地理で大事なのは境である
(宮城県と福島県内の境)
境というとき地形的境がある、山でさえぎられ日本に峠が多いという時、この峠は漢字にはなかった、国字だというとき日本では山の国であり峠が多いからである
峠を越えると別世界に入るというのが日本なのである
その峠というとき相馬藩内だったら飯館村は標高400メートルであり高地である
だから夏は高原地帯であり涼しいのである、でも冬は寒いから冷害があり米に被害があった、稲作には適していないともなっていた
飯館村に行くときどうしても峠がありそれが七曲りであり真っすぐな新しい道路ができる前は車でも難所だった、大倉回りではそうなっていた
そこで私が自転車で行くとき坂を上れずに自転車を押して上ったのである
大倉をすぎて坂を越える手前で休んでいた
その時とをしてか秋であり秋の蝉の声をそこで聴いていた
何かそれが心に残っていて不思議だった
飯館の峠を越えんと常にして休みて聞きぬ秋の蝉の声
この歌は何かそれだけ峠を越えるのに苦しんだものとしてできた歌だとなる
つまり飯館に行くのだがもう秋になってしまったということである
そこに深い感懐がある、ただ今は飯館村は村として成立していないから残念だとなる
やはり人が住まなければそこはまた別なものとなる
人が住んでいてこそ秋の蝉というのも深く感じる
秋の蝉というときたそがれる、何か老いてゆくとかの感覚になるからだ
峠はこうして地理的に地勢的に地形的に山でさえぎられて分ける
そして山とかなくならないから人間はこの地理とか地形に制約されてありつづけるとなるいくら交通が発達しても山自体がなくならないからである
それで福島県というとき阿武隈山脈、高原にさえぎられて福島市の中通りが見えない
いつも山脈で閉ざされて見えないのである
そうなるとそこと地理的一体感をもてないのである
選挙だと福島一区は福島市と相馬地域が一区なのだけど何か違和感を感じてしまうのである、それは山でさえぎられているからなのである
福島県がハマ、ナカ、アイヅとあるとき中通りは見えない、アイヅはもっと見えないのである、だから浜通りは福島県からすると特殊な地域になるかもしれない
むしろ仙台方面に海を通じて地理的にはつながっているという感覚になる
それは津波の被害でも地理的一体感をもったことでわかる、相馬地域には津波は来ないと油断していたが地理からみればそういうことはなかった、現実に仙台に浪分け神社とかあり津浪が来ていた
それで若林区などは仙台の延長として住宅地化していた、それで被害が大きくなった
そうして不動産屋がそこに津波が来ると学者が警告したとき地価が下がるからそんなこと言うなと脅されたという
これも地理と歴史を無視して被害が拡大したのである
地形的にはそうなる、新地が伊達藩と相馬藩の境となっていてもそれは平坦でありただ政治的境界としてあったからむしろ仙台方面と一体感をもつのである
今でも常磐線で通勤圏ともなる、仙台まで1時間10分で行くからである
それで不思議だったのは震災以後原町から竜田まで電車が通らなくなった
でも仙台まで通っていた、そして仙台が下りだということに違和感を感じた
東京行きが上りとなっていたから仙台が下りになったとしても東京に直接通じなくなったから仙台がむしろ上りの感覚になったのである
とにかく人間は地形的に地理的に境を意識してそこで分ける、するとかえって人間はその制約されたことでその中でアイディンティティを作り安いのである
境がないというときそこでは人間の心が安定しないのである
日本でも広いからとても全国を地理的にアイディンティティ化することは不可能なのである、なぜなら北海道だと大陸的であり全く別な地理と地形でありそこでアイディンティティ化されるものは本土とは全く違ってものとなるからだ
それで北海道とかは俳句にしにくいなともなった、俳句のうよな感覚でとらえられない
ものがある、それはアメリカのような大陸でも何か俳句など作れないともなるのと似ている、グランドキャニオンなど見たらまるで異星に来たような感覚になったからである
ただ地理とか文化とかなるとこの境が大事である、なぜならライン川があるとする
それは父なる川でありこの川が地理的境だけではない文化的な境でありローマ帝国がこの川を越えることができなかった、ゲルマンの世界であり深いゲルマンの森がありその進出を阻んだからである
大陸はどこまでも平坦な地がつづく、それを遮るのは大河だとなる
そこを境として国も形成されたとなるからだ、ただスペインなどはピレネー山脈があり
それが境となっている、だから境となるのは山であり川が主なものとなる
海は広すぎるから国境がないのである、陸を行けば必ず国境があり国境によって国も言葉も文化を違ってくるのである
いづれにしろ世界を見る時、地理からみる、それは学問の基礎である
だから学問するならどうしても世界の地理をしる必要がある、それで実地に世界を旅することが不可欠なのである、それが遅くなったが50以後にできたので良かった
国内は隅々まで旅したが外国はしていなかったからである、ただ世界は広いからどうしても全部はできない、一部になったのである
そして今になるともう世界を旅する気力もない、国内すらできないともなったのである