じられるようになる
もし緊急事態になれば本当はグロ−バル化社会でも世界が協力するとなれば別だが実際は自国中心主義にならざるをえないのである
外国でも文化の交流とかならいい、でも日本でワインを飲みまた外国に日本酒を輸出するそういうことが果たしていいものなのか?
食べ物でも世界中のものを食べることはいいように見える、一面は言える
でも料理はその国の風土から歴史から生まれている、日本の地域地域からも生れている
だから日本料理は日本の風土にあって旬なものを追及するとかある
そして外国料理でも何でも食べるということに疑問なのである
牛肉でもなぜこんなに日本人が食べるようになったのか?、それは体質的に合わないともみる、そして狂牛病もイギリスで牛を媒介として起きたし日本でも起きた
牛肉を食べる習慣は日本にはもともとなかった、ところが世界中であらゆるものを食べるようになった結果として特に家畜類とか動物経由で伝染病が広がったのである

いづれにしろ何かグロ−バル化とかまた日本の中でさえアイディンティティを失った
地域的な国としてのアイディンティティを失った
まず東京となると巨大なメガシティであり自然と乖離した非人間的怪物都市となる
だからコロナウィルスには弱かった、都市封鎖をするような状態になった
東京中心にウィルスが拡散されるからである
そしてそもそもウィルス問題の前に東京とかなるとそこは自然と乖離した統制できない
社会である、一千万都市ともなるともう統制できない、統治できない
そしてそういう大都市はウィルスでもそうだが災害に脆弱である

だから今回のコロナウィルスでわかったようにパニックになってしまう
だから人間がまともに暮らすには統治できるのはアイディンティティをもてるのは国なら小国であり地方都市であるとなる
東京があまりにも巨大化した結果として地方も歪めたのである
そもそも地方都市を充実して地方に拡散した方が国土を利用するにはいいのである
ただ田舎に分散するとしても一万とかの田舎では無理である
どうしても4,5万の都市の規模がないところでは文化的生活は不可能なのである
だから田舎に移り住んだ方がいいというとき限界集落のような所ではない
そんな極端な変化には人間は耐えられないのである

自分はそういう地方で芸術などでもアイディンティティを追求してきたのである
国というとき自然と調和した国である、もちろんそこに工業もあってもいいが東京とか川崎とかなるともうそこは国とは言えない、国とはそこが生き死ぬ場所としてのアイディンティティをもつ場所である
人間が生きるということは経済的単位ではない、全人間としての意味をもつものとして生きる、それに値するものとして生きる場が必要なのである
コロナウィルスの不思議は何かそういうことを問うものとなりまた具体的にそのように人間社会を見なおして生きるように具体的にすすめるということがある
人間的な本来の生活に回帰させるという働きがあることで不思議だとなる

つまり全部が悪く働くとも思えない、確かに一時的には混乱して犠牲がでたり混乱があるでもその後に社会が変えられてより人間的なまともな社会が生まれるのかともみる
それだけの変化をさせるというのも神の働きなのかとまでなる
ともかく人間は人間だけでは改革できない、そこに外圧とか易姓革命があることをつくづく感じる、原発がとめられたのも津波だったし「安全神話」を打ち砕いたのも津波でありか自然災害だった、安全神話の悪は権力者が既得権者が結託して作られていたのである
それは強固だからとても人間だけでは暴かれることがなかった
でも自然災害がそれを暴いたとなるからだ、だから人間社会は人間だけによってすべて動くものではない、自然が神の働きが作用しているともなる
ウィルスは謎でもやはり一つの生命体でありそれと共存しなければならないというときもそうである
何か人間側に問題がありそれが蔓延しているともなるからだ

posted by 老鶯 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層