2020年07月31日

紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌- 亡き人を偲ぶ歌) 紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌- 亡き人を偲ぶ歌-猫の写真)


紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌-  亡き人を偲ぶ歌-猫の写真)

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この猫は人になれない、さわらせない、近くにはよる
猫を飼う人はその猫に似るというのも本当かもしれない
自分の性格がこの猫ともにているからだ
なれなれしくなく何か人となじまないからだ
この猫は一か月くらいいなくなって尻尾を焼かれて悲惨だった
そこから血が流れていたのである、それもとまったので助かった
そのために余計に人になれなくなったのかもしれない
ただもともと人になれない猫だったのである

いつでもつんとしている、これがいつもの表情なのである
だからまさにこの写真がこの猫にふさわしいとなる

写真の不思議は絵に近くになる、絵の才能が全くなくともパソコンで絵にできる
ここで気づいたのは葉っぱに雫が見えた
するとここを目立たすようにもできる
ここに雨粒を大きく見せたりして加工するのである
また絵だと銀色にして雨粒を描く
つまり猫そのものがシルバーなのである、何か明るい感じがしない
猫は梅雨の日にあっているともなるからだ



雨しととこの道今日も合歓の花

鬼百合の競い咲きにし十数輪 

(京都―八坂神社)

古木なる枝垂桜や京の夕

京の日や枝垂桜によりそいぬ


山鳩の野に飛びにつつ働ける人のありしも実りのあらむ

我が庭の石のぬれにしその上に猫の座りて家にいつきぬ

めずらしき蝶のとまりし街の辻我のみ見るや心にとめぬ

交われ近くの女(ヒト)や草深く藪甘草咲き我が家のあり

紫陽花のことしもやさしく庭に咲き亡きにし女を我が偲ぶかな

我が身とて消えゆくものを今しばし花のそばにしよりそいあらむ

花とてもよりそう見れるその人のありしを思ふその場なるかな


梅雨がつづいた、そろそろあけるかもしれない、今日午後三時空を見たら晴れて来た
何か山鳩は鳩は平和の象徴である、田舎では山鳩は常に見かける鳥である
その鳥にしてももし原発事故のように荒地になって野に働く人もいなかったら
その鳩も活きていないとなる、もし全く人の住んでいない原始の自然だったら別にそこに活きていた

でも人が住むようになったとき違ったものとなった
人が野に働き平和な時、鳩もその人里に来て調和する、人の生活と調和する
そこに暮らしがなくなったらそうは感じないのである
それを象徴しているのが飯館村とか原発避難区域になった所である
人が住んでいない、暮らしもない、それげ生業を返せと裁判も起こした
今あるのはソーラーパネルと今度風力発電とかの工場ともなる

それは確かに利益を出すものだから仕方がないともなる
でもそこに山鳩とかが飛んできて調和するだろうか?
ただ別に田んぼで働いていた人は草刈機で草を刈っていた
するとやはり機械の騒音とかがそこにある
意外とこの草刈の騒音が嫌だいう人がいたのもわかる
毎日どこかで草刈しているからその音がするからだ
だから機械から離れて人はもはやありえないのである

庭の石に猫が座っている、雨に濡れた石に座っている
それを見ていると石と猫は一体化して調和する
猫が石になり感じである、自然は動物でも自然と調和する
なぜ人間だけが調和しないのかとなる

庭に紫陽花がやっと咲いた、今回は切ったので遅く咲いた
その時ここに姉が立っている感じになる
ただやさしいというとき自分にはやさしかったが優しいという女性ではなかったのである人間は死ぬと理想化するのである、悪い面が見えなくなるからである
となるとやさしいと偲ぶのは何か理想化してやさしい観音様のような女性がそこにあるように見たともなるのだ
人が死ぬとどうしても理想化されやすいのである

花の不思議は花を見ている人がいる、やがてその花を見ている人も消える
その時花もまたその人を偲んでいるとなる
これは別に恋とかの歌ではない、万葉集の歌は死んだ人を偲ぶ歌だとされている
恋とは乞うだったとしている、もう一度死んだ人と会いたいという歌だったとされているからだ

ともかく花とともに季節は変わる、今は合歓の花が咲き山百合が咲き鬼百合が咲いた
花ともに季節は変わってゆく、お盆になればもう秋だとなる




京都の八坂神社について書いた、あそこは30年前とかに行った記憶がある
何か本当に遠い日のことになった、でも京都は春夏秋と四回くらい行っている
それで八坂神社の枝垂桜は大きく見物である
京都に咲く桜でも何か違ってい見えるのが不思議である
それは千年の都だから自ずと何か歴史がそうさせているのである
でも正直インパウンドで外国人であふれたときは行きたくなくなった
情緒もなにもなくなるからだ、修学旅行生でもうるさかったのだから古の京都の情緒はなくなったのである
今なら本当に京都に行くのにはいい、閑散とした京都はありえなかったからである
でもコロナウィルスでまた行けないとなっているのだ
とにかくこれだけ旅行したがそれも今は記憶としてたどるだけだとなる

日本で起きたことが中国でも起きている (三峡ダム崩壊の危機の被害の予想-原発も危機 )


日本で起きたことが中国でも起きている

(三峡ダム崩壊の危機の被害の予想-原発も危機 ) 

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神王TV

三峡ダム決壊で、原発9基が超ヤバい裏話

ダムというのも巨大化すると自然を改造することだからそれだけで自然から復讐されるときがある、最近起きていることは世界的にも日本でもそうである
ダムの放流で日本でも危険なことになった
それからはよう湖は広大だけどそこも相当埋め立てて住宅地にとかしたという
それでそういうもともと湖だった場所がまた湖となり被害を受けやすいのである
水があふれやすいからである、それも自然の改造だから自然から復讐を受ける
それも日本と同じだった

なぜ津波でこれほどの被害を受けたのか?それは仙台の若林区の被害が大きかったというときそこは不動産屋が開発した地域だった
それで学者がそこは津波で危険だと警告したら不動産屋からとがめられたという
そして津波が来た結果大被害になったのである
何か常に利益優先になりそうなる

それから中国の原発9基が長江の洪水で危険にさらされているという、これも怖いと思った、つまり長江洪水の危機は日本の津波と似ていたのである
もし洪水になり原発が崩壊したらそれは中国一国ではすまなくなる被害になる

そしてまた共産党の政府の幹部が500年間は三峡ダムは崩壊しない

と言っていたのもそうである、必ず御用学者がそう言うのである

福島原発でも100万年事故は起こらない!

御用数学者がそう計算していたのである

この構図は世界共通である、政府が御用学者を使い安全でないものを安全だと言わせる
民間は民間で利益第一主義であり不動産屋が無理して開発して津波で被害にあった
はよう湖でも同じ構図である、湖を埋め立てて住宅地とか田畑にして被害になった
だから本当に政府を信用する、政府になんでも任せるということが危険になる

でも政府とか共産党は権力をもっているからその圧力で押し通すことができる
そこに権力の怖さがある、権力さえもてば危険なことでも押し通すことができる
それに抵抗することはできない、共産党一党支配だと反対する者は逮捕されるからだ
日本が民主主義で自由主義だからそんなことがないとしている
でも実際は原子力村が形成されたようにその体制は共産党一党独裁と似たものだったのである、原発に反対することは封じられていたからである

政府は権力で押し通す

民間は利益になればいい

科学技術者は権力に従う

マスコミも時の権力に従い利益を得る

この構図は世界共通しているのである、だからこの逆にならなければ国民の平和は守れないとなる

政府は信用するな

民間は国民は利益だけを考えるな

科学技術は御用学者になるな

マスコミは利益だけを求めるな

太平洋戦争でもこういうことがあった、戦争をあおったのは朝日新聞だとしている
政府を信用しすぎたこともある、それは天皇現人神ということで政教一致になることで加速されたし絶対化された、つまり不敗神話は作られたのである
戦争には負けない、神の国だから負けない、原発は安全だという安全神話は一体化して作られた、それはあまりに強力なものだった
だから誰も反対できないものになっていたのである
宗教でも政治権力と一体化すると危険なものになるのである

政府は信用するな、常に監視せよ!

これが民主主義なのである、中国では共産党一党独裁だからこれができない
日本が自由でも原発に関しては同じだったのである
検察官僚でも東電に天下りして利益を得ていた
だから未だに原発の責任は誰も問われないのである、無罪なのである
ただ必ず責任は誰かかがとらされる、戦争では国民が3百万人死んだし原発では故郷に住めなくなった、その責任は甚大なものだったのである
だから民間でも利益ばかり求めると危険になる、責任をとらされるのである
そこに目覚めなければならない、その責任を必ずとらされるからだ
だから故郷に住めないとか戦争では3百万人死んだとかその責任の結果を常に考えるべきだとなる
権力に唯々諾々と従っていると危険なことになり故郷に住めなくなったり死ぬことにもなる、そういう危機感をもてばいいのだが何か利益になればいいしか国民でも民間でもないのである  

結局民主主義といっても国民がこうして自ら自覚しないかぎり何の効果も発しない
そういう制度があっても活かされないのである、立派な建物があってもそれを活かす人間がいないかぎり無用の長物になる、魂が入らないのである
そうするのは国民の自覚が必要になる
そして党派があるがその党派もまた利益優先主義である
どんな組合でも団体でも組織でも利益優先である、カルト宗教団体でも何でもそうであるそこで漁業組合が東電に漁業権を売りわたしたのもそうである
もともとそんな権利もないのに私的なものとして利用して利益を得ていたとなる
こうして組合とかも必ず正当な権利を追及しているのではない
利益を優先して求めているだけだとなる
原発でも容認されるのは電事連とかがありそれで生活している人がいるのだからそこから莫大な宣伝費がマスコミに流れていた
つまり共犯者だったとなる、結局人間利益から逃れることができない、でも利益だけを求めていると危険なことになる、このジレンマをどうして解決するのか?
それが世界で共通した問題なのである  

マスコミに対してyoutubeというのができたのはいいことだった
テレビばかり見てたら政府の言う通りにもなる、それは原発の報道でもわかる
マスコミ全員が朝日新聞でも幹部が原発が爆発した時、中国に招待されて歓待されていたからである
それでyoutubeで放送されることでバランスがとれるとなる、ただyoutubeはチャンネルが多すぎるので選ぶのが大変だとなる
情報が錯綜してしまうのである、でもマスコミの六局支配は異常だったのである
それが情報を一方的にしたのである、youtubeの不思議は簡単にテレビ局など個人でもできることであった
またインタ−ネットだと一個人でも新聞でも雑誌でも発行できるメデアだと思った
だから民主主義の発展の強力なツールになるとも見た
自分自身でもこうしてとにかく自分の力で書いて報道するとき自らが力を得たとも感じるからである、でも確かに読む人とか見る人の数に左右される
その数を得ることがインタ−ネットの世界ではむずかしいのである
だからどうしても選ばれた者は読んだり見たりするがそれが意外は全く読まれない見ない無視されるとなる、これも問題だと思った




posted by 老鶯 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層