2020年06月09日

アメリカの暴動の次は日本か? (日本の貧困化で治安も悪化する)


アメリカの暴動の次は日本か?    

(日本の貧困化と治安も悪化する)

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アメリカの暴動の原因は何なのか?それは簡単に黒人差別とも言えないようだ
暴動に参加したのはアジア系とかアフリカ系とかが入り混じっていた
黒人を殺した白人の警察官はアジア系の女性と結婚していた
これも複雑である、アメリカは人種の坩堝である
黒人差別の根はもともと深く解決していない、そして最近はヒスパニック系が多い
スペイン語であり英語が通じないとてしいる
そうなるとコミ二ケーションするのが困難になる
言葉自体通じないのだからそこからして意思疎通がむずかしくなる
だからそんな国がまとめられるのかとなる

様々なモザイクのような人種模様があってそのパズルも複雑であり分解してしまうのではないかともなる、そんな国は何をアイディンティティするのかとなる
そして極端な格差社会であり数パーセントの人が富を独占しているのも異常である
移民がまた多いということでまとめるのが至難になる
人種で相反目して銃で威嚇して不穏な状態になり暴動になる
そこに経済的格差が極端なので不満が金持ちに対してでも爆発する

それは資本主義というのはもともと格差をさけることができないものとしてある
資本主義が勝者を選別して持てるものがますます持てる者になり持てないものはますます貧しくなる、なぜなら資本がもていないからである
資本という時土地でもそうであり金融資本でもそうである
金でも本当に一億もつと株でも何かの投資でも見返りが大きくなる
損することがあっても一億あれば一千万損してもいいやとかなるから余裕なのである
そうして投資すると今回のようにコロナウィルスで職がなくなる人がいてもかえって株が上がってもうかっているのだ
これも社会の矛盾でありゆがんだ社会となっている
つまり道徳なき経済なのである、市場はギャンブル場でありカジノなのである
そこに公平さなどはありえない、もう見えざる神に導かれるのではない
実際は見えざる悪魔に導かれているのが現代のグロ−バル資本主義なのである

こういう社会は真面目にこつこつ働くことが馬鹿らしくなる
一攫千金とか消費だけが目的化する、ギャンブル場では時給いくらで汗水たらして働いていても金にはならない、でも市場のギャンブル場で巨額の金が賭けられてもうける
そこにももう職業倫理もなにもない、そんなふうにして真面目に働いても金は博打場に吸い上げられて下には回ってこないのである
道徳なき経済である、そして金は湯水のように刷られて日銀が株を買いコロナウィルスで苦しんでいる人たちのことなど関係ないのである
株は上がっている、国債とかからの金が株にながれて上がっているとかなる
要するに実態経済とは関係なくマネゲームなのである
そして労働倫理も職業倫理もない、一攫千金を夢見てFXに底辺層は賭ける

ただその資本主義のマルクスが指摘したことで社会主義共産主義国家が生まれたがこれも中国のように共産党幹部が王朝の官吏となり莫大な金を得ているから同じなのである
ただ不満を暴力で抑えている違いがあるだけである
六億人が貧困層だというのも驚きである
その格差もまた大きい、不満が爆発しないのは暴力で抑えているからである

中国の李克強(りこくきょう)首相=写真、新華社・共同=が五月二十八日の記者会見で「中国では六億人の月収が千元(約一万五千円)前後だ」と発言し、中国メディアなどで話題となっている

これが中国の実体なのか・、中国の貧困はもともと生活費が安かった、粥だけで朝食とかで安いのである、日本の十分の一とかだった、10数年前にしてもそうして安く生活できるからいいのである、宿でも百円か何か安く泊まれのである、日本がだったらとても泊まれない、つまり日本では貧困でも金がかかりすぎるのである
貧困用のものがない、みんな富裕層とたいして変わりない生活しかできないのである
第一食べるものでも外食でそんな安いものがないからである

このアメリカの暴動は世界に飛び火する、格差が世界で大きくなったからである
それを是正するにはなにかしらの今回の様な暴動のようなものが起きてしか変わらないともなる
中国は盗賊が王になったごとくである、それすら底辺層は目指すようになる
それが主義とか関係なく権力をとることである
黄巾族とかが宗教でも時の政権に反抗する、カルト宗教団体がそうである
その創価とかカルト教団と自民党が一体になっているのも不似合なのである
なぜなら創価には下級国民が多いからである
自民党は上級国民を相手にしていて旨い汁を吸う政党だからである

だから何かこれからさらなる巨大な変革が起きて来る、格差社会を打ち破るような大きなことが起きて来る、その後に来るのはわからないが資本主義でもない社会主義でもない
何か新しいものがそこから生まれるようになる
日本の貧困化はさらに厳しくなりその人たちがもうアメリカのように暴動を起こすかもしれない、そんなことがないとはいうけど犯罪は増えることは間違えない
追い詰められた人間に善悪などない、明日食べるものがなくなれば襲ってくる
相手のことを考える余裕もないからだ
そういう不穏な危険な時代になっているのだ

ただそうした混乱状態からまた新しい秩序が生まれるかもしれない
格差社会は打破される、フランス革命のようなことが起きるかもしれない
その前に既得権層は貴族がギロチンで殺されたように血祭りにあげられる
そのとき下層民は喜んでいたのである
そういうことがアメリカでも起きて中国でも起きてそして日本でも起きる
日本の貧困化は深刻になっているからだ
このコロナウィルスでさらに貧困化してホームレスなどが増えたりして治安が悪くなる
そういう困窮者が増えれば治安が悪くなる
そして上級国民とか金持ちとかが襲われるのである

だから株でもうけたからいいやとか金持ちが思っているとそうはならない
巷に浮浪者がホームレスがあふれるときその人たち犯罪者になってゆくからだ
それで戦々恐々として生活するようになるからそこに富裕層にしろ貧困層にしろ平和はなくなるのである
若者の不満も大きい、貧困化しているから世代間対立も激しくなりその不満をぶつけるようになる
貧困層とか不満分子が怖いのはもともと資産もは金もないからかえって守るものがないから暴動でも起きて失ってももともとだとなる、ところが富裕層は金でも資産を持つと守りに入る
どうしたら財産を守れのかとなら腐心するのである
それは中国の共産党幹部でも外国に逃げる算段しているし金があっても紙幣が紙切れになることがあり恐怖になる
その金持ちにつけいり財産の保全を説く投資家のコンサルタントが生まれるのである
つまり金持ちは金持ちで決して安泰ではないのである
むしろ格差社会を金持ち自身がなくすようにしないとその危険から逃れることができないのである

ただこうして大きな混乱が起きてその後にまた新しい社会が生れて秩序が生まれるかもしれない、そういうことが人間の歴史の繰り返しでありカルマだったからである
だから津波から原発事故から水害からコロナウィルスからアメリカの黒人暴動からと世界は不穏になり国際関係も大きく変化する
そこで日本はどうするのか、それが今大きく問われているのである


posted by 天華 at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

磯部村の寄木神社の謎(津波の伝説を調べる)


磯部村の寄木神社の謎(津波の伝説を調べる)

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磯部村の寄木神社の石段



今から300百年程前の江戸時代に、浅羽海岸を中心に大津波がおき、海岸周辺の集落は大打撃を受けました。この地方の殿様から、町の人たちを助けるよう命じられた役人が、海岸(現・浅羽町中新田)を歩いていると、神々しい光を放つ木像の観音様が打ち上げられているのを見つけ、拾って帰りました。


ゆめごこちのまま、海岸に流れついた木(こ)っぱの山を見つめていると、その上に、おさないわが子の無事(ぶじ)な姿(すがた)があったのです。そして、その木っぱの下には、一ぴきの大きな亀(かめ)が死んでいました。子どもとともに流されたつまが、亀になってわが子を助けたのでしょう。いつもつまや子どもをだいじにし、いっしょうけんめい仕事にはげむ青年の願(ねが)いを、神様がきいてくださったのでしょう。
 青年は亀をていねいにほうむり、そこに一本の松(まつ)を植えました。

 亀の松(袋井市)これも浅羽海岸の津波の伝説


この神社の名称となっている「寄木」とは、海の彼方に実在すると考えられていた常世(天国・浄土)から、神仏の依代(よりしろ)として流れ着いた霊木のことである。太平洋沿岸には漂着した寄木を祀る神社が特に多く見られる


熱海(あたみ)来宮の七月十六日の例祭に、古来行われていた鹿島踊の記録は、かなり精密なものが『民俗芸術』三の八に報告せられている。附近の幾つかの村のも是に準拠したものか、歌の詞ことばなどは互いによく似ており、俚謡集に出ている次の安房郡ものも大同小異である。


ちはやふる神々をいさめなれば
みろく踊のめでたし
まことやら熱海の浦に
みろく御舟が着いたとよ
ともへには伊勢いせと春日かすがの
中なかは鹿島かしまのおん社やしろ 云々

海上の道 柳田国男


磯部の寄木神社の由来は全国にも共通している、海に囲まれた日本だからこういう物語が生まれた、物語でもそれは実用的なものがあり空想から生まれたのではない
つまり歴史でも伝説でも事実があり人間が生きて経験したことから語られる
全くの空想など小説にもない、そこには何かしら必ず経験されたことが伝えられている

海となると海にまつわるものがあり海彦山彦の物語が生まれる、それは綿津見神社と山津見神社がありそこから安曇族が全国に海を通じて渡ってきて未開の地を開いた物語がある相馬地域に本当に綿津見神社と山津見神社が多いのかそのことが神社として残っていてもそれにまつわる伝承がないのも不思議である
伝説とか伝承とかが歴史の前にある、歴史は文書化するとそれに頼る、その前に伝説と伝承が口碑として伝えられた、それを掘り起こしたのが柳田国男だった

まず寄木神社の由来は海の寄り物がありそれが由来である、木でも海岸に流れ着く
去年の洪水では海岸に木が多く流れ着いたことには驚いた
川からも木は海岸にながれつく、するとその木を炊きものとして燃料として利用する
海にはまたいろいろなものが漂着する、人間すら漂着する
つまり海から來るものが日本に多いのは当然なのである、海に囲まれているから当然そうなり、海のかなたに理想の国がニイラカナがあるという弥勒信仰が起きる

だから寄木から弥勒菩薩が現れてそれが神社の基として祀られるのも自然だとなる
海から福と富がもたらされる、海を伝って異人でも中国からでも韓国からでも渡ってくるからである
そして日本ではその入り口として津が大事だった、津(つ)とはつづく、つづる、つたえるとかなりきづなは木綱であり何か海から流れてくるものによって絆が結ばれていた
木と綱だということもそうした漂流物と関係して生まれた言葉なのかともなる
つなはつなぐにも通じるからである、海は外と内を結ぶものとしてあった

それで津波のことを津(つ)になったのは津波はつづいて波が押し寄せるからだともしている、つはつづくだからである
この検索で注目したのが津波が遠羽海岸に木像の観音様が打ち上げられたという伝説である
するとここでは津波の伝説が語られていたとなる、確かに津波があったこととして伝えられている
この辺でこれだけの大きな津波がありそのことを探求して来た 
でも不思議なのは400年前に慶長津波があり大きな被害があった
でもその記録は相馬藩政期に二行だけ700人溺死と記されていただけだった
それも津波の後にやっと発見された記録だったのである
伝承は確かに相馬市の鹿島区の境の八沢浦の延長の柚木村に急ぎ坂とか念仏に関係する伝承が残っている、あそこに残ったのは八沢浦の奥ということで残った
そこまで津波が来ても大きな被害にはならなかった、津波は村を全滅させる
するとそこには伝承でも伝説すら残らない、海老千軒あったとするとあそこは弥生時代の遺構も発掘されたり最近古墳が二つも発見されたから古い場所だった
ただ鹿島区に何一つ津波の伝承は残されていない、原町区でも他でもそうである
これもなぜなのだろうと探求しても結局わからないのである

だからここに一応伝説で大津波が来たということはやはり大きな意味がある

相馬市磯部地区では約2000人の住民のうち、251人が大津波の犠牲になった。
市全体の死者・行方不明者458人の半数を超える。

その村は壊滅して今はソーラーパネルが敷き詰められてその面影を偲ぶものはなにもないそこに家があったということもわからなくなった、それは海老浜でも右田浜でも烏アでも萱浜でもどこでもそうである、家があった痕跡するなくなる
だから津波は本当に恐ろしいものであったのだ、それで津波で壊滅した村の伝説は残らないというのはそれをう伝える人も死んだからだとなる
ただ津波でも助かった人たちがその周辺で伝説を残したとなる

津浪から十年すぎて一昔になるとしてもまだまだこの辺ではその傷痕が消えない
それだけの大きな被害だった、ただ八沢浦とかは田が回復したとか復興はしている
でも犠牲者が余りに多すぎたことでその死者は還ってこないのだからそのことでまだまだ忘れるとはならない、家族を失った人たちはやはり忘れられないとなる

とにかく磯部村に残ったのは寄木神社だけであり海岸の磯部村は消滅したのである
ただ古磯部ともありもともとは海岸地帯の磯部村は後からできた
もともとは高台に住んでいたのだろう、なぜなら家が密集していたところは砂州だったからである、古い場所は高台にある、日本では平地は湿地帯になっているからである
それで古い神社はたいがい高台にある
八沢浦でも熊野神社がある所は海から近くても高台にありそこで津波が来て必死にその後ろの山の高台に逃げて助かった人がいた
かなり海に近いのに助かったのは前に丘があったからである、それで津波の勢いがそがれたのである

そして八沢浦は明治になって干拓された場所でありそれで平地にあった妙見の社は消失した、それは新しいものだったからである
神社とか寺は古いから高い所に作ったのである
烏崎の津神社ももともとあそこの平地にはなかった、別な所から移されたのである
そこも湿地帯だったからである、烏崎の方が最初の漁場でありその河口の方はあとから生活の場となり港ができたからである
烏崎で最も不思議だったのは高台にあった八幡神社が津波からぎりぎりで助かったということである、それはまさにぎりぎりの高さにあったことの不思議だった
それも古い神社はたいがい高い場所に作るから助かったのである

日本がにはこれだけ津波の被害かある国だった、でもこの辺では津波の伝承とか伝説がなかった、それで400年間忘れられていたのである
それで此の辺ては津波が来ないとして逃げずに死んだ人もいる
むしろ老人が頑固で逃げずに死んだ
これは何を語るのか?それは人間の時間の感覚が短いからである
いくら人生百年としても百年である、400年前となるともう誰も知らない伝える者すらいなくなっていたのである
それでも他では津波のことが語られている、相馬地域ではほとんど語られていなかったからなぜなのかとなる


寄木神社の由来  

  合祀稲荷神社 寄木神社 
  
平氏没落後志摩国磯部に身を隠した落武者辰
之丞一行は間もなく陸奥国石巻に下り寺島氏
を称して世を忍ぶ辰之丞を船頭として漁師とな
つたが 海面を混濁する北上川の氾濫に度々漁撈
を妨げられ 遂に適地を求めて宇多郡大竹荘磯部
の里に移つたと伝えられる
辰之丞より六代程過ぎ寺島三郎通称与五作が或
日海に漁して一古木を得これを海中へ捨てたが三度
も網にかかったので砂浜に放置したところ 其夜海
浜一帯に怪光を輝かし与五作には夢に寄木大神の託
宣があつた
与五作はこの古木を箱に納め藁菰に被い祠に安置
して寄木大明神と崇め奉ったと伝えられ 時に
暦応二年(一三三九)秋七月であったという 次い
て与五作は神官となり市大夫と称して寄木大神
に奉仕し 黒木城主黒木正光が神田若干を寄せ
たと伝えられ また四代の神官寺島大之進の応永
二十二年(一四一五)三月には時の黒木城主が信託
によつて社殿を建て神田三反余歩を寄附したと
いう
永享の末頃寺島家は元の漁師に復し神官は絶
えたが後 佐藤好信が相馬氏に仕えて磯部城に拠
り祈願所として開山した海蔵寺が別当を勤めた
と伝えられる 天正十三年(一五八五)の建立を伝え
られた社殿は昭和九年(一九三四)旧正月十二日の類
火に焼失したが 畏くも御神体は災禍を免かれ
同年社殿が再建された
天永元年(一一一〇)上之台に祀られたと伝えられる
稲荷神祠は大永元年(一五二一)ここに合祀された
と伝えられ祭神宇賀御魂神と称し奉る
 昭和六十年十月吉日」

 海面を混濁する北上川の氾濫に度々漁撈
を妨げられ 遂に適地を求めて宇多郡大竹荘磯部
の里に移つたと伝えられる

これも災害があってこの地に移った、そしてまた津波の災害にあって磯部村は壊滅した
つまり日本がいかに自然災害が多い国でありそれが伝説にも物語にもなるのが当然である実際に津波にあって石巻からか故郷の丸森に移りそこで今度は水害にあった女性もいた
これはその逆の話しだったのである

posted by 天華 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係