2020年07月03日

地方ではコロナウィルスで東京から来るなになった (ノーマルからアブノーマルへまたニューノーマルと変わる)


地方ではコロナウィルスで東京から来るなになった

(ノーマルからアブノーマルへまたニューノーマルと変わる)


その人は糖尿病である、だから孫が神戸にいて働いていてお盆に来るというとき来るなと強く断ったという、その人は東邦銀行の人だった
なぜ東邦銀行の人が神戸で働いているのかその辺の事情はわからない
ともかくお盆でも東京から来るなという人が多い
それだけ田舎でぱ地方では東京から来る人を警戒している
福島市で最近感染した人も東京と関係してなった
最初私の住んでいるすぐ近くで感染した人も東京のライブハウスに行って感染した
最新ではまた一人仙台市で感染した

このコロナウィルスは交通と地理と深く関係している
大都市中心に人口が密集した地帯から広がる、だから大阪の隣の神戸は危険だとして来るなとなった
なぜなら東京でまた100人越えたように潜在的に感染している人が相当数いるからだ
ただ検査しないからわからないだけなのである

一時茨城県から感染者が出ないとみていたらすぐにやっぱり出た
東京圏内だから必ず出ると見ていたからだ
そして東京を抑えなければこれは地方でも抑えられない
なぜなら東京とのヒト、モノの交流が抑えることができないからだ
そういう時代に生きてきたしそうういシステムの中で生きている
ただ本当に不思議なのはITとか通信は人と接しないからテレワークができる
それでますますITが重要になるという
それでも人との交流、物流をとめることはできない
だから交通関係の被害は大きいものとなった
せっかく3月に開通したスーパーヒタチでも人が乗っているのがわずかだからもったいないとなる、それは東京との交通が主なものとしてあるから困る

江戸時代のコレラの感染のことを前に書いた
会津若松を中心にして広がった、東は白河街道があり西は新潟県が北前船とかが入ってきて阿賀野川の交通があり会津若松に人、物が入り広がった
そして田島の方には田島からではなく会津若松から広がったのである
それは東京中心にして拡散するのとにているのだ
それで感染者を出さなかったのは桧枝岐(ひのえまた)だった
ここは交通も閉ざされた地域であり米を食べないで蕎麦が主食でありイモリなど燻製にして食べていた、だから地理的に隔離して交通もなかったから感染しなかった
つまりウィルスは密接に地理と交通と関係しているのである

だから東京の人は地方に田舎に来るな帰るな!
                                        ・       
入らせないために関所を作れ!

こうなるのもまるで江戸時代に還れということにもなる
関所など前時代の不便なものでありグロ−バル化した結果、国境すらないとか世界がなって人、物が交流したのである
それがもう極限に達していたのである、それが急激にコロナウィルスによって否定された国境も関所すら必要なものになったのである
それもかなり厳しく入国制限をするような状態になった

だからコロナウィルスが世界を変えてしまうことの驚きがある
グロ−バル経済すらとめるようになったことの驚きがある
人間の生活は本来どうあるべきかも問われている
そんな外国と人でも物でも自由に行き来する、それはいいこととして推進された
でもそこにすでに弊害が生れていたのである、観光にしてもオーバーツーリズムになり
限界になっていた、それがぱったり止まったという驚きである
今や京都でも閑散としているかえって今ならゆっくり観光できるともなる

いづれにしろ東京を封じ込めろとなってもそれはできない
一千万の人間を東京に閉じ込めることはできない、ただこれもなんらかのカルマだったのかともなる
福島の原発事故のカルマとして東京にこうした災いが生れたのかもしれない
またそもそも東京の様な大都会は不自然でありその不自然さがコロナウィルスに弱かった東京では密集せずに生活できないからである、必ず人と接触するし接触しないて生活できないからである
そして新宿で水商売の人たちからまた感染者が増えたというときもそうである
一万人くらいそういう場所で働いているという、それだけのボリュームがあると感染は防げない、そういう場所も本当は異常だったのかともなる
ただそういう歓楽街は江戸時代でも吉原とかあり人間の欲があるかぎり消えない
でもコロナウィルスでそれも危機にたたされる
自粛が解除されてもそれでまた増える、それは実際予想されたことである
では両立が可能なのかとなるとまたむずかしいのである

とにかくニューノーマルの生活形態に変化するほかないのだろう
不思議なのはこうなるとみんながデスタンスをとり座禅して沈黙する寺に籠る僧のようにもなる、しゃべると飛沫が飛び感染するからである

距離をとれ、デスタンスをとれ、マスクをしろ、大声でしゃべるなとかなると

それが禅僧のようになる生活だともなる、まさに修行僧と同じになる
でもそれもまた新しい時代のニューノーマルなのかとなる
何かこれまでの生活を見直す、これまでの生活が実際はノーマルにみえてもアブノーマルだったのかもしれない、それをコロナウィルスによって気づかされて変えたとともなる
私自身は奇妙なだけど30年間引きこもりであり禅僧のような生活をしていた
人とは接せず沈黙してしゃべることもしないで暮らしていたのである
だから変なのだけどこういう生活は向いているのである
今でも一人くらいとは接しても人と接していない、そうして誰とも接することなく通信でプログを文章を書いている、テレワークなのである
だからこういう生活に違和感がないともなる

何か時代というのは不思議である、高度成長時代があっても自分には会社勤めもしていないしバブルの狂乱も地方では関係なかった、その時株もしていないから関係しなかった
その時自分はアブノーマルな人間だったのである
そして私自身は内面の追求をしてきた、宗教とか哲学とか芸術を内面的なものを追及してきたとなる
それがまたAIで仕事がなくなりみんなアーティストになれということを言う人がいる
高度成長時代は企業戦士であり会社のために闇雲に働いているのがノーマルだったのである
だから時代が変わるとノーマルがアブノーマルになりまたニューノーマルが志向される
このように人間の社会は常に変わってきたのである




posted by 老鶯 at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層