2020年06月15日

蛍袋(原町ユッサの裏の大原の道)


蛍袋(原町ユッサの裏の大原の道)

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高松の店はコンビニのようになったが品物が少ないから客も来ない
何かこうした店は古くからあったがやっていけない
ただここは旧街道であり車はひっきりなしに通っている
でも寄る人が少ない、それも淋しいとなる
車社会になるとどうしても小さい店がなくなってゆくのである




老鶯やユッサに休む草深し

赤らみぬ蛍袋やユッサの湯

大原の墓地や影なし涼しかな

草深く蛍袋や社かな

草深く夏薊かな黒揚羽


黒揚羽ここに出会いて舞いにけり草深きかな大原の里

草深く埋もれし墓やその名もなにもしりえぬ大原の里 

大原の日影の道にあまた咲く蛍袋や草深しかな 

この道を行けばあわれも大原の知る人眠る木陰深しも
                                              

新田川の原町ユッサは意外と場所がいい所にある、ユッサそのものはそんなに景色がいいとはならない、でも今日行ってわかったことはその裏の道がいいのである
新田川が流れていて大原の里があり木陰の道がつづいている

今日そこを行ったら木陰が涼しい、そこに墓地があって草に埋もれた墓がある
そこも影になり涼しい場所である、そこに小さな社があった
馬頭観音であり新しいものである、馬頭観音は昭和の戦前まで馬を使用していたからいたるところにある、だから新しいのである
古い神社や社は別である、何か新しいものには価値がなく古ければ古いほど価値が生まれる、神社でも古い神社は価値がある、ただ古さがわからないのが多いのである
神社がいつ建てられたのか祀られたのかわからないのが多いのである

テレビを中古店に引き取ってもらうとしたら型番かわかればそのテレビの製作した年代がわかる、だから型番を教えてくれと言われた
年代的にそれがいつ作られらたものかわかりそれで評価するのである
神社でもその由来が古ければ逆に文化的価値が高くなる
電器製品は新しいものが価値があるの逆なのである

大原は街から離れた草深い里だとなる、今の距離感だと街に近い感じになるが車がないときは遠かったのである、それより前田という地名がありそこが大原の中心だった
そこに住んでいた斎藤氏と病院に入院して知り合ったが死んだ
その人の墓がユッサの裏の道を行くと杉林の中に隠れるようにしてある
その人の家は空家になって住んでいないのである
息子は街中に住んでいるからだ、だから廃屋となっている
その近くに長く廃屋として放置された家がありそれは本当に幽霊屋敷のようになっているなぜか壊さないのも不思議である
本当に幽霊が出て来るくるような家なのである

ともかく原発事故以後意外と大原は放射線量が高く避難した
そこで一時荒廃した、今でも荒地が多い、それより放射性廃棄物の貯蔵している所が目立って嫌なのである
それはこの辺ではこうした山里でも塀で囲んで放射性廃棄物の土を貯蔵している
それがいつなくなるのかわからないのである
それが風致を乱しているから嫌なのである

つくづく原発事故は罪深いものだった、なぜならこうした村を破壊したからである
ただその前に村は荒廃していた、跡継ぐものがないとか全国の村が限界集落化している
原発事故はそういう村落を壊したのである
それで補償金をもらって喜んでいる人たちも現実にいる
別にそこに住んでいる人が自分のように異常に景観とかにこだわらないからである
でもこうして村の景観が壊されることは心も荒廃するようにもなる

本当は村とかあることはそこに生活があることは外から見たらいいものである
何かほっとするものを感じる、でもそこに住んでいる人はそうでもないのである
だから原発でも積極的に誘致したとなる
ただその時昔からあった村という全体が壊されたとういことがある
町でも全体が壊されて風致もなにもなくなった
いまでもやはり放射性物質の廃棄物場がそちこちにあり風致を乱しているのである

とにかく原町だと深野とか大原は奥まった所でいい場所であり鹿島だと橲原(じさばら)村なども奥まった山里でいい場所である
でもそこでの暮らしが破壊された、田畑が回復しなくなったからである
そこは今はクローバーの野原になっている、原野化したのである
クローバーが馬肥しというのもわかる、田んぼの前は一面の馬肥しであり馬の餌になっていたからである、放牧された馬の餌になっていたからその名がついたのである
北海道にはクローバーの原野があり馬や牛が放牧されている
そういう風景が原野の風景があった

今日は暑かった、真夏である、でもあの辺涼しいから気持ち良かった
散歩にはいい場所である、この辺は海の方にも行けるし山里もある
それが浜通りのいいところなのである
ただ高い山がないのでものたりないのである





相馬新報の趣旨 (新しい技術、新しい報道、新しい創造が世界を変える)


相馬新報の趣旨

(新しい技術、新しい報道、新しい創造が世界を変える)

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●郷土の歴史の発見

●郷土の文化の醸成 

●新しい芸術の創造

●郷土の新しい報道

●郷土の危険の警告

●権力の対抗、報告

私のプログで何をしてきたのか?何を追及して来たのか?
そのことをふりかえると結局2011年からの震災による津波、原発事故がありこのようなことがはじまった、もともと俳句とか短歌を作ってきたし芸術を追及して来た
それでルネサンスというホームページを作っていた
それはwin が出た時であり私の場合はその前からパソコン通信もしていた
それはワープロでありたまたま通信機能がついていたのでしていた
その時点でパソコンをもっていた人は本当に少ない、特別な知的作業をしている人であり優秀なエリートが多かったのである
私は技術関係ではない、パソコン自体その時はそういう人たちが参加して開発していたのである、だから理系の技術者が多かったのである
そこで富士通のオワシスの親指シフトを覚えてテキスト文を早く打てることでなじんだ
まず文章がいかにして早く打つかがパソコンを利用するには不可欠だったからだ

その時はそれが何なのか理解できなかった、人間最初はそういうものなのだろう
新しいものがでてくるとそれが何か理解できないのである
奇妙なことにこうして新しいものができるとき負の現象として新しい犯罪も生れて来る
今になるとそうした犯罪は普通に起きていることでもわかる
電話が作られたら電話を通して詐欺とかいろいろな凶悪な犯罪が起きる
これが技術の宿命でもある、そもそも技術は必ずその技術を利用した犯罪が起きてきた
第一戦争自体がその技術お応用であり技術の発見は開発は戦争を通じて行われたのだ
ヨ−ロッパでは戦争が絶え間なく行われ技術が開発されてきたのである
それが技術のカルマであり人間のカルマだったのである

ともかく人間の歴史は技術発展の歴史でもあった、その技術が社会を変えて来た
グーテンベルグの印刷技術が本を出版できることが世界を変えた、誰でも聖書を読めるようになり宗教改革があった、新しい技術が世界を変える
だから最初パソコンでも何かわからなかった、パソコンに通信機能がついたことが世界を変えた原因だったのである
それが今のITと世界に普及したのであり今や中国がその最先進国になったとも驚きであるなぜなら私が中国に行った二十年前とかは中国は最貧国だったのである
そこで蒸気機関車も走っていたし出稼ぎ車が車両に鞭で家畜のように詰め込まれて運んでいたのである、そんな所に乗ったら外国人は死ぬとされていた
それがみるみる新幹線まで走って通信世界では世界をリードするようになっているのも信じられないとなる

だからこのIT技術の変化でいろいろな方面に社会全体を世界を変えるしそれは進行中なのである、一番の変化はメデアである、報道関係である
これまではマスメデアでありこれはどれだけ力をもっていたか、それは巨大な第三の権力となっていた、なぜなら六局しかテレビでは報道できない、それがどれほどの力をもったかおしてしるべしである
テレビによって政権自体も変えられるほどの力をもったのである
大衆をテレビで洗脳して操作することができたのである
特にNHKとなるとNHKの言うことは世論でもありそれに逆らうことはできない
地球温暖化と言えば科学的根拠がなくてもそれが通じる
NHKの言うことは正しいのでありそれに逆らうものは非国民とまでなっていた
それだけメデアの力が大きかったのである
大衆はNHKがこう言っているからとなればそれに逆らうことができなかったのである
それで今NHKそのものをこきおろして批判している人が普通にいるというのも時代が変わった

とにかく映像の時代である、映像のインパクトが強い、それでデジタルの時代になりデジタルカメラが出て来た時、映像の時代に拍車をかけた、現像写真をとるのは金もかかるめんどうだったからである、その時写真をとったものがあってもわずかしか残らなかった
右田の松原の写真をとったものはそれで貴重だったがはっきり映っていないし残念だったそれが右田の松原が津波で消失したのだからその記録が貴重なものになったのだ
映像も記録として貴重になるものだと思った
郷土史というとき歴史でも記録が基本にある
それで相馬藩政史に「生波(津波)で700人溺死」という二行の記録が発見されて驚いた、それまでその記録を知らせる人もいなかったのである
だからこの記録がいかに大事なものだったか今になるとわかったのである
なぜならこの辺では津波は来ないと確信までなっていた
それはチリ地震津波のことしか体験していないからである
400年前の津波のことを知っている人はいなかった
第一この記録さえ学者すら知らなかったのである

ただ東電の技術者は科学者は十数メートルの津波がくると予告してその対策をするように進言していた、でもコストがかかるから対策をしなかった
このことは報道もされなかったように思う
それは福島民報でも福島民友でも調べればわかるかもしれない、つまり肝心な重要なことが報道されないことがある
それは全国紙でも同じである、国の運命を決めるようなことでも報道されない
くだらない芸能のゴシップなどを報道する
それはなぜかというとテレビはコマーシャルで会社の宣伝費で成り立っているからである
すると視聴率をとるために大衆向きの放送をするのである
そうして肝心なものが知らされず結果的に原発事故のようになり故郷にも住めなくなったのである、だから大衆側にも問題がある
自分たちの生死にかかわることすら関心がないのである、そうして権力者側のいいなりになるだけだとなる
福島民報は官報と同じである、50パーセントが県で出資して後は聖教新聞を刷っているのである、だから自民公明の言うなりの権力の下僕なのである
何か政府にとって権力側にとって不都合なことは報道すらしないのである
それは県民のためにも郷土のためにもならないのである
ただそうなったのは余りにも新聞というのは金がかかりすぎるからである
第一新聞という紙をするにもそうである、それは一軒一軒配るにてしも莫大な金がかかるのである、だから権力にこびてそこで援助を受けてしか報道できないのである

だからこの報道関係でインタ−ネットは一番影響した
個々人が個人レベルがyoutubeのように放送局をもてる、新聞社にも出版社にもなれるからだ、自分のプログは表現が限られているにしろこんな無料のプログでもそれなりに表現できるからだ、ワードプレスとかにすればもっと表現の幅が広がるがめんどうなのでやめた、何か技術に追いつけなくなった

それにしてもなぜプログで書き続けて報告しつづけて自分のしたことをふりかえる
すると自分のしてきたことが理解する、なぜなら何をしているのかよくわからないでしていた、それは震災以後の急激な変化がありそこからこのプログの読者も増えたからであるこれは読む方でも新しいものは簡単に技術関係でも何なのか理解するのに時間がかかる
新しいものはそれだけすぐには人間社会にとりいれられないしなじめないからである
マスコミとは今までの新聞とかテレビとかと違ったものは簡単に理解できないのである
それはインタ−ネットを利用して発言したりする人でもそうなのである
自分のしていることがわからないのである

それで奇妙なのはインタ−ネットとかに無数に出ている写真を映像をパソコンのソフトで抽象画にすることだった、これも自分でしていて不思議になった
こんなことで絵画のようになるのかと自分自身が不思議だったのである
それは新しいパソコンから生まれた芸術だったのである
技術とはもともとartであり新しい技術が生れれば新しい芸術が生まれる
報道でも新しい技術が生れれば新しい報道が生まれる
人間は常に古いものがあり新しいものを追及して来たのである
新しいものを作れないものは衰退する

日本が衰退した原因はどこにあるのか?

新しいものを技術でもなんでも作れない

ここにあったことは間違えない、電器製品を作ったとしてもそれはまねたものであり発明したものは欧米である、だからそれは一時的なものとして終わった
今でも別にそうした電器製品は中国でも韓国でも同じものが作れているからだ
中国製のテレビが安いと今では買ったりしているからだ
ただ中国でも韓国でもITでも欧米からアメリカのコピーなのである
それでアメリカが盗んだとして怒っているのである、つまり中国の発明品ではないからだだから新しいものを発明する提供することがどれほど価値があるか知るべきである
それは別に高度なものでなくてもそうである
料理だってそうである、同じ料理ばかり出してもあきられる、常になんでも人間は新しいものを求めているからだ、芸術などは特にそうである、それは常に独創的でないかぎり認められないからである、でも最初はなかなか認められないのである

ふりかえると報道自体が刷新する、新しい形態になる、それは旧メデアからは生まれない
新聞とかテレビは巨大な独占企業だったのである、第三の権力として君臨していたからである
それがyoutubeのようなものと同列化してゆくことの驚きだった
youtubeの方が学びとしては優れているのも驚きである
学習機能に優れているのである、そして個々人の個性が反映されるのである
それなりに有名な歴史小説家がyoutubeで発信している、それで興味深かったのがその人の人生そのものだったのである、北海道からでてきてアメリカにわたり仕事をしていたとかその人生が破天荒だったのである、小説よりその人の人生に興味をもったとなる
この人はそれなりに有名でもテレビに出ていないのである
何か思想的過激なものはテレビに出ない、武田邦彦氏は科学者として一流でもテレビに出されないのと同じである
今までのマスメデアはマスコミが人を選ぶのでありマスコミが主導した番組作りをしていた、何か不適切な発言は許されないのである、マスコミは必ず番組を作る前に編集会議をして方針を決めて放送しているのである
勝手に個人の意見など言わせないのである、例えそれが正しいにしろ真実にしろそうである

結果的に重大なことが国民の生死にかかわることも報道されなかった

十数メートルの津波が来る!

こう東電に科学者が報告していたのに対策をせずに原発事故で郷土は深刻な放射性物質の汚染地帯になり住めなくなった

それは報道をマスコミが怠ったからだ!

これも原因だったのである、なぜなら朝日新聞から前マスコミの幹部が原発が爆発した時中国に招待されていたからだ、そうしてマスコミは東電からまた電事連から800億という巨額な金が宣伝費としてもらっていたのである
なんら報道の使命を果たしていなかったのである
マスコミにはもう真実の報道は期待できない、インタ−ネットの興隆ですたれ第三第四のメデアになりまた消滅してゆく、つまりyoutubeと同列化してゆくのである
何か優秀な人でも数人集まれば報道はできる、テレビでも解説もできる
それをしているからだ、アメリカでビジネスしている若い女性でも今回の黒人暴動でも報道している、そこに住んでいるから深く現実に影響を受ける者として報道している
それはそこに住んでいる人からの場からの報道こそ信頼に値するのである
それは国内でも同じである、報道とはそこに住んでいる人が第一に生死にかかわる
それは原発事故で証明された、故郷に住めなくなったという大被害を受けたからである
だからなんでも土着的なものとしてある、離れると真実は曲解されるのである
それで東電は福島で原発が起きたとき幹部が東京にいて吉田所長ともめた
それは吉田所長が現場を指揮していたからわかることがあり離れた東京と意思疎通できなくなっていたからである
いくら通信が発達しても離れていたので意思疎通ができなくなっていたのである

だから現場から報道することの意義は大きいのである、そういうことを私はプログでしてきた、それは弱小にしてもその意義があったことをふりかえる
それが成立ったのは現場からの報告だった、現場に住んでいる人の報告だったからである場所があらゆるものの基なのである、場所こそ共有するアイディンティティであり場所なくして何か存在意義する見いだせないのである
その場所の感覚から離れると必ず曲解されて伝わる、だから確かに世界のことが日々報道されても場所のことが理解できないから誤解されるのである
テレビの一場面は常にフェクニュースである、それでイラク戦争の問油まみれの海鳥は作られた映像でありそれが世界中に影響したのである
そういう危険性が映像の時代の放送にあることは注意すべきである

NHKのスバルで村が海の水がおしよせて水没したとかもそれは全体の一部であり全部のことは放送していない、回りは普通の状態だったのである
一部分をきりとって全体のようにしたのが温暖化をあおるNHKが作りだした映像だったのである、確かに温暖化にはいろいろな見解がある、でもそうして映像で真実を伝えず一部分を切り取ったものが全体のように見せることが嘘でありそれを放送することは犯罪なのである、それでマスコミの報道が常にネットでチェックされ批判される時代になった
また黒人暴動でもスマホでとった黒人の殺人現場が世界中に広まったことでもその影響がいかに大きいかわかる、それはマスコミが報道したのではない
一人の無名の女性がスマホで撮った映像が世界中に広まったのである
youtubeでも広まることがある、そういう時代になったのである

相馬新報というとき狭い範囲でも土着的でありその場に住んでいる者が報告する
それは狭い方がより土着的になる、だからいわき新報とか郡山新報とか福島県になると
会津新報などがあってもいい、会津は特にもともと万葉集時代から会津嶺の国をさ遠く・・と国として唯一認識された地域だからそれがあってもいい
歴史的な面ではあるが今何が起きているかはインタ−ネットで報告されているのか良くからない、インタ−ネットの問題はありすぎて何か報道しても埋没して知られないのである私のプログがある程度知られたのは津波と原発事故があったからである
そこから相馬新報になったともいえる