2020年06月27日

原発とソーラーパネルは似ていた同根のもの (人間は景観に無頓着になった、花より団子になった)

原発とソーラーパネルは似ていた同根のもの

(人間は景観に無頓着になった、花より団子になった)

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この馬頭観世音の社に蛍袋が一杯咲いていた
だから珍しいと見ていて今日色づいたのかと写真とりにいったが全部刈られていた
この近辺の草は全部刈られていた
他で見つけようとしたが蛍袋は見つからなかった
意外と蛍袋は咲かない花なのかもしれない
一部でも残すという心がないからこうなるのである
花に関心がなかったからだともみる




新田川ユッサの裏の道の大原に行く所に蛍袋が一杯咲いていたのを紹介した
今日行ったら草とともに刈られていた
それが残念だった、このように何か花でも無頓着であり刈ってしまう
一部でも残せばいいだそういう配慮もない
その草を刈った人は花に関心がなかったからなのとも見る

人間は景観とかあまり重要に見ない、人間は花より団子なのである
もし景観を重視していたらこんなに自然の景観が破壊されるはずがないのである
だからこそ大都会に人は密集して住んでいる
そんな所に住めること自体が人間が何か異常なのである
田舎でも実際は景観とか花とかに関心があるとは限らない
ただ田舎の場合は自然の中で暮らすほかないから自然が保たれていたのであり
意外と田舎でも何かあれば都会化することはありうる

この辺では原発事故以後に風景が大きく変化したからだ
ソーラーパネルとか風力発電の景色となったからである
なぜそうなっているかというと小規模の田畑は維持するだけで手間がかかり何かとれるということもないのである
道具だけでも金がかかる、今度は草刈機を買うために4万だとか人に畑をうなってもらうために5万だとかなんとか金ばかりかかり収穫は正直ゼロなのである
小規模の田畑の方が手間がかかり金もかかるからやめるのは当然なのである
私はただ農業というものを知りたくて金を払っているともなる

ソーラーパネルになるとただ土地を貸すだけで何もしなくて金が入るから楽なのである
何かソーラーパネルも原発とにていた
原発も漁業権を売り船主は原発御殿を建てたとか楽だった、一方で魚をとるとなると船でも高いし金がかかる、すると採算が合わなくなる、苦労も多いし危険もある
すると漁業権を売って金持ちになった方がいいとなったのである
でも結果としてそのために原発事故となりとりかえしのつかないことになった
生態系が水でも土でも空気すら汚染された、森も汚染された
そして住めなくなったのである

この辺では他でもソーラーパネルが問題になっている、これも増えすぎたのである
森の斜面に作りそれで大雨で土砂災害なったときそのソーラーパネルが壊され何らか山を汚染する、もともと景観を汚すことは破壊することは自然にとって問題なのである
自然の景観を壊されることは自然そのもの生態系を破壊するのである
そういう宿命が業(カルマ)が人間にはある、職業とはなんらか業なのである
人間はいくら自然を破壊するからといってやめられないのである
現実に原発で働いていて豊かになった人もいる、そこで働いていた人が地元でも多かったからである、ソーラーパネルでも地元にも会社がありそこで働いている地元の人も相当数いるからである

とにかく山の方に行くとこの辺は依然として荒地が多い、耕作放棄地は回復しない
かえってそういうところはソーラーパネルになりやすいのである
ただ土地を放置しても一文にもならない、かえって税金をとられるだけだとなってしまうからである
ただ田畑は手間でもやはり生態系の維持とか田舎の景観を作ってきたのである
だから田んぼが荒地なになったとき蛙がいなくなり鷺もいなくなったのである
つまり田んぼ水を貯えてそこに虫や蛙がすみ鷺が食料としていたからである
田んぼとか畑は一つの田舎という小宇宙のミクロコスモスでありそこで一応完結した自給自足の世界を形成していた
それは江戸時代から戦後十年くらいはそうだった
なぜなら燃料は山の木材を利用した木だったからである
そういうときは外部に都会に頼る必要がなかったのである
田舎は田舎で自立して生活していたのである

でも現代は電気にたよる、石油に頼る、インフラの道路の整備が必要だとかなり東京都は税金収入が多いから地方交付税として地方に金を回していたのである
すると地方で自立した生活をしていないから東京の人に地方は田舎はいらない、食料も外国から入るからいらないというようになったのである
グロ−バル経済であり日本の税金かかるだけだからいらない、過疎地などは切り捨てろとなったのである
それがコロナウィルスで東京が密集をさけられないということで分散が必要になり地方が見直される結果になった

いづれにしろソーラーパネルは経済的にも電力として有効ではない、なぜならその電力は税金から国民が一割でも二割でも払っていから高くつくのである
そして石炭で火力発電より高くついているのである
それからソーラーパネルは自力で発電できないのである
電力を流して発電させる仕組みなのである
それも効率的ではないのである
だからこれも原発ともにている、自然エネルギーではなかったのである

風力発電も自然エネルギーではない、それは武田邦彦氏などが優秀な科学者が言っているから間違えない、つまり何らかそうした人工的なものは必ず自然そのものではないのである、ただ人間はこうして自然を歪めるのが職業であり業(カルマ)なのである
そのカルマから逃れることができないのである
そういう仕事がないと田舎には住めないともなるからだ
それはだから原発と一見自然エネルギーだなどといっていたが似たものだったのである
つまり景観を破壊する汚すこと自体が自然ではないのである

だから本当の自然は万葉集時代にあったとなる、その清浄無垢の自然の中に本来の神道が生れたのである、それは国家神道とは違ったものである、政治色はないのである
政治だと必ず権力と関係してくるから世俗的なものであり汚れるのである
いづれにしろ人間は景観に無頓着だというときそれだけ美の感覚に欠けているともなる
特に現代文明になるとそれが極端になったのである
日本語が世界の言葉と比べたとき極めて美的だというときもそうである
その特殊性は日本の自然に育まれて生れた醸成された言葉だからそうなった
それが万葉集に残されたから万葉集は貴重なのである

それで神は人間の暮らしを隠したというとき自然の美は景観を損なわれることがなかったのだ
今や東京とか見れば一目瞭然である、むき出しの醜い姿であり人工物に覆い尽くされてその景観は異様だからである
そこがとても地球とすら思えない景観なのである
でもそこに一千万以上が生活している、それが地方と田舎と関係ないならいいが原発をもってきたり今度はコロナウィルスをもってきたりするから問題なのである
ただ地方でも田舎でもまたそういう景観とかは金にならないとして破壊するのである
田舎の場合はただ自然というものに制約されてその中で暮らすほかなかっただけでありやはり景観などに関心かないのである
米と野菜をでも作りそれがいくらになるかは関心があっても景観自体に関心がある人はいないのである
だから景観が破壊されてもそれほど感じないのである
景観自体は金にならないからそうなるのである


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posted by 老鶯 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連