2020年05月03日

コロナウィルスでダウンサイズ化する (江戸時代への回帰かー社会の変化の対応が迫られる)


コロナウィルスでダウンサイズ化する

(江戸時代への回帰かー社会の変化の対応が迫られる)

downsize1.jpg

コロナウィルスのキーワードとなるものがダウンサイズのような気がする
本当に驚くのはあらゆるものがダウンサイズする
交通を見て鉄道をみて驚くのは人が乗っていない、スーパーヒタチがせっかく今年になって運行されたのに乗客がほとんどない、だから鉄道好きだから写真をとった
でもその中に人が乗っていないのである
鉄道がこんなになるとは信じられないとなる
他でも空港もがらあきであり運休している
観光は大打撃である、観光公害までなり騒いでいたのが昨日のことだった
それがどこも観光地ががら空きになっている驚きである
一体これは何なのだろうとまた理解できなくなる
これはこの辺で原発事故でゴーストタウンになったことと似ている
新宿の歌舞伎町とかでも歓楽街でもゴーストタウンのようになっている

アフターコロナの世界がどうなるのか?

そのキーワードはダウンサイズという言葉である
あらゆるものがダウンサイズ化する、交通でもグロ−バル化だと世界に自由に行き来する拡散であり拡大である、それで世界からインパウンドとなり日本でも京都とかで観光公害になった、それが今ばったりとその人が一瞬にして消えたのだから驚く
インバウンドとはバウンドしていることを否定することである

境界,限界(内); 立ち入り許可区域.
限度,範囲; 境界線,限界.

このバウンドを否定してグロ−バル化したのが現代の世界だった
境界を破る、限度を越えるのがグロ−バル化である
地理的物理的バウンドを破る、越えることがグロ−バル化だったのである
コロナウィルスで起きたことはこの逆行である
バウンドを再び作ることなのである、ウィルスが入らないように境界を自ら作ることなのである、関所でも作ることなのである
そこで検査をして感染を防ぐことなのである
つまりバウンドを取り去ることからバウンドを再び作ることを強いられたのである

だから江戸時代の回帰なのとなるとき、江戸時代なら関所があり地域で自由に人でも物でも行き来できない、狭い範囲で自給自足の村で生活していたのである
それは経済的には貧しいものとなるがそれでも人間は生活して来た
もしかしたらそうした生活が本来の人間の生活でありグロ−バル化経済というのは異常なことだったとアウターコロナでふりかえることになるかもしれない

何か一番目に見えて現象が顕著なのが交通関係だからである
グロ−バル化広域化とは交通の発達があったからこそできた、鉄道であれ飛行機であれ自動車であれ交通の発達があってインパウンドが境界を越えることができたからだ
それができなくさせたのがコロナウィルスである
ただ交通に関しては自動車は依然として重要なインフラとして機能している
物流を支えるものとして自動車はより活用されている、ただ自動車にしても自粛となれば相当に減ってかえって空気が汚染されず大気汚染がなくなり空がきれいになったとなる
それだけグロ−バル化とか広域社会とかは交通に頼る社会だったからである

アフターコロナというとき前の社会には戻れないというとき、それは明らかに時代が変わる、ただそれがどういう社会なのかは急激に変わるからイメージできないのである
また対応もできないのである、つまり社会構造が変わるのだからその変化が余りにも劇的でありそれでイメージできないのである
戦後の焼野原のように茫然としてたたずむというまでにはなっていないにしろそうした急激な大きな変化には対応できないのが人間である

ただ津波とか原発事故を経験したからそういうことがあるのだとこの辺では意識しているただこうして日本全国とか世界同時に大変化するのとは違っていた
震災とか原発事故では局所的でありそれでその傷口を全国でカバーすれば回復するとなっていた、でも今回は全国であり世界的になると回復することは簡単にできないのである
だから新しい生活様式にしろとか新しい時代の社会を構築して適応しろとかいう
でもそれが何なのかもう一つ明確ではない、ただテレワークとかはその一つだろう
でもこれは前からそうしろと言われてきた、それがこの際現実化したということである

また鉄道にしても常に車社会になり乗る人が少ない、ローカル線はみな赤字だとかされていた、それがコロナウィルスでこうして鉄道はさらに利用しない
これも信じられない変化である、常磐線のスーパーヒタチは恰好いいので写真をとったが人が乗っていない
その写真をとった場所は実は津波で田んぼが草原化した場所である
だからこれもなんともいえぬ変化なのである

原発事故以後は常磐線は双葉とか大熊間不通になっていた
それで仙台が下がりで東京方面が上りとなっていたが仙台へ向かうことで上りという感覚になっていた、なぜなら東京は上りでも常磐線では東京に直接行けなくなっていたからだとにかく交通関係はもう鉄道でもバスでも飛行機でも利用者が激減した

これからどうなるのか?

これは簡単に回復しない、インパウンド⇒パウンド社会にもどる、それはあらゆる面でダウンサイズすることである
交通でもそうだし生活そのものが倹約とかになりリサイクルとか大量生産とか消費がなくなる、江戸時代のようなリサイクル時代の復帰となる
江戸時代にはならないにしろ感覚的にダウンサイズしたバウンドした縮小社会に戻るとういうことである
だから資本主義自体がすでに金余りで投資する先がなくなり銀行も用なくなるとかでつぶれとか言われた
それがさらに極端化してゆく社会になる
あらゆるものがダウンサイズする、芸能人とかスポーツとか何かエンタメとか興業でも
いらないとなる、三密だから危険だとしてできなくなる
何か無駄が省かれる社会になる、ならざるをえない、だから娯楽的なものは真っ先に切られとなる

そしてコロナウィルスで一番不利なのは東京とか大都会だった、そこは常に三密の世界でありそれか。さけられないからウィルスの蔓延を止めることができない
そしてその周辺に拡散してゆく、南相馬市でも東京のライブハウスに行った人から感染したからである
だから東京とかその周辺の人口過剰密集地帯は危険であり非難される場所となった
交通の発達でそこからの人の流れが止めることができないからである
コロナウィルスに強かったのは小国で隔離されたような国だった
ニュージランドとか台湾とかまたニカラグアは小国であり国境をいち早く閉鎖した
閉鎖できたから感染者を抑えることができた、つまりその地図をみると細長く回りが海であり閉鎖しやすい地形にあった
これがメキシコとか大きくなると国境自体長いのだから閉鎖できないのである

ともかくヨ−ロッパの中世だと内に籠もる闇黒時代と言われたし江戸時代でも鎖国でそうであるでもそこにもメリットがあった、日本はその狭い国土でも平地が少ない資源がない国土でも節約して工夫して自然を活かして生きてきたからである
江戸時代が実は日本の骨格を作ったとされる、日本が日本がになったのは江戸時代だと言われるからだ、江戸時代300年が日本を作ったとされるからだ

つまり日本は再び江戸時代ではないにしろ歴史が逆戻りする
それで前から国風文化の時代だと時分は主張してきて表現してきたのである
グロ−バル化も批判してきたのである
それがコロナウィルスでそういう時代に具体的に変化してゆくことまではイメージできなかった
人間はとても未来をイメージできない、世界は未来は誰も予測できないことが起きる
ある程度イメージしても実際の世界は驚くべきものでありそうなってみないとわからないこの辺でそれが津波とか原発事故で経験してきたのである

だから自粛でゴーストタウンになったことは経験している、見ているから同じことが起きたのかと見た、だから何かカルマというのはどこかで起きたことが別な場所でも起きる
地理的に制約がなくカルマとして起きて来るのかともみる
第一津波でもそうだか過去にもありただ忘れていただけなのである
伝染病でも実際は百年前に明治にもコレラが蔓延して苦しんだ   

  とりわけ長崎や横浜のようなコレラがひどい猛威をふるった場所では、住人10,000人に対し61人の死者が出て、致死率は80%にのぼった。
男性の患者数は女性の3倍に及んでいる(男性 10,214:女性 3,496)」
場所によっては致死率8割超え。「コロリ」とあだ名されたその恐ろしさが、決して大げさではなかったことを物語っています

江戸時代の末期と明治時代にコレラが猛威をふるった、どっちも十万人死んだ
人口が少ない時代だから割合としては多い
男性と女性の割合で女性が少ない、今回のコロナウィルスでもそうである
女性の割合はこの割合のように少ないのである
女性は強いというとき子孫を残させるために女性は弱いようでも病気の耐性が男性より強いのかもしれない、子孫を残し種を保存するために女性をウィルスに強くしているのかもしれない、それは神の働きとしてそうなっているのかとなる 

とにかくアフターコロナのキーワードはダウンサイズである、それは交通でもそうだしあらゆるところで起きて来る、そうしなければ生きていけなくなる
だから江戸時代の逆行現象が起きて来る、大量生産消費とかではない
あらそるもののダウンサイズであり無駄を省き自国にあるものを活かして生きる社会である、もちろん外国と貿易がなくなるということではない
でも現実に外国から食料すら入らなくなるかもしれない、バナナすらそうらしい
自国優先になり食料でも自給自足の方向に向かうほかないからである

・・・・・・・・・・・


高齢化社会の価値観 (高度成長時代の価値観は終わる―節約の時代に)


前に60万人死んだとか書いたが実際は江戸時代のコレラでも十万にであり明治でも十万人だった、
でも人口比からすると多くなる


posted by 老鶯 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

福島県浜通りの津神社はツノガノアラシトの跡 (蝦夷は出雲族であり伽耶(かや)と連合した)


福島県浜通りの津神社はツノガノアラシトの跡

(蝦夷は出雲族であり伽耶(かや)と連合した)

tunoganoarashito11.jpg

tujinjyaaa3.jpg
原町区雫(しどけ)の津神社


「出雲の国譲り」のあと、畿内から遠い九州あるいは東北方面に逃れた。
東北に安住した者は蝦夷(えみし)と呼ばれ、九州に安住した人は隼人(はやと)と呼ばれるようになった。
だから東北に暮らす我々は、蝦夷の末裔ということになる。

大国主命に従っていた国つ神たち、つまり日本の先住民はの首領たちは、出雲を追われてどこに行ったのか?
長野の諏訪神社の御神体は蛇=竜だ。
諏訪大社に祀られている建御名方神(たけみなかたのかみ)は大国主の子で、国譲りを迫る天照の使者建御雷(たけみかずち)と力競べをして敗れ諏訪へ逃げた。 のちに様々な祟りをなしたので、朝廷は大和に三輪神社{大神神社)を建立する。


坂上田村麻呂が東夷征伐の勅命をうけて進軍してきた際、苕野神社にて戦勝を祈願し、無事近隣の山を支配下に置く賊徒を平定した後に、神恩への報賽として神殿を建てたという
苕野神社は往古は請戸地区の沖にあった「苕野小島」という島に鎮座していた。その後、波浪などで島が崩壊したため、現在の鎮座地に遷座したという。また、2011年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震により、浪江町の沿岸部は津波の被害を受けた。海のそばに鎮座する苕野神社も社殿がすべて流出、前宮司の家族も犠牲となった

末続駅の末続も渡来人の跡か? (地名に残した渡来人の跡ーツノガノアラシトの跡)

これを前に考察した、それで図に書き加えた、これだけ一連ものとしてつながりがあったことは明確である
草野神社もそうである、鹿島区の大内村の薬師堂は元は坂上田村麻呂由来である
諏訪神社系統ももともと出雲であり蝦夷というとき出雲でありそれが建御雷(たけみかづち)の戦いで神ゆずりしたとされる
鹿島神社はそこに由来している
そして鹿島区の海老はエヒであり蝦夷のことである、その蝦夷と戦ったのが物部であり
御刀神社があそこに祀られたのはそのためである、なぜなら海老村をにらむ地点にあったからである、第一刀神社とは刀をそこに突き刺したことに由来しているから刀で征服したということである

それで問題は原町の萱浜である、もともとカイハマといっていた
そのカイとは北海道の名の起こりが北海(ほっかい)であるがアイヌはカイと呼ばれていたのである、また甲斐はアイヌに由来するのか?
なぜかここのカイが武田信玄と関係づけられているのもなぜだろうとなる
そのカイがカヤとなったのはなぜなのか?
そこで真野の草原(かやはら)のことで探求し続けたのが自分だった

ここで気になったのが浪江の苕野神社(くさの)神社がもともとは草の小島という場所にありそれがは波浪で流されたという時、それは津波のことなのか?
そして今回も請戸の宮司が津波に流されて死んだのである
鹿島の烏崎の津神社も津波で流された、あれはもともと高い場所にあった
それが低い場所に移された
また原町の雫〈しどけ)の津神社も高い奥まった所にあった、あんなに高い所にあるのも不思議である
そして相馬市の松川浦の津神社(つのみつ)は辛うじて津波から逃れた
そこに逃げれば津波から助かるという伝承があったという
でもすれすれだったのである
もともと神社は低い場所にない、なぜなら日本の低い場所は湿地帯だったからである
今回も海岸地帯は湿地帯となった、田んぼが湿地帯になったのである

ともかく図にしたこの浜通り一体はツノガノアラシトの進出した跡である
砂鉄を求めて進出した跡である、それが地名化したというとき先住民の蝦夷が住んでいたとしてもそれが大和朝廷の全国征服で歴史から消された、でも神社とか地名は残っていたでもその由来がわからなくなった、伽耶国のツノガノアラシトが関係していたとしても
伽耶自体が歴史で不明となったからである
ただ伽耶は日本と密接な関係にあった、天皇が伽耶国に由来しているいう時もそうである
そしてもう一つ朝鮮半島の突端の伽耶国が照葉樹林帯の中に入っていたのである
つまりこの照葉樹林帯は温暖な風土から生まれた地帯として文化があった
朝鮮半島は大陸であり寒い系統にあるがその突端の伽耶国は比較的温暖だから照葉樹林帯の中に辛うじて入っていた
常盤(ときわ)とか常葉(とこは)というとき常に緑をたたえた常緑の森なのである

初発神社の境内は、スダシイが主となる自然林です。スダシイは暖かい地方に生えるブナ科の植物で、この場所はスダシイの北限の地として知られています。
多珂神社の隣にある神社である、それと並んで綿津見神社がある
これは安曇族などの神であり海洋民の神である、ここも照葉樹林帯文化に属する人たちがここに移住してきてその人たちの神を祭ったのである